世界の服飾の変遷について学ぶスレです。
庶民・貴族の衣服、古代エジプトから20世紀パリオートクチュールまで
何でも思う存分語ってください。
2get
3ゲット!
じゃあまずはロンドンファッションの
コドピースを語ろうじゃないか。なあ>5?
5 :
世界@名無史さん:03/08/29 09:14
俺かよΣ(゚д゚lll)>6よろ
服飾博物館なんてどうなのよ?
俺は東京の文化学園てとこの博物館には行ったことあるんだが。
そのときは、近代の皇族の正装の服とかが飾られてた。
これは日本史かな?
秋は西欧のハイファッションとかいうのをやるらしい。
18世紀貴族のドレスとかな。
有名どころでは京都のKCIだろ。
関西は遠すぎて行けん。レポ求む。
俺は20年代のアール・デコスタイルが好き。
6 :
世界@名無史さん:03/08/29 18:25
ロココ調きぼーん。
>5と>6が逃げやがったので仕方ないから俺が語ってやる>コドピース
○コドピース(股袋)とは?○
ヘンリー8世の時代にロンドン社交界で流行った、男性の局部用サポーターのようなもの。
一物を実際より大きく見せるべく、中には詰め物がされていた。
以下「鍵穴から覗いたロンドン」(ちくま文庫)より孫引用:
ホーズ(引用者注:下半身にぴったり張り付いて臀部と股間部を強調する
男性用ズボン)は股間が大きく裂けていて、そこから別の色のアンダーホーズが
覗いていた。そのアンダーホーズには狭い間隔で派手な色の横縞が何本も入っていて、
時にはそこにさらにけばけばしい色の飾りが付いていることもあった。これは
<トラス>と呼ばれるファッションである。一方<股袋>というのは、内側に
詰め物のある三角形の当て物である。トラスは上着を着るとその裾に隠れてしまいがち
だったが、股袋はそれでもはっきりと判る。
…エリザベス朝時代には、股間に布や羽根やその他の塊を詰めるのが習慣化したため、
劇場などでは彼らのための特別な椅子が用意された。
8 :
世界@名無史さん:03/08/30 05:38
>5
言及された文化服装学院の皇族の服の展覧会は半分は洋装展示だったからここでよいのでは?
その展覧会で見た秩父宮勢津子妃の英国王戴冠式出席時のドレスがすごかった。
しかし,当時は絹糸で軍艦をあがなうような日本であったことを考えると,
たかがドレス一着とはいえ,それを作る職人さんの意気込みあるいは重圧感は,
現代の我々には計り知れないものがあると思われる。
(どうすごいか表現できなくてすみません)
9 :
世界@名無史さん:03/09/02 20:05
10 :
世界@名無史さん:03/09/02 23:17
コテカといい勝負じゃないかw
ものすごいトリビアだが、
P.K.ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』にも
コドピースは登場する。
ただし装飾としてではなく、核戦争後の残留放射能から精巣を守るためという
しょーもない実用的道具としてだったりする。
12 :
アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/09/02 23:48
>>7 モンテーニュが実に下品な流行だと嘆いていますね。
フランスじゃプラゲットとかいったような(記憶アイマイ)
16〜19世紀くらいなら、ヨーロッパでは、絹は貴重品です。
「絹の上に絹を重ねてはならない」という教会法があったくらいで。
日本では、ちょっとした金持ち商人なら、上から下まで全部絹。
現代では、肌着と足袋は木綿で、半襟はポリエステルですが、昔は絹ばかり。
「図解西洋甲冑武器事典」(柏書房)には鎧タイプがありました。
14 :
世界@名無史さん:03/09/03 17:26
コッドピースのほかに、
ラフ(エリマキトカゲのような、巨大な白いレースの襟)
も有名だよね。
まるで皿の上に首が載っているように見える。
15 :
世界@名無史さん:03/09/04 15:16
あのラフを着物に合わせた
戦国時代の武士ってファッションも豪胆だったのねw
話がそれてしまうけれど、
どうも、ラフと聞くと、ロイヤル・エアー・フォースを思い浮かべてしまう。
17 :
世界@名無史さん:03/09/12 23:45
帝政時代のロシア男性の百姓が前あわせ式の上衣を
まとっている絵や写真を見かけますが
あれはキモノ系民族衣装の影響なのでしょうか?
たしかピョートルの治世下に「ロシア文化からアジア色を一掃!」のお触れが出た際に
衣服も西ヨーロッパ風に改められたため、今日よく見るルバシカが
これに取って代わった、と読んだことがあります。
(ちょっと古いけど)J・P・ゴルチエのあのチンコカバーみたいなのも
コドピースに由来するものだったのですねっっと。
中世ごろの下着ってどうなってたんでしょうか?
20 :
世界@名無史さん:03/09/17 09:45
元代の女性の下着「抹胸」はコルセットソクーリ
騎馬民族の衣服だったのだろうか・・・
21 :
世界@名無史さん:03/09/18 23:20
>19
フランスではじめてパンティーを穿いたのは
カトリーヌ・ド・メディチ。
チュニックとレギンスについて調べてるんですが、本によると、
チュニック→ウェストで襞をとってベルトや紐で締めるゆったりした服
レギンス→足から下腹部までを覆うぴったりしたズボン
とあるんですが、なんかイマイチイメージがつかめません。
画像検索したら、レギンスは赤ちゃんのつなぎwみたいのが出てきた(泣)
23 :
世界@名無史さん:03/10/05 00:48
ベビー服で「レギンス」と銘打っているのが市販されているから
検索に引っかかったんですなw
中世ヨーロッパのほうのは、確か腿の付け根まである
長いタイツ状のものだった記憶が。
ズボンのように左右がつながっていない形状だったかと。
ペニスケースも語れや。
25 :
世界@名無史さん:03/10/05 21:50
ナポレオンなどがかぶっている帽子は、
つばの部分を上で止めているだけですか?
26 :
世界@名無史さん:03/10/12 22:16
27 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/13 00:18
>>22の方へ
(古代ローマの?)チュニック
古代ローマのゆったりとしたT字型の円筒の服。
古代ギリシャ・ローマのトゥニカがもと。
でいいのかな
28 :
世界@名無史さん:03/10/15 01:00
17世紀ってルイ14世親政より前の時点でフランス風のファッション(ルイ14世親政後みたいな感じの)がドイツに流入してたそうなんですけど、
これって三十年戦争にフランスが参戦した影響によるものなんですか?
29 :
夜の住人 ◆NwMxHpEsgo :03/10/15 03:49
>>4―18
のコッドピースは中にキャンディーや金・銀貨を入れておいた例もあるみたいですね
股袋から取り出した飴やお金は誰の口やふところに入ったものやら
30 :
世界@名無史さん:03/10/15 19:54
ブルマって東京オリンピックの後、活動的な女性の象徴として
広まったらしいけど、日本のブルマ化を推進した人を、知ってる人いない?
当時の文部大臣か?
>>28 オランダブルジョアの間でさっぱりしたやつが流行る。
→オランダの発展が話題になり、フランス式バロックのゴテゴテしたのが
流行らなくなる。(過剰な装飾への風刺画もいっぱいある)
→17世紀オランダ繊維業の発展の影響で仏独に急速に広まった
>>30フランス風が流入したんじゃなくてオランダ風が流入した
ということをいいたかった
32 :
世界@名無史さん:03/10/15 20:45
>>30 いや、その過剰な装飾のフランス風のことを指してるんですが
チャイナドレス
清朝で採用された満州式の胡服の日本での名称。
漢民族は旗袍(チーパオ)。元来は両脇にスリットが入り,
革帯をきつく締めて,ズボンを併用。日本人がイメージする
ものは1930年代以後のもの。新中国成立後,ブルジョア
の象徴とされてた。
34 :
世界@名無史さん:03/10/27 15:30
アオザイと奇しくも同時期かな。
35 :
世界@名無史さん:03/11/03 13:25
上流階級の子女が洋服を着始めた時期と一致するのかな。
>>34の方へ
アオ・ザイ(クワン・アオ、クアン・アオ)は
19世紀から
チャイナ・ドレスは
香港では19世紀からですが、本土は20世紀で
清朝の崩壊後と見られている
>>35の方へ
「(日本の)上流階級の子女が洋服を着始めた」でいいのかなぁ。
「着始めた」の基準をどこに置いているのか分からないので、
とりあえず流れとしては、こんな感じ。
1871年に洋服を公的に許可が下りた。
女性の洋装は鹿鳴館などでも登場するがこれを着始めたとは
いえないでしょう。
明治後期で、女学生の服装に代表されるように和服に束髪が
基本。看護婦をのぞく。
対象に入りサラリーマンが洋服を着だして定着化しだしたが、
1923年の関東大震災の影響が強いと思われる。その後、
いわゆる職業婦人が洋服y女学生の制服を取り入れたことも
あるが、家庭では和服中心。
昭和初期に普及が進むが、戦争で国民服ともんぺとなり停滞。
日常生活に洋装が浸透したのは第二次大戦後。
日本史ネタのような気が……。
先回りして書いておくと
デパート火事がきっかけで日本女性が洋服を着始めた、というのは
単なる俗説で嘘です。
とんがり帽子
いわゆる魔法使いの帽子。第4回ラテラノ公会議で
ユダヤ人の印として身につけることを義務づけられた。
40 :
世界@名無史さん:03/11/15 00:06
魔女の箒は、本来は穂先を前にして柄の部分を後ろにしてまたがってのった。
41 :
世界@名無史さん:03/11/15 20:39
>>41 ルイ14世時代の末期から流行した
ローブ・ヴォラント(ロココ時代のネグリジェ風の婦人服。別名アンドリアンヌ)
の次にフランスで流行してた宮廷の正式な女性用の服装ですか
このサイトはその復元(ややシンプルになっていてロココのゴテゴテ感が
ないが、いい感じ)
ローブ・ヴォラントは
ヴァトーが多く描いたことから、ローブ・ヴァトー(プリ・ヴァトー)とも呼ばれる。
当初円形で、コルセットを着用していたもののふんわり感があって、ゆったりくつろい
だソフトな感じであったが、のちに1720年代ローブの下のパニエが,徐々に大きく
なり,やがて50年頃から、よこに2つに分かれ、左右に広がる形となる。この拡大と
セットに髪型が巨大化する。とくに上への伸びが高くなっていく。
>>41 コルセット+パニエ
の土台の上に
ローブ+ジュップ(ペティコート、今で言うスカート)
で構成。
45 :
世界@名無史さん:03/11/23 15:06
パニエの語源は「鳥かご」
コルセット(フランス語ではコルセ)
47 :
世界@名無史さん:03/11/27 23:58
パニエとはスカートを大きく膨らませるための釣り鐘型の骨組み。
スカートの膨らみを強調し、ウェストを細くするためコルセットも流行。
馬車に乗るときに困ったという、そのため折り畳み式もあったという。
1780年代に宮廷服として流行し、フランス革命により消える。
最古の衣服はやはり毛皮か
無花果の葉っぱ。
毛皮と言えば、
18世紀にラッコが流行,資源の枯渇からオットセイ,黒狐に推移。
品質借りようが進み,ギンギツネの飼育に成功し,流行の中心となる。
第二次世界大戦後,アメリカ,カナダで野生のミンクの飼育に成功し
養殖ミンク(ランチミンク)が生まれた。
51 :
世界@名無史さん:03/11/29 12:00
人類が衣服を身につけた起源は、
保護説
羞恥説
装飾説(呪術説)
がある
着方は、懸衣型が最初とされる懸衣型は貫頭衣と巻衣に大別される
ビーバー帽
ビーバーの毛皮で作られた鍔付きの帽子。
新大陸からもたらされ17−18世紀の銃士が愛用。
銃士隊の衣装は、カザック・外套の前後左右に白い十字架。
>>51 やっぱ保護説が一番説得力があるな。
呪術説は、あくまでも衣服に実用的価値があるから、呪力が認められるのだと思うし。
コルセットによって極端にきつく締めるタイト・レイシングによって
砂時計のシルエットを作ることが流行した。医者は、それによって、
骨が変形し、圧迫する危険性を指摘していた。
56 :
世界@名無史さん:03/12/13 22:13
シルエットは、フランスの財務官の名前からきてます。
腰を細くするため肋骨を何本か切り取った話もあったような。
都市伝説じゃねーの?
59 :
世界@名無史さん:03/12/16 16:59
そもそも初めはゆるいドレープのある布をまとっていたのに
後になんでウエストをあんな極端に細くしたがったのでしょうか。
何がきっかけだったのでしょう?
ウエストの細さを強調し始めたのは1800年あたり??
なぜなんだーー!!単に女らしさを強調したかったのかしら
>>58 「ポレールという人が行った」らしいのですが、出典が何だったのか確認できず。
>>59 1800年あたりのヨーロッパ(フランス中心)で考えるならば、
総統政府時代のハイ・ウェストを想起なさってます?。
?。
私も?です。
なぜ、女性はウエストを細くしたいのか。ないし、男性は何故
ウエストの細い女性を好むのかということであれば、
ウエストが細い=妊娠していない」という認識が、男性の脳内
(視床下部とか)にあって、男性が若い女性を好むのと同様に
受胎率が高いからだという説もあります。
また、ウエスト自体が重要ではないとする考えとしては、
ある実験で、いくつかの写真をコンピュータで処理して、
どれが一番好ましいかテストしたそうです。女性は、
もっともウエストの細い写真を選んだ人が一番多かった
のですが。男性は、二番目にウエストの細い写真を選び
ました。なぜでしょう。二番目にウエストの細い写真は、
ウエストとヒップの差が最も大きい写真だったそうです。
このことから、女性がウエストを細くしたいのは、ヒップ
やバストを相対的に大きく見せるためなのかもしれません。
そういえば、性器を隠さないような未開民族で腰紐だけはつけてるというのはあったな。
意味はないのに。
身分を表したり、既婚・未婚を表したりするし、
呪術的な魔よけなどもある。
ただ、慣習だったりするから本人達もよくわからない。
66 :
世界@名無史さん:04/01/08 00:58
>>64 ブラジルのインディオなどに多いね。
それでもその一本が外れると恥ずかしくてたまらないそうな。
「16世紀フランスでは深紅は王族のみが許可され、貴族は下着にのみ使用が可能だった」
ということは、貴族の下着は深紅w
68 :
世界@名無史さん:04/01/20 23:35
赤フンも!
ルネサンス期には、下着は高級品で財産目録に登場する。
遺産が、下着何枚だったら!
古代ギリシャの貫頭衣キトンも本来は下着。
ルネッサンス時代の流行は、スラッシュをいれて下着が見えるようにしていた。
72 :
世界@名無史さん:04/02/22 20:54
保全あげ
当時の裁断法は技術が低かったので、袖などを別々に作りそれをリボンやひもで
結び合わせた。その後、動きやすさを重視するために、切り裂き装飾
(スラッシュ・ファッション)が広まった。貴族でも、スラッシュから見える部分
にだけ高級な生地を使って、見えない部分はやすっぽい生地を使っているんですね。
74 :
世界@名無史さん:04/02/29 14:41
現代のゴシックを曲解したゴスロリはなんとかしてほしいものである。
煩悩刺激ハァハァ衣装ならばいかなるファッションだろうと許す
76 :
世界@名無史さん:04/03/05 20:02
日本の戦国時代?に女性用袴ってあったんですかね。
花の慶次という漫画に出てきたのですが。
その場合腰巻だと乗馬するのに心もとないと思うので、
女性用ふんどしあるいはそれに類するものがあったのでしょうか?
あずみという漫画にも太もももあらわにしたミニスカぽい着物をきて
いる女性が出てくるのですが、もし女性用ふんどしのような
ものがあったばあいはそれをはいてるのでしょうか。
日本史板で適当なスレを探してもないし、質問スレで
きこうかとも思ったのですがとりあえずここで。
77 :
世界@名無史さん:04/03/08 14:28
山袴というかモンペがあったかも
78 :
世界@名無史さん:04/03/23 00:35
中世の西欧のファッションセンスってめちゃ悪すぎ。
ダサい。
特にイギリス。
あのエリマキトカゲみたいな襟はなんだ!?
79 :
世界@名無史さん:04/03/23 01:26
>78
それをいうなら着物にラフまとった戦国大名がw
80 :
世界@名無史さん:04/03/29 22:12
帝政時代のロシアの農民の男性の上着で
キモノ風の前身頃の服ありますよね。
あれはアジアの民族衣装が起源なのでしょうか?
シューバやカフタンはトルコ系の服から由来しているようで、
西欧化を掲げたピョートルによってアジア色一掃政策の的になってしまったが・・・
81 :
世界@名無史さん:04/03/30 13:49
『戦争と平和』の映画見てると使用人がまだその着物着てるよ
82 :
世界@名無史さん:04/03/30 13:57
83 :
世界@名無史さん:04/04/13 22:32
>>80 アジア風の衣服と一緒に
「ヒゲ狩り」も行なったね。
「男性の長いヒゲに霊力が宿る」という民間信仰が異教的と見なされたせい。
後年、トルストイはロシア文化の象徴としてルバシカと併せて
ひげをたくわえていたね。
中世というかルネサンス時代特有のラフ(フレーズ)はイギリス
というよりも、スペインの流行がイギリスにも波及した関係。
スペインのハイネック+ラフが、他国に流行しフランスやイギリス
では、さらに扇状の立ち衿などにも変化した。「オランダの世紀」
ともいわれる17世紀にはいると、オランダにおいて衿がソフトに
なって、垂れ下がるようになり、他国にも流行・影響を与えた。
やがて、30年戦争の軍服にみられるような実用性重視が主流となり
襞衿が廃れた。
86 :
世界@名無史さん:04/05/07 02:30
スーツもどんどんカジュアルな方向に向かってるね。
でも3つ釦など、半世紀ほど前に逆戻りしたりするところが面白い。
87 :
世界@名無史さん:04/05/19 02:07
でもこれ以上簡素化はされないでしょう。
というか出来ない?
88 :
世界@名無史さん:04/05/19 02:12
ポーランドの近世にもサルマチア・バロックという、一見トルコ風の格好が流行った。
89 :
世界@名無史さん:04/05/19 02:17
個人的には日本の夏はポロシャツをフォーマルだと認めてほしい。
アロハシャツでもいんだけどね。
アロハは日系の移民が和服から創り出したものらしいし。
90 :
世界@名無史さん:04/06/06 15:12
>>89 羽田さんが今も省エネルックをw
日本から持参した晴れ着を日常着としてリフォームしたのが発祥だそうですね。
最初は自家用だったのが日系以外の人から「あのシャツは何だ?」と話題を呼び
やがては生地を日本から仕入れてハワイで仕立てて売り出すようになったとのこと。
>>87 Tシャツの公式化や上衣のジッパー化なんかこの先どうだろう?
今年の夏は、キャミソールからさらに進んでブラジャーで町を歩く人が・・・
93 :
世界@名無史さん:04/06/07 00:01
第一生命のCMの王と王妃と王子の格好は、王が14〜15世紀、王妃が16世紀、王子が17世紀の格好にしか見えないのだが。
あのCMは、俳優は貫禄があるはずなのだが、できた映像からは全然その貫禄を感じず安っぽく思える。
96 :
世界@名無史さん:04/06/07 22:17
>>92 ベージュの汗だくブラジャーに手ぬぐいはさんで夕涼みする
田舎のオバチャン連中をよもや指しているまいな・・・
98 :
世界@名無史さん:04/06/17 23:15
スポーツブラ
どうやって暗記すればいいの
100 :
世界@名無史さん:04/06/18 11:26
100
101 :
世界@名無史さん:04/06/18 15:46
>>91 イタリアなんかでも、上は水着の女子学生が歩いてたりするね
日本もいずれそうなるかも
102 :
世界@名無史さん:04/06/18 15:49
ドイツこそデブババアまでそうだが
103 :
世界@名無史さん:04/06/18 21:36
浜辺ではトップレスだよね。
婆までトップレスだが。
104 :
世界@名無史さん:04/06/18 21:51
オーストリアも、爺さんがパンツ一枚で寝そべっている
105 :
世界@名無史さん:04/06/21 17:06
独逸では、川や特定の公園行くと全裸ですがな。
106 :
世界@名無史さん:04/06/24 00:07
ああいうのはいつ頃からなのだろう?
まだ時代が浅いとは思うが。
ただ日光浴への欲求は昔からあったので、日向ぼっこで肌をさらすのなら
抵抗感が薄かったためかな。
107 :
世界@名無史さん:04/06/24 09:50
西洋のヌーディズムは、20世紀前半の独逸が発祥。
もともと、都市型文明に反駁する、一種の対抗文化だった。
単純にヘレニズムの影響と考えるのは、安易すぎる。
西欧でヘレニズムが最も隆盛した時代、つまり18世紀後半〜19世紀前半にかけて、
ヌーディズムなど全く存在しなかったのだから。
108 :
世界@名無史さん:04/07/04 15:38
そのくせ絵画や彫刻では裸体がモチーフになってきたのは不思議だ・・・
「芸術として許されるヌードと猥雑として許されないヌード
の間の線引きがつねに行なわれました。しかも、その線引き
の基準が一定じゃなかった(『芸術新潮』2003年6月号
「特集 ヴィクトリア朝の闘うヌード」解説 谷田博幸)」
このようなヌードの基準をマネが「オランピア」において、生身の
人間を描いて従来ひかれていた線を越えてしまう。同時期における
神話における女神を描いたカヴァネルの「ヴィーナスの誕生」と
比肩されて近代絵画の始まりとして美術史では取り上げられる。
神話における女神として描く分には古くから描かれてきたし、
性風俗に厳しいヴィクトリア朝時代でもこの基準を守って
いるかぎり許容されていた。
文化や時代背景を知らないとその基準をつかみそこね、現代を
基準においてしまうと理解しづらい。
110 :
世界@名無史さん:04/07/24 01:31
とび職のニッカボッカ ⇒ ジョニーパンツ
111 :
世界@名無史さん:04/08/02 01:36
オリンピックでビキニの水着があったら
(;´Д`)…ハァハァ
そもそもビキニは禁止?
>>111 ビーチバレーは水着はビキニでなければならないという
素晴らしいルールがあります
113 :
世界@名無史さん:04/08/03 22:25
地下足袋の金栗、裸足のアベベ・・・
今でもルール上は有効なのかな?
アジアカップの表彰式中継中。
アシスタントのチャイナドレス、むふふ・・・
風が吹かないかなー。
115 :
世界@名無史さん:04/08/08 14:40
アオザイもズボンはかなければなお萌えるのにな〜
最近見かける服装。
ワンピースのミニスカート、それだけでいいのにそれに余計なジーンズや
パンツを組み合わせてはいている。
なんで・・・
アオザイもチャイナドレスも昔はもっと地味だったんだろう
118 :
世界@名無史さん:04/08/08 18:24
どっちも洋服のドレスに触発されたものだしね。
119 :
世界@名無史さん:04/08/08 18:27
それを思うと日本の和服は根本的な形状は
文明開化を経ても変わることがなかったよね。
「袖付きエプロン」たる割烹着、あとは鳶マントくらいかなあ。
120 :
世界@名無史さん:04/08/08 22:26
>>116 そういうレイヤードスタイルは日本しかない。海外でそういうかっこうしている女は浮いている。
121 :
世界@名無史さん:04/08/09 23:29
チャイナドレスってもともと満州族の服装じゃん。
122 :
わたしは公爵夫人:04/08/23 01:20
ローブ・ア・ラ・フランセーズが大好きっ。
パニエで大きく膨らんだスカート。レースで飾られたパゴタスリーブ。
さらさらとした衣擦れの心地よい音。
いつも思うのは、何故ロココ期のヨーロッパに生まれなかったのかなということ。
フリル、レース、リボン、ドレープで華麗に飾られたドレスを身にまとい、
毎晩のように舞踏会で貴公子達とのダンス。
そしてアバンチュール・・。
コルセットや、大きく張り出したパニエを着けて、キュッと締まったウエストと
胸の膨らみを強調した、ローブ・ア・ラ・フランセーズを着てみたい。
123 :
わたしは公爵夫人:04/08/27 00:35
>世界@名無史さんへ
はじめまして。こんばんわ。
服飾史に詳しいのですね。
41:のHP見てみました。実際に作っているところがあるのですね。
日本でローブ・ア・ラ・フランセーズを作っているところなんてあるのでしょうか?
多分フルオーダーになるかと思いますが・・。
>わたしは公爵夫人さんへ
私もローブ・ア・ラ・フランセーズが大好きですね。
ベルばらで影響されたせいかもしれませんが、マリー・アントワネットのように
大きく広がった豪華なドレスにあこがれちゃいますよね。
私もローブ・ア・ラ・フランセーズを着てみたいと願っています。
ロココの時代に生まれて、素敵なドレスを着て優雅な生活をしてみたかった
と思っていた方が、私以外にもいて嬉しかったです。
やっぱり舞踏会は、はずせませんよね。
ローブ・ア・ラ・フランセーズだけでなくて、ヴィクトリアンのクリノリン
で大きく膨らんだドレスも好きです。
フリルやレースやリボンで飾られたドレスは、女の子の特権ですもの。
124 :
世界@名無史さん:04/09/05 07:37
極楽鳥の羽根や象牙で飾られたコテカやコッドピースは、男の子の特権ですもの。
125 :
世界@名無史さん:04/09/05 07:39
126 :
世界@名無史さん:04/09/08 22:03
127 :
世界@名無史さん:04/09/08 22:10
>>122 19世紀の欧州の女性、特に上流夫人は皆、ケイト・ウィンスレット
みたいな体型だったのでしょうか?
彼女、19世紀の婦人の服装が、よく似合いますね。
>>126 音楽にワロタ。
やっぱり、うほっ系の人のページなんだろか。
129 :
世界@名無史さん:04/09/11 20:19:51
古代ローマの服装を見れるサイトを教えて下さい
130 :
世界@名無史さん:04/09/11 21:17:23
巣鴨に専門店が沢山あるが。
131 :
世界@名無史さん:04/09/23 22:14:50
中世西欧ってやたらとぴっちりしたタイツスタイルが多いんですけど、
このタイツの由来はどこからなんでしょうか?
それと、いつごろからこのタイツがズボンにとってかわったんでしょうか?
ズボンって遊牧民の服装でしょ。
ショース(chausses)=ホーズ(hose)
中世から着用され、13世紀ごろから股引のようなぴっちりした感じに
なっていく。16世紀にはこれがオー・ド・ショース(半ズボン)と
バ・ド・ショース(長い靴下)とに分離する。
映画「ロビンフット」で、ケビン・コスナーが出演の条件
として、あのタイツ姿だけはいやだと言っていたような。
日本の股引もまあタイトだね。
特に川並(かわなみ)と呼ばれる超ピチピチタイプは
足を通す際、裾口に和紙や笹の葉をあてがわないと足が通せなかったほどだそうな。
135 :
世界@名無史さん:04/10/11 16:57:00
柳田國男によると、労働するための服装は「筒袖細袴」以外にないんだそうだ。
>>131 タイツがズボンに取って代わったんじゃなくて、タイツの上にズボン(16世紀は提灯ブルマ)
をはくようになって、だんだん、ズボンが長くなっていたような。
中世は長い上着でズボンなし、貧農なんかは下はすっぽんぽんというように見える。
http://www.shajisitu.or.tv/c4l5x6.htm 「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」6月。
ここに書いていいものか分からないのですが
現在見られるようなパンティって誰がいつ発明したものなんでしょうか?
ゴムひもの普及した戦後からだろうか?
138 :
世界@名無史さん:04/10/20 04:08:03
どこかの自治体で、議会にアロハ着用デーを設けている所があると聞いたが・・・どこだったっけな。
>>139 調べてみるとけっこうあるね。>実施している自治体
神奈川県茅ヶ崎市
宮崎県宮崎市
鹿児島県指宿市
141 :
質問ですが:04/11/06 17:28:55
映画『エリザベス』ですノーフォーク公などが来ていた服の名前はなんですか?
142 :
世界@名無史さん:04/11/06 18:10:04
なんでも質問スレであんまり回答がなかったもんで、コピペになりますが
こちらでもう少し詳しいことを教えてもらえませんか?
784 :世界@名無史さん :04/10/30 20:41:31
カンボジアのシハモニ新国王即位のニュースを見ていて、ふと気になったのですが、
ああいう(パレードの時とか着ていた)モールとたすきがけ?の付いた服は何と呼ぶんでしょう?
また、ヨーロッパではいつから王侯の正装に取り入れられたのでしょう?
こういう服です↓
ttp://www.damool.net/html/emperor/232.gif (他に適当な画像が見つからなかったのでリンクしましたが、他意はありません)
863 :世界@名無史さん :04/11/02 01:27:25
>>784 我輩が調べた限りでは
大礼服(full dress)という表現が一番多い気がする。
19世紀中頃に普及したと思われる。
フビライの肖像画などを見る限り、元代までは
モンゴル人もキモノ式の前合わせ上衣を着ていたようですが、
現在見られる詰襟式のデールに代わったのはいつごろからなのでしょうか。
ただし僧侶の法衣は昔の面影を残していますが。
>>141 ダブレット(プールポワン)とトランク・ホーズ(オー・ド・ショース)?
145 :
世界@名無史さん:04/11/30 08:00:19
よくヨーロッパの歴史っぽい映画で
見て興奮するんだが
きれいな女性のドレスの胸元が
ガバッと開いて、白くてきれいな
おっぱいが寄せてあげて、こんにちは。
あれっていつからいつころまでなんだろう。
あれ着てるヨーロッパ人はみな美人なんだが。
147 :
世界@名無史さん:04/12/20 22:46:26
楽天イーグルスの応援歌を歌うモーニング娘。のステージ衣装、
古代ギリシア風。
なかなかいい。だけど、仙台のイメージと合うのか?
ローマ人やギリシャ人の衣装の素材は何ですか?羊毛ですか?麻ですか?
>>148 オリンピック始まる前にでてくるよね
豊満なギリシャ美女たち
(うつくしい)
聖歌の火をあつめる人たち
151 :
世界@名無史さん:04/12/22 21:44:14
へぇ〜
最も強いジーンズはLevis501か。
152 :
世界@名無史さん:04/12/22 22:44:56
ああ、リーバイスには「車裂き」のマークがついているものね。
153 :
世界@名無史さん:04/12/29 14:32:29
ゴールドラッシュの時の廃坑からごくまれに「出土」したりすると
超高値がつくそうな。
ジーンズ以前にクラッシュやらリペアやらわざわざ傷みを作るような
技法の前例はあるかな?
155 :
世界@名無史さん:05/01/08 15:42:22
ないよ
156 :
世界@名無史さん:05/01/08 16:49:49
>>154 ちょっと違うけど、スーツができてから、なのかな、
イギリスの貴族的な人たちは、スーツをぱりっとおろし立てで
着るのが「やぼったい」ということで、買ったスーツを着て、
砂場で、転げ回って、しょうしょう傷んだ状態にしてから、
洗って(ドライかな?)着るってのがあったらしい。
そういえば、チャールズ皇太子とかのスーツもなんとなく
よれっとしている。
157 :
世界@名無史さん:05/02/07 00:03:37 0
ロココの馬鹿っぽさをランキングするとドウデスカ?
1.髪型の肥大化
2.パニエの巨大化
3.腰の締め過ぎ
自己ランキング。ありきたりでスマソ。。。
で、トリビアに出てたみたいにしまいにゃ頭に帆船載っけなきゃならなくなる‥‥と。
>>156 そのチャールズ皇太子もいよいよ再婚かぁー‥‥
160 :
世界@名無史さん:05/02/11 21:18:57 0
昨日、迷宮美術館をたまたま見て思ったが、
ああいうドレスの後ろって、座れるように骨?みたいなのが
折りたたみになっているんだね。
161 :
世界@名無史さん:05/02/11 22:21:08 0
>>154 西洋は知らないけど、日本にならありますよ。
結城紬は世界一高価な布とギネスが認定してるそうだけど(一反100万以上)、
元々が普段着用だから丈夫。
戦前の通は、呉服屋から届くと、まず寝巻きにして、2,3回家で洗わせる。
ほどよくしんなりしたところで、本格的に仕立てに出して外出着にした。
昔の中世の男の人はレース付きの服着ていましたよね。(もちろん女性も)
今は、ほとんど世の男性はレースの服(一部歌手・芸能人などを除く)など
着ませんよね?
どのあたりからレースは流行って廃れたのでしょうか?
廃れたのはヨーロッパの流行がロココ→アングロマニー(英国風)になった19世紀初頭
あたりから?
164 :
世界@名無史さん:05/02/18 17:59:34 0
>>154 そういや、ジーンズがファッションとして認知されだしたのは
やっぱジェームス・ディーンのあたりから?
>>164 もう少し後です。1960年代末期から。
ジェームズ・ディーンは1931年生まれだから、今生きていれば74歳。
日本の焼け跡闇市世代はジーンズはけません。
形がジーンズ同様のファイブポケットタイプのコーデュロイパンツだと
たまにクラッシュモデル出てくるんだよな。定着するだろうか。
Tシャツとかのカジュアルファッションが栄えだしたのは
やっぱ最近かな?
「欲望という名の電車」という映画でマーロン・ブラントがTsyatu着てて
そこから人気に火がついたらしいけどはたして真相はいかに。
169 :
世界@名無史さん:05/02/21 15:41:16 0
清以前(明まで)の中国人が着ていた服カッコイイ。
テレビ番組で出てくる中国人の格好って、満洲風じゃん。
中国史が好きな俺としてはいかがなものかと思う。漢民族風の格好で出せよ。
170 :
世界@名無史さん:05/02/23 09:25:47 0
>>154 今更のレスですが。>わざわざ傷みを作る技法
風俗として、わざと切り裂いた服を着る流行もありました。
ロンドンパンクスじゃありません。15世紀後期から16世紀に
猛威を振るったドイツ傭兵団、Landsknechtがその起源です。
この傭兵団結成目的の一つは雇用対策であったのですが、
応募者が殺到したため、派手な服装で目立とうとする者が続出、
戦闘経験のある者は破れた服を奮戦の証として誇示しました。
ついにはわざと破いた服でアピールする者まで現れ、
これが次第に装飾化、Lieseと呼ばれる切れ目を全身に施した
独特の衣装となりました。
左右身頃で色違いの極彩色の縞模様、左右が丈違いのズボン、
Lieseからのぞく柄物の下着といった奇抜な出で立ちで、
2mに及ぶ大剣を振るって暴れる彼らの勇猛さにあやかろうと、
貴族までが真似を始めた為に禁止令が出されましたが、
流行は止まなかったといいます。
へ〜、そうなんだ
>>170 たとえがゲームの話で悪いけど、
ロマンシングサガ2に出てくる傭兵はたしかそんな感じだったと思う。
>>171 >ロマンシングサガ2
そのゲームはやった事が無いんですが、
中世末期からルネサンス期をモチーフにしたんでしょう。
ドイツ傭兵程出鱈目な着こなしは流石に無いようですが、
類似の衣装はこの時期ヨーロッパ全土に普及しています。
バチカンのスイス傭兵の衣装もこの一種かも知れません。
正規兵じゃないフリーな立場だからああなのかなーって思ってました。
実際にあったとはオドロキでした。
靴っていつから足を覆うタイプのものが出来たのでしょうか?
昔、ギリシャとかじゃサンダル履き?だった気がするのですが‥‥
寒いとこは太古の昔から覆うタイプだとオモ。
日本も昔は草履とか下駄とかだったしね。湿気の覆いとこでも革靴は間違ってるよ。
水虫が直らない…
176 :
世界@名無史さん:05/02/27 14:35:04 0
>>174 シベリア進出が2万年以上前なので旧石器時代にはすでに
モカシン型の革靴は履いていたかと。
>>175 医者行って内服薬貰ったほうがいいよ。
そのほうが早く治るって聞いた。
市販の薬いくら塗っても基本的に気は心程度で
効果はあんまりないそうな。
靴は結構人類の重要な発明の一つだと思うよ。
裸足で長距離歩くの無理なところでも、歩く距離を延ばす事できるし
寒い所だったら保温効果あると思うし。
>>175 そうだね。
日本の昔の履物は、雪靴とか以外は足が外へ出る仕様のものが大半だと思うしね。
180 :
世界@名無史さん:05/03/02 14:27:40 0
日本の庶民も革靴をずっと履いてきたそうな。
279 :日本@名無史さん :03/04/14 15:40
ヲイヲイ・・
日本でも古代から昭和30年代中頃まで実生活で庶民に履かれ続けてきた革靴
「綱貫(つなぬき/つらぬき)」を知らないのかみんな!
系統的には奈良時代の貴族がはいていた中国式のブーツとは系統を異にする
それ以前からの列島住民が履いていた形式の靴ともいわれます。
いわゆるモカシン型の靴はシベリア起源とされ、日本のこれも
開口部をぐるりと通した靴ひもを締めて履く形式です。
大阪など関西では農山漁村のほか、都市部でも商人(特によく出歩く丁稚など)や
徒歩の多い行商人・運送業者に盛んに履かれていました。
材質は豚革が多かったことから関西では「ブタグツ」とも呼ばれ、
他には鹿革などが使われました。
冬場の凍結した地面で滑るのを防ぐために鉄製のスパイクを打ったもの、
あるいは冬場だけ登山用のアイゼンのような鉄かんじきを結いつけたりもしました。
奈良県南部の山村では昭和30年代でも農協で売られていたとのことです。
写真見つけますたのでどんぞ:
世界のモカシン系靴の写真。日本の綱貫もあるよん
http://www.maruyama.gr.jp/FootandToy/event/2000/01/syokai/ 「農作業に履く革靴・綱貫(つなぬき/つらぬき)」
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/news/10-isaka.htm
そういや、下駄とかでもつま先のところが覆ってあるやつがあるよね。
そういえば、アメリカの「若草物語」とかで編み上げブーツみたいなの
履いてるね。パンプスみたいな系統じゃなくって。
レースって、昔べらぼうに高価な時があったんだろ?
どれぐらい高価だったのかなあ。
宝石とかと同じぐらい?
184 :
世界@名無史さん:05/03/13 00:32:27 0
福建省の汕頭(スワトウ)レースも西洋レースに影響されたもの?
あるいは中国独自に発生したものなのでしょうか。
レース編みは中国語で「挑花」でしたっけ。
185 :
世界@名無史さん:05/03/13 01:34:13 0
ジェームス・ディーン
オードリー・ヘップバーン
186 :
世界@名無史さん:2005/03/26(土) 23:11:17 0
>>184 清代にキリスト教宣教師が福建省でベール製造のために
現地の針子に教えたのが起源だそうな。
中国伝来の刺繍と融合して今のスワトウレースが出来たそうだよ。
187 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 20:41:53 0
>>169 でも、チャイナドレスは別。あれは着ているとカッコよく見えるな。
男性服は、漢民族のものがカッコイイ。
>>180 そんなに滅多に履いていた訳でもありませんよ。
旅行時に馬に乗るので毛沓を履く事なら庶民(但し富裕層か出家者で、その
乗馬も時として制限された)の生活にも見られましたが。
雪中で履く場合、藁沓やかんじきの方がよく見られたのでは。
189 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 21:05:18 0
>>183 ゾラの『ナナ』に、ナナのベッドには「2万フランもするヴェニスのレース」が
かかっていたとありますから、ベッドカバーにするような大きさのレースは
2万フラン位したのだと思われます。年収5万フランなら大名暮らし。1万フランで
プチ・ブルジョワ。
2万フランを終身年金にすると年収1000フラン超えるから、下宿屋でつつましく
暮らすには十分。
190 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 21:09:40 0
思い出したついでに買いときます。
花嫁衣裳のヴェールは母親から娘に代々伝えるものだったそうで、新調できないくらい
高価だったようです。身分が高いとそれだけ上等になるので、途方もない値段だったらしい。
191 :
世界@名無史さん:2005/04/30(土) 08:30:04 0
フランス革命ではキュロット履きの貴族風ファッションを旧体制に見立てて、
サンキュロット(キュロットなし)という服装を新時代の到来の象徴としたり、
服飾は思想や時代を具象化する事象としてたいへん興味深いよ。
193 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 11:57:20 0
かつて男が化粧していた国や時代ってある? (日常普段からの純粋なファッションとしての、男の化粧)
194 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 20:13:12 0
age
195 :
世界@名無史さん:2005/05/28(土) 20:24:47 0
>>193 ロココ時代の貴族の男性はそうじゃないの?
我が国でも公家はやってたじゃないかね
男の化粧は別に珍しくないんじゃないのかね。
「ロゴ」がプリントされだしたのは何時からだろう?
まずT-shirt以後かな? 広告から始まったんだろうとは思う。
199 :
198:2005/05/31(火) 22:18:19 0
>>198 「ロゴ」が“大きく”プリントされだしたのは〜って事ね。
200 :
世界@名無史さん:2005/06/01(水) 00:43:06 0
>>198 江戸時代に文字柄の着物は登場してた気が。
職人の半纏に屋号をデザイン化して制服のように着ていたのもこの類かな。
ゆかた自体が下着だから、現在のTシャツ感覚でプリントがはやってたの。
スイスのアペンツェル州では、女性が鶏のトサカみたいな髪飾りをつける風習があった。
スペインのアヴィラ地方では、農村の女性には帽子に花をさす風習があった。
髪は女性の命だから、髪飾りはいつの時代も華やいでる感じがする。
202 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 00:22:15 0
age
203 :
世界@名無史さん:2005/06/17(金) 00:35:39 0
ニダーさんが日本に向かって「謝罪と賠償を要求するニダ!」の項目の中に、
元来韓民族は、白を尊ぶ民族だった。それなのに日本は布に色をつけることを教え、
我々の服飾文化を乱した!
というものがあるというのはマジですか?
半島には染色技術が無かったんですか?
204 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 22:13:58 0
>>203 扶余人は太陽信仰から、日光を象徴する白色を尊び、民族衣装も白地を好んだそうだが
いつごろからか平民の象徴のようになってきた。儒教の質実奨励思想と合体しちゃったんだろうか。
205 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 19:57:06 0
19世紀の英国の服飾について詳しいサイトや書籍はありますか?
書籍スレはだいぶ過疎が進んでるのでこちらで訊かせてください。
ファッションの本などで調べましたがカラー写真を用いているものは
見つかりませんでした…。
sage進行ではない、ですよね。
206 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 20:47:17 o
どうして昔の貴人は夏でも厚着してたのかな
冷房も無いのにね
十二単なんてある意味殺人行為だよね
まて、真夏に十二単を常用していたとでもwww
208 :
朱由檢:2005/07/18(月) 21:01:17 0
中国や日本など東アジアの文化圏では、
近代以前の喪服は白だったのに…。
庶民の服が白って、異色だよね。
209 :
世界@名無史さん:2005/07/18(月) 21:29:05 o
平安貴婦人は真夏にどんな着物着てたのでしょうかね
真夏って丸裸でも暑いでしょう??
>>209 生絹(すずし)の袴に単衣重ね(絽や羅の透ける生地の着物を2枚)で、広袖なので
風は通るでしょう。改まった時は、その上に表着と裳を着けます。
袴以外は江戸時代以降の着物より涼しいのでは?
ええ、生地にもよりますね。それに、実際に十二枚という訳でもありませんでし
たし、そもそも十二単というのが俗称です。
藤原道長は、倹約を訴えて娘とその周辺の女房たちの着物の枚数を五〜六枚に押
えていましたが、実際この程度が常識レベルでした。多いものでは、二十枚。
(厳密には、ここで何枚というのは袿と呼ばれるものの事で、下着にあたる単や、
上に着る打衣、正装時の唐衣などは抜いてあります)
いくつか種類がありましたが、現在の宮廷行事で使用されているのは、小袿とい
う略式のものですね。男子の衣冠に相当したものです。
清少納言は、削り氷(かき氷)を好み、また大雨の降った直後に風が吹き付けて来
た時の涼しさを喜んでいます。勿論、氷水もありました。
当時は風呂にも入れないから、不潔だったろうなぁ。
>>212 『栄花物語』に淑景舎の女御(道隆の次女原子)が入浴のあと突然血を吐いてなくなった
と言う話がありますが、身分の高い婦人の入浴の話はあまりないから、殆どお風呂には
入らなかったのでしょう。もっとも、当時は蒸し風呂です。
平安時代の貴族は日常的に香を薫きましたが、香料が重視されるのは大体匂いをごまかす
ためですね。身も蓋もない言い方ですが。
室町時代頃は、入浴を「洗足」といったようです。
田舎大名が公家のお姫様を嫁に貰って、家来に、わからないことは何でも「戦乱で焼け失いました」
と言えと命じたところ、老女に「ちとせんぞくをおだしあれ」と催促されて「せんぞくとやらも
戦乱で焼け失いました」と言う話があります。
「きのふはけふの物語」だったはずですが、未確認。
>>204 扶余人というのは日本民族の祖先であって韓民族の祖先じゃないんじゃ?
216 :
世界@名無史さん:2005/08/14(日) 17:23:05 0
hosyuage
217 :
もも:2005/08/17(水) 19:02:51 0
ロココ時代って庶民の人はどんな服を着ていたんですか?
218 :
世界@名無史さん:2005/08/24(水) 17:33:43 0
地域はフランスでいいのか?
219 :
世界@名無史さん:2005/09/03(土) 14:50:43 0
中国服の布ボタン・くるみボタンは、西洋のボタンとはルーツ的に無関係なのでしょうか?
遊牧民のつながりも考えられなくはないが。
220 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 07:01:46 0
穴だらけのジーンズの流行はどうにかならないものか。
その穴も太ももやすねばかりで、局部や尻の部分の穴はあまりない。
221 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:34:24 0
マンコ部分に穴があくのが流行らないもんかねえ
ラバースーツでそういうのがあるけど
223 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 22:21:34 0
224 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 23:24:27 0
>>221 中国の股割れズボンはどうですか?
ただし子供用。
225 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 23:25:49 0
若い娘たちの間で流行しない事にはどうしようもないじゃないか。
226 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 23:48:39 0
>>225 ょぅι"ょはダメですか?
…ダメならしょうがない、いっそのことストリーキングをリバイバルさせるか!
227 :
世界@名無史さん:2005/09/10(土) 16:16:28 0
女性雑誌あたりで「フルマン美容法、今セレブも話題の減量法! 外気と日光に外性器を曝せば2週間で10`!」
とでも特集組んでくれれば実践者が現れるだろw
中国も最近は人民服ほとんど目にしなくなったね。
政治家の出で立ちはもっぱら紺か黒のスーツが主流だな。
伝統的な感覚だと本心では黄色や赤のスーツを着たがっているんでは?(笑)
日本でやったらダンディ坂野だがw
229 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 13:43:09 0
庶民が着てるジャケット風の上っ張りは原色が当たり前だもんな。
野良着にまっ黄色や真緑のジャケットなんて日本じゃ考えられん。
230 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 14:20:21 0
>>229 ツナギにはそういうのあるけどね。直射日光と強力な洗剤とでどんどん色が褪めてゆくが。
231 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 16:45:10 0
>>228 現代中国では「青」の字には「平凡な、ありふれた」という語感も含んでいるという。
庶民の服に紺染めが多かったせいだろうか?
人間はなぜ服を着るのか?
それは、男性の場合 全裸だと自分の好き嫌いが
はっきり他者にわかってしまうからである
つまらんネタだ
235 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:46:22 0
236 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 18:01:12 0
日本の伝統、八丁ふんどしはいつから始まったのでせうか?
>>236 日本史ネタは、不可
イエスは褌だった。みたいな本が、書店に並んでいたが・・・
238 :
世界@名無史さん:2005/11/14(月) 21:05:18 0
中国と朝鮮はフンドシ文化圏の外なんだよな。
短パン着用文化圏は内陸アジアから中東・欧州にまで東西に伸びているのかも。
239 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 21:52:46 0
中国は男女とも下半身の下着は短パンだもんなあ。
241 :
世界@名無史さん:2005/12/30(金) 19:59:40 0
ゴスロリ服の起源は何処の国でいつの時代?
242 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 14:32:02 0
檀氏朝鮮ニダ
243 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 16:11:16 0
以下、朝鮮ネタ禁止
244 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 22:27:11 0
貴族は染色の衣装を着てたの?>李氏朝鮮
245 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 12:38:03 0
両班といっても下層の家はどうだったろうな。
実質白衣も多かったらしい。
246 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 12:40:56 0
朝鮮ネタはハン板でやれ。ほかの話題の妨げになる。
247 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 14:03:31 0
別にいいだろ。
248 :
ローブ・ア・ラ・フランセーズ:2006/01/08(日) 23:54:12 0
はじめまして。
婚約中です。
来年に結婚することになったのですが、その時にローブ・ア・ラ・フランセーズを着て挙式をしたいので、製作している所をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
HPを見ると外国ではローブ・ア・ラ・フランセーズを製作している所がかなりあるようですが、やはり言葉の関係から日本国内が良いですね。
ウェディングドレスのショップでロココ調のドレスを扱っている所が何店かあったので試着もしてみました。どれも素敵なドレスではあったのですが、何か違う感じがしました。
やはりコール・バレネと大きく張り出したパニエを着けて、リボンやフリルやレースで飾られたローブやジュップやピエス・デストマを着てのきちんとしたローブ・ア・ラ・フランセーズで結婚式をあげたいです。
トビ違いかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。
死んでさっさと墓に入れ。
はじめまして。
婚約中です。
来年に結婚することになったのですが、その時にローブ・ア・ラ・フランセーズを着て挙式をしたいので、製作している所をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
HPを見ると外国ではローブ・ア・ラ・フランセーズを製作している所がかなりあるようですが、やはり言葉の関係から日本国内が良いですね。
ウェディングドレスのショップでロココ調のドレスを扱っている所が何店かあったので試着もしてみました。どれも素敵なドレスではあったのですが、何か違う感じがしました。
やはりコール・バレネと大きく張り出したパニエを着けて、リボンやフリルやレースで飾られたローブやジュップやピエス・デストマを着てのきちんとしたローブ・ア・ラ・フランセーズで結婚式をあげたいです。
トビ違いかも知れませんが、どうぞよろしくお願いします。
251 :
 ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2006/01/08(日) 23:59:49 0
O モワモワ
o
。
| △ |
| 〔(゚д゚)〕 |
(⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒)
|⌒⌒⌒ <⌒ヽ o 。
| <_ ヽ。
| o とノ ノつ
| 。 | 〜つ
ワロスw
i::/' ̄ ̄ ̄ヾi::l
|::| /,_ \,|::|
|r-( ・ );( ・ )-|
( ヽ :::(__)..:: }
,____/ヽ -==- /
r'"ヽ t、 ヽ___/ あ?やんのかコラ? ローブ・ア・ラ・フランセーズさんよぉ!
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
"'ー‐‐---''
素直にオーダーメードにすれば
日本じゃ難しいでしょ。オーダーメイドがいいだろうね。
何だったら海外にローブアラフランセーズetc型紙売ってる所もあるから、
それ参考に作ってもらうとかもできるかもしれないし。
で、髪型はどうするの?
256 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:23:42 0
ファスナーとか存在しなく(当然だが)、縫合
じゃなかったけ。だから着脱のたびに面倒。
257 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 23:02:53 0
セーラー服の流行はイギリス王室から
258 :
ローブ・ア・ラ・フランセーズ:2006/02/12(日) 14:38:09 0
ローブ・ア・ラ・フランセーズの型紙を探して見つかれば参考にしてみます。
貴重なアドバイスありがとうございます。
259 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 13:26:31 0
260 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 18:50:52 0
260ゲット
世界の服史かというとスレ違いっぽいんですが
歴史系の服扱ってる店ってありませんか?
極端な例でいえばシャルル七世の顔のTシャツみたいな、まあそんなん無いでしょうけど。
世界史関連の柄の服って無いですかね。
>>261 >世界史関連の柄の服
「CCCP」のロゴ入りシャツぐらいか。あとはマルクス/毛/ゲバラ/ホーチミンk
顔プリントくらいかな。
263 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 10:58:13 0
ただのキャラものだな
ラ・フランセーズで思い出したんだが、
当時パニエとか巻いて巻いてやってた御婦人方は、
食事の際どうしていたんだろ、、
椅子やソファに身をうまく預けられたのだろうか。
無知な疑問ですまないが、軽く調べたうちでは答えがわからなかったんで、
どなたか当時の食習慣に詳しいかた、どうか解説プリーズ。
266 :
世界@名無史さん:2006/04/07(金) 11:44:20 O
食事中とか別に関係なく基本的に下半身のアンダーをどうこうするはないのでは…
バッスルとかも着席時は尻で踏み潰して座ってる。
特別なことは何もしてないと思われる。
どっちかというとコルセットとか上半身の方が問題あって、食後に倒れることも多かったから
コルセットの芯を簡単に抜き差しできるような仕掛けになってるものもある。
コルセット愛好者が言うには、
倒れたりするのは細ければ良いと締め過ぎ&体型に合ってないコルセットの使用が問題らしい。
271 :
269:2006/04/28(金) 22:48:17 0
発売時期が違うでそ?
ここの出版社がよくやるパターンで、
高い方が最初に出た豪華版で、安いのは今度出る廉価版。
272 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 21:29:16 0
お久しぶりです。その後の報告です。
結局ローブ・ア・ラ・フランセーズはオーダーできませんでした。とても残念です。
その代わり、ドレスデザイナーさんの意見を基に、西洋服飾史の本を参考にしてローブ・ア・ラ・フランセーズとクリノリンドレスを混ぜたようなロココ調のウェディングドレスをオーダーしました。
お姫様ドレスが憧れでしたのでデザインは満足しているのですが、やっぱりローブ・ア・ラ・フランセーズを着たかったな・・。
ドレスの製作が進んだらまた報告します。
273 :
ローブ・ア・ラ・フランセーズ:2006/05/07(日) 21:32:51 0
>272
すみません。名前を入れ忘れてしまいましたm(__)m
274 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 14:59:10 0
275 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 16:35:02 0
276 :
世界@名無史さん:2006/05/31(水) 16:47:55 0
277 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 02:34:11 0
現在ペルシャについて調べているのですが、19世紀
中東の衣装がが詳しく載ってある本ってありますか?
服飾史の本を色々調べたのですが、19世紀となると
西洋のものばかりで…orz
278 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 18:55:10 O
それだったら普通に洋書買った方がいいよ
国・時代を限定して調べるなら、和書じゃ西洋近世以降でも広く浅くだし
和書の海外服飾資料は大雑把な流れを見るものと割りきった方がいい
洋書・服飾カテゴリで探してみ
279 :
世界@名無史さん:2006/06/08(木) 12:37:23 0
280 :
277:2006/06/08(木) 14:07:52 0
>>278>>279 ありがとう御座います。
密林でじっくり探してみます。
ラシネの「民族衣装」は安く買えるみたいですね。
小型の文庫版?は安いですね。
大きなハードカヴァーは高いですけど。
282 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 19:44:52 0
>>282 「和服=呉服 日本人皆、周知 」と書いてきた。
日本にはコルセットのようなものはなかったの?
285 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 00:57:34 0
強いて言えば補正具?
>>284 男だからよく知らんが、
補正下着として和服着るときに胴のくびれにサラシ巻いたりするんじゃね?
くびれを強調するコルセットとは全く逆だけど。
287 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 06:15:58 0
>>282 それを言ったら、
世界中がイギリスから背広を盗んでいることになるのだが。
288 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 23:27:29 0
一休さんは女子高生のスカートをはいている女犯小僧ニダ
289 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 23:42:16 0
290 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 21:46:38 0
南半球には(ジャワ・スマトラ一帯を除くと)大航海時代までは
ズボン状の衣服が存在しなかった件について。
291 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 02:01:47 0
>>290 ズボンは馬に乗るための騎馬民族の衣装だから
彼らと交流の無かった古代南北アメリカやアフリカ南部にも
無かったんじゃね?
292 :
世界@名無史さん:2006/08/03(木) 00:19:54 0
>>272 その後ドレスはどうなった?
どんなドレスなのかけっこう楽しみにしているけど。
293 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 22:11:22 0
>>290 馬を知らないはずのシベリアや北米(白人接触以前)には
旧石器時代からすでにあったわけで。
>>284 下着で締め付ける習慣はなかったようです
強いて言うなら帯
丸帯を日常的に締めるのはほとんど拷問だったらしい
東欧の服飾を紹介しているサイトはありませんか?
296 :
世界@名無史さん:2006/08/26(土) 12:54:31 0
腕の付け根部分に大きな膨らみを作るのは何処の国のいつ頃が起源ですか?
297 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 01:22:04 0
トリコルヌは軍帽だけのものかと思いきや、
映画「パトリオット」では、麦わら帽子も
トリコルヌだったりする。
298 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 19:23:53 0
祝三周年!
299 :
世界@名無史さん:2006/09/28(木) 21:37:22 0
この前行った美術館でローブ(アラフランセーズだったかは忘れた)の型紙売ってた。
ペチコートやストマッカとかは無かったけど。
色んなドレスの型紙売ってたけど、洋裁は専門外だったから買ってない。
それ国内の美術館?
時代はいつからいつまで?
神戸だよ。時代って型紙売ってるドレスの?18世紀じゃないかな。
特別展示目的だったからあんまりちゃんと見てないや。
ローブアラフランセーズじゃなくて、その一個前の形の物だったと思う。
お尻のところがボーンとバッスル(?)になってるドレスやフランセーズもあったかも・・・でも覚えてない。
レプリカ触れたみたいだし作ろうと思ってる人は参考になるんじゃない?
ただあの時代の人の服を作っても着れるかどうか・・・
売ってた型紙も1/2とか1/3の大きさだったかもしれない。
そこって六甲アイランドにある美術館ですか?
10日まで特別展示あるし、明日行ってこよっかな
そうそう、そんな名前の駅で降りた!
展示物見応えあったよー。ファッションプレートが凄く可愛い。
六甲アイランド行ってきた
型紙どこに売ってたの???
うっすーい200円の図録くらいしか見つけられんかったよ…
それでも展示物が充実してたんで、満足できたけど
もうちょっと便利な所にあったらいいのにね
ローブアラフランセーズもあったし、ナポレオンの戴冠式の時の衣装(複製)もあった
特別展の絡みでなのかアールヌーボー時代のが多めだったけど
人が少ないからじっくり見られるし、レプリカだけど触って構造まで確かめられるのは本当に楽しかった
今度はもっと早めに行って更にじっくり堪能したい
そういうのはスレ違い
同板の下着スレの終了っぷりを見ろよ
ここは好きなことだけ語れる場所じゃないんだよ
308 :
ローブ・ア・ラ・フランセーズ:2006/10/14(土) 10:15:08 0
>>272 ごぶさたしておりました。
お姫様みたいなウェディングドレスがついに完成しました。
ローブ・ア・ラ・フランセーズとクリノリンが合わせた感じのドレスで、パニエで大きく膨らませオーバースカートを重ねてドレス全体をリボンと花でたっぷりと飾ってもらいました。
もちろん袖はパゴタスリーブです。
マリー・アントワネットのイメージでデザイナーさんと何度も話をしたおかげで、最高のドレスができました。
11月11日の挙式当日には一日中着ていたいと思っています。
いろいろとありがとうございました。
いいなあ。
せめてドレスだけでも見てみたい。
310 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 16:01:21 0
今のカッターシャツの襟は、昔貴族たちが付けてた襟飾りの名残?
311 :
世界@名無史さん:2006/10/15(日) 14:18:55 0
関西の方ですね?
>>305自分が行った時はパターン販売中○千円って書いてあったよ
期間限定だったんだろうか?
314 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 02:22:14 0
ふと思ったのですが、昨日の天気の様に雨の場合にドレスを着たご婦人方はどのように外出したのでしょうか。
雨ではドレスの裾が濡れてしまうし、日傘はあっても雨傘をさしている絵も見たことないし、
やはり上流階級のご婦人方は雨の日は外出を控えていたのでしょうか。
ヒント:馬車 ウールのコート
316 :
世界@名無史さん:2006/12/05(火) 23:13:50 0
毛を紡いで繊維に利用する家畜といったら、ヒツジとヤギくらいか?
今後革新的で歴史に残る服がでるとしたら、どんな服と思う?
318 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 09:25:32 0
無色透明で不可視の生地を使う服
319 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 19:44:05 0
・光学迷彩
・見た目は今の服のままで、ナノマシン配合繊維で文字通りのウェアラブル端末
・スティルスーツに耐衝撃機能を足して事実上のヨロイ化
320 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 21:44:01 O
中国系共産主義者ってわけじゃないが、中山服・人民服・支那服に興味アリ。専用スレとかURL知らないですか?
322 :
名無しさん@英語勉強中:2006/12/29(金) 19:29:19 0
コオロギみたいな服・・・あれはなんていうのですか??
「ニューヨークの恋人」でレオポルド公爵が着ていたアレです
324 :
世界@名無史さん:2006/12/29(金) 20:05:13 0
325 :
世界@名無史さん:2007/01/04(木) 13:27:48 0
バニーガールのコスチュームはいつから登場したの?
>>325 「バニーガールの由来」
ttp://www.m-wind.net/BUNNYHS.HTM >1960年2月、ヒューMヘフナーは、シカゴに”大人のディズニーランド(ニューズウィークの記事より)”と
呼ばれるPLAYBOYクラブを開設します。ここでウエイトレスの衣装として企画採用されたのが
バニーガールスタイルです。当初の企画としては、セクシーなナイトガウンをウエイトレスが羽織る
という案もあったようですが、PLAYBOY=うさぎということで幾つかの思考錯誤の結果、バニーさんの
バニーコートの原型が生まれました。PLAYBOYクラブは、PLAYBOY誌が提唱する価値観と世界観を
実際に体験できる場所(酒と食事を楽しみ、ライブのエンターテイメントとバニーガール)として生まれました。
その結果、多くの人々を魅了して会員はたった1年で5万人を有し、世界中にクラブを増やして行きました。
今売ってるFree&Easy良くない? 昔の服がいっぱい載ってて
328 :
世界@名無史さん:2007/01/08(月) 12:02:01 0
>>317 ニッカボッカがジョニーパンツに進化。
パリコレを寅壱が席捲w
>>317 頭の先から顔も胴も足のつま先まで全部覆われた服で
食べ物の入り口と出口だけが露出している
330 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 16:38:38 0
もしかすると、これから結婚式の衣装に束帯+十二単が流行するのかな。
331 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 21:08:32 O
ジーンズの発明は世界を変えた
そのうち軍隊も警察もジーンズになるぞ
332 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 22:59:30 0
333 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 13:39:23 0
333ゲット
334 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 22:07:41 0
ジーンズは破壊者だ!
独裁者だ!
byピエール・カルダン
335 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 02:13:12 0
>>331 北朝鮮人民がジーンズをはくのはいつの日になるやら・・・
336 :
世界@名無史さん:2007/03/31(土) 02:32:48 0
あげ
337 :
世界@名無史さん:2007/03/31(土) 02:49:22 0
ジーンズに上半身姿でオナニーすれば、ものすごく興奮する!
338 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 11:08:54 0
>>335 中国経由で輸入されているのも既にあるのでは。
339 :
世界@名無史さん:2007/04/22(日) 05:00:41 0
京都服飾文化研究財団って如何?
341 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 19:04:05 0
>>316 あとアルパカ・リャマ・ヤク・ラクダ。
まだ他にもいるかも知れん。
344 :
世界@名無史さん:2007/05/03(木) 01:41:14 0
345 :
世界@名無史さん:2007/05/03(木) 01:41:41 0
倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族
346 :
世界@名無史さん:2007/05/03(木) 02:10:46 0
故に日本人は史上最強である
さげ
348 :
世界@名無史さん:2007/07/03(火) 16:14:35 0
世界一受けたい授業で、足の小指を確認する安達祐実の下着がしっかりと映っていた
349 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 15:31:10 0
350 :
MEE:2007/07/21(土) 19:53:10 0
16世紀ルネサンスのスラッシュ,詰め物,ラフ,腰枠
に着いて教えてください!!!!!
351 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 21:51:22 0
ヨーロッパ美術でブラゲット、コッドピースが一番目立つ絵画を
見れる教えて下さ〜い!
ティツィアーノらイタリア美術にあった二人の青年が並んで立っている
情景が描かれた作品もありましたネ。
やたらとブリテンの地名が服の名前になってるね
353 :
世界@名無史さん:2007/09/18(火) 00:09:58 0
こんばんは。
神戸ファション美術館で開催している麗しのロココ衣装展を見てきました。
ローブ・ア・ラ・フランセーズを間近に見ることができて、華麗なロココの宮廷生活にすっかりと入りこんでしまいました。
ロココ大好きな私としては、左右に大きく張り出したパニエと腰を細く締め付けたコルセットを着けて、リボンやフリルやレースで豪華に飾られたローブ・ア・ラ・フランセーズを着て、巨大なカツラを着けて貴婦人の優雅な生活をしてみたいですね。
354 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 02:12:08 0
ナイトキャップは、いつごろから使われるようになったのか?
中世ではすでにあったようだが。
355 :
世界@名無史さん:2007/10/14(日) 14:56:10 0
ナイトキャップは胃を荒らします!
髪型のため、寒いから?
357 :
世界@名無史さん:2007/11/28(水) 02:00:42 O
エンパイア〜アールデコ辺りをみっちり覚えたい
服飾史的なドレスが好きだと今時のゴシックやロリータが悪趣味に見えるな。
周りには同じだと言われるがロリータのあんな短いスカートや安っぽいのにフリルやらゴテゴテの服は憧れないね。
358 :
世界@名無史さん:2007/11/29(木) 00:03:35 0
そりゃあ作るのにかけてる手間が違うし。
ウェストもコルセットで締めないと綺麗な曲線美は出ないぜ。
359 :
世界@名無史さん:2007/11/29(木) 09:07:30 O
レースより仕立てを綺麗にしてくれればなぁ。
エリザベス一世の頃のような宝石縫い付け、建築の骨組み着けーだのしてた頃の福の重量ってどんくらいなんだろ
宝石を縫い付けても、何キロも増えないでしょう。
服自体が豪華な織物だしそこそこ重そう
チョピン!チョピン!
服飾の文化服装学院、2006年度卒の
ファッションビジネス科ってレオって
人を中心に痴漢サークルがあるらしいよ。最低。
363 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 01:23:05 0
>>353 激意
ローブ・ア・ラ・フランセーズ着たい!
364 :
世界@名無史さん:2008/01/26(土) 16:16:35 O
ローブ・ア・ラ・フランセーズ着たいとか似たドレス作ったって人は、それなりに似合うくらいのルックスなんだろうか
山田花子とかハリセンボン春菜みたいな新婦がそんなの着てる結婚披露宴に出席したら、笑いをこらえるのに苦労しそうだ
365 :
世界@名無史さん:2008/02/01(金) 00:11:09 0
やはりローブ・ア・ラ・フランセーズは好きです。
コルセット(コール・バレネ)と左右に大きく張り出したパニエを着けて、リボンやフリルで飾られたローブやジュップやピエス・デストマ(ストマッカ)を着て。本当に素敵なのでしょうね。
ロココの貴婦人に本当に憧れてしまいます。
コルセットで締め付けたらかなりきつくて本当に貧血を起こしてしまうかと思いますが・・。
366 :
世界@名無史さん:2008/02/01(金) 02:05:53 0
何と云っても欧州の服飾史ではルネサンス期のブラゲットが面白いよナッ!
一番「股間の膨らみ」が際立っているイタリアの絵画でネットで見られる図版が
あったら、教えて欲しいもんだゼッ!!!!!!!
367 :
世界@名無史さん:2008/02/01(金) 04:55:13 O
>>228 しかしおめでたい紅のネクタイはよく見かけるよね。
あと中国人は黒のシャツが多いね。
なんでだろう?
368 :
世界@名無史さん:2008/02/02(土) 01:25:48 0
>>363 ローブ・ア・ラ・フランセースを着たジャポネーズ。サンジュリーになっちまうな。
369 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 00:11:16 0
ローブ・ア・ラ・フランセーズも好きだけど、クリノリンのドレスも好きだな。
370 :
世界@名無史さん:2008/02/11(月) 00:21:00 0
黒シャツ隊の「黒」は意味は何か特別な意味があるのか
陣羽織の起源はヨーロッパのシュルコ?
映画の「エリザベス/ゴールン・エイジ」に出てくる
ディズニーの白雪姫のような形の立っている襟ってどんな風に着いてるんだろう。
身頃と別にできてるのかな?
立体裁断だけじゃへたれて立たないかな。
襟にワイヤーを通してる気がするんだけど、知ってる方いますか?
マンガ物理学における重力を受けていないので、
ワイヤーがなくても下に垂れないのだろう。
頭のリボンは近現代だが、襟といい袖といい
ルネサンス期の衣装だろうか?
リボンの騎士も似たようなデザインだよね
>>373です。
ありがとう。16世紀くらいの襟について聞きたかったので、
形の例として白雪姫と言ってみた。
調べたら糊で固めてあるらしい…多分。
あと、やっぱり取り外しはできるみたいです。
377 :
世界@名無史さん:2008/02/26(火) 22:37:58 0
クリノリン・スタイルが西洋の女の衣装では一番可愛くて豪華で好き
バッスルは、変な虫みたいなシルエットがキモス
女性のあこがれウェディング・ドレスは、クリノリン・
スタイルの流れをくんでいる。とはいえ、日常生活で
クリノリンはきついはず。当時の風刺漫画パンチでは、
床磨きと揶揄されていたような
379 :
世界@名無史さん:2008/02/27(水) 21:19:26 0
クリノリン・スタイルもスカートの中に入れる骨組みの種類に
よっては比較的、機能的になったらしい。着脱容易な改良型とか。
クリノリンの出現までは、スカートがたっぷりと膨らんだシルエットを得るためには
ペチコートを山ほど重ね着しないといけなかったので、ものすごく大変だったらしい。
クリノリンをはじめてつけたご婦人は、足の裾周りがあまりにもスッキリして、さらに服全体の総重量
も劇的に軽くなったので非常に感激したとか。
どこかでその体験談を読んだけど忘れちった。
床磨きとはこれまた面白いな。
確かに当時のスカートは裾がところ構わず掃除しそうな代物だから、
足を見せるのははしたないという風潮だったとはいえ、実用性をここまで無視できるとは。
エンパイヤースタイルや古典主義時代が直前にあるので、
すでにペチコートがなくなっているので、総重量はかえって増えている
はず。
折りたたみ式になっていてコンパクトにたためられるようになった。
383 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 01:37:17 0
>>381 十八世紀末〜十九世紀初頭のエンパイヤースタイルや古典主義時代の流行のあと
再び衣装の巨大化への長い過渡期があり、それから千八百五十年代になって
クリノリンの爆発的な大流行をみるわけだから、直前・直後とはいえないと思うよ。
クリノリンは、大きく分けて2タイプ
1.下着クリノリンで、ペチコートを重ねてふくらませる。当然重い。
2.スケルトンペチコートで、金属の輪によって、ペチコートを重ねないで
ふくらませるので軽量化となった。のちに外見からクリノリンと呼ばれるようになる。
1880−1990年頃に自転車が流行し、女性はサイクリング用にブルマーを
はくようになった。当然クリノリンでは自転車に乗れない。これを、
「クリノリンの鉄骨が自転車のフレームになった」と表現されることがある。
そういえば、ヴェブレンは、「誇示的有閑」ないし「誇示的消費」の典型例
をクリノリンの流行に見ていたな。
385 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 05:28:57 0
鉄骨?
ヒゲクジラのヒゲじゃないの?
386 :
世界@名無史さん:2008/02/28(木) 10:06:47 0
材質はかなり色々なものがあったそうで・・・
何しろ需要がすごいので供給が追いつかずに代替品のようなものも用いたのね。
鯨のヒゲも鉄骨もあったし、柳の木でできたものもあったらしい。
一般的なイマジネールでは、お姫様のドレスだな。
風と共に去りぬのドレスでもある
389 :
世界@名無史さん:2008/03/03(月) 00:41:51 0
クリノリンのドレス好きです。
特に宮廷の正装用ドレスや舞踏会用ドレスの豪華さは本当に素敵ですね。
あの当時の貴婦人になってみたいな。あのようなドレスを着て生活してみたいです。
超不便、自分一人じゃ脱げないに違いない
体を動かさなくても良い身分の証明みたいな服だからねえ。
だから、輪骨とドレスいずれも着脱容易にするための改良型が
存在していました。日常生活で用いるタイプと晴れ着のタイプは
いずれも異なる型を用います。
それと、クリノリンは確かに上流階級の装束を原点として誕生したとされる
スタイルですが、着用は上流階級に限られていたわけではなく、下層民まで
波及していました。当時女工がみんなクリノリンを工場ではいているので
社会問題になったという例もあります。
メイドさんはクリノリン禁止というのがあったな
パンチなんかでも風刺画があったねえ
クリノリンといえば、「風と共に去りぬ」だが、
北は、すでにクリノリンが廃れていたでよかったけか?
396 :
世界@名無史さん:2008/03/08(土) 20:44:17 0
>>395 どうなんだろう?「風と共に去りぬ」では、スカーレットの
服のスカートのシルエットは南北戦争後になると小さくなってたよね。
実際の服飾の流行では、1860年代はじめ頃にスカートの
前方向への膨らみが少なくなり、1860年代半ば頃以降に急激にスカート全体の
シルエットが小型化し、1870年代にはクリノリンが廃れてバッスル・スタイルに
移行していく、という流れだったと思う。北部が服の流行で先行してたとか
あったんだろうか?
クリノリンといえば、プジョーだな
398 :
世界@名無史さん:2008/03/09(日) 02:40:46 0
ローブ・ア・ラ・フランセーズでもクリノリンでも貴婦人達は召使いや殿方に着させたり、脱がされたりしていたはずかと。
確かに労働しなくてもすむ身分ですからね。
うらやましい・・・。
アラン・フラッサーの正統服装論、中古価格が3万円近くでフイタ
>>398 トイレに幾たびに脱がしてもらう。または、脱ぐのが大変だから
おまる。
だから野グソだったのか
寛衣系の衣服ってなぜ廃れたんでしょうね?
世界の大抵の地域で昔は偉い人はゆったりした長衣を着ていたはずだが
今じゃ宗教関係者くらいしかそんなの着ない。
403 :
世界@名無史さん:2008/03/11(火) 00:04:45 0
中東の人々は宗教関係者ではなくても普通に着ているよ。
>>389 猿真似と笑われるだけだよ。
縫製技術が低かったからだろ
ポワレ前後がいい。
レース尽くしのドレスやその後のオリエンタルなドレス。
ドゥミ・モンドの最後を飾る優美なドレスがたまらん…
毛皮ばんじゃーい∩(・ω・)∩
406 :
世界@名無史さん:2008/03/28(金) 21:42:02 0
オリエンタルなドレスといえば、中国のチャイナドレス!
清末〜民国時代の若い女の子が着てる二部式のチャイナドレスがあるじゃん?
上衣と、ズボン、あるいはスカートに分かれてるやつ。
あれのシルエットが可愛くってもうメロメロ♥
408 :
世界@名無史さん:2008/04/19(土) 20:37:08 0
409 :
世界@名無史さん:2008/04/20(日) 01:32:24 0
>>408 着ている人はともかく^^;
デザインは結構良い感じだね。シルエットのバランスが秀逸だと思う。やっぱりイイね!
スカートの広がりは丁度いいと思うんだけどウエストはもう少しコルセットで
締めた方がいいんじゃ?あと、生地の色はもう少し華やかなほうが素敵じゃないかな。
それと、身頃の装飾をもう少し派手にしたらもっといいよ。
410 :
世界@名無史さん:2008/04/21(月) 23:13:29 0
>>408 365です。こんなドレスがあるのですね。
マリー・アントワネットのドレスみたいで素敵です。
409さんの仰るとおりドレスの色を明るくして、身頃をリボンで飾るともっとかわいくなるでしょう。
バックスタイルやトレーンがよくわからなかったのですが、リボンやフリルやドレープで装飾されていれば本当に素敵ですね。
やはりロココのドレスは素敵だと思います。
私も着てみたいです。
411 :
世界@名無史さん:2008/04/27(日) 02:18:40 0
縫製技術の低さから、リボン結びが発展。やがて、リボンは装飾に変化。
装飾に変化したとたん、リボン=女性向けが定着という流れでOK?
413 :
世界@名無史さん:2008/04/29(火) 21:59:26 0
>>412 装飾用リボンをドレスにごてごてと付けまくっていた時代(十八世紀頃)には
男性もみんな後ろ髪にリボンを結んでいたよ。・・・でもほんと、いつ頃から
リボンが女性ものばっかりになっちゃったんだろうね。
日本でも明治期から大正期にかけて女児や女学生の間でリボンが爆発的に
流行したけど、これは全世界的な流行だったらしいよ。勿論女性だけ。
毛先は袋に入れてたりもしたね。何の意味があるのやら?
香典などのリボン状のものも西欧文化のパクリ?
男性の髪が短くなってリボンで結ぶ必要がなくなったからとか?
かつらを被らなくなってきたのに関係あるのかな
リボンのかわりにネクタイが登場したからというのはどうよ
418 :
千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y :2008/05/05(月) 18:57:15 0
>>415 もしかして、紅白とか白黒の紐状のヤツのことを言ってるのかな?
あれは「水引」って言って、西欧文化のパクリどころではないほど昔からあるよw
明治〜大正のリボンって今のよりずっと幅広で大きかったみたい。
夏目漱石の家族写真に写ってる童女とか、頭にめちゃくちゃでかいリボンが
「乗っかっている」って感じww
TVでアフリカの花嫁が出ていたけどウェデングドレスが純白。
そもそも、イスラム圏の花嫁衣装って定番があるのか?
420 :
世界@名無史さん:2008/06/06(金) 01:55:05 0
hosyu
イスラム圏の女性の兵士は、髪を覆っているの?
軍人ではないがイランの婦人警官はそうだったはず。
423 :
質問:2008/06/12(木) 13:26:31 O
スレチだったらすいません。
こちらの画像⇒
http://imepita.jp/20080611/059820 の詳細(人物や服飾等)を教えてください。
初見は絵画かと思ったのですが、人に見せたところ、服飾系の
展示物を写した写真である可能性が高いと言われました。
手に持っている笏杖といい、豪奢な深紅のローブといい、様式的に
ローマ法王のように見えますが、冠の形に疑問が残ります。
何かご存知の方、よろしくお願いします。
425 :
千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y :2008/07/02(水) 01:21:29 0
>>423 ヴェール(?)がすごく綺麗ね。マントみたいなのも。
近代西洋史のスレに書こうか迷いましたが西洋の服飾史
と関係が深そうなのでこのスレに書かせていただきます。
1670年代後半あたりから1730年代までの西洋文化圏の男性は
大きな巻き毛の鬘をかぶっていたようですが、
1.なぜこの鬘をかぶっていた時代は髭を剃ったのか?
2.1730年代頃から出てきた白い袋鬘の起源はどこか?
3.当時この種の鬘をかぶった日本人は長崎とかにいたのか?
どなたか詳しい方よろしくお願いします。
427 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 09:22:56 0
俺も疑問を一つ
何故、スカートを長くして、足首さえも見せないのに、
女は胸を強調するようなドレスを着て、谷間を見せ放題にしていたのか???
428 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 09:27:57 0
>>427 スカートを長いのは、庶民が下着をつけていなかったことの延長ではないかと
胸の方は、向うの女性に胸の美しさを誇示する習慣でもあったんでしょ
429 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 12:46:03 0
>>426 >1.
髭を生やさないのが流行だったから、というか、
その時代には髭を生やさないのが常態だったから、としかいいようがないように思うけど。
今の日本人はなぜ月代を剃らないのか、今の満州人はなぜ弁髪を結わないのか、と問うのと同じことじゃないの。
431 :
世界@名無史さん:2008/07/07(月) 22:57:29 0
432 :
世界@名無史さん:2008/08/09(土) 05:00:46 0
>>426 1730年代だっけ?
2.髪粉が衣服に落ちるのを避けるため。
身分の高い者から低い者へ服装が流行し、
かつらや髪粉も用いられるようになったが、
低身分の者は替えの衣服をあまり持っていなかったから
汚れるのを防ぐため袋にいれた。
433 :
世界@名無史さん:2008/08/09(土) 05:07:46 0
3.
髪粉を用いたかつらを被った日本人の絵を見たことがないんだが。
鹿鳴館時代でもドレスに黒髪であったわけだし、
おそらくいなかったんではなかろうか。
また、髪粉は髪粉を降る職人が必要であったため、
日本に入ってきていても着用したとは考えにくい。
434 :
千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y :2008/10/09(木) 19:28:56 0
いまは中国で漢服(清代以前の伝統的な漢民族の衣装)の復興運動が
あるらしいじゃない。
三百年以上の断絶を経てるのにすごいね。
435 :
NHK板 世直しバラエティ 『カンゴロンゴ』 より:2008/10/13(月) 18:17:52 0
11 :名無しさんといっしょ :2008/10/13(月) 17:55:32 ID:jVztlE/c
平幹が明代までの衣装で、夏純が清代末期の衣装で、なんだこりゃ
436 :
世界@名無史さん:2008/10/14(火) 00:08:07 0
ギリシャとかローマとか、なんで半裸同然の衣装だったんだろ。
437 :
世界@名無史さん:2008/10/14(火) 08:33:53 0
肌を見せることは罪であるなどという野暮な宗教はまだなかったから
438 :
世界@名無史さん:2008/10/16(木) 10:41:15 0
クリノリン・スタイルで検索してるんだけど絵も写真も資料になりそうなものは殆ど出てこない…
図書館行って調べるか、いい本があれば買いたいんだけど、
おすすめのがあれば是非教えて下さい。
用途はただのお絵かきです。
439 :
世界@名無史さん:2008/11/03(月) 22:15:34 0
クリノリン、crinolineの画像検索で見てもわからないようだったら、
あなたが理解するのは難しいかもしれない。
服装史の本だと、写真か絵が1枚程度で終わってしまう。
デザイン系の本でヴィクトリア朝通販カタログの方がよい。
442 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 04:47:32 0
そんなモン買わなくてもネットで大量に見られるよ
443 :
世界@名無史さん:2009/03/01(日) 22:27:18 0
410です。
目黒区美術館で開催している祝祭の衣装展を見てきました。
神戸ファッション美術館であった麗しのロココ衣装展と同じだったように思いますが、見に来ている人も少なく貸しきり状態でした。
ローブ・ア・ラ・フランセーズを近くで見ることができて、華麗なロココの宮廷生活にすっかりと入りこんでしまいました。
やっぱりローブ・ア・ラ・フランセーズ大好きです。
ポンパデュール夫人やマリー・アントワネットのようなローブ・ア・ラ・フランセーズを着て、貴婦人の優雅な生活をしてみたいです。
>>443 こんなのやってるの知らなかった。ありがとう。
445 :
世界@名無史さん:2009/03/05(木) 09:20:01 0
紀元前の服の素材は何だったの?
447 :
世界@名無史さん:2009/03/21(土) 09:23:08 O
葉っぱ
448 :
世界@名無史さん:2009/03/21(土) 09:24:58 O
動物の皮を剥いだモノを着てたんだろうね
紀元前でも国によるだろう。
ローマや中国、インドなどの文明国なら革から木綿(紀元前2000年:インド)、
絹(紀元前3000年:中国)麻(紀元前6000年?:中東)など色々あったし、
未開地なら動物の毛皮だろうが、周辺地域であった日本だって紀元前に麻の貫頭衣くらい着ている。
450 :
世界@名無史さん:2009/04/17(金) 23:04:21 0
毛皮の加工ってどうしてたんだろ?
451 :
世界@名無史さん:2009/04/19(日) 16:41:07 0
452 :
世界@名無史さん:2009/05/16(土) 13:31:12 0
NTVに出演中のあややが、「♂」「♀」をちりばめたデザインのレギンスを穿いて・・・
453 :
世界@名無史さん:2009/05/27(水) 17:57:58 0
スレ違いなら誘導お願いします。
どういう言葉で検索していいか分からないので
教えて下さい。
よくファンタジーアニメとかに出てくる
西洋甲冑の股間部分に布を垂らしているというか
ふんどしみたいなのつけてるのがありますが
あれはなんですか?
家族と話したところ
敵と戦ったあと剣の血糊を拭きとるためとか
それだったら股間じゃなくてもいいんじゃないのとか
妙な話題になって困っています。
よろしくお願いします。
454 :
nomu:2009/06/17(水) 23:00:54 0
たまに見かける、縄文人の服装の再現では「彼らはとってもオシャレでした」
なんて沢山のアクセサリー身にを付けています。
後の時代でアクセサリーといえば帯留めや髪飾りくらいなイメージです。
日本では首飾り、腕輪、指輪、耳輪etcは何であまり発展しなかったんでしょう。
金も採れ加工技術もあるし、玉とか石英も利用出来たと思います。
真珠や珊瑚、貝はずっと宝飾品として使われてきたし。
新潟の翡翠が忘れられてたのも不思議です。
456 :
世界@名無史さん:2009/06/21(日) 01:53:56 0
古代ローマでは既にドレープの概念があったという
さすがイタリア人
457 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 01:11:20 0
コサックの服装が一番かっこいいな、髭を蓄え毛皮の帽子を被りナイフを腰に着けて馬を乗りまわす・・・・憧れるな
ロシアには今でもあんな格好してる奴いるの?
日本で今でも武士とか忍者の格好している人間と同じくらいは居るかもな。
つまり観光とか祭りとか演劇とかそういう場所に。
「荒野に響く声 祖国へ」で検索すると現代の様子が多少出てくる。
植田樹「コサックのロシア―戦う民族主義の先兵」によると
著者がモスクワ市内にいたとき、いきなり向こうから
伝統的な服装でサーベルまで下げたコサックが歩いてきたことがあったそうである。
460 :
世界@名無史さん:2009/06/28(日) 14:41:10 0
461 :
世界@名無史さん:2009/06/29(月) 19:45:10 0
>>460 男のほう手が隠れるぐらい袖が長いのはなぜだろう。
貴人の衣装かな?
あるいは寒冷地の外出着とか。
平民がこれでは日常生活に支障があると思うけど。
中国の時代劇とか観ると普段はそういう服の袖を捲り上げてて
偉い人の前に出ると両手を振って袖を元に戻して手を隠す場面がある。それが礼儀だったらしい。
あの・・・>453は・・・?
>>453 もしかしてsurcoat(サーコート)のことかなぁ?
鎧の上から着る、陣羽織とも訳されたりするものなんだけど
ただこれば鎧の上から着るものであって、股間部分ではないんだよね
ちなみにサーコートの役割は、描かれている色や紋章によって敵味方など人物を特定すること
また日光や雨から鎧を守ること、などだそうです
ファンタジーアニメなら、考証自体がいい加減な可能性もありますが
468 :
世界@名無史さん:2009/07/11(土) 07:10:21 0
>>443 >ローブ・ア・ラ・フランセーズを着て、貴婦人の優雅な生活をしてみたいです。
黄色人種が着ても滑稽なだけだよ。
服飾文化史って結構面白いと思うんだけど、やっぱり研究がドメスティックになりがちなのかね?
ヨーロッパって言っても国や地方で千差万別ありそうだが、その国に行かないと研究を知ることはできないのかな?
>>469 文化女子やお茶の水や目白大学で
それ関係の論文を目にするけど
それではだめかい
>>470 一般人が見られる書籍とかあるのかね?
アラン・フラッサーの正統服装論なんてずっと欲しいと思ってるんだけど、
未だに復刊されないし(古本は鬼のように高いし)。
472 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 14:18:14 0
最近の興味は、なぜホワイトカラーの帽子着用の習慣が戦後廃れたのかってことだな
>>472 一説には、世界中がアメリカナイズされたからって話がある。
また、日本の場合は満員電車で通勤するため、帽子が邪魔になったからって話も。
ファッション的に言うと帽子は最後に行き着くファッションで、
服や靴や鞄と違い絶対に必要なものじゃないからね、後回しにされやすい。
>>471 国立図書館で複写たのんだらどう?
大抵の論文なら読めるけど
どこの大学の図書館も予約と身分を明らかにすれば
ほぼいれてくれるよ
475 :
nomu:2009/07/13(月) 00:32:53 0
資金力が乏しいにもかかわらず軍備の増強を図っていた18世紀のプロイセン
では低コストで大量の軍服を揃える必要が生じていた。そのため、布地を
節約するために上着を細身に仕立て、粗末な生地で作られた軍服を華麗に
見せるための縁取りや組紐等による飾りが付けられた。
そしてこれらの工夫が、安価でありながら実用的且つ見栄えがするドイツ式
の軍服を産んだとも言える。そして、当時の軍服に求められる要素を兼ね
備えたドイツ式軍服はヨーロッパ各国に広がり、イギリス陸軍の1742年制式
の制服にも採用された。
そして、布地を節約するためだった細身の仕立てはスマートな外見が評価
され、フランス陸軍の1762年制軍服にも影響を与えた。
日本のアパレルも今のところはまだまだタイトなラインだな。
477 :
453:2009/08/07(金) 22:50:49 0
アルフォンスは透明人間のような設定だから
ふんどしないと隙間があいちゃうからじゃない?
ガラはもう西洋甲冑というかどうか微妙な範囲だから
デザインかもしれない
というか
>>467は無視かよ
あああすいません
>>467 なんか違う感じです。
>>478 バスタードの頃は他のファンタジー作品も
なぜか甲冑にふんどしっぽい感じの
絵が多かったような気がします。
なんかのはやりだったのですかねぇ・・・。
480 :
世界@名無史さん:2009/09/02(水) 16:37:30 0
ところで、最古の服、最古の靴は、いつの時代?
肋骨服の横文字の名称をご存じな方いらっしゃいませんか
博物館の説明文で読んだ記憶があるんだけれども
どうしても思い出せません
おねがいします
質問です。ローマ帝国とか中世ヨーロッパの人々って何でできた服を着ていたのですか?
絹は高級品だったのでしょう。毛はあったのでしょうがどの程度普及してたのですか?
(絹より少し劣るが高級品だったのか、庶民も手が届いたのかとか)
また、麻や木綿は当時の欧州にあったのですか?
485 :
世界@名無史さん:2009/11/18(水) 10:53:08 0
自分も質問。
19世紀くらいでは、貴族の女性の下着はコルセットとペチコートというイメージなんですが、
平民は何を着てたのですか? 平民用ブラジャー的なものとかあったのでしょうか?
486 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 20:48:29 0
>>481 旧石器時代かと。
フード付きパーカーを着た女性を彫った
マンモスの牙偶がシベリアで出土しているので。
どんなに貧しくても、コルセットとペチコートを持っていた。中古でも。
コルセットの洗濯はしづらいのでコルセットの下にシュミーズなどを
着用する。
Pコートは元々海軍の制服だったんだよね?
ダッフルは漁師→海軍だっけ?
489 :
世界@名無史さん:2010/02/13(土) 15:05:30 0
漢民族は羊や山羊を飼っていたが、毛織物やフェルトは作っていたんでしょうか。
遊牧民と隣接しているわけだし、知らないはずはないと思うのだけど。
フェルトを指す「氈」という漢字もあるけど、毛織物の中国服ってあるんだろうか。
sage
>>489 コートやショールのようなものにはウール素材はあったのでは。
492 :
世界@名無史さん:2010/02/16(火) 11:30:27 0
ミニスカートといえば、近現代では1940年代にイギリスで流行するまで
娼婦でもない女子が街路で生足を出すのはご法度だったようだが、
古代にまで遡ってみてもヨーロッパで歴史上ミニスカートが流行したことはないんだろうか。
確かにギリシア・ローマでも男性の半裸はよく見るが、
正装で女性が生足を出しているのは知らない。
パンチラと相関関係がありそう。
494 :
世界@名無史さん:2010/05/29(土) 09:27:44 0
貴族はともかく奴隷や平民は
ロングスカートだと仕事しづらかったのでは。
>>494 体の動かし方が現代とは違っていたというのはありそう。
当時の絵を見てもロングスカートでない女性が描かれていないということは、
足を出すことがそれだけ憚られていたということに間違いない。
あと、そもそも走ることがそう頻繁には無かったのかもしれない。
yシャツの裾が長いのは、もとは下着で股間を覆っていたから。
497 :
世界@名無史さん:2010/05/29(土) 21:05:21 0
「Yシャツ」とは「ホワイト・シャツ」がなまったもの
498 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 11:25:32 0
>>495 あの余った裾で股間の一物をくるんでいたと聞いたことがあるが、
どうやってくるんでいたのだろう?
あと、古代エジプトとかギリシャ・ローマの人々は、文明人だったはずなのに、
なんで半裸に近い格好だったんだろう?
古代の中国人がきちんとした着物を着ていたのに比べ、肌を露出しすぎだろ?
499 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 15:42:09 0
それを言ったらエジプトの女王様は、トップレス・・・
気候の違いも考えようぜ
ローブ・ア・ラ・フランセーズって上下セパレートですか?
この時代のコルセットに左右ポケットがついてたってことは
腰から手を下に入れることができるってことですよね?
検索したらコルセットの図か、完全に着ている図しかなくて
どういう風に着たのか、または着ている途中の図がないもので
>>78 エリマキトカゲみたいな襟
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ひだ襟
503 :
世界@名無史さん:2010/06/21(月) 00:13:34 0
>>455 ・文化の中心となった京都が高温多湿でじゃらじゃら着けるのが厭われたから
・武士が勢力を握ると更に華美が忌まれたから
・安土桃山には朝鮮の鄙びた茶器とか南蛮の舶来物なんかを有難がる価値観だったから
・外国に移動しないのでアクセサリーの「どの政体下でも換金できる」特性が不要だったから
それが長い歴史になってたけどアクセサリーをつけた西洋人という見本が出来たので模倣から発展中←今ここ
>>488 ダッフルコートについては複数説がありはっきりしない。
「ダッフル」はベルギーの地名「デュッフェル」からきた
毛織物を指す点では共通するが、これを外套に用いた元祖は
「ノルウェーの漁師」「チロルの農夫」「フランドルの牧童」
と様々に伝えられる。今日の典型的スタイルを確立したのは英国海軍。
甲板当直水兵の防寒着として採用したのが始まりだった。
これが戦後に余剰物資として放出され、ダッフルコートと言えばあの形が常識になった。
ピーコートの起源もまたはっきりしないが、
「ピー」はオランダ語で「ラシャ生地」を指す事から、
源流はオランダの船乗りの防寒服と考えられ、
これがやはり英海軍の冬用水兵服として
リーファージャケットのデザインを採り入れて採用され、周辺諸国にも広まった。
紳士服に与えた英国軍服の影響は計り知れない。