1 :
世界@名無史さん :
03/10/30 17:59 どっちの方が防備や内政に優れてるだろう・・・ 防備は国ごとに戦略とか違うから比べるのは難しいかな? でも日本の城の方が攻めにくそう
居住性は木の城の方がよさげ
3 :
世界@名無史さん :03/10/30 18:07
日本の城の石垣ってヨーロッパ人がみたらどう思うんだろう
4 :
世界@名無史さん :03/10/30 18:12
日本代表 小田原城 大阪城 江戸城 ぐらい?
5 :
世界@名無史さん :03/10/30 18:14
松本城
月山富田城、上田城、躑躅崎館
七尾城、熊本城、姫路城、石山御坊
首里城
グレナダ、コルトバの城塞都市
10 :
世界@名無史さん :03/10/30 18:37
日本人にはなじみが無いがドイツのインゴルシュタットは カポニエールなどが残っていて一見の価値があるぞ。
日本代表 小田原城、大阪城、江戸城、松本城 月山富田城、上田城、躑躅崎館 七尾城、熊本城、姫路城、石山御坊 ヨーロッパ代表 グレナダ、コルトバの城塞都市 ドイツのインゴルシュタットはカポニエール
では、そろそろ結論といきましょうか
日本代表が多すぎる。
>>11 まるでオタクサイトの管理人の自己紹介欄のようだ。
「好きなもの」欄が大量のテキストで埋まってるってやつなw それはそれとしてせっかく世界史板なんだから、中国インド等の城の話もしたい。
万里の長城
函谷関みたいなのも城代わりかな
17 :
世界@名無史さん :03/10/30 19:28
大砲が使われるかどうかで城の評価も変わってくるだろう。 日本の城は小田原城以外は長期の篭城に耐えられないのでは?
18 :
世界@名無史さん :03/10/30 19:32
大阪城も篭城できないのか? 個人的には江戸城がどれくらいかも興味ある。 日本史板の話題かもしれんが・・・
19 :
世界@名無史さん :03/10/30 21:16
中国では「城」は都市の意味なんだよね。 日本語の城に近いのは塞・砦かな?
イタリア式築城の前と後の城塞ではまったく戦闘様式が違う
21 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/30 21:41
会津若松城は結構もちましたね。城下に下手に入ると突然襲撃されたので砲撃 しながらもなかなか攻め入れなかったそうですが。 江戸城は明暦の大火で焼けた事が(西の丸が焼け残った)問題かと。
たしか小銃によるKZ(キルゾーン)の構築がされていたかと 全周に対して十字射撃を行える構造の西洋要塞と、重点を作る近世日本城塞の違いかも
デジタル大工の広島城ムービーが素晴らしかったのですが、もう見れない。 どなたかご存知ありませんか。
姫路城vsノイ・シュヴァンシュタイン城 白鷺と白鳥、どちらの方が美しいか。
姫路城はまぎれもなく城だが ノイ・シュヴァンシュタイン城を城と言ってよいものか? あれを城に含めてよいならディズニーランドの城も城に含めねばならなくなる。
タイトルに「城」の文字がある本だけでも結構、蔵書があった。CD−ROMの 写真集も持っているし、タイトルに「城」の文字がない本もあるはずだから、 我ながら好きだなー。 写真紀行 王の城と王妃の宮殿物語 井上宗和 グラフィック社 1800円 写真紀行 ドイツ古城街道物語 若月伸一 グラフィック社 1800円 写真紀行 ヨーロッパ古城物語 井上宗和 グラフィック社 1800円 図説 英国貴族の城館 河出書房新社 1800円 ふくろうの本 イギリスの古城と街道 紅山雪夫 トラベルジャーナル 上下巻 1700円 イギリスの古城を旅する 西野博道 1995 双葉社 双葉文庫 590円 イタリアの古城と街道 紅山雪夫 1997 上下巻 ドイツの古都と古城 魚住昌良 山川出版 1991 2238円 ドイツの城と街道 紅山雪夫 トラベルジャーナル 1996 新版 1800円 ドイツ・チェコ 古城街道 阿部謹也他 新潮社 とんぼの本 1500円 フランスの城と街道 紅山雪夫 1800円 トラベルジャーナル ポケットペディア 城 951円 ヨーロッパの旅 城と城壁都市 紅山雪夫 創元社 1800円 ヨーロッパ中世の城 野崎直治 中公新書 1989 ロワール河畔古城めぐり 中村総一郎 京都書院アーツコレクション 1000円 城 池上正太とORG 新紀元社 1800円
>>19 城は壁の意味じゃなかったっけ
だからthe Great Wall
万里の長城を日本語訳すると万里の長壁。・・・あんまりかっこよくない
28 :
世界@名無史さん :03/10/31 18:09
そういえば中国って都市を全部城壁で囲むんだっけ?
29 :
世界@名無史さん :03/10/31 18:12
>>28 そうです。
オリエントやヨーロッパの都市と同じ。
城壁で囲まれてるのが都市 囲まれてないのが村
31 :
世界@名無史さん :03/10/31 21:30
ちなみに韓国(旧)の城には城壁が無いそうです。 「ここに残っている城の王様とその子供はチョッパリ日帝に惨殺されたニダ」 「つーか何で城壁も見張り台も何も城を守る施設がないの?」 「キー!!!!チョッパリは惨殺した事を誤魔化したニダ!反省しる!」 「スイマセンスイマセンスイマセン……」 漏れの厨房時代の歴史教師の話、この他にも韓国旅行でこの手のようなことが大量にあったらしい (陶磁器とか)
32 :
世界@名無史さん :03/11/02 21:35
なんで日本は街ごと囲まなかったんだ?
33 :
世界@名無史さん :03/11/02 21:58
>32その必要はない、万里の長城が日本にないのと同じ理由 なんたって、守りにく攻めやすい京の都をもったお国柄だしね
34 :
世界@名無史さん :03/11/02 22:27
後北条の小田原は街ごとだったんでしょ? 上杉の侵入を防ぐために 関東平野をぐるりと囲む長城とか作ってたら面白かったかもねw
35 :
世界@名無史さん :03/11/02 22:30
でも万里の長城のように線で守るより、日本の城のように点で守るほうが 合理的なんじゃないかな?一点突破で攻撃されて突破されたら長城の意味ねーじゃん、 って気がする。
36 :
世界@名無史さん :03/11/02 22:50
点だと篭っててシカトされたら・・・ 日本は狭いからすぐに背後突かれたりするから無視できないけど 大陸広いからぜんぜん違うほうから攻めてきたらことですよ?
37 :
世界@名無史さん :03/11/02 22:55
38 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/11/02 22:56
江戸城や大坂城、広島城などは橋をいくつか落としてなおかつ海〜川 を押さえていれば町ごと籠もれるようになっていたそうですね。 秀吉の「お土居」は京都全体を囲んだものですが防衛面以外からも研 究が行われています(江戸時代の利用法も含めて)。 富田林などは町が台地の上にあって全体の防衛が可能でした。
39 :
世界@名無史さん :03/11/02 23:20
日本の城が石垣だったのはヨーロッパや中国のように煉瓦を作る技術が無かったから。 城の強度を比較したらヨーロッパの石造の城と日本の木造の城とでは比べものにならない。 ヨーロッパの勝ち。 日本は戦国時代でも大砲を用いた本格的な攻城戦を行っていない。 ヨーロッパは国家規模の攻城戦を19世紀まで行っていた。
40 :
世界@名無史さん :03/11/03 00:27
>>11 カルカッソンヌ(仏)
アビラ(スペイン)
も追加希望
41 :
世界@名無史さん :03/11/03 00:34
>>39 <丶`∀´>日本は遅れてるNIDAクックックックッ
42 :
世界@名無史さん :03/11/03 00:59
朝鮮の城もたいしたこと無い。
美しさなら日本の城だな 石垣はイイ
西洋の城、例えばクレムリンとかの内装見ると「こりゃかなわん」とか思うけどね。 日本は御殿じたいほとんど残ってないからなあ。 焼失した名古屋城の本丸御殿は素晴らしかったと聞きますが。
姿かたちの美しさは石垣のある日本の城だな 内装は地味なところが良い 向こうのケバケバしい内装は好きになれん
戦のための無骨な城はヨーロッパに譲ることになるだろうな。 日本の場合、城には宮殿としての性格がかなり強いのでは。
宮殿というより行政庁か。
48 :
世界@名無史さん :03/11/03 03:15
>>44 内部装飾の観点からすると、日本の城…ちゅうより御殿もかなりのものですよ。
二条城なんかはかなり凄い。後は美的感覚の問題ですがね。
大砲以前であれば、コンスタンティノープルのテオドシウスの三重城壁は外せない
でしょうね。
後は、十字軍時代のアレッポ、聖ヨハネ騎士団のロードス島、百年戦争時代のモン・
サン・ミシェルってところが、戦歴からして防御が固そうですね。
49 :
世界@名無史さん :03/11/03 03:23
日本の城は世界のレベルからすれば貧弱なんじゃないの?
姫路城は本当に奇麗な城だね 春には桜が咲いてさらに奇麗だ 初期の江戸城が残っていて欲しかった
どうかな、単純に拠点としての防備から行けば日本の方が強いだろう。 戦国時代の城なんて要塞そのもので、防御というより攻めて来た敵をいかに討取るかに重点が置かれた、非常に攻撃的なもんだしね。 西洋の石造りの方が建物としては断然丈夫だけど、あの時代での戦闘を考えれば日本のが上と思う。 投石器とか一部を除いて、西洋や中国で発達した城攻兵器は役に立たないし。 第一に日本の城が、壁際から侵入を防御する西洋・中国式と違って、 誘い込んだり引寄せて殺す為に造ってある点、かなり戦術思想に違いがあると思われ。
>>51 う〜〜ん、日本の方が上とは言えない。
日本の山城的な要塞は、世界中どこにでも見られるし。
ただ、日本の当時の戦争の状況により適していたのは、日本の城郭なのは確か。
逆に欧州や中東、中国において日本の城郭は、存在自体が無意味と言っても良い。
戦争に於ける城郭の位置付け自体が異なるから、単純に比較は出来ないと思う。
ただし、大砲以降は日本の城郭建築は無防備と言っても良い。はっきり言って薄紙
同然だ。その時代以降は明らかに西欧>日本。中国や中東も西欧には及ばない。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/03 04:41
大阪城は世界史上最強。大きさもすごく、おまけに城壁の厚さが18メートルで
世界中の城と比較しても、その堅牢さはぴか1。だからヨーロッパの城なんて
日本の城と比べたらみすぼらしいよ。
>>52 の「城郭建築は無防備と言っても良い」だが、日本の城は17世紀くらいまでは
世界で一番難攻不落だったよ。当然、当時の大砲でもだめ。中国の城壁も分厚すぎて
近代的な大砲でやっと壊せた。
そして、大砲が発達した近代(19世紀頃かな?それとも産業革命からか?)ではどこの国の城も薄紙同然。
日本には大砲がほとんど無かったから大砲用の防備を考える必要はなかった。 日本の戦国時代では火器といえば鉄砲だった。 ヨーロッパや支那では鉄砲よりも大砲が盛んに使われたから 大砲に対する防備を重視する必要があった。
>>53 西欧で大砲が発達したのは17世紀中頃から18世紀。
きっかけはコンスタンティノープル攻略戦。
以降は、大砲の発達と城郭の改良のいたちごっこになる。
日本の城郭建築は、大坂城及び江戸城の築城の頃がピークであり、
当時では世界でもほとんど類を見ない防御構造を持った城郭を築い
ている。
しかし、その数十年後には世界では戦争のやり方自体が変わりつつあ
った。
(そのこと自体は悪いことではない。日本が太平の世を謳歌していた
証明だからね)
大砲を使っての攻城戦をやってないんだから日本の方が弱いだろう。 でもこれは作る必要が無かったから作らなかったんで作れなかったわけではないだろう。 ってかどう考えても戦争しまくってたヨーロッパの方が城の強度は強いに決まってるじゃんw
どうも議論の前提がおかしいような気がするな。 日本の近世の城郭の基本は堀と石垣で、建築物は付帯設備 すぎないということを見落としていないかな。 現代の分類で言えば、土木工事部分が城普請の中心で、建築 部分は軍事的には重要視されていなかった。 日本の城郭は土塁が基本となった堀と石垣だから、砲撃には 強いよ。繰り返しになるけど、天守閣などの建築物を破壊する 話じゃなくて、石垣を砲撃でどこまでくずせるかという話ね。 明治になっての西南戦争でも、熊本城は城の建築物の部分を 失ったあとも篭城を続けている。
58 :
世界@名無史さん :03/11/03 13:57
いつの時代のヨーロッパと比べてるの?
>>57 堀と石垣はかなり強いが、櫓や門などの構造物は弱い
砲撃による破壊にはかなり脆いな。
>>57 大砲使って全て崩す必要がない<石垣
上部建築物を全て失った状態で、数ヶ月から数年もの間籠城に耐えうるとでも?
そもそも、日本の城郭建築は近世以降の大砲戦を考えて設計はしていないので、
それに対する防御能力を過剰に見積もるのは、正直言って理解できない。
オスマン朝の、大砲を間断なく打ち込みながら、人海戦術で土木作業を行う様な
作戦をとられたときに、防御効果が高いとは決して言えないと思うが。
(土木作業中も砲撃は続く。たまに味方に誤射するがそこは気にしない(汗))
61 :
世界@名無史さん :03/11/03 14:21
62 :
世界@名無史さん :03/11/03 14:26
上の構造物など飾りですよ 炸裂弾が出る前なら、豊臣大坂城や江戸城は堅いと思うけど
日本で大砲が採用されなかったのは そもそも日本では大砲を使う戦術が 有利ではなかったからではないか?
1 攻城用の重砲は重量級だが、山が多い日本では戦場に持ちこむのが一苦労 2 大砲が活躍したのは、大阪の役あたりが最盛期だが 後装式フランキなどが主流であり、全般的に威力不足 3 太平の時代になり、高価な大砲が必要でなくなった。
65 :
世界@名無史さん :03/11/03 16:35
鉄砲が普及する前の欧州の城って、簡単に落とせそうな感じがする。
66 :
世界@名無史さん :03/11/03 16:40
城塞の進化史という考え方をしたら、 冷戦期に作られた「水爆にも耐える地下指令基地」というのが、 進化の頂点ということになる。 むかし米国で、核戦争時に要人を避難させるシェルターが秘密裏に作られた。 そこは、今は観光名所として公開されているらしい。 旧ソ連にも同種の施設はあると思うんだが、どうなっているんだろう? そういうのと中世の「お城」との中間が、「203高地」なんて話になるわけだな。 第二次世界大戦時には、攻城戦っぽいエピソードが何かあったっけ? 城館の進化史は、別に語るべきものだな。
67 :
世界@名無史さん :03/11/03 16:53
>>66 日露戦争時の旅順要塞などの戦い方を見ていると、
日本人の要塞に対する認識が如実にあらわれている気が
する。あと、火気に対する認識も希薄だったのではない
かな。海軍の場合はそうでもないようだけど、陸軍は・・・
>>67 旅順要塞に対する乃木3軍は、当初大本営に
「正攻法でやるから大砲よこせ!」(意訳)と言いました
しかし大本営は「そんな時間無い、肉弾でいけや」(意訳)ですた
>>60 ちょっとアレだな。史実として建築物をほぼ失った状態で西南戦争時
の熊本城は52日間の篭城に耐えている。
繰り返すけど、天守閣とか櫓といった構造物は日本の城郭では物見
以上の意味はない。日本の城の本体は土木構築部分だ。
技術的な影響の有無はともかく、西欧の城郭が大砲の出現後に到
達した城壁構造が厚い土塁を石で覆い、低く厚く構築することだった
がこの構造は日本の城郭の構造によく似ている。
つまり、砲撃には強い構造になっている。
また、実際には大阪城は大砲による攻撃に耐えられずに開城してい
るが、これは実際の防御構造に対する被害よりも、上部建築物を貫
通する曲射小口径砲に対する淀君などの恐怖感によるもの。
強度郷土てな 耐震性なら日本の城のほうが上だよ
71 :
世界@名無史さん :03/11/03 18:59
>>68 しかし、日本沿岸に設置されていた砲台を送ると大本営が言ったのに
伊地知参謀は断ったよね?203高地も最初から攻めていれば比較的楽に
落とせたのに、ロシアが要塞化してしまった後に大量の死者を出して
ようやく落とした。
72 :
世界@名無史さん :03/11/03 20:41
彦根城が最強です
>>69 石で覆っちゃ駄目だって<対大砲用城壁
近世欧州の城郭に於ける城壁の肝は、厚く土を盛るとともにその角度は浅く
かつ表面を固いもので覆わない。その方が大砲の威力を殺せるから。
日本の石垣は角度が急すぎ&表面を石で覆っている。これでは大砲の威力が
そのまま城壁に加わることになる。この時点で近世の大砲への防御力がないのは
自明。
(この点、石垣以前の土塁による築城は、大砲への防御力を持ち得ていた可能性
はある。ただ、構造的に大砲戦に耐えうるとは言えないだろう)
後、52日間程度の籠城に耐えた城は、西欧にも無数に存在する。大砲時代になっ
てもだ。だから、その事実を持って「日本の城郭には西欧より防御力が高い」という
のは当たらない。
もう一つ、日本の城郭が大砲への防御力をそれほど持ち得ていないことは、別に問題
点ではない。必要がなかったものについて、追求することは無意味だからだ。
74 :
犯行は計画的に ほのぼのレイプ :03/11/03 21:11
>もう一つ、日本の城郭が大砲への防御力をそれほど持ち得ていないことは、別に問題 >点ではない。必要がなかったものについて、追求することは無意味だからだ。 だったらレスするなニダ<丶`∀´>ノクケケケケケ
>>73 基本的な事実を知らないのなら、ほどほどにしておいたらどうかね。
大砲出現以降の西欧の築城技術の基本は厚く低く芯に土の層を置
いた城壁だが、敵の歩兵なり騎兵の突撃を防ぐためには、城壁外側
の角度は急にする必要は残っているのだから、内側をなだらかにす
ることで厚みをかせぐようになっている。
別に外側の角度を緩やかにしたり、石材を表面に使用しないといいう
ような原則はないぞ。
うーんと、城壁を石で覆わなくなったのは 城壁の破片が守備兵士を殺傷するからのはず だから土で覆われた。と
77 :
世界@名無史さん :03/11/03 23:31
結論 ヨーロッパの城のほうが強力に決まってるだろ。 以上。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/03 23:32
>>56 18世紀ぐらいまでヨーロッパの戦争なんてヤクザのけんか程度だったんだろ?
イギリス・フランス100年戦争の最大の戦闘でも兵力が1万も
いかなかったんだからナポレオンが活躍する前までは
たいしたこと無いのじゃないの?ヨーロッパが戦争していたという
イメージはナポレオン以降がすごくぎるからだろ?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/03 23:35
○ すごすぎるからだろ?
80 :
世界@名無史さん :03/11/03 23:56
ちょっと待ってくれ。漏れは代表例に挙げられてた城から、戦国期あたりの日本と西洋の比較と思ったが違ったんか? 近代の火力集中的な攻撃を日本の城で防げないのは自明の事だが、 漏れはあくまで16世紀から17世紀限定の比較で日本の防備が上と云ってたんだが。 最初に書いたが建築物としての頑強さは西洋が上だが、軍事的な防備という点に絞れば日本の方が上だぞ。 これは当時の各城の再現図や間取りを見れば明らか。 日本の城が難攻不落なのは建築物に拠らず、 寄せてきた敵をいかに効率良く殺すかに掛かってたからな。 天守閣なんぞ軍事的には単なる飾り、あそこに篭って敵を防ぐわけじゃないからな。 西洋・中国式は内部に侵入されたらほぼアウトだから、 建築物と城壁の破壊兵器が発達したが、 日本の城の場合は侵入してきた敵も殺しやすいように設計してる。 例えば銃眼を城の内側にも設けたり仕切りを多く作って、 壁を越えたり城門を壊して侵入した敵を包囲して攻撃したりな。 だから戦国期には数万なんて膨大な動員兵力で、 鉄砲などの火器を豊富に用意しても落ちない城は落ちない。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :03/11/04 01:15
83 :
世界@名無史さん :03/11/04 01:39
大阪城の堀には体長mのなぞの生物がすんでいます
84 :
世界@名無史さん :03/11/04 04:31
3mくらいの魚がいたのですが、大阪城の堀にあれはいったい何なのでしょうか 隣の淀川からは1m位の鯉がよく上がるのですが、2mのうなぎとかやっぱ鯉か うなぎなのでしょうか?
地理的な要因も城の一部として考える。 日本のが入り組んでるから強い。日本最強!
>>67 日露より後のWWIでも似たようなことやってるから日本人だけでは・・・
一番持ちこたえたのはどこなんだろう?
思い出す範囲ではカンディア(クレタ島)かなぁ
87 :
世界@名無史さん :03/11/04 17:34
>>67 脚気の被害に遭いながら頑として白米を食いつづけたのも
アメリカに勝てると思い込んで戦争をはじめたのも
陸軍ですね。
>>84 誰ぞ飼い切れなくなったピラルクーでも捨てたんとちゃうの?
89 :
世界@名無史さん :03/11/04 18:50
んーー来年は・・アテネでしょー
カーテン・ウォール
91 :
世界@名無史さん :03/11/04 19:11
ブラックバスが釣れるらしいが>大阪城 さすがにb級のブラックバスはアメリカにもいねーからな… 南米地方の何かじゃねーの
92 :
世界@名無史さん :03/11/04 19:19
>>91 大阪城じゃないが、近くを流れる大川では1メートルオーバーの鯉が
めっちゃ釣れるらしい。から揚げを餌に使うといいそうだ。
93 :
世界@名無史さん :03/11/04 19:23
>>84 捨てられたこいのぼりがながれてきたんじゃね?
94 :
世界@名無史さん :03/11/04 21:38
あ ベネティア対トルコの話し聞きたい 塩のさん風に クレタって結局トルコには陥とせなかったの?
95 :
世界@名無史さん :03/11/05 00:49
松阪屋前とか銀橋あたりでつれますよね、やじろべえ橋?造幣局の前とか から揚げか〜それは知らなかったな〜。あそこらへんはたまに中ノ島とかに ボラの大群がいるのですが、海水と淡水がまじってるのかな
>>94 最終的には降伏<カンディア
ちなみに、塩野風の読み物を読みたければ塩野七海本人が、
続海の都の物語(文庫では「海の都の物語 下」)で一応書い
てる。事実を淡々と追っただけだけど。
蛇足
ベネティア ×
ベネツィアorベネチアorヴェネツィア ○
イタリア語でどう聞いてもベネティアとは聞こえん。
97 :
世界@名無史さん :03/11/06 18:44
遅レスですまぬが
>>71 時系列で追っていくと攻撃開始時点で部隊が203高地攻撃位置に到着してませんが。
おまけにそこまで行くのにいくつの砲台を潰さないと行けないか地図を見ながら考えましょう。
そして203高地攻略時の損害はそれ以前の損害に比べ非常に少ないのですが。
結論:司馬遼太郎を鵜呑みにしてはいけません。
99 :
世界@名無史さん :03/11/23 17:32
99!っとageてみる。
そういえば世界史板って「2ゲット」以外はあんまり キリ番を宣言しなかったりする板だね。
城に円塔が導入されたのは12世紀ぐらいかな? それまでの角塔は角の部分から破壊されやすかった。
五稜郭は? 日本初の大砲の攻撃を想定した城。
103 :
世界@名無史さん :03/11/24 03:45
>>102 というか、どうせ砲撃の的になるだけの飾りの天守を作らなかった城
西洋はなだらかな土地が多いので攻城兵器の運搬は容易だけど、 起伏の多い日本では攻城兵器の運用は向いていない。 両者とも土地に適した進化をしてるんだし、一概には言えないんじゃないかな。 居住性は日本の城の方が圧倒的に快適らしいけどね。 石の城は窓が少ないから昼でも暗いし、換気できないから湿気も多いみたい。
馬も兵器も日本は山岳使用
城単体で語ってもなあ。 浅井の篭城戦は支城群もあったればこそだし。
日本が大砲全盛まで戦乱であったならば 日本の城はどう進化していったのかなぁ。
108 :
世界@名無史さん :03/11/26 11:10
もともと日本の城は、本城と支城群が連携した形でしょ。 点の防御じゃない。 その点、中国は長壁とかで囲うイメージがあるが、 ヨーロッパの城はどうなの?
日本語では城という表現しかないが、ヨーロッパには種類があるので 一概にどちらが優れているとは言えないと思うのだが… ブルク・シュロス・レジデンツは全て城になる。 でもブルクは城砦都市若しくは要塞線の事だし、シュロスは日本で言う 山城、レジデンツは居城とか館になる。 それはともかく…19世紀に取り壊されたルクセンブルク、ウィーン、 パリのブルクは見たかった。
天守閣が城門から遠いと指揮が上手く出来ない
天守なんて、指揮にはむかんぞ せいぜい弾薬庫兼見張り台兼腹切り場所だ
112 :
世界@名無史さん :03/12/12 17:19
唐揚
113 :
世界@名無史さん :03/12/30 23:26
お堀age
小田原城に見られる縦方向の空掘り。これは攻城軍の左右への展開を妨害するもので その登場時期はヨーロッパでの同様の空掘り発生時期と同じである。 防塞思想は日本も欧州も近かったんではないか? あと日本は戦国期に入ってから急速に石垣や天守閣などが発展し、キリシタンの 日本での記録に見られるが当時欧州の城と引けを取らない、一部は凌駕していたのではないか?
115 :
世界@名無史さん :03/12/31 00:33
>日本の城が石垣だったのはヨーロッパや中国のように煉瓦を作る技術が無かったから。 >城の強度を比較したらヨーロッパの石造の城と日本の木造の城とでは比べものにならない。 >ヨーロッパの勝ち。 昔読んだウエスト・ポイントの将校が書いたマイナーな戦争歴史専門書には 「日本の戦国期の城塞の構造は、率直に言って非常に優れていたと思われる。 高い技術で巧妙に組み合わされた巨石の石垣は煉瓦積みの城壁より遥かに強固であり、 外壁や出丸、櫓等の各防御面は効率的に互いの弱点を補強し合う。 また前線の城は天然の要害を利用して築かれている場合が多く、例え大規模な攻城兵器が あったとて周囲の峻険な地形からその運用は難しいであろう」 みたいな事が書いてあった。 考えてみると攻城用の大砲ってのは移動や運用が大変で、ヨーロッパの平地においてすら 敵の小攻勢でしょっちゅう遺棄されたり奪われたりして大変なシロモノだったのに、 森や谷や田や湿地だらけの日本で効率的に運用できるとは思えないね。
116 :
世界@名無史さん :03/12/31 00:45
結局
>>55 の人が言ってるように、17世紀頃までの日本の城は世界的に見ても鉄壁の城塞だったが、
それ以降は欧州の攻城技術が上回る、ってところじゃないかな。
まあ戊辰戦争での会津若松城の惨状が全てを物語る訳ですかね。
島原の乱の原城はすでに建物が無かったがその城郭の基礎はしっかりと残っていたため 幕府軍に対し勇戦した。日本の城の強さって建物以外にあるのかな、、、。
島原城も強かった。
120 :
世界@名無史さん :03/12/31 11:52
硫黄島の地下要塞 米軍の損害が日本軍のそれよりも上回った
要塞籠ってる側が攻める側より被害が少ないのはあたりまえなんだけどね。
122 :
世界@名無史さん :03/12/31 14:59
近代における日本の築城技術(要塞化技術)は 世界レベルでも十分に通用していたという例として、 硫黄島を出しただけだよ。
城なんて油投げてれば簡単に落とせるのでは
124 :
世界@名無史さん :03/12/31 15:45
125 :
世界@名無史さん :03/12/31 16:33
>>124 ヨーロッパの石城を発展させたようなトーチカではない。
このスレはトーチカとかトレンチも城に分類されるのか?
攻城戦で一番長引いたのってどのくらいなんでしょう?
トロイ→10年
長引いてはいないが、テニスコート作ったり、家族呼んだりした包囲があったな。
130 :
世界@名無史さん :04/01/01 19:34
>>121 米軍の火力って日本軍の20倍ぐらいだったらしいから。
どうしようもないよ。
131 :
世界@名無史さん :04/01/01 19:39
>>130 それでも硫黄島では米軍の被害の方が大きかったの。
硫黄島にしても、沖縄戦にしても米軍が大損害を受けた局地戦闘では 日本軍側が火力において優越、もしくは拮抗していた戦闘がほとんどです。 沖縄戦の嘉数高地は、米軍を圧倒する火力で歩戦分離をおこない 火力の相互支援で米軍に大損害を与えました。 おおっと板違いですね、失礼。
133 :
世界@名無史さん :04/01/02 01:36
>>132 硫黄島は違う。
栗林の戦術が優れていたせいもあるが、要塞としても優れていたからだと思う。
日 本 米 軍
陸上総戦力 20933名 61000名
陸軍 13586名
海軍 7347名
歩兵大隊 9個大隊 24個大隊
重砲兵 6個大隊相当 14個大隊
戦車隊 23両 177両
航空戦力 100機(基地兵力) 1700機(艦載機)
海上戦力 0 戦艦15 巡洋艦20主体
134 :
世界@名無史さん :04/01/02 02:00
133〉 硫黄島の激戦は、我が国の教科書に記載されていないのだろうか? 沖縄戦の話は、かなり詳しく記載されているようだが、硫黄島の ことについて、上記のような戦力比などの記載の説明や、守備隊の 司令官の名前を伝えることは、国民にとって必要な知識ではないのか? 硫黄島の戦いは、負け戦の中にあって、司令官の能力の偉大さが 称えられた戦闘である。命の犠牲の先にあるものを知ることは、国民の 使命でもある。 栗林忠道閣下の名前は、米国人のほうがよく知っているような気がします。
おおっと板違いですね、失礼。
日本の城ですごいのが、「総構(そうがまえ)」。 城だけでなく、城下全体を堀で囲んでいる。 江戸城、大阪城(秀吉)、熊本城、小田原城(北条)などで、 いずれも鉄壁、攻撃では落城しなかった。 結局、懐柔したり、計略で外堀を埋めてようやく落とした。 総構の城は世界最強だろう。
137 :
世界@名無史さん :04/01/02 02:27
>>136 海外の城ってむしろ城壁が市外全体を囲む、総構の方が
多くねーか?
>>137 城壁っつっても、外壁縄張りの構造が全然違うだろ。
究極の例が真田丸とかか。日本人って凝り性だよな。
139 :
世界@名無史さん :04/01/02 03:17
140 :
世界@名無史さん :04/01/02 03:17
イギリスの有名な城よりは 日本の巨大な城の方がつよそうだし少なくともデカイのは確か。
141 :
世界@名無史さん :04/01/02 14:05
日本の大きな城って、力ずくで制圧されたわけではないんだよな。 大阪城は天守閣に大砲をぶちこんで淀君をパニックにさせて和解に持ちこみ、堀を埋めさせた。 真田丸もその時に壊された。 それで防御力を削いでから、二次攻勢をかけた。 小田原城は大軍で取り囲んで、黒田官兵衛を使者にして説得工作。 北条側は、長期間、大軍を待機させられるわけがないと踏んでいたけど、 秀吉は補給路を確保したどころか街や城まで作ってしまった。
142 :
世界@名無史さん :04/01/02 16:16
日本の城は見るとわかるけど、城と城の間隔がやけに近い。 支城ネットワークを重視して作ってるからなんだけど、これだと 山々に城が点在していて、一つが攻撃されると、住民が野山や近くの城に逃げ込み 他の城々から兵士が出撃、合流し、包囲を解きに向かうという方法がとりやすい。 この点に重点が置かれてるから、堅固な一つの城より、多数の建築しやすく 攻めづらい城をつくってる。だから山を削っただけのが多い。郭が何カ所もあり 一つを占領されても後ろの郭に引いて耐えられるので進入されても何日ももつ。 欧州の城は城壁で平地の町全体を守るため高い城壁で囲ってるので、攻城兵器がないとつらい。 城壁を越えられると一気に進入されるおそれがある。 ちなみに欧州の城にもキープという天守みたいなものがあり、最後の砦になるのだがそこで 何日も耐えたという話は聞かない。たいてい降伏するか、いっきに全滅する。 一つの城の攻めにくさで言ったら堅固な城壁のために欧州に軍配があがるね。 しかし大砲が出てくると、高い城壁はすぐに破壊されてしまうので意味がない。 逆に日本の山城だと、もともとが山なのでたいした威力は発揮しないだろう。 だから欧州の城は大砲が出現してからは、城壁をなくして坂を周囲に巡らせ 稜保を建築するようになる。(五稜郭みたいなの)主戦力が銃の時代だし。
日本の城よりもヨーロッパの城のほうが強度が高い。当たり前の話し。
欧州とか日本とか優劣つけ難い気がする。その地域にあった城があるのだから。 例えばイスラムの城は土地柄森林などが無いため木材ではなくレンガとか石で作られている。 イスラムで日本式の木材を大量に使った城など作れない。日本にしても 戦国時代に銃よりも大砲の使用がふっきゅうすれば石やレンガの城になっていたかも知れぬ。 信長の安土城を見ると良いものは欧州式城砦だろうと鉄砲だろうとどんどん 手に入れる。フレキシビリティがあったんだよね。
145 :
世界@名無史さん :04/01/02 19:06
てゆうか、木で出来た城って、火ですぐ燃えたりしなかったの? 江戸城も全焼したんでしょ。 火で燃えるんならわざわざ攻める必要もないんじゃないの?
>>145 一応泥とかしっくいを使って燃え難い城を作ったらしいんだが、
日本の城には木材を大量に使って燃えやすいという欠点がある。
戦国時代に中国やイスラムで使われた火矢とかはあんまり影響なかったのかな?
もっともイスラム世界では燃える水(石油)が豊富だったためそれを使った
火責めが多く用いられた。石油を使った火矢による火責めが少ない、
大砲が少ない、以上2点から木材を多用したんじゃないの?
費用対効果で木材が以上に安く豊富なら石よりも木材を使うし、
木材が高いなら石を使えばいいんだから。
147 :
世界@名無史さん :04/01/02 19:29
>>145 核戦争が起こらない理由は?
イラクに核を使わなかった理由は?
国際世論や核報復攻撃があるからだろ。
火攻めをやったら自分もやられるんだよ。
信長は比叡山を焼き討ちにしたから、
本能寺で焼かれたとも言われている。
明智光秀は比叡山と縁が深かったようだしな。
>>147 それホント意味フーだよ。
少なくとも燃やさなかった理由の中心では無い。
というか燃やすことも多々あった訳で。
149 :
世界@名無史さん :04/01/02 19:39
>>148 城が現存しているのは燃やされなかったからだろ。
アメリカ軍に燃やされて復興した場合は除くけど。
150 :
世界@名無史さん :04/01/02 19:56
そう言えば、イラクで核を使わなかったのは何故かと質問した高校生がいたな。 一発でケリがつくのにどうしてって言って引き下がらなかった。 短 絡 的 す ぎ
151 :
世界@名無史さん :04/01/02 19:59
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
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│O 臣民たちよ . │
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│ おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
>>147 現代戦では毒ガスの使用がタブーになっているように、
戦国時代には城への焼き討ちが暗黙で禁止されていたと言うわけですね。
非常に斬新な発想だが、そういう主張をしている学者・研究者のサイトは
ありませんか?気になります。
全国の武将を集め禁止行為として徹底させた何らかの記録もあるのでしょうね?
ぜひ、詳しくお聞きしたいです。お聞かせください。
153 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:02
>>147 現存の日本の城で戦に係わった城は少ない。
そもそも現存の多くの城は豊臣時代〜江戸時代初期に
完成したものなので、戦は経験していない。
それに日本の戦の基本は、まず火を放つこと。
154 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:08
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
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155 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:09
それじゃ、燃やされるとわかって木の城を建てる理由は?
156 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:15
>>155 そもそも日本には良質な石材が少ないし、
石材を積み重ねただけの家は、木組みの家に比べて
地震に弱いから。
157 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:19
>>153 例えば、関ヶ原の時、徳川秀忠は真田が守る上田城で足止めをくらって参加できなかった。
火攻めが基本なら、迷うことなく焼き討ちにして恥をかかずに済ませたんじゃないの?
158 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:22
>>157 城に近づけなかったのにどうやって、
どうやって日をつけるの?
159 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:24
城下町を燃やしさえしなかった。
西洋の石造りの城が過大評価されてるが、あれって震度4程度の地震でもガンガンぶっ壊れたらしいよ。 あと2階に人が上がり過ぎて倒壊、って城もあったしな。見た目ほど完成度が高いわけじゃない。 火攻めだが、これはもちろん戦国時代でもガンガンやってた。 ただ山城は小さい砦の集合体なので全体を燃やすのが難しく、デカイ城の場合は 外郭と内郭の距離があるため致命的な損傷を与え難い。 あと日本は雨が多くすぐ火が消える。
162 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:29
>>159 上田は山城。
長期戦に持ち込むつもりならまだしも、城と連続性のない
山麓の城下町を焼き払ったところで戦略的に無意味だよ。
163 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:35
明智の佐和山城も燃えている。 上杉謙信が小田原城を攻めたときも城下は丸焼けになっている。 秀吉が北の庄を攻めたときも、城下も城も焼かれている。 蛤御門の変の時の京都も焼き討ちされている。
164 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:41
城攻めで敵の城に踏み込んで。まず最初に行うのは火を放つこと。 戦の定石です。
165 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:47
遠くから油袋と火矢を打ち込めば済むの?
攻城戦ってあったの? 風上から火を付ければ、近寄らなくても済みそうだし。。。
167 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:54
>>165 外装は漆喰と瓦だから外から火矢で攻撃しても
なかなか燃えない。普通は敵城に乱入した際に
火を放って、立て篭もりをできなくする。
ただし、相手の本陣が寺院などの場合は火矢でも
簡単に炎上する。
松永弾正の東大寺焼き討ちとか、信長の比叡山焼き討ち、
明智の本願寺攻めなどがその例。
168 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:57
>>166 平城などで城下の火が城に及ぶような構造であれば、
籠城戦を決定した段階で、自ら城下に火を放って立て籠もる例もあるよ。
燃やしたら誰の死体かわからなくなるYO 手柄も何も立てられないと思うけど、 どうなのよ?
170 :
世界@名無史さん :04/01/02 20:59
>>167 京都なんて戦に巻き越えれるたびにいつも丸焼けになってるね。
171 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:04
>>169 敵兵全員が燃え盛る城に立て篭もって焼け死ねばね。
普通は焼ける城と運命を共にするのは、城主とその身内くらい。
その他の将兵は外で戦う。城主の遺体が敵に渡らないようにね。
だから敵将の首は取れる。
とはいっても、敵城が炎上した後の大将首がそれほど論功で
重きを置かれたとも思えないが。
172 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:05
城を奪い取って再利用する場合は燃やさない方がいいんじゃないか?
173 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:08
>>171 焼けた遺体が城主の影武者の可能性もあるし、火攻めは最終手段じゃないのかな?
156は説得力あるな、、、。
175 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:09
>>172 余裕がある戦いの場合はね。
自分の兵を一兵でも多く死なせたくない場合は焼き討ちが一番。
上物の再建はそれほどの金はかからないし。(豊臣時代以前の城なら)
176 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:14
>>173 城主の遺体自体にそれほどの価値がない場合が多い。
地方大名なら領国を占領された時点で社会的には抹殺されたも同然。
全国に勢力を伸ばしている天下人クラスなら、逃げ出して再起を図る
こともできようが、一地方大名なら、領国を奪われたらそこで終わり。
177 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:20
冷房がない時代に、風通しの悪い石造りの建物で快適に暮らせたのだろうか?
178 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:52
>>144 ふっきゅう(←何故か変換できない)
という突っ込みはOKですか?
179 :
世界@名無史さん :04/01/02 21:57
>>146 天守なんて飾りです!
偉い人にはそれがわからんのです!
というか、熊本城見て思ったんだが、天守なんてどうでも良くて、
外郭から中に進入して来ても、途中の通路を迷路状にして、
あちこちに曲がり角を作って、少しづつ削れるように作ってある
のが凄いと思う。
城下町が迷路のようになっているのなんて、それを城の外にまで
応用したものでしょ。
いくつもの支城、城下町の街並み、外郭、門を破っても中で削れる。
こういう戦術上の工夫が一杯あるんだから、俺は日本の城を評価
するね。
他所の国の城のこと何にも知らないけどさ。
まさに、縦深防御の発想だと思う。
180 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/02 22:02
181 :
世界@名無史さん :04/01/02 22:05
ヨーロッパはまだ気温が低いから、窓の少ない石造建築でも耐えられただろうけど、 高温多湿の日本じゃ、部屋がカビだらけになっちゃうよ。
>>179 よく言われるのは寺社の配置ですね
信仰的な問題とか、建物そのものが防衛時に利用できるという理由からだとか言われています
仙台城では城の東側と北側に寺社が配置され、敵兵の侵攻に備えていました
東側にあった寺社は、その後移転されましたが
北側にあった寺社は未だに当時あった場所に残されていて、お墓がたくさんあって怖いです
183 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:45
石が気候にあわないということはない。 韓国や中国では石で住居まで作らなかったが、城壁を巡らすこと位はした。 なぜ日本だけ大規模で堅固な城塞が作れなかったのかと言うことが問題。 熊本城のようなものがもっとあってもいいだろ? たぶん加藤キヨマサのように戦人間で築城名人で海外遠征を経験した者でないと 無理だったのではないか?まず作ろうという気が起こらなかったろう。
184 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:47
>>183 防備の方向性は違うが、大阪城や江戸城、名古屋城、仙台城あたりが、
熊本城と比べて堅牢性に劣るとは思わないが?
185 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:48
お前、江戸城の堀を見たことあるか? 大規模で堅固な城塞とはああいうものを言うのであって 中国・朝鮮のは・…(笑)
186 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:49
>>183 日本は海に囲まれ、山がち
それで説明つくと思うけど
大陸では平原のど真ん中に集落を気づいたことが、文明の始まりだったわけで
民族的な防衛心理で、城壁への執着が強まったと考えられないでしょうか?
逆に日本人は、山や谷に篭ればある程度は持ちこたえれるっていう心理が働いているように思う
>>186 宋の襄陽とかが有名かな?
関中はあそこだけで城と見てもいいくらい、戦国時代の頃は堅固だったようだが
189 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:57
藻麻衣ら! 石川の忍者寺は知ってまつよね?
190 :
世界@名無史さん :04/01/03 00:58
>>188 単なる石の城壁だけじゃん。
幅数十メートル深さ数メートルの堀+石垣の方が堅固だと思うが?
191 :
世界@名無史さん :04/01/03 01:05
>>188 なんか襄陽のこれは固そうだぞって写真無い?
Googleだと中国の他の壁とどう違うかわかんないんだけど。
192 :
世界@名無史さん :04/01/03 01:12
日本の城は、少なくとも17世紀までは世界最強。 大砲がとどかない距離まで外郭、外堀で囲み、入り口も橋 を落とせば町全体が島になる。中には田も畑もあるから、 2〜3年はろう城できる。北条時代の小田原城を欧州の 軍隊が落とすのは無理だろうね。
>>192 たいていの城は十分準備して立て篭もられたら
正面突破じゃおちない
マジノ線は落ちたがw
マジノ線、正面突破じゃなかったわ。
つーか、大阪城の外堀なんて堀っつーよりほとんど河川だったらしいからな・・・ そんで鉄壁の外壁を突破できたとしても次の内郭まで1800〜2000m・・・ しかも外郭〜内郭は湿地あり乱杭ありの風雲たけし城状態で、 残った外壁と内壁の双方の武者走りから鉄砲のつるべ打ちで挟撃状態。 やっとこ内郭に辿り付いたと思ったらまた深い堀を越えなきゃならん。 つーか無理だろこれを力攻めで落すのは。 冬の陣で真田の出丸(兵力5000)に押し寄せた寄せ手の大群は 一日で推定3000〜4000人(当時の貴族の観戦日記だと15000になってるが勿論ウソ)も 戦闘不能になったらしいし・・・ 出丸一つにこれだけ損害出してるんじゃ、兵士が何十万いても足りん。
>石が気候にあわないということはない。 >韓国や中国では石で住居まで作らなかったが、城壁を巡らすこと位はした。 >なぜ日本だけ大規模で堅固な城塞が作れなかったのかと言うことが問題。 つーか日本の石垣はシカトかよw あれ作るのはかなりの技術が必要らしいぞ。 ちなみに城壁ってのは、小さい煉瓦や石をチマチマ積むよりも でかい石を緻密に計算して積み上げた方が強固になる。 勿論最強の城壁はコンクリ&鉄筋だけどな。
197 :
世界@名無史さん :04/01/03 03:07
石垣といえば、沖縄のグスクの曲線的な組み方は どういう起源や背景があるのでしょうか? 風水に従った結果とも聞きますが、本土の城壁との関連はあるのかな。
198 :
◆/.fjTeojqQ :04/01/03 03:34
一夜城最高
199 :
世界@名無史さん :04/01/03 05:31
>>197 起源は知らないが、あの石垣に使われている石は珊瑚が化石化したもので、
非常にやわらかい。人間の爪でも形がつくくらい。
だから、加工が非常にしやすく、比較的自由な凝った形の石垣作りが可能だった。
石組みといえばアステカのメキシコシティでしょう。 石の大きさと組み合いはすごいですよ。日本石垣の「ぼた餅積み」といわれる技法の巨大版ですね。 マチュピチュもイギリスのヨークも城塞都市ですね。街自体が巨大な迷路になっています。 ローマのサンタンジェロ城は廊下の中に堀と跳ね橋がありますね。 エジンバラ城は・・現役で陸軍が使用しています。
201 :
世界@名無史さん :04/01/03 13:36
>>200 確かにインカ/アステカ系のカミソリの刃も差し込めないような
緻密な石積みは見事だけど、強度的にはどうなんだろう?
緻密にすれば強いのだろうか?
水抜きを考えて、隙間を作るかも石垣積みのテクニックだから。
202 :
世界@名無史さん :04/01/03 14:34
日本の城の進歩は大砲の使用が本格化していない17世紀で止まっている。 オスマン帝国と修羅場を繰り広げたウィーンの城壁の方が圧倒的に強度が強いだろう。 ウィーンの城壁は今は完全に取り壊され、リンク通りという円環状の通りになってしまったが。
中国も朝鮮も乾燥気候だろ。
204 :
世界@名無史さん :04/01/03 14:51
>>203 中国は広い。日本より雨量が多い場所から、世界一乾燥している砂漠まで
各種取り揃えてある。
朝鮮は乾燥地帯とは言わない。少なくとも南半分は。
205 :
世界@名無史さん :04/01/03 14:56
中国の気候を一言で語ろうとする輩って世界地図をみたことあるのかな?
>>205 とりあえず、中国で都城が発展したのは華北の乾燥地においてだから
俺は、…冬雪が降らず、春先はジリジリと乾燥し、六月ごろに農作物を浸すくらいに大雨が降り
秋、ようやく澄んだ空気が訪れてマターリ…ってのが中国の気候の印象なんだが
どっちにしろ中国は北京ですら、同緯度の日本の都市よりも平均気温高いしねぇ
逆に南に行けば行くほど、雨季と乾季の差が少なくなっていくらしいが
あと、意外と内陸部の陝西とかの方が、河北あたりの気候よりも穏やかだったりする
朝鮮は知らん
何で比較するのかいい加減決めないとループスレで終わるねえ。
208 :
世界@名無史さん :04/01/03 15:32
>>206 多湿地帯にも城は多いぞ。
開封や江南の諸都市。
>>208 へー、大梁って湿地帯に作られた都市だったのか…
勉強になります
江南の諸都市は、春秋戦国期に中原の文化と接触して発展したと聞いたことがありますが
戦国呉越の都市の城壁は当初はかなり未熟なものだったとか
210 :
世界@名無史さん :04/01/03 15:56
>>209 あなたの脳内では「湿地帯」と「多湿地帯」が同じ意味なんですね。
何人ですか?
211 :
世界@名無史さん :04/01/03 16:00
最近よくある日本の名城のCG再現本とか見るとすごいね。 圧倒される。よくあそこまで壮大で緻密な城を建造する 技術と労働力があったものだ。16〜17世紀の日本の城は 世界最強。オスマン・トルコやムガール帝国も目じゃないね。
西洋人に江戸城の内堀、外堀の説明をしようとして 堀のうまい英単語が浮かばなかった。
213 :
世界@名無史さん :04/01/03 17:21
>>212 Cityを囲む堀が外堀。
Castleを囲む堀が内堀。
で概ね説明できるんじゃない?
大阪城はエロカワイイ
215 :
◆/.fjTeojqQ :04/01/03 18:57
大阪城も大砲で落とされたようなものだし。
216 :
世界@名無史さん :04/01/03 19:35
城が役割を失ったのは飛行機の登場以降と考えたらいいのかな? それともナポレオン戦争以後? また聞きですまんが、昔フランスはドイツとの国境地帯に多くの 城を作った。しかし、多数の城を作れば作るほど兵力を分散し配置する 事になる。その欠点に気がついたフランスは限られた少数の城のみ 作るようになり多くの城を破壊した。 これって本当?
218 :
世界@名無史さん :04/01/03 19:54
南北戦争は要塞あったし、クリミア戦争中もセバストポール要塞があった。 城の定義に要塞を含めれば、飛行機の登場以後の第2次大戦中も存在はするけどね。 現代においては知らない。
219 :
世界@名無史さん :04/01/03 20:04
第2次世界大戦後も、中東戦争でのナイル川にイスラエルが設けた防御壁や アルバニアがソ連の侵攻を恐れて作り上げた縦深要塞網 中台紛争での金門、馬祖島要塞などがある。
220 :
世界@名無史さん :04/01/03 20:08
221 :
世界@名無史さん :04/01/03 20:17
>>163 要らない突っ込みかもしれないが、明智は坂本城。佐和山城は石田三成。
222 :
世界@名無史さん :04/01/03 20:33
38度線付近の永久陣地は、北も南もおそらく世界最大級の要塞網だと思われ。
で、このスレは何世紀の時点での東西の城比較をしてるのかな?
224 :
世界@名無史さん :04/01/03 20:36
225 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/03 21:10
226 :
世界@名無史さん :04/01/03 21:17
安土桃山時代から、大砲使った攻城戦やってるんだが。 もっとも有名なのが、大阪の陣。
確か朝鮮出兵の時、野戦では日本側の鳥銃隊(明軍の呼び名。鉄砲)が 大活躍したが、攻城戦では明軍の大砲に苦しめられたらしい。 大砲も鉄砲も日本と明には似た時代に伝わったが、日本では銃が人気で 広まり、明は大砲が広まったらしい。 これは両国の城の構造の問題も影響していると思う
熊本城だろ熊本城 西南戦争の時、大砲40万発も打ち込んでも落ちなっかったんだから 日本の城は本格的に大砲を用いた攻城戦を経験したことがなかったから クズって言ってるやつはモグリ、もしくは世界史専オタ 見よ、見よ西南戦争における熊本城の頑強さを 戦国武将の英知の決勝を その姿はまるでそびえ立つ黒チンポだ!!!
229 :
世界@名無史さん :04/01/03 23:14
大阪城は粗チンだったんですね
230 :
世界@名無史さん :04/01/03 23:20
鉄砲を重視した信長がなぜ大砲を使った戦術を大規模にやらなかったか疑問。
>大阪城 二代続いたマザコン城主やからね。
233 :
世界@名無史さん :04/01/03 23:57
大阪城は女だろ。 1枚づつ服を脱がされる快感に浸ってしまったんだよ。
234 :
世界@名無史さん :04/01/04 00:02
>>225 襄陽も南京も万里の長壁も何度落城してんだ!
写真見れば大軍に弱いのまるわかりだろう!馬鹿は死ね!
>233 そんなソフトなのじゃなくて、穴という穴を(ry
237 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/04 00:29
>>234 南宋の襄陽は5年持ちこたえた後、回回砲が持ち出されてやっと陥落したとか、
ヌルハチが6万の兵で山海関を落とそうとしたが返り討ちにあって死んだとか、
そもそも万里の長城は長すぎるので最初に突破されるのは当たり前で、その後
迎撃に出た野戦軍と呼応して敵を包囲するのが役目だから、野戦軍が打ち破ら
れたらそれ以上持ちこたえるのは何の意味もないとか、そういうことを何にも知ら
ないなら素直に分からないとちゃんと言えよ、別に怒らないからさ。
>>230 大砲が「野戦で」効率的に運用されるのは、世界的に見ても30年戦争あたりからだろ。
ちなみに16世紀にテッポーをあれだけ効率的に使ってたのは織田軍とか紀伊鈴木の鉄砲隊
ぐらいなもんじゃないのか?
西洋じゃ銃は17世紀前半までテルシオの添え物みたいなモンなんだが・・・・
カラコールだって伊達の騎馬鉄砲より強力とはとても思えん(カラコルは戦法が拙劣で銃自体の
威力も非常に弱い。まぁそれでも乱戦では重騎兵を徹底的に打ち負かした)し。
あまりに非効率的なのでたびたび改良が加えられ、効率的な火力運用はグスタフによって
確立されたのは有名な話だね。
>>215 たしかに長射程のカルヴァリン砲(よくあんなの輸入できたよな)だのなんだのを
何100丁単位で三日三晩撃ちまくられたが、それで開城したわけじゃない。
淀君がバカだったから開城した。天守や大広間に何発か飛び込んだらしいが
砲撃で何百人も兵士が殺されたわけじゃなし・・・
マトモな武将だったら砲弾の飛んでこない場所(関東側の狙いは偏ってた)や
本丸の一番堅牢な部分に立て篭もって弾薬切れ&砲の限界を待ち、折を見て
攻勢に出たのにな。
ちなみに大阪城の篭城準備は皆無だったらしいね。軍資金はかなりあったんだが
無能な豊臣政権の上層部が秋になってやっとこ篭城準備を始めようとした時は
もう鉛も火薬も大砲も関東側に買い占められていたって話だ。
つーか大阪方にもガイジンが売り込みに来たんだが断っちゃうんだよね。何考えてんだ!?
それでもそれなりに戦えたんだから大したもんだ。
240 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/04 02:27
>>238 毎度毎度何言ってんだ?
もしかしてこういう認識って、鈴木某の遠戦うんたらやらと同じく何か種本とかあるんかな?
>大砲が「野戦で」効率的に運用されるのは、世界的に見ても30年戦争あたりからだろ。
1515年マリニャーノでフランソワ1世がスイス傭兵を砲兵で壊滅させている。
マウリッツ公は砲をより野戦向きに軽量化し、さらにその教書には、歩騎砲の三兵戦術の
思想がハッキリと見える。
dで1591年にはモロッコ軍歩兵2000+銃兵2000+竜騎兵(?)500+槍騎兵1500と6門の砲が
ソンガイ軍2万7千を敗走させた。
>ちなみに16世紀にテッポーをあれだけ効率的に使ってたのは織田軍とか紀伊鈴木の鉄砲隊
同じくフランソワ1世が十年後のパヴィアでスイス傭兵を銃兵で圧倒した。
マウリッツ公の横隊は小銃の火力で敵を圧迫するのが基本。槍兵は防御的に運用された。
>西洋じゃ銃は17世紀前半までテルシオの添え物みたいなモンなんだが・・・・
はて、テルシオは歩兵には火力で圧迫して騎兵が来れば槍兵が前面に出るという戦い方をしたん
じゃなかったっけ?
>カラコールだって伊達の騎馬鉄砲より強力とはとても思えん
結局要求される錬度が高すぎて伊達のお家芸に留まったそうだな。
>1515年マリニャーノでフランソワ1世がスイス傭兵を砲兵で壊滅させている。 >マウリッツ公は砲をより野戦向きに軽量化し、さらにその教書には、歩騎砲の三兵戦術の >思想がハッキリと見える。 無知ですみませんねぇ!あなたの仰る通りです。 棘のある指摘をどうもアリガトウ。 そういえばグスタフの三兵戦術・火力集中・軽砲重視も 元を辿ればマウリッツ公の戦術思想に辿り着くんでしたっけ。 >同じくフランソワ1世が十年後のパヴィアでスイス傭兵を銃兵で圧倒した おいおいこれはフランソワの火力戦術が際立ってたよか敵のスイス傭兵がバカ過ぎだろ。 あいつら騎兵と銃兵を軽視し過ぎ。無敵の歩兵部隊とか言われて天狗になり過ぎてた。 >はて、テルシオは歩兵には火力で圧迫して騎兵が来れば槍兵が前面に出るという戦い方をしたん >じゃなかったっけ? テルシオの小銃なんて最前列しか機能してないんじゃない? 実際に改良型のテルシオだって瑞典軍の小銃滅多打ちにメタクソにやられてるし。
例の170さんは卓見でいらっしゃる様ですね。 戦史でこういう考え方は全く無意味なのを承知の上で聞きたいんですけど、 16〜17世紀の時点で日本の軍隊と西洋の軍隊が戦ったらどっちの方が強いと見ますかね?
>マウリッツ公は砲をより野戦向きに軽量化し、さらにその教書には、歩騎砲の三兵戦術の >思想がハッキリと見える。 ソースは? 何かの孫引きかい(w
>>243 >マウリッツ公は砲をより野戦向きに軽量化し、さらにその教書には、歩騎砲の三兵戦術の
>思想がハッキリと見える。
ソースは・・・・俺が言うのも何だがこれは超有名な話だね。
瑞典軍の抜刀突撃すらマウリッツの教書に範を得たといえる(マウリッツの騎兵隊には
衝力重視の抜刀突撃専門の部隊がある)。
「大砲が野戦で効率的に運用されるのは世界的に見ても30年戦争あたりから」ってのは
戦国贔屓の俺の失言だからもうカンベンしてくれ。
あと孫引きってのがよくわかんないんだけど、2chで西洋の原書読んでる人間なんて
ほとんど居ないんだからそういう叩き方は止めようぜ。そればっかりみんな同じ。
×そればっかりみんな同じ ○そればっかりはみんな同じ だった。スマン
246 :
世界@名無史さん :04/01/04 03:38
例の170さんは、人類が積み重ねてきた知識のカタマリを聞きかじっただけで 自分の手柄だと思いこむような自己肥大漢ですから。
首都圏在住の方には「田舎者」と思われるでしょうが、 修学旅行で東京に行ったとき、水道橋からお茶の水あたりに 川のようなものがあり、後に江戸城の外郭と知ったときには 驚いた。昔はもっと広かったわけで、あれを掘った労力も すごいな。
248 :
世界@名無史さん :04/01/04 03:56
>人類が積み重ねてきた知識のカタマリを聞きかじっただけ 歴史の知識は大抵はそんなもんだとおもうが。 >それが自分の手柄だと思いこむ いいかげんな内容が多い、当て推量で話すなってことだろ。 上から読んでいくと、おいおいという内容があるもの。 で、レスしようと思ったが、例の170さんがつっこんでる罠。 たた言い回しが柔らかくないからね。
ただ、漏れは241・242はええ奴だと思うで〜
>>244 を読む限り。
250 :
世界@名無史さん :04/01/04 05:04
>>248 よくわかりませんな?
あなたの脳内では私がかつてこのスレッドに何かを書いたことになっているのですか?
で、170さんに何かを言われてそれを含んでそのようにいったとでもお思いで?
そうだとしたら、妄想たくましい、としかいいようがありません。
一番最強なのは、日本式の堀・石垣の上に西洋式の城砦を作るみたいな結論?
テルシオは鈍重なので銃がそれなりの位置を占めれたし銃の比率は 少しづつ高まっていった。 スェーデン軍の隊形のほうが迅速に行動できた点で優れてたと思うけど 連隊砲などの他の火力の違いのほうが大きいと思うけどなあ。 槍兵を攻撃的に用いるには後のスェーデン軍のように縦隊攻撃法を使うとか しないと銃が主役になってきた時代じゃきついのではないだろうか。
253 :
世界@名無史さん :04/01/04 13:29
>>247 あの辺りは掘ったというより、埋め立てたんじゃなかったかな。
>>254 なにぃ江戸の井戸は帯水層じゃなかったのか。大工事やってんな
256 :
世界@名無史さん :04/01/04 15:47
江戸の共同井戸は地下水井戸じゃなく、水道井戸。 江戸北部は神田川(神田上水)(江戸時代の呼称は江戸川)系、 江戸南部は玉川上水系。 水道水の産湯を使うのが江戸っ子。
>>254 ありがとうございます。よくわかる説明ですね。
なるほど、平川を外堀として使うため隅田川に
合流させ、神田川になったわけですか。それにしても
壮大な外郭、外堀ですね。まさに世界一。
>>256 すごいね。この点では西欧よりはるかに進んでる。
「日本遅れていた、西洋は進んでいた」の固定観念を
はやくあらためないと。
259 :
世界@名無史さん :04/01/04 16:39
モーデン軍>>>>コスタリカ警察=会津武士団←薩摩武士団攻撃中 ↑(殺意) ナチス親衛隊 藤原紀香(姫路城) まぁこんな所だろうな
261 :
世界@名無史さん :04/01/04 17:02
>>259 まあ、紀元前のローマの上水道も結構なもんだけどな。
秀吉の大阪城もすごいな。何本もの川を利用して外堀にし、 夏の陣でも計略で埋めないと落とせなかった。 熊本城も小田原城も川を利用してるな。
1600年の時に一番最強の城は? んで、もっとも堅かった都市は? と言ってみる。
日本の城の縄張りがよく分かる本orサイトってないかな? 城の関連本は結構持ってるが、ビジュアル資料に乏しくて。
265 :
世界@名無史さん :04/01/04 20:49
266 :
世界@名無史さん :04/01/04 20:54
>>264 本は結構あるけど、みんなすごい高いよ。
ああ板違いだけど、昔ボードウォーゲームで「エルサレム包囲戦」があったなぁ… ちなみに包囲したのはローマ軍だよ。w
1700年の時に一番最強の城は? んで、もっとも堅かった都市は? と言って(ry
271 :
世界@名無史さん :04/01/05 01:13
コンスタンティノープルはいかが?
1500年の時の最強の城は? んで、最も堅かった都市は? と(ry 今のところ。 日本 世界 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− … 1600年 大坂城 大坂 … … … 1700年 江戸城 江戸 …
273 :
世界@名無史さん :04/01/05 01:41
ここの人たちが好きなゲームはたぶん「コサックス」。
274 :
世界@名無史さん :04/01/05 02:06
コサックスはロシア人のコンプレックスから日本がでて こないクソゲー。 チョンが世界帝国としてでてくるエンパイアーズよりはましだけど。
>>271 1453年までは世界最強の城塞都市。
1000年以上にわたって数々の異民族の攻撃を
はね返した。1204年の第4回十字軍は裏切りがあったから例外。
276 :
世界@名無史さん :04/01/05 03:27
1000年にわたって難攻不落と言わしめたのか。すごいな
277 :
世界@名無史さん :04/01/05 17:56
>>227 慶長の役の後、日本軍撤退後に、明の軍人達は倭城を徹底的に調査し、
その縄張り、石垣等の巧妙な造りに驚いたという。
築城途上、未完成のウルサン城ですら大軍で奇襲、包囲しても落とせなかったわけだから、
明が必死で調べるのも解る気がする。
逆に朝鮮の武官は倭城を「あれは土窟に過ぎない」と蔑んで、
日本の築城思想を全く理解できなかったそうな。
文禄の役で釜山城をたった一日で落とされた属州の方々はやはり一味違う…
278 :
世界@名無史さん :04/01/05 22:26
>>277 李舜臣みたいのが多くいたら朝鮮も変わっていただろうな
>>127 アサシン派の根拠地アラムートの要塞ギルドクーは、モンゴル軍に攻囲されて14年持ちこたえた
そうだが、これ以上のものも探せばあるかな。
>>239 あれ、大阪攻めの大砲は堺の鍛冶屋につくらせたんじゃなかったっけ。
螺子切り(ライフリング)もされていたそうだが。欧州の攻城砲は臼砲だったから、ますます異質。
>>241 >おいおいこれはフランソワの火力戦術が際立ってたよか敵のスイス傭兵がバカ過ぎだろ。
むしろスイス槍兵はどっちかっていうと及び腰、無謀だったのはフランス騎兵だったと思うんだが。
スイス兵はマリニャーノで火器の恐ろしさを叩き込まれていた。
>テルシオの小銃なんて最前列しか機能してないんじゃない?
だからより火力を集中した寡勢のオランダ軍やスウェーデン軍にやられてしまうわけで。
騎兵にも槍兵にも非常に有効ではあったんだが。
>>242 むぅ、騎と砲が足りないと思われる日本の軍隊は、どーしてもカンナエやザマを思い起こされてしまうな。
西洋の軍隊は、マラトンのペルシア軍みたいに欠如した兵科があるわけでもなし。
>>243 http://www.bulldog.co.jp
280 :
世界@名無史さん :04/01/05 23:18
14年の攻囲って両軍の食料補給はどうやってたの?
281 :
世界@名無史さん :04/01/05 23:38
>むぅ、騎と砲が足りないと思われる日本の軍隊は、どーしてもカンナエやザマを思い起こされてしまうな。 >西洋の軍隊は、マラトンのペルシア軍みたいに欠如した兵科があるわけでもなし。 むぅ、馬が小さく西洋ほど衝力重視が徹底されていなかった騎はともかく 砲はあれでも足りないでござるか。 兵科編成は兎も角、個々の兵士の質や戦術では日本軍兵も決してひけは取らぬと思えるのだが どうでござろう。1580年以降の鉄砲装備率はかなりのものであったし小銃備えに限って言えば西洋の 小銃隊よりも柔軟かつ集中的な運用が可能なように思えてしまうのはやはり拙僧の思い違いであろうか。
282 :
世界@名無史さん :04/01/05 23:43
西洋の様に拓けた平野地形では日本側不利、 地形が入り組んでいてしかも湿地・林等の障害地形が多く 大方陣や騎兵圧力が最大限に生かせない日本では 日本側有利と思えるのは気のせいであろうか
神聖ローマ帝国連合軍総兵力(1630) (質/量) 歩兵 ☆☆/☆☆☆☆☆ 騎兵 ☆☆/☆☆☆☆☆ 銃兵 ☆☆/☆☆☆☆☆ 火砲 ☆☆/☆☆☆☆☆ 水軍 ☆☆/☆☆☆☆ 戦術 ☆☆ スウェーデン軍総兵力(1630) (質/量) 歩兵 ☆☆☆☆/☆☆ 騎兵 ☆☆☆☆☆/☆☆☆ 銃兵 ☆☆☆☆☆/☆☆☆ 火砲 ☆☆☆☆/☆☆☆ 水軍 ☆☆/☆☆ 戦術 ☆☆☆☆☆
日本軍(西軍・東軍両陣営)総兵力(1600) (質/量) 歩兵 ☆/☆☆☆☆☆ 騎兵 ☆/☆☆ 銃兵 ☆☆/☆☆ 火砲 ☆/☆ 水軍 ☆/☆ 戦術 ☆☆ 兵站 ☆
>>280 俺が聞きたいぐらいだ。アサシン側は最後まで食料はもってたという。
モンゴル側は攻囲のために、ガリア戦記のアレシアのように城塞で取り囲んだそうだが。
>>281 いや、野戦”砲”。16世紀以降の小銃兵は、歩騎射の”歩”として運用されていると思われ。
>>282 山がちなギリシアで行われたマケドニア戦争でも、騎兵戦力で圧倒してたローマが勝ってるし。
それに西欧の戦いの規模もそれほど大きくはない。大規模な会戦でも両軍合わせて4〜5万程度。
例の170氏がオブラートに包んで言っておられる様に、西洋軍隊に日本軍が勝つのが 不可能なのは明白。ザマやカンネーの虐殺のように戦死9割・戦闘不能9割5分の パーフェクトゲームで日本戦国軍は一方的におしおきされるであろう。 そもそも島国のチビザル集団で西洋の『人間の軍隊』に勝てる訳がないのは道理。 白人と日本人では知能・知性・体格・装備に差がありすぎます。
287 :
世界@名無史さん :04/01/06 00:36
>>286 知能の弱い日本人は慈悲や抽象的観念に欠けるので迷いがなく、
卑怯なやりかたにも羞恥心を持たず、いつも強烈な劣等感に
さいなまれているので努力も惜しまない。
結論;人類に脅威を与えるには十分である。
>>281 >兵科編成は兎も角、個々の兵士の質や戦術では日本軍兵も決してひけは取らぬと思えるのだが
>どうでござろう。1580年以降の鉄砲装備率はかなりのものであったし小銃備えに限って言えば西洋の
>小銃隊よりも柔軟かつ集中的な運用が可能なように思えてしまうのはやはり拙僧の思い違いであろうか
はっきり言ってしまうと、日本の戦国時代の武士なんてのはただ槍や刀を持って適当に騒いでるだけ。
鉄砲隊って言っても、西洋の小銃隊の様に優秀な指揮官のもと規律・統制が取れていた訳ではなく、
アマチュア当然の部将の号令で好き勝手に撃っているだけだった(織田軍の鉄砲三段撃ちなんかが
大ウソだったってのはもう常識だよね)
>>286 みたいにコキおろすつもりはないが、日本騎兵の貧弱さについてはもう言うまでもない。
長篠の戦いだって、敵が速度の遅い武田騎兵ではなく純粋な西洋騎兵隊だったら
織田軍なんぞ踏み潰されていたよ。
>>288 西洋騎兵でも、日本で運用されたら移動や輸送に手間取るだろう
どうも日本の地形の峻険な所が過小評価されている気がする
戦国大名で一番騎兵の運用比率が高かったのってどこなんだ?
武田や上杉じゃないことは分かるんだが
南部や相馬とかが高そうだな
次に装備について見てみよう。 まず歩兵だが、日本の足軽の長槍と西洋のパイクを比較すると 西洋のパイクの方が長く機能的な事が判る。 また近接武器では日本の刀やなぎなたに相当するものが西洋のハルバルトであるが、 切れ味はともかく打撃力においてはハルバルトの方が勝る。実戦では切れ味にはあまり 意味がないし、体格は明らかに西洋人の方が勝っているので足軽と西洋の槍兵では勝負にならないだろう。 鎧だが、足軽鎧は西洋の歩兵用半身鎧に比較して防御力が皆無な反面 非常に軽量で速度の妨げにはならないが、着る兵士自体の運動能力の差を考慮すると 決定的なアドバンテージにはならないと思われる。守備面では互角であろう。
騎兵だが、白兵戦での武器は日本の槍・刀に対し西洋のサーベル。 ほぼ同等と見て良いだろう。 騎兵用小銃については西洋の方が明らかに優れている。そもそも日本騎兵には 基本的に銃戦闘という概念がなく、例外的な伊達の騎馬鉄砲は上で既出のように 要求される錬度が無駄に高く一般的なものとはならなかった。 馬はあきらかに西洋馬が優れている。よく「日本馬は小型だがパワー・耐久力が優れてる」という 世迷い事を見かけるがそれはガラスの様なサラブレッドとの比較であって、戦闘用の西洋の馬は 速度・スタミナ・パワー・馬格の全てにおいて日本種を上回っていた。 決定的なのは2番目に挙げた馬上における火力運用で、これが皆無な日本騎兵は おそらく白兵戦で西洋騎兵に圧倒されてしまう。
293 :
世界@名無史さん :04/01/06 01:01
>>292 もうわかったよ。長々とウザい。
「〜の方が機能的」とか「互角であろう」とか「勝負にならないであろう」とか
全然根拠のない話はうんざりだよ。
銃兵。
西洋においては16世紀前半には既に火打式の小銃が出現しつつあったにもかかわらず、
日本では17世紀においてもなお旧態依然の火縄銃だった。
西洋の16世紀の火打式小銃は威力こそ劣るものの重量・運用・信頼性に優れ
特にその速射力は凄まじく弾幕の量がものを言う実戦ではおそらく日本の鉄砲隊は即座に射すくめられてしまうだろう。
火力運用戦術の差は
>>288 で言った通り。
スウェーデン銃兵を持ち出すまでもなく、テルシヲの銃兵にすら圧倒されてしまうとすら考えられる。
大砲は言うまでもないよね。
17世紀前半からバンバン大砲を使ってた西洋に比べ、日本では野戦で大砲が使われる事自体が
ほとんど無かった。これも既出なんだけどね。
>>293 妄言を吐く人が多すぎるから西洋の優位性を説明したまでです。
『戦国時代の日本が強い』ってのだって根拠の無い妄想だろ。違うか?
296 :
世界@名無史さん :04/01/06 01:08
>293 まぁこのアホコテは電波だけど言ってる事は筋通ってる罠 なんかだんだん勝てなさそうな気がしてきた
297 :
世界@名無史さん :04/01/06 01:12
>>295 いや、だから何の説明にもなってない。
妄言vs妄言のアラシ合戦をしたいの?
何の根拠も示さず「機能的だ」なんて主観的な感想で結論を導いてる
だけじゃないか。
同じ妄言ならもう少し簡潔に短くまとめてください。
日本が歩兵が劣るとは思えんが。 正面は負けるが地形の利用も心得てるし機動力も上じゃないか。 負けるのは砲を全面的に活用された時って気がする。 それより俺は攻城技術の方が西洋の方が上な気がする。 マウリッツって攻城戦の達人だったはずだよね。
300 :
世界@名無史さん :04/01/06 01:34
>>278 李舜臣の日記とかいうの図書館にあったけど
戦は占いで決定。
母親が死んだら職場放棄。
部下には極端な厳罰主義。
あまりのアホ将軍ぶりに頭くらくらしたぞ。
301 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:09
まあ、日本が全面的に劣っていたと言う事実は確定したな。 非常に勉強になったよ。
302 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:16
東南アジアに渡った日本人の戦争時の強さに恐れをなした西洋人が多くいたらしいが
303 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:22
304 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:24
世界最強はコンスタンティノープル、モンサンミシェル、ギルドクー等 大坂城が最強なのはあくまで戦争レベルの低い国内での話 世界レベルでは並 がファイナルアンサーでよろしいですな。
305 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:24
>>299 オマエがやりこめられてどうするよ(笑)
306 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:27
307 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:28
>>302 そりゃ、竹やり担いだ褌姿の半裸の集団は恐怖のまとだろうよ。
308 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:32
1600年ころは竹やりに半裸で戦っていタンか?
309 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:34
ハンニバルの象使いあたりだな。
半裸どころか全裸で戦っていたらしいよ。
311 :
世界@名無史さん :04/01/06 02:38
最後はち○この長さで勝負していたらしいぞ
戦国時代の日本では信長が3000丁の鉄砲を3段撃ちで使用し武田騎馬隊を 撃破したことがある。騎馬隊が鉄砲隊に対しそんなに圧倒的だったか疑問。 ここの戦闘力よりシステマティックの問題の要素が大きい。 体格でヨーロッパが圧倒しているは問題外。モンゴルはヨーロッパ人と比べ 体格でおとり、馬の大きさでも劣った。しかしモンゴルが圧倒した。
314 :
世界@名無史さん :04/01/06 04:07
当時でも体格差があったの?モンゴルと欧州
315 :
世界@名無史さん :04/01/06 10:18
>>304 >世界最強はコンスタンティノープル
コンスタンチノープルってそんなに堅固なんですか?
篭城戦で敵を撃退したことってあるの?
幾度となく陥落してるよね?
316 :
世界@名無史さん :04/01/06 11:15
>>313 あれは作り話だけど…
最近の調査では、信長が前日までに防護柵とその前に馬落としを設置
した。また前日まで雨で田んぼがぬかるんでいた。
勝頼は信長来援の情報を入手して一部を信長側へ回した。
進撃した所、泥沼にはまり銃と槍で撃退された。
317 :
世界@名無史さん :04/01/06 13:27
>>316 その馬防柵もかなり後ろまで倒されてたらしいが。
武田騎馬隊の前にもいろんなところで鉄砲隊の火力制圧を試みたが
失敗したりもしていた。(姉川の戦いも最初鉄砲で制圧しようとしたけど
磯野の突撃を止めれずそのまま後陣まで迫られたらしい)
318 :
ハタ坊ーだ城 :04/01/06 15:10
能力もあれですが、建築費用や時間、維持費などは、どうなんでしょう? 木造の日本のほうが、定期的に修繕費が掛かりそうな気もするけど?
319 :
世界@名無史さん :04/01/06 15:50
>>318 そういう想定問答は意味があるのかな〜?
日本に建てる西洋式石造の城vs日本に建てる日本式木造の城
なら石造の城に優位性はないと思う。
地震リスク、多湿による内装劣化、石材調達の困難さ、工期の長期化など。
日本の風土には日本式が合っているんだから。
日本では石造りだと地震で壊れるし、修繕の労力もバカにならない。 木造だとすぐ作れるし、漆喰や泥で防火対策も出来るし、増築もできる。 資源も豊富にあるし。小さな領主だと木で作るのが限界だろうしね。
>>315 テオドシウスの大城壁はいまでもイスタンブールに威容を誇っている。
世界最強のウマイヤ朝、アッバース朝に何年も包囲されても落ちなかった。
ギリシアの火(火炎放射器)の力もあって撃退。その他ササン朝、
ブルガリア人(数百年間抗争)、ロシア人など何十回(何百回?)も
包囲されたが、落ちたのは1204年の第4回十字軍と1453年の滅亡だけ。
十字軍の時は裏切りがあったから城の堅固さとは関係ない。
滅亡はメフメト2世が大砲を山越させて金角湾の向こうから撃ち込んで
ようやく城壁が崩れた。1000年持ちこたえた城壁はここだけだろうな。
322 :
世界@名無史さん :04/01/06 16:53
地形も関係あるんだろうな
Q:ナポレオンはチビだったというが、身長は何センチ位なのか。 A:フランス革命後の徴兵検査の記録などから考えて、当時の 平均身長は145センチくらいと考えられます。従ってそれ以下 の身長ということになります。 ↓サムライズ 織田信長の身長167〜9cm、伊達政宗の身長159cm 前田利家の身長180〜6cm、豊臣秀頼の身長180〜3cm
人は城、人は石垣、人は掘 情けは味方、仇は敵なり
325 :
世界@名無史さん :04/01/06 18:09
>>323 ナポレオンの身長は約170センチです。低くはありません。
周りの貴族が大きすぎたので小さく見えただけです。
当時の貴族と農民では栄養価が違うので身長が全然違いました。
よい物を食べている貴族の身長は今のフランスの成人男子とほとんど変わらないぐらい大きかったのです。
326 :
世界@名無史さん :04/01/06 18:11
>>321 たいしたことじゃないが、ギリシャ火は火炎を「放射」するものではないぞ。
上から注いだり、弾にこめて発射したり、布につけて槍に巻いて投げたりするものだ。
地震といえば、先のイランの大地震で昔のお城の遺跡が崩壊してしまったそうで。
330 :
世界@名無史さん :04/01/06 23:13
宋って、水滸伝とか南宋の騎馬民族への負けっぷりに 弱将ばかりの文弱国家の印象が強いな。 文天祥は漢民族じゃないし。
>>330 節度使などの地方軍閥に滅ぼされた唐の教訓から
中央集権の文官による軍事制御をやりすぎて
軍のヘタレ化&将校層の育成に失敗したんだよ。
332 :
世界@名無史さん :04/01/06 23:43
>325 現代フランスの成人男子の身長って、平均でそれほど高くないはずだけど。 パリを歩いてても周りの男たちはたいして大きくないって北野たけしが以前言ってた。
まあジシュカの孤児軍が最強だけどな。
石造りの城のほうが火攻めに対して強いんじゃネーノ?
335 :
世界@名無史さん :04/01/07 00:22
それはそうだ。
336 :
世界@名無史さん :04/01/07 00:30
大阪城は落城したが本願寺ががんばっていた頃の石山は落ちなかったぞ。
337 :
世界@名無史さん :04/01/07 01:05
現代フランス人の平均身長は173cmだぞ。日本人とほとんど変わらない。 ちなみにスペイン人も173cm。 でかいのは北欧の連中でデンマーク・ノルウェー・オランダあたりは180越えてる。 オランダ人が一番でかくて183cm。 ドイツ・スウェーデン人は178cm。アメリカ、イギリス人は175cm。 実はそんなに差があるわけじゃないんだが、日本は華奢な人が多いから小さく見える。
すまん、フランス人の平均身長は176cmだった。 それでも日本人の平均と4センチ程度しか変わらないね。 スペイン人はやっぱ173cmらしい。
339 :
世界@名無史さん :04/01/07 01:11
欧米人と日本人違いは背筋力に顕著に出ていると聞いたことがあります。 横の広がりと言うか、筋肉がつく面積が違うのでしょう。 身長は日本でも180越えてる人は結構いる。
>>339 モンゴロイドは大胸筋の発達が未熟らしいが
日本人はその中でも、一番未発達らしい
何でだろ?
ちなみに60年前のドイツ人の平均身長は169cm(まぁ日本は159cm程度だったけど・・・)。 ヒトラーが「美形で背の高いアーリア人種」を証明するために国勢調査を行なったのだが 調査の結果、実際のドイツ人に多いタイプは「丸顔・小太り・平均的な身長」だった。 有名なスコルツェニーはパイロット志願だったが、身長が185cmもあったために戦闘機に乗れず 空軍に拒否され武装SSに入隊した。
342 :
世界@名無史さん :04/01/07 01:19
>>340 黒人から分化した時に何かがあったんでしょうね。
まあ、身長ではなく体のふくらみ方が違うと思います。
>>340 筋肉の付き方は骨格でほぼ決まる。日本人の肋骨は幅が狭く、しかも突き出ていたり
逆に漏斗胸だったりする場合が多いため、意識して訓練を積まない限り上半身はあまり発達しない。
黒人・白人・黄色人種では骨の構造が全然違う。熟練した死体鑑察医は
白骨の一部を一目見ただけで人種を特定できる。
黒人のスタイルが良いのは大腿骨が真っ直ぐだから。一般にモンゴロイドは強く曲がっている。
黄色人種はなんで他の人種に比べて体格に恵まれないのか? 進化の過程で体が小さい方が都合がいいことがあったのかね? ヒトは霊長類(チンパンジー)のネオテニー(幼形成熟)だという説があるが、 その中でも最もネオテニー化が進んだのが黄色人種なんだろうか。
345 :
世界@名無史さん :04/01/07 03:15
346 :
世界@名無史さん :04/01/07 03:38
言語の違いもあるのではないかと。アゴとか肺とかは。
こらこら日本の末次が3位入賞したじゃないか。
348 :
世界@名無史さん :04/01/07 04:24
>>38 福岡城もそうだと聞いたけど。朝鮮の城も研究したそうな。
>>44 雅叙園みたいなもんかなぁ?w
戦争に適しているのは小さい体。 兵糧:運べる量に対して消費量が少ないので有利。 機動力:エネルギー消費が少ないので長距離長時間移動可能。 戦闘:武器をもてば体格差はないに等しい。 負傷者を運ぶのもらくちんらくちん。
よ〜し、俺も甲野善紀先生に弟子入りするぞ
>>349 戦前の日本の小自作、自小作農家では、12〜15歳ぐらいになったら
次男坊以下はみんな農作業に従事させられたそうですから
成長期に俵とか担がされて、身長がそこで止まってしまいずんぐりむっくりとした体型になってしまう
まあ、過酷な重労働させられた分、体力や運搬能力は鍛えられ
精神的にも上からの命令には寡黙に従う人格が形成されたそうです
これで優秀な歩兵の一丁あがり
戦後、平均身長が伸びた理由は成長期の重労働が行われなくなったから、とかいう話があります
352 :
世界@名無史さん :04/01/07 10:39
12世紀以降傭兵が増えたために城の造りを変えた(裏切り防止で それぞれの塔に独立配置)とかいう話を聞いたが、それで問題解決となっただろうか?
海外の場合、異民族から市民も守らにゃならんから #捕まったら皆殺しってヴァイキングあたりだっけ 町ごと守るため都市になったとか言う話を聞いたんだけど。
日本や中国は伝統的に将校以外の捕虜は取りません だからやっぱり捕まったら皆殺し
日本は殺しはしないよ。 上杉謙信などはあちこちに遠征して人狩りをやってる。 人身売買や身代金で稼いでいたわけだから、殺さない。 伊達政宗らの撫で斬りが特筆されるのはめったにない皆殺しだったから。
357 :
世界@名無史さん :04/01/07 20:34
>>348 >朝鮮の城も研究したそうな
そうでなくて黒田長政自身が朝鮮で築城した機張倭城のノウハウを
福岡城に活かしたということ。
>>278 明と豊臣軍の間で和議が成立し、明は人質を差し出して日本勢をさっさと撤退させようとした。
それを聞きつけた李舜臣は明の水軍提督を唆し明の水軍と共に講和破りの包囲陣を敷いた。
虎口を塞がれた形になった日本側は、今までのどうでもいいやって感じの戦闘ではなく、
死に物狂いの猛反撃でこの包囲網と戦った。
結局李舜臣は蜂の巣にされ、朝鮮水軍も壊滅。
明水軍もケ子龍ら将軍級で戦死者を出し、制海権を奪い返され、
何よりこの戦いの目的だった小西行長の首も獲れず、無傷で帰国させてしまった。
名提督にしては最期が寂しい。
最後の最後で火病ちまったな…
359 :
世界@名無史さん :04/01/08 15:11
1600年時点の日本は強かった。オスマン・トルコやムガール帝国には かなわないが、欧州諸国とは互角。戦術がうまい。 当然、城の堅固さもトップクラスで、小田原城や大阪城も見れば分かる。
360 :
世界@名無史さん :04/01/09 10:15
>327 それは初期のギリシア火、「荒野の火」と呼ばれているもの。 液状のものもあり、それは「海の火」と呼ばれた。最初、ギリシアの火 は前者しかなかったが、「海の火」が主流となった。これは主に船に 搭載されていてサイフォンによって敵船に火炎を吹きかけたりしている。
>>357 俺はてっきり島津&小西が包囲されてボコボコにやられたけど
たまたま李舜臣が流れ弾に当たって死んだから
なんとか逃げられたのだとばかり思っていた。
「ビジュアル日本の歴史」にそう書いてあったもんで。
そういえば朝鮮出兵で日本の主な武将って討ち死にどころか捕虜にすらなってないんだよな。
元寇の時はどうだったんだろう?
包囲されたのが小西軍で、それを救出すべく 海上封鎖した明、朝鮮水軍に突っ込んでいったのが島津水軍。 九鬼水軍ならまだしも、海戦経験の浅い島津水軍に海上封鎖を食い破られたあげく 全滅させられた朝鮮水軍は惨めこの上ないな。 だいたい「撤退する」と宣言している精強な部隊を無理矢理閉じ込めて、 必死の反撃を誘発させて 巻き添え食らったわけだから明水軍からしても露梁海戦なんて何も意味の無いものだ。
364 :
世界@名無史さん :04/01/09 22:19
大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である! いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!! なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ 我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!! 我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを! そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを! 亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・! 見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!! 顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが武士道と共にあるのかを!! 我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ! 今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである! 繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
スレをざっと見て、なんか西洋の城は火に強い(日本の城は火に弱い)みたいな事が書かれていたけど、西洋の城も火には弱いよ。 中世の城のつくりを見てると、平地に掘りつくって橋渡して適当に石組んだだけの簡単なものも多いし。 城というよりは砦、駐屯地。 作りも簡素。 全部が全部石で作っているわけじゃないし、構造上吹きっさらしで風が入り込みやすい。 まあ、逆に暗くてじめじめしていることも多いけど。 概観とか内装とか立派で、いかにも頑丈そうに作ってあるのはよほど大きな城か後世に作られたものや改修されたものも多い。
ヴォーバン元帥は完全に江戸時代の人間だからなあ。戦国期の城とは比較できんか。
>>366 まぁ、シャルル8世によるイタリア戦争で生まれた「イタリア築城術」で造られた城も
なぜかヴォーバン建築になってたりするが。
ロードス島の聖ヨハネ騎士団の城砦も有名らしい。
かなりスレ違いだが 日本の地震と海外の地震って犠牲者の死因が違う気がするなあ。 海外は地震そのものによる建物の崩壊で死ぬ人が多いけど 日本ではむしろその後の火災や津波による死者の方が多いような。。。。 阪神大震災の時も地震そのものよりもその後の火災による死者の方が多かったし。 (長田区や兵庫区の下町の火災は本当に凄まじかった。) まあ日本においては必ずしも 「3匹の子豚」の話(レンガの家>∞>木の家≧藁の家) が当てはまるわけではないのだろうかね?
370 :
世界@名無史さん :04/01/19 22:35
ヨーロッパの城の詳しい内部画像を見たいのだが、内部を載せてるサイトが全然無い。 内部は撮影禁止のところが多いのか?
>>369 日本の建物の方が地震には強いよ
ソースは関東大震災の記録
最初に伝統的な西洋式の煉瓦の建物が壊れ
次に伝統的な日本式の木造の建物が壊れ
最後にコンクリートの建物が崩れた
海外って言うか欧米でつぶれる人が多いのは
向こうの地震対策の基準が日本より遙かに低いから
あと向こうは重武装火事場泥棒による被害もかなり多いw
ウィリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィーーーーーー
>371 比較の対象としては関東大震災時の伝統的な西洋式の煉瓦の建物を 向こうのオリジナルと同等扱いにしていいのかとは思うが、 ギリシャやイタリア辺りの地震での倒壊とかをみると 指摘したいこと自体は概ね間違いでもないと思う。 後ろ二行は若気の至りって事で今回は許す。 ところで城の実質使用年数てどれぐらいだったんだろうね。 改装増築は日本のうわ物の方がいじりやすいかなと素人目には見えるんだが。
373 :
世界@名無史さん :04/01/21 00:38
>>369 地震の後に発生する津波(欧米名・tsunami)は有名ですからな…
374 :
世界@名無史さん :04/01/21 00:54
956 名前:952 投稿日:04/01/20 19:38
>>953 そのスレ見ないで返答するけど、相手が知らないスレで自分だけで宣言したルール
で何の説明もなしに失礼な事をするっていうのは大人の態度とは思えませんよ?
社会人なのか学生なのか存じ上げませんが、そういう態度は世間では通らないと
思います。
老婆心ながら付け加えさせていただくと、有象無象はともかく、このスレで信州人さんが
書き込みされた内容は小生ハッとするところも無いではないので実の所山野氏がどう反論
するのかには興味があったのです。
嫌韓厨と書かれましたが、信州人さんは別にあなたに対して何ら侮辱的発言を行なった
訳でもありませんし、別に嫌韓的な発言をされたわけでもありません。
それなのにあなたが一方的に失礼を働くというのはちょっと世間での評価を落とされる
のではありませんか?
957 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:42
>>956 いや、性根が腐っているんだってW
誰も知らない自分ルールで誰もがひれ伏さなければならないと思っているんでしょ。
当の相手は何も知らないのにね。
常識があれば、まず相手に断ってから自分のルールを通すというものでしょう。
社会人としては通用しないよ、こんな馬鹿。
958 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:47
>>956 おいおい、953は偽者だって・・・・・そのスレ年末年始スレだよ。
補修
おいおまいら、19日から教育テレビで木曜午後7時に 『ヨーロッパ城物語』 をレギュラー放送でつよ。
アルカザール以外道でも吉
378 :
世界@名無史さん :04/02/16 23:27
崩れかけた城壁や半ば埋もれた石垣ってなんとなくロマンを感じないか? というわけでage!
379 :
世界@名無史さん :04/02/16 23:29
>>378 はげどう。
崩れかけ荒れ果てた城に歴史の重みを感じます。
このロマン主義者どもめ。貴様達は現代文化を古代の残骸とみているのだ
一人の騎士が壊れた城にこっそり測量士送って計測させて、 主君に反乱起こした際に迅速に補強工事&篭城。 ってな話が西洋でありましたっけ。 結局は攻め落とされたわけですが(w
まあ適材適所ってことでそれぞれ一長一短。 進化の過程が違うのに一概に比べることはできんでしょ。 と、流れを無視した発言をしてみる
欧州の城は、ドレスのお姫様を連想させる。 日本の城は、チョンマゲのハラキリしか連想させない。
385 :
世界@名無史さん :04/03/16 00:09
「ういやつじゃ」 「あ〜〜れ〜〜〜」 ハアハア
387 :
世界@名無史さん :04/03/17 11:14
>>383 小袖のお姫様はちゃんと厠で用を足すけど
ドレスのお姫様は庭でウンコを垂れ流すぞ(w
388 :
世界@名無史さん :04/03/17 11:20
我が大日本帝国のォォォォ要塞はァァァァ世界一ィィィィ
我がフランスのォォォォマジノ要塞はァァァァ世界一ィィィィ
390 :
世界@名無史さん :04/03/18 00:11
rnm、 ,,/`V`ヘーヘ、ー-、─---ー-;:へ-、r'⌒(IIIIII) ,/ ィ__ィヽ_、、、、、、, ,, , _ _/ `ヽ`<:(IIIIII) . , ‐-、/ l: ``ヾ.ヾヾヾi i i 〃 〃 , i :. ..... \(IIII) d{lii:. .}ミ、 :l::. .:::\ {R三i∠、ミ ,' ,'| l::.. .:::::::.... l、\ ゞ=彡)) ハ :. .:: {`,F、セ<'eニァVr、! ::l|:::::::: ヽi \ 我 ),::f´ /::..} .::: .イ } ゝ=スノ`⌒' }yノ! :: l::::::: ハ. 〉 :}\ 世 が /,' :| l :::::| :/ | l 〉 !f`ニニア ' |ヘ、|!::! ヽ:::: .:::::} n|:...;リ } .界 ナ . // ::l | :::l..:l::.l Y ヘ l`二ニ′イ ; ト|::ト、:::::::. .:::::/ リヽ/__/ト、 .一 チ _/〈 ::l ; : l.:|, ! -┴-ゝレ‐-v'´;ノ ; | | l ::\::、::.. / ト{ i|ヽ イ .ス (@ ;\.::::| l /..::: ::::_,.ノ 不´;∠::-‐'¬、l ヽ::::::::::.ー-‐'´ ヾ⌒! } イ の . \,,, ,リYn<〜'二ニ´-‐'´`y'´fn) ヽ:、ヽ:::::::::--‐' {ミ{ー() イ .科 `Tヽ)ノカ)く rf'⌒Yク7./ |||: __fi_;ヽ\ ::::::::.. , じヘ/ イ 学 ,ゝ=彳0j }iヽiレoニ'';;‐ 、0ト@ニつ-─。ァ=c! ヽ ::ーニ´ , } イ .力 ( 〈//9_ノl!::.. }トィ、rf7>カ| | Ll¬jjjDカミ!:::! }、ー=:::.... / ,' !! は ノ {:::......|i|⌒)、∵Liヽ ||| |=!| |..|nmhシト、| ノ、ゞニ三;´/ ァ ( :i!`ー≦刋」」ミ∵∴l ||| | 「l」ルr‐<く<ヽヽ.( リノ K- ,ゝ ァ ゝ :|! _{三ョナカ`==彡ニワ[∈'H、__ノヽ/}| }\\レ `ソ ァ r' :|! 「:::::::〈::(二):)ニ:‐-く∠匚| 「| レ1,ィ ノル':::、::\`く ア .{ ト、/ =三≠-二ニ -::、::::\{::| l_| |.7y'‐ァ ヽ\\\ ア ヽ__f`! \‐=ニキ ー-ニ‐- \::::`yー-'//∠_ i ヽ ヽ. \ ア  ̄ { | \ ーチ ニ=‐- 、\ヽ/ {ニココ> :| i ヽ ヽ l ! ヽ.`メ -─== \ ヽゝ {─┼!> :l .) :}
防御という意味ではまるで機能しなかったであろうが、 安土城は日本において画期的なお城だったんだろうな
>391 そうなの? 信長の寝室が最上階にある点が画期的だとはきいたけど。
393 :
世界@名無史さん :04/03/18 02:17
>>387 ドレスのお姫様がおしっこ垂れ流している方が萌えますが。
ウコンは流石に勘弁ですが。
>>392 最上階ではないよ
7階建ての天主の4回だよ
395 :
世界@名無史さん :04/03/18 19:36
日本のお城は桜の名所になってるところが多いけど、欧州のお城は なにかそういうのってあるのかな?
幽霊の名所
スレ違いで何だが、
>>357 >>361 >>363 かなりな事実誤認識がある。
李舜臣が死んだ最後の戦いは講和の最中ではない。
秀吉が死んで撤収する日本勢のしんがりとなった小西を包囲。
それを島津が救出に向かって、その戦いの最中に李舜臣は戦死。
明朝鮮の水軍は島津救援によって包囲を解かざるを得ず、
結果的には敗退したが、全滅はしていない。
通常の歴史読み物やあちらの記録は日本が敗北したように書かれているが、
真相は逆。この点は同意。
講和の最中に朝鮮水軍が日本の船を攻撃したという話は、
前役(文禄の役)の最中ではないか。
ただあの頃になると日本側も対策を心得ていて
大きなダメージは受けていない。
399 :
世界@名無史さん :04/03/20 06:48
スレ全部読みきっていないので既出かもしれないが、
>>398 にちなんだことを言えば、
文禄慶長の役の後、日本国内では十数年間に渡り、城建設ブームが起きた。
一国一城のこれらの城が現在まで伝わる近世の平城として目にする事ができる。
これらの城の防御の主眼は小銃防御の思想という。
ところが文禄慶長の役に関して一般には、
「明軍の大砲にてこずった」
と言われている。
その大砲による攻撃への防御思想も当然導入されている。
「大砲」による攻城戦を日本が経験していないというのは誤りで、
文禄慶長の役ではそれを目の当たりにしている。
その戦訓から熊本城は築かれたという。
400 :
世界@名無史さん :04/03/20 06:49
したがって、一見「小銃防御」中心と言われる近世日本の城も、 実際は当時の大砲のレベルに合わせて造られているわけだ。 明の最も優れた大砲は時代遅れな西洋のフランキ砲だったというが、 当時の砲撃力への防御として日本の城は十分であったのではないか。 実際、文禄慶長の役で日本側が本格的に築造し防御した城は一つも落ちていないし、 数年分を持ちこたえる兵糧も蓄えられていた。(古米処分のことまで考えていたらしい) 上屋の脆弱性が言われるが、これは武器庫、望楼の役割で、防御の主体ではない。 当時の砲撃力でそれら施設を一瞬にして破壊する威力は考えられず、 (命中率、発射速度、破壊力)居住空間、武器兵糧の備蓄に関する対処は、 長期篭城なら可能だろう。 まして石垣を砲撃で破壊し尽くすのは無理。 西洋における17世紀以降の軍事技術の発展をこれらに適用するのは無意味。
401 :
世界@名無史さん :04/03/20 11:43
美しさでヨーロッパの城に敵う訳ねえだろ。特にドイツやフランスの城は。 日本の地味でワンパターンな城がどうも迫力を感じない。
402 :
世界@名無史さん :04/03/20 12:01
403 :
世界@名無史さん :04/03/20 12:41
>>401 藻前は童貞だな。
童貞は夢見がちで理想が高い。
ヨーロッパの城に期待しすぎ
404 :
世界@名無史さん :04/03/20 12:59
日本の城が叩かれて偉そうにするな。 お前の適当な理論が短絡的だよ。 しかし本当に日本の城の構造って独自なのかね? ヨーロッパの影響を受けてあのように何段重ねになったと 言う説を呼んだ事があるが。
405 :
世界@名無史さん :04/03/20 13:00
>>404 例えば16世紀以前の欧州のどんな城が
モチーフになったの?
406 :
世界@名無史さん :04/03/20 13:02
>>405 知らん。俺はあくまでも「どうなんだろう?」の程度だし。
それを確かめるのにどうぐぐればいいか分からん。
でもやっぱりヨーロッパの城は住みにくそうだな。 映画なんかでも外は立派でも中はジメジメしてて真っ暗じゃん。 まあ映画は多少の脚色はあるだろうけど。 日本であんな城建てたら半年ぐらいで黴とシロアリにやられそうだな。
>>398 ハァ?釣りですか?
お前さんは
>>398 で
>>357 >>363 のカキコと同じ意味のことを
なぞって書いてるだけじゃん。
それで「かなりな事実誤認識がある」って…。
レス返す前に読解力つけなよ。
>李舜臣が死んだ最後の戦いは講和の最中ではない。
秀吉の死後、家康により全軍撤退命令が出された。
明軍はこの時期攻勢に出て、各地の倭城を力攻めしたものの
大抵失敗し、特に泗川城、順天で大損害を出して敗退した。
この泗川城、順天での敗戦に懲りた明軍は小西軍と和議を結び、
人質を差し出して『日本軍の安全な撤兵・帰国』を確約しているんだよ。
>明朝鮮の水軍は島津救援によって包囲を解かざるを得ず、
>結果的には敗退したが、全滅はしていない。
もともと李舜臣の提督復帰の段階ですら、軍船13隻と規模を小さくしていた上、
戦いの結果、その頼みの提督を失った朝鮮水軍は壊滅だろうが。
2,3隻残っていたとしても、
もう組織的な行動もとれないから水軍としては全滅といっていい。
健在だというならその証拠は?
名護屋帰還中の小西軍、島津軍を追撃したとかの記録でもあんのかい?
ちなみに明水軍が全滅したなんてどこにも書いてない。
もう一回
>>357 >
>>363 を良く読み直すべし。
409 :
世界@名無史さん :04/03/20 18:13
>>408 李舜臣の功績って、無茶苦茶誇張されてるんだな。
しかも20世紀に入ってから。
大体李舜臣が英雄視される様になったのも、日帝時代以降で
親朝鮮の日本の学者が、歴史に埋もれてたのを取り上げたのが
きっかけだっつーからね。
補給を断った海賊ゲリラ戦だけで、正規の海戦では武功がないんじゃ
李朝時代に英雄視されてなかったてのも、よく分かるな。
NNNキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!
412 :
世界@名無史さん :04/03/21 02:15
>>408 スレ違いながら、申し述べます。
いやはや、そういう史実(和議成立)を私は知りませんでした。
話の辻褄を合わせるため、あなたのレスを順を追って確認しておきます。
> 秀吉の死後、家康により全軍撤退命令が出された。
> 明軍はこの時期攻勢に出て、各地の倭城を力攻めしたものの
> 大抵失敗し、特に泗川城、順天で大損害を出して敗退した。
これは了解します。
> この泗川城、順天での敗戦に懲りた明軍は小西軍と和議を結び、
> 人質を差し出して『日本軍の安全な撤兵・帰国』を確約しているんだよ。
私が読んで知った範囲では、明側と小西の和議交渉はあったが、
明側がそれを蓑にして小西を陥れて捕らえようとしたが失敗。
その後攻撃に移ったとのことです。
くわしい事は分からないのですが、相互不信の状態のまま戦端が開かれ、
とても和議が「結ばれた」とはいえないのではないかと思いますが。
詳しい資料、書籍などあれば紹介してください。
> もともと李舜臣の提督復帰の段階ですら、軍船13隻と規模を小さくしていた上、 乱中日記などの李舜臣の記録では、復帰最初はそんな状態でも鳴梁海戦勝利のあとは 信望厚くなって人々が集まり、勢力は当時10倍に膨れ上がっていたということらしいです。 その「10倍」の戦力と明軍を合わせて小西を襲撃。 島津との一戦に及んだという事です。 > 戦いの結果、その頼みの提督を失った朝鮮水軍は壊滅だろうが。 > 2,3隻残っていたとしても、 明(絵がある)朝鮮側の記録(李舜臣の記録)では、その戦いは壊滅どころか、大勝利ということのようです。 > もう組織的な行動もとれないから水軍としては全滅といっていい。 > 健在だというならその証拠は? 私は全滅とも健在とも言ってません。 ただ戦場を後退し小西脱出を許さざるを得なかった事実を述べているだけです。 (彼我にどのくらいの損害があったか実際のところは不明)
> 名護屋帰還中の小西軍、島津軍を追撃したとかの記録でもあんのかい? > > ちなみに明水軍が全滅したなんてどこにも書いてない。 > 海戦経験の浅い島津水軍に海上封鎖を食い破られたあげく > 全滅させられた朝鮮水軍は惨めこの上ないな。 、 >> 明朝鮮の水軍は島津救援によって包囲を解かざるを得ず、 >> 結果的には敗退したが、全滅はしていない。 というふうに述べましたが、これはあなたの > > 海戦経験の浅い島津水軍に海上封鎖を食い破られたあげく > > 全滅させられた朝鮮水軍は惨めこの上ないな。 というレスに対するものです。 まあ、これは蛇足ですが。
要するに・・・・・ 私が指摘したかった「事実誤認」というのは、 > 明と豊臣軍の間で和議が成立し、明は人質を差し出して日本勢をさっさと撤退させようとした。 > それを聞きつけた李舜臣は明の水軍提督を唆し明の水軍と共に講和破りの包囲陣を敷いた。 という点で、 これを見ると、日本と明との間では和議が成立していたのを李舜臣(朝鮮)が、 勝手に戦を仕掛けたように見受けられます。 ところが実際の海戦には明も参加しているのですから、 明との和議成立とはとてもいえないし、双方交戦中と解釈するのが自然ではないかと思われたからです。 「和議」という言葉からは、やはり前役(文禄の役)での、 ソウル在陣中での日明交渉のことを思い浮かべますので、 その点と誤解されているのではないかと愚考いたしました。 しかし、あなたの意図とするところは分かりました。
ヨーロッパの城って言ってもフランスのロワール川沿いにあるような奴(よくフランス旅行でオプションツアーにある城廻に出てくるような) 城としての役割より(守備)貴族の道楽で作った感が強いんじゃないか?
417 :
世界@名無史さん :04/03/23 09:09
世界中の名城を見るとやっぱ日本の城って芸術的に未熟。と言うかシンプル。 しかもどれもこれも同じに見えて。
見る目がないな。
城はそもそも芸術とは関係ないんだけどねw もともとは防衛の物だけら。 戦国時代の一般的な城はその実用性のあった防衛用の山城が主だし 信長が立てた安土城が政治的な意味合い(権力を現すための象徴的な建物) のはじめだと思うが、あれは実用的には使えない城だからね 大手門から天主まで一本道だったみたいだし。 天守で泣く天主だったしね(中に仏塔まであったそう) ヨーロッパの城にしてもそう。中世の防衛のための城はどれも簡素なつくりだよ 後世に立てられた貴族の城は城というより御殿だからね。
420 :
世界@名無史さん :04/03/23 10:20
>>417 なんでこういトンマがいつまでも存在してるんだろう?
なんで世界の多様性と、日本一国の多様性を比較するんだろうか?
421 :
世界@名無史さん :04/03/23 10:23
>>420 なんでこういう厨房がいつまでも存在しているんだろう?
422 :
世界@名無史さん :04/03/23 11:37
自分以外の人間の嗜好性を自分のそれと比較して語る愚を好んで犯すのは 自分の蒙昧さを他人にアピールしてるようなものでしょ。
春休みか・・・・
平時から庭で運こたれまくりの宮殿や城はちょっと・・・・ 漏れが兵士として駐留するなら日本城の砦の方がいい
425 :
世界@名無史さん :04/03/23 22:29
でもさ、姫路城などすごいと思うけどね。木造であれだけの大きさと高さを もった建物って世界的に見ても希なんじゃないかな。また芸術的に見ても評価 高いと思うよ。
426 :
世界@名無史さん :04/03/23 23:24
?
っていうか、木で城砦をつくるな。 あほでつか?
春厨増えたな・・・
>>424 糞便は疫病の発生源になるから欧州の城郭はキチンとトイレを整備してたんだが…。
>>425 どう見ても木造じゃねーだろ。
>>428 木造の城壁・城郭は世界中に普通にあるぞ。
トイレなら日本の城にもあっただろ
>>424 塔の中に便所穴があり、そこで用を足すとそのまま汚物が下の空洞を通って
1階まで落下→回収という構造の城もありました。
>>428 例えば初期のモスクワなどは城砦といい町の家屋といい木造の粗末な
ものであったそうですが。
モスクワは田舎だもんねえ。 イヴァン・カリターの頃ようやく他のルーシ諸都市から頭一つ抜け出たくらい?
436 :
世界@名無史さん :04/03/24 09:43
木造は使い捨てカメラかインスタントラーメン
437 :
世界@名無史さん :04/03/24 10:10
石造の城とはいっても、床や天井、屋根、窓、扉は木造だからね。 外壁漆喰、三重瓦屋根の日本の城と比べて、特に耐火性に違いはないよ。
そういやスレ違いかもしれないけど中国付近の築城技術ってどうだったんだろう? なんせ紀元前付近に数十万レベルで戦争してた地域なんだから。 昔「墨攻」を読んだ時に、 城壁の攻め方は3つある 一つは壁を破ること、一つは壁を(飛び)越えること、一つは壁(の下)を(掘り)抜けること みたいな一節があって、いやーさすが中国はレベルが違う、と感心したり。
439 :
世界@名無史さん :04/03/24 14:29
そういうば、フビライハーンが得意とした城攻めの先方は、 城(都市)のかなり(数十`〜数百`)手前から、軍を大きく横に展開して わざとゆっくりと進軍する。住民や遠方の警護兵が余裕で逃げれる速度で 進軍して、莫大な人数の難民や退却兵を城に追い込んでいく。 人で溢れかえった城は兵糧も早く尽きるし、難民を嫌って城を閉ざせば 難民と城内の兵とが戦うことになる。 民衆を追い出して城に立てこもる将軍や君主を恨むことで、城外の兵や 民衆は容易にフビライ軍に寝返る。
440 :
世界@名無史さん :04/03/24 14:46
凍てついた豆満江を渡って命からがら逃げ出してきた脱北者だからといって、 情にほだされてはならない。彼らは単なる密航出稼ぎ労働者に過ぎないのだから。 完全な標準語です。
441 :
世界@名無史さん :04/03/24 18:34
>なんせ紀元前付近に数十万レベルで戦争してた地域なんだから。 そんなのを信じているんですか。
442 :
世界@名無史さん :04/03/24 18:44
聖学院大学の神谷真理子さん、かわいい。
443 :
世界@名無史さん :04/03/24 19:39
日本の城は「土」と「木」、西洋・中国は「石」 やはり、町全体を高い城壁で囲んだ西洋型の城の方が責めにくいんではないでしょうか? 東ローマのコンスタンティノープルなんて三重の石垣に林立する登楼。 さすが1000年の都って感じですか?
アラブ軍は攻城戦が苦手なように民族の戦争には得意不得意があるんだろうけど 日本の城が萌えやすいってのは実際どうだろう? 石垣の城は地震には強いらしいね。あの土台がいいそうで さて、世界の中の日本を語るというのは非常に面白い試みで そこで私も天狗党的見地から比較してみたんだけど 神州はいざとなれば神風が吹くから城なんて美を競えばそれで良いんじゃないかな 現に第二次世界大戦において神州不滅の気迫を持って竹槍でB29を 落としたという記録もある
445 :
世界@名無史さん :04/03/24 22:45
>>443 だって日本は城下の民までを惨殺しないもの。
城下の民は殺されないとしたら、余計な多数の人間を城内に
囲い込むのは帰って不利。
>>425 木造なのは、姫路城じゃなくて「姫路城の天守閣」だろ。
>>436 城壁が木製から煉瓦や土に移行したのは、たいてい高さを稼ぐためであろ。
城壁を壊しても防御側は壊れた箇所に戦力を集中させる上、出来た穴は当然小さい
ので突破を試みられる兵士も制限される。そして手間取ってる間に修復されると。
なので攻城兵器や築城術が発達する以前の時代、攻撃側は出来ることなら乗り越え
ようとするわけだが、ならば材質は問題ではないと。
火をかけようとしても、城壁の近くでは色んな物が落ちてくるので火を付ける余裕なぞ無い。
それにギリシア火とかでもない限り、火が大きくならないうちに消すのはそう難しくない。
>>438 いや、西欧とかでもその三つのセオリーは同じだぞ。
例えば第四回十字軍でコンスタンティノープルの城壁は、一回目は攻城梯子で、二回目は船に
立てた攻城塔で乗り越えられて陥落してる。
(ヴィルドヴィアン著『コンスタンティノープル征服記』講談社学術文庫)
ガイヤール城包囲のトンネル作戦。(2章の6段落目、ガイヤール城図のすぐ上)
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/war/ac13/ac13ang.htm 何故かは知らんがこのサイト、有名な「トイレの通気窓から進入されますた」という話を省いてるな。
投石機や衝角には言及するまでもなし。
>>443 いや、中国は「泥と土」。殷どころか竜山文化まで遡れる「版築」という、地面を低く掘って
その穴を好みの高さまで高くした木製の枠で囲い、その中に泥や土を敷き、それを突き
詰めるという工法が基本になっている。後代に至っても、石のタイルと煉瓦で表面を覆って
たりするだけで本質は同じ。
それと、中国西欧関わらず城壁は攻城鉤で引き倒されないために木の杭などの土台で
固定してる。なので、トンネル作戦ではトンネルをそのまま城内にまで伸ばすやりかたよりも、
土台を焼いて城壁を崩壊させる方がより簡単で一般的。
北京の紫禁城 平壌の高句麗平壌城 サンクトペテルブルグのペトロパブロフスク要塞 城壁、川で仕切って門で守るのでも色々ありますな
>>449 >平壌の高句麗平壌城
小西が明を迎え撃った城で、たいして役に立たなかったのだろう?
朝鮮の城は宛に出来ないから、日本式の城を築いた
というのが16世紀末の現実だった。
451 :
世界@名無史さん :04/03/26 11:05
日本の城が木造木造と言われてキレてる奴が居る。 木造じゃないと言うのも無理があるのにな。
452 :
世界@名無史さん :04/03/26 11:25
石垣部分はともかく、どう見ても建造物は木造だろ。 木造だったら、僕らは創建当時の名古屋城天守閣をこの目で見れたのに・・・ アメリカが憎いんじゃあ!ギギギギギ
453 :
世界@名無史さん :04/03/26 11:32
>>452 ちょっと予想外の展開。
レスを見るのが怖かったけど。
失礼、 >木造だったら、僕らは創建当時の名古屋城天守閣をこの目で見れたのに・・・ じゃなくて 木造じゃなくて石造だったら、僕らは・・・の間違いね。 城は土蔵造りのはずだから、結局木造だ。 確かに外からの火には強いかもしれないが、一度火がつけば完全に焼け落ちる。 名古屋城の焼け址は本当に何もなしのすっからかん。 西洋の城は外壁は残るが。
しかし、なんだな。日本の城普請の基本を理解せずに、矢倉や天守閣を 日本の城の主要構造物だと信じ込んでいる連中が大杉だな。 堀と石垣が日本の城の恒久主要構造物であって、木造部分というのは 軍事的にはそれほどの意味を持っていない。 たしかに、見た目では木造建築物の部分が主要構造のように見えるのは 事実だがね。
456 :
世界@名無史さん :04/03/26 21:52
>>455 たしかに。
木造部分は戦争前に自分たちで焼いたりもしているしな。
忍者とかの工作員(諜報員?)はどのぐらい城攻めに貢献できたんだろう・・・? 海外にもそういう類の工作員の名称とかあるんだろうか?
458 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/26 22:48
尼子経久が鉢屋の協力を得て月山富田城を攻め落とした話とか、伏見城内の 甲賀衆が内応した話とか、原城内に潜入して兵糧を奪った話とか。 なお原城攻めに参加した伊賀・甲賀者はほとんどが40歳以上で、総勢10 名の中でも望月兵太夫(63歳)と芥川清右衛門は伏見城篭城戦時の生き残 りでした。兵糧奪取以外に城内の歌(多分オラショの類)を探ったり、銃眼 などの数や位置を調べて戻ったりとなかなか活躍している。 島原の乱に参加した各大名家にも乱波はいたようです。もっとも細川家の記 録によれば御当家の乱波10人は派遣してもなかなか帰って来ないので見に 行かせたところ、竹束の陰で震えていたそうですが。 望月ら幕府方の面々も石礫などに負傷して治療を要した事がありました。
>>455 は?日本の城は石垣+塀・櫓で城壁。木造部分も立派な主要構造物だが?
狭間って知ってる?
軍事的にはそれほどの意味を持っていないって・・・
現存するあるいは再築された日本の城の多くは国崩し、すなわち大砲対策の 平城であえて木造漆喰の城だと聞いてます。大砲はレンガあるいは岩積みの 城だと被害が大きくなってしまい、砲弾がのめりこんでしまうだけの漆喰の 方がより防御の面で優れているそうです。 逆に欧州の城は多くは王権の圧迫で財政事情が悪く前面改装できないために レンガの城を一部改築したと聞いてます。したがって、岩あるいはレンガ= 堅固、木造・漆喰=非堅固といった固定観念ではなく、かっての宮崎市定氏 が行ったような科学的アプローチが専門家ならずも民間の研究者にも必要と 思います。…専門分野外で偉そうにごめんなさい。
461 :
世界@名無史さん :04/03/27 01:02
全く同意。 先の大戦でも我が国は木製戦闘機の開発を 馬鹿にして取り組まなかった為に戦争後半機材の不足に 苦しんだ。 一方ロシア等は木製戦闘機の開発により 大きな成果を挙げた
へぇー、紅の豚さんは木製飛行機やったけど当時は主流?みたいな?感じ?
>>461 禿同。このスレの連中は木を軽視しすぎ。
北朝鮮では現在も木造飛行機が現役である。
日本のような温暖多雨地域では木の成長が早い。従って木材の入手が容易である。 加えて中東地域のような石油が大量に出て火攻めが容易というわけではないので、 木材を多用することは理にかなってる。 火攻めをしようにも雨季は避けないといけないし、河川から容易に水を入手 し易いし、島国の特性上水は海からも得られる。 中東では水攻めは考えられぬが日本では水攻めが行われる位だから、木造でも 費用対効果で合うのだろう
英国の殆ど木製の多用途機モスキートなんかも大活躍してるけどね
>>463 ただ北は… w
北の、あの飛行機は南進用の小型機だろうけどね
466 :
世界@名無史さん :04/03/27 13:14
城の話をしてるのに今度は全く関係ない飛行機か。w
>>430 知らなかった。
漏れ中学の先生から教えてもらってから
今までずっと中世のヨーロッパは道端にも城の庭にもウコン垂れ流し状態で、
だからペストが流行した時全人口の3分の1が死んだんだと思ってた。反省。
468 :
世界@名無史さん :04/03/27 14:02
トイレと言うより排泄スペースね。 そこに立っていた看板のことをフランスではエチケット といったのだよ
469 :
世界@名無史さん :04/03/27 15:45
>>467 実際そんな垂れ流し状態の城はけっこうあるよ。
排泄物が下の花壇に落ちるようになっている城もいくつか見た。
470 :
世界@名無史さん :04/03/27 15:55
471 :
世界@名無史さん :04/03/27 16:53
思ったんだが、なんでヨーロッパ人達は大砲なんかで攻城戦やったんだ? 戦国時代の日本人も突撃とかいって馬鹿じゃん。 爆撃機で空爆すれば一発で破壊できるじゃん。頭悪いな昔の人は。。
472 :
世界@名無史さん :04/03/27 17:12
戦国時代の日本人は突撃戦法なんてとってません。 犠牲を度外視した突撃戦法が現れるのは、 フランス革命以後
473 :
世界@名無史さん :04/03/27 18:33
>>471 飛行機が出来たのはつい最近だよ?何を言っているんだ君は。
>>461 木製戦闘機は日本でも作られてたよ。ただ有名じゃないだけ。
しかし日本の城が木造木造と貶されて、
今度は全く関係無い戦闘機を挙げて木造押し付け大会とはな。
>473 流石に471には「ネタにマジレス」だと思うぞ
俺だったらプラスチック爆弾満載にしたトラックで城に突っ込む。 ナポレオンも対抗できないだろう。
476 :
世界@名無史さん :04/03/27 21:05
厨房どもうぜえ 特に日本でも木製戦闘機が作られたとかい ってるやしは逝け
日本にはなんででっかい攻城兵器とかがなかったんですか?
>>476 お前が死ねよ。いやほんとに自爆テロでもしてこい!
木製戦闘機の試作機は本当に作られた。
飛行テストで墜落して生産中止。
んなことも知らないなら世界史板来るな!
出てけ!
479 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/27 22:35
>>477 投石器などがあまり活躍・移動出来そうな場所がありません。
480 :
世界@名無史さん :04/03/27 22:39
>>477 投石機やタワーは高い城壁を破壊したり、よじ登ったりする
ためのもの。
日本のお城には高い城壁はありませんから。
欧州の投石器の多くは運搬が困難で現地で組み立てたものだという。 日本なら尚更運搬不能だろう。地形的にも困難だし、、、、。
>>480 だったら現地でちっこいタワーつくれば。
楽そうじゃん。
483 :
世界@名無史さん :04/03/28 09:13
>>476 心配しなくて良いよ。英国が木造で日本に適う訳がねえだろ。
中国からパクったその木製文化に感謝するんだな。
484 :
世界@名無史さん :04/03/28 09:58
>>482 タワーを作って何に使うの?
日本の城で具体的に考えてみてよ。
485 :
世界@名無史さん :04/03/28 10:13
上部に橋つけて堀と壁越える 大きい城じゃなければ大丈夫
486 :
世界@名無史さん :04/03/28 10:24
このスレはみんなでレベルの低さを競ってるのか?
>>486 春休みだから厨房が大量発生してるんだよ。まあ、なまあたたかい目で見てやってくれ
488 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:01
レベルの高い話題を振れない厨房も多いな。
489 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:05
>>486 ぜひレベルの高い議論の見本を見せてくださいな。
>>488 だって君って高レベルの話題振ったってついてこれなくて切れるだけじゃん。
491 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:10
確かにこの板の住人は軍事に関する議論で反論できなくなると 軍事板に逝けとかだから軍オタはとか見苦しく喚き出す傾向にあるからな。
まったくそのとおりだね。 私も同じ日本人として非常に恥ずかしいです。
モンサンミシェル世界最強
晋州城、南山城
495 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:36
日本の木製戦闘機開発は戦争後半か ら機材不足をうけて泥縄式に始まって 結局本格的に生産されなかったが ソ連では戦前から開発されて大量生産実現に貢献した。 誰も日本では木製戦闘機がなかった とは言ってないんだがねw 中途半端な知識で居丈高になると恥をかくぞ
496 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:39
>>495 まだ言ってるのか?w
だからその前によお前コンプレックス持ち過ぎだぞ。
497 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:41
軍事以前に城と関係ないし。 そんなので批判されてもなあ…というか、木で出来た戦闘機の話している奴らは 中世の戦術がわからないから変な方向に話しを持って言ってごまかそうとしているんだな。
498 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:48
>>495 御高説承りまスタ。
激しくスレ違いナ事を何時までも書きこみつづける事も『見苦しく喚き出す傾向にあるからな』ですね
で、図説 城下町都市 鹿島出版会 佐藤滋+城下都市研究体っての読んだのよ
内容は城下町の再開発をするには、如何にデザインすべきかって内容なんだが
日本の城を激しくデザインしているのは川だなと思ったのだがどう?
499 :
世界@名無史さん :04/03/28 11:57
>>497 多分変な方向で他の国を巻き込もうとしているんだろう。
て言うかバレバレ。
>>498 ネタふりの意図がよくわからんが・・・
そりゃ川は重要だろ。天然の堀になるしな。
埋め立てにくいし、飲み水の確保と運河河童鰐桃太郎召喚
要塞の戦略的な役割は種々あれども、要塞が地形を加工して建設された築城構造物である以上、 要塞の戦術的な役割は古今東西例外なく敵の機動発揮阻止と我の防護の提供にある 故に要塞で最も重要な施設は城壁に他ならず、 塔や櫓、狭間、堀、壕等の施設は城壁の機能を補完促進するために構築される 日本の城郭において西欧の城壁に当たる機能を果たすのが石垣や堆土等の土塁壁であり、 日本の城郭はこの分厚い土塁壁を下部構造とし、その上に天守閣等の上部構造物を 構築している点で西欧の要塞と大きく異なっている
502 :
世界@名無史さん :04/03/28 16:05
早く春休み終わんないかな
ヨーロッパの城も外壁以外は木でできてないか
実際のとこ要塞にとってもっとも大切な要素は材質じゃなくて地形だしな。 難攻不落を歌われた要塞のほとんどが地形をうまく活用したものだし。 あと他の要塞との連携ね。
>>460 漆喰の壁が砲弾対策、ということ? 漆喰の壁が石壁より優るというのは確認できない
のでその通りかもしらんが、その解釈は問題がないか?
西欧の本格的な大砲対策を施した城郭では、城壁をその断面が直角三角形になり”壁”
と呼ぶのを憚られるほどブ厚く仕立てた。
つまり、西欧の城壁は質量に頼っているわけだ(本当は大砲以前も同じなんだが)。
だが、捻りの復元力に頼るカタパルトや、応力の面で限界があるトレバシェットとは違い、
大砲の破壊力には限度がない、いや実際には当然ながら限界はあるわけだが、ウルバン
やモンス・メグのような化け物を見れば、その威力に耐えようと設計するのは馬鹿げてると
いうのは頷けるだろう。
つまり、大砲が登場した以上城壁は壊されるものと覚悟しなければならない。
ではどうするかといえば、破壊された際可能な限り手際よく修復するか、城壁の上から
銃砲を撃ちまくって追い払うか、そういう方向に行くしかない。
要するに、この時代の城は崩されるのが前提なわけだ。中世のものから改築しただけの
城も、当座耐えられる程度で仕方ないという合理性と妥協の産物。
>>482 攻城梯子の類は普通にある。
はい、それまでは歩兵対策であった山城は大砲の出現で急速に漆喰の平城に取って 変わられます。その理由は170さんのお考えの通り修復が容易だからです。硬すぎ る石壁は逆に大砲の弾である大岩の破壊力を上げてしまっていたんです。石もしく は鉄球を岩の上に落とした場合と、泥の上に落とした場合を比較していただければ 分かると思いますが、反作用は相手が固い方がより仕事は大きいんです。
ちなみにさらに時代の下った欧州では修復容易な城壁ではなく城壁内から砲 撃できる城壁を考案され、その流れを受けた北海道の五稜郭は全方位砲撃可 能な城が築城されたのは日本史専攻の方がご承知の通りです。
確かにトルコでは攻城砲は大口径化していくが、 西欧では攻城砲は小口径化軽量化していくのだがね そもそも投石機だって城壁を破壊してる事例は珍しくない 古代から城壁の破壊と修復の技術は攻城戦で重要だった 石垣が大砲に対して土壁より脆いとは初耳だな イタリア式築城が普及して以降の西欧でも堡塁の掩護土層を石垣で覆ったり、 重要施設を石材で建築しているのだが ただの土塁壁より石壁のほうが砲弾の侵徹に対して有利だし、 平時におけるメンテナンスも石垣のほうがはるかに安上がり
日本における平城の普及の要因は、大砲の脅威なんかじゃなく、経済の発達だろう 山城では交通の要衝や経済の重点を直接抑えることは難しい 領主の最終防衛施設としての山城から、領地経営のための拠点となる平城へと 移行したのであって、大砲に対処するためではない 大砲に対処するためだけなら地形の活用に有利な山城のほうがずっと適している
510の言うのが実情に近い 石山(大坂)や小田原、そして江戸のことを考えると、 出城以外では日本で山城から平野に推移した理由は まさにそれに当たる。 城、というか要塞の目的は拠点の防護と敵対勢力の自勢力内 進入阻止、だろうが戦国時代の日本の場合はそれ+流通網結節点の 保全というのも加わるしね
たいていどこの国でもそうだと思うよ。
かしこまり。確かに織田氏が物流を重視した結果、城下町と切り離された山城では なく平城に移行していった経緯を読んできました。
漆喰の壁は修復が容易ですから対火砲の面で有効だったのは事実です。石壁の城壁 って修復はどうだったんでしょうか?異なる材質での応急補修では有効性は薄いの ではないでしょうか?
あと、近世日本の城郭の土壁は手打ちと呼ばれる技法が用いられ、耐久性が 大変高いものでした。 また、姫路城を例に挙げると天守閣の壁の厚さは50pあり、広島県・福山城 天守の事例のように壁の中に鉄板を塗りこめた城もあり、防御面では優れた 構造だったみたい。
…ただ、調べていくうちに日本も欧州も火砲の出現以降の城は防御性より居住性の時代に 移行しちゃって答えのない問題なのかなぁ?ただ、重要な建物を石造で〜のくだりは単純 に文化の違いと思いますよ。三匹の子豚やないんやから
妄想に妄想を積み重ねているな イタリア式築城は居住性など全く重視していないのだが
土のほうが石より大砲に強いと主張したり、文化の違いと主張したり 一体どっちなの?
異なる話題を一緒くたにするする点を見るとやっぱり秩序だった論理性は無理な人っているんだね。 他の話題でも同じ文章で批判するし、自分の主張を一方的に通して相手の主張を調査もしないで押し つける幼稚な論法にうんざりです。
こちらは日本城郭の火砲に対する漆喰の効能と火砲対策の建築技法は具体例を 挙げて提示しました。 その上で@火砲に対する石壁の修復方法は?A欧州の城郭が城壁から円塔重視 のゴシック式へ移行した後、結局は耐久性・防御性を度外視し居住性・流通性 ・政治性重視のバロック式に移行した点を踏まえ、日欧の政治・経済・社会の 変遷は?と聞きたかったのに稚拙な戦術論に終始されても(T_T)
石垣といっても裏込は土砂だから、土砂を積んで修復するだけなんだけどね。 ウィーン攻囲戦の絵でトルコの攻城砲に破壊された堡塁壁を補修してる描写もあるし。 そもそも漆喰は経年劣化防止のためであって砲弾対策ではないんだが。 弾が飛び交う中で悠長に漆喰塗ったりしないだろ?
ホント、藁<木<石みたいな三匹の子豚あるいはガリレオ以前の木<鉄とか みたいに中世的な先入観で議論するより、実験・実証を踏まえた現代の議論 をして下さい。以下は蛇足ですが… 『最も劣る論法とは相手をやり込めるだけに終始する理論である。』(荀子)
>>523 いや、キミが行き当たりばったりなのが問題なのだが。
そんな開き直らなくても・・・。
あと、攻城砲への対策として編み出されたイタリア式築城は円筒を重視してはいない イタリア戦争以降、西欧の城塞は、防御戦闘を主目的とする低く水平構造のイタリア式築城による要塞と、 政経の中核となる行政府的性格の強い城郭に分岐する すなわち、 >火砲の出現以降の城は防御性より居住性の時代に移行しちゃって という認識には重大な誤りがある
10世紀以前の西欧の要塞の主な建材は木材で、これは主に利便性が重視されたため 各地に散在する封建領主がやたらめったに建設したが、木造故に現在では少数の城址を除けば殆ど残っていない 西欧で石造要塞が普及するのは11世紀以降 藁作りの要塞は流石になかったと思うがw
…円塔重視のバロック式へ移行… と記述してあるのに、読解できないのは国語能力に問題があるの? もう少し詳細に表記せんといかんのかなぁ
あと、現存の有無は論理のすり替えでしょ?
ウィーン城壁の補修の出展はなんでしょうか?また、第一次と第二次のどちらでしょうか? さらにゴシック式、ルネサンス式、ロココ式、バロック式のいずれでしょうか?
初期の攻城砲は、投石器や破城槌等の他の攻城兵器に比べて明確な優位性を持っていなかった 製造に金と労力と技術を要し、必要な量の砲弾と装薬を調達するのも一苦労、戦場への輸送は困難を極め、 運用は熟練を極めた技術者でなければならず、それでも初期の大砲はしばしば暴発して味方を殺傷した 他の攻城兵器より優れていたのは発射の際の大音響で、音に恐怖した守備隊に開城を促すこともあったが、 コンスタンティノープルのように、常に守備隊に城門を開かせていたわけではなかった 攻城砲が有効な城壁破壊手段として他の攻城兵器と一線を画するようになるのは ドイツやイタリアで金属加工業が躍進するイタリア戦争以降 この頃にはメグやグリードのような巨大口径砲は攻囲陣から完全に絶滅し、 より小型で軽量な小口径砲が攻城砲の主流となった さらに攻城砲がシステマチックな攻城計画の遂行に寄与するようになるのはヴォーバン以降
追加でイタリア式と呼ぶ建築様式の火砲に対する実用性はどうなんでしょうか? もし、ブルネレスキ以降のルネサンス式と道義であれば、防御面での優位を提示 するのは誇張です。むしろ、室内の様式美・演出性などの面で発展はありますが 防御面では小手先じゃないんでしょうか?
イタリア戦争?1859年の? コンスタンティノープルの陥落は城内の内応?音で驚いて自国の城門を 自分で!開ける? ねぇねぇ、自分で書き込んでて疑問に思わない?
534 :
世界@名無史さん :04/03/30 01:06
コンスタンチノープルの陥落は、城門を一つだけ閉め忘れたのが原因、と 聞いたことがある。
535 :
世界@名無史さん :04/03/30 01:17
どんどん厨房くさくなっていくな。 >六
536 :
世界@名無史さん :04/03/30 01:18
537 :
世界@名無史さん :04/03/30 02:11
イタリア式は建築様式でなく城塞施設の付設の仕方に重点がおかれるもの。 真田丸みたいなものをたくさん作って十字砲火できるようにし、 高い城壁も崩れてかえって邪魔だから台形にして火器の時代に適したものにする。
>六
は話の要点がわかってないんじゃないか?
>>505 とか読んでるか?
>防御性より居住性の時代に移行
という事実は無い。
防御無視、居住と外観内装の宮殿と
居住無視、純粋に戦争目的の要塞に分かれただけ。
ロココとかバロックとかの城(というか宮殿、レジデンツ)は、攻城とは無縁といってもいいもの。
豪壮さと優美さを競って国力を知らしめるものである。
見てのとおり、普通の教会とかと基本的に変わらんもの。
イタリア式(のちヴォーバン式)要塞は
多角形の稜堡を要塞全体が星型になるように配置し、
その外側が掘で、堀の外側にまた稜堡やら角塞やら・・と重ねていく。
一番外側は斜堤になっている。
敵からの砲撃が内部の無防備な建物に届かないようにするのが理想的。
堡塁の上には当然大砲がのせられ、側壁には銃眼がある。堡塁間は橋などで結ぶ。
・・・五稜郭を挙げているあたり分かっているものと思ってたが。
539 :
世界@名無史さん :04/03/30 05:06
ヒューマンアカデミーに通っている宮内亜弥さん、かわいい
540 :
世界@名無史さん :04/03/30 06:41
意味不明の罵倒と揚げ足取りと恣意的な誤読、 論破された厨房の典型的な自壊パターンだな。
この手の輩は放置するなりNGワードに入れるなりして相手しないほうがいいと思うが どうせ春が終わればいなくなるだろうし
人格攻撃など世界史板に不要だよ。
543 :
世界@名無史さん :04/03/30 11:11
変な奴に住み着かれちまったな、このすれ
欧州の建築構造はもともと柱ではなく壁で支える今日のツーバイフォーです。倒壊 を懸念して高い塔は廃止されましたが、厚い壁はゴシック式、ルネサンス式の共通 項です。そもそも、反ゴシックのブルネレスキらがゴシック式を防御性重視の建築 様式であり、好戦的で野蛮なゴート式(ゴシックの語源)だと非難するんです。
さらにマキャベリは君主論の中で、もはや城は外敵ではなく国内の暴徒から 君主を守るためにあると述べて、当時すでに城郭の限界を挙げてます。
小火器の普及も陥落が時間の問題にすぎない篭城戦より野戦へ移行した結果 じゃないの?
>六 一つのレスにまとめた方がいいかと思いますが。
548 :
世界@名無史さん :04/03/30 13:08
欧州では、攻城戦で大砲が使われ始めたころから、 石壁は廃れていったのでは?
549 :
世界@名無史さん :04/03/30 13:27
ヨーロッパは城より大聖堂が凄い
550 :
世界@名無史さん :04/03/30 13:29
>>548 廃れはしない。
従来の薄っぺらで高い城壁から、
大砲の照準が定めにくく崩れにくい、
分厚くて低い城壁に変化していった。
具体的には、高さが10数b、幅が2〜3bの城壁から、
高さが5〜6b、幅が5〜6bの城壁が主流になった。
551 :
世界@名無史さん :04/03/30 19:57
>>550 そうじゃなく、土塁が増えたのでは?
むしろ堀の幅で防護するほうが効率的だし。
城壁が分厚く低くなり、大砲に対して抗堪性は向上したが、 一方で機動発揮を阻害する障害としての強度は低下した これを補うために堡塁の相互支援による火力編成が追求され、 結果として火力の密度が上昇した
まあマキャヴェリの死後も要塞は増え続けていくのだがな(苦笑
554 :
世界@名無史さん :04/03/30 20:43
>>551 日本の平城には必ずある堀だけど、ヨーロッパの城ではあまり見かけないね。
水の便が日本ほど良くないからね。空掘りもあまり見かけないんだよね。
>>509 >西欧では攻城砲は小口径化軽量化していくのだがね
確かに…、モンス・メグなどお化け砲を引き合いに出すのは駄目でした。
>そもそも投石機だって城壁を破壊してる事例は珍しくない
>古代から城壁の破壊と修復の技術は攻城戦で重要だった
ああ、真にもってその通り、505では自家中毒を起こしていたようです、申し訳ない。
>>505 三段目5行
>つまり、大砲が登場した以上城壁は壊されるものと覚悟しなければならない。
を削除し、以下の文を挿入。
>どれだけ頑丈に仕立て上げても、城壁は破壊される。
>さらに銃砲の発達により、防御側の対人・対建造物破壊能力が増したことによって攻城梯子などによる
>城壁を乗り越える戦術が取りづらくなったのに対して、大砲の小型化・破壊力増大や対砲撃防御を施した
>要塞自体の高価さ(=防御側のコスト面での不利)などにより、攻城側の城壁破壊という選択が以前に
>比べ極めて割のいい物になったことで、城壁を破壊されるという危険が増大した。
とでも。
556 :
世界@名無史さん :04/03/30 23:02
りょうすれうげ
>>521 >こちらは日本城郭の火砲に対する漆喰の効能と火砲対策の建築技法は具体例を
>挙げて提示しました。
自分の誤謬を無視するどころか誤謬があったことすら気付いていないような輩の具体例など、
誰が顧みるかよ。
>>523 で、貴様は何を考えている?
「ホラホラ僕の提案は建設的でしょみんなこれに沿って議論しようよ」とでも言いたいの?
アホ。「提案」ってのは提案された側に採択権があるんだよ。
558 :
世界@名無史さん :04/03/30 23:51
>>557 ふーん。そういって逃げるわけだ。
チキンだね。
長野の松本城に行ったけど凄い狭かった。 あんなとこ全体で1000人も入らないだろ。 まぁ城が直接攻撃されるようになったらもう負け戦なんだろうけど。
あ☆進んでる! ねぇねぇ、557番さん。それってば結局、議論のときに相手が気に喰わない or自分は切れたら、相手の意見とか具体例を聞きませんってこと? うーん…困っちゃうなぁ。
例の170 ◆vBOFA0jTOg という男がおってな。 毎晩、毎晩2ちゃんねるという村で「ねんちゃく」というものを やらかしてな、村人を困らせておったそうな。 その「ねんちゃく」は村人には嫌われていたんじゃが 例の170 ◆vBOFA0jTOg はたいそう気にいっててな、村人に好かれたいと思って 「さくじょいらい」などという悪事までやらかして村人をさらに困らせたんじゃ。 そんな例の170 ◆vBOFA0jTOg についにあぼんの神様の天罰がくだってな 例の170 ◆vBOFA0jTOg は十三日の金曜日の日に殺人鬼にナイフで顔の皮を剥がれ、 斧で四肢を切断されてダルマ、挙句剣鉈で腹割かれて腸をズルズル引きずり出され、 その長い腸で首絞められて殺されたんじゃ。 昔、昔のお話だよ・・・。 || :::::::::::::::::::::::::::::: || ::::::::::::::::::: ∧_∧ || ∧ ∧ ::::::::::: ( ´Д`) i (・д・)∧ ∧:::::::::: /::: Y i ,-C- 、( y (゚Д゚ ) :::::::: /:::: > | /____ヽ (___、|_y∩∩ :::: |::::: " ゝ ヽ__ノ (__(Д` ) :: \:::::__ )// // っ⊂L∧ ∧ ∧ ∧ ( ;;;;;;) こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・
>>534 ヴィルドヴィアン「コンスタンティノープル征服記」では、真っ当に攻城梯子・櫓で乗り越えて
いるようだ。ただ、そのエピソードが真実なら堅牢な城郭ほど隅々まで手が行き届きにくく守り
づらい面もある、ということを暗示しているかも。
>>554 17〜18世紀の都市の城壁はこんな感じ。最早堀というか何というか。
a
/ ̄ヽ、 , b/⌒``ー-
 ̄ ̄ ̄ ̄.I´ `I ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
I I
I I
I____I
左が籠城側、右が攻城側。Iは砲で内壁を崩されて堀を埋められるを防ぐために石垣になっている。
籠城側は城壁の上であるa地点から砲火を放ち、反攻に出るときは橋をb地点に渡すことによって
攻城側の土塁に身を隠しながら向こう岸に渡る。攻城側の足場である土塁は斜め上を向いてるため、
b地点は死角になる。
>>558 死人を殺せといわれたり、完成したプラモデルを組み上げろと言われても困るわけで。
>>560 1.指摘された誤謬をなかったことにする
>>515 >漆喰の壁は修復が容易ですから対火砲の面で有効だったのは事実です。
を
>>522 で斬って棄てられながら何も言及せず。
2.過ちやイキアタリバッタリズムを指摘されると切れる
>>518 (知識の無さ)
>>519 (言うことが一定してない)に対する返答が
>>520 。
3.自分の思い描いていた通りに話題が進まないとキレる
>>521 >日欧の政治・経済・社会の変遷は?と聞きたかったのに稚拙な戦術論に終始されても(T_T)
4.知識そのものが不十分に過ぎる
>>530 建築様式と軍事建築技術の区別が付いていない。
>>534 イタリア戦争すら知らない。士気とか我慢比べとかそういうものが理解できない。
以上の点から、お前さんは人格面でも知識面でも議論が成立するレベルに達していないのでお帰り下さい。
例の170 ◆vBOFA0jTOg という男がおってな。 毎晩、毎晩2ちゃんねるという村で「ねんちゃく」というものを やらかしてな、村人を困らせておったそうな。 その「ねんちゃく」は村人には嫌われていたんじゃが 例の170 ◆vBOFA0jTOg はたいそう気にいっててな、村人に好かれたいと思って 「さくじょいらい」などという悪事までやらかして村人をさらに困らせたんじゃ。 そんな例の170 ◆vBOFA0jTOg についにあぼんの神様の天罰がくだってな 例の170 ◆vBOFA0jTOg は十三日の金曜日の日に殺人鬼にナイフで顔の皮を剥がれ、 斧で四肢を切断されてダルマ、挙句剣鉈で腹割かれて腸をズルズル引きずり出され、 その長い腸で首絞められて殺されたんじゃ。 昔、昔のお話だよ・・・。 || :::::::::::::::::::::::::::::: || ::::::::::::::::::: ∧_∧ || ∧ ∧ ::::::::::: ( ´Д`) i (・д・)∧ ∧:::::::::: /::: Y i ,-C- 、( y (゚Д゚ ) :::::::: /:::: > | /____ヽ (___、|_y∩∩ :::: |::::: " ゝ ヽ__ノ (__(Д` ) :: \:::::__ )// // っ⊂L∧ ∧ ∧ ∧ ( ;;;;;;) こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・
565 :
例のにゃあにゃあ :04/03/31 01:00
お、イタリア式築城が話題になってるニャ!
軍事革命論論争の焦点のひとつだニャ。
建設にもの凄く金がかかって、維持に多数の人員が必要で、
防御力が飛躍的に上がって、野戦の重要性が低下しただったかニャ?
16世紀に新しい要塞がイタリア式にヘンゲしている中、
円塔重視の要塞がイギリスで作られていたみたいだニャ。
攻撃力は最大限に発揮されるが、防御は貧弱と評されてるニャ。
>>528 のバロック式ってこのイギリスの要塞の事かニャ?
我が輩のソースは ジェフリー・パーカー,長篠合戦の世界史,同文館,1995 だニャ。
ここは詳しい人が多くていいニャ。参考文献を教えて欲しいニャ。
そこで、なにかお勧めの参考文献お願いします。
うーん、522番で返してるつもりだったんですね。へぇ×3。 なお、臨時のときは現在の充填剤のようなものを用いて応急処置をしますから モチ悠長に長々と待ったりしません。欧州と違って壁は主要構造じゃないしぃ。 漆喰は剛に対して柔。柔軟な壁の反作用に対する利点(球威をそぐ)& 漆喰の極めて高い耐火性(江戸の大火事でも蔵は燃えない)の二点も押えて! 反作用の働きはかなり押えてるんですけど、ねぇ。 ただ『石だから〜』っていう、先入観に頼った建材の優位性(?)しか論拠に 挙げれないのでは説得力ないです。
猫語さ〜ん☆そんなたいして詳しくないですけど、 入門書は『城』(ウィルキンソン・フィリップ著)あたりがグッジョブ☆ 建築学の知識は参考文献が専門的でかなりめんどいの多いんで(…かなり むずい)自分にあったの探してください。うち死んでます。
イギリスの要塞って作ったいいけど実際戦ってみて役に立たなかったから すぐ大陸の築城専門家を招いたって話だよね。 資金と内乱以外使われないからほとんどが中途半端におわったはずだけど。 それと攻城戦はイタリア式が多くなかったドイツでは少ないが土塁よりも水堀を 多く使うオランダでは多く行われている。マウリッツは攻城戦の達人だし。 攻城戦の重要性が低下したのは兵を要塞に貼り付けながら別の主力軍を 迂回して使用できるナポレオン以降。 金がかかるのも確かだがヴォーバンはイタリア式を作り小さな要塞をつぶすことで 兵力と金の節約に貢献している。
570 :
世界@名無史さん :04/03/31 10:40
>>559 現在の城を中心とした公園の敷地と、城が現役だった頃の
敷地(縄張り)は大きく違うのだが?
何が狭かったと言ってるの?
縄張りって・・・やくざじゃないんだからさあ。 ねむい
嫌木造厨なんて珍しいものが見れただけでも良しとします
573 :
例のにゃあにゃあ :04/03/31 21:00
>>568 情報感謝するニャ。
だけど、我が輩が知りたいのはイタリア式築城の方だニャ。
軍事革命論を理解する上で重要なファクターの一つみたいなんだニャ。
>>569 そう、そうニャ。
イギリスの要塞は役に立たなかったみたいだニャ。
攻城戦の重要性低下の話は初耳だニャ。
ここからすると、攻城戦を回避して野戦で決着を付けるようになった、と言う事でいいのかニャ?
とりあえず、18世紀迄は攻城戦が重要な時代と理解できそうだニャ。
面白い話に感謝するニャ。
見てるとなんだろうな。 自分の論理に批判とかされたりすると、粘着・厨房呼ばわりする ヤツってどうだろうな。
575 :
(`ρ´) :04/03/31 23:56
オルバース爆動か!?
〜2ちゃんねらの手記より〜 「例の170 ◆vBOFA0jTOg はもはや人間ではない。 日中は自室にえんえんと引き篭もり、一寸も外に出ない。 蛍光灯に照らし出された巨大な豚のようだ。 それは焼けつくようにムサく、異臭がして耐えられないので、 親でさえ部屋から飛び出し、必死で外にたどり着こうとした。 人間はこの地獄から逃げ出す。 どんなに硬い意思でも、いつまでも我慢していられない。 例の170 ◆vBOFA0jTOg だけが耐えるのだ。 神よ、なぜ例の170 ◆vBOFA0jTOg を見捨てたもうたのか。」
>>573 Christopher Duffy,Siege Warfare:The Fortress in the Early Modern World 1494-1660,Routledge,1979
・・・があるよ。
サブタイからわかるようにズバリ、イタリア式築城術(からヴォーバン登場の直前まで)が主題。
安いしグラフィックも充実しとるし、これはええ本。
>>573 攻城戦を回避してというより防衛側が要塞に篭ってられなくなったってかんじ。
フリードリヒ大王にしろその前のマールバラやテュレンヌにしろ機動戦を好んだが
軍の規模、補給、士気、軍制等により大きな制限があった。
だが、戦略目標の拡大は少数の兵しかいない要塞を役割低下させたし、徴兵による大軍は
大兵力が篭る要塞に対して監視の兵力を咲いても攻勢を継続させることを可能にさせた。
攻撃側は独立戦闘力のある師団・軍団、士気による機動力向上、兵站システムの発達により
その要素である戦場設定権を活かすための分進合撃をとれるようになる。
主攻軸がわからん防御側は範囲が広がりすぎてそこの要塞全てに兵をつけると不足するし、
一方の要塞に兵を集めてると他の進路から進撃されるで迎撃できなくなるんだよ。
城、というか旧来の要塞が完全に否定されたのは セバストポリ要塞(クリミア戦争)以降でFA? 旅順攻めまで近代的な意味での拠点攻めはマジでないのか (大規模な奴ね)
助け舟の方ありがとうございます☆ 他のところでも同じような人に付きまとわれて困ってたんです。 白馬の王子がくるなんて、うちみたいに美人(ごめん、誇張です)は得やな〜。 あと、縄張り言うのは天守をぐるりと囲む迷路状の城壁のことっちゃ。 名無しさんからの補足がまだ無いみたいなんで、うちが先に教えとこ!
581 :
世界@名無史さん :04/04/01 12:40
>>580 ここでは「例の170」を嫌ってるのが多いから
170の書き込みには一々アンチレスが入る。
だが誰もお前の味方なんかはしていない。
おれも170は好きじゃないが、
少なくともやつの
>>563 におけるお前さんへの批判は極めて正当だと思う。
基本的な事が何もわかってないのに大人の話に加わりたがる子供と同じで
はっきり言ってお前はここの議論の邪魔をしてるだけだ。
退場を勧告する。
「目に入るものといえば見渡す限りのヒッキーヒッキー。 あんなにたくさんのヒッキーを見るのは初めてだったわ。 だけど例の170 ◆vBOFA0jTOg もそのヒッキーの一人だったのよね。 どんどん気分が悪くなってくるの。 まともな人間が減って、例の170 ◆vBOFA0jTOg と同じような人間が増えてくるんだもの」 「例の170 ◆vBOFA0jTOg は頭のてっぺんから足のつま先まで厨房だった。 あそこは本当にびっくるするほどユートピアな空間だった。 例の170 ◆vBOFA0jTOg たちは、ゲームやってるとか 引きこもりであるというだけで、 人から嫌われたり軽蔑されたりしていた。 だから、社会に引き出されたりすることのない どこまでも自由な環境にいられるということは、本当に気分が良かった」 ―――― 2ちゃんねる参加者の回想より
そいつの事が嫌いなら無視するなり論破するなりすればいいだろが 粘着して駄レスを垂れ流してスレを汚しても意味はねーぞ
早く学校はじまってくれないか? 厨房か工房かしらんが、うざい。 例の170に文句あるなら、その手のスレたてろや。
585 :
例のにゃあにゃあ :04/04/01 20:19
>>577 情報感謝するニャ。
グラフィックが充実してるってところがすごくいいニャ。
文字だけの説明じゃやっぱり分かりづらいものニャ。
その意味で我が輩も
>>566 と同じ意見で、
>>562 のAAを使った説明はグッドと思うニャ。
ただ、言い方がちょっと怖いニャ。
>>578 そうすると、野戦軍の能力向上により、
要塞を利用した防御が困難になったって感じかニャ。
586 :
世界@名無史さん :04/04/01 20:30
で、
>>581 は名無史の◆vBOFA0jTOgなんでしょ
この軍事関係スレは軍事板へ移設してもらいたいものだ
587 :
世界@名無史さん :04/04/01 20:34
>>584 も例の◆vBOFA0jTOgみたいだな
大学生いなくなったら例の170◆vBOFA0jTOgや
永遠の青 ◆V9k1yZSe4Mみたいな引きこもりの天下だ
板の到る所、炎上しているスレが煌々と通りを照らしていました。 目の前には罵倒、AA、コピペ荒らしの塊が瓦礫の山と化し その下から生き埋めになっている例の170◆vBOFA0jTOgの悲痛な喘ぎ声が聞こえて きました。 何もかも燃え尽きていく・・・ 例の170◆vBOFA0jTOgの母、主治医、家臣、精子、 そして、希望も・・・。 何もかも・・・ 〜2ちゃんねらの手記より〜
くだらない
>>586-588 おまえらの方がウザイと思うのは俺だけか?
引きこもりだろうがなんだろうがとりあえず議論する
姿勢すらない奴やただ荒らすだけのお前らよりはマシだろ
どうでもいいから、コテ叩き・個人攻撃したきゃ他でやれ。 ちゃんと論とか史料出して批判するなら兎も角。
592 :
例のにゃあにゃあ :04/04/02 01:42
我が輩はイタリア式築城の話を続けて欲しいニャ。 それと、ヨーロッパ中世初期の土盛りと木壁を組み合わせて作ったとか言う、 モッテ・アンド・ベイリー(こんな名称で良かったっけな?)タイプの城の話なんか、 面白そうだニャ。 我が輩が話をふれればいいのだけど、 今はふれるほどのネタも知識も持ってないのが残念だニャ。
欧州の中で一番築城技術が高いのはどこ?
いつの時代?
595 :
世界@名無史さん :04/04/02 02:48
>>590 毒には毒を・・・
荒らしに反応するのも又荒らし・・・
じゃあキミもだね。
日本には城なぞいらんのだ。その証拠に日本で城を造った大喜びしていたのは 信長・秀吉・加藤清正とどれをとっても二流どころではないか 日本史上最強の男・武田信玄は城なぞもっておらん なぜか?武田騎馬軍の前に敵がいないからである 信玄公率いる武田騎馬軍が地上最強だからである さすがに時代が違うからナポレオンやヒトラーはきついが 色、艶、反り、そして世界一の堅さを誇る武田信玄を持ってすれば フェリペ2世ぐらいなら、その剛棒で一突きだな
>日本史上最強の男・武田信玄は城なぞもっておらん 確かに信玄は日本史上最強だが城はもってるし作ってもいるが。
599 :
世界@名無史さん :04/04/02 10:58
武田厨は三戦板に帰れ!
600 :
世界@名無史さん :04/04/02 11:24
堀がある 矢穴もある・・・しかし 石垣がないでしょッッッ!
601 :
世界@名無史さん :04/04/02 11:27
602 :
世界@名無史さん :04/04/02 12:27
>>601 石垣がなかったからって別に泣かんでしょ。
日本の城、特に天守閣なんてのは古墳といっしょで 格好よいからつくっただけだろ。
↑ 禿同。石垣も古墳と一緒で格好よいから積んでいただけであつた。
605 :
世界@名無史さん :04/04/02 20:07
606 :
世界@名無史さん :04/04/02 20:41
>>605 釣りなのか無知なのかはっきりしてくれ。
607 :
世界@名無史さん :04/04/02 22:34
戦国無双でやられているのをしらないのか606は。 ほんとにおまえって馬鹿だな
この場合606は無知と言うべき。 馬鹿なのは607。
609 :
世界@名無史さん :04/04/02 23:26
俺も天下創世や天下統一で何度も謙信やぶったぞ
武田信玄の館はまるで忍者屋敷みたいにたくさんの仕掛けがあったって 聞いた事がある。ニンニン。 あと、武田信玄のトイレはウンコした後に家臣が外から柄杓で水を流すと ウンコが流れると同時にお尻についてるウンコも洗い流してくれる 水洗&ウォシュレット機能付きだったそうな。
その気持ちよすぎるトイレの技術力を結集させるはずだった かけだけの安宅船を作るための軍港さえ手に入っていれば いまごろTAKEDA SHINGENの響きはグーグル中に 響き渡っていたのにな
ぐんこうくらいもってただろ
つか、要塞というのはあくまでも地形の利用による戦力倍増装置だから、 攻者の戦力が防者の戦力を相対的に上回れば結局は要塞の防御戦闘は破綻する 故に、古今東西、文字通りの難攻不落の要塞など存在せん ただし、七年戦争においても攻城戦は盛んに行われている ザクセン軍は要塞に拠ってプロイセン軍の侵攻を食い止めようとした プロイセン軍はブレスラウ一帯の要塞群でオーストリア軍の侵攻を 阻止しようとしたし、特に戦争末期の1761年のプロイセン軍は 要塞に頼った防衛戦に終始している また、戦争のほぼ全期間を通じてザクセンがプロイセン軍の後方支援地域として 機能できたのは、王弟ハインリヒが要塞に頼った防衛戦を展開したおかげだった 少なくとも七年戦争では要塞の戦略的価値の低下を示す要素は見られない
七年戦争当時のプロイセン軍内にもハインリヒをはじめ野戦より要塞による防衛戦を 重視すべきだとする主張も根強かった 故に、フリードリヒ2世率いるプロイセン軍が敵に対して積極的に野戦を企図したのは、 彼自身の統帥の特徴であり、要塞の価値が低下したからとは考えにくい 確かにフリードリヒ2世は戦争に勝った(負けなかったとも言う)が、 彼の作戦計画が破綻しかかっていたのも事実で、要塞の価値の低下を証明することはできない 攻城戦より野戦を重視した点ではナポレオンも同様で、彼が直接間接に関与した攻城戦が 野戦に比べてはるかに少ないのも事実だが、これもナポレオンの個人的な理由によるところが大きい 実際、ナポレオンは要塞や強強度の陣地への攻撃が野戦よりも苦手だった ツーロンやボロジノでは成功したが、マントヴァやアッコン、アスペルン、カートル・プラ、 ワーテルローのように要塞や周到に準備された陣地への攻撃は失敗している ただしこれはナポレオンの個人的な能力の限界だったというより、フランス軍自体の 能力の問題だった可能性も否定できない
>日本史上最強の男・武田信玄は城なぞもっておらん 何といえばいいのか・・・ 1、武田晴信(信玄は入道後の名)が城を作らなかったというのは 甲陽軍鑑に見える「人は石垣人は城情けは味方・・・」という文章から 後世の人が作り上げた誤解。 晴信の居城躑躅ガ崎館(晴信以前から築城は行われていたが彼も手を入れている)は日本の中世城郭としては有数の規模を持ち 国指定史跡になっているほどで、その他にも小諸城など晴信の建築した城は多い。 2、晴信の築城技術を後世「甲州流」と呼び、日本の城郭建築に影響を与えている。 例を挙げれば国宝であり世界遺産候補に上っている 滋賀県の彦根城の設計者は甲州流の技術者だった。 以上の点から、君の誤謬は明らか。味噌汁で顔を洗って出直してこい・・・ 正直未だにこんなことをいう奴がいると思うと情けない。最近の武田氏関係の研究書を一冊でも読めばこんなことは 誰もいわないと思うのだが、泣けてくるよ。 おれ、何で荒らしらしき馬鹿にこんなに丁寧に応対しているんだろ・・・
>>615 真面目に反論し過ぎ。
「コサックス−戦争の大陸−」でもやって気分を落ち着かせましょう。
617 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 00:15
なんだか話が、不思議な方向に行ってるような気がするニャ。
それに、
>>572 によると木製の城が嫌いな人がいるとか言う話だから、
木製の城のすばらしさをわめき立てることにするニャ。
モッテ・アンド・ベイリー タイプの城は土盛りと堀と木壁で構成されているニャ。
この城はだいたい10から11世紀の間、ヨーロッパ北方では主流だったみたいだニャ。
最も一般的な形は堀と木壁で城全体を囲い、
その城に付属する形で小高い丘を土盛りで作って、その上に木壁に囲まれた見張り塔を置くニャ。
この丘は城本体から独立した形で堀と木壁で防護されているニャ。
歪んだ前方後円墳みたいな形で、前方の部分と、後円の部分がそれぞれに独立して堀と木壁に囲まれている感じで、
後円の部分にもう一つ小さな城がある感じだニャ。
この城の最大の特徴は安価で、短時間で建設でき、それなりの防御力を期待できた点みたいだニャ。
征服王ウィリアムはイギリスを征服した後で、支配を固めるためにこのタイプの城をイギリスに造りまくったみたいだニャ。
とにかく短時間の内に安く、たくさんの城を造る必要があったからみたいだニャ。
バイユーのタペストリーにもこの城の絵があるニャ。
ソースは kelly devries,medieval military technology,ontario,1992,pp.202-208 だニャ。
石の城の登場はモッテ・アンド・ベイリータイプの城が流行った後の11世紀後半からみたいだニャ。
↑ お前のカキコミきもいんだけど。
こういう時の語尾はニャじゃなくてミョがスタンダートだと思う
620 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:04
>>617 素晴らしさじゃなく、ただ単に特徴を提示しているだけでは(w
いや、それで充分だけどね。
>>618 内容のない君のレスより∞倍まし。(0に何を掛けても0だが)
622 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:47
>>39 >日本は戦国時代でも大砲を用いた本格的な攻城戦を行っていない。
日本に大砲は腐るほどありましたよ。鉄砲保有量や生産量も世界一でした。
ついでに戦国時代〜江戸初期も南米の金鉱を抑えて金産出量が世界一。
大砲使用の具体例で言うと大友宗麟が日本で始めて使った大砲「国崩」が有名です。
大阪夏の陣でも徳川家康が大阪城へ大砲で砲撃して大混乱させています。
とはいえ数が少なく精度も低いので攻城戦で敵の霍乱と士気低下を狙いに用いられてました。
ここで面白いのは徳川大阪城天守閣のすぐ横には砲台が設置されてることですね。
夏の陣で活躍した大砲の威力が認められて設置したんでしょう。
おそらく秀吉大阪城は世界でも稀に見る堅城、宣教師の記録にもその異様さが語られてるし、
圧倒的な兵力差にも関わらず外堀を埋め立てて3年がかりでようやく落城させたんだから。
ついでに大砲と鉄砲の中間のようなバズーカー砲のような大型の火器も使用されてました。
戦国安土桃山に限っていえば日本の鉄砲技術がおそらく世界一だったんじゃないでしょうか。
江戸初期での使用例は島原の乱で松平信綱が島原城めがけて何発も大砲をぶちこんでる。
623 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:47
あと日本の城は木造で燃えやすいというのも誤解。 一般的な城はほとんど火災で焼失してるけど、そのような火災対策というものも当時既に考案されていた。 それが漆喰作りといわれるもの。姫路城なんかはその典型例だけど、白漆喰で塗り固めることによって 防火性は著しく向上していた。 また金沢城の様に白漆喰に瓦煉瓦を塗りこめた防火壁を用いた櫓なんかも火災に絶えて木造ながら 現在まで残存している。 天守閣や櫓というのはあくまでもシンボルであって守ることを意識しては作られていない。 (そのため戦国大名登場以前はこのようなシンボルは存在しなかった。) 日本の城郭の根本的な概念は「縄張り」にある。 初期の山城は天然の要害を利用していたので縄張りをねる必要は余りなかった。 楠木正成の千早城の合戦をみてわかるとおり、山をネグラにしてゲリラ戦で戦うというのが 基本だった。 しかし平地で近代戦を行うようになり、従来の宮殿に城郭機能を持たせることが必要になってきた。 そこで、平城、平山城へと移行する時点で縄張りが重要になる。 大阪城も二重の内堀に加えて市街地をも取り込んだ外堀、更にその外に張り出した郭(くるわ) らよって守るのに都合の良い大城砦となっていた。 戦国期〜江戸初期の城郭は、自然地形を利用して城下町を含め、敵の攻撃に絶えられるように 堀と郭で市街地を何重にも囲んでいる。 衛生写真を見てみればわかるが、このような幾重もの堀に囲まれた大規模な城郭は世界にも例を 見ないということがわかるだろう。 江戸城なんていまの山手線全線に外堀をめぐらし、さらに千代田川、荒川、多摩川なども自然の 堀に見立てその中心部に本丸がくるように設計されている。これは本当に見事としん言いようがない。 更に江戸城の南側には台場砲台が設けられていた。
624 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:48
あと石垣も戦国初期の野面積みならともかく後期から行われていた切込み式の石積みならば砲弾を 浴びせてもそう簡単に崩れないはず。さらにくずれても、土塁の上に石をカバーしているだけとい う形なので土塁が姿を見せるだけ。 城郭の前線部に自然地形を利用した土塁、更に自然の堀。など自然地形を生かしたのが日本の城郭の 特徴。これはもう日本の江戸や大阪が城砦都市そのものだったとっても過言ではない。 城塞都市といえばコンスタンティノープルが有名。海からは攻め落とせないので、背後から無理やり 船をで乗り入れてオスマン軍が奇襲してようやく落城したという逸話があるが、これに勝るとも 劣らない。 ということで江戸や大阪などの城砦都市が世界最強だったという結論が導き出される。
625 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:53
いやというなら 城の周りを幾重にも重厚な堀と郭で囲いさらにその周りに 自然地形を利用した堀と郭を設置した城塞都市を上げてみてよ 1つのキャッスルの規模としてはおそらく江戸城が世界一でかい。 衛生写真や地図などをみてみてもそのでかさは異様。 今の山手線内側が全て城だつたんだから。
>>622-625 衛星>衛生と誤るのは癖?
長文レスするのはかまわんけど、何度も何度も同じミスしないでもらえるかな?
それだけで信頼性ダウン。
内容についてはコメントしないけどね。
627 :
世界@名無史さん :04/04/04 15:59
城郭としての規模なら江戸城がおそらく世界一でしょう。
628 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:11
日本一の間違いだろw
629 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:13
じゃあ根拠を示せ 根拠を! ねーんだろどうせ 城の周りを幾重にも重厚な堀と郭で囲いさらにその周りに 自然地形を利用した堀と郭を設置した城塞都市を上げてみてよ 1つのキャッスルの規模としてはおそらく江戸城が世界一でかい。 衛生写真や地図などをみてみてもそのでかさは異様。 今の山手線内側が全て城だったんだから。
630 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:16
あほ?ウィンザー城が世界一大きい城として有名なんだけど。
631 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:17
平凡社の世界地図で世界の都市を眺めてみたけど やっぱり山手線ね含めて考えて東京の異様さっていうのが際立ったているよ どの世界の都市にも幾重もの堀に囲まれたキングキャッスル は存在しない。
632 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:18
何が世界一だよ。城の歴史が浅い国がなに生意気な事言ってんだよ。
633 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:21
634 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:22
635 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:23
ところで、17世紀中頃のヨーロッパの街はどの 様な規模だったのでしょうか。キリスト教の中心 でありローマ帝国以来の繁栄を誇るローマはヨー ロッパ一の規模を誇っていましたがその市街地は総 面積で約15 Km2 でした。ロンドンは約9 Km2 、パ リに至っては約6 Km2 でした。同じ頃江戸では家康 から始まった大都市計画が完成するのですが、その市 街地面積は約44 Km2 にもなり、世界に誇る都市計画が 実行されたことがうかがえます。京都が約21 Km2 です からその巨大さは群を抜いていたようです
636 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:24
1639年(寛永16年)頃には城域のほぼすべてが完成。 東西5km、南北3.5km、周囲16kmという桁外れの巨大城郭である。 江戸の町はこの城を中心として当時世界一の人口を誇る 100万都市へと成長したのでござる。
637 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:29
>>629 そんなことだから北の某半島にある國にばかにされるだよw
紫禁城は江戸城より規模がでかい
638 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:29
>>634 ほー君はものすごく勉強したようで。
すまんが単にそれは日本人が日本を挙げる主観に過ぎない。
世界一大きい城はウィンザーと世界的に有名だからな。
639 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:34
そんなこといってたら 万里の長城が世界一になってしまうわけだがwwwww
大きさだけなら、唐の長安城があるんだが。 (防御力はまあ…って感じだけど) 東西9.7km、南北8.2km、面積79.54km^2 コンスタンティノープルのほぼ4倍の規模。 人口も最盛期の江戸と同じくらいかな。 紫禁城っつうか清代の北京もかなりでかい。 防御力無視すれば巨大城郭都市なんてあるもんだよ。
>>638 なんか勘違いしてるみたいだがウィンザー城は現在使われてる城としては最大最古だけど歴史上これを上回る城がなかったわけじゃないんだよ。
江戸城は幕末に本丸と西の丸は焼失してるし、明治維新後は櫓などがあったけど殆どが棄却されてるから。
642 :
世界@名無史さん :04/04/04 16:45
どこまでを江戸城の範囲と定義するの? 外堀? 朱引き? 墨引き?
643 :
名無し@4周年 :04/04/04 17:26
城の大きさというのは構造物のことを言ってるのかな? それとも巨大な外堀を含めた全体のことを言うのかな? 北条氏の小田原城は構造物はそれほど巨大でなくても周囲数キロに及ぶ 巨大な外堀持っていたんだよね。 巨大な城といえば街自体がひとつの城だった中国とかの城(城じたいが都市なんだが、、)が大きいんじゃないの? 江戸城や大阪城の巨大さというのは構造物のことでなく、総構えを含む巨大な外堀を言ってるんじゃないかな? 街自体が城の一部になるんだからそりゃ広いと思うよ。ただ世界一かどうかはよう知らん。
644 :
世界@名無史さん :04/04/04 17:39
木造だったら全て台無し。今の江戸城を見ての党利。
645 :
世界@名無史さん :04/04/04 17:43
日本の建物は面でいったら世界一だと思う 仁徳天皇陵も世界一 江戸城も総縄張りを入れたら世界一 どちらも一番外の堀より内側という基準での面積だけどね
>>645 …だから、中国の城市はどうなるっつうの。
仁徳天皇陵は確か世界最大の墓だけど。
北京と長安、少なくともこの二つは江戸城より大きいわけだが。
っていうか、上のほうで江戸城=山の手線内って言ってる奴、地図みたことあるんか?
例え規模が世界最大だとしても、決して世界最強の築城構造物だとは 言えないのだがな(苦笑 あの軍事板でさえ絶滅に瀕している最強厨をこんなところで見るとは・・・
650 :
世界@名無史さん :04/04/04 19:27
釣り師だなw 日本で大規模な城といえば大坂城だろうな
651 :
世界@名無史さん :04/04/04 19:32
まぁ、城を持たないチンギス・ハーンが世界最強なわけだが
652 :
世界@名無史さん :04/04/04 19:40
なんか厨房レスばっかりだなw
上でも書いたが日本の平城は政経の重点としての性格が強いが故に 平時の使い勝手が要塞としての戦闘力より優先されている 江戸城も同様で、拠るべき地形に乏しく、特に東側は距離はあるものの 陣地としての縦深は無に等しい この方面は主陣地と第二線陣地が離隔しすぎており、隅田川の河川障害を 突破されればあとは大手前、大名小路の手前まで核となる地形障害に乏しく、 おまけに住居が密集して組織的な防御戦闘を阻害するため、 電車道になる危険がある また、地積が広く陣内機動路が整備されてはいるものの、防御正面が広大で 戦力の分散と相互支援の困難を招く危険性もある 江戸城は平城としてはよく考えられているが、その努力は主に江戸城の 先天的な欠陥や問題点の補備や対策に向けられている 要塞は大きければよいというものではない
都市と要塞がごちゃごちゃになってるし はぁ
城郭都市言うなら、大砲普及後の16世紀以降の西欧の大都市も対砲撃対策を 施した城壁を積極的に築いていたわけなんだが。うろ覚えだが、ヴォーバンだかも パリの城壁建設計画に積極的に関わっていたはず。
656 :
世界@名無史さん :04/04/04 23:27
>>654 そもそも『城』という言葉が、都市と要塞の両方の意味で
使われるからな。
657 :
世界@名無史さん :04/04/04 23:48
都城という言葉もありますからな。
659 :
世界@名無史さん :04/04/05 10:53
city castle citadel 他の訳もあるが、上記の英単語のいずれも『城』と訳せるね。
660 :
世界@名無史さん :04/04/05 12:39
そういや宮崎県に都城市という町があったような?
しばらくぶりに見たら学問的になってる! あと、前に紹介した資料『城』は、構造だけではなくて、城での生活に ついての記載も豊富ですよ☆ ルネサンス式についてはカルマル城の記載がありますよ。
またあんたかよ・・・・
都城は漏れのばーさんの故郷だ。
>>645 仁徳天皇陵はでかいことはでかいが、
元々あった山を加工しただけなので作業量的には案外小さいと思われ。
>>664 「大山古墳を築造するには、1日2000人を動員して15年かかる」との試算があるらしい。
>>1 の糞スレを破壊するんだ!
__ __ .__
. ( | ( | .( | ミ ミ ミ 人
. || || || ○ ○ ○ (__)
/// || /// ||/// || (____) / \
/二\/二\/二\ 凹凹 | |_|[] |
// || ヽヽ || ヽヽ.|| ヽヽ | ‖ .‖[][]|
// ( )ヽヽ___)ヽヽ )ヽヽ |[][]糞スレ城 |
//  ̄ ヽヽ ヽヽ ヽヽ | 用 |
要塞と言ったら軍事施設。 都市はもっと広いカテゴリ。都市の中にも要塞があることはあるし。
670 :
世界@名無史さん :04/04/06 09:45
まーまー、穏やかに行きましょうや。 興りは単なる軍事目的の人里はなれた要塞であったものが、 そこに住まう兵士目当ての店や、遊郭などにより街が形成され、 当初は単身で派遣された兵士も城外に所帯を持ち、人口が増え始めると そこに食料を供給するために近郊の農地が開拓され、次第に都市化する てのは珍しくない。 従って、単なる要塞〜都市への過渡期にあるような、どちらともつかない とうな場所もあったと推測される。
屯田兵
672 :
世界@名無史さん :04/04/06 18:37
イスマイル派の立て篭もってた山城ってどうなの? 結局、モンゴルの調略に耐え切れずに開城しちゃったけど。 やっぱし守るに易く攻めるに難かったのかな? まあ、あんな城に住みたかないけど。
今は障子やたたみが世界の基準だっけ?
おまいらはTruth of fantasyシリーズの「城」読んだことありますか? あれも結構参考になるぞ。
モットアンドベイリーの話は出てないんですか?
676 :
世界@名無史さん :04/04/07 22:45
アラムート山
677 :
世界@名無史さん :04/04/08 07:09
>>637 > そんなことだから北の某半島にある國にばかにされるだよw
> 紫禁城は江戸城より規模がでかい
バカにされるのは君のほうじゃないかな。
面積では江戸城は紫禁城の1.5倍。
678 :
世界@名無史さん :04/04/08 07:51
>>638 厨なんですが、
何をもってウィンザー城は世界最大ってことになっているんですか?
面積はどのくらいなんでしょう。
容積の問題だと思うよ。 あるいは城館そのものの大きさ。
>>678 ガーデンを除けば面積はそれほど無いが
建築物だけだなら世界一あるよ。
681 :
世界@名無史さん :04/04/08 11:28
江戸城が世界一大きい(面積が広い)と言えば、 「紫禁城のほうが大きい」 というデタラメを言う奴が現れたかと思うと、 「広さだけでは最強とは言えない」 と話をまぜっかえす。 なんだか、アホなプライド合戦のようなレスばかりですね。
モットアンドベイリー式がコストパフォーマンス的に最強。 と、混ぜっかえしてみる
なんかむなしい議論だな どこが広いとか大きいとか最強とか 作られた時代、状況、環境とかがまったく違うのに比較などむなしくならないか でも勉強にはなったよ。ありがとう!
江戸城の西の守りは箱根の山。
学校が始まって落ち着きましたね。
686 :
例のにゃあにゃあ :04/04/11 02:29
>>617 モッテ・アンド・ベイリー・タイプの城の続編ニャ。
>>619 それと、ここでは「ニャ」より、「ミャ」といった方がいいとか言うことみたいだから、ミャだニャ。
モッテ・アンド・ベイリーの起源はスカンジナビア半島と考えられていて、
当初は襲撃に備えて迅速に建設できる城として登場したと考えられているミャ。
このタイプの城はノルマン人と共に広がり、最初はノルマンディー、
ノルマンコンクエストに伴いイギリスに現れ、
ノルマン人によるシチリア王国の成立に伴いイタリアにも登場しているミャ。
イギリスではヘースティングの戦いに続く50年の間に数百の城が建設されてるミャ。
城の多くは集落や教会を壊して作られたミャ。
リンカン州では166、ノーウィチでは113、ケンブリッジでは27、ヨークでは51箇所の村が破壊されて城が建設されたミャ。
この城はノルマン人支配の拠点として、象徴として極めて有効に機能したと中世軍事技術史に詳しいケリー教授は評価してるミャ。
この城は建設に特別な技術が必要なく、短期間にでき、それなりの防御力もあるミャ。
だけど、この城は整備が大変で、腰を据えた攻城を受けると直ぐに陥落するし、
構造物が全て木製だから簡単に燃えるしと、問題も多いミャ。
バイユーのタペストリーには馬で城に乗り込まれている様子が描かれてるミャ。
騎兵でも攻略できるていどの防御力しかないってことかもしれないミャ。
12世紀に入ると、石造りの城に急速に取って代わられて消えていくミャ。
kelly devries,medieval military technology,ontario,1992,p.212
jim bradbury,the medieval siege,suffolk,1992,pp.50-51
しかし、最近日本マンセーってノリが流行ってるのかねぇ 江戸城が最強だなんて
688 :
世界@名無史さん :04/04/13 14:47
バカじゃねーの、オマエ!
だってよ!?↓
え!おれ?えーとえーと、ペレストロイカ!!
カリオストロ城(世界史ちゃうし ロ↓なロアール城とかいっぱいあるでよ
692 :
ワードナー :04/04/13 23:17
トルコのカッパドギアこそ最強の城である。
693 :
世界@名無史さん :04/04/13 23:23
この間NHKの歴史ものも見ていたら、大阪城がすごいと思った。 家康も堀を埋めようと必死だった。 あの時代、巨大な堀は現代の核兵器に匹敵したそうだ。
アメリカのノーラッド
大阪城の障子堀は小田原攻めの後で付け加えられたものなのかね? それとも当時においてもごく普通の陣地構築?
普通
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。 これは本当です。やらないと一年無駄になります. 私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。 けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです
698 :
例のにゃあにゃあ :04/04/14 21:24
そうか、我が輩は流れを読み誤っていたミャ。 じゃ、最強の城はキャスル・オブ・アアアアアだミャ。 アーサー王の総攻撃すらも攻撃前に撃破してしまうほど強力な毒舌砲を備えてるミャ。
699 :
世界@名無史さん :04/04/29 19:32
不夜城
漢城ニダ
日本の城のほうが弱いに決まってるだろ。 木造だし、ろくに攻城兵器の洗礼もうけたことがない。 なんで決着が早くつかないのかわからん。 700レスも消費して、何やってんだ?
>>701 藻前みたいに過去ログも読まず思い込みだけで語る奴が多いから。
>>701 文禄慶長の役。
攻城兵器らしきものも投入できず、大混乱と士気阻喪で日本式城に
歯が立たなかった明と朝鮮。
それが史実。
攻城兵器投入したとしても、
でえっちらおっちらやっているうちに餓死、逃亡。
それが当時の実態。
704 :
世界@名無史さん :04/04/30 10:39
>>701 >ろくに攻城兵器の洗礼もうけたことがない。
攻城兵器って具体的にはどういう兵器のことを言ってるの?
大体、山城や平城の外郭沼沢地に攻城塔をどうやって運ぶんだ!!・・・ 以下ループ
707 :
世界@名無史さん :04/04/30 18:59
>>706 ひもで引っ張って運ぶ。
あたりまえじゃん??
九州では早くから攻城砲は当たり前に使用されてるんだけどねえ
709 :
世界@名無史さん :04/05/01 02:40
>九州では早くから攻城砲は当たり前に使用されてるんだけどねえ ????????????
大友宗麟が小型の砲を鋳造させた事ですか?
なんで日本では投石機って無かったの?
ここはループスレですか?
大阪城はエロカワイイ
717 :
世界@名無史さん :04/05/07 10:46
米海兵隊員を大量に屠った硫黄島要塞こそ最強。
718 :
世界@名無史さん :04/05/07 11:40
モンサンミシェルこそ美しさと共に
>>713 平安初期、蝦夷征討の時はあったらしいよ。
日本で大型砲が攻城兵器として運用されることが少なかったのは、多頭引きの技術が無かったから シュラにのせて人力牽引をしていたので、その労力の問題で重量、威力が制限された 長距離移動に関しては船舶による運搬が主になっている あと、ウマの体格が小さかったこともある 日本の場合、抱え大砲までの火砲に対してなら堅いな 砲撃に対応した西洋式城郭もライフリングのある大口径砲でやられてるし、 WW IIではエバンエマール要塞が空挺攻撃、セヴァストポリ要塞が列車砲にやられている 設計時の想定外の兵器で攻撃されちゃなんともならん
721 :
世界@名無史さん :04/05/24 01:46
世界遺産モンサンミシェル見逃した・・・_| ̄|○
722 :
世界@名無史さん :04/05/24 01:49
見たぜ・・・美しすぎるぜ・・・
モンサンミッシェルって包囲するの難しそうね。でも補給するのも難しそう。浅瀬だから舟入ってこれないっしょ。
724 :
世界@名無史さん :04/05/24 10:53
そもそも修道院はなぜ険しい場所に建てるの? 外敵を防ぐため? 修道士に逃げ出すのを思い止まらせるため?
725 :
世界@名無史さん :04/05/24 11:18
俗世の誘惑から遮断するため。日本の修行仏寺でも同様。 少し考えれば直ぐ思いつくことだろ。
726 :
世界@名無史さん :04/05/24 11:30
>>725 それは後世の後付けだよ。
もともと11世紀あたり以前の修道院は普通の農村にあって、
ほとんど俗世領主と同じような存在だった。
違いは、彼らの持っている開墾技術や土地改良技術、品種改良技術などで
俗世領主の勢力圏外を開拓して修道院領にしていったことくらい。
だから修道院も俗世領主や他の教会領などと、俗世的な争いを起こすことも
珍しくなく、俗世領主と同様に堅固な城を必要とした。
俗世の誘惑から遠ざかるというのは、どっちかって言うと教会らしからぬ
堅固な城を正当化するための言い訳。実際は戦のため。
そういった理由で堅固な城塞が修道院の様式として定着して、修道院が
俗世権力からほとんど切り離されて以降に建築された修道院もその様式を
継承したってだけ。「俗世の誘惑から...」という理由も皆無ではないが。
727 :
世界@名無史さん :04/05/24 11:36
>>726 モン・サン・ミシェルに関していえば、あれは巡礼地という 起源があり、そういう意味からもああいう辺鄙なところに 建てたのです
そんなん各会派ごとに理由は違うよ。全部をまとめて考えない方が。
>>726 宗派によっても違うし、その修道院の成り立ちによっても違う。
正教のアトスなんてのは、そういう世俗感の争いから隔絶していることに
真価があるわけだからな。
(その隔絶ぶりが、逆に政治力になったりもするんだが)
モンサンミッシェルって水の手はどうなってるんだろ 雨水頼りなのかな 西洋の城って水の手が不思議なところ多い印象が 西洋の山城だと兵数が少ないから、雨水だけで大丈夫なのかな
井戸無いの?
733 :
世界@名無史さん :04/05/24 23:05
>>732 海つっても海の中だからな〜。
相当深く掘らないと海水が出てくると思われ。
734 :
世界@名無史さん :04/05/25 08:33
↑君、日本語大丈夫?
アトランティスはともかくムーなんてチャーチワードの証言しかないじゃん。しかもソースは明かさないし。
ノートルダムを攻略した。もうすぐモンサンミッシェルに攻め込むよ。 いや楽しみだ。 その前に動物園に行かねばならんらしい・・・。
>>732 砂州で井戸を掘ると真水が出てくる場合がある。(ex. 天橋立、弓ヶ浜半島etc.)
雨水が、海水との比重の差によって、砂州の直下に集まるらしい。
ドイツ人の名前の現象名がついてたけど、忘れちゃった。
739 :
世界@名無史さん :04/06/15 23:29
740 :
世界@名無史さん :04/06/16 01:11
日本語で城といえば、権力者、大名の要塞をかねた邸宅。 中国語では、城とは城壁で囲んだ街全体。 このために、「日本の権力者は利己主義!自分自身の安全しか確保しない!」とのたまう向きもある。 しかし考え方によっては、日本の庶民のほうが安全である。権力者と運命をともにせず、好きなところに逃げ失せてしまえるから。 中国では、大規模な篭城戦で城内の食料が枯渇すると、大抵人肉食の悲劇が起きる。 その際に食われるのは、大抵城内の一般庶民。庶民は大切な食料なのである。 中国史上、篭城戦で兵士に庶民が食われた例はあまたある。
ま、日本の城でも周辺住民を収容する事もあるんだがなー
742 :
世界@名無史さん :04/06/16 14:37
流石に住民を食うまではいかないだろうが
743 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/16 19:34
秀吉の鳥取城攻めでは追い込まれた周辺住民も餓えたそうです。人肉食もあり。
744 :
世界@名無史さん :04/06/16 23:15
清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、 城内が飢餓に見舞われた際、清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。 ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、莫という婦人が老婆の 命乞いをした。将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。 李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには 「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。かわりに 私を食べて下さい。」 兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。 またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。 県令は許さなかったが、例の将軍は「城内に入れろ!いざというときは我々の 十日分の食糧となる。」と、彼らを城内に避難させた。 城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。 戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。 訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。 「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。彼らには墓がありませぬ もうじき寒水節だというのにあなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば 良いのでありましょうか」 さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。
ウンコ貰えば良かったのに
NHKで大阪城攻城のをやってるけど凄いもんだね
このスレほど、勉強になったスレもなかったなあ。 2ちゃねらーのみなさんありがとう。 大阪城関係のなぞが1つつぶれた。
749 :
世界@名無史さん :04/08/02 12:05
age
750 :
世界@名無史さん :04/08/09 20:51
751 :
世界@名無史さん :04/08/09 21:04
>>750 モン・サン・ミッシェル(フランス)
聖ミカエルが現れたという伝説に由来して建てられた修道院。
お城じゃなかったんですね (恥 ぐぐって色々調べてきます 有難う御座いました
ちょっと上のレスにバンバン名前出てましたね・・・・ _| ̄|○ ハンセイ
755 :
世界@名無史さん :04/08/24 01:11
ageておく
このスレ見つけてようやくここまで読んだ。 六の厨房っぷりに萎えた事をあえてカキコしておく。
757 :
世界@名無史さん :04/09/05 16:54
>>720 けっこう使われてませんでしたっけ?
江戸時代にも、島原の乱に大しては大型の砲弾を撃ちだす臼砲を使って
いたような。
さらにいうと抱え大筒は、野戦用であって、攻城用じゃなかったような。
あんなんで城に傷つくわけないですって。
758 :
世界@名無史さん :04/09/05 17:33
万里の長城って、防御ラインというより、辺境守備軍の道路 だったんじゃないの? 長い壁つくっても、全線に兵士貼り付けておくわけにいかんし。 ローマの長城も役に立たなかったらしい。当然だが。
ローマのハドリアヌス長城だっけ?あれは原住民にこっからこっちは俺んちの領土!っていう意味でつくったもの。 防御拠点ではないし低すぎる。兵屯所もないし。 万里の長城も兵屯所はあり、充分高く防御拠点にはなりうるが 現実的に長城すべてを常時守っていたわけではない。 モンゴル騎馬兵が長城内に侵入した後包囲し、退却させるのを防ぐのに もっぱら役に立ったらしい。
760 :
世界@名無史さん :04/09/05 23:39
>モンゴル騎馬兵が長城内に侵入した後包囲し、退却させるのを防ぐのに >もっぱら役に立ったらしい。 防御ラインというより騎馬に対する障害物ですか。
761 :
世界@名無史さん :04/09/06 17:42
>>758 充分な攻城の装備をもっていない集団には脅威になりますよ。
>>759 それでも、簡単な野営用の陣地よりは防御効果はあるし、
重装備の歩兵だけで強襲をかけるわけにもいかない程度の効果は
あったのではないかと。
騎馬の障害なら、拒馬とか逆茂木で充分なわけだし。
>>761 戦う前に防御兵が常時いないと思う。
財政的にきついからね。薄く広く守っても簡単に突破されちゃうし。
まず蒙古兵が現れて、本国へ連絡入れて、内地で軍団が編成されて
そこから出発するわけだからその間にたいてい突破されたんじゃないかな。
んで内地で略奪してる蒙古兵を集団でじわりじわり城壁においつめる。
蒙古兵も退路が遮断されてるわけだからすぐ退却せざるをえない。
こんな感じかと。
万里の長城は城壁ではなくあくまで壁 軽い気持ちで越境させないこと、大軍(の騎兵)を通すのに時間をかけさせることが 主目的であって、あんな土塁を防衛ラインにすることなどまずあり得ない 長城の中国側に何里かおきに見張り台をたててごく少数の兵を置き、 越境の気配があったら近隣の街や中央に報告つうのが通常の手続き 平常時は俺たちはこっからそっちには行かないからお前らも来んなつう境界線だな
764 :
世界@名無史さん :04/09/07 16:05
議論の流れからすると、やはり哨戒ライン・足止め障害物ですか。 ちなみに漢代とかだとあれほど匈奴問題が焦眉の課題だったに関わらず、 長城云々が登場しないけど、実際的には意味なかったのかな。 ローマでも、侵入した蛮族を国内で迎撃している。 広大な帝国では、国境ラインで撃退するのは事実上不可能でしょう。
帝国に限らず国境で迎え撃つのは現実的じゃないな。
>>764 ローマは最盛期までは、「先制攻撃」が最高の防御手段だったわけだが。
ま、どちらにしても長大な「国境線」で防衛するのは不可能ってことだね。
最も有効なのは、情報と機動力、そして打撃力。
ただ
> 哨戒ライン・足止め障害物
これだけで、凄まじく有用だってことに気付いてるのかな?
相手の機動力をそぐ+情報を得る
これは軍事上きわめて重要。
>>759 ハドリアヌスの城壁は、一定の区間ごとに兵屯所も置かれていたし、軍団基地
も設けられていた一大軍事拠点だが。
アンントニヌスの城壁と勘違いしてないか?
(ハドリアヌスの城壁は、「軍団基地」とセットで軍事的威圧を加えるのが主たる
役割だったんだけどな)
国境が川や峠だったりするのは普通にあるのでそれは一概には言えんな
769 :
世界@名無史さん :04/09/10 13:51
そういや前漢VS匈奴の激闘では長城は全然登場しないよね。 なぜか??やはり現実的に意味ないのかな。 秦期に蒙恬の築いた長城も辺境を軍隊が迅速に移動するための道路っぽい。 そして秦期に匈奴が侵入しなかったのは、匈奴が当時弱かったからと思われ。 蒙恬は30万の大軍を率いて国境を往来してたそうだけど、 それでも関中〜遼東をカバーするのは不可能だよね。 結局、前漢期は大騎馬軍団を組織して匈奴に積極攻勢にでるしかなかった。 比較してもしようがないけど、ローマは前漢より敵に恵まれてたよね、 足の超遅いゲルマン人相手だったから。
>長城も辺境を軍隊が迅速に移動するための道路っぽい。 こだわってるね。
771 :
世界@名無史さん :04/09/10 14:14
む?スレタイは日本の城とヨーロッパの城か。 ま、中国ネタでもいいよね。
長城が現実的に意味が 無かったらあんな構造物を 作る必要有るのか? 清朝末期には既に意味がなくなってたのは間違いないらしいが。
ま、清朝は長城以北の野蛮人が建てた国だからね。 呉三桂が山海関を開いたりするから・・・ 呉三桂は明の遺臣としては道義を貫いたかも知れんが、漢民族にとっては裏切り者!
長城の意味など散々挙げられてるだろうに ちなみに長城なんてそんな大した構造物じゃない ただの土手だ 現在の観光地に見られるような城壁作りの長城はずっとあとに作られたもの しかもごく一部だけだぞ
>ちなみに長城なんてそんな大した構造物じゃない >ただの土手だ いくらなんでも乱暴な書き方だったな 「秦漢時代の」を追加しとく
>>775 唐代の長城ってどんな感じ?
秦漢のモノよりも巨大だろうけど。
現代まで残ってる長城も大部分が版築によるものじゃなかったっけ あちこちで地元民の建材に使われて問題になってるらしいが
778 :
世界@名無史さん :04/09/23 23:58:46
それは城じゃなく壁ちゃう?
だからここまで長城つうのは壁だとさんざん言うちょるに まあネタが無いんだから中国の城の話してもよかろ 漢王城と覇王城みたいにあの規模の敵対する城が異常な近距離に築かれた例って 他にあるのだろうか?
>>779 襄陽と樊城は漢水を挟んで対岸同士にあったが。
現在は襄樊という一つの都市になってる。
ちなみに敵対関係にあったのは、三国志で有名な関羽と曹仁が対峙したとき。
781 :
世界@名無史さん :04/09/26 00:21:42
この前福山城に逝ってきたんだけど、あそこは地味にすごいな。 天守閣が高い。登ると回りに高い建物少ないからほんとに見晴らしがいい。 置いてあった模型は蜘蛛の巣張ってたけど、地表付近に目線を置くようにし ゃがんで天守を見上げるとまじで天にニョキッと突き出してる。江戸時代の人は ほんとにすげえとおもっただろうなあ。多分瀬戸内の航路からも見えたと思う。 空襲で焼けなければ国宝だったかな?
782 :
世界@名無史さん :04/09/26 08:10:24
駅は城の一部であったところを破壊して建てられたものですね。勿体無い ですが、三原城よりはましです・・・。 なお広島城を始めとして、大きなお城が瀬戸内海を行く人々の目印とされ る事は実際にありました。 >空襲で焼けなければ国宝だったかな? もう国宝だった気もしますが、広島城の間違いか。 焼かれた時には20km先の田舎でも、窓の覆いを取っていれば家の中が 明るくなりました。電気要らずという恐怖。
784 :
世界@名無史さん :04/10/01 14:51:12
三原城ってどうなっとるん?
785 :
世界@名無史さん :04/10/01 19:03:12
>>784 三原駅によって、石垣が保存されています。なんなら、ペアシティにもいってご覧
>>784 言い換えれば、一部の石垣と堀を除けば何も残っていないという事でして(笑)。
線路を通すのは致し方なかったにせよ、明治政府も無茶な事をする。
天守台の半分が三原駅の土台になっています。後はデパートの土台。
まちBBSには、それすらもつぶして箱モノをつくれという現住民の意見があり
ましたが、発想が時代遅れというか。
787 :
世界@名無史さん :04/10/02 07:22:41
>>786 三原城は、今でも駅として活躍しているわけで、存在意義はあると思う。鉄道通さなかったばかりに、近代街づくりがゆがんだ街はいろいろあるからね。
だからと言って、線路が城郭ぶっ通してのもどうかと。 そこまで極端でなくとも、城のそばに駅を作ったばっかりに 駅前繁華街の整備がやりずらかったりという事例がありそうな希ガス。
789 :
世界@名無史さん :04/10/04 00:18:07
>>788 岡崎市や米沢市のように既存の城下町から離れた位置に鉄道の駅をつくってしまったため、街づくりが継承されないこともある。鉄道・道路など近代の交通網の整備において、世界の城塞都市はどのように対応したか、興味あり。発言キボンヌ
790 :
世界@名無史さん :04/10/04 03:18:56
アメリカの学者が国境の無い世界の方が現在の世界よりはるかに 人類を滅亡に導く危険性の高いということを完璧に証明。
日本の城の方が明らかに、世界中の城よりも攻めにくいだろうね
日本の山城だと敵の足が滑るようにシャガとかの特定の植物を植えたところがある 現代でも台湾の澎湖島とかは、敵の侵入に対抗するためにサボテンが植えられている 西洋だとトゲのあるバラとか優先的に植えられていた ?
793 :
世界@名無史さん :04/10/18 19:02:40
石垣+漆喰塀が当時としては超硬かったと聞いたけどそんなもんかねえ・・・
大砲や銃があったから石より土塁のほうがよかっただろう。
795 :
世界@名無史さん :04/10/19 12:43:26
そういえば今日BS2で夜11時からマイセンのお城の番組があるね。 アルブレヒトブルクだったかな。
796 :
世界@名無史さん :04/11/12 20:33:30
age
フランスのワイン作ってるシャトーとかどうよ?
798 :
世界@名無史さん :04/11/13 16:10:10
そういうのは日本の城には無いな。貴族の御殿とかで日本酒作りしてる なんてのは無いのかな?あるいは御所とか。
799 :
世界@名無史さん :04/11/13 18:16:26
酒は知らんが 城で味噌を作ってたという話は聞いたことがある
800 :
世界@名無史さん :04/11/13 20:49:29
>>799 マジで?なぜ味噌なんだろう・・・非常食か?
城の中に桃の木やリンゴの木を植えていた殿様もいたな
802 :
世界@名無史さん :04/11/13 21:20:00
発酵しやすいんじゃないの
非常食にきまってるだろ。 よく篭城戦のときのため城内に花や実のなる木を植える。
804 :
世界@名無史さん :04/11/13 22:34:55
干物でもストックしておくほうが良いんじゃねーか?
>>800 味噌が非常食・保存食と気付かない、ということは今まで味噌に関わってこない人生
だったのかな?
味噌は日持ちするし、栄養価は高いし、戦場食としてはかなり便利。
806 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:00:21
>>805 そういや武田信玄と戦った徳川家康が味噌を漏らしてたよね。
807 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:00:52
>>789 鉄道駅は城壁周辺に配置。城内旧市街地に駅舎を向けた行き止まり式ホームが多い。阪急梅田のような駅が欧州には多数。
自動車道路を城内に引くのは大変。欧州では城内旧市街地保全に自動車乗り入れ制限し路面電車が発達。
城壁を壊して環状道路に利用するのは北京やウィーンなど多数。ソウルもか。
地下鉄は日本と変わらない。
808 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:37:29
城壁周辺に配置されている駅は郵便駅の跡地であることも多いそうだね
809 :
世界@名無史さん :04/11/14 12:42:21
パルテノン神殿だってほんとは木造にしたかったらしいぞ。
810 :
世界@名無史さん :04/11/14 19:59:00
>>807 蟻が糖。城壁という都市境界が明確な海外と、不明確な日本の城下町の差といえますね。日本城専門だが、世界城を理解することもやはり重要っ酢ね。
811 :
世界@名無史さん :04/11/14 21:42:23
>>809 パルテノン神殿の本尊のアテナ像は木造に象牙と金を貼って仕上げてたんじゃない?
もちろん、象牙も金も盗まれた。
812 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/15 18:13:10
>>800 山寺の境内に柿や栗の木が植えられることは、平安時代には確認出来ますね。
城もそうしたところが何箇所かありました。土壁や畳に干したあけびなどを
混入させて非常食にした例もあります。
城での酒造りは聞きませんね。寺院では収入源としても醸造していましたが。
(平安時代から「酒は百薬の長」として容認する姿勢があり、俗人も僧侶が
少々飲酒を行なったところで文句を言いませんでした。寧ろ勧めています。
『三河俗聖十二ヶ条』、『俊頼髄脳』、『雑談集』、『言継卿記』、
『多聞院日記』などを参照。勿論否定した見解もありました。)
813 :
世界@名無史さん :04/11/15 18:55:48
黒田長政が筑前に城を築いて屋敷割したとき、父の如水が「米も土地はやる、 庭には梅を植えよ、それで十分だ」といったとか。 「黒田家譜」にあります。
814 :
世界@名無史さん :04/12/06 05:39:47
815 :
世界@名無史さん :04/12/06 11:49:19
中国の城も入れろよ!
うむ
817 :
世界@名無史さん :04/12/29 21:21:13
保守
818 :
世界@名無史さん :04/12/29 21:21:45
中国の城って都市のことだろ。
819 :
世界@名無史さん :04/12/30 07:45:15
>>814 他国の城もキープやゲートタワー中心だから日本だけがって訳でもないけどね。
>>815 城塞都市は別に項目があるんじゃない?
820 :
sporran :04/12/30 11:58:41
スコットランドのお城ホテルに泊まったことがあります。ボースウィックキャッスルと言う名前で13世紀ころのお城で壁は3mくらい。城の外見にたいして部屋が狭い。 縦ながの弓狭間が窓の変わりにあり、室内は白漆喰でぬっているのでまあ、明るい。 南と北の塔は螺旋階段でのぼっていきますが、ぐるぐる回る螺旋階段と同じようなドアは自分がどちらを向いているのかわからなくなる仕掛けです。 ドアは低くて小さく165cmくらい。螺旋階段はかならず時計回りでこれは攻め込む側が右手の剣を振るえなくするためです。階段は狭くて急です。塔の部屋にどうやってバスタブを持ち込んだかは思案のしどころです。 南北の塔のあいだは大広間があり、木のアーチで支えられています。壁にはキャノンでえぐられたキャノンホールがいくつかあります。 ヨークにもいきましたがここは街全体が城塞都市。入り組んだ道と城壁。中央にある教会の塔がみえるのでそれを目指して進むと、迷子になります。 城壁の壁に使われている石垣の表面は同心円状に剥離した痕があり、過去に大火で焼かれた証拠です。
>>597 武田騎馬軍団なんてモノは存在しないよ、つーかありえねぇ。
騎乗は高い身分じゃないとできないってのは知らないわけじゃねぇだろ。
個人的には、痩せた土地に固執し、越後のサイヤ人と不毛な戦いを繰り広げ、
後継者問題を解決せず、周囲に喧嘩を売りながら逝った信玄に高い評価はやれねぇな。
空気の読めない俺、でも謝らない。
822 :
世界@名無史さん :05/01/14 10:08:02
ふむ
>>821 北条とは仲良かったろ。今川は弱体化したから攻め取ったけど。
上杉は信濃の亡命者が逃れてってたきつけたからしょうがない。
氏康は信玄の事を「悪法師」とか罵ってたわけだが
UKでお城好きにお勧めなのがカーディフのお城。 いわゆる中世後期の普通の石壁のお城の真中にかつての モットアンドベイリーが立っている。 基本的に有名な大都市では城壁はみんな破壊されているので 田舎の、開発の手に近世以来完全に取り残されたところ、 開発の余地が無かったところに保存状態のいいのがある。 そんなわけで北ウェールズは古いお城の宝庫。 特に凄いのがコンウィで完全な形で城と町を取り囲む 城壁が残っている。一応幹線線路沿いでアクセスもいいので イギリスに行く際には是非。 大陸の古い町は注意して歩くとどこまでが中世の町でどこに 城壁があったのかは簡単に推測できるね。観光ガイドの 地図を見ただけでも見当はつく。 鉄道というのは基本的にこの城壁の中には入ってこない (入って来れなかった)ことが多い。しばしば元の城壁や 砲台の跡地を利用して駅を作っていることがおおい。 近世の砲戦時代に城壁と砲台が巨大に拡大されているから、 その跡地がターミナルや環状道路や公園になっている。 ちなみにスペインではフランス・イタリアに比べると今ひとつ この巨大要塞と化した都市というのが今ひとつ少ない。やはり 歴史的、地勢的なものか。 あと、国内で近世にほとんど戦争とか都市攻囲戦とかが 行なわれなかったイギリスも比較的そう。
>>821 さらに空気読めてない俺。
甲斐の国は馬の産地でもある。
それに、騎馬軍団といったって何万頭も馬を用意したわけではない。
武田の躑躅が崎館は山や丘の上に立てられた砦と言うタイプの城。
元々規模が小さいだけ。 家臣は不安だからって改築しようとしたが
信玄が改築は不要とし、何故なら家臣団の結束と忠誠こそが石垣や城になって守るから、と例えただけ。
信濃は信玄が上洛する上でどうしても抑えておかなくてはならない要所で、謙信も同じ。
双方京に行くにはどうしてもぶつからなくてはならなかった。
信濃に限った事じゃないけどね。 あの時代は顔だけ味方しても腹の底では敵同士。
あの時代の後継者問題のネックは、家臣が分裂する事が一番の難題。
信玄は家臣団の結束で対応しようとしたが、逆に家臣団が勝頼を総大将として認めず自分らで
何もかも決めたがったので結果、勝頼はひねてああなってしまった…
>>826 空気の読めなさなら負けないッ!
まさか騎馬軍団って、欧州みたいな運用法を想定してないよな?
躑躅ヶ崎なんだが、あれってただの政庁だぞ(それなりに防備はあるが)。
緊急時には詰城の要害山城がちゃんとあった。政庁を改築しなかったってだけで詰城はちゃんと持ってる。
信玄に上洛するという発想があったかどうかは甚だ疑問。それなら北信まで攻める理由が少ない。
むしろ信玄の侵攻ルート見てると、弱い勢力から順に潰して回ってたようにしか見えない。
その結果上杉やら北條やら織田やら周りの強国全部敵に回してるが(北條は和睦するか)。
謙信の場合上洛ルートは海。侵攻方向は関東。信濃確保は越後の安全確保以上の意味はない。
勝頼はがひねた?当時の状況ではよっぽどの名将でない限り織田に勝つのは無理だろ。
828 :
世界@名無史さん :05/01/31 13:59:01 0
浮上
潜行
830 :
世界@名無史さん :05/02/15 02:16:44 0
age
832 :
世界@名無史さん :05/02/15 04:15:33 0
中華の城は町が先にできて、それから城壁ができるから。 たいてい平原や川沿いになるので山城の観念がない。 西洋や日本は城ができてから城下町ができたので山城が可能だった!
833 :
世界@名無史さん :05/02/15 04:35:58 0
誰もわかんないんじゃない? 日本の集落が世界史的に標準とおもわれる防備を調えていたのは弥生時代まで。 あとはどんどん手薄になる。 平安時代の御所に至っては築地塀だけ。門は幾重にもあるけどほとんど開けっ放し。 博打で喧嘩した連中が、追いつ追われつして清涼殿のすぐ裏まで入ってしまったが 誰も罪人にならなかったらしい。普通抜き身の刀もって宮殿に入り込んだら、即死刑。 武士はある程度の、堀やらか塀やらで防備していたが、ヨーロッパみたいに 外城壁4メートル、内城壁2メートル、部屋にはほとんど窓がないなんて考えにも入っていない。
834 :
世界@名無史さん :05/02/15 04:46:31 0
都市だって防備はほとんどない。 堺の例が出てくるが、ヨーロッパの都市はあんなモンじゃない。 村にいたっては、ほぼ開けっ放し。領主が守ってくれるし、領主が変われば、 新しい領主の家臣の中で、行政能力のあるものの領地になるか、直轄なら 代官はほぼ、1番行政能力に長けたのが来る。 兵糧がなくては戦が出来ないからね。
>>831 元々そこはわざわざ日本の城総合スレで
「なぜ中国式城壁は日本で定着しなかったのか」と
くどくしつこく問い続けた荒らしを隔離する為のスレ
結局無駄だったけど
836 :
世界@名無史さん :05/02/15 13:33:28 0
今ひとつ良く分からないのだが、戦国時代の日本では何で城側の防御に大砲が 導入されなかったのだろうか? いや、少数ならあったのは知っているけど、主役としては使われていないわけで それが不思議。 移動が困難という点、弾薬の集積という点、雨露の問題という点、全て固定式の城郭 ではクリアされるわけで、積極的に使用・進化しなかったのが腑に落ちない。 直射式に拘らなくても曲射式で運用すれば観測点を設けられる城側では容易に運用が 可能。 後、爆裂弾(炸裂)が広まらなかったのも解せない。朝鮮の役で明軍が実際に使って 日本側は苦しんでいるわけで、手で投げるタイプにしろ大砲で撃つタイプにしろまるで 発展しなかった理由が良く分からない。 防御に使う分には大砲って使い勝手が良いものだと思うが。
ノルウェーも防御ぬるくない?
西洋で大砲が大型化したのは海戦用に船に大砲を積むようになってからで、 城塞の防御用に大砲がつかわれる例は16世紀以降でないと出てこないって話を どこかで聞いたような気がする。 はじめは攻城兵器であってその対抗上防御側も敵の砲台をつぶすのと牽制用のため、 城塞にも砲台が設置されるようになったとか何とか。
839 :
世界@名無史さん :05/02/15 21:58:15 0
例えば不思議なのが、大阪城が大砲で攻められた時、本丸まで弾丸が飛んできたわけだけど 射程から考えれば防御側が前線に砲を配置していれば余裕で反撃して叩き潰せるわけだよね。 そりゃあ現代の砲とは性能が段違いではあるが、当時の砲の射程と射撃間隔、発射時の噴煙 などで発射位置の隠蔽は難しいのだから。 結果から言えば大阪方は大砲を殆ど持っていなかったというのが本当のとこだろうけど、そもそも 大砲が防御で有効な兵器という認識も無かったと思う。 それが不思議なんだよな。
大阪方が大砲導入しようとするのが見過ごされると思う?
炸薬が無ければ阻止能が低い大砲が防御にそんな有効とは思えんが。設置も大変だし 数が打てる分、弩とか設置式パチンコ(?)の方がましのような
842 :
世界@名無史さん :05/02/15 22:26:56 0
>>840 それは幾らでもやりようがあるでしょう。
そもそもの話、戦時の防衛思想という観点から見れば秀吉の時代から装備していても
おかしくないんだから。
だけど秀吉も防御の要に大砲を使うという思想が無かったからこそ不熱心だったわけで、
その辺がね。
攻め手側が大砲を持っていなければ更に一方的に有利なわけで、少なくとも1000人単位
で押しかかられてくる場合、臼砲の類で隊列の中に落としてやるだけで被害は甚大になる
と思うし。
843 :
世界@名無史さん :05/02/15 22:28:57 0
>>841 まあ、見も蓋も無い言い方をしてしまえば貧乏だったから節約上手な鉄砲しか使えなかった
という言い方も出来るけどね。
案外そんなとこかもしれんが・・・・
それも情けない話だな
1590年代には北九州で大砲が普及しており、それ以前に大友宗麟・加藤 清正・小西行長らが使用しています。関ヶ原の合戦前夜にも、西日本各地で 城攻め・防衛戦に使用されているので、不思議と言えば不思議。 旧式の砲ぐらいであれば、あったのではという気もしますが。
845 :
世界@名無史さん :05/02/16 12:53:32 0
大阪の陣では徳川はカルバリン砲を使ったし豊臣もフランキ砲で応戦はしている けどね。 まあ、どっちにしても主役とは言えなかったが、淀気味がビビッたお陰でさも大阪城が 大砲に弱いかのようなイメージを後世の人間に与えたのは残念。 その辺が日本の城は大砲に弱いようなイメーシ゜を与えるんだろうな。 もっとも、確かに本丸が焼け落ちても篭城は出来るけど、基本的に全ての建造物を燃やされてしまえば 幾らなんでも吹きさらしで生活は出来ないから、そういう意味で建造物が火に弱いというのも 困った話ではあるが・・・・・ 焼夷弾みたいな発展の仕方をすれば大砲も発達したのかなあ? 個人的には個人で携帯できる迫撃砲の形に進化して、それで炸裂弾やら焼夷弾の進化を すればなあと・・・・・・ 大砲みたいに強大な爆発ガスの圧力に耐える構造が必要ないし、重い玉を飛ばす必要も無いし どうして手榴弾やら迫撃砲という形態にならなかったのかと。
846 :
世界@名無史さん :05/02/16 12:59:03 0
実際に朝鮮の役では明軍が炸裂弾を使っており、日本側は結構な被害を受けているのに どうして戦訓が生まれなかったのかと。 思うに当時の火薬の質では現代の成型炸薬と違って威力が段違い故に小型化が難しく 効果が薄かったのではないかと思うが・・・・ 武田の投石部隊は、スリリングみたいな感じで投石をしていたそうだから、その応用で 手榴弾を投げつけてとか、塀越しに敵の城内に投げ込んだりとか面白そうなんだけどなあ。
847 :
世界@名無史さん :05/02/16 13:00:20 0
まあ、それはともかくとして、日本の築城は石垣が出現してから劇的に進化したらしいね。 誰かそこんとこよろしく。
重火器を使う明も倭城は落とせなかったはずで、 慶長後期の大攻勢でも蔚山、泗川、順天と逆に損害を出して攻城に失敗している。 平壌城のような古いタイプの中国式の邑城には明の重火器は威力を存分に発揮したみたいだけど。
日本は織豊政権の時代に石垣が非常に広まった。 それが何か? と思われるかもしれないが、これって結構エポックメーキングだったりする。 それまでの土盛の築城だと、どう作っても構造線の端を切り立った壁のように作る事が不可能 で、端の部分はどうしてもなだらかな角度に作るしかなかった。 そうしないと崩れちゃうから。
これが何で不味いかというと、攻める側にとってはなだらかなスロープ付きの坂だと 登り易いわけで、しかも端が構造的に地盤が弱いため重層的な建造物も立てられない。 つまり、何十人も立て篭もって防御の拠点になるような砦が作れない。 その為、死角が出来てしまう。 非常に攻め易い城だった。 これは特に平地の城では致命的な欠陥。 石垣の導入によって、「壁」を人為的に土と石で作ることが出来るようになった。 つまり、土留めの役割。
石垣の城が、まず経済的な発展が早く早い時期から平地に城を設けるようになった 西国から始まったというのもそれが原因であろう。 山城だと、天然の山岳の高低がそのまま立体構造を作り出してくれるから、それが要塞として の壁構造になってくれる。 だが、平地だと、「高さ」は人為的に作ってやらなければならない。 それが石垣構造なのだ。 中国の都市城みたいに、外壁を破られたら城内は平坦な場合、防御拠点が設けられない。 日本の場合、城内に入ってからもまるで天然の要害で戦っているような有様になる。 この辺に着目する人が少ないのは残念だ。 聳え立つ石垣は、峻険な山の絶壁なのだよ。
852 :
世界@名無史さん :05/02/17 11:40:09 0
大砲なんて議題にすると城がほとんど無意味な気もするけども。 火器登場以前に絞ったらどこが強いの? ついでに質問だけど 西欧の城じゃ上階に上るのに階段よりも縄が使われていたと聞いたことがあるけどマジ?
853 :
世界@名無史さん :05/02/17 14:28:52 0
縄で上るのは無理でしょう。戦闘用の小塔ならどうか知りませんが。 地階が倉庫になっていて、上階には居室になる程度の塔なら、皆階段があるし、 廃墟でも階段の痕跡が残っています。
854 :
世界@名無史さん :05/02/17 14:40:20 0
藤縄、籐縄、麻縄なら登るのは可能。 稲縄なら充分に太く作れば何とか可能。 麦縄は登る以前に作ること自体が不可能。
>>851 それが火砲の発達になると、逆に高さを少なくさせる必要が出てきた。
要するに天守閣や尖塔は砲撃の目標になってしまうから。
日本の場合だと、兵庫県の姫路城と赤穂城がこのいい対照例。
前者は典型的な平山城で、天守閣の威容も素晴らしい。『暴れん坊将軍』や
大河ドラマで度々ロケ地としても利用されてきた。
一方、後者の赤穂城は平城で、山鹿流兵学に基づく城郭で、偶然の一致なの
だろうが、稜ほ式に酷似した死角を作らない縄張りで、櫓もできうる限り高さを
抑えた建築になっている。天守閣は作られず、天守台のみで、姫路城が周囲
を一望できる標高にあるのに対し、赤穂城の天守台からは城内を一望する事
すら不可能。
山鹿流にヨーロッパの軍事技術が入っていたとは考えられないけれども、戦国
期の火砲の導入を織り込んでいたものと思われ、この火砲を計算にいれると、
純日本の城といえども、ヨーロッパの要塞に似てきてしまうんだろう。
(赤穂城には砲台そのものは存在しなかった)
行って見た事がありますし、何故か平戸の資料館で模型を見た事があります が、確かによく出来ていましたね。>赤穂城 >山鹿流にヨーロッパの軍事技術が入っていたとは考えられないけれども その内調べてみようとも思いますが、実はあったやも・・・。
857 :
世界@名無史さん :05/02/17 20:42:20 0
「大砲が発明されて以来難攻不落の城はなくなった。次は何を発明しようというのか」 と言ったのはモンテスキューでしたっけ。
858 :
世界@名無史さん :05/02/17 21:01:54 0
>>851 意味の無い着目点だと思われ
日本のようにほとんどどこでもすぐに山に移動できる国の場合、
平城に防御上のメリットはほとんどない
つまり、軍事上石垣の城なんてわざわざ作る意味は小さい
平城は政治上の宮殿としての意味合いが強い
>>859 結構いい視点だと思うよ。建築物として考えると石垣が無いと土木技術での
高さの有る構造物は作れないから。
まあ、レンガでも造れるけど、それはとりあえずおいといてね。
レンガの積み重ねだと、必ずレンズ同士を接着させる必要があるから、出来た壁が一つの
石みたになって地震とかの揺れがあった場合、逆に力が逃げないで被害が大きくなるからね。
石垣が無いと、土木工事としての高低差の有る建造物は作れないという事だよね。 ちゃんとした恒久的なものという意味でだけど。 古墳とかが殆ど現代では何がなんだか見分けがつかなくなってしまっているけど(山城もそう) 石垣作りだけは今でもかなり残って原形が分かるよね。 そういう意味で日本の土木としては転換点にはなったんじゃなかろうか。
石垣は近江の石工集団しかできなかったそうだ。帰化人の子孫。 それを戦国時代に近江の豪族どもがちゃちな財力でちょこっと石組みつくったけど ほとんど意味がなかった。あんま防御面で効果が薄かった。 そこで秀吉の代になって近江の石工たちを戦場に借り出しまくった。 閉鎖的な職能集団の解体と従軍化による各地への技術開放化。 北条征伐にも朝鮮出兵にも連れて行った。ここで田舎から出てきた各大名たちに 出城などの普請をさせて石工を雇わせ、ノウハウを学ばせた。 これで大名たちは喜んで普請したし、故郷にノウハウ学んだよ!とうれしい手紙だしてる。 その結果全国に石組み技術が広まった。 全国統一と経済の流通化にともない石組み技術もこの頃広まったといえる。
422 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/18 00:59:26 穴太衆は近年の文献史学や考古学などの学術研究では 戦国時代における彼らの名前や流儀の存在は否定されている。 近江坂本には戦国時代の城郭の為の石垣職人の記録はない。 安土城が穴太衆による穴太積みで築かれたという当時の記録もない。 その伝説は実は近世に作られたものであり、 穴太衆という集団も穴太積みという言葉も当時にはなかった。 423 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/18 01:14:40 なにゆえ名もなき職人集団の仕事が、 後世安土城の石垣は穴太衆の穴太積みで築かれたという伝説を生み出したのか。 それは公儀穴生に鍵がある。 彼らは元々三河・伊豆・能登・出雲・丹後の各地の大名の下で、 城郭石垣に携わっていた家系であるが、 江戸城など公儀の城郭普請に供出される際に幕府に提出する調書において、 その祖先をすべて近江坂本に求めたのである。 この事実は、江戸時代にあってもまだ安土城の石垣にブランド的価値があった事を示している。 424 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/18 01:24:56 これは信長以降、築城職人として確立した彼らの技術の優秀さを示す証左であり、 また彼ら自身、自らの技術を証明する為に、 積極的に城づくりに関わったであろうと想像されるのである。 城造りのプロは最初から存在していたのではなく、 その技術の多くは古代から都や宮、寺社の持つ技術と密接に関わっていた。 城を造るという事は、その技術の応用であり革新であった。 近世城郭の様々なパーツは、長い歴史の中で培われてきた 技術の集大成として登場したものである。
864 :
世界@名無史さん :05/02/19 17:49:17 0
やはり朝鮮人なくして日本の城は無かったということだね
前に共和国に修学旅行で行った時あっちの古城を見てきたけど、 なかなか立派でしたよ。
866 :
世界@名無史さん :05/02/19 18:17:49 0
>>865 フランスに修学旅行とは豪勢だな。俺は京都だったよ。
北朝鮮旅行とは豪勢だな。俺は南鮮国家だったよ。
869 :
世界@名無史さん :05/02/20 03:58:13 0
少なくとも関が原以後数年に建てられた織豊系大名の城に関しては 大砲を充分考慮してるんだけどね。 19世紀中盤までは最強の要害だよ。 いや、思想的には空爆以前最強の要害だと思うよ、17世紀初頭の日本の城は。 距離の面で射程が伸びた20世紀初頭の砲撃にはきついと思うが それでも少なくとも練度の低い少数の守備兵しかいない熊本城が 戊辰戦争を戦い抜いた薩摩軍団の猛攻を耐え抜いた実績があるんだし。 って言うか思想的には鉄筋コンクリさえあれば、最小限の近代兵器さえあれば 思想的には現代の陣地に充分通じる思想を体現してるからな、織豊系城郭は。
870 :
脱兎☆ :05/02/20 04:23:36 O
コンスタンティノープルみたいな町全体が城壁に囲まれた要塞みたいなのが日本にもあればおもしろかったのに。堺はスケールが小さすぎだよなぁ。
871 :
世界@名無史さん :05/02/20 09:22:41 0
>>870 日本は「海」という天然の要塞に囲まれているが。
要塞なんて作る金がもったいない。 その分兵士雇って攻めたほうがいい罠。 それくらい人件費が安い。戦国期の日本。 海外に傭兵として出てたのは勇猛で人件費が安かったから。
873 :
世界@名無史さん :05/02/23 01:19:39 0
874 :
世界@名無史さん :05/02/23 12:03:28 0
>>869 熊本城が近代戦で耐え抜いたというのはすごい気もする。
森の中にあるような欧州の城を、森ごと焼き払ったりしたらおもしろいことになりそうだ。 そういう実例はないのかな?
>> 876 守る側がアホでなければ事前に切り倒す。日本も同じ。
>>877 だからそういうあほな城がなかったのかな、と思ったわけ。
しかし日本の山城の場合は禿山にしちゃったの?
877ではないが、 城の周囲を切り払ったほうが、監視もしやすい。流言を広めようと侵入してくる 間者を防ぐ役割もしてくれる。 現存してはないけど、 近江六角氏保有 観音寺城 近江浅井氏保有 鎌刃城 織豊系縄張りで例を挙げるなら 筑前黒田氏の支城、鷹取城とか。
近所の山城ではシャガを植えることを推奨したという話が残ってる(真偽確認してない) 背が膝丈までだし、葉の上が滑りやすい つかんで登ろうとすると千切れる ヨーロッパは有刺鉄線代わりにバラを植えたんじゃなかったか
シャガは繁殖力が旺盛って点も見逃せないな。
>>879 雨ふったら土砂崩れしそうだけど、やっぱ対策もしてあったんですかね。
レスありがとうございました。
883 :
世界@名無史さん :05/02/28 19:36:47 0
日本の城の中には松が多く植えられているが、これにも意味がある。 松は地面に浅く広く根を張るため、城の適地のような岩盤の上でも育ち、同時に土壌を押さえる。 そして材は脂が多くてよく燃え、薪や松明として重要。根を燃やして採った煤は、火薬の原料になる。 また、幹から剥ぎ取った皮の柔らかい部分は、餅に搗き込んで食うことが出来る。
884 :
しゃが :05/02/28 20:09:21 0
シャガ(射干)は種なし。
885 :
世界@名無史さん :05/02/28 20:40:51 0
シャガは移植すると増えます。 ただし、日陰で斜面でないと駄目なようです。 うちの庭には、近所でもらったシャガがありますが、よほど場所が良かったらしく 2,3株だったのが今では畳3畳分ほどになりました。梅と松の陰です。
886 :
しゃが :05/02/28 20:51:35 0
887 :
世界@名無史さん :05/02/28 21:05:16 0
城の周りの森、といえば、太閤さんの伝記に登場する「一夜城」というものは 深い森の中で密かに築城し、出来上がってから一気に周辺の森を切り払って視界を明るくし、 敵に見せ付けるというね。 だから一夜で出来たように見える、と。
888 :
世界@名無史さん :05/03/01 09:19:59 0
小田原一夜城にしろ墨俣築城にしろ、秀吉は大工仕事の知識を持っていたとしか思えない。
あれ? 延焼しないように燃え難い木が植わっているときいたが。
燃えにくい木を植えるのは、城下町の屋敷林だよ。 城下町のほうが、大火が頻発するから。
ヨーロッパの城下町というか城壁内町は放射状や直交しない道が多いよね 対して日本はなんだかんだいって直行するのが基本(郭状に回り込むとかはあるが) その違いはどこから出てるんだろ 予想するには日本は城下=平地に対して、向こうはある程度の起伏があるせいかなと 総構=向こうの城壁内都市かなぁと認識してるのが間違いか
江戸時代になって平和になってから形成された城下町が多いからとか? もしくは再開発のせいで。
江戸の町は戦闘を想定して造られてるが
結論 日本の土地、地形では日本の城や防御システム最強 ヨーロッパの風土ではヨーロッパ型の城が最強
896 :
世界@名無史さん :05/03/16 17:22:16 0
保守
宣教師曰く「日本の城は安く、木で作られているため、大砲の数門もあればオチルヨー。」 大砲5門で連日砲撃してれば 戦国中期の城は確かにそれで落ちたと思う。 熊本城は耐えたけどあれは戦国末期の城だ。
そりゃろくに存在しないものの為に無駄に頑丈にすることは無い。 でも戦国時代の城は壁より縄張りで守ってると思うがどうよ その宣教師の発現には素人臭が漂ってるぞ
>>897 宣教師曰く「この熊浦城は難攻不落を誇り、短期間にじつに驚嘆すべき工事が施されています。
巨大な城壁、塔、砦が見事に構築され云々」
織豊系の城郭が登場してからは、一気に日本の城が逆転したけどね。
だから大砲ガンガンが有効は高い壁で潜入を防ぐ海外の城だからであって 日本の城の守備力は箱物の占めるウェイトがそんなに高くないんだって
大砲ガンガンは、直接的な破壊効果以上に、間接的な影響が大。 縄張りだけでは、歩兵が突撃して来てくれないと反撃不能。 なので、火力により制圧され続ければ、篭城側はほぼ確実に士気が保てなくなる。 織豊系城郭は、防御火力を考慮して成立しているから、まだマシだが。
902 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:48:47 0
保守
903 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:52:07 0
革新
中道
織豊系城郭で防御火力が効果的に発揮された例って幾つくらいあるの?
906 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 11:56:31 0
大阪の陣における真田昌幸が代表例。 障子壕(高低差の激しい壕を底なし沼のようにしたもの)で 身動きがとれなくなったところを一人ずつ丁寧に射殺していき、 38000人の徳川秀忠部隊を撃退している。
>906 幸村では?
>906 大阪の陣だと、昌幸ではなく、息子の源次郎信繁の方ですね。 あと、厳密にはちょっと違う気もしないでもないが、西南戦争での熊本城。
909 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 17:14:41 0
>>906 真田出丸が障子堀だった確証はないのでは?昨年の発掘調査結果は、デマルとは別の場所だと思うが。
910 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 18:35:38 0
911 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 12:40:11 0
結局の所、戦争が無ければ城郭は発達しないよな。 日本の場合戦国時代に異常に城郭建築技術が発達した。 よって、16世紀後半〜17世紀初頭に限り、日本の城は世界最強クラス。 それよりも前や後は、ヨーロッパの城に敵わない。 ヨーロッパの城って、時代によって様々だよ。
912 :
世界@名無史さん :2005/04/18(月) 12:10:06 0
保守
913 :
世界@名無史さん :2005/04/19(火) 21:20:28 0
地震対策なら日本の城はかなりすごいと思う。小田原城は地震で石垣が 崩れたが、設計上必要とされた小天主を予算不足かなにかで作らなかっただけで その他の城はほとんど無傷で現在にいたる。
914 :
世界@名無史さん :2005/04/19(火) 21:54:51 0
ここで紹介される、日本の城と張り合える水準に達したヨーロッパの城の ほとんどは日本が築城を止めた江戸時代以降のものだという点を指摘。
915 :
世界@名無史さん :2005/04/23(土) 00:41:17 0
すげえ亀レスだが
>>31 とまるっきり同じ話を俺も厨房時代に教師から聞いたぞw
916 :
世界@名無史さん :2005/04/23(土) 00:42:58 0
でも日本の城って狭くないか? あんなとこで生活できないよ。
たいていは山城の場合ならば、麓に御殿をかまえて日常生活はそこで。 ていうか城主は部下だからぜいたく禁止だよ。
918 :
世界@名無史さん :2005/04/23(土) 11:49:24 0
ヨーロッパの中世の城について質問。 ああいう石造の建築の場合、2階から上の床はどういう構造だったんでしょうか? 2階から上に石の床はありえないと思うので、木の床でいいのでしょうか?
919 :
世界@名無史さん :2005/04/23(土) 12:04:15 0
>>918 中世だったら、城の床は木製です。
壁を先に作り、床の位置に出っ張りを作っておいて、その上に板を張り渡しました。
塔なら、地階は倉庫で地下は牢屋だったりするので、原則として石の床はありません。
ついでに書くと、天井も木製です。
実戦上の実用性のない城も城と呼んでいいのかな
921 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 19:55:20 0
保守
922 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 20:02:24 0
合体したらおもしろいかもな
923 :
世界@名無史さん :2005/05/09(月) 20:31:43 0
旅順要塞も城と呼んでいいのかな 美しいとは言い難いが
924 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 21:15:23 0
城塞とかいう言葉があるが、要塞と城は機能は同じでもイメージが違うよな。
要塞は、突き詰めて言えば「でかい岩」。
軍事機能に特化された要塞に対して、城はさらに行政機能があったり 宮殿などとしてのシンボル的な機能があったりといったところだと思う
930 :
世界@名無史さん :2005/05/28(土) 03:18:47 0
あげ
931 :
世界@名無史さん :2005/06/13(月) 20:42:07 0
age
932 :
世界@名無史さん :2005/06/14(火) 00:12:11 0
日本最強の城塞は石山本願寺じゃねえのか。信長が15万くらいで10年包囲しても 陥落しなかったんだからな。
大阪城の前身。堅くても別に驚かんわな。
934 :
世界@名無史さん :2005/06/15(水) 07:08:56 0
このところ「ヨーロッパ城物語」がない。 もともと不定期の穴埋めくさい扱いだが。
>>932 アレは、佐久間親子の怠慢が原因や。
ノブりんが、そう書いて追放してるんやから間違いない。
河川という補給路を絶てなかったからね>本願寺包囲 湿地帯が広がっていたから有力な水軍を持っていないと包囲しきれない 陸上に関しても土木工事しない限り、増水のたびに展開位置から撤収する必要がある
937 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 21:19:22 0
age
>>936 まあ、秀吉だったらその土木工事からきっちりこなすんだろうけどね
939 :
世界@名無史さん :2005/07/19(火) 12:13:07 0
保守age
日本の城って山ごと丸焼き!とかされた場合の対処はできてたんでしょうか?無知でスマソ
そういう話は聞いたことが無いなあ。 そういう例が無いのなら対処できたかどうかなど無意味。
通常は下草刈って、視界を確保するために木も切り倒してます なので、山そのものに火をつけるのが困難かと 建物に対する火矢での攻撃は普通に行われてます が、首級を確保できず手柄になりにくいという問題が 西洋だと石造の塔に立てこもったのに対して、藁積んで燃やして文字通り燻り出すとか
>>927 城下町の外にも堀を巡らした城もあるから
現在の城郭だけで城の規模を考えれないよ
945 :
世界@名無史さん :2005/08/10(水) 23:26:09 0
age
徳川のボケナス憶えとれよ……陛下を京都に戻した後で 江戸城を根っこから引繰返して核廃棄物の貯蔵地に
950 :
世界@名無史さん :2005/08/13(土) 22:44:15 0
そういやロシアに城にあたるものはありますか? 城郭都市のほかは砦や要塞といった感じの建物が思い浮かぶのですが。
951 :
朱由檢 :2005/08/13(土) 23:23:51 0
952 :
世界@名無史さん :2005/09/01(木) 23:10:12 0
age
953 :
世界@名無史さん :2005/09/01(木) 23:20:07 0
フランスのモンサンミシェル、ドイツのノイシュバレンタイン城は実に美しくていい城だね。 日本にも姫路と言う名城があるが、実に残念に思うのは、 江戸城、秀吉の大阪城は古くになくなっているし、 名古屋城、首里城は昭和の大戦で消失した事だ。 是非とも江戸城は残して貰いたかったな。 日本一の大城だから、さぞや素晴らしい名城だろうに。
954 :
世界@名無史さん :2005/09/02(金) 01:35:19 0
>>953 ノイシュヴァンシュタインの間違いでは?
955 :
世界@名無史さん :2005/09/12(月) 23:19:33 0
「なぜこれほど堅固な城を捨てて江戸に逃げる必要があるのか!? ここで私が教えた一大隊を私に預けてもらえれば、 どんな相手が来ようとビクともしない。 私は帰らずにここにいる!!」
956 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 23:01:38 0
age
なんかホントにありそうな気がしてきた… ノイシュバレンタイン城。
958 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 06:20:50 0
結局、見た目はオール石造のヨーロッパの城でも 燃えると壁だけ残して、中はがらんどうになってしまうんだな
次スレは「東洋の城と西洋の城」を希望。
>>445 遅レスだが、乱妨や奴隷狩りを恐れて、
付近の住民が城に逃げ込むのは
ふつうに存在した事例のようだよ
962 :
世界@名無史さん :2005/10/24(月) 00:43:53 0
ポタラ宮も一見すると城砦のように見えるが あれは防御も意識した造りなのだろうか?
>>960 じゃ中洋はどうなんの?
世界史板の住人が西洋東洋なんて百年前の寝言を言うなや。
世界の城郭事情でよかろう。
分かりやすくするためにも今のままのスレタイでいいと思う あと対比のためにも
万里の長城を造った中国は凄い が、それを造らせたモンゴルはもっと凄い(・∀・)
モンゴル? モンゴルは長城なんて気にせず中国侵略しちゃった方じゃね?
匈奴ってモンゴルだったのか
969 :
世界@名無史さん :2005/11/08(火) 17:55:28 0
居住性は木の城の方がよさげ
日本の城、城市の特徴は城壁を持たないことだろう。 あっても秀吉が築いた京都のお土居くらいのもので、それも 当時の住民には何のためのものか理解されなかったらしい。 城郭に関しては、濠を持っているから、ある意味ただの壁より強力かも知れんが・・
972 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 10:07:16 0
日本の城の石垣ってヨーロッパ人がみたらどう思うんだろう
973 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 10:15:19 0
ゲージツ品
974 :
世界@名無史さん :2005/11/09(水) 10:16:41 0
日本代表小田原城大阪城江戸城ぐらい?
姫路熊本忘れるなよ
日本の城壁は日本海。水城と防塁がオマケ。