海賊の歴史

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98世界@名無史さん:03/11/23 20:07
赤かぶと?
99世界@名無史さん:03/11/23 21:33
りき様まんせー
100世界@名無史さん:03/11/23 22:26
>>98
奴はまたぎの銃の射程を知ってるんだぜ!
101世界@名無史さん:03/11/24 18:58
赤ひげといえば、川で溺れ死んだ爺さん
102世界@名無史さん:03/11/24 19:36
精力絶倫、赤ひげ薬局
103世界@名無史さん:03/11/24 20:05
>92
聖ヨハネ騎士団はロードス島を本拠地にしていた時代から海賊行為をしていたはず。
>>103
あー、そういやそだったっけ。

しかし聖ヨハネ騎士団は1521にロードス島が陥落してから、1530カール5世に
マルタ島を与えられるまで各地を放浪していたハズなんだが、なんでか彼らの
旗艦は1524に竣工されている。いつどこで造ったんやろ。
105世界@名無史さん:03/12/02 22:44
イスラム圏の海賊などはどんなだったのでしょう?
シンドバドー止まりの認識しかない漏れ・・・
106世界@名無史さん:03/12/03 19:39
ばるばろっさ
107世界@名無史さん:03/12/04 04:23
インド洋とかペルシャ湾ってニュアンスなんじゃないかと深読みテスト
108世界@名無史さん:03/12/07 13:21
>>9
ご紹介の「海賊の話」おもしろいですね。
内容から推察するに、著者は、かつて外航船にのっていて
しかもキャプテンだったようなんですが、
ホントのとこ、どういう方なんでつかね。

同じサイトのマルタの地下古代遺跡のコンテンツにもつい
目がいってしまって.....

マルタといえば、オスマントルコ海軍の一翼をになった、
海賊ドラグートについて、どなたか略歴をごぞんじないでつか。
マルタの「大包囲戦」の際、聖ヨハネ騎士団の砲撃を浴びて負傷し、
それがもとで死亡。
時の聖ヨハネ騎士団総長のヴァレッテとは、宿敵でありながら
友情関係もあったということぐらいは知ってまつが..........
109世界@名無史さん:03/12/08 01:23
トロピコ2萌え〜〜!!



…すいません
ゲームスレ逝って来ます。
110世界@名無史さん:03/12/08 16:50
フランシス・ドレイクあげ。
若い頃は奴隷貿易で稼いだらしい。
111世界@名無史さん:03/12/09 02:26
>108

ドラグート・レイス(Dragut Rais)本名トルグート(Turgut)
1514頃(1485年説もあり)ー1565
トルコ本土地中海沿岸の生まれ
若い頃から海運関係で働きはじめ(海賊説もあり)
のちにハイレッディン・バルバロッサのもとにつき
1539年のプレヴェザの海戦に参加、ダルマチア海岸を主に荒らしまわっていたが、
1540年コルシカ島にてドーリアに捕らえられ、4年ほどドーリアのガレー船奴隷として
鎖につながれ、苦役をしいられていた。

バルバロッサに買い戻されてからも地中海西部に派遣され
マルタ騎士団のガレーを捕獲し金貨7千ダカットを奪ったり、
1550年チュニジアのマハディーヤを制圧、キリスト側に奪取されるも、
翌1551年に取り戻し、さらに8月スペイン領トリポリを(マルタ騎士団が防衛していた)
侵略、「イスラムの抜き放った剣となった。」(トルコの歴史家)

地中海沿岸を荒らしながら、1560年のプレヴェザの海戦にも大勝利、
そして1565年スルタン・スレイマンの命を受けマルタの「大包囲戦」に参加
戦死・・・

聖ヨハネ騎士団総長のヴァレッテとの友情関係は聞いたことはありませんが、
ヴァレッテもバルバロッサの捕虜としてガレー船のオールを漕いだことがあり
お互い面識があったそうです。
伝えられるエピソードにドラグートがドーリアの船の漕ぎ台で働かされていると
ヴァレッテが「これがいくさの慣いかね」と話しかけ、ドラグートも捕虜の頃の
ヴァレッテを思い出し「運はまわりもちというでござんしょ!」かえしたそうです。
112世界@名無史さん:03/12/26 21:22
聖ヨハネ騎士団の海賊戦法ってどんな感じだったんだろ?
塩野さん曰く2対1で挟み撃ち、ギリシャの火で焼き討ちをかけ混乱させ、
プレートアーマー着た騎士さまが斬り込み突撃、って書いてあったけど。
113世界@名無史さん:03/12/31 13:24
>>112
漏れも興味ありありなんでage
114世界@名無史さん:04/01/13 00:56
板金鎧着た騎士が船上で戦うのは無理がありそうだ。
水面へ落ちたら100%助からん…
115世界@名無史さん:04/01/14 18:34
キッドの財宝の話はでっちあげらしいね
その根拠たる理由はキッドには財宝を蓄えるだけの稼ぎがなかったから
だとか。あとは捕まった後で裁判を有利に進めようとでっちあげた、と。
あと日本付近へも航海してきてないぽいよ。

立ち読みウロ覚え選手権なのでソースは明示できないけど、もし「いや、
キッドはこんなに儲けてたんだぜええええ」という話があったら聞きたい
もんだ。
116レオン:04/01/14 19:04
俺は長崎まで追いかけられたぞ。
117世界@名無史さん:04/01/15 06:10
ウィリアム・キッドの海賊としてのキャリアは5年ぐらいしかなかったはず。
最後まで俺は海賊じゃねぇって否認して縛り首になったらしいけど。
拠点もあんまし儲かりそうにない海域だしなあ。
118世界@名無史さん:04/01/15 21:29
>>114
鎖帷子を三重着込むというのも、タイヘンそうだ。

119世界@名無史さん:04/01/15 22:09
16世紀、イギリス女王エリザベス1世は、スペインの無敵艦隊アルマダを
撃破するが、エリザベスは裏で海賊のホーキンズ、ドレークと手を組んで、
アルマダとの戦いに二人(海賊)を使った。つまり、この頃のイギリスの海軍は、
海賊だったのだ。アルマダの戦法が体当たりであったのに対し、イギリスの海軍は、
小船一隻一隻に大砲を乗せて、アマルダ一隻に対し三隻で攻撃をした。
これではアマルダが体当たりをしても、当たる前にやられるか、当たっても
たかが小船一隻、イギリスが勝って当たり前といっていい。
その後エリザベスは、二人に金を援助して、二人は世界を一周した。
120世界@名無史さん:04/01/15 22:48
>>114
キッドの逮捕容疑は5件の海賊行為と殺人。
当時の商船は意外と搭載量も多く、交易品以外にも
金になるものが多く乗っているし、当然船も高く売れる。
公式な記録だけで5件もの海賊行為があるなら収入額は相当なものだろう。
但し、埋めたとされる財宝が本当にあったとしても、それがすべて金貨や宝石等、
時間が過ぎても不変の価値を持つものだったかどうかは謎。
換金の都合が付かなかった美術品や物資の類だったら今の時代にはとっくに腐れている。
121世界@名無史さん:04/01/16 00:22
>119
ドレークの世界周航は1577年から1580年。アルマダ海戦は1588年。
その後ではない。ちなみに世界周航は艦隊としてはマガリャネスについで
2番目ということになってる。ゴールデン・ハインドのあがりだけで
30万ポンド以上、当時のイングランドの国庫歳入以上だった。
>>119
デタラメばっかだなおい。マンドクセので”アルマダ”とだけ言っておこう。
123世界@名無史さん:04/01/16 17:48
>>119
暴風雨の話はどこに逝ったんだ?
124世界@名無史さん:04/01/16 22:54
>>120
>金になるものが多く乗っているし、当然船も高く売れる。
>公式な記録だけで5件もの海賊行為があるなら収入額は相当なものだろう。

ここまで言い切るお前に乾杯
なんて喧嘩腰じゃあしょうがないよな(・∀・)

新大陸帰りの金銀エメラルド満載スペイン船で一山当てたんならともかくだ
普通の商船襲っても、そりゃあ"稼ぎ"とすりゃあ一般民衆よかはるかにウマーかも
しらんが、それが"財宝"といえるかどうかは微妙だと思うぞ。スペイン船で一山
当ててる話があるなら教えてくれ。
財宝だったにしろおまいがいう通り腐れるモンだったら土になってるしな。
そしてレス番間違えるのは恥ずかしいぞ(*´∀`)σ)Д`)
125世界@名無史さん:04/01/17 04:38
良質のボーンチャイナでも蓄えてあるんならオークションとかかければ
良い値段つくかもしれないけど、買い手が見つからなくて一時保存してた
コショウとか丁子とかだったら目も当てられないな。
126世界@名無史さん:04/01/23 23:34
絹や磁器や掛け軸やといったものは財宝でつうじるよなあ?
そして定期船の類には郵便物が沢山あり、その中には厳重な特別扱いの
由緒ある宝石や細工物なんかといったものもあったに違いない。
一品物のお宝などは、出所がばれやすくて換金にも手間取るだろうし、
埋めるというよりは、秘密の倉庫のような場所に置いておく事もあろう。
そこが無人島だか情婦の家の屋根裏だか知らないが、キッドが死ぬなり
腹心の部下がすぐにでも取りに行くと思うぞ。お宝はあっただろうが、
現在もどこかに手付かずで残っていることなどまず無いだろうよ。
127山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 23:39
キッドの殺人というのは酔った勢いで部下をバケツで殴り殺したとい
うものであった気が。あまりにもしょぼい理由で驚きました。
ちなみに日本にも彼が財宝を隠したという島があります。
その名も・・・「宝島」。奄美の方です。
128山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 23:41
おっと、既出でしたか。
129世界@名無史さん:04/01/24 04:37
サン・ホアン・デ・ウルアを忘れるな byホーキンス
130世界@名無史さん:04/02/05 09:59
歴史に残る「腸抜の刑」に最初に処されたのは
海賊だったね。
名前忘れたけど
131世界@名無史さん:04/02/05 10:30
哀川翔は海賊になりたくて、メンバーを募集したことがあったんだって。
132世界@名無史さん:04/02/05 22:01
海賊の処刑方法は西洋では縛り首、東洋では斬首と決まっていたそうだ。
133世界@名無史さん:04/02/07 07:57
>>132
あれ?キッドは吊るされてたよね?
134世界@名無史さん:04/02/07 10:16
処刑場所どこだっけ?吊るされたんなら西洋だね。
135世界@名無史さん:04/02/07 23:25
ディズニーアニメ版「ピーターパン」の「フック船長」は、
海賊のくせにハープシコード弾いたり、レディーを尊重するふりをしたり、
妙に貴族っぽいんだが、なんかモデルとかいたりすんの?

イギリス貴族で反逆罪に問われて海賊に身を投じた奴がいた、とか。
136世界@名無史さん:04/02/08 01:00
今の英国王家はヴァイキングの末裔
137世界@名無史さん:04/02/08 07:20
キッドが重く罰せられたのは
軍人であるにも関わらず海賊を働いたからで、
有名なのは処刑間際に隠し財宝の話をしたからだけど
どうも処刑を逃れるためのその場の方便だったとも見えて
本当に財宝を隠していた証拠なんて何もないのだろ

138世界@名無史さん:04/02/08 19:08
知の再発見シリーズに同名の本が出たよ
139世界@名無史さん:04/02/08 20:29
板橋区郷土資料館で7日から始まった日本の砲術と西洋砲術展に、32ポンド砲
24ポンド砲、ガンボート用18ポンド砲が展示されている。 他に24センチ
臼砲なども展示されているので、艦載砲に興味がある人は行って見たほうが良い
ですよ。 月曜休み3月21日まで。 
140世界@名無史さん:04/02/08 22:55
>>135
フック船長こと、ジェイムズ・フックの設定は、元々、育ちのいいがり勉お坊ちゃまで、
猫背でマザコンです。海賊はやっていても、礼節は知っています。なので、
教養なく、自然体で紳士の燐片をみせるスミーに心理的脅威を感じ、
永遠に奔放でしつけと無縁な子供のピーターに嫌悪を感じるのです。
141世界@名無史さん:04/02/08 22:57
お江戸は遠いでなあ
142世界@名無史さん:04/02/11 16:38
東南アジアの海賊なんかはどう?
今でも生業として成り立つくらいだからかつてはさぞ・・・
143世界@名無史さん:04/02/12 22:18
奴らは普段は漁師です。
144世界@名無史さん:04/02/13 08:01
>>137
というか、吊るされたというより餓死監禁刑だったね。
145世界@名無史さん:04/02/13 08:26
>>136
オーストラリア人は流刑囚の子孫。
中国の皇帝は、ならず者から派生していることが多い。

こんなケース、世界中にあるだろうね。
146世界@名無史さん:04/02/19 01:24
>>139
板橋の砲術展みてきたよー。
大砲も鉄砲もいぱーいでおもしろかったー。
147世界@名無史さん
藤原純友は日本史における大海賊の一人だな。
一派として有名なのは村上水軍のような勢力もあるが。

だいたい、純粋な海賊行動だけで有名になるのはかなり大変だ。
ドレイクやモーガンみたいな派手な成功を収めない限りは。

海賊としての武力を活用するため、
組織化を進めマフィアのように産業界から通行税を徴収する、
ある意味では脱海賊的な行動をしたやつらが名前を残す。
海賊の産業化とでもいおうか。