少なくとも猟師という職業が成り立つ程度には鳥獣肉も食われてたんじゃないか?
むしろ牛馬に関しては労働力として重要だったんで、それを食うなんてもったいないという感覚だった、という話じゃなかったか。
502 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 08:37:22 0
鹿肉うめぇ
503 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 09:03:39 O
江戸時代、猪→ムササビ?→鳥?→4つ足じゃない
という奇怪なこじつけで猪を食っていたらしい
騎士に重宝されたのは鍛冶屋だよん。
長野県のあたりなんか鹿の頭を神様に供える祭りが古くからあって
残った鹿肉は食っていいという許可証を神社が発行してる。
結構理由つけて肉食ってたんだろうね。
まあウニとか河豚とか食べるくらい食に対してチャレンジャーな国だしね。
最も偉大なチャレンジはナマコだな
干物にして食ってたのを、チャレンジャーが生食に挑戦したんだろうな。
>>491 すると、ヨーロッパが去勢法を知ったのはいつごろ、どこからだろう。
フン族かアヴァール人か、それともアラビア人からだろうか?
>>491 お前、結局「馬の世界史」しか読んだことないんじゃないのか?
514 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:45:02 0
騎士ってチェインメイル着てたんですか?
それともプレートメイルですか
国や時代による。いってみれば両方。
516 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 15:04:56 0
>>491 欧州でウマの去勢が普及したのは相当遅いってこと?
ローマ時代や十字軍の時代、牡馬がいなないて敵に居場所を知られてしまったり
したとか文献に残っているから遊牧民、イスラム経由で去勢方を知ったのだろう
あんまり古い世代のこと勉強して来なかったんだけど
軽騎兵、重騎兵ってのは相対的な呼び方で、時代や文化でものすごく差があるんだねぇ
自分の無知を思い知ったよ
519 :
世界@名無史さん:2007/07/24(火) 09:10:05 0
>>517 たしか十字軍は雌馬に乗っててムスリムは雄馬に乗ってたのでは?(逆だったかもしれない)
そのせいでどっちかの乗馬が勝手に敵陣に突入してめった斬りにされたという
話があったような。
521 :
世界@名無史さん:2007/09/01(土) 04:00:33 O
あげ
522 :
世界@名無史さん:2007/09/13(木) 18:05:14 O
マルタの騎士になるにはどうすればいいんですか?
524 :
世界@名無史さん:2007/09/18(火) 19:37:35 O
フィレンツェのジョン・ホークウッドの白軍団て騎士団なの?白き兄弟団とか白兵団とか呼ばれるけど傭兵団なのか?
傭兵です。
ロードス→マルタ騎士団って実戦じゃ馬に乗らない騎士のイメージでok?
>>524 White Companyですね
騎士団だとorder
>>526 たしか船や城で戦ってる方が多いんでしたっけ
528 :
世界@名無史さん:2007/10/17(水) 09:01:38 0
バチカン法王庁、テンプル騎士団の宗教裁判の史料を700年ぶりに公開
バチカン法王庁は12日、1307年のフランス王フィリップ4世によるテンプル騎士団迫害に関連して
1312年に行われたヴィエンヌ公会議におけるテンプル騎士団禁止を命じた宗教裁判の資料
「Processus Contra Templarios」を700年ぶりに公開することを決定した。
テンプル騎士団は中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。起源は11世紀の第一回十字軍遠征に
まで遡ることができ、十字軍遠征では聖地エルサレム奪還に貢献をしたことで知られている。
しかし、12世紀後半になってからエルサレムがイスラム教徒の支配下に落ちた以降は、影響力を
失い、14世紀に入ってからはフランス王フィリップ4世の陰謀によって壊滅された。
今回、バチカン法王庁が公開した文書はヴィエンヌ公会議の公文書で、1628年にバチカン法王庁の
書庫目録に記載されたことを最後に、歴史上から存在が消されていた文書となる。
公開された文書は300ページで、799部の限定で、バチカン法王庁の御用達のScrinium出版社から
1部、8377ドル(約96万円)で販売の予定。
テンプル騎士団は聖杯伝説とも密接な関係を持つなど中世キリスト教史上、最大の謎ともされて
きただけに、今回の公開された文書は中世キリスト教史を解きほぐす上で、重要な史料となりそうだ。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200710161919&page=2
529 :
◆.dZGrsR71s :2007/11/06(火) 23:10:53 O
あけましておめ騎士団
531 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 01:45:20 0
今でも活動してる騎士団って、マルタの他にもあるの?
ガーターも金羊毛も普通に新規団員入れてるだろ
>>533 ああいう騎士団の皆さんは普段どういう活動をしているのだろ?
布教活動?
535 :
世界@名無史さん:2008/02/10(日) 15:35:03 0
そもそも騎士なんて存在しないだろ、騎士団なんての漫画の話
貴族とかも土地を支配するだけで
実際の戦闘は傭兵の役割
ただ派手な負け戦のときに逃げ遅れてつかまった騎士は結構居る
たいてい身代金払って戻ったりできるけど(相手側としても捕虜にして金ぶんどったほうが得)
それ知らない相手に頃されまくったのが金拍車の戦い
>>535 じゃあ、クレシーの戦いで死んだボヘミア王ヨハンをはじめとする貴族はなんだったんだ?
土地を持ってない騎士なんてのもいたみたいだし、戦闘にも色々あるしな。
神判色の強い騎士同士の小細工なし突撃対決、
頻繁に起こるものではないだろうが民兵や非騎士傭兵が大多数を占めるカオスな野戦、
騎士の出番はあまりない攻城戦。
まぁ一般的な騎士の戦闘に比べれば地味なもんだろうけど。
539 :
538:2008/02/10(日) 19:12:20 0
↑最後
一般的な騎士「のイメージ」に比べれば〜、だった。
ヨーロッパで傭兵が主戦力になったのはフランスのルイ11世の時の、
ブルゴーニュ戦争(1474)からだろうが。
それまではあくまで封建騎士団が宣所の主役だ。
身分は騎士貴族ではあっても、参戦理由が封建契約による義務ではなく、金銭契約によるものも傭兵と呼ばれたリスしたわけだが。
一応『名誉』のためです。。。
しかし封建契約といっても実際に土地のやり取りのあったものだけを騎士に限定すると
数の上では圧倒的大多数を占めていた郎党連中も傭兵になっちまう。
最も典型的な傭兵は、依頼主が傭兵隊長に大金を払って、その傭兵隊長の裁量で
武器調達や兵士の募集を行うものだけど、これと郎党の間は結構難しいんじゃね。
ベルセルクの鷹の団みたいに傭兵から騎士になった香具師も多いだろうし。
543 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 08:50:36 0
そもそも暗黒時代には貨幣経済も未発達で
配下の軍人には土地でも与えるしかなかった
↑ツッコミ待つ
よーしおじさん突っ込んじゃうぞ
土地を与えんでも物を与えればいいじゃん
実際、土地持ちではなく給金、というか扶持をもらっている騎士もいる。
代官をやったりしてな。
それはさておき、馬を始めとした騎士の武具一式をそろえ
いつでも使えるようにしておくには莫大な費用がかかるんだ。
現代の感覚だと、たしか戦車一台維持するのと同じだけのコストがかかるという話を聞いたことがある。
土地持ちでなければ費用を捻出するのが難しいんだな。
騎士が相手を殺さずに捕まえて、身代金を要求するのは、この費用をいくらかでも手に入れるためでもあったわけ。
敗北して、身代金が払えず身包み剥されて破産する騎士もいたりするわけだ。
で、山賊に身を落としたり。
545 :
世界@名無史さん:2008/02/12(火) 10:47:11 0
騎士が好きな人には、PCゲーム「トータルウォー・メディーバル2」がお勧めです。
リアルな騎士の突撃と当時のカオスぶりがよく再現されている、シュミレーションゲームです。
騎士の好きな人は絶対とりこになります。
コニコ動画でプレイ画面が見られます。
絶対ーこのレスの人たちは気に入ると思います!
つーかこの時代で言う「土地」は、そこに居住する「領民」も含まれているわけだからな。
その領民によって生産される物を所有管理できる権利も含めての土地所有な訳だから。
時代や地域によって騎士の定義はずいぶんと違うからなあ
成功した商人が金で騎士身分を買ってってのが横行して何度も禁令が出された神聖ローマみたいなところもあるし
古代ローマじゃ「貴族ではないが戦争に自前の馬に乗って参加出来る金持ち=騎士身分」だったしな。
549 :
世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:18:20 0
金で身分を買って、というのとは別に都市民の軍事義務として
富裕なものは武器・鎧具足一式と馬を自弁して装甲騎兵として
戦わなきゃならなかったというのもあるみたい。
戦士(騎士)に土地を与えて封建するってのは、ゲルマンの風習だったのかな
ゲルマン従士制+ローマ恩貸地制=封建制
>>550 「金銀だとぉ?はぁ?食い物いつでも買えるわけでもないのに意味ねーだろ」
が合理的な状況で命がけで戦ってもらうには土地分けるしか無いのはどこでも一緒
教会とかはちゃんと叙任された騎士のリストか何かを持ってたりしたのかな?
情報網が今とは比較にならないから、例え騎士じゃなくても
騎士の格好をして自分がそう言えば、色々な所で騎士扱いされたんだろうか。
騎士の身なりをできるだけの財力と、相応の言葉づかいを身に付けられる人は、ごく一握りに限られていたと思われ
紋章学というのがあってだな・・・
>>551 従士団(ドルジーナ)はあったけど後者の恩貸地制がなかったのがロシアかな。
紋章で思い出した。
特定領主下の騎士は、戦いの時には主人の紋章をつけて戦うんだよな?
そういう騎士ってのは、個人の紋章と主人の紋章の二つを使ってたって解釈で合ってる?
そしたら国王以外は全員紋章を二つ使うことになるな
紋章は基本的に個人を特定するために使用するので
つけるのは1つだけ。
また、同じ家から複数の騎士が出ている場合は
当主は家の紋章
それ以外の人は家の紋章にアレンジを加えたものをつける
婚姻や戦争による領地の併合で複数の紋章を受け継いだ場合は
クォータリングといってそれらを組み合わせて1つの紋章を作る。
560 :
世界@名無史さん:2008/03/21(金) 16:15:15 0
>>560 どの説明のことを言ってるの?うpした人がつけてる字幕?
俺はその元のゲーム持ってるけど、
ゲーム自体はよく研究されてると思うよ。
もちろんゲームだからアレンジや調整もされてるけど。
百パーセント完璧とは思えない粗もあるけど
ゲームとして許容できる範囲内
絶版となっている山内進『北の十字軍』のネタ本とされているのは
The Northern Crusades (ペーパーバック)Eric Christiansen (著)
ですか?
564 :
世界@名無史さん:2008/04/01(火) 23:18:41 0
>>264 > 阿部謹也,ドイツ中世後期の世界,未来社,1974
> 日本語のドイツ騎士団関連本では最高峰の本。プラウエンについてはあちこちに記述が散ってる。
この本読みたいけど高すぎる。なぜ文庫化しないのか。
つ図書館
俺は全ページコピーしてある
全頁コピーって・・・・
>>563 両方読んだけど。
両方ともバルト海十字軍の本だから重複してる部分も多いけど
クリスチャンセンのほうが細かい部分が詳しい印象を受けたなあ。
でもチュートン騎士団が大敗したグリュンバルトの戦いの記述は
「北の十字軍」のほうが詳しかったけど。
高いったってティラン・ロ・ブランに比べりゃまだしも…
>>568 >ティラン・ロ・ブラン
訳者の田澤耕が「物語カタルーニャの歴史」で
「現代でもエアポートノベルとして読まれている」
と書いてたけど、それって日本で言うと
キオスクで売ってるトレインミステリとかと
同じって事だよな。それを超豪華版でw
>>567 サンクス。とりあえず北の十字軍を探してみるか。
一つ質問したいんだけど
片膝つく忠誠のポーズってどっちの膝を付くのが正しいんだろう?
スレチだったらスマソ
手元にある資料見る限り、左右どっちもある。
時代や地域はバラバラだから、もしかしたら決まりはあるのかも知れないが。
>>572 回答thx
数十分ググってもどっちが正解とは出なくて俺涙目だったw
>>574 知りたかったのは絵を描くためだが絵描きではないぜ
576 :
世界@名無史さん:2008/04/22(火) 07:21:34 0
577 :
576:2008/04/22(火) 07:23:30 0
578 :
世界@名無史さん:2008/04/24(木) 16:16:10 0
よく儀式?で剣で肩を叩くとかやってるけどあれなに?
裏切ったら首をいつでも切り落とせるぞって意味か?
>>1 馬鹿じゃね?
騎士団と騎士は全然別物だろうが
580 :
世界@名無史さん:2008/04/24(木) 16:41:35 0
>>264 講談社選書メチエ『北の十字軍』、Penguin Books『北方十字軍』とかいった、チュートン騎士団を扱ったポーランド関連の書籍はたくさんあるだろ
日本のドイツ関係者の書くものはショボイしバイアスが強すぎて信用できない
阿部謹也ってバイアス強いか?
あまり中世ドイツに詳しくないまま読んでるのでよく分からん
というか「チュートン騎士団を扱ったポーランド関連の書籍」ってのもマニアックだな・・・邦文献で思いつかん
北方十字軍全般なら既述のとおり山内進が書いてるが
>>578 「歯を食いしばれ!根性入れてやる!!」
>>582 そういう書籍がないってことは日本人がそれだけドイツ史観に偏ってるってことだよ。
こういうのいくらか知ってる人でもその大半はいまだ民族闘争史だと思ってるだろう。ぜんぜんちがうんだが。
バイアスってなんだろう。阿部先生はドイツ的な史観とか国家史観などに反発するタイプの人でしたけど。
このなんとか史観というものの正体が掴みずらいのですけど、阿部先生はドイツの史学会をよく批判なさっていましたね。
山内先生は専門違いだし、せいぜい山田先生くらいでしょうかね。
山田先生は単純な歴史好きのような感じに見えます。論文の大半は史料の要約と翻訳ばかりです。
比較的、歴史観とか私見の入り込む余地の少ないジャンルですね。
~~~~~~~
民族闘争史的な見方はむしろ共産圏の方が好きなテーマだったような。
阿部先生の本はプロイセンのみに縛られてきたチュートン騎士団の歴史をより広い視野でとらえなおすことを目指した本ですから、民族闘争史的な見方には陥っていませんよ。
ポーランドの研究者の資料のみでチュートン騎士団に関して書いた邦書ですと、酒井先生の『ドイツ中世後期経済史研究序説』でしょうね。
トルン大学のビスクップ先生のプロシア関連論文の要約が掲載されています。
あとフランスのイグネ先生の『ドイツ植民と東欧世界の形成』でしょう。ベースはポーランドとドイツの資料ですね。史料も積極的に取り込んでいました。
騎士団研究でポーランド研究者を無視する人はいませんよ。それに騎士団研究においては両国の研究者の交流は活発なようですからね。
これは失敗。勘違いしますね。
ここだけ抜き出しますよ。
山田先生は単純な歴史好きのような感じに見えます。
論文の大半は史料の要約と翻訳ばかりで、
比較的、歴史観とか私見の入り込む余地の少ないタイプの論文ですね。
~~~~~~~
>酒井先生の『ドイツ中世後期経済史研究序説』
近所の大学図書館にないかなーと思ってWebcatで検索したら
全国どこにもないってそんな・・・
589 :
世界@名無史さん:2008/07/13(日) 01:32:18 O
頭にきたんでハゲます
>>585 >ベースはポーランドとドイツの資料ですね。史料も積極的に取り込んでいました。
>騎士団研究でポーランド研究者を無視する人はいませんよ。
騎士団研究ではそうかもしれんが、あの地域史全体で見ると日本は圧倒的にドイツ史観の後追いであることは否定できまい
共産圏が消滅してもう20年になるのに、いまだにポーランド=共産圏と捉えてその時代の研究をあげつらい、だから共産圏はという
論調を構成するのは大問題だろう
最近のものでしたら、山川の世界各国史のポーランド・ウクライナ・バルトを読むといいでしょうね。
特に参考文献のところを。
最近はその国の歴史はその国の資料を使い、読みもその国の読みに合わせるのが流行りのようですね。
戦後すぐですとポーランド、リトアニア史辺りはロシア史の範疇に入っていたようですね。
第二次世界大戦前、東欧北部の歴史はポーランドの歴史観が日本はもとより、欧米で主流を占めていたそうです。
ポーランドによる東欧の文明開化の流れが基本なのだそうですよ。
この歴史観が欧米で主流を占めた原因にはポーランド独立とかロシア革命などがあるそうですね。
大戦後はロシアやポーランドの学者によりこの歴史観が否定されていったそうです。
それで戦後、日本ではロシアの資料をもとに研究が始まったようですね。
この辺りは鳥山成人先生の著作などが参考になると思いますよ。
近現代史の方は存じませんが、中世史辺りはこのような流れでしたね。
共産圏の歴史観はソビエト科学アカデミーの通史を読んだ印象ですね。
だから断定的な言い方はしていないのですよ。
>大戦後はロシアやポーランドの学者によりこの歴史観が否定されていったそうです。
その学者たちはコミュニストの御用学者であって、
白系ロシアや自由ポーランド系といった、共産主義から逃げて在外で研究していた人々は、もとの歴史観を維持していた
その典型例が、ポーランド人でありながら、カーター米国大統領の安全保障担当補佐官を勤めたズビグニュー・ブレジンスキー
亡命ポーランド人がその人にとって一番バラ色な歴史観を持つは不思議ではないでしょう。
例えば、知り合いにフランス好きの方がいるのですが、
その方はポーランドもハンガリーも、中世にはフランスの属国だったと主張していましたよ。
それでこの両国がフランスの高度な文化を摂取できたおかげで東欧の文明開化がなされたとか。。。
フランスが全ヨーロッパを教育したのかよと、頭痛くなってきましたよ。
これはフランス好きの思い描くバラ色の中世の歴史観というわけですね。
問題は文明開化云々というのはつまるところ西欧化というところですね。
ポーランドはドイツの文化を摂取して西欧化し、それを東欧に教えて云々という流れがこの歴史観には隠れているのですよ。
第一次世界大戦直後のポーランドはロシアに対抗するためにドイツなど西の諸国の支援を必要としていましたので、
我々はロシアなど東欧の仲間ではなく、西欧の一員ですと宣伝する必要から生まれた歴史観でもあるそうですよ。
ニーベルンゲンの歌が騎士道とか騎士の序列とか理解するのに良いって聞いたんだけども、
実際のところどんなもんか、読んだ人いたら教えてくれませんかね?
同じ騎士道物語のパルチヴァールは読んだんですが、序章に出てきた馬上槍試合とかの再限度ってどの程度の信憑性があるものなんでしょうか。
著者は名門出身で十字軍遠征にも参加したガチガチの騎士みたいですが、誇張とか美化はあるでしょうし。
596 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 22:25:30 0
ニーベルンゲンとかは読んでないけど、そういう同時代性のある文学ってのは
書き手にとってのリアリティというか、どういう部分を「当然のこと」と思っているのか
読み取るのが面白いですよね。
最近カタロニアの騎士道文学「ティラン・ロ・ブラン」の邦訳をちらっと読んだけど
老騎士がモーロ人(イスラム教徒)の捕虜を連れてきて騎士見習いの若者に
剣で斬り殺させる。すると老騎士は若者をつかんで無理やり血まみれの
死体になすりつけて「今日からお前も一人前の騎士だ!」
こういう「異教徒の血による戦場での騎士叙任」とかスペインあたりでは
ガチでやってそうで怖い。
>>594 >第一次世界大戦直後のポーランドはロシアに対抗するために
全然違うね
この歴史観が根付いたのは、17世紀だ
598 :
世界@名無史さん:2008/08/04(月) 23:23:07 0
テンプル騎士団協会、700年前の騎士団解散令の却下を要請
マドリッドに正式登録されたテンプル騎士団協会は、ローマ教皇に対し、1307年に時の教皇、
クレメンテ5世によって解散させられたテンプル騎士団の復活を求めると同時に、同騎士団の解散時に
押収された財産についての認知を要請する訴えを起こした。
これは、スペインの教皇大使を通じて、マドリッドの裁判所に提出されたが、バチカン代表としての教皇にではなく、
当時の判断を下したクレメンテ5世の後継者としての現ローマ教皇ベネディクト16世に向けられたもの。
テンプル騎士団の後継者であると称するテンプル騎士団協会によると、当時のテンプル騎士団は、土地の所有権、
牧畜財産、粉引き風車、港の権利、運搬用船、戦争用船などを除いても、全ヨーロッパにおよそ9000の
不動産物件を有していたと言う。
解散させられた14世紀には、スペイン、フランス、イギリス、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ベルギー、
ルクセンブルグ、ポーランドなどに不動産物件を持ち、全ヨーロッパに約15000人の騎士団網が広げられていた。
当時、クレメンテ5世により没収されたその財産は、今の金額にしておよそ1千億ユーロに上ると言う。
協会は、これらの財産の返還を求めるものでも、また、ローマカトリック教会に経済的ダメージを与えるのが
目的でもなく、かつて彼等の騎士団が受けた不当な扱いと、それに伴って、どれだけの財産が没収されたかなど、
歴史的な事実を知らしめるのが目的であるとしている。
マドリッド自治州裁判所では、この訴えについて「内容が700年前の出来事であるため、これは歴史家達の
範疇であり、当裁判所の管轄外である」として、その受理を拒絶した。
これに対し、協会側は繰り返し申請中で、今後の動きが注目される。
http://www.spainnews.com/news/
くだらん
卒論で騎士について書こうと思ってるんですが、テーマが決まりません。
戦いについて書きたいと思ってるんだけど…