1 :
世界@名無史さん:
おおいなる野望を胸に抱き戦火の中無惨にも散っていった
両者がなんらかの原因で蘇りしかもお互いの軍をぶつけて戦ったら
どっちがかったんだろう?
2 ゲト
3 ゲト
一応言っておくがナポレオンの時代と信長の時代じゃ戦争の性格や
兵器の性能も違うぞ、後、動員能力も全然違う。
関ヶ原の戦いで東西両軍が動員した兵力をナポレオンの時代は
大規模な会戦で常に動員していた。
その辺のことを考るとナポレオンの圧勝だと思われ。
アーサー・フェリル「戦争の起源」によれば、
アレクサンドロスならナポレオンに圧勝、という結論だったな。
5 :
世界@名無史さん:03/09/29 15:14
布陣を見るとナポレオンは海戦が圧倒的に下手
今の自衛隊なら勝つだろ
髭の差で信長。
はい、終了
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/29 20:40
信長の生き様、死に様は美しい。
田舎のちびナポレオンと比べるな!
9 :
世界@名無史さん:03/10/05 00:33
法王から皇帝の称号を授かったナポレオンと違って・・・
信長なら本気でやったろうな・・・
バチカン焼き討ちw
10 :
世界@名無史さん:03/10/05 00:36
前もこんなスレあったような…
また糞スレが・・・・・・・・・・・・・・・
13 :
世界@名無史さん:03/10/06 00:17
【学校教育は間違っている!!!既存の学説にとらわれない考えで科学界に革命を起こそう!!!】
「魂の量子論」、「ランゲージ・クライシス」および「間違いだらけの科学法則」はいずれも作者の革新的、独創的かつ学際的な考えがにじみ出ているサイトです。
今回のおすすめは「ランゲージ・クライシス」第2編・”言語システムの危機”、この中でも特に表意文字についての記述は超専門レベルの内容となっています。
また、文法についても既存の文法とは異なる独自の文法を提唱しています。
http://www1.kcn.ne.jp/~mituto
>9
信長は焼き討ちによる仏罰を気にしていたようですし、横川は炎を免
れていたようですが。イメージほど革新的な人物だったとは。
15 :
世界@名無史さん:03/10/06 01:39
織田信長の長所は、戦争は経済力で決まると見抜いていた所。
局地戦は割と下手。
局地戦に関してはナポレオンの方が上。
更に既出だが、アレクサンダーの方が更に上。
16 :
世界@名無史さん:03/10/13 19:01
そういや光秀のような逆臣はナポレオンの身辺にいたっけか?
17 :
世界@名無史さん:03/10/13 21:25
国益を考えれば信長の方が上とするのが正しいにほんじん。
18 :
世界@名無史さん:03/10/13 21:33
>>15 アレキサンダーを挙げるなら、ハンニバルとスキピオも挙げなきゃ。
この3人が戦術の御三家って、誰か言わなかったっけ?ハンニバル本人?
共和国を滅ぼしたナポレオンより信長のほうが立派だ。
20 :
世界@名無史さん:03/10/13 21:56
信長は宗教戦争の処理者。
坊主ドモの政界関与を払拭した功労者といえる。
さて、今の世に層化の政界関与払拭の功労者に小泉や安部は・・・・
なってくれそうも・・・・ないな。
21 :
世界@名無史さん:03/10/17 16:05
ナポレオンは革命家として有名だが、信長は改革者として有名。
ナポレオンは大砲の運用で有名だが、信長は鉄砲の運用で有名。
ナポレオンも信長も出自を問わず人材を求めた事で有名。
ここまでは互角だが・・・
ナポレオンはモテない事で有名だが、信長は両刀遣いとして有名。
つまり信長の勝ちって事だ。
22 :
世界@名無史さん:03/10/17 16:48
シーザー>>>義経>>>アレク>>>のぶなが>>ナポレオン>>曹操>スキピオ>ハンニバル
背の高い順か。
26 :
世界@名無史さん:03/10/17 21:50
>>24 義経>信長〜〜〜〜?これがほんとの判官びいきか…
27 :
世界@名無史さん:03/10/17 21:53
>>24 のぶなが>>ナポレオン>>曹操>スキピオ>ハンニバル
もどういう基準で??
28 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:02
や、一応義経は在世中無敗なんで。局地戦なら勝てるかと。信長や曹操は要所要所で結構負けてる。(赤壁は無しにしても)
29 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:23
部下を見捨ててエジプトからフランスに逃げ帰ったナポレオン。
朝倉攻めの途中、浅井の裏切りにパニクって単身京都に逃げ帰った信長。
逃げっぷりの良さは共通してるな。
30 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:29
>>28 >一応義経は在世中無敗なんで。
それを「戦術家としての評価」と見ると、「スキピオ>ハンニバル」はどうなの?
戦術家としては「ハンニバル>スキピオ」、戦略家としては「スキピオ>ハンニバル」と思っていたけど。
まあ、私、ローマ史詳しくないので、突っ込みのほうよろしく。
31 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:31
つかハンニバルはスキピオに負けたじゃん。
32 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:38
>>31 だから、「戦略家」として負けた、と言ってるんじゃん。
ザマの戦いなんて、負けると判っていて戦ったようなものじゃないの?
#と、知ったかブッタできるほど知識ないので、はやく突っ込みプリーズ。
現実に勝った方が強いんだから、スキピオ>ハンニバルだろうね。
戦略、戦術は不可分でしょ。
34 :
世界@名無史さん:03/10/17 22:47
スキピオ>ハンニバル>義経ということで。
義経はどうもいいイメージがないな。
連戦連勝といっても、当時の戦いの作法みたいなものを、破りまくって勝ち進んだんだし。
お調子者のじいさんを与一に射殺させたり、酷い男だとしか思えない。
36 :
世界@名無史さん:03/10/17 23:01
義経は戦争では負け無しだよ。政争には負けたけど。
37 :
世界@名無史さん:03/10/17 23:02
大体スキピオも元老院に弾劾されてあっけなく死んでるわけだが
よって
義経>スキピオ>ハンニバル
38 :
世界@名無史さん:03/10/17 23:04
>連戦連勝といっても、当時の戦いの作法みたいなものを、破りまくって勝ち進んだんだし。
これこそが天才にしか出来ない芸当なんだよ。信長しかりナポレオンしかり
>>35 >>お調子者のじいさんを与一に射殺させたり
えっ、これって史実なの?
出典は「平家物語」だよね。じゃあ、創作と考えるのが妥当じゃない?
板違いだから、下げとく。
大体カエサルだって無敗じゃないじゃん。
カエサルは単に好きだから。
42 :
世界@名無史さん:03/10/18 02:08
ちょっとすれ違いだけど、戦術の話が出てるついでに聞きたいんだけど、
法政大学教授か助教授の趙って人が金美麗も出てるテリーの中国本で、
日清日露真珠湾日本の戦争は全部騙し討ちじゃないか、
と言ってたが実際の所はどうなの?
真珠湾はルーズベルは知ってたとか、駐米大使の報告が遅れたとか言われてるけど
日清日露は騙し討ちと言われるような開戦だったの?
43 :
世界@名無史さん:03/10/18 02:14
騙し討ちでは会戦は発生しまへん。
一応、宣戦布告と同時に攻撃開始をするのが日本の常套手段になったけど、国際法上では合法です。
一応プロシア流。ドイツも電撃作戦で有名ですね。
みんな戦術能力についてナポレオンと比べる人物として
ロバート・E・リーを忘れてないか?
ナポレオンやジョミニ理論の「戦争芸術」ともいうべき戦い方の
最後にして最高の体現者
45 :
世界@名無史さん:03/10/18 02:30
信長は敵の強みが何かを分析し、それを無力化することで勝利を重ねたように思える。
その強みは、敵方の重臣であったり、商業地であったり、部隊種別であったり様々だ。
局地戦は無力化実行の道具であり、局地戦に勝利する事が目的ではない場合もあったように思える。
逆にナポレオンは局地戦勝利の積み重ねで皇帝にまでなったようなイメージを受けるが、最後に戦略的に大敗している。
実際に両者が同条件で対決しても、ナポレオンは無敗の内にいつのまにか劣勢になっていそうだ。
46 :
◆RlujhF6VrA :03/10/18 10:49
>>40-41 カエサルの場合、勝つべきところできっちり勝ってるからな。
戦術的敗退の影響を最低限に食い止めるすべを心得ている。
>>45の分析で行けば、どっちかというと信長型か?
信長よりは最前線の兵士や指揮官のことを思いやっていそうな気はするが。
むしろ信長(攻撃)vsブラド公(防御)のカードを見てみたい。
信長は戦闘よりも、内治に功がある人じゃない?
49 :
世界@名無史さん:03/10/25 10:18
ジンギスカン最強!!
ネールも書いてた。
チンギス・ハンに比べれば、アレキサンドロスもシーザーもかすむ。
みんなこんなにかきこんでくれて本当に感謝します。
>>1より。
51 :
世界@名無史さん :03/10/25 21:53
信長より武田信玄のほうが強いんでないかい?
信玄は雑魚
武田信玄はもう少し後に生まれていれば・・・
ジンギスカンなど秋山好古隊に勝てまい。
信玄じゃ歴史は動かせない
56 :
世界@名無史さん:03/11/26 19:13
信長は大天才。
でもやっぱり鋭すぎる人は畳の上で死ねないね
その点、家康のほうがすごいのかな
57 :
世界@名無史さん:03/11/26 20:37
当時の日本の軍事技術は非常に高く
銃の質と量はヨーロッパ全土をあわせた
よりも高かったとシヴサワコウが言っていました。
鉄甲船もあるしね。朝鮮出兵当時、秀吉の指導力は相当低下していたし
仲間割れがひどくて敗北しましたが、信長が
生きていたら天竺制覇も夢ではなかったかもしれませんね。
58 :
世界@名無史さん:03/11/28 13:39
>鉄甲船もあるしね。
ねえよアホ。
>生きていたら天竺制覇も夢ではなかったかもしれませんね。
すげえ妄想だなw
>>58 放っておきましょう。本来は>3で終了してるスレですから。
60 :
世界@名無史さん:03/12/09 02:46
ナポレオンは孫子の兵法書を持っていたらしい。
武田信玄みたいだ・・・
>>60 ナポの時代に仏訳(ラテン語訳?)されていたことに驚いた。
フランスでは17世紀末ごろから孔子、儒教に関する書物が
書かれだしたようだ
それ以前に「中庸」とかが宣教師によって訳されていたはず
孫子は知らん
63 :
世界@名無史さん:03/12/09 08:37
戦国日本とヨーロッパの軍事力の差は、
1615年の元和堰武より歴然としてくるのでは?
それ以降、30年戦争、英蘭戦争、ファルツ継承戦争、
オランダ侵略戦争、スペイン継承戦争、北方戦争、
ポーランド継承戦争、オーストリア継承戦争、
そして、7年戦争と絶対主義諸国の間で壮絶なバトルロワイヤル
が繰り広げられて、最後にナポレオン戦争ですから。
日本とは経験値が違いすぎます・・・・
64 :
世界@名無史さん:03/12/09 12:42
ナポレオンには戦後のビジョンなし。
ノブナガは戦後のために血を流した。
哲学の有無でノブナガ優勢。
65 :
世界@名無史さん:03/12/09 18:43
意外と、信長とアレキサンダーとの共通点も多いよ。
戦争で、「異常に長い長槍」を使ったのも共通してるし、
66 :
世界@名無史さん:03/12/13 20:37
生き様においてはカエサルと信長は
共通点多いよ。
古い体制を壊そうとしていた点も
似てるし、戦後のビジョンも
お互いあった。
そして最後は部下に裏切られているところが
共通している。
67 :
世界@名無史さん:03/12/13 21:37
>>60 後年になるが、ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム2世は、
第1次世界大戦後に、孫子の兵法書を読んで、
「戦争を始める前に、この本を読んでおけば、ああはならなかった。」
と感想を述べたらしよ。
NHKでみた。海外の番組だった。
>>61 ルソーが論語を読んだなんて有名だろうが!
氏ね!厨房!
>>42 遅レスだけど趙は電波。
なんたって、中国軍は米軍より強いとか吹いて物笑いの種になってましたから。
騙まし討ちの件に関しましては、趙の言いがかりなのですが
たとえ、そうであったとしても軍事的には奇襲される方が無能なのです。
だから、米軍もハワイの責任者であるキンメルを更迭しました。
このあたりの軍事的常識を知らずに「騙まし討ちだから成功した」発言は
かなり痛いです。
>>66 でも、部下になるならカエサルがいいな。
信長の部下にはなりたくない。
71 :
世界@名無史さん:04/01/25 23:56
最近の説では、信長は正真正銘の専制君主だったらしいね。
封建制よりも更に旧い専制の体制で、他の封建領主を撃破してたらしい。
革新的というより、復古的かつ超越した天才性が特徴だそうだ。
72 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/01/26 01:01
結局、信長には後継者を見る目がなかったし、
自分の死後に後継者について行かせるだけの人望もなかった。
幾らオクタヴィアヌスが有能とは言え、政治的に未経験の十九歳の男が
本人だけの力で人々を従わせられたかというと相当疑問。
やっぱりカエサルの威光、というか影響は大きかったんだろう。
この辺が多分、カエサルと信長の決定的な差だろうと思う。
敵を許して殺されるのと、敵を殺して殺されるのと。
許す過程で救われた人々の中には感謝の念を持つ者も相当いたろうし、
逆に殺された者の遺族には憎しみが残る。
直接的には後者の方がいいかも知れないが、死後のことも考えると
前者の方が長続きした。
73 :
世界@名無史さん:04/02/19 19:42
74 :
世界@名無史さん:04/02/20 16:40
信長が唐入りをやったとしても、
ナポレオンのように冬将軍にやられたんじゃないの?
>>72 >結局、信長には後継者を見る目がなかったし、
>自分の死後に後継者について行かせるだけの人望もなかった。
いや、信長は後継者ごと暗殺されたのだが・・・。
76 :
世界@名無史さん:04/03/23 21:52
age
77 :
世界@名無史さん:04/03/24 04:47
うんこ
78 :
世界@名無史さん:04/03/25 15:53
>>72 古代ローマと日本じゃ社会のあり方が全然違うでしょう。
古代ローマは主家と先祖代々の奉公人(便宜上こういってるけどクリエンティスとかは
日本語には正確には訳せない)との関係が鉄の結束があるわけ。
一方日本は親戚でも信用できなくて、しょっちゅう裏切りとかやってるわけね
(江戸時代の長男至上主義のおかげでだいぶ改善されたが戦争にまけて元の木阿弥になった)
朝倉氏も親戚に裏切られてあっさり滅んだわけでこれがなければ一乗谷でしばらく
がんばったはずだし。
だからオクタビアヌスはユリウス一門の正式な頭領になったからこそ若くてもすぐに
戦争ができたという所がある。
79 :
世界@名無史さん:04/03/25 21:33
誰もケンシロウにはかなうまい
>>75 後継者が共に死んだとしても、弟(信長の次男や三男)がいたわけで。
彼らと、カエサルが死んでから公開された遺言で後継者になった
オクタヴィアヌスに、さほど条件差があったとは思えない。
むしろ知名度の点では、次男や三男の方が有利だったろう。
この辺は本人たちの能力差もあるだろうがね。
>>78 「ユリウス一門」というけど、カエサルの家系ってそんなに一門中
有力だったんだろうか。先祖は凡庸の域を出ず、貴族としては平均的で
カエサルだけが例外的に出た天才、というのが通説だが。
「ユリウス一門」の中での「カエサル家」の位置づけが、「正式な頭領」
と言えるものだったのかどうか。
「カエサルが出たから」というんでなくて、先祖代々。
(でないと結局、カエサル個人の業績や地位のせいになる)
他家には他家のクリエンティスがあるんだろうから、
その他家(のクリエンティス)の支援も確実に得られる保証があったのか、
ということ。でなければ「ユリウス一門」とは言いにくい。
確かに「カエサル家」の足元を固めるのはやりやすかったろうがね。
もともとクリエンティスの規模や相手にも色々あって、当時は
(特に主君の地元でなければ)結構保護を求める相手が変わっていた
という印象がある。だからポンペイウスはエジプトで殺され、
新たにカエサルが主人になった。イスパニアなんかも割とそれに近いんでは。
81 :
世界@名無史さん:04/03/29 15:19
>>80 少なくともカエサルもアウグストゥスも属していたガイウス家は、それこそ
カエサルのおかげでガリアに強力な地盤を築いて同じ一門でも他家を圧倒して
たんじゃないかな?
正式な氏の長者じゃなくても、実質的な棟梁だったのではないかと。
で、それを正式に相続できたわけだからアウグストゥスはスタートから
かなり有利だったのではないかと思う(もちろん個人の才能や努力もすごいけど)
スマン、ガイウスはカエサルの個人名だったね・・・はぁ〜
オルバース爆動か!?
信長が勝つ!
84 :
世界@名無史さん:04/04/01 01:18
信長がナポレオンの先祖を殺したらナポレオンは生まれてこなかっただろう
85 :
世界@名無史さん:04/04/04 10:13
農繁期をおかまいナシに動員できるナポレオン軍に信長が勝てるわけがない
86 :
世界@名無史さん:04/04/04 11:36
87 :
世界@名無史さん:04/04/06 18:52
>>85
信長は半農半兵でなく職業軍人を使ってたから農繁期にも戦争してますよ。
農繁期に戦争できたのが兵が強くなかった信長軍が尾張から京に上れた理由
じゃないんですか?
>>87 ごめん、書き方が悪かったね
ナポレオン=農繁期無視の農民軍(しかも愛国心が異常に高い)
信長=金で雇われた傭兵
で、ナポレオンは傭兵が主流の周辺諸国の軍隊を片っ端からやっつけまくったと
したがって信長の軍隊がナポレオンに勝てるわけがないのです(まあ同時代の
同地域だったら信長も国民軍を作っただろうけど)
>>88 ナポレオン軍 > 信長軍 ってのは僕もそう思う。
1回の戦闘に限れば指揮官の戦術的なセンス、兵隊の士気などなど普通に考えればナポレオンの勝ちでしょう。
、でも戦略的に考えれば信長が勝つとおもうけどね。
90 :
世界@名無史さん:04/04/07 17:00
信長は弱いといわれた尾張軍を率いてつわもの揃いと言われた
美濃軍を破った。
武田騎馬隊も撃破。要するに戦争は武器の強さで決まる。
91 :
世界@名無史さん:04/04/09 08:41
>>89 やっぱり「無限の動員力」にはかなわないでしょう(w
ゲリラに苦労したという点では同じですが(ゲリラへの対応は
信長の方が上かもしらんけど)
92 :
世界@名無史さん:04/04/09 12:29
>>33 頭悪すぎ
じゃあウェリントンはナポレオンより優秀とみていいんだな?
(確かに手堅く勝つ辷はナポレオンより心得ていた)
あと、ヒトラーは素人軍人であったのがネックになったが彼の戦争の才はなかなかである。
ナポレオンもそうだが情報戦が巧かった。
>ナポレオンは海戦が下手
>信長は局地戦が下手
うーん、一概にそう言い切るのはどうかな。
ナポレオン当時のフランス海軍はそもそも弱かった。
信長率いる三河兵は兵士の質が悪い事で有名だった。
ここらへんを考慮に入れてあげないとフェアじゃありません。
93 :
世界@名無史さん:04/04/09 12:55
信長には用兵よりも、情報収集と調略に凄みを感じる
大勝した合戦もあるけど、何かのショウの如くみえる
桶狭間の前に敦盛を舞ったとか、鉄砲三段撃ちとか
って当時の頃からそう喧伝されてたのかな?
>>94 敦盛はホントらしいけど、それほど他の戦国大名よりズバぬけて諜報がすごかったわけじゃないらしいですよ。
ただ、斯波氏や他の織田家、および斉藤義竜や武田信玄が妙に都合よく死んでるのは
怖いかも・・・
ちなみに、三段撃ちは真っ赤な嘘ということで・・・
97 :
世界@名無史さん:04/04/11 00:50
>>95 三段撃ちは嘘なの?
雑賀衆の三段撃ちは信長のそれよりも効率が良く一枚上手だったが。
だいたい、当時の硝薬で一時に1000挺単位でブッ放したら、
硝煙で何も見えなくならんのかな。咳き込んだり目が痛かったりで
使いものにならない兵も出るだろうし・・・そんなんで次発が(少なくとも
統制のとれた射撃としては)可能だとは思えんわさ。
接近してくる敵にわざわざ身を隠す煙幕を張ってやっただけの結果に
終わりそうな悪寒。
まあ、見えなくなるからこそ数を揃える効果があるとも言える。
見えなくなると個別の標的に当てるのは無理だから、
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の論理で数を揃えるのは
ヨーロッパでも実際にあったことだし。
グスタフ・アドルフのスウェーデン軍も、鉄砲の数を増やしたのと
水平射撃の導入で効果を上げたんでなかったかな。
101 :
世界@名無史さん:04/04/11 13:39
>>98 読んだよ
なんか、カエサルノガリア戦記に出てくるなんとかの戦いみたいな感じだったんですかね
(あれはカエサルの側が武田勝頼のポジションに陥ってしまい、カエサルの側が築陣して
一ヶ月ねばって勝ったけど)
あと鉄砲に関してだけど、たぶん実際前線に投入したのは500ぐらいじゃないかな?
予備とか各部隊の本陣の護衛とかが必要でしょうから。もっていった1000丁を全部投入
したとは思えない
102 :
世界@名無史さん:04/04/11 17:05
>>98 サンクス。鈴木孫一が実践した3段撃ちも怪しいのかなぁ。
雑賀衆の場合は3人一組だが撃つ人と火薬をこめる人と銃を
渡す人がそれぞれ分担されてたので信長の3段撃ちよりも効率が良かった
というのを読んだ。撃つ人は撃つ練習だけを、火薬をこめる人はこめる練習
だけを、渡す人は渡す練習だけをすればよいから習得も早いし交代する時に
ぶつかることもなかったらしい。
103 :
世界@名無史さん:04/04/13 09:48
>>102 激しくウサンクサイ説かと・・・
というか、たぶん、かえって効率が悪いよ、それ
(それから、日本の火縄銃は基本的にスナイパーライフルなので
それほど早撃ちにこだわってなかったとおもわれ・・・)
104 :
世界@名無史さん:04/04/13 16:59
鈴木孫一も作られたスターだったのか・・・。
105 :
世界@名無史さん:04/04/13 18:43
正直、家康って同時代で限りなく至高の戦上手だと思うんだけど。
もともとは短気な性格だが、必要とあらば石橋をたたいても渡らない慎重ぶり。こういうことを平気で出来るのは強い。
陰気くさいタヌキキャラだから、やたらと見方ヶ原の惨敗や真田一族に受けた損害などを強調されて矮小化しているが
オールマイティーとはまさに家康のことをいうんではないか?(政治感覚は超保守的、というか徳川偏重的だけどな・・・)
個人的には家康は戦争に関しては「戦上手だろうけど天才ではない」という印象。
点数つけるなら80点前後。これでも十分だろうとは思うが。
あと、失敗から学ぶことが出来るというのが家康の強みではなかったろうかと。
信長もナポレオンも、余り学んでいるようには見えない。
>政治感覚は超保守的、というか徳川偏重的だけどな・・・
あの時代は最高でないにせよ最良(というのもおかしな話ですが)の選択だ
ったと思いますよ。自分の政権の安定すらまともに図れなかった「織豊政権」
の方が問題が多い。
書籍からにせよ経験からにせよ、とにかく「よく学ぶ」人でした。天才肌に
任せるよりはずっといい。
「天下統一!」とか言っても所詮信長には日本列島しか治める気無かった
素で「世界征服!!」とか言って実行しようとしたナポレオンの方がロマンティストで好きです
110 :
Cipher:04/04/14 10:59
>>104 鈴木孫一もそうだろうが、雑賀衆の戦場における鉄砲の使い方っつーのは
たとえば10人の鉄砲隊のうち筋のいいやつを1人だけ特別にスナイパーとして
訓練しておいて、戦争の時はそのスナイパー役が攻めてくる敵の指揮官クラスを狙い撃つ。
スナイパー役以外の他の鉄砲隊は火薬はこめてあるが弾はこめてない空筒を同時に撃つ。
攻め手側は大きな音とともに指揮官がやられるのでめちゃくちゃ動揺する。
その敵が動揺したところを見計らって喚声とともに集団で襲い掛かるっつーやり方だ。
出典は忘れたが、リアルな戦い方だと思う。
>>106 ナポレオンって世界征服しようとしてたの?
欧州征服ではなくて?まじで?
戦国時代日本の統一とナポレオン時代欧州の統一とではどちらがより困難だろうか
114 :
世界@名無史さん:04/04/15 08:58
>>105 親族偏重といえばナポレオンも信長も秀吉もです。血縁の壁で体制を
守るというのは近代以前では常識なので批判すべきトコじゃないかと。
国民国家というものが定着して国家が文字通り一つの「家」の感覚に
なったため血縁の壁が必要なくなっただけです(まあこういう国家意
識はずいぶん崩れてきましたが・・・二世議員とかその証拠)
>>108 マジレスするが、ナポレオンはオリエント征服の第一歩エジプト遠征
でつまづいた時点で挫折してますよ。
115 :
世界@名無史さん:04/04/15 21:23
>>114 ただ信長、秀吉の政権が続いてたら世界に取り残されずに
すんだのでは?妄想だが・・・。
116 :
世界@名無史さん:04/04/15 21:27
昨日のNHK「その時歴史が動いた」みて思ったのだが、
鎖国は結局日本にとってプラスだったの?マイナスだったの?
鎖国していなかったら北九州がキリスト教に汚染されてたかもしれんぞ
統一できなかったかも
>>117 その後の欧州情勢を見るに、とてもじゃないがそんな汚染とか
征服とかしてる余裕はどの国にもない。
三十年戦争終結までずっとスペイン(1640年までポルトガルも)国王の
ハプスブルク家を巡る泥沼の戦争が続くし、スペイン自体はその後も
しばらくフランスと戦争している。
少なくともイギリスの名誉革命まで、侵略してくるのは無理。
流石にその頃には日本の政治も安定してるだろう。
キリスト教ってそんな生易しいものかね
欧州の後ろ盾がなくても、日本国内で勝手に繁殖していきそうだ
120 :
世界@名無史さん:04/04/16 08:57
>>115 明治維新をエラク見せたい司馬あたりの時代小説作家の宣伝かと・・・。
江戸時代は別に世界に取り残されてたわけじゃないですよ。
国際貿易もしてたし(ヨーロッパの銀本位制は日本の銀によって支えら
れていた)
学問も独自に微積分に到達するなど。商業でも三井の「現金掛け値なし」
というのは資本主義の萌芽だし(これは褒め過ぎか)
まあ実は鎖国でもなんでもなかったからこそ維新からたったの38年で
世界最強の陸軍国をやっつけられたわけですわ・・・
信長は戦略家
ナポレオンは戦術家
122 :
世界@名無史さん:04/04/16 17:58
>>120 なるほど。しかしもし織田信長が政権を取ってたら豊臣秀吉が
もう少し長生きしてればと考えるのは愚かだろうか。
もし明治維新がなくて徳川政権が続いてたら日本はどうなったのだろうか?
>ヨーロッパの銀本位制は日本の銀によって支えらいた
これはヨーロッパにいいようにカモにされてただけなのでは?
123 :
世界@名無史さん:04/04/16 19:10
銀をカモられたのはマズかったが、家康の封建主義体制は案外優れた代物。
まず完璧な自給自足体制。身分制度にしたってインドのカーストほど締め付けはなく(「宗教」ではなく「制度」だからね)、よく徳川幕府批判の話の枕に使われる年貢の取り立てにしたって、「水戸黄門」みたいなのはやっぱりね、おかしいんじゃないかと(笑)
だって米って食べる物なわけでしょう、だから何らかの形でやはり農民とか下層階級の人間の胃袋に納まってたと考えるべきじゃないか。後は外交に力を入れ国力も底上げ…望み過ぎか。
ベストでは無いがベター、と結論。
割と日本って完全国土なんだよね。
少なくとも江戸期以前の人口を支えられるくらいには米を生産できる平野があって、
周りは海でお魚ピチピチ、内陸は山岳部で一歩踏み込めば動物性タンパク質やら
食用植物やら燃料やら鉱物やらを採集できる。そりゃまぁ飢饉とか無いわけじゃないけど、
自給自足が充分に可能なんだから、じゃあうちはうちだけでのんびりやってこう、ってのが
普通ってもんで、信長(はどうかわからんが)と秀吉が異常なんだよ。
別に日本には、非キリスト教徒を教化してやろうとか、マニフェスト=ディスティニーだ、的な
はた迷惑で気○いじみた行動原理があるわけじゃないんだしさ。
それでどっかの大国みたいに中世的停滞にでも陥ってたら話は別だけど、
>>120の言われるとおり、それなりに世界にもコミットして最低限やるべきこたぁやってるし、
家康(家光)の路線は大正解だと思うわけよ。ホント神君(とその孫)は偉大だね。
徳川260余年の平和に乾杯。
125 :
世界@名無史さん:04/04/17 01:33
>>124 確かに徳川政権下は平和だった。ただ奴隷の平和というか
今の日本みたいな平和ボケ天国になったんじゃない?
はっきり言ってつまらない世の中だと思うよ。今のサラリーマン社会
と一緒でさ。でもそれが平和というものなのかもしれんが・・・。
>>125 それが幕末にも響いてて、当時騒いでたのは実は一部の人間だけで
大多数の人間は冷ややかだったんでないかという説がある。
朝日の書評でそういう本があると読んだ。
まあ鎖国自体の是非はともかくとして、鎖国した理由が
「キリスト教布教を通じた侵略の阻止」というのがどうも。
オランダに騙された印象が否めない。
127 :
世界@名無史さん:04/04/17 13:35
>>122 うん。カモられてました(w
まあ、でもイギリスやその他のヨーロッパ諸国も、古代ローマ以来
ずーっとトルコやインドに銀や金をかもられてたわけで、アヘン戦争
あたりから取り戻していったわけ。で、日本も第一次大戦あたりから
取り返していったから歴史的に見るとトントンですわ
(ここ10年はカモられまくってるけど・・・)
あと、鎖国っつっても考え方による。
政治的鎖国なら、「日本」という国家が誕生した時代から江戸時代末期
まで日本はずっと鎖国。秀吉の「外交」というのは今で言う巨大民間企業の
「外交」にすぎないわけだし・・・まあ、そこが対明、対朝鮮問題をややこしく
したわけですが・・・
ただ国際貿易は盛んにやってたわけですわ。おおむね輸出超過でね。
もっとも江戸時代に造船、冶金技術が停滞したのは、江戸時代の失点かも。
冶金技術は今でも欧米に遅れてるという話だし・・・(もっとも戦国時代の
日本の鍛造が優秀すぎたのが原因かもしれませんが)
>>126 大多数は「国がなんとかしてくれるレベル」だったとも。>黒船来航時
まあそもそも「鎖国」という意識自体無かったようですが。
>>127 >政治的鎖国なら、「日本」という国家が誕生した時代から江戸時代末期まで日本はずっと鎖国。
その辺りの定義がよく分からないのですが・・・確かに10世紀になると遣唐使が廃止された
上、醍醐天皇が「外国使節に直接謁見してはならない」という事を述べて忌避感は広がっていたよ
うですが。
平清盛が後白河院を宋人に引き合わせたり、後醍醐天皇が元の僧侶と直接顔合わせをした時には非
難轟々。ついでに渡航に関しても(公式には)院政期頃まで制限があり、刀伊の入寇の際に家族を
連れ戻そうと高麗に行って帰国した人物を罪に問うか否かで当時の朝廷の陣定(国会)はかなり揉
めたようです(結果は不明)。
>>128 「政治的鎖国」の原因は中国というか華夷秩序がひとつの原因です。
日本がつきあってた唯一の独立国は歴代シナ王朝(あえてシナという
用語を使わせてもらいます、ややこしいんで)だけど、歴代シナ王朝
は中華イデオロギーにもとずき、対等の外交を拒否したわけです。
で、まあ、独立国である日本はそういう相手とつきあっていくには
公式には無視せざるをえず、そうなったというわけで・・・。
で、日本側の原因としては、朝廷が平安時代末期あたりから政治的義務を
放棄したため武士が政治をとりしきるようになり朝廷幕府政治という変な
二頭政治が生まれたために、例えば幕末でも欧米各国がどっちに外交文章
を持っていけばいいのかわからなかったというような事態になったと。
こんな説明で理解していただけたかどうか不安です・・・現代から考えると
東アジアの国際社会も日本国内も非常にわかるにくい面があります。
本筋から離れてなんですが、
>政治的義務を放棄
したという表現はどうかと。別に平清盛や源頼朝が政権を創り上げたからと
いって、それで即朝廷が有名無実の存在になった訳じゃありませんよ。
それに平安時代末期から江戸時代末期まで、政治状況がそのまま持続してい
た訳でもありませんから。
(権門体制論とか東国国家論とか、近頃言われている国家内国家論について
は日本史板の「中世の天皇」スレを参考になさって下さい。)
諸外国を相手どった国交が限定されていた事については、支那も含めた外国
を見下すか「穢れた異界」レベルの意識で捉えていた日本側にも原因はあっ
たのではないかと(無関心といいましょうか)。
『続日本紀』には新羅や渤海を相手取った「国交」の場面がしばしば登場しま
すが、対等を認めていなかったのは日本も同じでした(それ以降を見ても)。
スレから話題がそれて逆に良スレになってるな・・・。
>>130 いや、実は本筋のナポレオンVS信長と密接に関係した問題だと思います。
というのは権門体制というか、ナポレオンのフランスのような近代国民
国家成立以前の日本やヨーロッパというのは基本的に信長の生きた戦国時代
を一つのモデルとする「権門体制」ですからね。
>政治的義務を放棄
これに関しては、こうとしか書けないかと。「政権を放棄」ではないわけですから。
公的な軍事権警察権を手放したのは政治的義務の放棄だと思います。
外交に関しては歴代シナ王朝を相手にする以上、こちらも中国化せざるを
えなかったという点もあるかとは思います。もちろん、どこの国にもどんな
時代にもある外国差別も大いに関係してるとは思います。
もっとも、歴代朝鮮半島は残念ながら独立国家ではなく歴代シナ王朝の属国だったので
独立国の日本とは対等な外交関係を築くのは近代の感覚でも不可能だと思います。
134 :
世界@名無史さん:04/04/18 17:55
真面目な議論が展開されているところに話の腰を折って申し訳ないですが、
横田順弥氏の「日本SFこてん古典T」(早川書房S57)に「午睡之夢」
と言う話が紹介されています。
最初はナポレオン対中国軍、秀吉の三つ巴、最後は家康対ナポレオン。
ハンニバルとかシーザー、孔明とかもみんなあの世から生き返って出てきます。
>>133 なるほど。一行目以下に関してはそういう考え方もすべきでしたね。迂闊でした。
>公的な軍事権警察権を手放したのは政治的義務の放棄だと思います。
ただ放棄というか、検非違使庁や国衙の機能までもが武家に完全に吸収されて
しまうのは足利義満の頃になってからであったかと。
結果的に不利になってしまった訳ですし、放棄とは表現し難いと思われます。
ただ貴族社会の発想というか行動原理が保守的であったが故にそう見做されざ
るを得ないという点はあるのでしょうね。勿論単純に「公家は軟弱であったか
ら武家に政権を移譲するのが当然であった」としてしまうとまた新井白石以降
戦後まで続いた史観に逆戻りしてしまうのですが。
外交面は、まあ中世以前はああするしか無かったでしょうね。可能性を後から
言うのは難しい話ですが、私は案外この國の歴史は理想的に進んで来たように
思います。
>>135 豊田先生や柘植先生以外にそんな作品を書かれる先生・・・一体誰なんです?
+鎌倉幕府の勢力が西国にまで及ぶようになるのは承久の乱以後。乱の時に
遠江以東に号令をかけているが、言い換えれば力が及んでいたのはここまで。
そして乱後は滅亡まで勢力を拡大し続けた。
・・・まあ133氏はご存知でしょうが。
138 :
世界@名無史さん:04/04/18 20:28
江戸期日本を鎖国していたと呼ぶなら、
当時鎖国していなかった国がどれだけあるのか。
ちなみに織田政権や豊臣政権が存続していたとしてもいわゆる鎖国になっただろうな。
>>136 明治20年発行で著者は南(木偏に可)あ?亭夢筆、本名杉山藤次郎
どういう人かは不明です。
エジプトに続きシリアを征服(ここから史実を離れる)してしまったナポレオンが
あの世の西洋の英雄に召集をかけて世界征服に乗り出すと言う筋書きですね。
でアレキサンダー大王を先鋒にインドを征服して次なる目標は中国。
中国側の総帥は孔明、副総帥孫武。
日本の総帥家康は秀吉の意見でとりあえず高みの見物。
時代設定完全無視で世界中の英雄が終結すると言う、
スケールだけはむやみに大きい話らしいです。
>>139 ああ・・・あの頃から仮想戦記作家はやたら元気でしたからね。馬鹿馬鹿しさだけ
なら今よりも遥かに上ですよ。
幕末に徳川斉昭が英国を征服して凱旋するという話をほぼリアルタイムで書い
ていた國ですからね、歴史は古い。
>>133 えーっと、それは「ヨーロッパ全体が一つの権門体制」ということ?
個別の国家レベルに落とすと、国によって内実がかなり違うから何とも言えない。
フランスなんかは徳川期並みかそれ以上に中央集権が進んでいたし。
個人的には、
>>131のリンク先で言う「権門体制」に一番近いのはドイツだろうと思う。
142 :
世界@名無史さん:04/04/21 20:13
>>136 もちろん、一気に「やーめた」ではなかったと思いますが、刀夷の入寇
とかへの対応を見ると「朝廷は護摩炊きしてただけ」と言われても
仕方ないかと・・・まあ、現代の感覚で言うとですけどね(w
元寇の時は鎌倉幕府が一番強力だった頃なので、朝廷の無責任を言うのは
酷かもしれませんが・・・
>>141 そうです、ヨーロッパ全体で考えた場合です。有名な例ですが、
一時期の英国王とフランスとの関係とかも日本の権門体制と
非常に近いものがありますね。
>>140 佐藤信淵の「宇内混同秘策」なんて妄想が出現したりしてましたね。
幕末攘夷志士の漢詩なんかにもアンゲリヤ(=えげれす)の本土に上陸して
王城を奪うなんてゆう夢をみたとか、正に夢見たいなのがありますし。
ヨコジュンさんの紹介する日本SF古典には結構ふるってるのがありますね。
「炭素大功記」とか羽化仙史(鴎外の「渋江抽斎」に出て来る渋江保)の作品とか。
>>143 藤原隆家で良かったですよ。大宰権師というのは、単なる左遷職という訳で
も無く旨みも責任も伴うものでしたから、ちょうど良かった。
(当人は眼病の治療が目的で宋の医僧のいた大宰府赴任を望んだそうですが)
恩賞については藤原公任・行成が「必要無し」と判断したのに対し、隆家と
比較的懇意にしていた事もあってか藤原実資が「ここで恩賞が無ければ、後
々奮闘するものがいなくなるであろう。功あれば賞すべきである。」と発言
して結局いくらか与えられたようですから、結果的に見れば今の日本政府の
対応よりましであったかと。
もっとも前大宰少監大蔵種材が壱岐守に任ぜられたぐらいしか確認出来てい
ませんが。種材は藤原純友の侵攻を跳ね除けた春実の孫で、刀伊が撤退した
時に、「準備を整えて追撃しよう」と言われていたのに「自分はもう七十を
越えた老人であり、春実の孫である。惜しい命ではなし、逃げられる前に追
う事にする。」と発言、都から来ていた歌人源道済もこれに同意して許可を
出したと言います。
人治主義だと言われればそれまでですが、やはり今の政府よりはよくやって
くれていたと評価したい。
>>144 そうそう、例の世界征服系トンデモ本ですね。>『宇内混同秘策』
146 :
世界@名無史さん:04/04/27 01:00
つーか信長ってナポレオンみたいに世界的に有名なの?
有名なわけがない
ヨーロッパという共同体で、尚且つ自国の歴史に絡んだナポレオンと
日本のみの信長が知名度同じなわけが無い
そして2chは日本のサイト
日本の歴史上の人物と比べても、別に不思議はないと思うが?
148 :
世界@名無史さん:04/05/01 03:43
ナポレオンはオカマであった。織田信長はショタであった。
149 :
世界@名無史さん:04/05/01 04:11
>>141 >徳川幕府並みに中央集権牲が進んでいた
徳川幕府が採用していた封建主義は地方分権思想ですが。
あれで中央集権と呼ばれてしまうのか…。
150 :
世界@名無史さん:04/05/01 04:35
訂正
>徳川幕府並みに中央集権が進んでいた
151 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/01 10:59
>>149 いや、それ以前の権門体制に比べての話だから。
それに、江戸時代も国替えとかお取りつぶしとか結構あって、地方分権といっても
藩内に限り、幕府に逆らわない限りという条件付きの分権だし。
フランスも国内レベルでは封建領主の世襲権が結構強く残ってて、例えば
フランス貴族が敵のプロイセン王に仕えててもお咎めなしだ。
八代将軍の吉宗が財政逼迫の折に大名から米を上納させた件を、
フランス貴族からの租税徴収問題と比べて考えてみても、
(これは相対的な権力の強さという問題もあるとは思うが)
こと地方封建領主と君主の関係に関しては、日本の方が統制進んでたと思う。
逆に統制取れなくなった時が幕府の衰退の開始、というか。
152 :
世界@名無史さん:04/05/01 11:10
>>151 「権門体制に比べて」
と言うなら、それは確かにそうなんだろうけど、やはりアレを中央集権制と呼ぶのは抵抗がある。
今日において
「独裁者」
「中央集権制」
と言う言葉はあまりに拡大・広義に使われすぎていてどうしてもわたしは抵抗を覚えてしまう。
>>152 と、いうことはアンジュー家による中央集権化のはじまりも否定するわけで
どこを中央集権化のはじまりと捉えているのか、ご意見賜りたい第三者です
例をぷりーず
ごめん
カペー家の間違いでつた
155 :
世界@名無史さん:04/05/01 11:44
>>153 意地の悪い人だね(苦笑)
確かにそう言われると返答に窮する。
しかしわたしに言わせればヨーロッパの
「地方分権」
は極端すぎる。
幕府が最高決定府で他藩を捻ふせる強い発言力を有していたのは確かだが、各地の領主にそれなりの政治権限が与えられているのを考えると徳川政治体制は地方分権と呼んでいいのではなかろうか、と言うのが個人的意見。
ところで>153は中央集権制と地方分権制の境目をどこに基準として判断しているのか御意見お伺いしたいね。
156 :
世界@名無史さん:04/05/01 11:50
更に言うなら、徳川政権は権門体制から中央集権制に移る過渡期と考えるのが正確ではなかろうか。
後の中央集権の雛形であっても、中央集権とは言えない、と言う。
宗主権を行使した内政干渉をし始める辺りが中央集権化のはじまりだと思っております
フランス王国にしても、ブルゴーニュ、ブルターニュなどは、臣従の義務はあっても
13、4世紀辺りじゃ、まだまだ直接政治に関わるなんて事は無いと思われます
そういった意味では地方分権性と言われても致し方ない部分もありますが、私の意見としては
これを中央集権化の「はじまり」と捉えているわけですよ
ナポレオン自身が死に際に自分はチンギスハンには及ばなかったと述懐していたらしいが。
ああ、書き込んでる間に
>>156がw
結局言ってる事は変らないわけですな
更に言うなら、私は
>>153からの参戦者で、興味深くお二人の意見を拝見してただけです
そして国内の歴史に疎い故、純粋にご意見頂戴したく例をキボンしてみました
煽ったわけではありませんのでご了承ください
160 :
世界@名無史さん:04/05/01 12:17
>>159 わたしもレスを見て
「言ってる事一緒だったのか」
とか思った(笑)
にも関わらず二人の意見に微妙に齟語が生じてしまうのは、わたしが封建主義体制を完全に独立したひとつの政治制度として評価している、と言うのがその理由でしょう。
イデオロギーを抜きにして歴史は語れませんし、これは致し方ないところですな。
161 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/01 13:46
長篠の戦いだが、あの日は雨で鉄砲など使えなかったらしい。
信長は調略であらかじめ作っておいた山岳地帯の要塞に武田軍をおびき寄せ、悠々と勝利したらしい。
あの時歴史が動いた、でやっていました。
あの時!!!
>>161 織田軍は約2倍の戦力を投入したが、損害は武田軍と同等という
のを前に読んだ事もあるので、武田勝頼も兵力劣勢ながら健闘したのでは?
健闘はしたんだろうけど、戦死者に問題ありだろう。
武田軍は主要な武将を多々亡くしてるからね。
165 :
世界@名無史さん:04/05/01 16:11
絶対王政なるものの実態がそもそも、後の近代国民国家の中央集権からは
程遠いわけで・・・ここらへんの定義って歴史学会ではどうなってんだろう?
フランスも実はフランス革命とかヴァンデ戦争を経てってトコがあるし。
公安警察無しに中央集権は無理だろうし・・・
やはりフーシェは偉大だ
信長に対外戦争する根性あっただろうか
169 :
世界@名無史さん:04/05/02 02:44
必要性も低いしね
秀吉みたいに子飼いの武将に
功績・領土を手に入れさせようなんぞ思わなかっただろうし
晩年にはリストラもバンバンしてたみたいだしねー
170 :
世界@名無史さん:04/05/02 06:01
信長より秀吉のほうがナポレオンとの共通点が多いな。
171 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/02 10:38
信長は世界の英雄達と比べれば軍事的、政治的業績は決して一流に入らないだろうが(後十年生きていればおそらく入るだろうが)
彼は世界に冠たる英雄である。それは世界でも類をみない、その格調の高い徹底した非常な残虐性だ。ニーチェは信長を知らなかった。
もしニーチェが信長を知っていたらカエサルより高い評価を与えただろう。
172 :
朝鮮史マニア:04/05/02 11:58
織田信長VSナポレオン、ですか・・・。
どちらも、騒ぐだけ騒いで勝手に火病を起こし、新秩序を打ち立てないままに
消えていった連中ですね。
私としては、そんな輩の優劣を論じても「五十歩ぬるぽ」の観がぬぐえない訳ですが、
とりあえず、政治家としての資質を見れば李成桂には半万段およばっず。
個人武勇で言えば安重根にはやはり半万段及ばず。
そんな所でしょうな。
李成桂はこの二人と違って、五百年にわたる黄金時代を築き上げた英傑ですし、
安重根はたった一人で日本政府と対決し、終には時の内閣を転覆させた英雄ですしね。
おっと、ちとスレ違いな話しになりましたか・・まあ、要は「信長やナポレオン程度の人材なら
朝鮮には掃いて捨てるほどいる」と言いたかったのですよ。
173 :
世界@名無史さん:04/05/02 12:01
>>171 それってオナニーじゃんw
人生の大半を日本一国を切り取ることに費やして、終いには
部下に裏切られて殺されたDQNでしょ。
後何年生きてたら、なんて妄想する分には楽しいけど、現実には
なんの意味もない。
格調高い残虐性ってなに?
カエサルと織田信長の共通点っていったら価値のある書物を焼き払ったってことがまず連想されるな
もったいねー
175 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/02 12:21
オナニーってどういうこと?詭弁は止めなさい
どこがドキュンなの?
日本一国を切り取ることに人生を費やすことのどこが下らないの?
妄想ではなく想像です。
想像することには意味があります。
あなたはかなり下品で頭の悪いくずだとおもいます。
放置できないおまいも同レベルだ、とマジレス
ところで長篠では雨で鉄砲が使えなかったって言ってるのはどこのデムパ?
李朝が黄金時代ですか?
個人的にはとてもそうは思えないですが、まあそれは主観として
すると千数百年続いた天皇家の初代は李成桂の三倍上でOKですね。
安重根?あんな小物持ち出さないで下さい恥ずかしすぎます。
まあ信長含めて4人とも世界史的にはいようがいまいが影響のない人間ですね。
ナポレオンやヌルハチやスレイマンやカエサルと違って。
信長がいなかったら徳川幕府が存在せず、日本は近代まで小国分立状態が続いた可能性もある
少なくとも東アジア情勢には影響を与えるんじゃないか?
室町政権が続いてたまま西洋艦やってきたらどうなってたのかなー
>>172 見え見えの釣り(爆笑)
少しはカモフラージュしろよな。
ナポレオンや織田信長クラスの人材がごろごろいるのか、朝鮮半島には。
世界が朝鮮半島に支配される日は近いですな(国民性を考えると支配した直後に内ゲバ起こしそうだが)
183 :
朝鮮史マニア:04/05/02 20:56
>>178 私が李成桂を信長やナポレオン以上に評価しているのは、只単に長きにわたって
家名を存続させただけではなく、李家主導の下、五百年にも及ぶ天下泰平の世の
基礎を打ちたてたが為なのです。
日本の天皇家にしても、様々な努力を払い、千数百年のながきにわたって存続させた
事は認めるとしても、その千数百年の年月の大部分は国の主導者としての実権を持たず、
それが為に李朝のような恒久なる泰平の世を築き上げる事は出来ませんでしたね。
(例えば、鎌倉・戦国時代、或いは近代に入ってからの日清・日露戦争や日韓併合、太平洋戦争等)
所で、李成桂が「世界史的に見て無用の人物」というのは何故でしょうか?
あの時代にタイミングよく登場して活躍してくれたからこそ、北東アジアを中心とするアジア諸国は
平和を満喫できたのですよ。
もし、あの時代に金正日の如き独裁者が現れていたら、アジアは戦乱の坩堝と化していたかも
しれないのですよ。OK?
181−182
正当な反論が出来なくなると今度は罵倒ですか・・。
見苦しいものですな。
李成桂じゃなくて息子だろ、朝鮮をまとめ上げたのは
>>183 スレ違いも甚だしい
自分でスレ立てて言っててくれ
まったく興味の無い話だ
>>183 >正当な反論が出来なくなると
このスレ自体には何回か書き込んでるけど、きみにレスつけたのは>181での一回のみ(この書き込みで二回目)。
脳内でわたしとヴァーチャル論争するのはやめて戴きたい。
のぶたんじゃダヴーにも勝てねえだろう
戦場では勝てんかもしれんが
戦争には勝つだろうな。
500年も何も途中でクーデターで政変有るやん。
てかへたれ国家は主権国家に独立してから威張れや。
190 :
世界@名無史さん:04/05/03 14:12
>>173 そうか?
信長よりもはるかにアッサリと殺されたけど、イタリア統一を目指した
チェーザレ・ボルジアのヨーロッパでの評価(欧米の文学には「ボルジアの毒」
という慣用句がひんぱんに出てくる)を考えたら信長はもっと評価されて
しかるべきだと思うんだけどね。
信長よりあっさり殺された?
チェーザレは普通に戦死なんだが
信長の場合、謀反で信長の首を目的にされ
チェーザレの場合、別にチェーザレの首を取ることを目的とした戦いではない
それがあっさり殺されたということなんじゃないのか?
信長の方があっさりだろ
チェーザレは失脚してからも数年生きてるわけだしな
チェーザレは絶頂期から転げ落ちた後、再起をはかるも達成されずに死んでいく。
信長は自らがまだ絶頂期に進んでいく途中に、臣下の謀反によって死んでいく。
前者は死んでももはやほとんど影響を与えなかったが、後者は日本史にかなりの影響を与えた。
チェーザレのほうがあっさりじゃないか?
絶頂期なのにあっさり殺されたって意味だろう
局地戦で戦死だし、チェーザレは普通。
あっさりという言葉は意外性を伴うが、まったく意外性なし。
再起できずにあっさり死んだ、という感じだと思うが。
>>197 うん、そうだね
チェーザレの方があっさりでいいよ
信長はぽっくりと表現したほうがしっくり来る。
200 :
世界@名無史さん:04/05/04 09:48
信長の場合は最期はマヌケだったが、日本の統一と近代化へのうねりは
止まらなかった。
一方チェーザレの方は、マキャヴェリを通して広くヨーロッパの知識人に
影響を与えはしたものの、肝心のイタリア統一事業は19世紀後半のサルデニア
までトンと進まないどころかスペインやらフランスにいいように蹂躙されて
たわけだから、あんまたいした業績とは言えないんだよね、実態としては。
あと信長は独力で統一事業を進めていたけど、チェーザレは父教皇がポックリ
死んじゃったらあっというまに勢力が減退したのも減点。
いつからここは信長VSチェーザレ・ボルジアになったんだ?
>>200 日本と中国が地続きなら、そうはならなかっただろう。
同一の文化圏で且つ、フランスと地続きだったんだから、同じに考えてはいけないな。
>>201 スマン・・・けど、ナポレオンよりもボルジア公の方が信長に近いと思う
いや、まあスレ違いなんでエラソーなことは言えませんが・・・
>>202 たしかに・・・じゃあ外国の介入云々に関しては訂正します。
ただ、後ろ盾が死んでガタガタという点は正しいと思っとります。
これ以上はスレ違いなんで・・・
マキャヴェリが日本を知っていたら、
「君主論」は、信長をモデルに書かれたんでしょうね。
205 :
世界@名無史さん:04/05/08 15:30
>>204 さらに宗教と切り離した内容の君主論になりそうですね(w
信長が無神論者であったとは思えませんが。宣教師(だけ)の記述した無神論者
云々は、学会では無視されて来たのが最近「戦国大名が自身を神格化するのは何
も信長に限ったことではなかった。それが曲解されたのではないか。」という解
釈も出て来るようになったぐらいで、あれを鵜呑みにしている人間はまずおりま
せん。
しょうこりもなく連発する仮想戦記作家や漫画家(とそれを信じる読者)が悪い。
207 :
世界@名無史さん:04/05/08 16:14
織田信長?
凶暴さと冷徹さを買われてイエズス会が育てた無情者かい。
井の中の蛙の日本原住民どもよ。
彼の戦術-陣地構築-も宣教師の知識から取り入れた事実を知ってるか?
軍資金、火縄銃などもバテレンがパトロンだ。
なんで外套着て地球儀眺めていたかが解ろうというものよ。秀吉も同様だ。
お前らこんな好戦的売国奴どもを「世界に冠たる日本部族代表」として誇れるのか。
日 本 人 な ら 徳 川 家 康 推 せ
イタタな問いかけだな。
李舜臣vsネルソン提督、どっちが優れていたか。
と盛り上がる某国人を見て、貴方はどう思いますか?
209 :
世界@名無史さん:04/05/08 17:19
>>206 無神論じゃなくて、宗教を相対化してたんじゃないかと・・・。
だから「君主論」なわけで・・・
マキャヴェリは傭兵と火器を嫌い抜いていたから
記述されたとしても非難の対象にしかならなかっただろう
>>209 それが相対化という訳でもなさ・・・長くなるから止めておきましょう。
何事も無かったようにどうぞ↓。
212 :
世界@名無史さん:04/05/11 13:10
戦略→信長の勝ち(ナポレオンは行き当たりばったり)
謀略→信長の勝ち(ナポレオンは根回しが下手すぎ)
戦術→ドロー(時代背景も武器も馬も社会構造も違うので比較できないかと)
なりあがり度→ナポレオンの勝ち(外国人でありながら皇帝にまでなった)
後世に与えた影響→ナポレオンの勝ち(今の民法はほとんどナポレオン法典を母体としてる&国民国家の輸出)
自分で書いててだけど、江戸時代の軍学者みたいな勝手な判断かも・・・(w
つーか、信長より過ぎ