【如何なる過程で】若き日の毛沢東【赤き皇帝に?】

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206世界@名無史さん:04/10/03 16:16:31
長征はたしかに敗走だったが、その過程で共産党における毛沢東の権威と権力が確立
したてんが重要だった。長征途上でのただならぬ損害も、毛沢東には気にならなかった。
むしろ、「図体ばかりでかい雑軍」を、かれがもとめる「筋金入りの精鋭」にしてくれ
る、願ってもない篩いだったといえる。(BY鈴木明)

友軍が次々と脱落するなか、作戦の前途に弱気になっている「政敵」としての幹部
たち(陳紹ウ・秦憲邦ら)の姿を、毛沢東は虎視眈々、値踏みしていた。そして
遵義会議での一発大逆転。毛沢東は逆境をおのがチャンスにかえる天才だった…


そういえば、文革のさなかに核実験を成功させるのが中国。政治的混乱のなかで
奇妙なウルトラCをやってのける相手だということは、覚えておいていい。
207世界@名無史さん:04/10/03 16:28:29
>>206
中国が初めて核実験を始めたのは1964年。文革の2年前です。
208世界@名無史さん:04/10/05 02:36:12
初の水爆実験は文革の最中だよ。
209世界@名無史さん:04/10/22 08:59:06
永遠の青が復活したようなのであげとこう
210世界@名無史さん:04/10/22 12:08:23
関川夏央の「退屈な迷宮」によれば、武者小路実篤が大正七年にはじめた「新しき
村」運動が、毛沢東が人民公社だの大躍進だのをやらかした根っこにあるらしい。

じっさい毛沢東は、明治維新でいえば西郷隆盛って感じだな。農本的で。
あるいは西郷が、朱徳と毛沢東の要素をひとりで兼ねているってかんじ。
大久保利通は劉少奇、陸奥宗光は周恩来、伊藤博文はケ小平、山県有朋はホウ
徳懐、林彪は大村益次郎・・・うーん、このへん異論もあるかもしれんが。

西郷が敗れ大久保路線で英雄の時代を終わらせテクノクラートによる近代化をまい
進した日本と、毛沢東が勝ち動乱をへて、ケ小平すらけっきょくは近代と社会の
現実のもつれた糸をほっぽったまま、中華思想の亡霊をよみがえらせつつある中国・・・

こんどは、北京も後がない。日中の本質的落差がもたらす外交地位の再規定は、いずれ
中国の暴走で、認識されることになるかもしれない。
211世界@名無史さん:04/10/22 12:28:59
単純に聞くが、毛沢東が武者小路実篤の著作を読んだ形跡ってあるの?

周恩来なら日本に留学した経験があるけど毛沢東は日本に来たことが

ないし、周恩来のようにインテリでも無いでしょ。

詩歌は中国歴代の支配層の基本素養としてずっと後になってから

身につけたそうだけど日本人の著作に学んだとはちょっと考えづらい
212世界@名無史さん:04/10/22 16:52:05
白樺派の新しい村の運動はロシアのトルストイなどの農村共同体と
してのアナーキスト運動の影響下におこったもの。
毛沢東は日本に行った留学生からその話を聞いてその当時共感した。
ただし毛沢東の考えは刻々変化しているので後の土地改革などは
かなり変化している。
フランス留学に行けなかった毛沢東は日本への留学生もうらやんでいる。
213世界@名無史さん:04/10/22 19:48:38
フランス留学したといえばケ小平 日本留学したといえば周恩来

毛沢東がいった国といえばソ連ぐらいだっけ?

214世界@名無史さん:04/10/22 19:52:43
ちなみに煽りじゃないが、

毛沢東は日本に行った留学生からその話を聞いてその当時共感した。

↑これを証明する資料あるの?

文学方面に造詣があり、自身も文学者だったのは毛沢東と権力闘争の

末に失脚した中国共産党創立の父と言われた陳独秀だと思うのだけど

旧態然とした中国文学に口語表現を持ち込んで新機軸を打ち出したのは

彼の功績で毛はそういう方面に造詣は無かったと思う。
215世界@名無史さん:04/10/23 00:26:41
具体的な資料は知らんけど師匠格で早稲田に留学してた李大サの影響が強いと思う。
北京大学の教授でマルクス主義を中国に伝えた人物(最初ではないが)で
共産党設立時の中心メンバーで国共合作の共産党側の立役者。
あとはまあなんと言っても梁啓超の影響がでかいかと。
というか当時の中国のたいていの文化人、思想家は彼の影響を受けてると思う。
216世界@名無史さん:04/10/23 15:48:05
>>211
毛沢東は留学組のような一流のインテリじゃないけど、一応は読書人階級に属しています。
ですから、武者小路実篤の著作が中国で翻訳されてて、
読書人階級の間でちょっとしたブームになっていたとしたら、読んでいたかもしれませんね。

>>213
毛沢東は一度も留学していません。

>>214
毛沢東が文学方面への造詣が深いのは、
若い頃から多数の詩作をしていたことで証明されていると思いますが…。
十四歳の時に作った詩まで残っていますよ?
217永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/23 15:51:13
補足です。毛沢東が十七歳の時に作った詩は、
日本の釈月性が作った詩を下敷きにしたとされています。
中国にある程度日本人の著作が紹介されていて、
毛沢東もそれに興味を示していたことを示す証拠の一つになると思います。
218世界@名無史さん:04/10/23 20:20:19
なるほど。毛沢東の読んだマルクス主義の文献も日本からの翻訳が多いと聞いた
が、それはどうですか?



219世界@名無史さん:04/10/23 20:38:46
そういえば文化大革命の真っ最中に、どういうわけか
日本の戦争映画『連合艦隊』が大流行。えらく感動した
紅衛兵が「連合艦隊」(笑)という集団を結成して
「我々中国人にも江田島精神が必要だ」とか叫んでたらしい。
文革が何だったのか、ますますわからなくなるエピソード。
220212:04/10/23 23:05:33
毛沢東が新しい村について言及してる文献は中公世界の名著の
「孫文、毛沢東」や竹内好編の岩波文庫本の毛沢東選集にもあります。
湖南省の農業なんとかという例の文献と同じ本です。
221世界@名無史さん:04/12/17 22:31:51
高島俊男が書いた「中国の大盗賊」の毛沢東の項はメチャクチャ面白い
毛沢東を「最後の盗賊皇帝」と規定し、その出自から天下を取るまで、そして天下を取ってからの暴走ぶりを解り易く書いている
222世界@名無史さん:04/12/18 00:00:02
>>219
血の気の多すぎる若者が
血の気の多すぎる若者に
反応した事例。
223世界@名無史さん:05/01/05 00:14:30
毛沢東は、皇帝になりたかったはず。

ところで彼の子孫はいずこに?
224世界@名無史さん:05/01/05 09:26:26
>220
竹内好→竹内実
225世界@名無史さん:05/01/13 19:11:41
age
226世界@名無史さん:05/01/16 10:00:30
>>223
確かハイアールでエンジニアをやっている孫が居たはず
YS11作ってた東条輝雄みたいなもんか
227世界@名無史さん:05/01/16 10:48:18
>>223
娘はいるようですけど
228世界@名無史さん:05/01/16 10:50:18
>>223

(中国通信=東京)27日発中国新聞社電子版によると、今年82歳になる華国鋒・元中国共産党中央主席と夫人は、毛沢東主席の生誕109周年に当たる26日、北京の毛主席記念堂を訪れ献花し、敬意を表した。

 毛沢東の機密担当秘書の張玉鳳さんら毛沢東の生前の側近と毛沢東の娘・李敏さんが26日、毛主席記念堂を訪れ献花した。

 毛沢東の娘・李敏さんと孫娘が26日午前、毛主席記念堂を訪れ献花し、毛沢東記念堂を参観した。

 解放軍軍事科学院で博士の学位を専攻している毛沢東の孫・毛新宇氏は26日、父母に代わって毛主席記念堂を訪れ花かごを供えた。

 
http://www.china-news.co.jp/society/2002/12/soc021228.01.htm
229世界@名無史さん:05/01/16 10:53:01
毛沢東生誕110周年に当たる26日、毛沢東の孫・毛新宇さんの子供が産声を上げた。京華時報が伝えた。

これによると、病室の入り口には屏風、二つの花かごが置かれ、警備員が見守っており、他の病室とは少し違った雰囲気。医療スタッフによると、邵華将軍と毛新宇の両氏が午前中に、生まれたばかりの赤ちゃんを見にきたという。

京華時報記者が病室内での取材を申し入れたが、赤ちゃんが生まれたばかりで母親も体力が弱っているとして病院側に断られた。

関係者によると、名前は毛沢東の息子、毛岸青が決めるという。(編集SO)

「人民網日本語版」2003年12月28日
http://j.peopledaily.com.cn/2003/12/28/jp20031228_35377.html
230世界@名無史さん:05/01/16 10:54:47
今年は毛沢東生誕から110年目に当たる。
北京市の王府井書店6階では5日午後、毛沢東の孫・毛新宇氏が著書「祖父・毛沢東」の出版サイン会を開く。
本書は毛沢東の一生を年代順に8段階に分け、毛沢東の理想・思想・感情・業績を史実に従い生き生きと描写している。
毛新宇氏はサイン会で、かつての革命家への長年にわたる取材活動を読者に紹介する予定。
(編集NA)

「人民網日本語版」2003年11月5日
http://j1.peopledaily.com.cn/2003/11/05/jp20031105_33802.html
231世界@名無史さん:05/01/16 10:56:53
故毛沢東主席の孫に当たる毛新宇さんが抜群の歌唱力を見込まれ、
毛主席をたたえる歌を中国のレコード会社から今年十月に売り出すことになった。

 中国紙首都経済信息報によると、新宇さんが毛沢東思想シンポジウムに出席した際、
たまたま披露した歌のうまさに出席者一同ビックリ。
レコーディングの話がとんとん拍子にまとまった。新宇さんは九月の録音を控えて毎日、
音楽教師のレッスンを受けるほどの熱の入れよう。

 新宇さんは中国共産党中央党校の研究生。その傍ら、北京の外資系ホテルなどで
経営の研修も受けるなど、ビジネスにも関心を示しているようだが、
「歌手になるつもりはありません」ときっぱり。

http://www.come.or.jp/hshy/j95/08e.html#08
232世界@名無史さん:05/01/28 22:17:38 0
やっぱ中国を支配するのは大多数の占める農民出身じゃなきゃな
蒋介石は上海辺りの出身で日本にも留学してるし嫁は英語話せる都会人だからダメなんだ
歴史的にもそうでしょ
233世界@名無史さん:05/02/12 17:32:00 0
農民あがりの皇帝って漢の劉邦と明の洪武帝のほかにいたか?
234世界@名無史さん:05/02/12 18:19:48 0
>>233
蜀漢の劉備、宋の武帝劉裕とか。
235世界@名無史さん:05/02/12 20:57:13 0
>>233
三日天下だけど、李自成も。
236世界@名無史さん:05/02/13 23:12:11 0
内陸部出身じゃないとなって意味か
237世界@名無史さん:05/02/16 08:28:54 0
>>232
おまけにクリスチャンときているからどうしようもねーなw

毛沢東語録はどう考えても論語と中国の故事をパクっている。
238世界@名無史さん:05/02/20 11:44:56 0
> スタートラインではナイナイ尽くしの男が権力を獲得していった過
> 程が、自分にはどうしてもわからない。
> 誰か詳しい方、ぜひともここで教えてください。

に、誰か答えてあげなよ。
239世界@名無史さん:05/02/20 23:38:10 0
彼は最初湖南という地方で新聞を発行したりして地位を築いた。
共産党の湖南代表となった。
メンバーの内共産党主流は輸入した共産党理論をもっていたが、
資本主義のほとんど無い中国では適合しにくかった。
農村出身の彼が農地解放を中心においたので一般党員に理解しやすかった。
彼はライバルを蹴落とす才能が異常に発達していて権力を取っていった。
中国共産党は殲滅される状態にあったが、日本が介入することにより、
蒋介石の力が分散し共産党に有利な流れになった。
ドイツがソ連共産党政府を、日本が中国共産党政府を作った。
240世界@名無史さん:05/03/07 01:10:29 0
>>233
江南出身というくくりでも歴代では珍しいかも?
241世界@名無史さん:05/03/14 11:03:49 0
処女食いについてもっと詳しく。
242世界@名無史さん:2005/04/09(土) 13:19:33 0
「永久革命論」も「易姓革命説」に影響された発想かもね。
243世界@名無史さん:2005/04/17(日) 00:02:32 0
毛沢東語録自体も古典に結構影響受けてる観があるものね。
244世界@名無史さん:2005/04/27(水) 18:36:01 0
>>240
確かに。江南出身で天下を取ったのは、朱元璋くらいか。
245世界@名無史さん:2005/04/29(金) 14:30:39 0
出産政策進めて人口爆発煽った成果が今頃出てきてるな。
二十年経過で見るとまごう事なき蛮行だったが資本主義
にずぶずぶ漬かり込んだ今では概ね成功しとる。
(ネット人口9500万なんて普通アリエナイ)
246世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:04:26 0
党員数6500万人もあり得ない。


247世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:27:57 0
でも有権者0
248世界@名無史さん:2005/05/05(木) 07:59:22 0
>>239 中国共産党を成立させたのは米帝の意思によると考えています、
露帝が主導し米帝が共同共謀して実施した世界植民地戦争では始めから
中国は露帝の取分であったのではないかと考ます。
蒋介石が中共合作を容認せざるおう得なかったのは同席した米帝将軍から
共産党を助けないと援助も打切ると脅されたに違いありません、蒋介石は
例え世界植民地戦争で勝者になっても中国を与えられないと知って愕然と
したのではないでしょうか。
ついでに言うと朝鮮半島も露帝の取分になっていて、たまたま南部は先に
米帝が侵略したのでそのまま分断されたが、本来は露帝の領分でその約束
を実現しようとしたのが朝鮮戦争でした。だから本来は米帝は反撃しない
約束であったのが、マック将軍が面白そうだからと反撃を実施し見事に
成功したのです、後でマック将軍は解任され懲罰裁判に掛けられ有罪で
死刑にはならなかったが幽閉されたと考えるべきです。
(大謀略史観ですが歴史の流れには合致しています)
249世界@名無史さん:2005/05/05(木) 08:10:58 0
マック将軍てだれ?
250世界@名無史さん:2005/05/05(木) 12:50:28 0
カーネルよりエロい人
251世界@名無史さん:2005/05/15(日) 11:54:28 0
そういや陳独秀ってヤツが世界史教科書で最初に中共を作ったって
でてくるけど その後、でてこないよな

かれは中共の中心になれなかったのか?
252世界@名無史さん:2005/05/22(日) 13:25:23 0
もう歳ですから。
初期の有力者達は日本軍に殺されたり他の連中との抗争で殺されたりで毛沢東はかなり運がよかった感じ
253世界@名無史さん:2005/05/23(月) 14:44:34 0
254世界@名無史さん:2005/06/07(火) 21:34:47 0
「反面教師」を造語したのはこの人?
255世界@名無史さん
>初期の有力者達は日本軍に殺されたり他の連中との抗争で殺されたり
で毛沢東はかなり運がよかった感じ

中共の幹部で日本軍に殺された人物は実に少ない。
幹部は危険を犯さないで部下だけ人海戦術をやったせいも
あるが、日中戦争初期以後は闇討ち以外の本格的戦闘はない。