中国史における遊牧民の歴史

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401世界@名無史さん
自分が飛びぬけて右翼化してるのかね
402世界@名無史さん:2007/09/12(水) 14:04:56 0
>>399
君がインテリじゃないからそう思うだけ
403世界@名無史さん:2007/09/12(水) 19:38:44 0
この場合の右翼左翼ってのは、(歴史上の)遊牧民を称えて中国等の文明国を貶める傾向にあるように見えるということ。
いや、特に文明国を貶めはしなくても、遊牧民を徹底的に称えたがる。
404世界@名無史さん:2007/09/12(水) 19:57:34 0
あー、杉様とか岡田のことだな?
ありゃ今までの歴史観への反発だろ。それと自分のキャラ立てだな。
学会も生臭いからな、大袈裟にしないとなかなか注目されないのよ。
405世界@名無史さん:2007/09/12(水) 23:12:15 0
じゃあ「判官贔屓」なんて399の定義する「左翼」の最たるもんだw。

「左翼」の意味が分かってないんだな。

既存の用語に、自分にしか通用しない意味を与えて使っても、
話通じないから困るよ。
406世界@名無史さん:2007/09/12(水) 23:36:31 0
「左翼」って言葉に拘れても困る。
407世界@名無史さん:2007/09/12(水) 23:52:46 0
モンゴル高原遊牧民関係で右翼・左翼というと、
常識的に、(南を向いて)右翼=西、(南を向いて)左翼=東
のことだから、それ以外の意味で使うときは注意した方がいいよ。
408世界@名無史さん:2007/09/13(木) 02:05:50 0
遊牧民をたたえて中国を貶めるのがどうして左翼になるんだかわからん('A`)
409世界@名無史さん:2007/09/15(土) 16:23:14 0
専攻対象≒好きなもの≒贔屓の対象
さらに発表する場合は客受けも考慮する必要がある。
410世界@名無史さん:2007/09/17(月) 17:55:44 0
>>404
杉山はともかく、岡田は最近発狂してないか?
中国嫌いは元からなので別にいいが、WACに書くとか正気とは思えん。
411世界@名無史さん:2007/09/24(月) 14:22:25 0
自分の感情を出す奴は、論理性がなくなるだろう
岡田は妄想的でおかしい
412世界@名無史さん:2007/09/24(月) 15:08:44 0
>>408
左翼はマイノリティを被害者にしたがる。そしてマイノリティを絶対正義にする。
思考様式・行動様式が昔なつかしいイデオロギー的な左翼そのままだ。
彼らにかかると、モンゴルの遠征も世界に平和をもたらした事業になる。
413世界@名無史さん:2007/09/24(月) 15:51:29 0
はいはい、ボクちゃんの政治談義は別板でね
414世界@名無史さん:2007/09/24(月) 17:27:01 0
それは>>408に言うべきだろう。
415世界@名無史さん:2007/09/25(火) 12:34:43 0
>>409
そういう方向に傾くのは人間、誰でもあることかもしれんけど、
そんな堂々と開き直っちゃいかんことだと思うけどな。
厳密さだけを求めるなら「やってはいけないこと」なんだし。
開き直るんなら、揶揄されるのも指摘されるのも覚悟の上に
することじゃねえ?
416世界@名無史さん:2007/09/25(火) 20:24:34 0
岡田氏のモンゴル史研究は『蒙古源流』翻訳で終わったんだろうな。
ガッチリまとめたものを1冊書いてほしかったが、もうボケはじめてる
みたいだし無理だな。
417世界@名無史さん:2007/09/27(木) 22:02:44 0
>>412
歴史系で遊牧民を称えて中国とかを貶める人って遊牧民を
強者だ勝者だと持ち上げてる事が多い気がするんだけど。
418世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:09:43 0
遊牧民の中国辺境への寇略は文化。そうやって生きてきたという伝統文化。

客観的にこれを認識できないと、遊牧民=悪になるよね簡単に。
でも寇略された人々にとってはふざけた話で、客観的に見ようとする我々現代人も被害を受けた
人たちへ感情移入しちゃうからどうしても遊牧民=蛮族という概念から離れられない。
419世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:45:09 0
>>394
元軍の末裔。
蒙古族あつかい。

契丹は民族としては居ない。
420世界@名無史さん:2007/09/29(土) 00:17:59 0
漢族にしてみれば、近代の日本人も匈奴、鮮卑みたいなもんだろうな。
シナ事変も後世、海の遊牧民の雄大な遠征だった、と讃えられてたりしてw
421世界@名無史さん:2007/09/29(土) 08:03:40 0
んでもよ、史上、支那の文明の発展した時期って、決まって遊牧民の外来系王朝の
時代なのな。
漢は例外か。でも、劉氏は匈奴・突厥・吐番にやたら和蕃公主をやっていて、
姻戚関係だしなー。
422世界@名無史さん:2007/09/29(土) 10:18:58 0
決まって?違う違う。
科挙が機能的にも時代的にも最高潮に発展したのは宋時代だ。
清時代は人口が増えて一見すると発展しているように見えるが、世界と差をつけられていた。
漢の姻戚云々も、それが直接発展とは関係が無い。
そもそも漢代には突厥なんて無いし、漢を通じて婚姻関係が頻繁だったわけではない。
423世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:50:19 0
>>420

宮崎市定は日中戦争も、
彼の評価する満州人の入関と類推し、中華文明に貢献するもののようにいっていた。

日本が中国征服に成功したら「第二の満州人」として、逆に日本列島も漢語が話されていたはず。
日本風の漢語だろうが。
424世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:52:56 0
中国皇帝になった天皇家の姓は、さしずめ「大和」で、
完全に漢化したあとでは「和」姓か。アイシンギョロが「金」姓になったように。
425世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:54:11 0
>>420

蒋介石側は「倭寇」といっていた。
426世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:55:50 0
宋なんて、遼だの金だの夏だのに貢ぎものをしてようやく独立を保っていた
ようなものじゃん。中原も半分は取られてるし。
挙句、元に取られてしまうし。

それに、科挙なんてものは、後進性そのものじゃん。
試験で官吏を選ぶというお題目は立派なものだ。が、実質的には、貴族の横占を
容易にして政局を不安定にするためものものでしかなかったし。
427世界@名無史さん:2007/09/29(土) 21:43:30 0
天皇に姓はない。
428世界@名無史さん:2007/09/29(土) 23:31:55 O
>>421>>426
中国史を知らなすぎ
もっと勉強してから語ってくれ
429世界@名無史さん:2007/10/01(月) 22:48:58 0
>>421=>>426
これ以上無知を晒すな。あなたの為に密かに恐れます。

>それに、科挙なんてものは、後進性そのものじゃん。
確かに明清期にはその後進性が目立つようになってきた。
だが宋代は南北期を通じて世界の最たる制度だったのだよ。

>が、実質的には、貴族の横占を
この部分に最も脱力感を感じたw

>宋なんて、遼だの金だの夏だのに貢ぎものをしてようやく独立を保っていた
>ようなものじゃん。
ようやく保ったおかげで最高の文化発展を遂げたのだよ。
430世界@名無史さん:2007/10/22(月) 19:19:27 0
遊牧民は宋以降は邪魔なだけだよね
431世界@名無史さん:2007/10/22(月) 21:20:51 0
>>429
科挙を採用したせいで党派争いが取りとめも無く続いて国が傾いた訳ですが?
あと現代の中国でも続く官僚の汚職の伝統は科挙による官僚システムが
形成したんじゃないかと。
432世界@名無史さん:2007/10/22(月) 23:09:03 0
>科挙を採用したせいで党派争いが取りとめも無く続いて国が傾いた訳ですが?
それは科挙の先進性や後進性とは関係がない。論点ずれてますよ。
さらに、今世界中を見渡せば党派のない国なんて珍しい。党派争いがなぜだめなの?
433世界@名無史さん:2007/10/23(火) 00:30:19 0
文明と文化の区別もつかん馬鹿が偉そーに宣巻いてるスレはここつか?w
434世界@名無史さん:2007/10/23(火) 03:38:25 0
> だが宋代は南北期を通じて世界の最たる制度だったのだよ。

理想通り機能していればね。実態は…。
南宋なんて中央は恩蔭組が幅を利かせ、地方は軍閥の天下でしょ。

明清と比べてとくに宋代の科挙制度が上手くいってたわけじゃない。
435世界@名無史さん:2007/10/23(火) 04:14:47 0
明清こそ科挙は不正の温床だった。宋代が一番マシ。何事も始まりからしばらくは上手く行くものだ。
それに国力・文化が最も発展したのは宋代だ。南宋と北宋の差異はまた別の問題。
436世界@名無史さん:2007/10/23(火) 04:35:29 0
> それに国力・文化が最も発展したのは宋代だ。

何を証拠にそんなこと言ってるの?
元代も引続き発展しているではないか。

> 南宋と北宋の差異はまた別の問題。

なに都合よく別問題にしてるんだよw
南宋を動かしてたのは恩蔭組と地方軍閥。しかも江南に追っ払われた弱小国家。
北宋も童貫や蔡京なんかが跳梁跋扈してた北宋末の時点でもう終わりじゃん。
するってと科挙がまともに動いてたのは、せいぜい太宗〜哲宗って事になるよ。
437世界@名無史さん:2007/10/23(火) 11:03:08 0
>>432
科挙を取り入れた中国と朝鮮半島ほど党派争いを国が傾くの関係無しに
延々とやり続けた例は無いかと。
438世界@名無史さん:2007/10/23(火) 11:43:07 0
国力って難しいよね。
日本人が大好きな「経済力」もその国の一つの要素でしかないし。
人間で言えば「どれだけ食べてどれだけ出せるか」という性質で
その人の有用度をはかるようなもので、ちっとも正確には思えない。
ということでこういう基準はどうだろう?「その国の文化文物が
まねされる程度」。古代に栄えた国のさまざまな有形無形の産物は
周辺国に受け継がれ、またそれを戻して取り入れ相互に循環しながら
発展していくもの。だから支那が当時の世界でどのくらい栄えて
いたかは西方に支那の文物がどれだけ伝播したかである程度
見当がつくと思うのですが。
439世界@名無史さん:2007/10/23(火) 14:29:44 0
だから、科挙の制度自体が当時の最先端であるということがわかればいいよ。
党派争い延々と?結構じゃないか。最先端制度が齎した結果だ。

南北宋を同等に語ることは無理だろう。状況が違うんだから。
宋代の発展は確かに挙げるべき根拠を今持っていないが、唐・五代と続く宋代でそれまで以上に一気に文化が発展したのは事実。
440世界@名無史さん:2007/10/23(火) 14:48:27 0
唐代までは、中国で輸出されていたものは、黄金や絹などの一次産品だったが
宋代に入ってからは、陶器などの二次産品が大量に輸出されるようになった。
441世界@名無史さん:2007/10/23(火) 15:58:56 0
>>439
>党派争い延々と?結構じゃないか。最先端制度が齎した結果だ。

最先端でさえあれば人民が疲弊してもokって狂人ですか?
大体党派争いなんて非効率な事やり始めた時点で単なる「使えない制度」でしか
ありませんよ。そんなものに価値なんてありません。
442世界@名無史さん:2007/10/23(火) 21:27:04 0
遊牧民から脱線しまくってますが…
443世界@名無史さん:2007/10/23(火) 22:19:55 0
>>441
あのね、党派争いなんていつの時代でもあるの。科挙に限らず。
それに科挙の負の面しか知らないようではお話にならない。もう一回勉強して来い。
444世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:25:55 0
>>439
新しいことやればそりゃ最先端だろ。で、そんな「最先端」に何の意味があるんだ?
宋代の科挙制度には殿試の導入→皇帝独裁制への制度的基盤創出という意義が
一応ちゃんとあるんだから、盲目的にマンセーしてないで普通に説明してみなさい。

> 南北宋を同等に語ることは無理だろう。状況が違うんだから。

自分で「宋代」と一括しているではないか。ドンだけお花畑な脳みそしてるんだ?

> 唐・五代と続く宋代でそれまで以上に一気に文化が発展したのは事実。

それは要するに前の時代より発展しましたマル
というのとどう違うのかね?「最高の文化発展を遂げた」とはえらい違いだぞ。
遼の仏教関連遺跡とか、別に北宋に劣っていたとは思えんけど。

>>440
唐三彩って知ってる?それに絹のどこが一次産品なんだよ。
445世界@名無史さん:2007/10/24(水) 10:29:51 0
>>443
中国の党派争いは明らかに科挙が原因。
その害悪は計り知れない。
446世界@名無史さん:2007/10/24(水) 20:29:25 0
>>445
証拠というかどういう論理でそうなるの?

貴族制だった唐以前、科挙が停止された元代。
どっちも党派争いやってるぞ。
447世界@名無史さん:2007/10/24(水) 23:18:14 0
>>442
遊牧民なんて話すことないもん
448世界@名無史さん:2007/10/26(金) 17:22:31 O
とりあえず>>426の空知識はあまりにもヒドイな
貴族の専横を容易にしたとか、見当違いもいい所。むしろ逆だ
唐代にあった蔭位の制のような、貴族に対する試験免除制度も無くなったし
受験資格も広く開放されていた。貧しい階級の人間が科挙を通る事もめずらしくは無かったんだよ
貴族階級が要職を独占していたとかは無い
てか、その前に宋代に貴族階級なんてほとんど残ってねーよww
当時の科挙は最先端かつ、有能な人材を最も採用できていた制度と言っていいと思う

あと、確かに中国には大きな派閥争いが多いけど、その原因が科挙と言ってる人は何を根拠にしてるの?
449世界@名無史さん:2007/10/28(日) 04:30:43 0
>>448
お前ホント負けず嫌いだなwww
450448:2007/10/28(日) 19:47:07 O
いやいや、俺はこのスレに書き込んだの初めてだったよw
あまりにも事実に反する事を言う奴がいたから気になっただけ
誰も、具体的にそこを突っ込まなかったからさ
451世界@名無史さん:2007/11/03(土) 02:21:50 0
ど素人が流れぶった切って質問。

遊牧民が中原に征服王朝を立てて漢民族を支配するでしょ。
で、そのあと「皇帝になった一族」以外の遊牧民たちは何になるの?
貴族? 軍人? また長城の外に戻って遊牧生活?
452世界@名無史さん:2007/11/03(土) 19:55:36 0
北魏では上流階級が貴族化、中流程度は世襲軍人化した。
特に洛陽遷都以降は北方の中央貴族となった層と北方の軍事拠点に残された層にえらい差が出てきた。
結局北方に残留した軍人が反乱を起こして北魏は滅亡した。
453世界@名無史さん:2007/11/03(土) 23:36:36 0
北魏や隋・唐のような北朝系の王朝は、
やはり、漢化しても騎馬兵を主力としていたのでしょうか?

アホな質問だけどエロい人教えて。
454世界@名無史さん:2007/11/04(日) 05:50:45 0
http://www.ugoky.com/chizu/ugoky_chizu.swf
・・・これじゃ万里の長城も作るわな。
455世界@名無史さん:2007/11/05(月) 21:30:59 0
>>454
すげー
456世界@名無史さん:2007/11/24(土) 19:02:49 O
中国と遊牧民については、この本が面白かったよ

拳骨拓史『「日本と中国」歴史の真実』(経済界)
http://www.amazon.co.jp/dp/4766710371?&camp=759&creative=3823&linkCode=wey&tag=fisteh-22
457世界@名無史さん:2008/01/02(水) 19:34:00 0
匈奴、突厥あたりが好きかな
458世界@名無史さん:2008/01/05(土) 11:40:28 0
ケツを突くから、突厥。
その後裔のオスマン王朝は征服地のヨーロッパ人の貴公子を集めて小姓に取り立てる、
マムルークは捕虜を……
459世界@名無史さん:2008/01/05(土) 19:39:32 0
デヴシルメは一般庶民とかから徴集してたらしいけど
460世界@名無史さん:2008/03/20(木) 19:04:00 0
異民族が漢人の傭兵になって
異民族が華北に増える
異民族が反乱を起こす
そして争ううちに異民族が漢人になる
この繰り返しなんだろうな
461世界@名無史さん:2008/03/20(木) 19:38:52 0
未だに中国史を循環で捉える奴がいるんだなあ。
462世界@名無史さん:2008/03/21(金) 10:59:12 0
>>461
中国の歴史は同じパターンばっかりやってるようにしか見えんよ
463世界@名無史さん:2008/03/21(金) 19:20:29 0
>>461
461は、しっかりと説明すべき
明らかに説明不足
464世界@名無史さん:2008/03/23(日) 13:21:53 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
465世界@名無史さん:2008/05/17(土) 20:52:00 0
なるほど!>>461に言いたいことは、

「進歩史観で捉え直せ」ということだな!
466世界@名無史さん:2008/06/12(木) 14:42:50 0
sage
467世界@名無史さん:2008/06/13(金) 01:44:57 0
もう遊牧民国家って無理なのかなぁ
ある程度の版図を維持し定住型都市ではなく
かつその中で季節ごとに首都も都市も首都機能も移転する草原の流浪国家
世界に一つぐらいそういう国があってもいいなぁ
ここ50年ぐらいでどの国も同じような形態になっちまってまたく魅力がなくなっている
もっと個性を!!
468世界@名無史さん:2008/08/21(木) 03:15:33 0
>>461は自虐史観で説明するべき!
469世界@名無史さん:2008/09/17(水) 16:28:24 0
470世界@名無史さん:2008/11/10(月) 01:13:15 0
数年前に岡田英弘氏が「sapio」に中国史に関する論文を寄稿してたけど、
その論文中で「後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には漢族の王朝は明の300年足らずしかなかった云々」って書いてた。
隋は遊牧民系、遼は北アジア系とか詳しく書いてた。
471世界@名無史さん:2008/11/10(月) 05:57:33 0
遊牧民−Wikipedia

中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。
ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。
さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、
明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、
遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない
472世界@名無史さん:2008/11/10(月) 12:48:26 0
宋は支那文明の終わり花みたいなものだ。
技術や社会制度の進歩が無い支那文明が、余ったエネルギーを享楽に注ぎ込んで
絵画芸術が華やかになったに過ぎない。
日本の中世の行き詰まった、徳川幕府期の元禄文化や化政文化のようなものだ。
473世界@名無史さん:2008/11/13(木) 02:46:17 0
質問ですが、
ウィキの漢民族の項目に「日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている」や、
唐の項目に「唐李氏は鮮卑系であるとの見解が戦時中に日本の宮崎市定によって出され、以後日本学界ではこの考え方がほぼ定説となっている。
なお、近年の中国では、宮崎説を「日本軍の中国支配のために持ち出された論説である」と批判する見方もなされている。劉及辰『京都学派哲学』(光明日報出版社 1993年)または『日本対中国的文化侵略』叢書 (昆侖出版社) 」
といった記述があるのですが、これはつまり中国の学界では唐李氏は鮮卑人ではない。あるいは鮮卑人とは認めていないという事でしょうか?
台湾の学界や韓国の学会やアメリカの学界等の日本以外の学界では唐李氏=鮮卑人は定説とはなっていないのでしょうか?


474世界@名無史さん:2008/11/16(日) 03:20:11 0
岡田英弘氏って評価どうなんですか?
475世界@名無史さん:2008/11/16(日) 05:18:08 0
科挙を単なる登用試験制度のように勘違いしてるバカがはびこってるなぁ。
「みなさーん、試験で官吏を選びますよー。
 試験範囲はここからここまで。
 登用する官職はこれとこれ。
 試験の日程と応募要綱は、かくかくしかじか。」
なんて方法でやってたイメージで捉えてるから、そういう勘違いをする。

実際の科挙は、募集要項も日程も登用する人数や官職も、どの時代の科挙にしたって
すべて非公開。
判っていることは、下級の試験ですら、相応の官職にある者の推選が受験資格。
コネと財力が推薦を得られない、官職に就いてる者しか試験の日程や応募のしかたすら
判らない。
試験によって有能な者を官吏に登用する名目が、結局のところは、特定の縁故の者が
官職を占め。賄賂社会を築く原動力にしかならなかった。
476世界@名無史さん:2008/11/16(日) 09:55:48 0
落第したとはいえ、客家の生まれの洪秀全が何度も受験してるし、
両替屋の番頭の息子の蔡元培にいたっては合格して任官してるけどな。
477世界@名無史さん:2008/11/16(日) 11:09:23 0
客家ネットワークを駆使しても金が続かなければ受験できるだけ。

両替屋というは立派な特権層じゃん。
銀行と蔵役人と徴税官とを兼ねてるようなもので、商人でありながら支配層の一部。
当然、財力もある。コネもカネも任官するまで続く。
478世界@名無史さん:2008/11/16(日) 11:56:37 0
蔡元培の親父は両替屋そのものじゃなくて、使用人である番頭だろ。
479世界@名無史さん:2008/11/17(月) 00:03:18 0
:世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:41:55 0
日本人は外国の王朝の"帰属の基準"を
血統に偏らせ過ぎてるといわれた

たとえば中国の学界は、隋や唐を当然ながら純然たる中華王朝、
すなわち、漢民族の王朝とみたがる(というか断定してる)
ところが日本の学界は、隋や唐の初期の皇帝が草原の出身
すなわち万里の長城の外、遊牧民の血統者であることに粘着し
隋や唐を半征服王朝といった位置づけで捉えている

つまり近代国家成立以前、国境などあってなかったような大陸では
隣の民族と血統を峻別することなど不可能、という諦念があって
その王朝の帰属条件を文化に求める傾向がある
つまり祖先が遊牧民であっても、漢民族の言葉をしゃべり、
漢民族の服装、文化、つまり風俗を受け入れた者は
漢民族に認定する、という感覚をもっている

一方、古代から海で国境を隔てられてきた日本人は
自他の民族の血統を峻別しようとする傾向がすさまじい
とっくに混血してトルコ化しているティムールの一族を
祖先がモンゴルから来たからモンゴル人だ、などというのは
日本人の血統信仰の証左に過ぎまい
480世界@名無史さん:2008/11/17(月) 05:33:20 0
岡田英弘氏って評価はどうなんですか?
一流学者?二流学者?三流学者?
481世界@名無史さん:2008/11/17(月) 14:57:02 0
>>480
おいらの個人的な感性だが、一流であるのは間違いない、
ただ少々癖が強いとは思うのだがww
まあ、網野さんだってかなりの左翼だったからなぁww
この辺のところは笑い飛ばすしかあるまい。
482世界@名無史さん:2008/11/18(火) 03:23:01 0
>>478
両替屋の番頭は両替屋でないとでもいうのか。
まぁいいや、それで、蔡元培の親父を雇っていた人の名前は?
支那人は家族経営で、日本の幕藩時代の商人にあったような上級の雇い人とオーナーとに
血縁が無いようなことは滅多に無かった出よ。
483世界@名無史さん:2008/11/18(火) 20:41:09 0
>>479
唐は中国最大の領土の上日本に一番影響のある国だから
漢民族ってことにしとかないとあいつらの面子が維持できないんだよw
484世界@名無史さん:2008/11/19(水) 01:17:26 0
唐の鮮卑の子孫は今の漢族だけどな。
華北を領土としてモンゴル高原の柔然と死闘を繰り広げた
北魏の鮮卑も遊牧民と呼べるのだろうか。
485世界@名無史さん:2008/11/19(水) 13:26:14 0
>>479>>483
「週刊東洋経済」5月3日・10日合併号の総力特集「中国と世界経済」に、
「韓国ジャーナリズムの大御所」って肩書きで趙甲済っていう韓国のジャーナリストが論文寄稿してるけど、
その論文中に、「新羅は唐と手を組み、百済、高句麗を滅亡させた後、今度は唐が新羅と戦った。これを新羅ははねのけ、
統一を果たした歴史がある。その後、文化的友好の時代が大陸とは続いた。特に唐、宋、明といった“漢族政権”との友好時代だ。」
って書いてあるけど、唐が漢族ってこのジャーナリストの勘違いなんでしょうか?それとも韓国では唐=漢族なのでしょうか?


486世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:07:36 0
数年前に岡田英弘氏が「sapio」に中国史に関する論文を寄稿してたけど、
その論文中で「後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には漢族の王朝は明の300年足らずしかなかった云々」って書いてた。
隋は遊牧民系、遼は北アジア系とか詳しく書いてた。
487世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:12:15 0
遊牧民−Wikipedia

中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。
ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。
さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、
明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、
遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない
488世界@名無史さん:2008/11/20(木) 01:42:27 0
>>485
漢人かどうかは定義による。漢語を使い漢文化を受け入れ
漢意識を持つのが漢人ならば、我々は先祖代々漢人也と断言した
唐帝室は漢人以外の何者でもない。

自己認識(笑)民族を決定するのは歴史家たる儂に
決まっとろうがーてな立場もあるだろう。

そもそも華北政権北辺部となると色々混ざってて
鮮卑だの拓跋だの漢だの言ってもはっきりせん。
そーいや鮮卑と繋がってるのかよく分からん西夏帝室
が拓跋姓だったりするし。

無論↓9Pのように唐帝室は鮮卑拓跋なりと断言し宣伝に
これ努めるという立場もあるだろう。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/toyosi/main/seminar/2006/moriyasu_qa.pdf
489世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:18:58 0


岡田英弘氏は杉山正明氏の事を嫌ってるみたいね。
曰く「杉山の研究は俺のパクリだ」

ソース→http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/Sugiyama.pdf



490世界@名無史さん:2008/11/21(金) 21:51:31 0
元王朝は、支那支配のために中原王朝風の帝号だの国号だの使い始めた時点で
漢人王朝なのか?
491世界@名無史さん:2008/11/22(土) 14:06:09 0
中華のシステムを取り入れたのは支配の手段。
元の支配者はモンゴル人であり続けたから、元はモンゴル人王朝。

漢人ってのは、民族のアイデンティティーを捨てて最大公約数に埋没した者のこと。
492世界@名無史さん:2008/11/22(土) 23:53:50 0
>>491
俺も同じ考え
清は満州族の王朝
493世界@名無史さん:2008/11/23(日) 11:22:26 0
だれもおまいぃの考え方なんぞ訊いてないわい
494世界@名無史さん:2008/11/23(日) 13:54:00 0
元=モンゴル
清=満洲
その他=漢族
でFA?
495世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:44:41 0
>>494
そんな感じだろうね
496世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:48:55 0
>>494
……とりあえず五胡十六国と
その他大勢扱いの国名・始祖・存続年・民族あげときますね

前涼 張軌 301年 - 376年 漢族
前趙 劉淵 304年 - 329年 匈奴
成漢 李特 304年 - 347年 巴賨
後趙 石勒 319年 - 351年 羯
前燕 慕容皝 337年 - 370年 鮮卑
前秦 苻健 351年 - 394年 氐
後燕 慕容垂 384年 - 409年 鮮卑
後秦 姚萇 384年 - 417年 羌
西秦 乞伏国仁 385年 - 431年 鮮卑
後涼 呂光 389年 - 403年 氐
南涼 禿髪烏孤 397年 - 414年 鮮卑
北涼 沮渠蒙遜 397年 - 439年 盧水胡
南燕 慕容徳 400年 - 410年 鮮卑
西涼 李ロ 400年 - 421年 漢族
夏 赫連勃勃 407年 - 431年 匈奴
北燕 馮跋 409年 - 436年 漢族

<五胡十六国以外の国>

仇池 楊茂捜 296年 - 506年 氐
代 拓跋猗盧 315年 - 376年 鮮卑
冉魏 冉閔 350年 - 352年 漢族
西燕 慕容泓 384年 - 394年 鮮卑
翟魏 翟遼 388年 - 392年 丁零
後蜀 譙縦 405年 - 413年 漢族
宇文部 宇文莫圭 302年 - 344年 鮮卑
段部 段日陸眷 310年 - 357年 鮮卑
497世界@名無史さん:2008/11/26(水) 01:10:54 0
例えば祖父がアメリカ人で日本にずっと住んでたアメリカ系日本人は
日本人といえるだろう
異民族も争いを繰り返しながら同化していったと言えるんじゃない
498世界@名無史さん:2008/11/28(金) 13:30:51 0
後漢末の人口減があるので一つの時代が終わった感じだね
異民族が必要だったんじゃね
499世界@名無史さん:2008/11/29(土) 02:42:21 0
>>496
凄い凄い!!
それ以外は?
500世界@名無史さん:2008/11/29(土) 19:55:34 0
>>480
学者としての業績は間違いなく一流。
だが最近はただのボケ爺さん。