91 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/21 16:52
スコップネタをまた掘り返してしまいますが、 COMECONでスコップは規制がかかっていますか? 飛行機の機内持ち込みは可能ですか? あと、鍋の代わりになりそうなのですが、そういう使用方法はあったのでしょうか? ご存じですか
92 :
AIRSHIP :03/09/22 18:35
海軍の機関兵が、磨いたスコップ(石炭用)ですき焼きを作る話が海軍グルメ話? という本に乗っていた。 軍用のスコップは、鉄板が厚いのでフライパン代わりに 成るとは思うが、塗装されているので、使い勝手は悪いと思います。 また、塗装がはげて光ったりすると時分の身が危ないので、陸軍では余りやらない のでは? その上、スコップに熱を加えて、鉄の硬度が低下すると、地面も彫れず 武器にも使えず身の破滅を招く事と成ります。
>>92 の「AIRSHIP」さんへ
ありがとうございます。
94 :
世界@名無史さん :03/09/22 20:11
バルタンがいないと軍事関係のスレは盛り上がらないな。
95 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/22 20:24
PC「コサック」の続編「アメリカン・コンクエスト」では、17,18世紀 が舞台ですが、銃は距離に応じて威力が変化し、接近した場合が当然威力が増す ので、相手を十分引きつけた状態で斉射すると効果が高い。一方、弓矢は距離 による影響がないため、威力は距離に影響しないという。弓矢の設定に多少 無理があるような気がしました。
スコップネタでひとつ。 ビルマで戦った旧日本陸軍兵士の回想で 敵と白兵戦になった折にたまたま手元にあったスコップを無我夢中で振り回したところ 相 手 の 頭 に ザ ッ ク リ 以後白兵戦に措けるスコップの有用性が現場の兵士の間では高く評価されたそうだ。
>>96 ソ連軍(ロシア軍)は白兵戦におけるスコップをいまでも重要視しているらしい。
98 :
世界@名無史さん :03/09/22 22:41
>>97 スコップを使った格闘術なんかも訓練するらしいですからな。
99 :
世界@名無史さん :03/09/23 00:45
>>99 今までの俺だとプッとか言ってたかもしれんが
ここまでスコップの恐ろしさを散々聞いた後だと
ふつーに恐ろしいな・・・・・・・・・・・・・・・・・。
101 :
世界@名無史さん :03/10/09 21:41
「ラストエグザイル」で、空気銃で斉射。 映画「パトリオット」の影響か?
バリーリンドンだろ。 パトリオット?んな糞映画知らんわ。
第1話だったかな、軍服が映画「パトリオット」にでてきた フランス軍の水色と白だったような気がしたもので。 もっとも帽子は、オーストラリア軍のマイター様式?
104 :
世界@名無史さん :03/11/01 21:32
「バリーリンドン」はいい映画だ、ただ古いのが難点だ。 「パトリオット」はいい映画だ、ただ新しいという点で。
そういえば「将棋」は「歩」が並んでいる。
ふーん
107 :
世界@名無史さん :03/12/07 03:43
l
久しぶりの1です 俺が映画をネタにしてしまい、申し訳なく思ってます これまでのおおざっぱな流れを自分なりに整理してみました 中世〜近世 重装槍騎兵が敵歩兵戦列の粉砕役だった 歩兵戦列はパイクないしはマッチロック、もしくはフリントロックの銃を装備していた 重装槍騎兵対策に生まれた、ピストル騎兵により重装槍騎兵は衰退し、軽装の騎兵が生まれた 同時に、騎兵の軽装化や大砲の進化で歩兵のパイク戦術も銃砲による戦術に移り変わった その過渡期はどうやら1600年代っぽい(これは俺の思いこみも大きい 近世〜近代 銃砲が発達し、騎士階級も没落し、国民軍の編成に入り傭兵の需要も減り始めたこのころ。 技術を必要とする弓矢よりもかねてより、そこそこの素人でも使える銃砲が重視されるようになった これは前述した重装槍騎兵の衰退も影響していると思われる。 欧州各国で自国民を兵士にする動きが加速すると、戦術のマイナーチェンジにより銃砲の価値にも注目が集まる 18〜19世紀には総力戦でないにしてもかなりの動員数を必要とする会戦が多くなり、 ほどほどに訓練すれば発砲できるマスケット兵の需要が多くなった。 そんな状況下で欧州のマスケットや単発銃は、命中精度よりも発射速度を重視した仕様に変わっていく これは16世紀に日本に伝わった火縄銃とは性質を異にする進化を遂げることになる これ以降(前後とも言えるが)欧州では、マスケットの隊列が命中率の低い銃を至近距離で発砲しあうことで 互いの戦列の士気を打ち砕き、軽騎兵の突撃で敵軍の戦列そのものを崩壊させる戦術が多くなってくる
砲兵についてはこのスレであまり扱われないし、よくわかんないので概念論だけ 砲兵はもともと攻城戦で使用されていた。(日本でも石田三成が関ヶ原で使ったのが始めてとされている それを野戦でいつから使用したのかわからないが、りゅう散弾の開発まではそれほど大きな位置は占めていなかったかも知れない 少なくとも、打撃力という面に関しては。 轟音と高速で飛んでくる鉄球は確かに戦列を組む歩兵には脅威だったかも知れない しかし、それは横隊戦術である程度回避できたであろうし、構造上精密な射撃も期待できないであろうから やはり大きな脅威としては攻城戦だったのであろう(18世紀以降欧州で大規模な攻城戦があったかどうかはともかく 大砲はこのくらいにして、近代以降の歩兵についでではあるが、19世紀半ば以降の銃器の発達、 特にライフル弾や金属式の薬夾の出現で発射速度が急激に進化したことが、戦術の転換を促す契機になったのは間違いなさそうである だが、普仏戦争、南北戦争、戊辰戦争、日清日露戦争と、前時代の戦列歩兵を意識した戦術が支配していたこの時代において、 急激に発達した小火器での犠牲者は格段に増加したと思われる それと同時に、攻撃側の決定的打撃力もまた歩兵の戦力であったのも完全否定できない。 19世紀中盤以降の欧州各国が植民地などで旧式の火器を装備した現地部族などとの戦闘で火器による圧倒的戦力差をかいま見る機会は大いにあったにもかかわらず、 攻撃戦術それ自体への改良を施さなかったのは罪であると同時に、戦車の開発を待つ他はなかった技術的限界も、20世紀初頭の不幸を避けられなかった要因だろう すなわち 第1次世界大戦の塹壕戦は歩兵の横隊戦術も、騎兵による砲兵の支援の下での突撃も無力であると知らしめた このような、歩兵の火器の強化による犠牲者増加のデキレースを抑止するには全く違う概念の兵器導入が求められるのはある意味自然な流れであったかもしれない
以上のような果てしなくおおざっぱな流れで、 戦間期〜2次大戦までに、リデル・ハート、グデーリアンによって、 イギリスやドイツで戦車運用論が唱えられ始めたのではないでしょうか。 それと同時に、多くの戦場になったフランスでは「防御戦術」が重視され、 ヴェルダンやマルヌの戦訓からマジノ戦による防御戦術に至ったのではないかと思います。 今までのレスやリンクをふまえての果てしなくおおざっぱなまとめ(らしきもの)ですんで 突っ込み大歓迎です。というか、書いた自分でも、めちゃくちゃだって思いますw
111 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/12/17 00:56
遅れてスマンが突っ込み逝くよん。
>>108 >その過渡期はどうやら1600年代っぽい(これは俺の思いこみも大きい
はい、100年前倒して1500年代になります。
>銃砲が発達し、騎士階級も没落し、国民軍の編成に入り傭兵の需要も減り始めたこのころ。
傭兵軍は騎士階級の没落と呼応して主力に成り上がっています。
傭兵が戦場の主役だった15〜17世紀の段階を省略するのは問題では。
戦列歩兵の発展にのみ焦点を絞るなら、軽く触れるだけでもいいと思いますが。
>技術を必要とする弓矢よりもかねてより、そこそこの素人でも使える銃砲が重視されるようになった
16世紀中に、鉾と弩や長弓から銃砲とパイクと砲にだいたい置き換わっています。
>欧州各国で自国民を兵士にする動きが加速すると
ナポレオン以前の常備軍と以後の徴集兵ではかなり性格や利点欠点が違うので、その区別は強調
すべきかと。
>18〜19世紀には総力戦でないにしてもかなりの動員数を必要とする会戦が多くなり、
「動員数を必要とする」というより、国民皆兵や産業革命のおかげで「動員できるようになる」とするべき
でしょう。中央集権や重商政策が進むにつれてそれ以前からどんどん大きくなっていたことも確かです。
>ほどほどに訓練すれば発砲できるマスケット兵の需要が多くなった。
パイク兵が洗浄から消えたのは、銃身に取り付けるタイプの銃剣の発明のためです。
112 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/12/17 00:56
>>109 >砲兵はもともと攻城戦で使用されていた。
発祥の地北アフリカorイベリアではそうですが、西欧で始めて大砲が投入されたのは百年戦争のクレシー
会戦であることを忘れてはいけません。三兵戦術の理論などからも、西欧では積極的に野戦で大砲を活用
していたと見るべきです。
>それは横隊戦術である程度回避できたであろうし、
すみません、煽らせて下さい。
(゚Д゚)ハァ? 藻前は冒険の電波でも喰らったか? 香具師の妄想以外でんなことあり得ねー。
横隊戦術を終焉させたのは、クリミア戦争でその威力を示したミニエ弾丸と、普襖戦争で投入されその
有効性を知らしめた後装銃です。
前者は、普遍的に使える前装式ライフル銃を実現化し、狙いを正確化したことで密集横隊を組む意味を
無くしました。
そして後者は、伏せでの装填を可能にして立ったまま撃ち合うことを無意味にしました。
>>例の170氏 書いてる俺自身が「あやしぃ」って思う部分への突っ込みありがとうございます >傭兵軍は騎士階級の没落と呼応して主力に成り上がっています。 >傭兵が戦場の主役だった15〜17世紀の段階を省略するのは問題では。 >戦列歩兵の発展にのみ焦点を絞るなら、軽く触れるだけでもいいと思いますが。 この当たりの時代設定された映画を見つけました。 ルトガー・ハウアーとジェニファー・J・リーの「地獄城の冒険」ってヤツです 典型的なB級ですが、傭兵と大砲、鉄砲の混合の戦場描写がありますた >16世紀中に、鉾と弩や長弓から銃砲とパイクと砲にだいたい置き換わっています。 へぇ・・・。すると、クロムウェルの時代の戦場はすでにある程度完成された戦術のぶつかり合いだったのか・・ 勉強になります >ナポレオン以前の常備軍と以後の徴集兵ではかなり性格や利点欠点が違うので、その区別は強調 >すべきかと。 ここはよくわかんないです。ナポレオン=国民軍の編成=士気の高い常備軍ってイメージがあります 前述の傭兵→国民軍の間の課程を無視したが為に俺のこの矛盾が発生したのかもしれませんね 170氏の言い方ではむしろ、ナポレオン以前の徴募兵の方がモラールが上ともとれますが。 いや、煽りとかじゃなくて純粋にw わかってくださいね
>「「動員数を必要とする」というより、国民皆兵や産業革命のおかげで「動員できるようになる」とするべき >でしょう。中央集権や重商政策が進むにつれてそれ以前からどんどん大きくなっていたことも確かです。 なるほど、それで会戦の動員が格段に増加したわけですね。 つまり、どっちも「イケイケドンドン」だったから。ってのも言い過ぎでしょうけど、 似たような状況だったと思えますね。 ちなみに、その皮切りはやはりナポレオンの国民軍の編成からなんではないでしょうか? もちろん、当時のフランスの徴兵適齢人口の多さもあるかと思いますが、 彼の底なしの動員力のからくりが国民皆兵にあると知った列強が続々と真似をした。とも考えられますよね? もちろん、現代的な徴兵でなくとも(イギリス海軍の強制動員みたいな感覚でも)
>パイク兵が洗浄から消えたのは、銃身に取り付けるタイプの銃剣の発明のためです。 なるほど、もともと銃器の進出でヤバメの重層槍騎兵に変わった軽騎兵、対する歩兵の密集戦術 騎兵の長い槍さえなくなりゃ、バカみたいに長い槍を持つ歩兵もいらなくなりますよねw 撃つだけ撃って、突撃してくるサーベル構えた軽騎兵には、慌ててはめたソケット銃剣(銃槍)でも なんとか太刀打ちできるって心理なんでしょうか。 日本の長槍は隊列同士でたたき合うのが多かったみたいですが、西洋の長槍はそうではないんでしょうね つまり、騎士階級以来騎兵の需要があったために(日本式で言う)騎馬隊のコストが低かったから 戦場で比較的気軽に(相対的にって意味で)騎兵の突撃を敢行できたのかもしれませんね 種馬の種類にもよるでしょうけど、それを古式銃+ソケット銃剣で排除できる環境でもあったと・・・ 重ねて、日本は山がちで平原が少なく騎兵が主力として活躍する余地も少なかったでしょうし、 実際武田騎馬軍団は動員の上でも創作の可能性が高いですからね。 鉄砲という新兵器の需要が高まりつつも、ヨーロッパにおける決戦兵器の騎兵が有効活用できなかったために、 長槍が生き残ったのかもしれませんね
>発祥の地北アフリカorイベリアではそうですが、西欧で始めて大砲が投入されたのは百年戦争のクレシー >会戦であることを忘れてはいけません。三兵戦術の理論などからも、西欧では積極的に野戦で大砲を活用 >していたと見るべきです。 言われてみればそうですね。そうでなきゃ、野戦での砲兵の地位はゼロに等しいですから いわば、「野戦でより有効な」砲兵を目指して留散弾が開発されたのかもしれませんね >それは横隊戦術である程度回避できたであろうし、 すみません、煽らせて下さい。 これについては語弊が少々w 転がりまくる砲弾を避けるために50名3列横隊ができたと思うんですが。 というのも、伝記で見かける単発銃の効率的発射の為の3列(長篠の戦い)とかではなく、 転がる砲弾で後ろの列までも損害を受けるのを避けるために考案されたのが3列の横隊と聞きます 欧州では野戦で大砲が用いられていたために、その損害を押さえるために縦3列の隊列になったと本で読みました。 以後の3列の横隊の歴史については、170氏の説に反論の余地もありませんが、 いや、読み返すと俺の言葉足らずのせいですねw
補足でスマソですが 徴募兵=ヴェルバラででてきた、オスカルが左遷される「警備隊」みたいな感じかな? イメージ的にぱっとその辺が思い浮かびましたw
118 :
世界@名無史さん :04/01/16 04:34
勝てばよかろうなのだぁぁぁ−−−
1=例の170
ageとこう 読み返すと支離滅裂っぽかった
121 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/21 00:25
ああ、待たせてスマソ。筆が進まなくてな…。
>>113 >ここはよくわかんないです。
フリードリヒやルイ14世などの常備軍は、傭兵制(カンパニー)を源流に持つ国王の私兵集団です。
貧民階級から集められた傭兵や、強制的な徴募によりかき集められた民衆からなります。
利点としては、弛まない訓練により、高い装填/発射の速度、急な旋回などの複雑な部隊運動。そして
生産階級を傷つけない、つまり戦争でいっぱい兵が死んでも国力を損なわないという事です。
フランス国民軍は、愛国心と自尊心を持つ徴兵軍です。
その利点は、その士気の高さから常備軍では考えられないほどの無茶な行軍や行動が出来ます。
以前の横陣を含む密集陣には歩兵が混乱して潰走したり敵前逃亡するのを防ぐ意味もありましたが、
国民軍にはそれが不要だったので、散開隊形など各兵員の自発的な戦闘行動を頼りにすることも出来る
ようになりました。
あとは、数をとにかく揃えられることですね。
>>114 まずは誤解があるようですが、国民軍を編成したのはナポレオンではなく、フランス革命政府です。
ナポレオンは国民軍の特性を良く理解し、それの特性を最大限に生かした戦術を採ったことで国民軍の
強さを知らしめ、ヨーロッパ中に国民軍を広めました。
つーか漏れの「ナポレオン以前の常備軍」からして間違ってましたな。スマソ。
>>115 >騎兵の長い槍さえなくなりゃ、
いや、イギリスではナポレオン戦争までは廃止してたそうだが、ランスと胸甲で武装した重騎兵は別に
いなくなってないぞ。銃に取り付けたバイオネットの長さは2mにもなる。歩兵を圧倒するにはツライが
騎兵を威嚇するなら十分な長さ。
>>116 >転がる砲弾で後ろの列までも損害を受けるのを避けるために考案されたのが3列の横隊と聞きます
ああ、漏れはマウリッツ公の横隊戦術は火力を前面に集中するため、と捉えてたが、そういう考え方
もあるんね。
>121 ナポレオンの時に見られた散開隊形は、 戦争の形態が、砲撃や銃撃になったことが影響するのではないでしょうか?
123 :
世界@名無史さん :04/01/21 17:46
>>122 散開隊形を取る軽歩兵戦術は以前から重要視されてましたが、それなりの士気と錬度を
持つ兵士でないと務まらないので、金銭&強制徴募でロクな人材が集まらない軍隊では
したくても導入出来ず、国民皆兵の士気の高い軍隊でようやく導入できたと、そんな
感じじゃないかと思います。
よって戦争形態の変化よりも、国家システムの変化による兵士の質の向上が大きな要因
だと思います。
散兵といえば、アメリカ独立戦争時の大陸軍で、民兵が行っていたイメージが強い。
>>121 なるほど、国民軍の編成よくわかったっす
槍騎兵ですけど、「ワーテルロー」でフランスの槍騎兵出てきてましたなw
>>124 そのイメージ強いですよね
126 :
世界@名無史さん :04/02/03 11:13
ナポレオン戦争時代の戦列歩兵のあの、お互いが立ったまま交互に一斉射撃する戦いって 敵味方の距離が平均何メートル位で行われてたのですか?
127 :
AIRSHIP :04/02/03 21:03
>>125 敵の白目が見えてから撃てと云われていましたので、凡そ50mぐらいではないでしょ
うか
>>126 >>89 のリンク先で射程及び命中精度の比較が載っていたような・・・
70歩前後って話も聞いたことあるけど、それでいくと
>>150 氏の言うとおり、
だいたい50m程ではないんでしょうか?
129 :
世界@名無史さん :04/02/11 15:59
あまり戦列を組まない罠。
火力を重視するために横隊になったのです。 縦隊は移動が楽だが(基本的に前の兵士にくっついていけばいい)、列数が多すぎて火力を発揮できるのは前3列ぐらいまで。 対する横隊は全員が射撃できたので火力が違う。 特に、イギリス軍の2列横隊は同じ戦力でも横隊を敵側面に延伸させて射撃することができた。
132 :
世界@名無史さん :04/03/04 23:54
めちゃひさしぶりの1です。 今度公開される「マスター・アンド・コマンダー」ってこの時代の映画っぽいですね。 戦列歩兵はあんまり出てこないですが、海軍のノーガードの殴り合い的砲撃戦とか出て来るんですかね? ちょっとわくわくしてますw
>>132 というのはあれだけど、戦列歩兵はでてこないけど至近距離で砲撃し合ってみたり、海兵隊の射撃が有ったり。
萌え〜なツボは押さえてます。
エビとカエルの殴り合い!マチュリンおまいさんはブラックジャックかyo!(藁とか
細かい事言うとMaster and Commanderはオーブリーの1巻のタイトルで航海長兼海尉艦長って事だけど
10巻のThe Far Side of the Worldではとっくにちゃんとポストキャプテンなんですが(w
なんで映画のタイトルを1巻のに下んだろう?
そういう細かい突っ込みと映画会社の酷い仕打ちで間違って見に来ちゃった何も知らない客の反応の悪さとかあるけど
それを抜きにしても楽しいですよ。
てか帆船スレにどうぞ(w
134 :
世界@名無史さん :04/03/31 11:59
18世紀頃のテキダン兵って何メートル位まで手榴弾を投げれたんですかね? 砲丸投げの元ネタは、テキダン兵との噂がありますが・・・
あの、何でわざわざ、「砲丸」投げ、を謳ってるのか考えて見られては。 グレナーディアが投げてたのは、「手榴弾」じゃないですよ。
グレナーディアって爆発物を投げつけてたんじゃないの? ほんとに砲丸なげてたの?
とりあえず、砲弾の類には時限信管も火縄も付いてないと記憶してるし、火縄付きの 投擲用爆薬を手榴弾と呼ぶのが不適切なのかどうかは俺には分からない。
保守も兼ねて。 「サハラに舞う羽」見ました。どっかで書かれていた方陣萌えましたw マフディの乱って1880年だか90年だったと思うんですが、英軍がまだ赤いんで 19世紀末期くらいってのはわかりました。 で疑問ですが、映画にもでていたんでよくわかるんですが、英軍はすでに後装式ライフルを採用し、 装填速度も命中率も格段に上がっているのに、マスケット兵時代のような方陣を組んでいました。 やっぱ当時の植民地に派遣された部隊はやはり、横隊だけでなく方陣も活用していたんでしょうか? たしかに、砂漠の民族の騎馬集団には中央の重火器や物資を守るのには適しているように思えましたが、 前方に遮蔽物を構え、機関銃、ガトリング砲などで前面を固めた戦術の方が損害を減らせるんでは?って思いました。 マフディの乱あたりとボーア戦争では時代がちょっとだけ違いますが、この辺どうだったんでしょう・・・ それとも、近代的火力戦術的な防御戦術も方陣に加えて当時は活用されていたのでしょうか 久しぶりに厨な書き込みですがw
>138 サハラに舞う羽根自分も見ましたよ 内容のほうは・・・な出来でしたが。 1さんが言っている方陣についてですが、まず方陣が守備的な陣形で あり騎兵の突破力相殺するのに有効な陣形である事を理解してください。 1さんが仰ってる様に機関銃や大砲があり火力で敵を圧倒できるのであれば 間違いなく横隊戦術を採用するでしょうし実際1898年のオムドゥルマンの戦い では火力でダルウィーシュ軍を圧倒しました。 しかし相手より兵力や火力で劣る状況では硬直的な横隊戦術では柔軟な行動が取れず 騎兵突撃に脆いだけでなく後ろに回り込まれる可能性すらあります それに比べ方陣は敵に背中を見せる事がないので後ろに周り込まれたりすることもなく 第一陣を騎兵避け(銃剣を突き出し馬の足を突く)第二陣以降が敵に発砲すると役割が 決められるので効率よく騎兵に対処できます。 以上からもあの状況で方陣をくんだ事は至極妥当だと思います。 それより赤っぽい服を着た騎兵が近づいただけで方陣を解いた 事の方が問題なような・・・。
140 :
世界@名無史さん :
04/05/16 00:24 age