ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【2】

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ドイツの共産主義者がスターリンにレイプは人々を我々からそむかせることになると警告
した時、スターリンは「私はぬかるみの中の赤軍の評判の足を引っ張るも者を許さないだ
ろう」とひどく腹を立てた。レイプは赤軍が1944年に東プロシャとシレジアに入った時に
始まった。多くの町や村では10歳から80歳までの全ての女性がレイプされた。ノーベル賞
受賞者のアレクサンダー・ソルジェニーツィンはその時、若き士官でその時の恐怖(戦慄)
を物語詩・「プロシャの夜毎」で綴っている。「マットレスの上の生気を失った少女達、何名
の兵がその上に乗ったか?一個小隊、たぶん一個中隊だろう」しかしソルジェニーツィンの
ような人は稀であった。ほとんどの彼の同志達はレイプを正当なものとみなした。ドイツ奥
深くへの攻勢が進んだ頃、彼らの司令官であったツコフ元帥は述べている。「殺人者の土
地に悲惨を持ち込め!我々はあらゆることに対しての恐ろしい復讐を手に入れるだろう!」
赤軍がベルリンに到着するまでに、ナチのプロパガンダで補強されたその評判は、すでに
住民(その多くは逃げ出した)をひどくおびえさせていた。希望のない闘争は1945年5月
に終末を迎えたが、ドイツ女性の厳しい試練は終わらなかった。
何人のドイツ女性がレイプされたのか?推測するとソ連圏に住んでいた人あるいは、東部
地域から追放された人の内、高い割合で、少なくとも1500万人となる。レイプの規模は、
1945〜48年の間、毎年200万の女性が非合法に妊娠中絶した事実から暗示される。
ソビエト当局が病気のまん延を心配し、敵との親交に対し、東ドイツにいる赤軍兵士に重罰
を課すようになったのは、1946年から47年の冬になってからのことであった。