古代史におけるアジアの覇者「大朝鮮帝国」 Part2

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270ニダ改め
>>161
>台湾に行ったことがあるんだけど、みんな日本人と知ると親切にしてくれた。
>同じく日本の領土となったのに、なぜこうも違うんだ?
亀レスで恐縮だが単純に戦後、誰が権力を握ったか、が一番重要だと思われ。
台湾関連の従来の著書では2.28事件などの弾圧、虐殺により、それに反発する為に
台湾は親日になったと言われたが、韓国と比較するとどうしてもその理由は弱いものになる。
台湾の2.28事件は死者3万人だが、韓国は光州事件で1000人、済州島で3万、
補導連盟事件で10万以上といわれる人間が死んでいる。またゴーセンの小林の台湾論では
地質、気候、習慣、歴史にその理由を求めていたが、そのようなものが主要因ではなく
(正直歴史、習慣は相当大きいと思うが)
台湾=完成した組織のある国民党、もともと4億の国を統治する行政機関だったので当然か。
     そのため当時台湾では石を投げれば官僚に当たると言われるほど官史は多かった
     また戦後移民してきた多くの外省人が要職を占め、彼らより近代的(優秀)であると自負する
     多くの本省人が辛酸を舐めたのはあろうことは容易に想像がつく。
韓国=李承晩政権。元々組織には抗日しか知らない人間しかいない、実務の出来る人材が皆無だった。
      そのため戦前日帝の手足となって働いた連中が戦後も要職を占めた。
      (そのためあの反日の李が当時は親日派と陰口を叩かれていた)
上記の結果から
台湾では戦後100万近い大量移民により従来より社会的地位の落ちた者も少なからず
いたであろう。国民党に対する怨念が募り、そのアンチテーゼとして親日が大多数の民衆の心を捉えた。
韓国では官史は戦前、戦後ともに官史であり、その事実が逆に反日を促進させる
(国民全体に繰り上げ式で相応の権力が転がり込んできた)結果になったと考えられる。