「原爆投下問題への共通認識を求めて−長崎の視点から」
ttp://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/shiryo/nagasakigenbaku.html >最初に確認しておく必要があるのは、「原爆が第二次世界大戦の終結をもたらしたというより、むしろ戦争終結を
遅らせたということだ」(注4)(米国のマ−ティン・シャ−ウィン教授)という基本的事実である。米国は、すでに1943
年5月の軍事政策委員会や翌年9月の英国とのハイドパーク協定(1944年9月)で原爆投下の対象を日本にする
ことをほぼ決定していた。
>また、米国は1945年春以降になされた日本側の、ソ連を仲介とする終戦工作を暗号解読などで正確につかん
でおり、ポツダム宣言草案に当初盛り込まれていたような形で天皇制存続の容認など降伏条件を緩めることも可能
であった。ここで重要なことは、当時のバード海軍次官やグルー国務次官やスティムソン陸軍長官など多くの
政府要人が「降伏条件の明確化」、すなわち天皇制存続の容認などの降伏条件の部分的修正を求める一方で、
それが「無条件降伏」とは矛盾しないものであると考えていたという事実である。だが、結局、最後の段階で
バーンズ国務長官の進言をトルーマン大統領が受け入れて天皇制容認条項を削除した。
>また、正式な外交ルートを用いず回答期限もつけないなど、米国が後から主張したような公式の最後通牒
あるいは原爆投下への事前警告といえるような代物ではなかった。つまり米国側は日本側の拒否を見通した
上で、敢えて「無条件降伏」を突きつけたのである。