◆中国・欧米関係史◆

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1世界@名無史さん
乾隆帝とマカートニー卿、アヘン戦争、第二次世界大戦における
英米との同盟関係、毛沢東とアメリカ人ジャーナリスト、朝鮮戦争
における中国と国連軍など
2世界@名無史さん:03/08/12 20:15
アレクサンドロスの使者が春秋期の中国に来てたとか。
3世界@名無史さん:03/08/12 20:16
>2
始皇帝の先祖はマケドニア人かギリシア人て説もありましたな。
4世界@名無史さん:03/08/12 20:25
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
5世界@名無史さん:03/08/12 20:31
記録に残ってる中で一番古い使節って
大秦国王安敦の使節でいいの?
6世界@名無史さん:03/08/12 20:57
>>5
たぶんそうだと思いますよ。
あと、明代のイエズス会士なども有名ですよね。
7世界@名無史さん:03/08/13 21:15
アヘン戦争の原因はアヘン?
それとも朝貢体制と条約体制という異なる体制の対立が原因だという説も
あるらしいね。
したがって中英戦争と呼ぶべきだと。
8世界@名無史さん:03/08/13 21:40
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
9世界@名無史さん:03/08/13 22:53
俺はアヘン戦争以前(17・18c)の中国と欧州の関係にすごい興味があるんだけど、それに関して扱った書籍ってないんかなぁ?
10世界@名無史さん:03/08/13 22:53
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
11世界@名無史さん:03/08/13 22:57
>>10

まずは職を見つけろ
話はそれからだ
12世界@名無史さん:03/08/13 23:05
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
13世界@名無史さん:03/08/13 23:09
>>11
人力スクリプトにレスしても駄目だって
14世界@名無史さん:03/08/13 23:18
まず中国という呼称はやめよう。長州地方と呼ぶことにしよう!
15世界@名無史さん:03/08/13 23:18
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
16世界@名無史さん:03/08/13 23:24
安直戦争は列強の代理戦争
安徽派=日本VS直隷派=欧米
17世界@名無史さん:03/08/13 23:50
まず中国という呼称はやめよう。シナ人と呼ぶことにしよう!
18世界@名無史さん:03/08/14 08:52
>>9
ジョージ・マカートニー『中国訪問使節日記』(東洋文庫 277)
はどう?
19世界@名無史さん:03/08/14 08:53
>>9
マッテオ・リッチ記憶の宮殿

著者:ジョナサン・スペンス著
古田島 洋介訳

本体価格: \4,757
出版:平凡社

16世紀末に中国に渡ったイエズス会宣教師マッテオ・リッチ。
ヨーロッパの記憶術を柱とした記憶の宮殿にすえられた四つの
イメージより、当時のヨーロッパと中国、そしてリッチ自身が
照らし出される。



20世界@名無史さん:03/08/14 12:32
坂野正高の著・訳書はいかがでも値段高いね!
関係ないがこの人カリエールの外交談判法の訳もしてるこれ文庫で安いがあんまり見ないね!
21世界@名無史さん:03/08/14 14:26
ヨーロッパの啓蒙思想家たちは中国文明を知ってものすごく衝撃を受けたらしい
(例えば、ライプニッツとか)
それが19世紀ごろになると、中国に対する蔑視のほうが強くなるね。
22世界@名無史さん:03/08/14 14:49
李氏朝鮮については、「古代的な基本構造を持つ社会」といわれてるけど、
明清の中国社会はどうだったんだろうか?
23:03/08/14 15:01
>>18-19
たいへんTHANKS!
貧病の俺には>>19は買えないんで>>18を買います。
文庫本が出てくれたら大変ありがたいのだが・・・
ちなみに当方『ローマ帝国衰亡史』も買えず終い・・・
24山崎 渉:03/08/15 18:29
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
25世界@名無史さん:03/08/15 22:57
アメリカと中国の関係史はすごく面白いと思う。
アメリカ人の中国観は、ロマンチックな思い入れと幻滅の間で揺れ動いてきた。
26世界@名無史さん:03/10/13 15:06
欧米で中国研究が盛んなのは、アメリカとフランス。
27世界@名無史さん:03/11/22 21:50

dream“コスプレ”1000人熱狂
28世界@名無史さん:03/12/07 19:54
タラス河畔の戦い

イスラムだけど
29世界@名無史さん
ローマ教皇庁とイエズス会の間で典礼問題が生じたとき、
康煕帝は,ローマ教皇の主張する教皇はすべての信者の精神上の支配者である
という方針を理解せず,信者も中国人であれば肉体的ばかりでなく,精神的にも
中華皇帝の指導に従わなくてはならないという態度を堅持したので,両者決裂
することになりましたが、
なんとなく一部のアメリカ人が、
「カトリック教徒はアメリカ合衆国という国家ではなく、ローマ教皇に忠誠を
誓っている」
という偏見を持っているという話を思い出しました。