アメリカでは原爆について教育してるんですか?

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617世界@名無史さん
「原爆投下問題への共通認識を求めて−長崎の視点から」
ttp://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/shiryo/nagasakigenbaku.html
>最初に確認しておく必要があるのは、「原爆が第二次世界大戦の終結をもたらしたというより、むしろ戦争終結を
遅らせたということだ」(注4)(米国のマ−ティン・シャ−ウィン教授)という基本的事実である。米国は、すでに1943
年5月の軍事政策委員会や翌年9月の英国とのハイドパーク協定(1944年9月)で原爆投下の対象を日本にする
ことをほぼ決定していた。
>また、米国は1945年春以降になされた日本側の、ソ連を仲介とする終戦工作を暗号解読などで正確につかん
でおり、ポツダム宣言草案に当初盛り込まれていたような形で天皇制存続の容認など降伏条件を緩めることも可能
であった。ここで重要なことは、当時のバード海軍次官やグルー国務次官やスティムソン陸軍長官など多くの
政府要人が「降伏条件の明確化」、すなわち天皇制存続の容認などの降伏条件の部分的修正を求める一方で、
それが「無条件降伏」とは矛盾しないものであると考えていたという事実である。だが、結局、最後の段階で
バーンズ国務長官の進言をトルーマン大統領が受け入れて天皇制容認条項を削除した。
>また、正式な外交ルートを用いず回答期限もつけないなど、米国が後から主張したような公式の最後通牒
あるいは原爆投下への事前警告といえるような代物ではなかった。つまり米国側は日本側の拒否を見通した
上で、敢えて「無条件降伏」を突きつけたのである。
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>そして、原爆の威力を知らしめるために、例えば無人島や東京湾などに事前に投下して、日本に対して警告を
与えるという選択肢(原爆開発に協力した科学者たちなどからの提案)をトルーマン大統領は最終的に拒否した。
以上のことから、米国・トルーマン大統領がポツダム会談直前に開発に成功した原爆を何としても投下できる
環境・条件を作ろうとしていたこと、またそのために意図的に戦争の終結が引き延ばされたということが理解できよう。
>長崎への二発目の原爆投下について注目する見解は、これまで主に日本側(特に長崎)の研究者によって
提起されてきており、その多くは人体実験説と密接に関係している(注12)。それは、長崎の視点から原爆投下
問題にアプローチするもので、長崎原爆は広島に投下されたウラン型とは異なるプルトニウム型であり、アラモ
ゴードで実験済みであったとはいえ、広島原爆と同じく、やはり実戦での使用でその威力と効果を試すためで
あったのではないか、という点を重視する。
>つまり、米国政府は都市の物理的破壊ばかりでなく都市住民の皆殺しを狙って新型兵器の実戦使用を行った
のであり、人体実験の性格が濃厚であったという主張である。これが真実であるならば、原爆投下は戦争の
短期化と人命の救済という「人道的行為」であったという「原爆神話」が根底から崩れ去ることになり、これまで
主張されてきたいかなる「米国の論理」をもってしても原爆投下を正当化することは到底できなくなる。
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また、それを裏付ける事実として、1.米軍が原爆の効果・威力が最も発揮出来るような都市を投下対象に
選んだこと、2.原爆の効果・威力を正確に知るためにその投下対象に選ばれた都市に対して、この決定
以降、通常爆撃を行うことを禁止したこと、3.原爆搭載機とは別に天候観測機や写真撮影機を飛ばして
原爆の効果・威力を測定するための機器(ラジオゾンデ)を投下したこと、4.日本への原爆投下前に
事前デモンストレーションや事前警告を行うのは原爆の威力・威力を損なうだけで「正気の沙汰ではない」
とグローブズ将軍が主張していたこと、5.米軍が戦後に出された報告書で広島と長崎の原爆投下を一つ
の「実験」として位置づけ広島は成功で長崎は失敗であったとの評価を行っていたこと、6.戦後の占領期
において米軍がABCC(「原爆傷害調査委員会」を通じて放射能の人体への影響を調べるために被爆者を
「モルモット扱い」して治療に名を借りた実験データの収集などを行いその後の核開発のために利用した
こと、7.長崎への投下目標地点が当初いわれていた三菱兵器工場などの軍事施設ではなく都市中心部
の常盤橋であったと判明したことによって、原爆投下の本当の目的は都市住民の殺戮であったことが
証明されたこと、などを挙げることができよう。