大韓帝国について語ろう

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867世界@名無史さん
1906年、侍衛隊第一連隊長朴星喚を中心とする日本や英国などからの留学帰組の
若手将校/官僚団は軍事クーデター(『侍衛隊革命』)を成功させ、軍事救国会議を設置
した。軍事救国会議は独立協会系の徐載弼を首相に据えて憲法を改正し(第二憲政/維新体制)、
軍事力で反対派を弾圧しつつ、急進的な改革を押し進める。主な政策としては、

軍機構改革 /軍指揮系統の中央一元化(地方官僚指揮下軍の廃止)
徴兵制度推進 /20歳以上の男子を徴兵し、短期教育のうえ、軍または各種公組織(鉄道
公団/道路公団/郵便/教育/医療など)に配属。 (徴兵に伴う教育による、
改革意識の徹底化)
官僚制度改革 /既存官僚は再試験に通った者のみ残留。新規採用は、上級職は高等文官試験
合格者を採用、下級職は徴兵者の中から適任者を選抜採用 (とくに腐敗が
激しかった、末端官僚の全面掃除)
選挙制度改革 /被選挙権は英国政治腐敗防止法にならった厳格なものに。選挙権も、 納税/
徴兵/教育の義務を果たしている国民に限定し、議会からの守旧派
一掃を図った
農地改革 /自作農創出と両班(=地主)勢力削減
近代産業化 /各地に国営工場を開設、また民族資本の育成に努めるなどがあげられる。
外交面では、不平等条約の改正と外国利権の排除を中心課題とするが、交渉はなかなか
うまく進まず、とくに鉄道利権問題でロシアと対立する。当初は、実力者の朴星喚が日英に
不信感を持っていたためにこれとはやや疎遠になるが、北海道国とは関係を強化し北海道国軍
1個師団を国内に駐留させた。

しかし、ロシアが琿春に閔妃を中心とした旧守派による亡命政府を樹立して圧力をかけてくるに
至って、(民衆の反発は強いが)日本と手を結び、対ロ牽制しようとした。しかし、ロシア側は強硬
で無謀要求と工夫虐待事件がきっかけとなり、対ロ開戦を決意する。


総人口:約1300万人

総兵力:約30万人