456 :
世界@名無史さん:2009/06/21(日) 01:53:56 0
古代ローマでは既にドレープの概念があったという
さすがイタリア人
457 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 01:11:20 0
コサックの服装が一番かっこいいな、髭を蓄え毛皮の帽子を被りナイフを腰に着けて馬を乗りまわす・・・・憧れるな
ロシアには今でもあんな格好してる奴いるの?
日本で今でも武士とか忍者の格好している人間と同じくらいは居るかもな。
つまり観光とか祭りとか演劇とかそういう場所に。
「荒野に響く声 祖国へ」で検索すると現代の様子が多少出てくる。
植田樹「コサックのロシア―戦う民族主義の先兵」によると
著者がモスクワ市内にいたとき、いきなり向こうから
伝統的な服装でサーベルまで下げたコサックが歩いてきたことがあったそうである。
460 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 14:41:10 0
461 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:45:10 0
>>460 男のほう手が隠れるぐらい袖が長いのはなぜだろう。
貴人の衣装かな?
あるいは寒冷地の外出着とか。
平民がこれでは日常生活に支障があると思うけど。
中国の時代劇とか観ると普段はそういう服の袖を捲り上げてて
偉い人の前に出ると両手を振って袖を元に戻して手を隠す場面がある。それが礼儀だったらしい。
あの・・・>453は・・・?
>>453 もしかしてsurcoat(サーコート)のことかなぁ?
鎧の上から着る、陣羽織とも訳されたりするものなんだけど
ただこれば鎧の上から着るものであって、股間部分ではないんだよね
ちなみにサーコートの役割は、描かれている色や紋章によって敵味方など人物を特定すること
また日光や雨から鎧を守ること、などだそうです
ファンタジーアニメなら、考証自体がいい加減な可能性もありますが
468 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 07:10:21 0
>>443 >ローブ・ア・ラ・フランセーズを着て、貴婦人の優雅な生活をしてみたいです。
黄色人種が着ても滑稽なだけだよ。
服飾文化史って結構面白いと思うんだけど、やっぱり研究がドメスティックになりがちなのかね?
ヨーロッパって言っても国や地方で千差万別ありそうだが、その国に行かないと研究を知ることはできないのかな?
>>469 文化女子やお茶の水や目白大学で
それ関係の論文を目にするけど
それではだめかい
>>470 一般人が見られる書籍とかあるのかね?
アラン・フラッサーの正統服装論なんてずっと欲しいと思ってるんだけど、
未だに復刊されないし(古本は鬼のように高いし)。
472 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 14:18:14 0
最近の興味は、なぜホワイトカラーの帽子着用の習慣が戦後廃れたのかってことだな
>>472 一説には、世界中がアメリカナイズされたからって話がある。
また、日本の場合は満員電車で通勤するため、帽子が邪魔になったからって話も。
ファッション的に言うと帽子は最後に行き着くファッションで、
服や靴や鞄と違い絶対に必要なものじゃないからね、後回しにされやすい。
>>471 国立図書館で複写たのんだらどう?
大抵の論文なら読めるけど
どこの大学の図書館も予約と身分を明らかにすれば
ほぼいれてくれるよ
475 :
nomu:2009/07/13(月) 00:32:53 0
資金力が乏しいにもかかわらず軍備の増強を図っていた18世紀のプロイセン
では低コストで大量の軍服を揃える必要が生じていた。そのため、布地を
節約するために上着を細身に仕立て、粗末な生地で作られた軍服を華麗に
見せるための縁取りや組紐等による飾りが付けられた。
そしてこれらの工夫が、安価でありながら実用的且つ見栄えがするドイツ式
の軍服を産んだとも言える。そして、当時の軍服に求められる要素を兼ね
備えたドイツ式軍服はヨーロッパ各国に広がり、イギリス陸軍の1742年制式
の制服にも採用された。
そして、布地を節約するためだった細身の仕立てはスマートな外見が評価
され、フランス陸軍の1762年制軍服にも影響を与えた。
日本のアパレルも今のところはまだまだタイトなラインだな。
477 :
453:2009/08/07(金) 22:50:49 0
アルフォンスは透明人間のような設定だから
ふんどしないと隙間があいちゃうからじゃない?
ガラはもう西洋甲冑というかどうか微妙な範囲だから
デザインかもしれない
というか
>>467は無視かよ
あああすいません
>>467 なんか違う感じです。
>>478 バスタードの頃は他のファンタジー作品も
なぜか甲冑にふんどしっぽい感じの
絵が多かったような気がします。
なんかのはやりだったのですかねぇ・・・。
480 :
世界@名無史さん:2009/09/02(水) 16:37:30 0
ところで、最古の服、最古の靴は、いつの時代?
肋骨服の横文字の名称をご存じな方いらっしゃいませんか
博物館の説明文で読んだ記憶があるんだけれども
どうしても思い出せません
おねがいします
質問です。ローマ帝国とか中世ヨーロッパの人々って何でできた服を着ていたのですか?
絹は高級品だったのでしょう。毛はあったのでしょうがどの程度普及してたのですか?
(絹より少し劣るが高級品だったのか、庶民も手が届いたのかとか)
また、麻や木綿は当時の欧州にあったのですか?
485 :
世界@名無史さん:2009/11/18(水) 10:53:08 0
自分も質問。
19世紀くらいでは、貴族の女性の下着はコルセットとペチコートというイメージなんですが、
平民は何を着てたのですか? 平民用ブラジャー的なものとかあったのでしょうか?
486 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 20:48:29 0
>>481 旧石器時代かと。
フード付きパーカーを着た女性を彫った
マンモスの牙偶がシベリアで出土しているので。
どんなに貧しくても、コルセットとペチコートを持っていた。中古でも。
コルセットの洗濯はしづらいのでコルセットの下にシュミーズなどを
着用する。
Pコートは元々海軍の制服だったんだよね?
ダッフルは漁師→海軍だっけ?
489 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 15:05:30 0
漢民族は羊や山羊を飼っていたが、毛織物やフェルトは作っていたんでしょうか。
遊牧民と隣接しているわけだし、知らないはずはないと思うのだけど。
フェルトを指す「氈」という漢字もあるけど、毛織物の中国服ってあるんだろうか。
sage
>>489 コートやショールのようなものにはウール素材はあったのでは。
492 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 11:30:27 0
ミニスカートといえば、近現代では1940年代にイギリスで流行するまで
娼婦でもない女子が街路で生足を出すのはご法度だったようだが、
古代にまで遡ってみてもヨーロッパで歴史上ミニスカートが流行したことはないんだろうか。
確かにギリシア・ローマでも男性の半裸はよく見るが、
正装で女性が生足を出しているのは知らない。
パンチラと相関関係がありそう。
494 :
世界@名無史さん:2010/05/29(土) 09:27:44 0
貴族はともかく奴隷や平民は
ロングスカートだと仕事しづらかったのでは。
>>494 体の動かし方が現代とは違っていたというのはありそう。
当時の絵を見てもロングスカートでない女性が描かれていないということは、
足を出すことがそれだけ憚られていたということに間違いない。
あと、そもそも走ることがそう頻繁には無かったのかもしれない。
yシャツの裾が長いのは、もとは下着で股間を覆っていたから。
497 :
世界@名無史さん:2010/05/29(土) 21:05:21 0
「Yシャツ」とは「ホワイト・シャツ」がなまったもの
498 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 11:25:32 0
>>495 あの余った裾で股間の一物をくるんでいたと聞いたことがあるが、
どうやってくるんでいたのだろう?
あと、古代エジプトとかギリシャ・ローマの人々は、文明人だったはずなのに、
なんで半裸に近い格好だったんだろう?
古代の中国人がきちんとした着物を着ていたのに比べ、肌を露出しすぎだろ?
499 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 15:42:09 0
それを言ったらエジプトの女王様は、トップレス・・・
気候の違いも考えようぜ
ローブ・ア・ラ・フランセーズって上下セパレートですか?
この時代のコルセットに左右ポケットがついてたってことは
腰から手を下に入れることができるってことですよね?
検索したらコルセットの図か、完全に着ている図しかなくて
どういう風に着たのか、または着ている途中の図がないもので
>>78 エリマキトカゲみたいな襟
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ひだ襟
503 :
世界@名無史さん:2010/06/21(月) 00:13:34 0
>>455 ・文化の中心となった京都が高温多湿でじゃらじゃら着けるのが厭われたから
・武士が勢力を握ると更に華美が忌まれたから
・安土桃山には朝鮮の鄙びた茶器とか南蛮の舶来物なんかを有難がる価値観だったから
・外国に移動しないのでアクセサリーの「どの政体下でも換金できる」特性が不要だったから
それが長い歴史になってたけどアクセサリーをつけた西洋人という見本が出来たので模倣から発展中←今ここ
>>488 ダッフルコートについては複数説がありはっきりしない。
「ダッフル」はベルギーの地名「デュッフェル」からきた
毛織物を指す点では共通するが、これを外套に用いた元祖は
「ノルウェーの漁師」「チロルの農夫」「フランドルの牧童」
と様々に伝えられる。今日の典型的スタイルを確立したのは英国海軍。
甲板当直水兵の防寒着として採用したのが始まりだった。
これが戦後に余剰物資として放出され、ダッフルコートと言えばあの形が常識になった。
ピーコートの起源もまたはっきりしないが、
「ピー」はオランダ語で「ラシャ生地」を指す事から、
源流はオランダの船乗りの防寒服と考えられ、
これがやはり英海軍の冬用水兵服として
リーファージャケットのデザインを採り入れて採用され、周辺諸国にも広まった。
紳士服に与えた英国軍服の影響は計り知れない。