2 :
世界@名無史さん:03/10/24 01:39
2
別に三国時代はすべて三戦板の範疇というつもりはないが
>>1のアホっぽい書きっぷりからすると間違いなく三戦板に逝くべきだと思う
4 :
世界@名無史さん:03/10/24 02:16
曹操、焦燥感感じてマス・・・。(早口してみー!)
終了ですよね?
6 :
世界@名無史さん:03/10/24 09:56
>>3 レスありがとうございます、とりあえずこの板の皆さんの意見を伺います。
あほっぽくてすいません。m(_ _)m
言われてみればそうかもな。
古今東西問わず、戦乱の世の中は後世の人の関心を集めるからな。
アレキサンダー大王しかり、チンギス・ハンしかり、ナポレオンしかり、
源義経しかり、織田信長しかり。
あっさりと天下統一したら、関心も薄くなる罠。
ところが近現代の戦乱となると、とたんにヲタ扱いだよなー。
第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争等に関心があるとミリヲタ扱いされ
て蔑視、叩き、疎外の対象になる罠。
そりゃそうかもしれんが所詮IFはIFだとおもうのだが?
9 :
世界@名無史さん:03/10/24 21:04
10 :
世界@名無史さん:03/10/24 21:53
確実に言えるのは孔明が無名
11 :
世界@名無史さん:03/10/24 22:47
五胡十六国の乱は起こらなかっただろう。
八王の乱も起きん。当たり前か・・・
13 :
世界@名無史さん:03/10/25 00:50
曹操が天下を統一してれば、天下泰平が長く続いたということですか?
14 :
世界@名無史さん:03/10/25 10:05
時代は統一から分裂にむかっていたので、
曹操個人がどんなにすぐれてても統一するのは難しかった。
15 :
世界@名無史さん:03/10/25 10:41
>>14 なるほど、レスありがとうございます、
ということは仮に曹操が一時的に統一できてもそれを維持するのは難しいということですね。
分裂と言うよりどのみちトルコ系だとか北方民族に攻略される。
当時は全世界的に民族移動を撃退出来るすべがなかったからね。
17 :
世界@名無史さん:03/10/25 14:34
漢朝四百年という長期政権の後なので、
曹氏の新政権に対する抵抗感は強かったと思う。
現に戸籍調査でも以上に人口が減ってるが、
これは純粋な死亡数だけでなく、流民の増加や
豪族の税金逃れのための戸籍隠しなども原因である。
この時代実際に力を持っていたのは豪族達(後の貴族)。
だから、魏はあまり強い政権じゃなかった。
たまたま曹操という一人のカリスマに群がった
豪族たちの連合政権なのでトップは曹氏でも司馬氏
でも指導力のあるものなら誰でも良かった。
漢王朝の劉氏みたいな権威も権力もない。
蜀や呉も同じで豪族たちの連合政権。
中央から離れれば、半独立化した豪族がうじゃうじゃいたと思う。
あくまで推量だけどね。
この豪族達が貴族になって唐代まで栄えるんだけど、
極端な中央集権じゃなかったから、弾力性があって
むしろ中国社会は発展したと思う。
18 :
世界@名無史さん:03/10/25 15:32
そういった状況で天下統一したら
豪族が強いので、なかなか朱元[王章]や劉邦みたいに
強引な粛清はできないでしょう。
ある程度の粛清はあるだろうけど、
曹操自身、貴族の坊ちゃんなので、そう無理はしない。
百年後の民族大移動に備えた強力な政権を作れるかどうかは未知数。
ただ国が弱ったらローマみたいに確実に北方民族に滅ぼされる。
19 :
世界@名無史さん:03/10/25 19:35
後継者が短命なのが致命的だ
どの道、司馬氏に簒奪されそうだなあ。
そうなりゃ結局、八王の乱が起こり、弱体化した
ところに北方民族が乱入。
21 :
世界@名無史さん:03/10/25 22:41
>17
三行目 以上=異常
22 :
世界@名無史さん:03/10/26 10:35
というか曹稙が中国を統一していたらどうよ?
詩人皇帝カコイイ
曹沖が生きてたらどうなってたか・・・
芸術家肌や神童だった皇帝ってろくなのがいなかったような・・・
25 :
世界@名無史さん:03/10/26 12:03
>>17 中国史上正確な人口統計はない。
悪吏は自分で税金をちょろまかす為に。
良吏は中央からの臨時徴収攻勢をさけて民心を掴む為に。
積極的に人口を過小評価した。
唐の玄宗の時に正確な人口統計を取ろうとした宰相が1年でクビになった筈。
乙
曹操が有名なのは三国志演義のおかげだろ?つまり四大奇書の孫悟空と同じ
ようなもの。曹操と比較する対象は中国の歴代皇帝や世界の征服王よりも、
オデッセイやアーサー王が相応しい。
28 :
世界@名無史さん:03/10/26 18:11
>>25 ”北宋のピークには人口が一億四千万になったと推量される。
また人口百万を超える都市が幾つもあった。”
と、英語の本に書いてあったけど、どうなんだろうね。
一億四千万ってどこから引っ張ってきた数値なんだろ。
普通の資料では五千万ぐらいに見積もられてるけど。
>>27 架空の人物であるオデュッセウスとアーサー王(はモデルになる人物がいるらしいが)を、
事績が残っている曹操と比較するの?
日本でいえば、素盞烏尊と織田信長を比較するようなものでは。
>>27 曹操が有名なのは、詩文も一役買ってるだろ。
魏武といえば、例の「酒に対して当(まさ)に歌うべし 人生幾何(いく
ばく)ぞ」(「短歌行」)などいい詩をいくらでも買いてる。彼や陳琳、
王サンなどの詩は「建安の風骨」と評されて唐詩に強い影響を与えて
いる。
インテリ階層には、三国志演義の彼より大詩人としての彼の方が有名
だと思うぞ。
保守
32 :
世界@名無史さん:03/11/03 20:51
>>28 故・日野開三郎氏は著書で、王朝全盛期の人口把握率を50%、そうでない時を3分の1程度かそれ以下と推計していたと思ったが。
曹操の異民族内徙策を見ると、五胡の乱的なものは不可避だったと思う。
把握率はもう少しはあっても良さそうな気もするけど、
かなりの部分が把握できないのは間違いないと思う。
漢武帝の頃でも兼併や流民は問題だったし。
三戦厨だけど三国志の話を世界史板でするのはまずいだろ
35 :
世界@名無史さん:03/11/04 09:51
三戦厨ではないけど三国志通俗演技の話を世界史板でするのはまずいだろ
三戦厨ではないけど正史三国志の話を世界史板でするのはまずくはないだろ
>>30 『孫子兵法』の編集でも有名だよね。『後漢書』には曹操が
漢末の混乱で散逸した書物を集めようとした逸話も載っている。
「文章は経国の大業」とは子の魏文帝曹丕の言葉(『典論』)。
37 :
世界@名無史さん:03/12/05 02:13
>>28 遅レスですまんが、宋代は一戸あたりの人口のカウントの仕方がちょっと変わったらしい。
だから1億以上というのは一戸当たり2人だかそこいらの数だった
のではないかと思う。それを漢代同様一戸5人とすると1億もいかなかった筈
曹操があっさり中国統一してたら中国の範囲が今より狭くなってたかもね。
蜀呉が魏に対抗するためにそれぞれ異民族を制圧しなければ。
長江以南は別の国になってたり。
曹操の墓はどこにあるんですか
こんなに有名なのに
40 :
世界@名無史さん:03/12/09 22:08
>>37 むしろ一戸五人でカウントした方が人口は増えると思うけど。
41 :
世界@名無史さん:04/01/31 23:31
うんそうそう
42 :
世界@名無史さん:04/01/31 23:58
古代末期の北方民族の帝国侵入は近世末期の西洋人の侵入と同じで
全世界的な歴史の宿命のようなもの。不可避。
つか、if語ってる時点で三戦板いけよ。って感じ
44 :
世界@名無史さん:04/02/04 00:29
早々に立ち去ります
45 :
世界@名無史さん:04/02/11 16:06
なだ曹操
46 :
世界@名無史さん:04/02/11 21:42
47 :
世界@名無史さん:04/02/23 00:54
あげ
曹操ってのは当時珍しい合理主義者で革新家
あえて言えば革命家だから結局政権は長続きしなかったと思う
劉備や諸葛亮が有名なのもひとえに曹操が「三国時代」を生み出してしまったから・・・
しかし漢民族を虐げた元が、漢の血統を自称する梟雄の列伝を誇大化してしまった点も無視できない。
曹操は宦官の家系であることに劣等感を持っていた。
その劣等感が、中華統一のモチベーションとなった。
曹操は、当時の権力者の教養のひとつである詩をよくし、
貴賎を問わず有能な人材を積極的に登用した。
孟徳新書は長松によって古人の模倣に過ぎないとけなされ、
曹操自身が破り捨てたが、決して過小評価するべきものではない。
曹操こそ三国時代で最も優れた権力者であり、教養人であった。
ということで、お前らソープ逝け。