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世界@名無史さん:
戦前の日本で一番共産主義運動が過激化したのは昭和5年頃で、武装メーデー事件として記録を残しているが、
武力蜂起のやり方が一風変わっていた。
メーデー当日、新橋方面の労働者組合の行動隊はデモ隊を
指導して蜂起させ、議会の焼き討ちを図るという計画を立てたが、
なんと彼らが好んだ武器は“竹槍”だった。
本気で100本近く揃えると、勇ましく赤旗をかざして出撃しようとしたが、
あまりにメチャクチャなので現地のデモ隊指導者からも反対されて実行されなかった。
川崎方面では実際に決行され、そちらでは弱冠の拳銃と短刀、
そして何より竹槍で“武装”したつもりの共産党員が警官隊に突入したが
いうまでもなくあっさり鎮圧・検挙され、警官数人にケガを負わせただけであった。
議会占拠できたとしても、その後には軍艦・大砲・機関銃などを擁する軍隊の出動は分かりきってるのに、
竹槍や短刀でどう対抗するのか、政権奪取できるのか、補給はどうするのか、といった計画性がゼロであった。
このあたり軍人のクーデタ以下であり、蜂起の種類としては世界史的に見ても一番劣悪な部類に入った。
つまり集団的熱狂、心意気や攻撃精神だけは盛んだったが戦略性や補給の概念といった事が欠落しており、
その中の転向者は後年の戦時中「精神主義」という最悪の部分の熱心な鼓吹者、良き担い手となっていった。