1 :
世界@名無史さん:
があるなら書き込め。
2 :
世界@名無史さん:03/12/29 11:13
常々思っているのだが、スレタイにわざわざ「世界史」とか「歴史的」とか入れなきゃいけない時点で、
本来板違いなものを無理矢理ねじ込んでる、という気がするな。
3 :
世界@名無史さん:03/12/29 11:27
糞スレケテーゐ
4 :
世界@名無史さん:03/12/29 14:04
糞スレじゃないもん!
1945年1月1日ドイツ空軍「ボーデンプラッテ」作戦
6 :
世界@名無史さん:03/12/29 19:33
年末年始にまつわる故事の山野の薀蓄を聞きたいと思わないか?
>>6-7 気持ちは分かるが、ここは世界史板なんだよ。
9 :
世界@名無史さん:03/12/29 19:57
でもやってくれると思うよ。
11 :
世界@名無史さん:03/12/29 22:19
山野さんまだ〜〜?
12 :
世界@名無史さん:03/12/29 22:21
マチクタビレター
☆ チン マチクタビレター
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< 山野さんマダー?
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
| ○うんちく○ |/
13 :
世界@名無史さん:03/12/29 22:41
アステカのお正月でもいいし、セルビアのお正月ネタでも良いぞ。
トリビアスレでええやん
年末はシーザーが暦を改良するまで2月末だった。
いまの12月が年末になったのはローマの行政スケジュールのため。
故にoctober september novenber decemberがそれぞれ8 9 10 11を意味する
単語なのに2ヶ月ずれているのもこのため。
さらに閏年の調整が2月末日なのも、そもそも2月末が年末だったことに由来する。
……なんか変だぞそれ。
>故にoctober september novenber decemberがそれぞれ8 9 10 11を意味する
>単語なのに2ヶ月ずれているのもこのため。
september=7、october=8、november=9、december=10だろ。
17 :
世界@名無史さん:03/12/30 00:01
>>14 よし
世界史板で語る年末年始のへぇ〜なスレに改題しよう。
>>6 大晦日・正月は元々盆と並んで故人の霊魂を祀る日であった、とか?
そりゃ延々とお話出来ますが嫌われているようで・・・。
キターキタヨー
☆ チン マチクタビレターヨ
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< 山野さんモットー、モットー。
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
| ○うんちく○ |/
では数レス下げながらやらせていただきますか。
亡き人の 来る夜と聞けど 君もなし わが住む宿は 魂無しの里
と和泉式部が詠んだように、かつての我が国には大晦日には祖霊が帰
って来るという信仰やそれに応じた霊祭というものが存在していまし
た。その起源はある程度文明の発達した段階に求められるという説が
ありますが(堀一郎ほか)、七世紀には民間でも行われていた様です。
これは特定の個人の霊の為に別棟を設け、それぞれの霊前に供物を供
える形式をとっていたことが『日本霊異記』の記述から伺えます。
平安中期の貴族たちも行っていたことは『枕草子』や『蜻蛉日記』の
ほか曾丹の歌などからも伺えますが、男性の記した「日記」にはまず
出て来ません。『小右記』に少しあるくらいです。
おそらく漢訳、或いはシナで成立した「さしたる本説」となりうる仏
典が存在せず、加えて死者の霊を迎えはしたものの仏教的な救済色が
薄かったことが偽経の成立を困難にした為でしょう、鎌倉時代には既
に京都では無くなっていたことが『徒然草』に記されています。
(十二世紀前半に成立した『今昔物語集』には大晦日の霊異について
記した説話が三話ほどありますが霊祭自体の話はありません)
もっとも地方では長い間存続したらしく、現在でも大晦日に祖霊神を
迎えたり元旦に墓参りに行く地域がありますが。
例えば沖縄では(私が調べた限りでは広島などでも)
「盆は祖霊をもてなす日で、大晦日は祖霊にもてなしてもらう日だ」
と言ったことが語られて来ました。では祖霊がなにを授けてくれるのかとい
うと、これが新年の生命力いわゆる「年玉」な訳です(そういう説がある)。
やがて実体を備えた餅(丸餅)で表されるようになり、江戸時代には小銭が
使用されるようになりました(当時は袋に入れずそのまま渡すのが普通)が
「御餅を食べるのがお正月」というのも言い換えればお正月には御餅を食べ
るものだということになります。
なお「餅無し正月」といってなんらかの祟りが原因で餅が食べられなくなっ
たという伝説が各地に残されていますが、そこは元々水稲農法ではなく焼畑
農法に頼っていた地域であったらしくこの場合は柳田國男が定めた「日本人」
の定義である「最低でもハレの日には米や餅を食べる」は当て嵌まりません。
なお民話の「笠地蔵」というのも善き老人の為に大晦日の夜に笠をかぶって
(旅装束の象徴)境界を越えて富を運んで来てくれる祖霊の姿の投影された
ものだと考えられます。
「牛方とやまんば」というのも大晦日の買出しに関わるものですが・・・こ
れは面倒なので省略しておきましょう。
では祖霊はどうやって来訪するのか。
古くは『梁塵秘抄』に登場する門松というのが祖霊の依り代として機能
してくれる存在のようです(五月の「天道花」もその可能性あり)。
かつては一本だけであったようですが、常に青々としているということ
もあって人々の支持を獲得したものでしょう。
青いといえばゆずり葉。現在でも正月飾りに使用される植物ですがこれ
も『枕草子』に「亡き人の食ひ物の下に敷くもの」とある様に古くから
正月行事に必要とされていたようです。
また正月のお飾りについている注連縄と同様にその場所を占めて(占有
して)災いを避けるという意味も期待されたのかもしれません。
災いを避けるといえば『土佐日記』には正月に家々の軒にぼらの頭をつ
けていたことが記されていますが、これは現在の節分における鰯の頭に
相当する魔除けですね。
鬼追いの原型である追ナも元々は大晦日に大祓などと並んで行われた行
事です。
追ナはシナ起源のものだと言いますが、「大晦日の霊祭」もシナや南太
平洋などに分布している習慣だそうです。
古いものを一掃し、新しい日々を始める正月(の元旦)。それだけにそ
の日には「ゆゆしき(縁起でもない)」ものは排除されました。
当日には念仏が忌まれたことが『紫式部日記』や『沙石集』に記されて
います。
まあこの辺りは個人の主観にもよるでしょうが・・・皆さんよいお年を。
(以上のものは「こういう説がある」というレベルの話も混じったものです
ので、他所ではお話になられぬことをお奨め致します。)
(・∀・)イイヨイイヨー
26 :
世界@名無史さん:03/12/30 09:31
「牛方とやまんば」というのも大晦日の買出しに関わるものですが・・・こ
れは面倒なので省略しておきましょう。
解説きぼーん
27 :
世界@名無史さん:03/12/30 10:34
京都の太秦には三角形の鳥居がある。
弓月国からきた秦氏の鳥居である。
ってことはゾロアスター教かイスラム教ですか?
もしくは景教じゃないキリスト教とか?
秦氏=その辺りで繋がる短絡さが「と」の臭いを醸し出してるな(w
29 :
世界@名無史さん:03/12/30 11:00
弓月国からきてることを誇りにしてるのだから
現地宗教に染まるよりは先祖の宗教と融合させていてもおかしくない。
イスラム教は年代的にもっと後じゃないか?
キリスト教も十字架がない点からしておかしい。
ゾロアスターは中国にさえ来てないのでは?
ていうか物部氏(八百万の神)と蘇我氏(仏教)で戦争してたのに
表だって神道崇拝する秦氏はなんで殺されなかったんでしょうか?
異端神道だったから?
>>29 別に神道崇拝が排斥されてた訳じゃないんだから殺されなくたっておかしな話じゃないだろ。
つーか、物部氏が蘇我氏と対立したのは宗教じゃなくて政治的な要因が大きかったんじゃなかったか?
山野氏辺りならこの辺詳しいんだろうが・・・。
>>26 江戸時代後期には既に『嬉遊笑覧』や土佐の妖怪絵巻に記されていた有名な
話ですが、柳田國男によれば根底は「鯖大師」と同じものだということです。
「鯖大師」伝説とは峠を越えようとしていた鯖売りが弘法大師に鯖を請われ
たにも関わらず無視して通り過ぎようとしたところ牛が倒れて動かなくなっ
てしまった。そこで鯖を捧げたところ牛が立ち上がったというもの。
かつては仕事納めに峠の塞の神に鯖を捧げる習慣があったらしく、それを怠
った愚か者が鯖を全て取られるという筋だったのではないかという説です。
ただ本話は前半で恐ろしかったやまんばが後半では道化を演じていることか
らかつては前半と後半が別々に存在しており、後半は「猿蟹合戦」のような
仇討ち話だったのではないかということです。
実際に九州には蟹や蜂や針などの助力を得て退治するという話もあります。
やまんばが湯で殺されるところに荒行の影響を見るような説もありますがこ
れは本筋とは関係ありませんしきりが無いので省略。
>>27 そもそも鳥居がいつ出来たかという問題もあるでしょうに。六国史や中世の
諸書には登場するのですか?
それ以前に秦氏というのは朝鮮半島経由で渡来した始皇帝の子孫を称してい
た筈ですが。聖徳太子といい戦前の「学説」の長く尾を引くこと・・・。
山野氏のマジメな数スレだけで良スレになるな。
勉強になる。
・・・・・・板違いだけどな。
じゃ、世界史板としては、
転換日(新しい年の最初の日)
現在の日本などでは1月1日(元旦、元日)。
中世では、1月1日、12月25日、3月25日、復活祭の日などが転換日でした。
12月25日は
クリスマスで、おそらく、その原形はミトラ神の誕生祭の日。
3月25日は
受胎告知の日であり、古い暦では「春分の日」。イギリスでは14世紀より
新年の最初の日とされた。
復活祭の日
復活祭がる日。
移動祝祭日で。3月の春分を過ぎてから最初の満月のあとにくる最初の日曜日。
復活=新しい始まり。
>>33 誤字は無視してね。
「正朔(せいさく)」という単語があって、
意味は、 1.元旦。1月1日。2.暦。3.天子の支配。
と三つぐらいあるんですが意味深でしょ。
>>30 >物部氏が蘇我氏と対立したのは宗教じゃなくて政治的な要因が大きかったんじゃなかったか?
今更ながら、泊瀬部皇子(後の祟峻天皇)を大王位につけようとした蘇我と穴穂部皇子を擁立し
た物部による政権争いが直接の契機であったといいます。
勿論日常の宗教的な確執も影響を与えていたのでしょうが。
>>33 日本でも盆と正月の二つの行事で区切ったのではないかという説があります。
シナではどうなんでしょうね。
36 :
世界@名無史さん:03/12/31 11:16
大晦日あげ!
>>35 誤解なさっていらっしゃいます?
ごめんなさい書き方が悪いと思います。
中世(泰西)では、「転換日は年に一回で、採用されたのは、いろいろあります」
という意味です。もちろん年に二回などもあったかも知れませんが、知識不足で
把握してません。あったら誰か情報ください。
そうそうあと、節分ってよく考えると年に4回(春分・秋分・夏至・冬至)が
ありますが、なぜ春分=節分のイメージが強いのでしょうか?
>37
旧暦では立春(元旦)の前日にあたりましたから。年越しの日。
誰も居ないから今のうち。
スペインのエイプリルフールは12月28日にあたる、
この日は一流新聞やTV局も真面目にガセネタを組むそうだ。
漏れは調べてみたが起源が分らないんだな〜。
40 :
世界@名無史さん:04/01/01 11:46
さてがんばって薀蓄を書いてくれ!
元旦の旦という時は初日の出が地平線から上る図をそのまま文字にしてるんです。
さっきテレビで言っていたやつじゃありませんか、それ。
まあ「早旦」と言いますからね。
じゃあ、便乗して。
元旦は元日の朝のことをさすので、「元旦の夜」とかいう言い方は間違い。
「早旦」で検索してみたら古典絡みで出て来るものがほとんどでした。
今はあまり使わないのでしょうか。
地域にもよるが、かつては日没から翌日にするという発想が存在した。
従って大晦日の日没からもう新年になることがあった。
日没から翌日って、日本でですか?
ヨーロッパなんかでもそうだったみたいですね。
クリスマスの前日を「クリスマス・イブ」つまりクリスマスの夕方と呼ぶのはその名残とか。
>>45 そりゃあまあ、「私が」断りなしで書いていたら日本の事例です。
47 :
世界@名無史さん:04/01/01 17:10
早旦 そうたん とよむのか
48 :
世界@名無史さん:04/01/01 17:19
俺たちも歴史の資料になれるかも知れない。
無名の大衆が歴史を動かす!
50 :
世界@名無史さん:04/01/01 17:39
韓国は冬休みがなく1月1日から25日まで休みである。
旧正月のほうが重要だから。
51 :
世界@名無史さん:04/01/01 18:18
旧暦を重視するのは中国も同じだな。
極東3バカは電波飛ばし放題だが、
旧暦に戻したほうがいいんじゃネーノ?
元々明治政府が閏月の給与を払う金が無くて新暦を
即効で採用しただけなんだろ?
むろんそれなりの大義名分はついでいるけどな。
杉田玄白や前野良沢はオランダ正月を祝った。
太陽暦を採用している今日、我々が祝っているのは実はオランダ正月。
オランダとは知らんだ。(寒)
蘭学者や通詞といった関係者の間ではおらんだ正月の他に19世紀になると
誕生日も祝われていたそうです。
55 :
世界@名無史さん:04/01/01 21:03
前、山野が別スレで杉田玄白が平賀源内と入魂だったようなレスを
見た記憶があるんだけど、
源内や杉田は誕生日を祝ったりしたんかな。
でー何気に誕生日って日本では祝う習慣ってごく最近か?
さかのぼっても明治?
一般なら明治でしょうね。織田信長が祝わせたことはルイス・フロイス
が書いていたはずですが、秀吉ほかの例は不明。
これと同時代に書かれた『言継卿記』を読んでいたら天皇の誕生日に土
御門が属星祭を行っていたという記事が出ていた記憶がありますが、こ
れは厄除けであって祝いとは言えないか。
「恵方参り(詣で)」のお話は? 山野さん!
元日に、その方向の神社やお寺にお参りをする風習でしたよね。
平安・鎌倉・南北朝時代にはまだ出ていなかったような・・・有名な方違えならありましたが。
『江家次第』あたりに似た話があったような気がしますので調べておきます。
>>57 抜けてますね済みません。
>その方向
その年の干支に基づいた方向。
付け加えておくと、人々が神社や寺を選んで参ることが出来るように
なったのはかなり時代が下るような気がします。
(以下の話は中世前期の概観)
長谷寺や石山寺に詣でることは盛んだったようですし、中世になると
一般の参詣者も相当数に上ったようですがこれは気軽に出かけたもの
ではありませんし。
京で今年はどこそこの寺社をというように選択した覚えがないのです。
田舎であればもっと限定されたでしょうし。
そもそも今でいうところの初詣があったかどうか。
中世前期には祖霊を実社神として祀る習慣もありましたが・・・難し
いですね。(実社神とは本地を持たない人や動物の死霊が神として祀
られたもの。屋敷神とされた例もある。)
61 :
世界@名無史さん:04/01/02 00:15
一富士二鷹三茄子のつづきがある。
四扇五煙草六座頭である。
扇は富士に形が似てるから。煙草は鷹と同じように天に昇るから。
座頭(坊主頭)は茄子と同じようにつるっとしてるから。
62 :
世界@名無史さん:04/01/02 00:23
世界不思議発見!ですか
63 :
世界@名無史さん:04/01/04 21:16
正月昨日でおわったねー
5日の月曜日から平日か・・・・。
64 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/04 23:55
今朝テレビに出ていたので、邪気を祓う(?)獅子舞のお話でも。
獅子舞の起源は「獅子」とあるように当然大陸ですが、その前にまず日本の
お話を。『枕草子』には法興院の積善寺で一切経の供養会があった際に「高
麗・唐土の楽」が奏され、「獅子・狛犬」が踊り狂ったことや天皇・中宮の
寝所の前には獅子・狛犬が安置されていたことが書かれています。
これ以降、室町時代までほぼ同じしきたりに従って獅子・狛犬が供養会に出
たことが記されていますがどうやら行道においては獅子が先を進んだという
記事から察するに魔除け・先払いの意味があったようです。
(これらの舞を伝えていたのは「狛氏」。平安時代中期に朝鮮半島から帰化)
なお現在「狛犬」と言えば神社の入り口におかれているものですが、あれも
角がある方を狛犬、無い方を獅子とする意見があります。
現存するものは平安時代後期以降のものですが古い時代のものはほとんど木
造で、石造が製造されるようになったのは若狭周辺の日本海側では14世紀
から。京都・大坂一帯に石造の狛犬が広まったのは17世紀以降です。
その起源はおそらく大陸であり、オリエントあたりの「スフィンクス」像に
由来するとの意見もありますが詳細は不明。ただ肝心の朝鮮半島にはそれら
しい遺物が現存していないことからシナから直接伝来したのかも知れません。
さて獅子舞に話を戻すと、百済人味摩之という者が612年に呉で学んだ伎
楽というものを日本人の弟子たちに教えたという記事が『日本書紀』に見ら
れます。この演目の中の「獅子舞」が具体的にどんなものであったのかは現
存しないものなので分かりませんが、現行のひしゃげたような造形の獅子頭
のルーツはこの伎楽で使用されたものにあるようです。
古い「獅子」の姿をごらんになりたい方は5月の四天王寺の行事をどうぞ。
65 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/05 00:04
では起源である大陸の「獅子舞」について。
これについては『大唐西域記』や『唐書』や『楽府雑録』に亀慈(ク
チャ)国に素晴らしい獅子舞があったことが記されており更に平安末
期に描かれた『信西古楽図』に『楽府雑録』から引いたものとして獅
子舞の図が掲載されていることからして亀慈産の獅子舞が日本の獅子
舞のルーツであろうと考えられます。
『西涼伎』という唐代の詩には「仮面胡人仮師子・・・」と辺境の将兵
らが西涼の獅子舞にうつつをぬかして辺境の防衛がおろそかになってい
ることが詠われているとおり、かなり面白がられたらしい。
日本では『源平盛衰記』や『古今著聞集』などの記述から察するに鎌倉時代
には素人間にもかなりの広がりを見せていたらしく、それも軽快なものにな
っていたようです。室町時代になると猿回し同様庶民の家々を廻って門付け
舞いをするようになっていたらしい。
江戸時代のことですが、その前に・・・日本には元々2種類の「獅子舞」が存
在していました。後者は「シシ踊り」と呼ばれて主に関東・東北に残存してい
たものでここでいう「シシ」とは鹿・猪のことです。
その舞は一人舞いで角がありました。喜多村信節によれば江戸中期までは江戸
の獅子舞というものは一人舞いであったものがやがて伊勢代神楽の影響を受け
て二人舞いになっていたらしい。
かくして現代に至る、ということです。今ある民俗芸能はほとんどが江戸中期
以降のもの。(誰も読んでないか?)
67 :
世界@名無史さん:04/01/05 10:12
山野さんかきこみあげ
ココハマータリシテルネ。
☆ チン
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・)< 山野さんありがとサゲ。
\_/⊂ ⊂_)_ \____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| .|
| ○うんちく○ |/
>>68 これは獅子頭と鹿の角の融合したものですが、中には完全な鹿頭のものもあ
ります。伊予宇和島の五つ鹿の踊りは伊達家が江戸初期に伝えたもののよう
ですが、どうみても普通の鹿の踊りですね。
愛知県には二人舞いで猪を模した「獅子舞」があります。田畑を荒らしてい
た猪を殺した後に鎮魂と獣除けを目的として舞われたもの。
71 :
世界@名無史さん:04/01/10 00:51
松の内という事でネタないですかと上げ
>>69 文化や伝統、風俗史だから、厨房が好きそうなネタがない。
流行正月(はやりしょうがつ)、天変地異や良くないことが多い年は、
暦の正月を待たずに、正月を行ってしまう行事。2月1日や6月前後
に行うことが多いという。
中国相手の船舶代理店やっているんですが
旧正月は彼の地のオフィス完全クローズ。
緊急事態が発生したので慌てて自宅へ電話したら
プライベートタイムを損なったと1時間説教された。
だったら大晦日の深夜に電話してくんなよボケ
と口走りそうになったが路頭にさまよう訳にいかないので(略
今週は愛娘の成人式ほったらかしで会社にカンヅメですわ。はぁー。
一部で評判の悪い「君が代」ですが、『御伽草紙』の中には門付けや物売り
の歌うものとしてよく登場しており、宴席でもよく歌われた目出度いもので
した。
現在では正月に門付け芸人が訪れることは滅多にありませんが、テレビをつ
ければ「漫才」をやっています。
起源は現在も秋田・茨城・愛知・福井などに残る「万歳」で、近代に万才と
呼ばれやがて現在の漫才となったといいます。
勿論二人一組で家々を廻るものですが、かつては田舎に六人ほどの集団で旅
をして来た例もあったといいます。江戸時代にはわざわざ三河から下って来
て江戸で相棒を探して仕事をしたらしい。
二人の一方は烏帽子に代紋を着た太夫、もう一方は鼓を打つ才蔵。中世後期
に生れたもののようですが、鎌倉時代の無住の創始とする伝承があります。
なお京都の千秋万歳は近世に沖縄に伝わっており、全く同じ演目もあります。
こうした門付け芸人としては『枕草子』に登場する「ほかいこじき」が古い
例ですが・・・欧州などではどうだったのでしょうか。
日本の春駒に似た遊戯は唐代に存在し、欧州でも五月の祭に似た遊具が出た
のは馬に乗って異界から神が来訪するという古い信仰から来たものだといい
ますが、正月芸と直接結びつくわけではなし。
代りにイングランドの正月の俗信を記しておくと
・大晦日に家に入ってくる人間で翌年の運が決まる
・一月一日には仕事をしない→一年中仕事をさせられる破目になるから
・丸ごとのエンドウでスープをつくる→つぶれたエンドウは縁起が悪い
日本の発想とそう変わりませんね。
とーほぐの農家の方から伺った話し幾つか。
(旧伊達藩 現代ではほとんど見かけなくなった行事。)
○毎年の1月11日、田んぼに餅などをお供えして「農始め」の儀式。
○果樹園のある農家では、実のなる木一本一本について「問答」の儀式があった。
問い係「なるか? ならぬか?」(斧やナタを持って木に問う)
答え係「なりますなります!」(両手を拝むように合わせて答える)
何本かに一本は答えを変える。
問い係「なるか? ならぬか?」
答え係「ならぬならぬ!」
問い係「ならねば伐るぞ! なるか? ならぬか?」(斧やナタを構える)
答え係「なりますなります!」
○1月14日の夜、村の子供たちが集まって各家々を回り、奇声を発しながら餅やみかんなどを貰って歩く。
掛け声は町々によって異なっていた模様。
子供「コンコーン、コンコーン。餅くれ餅くれ。」(狐の鳴き真似で狐のお面をかぶって回る者も)
子供「ホーイホーイ。」などなど多様。
・・・どうもハロウィンとイメージがダブる・・・。
ハロウィンも元々はケルト系の「お正月」だったようですから。
これらは、昭和35年頃まで普通に行われていたとか。
日本の農業から呪術が消えたのは、高度成長時代のようですね。
成木責めはこの間隠岐の方に窺いました。餅などをもらって歩く行事は各地
にあり、私の出身地の広島にも節分に「鬼の豆つかあさい」と言って家々を
廻る習慣があります。北海道なら七夕の「蝋燭もらい」。
>日本の農業から呪術が消えたのは、高度成長時代のようですね。
まあ、はっきりとした基準があるわけでもなし、今でもなくはないですよ。
君たちの話は面白い
定期的に続けてほしい。
迷信では、新年の最初のの訪問者が赤毛の人だと凶とされた
(場所と時代は失念しました)。
ウチの近所(岡山県の最上稲荷付近)、正月七日に「おひまち」なる儀式を行います。
要は一月七日の日の出拝んで坊さんに法華経唱えてもらう儀式です。
備前備中は日蓮宗不受不施派の拠り所だけあって、お稲荷さんも「最上稲荷教」っていう名の
日蓮宗の分派扱いされています。
岡山発祥の新興宗教団体、大元教や黒住教も同様の事やっている模様
(不勉強ゆえ金光教はどうなのか存じ上げませんです)
一月七日の日の出を拝む風習、って全国的にはどうなんですかね???
・・・民族神話板で尋ねた方が良かったかしらん・・・
81 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/11 18:30
日待講でしょう?全国にありますよ。適当に検索なさって下さい。
ところで「民俗・神話学板」なのですが。それと最近じゃ「民族学」じゃな
くて「文化人類学」ということの方が多い。
83 :
世界@名無史さん:04/01/14 01:05
ていきあげ
84 :
yukige ◆x6EZqwul22 :04/01/14 06:03
>誕生日って日本では祝う習慣ってごく最近か?
つーか昔はキリスト教徒も元は“誕生日”を祝う習慣はあんま一般的で無かったと読んだんだけど。
原罪思想の反映もあり、来世から真の生が始まるとして、
誕生日祝いは初期教父達の神学上の解釈と衝突したからとか。
一般的に祝ったのは洗礼日=洗礼名にちなむ聖人の命日
=地上の肉体(原罪によって不死性を失った)という牢獄から解放されて天国に生まれ変われた日
もちろんギリシア人、ローマ人はじめ他の異民族や異教徒などは祝っており
特にローマ皇帝は時に神格化されて誕生日が祝われていた為、
皇帝崇拝との対抗する必要性からもこの習慣を拒否したそうで(キリスト教徒が迫害された理由の一つ)
かわりに考え出されたのがこの洗礼名を祝う事だそうな。
早くから祝ったのはイエスとマリアの誕生日だけでこれは原罪と関係が無いという理由から。
ただ教会が公式に禁じたわけでは無く、
八十才とか七十五才とか特別の誕生日は祝うこともあった。
宗教界改革以後はプロテスタントがカトリックの洗礼日祝いに
対抗する意味合いもあって、誕生日を祝い出し、
最初「誕生日なら子牛にもあるが、洗礼日は違う」などと言って
抵抗していたカトリックも最終的には誕生日を祝うようになった。
また近代化で戸籍等の便宜の必要もあり
現在のように誕生日と洗礼日両方の祝賀が一般的になったと。
この一番新しい形だけを見ているため、日本人とは異なるという印象を抱いてしまったのでは?
結局異教徒の習慣がキリスト教徒含めたスタンダードとなったのであり、キリスト教は模倣した側。
結局いい習慣は一番勝って世界中に広まるって事かな。
85 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/22 00:06
あけましておめでとうございます。
……ああ、そっか。
おめでとうございます。
4月1日(エイプリール・フール)は、
もともと春分の日を新年最初の日にしていたことに起源がある。新年の祭りの最後が4月1日
でこの日に贈り物を贈っていたらしい。その後、シャルル9世の1563年1月勅令により
新暦を採用することになり1月1日が新年最初の日となった。でも、4月1日に祭りをしたい
として、この日も新年の祝いをしたり、贈り物を贈ったりしたという。
昨日から新年になりましたね
あけましておめでとうございます
(一日遅れですが) 平成十七年甲申
89 :
世界@名無史さん:04/02/15 18:33
ageましておめでとう(おそすぎ)
「除夜の鐘」というと日本のお寺をイメージすると思いますが、
「ゲームとスポーツ」ウォーカーによると
ロンドンの大晦日の12時には、あらゆる教会の塔や尖塔から鐘の音
が響き渡り、年の暮れを告げるとあり、日本となぜか似ているような
気がいたします。
91 :
世界@名無史さん:04/03/08 08:54
age
ロンドンの大晦日の12時には、あらゆる教会の塔や尖塔から鐘の音が響き渡り、
年の暮れを告げると突然キスキス大会が始まり、日本と似ているようでまったく似ていない気がいたします。
93 :
世界@名無史さん:04/04/16 01:29
age
94 :
世界@名無史さん:04/05/25 12:19
大晦日まで当スレを維持するためage
95 :
世界@名無史さん:04/06/29 23:25
age
96 :
世界@名無史さん:04/08/12 21:49
age
97 :
世界@名無史さん:04/08/31 00:18
age
本日、35歳の誕生日。
99 :
世界@名無史さん:04/09/30 08:45:56
age
100 :
世界@名無史さん:04/09/30 11:21:40
100get
月末です。
102 :
世界@名無史さん:04/12/03 06:40:16
12月です。
103 :
世界@名無史さん:04/12/03 06:50:37
京都駅伝が近づいてくると陸上部の顧問の先生はいつも走り回っていた。
どうせ40位前後をいったりきたりだったのに。
クリスマスとクリスマス・ツリーには本来何の関係もなかった。
クリスマス・ツリーは元は欧州の冬至のお祭り用のもの
105 :
世界@名無史さん:04/12/03 09:11:22
それを言うなら、クリスマスの民間行事のほとんどがキリスト教とは関係ないものばかり。
それまでは樹木崇拝を連想させるとして樹木を飾り立てるような真似は禁止
されていたのが、規制緩和によって実現したのが1600年前後。
エルザス一帯からドイツ・フランスに広まったもので、当初は黄楊や唐檜も
使用されていました。「冬至のお祭り用」かどうかはよく分かりませんが、元
々ゲルマンの習俗に「ユルの祭」という祖霊・オーディンを対象とする祭祀が
存在していたのと習合した面があるのは確かな様で、今でも北欧・ドイツで
は「ユル(祭)の祭」などと呼ばれているとか。
ドイツには17世紀頃までウォーダン・トール・フルーゲに初穂を奉げる習俗
が残存していました。
なお、ツリー普及以前は秣桶が重視されていたそうです。
107 :
世界@名無史さん:04/12/03 17:15:33
12月24日、クリスマス・イブを祝う者ども、
なんで25日に教会へ行かないのだ?
108 :
世界@名無史さん:04/12/06 01:14:14
山野さんマダー
109 :
世界@名無史さん:04/12/06 15:02:12
秣桶=まぐさおけ
このスレ・・・
一年間ただこの時のために保守され続けていたとは・・・
相当暇人だなおまえら
111 :
世界@名無史さん:04/12/06 16:47:51
>相当暇人だなおまえら
べ〜つに・・・・
一ヶ月にいっぺん確認すりゃいいんだから。
で、年末といえば「紅白」。 小野アナファンの俺としては・・・
112 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/06 18:26:51
>>57 恵方のことですが、15世紀半ばの史料に「正月のあきの方」という記述が
ありました。恵方を向いて何かしらの「初め」をしたものです。
そもそも12月25日がキリストの誕生日だなんて根拠はどこにも無いんだぞ
山形県庄内地方では今でも年末に山伏が門付けに来る
出羽三山のお膝元だから。
でも法螺貝がちょっとうるさいのはナイショだ
116 :
世界@名無史さん:04/12/26 12:00:00
さ〜一週間後はお正月だ!おめでてーなーー
117 :
世界@名無史さん:04/12/26 17:51:22
「正月」はなんで正しい月なん?
118 :
世界@名無史さん:04/12/30 23:31:28
そろそろ再活用する時期が到来したのでフジョウシマース
薀蓄シャワーお願いシシマース
119 :
世界@名無史さん:05/01/01 00:44:52
あけおめ
死穢は三十日、産穢は七日、牛馬犬猿鶏の死穢は七日、鶏以外の産穢は三日。
穢れの伝播した乙・丙・丁の穢はややこしいので省略しますが、この間は神
社に参拝する事が出来ません。
また、服喪中であれば、訃報を聞いてから五十日は駄目。
そういう人は、お寺に初詣に行きましょう。
中世には神祇信仰と結びついた顕密仏教諸派は死穢を嫌って葬送に参加せず、
追善のみに参加。日蓮宗・念仏宗・律宗が葬送に参加するという分担あり。
121 :
世界@名無史さん:05/01/01 01:02:23
MAZIKAYO=====−!!!!1
SAKUBAN I EATED SUKIYAKI!!!
食肉の穢れ(少なくとも鹿・猪)については、12世紀の大学者大江匡房が、
「10世紀以前の史料には見えない。おそらく後世の創作であろう。」と述
べていますから、まあ大丈夫でしょう。死穢とは、また違う様ですし。
124 :
世界@名無史さん:05/01/01 13:07:21
さ、正月だ。正月には今年の予想、抱負などの話をしよう。
今年が始まったばかりなのに来年(平成18年=2006年)の話をすると、 鬼 が 笑 う !
今更ながら、ずいぶん前に出た「誕生日」について少々。
山科言継は、「今日は予の誕生日である」と日記に記しており、複数の神社に
代参を行わせた事を記しています。毎年出て来る訳でもなく、さほどの関心
があったとも思えませんが、家内安全を祈願したのでしょう。
織田信長が初めて誕生祝いをしたというのは本当?
信長については知りませんけど、
近世の公家は誕生日祝いをしていたようですね。
藤田覚氏の『幕末の天皇』という本によると、
一条右大臣輝良が自分の誕生日を祝おうとしたところ、
その数日前に将軍家治が亡くなっていたために全国的な服喪が
強いられ、漁猟をはじめ野菜類の市までもが止められてしまい、
誕生日の祝賀(パーティー?)を延期せざるを得なかったとか。
輝良卿の憤懣は当然幕府に向かうわけですが、自分の日記に
幕府への非難を書き連ねるほかにしようもなかったようです。
山科言継は、尾張を訪問して織田信秀の歓待を受け、「織田三郎」についても
記した人物です。「誕生日」自体の記事は、安土の事より遡りますね。
129 :
世界@名無史さん :05/01/02 17:26:10
1872(明治5)年の11月9日に、それまでの太陰暦(旧暦)をやめて太陽暦(新暦)を採用する
という詔書を布告し、西暦を基準にすることになった。
そのため、次の年の元旦を合わせる事になり、12月2日で明治5年は終わり、本来は12月3日
になる翌日が突然明治6年1月1日になった。
その為に1872年(明治5年)の12月3日から12月31日までの29日間は存在しない。
当時財政難だった明治政府は、これを回避するために年末のこの時期に急に太陽暦
の採用を決定したのでした。
さらに、12月も2日しかないということで、この分も給料を支払わないことにすれば、
政府は2か月分の給与を節約できることになります。
http://www.elrosa.com/tisen/70/70257.html
130 :
名無し象は鼻がウナギだ:05/01/05 05:31:42
〉12月31日までの29日間は存在しない。
微妙な言いまわしをしていますよね。
たしかに、明治5年12月31日は日本では存在しなかった。
その点は異論無いのだが。
この構文、まねしてみます。
1900年(明治33年)2月29日から2月31日までの3日間は存在しない。
年末年始とは関係無かった。失礼
131 :
世界@名無史さん:05/01/09 17:10:15
良スレ保守
お誕生日祝いの風習ですが、吉川幸次郎先生に「生まれた日」という
論考がありまして(筑摩書房吉川全集収録)、
以前に読んだうる覚えの記憶だと、確か後漢末の鄭玄(劉備の師匠筋の
儒者)が誕生日を祝って居ますね。清代の学者の日記にも誕生日祝い
の風習が書かれている由。
133 :
世界@名無史さん:05/01/25 21:02:15 0
来年もよろしく
134 :
世界@名無史さん:05/02/17 21:11:20 0
3月に新年が始まる国はどこか。
>>134 春分前後にイランがそうだったはず。他にもあるかな。
といいつつ卯月保守。
136 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/17 00:02:39 0
ノールーズも近づいてきましたので
age
けふから彌生
135にて卯月と書かれたる理由を一箇月考へたが判らぬ
單なる勘違ひか?
138 :
世界@名無史さん:
古傷ぞ疼きけりとおぼゆ