☆★世界史と日本史、よく似た人物比較★☆

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138世界@名無史さん:04/02/11 22:26
ちなみに甥殺しは、フィリップ二世の謀略にまんまとハマったお間抜けな結果
139136:04/02/12 17:47
>>137
>桃の食べすぎで胃腸を壊して死亡
柿を食わんかった三成とは大違いやな。

そう言えばてんぷらの食い過ぎで死んだ御仁が・・・・・?
140世界@名無史さん:04/02/12 23:25
項羽とハンニバルって似てるなー。日本史で似たような人は・・・木曽義仲?

名門武人の一族(楚の項家/カルタゴのバルカ家/源氏)
しかし祖国は傾き(滅び)家は没落。強大な敵(秦/ローマ/平家)の存在
一族(祖国)再興のため挙兵。超人的なたたかいっぷりで、見事にっくき敵をほろぼす(あと一歩の所まで追い詰める)。

ところが政治力ゼロ。次第に孤立し、最後は味方(四面楚歌/本国のドン(名前忘れた)/頼朝)との闘いのなか非業の死。
敵が天下人になる(漢帝国/ローマ、地中海制覇/鎌倉幕府成立)にもってかれる。
あと、恋人が美人w (虞美人/?/巴御前)
141世界@名無史さん:04/02/12 23:48
家康は司馬懿仲達ですよ。
142世界@名無史さん:04/02/13 04:59
ニール・マッケンジーと新沼謙治
143世界@名無史さん:04/02/13 07:22
虞美人って実在だったか?
144世界@名無史さん:04/02/13 09:19
>>143
??? 四面楚歌のエピソードや「虞や虞やなんじをいかんせん」が後世の捏造だとでも?


司馬遷『史記・項羽本紀』
項王(項羽)軍壁垓下,兵少食盡,漢(劉邦)軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚歌,項王乃大驚曰「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」
項王則夜起,飮帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌慷慨,自爲詩曰「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可何,虞兮虞兮奈若何!」歌數,美人和之。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。


ちなみに司馬遷が参考にしたネタ本は、劉邦の功臣、陸賈が編纂した「楚漢春秋」。
145世界@名無史さん:04/02/13 19:19
>>144
逆に言うとその一節しかないんだ。知ってたか?
146世界@名無史さん:04/02/13 19:23
中国史をご存知の方なら、架空のヒロインと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、
三国志において連環の計で董卓を死に追いやった貂蝉だと思います。
彼女はいわずと知れた三国志演義で大活躍した美女ですね。正史には登場しない
ことから、実在しなかった女性ではないかという説があげられているのは有名な話です。

ところで、項羽と劉邦で知られる楚漢戦争の時代、同じくヒロインとして登場する
項羽の妻・虞美人も架空の人物であるかもしれないという説をご存知でしょうか?
項羽について記されている史書としては「史記の項羽本紀」、「漢書」があげられますが、
文中によれば「美人あり。名は虞。」という記述が見られます。
さらにクライマックス「垓下の戦い」では項羽軍がついに劉邦軍に包囲され、
死の間際に詠ったとされる歌には「虞や、虞や。若(なんじ)を奈何(いかん)せん。」
と、いずれも虞なる人物が登場していますが、実はたったこれだけしかないのです。
まず、上の文ですが、姓は不明ではあるが虞という人物がいたことは確かなようです。
ただここで美人とありますが、これは当時では女官の位を意味しており、役職であって
けっして「美しい女性」を意味しているわけではないのです。したがってこの記述からでは、
項羽の側に仕えた虞という女官が身の回りの世話をしていたととらえるのが自然ではないでしょうか?
また、あとの文では、項羽が最後に詠った最愛の虞への惜別の歌であろうことは予想できますが、
虞が先ほどの虞美人である保証もありませんし、まして項羽の妻であるとは言い切れません。
深読みしすぎれば、女性かどうかも疑わしくなります。嫡子だったりして。
後に書かれた漢書にも絶世の美女として名高い虞美人についてまったく記載がないことからみると、
演出という可能性がでてくるのではないでしょうか?
147世界@名無史さん:04/02/14 02:06
董卓と


童貞はなんか似てる
148世界@名無史さん:04/02/19 11:32
>>136
むしろ石田三成とバショクの方が近いんじゃない?
どっちも口先だけのカスということで。
149世界@名無史さん:04/04/09 10:14
菅原道真とセネカ。
権力者に疎んじられ自害(無念の死)した学者。
150世界@名無史さん:04/04/11 06:43
ミックジャガーと忌野清志郎
…いやなんとなく
151世界@名無史さん:04/04/11 08:09
つまらんスレしかないな
152クリソツ:04/04/15 01:47
ヴァリニャーノとフーシェ
153これはどうだ:04/04/26 19:49
ヴァレンシュタインと山名宗全
ちゅーか、三十年戦争と応仁の乱

我ながらよい比較だと思われ
154世界@名無史さん:04/04/27 21:14
>>151
スレじゃなくてレスだろうが。
155世界@名無史さん:04/04/27 21:42




日韓結婚が年間 約1万組。
それに伴なう朝鮮人化した混血児。
毎年、日本の新生児 約100万人のうち、
約1〜2万人の新生児に
容赦無く 朝鮮人の血が流し込まれている。

また、韓国朝鮮人の帰化は年間 約1万人も。



156世界@名無史さん:04/04/27 23:02
日本史ってすごい人っていうか有名人って多いんですか?
世界史の有名人と比べるとやったことは内容的にも範囲的にも小さい規模かもし
れないけど、一国対世界って見ると日本史の有名人って多くないですか?
それとも日本史の範囲が狭い分、掘り下げて無理矢理有名人の数増やしてるの?
157世界@名無史さん:04/04/27 23:27
吉田松陰とフーゴ・コウォンタイ
徳川慶喜とポニャトフスキ王
158世界@名無史さん:04/04/27 23:28
>>157
ならコシューシコと国姓爺合戦は?
159世界@名無史さん:04/04/27 23:34
>>156
>掘り下げて無理矢理有名人の数増やしてるの?

学校の日本史とか世界史だろ?
そのとおりだよ。
160世界@名無史さん:04/04/27 23:39
>>158
ならば島津斉彬とアダム・チャルトリスキという手もある
161世界@名無史さん:04/04/28 12:17
>>159
なるほど。
世界史の有名人っていろんな国から少しずつ出てるけど日本史は一国でやけにい
ろいろやった人多いなっって思ってたんですけど。そうですよね。世界史も一国
ごとに掘り下げればいろいろやった人はいますよね。
ありがとうございました!
162世界@名無史さん:04/04/28 12:59
カエサルと東条英機

ハゲ
163世界@名無史さん:04/04/28 14:00
>>156

将来的に東アジア諸国がさらに発展してくれば、明治維新の世界史的な
意義は、どんどん重みを増してくるだろうね。日露戦争なんかは、世界史
のターニングポイントとして認識されると思われ。
164世界@名無史さん:04/04/28 14:01
>>155

日本人と朝鮮人は、国民性はともかく、身体的にはほとんど変わらんじゃないの。
少子化対策に貢献しる!
165世界@名無史さん:04/05/22 08:18
このスレッド初めて見たときは面白いと思ったし多くのネタがあると思ったけど、
日本史世界史双方に精通していないときちんとした分析まで書けないので、
自分もすぐにネタ切れになったし他に書く人も現れなくて、スレが伸びずがっかり。
真に歴史に強い人の出現を待っているのだが…。
166ケロヨン:04/05/22 14:57
そんなに詳しいわけじゃないけど、じゃあ、ちょっと挑戦するね。

古代ギリシアのサッフォーと、飛鳥時代の額田王はどう?
どちらも女性が芸術家としての活躍を公的に認められた
稀有な例なんじゃないかな。
尤も日本の方は、当時は斉明天皇など女性の政治参加もあったし
額田王を純粋に芸術家として捉えるのも妥当ではないかも
しれないので、「よく似た人物比較」に当たらないかもしれないけど。

まあ叩き台ということで、スレあげとくよ。
167世界@名無史さん:04/05/22 15:06
ヒムラーと東条英機。

因みに、独裁者で似ていると思われるのはヒトラーとフセイン。
両人ともかなりの軍事オタク。ヒトラーは自己満足で化け物戦車を作らせる。フセインはガンマニアにして戦車に自分の名をつける男。
後は孫文とムスタファ・ケマルかな。
168世界@名無史さん:04/05/22 16:03
>>167
全然違うはボケ
169世界@名無史さん:04/05/26 18:50
井沢元彦のネタになるけど、
天武天皇は自らを漢の高祖劉邦になぞらえたという。
壬申の乱は皇族同士の争いではなく、
元来天智天皇と血縁関係のなかった大海人が、大友皇子を葬り去って
帝位を簒奪したのだと。
日本にも「革命」はあった、ということになるが…?
170世界@名無史さん:04/05/27 17:24
織田信長=曹操孟徳
171世界@名無史さん:04/05/27 17:33
マリーアントワネットと深田恭子。(本人談)
172山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/27 17:39
>169
この辺が分かり易いかと。
ttp://homepage3.nifty.com/osuzume/izawa/index.htm
173世界@名無史さん:04/05/27 19:00
>>172 ご紹介ありがとう。
じっくり読ませていただきました。とっても面白かったです。
わたしは大の「逆説」ファンですが、こういう反論はあってしかるべきだし
知的好奇心を大いにくすぐられます。
井沢氏も、エンターテイメントと割り切って発表すればよいのにね。
彼の 「後西院」→「後西」天皇 説は本当に面白いと思ったっけ…
(「ダビデの星の暗号」より:ちなみにこれは完全なフィクション)
私を含め、多くの歴史ファンにとって「どういう解釈ができるか」が
重要なポイントであって、史実と決めつけなくても十分に堪能できます。

そうそう、ここは日世史比較スレだっけ。
では私からも一つ。
「ボニファティウス8世と後鳥羽上皇」はいかがでしょうか?
174山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/27 23:42
>173
下手に悪口を仰らなければまだマシなのですが。>井沢氏
とりあえず後鳥羽院の特徴をば
・武芸百般に通じ、片手で船の櫂を扇のように振り回して指揮をとるほどの怪力。
その姿を見た盗賊が、恐れて無抵抗で捕まった。しかし和歌にも堪能。故実の習
得にも熱心であったが、冗談が通じなかった。やや寛容さに欠けたか。
・身分の低い者も近づける(後白河院のような)変り種。幕府との不仲の原因の
一つになったとされる白拍子亀菊は、隠岐にも随行したらしい。
(当時は白拍子腹の女房も珍しくなかったが、高い身分とはいえない。)
・性格の悪さというか、アクの強さでは人後におちなかった藤原定家と張り合っ
たほどの人物。気分の移り変わりも激しかったらしい。
・幕府の存在を認めようとせず、乱を実行に移した決断力。やや往生際悪し。
・死後怨霊として祟られたといいますが、どういう目で見られていたか分かりそ
うなもの。
175世界@名無史さん:04/05/29 17:09
日本の統治者が中華王朝を意識した行動をとるのはかなり類例があるんじゃないかな。
例えば光明皇后が則天武后を真似た、とか
桓武天皇が郊祀の儀を執り行なったとか。
まあ、古代に限られるかもしれないけれど。
秀吉は洪武帝を意識していた…のかな?

176世界@名無史さん:04/06/03 02:31
石田三成と諸葛亮はスケールは多少違うにしてもよく似ていると思われ。
軍政と内政に関しては両者ともに一流で、戦術に関しては共に柔軟性にやや欠ける所とか。
主君に対する滅私奉公ぶりとか死んだ後も統治していた地域の民から慕われていた点とか。

177世界@名無史さん:04/06/11 19:40
人物同士ではなく人と国の比較になっちゃうが

北魏=織田信長
東魏=織田信孝
西魏=織田信雄or三法師
北斉=柴田勝家
北周・隋=羽柴(豊臣)秀吉
唐 =徳川家康

ってのはどう?歴史上果たした役割、という意味でね。
178世界@名無史さん:04/06/16 20:45
ルソー=故沖雅也  両者とも気が狂ってた 窪塚はあやかりたかったがヘタレだから9階どまり
             (って奴は沖雅也知ってんかよ)
179世界@名無史さん:04/06/16 20:48
イワン雷帝と足利義教
義教暗殺されずば応仁の乱もなかったかも。そして雷帝自ら殺した息子が
イワン5世になってたら動乱もなかった。
180世界@名無史さん:04/06/16 20:54
新潮社のヤンデンマンこと斉藤十一&ビスマルク
斉藤も社長が変わると失脚させられた。
181世界@名無史さん:04/06/16 21:10
マキャベリ=韓非子=アルタ・シャーストラ(実利論)の作者
182山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/16 21:13
ヴェーバー曰く、「『実利論』に比べれば、『君主論』など他愛の無いものだ」。
183世界@名無史さん:04/06/17 06:06
ハワイ国女王リリウォカラニ殿下

西郷隆盛
(顔)
184世界@名無史さん:04/06/17 19:05
>>7
チョソハケーン
185世界@名無史さん:04/07/05 17:36
>>181
>アルタ・シャーストラ(実利論)の作者
マウリヤ朝の宰相カウティリヤですな。恐るべき坊主・・・
186世界@名無史さん:04/07/10 06:08
三遊亭円朝は



シェイクスピアくらい偉大だ   と思う
187世界@名無史さん
世界の人々に聞いたら世界の英雄は信長だって。
つぎがナポレオン。
んでマリスミゼル。