1 :
世界@名無史さん:
大国や列強の板ばさみの中、綱渡り状態で最善策を模索し
ギリギリの状態で生き残りをかけて奮戦した小国たち。
それらの外交は自国の能力を冷静に把握し、かつ情勢を
最大限につかむことが要求されます。
小国の戦時外交についてさあ語れ。
なんつーか軍事板か国際情勢板か政治板の話題じゃないのか?
>>2 軍板からなのですが、ここでした方が適当だと考えたのです。
まず、第二次大戦中のタイなんてどうでしょうか?
列強に翻弄されながら、最善策を打ち出したのか
それとも流れに任せざるをえなかったのか?
↓どうぞ
タイは元々フランス領ベトナムとカンボジアと英国領ラオス、ビルマ、
マレー半島らにはさまれているわけで、両勢力の緩衝地帯としてタイが
地政学的に適していた。
無論タイ国内で内乱があれば居留民保護を名目に英仏いずれかが
出兵し植民地化の流れは抗し得なかっただろうが。。
周辺諸国が植民地化していく仮定で独立国としての矜持を守った
政治判断がWW2時のタイの外交策にいかされたのは間違いない・・・
という所ですか?
東南アジア史に詳しいヤシで無いと、これ以上は責任ある言動が
とれませんねぇ。
ちなみに小国の戦時外交といえばビスマルク宰相の鉄血政策時に
リヒテンシュタイン公国はなぜ統合されずに済んだのか。
ドイツのパリ占領時にモナコ公国はいかにして独立を維持しえたか。
スペイン内戦時、あるいはナポレオン戦争時にピレネーの
小国(まあ独立国とはいえないが)アンドラの戦時外交といえるものは
存在したのか、地位はどのようなものがあったのか
とも話題をふっておいて寝よう。
はたまた春秋戦国時代における
宋や魯などの小国の戦時外交についてはどうだろうか。
ソ連に攻められたせいで枢軸国になっちゃったフィンランドとかですか?
ナチス・ドイツに宣戦布告したトゥバ共和国。
結局、ソ連に併合されました。
>8
トゥバには”変人”R.P.ファインマンも旅行してましたね。
トゥバといえば田中御大とメンヒェン=ヘルフェンしか思いつかない私はダメぽ?
11 :
世界@名無史さん:03/08/05 19:25
第二次世界大戦時のスカンジナビア諸国は「小国」といっていいですか?
12 :
世界@名無史さん:03/08/05 19:49
フランコ総統は外交うますぎです。
13 :
世界@名無史さん:03/08/05 21:17
葡萄牙も何気に西班牙内戦WW2と乗り切ってるよね
14 :
世界@名無史さん:03/08/05 22:47
>>13 ポルトガルのサラザールは、1943年にはイギリスへのアソーレス基地貸与を
通じて連合国側に接近。
15 :
世界@名無史さん:03/08/06 00:00
日本見習いたい
で、スイスは防衛線も張ってたけど、ユダヤ人とナチスドイツの資産両方をあずかっていた
両大戦間のルーマニアの外交は非常にうまかったと聞くのですが,
どの資料を見ても,どのように上手だったのかが書かれていない……
17 :
世界@名無史さん:03/08/15 01:10
サラザールは首相で大統領が別にいるのに萌える
>9
あれ?ファインマンは、トゥバに行きたかったけど、
結局旅行許可が下りる前にしんでしもたんとちごた?
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン