原爆投下の真の理由は?=吉田弘之(北米総局)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/ 米国内の原爆研究の流れは、大まかに言って「revisionist(修正主義者)」と
「traditionalist(伝統主義者)」に分かれる。言葉のニュアンス通り、修正主義は
「原爆不要論」、伝統主義は「原爆正当化論」につながる。
近年、新たな資料の発見や緻密(ちみつ)な論証によって米国内でも修正主義の見解が
広く受け入れられるようになった。だが、トルーマン政権による政策決定の核心部分の
決定的資料に欠け、主張が明確には裏付けられたわけではない。修正主義の筆頭とされる
メリーランド大学のガー・アルペロビッツ教授(歴史学)は「私の結論も、究極的には推定に
過ぎない」と語る。
例えば45年7月7日から同15日、ポツダム会談に向かう巡洋艦オーガスタでトルーマン
大統領とバーンズ国務長官は多くの時間を費やして「何か」を話し合っている。ポツダム会談
期間中の二人の密談内容もほとんど不明だ。「バーンズが原爆投下決定のカギを握っている。
二人の会話の詳細が分からない限り、確定的な結論は出ない」と教授は話す。
米国の研究者と話していて思うことは、言葉の壁もあり当時の終戦に向けた日本国内の
事情を子細に検討することが、時に困難なことだ。その意味で最近、日米、ソ連の資料を
駆使して原爆投下、終戦に至る経緯を検証したカリフォルニア大サンタバーバラ校の長谷川毅
教授の著書「Racing the Enemy」(英語で出版)は米研究者に新鮮な驚きを与え、
「考え方を修正せざるを得なかった」と語る研究者もいた。
問題は複雑に絡み合い、今後数十年間、明確な結論は出ないかもしれない。(以上、抜粋)