武器の歴史 2〜剣と槍と刀と戟と〜

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439世界@名無史さん
>>405

わたしも同じ文献を読んではいるのですが意見はちがいますね。
盾の突起はやはり盾芯だと思う。ポリュビオス(ギリシア人)だから、
あえてこの部分に着目したのではないかな。ホプロンやペルテには盾芯がないし。
つまり、木製の盾だと握り近くに貫通したときに手を怪我するからここに金属の
突起鉄板をつけたといことの発送に関心したことだと思う。

私が思うに、投擲物への対処ならホプロンでも構わないと思うのですが。
160cmそこそこのローマ人が直径1mの盾をもつか、たかさ120cmの楕円の
盾をもつかの違いとか、投槍なら青銅を被せた盾の方が貫通しにくいから
スクトゥムよりは有効な気がするし。

ガリア人の盾につけたというのは例えのつもりだったのですが、
エトルリアの青銅器というのは「セルトサの水瓶」だったかと思うのですが、
これは、「テュレオス」とかいうエトルリアかサビニ人起源の盾で、ローマが
王政期のセルウィウスの軍制改革で第二クラシスが装備した盾であることは
理解しているのですが、たしか、この遺物では楕円というよりは長方形の盾の
ようにも見えたと思うのですが。
むしろ、ケルトやゲルマンの盾のように上下が丸い盾の方がスクトゥムに似ている
と思うのです。
ケルト=ガリア人が楕円の大盾を好んでいたというより、持っていた思うのですが。
例えば、同時期にギリシアに侵攻した一団は、その盾に捕まって河を渡ったはず。
大英博物館にもケルト人の青銅大盾が展示されていませんでしたっけ?
ただ、ローマ人にとっての大盾はケルト人にとっては普通の盾のような気もしますが。

「国制や軍制に影響がなかったと考えられている」
いや。少なくとも軍制には影響を及ぼしていたとおもうけどな。
妄想かもしれませんが。
440世界@名無史さん:04/08/20 13:26
それにもうひとつ疑問な点は
プルタルコスは何を見てカミルス伝の記述を書いたかという点です。
つまり、リウィウスの前340年の記述は失われた第6巻(5巻だっけ?)のあとに
続く物で、たしかに、ここでは丸楯を楕円の盾に変えたとは記述してますが、
前340年というのが私にとっては引っ掛かるところ。この時のローマはラテン戦争中で、
サムニュウムとは同盟しているし、このあとの第二次サムニュウム戦争も、
ローマはイタリア南部の情勢に巻き込まれた感がある。それに、イタリア半島中部の覇権
を求めるローマと南部に侵出したいサムニュウムではこの時点での利害関係は衝突しなか
ったとおもう。ゆえに、ラティウム戦争というローマの危機に加担せずに、味方したとい
うことは、助けてやるから南部には手をだすなよというサムニュウムの思惑ではなかった
のか?
その段階で、ローマがサムニュウム対策の盾を、なぜ、前340に採用したのかという
のが疑問。
それに、古代の戦いは、最終的には会戦で決する訳ですから、そちらで
勝てる手段のほうが重要なはず。
ローマ人が剣を決戦兵器にしていたのですから、扱い難い大盾をそのまま会戦に
用いることを長く続けていたのには理由があると思う。
441世界@名無史さん:04/08/20 13:28
>439
変換ミスです。「発送」間違い「発想」でした。m(_ _)m