1 :
世界@名無史さん :
03/06/30 19:26 百年戦争を語るスレです。 イギリス・フランスのみでなくブルゴーニュについても語りましょう。
2 :
世界@名無史さん :03/06/30 20:38
当時ブルゴーニュって、フランス王権に匹敵する力あったんでしょ?? 百年戦争って、英仏戦争ってより、仏の国内戦争の側面強くない?? どのみち、英に仏全土掌握することなんて、不可能だったんだし。 ブルゴーニュと仏王権が手打ちして、戦争が終結にむかったんじゃ なかったかな。 このブルゴーニュから、仏の大敵ハプスブルグ帝国が生まれるんだしね。 (なぜかブルゴーニュ本領はハプスブルグ領にならなかったけど)
(;´Д`)ハァハァ
4 :
世界@名無史さん :03/07/01 23:13
百年戦争= ドイツの人口が3分の1になった、ヨーロッパ史上最悪の戦争。
5 :
世界@名無史さん :03/07/01 23:19
>4 そりゃ、三十年戦争でんがな
6 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/01 23:22
私はフランスが大好きだ。だから一度に五人十人のフランス国王を見たい。byシャルル猪突公 あんたはチャーチルかい。
7 :
世界@名無史さん :03/07/01 23:39
ジャンヌ・ダルクが活躍した戦争ですな。
8 :
山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/01 23:46
>>7 彼女が一番有名というのも・・・なにか違うというかおかしいというか。
エドワーズブラックプリンスが活躍した戦争ですな。 というほうが歴史通っぽく聞こえる
ジル・ド・レが活躍した戦争ですな。 というほうが歴史オタっぽく聞こえる。
12 :
世界@名無史さん :03/07/03 20:12
Bull剛にゅ
13 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/04 22:52
本当に百年戦争を終わらせた英雄は、リッシュモン大元帥なんですけどね。 パリを奪還したのも、ノルマンディーを取って、完全にフランス軍を優位に導いたのはこの人なのに。
要はトロアの和約でしょ。
15 :
世界@名無史さん :03/07/06 13:15
16 :
世界@名無史さん :03/07/11 21:16
17 :
世界@名無史さん :03/07/11 21:42
ギルガメスとバララント この二つの星系は 原因も定かではない戦いを、百年も続けていた。 はじめは局地戦が続いていたが、 俺が志願する頃には戦線が拡大し 二つの星系に属する、二百余りの惑星が戦火に巻き込まれていった。 俺は戦った。 始めは生まれ故郷メルキアのためと信じて戦った。 だが、戦いは長引くばかりで、 終わりがなかった。 俺は疲れた。 誰もかれもが、疲れていた……
ガリアンじゃなくてダグラムじゃなくて…なんだっけ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
走行歩兵スコープドック
100年戦争というとジャンヌダルクしか思いつかない俺
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
25 :
世界@名無史さん :03/07/18 12:26
百年戦争をイギリス側から見たときの意見を誰か語ってくれませんか? もしくはその関連のHPを教えていただけたら嬉しいです。 どうかよろしくお願いします。 因みに1時までに教えて欲しい…
26 :
世界@名無史さん :03/07/18 12:36
age
27 :
世界@名無史さん :03/07/18 12:42
28 :
世界@名無史さん :03/07/18 12:43
>>27 いやいや、この板にいるの厨房ばっかだろ?
てかお前も厨房か(プ
29 :
世界@名無史さん :03/07/18 19:42
イングランド側からみれば結局戦費の捻出に汲々した戦争じゃなかったのかな。 課税の可否についてパーラメントで諮るわけだけど、賛同が得られないので 国王は何らかの妥協せねばならず、その結果国王の権限が制約されて議会の 発言権が強くなっていったという流れなのかな? 国王による新税・増税 -> 都市や領主の反発 -> 国王の無制限な権限を制約 間違ってそうなんで、誰か突っ込んで(;´Д`)
30 :
世界@名無史さん :03/07/18 20:00
この時代はペストが流行って、両国が疲弊したね。
31 :
世界@名無史さん :03/07/20 21:54
イギリスはブルゴーニュとの同盟を解消したのが痛かった。
イントロダクションぎぼんぬ
>24 コロスぞてめえ。
35 :
世界@名無史さん :03/07/21 14:25
イギリスから見た百年戦争・・・ シェイクスピアのヘンリーシリーズはどう? ジャンヌダルクも出てくるけど。
36 :
世界@名無史さん :03/07/24 21:55
保守。
ヘンリー5世とエドワード黒太子とジャンヌダルクしか思いつかん
39 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/09/12 23:44
百年戦争初期における英軍の快進撃の原因は、たいていイングランド長弓兵の強さとフランス騎士の戦術の まずさに求められているけど、考えてみれば英軍は、ずっとウェールズやスコットランドで激戦を続けてたん だよね。つまり戦いのキャリアが全然違ったと。
40 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/09/14 01:14
百年戦争のイメージ 百年戦争と言っても戦っていない年も結構あって、 フランス側の最大動員数も2万5000を越えた戦いがない とかいう話もあったような。 今なら本屋に「百年戦争」フィリプ・コンタミーヌ 白水社 クセジュ文庫 が売っているはず。
オレは某小説の影響でベルトラン・デュ・ゲクランに興味をもったので 百年戦争時の事をかいた本を少し読んだりしたが、ジャンヌダルクや黒太子はでてくるのに おめあてのゲクランの描写がなくてガッカリした。 小説は大袈裟にえがくものとわかってても期待しちゃったよ。
>41 佐藤賢一は一次史料をバリバリ読みこなして、それをネタに小説書いてます。 ので、>41も頑張ってフランス語を身につけてパリの国立図書館に半年くらい篭れば、 お目当てのゲクランについて好きなだけ読めるはず。
「百年戦争」の本を読んでいても、ゲクランが登場することは まずないですね。小説読んでいて初めて存在を知ったぐらいですから
44 :
世界@名無史さん :03/09/18 09:33
>>41 私もそうなんだけど、おフランスでは英雄なんでしょ?
黒太子はそういう名前の試作戦車もあったような。
しつもんです 100年も戦争やってる間、 ドイツとかスペインとか、隣国の干渉はなかったんですか?
>>44 たしか実績としてはジャンヌダルクより上で
王家しか入れない墓地に唯一入ってるとか
なんか凄そうではあるんだけど、ここまで描写がないとさみしいね。
>>42 そういえばサトケンは東北大学大学院でヨーロッパ中世史学んでるんだよね
4流大学で第二外国語が中国語の自分には無理です‥。
いつの間にか世界史板にサトケンのスレがたってる
嬉しいけど長続きするかなぁ。
>>45 フランスの求めに応じたローマ教会の介入や、ナバラとの争いがありましたが、干渉っつーか、
むしろイベリアなんかでは介入する側でした。
1165〜1169カスティーリャを巡る争いで仏は勝利し、そして仏は強力なカスティーリャ海軍を
味方に付けて一気に巻き返しました。
ドイツやイタリア半島に関しては、特に聞きませんね。
>>47 回答感謝
1365〜1369の間違い…… ですよね?
.
>>48 || ⊂⊃
|| ∧ ∧
|| ( ⌒ ヽ はい、1365〜1369の間違いですた。
∧||∧ ∪ ノ
( ⌒ ヽ 彡 V
∪ ノ フワーリ
∪∪
50 :
世界@名無史さん :03/10/10 08:25
age
51 :
世界@名無史さん :03/10/10 09:32
オルレアンファンです。
52 :
世界@名無史さん :03/10/10 21:27
リュック・ベッソンの「ジャンヌ・ダルク」で、ジャンヌの姉が 登場するのですが、ジャンヌに姉っていたっけ?
53 :
世界@名無史さん :03/11/08 06:48
age
54 :
☆ ◆star/bMmlk :03/11/08 10:56
55 :
世界@名無史さん :03/11/08 13:38
すみません、青さん百年戦争の詳しい経緯を教えてください。 自分も、黒太子とジャンヌと青ひげ(変態だったというのは、カトリック教会の中傷もあったとか)位しかしりません。 リッチモン大元帥って誰? あとサトケンの小説はむかつきました。(だって黒太子ボロクソなんだもん。)
56 :
世界@名無史さん :03/11/08 13:42
×リッチモン大元帥 ○リッシュモン大元帥 間違えてすみません
百年戦争といいつつ毎年戦いがあったわけでもないすかすかの戦争。
58 :
☆ ◆star/bMmlk :03/11/23 00:01
>>57 そうですよね。
病気やら内紛とかもあったし、
その頃の冬は寒いから
戦闘なんかほとんどやってなかったし。
それにひきかえ、30年戦争となると地獄だ…
あれは、ダラダラの戦争。
61 :
世界@名無史さん :03/11/24 17:58
佐藤賢一の「英仏百年戦争」(集英社新書)読んだ?
おまいらお目当てのデュ・ゲクランもジャンヌダルクも黒太子もわんさか出てきて
結構お腹一杯になるんですが。
>>25 イギリス人にとっては、あの戦争はトロワ条約で終結した戦争で、
イギリスの勝利で終わった戦争という認識になっているそうな。
62 :
世界@名無史さん :03/11/24 18:45
マイケル・クライトンの「タイムライン」てどう?
116年戦争ね
64 :
世界@名無史さん :03/12/03 18:19
65 :
世界@名無史さん :03/12/13 17:06
ランカスター朝フランス王国萌え。
ジャンヌは他の本にいっぱい出てるから、いまさら感があるのか?
67 :
世界@名無史さん :03/12/13 17:32
>61 プランタジュネ家の英王は元々フランスの豪族でイングランドは数ある所領の 一部でたまたまそこの領主が王号付き、ってだけで百年戦争はフランス内戦 ってのは今更ながら改めて認識した。
ポワティエで英の重装騎兵の突撃を防ぐ術は 下馬騎兵や歩兵には有ったのかと言う事だが 乗馬騎兵の残りが有るなら其れで英の重装騎兵を防げば良かったかも知れぬが 仏の騎兵は全て下馬していたのだろうか アジャンクールで雨が降らなければ 英軍も病気で撤退中だった事も有り 英軍が負けた可能性も有るのだろうか 英軍を撃退したゲクランの使った戦術と言うのが良く解らないが ゲリラ戦の様な物なのだろうか
市街地が敵に侵攻された場合 市民は城の中に避難した場合も有る様だが 城の規模を考えれば全員等が入れる訳も無いだろうし 市民等入れれば食料も無くなる訳だろうから 援軍や敵の撤退等を当てに出来ず 食料が減っては問題である状況であれば 市民は城の中に入れなかった可能性も有るだろうが 城の外部の食料を持ち込めばどうなのだろうか (下手をすると食料のみ味方の兵に奪われて 市民は出されるか殺される危険も 有ったと言う事だろうか)
70 :
世界@名無史さん :03/12/13 19:16
プランタジュネ家(アンジュー伯家)の出自は一体何? カール大帝か誰かにアンジュー地方の統治を任された官人?
72 :
世界@名無史さん :03/12/14 07:23
>71 ども。ありがとうございます。 一生懸命読みました。 アンジュー家はカロリング期に成立し、 カペー朝成立に尽力した家門ということですな。
73 :
世界@名無史さん :03/12/16 15:41
フランス王国が半ば独立した立場の公・伯など諸侯で分権状態だったのと同様に 各公領、伯領内でも半ば独立した城主で分権状態。公の権力が比較的強く、 公領の統一性が保たれていたノルマン公がドーバー海峡の向こうに押し出せて行けたのは 分かるが、伯領内の分権状態が進み、領主権が脆弱だったアンジュー伯が「アンジュー帝国」なるものを 築けたのは単にケコーン政策の賜物なのかな?
74 :
世界@名無史さん :03/12/17 09:51
「皇帝がいるからローマ帝国」というようなことをサトケンさんは書いていたが、 ローマ「帝国」はヘゲモニーくらいの意味じゃなかったのかなあ
75 :
世界@名無史さん :03/12/29 18:14
オルレアンの解放を扱ったシミュレーションゲームないのかなぁ。 無ければ自作したいんだけど、漏れの頭じゃ当事の兵器の戦力評価とかできそうにないYO!
76 :
世界@名無史さん :03/12/30 18:21
デュ・ゲクランの家系はその後どうなったんでしょうか。 その後の歴史にはデュ・ゲクランという名前を見かけないし。 ロアン=ゲメネ公爵家の家系図にカトリーヌ・デュ・ゲクランという名前を発見したんですが。
77 :
世界@名無史さん :04/01/26 23:41
佐藤賢一の「英仏百年戦争」は、舞台が中世にもかかわらず、 ナショナリズムや国民国家という言葉を連発していて、少し引いた。
>77 誤解を招く書き方だな。 そういうナショナリズムや国民国家は百年戦争開始の時点では まだなかった、百年戦争を経験してようやくそれらの萌芽が 英仏にみられるようになったのだ、というのがその本の趣旨。
サトケンはハッタリかましすぎやろ。 「イギリス人は百年戦争に勝ったと思いこんでいる」にしても、 単に「イギリスでは「ヘンリー5世」が未だに愛読されている」に過ぎなかったりするし。 オビの「日本初の(唯一の)百年戦争の通史」(だったか?)も上げ底気味。 同じ新書なら、クセジュの「百年戦争」の方が標準的だし、もっと読まれてもいいんじゃないの。 著者フィリップ・コンタミーヌは中世軍事史の大学者だし。
>>78 確かに、結びの部分でそのような書き方をしているし(「国民国家の歴史」)、
従来の歴史叙述に疑問に呈している部分は、別に目新しくはないが同意できる。
しかし、本文中には、
「ナショナリズムの萌芽が見られた〜」はまだしも、
「ナショナリズムが熟成していった〜」などという表現が見られる。
かりにも歴史叙述について云々するのであれば、
ナショナリズムなどという誤解を招きやすい言葉は安易に使うべきではないと思うのだが。
ま、俺は楽んで読んだけどね。
81 :
世界@名無史さん :04/01/31 12:14
とりあえずブルゴーニュ候国をこさえたのは、最大の過ちだな
こさえたというか、できちゃったというか。 とりあえずフランドルは直轄領にできなかったのかな
>フランドルは直轄領にできなかったのかな どっちの?
>>45 ,47
ドイツは干渉しなかったけど、英仏間抗争の影響受けて
一四世紀末に国王を廃位しちゃってるよ。
もちろん、英仏間抗争だけが原因じゃないけどね。
基本的には、我関せず、がドイツ(帝国)側の基本政策じゃないかしら。
>81 当時のフランス自体がバラバラの諸侯連合体だったんだ。 もともと実質的に存在したのが、表に出てきただけだと思うぞ。 フランドルについては直轄なんて夢のまた夢だろ。 そんな統制力が当時の宮廷にはない。 イギリス軍との天秤にかけられ、骨までしゃぶり尽くされる可能性大。 下手すりゃしたたかに名前だけ利用され、 直轄領にするつもりが、単なる売り物にされるだけという 笑えない話になる可能性も……。
86 :
世界@名無史さん :04/02/27 08:22
age
87 :
世界@名無史さん :04/02/28 01:30
>>84 1338年に神聖ローマ皇帝ルドヴィヒはエドワード三世を皇帝の代理人に指名して、諸侯に対してエドワード三世に協力するよう命令してるニャ。
>>41 "Strategy"
by B. H. Liddell Hart
(「戦略論」日本語訳もあったが、今は入手できないと思う)に
デュ・ゲクランが有能な戦略家として紹介されていた。
ちなみに、リデルハートはクレシー、ポアティエ、アジャンクールの戦いは
イギリス側の戦略的失敗寸前だったが、フランス側がそれを上回る
失敗をしたため、イギリス側が救われたと述べている。
つまり、フランスが応戦しなければイギリスはなんの成果もあげられずに
戦費の無駄使いで終っただろうと。
# 実際エドワード3世は財政破綻寸前だった。
イギリス人の側からこのような意見が出されるとは珍しい。
89 :
世界@名無史さん :04/03/05 21:33
ゲクランの結婚の話が、下の本にあるニャ。 ギー・ブルトン,フランスの歴史を作った女たち第1巻,中央公論社,1993,pp.312-316 ゲクランはけっこうウブだニャ。
90 :
世界@名無史さん :04/03/05 22:39
エドワード三世はホントに金に困っとったみたいだニャ。 年収三万ポンド程度しかないのに1339年には借金の総額は少なくても三十万ポンドに達していたニャ。 だから、1338年2月にイギリスの商人達を羊毛貿易の独占を餌にだまくらかして、がっぽり儲けたみたいだニャ。 ドルトレヒト事件と言われたこの事件で出された債務証書はゼンゼン信用されなくて、表示金額の百分の一から二百分の一の価格で取り引きされたみたいニャ。 1345年1月にはバルディとペルッチのイタリアの二つの商会もエドワード三世に金を貸しまくったあげくに踏み倒されて破産してるニャ。 踏み倒された額はバルディが十三万八千ポンドで、ペルッチが九万二千ポンドだニャ。 これだけ無茶しても金が足りなかったみたいだニャ。 なにせ、ドイツや低地地域の諸候に払う予定の金だけで約二十三万ポンドになったニャ。 ドイツ皇帝に払う額だけでも六万ポンドに達してるニャ。 戦争は金がかかりすぎルンだニャ。 桜井清,イギリス・ステープル制度の史的研究,白桃書房,1974,pp.143-191 ed.m.m.postan & e.e.richm, the cambridge economic history of europe vol.3, cambrige, 1963,pp.459-461
サトケンが黒太子をケチョンケチョンにしてるのも納得がいくな・・・
>なにせ、ドイツや低地地域の諸候に払う予定の金だけで約二十三万ポンドになったニャ。 >ドイツ皇帝に払う額だけでも六万ポンドに達してるニャ。 最初の数年は、 「低地諸地方で仲間を増やそう」作戦 とっとるからね。 (けどこいつらタダ飯ぐらいで働かん。) そんで40年代からはしだいに略奪行(chevauchee)戦略と、 現地委任・代理戦争方式(ブルターニュやアキテーヌ)中心に移行していく。
93 :
世界@名無史さん :04/03/05 23:44
>>88 >イギリス人の側からこのような意見が出されるとは珍しい。
そうでもないんと違うか?
「戦術一流、戦略三流」というエドワード3世評は、
二世代ぐらい前まではイギリスでも通説と違う?
あとリデル・ハート(というか彼の世代)は基本的に中世に興味ない人やろ。
Strategy でも中世カバーしとるの7pぐらいやしな。
実は今、standard、とも、monumentalとも表される百年戦争に関する決定版通史が 刊行中なんだけど、(一冊が700p近くもあるというのに)1328年から語りはじめて 第二巻の終わりでやっと1369年、という進行状況なので、これじゃ完成するまで、 それこそ百年かかるんじゃないだろか?(第一巻が1991年、第二巻が1999年、 完成すれば最低六巻から七巻か?)。知ってる人も多いだろうが、 Sumption,Jonathan:The Hundred Years War I & II:Univ. of Pennsylvania Pr. がそれで、(1369年までの分までしか出ていないにもかかわらず)さすがにこれには ゲクランについてもかなりかなり記述されているようだ。「ようだ」というのは、 あまりの厚さにめげて、今まで一度も中身を覗いていなかったからだが(笑)、 後ろのインデックスを見ると相当の箇所で触れられている。 本自体はペーパーバックで安く買える(一冊3000円台前半?)ので、興味がある人は 入手して、通読しないまでも(するに越したことはないが)好きなところを拾い読み して楽しんでみては?読むとしても私はもっぱら後者だろうな(苦笑)。
>>92 >最初の数年は、
>「低地諸地方で仲間を増やそう」作戦
>とっとるからね。
低地諸地方はフランス侵攻の拠点になるばかりでなく、当時経済的にも
ヨーロッパ有数の先進地帯だったから、低地諸地方をイングランドの
影響下におけるならまあ見あった投資といえるのではないかな?
クルトレー(1302)
カッセル(1328)
の戦いでフランス騎士軍とフランドル歩兵の衝突あったことから
あながち見当はずれとはいえまい。
>そんで40年代からはしだいに略奪行(chevauchee)戦略と、
これは他に選択なかった事情があったらしい。
ノルマンディーまでエドワード3世の軍隊を運んできた船が
かなり(許可なく)帰国して、本国との連絡を絶たれたため、
やむを得ず陸路をフランダースへと向かったということ。
#金欠かね。
クレシーでフランス側が戦闘に持ち込むのではなく、エドワード3世の
軍隊の進軍を妨害するだけでもこの遠征を失敗に終らせた可能性がある。
96 :
世界@名無史さん :04/03/06 03:24
>>94 我が輩もその本を読んでみたいニャ。
当然、拾い読みするだけだけどニャ。
厚さの割に安いみたいだニャ。
これなら、ガッコの図書館にも入ってるかもしれないニャ。
だけど、1冊出るのに8年近くもかかるなんて、待ちきれないニャ。
>>96 そうだねえ、猫氏(かってにこう呼んで悪いが)は英語に堪能そうだから
是非入手されてはいかがだろうか。
文章も(最初の10pぐらい読んでみた感想では)大河小説の始まりみたいに
荘重でありながらも明澄でむしろ読みやすい。
2ch風に言えば「名著のヨカーン」というのがひしひしとするよ。
しかし、著者は、A Former History fellow of Magdalen College,Oxford
と紹介されてるけど、第一巻の顔写真からして中年もいいところで
このペースだとジャンヌ・ダルクまで行くかな?
という不吉な予感も(苦笑)。
>Sumption,Jonathan:The Hundred Years War I & II:Univ. of Pennsylvania Pr. 確かにこれはええ本やね。 >大河小説 著者も言うとるとおり、narrative history(物語風歴史)いうやつやから、三国志的面白さがある。 漏れも時間切れの予感するけど、とりあえず敢行済みの分まででもエドワード3世の栄光と挫折の物語として読めるんよ。 あと普通パ・リーグ扱いされとるブルターニュやアキテーヌ戦線も詳しく(詳しすぎる?)書いとるのがメリットやね。 ただいかにも大著過ぎて、特に日本人にはジャングルに迷い込むの感が・・・ Christopher Allmand, The Hundred Years War,revised edn, Cambridge UP,2001 とかと併読した方がええんやろね。 3巻は、多分シャルル5世〜デュ・ゲクラン戦争がテーマになるはずやけど、 そろそろ出てもおかしくはないんやが・・・
>>95 Chevauchee戦略いうのは1346年のそれだけやのうて、
100年戦争全体、少なくとも前期百年戦争の時期を一貫して貫いとるイギリスの戦略やね。
これは、イギリスの戦争目的とも関わるポイントやけど、
やっぱアキテーヌをめぐる封建的主従関係の整備やろ、究極は。
交渉によって有利な条件を引き出す。そのためには相手に嫌がらせをし消耗を強いて厭戦気分を募らせる。
もちろん、選抜した少数の精鋭しか投入しなければ支出を押さえれるし、
お宝満載して来れば収入もウハウハちう軍事財政上のメリットもあったやろうけど。
(あともう一つ。英軍にはいわゆる長弓戦術いう切り札があったから
いざちゅう時にはケツまくって会戦に持ち込める強みがあった。)
ただ、1346年戦役については、英軍は当初ノルマンディー西部の領有化を目論どったいう説はあるね。
>クレシーでフランス側が戦闘に持ち込むのではなく、エドワード3世の >軍隊の進軍を妨害するだけでもこの遠征を失敗に終らせた可能性がある。 これはその通りやけど、 例えば、クレシー・キャンペーンでも仏軍は英軍の渡河を再三妨害しとるのよ。逃げられたけど。 フィリップ6世も言われとるようなアホやないから会戦の危険を重々知っとたしな。 ただこの手の戦争はガマン大会やからね。 「なんで決戦せんのや?」いう親の心子知らずな強気発言が高まると押さえきれんかったんと違うか? 逆に言うと、騎士道風ヒロイズムには無縁のうらなり青びょうたんなシャルル賢王やから フェビアン戦術を貫徹できたんやろね。
>>95 「仲間を増やそう」作戦の問題点は、財政がパンクする他にもあって、
それは、必要以上に味方が集まりすぎて相手が警戒するいう点やね。
典型は、1939年のラ・カペルの対陣。
この時おそらくエドワードは「一撃講和」を狙ったんやろうけど、
警戒したフィリップ6世は乗って来いへんかった。
・・・それやこれやで低コスト・ハイリターンの方法を工夫してったんと違うかな?
>低地諸地方はフランス侵攻の拠点になるばかりでなく、当時経済的にも
>ヨーロッパ有数の先進地帯だったから、低地諸地方をイングランドの
>影響下におけるならまあ見あった投資といえるのではないかな?
これはそのとおりなんやけど、ただ100年戦争と低地諸地方の関係はいまいちわかりづらいとこがあって、
たとえばあそこは百年戦争中意外にもほとんど戦場になっとらへんのよ。
特に最重要地のフランドルは、しばしばその「領有」が、100年戦争の原因やと言われる割には、
英軍の直接介入は、1340年代初頭と1380年代初頭に限られとる。
(どっちも、反伯権力の市民勢力を後押しして・・・紆余曲折あるが、結局失敗。)
いまいち理由はわかりかねるんやけどね・・・
>>99 >Chevauchee戦略いうのは1346年のそれだけやのうて、
>100年戦争全体、少なくとも前期百年戦争の時期を一貫して貫いとるイギリスの戦略やね。
ヘンリー5世は、アジャンクールの戦いの後は、攻城兵器の発達の助けも
あってノルマンディー領の占領統治に向かいますね。
戦略面ではアジャンクールの戦いは自滅寸前だったところを
フランスの直接攻撃で救われた面もある。
Chevauchee戦略は、相手側がフェビアン戦略とると無効になったのでは?
>選抜した少数の精鋭
というのと
>お宝満載して来れば
は矛盾する要求ではないかな?
# お宝満載した輸送部隊が必要。
>>102 >ノルマンディー領の占領統治に向かいますね。
そうやね。ヘンリー5世は本気に「征服」を考えたおそらくは唯一の英側指導者。
>戦略面ではアジャンクールの戦いは自滅寸前だったところを
>フランスの直接攻撃で救われた面もある。
ヘンリー5世ヤケクソ説はかなり当たっとるやろね。
ポワティエでも黒太子は「見逃して下さい、勘弁して下さい」言うとるしね。事前交渉で。
いわゆる三大会戦が英側の本意でなかったいうんはそら本当やろね。
>Chevauchee戦略は、相手側がフェビアン戦略とると無効になったのでは?
シャルル5世はいわゆる「堅壁清野」の策を積極的にとりよったし。
(実は、1360年代ぐらいからフランス主要都市の城壁化(修復・補強含めて)が進む。)
あと、ブレティニー・カレー条約ででかくなりすぎた英領土に、
デュ・ゲクランは逆にChevauchee戦をしかけたわけやね。
まあ、イギリスは攻守両面のフェビアニズムにやられた言うか・・・
># お宝満載した輸送部隊が必要。
そうやね。ちょっと調べたら、1355年黒太子の南仏略奪行で、
英&ガスコン軍8000人にカートが1000台。
まあ、ポワティエ戦みたいにいざ戦闘になるちうと、
いかにしてお宝を逃がしてやるかは大問題になるわけやが。
けど太子直卒でも万を切る言うんはスリム化と言えるんやないかな?
Chevauchee戦は実際にはもっと格下の将軍による小部隊でようけ行われとるしね。
>>103 >まあ、イギリスは攻守両面のフェビアニズムにやられた言うか・・・
フェビアニズムで連想するのは第2次ポエニ戦争。
ハンニバルはローマ軍に会戦では無敵だったが、フェビアン戦術に翻弄され、
イタリア内に根拠地を得られずに終った。
# 最後はスキピオとの会戦でも敗北したが。
百年戦争と第2次ポエニ戦争との違いは、ローマ側は敗北にも拘らず、
(一部をのぞき)結束を崩さなかったが、百年戦争ではフランス側の
内部分裂があって長引いた。
# シャルル6世の発狂なければ、最初の40年で終っていたでしょうね。
まあ、百年戦争後にはイギリスで内戦起きているわけだが。
105 :
世界@名無史さん :04/03/31 16:23
アルテュール・リッシュモンが活躍する本って 有りませんか? 彼の信奉者なもんで
106 :
例のにゃあにゃあ :04/03/31 21:39
>>105 ジャン=ポール・エチュヴェリー,百年戦争とリッシュモン大元帥,河出書房新社,1991
なんか、どうかニャ。
リッシュモンを主人公にした物語風の伝記だニャ。
>>105 漏れも「百年戦争とリッシュモン大元帥」か知らんけど、
訳者の大谷と言う人、多分本願寺関係者やろうけど、
「滞仏中、道ばたで原著を見かけ翻訳を思い立った」とあるだけで、
原著者がいかなる人物で、原著がどういう位置づけにあるのかさっぱり書いとらん。
・・・色々な意味ですごい本やったね。
108 :
例のにゃあにゃあ :04/04/01 20:06
>>107 レジーヌ・ペルヌー,ジャンヌ・ダルク,東京書籍,1992
で参考文献の一つとして数え上げられた本だから、
ある程度は歴史書として評価された本だと思うニャ。
そういえば、訳者の大谷って人はジャンヌ・ダルク本をたくさん書いてたニャ。
109 :
世界@名無史さん :04/04/03 10:05
ヒストリーチャンネルでも時々あるが、 もうちっとフランス側からも見てくれ
110 :
世界@名無史さん :04/04/03 10:07
日本カイロプラクティックドクター専門学院の浅野詔子さん、かわいい。
111 :
世界@名無史さん :04/05/07 23:47
第二次百年戦争
112 :
世界@名無史さん :04/05/18 11:13
第三次百年戦争
113 :
世界@名無史さん :04/06/01 11:39
第四次百年戦争
115 :
中華@名無史さん :04/07/18 02:10
最近クソスレ大量発生なので、良スレ保守。
ここも、死んでるな。こんどはこっちで騒ぐニャ。 Sumption,Jonathan:The Hundred Years War I & II:Univ. of Pennsylvania Pr ガッコの図書館で以前紹介してもらったこの本を見つけた。 なぜか文学とか文法とかの本が多いコーナーにあった。 もの凄く厚い。 本気で読もうとしたら数年かかりそうだ。 不戦の戦略は中世の騎士の戦いでは常識で、決戦戦略を採る方がまれだった。 決戦は不確定要素が大きすぎる。というのが理由のみたい。 クレシーの戦い直前にもフランスのある騎士がフランス王に不戦の戦略を進言していたそうだ。 彼にしてみれば常識的な提案をしたつもりみたい。 ただ、我が輩にとってこの件については大きな問題がある。 何に書いてあったんだっけ。忘れた。 騎馬兵のみで大規模な略奪戦略を採った例としてはエドワード三世より先に、 スコットランドのロバート・ブルースがエドワード三世に仕掛けて大成功を収めている。 エドワード三世はこのロバート・ブルースに学んだみたい。 これはどこに書いてあったかさすがに覚えてる。 ロジャーズの本だ。エドワード三世の戦略とかいう副題の付いた本。 最近の百年戦争についての研究動向を知りたければ、ロジャーズ、アン、ケリーの御三家の本を調べればいい。 ロジャーズは14世紀、アンは15世紀、ケリーは全般って感じだ。
ただ、我が輩の読んだ限り三人がバスタードフューダリズムについて語っているところを見たことがない。 この概念は結構重要でエドワード1世が始めたインデンチュアシステムの副産物だとかいう話だ。 現代風にいうと議員がヤクザや地方官僚を自分の影響下に取り込んで議員を中心とした権力・暴力集団を作り上げるっていった感じだ。 議員とは諸候で、地方官僚とは治安判事とか、シェリフとか、地方に配置される王の役人のことだ。 ヤクザは色々ある。中心は騎士みたいだ。 この集団が起こす争乱は国王ですらなかなか取り締まることができず、 この集団にいる連中はバックの諸候をあてにして結構好き放題やってたみたい。 諸候は諸候で有事の際には軍事力として、法が絡む問題では治安判事とかシェリフの職権をあてにした。 百年戦争からバラ戦争に至るイングランドはバスタードフューダリズムに振り回される。 インデンチュアシステムでは国王から諸候に騎士を何人、弓兵を何人、馬を何頭、集めろ!給料はこの額だ! って感じの契約書が渡される。 そうすると諸候は金さえ貰えれば何だってする、とか言うような連中を集め、 兵や物資を集める為に地方の役人に働きかける、などなど色々なことをする。 金は王から支給されるから費用の問題はない。 諸候に頼まれる役人や兵士志望者は諸候からまたお声がかかり、 金が手にはいるかもしれないと諸候の手下になる。 諸候は誰が自分の手先かはっきりさせる為にシンボルマークとか制服をつくって手下に配る。 手下としてはその制服とかシンボルマークを持つことで自分のバックにはお偉いさんが付いてるんだぞってことを示すことができ、 虎の威を借る狐を演じることができる。 それに誰が自分の仲間かはっきりしてるから何かやらかそうって時に仲間の助力を頼みやすい。 その結果、手下達は自分の利益追求の為にこの集団を利用するようになり、社会争乱が増大した。 その行き着いた先がバラ戦争だった。 こんな感じかな。だけど、何に書いてあったんだっけ。
シェイクスピアの百年戦争がらみの作品というとヘンリー4から6とリチャード2世。 この中で百年戦争がはっきりと主題となっているのはヘンリー5世だけ。 ヘンリー4世とリチャード2世に至っては百年戦争の場面すらない。 最近、エドワード3世がシェイクスピアの作品として認知されてきてるという話しだ。 内容はソールズベリ女伯への不倫な愛のアプローチ失敗と、百年戦争での成功って二本立て。 百年戦争のところではスロイスの海戦からポワティエの戦いまでを一気に流してる。 まるで一週間程度で全部が終わったみたいな描き方だ。 スロイスの海戦は1588年のスペイン艦隊(通称アルマダ)との戦いを強く意識して描かれてるみたい。 大砲を撃ち合うなんて百年戦争の海戦らしくないし。 「エドワード王の船、誇らしきアルマダ」 ポワティエの戦いでジャン王が捕虜になっておしまい。 だけどこれ読みにくい。古い表記読み慣れてないから。辞書にも載ってないような表記おおすぎ。
ロジャーズがなんか凄いことを言い出した。 14世紀のロングボウはクロスボウより威力があり、 当時の甲冑を貫いて人や馬に致命傷を与える威力があるとか。 15世紀にスティールボウ・タイプのクロスボウが現れるまで、 ロングボウの方がクロスボウより射程も貫通力も大きいということは、 19世紀にサー・ラルフも指摘していたことだが、 当時の鎧を貫くというのはオーマンくらいしかいっていなっかった。 「ある一人の歴史家が・・・挑んだが、・・・」 注を見たら、ある一人の歴史家ってロジャーズ自身のことじゃん。 この注に出てた論文を見てみないことには何とも言えない。 この注の論文1998年のだから、なにか新しい実験とか、史料とか出てきたのかな。
ロジャーズの弓の論文を読んでみた。 どうもケリーの「ロングボウは殺傷力がほとんどない」、って感じの主張に反発して書いた論文みたい。 ケリーの主張はなんとなく受け入れられて反論を出す人もいなかったから、 ロジャーズがあえて反論を提出したって感じ。 だけどロジャーズはロングボウ無敵みたいな古い意見に賛同するつもりはないってことを強調し、 ロングボウの効果は敵を負傷させて戦意を奪うところにあるとか、 ゲティスバーグでのピケットの突撃は25%の死傷者が出た段階で崩壊したって例を出して、 戦闘では実際の損害より精神的影響の方が大きいと主張しているからところからすると、 最初はケリーがいうほどロングボウは弱くないよって言いたかったみたいだけど、 最後の方になるとロングボウは鎧を簡単に貫いて人を殺せる、みたいなところにまで主張がエスカレートしてる。 但し、これは14世紀のことで15世紀に入る頃にはロングボウに対抗する形で鎧が発達して弓の効果がなくなってくるとしている。 15世紀初め頃のアザンクールの戦いがロングボウが効果を発揮した最後の戦いと見ているみたい。 根拠は同時代の年代記で、弓を使った実験データをもとにしたってわけじゃない。 その年代記にしても鎧を貫いたとかいうのはほとんどなく、 鎧を着けていた人がたくさん死んだ、とかいうのばかり。 イングランドの戦術だと一度に大量の矢がふってくるってこと考えると、鎧の隙間に当たったんじゃないかとも思いたくなる。
たしか、キーガンによるとアザンクールでは最初のフランスの騎馬突撃に対して五か六千の弓兵が3回から4回射撃してるから、 一万五千から二万五千の矢が降り注ぐことになる。 騎馬隊の数は千から千二百騎。矢の1%がうまく当たったとしても150から250騎が損害を受ける。 10%以上の損害。 歩兵だと敵陣に到達するまでもっと時間がかかるからもっと多くの矢を浴びる。 確かフランスの歩兵が到達するまでに3分くらいかかって、弓は10秒で一回射撃が行われるっていうから、18回。 少なくても9万の矢が降り注ぐ。1%でも九百人に損害が出る。 フランスの歩兵の第一波は八千人だから、これも10%以上の損害。 といっても想像に過ぎないか。 一つたしかなのは同時代の年代記者が大騒ぎしたくなるくらいに ロングボウの大量投入はショッキングな出来事だってことかな。 war in history 5-2,1998,pp.233-242
122 :
世界@名無史さん :04/08/30 22:03
あげてみます
123 :
世界@名無史さん :04/08/30 22:06
うむ。
う〜ん。独り言を書き込むって日記書いてるみたいであんがい面白い。
このスレ本気で死んでるみたいだから動き出すまで遊んでいよう。
>>120 今日、ケリーが軍事革命論者やイングランドの弓兵、
紀元前1200年に起きたミュケーネ、ヒッタイトの滅亡の原因を武器に求める研究者などに宛てて、
技術至上主義を歴史に持ち込むのはよくないと、主張した論文を読んだ。
題名が凄い。
「カタパルトは原子爆弾じゃない!」
ロジャーズがケリーに対してなんであんなにムキになって反論を展開したか分かったような気がした。
ロジャーズを名指しでロングボウ無敵論の復活を目論む研究者と非難してる。
他にも、ブラッドベリーやハーディーなんかが非難されている。
キーガンが弓はそんなに強くないってことを論証したのに、
ロジャーズ達がロングボウ無敵論を復活させようとしている、とか。
ケリーが論拠にしていたのは実際に当時の弓を再現した実験だった。
90度の角度で鎧に命中すれば貫通することもあるけど、
それ以下だとたいてい跳ね返されるか矢先が潰れて鎧を貫通できないってことみたい。
だけど、ケリーがあげたロジャーズ、ブラッドベリー、ハーディの論文をざっと読んだ感じだと、 ロングボウは効果的な武器だったと言っている程度で ロングボウが鎧をポンポン打ち抜いて敵を倒せるんだ、みたいなことは言ってなように見える。 ロジャーズもケリーに反論した論文でケリーが批判した研究者はロングボウ無敵みたいなことは、 主張していないと反論している。 このケリーの論文って単に喧嘩を売ろうとしただけみたいにも見える。 議論の活性化を狙ったのかな。 だけど、ケリーが最後の方で強調した革命ではなく進歩だ、 って主張はロジャーズが軍事革命論者に向けて発した主張と同じ気がする。 何かが登場したり発明されて革命的に短期間のうちに変化したんじゃなくて、 長い時間をかけてゆっくりと進歩し、変化したんだってことだから。 ロングボウが登場して突如として変わったんじゃなくて、 ロングボウや障害物の活用、騎士の下馬戦闘なんかのテクニックやテクノロジーが 時間をかけてゆっくりと進歩し、融合して一つの戦術として確立したって感じかな。 ケリーと、ロジャーズって実は主張に違いがないんじゃないかと思えてきた。 二人とも革命的な変化を否定するって点で、 前近代においては技術革新による極端な変化はないってことをいいたかったように見える。 その意味だと、ブラッドベリーも同じだ。 イングランドのロングボウや弓を中心とした戦術はヘースティングの頃にその発芽があったというんだから、 11世紀から14世紀にかけて300年もかけて進歩してきたってことになる。 14世紀のクレシーやポワティエで突如現れてきたものじゃないってことだ。 kelly devries,catapults are not atomic bombs; in kelly devries,gun and men in medieval europe 1200-1500,hampshire,2002,pp.XVIII460-464 robert hardy,the longbow; in anne curry&michael hughes(edt.),arms armies and fortifications in the hundred years war,suffolk,1994,pp.161-181 jim bradbury,the medieval archer,suffolk,1985,pp.71-138 cliffrord rogers,the militry revolutions of hundred years war; in cliffrord rogers(edt.),the military revolution debate,colorado,1995,pp.58-61
>>125 >このケリーの論文って単に喧嘩を売ろうとしただけみたいにも見える。
やっぱこのあたりを見るに、軍事史学って蛸壺学者の水掛け論って感じがぬぐえないな…。
>>126 議論が起こるだけましかも。
ちょっと前まで19世紀のサー・オーマンやデルブリュックの主張がそのまんま使われてただけだっていうし、
邦文の入門書なんか見ても軍事関係はデルブリュックが最良の書とか言ってる本があるくらいだから。
1980年代後半からようやくまともな議論が始まって、
1990年代に研究成果って形になって出てきたって感じみたい。
ケリーとロジャーズの議論は水掛け論というより、意見の相違を探っているって感じにも見える。
前半戦のエースがブルターニュ人のゲクランで、 後半戦のエースがブルターニュ人のリッシュモン。 それでいいのかフランス軍。
129 :
世界@名無史さん :04/10/07 21:32:27
そろそろ第三次百年戦争起きてもいいだろ
130 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 11:21:55
http://www5c.biglobe.ne.jp/~paruwees/Histoly_57_60.html >オルレアンも降伏へと意見が傾き始めますが
>降伏後はブルゴーニュ公の管理下に入ることを条件としました。
>ブルゴーニュ公フィリップはこれを良しとしましたが、イングランドはこれに猛反対。
>その為怒ったブルゴーニュ公は、軍を引き揚げてしまいました。
まあしかしオルレアンにブルゴーニュ軍が残っていたら
果たしてジャンヌは勝てたのかだが
>包囲軍の立て篭もる砦は不思議と次々に陥落していき
>5月8日には包囲軍は完全に撃退され、オルレアンは解放されました。
>イングランドが7ヶ月かけて作り上げた包囲網は
>わずか1週間で霧散してしまいました。
まあ此れではブルゴーニュ軍が居たとて余り変わらないのかも知れないが
砦が強力な攻城砲で百年戦争の終盤の様に
破砕されたのか
或いは突然大砲を持ち込む等無理なら
突然攻めて来た仏軍の奇襲効果と言うのも
有ったのだろうか
131 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 11:27:01
http://www31.ocn.ne.jp/~tactic/olrean.html >1時間ほどのにらみ合いが続いた後、イングランド軍は撤退していきます。
>多分トゥーレル城塞をなくした今となっては包囲攻撃の続行は無理であると判断したのでしょう。
まあ映画等の様にジャンヌに説得されて撤退した等と言う事は
無い訳だろうが
仏軍が英軍を殲滅出来なかったのは
城砦を落とした際の疲労の所為も有るのだろうか
(砲の弾薬も城砦攻略の際に
可也消耗していたと言う可能性も有る訳だろうか)
まあ英軍はオーギュスタン砦・サン・ルー砦
サン・ジャン・ル・ブラン砦だけでは無く
包囲の為に小さい砦を沢山作って居たなら
其処で仏軍に各個撃破されたと言う可能性も
有る訳だろうか
(或いは兵力が上手く合流していたとしても
大砲で砦毎破砕された可能性も
有るだろうか)
132 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 11:28:39
>サン・ジャン・ル・ブランの敵陣地を襲撃しますが、イングランド軍は既にそこを引き払っていました。 まあ此れは各個撃破を恐れて他の砦の戦力に合流したと言う事かも 知れないが 他の砦ではどうだったのかだろうし トゥーレル城砦と砦の兵力は 上手く合流出来ていたのかだろうが まあ城攻めの際もイングランド長弓兵の攻撃は 厄介だろうし 発射速度の遅いクロスボウ兵で此れを何処迄 牽制出来たのかだろうが 下馬騎兵ならポワティエの様に ロングボウ兵に対抗出来たのかも知れないし 大砲で城壁破壊後に下馬騎士が乱入し周囲の弓兵を封じた後で 歩兵が突入したと言う可能性も 有るのだろうか
133 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 11:33:26
野戦でも大砲で柵を破って 下馬騎兵を突入させれば 長弓兵は余り役には 立たないのかも知れないが
134 :
某研究者 ◆NITkxmpUgI :04/11/17 11:41:20
まあ大砲も数が有れば長弓兵を砲撃し続けると言う方向も有るだろうが ポワティエの様な敵騎兵の下馬騎兵への奇襲は 乗馬騎兵を残して対応すると言う方向も有るだろうか
135 :
世界@名無史さん :04/12/31 23:24:52
age
136 :
世界@名無史さん :05/01/09 16:37:01
大砲w
138 :
世界@名無史さん :05/01/23 08:12:48 0
>>45 超遅レス
神聖ローマとは姻戚関係。
皇帝カールWの父ベーメン王ヨーハンがジャンTの義父に当たる。
クレシー会戦でヨーハン討死。フランドル伯とか有力者がかなり死んでるね。
エドワードVが前期の前半戦を有利に進められたのもこれによるフランス側の混乱かな。
とりあえず、その他諸々この間は神聖ローマとは友好的な関係だったと思う。
教皇庁もアヴィニョン捕囚時代だからある意味問題なし。
エドワードVがジョン・ウィクリフを起用して教皇庁を攻撃したのもこのため
教皇庁がローマに戻ると、ウィクリフの墓が暴かれ抹殺されてるし。
イタリア・スイスからは傭兵が。政治的干渉は特に無いね。イタリア内での争いが忙しそうだし。
ただ、教皇庁の分裂の争いの余波をもろにくらって
シャルルXの弟アンジュー公ルイTがシチリア王に推薦され、シチリア遠征の末、死んじゃったね。
イベリア(カスチラ)とは、レスにあるように友好的な関係。ナヴァール王家も衰退するし。
おりは、このスレのつわもの達に
ヨランド・タラゴン、アルマン・ド・ラ・フルトの事を聞きたい。是非ゴキョウジュクダサイ。
139 :
世界@名無史さん :05/01/31 02:10:38 0
てすと
140 :
世界@名無史さん :05/02/10 00:03:56 0
てすと2
141 :
世界@名無史さん :05/03/06 19:44:00 0
ヨランド・タラゴンってだれ?
シャルル七世の義母
143 :
世界@名無史さん :05/03/09 14:26:52 0
>>142 どんな人だったんで?ネ申教えてくだせい
>>143 ネ申へのクレクレ便乗。俺も知りたい。ググっても出てこないんだよねこの人。
145 :
世界@名無史さん :05/03/09 18:13:55 0
それは「ヨランド・“ダ”ラゴン」だからだな ダに変えてググってみなさい。 アラゴン王ファン1世の娘(1384-1443)で、アンジュー公ルイ2世の夫。 ヨランド・ダラゴンの娘マリー(1404-1463)が、シャルル7世(勝利王)の王妃。 実母に代わってシャルル7世を育てたらしい。そんなことから発言力絶大だったらしい。 あと娘のヨランド(1412-1440)が、ブルターニュ公フランソワ1世に嫁いでる。 そのフランソワ1世伯父が、かの有名なリシュモン大元帥。親ブルターニュ派。
146 :
世界@名無史さん :05/03/09 18:17:25 0
じゃあ、アルマン・ド・ラ・フルト=アンジュー公ルイ2世ってことか?
147 :
世界@名無史さん :05/03/09 21:06:48 0
>>146 NO.
>>138 の言ってるのは、佐藤賢一の傭兵ピエールに出てくるヨランドだろ?
ここに上がってるヨランドと同一人物なのか?
148 :
世界@名無史さん :05/03/10 15:05:59 0
猫さんが来ることを祈るのみ
149 :
sage :05/03/11 00:32:40 0
傭兵ピエールに出てくるヨランドって
アラゴンのヨランドのことでしょ。
>>145 のいってるヨランドと同人物。
ちなみに母はバール公の娘だから
フランス王ジャン2世の子孫にあたるわな。
150 :
世界@名無史さん :05/03/11 00:33:03 0
名前にsageいれちまったよ
151 :
世界@名無史さん :05/03/11 04:01:14 0
>>150 ドンマイ。
じゃあアルマン・ド・ラ・フルトだれ?なのですか
152 :
世界@名無史さん :05/03/11 13:32:54 0
>アルマン・ド・ラ・フルト アンジュー公家の家宰じゃなかったか?
153 :
世界@名無史さん :05/03/12 22:55:16 0
>>151 ごめん、知らんのよ。
フランス諸侯の系図をぱっと見ても見つからない。
アンジューやメーヌの主な領地ごとの
家系を見てみる
154 :
世界@名無史さん :05/03/12 23:41:22 0
155 :
世界@名無史さん :05/03/17 21:05:34 0
アルマン・ド・ラ・フルトって、存在したっけ?
156 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 21:31:00 0
時折派閥がごちゃごちゃになる・・・ モンフォール党 ブルターニュ ブロワ党 王太子派 オルレアン派(アルマニャック派) ブルゴーニュ派 どれがどれだったか・・・?
157 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:52:40 0
私営HPの掲示板で話した内容だが、ここでも書いてみる 百年戦争前期 @王位継承戦1(ギエーンヌ地方争奪戦) イングランドVS.フランス Aフランドル争奪戦 ・フランス派(勝利) フランドル伯ルイ1世=ド=ネベール(1304-1346) ・イングランド派 フランドル諸都市(指導者ヤーコプ)+イングランド(エドワード3世は、従兄弟をフランドル伯に推挙) (後にフランドル伯爵家断絶→ブルゴーニュ公家へ併合) Bブルターニュ公 継承戦 モンフォール党(イングランド)(勝利)VS.ブロワ党(フランス) 原因:ブルターニュ公ジャン3世の姪ジャンヌ・ド・パンティエーヴルの夫シャルル・ド・ブロワが継承権を主張。ブルターニュ公家の弱体化を策したフィリップ6世がこれを支持(それとも弱体化を狙ってフィリップ6世がブロワ伯を押したのか?)。
158 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:53:02 0
百年戦争後期 C王位継承戦2 フランス有力貴族のオルレアン派(VS.)ブルゴーニュ派の対立が深刻化。 オルレアン公ルイ(1372-1407)の暗殺+ヘンリー5世(1387〜1422)死でフランス王位空位に ↓ アルマニャック派(オルレアン派)(+王太子派)VS.ブルゴーニュ派(+ヘンリー6世・イングランド) ブルゴーニュ公家:ジャン1世の子、シャルル5世の弟フィリップ豪胆公に始まる家系。(ヴァロア=ブルゴーニュ家) オルレアン公家:シャルル5世の子、シャルル6世の弟ルイ・ドルレアンに始まる家系。(ヴァロア=オルレアン家)
159 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:55:31 0
・ブルターニュ公家は、継承ゆえんから表向きは親イングランド。実際は、イングランドからの影響を脱したいため親フランスを。 ・ブルゴーニュ公家は、自領の拡張とフランス王権からの独立を図ってフランス王と対立。シャルル7世のブルゴーニュ公ジャン暗殺で、親イングランドが決定的に。 ・オルレアン公家は、宮廷内でのブルゴーニュ公家との政争の結果。親フランス派。 アンジュー公ルイ1世(シャルル5世弟)の死後、ブルゴーニュ公の対抗馬としてオルレアン公ルイ・ドルレアンが諸侯に祭り上げられた様。 ・ヨランド・ダラゴン。アンジュー公ルイ2世の妻。 シャルル7世の義理母であり、ブルターニュ公フランソワ1世の義理母。ブルターニュ公家と王太子派つなぐキーパーソン。 ・アンジュー公家。シャルル5世の弟ルイに始まる家系。 シャルル5世死後、アンジュー公ルイがベルドラン・ディ・ゲクラン、ブルゴーニュ公フリップ、 (ベリー公ジャンも含む?)とともにシャルル6世の後見役となる。が、ベルトラン・デュ・ゲクランは早々に死去。ブルゴーニュ公フリップが宮廷内で台頭(ベリー公ジャンはこれを支持?単に関心がなかっただけか?)。 宮廷内の派閥は、アンジュー公ルイVS.ブルゴーニュ公フリップとなり、 幼いシャルル6世はブルゴーニュ公フリップ寵愛。結果ブルゴーニュ公フリップがフランス宮廷を牛耳り、政争に敗れたアンジュー公ルイは嫌気がさしたのかナポリ遠征へ。失敗し死亡。 以後アンジュー公家は、フランス宮廷内での発言力を失い結果ナポリ王に固持するように… ・アルチュール3世(1414-1450)。フランス軍最高司令官アルチェール・リシュモン大元帥。 ブルターニュ公フランソワ1世の叔父。妻は、ブルゴーニュ公ジャン無怖公(1371-1419)の娘マルグリット(1390-1442)。フィリップ善良公とは義兄弟(アルチェールが義弟)。 つまり、ヨランド・ダラゴン→ブルターニュ公家→シリュモン大元帥→ブルゴーニュ公家という縁で、芋づる式に王太子側へ。
160 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:56:58 0
超疑問点 フランス王に肩入れしたヨランド・ダラゴンの目的は何だったのか? アンジュー公家は、ナポリ王に固持していてフランス内の出来事に興味がないようだ。 フランス宮廷内でのアンジュー公家復帰という訳でもなさそう。 孫のルネ(善良公)がナポリ王レナートとして正式に即位に成功しているため、 フランス王からのアンジュー公家ナポリ王就任への援助が目的だったのか?
161 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 10:21:14 0
あげ
162 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 18:24:24 0
>>154 アンジューやメーヌの領主家系を調べてみたが
見つからなかった。
トゥーレーヌやブルターニュ、オルレアネまで
広げてみてもダメだった。
ごめんなさい。
久しぶりに資料見てみると
ラヴァル家やトレムイユ家の系図を作りたくなった。
163 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 09:29:16 0
>>162 乙。ありがとm(_ _)m
そうかわからんかったか。
>>162 >是ラヴァル家やトレムイユ家の系図を作りたくなった。
非作ってウエーブ上に上げてほしいものだ。お願いいたすorz
165 :
世界@名無史さん :2005/04/22(金) 02:29:27 0
保守上げ
保守
ヘンリー5世はアジャンクールで一生の寿命を使い果たしたんだねぇ
169 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 13:31:54 0
下がりすぎ
170 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 15:19:58 0
172 :
世界@名無史さん :2005/07/10(日) 02:33:51 0
ageとくか。
>>170 劇の中のフォルスタッフ一党みたいに適当に手を抜いて参加してたんじゃないの?
174 :
世界@名無史さん :2005/08/08(月) 12:58:40 0
>>173 イングランドの軽騎兵は「騎行」の際に活躍してたけどね・・・略奪部隊として(w
ワルキューレの奇行
ジャンヌスレと合流の予感
ジャンヌスレからきますた
178 :
z :2005/08/12(金) 22:29:19 0
z
179 :
世界@名無史さん :2005/08/27(土) 11:09:23 0
リッシュモンは現代フランスでは知名度あるの?
無いんじゃないか? まあ仏蘭西の歴史教育の中でジャンヌがどんな位置づけか不明だし。
ここでフランス留学経験者から一言 ↓
シモーヌちゃん、 日本人にはちょっとオトナな味かも
もしかよ
185 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 00:58:30 0
コーエーが百年戦争のゲーム出すみたいですよ
ソースを貼ってくれ。
ブルターニュ出身の大元帥2名、カスティーリャの海軍 ロレーヌ出身の聖女、アラゴンの陰謀女王(いやまあ、女王じゃないが)。 なあ、『フランス人』はなにやってたんだ? この戦争の最中。
まず、当時の「フランス人」を定義してくれ。話はそれからだ。
190 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 20:42:58 0
百年戦争で一番面白い戦いは?
シミュレーションじゃない時点で、オレはパスだな。
コーエーか・・・ オルレアンの乙女と黒太子が直接対決する奇ゲーになりそうだな
無双みたいなアクションか? それなら欲しいな。 シュミレーションはダルい
まあ、こういう奴が多いのが現実だな。 シミュレーションの時代は終わった。
まだだ、まだ終わらんよ
200 :
世界@名無史さん :2005/11/04(金) 01:18:34 0
200ゲット
201 :
世界@名無史さん :2005/11/20(日) 01:50:29 0
usyu
202 :
世界@名無史さん :2005/12/21(水) 21:32:06 0
age
「百年戦争」って誰の命名ですか?
204 :
世界@名無史さん :2006/01/23(月) 22:12:20 0
age
206 :
世界@名無史さん :2006/02/19(日) 18:14:02 0
教皇庁とか神聖ローマ皇帝の調停とかなかってんでしょうか?
なんで求められてもいないのに、調停する必要があるの?
教皇庁は何度か調停しとるわな。 教会にとって「平和」の維持は義務みたいなもんだから。 そこらへんは今の国連と同じ。 ただ当事者である英仏両国の思惑が一致しないと、教皇庁だけではいかんともしようがない。 そこらへんの無力さも今の国連と同じ。
209 :
世界@名無史さん :2006/03/02(木) 21:24:40 O
リュックベッソンの「ジャンヌダルク」観た。 ヴァンサンカッセルのジル・ド・レがめちゃハマッてた。
電波ジャンヌね>リュックベッソンの「ジャンヌダルク」 戦闘シーンと英兵が強引にジャンヌを脱衣するシーンが傑作だった。
確かに電波でしたねw あとなんかアランソン公のキャラが妙にファンキーだったような気がするんですけど 実際あんなんだったんですかね
212 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 22:31:38 O
実際はあまり美人じゃなかったらしい
213 :
世界@名無史さん :2006/03/13(月) 22:32:47 O
↑ すいませ誤爆しました
>>206 そもそも皇帝に調停権なんてない。既に国内ではその国の王は皇帝と同格とされるようになってた。
215 :
世界@名無史さん :2006/03/16(木) 17:35:20 O
>>211 あの映画の武将連中ってジャンドーロンとデュノワ以外みんなファンキーだった気がする。
称号として格上ってだけで同次元の存在だしねぇ >皇帝と王 神聖ローマ帝国内の紛争なら調停権もありうるが
218 :
世界@名無史さん :2006/03/29(水) 18:34:32 0
age
219 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 23:08:50 0
イギリスに大敗した当時のフランスの軍制度。 そしてジャンヌ・ダルクが活躍する後期フランス軍制度の違いを教えてください。
220 :
世界@名無史さん :2006/04/14(金) 02:05:44 0
あれま・・・相当過疎ってるみたいなので上げちゃいますが・・・しかし 3月32日っていったい・・・・なに??
>>219 開戦当初のフランス軍には封建制度に基づいた召集部隊(封建軍隊)、契約によって雇用された兵、外国傭兵が混在しその全てに給金が支払われていた。
戦闘要員としてのフランス騎士階級は2350人から4000人くらいと言われている。
14世紀後半になるとフランス政府は1600人強に給金を支払っている。
このうち繰り返し登場しているのは350人弱で王国将校団と見なせるのは180人程度であり特権階級でもある。
この頃になるとはっきりとしない出自の者も混ざっていた為封建的特権階級から出た者を指揮官として起用した。
同時にこの頃多くの者がさまざまな同僚と「戦友のよしみ」を結んでいたことから野武士達による軍事コンパニーを形成する戦友団が現れた。
ジャンヌが活躍する頃の軍隊の解説は意外とないんだよな・・・
当時の一個小隊では数人の騎士、十数人の従者、数十人の弓兵の編成なのだがなのだが、オルレアンではジャンヌ蚊帳の外であるから市民兵をうまく起用したゲリラ戦法を多用したと思われる
1445年の王令部隊の編成が布告され、装甲騎兵・彼の剣持ち・騎士見習い・弓兵2名・小姓の6名で構成された槍組が100個の部隊が15編成された。
1459年のカーンではフランス王軍だけで11700人の装甲騎兵と6000人の自由弓兵を擁していたと記録されている
フランス王だけで騎兵6000ってすげえな。
>>221 詳しくは『百年戦争のフランス軍』って本に掲載されているんだけど・・・絶版みたいだね
ブルゴーニュ公フィリップは何故「善良公」??
おひとよしだから
>>223 ジャンヌをイングランドに引き渡したから『善良公』 ・・・ ウソw
ブルゴーヌ公国の中では一番領土を拡大したし(今のベルギー・オランダの石杖を築いた)、
住民にもいろんな面(福利厚生的に)で還元している『おひとよし:le Bon』が正解www
あなたがフランス軍の大将だったら、クレシーやアザンクールの戦いをどのように乗り切りましたか? という愚問。
アザンクールはなあ。アレで負けるとはさすがジャン2世。 まあ机上の空論、後付の知識でなら幾らでも、てとこだけど。
なかなかよいテーマですな。 クレシーとアザンクールでの敗戦の一番の理由はフランス騎馬隊が集団で突っ込んだとことろに、 馬止めに馬の足を止めたれたところでロングボーの餌食になってしまったこと。 しかも高台を先に押さえられて。 ・・・・・ではどうするか、 まず経済面では当時のイングランドの主要な外貨獲得は羊毛の輸出でありフランドル地方で生地にしていた。 そこで、まず海路を絶ち収入源および人の補給を絶つ必要がある・・・ 残念ながらフランス海軍は初期に壊滅していたのでバイキング(海賊)にドーバー海峡で暴れてもよいお墨付きを与える(取り締まらない宣言をだす) つぎに軍事的にはイングランドのウリはロングボーである。 矢はすぐには補充できない為どんどん使わせしまえばよい。 まず最初の段階は、夜討ち朝駆けで案山子のような囮も登場させ、攻めては引くゲリラ戦で敵の矢を消耗させる。 敵が放った矢は回収されないように焼くか折る。 戦う時期も重要で雨季である冬場は矢の効果が半減するし、作物への影響も少ない。 最後の決戦には『鶴翼の陣』で望み戦力を分散させてロングボーの集中砲火を浴びないようにすることが基本。 そしてクロスボーの矢装填専門部隊を用意しておく。 先陣の騎馬隊はクロスボーに火をつけて馬止めや敵陣の火薬樽等に火をかける。同時に歩兵隊も波状攻撃で出撃。先陣の騎馬隊はクロスボーを放ったらUターンして矢装填専門部隊へ戻る。 第2波の騎馬隊が歩兵隊の間隙を縫って前線に出るがこれもクロスボーを1発撃ったら引き返す。 第3波の騎馬隊も同様に攻めては引く。これはロングボー(有効射程距離:256m )とクロスボウ(有効射程距離:320m)の差を利用するが、 敵は引返すとは思わないので射程距離に入ったと思ったら弓を引くので少なくともここまでに一人当たり2本×3回=6本の矢を失う。 そして騎馬隊たちは敵の射程距離ギリギリで引き返し矢装填専門部隊から次のクロスボウに交換する。 矢装填専門部隊は受け取ったクロスボウに矢を装填する。 この時点で歩兵の先陣が到達する頃合となりロングボーは矢を放つ余裕がなくなり後は兵士数の勝負である薄氷戦となる。
と言う作戦を実行するためにはちゃんと言うこと聞く軍隊を作ることから始めないといけないんだけどね。
射程はいる前に引き返すだなんてそんな緻密な機動が出来るんかい。 つかそもそも無理に決戦に及ばなければそれで良かっただけなのに。
>>229 いいね・・・盛り上がってきたね
>・・・ちゃんと言うこと聞く軍隊・・・
そう・・そのとおり
クレシーの戦い(1346/08)でのイングランドの布陣であるが、騎兵隊としては中央にエドワード3世の中央大隊、
右に黒太子エドワード大隊、左にノーサンプトン伯大隊の3大隊で合計6千兵を敷き、さらに外側に弓兵2大隊を
左右に構えて合計6千兵の鶴翼の布陣。つまりは総勢1万2千兵。
一方フランス側は総勢4万兵と言われているがそれでも負けた。
ひとえに戦略的にはフランス側は突撃あるのみの『烏合の衆』であったこと、少数のイングランド側はバラバラに
ならないように騎兵も馬から下ろさせてほぼ全員徒歩で布陣して戦うといった勝つ為の徹底した戦略とそれを遵守
したことに他ならない。
次のポアティエの戦い(1356/09)もフランス有利の下馬評とは異なり、ほぼ同じ展開でフランスが負けた。
今回はフランス側も馬を降りて戦ったのでかなり善戦したようであるが最終的は側方からの遊撃部隊に不意をつか
れたことから負けた。
しかし、イングランド側は騎兵3千、弓兵3千に対してフランス側は約2万兵といわれていて3倍の兵士数を
持ったとしても負けるのだからどうしようもない。 やはり突撃しか能がなかったのである。
更には国王ジャン2世が捕虜となったためここからフランスの財政が極度に悪化していった。
時は経ったアザンクールの戦い(1415/10)でもしかり
イングランド軍総勢1万2千兵に対しフランス軍約5万。
面白いのは開戦前夜イングランド軍は私語禁止の命令を出している(罰則は武具の没収や耳削ぎ)。
一方でフランス軍は徹夜の大宴会を催していた。
これらのことから両軍の指揮統率力がいかに異なっていたかが伺われる。
>>230 >・・・そんな緻密な機動が出来るんかい。
敵に近づいて一矢放ってのUターン。実際問題としてできないことはない・・・でもできなかったからその結果負けた。
ポアティエで馬を下りてもそれでも負けているのだから、馬に乗って勝つ方法を考えるべきであった。
平原で500mくらいの距離は充分に目視でき、260mと300mの差は判別できる。
陣地を分散して広いエリアから集団で突っ込んでくるフランス騎馬隊を高台より狙い撃つのがいつものパターン。
そしていつもフランス側はドン・キホーテよろしく突撃しては殲滅されている。
死にたくなければやるしかないのだが・・・実際にはやらずに死んでいる。
脳内乙
その場で動くな、という命令と、射程外で引き返して来い、て命令では難度が段違いであると思うのだが。
>>234 そのとおりなのだが・・・難易度の問題ではない
目の前に馬止めが見えているのに突っ込んでいくほどおろかな行為はない。
命が惜しけりゃクロスボーの射程距離に入ったら火矢を一発撃って帰ってこい・・・
・・・歩兵が前線に到達するまではそれだけで良かったはず
しかしその指示を出す指揮官がいなかっただけ。
そしてフランス騎士はプライドだけで我先にと引くことを考えず突っ込んで行った。
そして、馬止めで立ち往生している間に長弓の餌食になっている。
ならば引き上げて騎馬隊の両外側から歩兵を進ませるのが常道策とは思いませんか?
本来フランス軍は敵の3倍の兵士がいるんだから普通に戦えば勝てる。
でも烏合の衆で戦略がなかったから負けた・・・ただそれだけ。
だから通信機もない時代で各領主の寄り合い所帯でしかなかったフランス軍にそれができるわけないだろって。 実際できなかったわけだし。やらなきゃ負けるだけとかやらなきゃ死ぬんだしとか言ったってやれなかったんだし。
>>236 通信機はなかったがその頃の長距離通信手段は伝書鳩。
若者は知らないと思うが1000年以上のも間一般的に使用されているし、
フランスの北は半分だけで考えるとその日の内に通信文を受け取れる。
かなり使えた通信手段。
だから、問題は指揮官の戦闘意識の問題で普通に戦略立てりゃ勝てたってこと。
そして
>>226 の「あなたならどう乗り切る?」に被害を最小限に抑えて勝つための
当時で可能な考えを提案しただけ・・・
普通戦士といえども死にたくないだろう?・・・でも突撃した。 どうしてだと思う?
考えこと無いだろう? でも歴史本にはそのヒントが書いてある。 そして非常にシンプルな理由だ。
その問題を取り除けば指揮官の言うことを聞いてくれるってこと。
それよか・・おまえら人の意見をどうこう言うのもよいが、自分なりの戦略は無いのかよ??
オヂサン達、歴史板で口論するなよ…
>>238 若者よ 正直すまんかったな ・・・ しばらく静かにROMってるよ
戦場の伝令に伝書鳩? どうやって前線指揮官とこまでとばすんだよ。 >>戦略 突撃しないで待ち。
>>240 さっき不毛な口論したくないからROMる書いたけど 237をよく読んで欲しい『長距離通信手段は伝書鳩』
伝書鳩飛ばすのは勝敗が決まった時とか戦略的にターニングポイントになった時だけに決まっている
野戦で『待ち』って4万人の兵糧どう準備する・・・いつまで待つんだ??
それよか俺を叩くつもりなら ・・・
>>231 で『クレシーの戦い』の布陣を解説したけど
おまえ『ポアティエの戦い』の両軍の布陣と最前線から本陣までの距離を解説してみなよ ・・・ できねぇだろう???
みんな名無しでIDもないから誰が誰だかわからんw
>>241 ヒント:220=222=225=228=231=232=235=237=239=241
↑アンカー間違えた ごめんなさい 241× 242○
最近ケータイで質問ばっかしてるのは俺だけだと思うよ。実際ガキだし
指揮官のというが、現実は指揮なんてできないんだよ。 それが中世の軍隊。直属の部下以外は寄せ集めなんだから。
イングランドも中世の軍隊ですけど ・・・ 理由になってないんだよ それとも戦国自衛隊ならぬ戦国コンバットってか ・・・ 笑止千万
クレシー会戦の英軍の布陣については色々な説があるからな・・・ ポワティエ会戦に至っては戦場の位置も諸説紛々。
少なくとも弓兵隊の連中は国王が直雇いしてんだから フランスとは全然事情が違っただろ。 こいつらが言うこと聞かない英国騎士たちへの圧力にもなったし。
>>248 ポワティエの戦いはどうしてあそこの位置で戦闘になったのかから始まって
先陣がどこのなに隊でどこの布陣して相手方の位置関係など皆はっきりしているよ
まぁ・・・諸説あるなら一つでも書いてみなよ
少なくともポアティエの東か西かぐらいは知ってるんだろう?
>>249 仏軍の主力弓隊は外人傭兵の場合が多いけど実はこれが最高に働いてくれる・・・でも人数に限りがある
だがら弓兵自体の比較をしてもあまり意味がない
国王直轄かどうかの件、篭城戦の場合はその都市の防衛のためにその町が主体となって傭兵を雇ったが、
野戦の場合、建前上はどちらも同じ国王直轄だよ
そうはいえ、百年戦争初期には開戦までのお膳立てが英−仏で全く違うので仏が3倍の兵士を持ちながら負けたのは事実
まずはその理由を考察しないと・・・1346年8月26日と1356年9月19日の戦闘当日の指揮に問題だいありとか
ただの寄せ集めだからといっても・・・間違いじゃないけど「フランス人だから負けた」というのと同じで意味がない
まずは当時の仏軍の仕組みを知っておかないとなにも言えないのでは?
最初に1351年発布の『全兵士に関する条例』の内容を理解しておく必要があるよ
251 :
248 :2006/05/01(月) 15:43:09 0
>>250 ポワティエ東南方5マイルのNouailleの森付近が戦場になったらしい
というのはだいたい確かなようだが、
1.英軍がNouailleの森の北方に野戦陣地を構築し仏軍を待ちかまえた
(Ch.Oman,A.H.Burne,H.J.Hewitt,J.Sumption等)
という通説に対して、
2.戦いはNouailleの森西方で遭遇戦の形で始まった
(R.Barber, C.J.Rogers)
という有力説がある。
>おまえ『ポアティエの戦い』の両軍の布陣と最前線から本陣までの距離を
>解説してみなよ ・・・ できねぇだろう???
このレベルの話になると、多くの研究者もみんなそれぞれ工夫というか苦労している。
一般論で言うと、中世の諸会戦を記述するに当たっては、
あんまり断定的なことは言えないんじゃないの? 特に戦術レベルでは。
252 :
250 :2006/05/02(火) 04:27:35 0
>>251 やっと真面目に話しができそうなので感謝するよ・・・ありがとう!!
俺は1のNouailleの森の北方に陣を敷いたと考えている。
当時仏軍は約3倍の兵士数を要していたので数だけなら普通は勝ち戦。
そもそも、英軍はボルドーからの進軍で無理がありポワティエ攻略をあきらめて退却中、
仏軍はそのポワティエから追いかけてきた
退却の途上逃げ切れないと腹を括って当地に陣を張ったと考えるのが普通ではなかろうか
なぜなら、ポワティエまで15kmのところまで来ていて勝ち戦でありながら
結局はポワティエを落としていない。
当時の参謀ソールズベリー伯やウォリック伯らも楽勝とは考えないだろう
エドワード黒太子に負けたときの退路確保を進言するはず。
即ち危なくなると森に逃げこむ戦法であり、ここで背水の陣を敷くほどおろかではない。
もし、2の戦地が森西方であればエドワードは博打をすることになる。
ターニングポイントとなるジャン・ド・グラィーの騎兵隊が森を駆け抜けて来たことになる。
ガスコーニュ騎兵隊があのあたりの森を熟知してたとは考えにくく、
森に入ることは路頭に迷うことになり、逃げるには都合が良いが攻めるにはリスクが大きい。
ましてや、思った位置に抜ける出ることはまずありえない。
戦術として起用するのには無理があるではなかろうか。
話は変わるけど、多くの研究者って、そんなに沢山の研究者がいるとは思えないんだけど・・・
俺は趣味で百年戦争を追いかけているけど・・・学会とかあるのだろうか??
>>252 英国や仏国ではそれなりに研究されてるのでは?
日本だとごく少数の趣味人というか、エドワード様萌えな腐女子とか、ジャンヌたん萌えなヲタクがほとんどの気がするが。
大谷暢順とか
佐藤賢一に小説じゃなくて研究書として百年戦争の本を出してもらうというのはどうだろう
256 :
252 :2006/05/03(水) 03:40:26 0
>>253 バレちゃ〜ぁ しょうがねぇ 『ジャンヌたん萌え〜』なヲタクで悪かったなぁ(苦笑)
>>255 『英仏百年戦争+佐藤賢一』でググッてみ? 割と真面目な本出しているよ
>>254 さすがに『ジャンヌ・ダルクと蓮如』の題名には引いたが・・・
大谷暢順の『戦場のジャンヌ・ダルク』ではいい仕事していると思う
実際にあの著書の通りに車を走らせたが現地を見ないと判らないことが多いと思った
特に森の大きさは時代と共に小さくなるが土地の高低や古い町並みや街道などの位置関係は
英仏両陣がどう移動してきたかを知る為には重要だと思う
しかし だけど坊主がジャンヌの研究していて許されるのか? 明らかに異端だ! 裁判に掛かられるぜ!!
実際、宗派内で批判もされている。宗派の内紛もからんでるけど。
ジル・ド・レ燃えな俺がちょっと質問。 ジルの親父が猪の牙にかかって死んだのは知ってるんだが、その死んだ日が アザンクールの戦い当日だったって本当? あるサイトではアザンクールで討死になってたんだが、どうなってんだよ……。
どこのサイトだ?
>>259 そんなデマに釣られてどうするよ・・・・・・
アザンクールの戦いは1415年10月25日
ジル・ド・レの父であるギ・ド・レが猪に掘られたのは1415年9月28日だよ
わろた。すごい内容だな。 >カトリーヌ・ド・トーア(カトリーヌ・メディシスとの血縁的関係は無い) とかここらへんはもう意味もわからん。時代も違う。カトリーヌつながりか?
>>264 いくら中世の話題だからって 五月/小松 みどり姉妹はないだろう(笑)
・・・せめて・・菊池桃子にして欲しかったなぁ・・・
>>266 『五月みどり』と『菊池桃子』は
>>263 の書いている「血縁的関係の無い」親子 ・・・・ 嫁と姑ってことだけど ・・・・・・
・・・ しかしオチまでリクエストされるとは思わなんだ・・・(苦笑)
268 :
世界@名無史さん :2006/05/13(土) 12:37:37 0
保守
269 :
世界@名無史さん :2006/05/19(金) 06:47:11 0
何が脱帽だよ
271 :
世界@名無史さん :2006/06/17(土) 23:41:55 0
age
272 :
世界@名無史さん :2006/07/16(日) 21:37:55 0
祝三周年おめ!
ううっ、結構メジャーな戦争だと思うのに過疎ってる。誰か僕の質問に答えて下さーい。 最近日本史では、長篠の鉄砲三段撃ちvs武田の騎馬隊は無かった、と言うのがほぼ定説化してます。 で、僕が世界史でクレッシーの戦いを知ったとき思ったのは、 何でヨーロッパでは弓で出来たことが、日本では鉄砲まで出来なかったんだろう?と言うことでした。 初めはイギリスの弓の方が強力だったんだろうと思っていましたが、 その後、鎌倉以後の弓は複合弓で単弓であるロングボウより強力であると知り、ますます分かんなくなりました。 結局、日本の武士は馬に乗って「突撃〜!」何てやってなかったわけで、僕の長年の疑問は解けましたが、 皆さんは「クレッシー」と(従来の)「長篠」を比べてどう思っていたでしょうか?
クレシーの弓兵の戦法は集団によるエリア制圧射撃とでもいうもの。 ちなみにこの時の英軍は総数1万ほどで、弓兵はその半数と言われている。 この戦法の肝は弓の集団運用にある。 同時に多数の矢が一定の空間に飛ばないと制圧効果が生まれないのだ。 少々の矢では数を頼んで突撃してくる相手を制圧することはできない。 たしか、長篠での織田軍の鉄砲は今では千挺あったかどうかと言われてる。 これでは数が少なすぎて同じ戦法はとれない。 また、鉄砲は直射(敵を狙ってまっすぐ撃つ)しかできないが 弓は曲射(山なりに射る)が出来る。同時発射をする場合 後者のが有利だ。直射は前列の人間しか撃てないから。 あと、性能的には日本の弓のが上だったとしても クレシーほどの集団運用を日本人は思いつかなかった。 合戦の規模が小さすぎたから。 というか、当時のヨーロッパにしてもイギリスのやってることはクレージー。 なんせ、弓兵を育てるのにアーチェリー以外のスポーツを禁止したというんだから。
>>273 イングランド長弓隊 vs 武田騎馬軍団、あるいは vs 鉄砲三段撃ち隊は面白いシュミレーションですねw
いままであまり論議されていないと思うのですが、クレシーの戦い当日雨が降っていたという説がある(参考:百年戦争とリッシュモン大元帥)
これが本当であれば、本来ロングボーをウリにするイングランドは圧倒的に不利のはず。
そこで油断した仏軍が狭い谷間を僅か40列程度の編成で攻撃に出てき、しかしそこが泥濘になっていて馬の足をとられ先陣が総崩れになったことが敗因では?
・・というのも、イングランド軍は全員馬から下りて布陣しているので、これは馬では攻めてこれないことを事前に判っていたのでは?
そして、そもそも3倍以上の圧倒的な数の差があるにもかかわらず負けるためには決定的な原因がないと負けるのも難しいw
ちなみに雨の日なので鉄砲三段撃ち隊は不発でノックアウト
そうそう、日本でも源義経の鵯越などを始め古くから突撃はあるよw
>いままであまり論議されていないと思うのですが、クレシーの戦い当日雨が降っていたという説がある(参考:百年戦争とリッシュモン大元帥) >これが本当であれば、本来ロングボーをウリにするイングランドは圧倒的に不利のはず。 雨の降っている間、ロングボウ兵は弦を外して兜の中に入れておいたそうです。 一方ジェノヴァのクロスボウ兵は弦を外すことができず(取り付けるのに特殊な道具が 要るらしい)、雨に濡れて張力が緩んでしまったとのこと。
278 :
世界@名無史さん :2006/08/26(土) 02:11:14 0
age
突撃じゃなくて、前線から遠く離れた無防備な背後に回られたから崩れただけだろ
280 :
世界@名無史さん :2006/09/10(日) 07:59:11 0
同じことだろう
281 :
世界@名無史さん :2006/10/15(日) 18:22:36 0
休戦協定中?
クレシー、ポワティエ、アジャンクールと負けてるよな
火器の運用で長弓隊の戦術的優位性が無くなったって本当? 発射頻度の問題でクロスボウ隊の二の舞になりそうなんだけど。
284 :
世界@名無史さん :2006/10/15(日) 22:38:07 0
イギリス人は本能寺の変の頃になっても「ロングボウと銃はどちらが有利か」 なんて論争をやってたらしいが。
日本人だって最新兵器や豊富な兵站と大和魂のどっちが有利かってやってたじゃん。
アリの巣コロリってあるじゃん。 蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。 邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。 そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。 そいつをマネして何匹も入る。 毒とも知らずにツブツブを運び出す。 一匹が一粒づつ。 いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。 黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。 一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。 せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。 蟻さんって働き者だなと思う。 俺も頑張らなきゃなと思う。 次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。 ほんとにいない。 探してもいない。 泣きたくなった。 このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・ それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。 信じるか信じないかはあなた次第です。
百年戦争がコーエーでゲーム化されるんだって すげえイケ面の黒太子と超美少女のジャンヌダルクがムービーで出て来てた
>>287 なんか、それ聞いただけでもうダメダメな気配が・・・
ほんまかいな。 でも今の光栄ってシミュレーションと銘打った キャラゲーしか作れないんだよなぁ。
>>287 タイトルがジャンヌダルク(アルファベット面倒)の奴だろ?
雰囲気的にタクティクスオウガっぽい。って話を聞くけど…
ゲーム的にはジャンヌダルクと黒太子はおいしいネタなんだろうけど 現実には黒太子はジャンヌが生まれるよりだいぶ前に・・・
黒太子が主人公じゃ、ゲクランあたりは色物の敵役だろうな・・・
>>294 フランスとイギリスどっちの陣営につくかはプレイヤーが決められるらしい
だから実質的に明確な敵は存在しないみたい
>>291 プレイヤーは傭兵隊長という立場で云々ってあるけど、
これなら30年戦争を題材にした方が良かったんじゃあるまいか。
この板の住民じゃともかく、日本人には馴染みが薄いとみなされて却下だろう >30年
ジャンヌの知名度が圧倒的に高いからな。
コーエーでアクション。つーことは無双みたいな雰囲気なんかね。 ってか、その前にPS3かよ…本体買わねーよ! …レベルファイブのほう買うかな…
>>296 そっちの方が面白そうだけど
グスタフアドルフやヴァレンシュタインが主人公じゃ営業的にきついだろうなあ
多分エドワード黒太子
メンアットアームズの「百年戦争のフランス軍」のイラストもいい感じで濃かった
Osprey men-at-armsでつか・・・確かに全体の話の流れとしては悪くないですねw しかしあの薄さで1000円はきつかったイメージが しかし今では絶版でプレミアですか?
メンアットアームズ、渋谷の模型屋で1冊200円で叩き売られてた(涙 1ヶ月ばかり前の話だけど
で、ここの住民でPS3買って、
>>291 のをも買う予定の強者はいるのだろうか
>>307 多分買うと思う・・・・ジャンヌ物で手に入るものは取り敢えず持っている
>>291 のがXBOX360でも出るそうです。
てか、世界史板だよな…
311 :
世界@名無史さん :2006/11/26(日) 12:33:14 0
保守
コーエーの百年戦争が題材のPS3のゲーム 黒太子とジャンヌダルクってギャグのつもりかな?
>>312 ギャグだね
正式には『ブレイドストーム 百年戦争』 そっから先はゲーム板でやってくれ
314 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 10:46:09 0
>>304 なぜメンアットアームズに「百年戦争のイングランド軍」はないのか
未邦訳でイングランド騎士や長弓兵についての本は出してるが
>>314 確かにメンアットアームのシリーズではないいけど・・・
上位グループであるオスプレ・シリーズで 『イングランドの中世騎士―白銀の装甲兵たち』ってのが
同じ出版社である新紀元社から発刊されていますが・・・・・・・
316 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 13:35:58 0
ブレイドストームって、三国無双のヨーロッパ版みたいなものだろう。 目玉はジャンヌの美少女ポリゴンか。ジルに取って代わりたいものだ。 ジャンヌさま。ハァハァ しかし、黒太子を出すとは・・・
317 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 13:41:27 0
>>316 ジャンヌにハァハァするような香具師はPinkかエロゲー板へ逝け 二度とくるな
ただ、外におにゃのこがどれだけいるのか気になる。 ジャンヌ一人じゃちょっと買う気が失せるな。 ジャンヌの妹を出すとか、いっそジルドレをショタ好きお姉様にすれば いいんじゃないかと思ふ。
>>315 ああ、多分それですね。
新紀元社ってオスプレイのはもう出さないんでしたっけ。
320 :
世界@名無史さん :2006/11/30(木) 14:31:30 0
>>318 妄想するのは勝手だかここは世界史板であってゲーム板ではない
ゲームネタは書き込むなと書いてるだろうが・・・ゴルァ
201 名前:眼薬。 ◆2/EYEs.30k [sage(,,゚д゚) むほぅ者 眼薬。] 投稿日:2006/12/01(金) 01:13:10 ID:w2A/54Ln ?2BP(34)
>>175 こんなもんでどうでしょう?
λ
/ \
/ ::::ヽ
l;; ::::l
,-─、 l.;;;; :::;;;;l ,─-、
/. ヽ\;;; ;;;// ::::ヽ
|;;; ,ー、 ... ', ヽ;:::;;/ ,' ;;;;,ー、;;::;;l
\ヽ ヽ, |. l l .l. ;l //
` l二: 二 :二 :二l ´
λ__/.l / ;;ヽl .ヽ__λ
l,,,,,,, / l ;;;;;;l.ヽ;;;;;;;; l
`ー´ l::::::;;;;;;;l `ー´
\_/
>>284 実際速射性じゃあロングボウの方が上だし、
問題は育成コストが火縄銃兵よりロングボウ兵のほうが高いってとこでしょう。
オスマン帝国でも同じ問題に直面してたな。 トルコ弓は強力だったが、農民から志願兵を募集して鉄砲隊として訓練したほうが 大規模な兵力を集められたので結局ティマール保持者よりそっちが主流になったとか。
>>284 射撃精度も火縄銃の方が低く、防御用にしか使えなかったしね。
現代人は鉄砲信仰を抱きがちだが
当時の用兵からすれば弓・弩と同属、局面によってはこれらより劣った
火縄銃なんて狙撃に使うもんじゃないでしょ。
>>325 火縄銃っていう大きなくくりなら、日本では立派に狙撃銃として使っていたけどね。
>>325 狙撃には不向きだし、だからこそそいうこともあって、
一概に弓や弩よりすぐれているとは言い切れないって話でしょう。
時代が下れば銃のほうが圧倒的に有利な武器となるが、
16世紀くらいでは議論があっても普通だと。
あれだけ鉄砲隊のイメージが強い織田信長の親衛隊だって、武器は弓だよん。 信長公記の作者は、織田信長の親衛隊でなおかつ弓の達人 戦闘でも大活躍して信長にほめられてる ただ弓なんて素人がにわかに訓練しても当たるものじゃない。 イングランドの長弓隊は農民だが、イングランド農民は弓をスポーツとして平時から奨励されてた。
そのためにギャンブルなどの遊びを禁じてたらしいな。
そら身辺に侍って警護しなきゃいけない馬廻が即応性も速射性もない火縄銃なんか使うわけ無いよ
だから結局初期の火縄銃には弓矢より劣るところが結構あったので、 優劣が議論されても当たり前だと。
>>331 初期の火縄銃には弓矢より劣るところが・・って、具体的にどの戦いまでのことを指してるの?
まず、1425年ごろの火器はまだ巨大で簡単に持ち運べるような小型化は出来ていない
ジャンヌ・ダルクが火器が好きだったこともあってその後の25年間で急速に発展し年々改良されて小型化した
砲兵が持ち運び可能な=火縄銃が戦場の主流になり始めたのは1450年頃であり代表的なのがカスティヨンの戦い(1453)
そのときには既に英仏の優劣は決してたので終戦を早めただけですがそれがなにか?
>>332 16世紀くらい。
ぶっちゃけスレ違いの話だったって事・・・・
臼砲と火縄銃を一つに括っているあたり、無理がある。
>>334 火器の進歩ぐらいは判って書いんだろうな?
この時代の本を最低10冊くらいは読んでから人の批判してもらいたい 付き合いきれん
なんだこいつwww
337 :
世界@名無史さん :2006/12/10(日) 23:31:12 0
338 :
世界@名無史さん :2006/12/10(日) 23:34:14 0
はいはい ワロスワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
339 :
世界@名無史さん :2006/12/10(日) 23:37:34 0
_ ∩ ( ゚∀゚)彡 百年! 百年! ⊂彡
反論できなくなるとすぐにキモいとかいってageる香具師がいるんだな
反論する必要も無いだろ。銃と弓の話で大砲もってくるのはどうかしてる、それだけ。
まあ、スレ違いの話を無理やり戻そうとしたんでしょう、
>>335 の言い方はどうかと思うけど。
弓ってのは怖いからね。 家康の長男が弓の名人だったんだが、家臣に諫言されて弓をきりきり引いて顔に向けた。 刃が二股になって、首ぐらいとばせるやつ。すげー怖いと思うよ 弓の名人になると接近戦でも弓を使うらしい。 山内一豊が顔面に矢を撃ち込まれていたね。弓の名人討ち取ったときは大手柄とされていた。 家康の長男は祭りで領民の踊りが気に食わないと「氏ね」といって弓をうちこんでいたそうだ。 まあ信長の命令で殺されてしまったっけど
>>341 大砲を銃器にカウントするなら
欧州よりモンゴルや宋のほうがずっと先だしな
内藤正成の間違いじゃないの?
どっちもGUNだけどな
GUN道か。
349 :
某研究者 :2007/02/24(土) 00:42:55 0
女系の王位継承権を主張して 英は攻めて来た訳だろうが ジャンヌは女系の王位継承権を認めるべきとは 考えなかったのかどうかだが 英が攻めて来た理由と言うのは 知って居たのかどうかだが
350 :
世界@名無史さん :2007/03/03(土) 23:39:45 0
そんな哲学的なことを考えるはずはないだしょう 第二次世界大戦末期に沖縄の乙女が断崖絶壁から身を投じたか考えて味噌? それが戦争だぬ
351 :
世界@名無史さん :2007/03/03(土) 23:44:45 0
>>349 当時の英仏の王朝での正統性の議論とは関係なしだよね。
ジャンヌが評価されているのは、飽くまで後世の国民国家
の視点からだもの。
352 :
世界@名無史さん :2007/03/03(土) 23:58:28 0
国民国家の視点かどうかまでは知らないけど・・・あまり政治に利用されたくはない ジャンヌ・ダルク祭を見た時の純粋な気持ちでありたい
ジャンヌダルクって処女なんですか
ジャンヌダルクは聖処女とか言われている
ジャンヌ・ダルクから政治的視点除いたら単なる気違い農民娘以外何も残らんだろ
357 :
世界@名無史さん :2007/04/07(土) 00:24:13 0
>>356 も一緒に基地外なか〜まw あ・・ニートだから農民より下かwww
>>332 >1425年ごろの火器はまだ巨大で簡単に持ち運べるような小型化は出来ていない
フス戦争ですでにタッチホール式の銃が使われてたと思ったが
359 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 14:40:13 0
確かに使われてるね・・・豆鉄砲だが
360 :
世界@名無史さん :2007/05/20(日) 11:15:38 0
イングランドは東のアンジュ公爵の一領土にすぎない アンジュ公爵は東のフランス国王の格下 フランス国王は東のドイツ皇帝の格下 ドイツ皇帝は南のローマ教皇に任命される ローマ教皇は東のコンスタンチン大司教の格下 コンスタンチン大司教はビザンチン皇帝に任命される ビザンチン皇帝は東のオスマントルコ皇帝にへりくだり オスマントルコ皇帝は東のティムールに服属する ティームルは東の明に朝貢する 明は東の日本の倭寇にすら敵わない 百年戦争なんて所詮、西の果ての最弱決定戦
厨房丸出しの意見だな。最弱決定戦辺りが。
362 :
世界@名無史さん :2007/05/23(水) 23:55:33 0
いろんなところにリンク貼ってるようだが 腐女子の的になる前に・・そもそも発売する気はあるのかよ?
日本の武士がおった。
話は変わるが最近リッシュモンについて知ろうと思っていろいろ本とか探してるんだけど、 この人活躍してるわりにはなんで全然文献とか資料が全く無いんだ・・・・。 当時の王や歴史家たちに嫌われるようなことしたのか?それとも日本に無いだけなのか?
アル中のリッシュモン? ↓は定番中の定番と思うけど? 「百年戦争とリッシュモン大元帥」 ジャン・ポール エチュヴェリー(著 )大谷 暢順(訳) (単行本 - 1991/6)
>>365 なにかレスあればもう少し書こうかとは思ったが・・どうやら冷やかしのようだ・・・・・・
>367 何でちょっと書き込まないだけで冷やかし扱いw つかそんなこと言うくらいなら最初から書けよ。アホか? お前みたいなやつに何も教えてももらうことなんかねーよ。誘い受けウゼww
逆切れか・・・ かわいそうな奴だ・・・
久しぶりに書き込みあったと思ったら、阿呆どものやりとりだけかよ
それがなにか?
373 :
世界@名無史さん :2007/07/11(水) 13:34:08 O
いつものことage
375 :
世界@名無史さん :2007/07/18(水) 20:55:49 O
誰も読まない
宣伝があるとスレが腐るね
ついでに宣伝すると百年戦争を題材にしたゲームでたな KOEIからw
378 :
世界@名無史さん :2007/09/18(火) 19:23:39 O
誰もジョン・ホークウッドを語らないのか?ヨーロッパ最強の傭兵の青年時代を
同時代の傭兵だとヤン・ジシュカの足元にも及ばんと思うが。
>>378 は色んな所にホークウッドについて書き込んでるな。最近ホークウッドの書かれている本でも読んで
感化されたか?
>>380 多分BLADESTORMってゲームやったんだと思うよ。
なんだゲームかよ(;´Д`)
イギリス対フランス これが世間一般人の理解
↑日本人一般の理解という意味では正解かもね
>>384 世界的にそうだよ。当のイギリス人とフランス人すら一般にそう思ってる。
>>385 悪いけどそう言うのはアジアの人々だけだろう。
イギリスのことを「Great Britain」として解釈すると、少なくてもUKの人達は自分をイギリス人とはこれっぽっちも思っていない。
何人かって質問したら、イングリッシュ(イングランド人)、ウェールッチ(ウェール人)、スコッチ(スコットランド人)、アイリッシュ(アイルランド人)という。
UK出身とは言うがUK人とも言わない。
ワールドカップ等のスポーツ大会でUK代表で出場せずそれぞれの地域代表で出場するのは未だに祖国の誇りを大事にしている為。
ホークウッドに関する本が最近出たな
>>386 んだから、「イギリス(=イングランド)」と「フランス」の戦争だとイギリス人もフランス人も思ってるって事だよ。
百年戦争の(少なくとも中期くらいまでの)実態である、フランス王と、フランス諸侯であるノルマンディー公との
「内戦」であると理解していないって意味だ。
君は最近知ったイギリス知識を自慢したかったんだろうけど、それとは又違う話なんだ。理解しろ。もしくは勉強しろ。
イギリス(=イングランド)なんて書いてるやからとは話にならん 40〜50冊くらい本読んでから出直したら? それとも いい書籍薦めてあげようか??
とうとう逆切れか・・・かわいそうな香具師
百年戦争っていうのは フランス VS イギリス&ブルゴーニュ公じゃないの?
フランスvsイギリス&神聖ローマの諸侯であるブルグント伯家
例のにゃあにゃあさん帰ってこないかな… いろいろ聞いてみたいことあったんだが。
取り敢えず書いてみたら 誰か答えてくれるかもよ
東洋史と近現代史好きの俺が、ブレイドストームをもっと楽しむために本で色々調べた。 イングランドってブルゴーニュの植民地みたいなものだったんだな。 で、本領であるブルゴーニュを失って仕方なくイングランドに移り、本領であるブルゴーニュを奪還するために戦争をしてたと。その過程でブルゴーニュ側がフランス王位を継承する資格を得て王位を主張してブルゴーニュによるフランスへの侵略の様相を呈してきた。 ようするにフランス人対フランス人の戦争だったというのが正しいんだな。
ブルターニュとブルゴーニュの区別がつくようになったころに また意見を聞かせてくれ
>>401 ごめん、間違えた。勉強したてだから許して。ただ、ブルゴーニュをブルターニュに直して読んだら大体あってると思うんだけど。
>>400 さらにブルターニュをノルマンディーに直しなされ。
百年戦争て大抵はブルゴーニュやノルマンディーばかり話されるけど ギュイエンヌ(アキテーヌ)もたまには思い出してあげて下さい・・・・・
ノルマンディーはイングランドプランタジュネット家の故地。 だからノルマンディーの首府ルーアンに長い事宮廷が置かれてた。 リチャード1世になんかはロンドンにはあまり行った事が無くて金に困った時なんか 「金さえ払ってくれるんならロンドンだって売ってやるぞ」とのたまったほど。 ブルゴーニュはフランス王家の親王領。 フランス側のブルゴーニュ公領とドイツ側のブルグント伯領をあわせてブルゴーニュ公家。 他にアルザス、ロレーヌ、フランドル等をあわせて英独の間にもう一つの国家「ブルゴーニュ公国」が存在してたようなもの。 シャルル5世死後ブルゴーニュ公家と官僚団の対立がブルゴーニュ公家の離反の始まり。 アキテーヌはフランス南西部の広大な公領。フランス王の未亡人アリエノールダキテーヌが アキテーヌ公領ごとイングランド王ヘンリー2世と再婚したのがフランスのケチのつきはじめ。 ノルマンディーとアキテーヌという二つの巨大な公領を策源地とされたためフランスは常に後手後手。 こんな感じ?
未亡人じゃないだろ。離婚しただけなんだから。
とりあえずプランタジネットが英語でプランタジュネが仏語
そもそもリチャード1世って日本語じゃ言うけど リシャールだろ本人的には
407 :
世界@名無史さん :2007/11/11(日) 13:44:57 0
前から思ってたんだけど、「プランダジネット朝」って名称、 「アンジュー朝」と呼ぶと、フランス諸侯がイングランドを合併征服したのが 露骨になるから、イギリス人が嫌がってるとか?? 近世近代のハノーヴァー朝も、大戦中、ドイツ起源が露骨だっていうんで、 ウィンザー朝と改名したんだよね。
>>403 いやロレーヌ近辺はブルゴーニュの勢力圏じゃねーだろ。
あの辺支配しようと戦争ふっかけてスイス傭兵に当主ヌッ殺されたせいで公国が崩壊したんだし。
>>407 ウィンザー朝に改名したのはサクス=コバーグ=ゴータ朝な。
ドイツ読みでザクセン=コーブルク=ゴータ
410 :
世界@名無史さん :2008/01/13(日) 23:59:19 0
age
411 :
世界@名無史さん :2008/01/14(月) 13:13:13 0
>>408 時期によるんじゃないか、それによって地図様変わりしてるし
イングランドとブルゴーニュが同盟結んだ1420年代はイングランド・ブルゴーニュの勢力圏
412 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 17:02:43 0
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ |┃ | あげ | |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ ____.|┃ ( ___)│ サッ |┃= (_》 ^ω^)E) |┃ ≡⊂ ノ
413 :
世界@名無史さん :2008/02/11(月) 23:54:01 0
今読んでる本にこんな一節があった。 「百年戦争のイングランド軍は会戦で何度も勝利を収めたが それによって長く困難な攻城戦をはじめる権利を得ただけだった」
ジル・ド・レ好きの俺は異端。 ジャンヌが処刑されてなかったらジルはどうなってたんだろうな…
百年戦争終結後に功臣を粛清しまくった時に一緒に殺されてたんじゃない?
バタール・ジャンって粛清されたっけ? つか、ジル・ド・レ以外に誰が粛清されたの?
百年戦争による犠牲者数は、年換算だとたいしたことがない?
>>417 100年戦争自体、100年間ずっと戦争していた訳じゃ無いし。
年換算なんて恐ろしく無意味だと思うが。
100年戦争の延べの犠牲者数は意外と少なく。この期間に人口は両方とも 増加傾向にあったと見てよいのか
人口そのものの増減については戦争と連動しない。 カレー陥落の翌年1347-1348年にフランスでペストの大流行、翌49年にはイングランドでも大流行している。 このとき、ざっと人口の3割が死亡しているらしい。 両国とも戦争どころではなくなり結果的に1355年まで休戦している。 1418年と1433年のラ・ボスの流行でまたも人口は激減している
この時期の戦争は、「合戦」と言う言葉が相応しい。
422 :
世界@名無史さん :2008/03/08(土) 12:14:08 0
|┃三 ガラッ! ┌───┐ミ |┃ | あげ | |┃ ≡ 〆⌒└─┬─┘ミ ____.|┃ ( ___)│ サッ |┃= (_》 ^ω^)E) |┃ ≡⊂ ノ
ジャンヌが火炙りにされてからのジルの堕落から見て過度の聖女崇拝の反動で黒魔術に走ったという話がやたら多いけど最近そこが少し疑問。 そもそもそこまでジャンヌを崇拝していたのか? ジャンヌと共に戦ったという記述はあってもジャンヌに心底心服していたという確証はない。 黒魔術へと堕落した理由にジャンヌをおくのはどうにも不十分な気がするのだが…
ジャンヌ云々の前からジルはぶっ壊れてるから。 主にじいちゃんのせいで。 百年戦争が集結して後ろ盾の筆頭侍従官殿が失脚して 王家による中央集権が進んでいく中で潰される口実にちょうど良かっただけで。
昨日はトゥーレル砦の攻防戦 今日は英軍オルレアン撤退の日か 前にサンドリーヌ・ボネールが主演したジャンヌものの映画見たけど トゥーレル攻防戦なんてほんとしょぼい戦いに描かれてたよ
426 :
世界@名無史さん :2008/05/11(日) 20:19:49 0
百年戦争やってない俺がこのゲームをやってもあんまし面白くないんでね?
>>425 実際しょぼいもん。この時代のヨーロッパの戦争なんて。
428 :
世界@名無史さん :
2008/06/27(金) 15:09:42 0