ふむれす
ポラックヲタは巣から出てくるなよ。
>>676 違うよ
ウィーンでカフェを始めたのはアルメニア人で第二次ウィーン包囲より前
ポーランド人が始めたというのは単なる俗説で間違い
>>679の文では不十分なので
1645年には既にウィーンの宮廷でオスマンからの使者にSchwarzes Wasser(黒い水―コーヒー)を出し接待した
カフェをウィーンで初めて出したアルメニア人商人Deodatは1670年にウィーンの宮廷からコーヒー豆の輸入許可を得て
1705年までカフェをウィーンで開店できる独占権を宮廷から付与された
コルシツキーみたいなペテン師の言うことをいまだに信じているやつがいるんだな。
Deodatの話はよくあるアルメニア人の捏造話では?なんの証拠もないんだよね
ウィーンにコルシツキーの店は実際にあったしコルシツキー記念通りもあるしコルシツキー祭もやってたからねぇ
捏造とはすごい言いようだな
さすがに一言言わざるを得ない
デオダトないしはディオダートがウィーンに初めてカフェを開いたのは歴史家も認めた史実
コルシツキ説は現在単なる伝説
これは公式のオーストリア・ニュースやオーストリア、ウィーンの観光案内、そして近年発刊されたコーヒーの歴史本に
異口同音この事は書かれてあることだ
ソビエツキ王がカフェ文化を広めたなど初めて聞いた事をレスしているみたいだが
もしそれが万が一事実とするならポーランド人のコルシツキはなぜカフェをクラクフでなくウィーンで開いたのか
さぞかしコーヒー好きのポーランド王はなげくだろうな
よく分からんが文献をあげれば決着つくんでないの
うわすごい捏造w
>>679 >>680 >>683そこまで言い張るかw
そもそもクルチツキが「最初にコーヒー屋を始めた」とは誰も言ってないな。
ウィーンでもはじめから「最初のコーヒー屋」とは言ってない。おまえが勝手に勘違いしてるんだよカス。
クルチツキがやっていた「青いボトルの下の家」という名前のカフェにウィーンっ子が集まったので
そこからウィーンのカフェ文化が花開いていったのが真相。
理由は一つに、クルチツキが最初にコーヒーにミルクと砂糖を入れることを始めたためにコーヒーが飲みやすくなって
それで「青いボトルの下の家」が評判となって、ウィーンっ子たちの社交場になったのが一つ。
もう一つの理由は、それ以前にもデオダドなど、コーヒーハウスをやっていた人々は確かに何人かいたのだが、
彼らのコーヒーは飲みにくい上、非西欧圏の人間がやっていたから普通のウィーンっ子が寄り付かなかった。
日本でも東京などの下町でケバブ屋ができたとき日本人が寄り付かなかったのと同じことな。
クルチツキは西欧カトリック圏の人間だからウィーンっ子が安心してお店に集まったわけ。
さらに、メイドカフェ等コスプレカフェというのはクルチツキの「青いボトルの家」が世界初。
そしてクルチツキが発明したウィーン名物のWiener Melangeを飲むときはいつも彼の偉業を思い返すこと。
>>685 いや、ウィーンで最初のコーヒーハウスを始めたのはコルシツキ(クルチツキ)だよ
「青いボトルの家」はウィーン最初のコーヒーハウス
オーストリアでのコーヒー豆の販売はそれ以前からアルメニア人がやっていた上に
コーヒーはポピュラーではないにしても個人の家レベルではそこそこ飲まれた
デオダトはそのアルメニア人のコーヒー豆商人の一人だ
1700年ごろからアルメニア人たちもコーヒーハウスを開くようになる
デオダトも1710年かそのころにプラハへ移ってコーヒーハウスをオープンしているな
ポラック(笑)
>>685-688 そこまで連レスしてまで言うなら次のところへ抗議文出してHP上や刊行本上のデオダトないしはディオダート史実説を訂正させてみろ
近日中にな
もし全てがコルシツキ史実説に訂正されたならここで謝罪してやろう
オーストリア政府観光局
オーストリア航空
地球の歩き方 ウィーンとオーストリアをはじめとするオーストリアの観光案内書
最後に平田達治氏の著作『ウィーンのカフェ』から文を引用しよう
第7章 史実が明かすコルツィツキー(p105)より抜粋
「これまで“コルシツキー”という誤った名でつたえられてきた、コルツィツキーに関する事績は、 《これすべて後世が捏造した作り話であって》
トルコ軍による第二回ウィーン包囲戦の頃、彼がある種偵察任務に就いていたこと以外は
《なんら事実でないことが最近の研究でわかってきた》」
せめて伝説上の名でなく、本名使ってほしかったな
どっちがどうなのかよく分からんが、「捏造」だの「真相」だのというタームを使ってると
うさんくさい感じがする。
あと685とか活発に論じてる割には、一冊も出典出してないのは気になるな。
692 :
世界@名無史さん:2009/03/04(水) 09:18:28 0
ここで出典を出さないとコルシツキ捏造説が日本に広まるぞ
事実と関係ないところでな
ここまでの議論を読んだ。
コ派1:「ウィーンのカフェ文化を広めたのはポーランド人のコルシツキー。」
デ派1:「違う。ウィーンで最初のカフェを始めたのはアルメニア人のデオダト。」
デ派2:「コルシツキーはペテン師ニダ。」
コ派1:「は?誰が最初のカフェだと言った?コルシツキーが世界初のコスプレ喫茶を始めて、
そこで出すコーヒーにミルクと砂糖を入れて評判になるまでは、カフェ文化はなかった。」
コ派2:「いいやコルシツキーが最初のコーヒーハウスを始めたんだよ。他のはカフェの体裁じゃなかった。」
デ派3:「ポラック死ねニダ。」
デ派1:「だったら最初のカフェを出したのがデオダトではないという運動をしろ。平田達治は
コルシツキーは捏造だと言っている。」
さて、ここで本格的に議論しているコ派1とデ派1の説を検討してみよう。
「ウィーンでカフェ文化を広めたのがコルシツキー」というのがコ派1の主張。
「ウィーンで最初のコーヒー店を出したのがデオダト」というのがデ派1の主張。
両者は矛盾していないと思われる。
したがって、ここではいったい何の議論をしてるんだろう?デ派1は何と戦っているんだ?
>>691 出典は気にする必要がないと思われる。
コ派1の主張を裏付ける出典は簡単に検索できる状態にある。
695 :
世界@名無史さん:2009/03/04(水) 10:10:46 0
ドイツ語関係者って信用できねぇwww
根拠薄弱なのに声デカイし運動するしな
平田達治なんか文学者で翻訳家のくせに、まるで自分が調査したかのような言い方www
阪大名誉教授の権威をフルに使ってプロパガンダしております
「コルシツキーは捏造」説もどうせあれだろ、一人の研究家が最近言い出した説を
あちこちでネズミ講的に広めて真実化しているいつものやり方だろ
ポラック(笑)
ナチヲタは巣に帰れよ
昨日でレスるのをやめようと思ったが
文を引用させて頂いた平田氏個人に対する名誉毀損に相当する誹謗中傷を午前中の仕事中?に連レスまでしてすることか
他の文章もなんら納得できる文献も示せず、訳も解らずに脈絡もなく、一方的に罵倒してるだけではないか
だいたいウィーンで初めてカフェを開いた人間がポーランド人でなく、アルメニア人であったという史実だけで何の不都合生じるのか
ヨーロッパで初めてというならウィーンよりロンドンでギリシャ人が開店したのがヨーロッパ初だし
言っておくが、平田氏の著作では第6章 伝説の語るコルツィツキーとして今まで語り継がれていた伝説をわざわざ1章割いて書かれている
反論者はポーランド王がウィーンのカフェ開店に関与したなどどの書物にも書かれていないことを主張したり
こちらが一つも言及していないドイツ?がどうのこうのでこちらを罵倒したり
恐らく慌ててサイト検索して粗探ししただけの自分に都合のいい部分だけ抽出しただけで終始一貫性なく罵倒しているに過ぎない
平田氏個人に対する誹謗中傷をやめるべきだろう
もしするなら自らの素性を公開すべきだ
あまりに卑怯な行為である
これではこちらが新たに参考文献挙げたくとも二の足を踏む
とにかく平田氏に謝罪するように
頭のおかしいポーランドヲタに何を言っても無駄なのに。
言い忘れたが
>>688の言う青いボトルの家?
ブラウエ・フラッシェ(青い瓶の家)の事だと思うが、ウィーン初のカフェでない上に
そこを開店したのは“コルシツキー”でなく、イザーク・ドゥ・ルカというアルメニア人だ
ドゥ・ルカはオイゲン公の元で対オスマン戦の伝令として活躍した
真実の“コルシツキー”たるコルツィツキーは
ウィーン包囲戦での伝令で功があったのはわずかに1回でしかも危険も何もないところで
むしろ伝令として功があったのは伝説では“コルシツキー”の従者として扱われているミヒャイロヴィッツで
彼は敵火に身を曝しながら伝令を2回果たす
それを嫉んだコルツィツキーが宣伝ビラで自らの功績を吹聴した
しかしコルツィツキーの思い通りにはいかず、ドーム小路の貧しく陽の光も射さない裏長屋に住み
極貧の中、1694年2月19日に結核が元で死去
コルツィツキーの未亡人は貧窮院に助けを求めた
従ってコルツィツキーはとてもカフェを開くどころか自らの日々の生活にすら困窮していたのである
先に述べたブラウエ・フラッシェ(青い瓶の家)の開店は1705年であるから
開店時はコルツィツキーの死後11年後だ
傍から見るとあまりに議論が噛み合ってないので逆に自演に見えてきた。
ふいんき読まずに一言
ヨーロッパ最初のコーヒー店はヴェネツィアのサンマルコ広場に現れた
現存するヨーロッパ最古のカフェもサンマルコ広場のカフェ・フローリアン
703 :
世界@名無史さん:2009/05/18(月) 23:00:17 0
久々に来たら変な議論に・・・ コーヒー史には興味があるからまとめてみた。
・ウィーンで初めてカフェ
アルメニア人商人Deodatのもの。1670年に宮廷からコーヒー豆の輸入許可を得て、1705まで独占的にカフェを開く権利を得る。
1710年頃にはプラハへ移ってカフェをオープンした。
※アルメニア人の商人がコーヒー豆の販売はそれ以前からやってて個人の家ではそこそこ飲まれていた。
※1645年にウィーンの宮廷がオスマンからの使者をSchwarzes Wasser(黒い水―コーヒー)を出して接待した記録がある。
・ヨーロッパ最初のカフェ
仮説1)ロンドンでギリシャ人が出した店
仮説2)ヴェネツィアのサンマルコ広場に出された店
・現存する最古のカフェ
サンマルコ広場のカフェ・フローリアン
(決着した説)
・最初のコーヒー店のように言われてるブラウエ・フラッシェ(青い瓶の家)はヨーロッパ初でもウィーン初のカフェでもない
・またそれを開いたのは、ポーランド人の軍人いわゆるコルシツキー=コルツィツキーではなく、イザーク・ドゥ・ルカというアルメニア人
・真実のコルツィツキー像は勇敢な軍人ではなく、むしろ部下の伝令の功績を掠め取ろうとした人間
しかも最後は極貧の中で窮乏して死に、カフェを開くどころの段ではなかった。
反論が無い以上はこうなるな。
反論どうこうよりも出典は?
必需品
707 :
世界@名無史さん:2009/08/03(月) 22:25:10 0
708 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:18:59 0
インド南部は紅茶よりコーヒーが多い
栽培もしていて、ほとんどすべて国内で消費してる
大きい国だから南と北で文化違う
あの辺は高温でコーヒーの葉さび病があるから アラビカ種の栽培には向いてない
イギリス人が好んで 紅茶を飲むようになったのは セイロンのコーヒー園が さび病で壊滅したから
709 :
世界@名無史さん:2009/08/10(月) 22:20:07 0
ベトナムコーヒーっていうと練乳入った甘い奴だったか あの国は結構パンが美味いらしい
流石は元フランス植民地
>>709 ベトナムは今や世界二位のコーヒー輸出国
でもロブスタ種
コーヒーのない生活が受け入れられますか?
712 :
世界@名無史さん:2009/08/28(金) 14:50:42 0
>>711 受け入れられませんなぁ。
もう、欧米人だけでなく日本人にとってもコーヒーは国民飲料化してると思う。
713 :
世界@名無史さん:2009/10/13(火) 12:17:27 0
俺はあんまりコーシーは好きじゃないなぁ・・
砂糖やミルク入れないと飲めないなんて欠陥品じゃないの?
日本茶なら砂糖とかいれないでそのまま飲める
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/ ____ \|
ヽ..´ _、ヽ, ヽ
ミ, ,_ノ`ノノ 砂糖はホワイト…
[ ̄]'E
.  ̄
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ヽ..´ _、ヽ, ヽ
ミ, ,_ノ`ノノ コーヒーはいらねぇ…
[ ̄]'E
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ヽ..´ _、._ヽ, ヽ サラサラサラ
ミ, .◎E´ サラサラサラサラ
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ヽ..´ _、ヽ, ヽ シャクシャクシャク
ミ,. *`ノノ シャクシャクシャク
[ ̄]'E
.  ̄
w
717 :
世界@名無史さん:2010/01/13(水) 18:30:57 0
718 :
世界@名無史さん:2010/02/02(火) 14:45:15 0
紅茶の自販機少ないね
コーヒーの法がはまるということか
以前、ウィーンのコルシツキー祭りに行ったことがある
720 :
世界@名無史さん:2010/02/06(土) 11:54:24 0
>>718 日本以外に自販機で売ってる国あるかな?
721 :
世界@名無史さん:2010/04/25(日) 20:32:23 0
外国だと自販機壊されて小銭を盗まれるか
外国製のコーヒー・茶飲料はたしかにカンカンに入ってるのは見かけないね。
自販機に関しては、だいたいどこの国の人も
「ちゃんと商品もおつりも出てくる機械がこんなにあるなんて!」と驚くね。
あっちだったら自販機荒らし、というより機械ごとレッカーされるんだろうな・・・
しかし、中年過ぎた今でも自分が茶飲み人間なのかカフェ人間なのか定まらない。
茶飲み国の人間だからやっぱり茶人間なのか。
というか、釣り銭を計算してくれる自販機を製造できる国なんて、世界に何ヶ国あるか。
ヨーロッパには一ヶ国しかないかも。
724 :
世界@名無史さん:2010/05/30(日) 15:31:27 0
その一ヶ国とはいずこ?
725 :
世界@名無史さん:2010/05/31(月) 10:16:30 0
726 :
世界@名無史さん: