1 :
世界@名無史さん:
このスレは、歴史上の著名な政治家・軍人・国家指導者達の能力を”光栄”の歴史
シミュレーション風に数値で勝手に表してしまおう、というスレです。
数値の指標、前スレ、関連スレなどは
>>2-5
2 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:48
能力値の基準
0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神
3 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:48
各能力値の説明
右にある指標については、いまだ議論中です。
【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
4 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:49
項目別TOP候補
【統率】始皇帝、チンギスハーン、スターリン
【武力】アレクサンドロス、ナポレオン、トハチェフスキー
【知力】カエサル、サラディン、マンネルハイム
【政治】アウグストゥス、康煕帝
【魅力】劉邦、カエサル、ムハンマド、リチャード一世、サラディン
5 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:50
6 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:53
, -――-、――- 、
/ ヽ、
/ , ・ ニ二二二二ニヽ ヽ、
| レ´ ` ヽ
| | // / l | | || | | ヽヽ 、 |
.| | lルT_工|/VW .工_T i | N/
| | | ||´| .jl` | .jl゙|/|/レ' / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | (.| || 。二 , 二。 | | | | < …うぐぅ
(\| | ,| |ト " ^^^/ ̄ ヽ、| | /) \_____
(\.| | /| | | `, ┬―| ||/ |/ /)
\/,XXヽ lヾ|ΤTT「王王王| .| / /
ヽ L土土土| /
スレ立て乙
8 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:55
ええと・・・。
三戦板でやれう゛ぁ?
9 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:56
10 :
世界@名無史さん:03/06/05 23:58
100というのは神だという。
日本というのは多神教の国ではあるが、世界基準で見れば神は一人
という宗教のほうが大勢を占めている。キリスト教しかりイスラム教しかり。
そういう意味では、世界史板のこのスレでは神は一人として認定するべきだろう
つまり100をつけれる人物は一人ということだ。日本人的なあいまいに
運動会を手をつないで同着などということはしてはならない
それは馴れ合いである。激しく議論して勝者を決めるのだ
11 :
世界@名無史さん:03/06/06 00:00
前スレからの国自体が強勢なため個人の資質に頼らず功績をあげれた
始皇帝にしても中国を統一する土壌はすでに整っていたのでは?
ら抜き言葉はやめよう10と11
14 :
世界@名無史さん:03/06/06 00:27
ハンニバルとスコピオ禁止らしいぜ?
前スレの後半は武人論争になったので趣向を変えて、
文人の傑物を語るのもいいかも
17 :
世界@名無史さん:03/06/06 00:36
>>11 政府の意向と本人の意向が一致していたこと、という条件が付く。
まあ君主・独裁者ならほとんど一致させることは可能だが、
例えばカエサルみたいに時の政府に正面切って楯突いた場合、
国力というのは余り当てに出来ないわけだから。
むしろ本人にとっては敵にもなりうる。
18 :
世界@名無史さん:03/06/06 01:32
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
【統率】1(統率したことなんてある?)
【武力】1(戦うなんてとんでもない!)
【知力】92(まあ一応)
【政治】14(世渡り下手そう)
【魅力】30(埋葬のエピソードより。しかし後世の人間に好かれたりしてるんで)
実験みたいなモノなので勘弁して
既出の人物まとめた。各地域別の人物を時代順に並べた。
”[ ]”内の数字は評価された回数。なお、×××○世という名前の場合、○の中は半角数字で統一してある。
なお、各人物の名前は一番通りのいいものに変えている。
日本
厩戸皇子(聖徳太子),藤原通憲,源義経[2],大江広元,北条泰時,北条時頼,北条時宗,熊谷直実,竹崎季長,楠木正成,
足利義満,足利義教,足利義政,武田晴信(信玄),織田信長[3],豊臣秀吉,石田光成,徳川家康[4],勝海舟,明治天皇,
大久保利通,伊藤博文,三浦吾楼[2],森鴎外,石原莞爾,山本五十六[2],裕仁(昭和天皇),田中角栄
中国
陸遜,馬謖,孔子,蕭何,張良,韓信[2],項羽,公孫弘,趙高,武帝,魏徴,李世民,班超,呂布,劉備,諸葛亮[3],関羽[4],張飛,馬超
,黄忠,趙雲,曹操[3],陳羣[2],袁紹,孫権,周瑜,陸遜,馬謖,孫晧,郭ハク,陳慶之,李靖,衛青[2],霍去病,李陵,岳飛[2],永楽帝,
朱由検,袁崇煥
朝鮮半島
近肖古王,階伯(ケベク),金春秋,金庚信,金允侯,裴仲孫,金通精,李蔵用,李成桂,申叔舟,李舜臣,安重根,李完用,李承晩,
金聖柱,朴正煕[2],全斗換,金大中,金正男
ローマ
ハンニバル[7],大スキピオ,大カトー,小スキピオ,スパルタクス,マリウス,スッラ,ルクルス,キンナ,ポンペイウス,クラッスス,
ロンジヌス,カエサル[4],ラビエヌス,ヴェルギンゲトリクス,キケロ,キケロ弟,マルクス・ブルータス,デキウス・ブルータス,
小カトー,アントニウス,クレオパトラ,アグリッパ,マエケナス,アウグストゥス,クラウディウス,ネロ,ネルヴァ,ヴェスパシアヌス,
トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニウス・ピウス,マルクス・アウレリウス,コンモドゥス,クラウディウス・ネロ,セヴェルス,
ベリサリウス[2],ヘラクレイオス,アレクシオス1世,ミカエル8世
西欧
リチャード1世[3],フィリップ2世,フィリップ4世,シャルル六世,ルイ14世,ノストラダムス,グスタフ・アドルフ,ヴァレンシュタイン[2],
カール12世[2],フリードリヒ2世(大王),マリア・テレジア,ラザール・カルノー,ナポレオン・ボナパルト[2],ダヴー[2],
ナポレオン2世(フランツ),エンゲルス,ブランキ,ビスマルク,アドルフ・ヒットラー,チャーチル,フランコ
欧米その他
テミストクレス,エパミノンダス,フィリッポス1世,アレクサンドロス[4],アレクサンドル・ネフスキー,エスカテリーナ2世
,ピョートル3世,マクレラン,ジョシュア・A・ノートン皇帝,ブルシロフ,トハチェフスキー,ニミッツ,ジョセフ・キング,
アイゼンハワー,ラブレンティ・ベリヤ,ヨシップ・ブロズ(チトー),リスト・リチ
その他の地域
ムハンマド,アブー・バクル,イエス・キリスト,サラディン,ジュチ,チャガタイ,トゥルイ,バトゥ,フレグ・ハン,フビライ,バイバルス,
アクバル,ラクシュミー・バーイ,ガンジー,グエン・タト・タイン(ホーチミン),サロト・サル(ポル・ポト),スカルノ
乙
22 :
世界@名無史さん:03/06/06 03:37
李牧
戦国時代末期の趙の将軍。秦の征服時に大将軍となる。
統率 99 匈奴の侵攻を長期的に防衛する鉄壁のシステムを築く。
武力 85 攻め込んできた匈奴や秦を撃退、防戦のプロフェッショナル。
知力 50 秦の離間策にあっさり嵌る。
政治 80 市場の租税を軍費に当て、辺境経営にあたり破綻を見せていない。
魅力 40 君主としばしば衝突しては臍を曲げてしまう。
23 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 05:01
文人の傑物とかいったので、珍しいところをあげてみる。
タラス・グリゴーリエヴィッチ・シェフチェンコ(1814−1861)
ウクライナの国民的詩人。キエフの農村に農奴の子として生まれた。
孤児であったが、絵画の才に優れたため領主はサンクトペテルスブルグ
に送りお抱え絵師としての修行をさせる。そこで、詩文の才をも発揮
した彼はペテルブルグの友人たちからのカンパで農奴の身分から解放さ
れた。
当時、ウクライナはロシア帝国の支配下にありウクライナ語はロシア語の
方言としてしか見られていなかった。そのウクライナ語を使って彼は1840年
最初の詩集「コブザーリ(吟遊詩人)」を発表する。この詩集で使われている
ウクライナ語は、スラブ農民の方言や口語、古語を統合したもので、事実上
ウクライナ語は彼が作ったといってよい。詩集はウクライナの自然や人々、
また支配者であるロシアへの怒りに満ちた愛国的内容である。
1846年、スラブ民族の連帯や、農奴制の廃止などを訴えた
「キリル・メトディウス団」を10人程度の仲間と結成。特に暴力的な活動
はしなかったが、気に入らなかったロシアにより1847年に全員が逮捕され、
シェフチェンコは10年間の流刑生活を送る。ニコライ一世の死後1857年に
許され、キエフに戻ったがほどなく死去。
ソ連時代にはツアーの専制に反対し、農奴の解放などを訴えた英雄的
人物とされたが、ウクライナのロシアからの解放を訴えた面は全て隠され
ていました。
ソ連崩壊後独立したウクライナでは、国民的英雄とされていて最高額紙幣
には肖像として描かれているし彼の名を冠した大学や通りもあります。
この人の評価を希望します。
彼がいなければウクライナ語は成立しえなかったという点に魅力を感じます。
ハングルみたいなもんですかね?比べちゃ失礼かもしれないが。
なお、ほとんどの部分を中公新書の「物語ウクライナの歴史」から引用しました。
李牧かーかなりの名将だけどマイナーなほうだよね。
27 :
世界@名無史さん:03/06/06 08:52
>>19 半島ネタ、半分くらいどマイマーな人物がいるな
ママン。
文人というとジョゼフ・フーシェなんてどんな感じでしょう?
この人は実に興味深い。
>29
フーシェとタレイランは近いうちにやります。
ナポレオニックの義務みたいなものです(^^;)
あとはウェリントン公とかカール大公とかアレクサンドル1世とか・・・。
31 :
世界@名無史さん:03/06/06 13:15
ところで秦の白起が40万生き埋めにしたとあるが、あれは可能なのか?
普通できんだろ。
牟田口廉也(1888-1966)
日本帝国陸軍中将
佐賀県生まれ。
陸軍士官学校22期卒。7年後、陸軍大学校29期卒。その後も参謀本部勤務、フランス派遣とエリートコースを歩む。
1937年の蘆溝橋事件時は歩兵第一連隊長として第一線の担当指揮官であり、政府及び参謀本部の既定方針を無視して戦闘開始を指示。戦争の口火を切った。
この措置は全く問題にされることも無く、翌年少将に昇進。太平洋戦争開戦時には中将になっており、第十八師団長としてマレー・ビルマ攻略戦に参加。
1943年よりビルマ方面軍隷下の第十五軍司令官としてビルマ防衛の任に就くが、当初よりインド方面への攻勢を企図して方面軍及び南方軍と協議。
それが不調と見るや頭越しに参謀本部まで動かして作戦を認可させる。
このインパール作戦は企図と認可の過程からして無理があったが、作戦自体も無理だらけであり、しかも上級司令部の指導や部下参謀・師団長たちの進言も無視し続け、特に改訂される事もないまま発動を迎え、惨憺たる失敗に終わった。
この戦略的に全く意味の無い攻勢の為南方軍の防衛態勢は破綻することとなる。
作戦失敗後帰国し、一旦予備役入りした後で予備士官学校長に就任。
戦後戦犯として裁判を受けたが2年で釈放され、78歳まで生きた。
能力値
【統率】30(平時の師団長としてはそれなりだが、切所では使い物にならない)
【武力】30(戦術理論には詳しかったらしいが全く活かせていない。戦闘演習も、まして実戦でも見るべき成果など挙げていない)
【知力】50(お勉強は成績優秀だが根本的な愚か者、という典型。能力的には下士官も務まらぬと酷評する人もいた)
【政治】65(陸軍部内では発言力も人脈もあり、自らの我を通す事しばしばだった)
【魅力】50(部下からは蛇蝎のように嫌われ、同僚からは蔑まれた。しかし何故か一部の上司からの受けは良く、しかもその上司が陸軍の中枢にいた連中ばかりだった)
「撃つに弾なく今や豪雨と泥濘の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。
第一線部隊をして、此れに立ち至らしめたるものは実に軍と牟田口の無能の為なり」(第十五師団山内正文師団長)
「牟田口司令官は、 死んだ兵隊たちに誠にすまなかったと、頭を下げたことは死ぬまで一度も
なかった」 (古田中陸軍大尉)
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません。
司令官としての責任を真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい」
(第十五軍藤原参謀、切腹するつもりだがと相談されての返答)
帝国陸軍が産んだ伝説的な将帥であり、その存在そのものが陸軍の人事、教育、組織の欠点を具現している人物。それが牟田口です。
近代戦への理解も無く、組織運営もろくにできず、しかし学業優秀でエリートコースに乗り、どういう巡り合わせか国家の命運を分ける場面に出くわしては最悪の手を打つ。どうやっても弁護のしようがありません。
戦後も、自分には責任は無いと自己弁護に徹していたと言いますから、どこか壊れていた人なのかも知れません。そんな彼には、部下としてインパールで苦闘し責任を押し付けられて師団長を解任された佐藤幸徳少将の言葉が相応しいでしょう。
「牟田口は鬼畜だ」と。
スペイン継承戦争のマールバラ公の評価ってどうなんですか?
戦略機動の名手と聞いたんですが
>34
マールバラ公と言えば、エドワード黒太子、ウェリントン公と並んでイギリス陸軍史に燦然と輝く名将ですね。
かのウィンストン・チャーチルのご先祖であり、サヴォイ公オイゲンやフリードリヒ2世と並び称される「古き良き時代の戦争」の最も華麗なプレイヤーの一人でもあります。
そのうちやってみたいものですね。
夜明けまで議論に付き合ってくれた蘭太郎氏には悪いが、
先に評価を挙げてしまおう(w
ウィリアム1世(ノルマンディ公ギョーム/征服王) 1027〜1087(在位1066〜1087)
【統率】91 ノルマン・コンクエストを見事に成し遂げ中央集権的封建制を打ち立てたが、
長男ノルマンディ公ロベールによる叛乱の再発を防げなかったのでやや減点。
【武力】80 僅か1万2千の兵で全イングランドを制圧してしまったのは偉業であるが、
ヘイスティングにおける苦戦、最初のロンドン攻略の失敗等、戦術面においては疵も多い。
【知力】88 ヘイスティングにおける戦場設定、ロンドン再攻略における持久戦の手並み等、
彼の真価は戦略面において遺憾なく発揮された。
【政治】86 兵站は常に万全。ドームスディブック(イングランド全土の国勢調査)の編集、
司教叙任権の把握、大陸の封建制の導入等で一代にして強力な王権を確立。
フランス王に臣従する立場を是正せず、百年戦争の火種を残したので減点。
【魅力】49 残酷にして無慈悲。征服課程において情け容赦なく破壊の限りを尽くした。
特に北イングランドにおいては、多くの村が長年に渡り無人と化した程の苛烈振り。
臣下からも重税を巻き上げ、畏怖される事はあれど慕われる人格ではなかった。
37 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 19:39
前スレの
>>993 私は、帰還命令が無くても、岳飛が中国から金を駆逐出来たとは思いません。
完顔宗弼は「抗金名将」に負けまくってますが、その度に軍を立て直して、
和議が成立するまでしつこく南宋に攻め込んでいます。
この事は、彼が卓越した組織力を有していたことを証明しています。
おそらく、岳飛に一時的に敗れることはあったとしても、
いずれ軍を立て直して、大反攻に出たと思われます。
また、和平工作によって、岳飛を封じ込めたように、戦略家としての力量も一流でした。
采石磯の勝利の後、金の内乱に付け込んで、南宋は全軍をあげて北伐を行います。
その軍中には「抗金名将」は居ませんでしたが、李顕忠、魏勝らの名将が指揮を取っていました。
金は内乱で苦しんでいる上に、完顔宗弼のような卓越した最高司令官もいませんでした。
おそらく、岳飛の北伐より、ずっと有利な状況であったと思われます。
一度は華北の奥深くまで侵攻しましたが、最終的には大敗を喫し、
二度と北伐を行うことはできなくなりました。
このことから考えると、岳飛の北伐は最終的には敗北に終わった可能性が高いと思われます。
当時の金領内は安定していたし、完顔宗弼が居たからです。
この二つの要因を、戦術的勝利だけで覆すほどの力量が、岳飛に存在したとは思えません。
38 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 19:57
前スレの
>>993 岳飛以外の「抗金名将」も戦術的勝利を重ねましたが、
彼らの戦術的勝利の総量をもってしても、ついに金軍の戦略的優位を覆せませんでした。
項羽は、鉅鹿で章邯を打ち破り、秦の戦略的優位を一挙に覆して見せました。
章邯は何度も軍を立て直して反攻を試みましたが、
その度に敗れ、進退窮まって項羽に降伏しました。
当時、章邯は卓越した組織力と戦術能力、戦略眼を兼ね備え、
秦は圧倒的な戦略的優位を有していました。
鉅鹿であと一勝するだけで、反秦陣営を完全崩壊に追い込むことが出来たのです。
それを、項羽は戦術的勝利を積み重ねるだけで覆し、
ついには秦を滅亡に追い込んだのです。
岳飛と項羽では、まったくスケールが違う将帥です。
岳飛は英布や韓信と比較すべき人物であり、項羽とは比較になりません。
39 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 20:13
>>22 李牧は、戦国最後の名将の一人ですね。
ついでに、謎の多い人物でもあります。
歴史に登場した時点で、既に独断で役人の人事を行う権力を有し、
北辺の内政まで統括する地位にいました。
なぜ、王族でもなく、北辺の総督になる以前には、
巨大な武功をあげた記録も、印象的なエピソードも伝えられていないのに、
なぜそれほどの権限を有し、趙王の掣肘すら許さないほどの地位にいたのか。
本当に不思議でなりません。
しかし、北辺の総督になってからの彼は、不敗を誇っていました。
始皇帝の秦侵攻を防ぎ、陰謀に斃れるまで趙を守り続けました。
実に興味深い人物と言わねばなりません。
文人で武人といえば、墨守で有名な墨子きぼんぬ。
41 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 20:35
私が李牧を評価するならば、
統率は一地方の総督として高い治績をあげ、
一軍の司令官としては強力な精鋭を編成したので、
有能レベルの70台とします。
武力については、地方王国の一軍を率いて戦術的な勝利を積み重ねて匈奴の主力を打ち破り、
北方の異民族を平らげて、趙の北辺を安定させました。
天下統一後に、蒙恬が匈奴をオルドスから駆逐できたのは、
おそらく匈奴が李牧との戦いでの敗北から、立ち直っていなかったからでしょう。
圧倒的な戦略的優位を有する秦軍相手に勝ち続け、秦軍最高の名将王翦すら、
李牧がいる間は趙を滅ぼせませんでした。
彼の武勲は、統一王朝のバックアップによって北辺を安定させた衛青と霍去病を凌ぎます。
よって、武力は天才レベルの90台を与えます。
42 :
世界@名無史さん:03/06/06 20:57
●
∧))∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
‖(・∀・ *) < 皆の者!苦しゅうない!
と[,ヽy/☆) \____________
/ノ∞\,ゝ
|_|__\
43 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 21:16
知力に付いては、持久戦によって遊牧民族の侵攻を防ぐという、
防衛戦略を歴史上初めて確立したことを評価し、80台とします。
政治力に付いては、辺境交易によって軍費を調達し、
北辺の内政を統括するなど、地方総督として高い力量を見せましたが、
一度趙王と対立して、北辺の総督の地位を追われていること、
秦の謀略によって命を落としていることなどから、政略には疎かったと思われます。
彼は、組織の指導者としては有能でしたが、官僚組織の中で力量を発揮するのは、
難しかったのではないでしょうか?
北辺総督としての実績は統率力で評価し、政治力は凡人レベルの40台とします。
こんな人物がなぜ、大貴族でも、君主の信任を得ていたわけでも無いのに、
高い権力を有する地位に就けたのかは、実に不思議ではありますが。
(彼が大貴族でなかったのは、大将軍になって秦軍を破ってから武安君の称号を得たことからも明らかです)
魅力については、エピソードが無いので、何とも言えません。
ただ、北辺総督として持久戦を行った時に、
部下の兵士にすら臆病者呼ばわりされたこと、
激しく頑固な性格などから、それほど人格的吸引力があったようには思われません。
よって、魅力は凡人レベルの40台とします。
44 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 21:24
>>22 えらい強い李牧になってしまいましたが、弱体な軍隊を率い、
(趙の主力は長平で壊滅して、趙軍は二度とその打撃から立ち直れませんでした)
信頼できる部下や同僚も居なかったのに、
(ただ、李牧が処刑された時に、趙の将軍を罷免された司馬尚は、
李牧の下で活躍した将帥である可能性があります)
これだけの軍事的功績をあげたのですから、李牧は軍事の天才であるといって良いと思います。
軍人以外を評価する時の「武力」て何に置き換えてどう評価しましょうか。
政治家だったら経済力(タマ打ち込めとか言うし)や支持率?、いや支持率は統率や政治や魅力に割れそうな。
文人だったら表現力?
あとのジャンルの人は、ちょっと思い浮かびませんが皆さんどうですか。
46 :
世界@名無史さん:03/06/06 22:17
>>45 実戦経験がないなら「不明」でいいんじゃないの?
47 :
世界@名無史さん:03/06/06 22:19
>>45 基本的には一桁(もしくは無し)で、その方面の知識があると思われる人には加算。
古代の政治家は兵法にも知識があることが多いので加算。
陰謀、粛清などを切り抜けたひとにも加算。
戦略面で有効に軍を動かした人にも加算。
文化人などは、基本的に評価しなくていいと思う>武力
世の中、戦争にあけくれた人ばかりじゃないんだから。
48 :
無料動画直リン:03/06/06 22:20
49 :
世界@名無史さん:03/06/06 22:24
戦争の強さというのなら中国には秦末〜後漢だけでも
項羽もいれば韓信もいるし、劉秀もやはり恐ろしく強かったし、班超も実績は燦然と
輝くものがある。彼らは80台から90前後の数字であろう。果たして岳飛が彼らを
超越して90台の後半に届くのか、疑問である。
>45
全く戦闘経験が無い人物については、厳密に考える必要など無いと思う。
武勇伝があるとか、軍事的センスを伺わせるエピソードがあれば多少色を付けるくらいで。
武力だけなら実績を鑑みるに韓世忠と互角くらいだと思うが、
両者とも90台を与えるのは流石に無理があるんでないかい?
52 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 22:49
「失われたもう一つの可能性」
呉起(???〜前381)楚令尹
戦国七雄の戦いは、秦の勝利によって幕を閉じます。
しかし、秦の天下統一は、歴史の必然ではありませんでした。
もう一つ、天下を取る可能性のある国が存在していました。
その名は楚。春秋の時代から中原を脅かし、
周に鼎の重さを問うたほどの強盛を誇った大国です。
広大な領土と、膨大な人口を有していました。
その国民性は愛国心が強く、武勇を尊んでいました。
そのポテンシャルは秦を凌いでいました。
その楚が、なぜ天下を取れなかったのでしょうか?
楚は王族や貴族の権力が強大で、身分によって官位が決まっていました。
そんな硬直した体制であったため、小国を併呑することは出来ても、
七雄相手には一進一退の戦いを続け、春秋時代の勢いを失っていたのです。
しかし、そんな楚にも、一度だけ天下を取るチャンスが巡ってきた時代がありました。
53 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 23:00
秦が六国を凌ぐようになったのは、商鞅の政治改革がきっかけでした。
それによって、秦軍はローマ・レギオンに匹敵する組織力を得るに至りました。
しかし、その半世紀前、楚において、商鞅と同様の政治改革を行った人物が居ました。
それが、今回批評する呉起です。
彼は戦国の名将として知られ、現代に至るまで偉大な兵法家としての名を残していますが、
その最大の業績は、楚の宰相として行った政治改革でした。
彼が宰相になると、軍事・政治両面の改革を行い、楚軍を最強の軍隊としました。
そして、南は百越(越王国の残存勢力)を征服し、陳・蔡の二国を併呑し、
北進して韓・魏・趙・秦を圧倒し、天下に紛れも無い大国としました。
彼の政治路線が長続きしていれば、戦国の世を制したのは、
秦では無く、楚が戦国の最終的な勝者となっていたでしょう。
その場合、その後の中国の歴史はかなり大きな変化を見せたはずです。
楚にたった一度のチャンスを与えた人物として、
そして、法家の政治を最初に実践した人物として、
呉起の中国史における意義は、途方も無く大きなものがあるのです
54 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 23:16
呉起の統率力について、考察します。
彼が将軍となると、その軍は瞬く間に精鋭に変貌しました。
彼が楚の宰相となると、強力な指導力によって、政治改革を推進し、
法制度を整備し、命令系統を効率化し、大幅なリストラを行って財政を健全化させました。
また、身分が高いというだけで政府・軍部の高官となっていた王族・貴族を罷免し、
軍制の整備を行い、強力な軍隊を作り上げました。
そして、彼の作り上げた精鋭は、周辺諸国を併呑し、三晋・秦の軍を打ち破り、
楚の領域を大いに広げ、天下最強の大国としました。
楚が秦を圧倒したのは、彼が宰相だった時代だけです。
彼の作り上げた体制が、彼の死後も存続していれば、天下は楚のものとなっていたでしょう。
よって、その統率力は、天才レベルの「90」とします。
55 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 23:30
呉起の武力について、考察します。
小国魯の将軍として、大国斉の軍に大勝し、
魏の将軍となると、秦に攻め入って広大な地域を占領し、
西河太守に任命されて西方の守りを委ねられると、秦の東進を防ぎ、韓の軍を破りました。
そして、その生涯で84度の戦いを行い、72勝12引き分けの戦績を残したのです。
彼はこの時代では最強の将軍でした。
よって、武力は一級レベルの「87」とします。
やはり牟田口は面白くも何ともなかったので、口直しに偉大な人の評伝を。
私が近代の軍人としては最も尊敬する人物、大モルトケです。
--------------------
ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(1800-1891)
プロイセン・ドイツ帝国の元帥、参謀総長
ドイツ、メクレンブルク生まれ。父はデンマークの軍人で、母はプロイセンの貴族の娘。デンマークの陸軍幼年学校に入り任官したが、ベルリンに留学した後プロイセン軍に移った。
事務能力を買われて参謀本部の地誌課、次いで戦史課で長く勤務。その後格軍団の参謀長を歴任、ライヘア参謀総長の信任を得る。
57歳の時、病のライヘアに替わって参謀総長代理を務め、翌年正式に参謀総長に就任。このときの階級は少将であり、このことからも分かるように当時の参謀総長は割と目立たない職位だった。
参謀総長となったモルトケは、特に鉄道・通信の発展による戦争計画・作戦の変質に着目しつつ、新時代に対応できる均質で高度な教育を受けた参謀団の必要性を確信する。
かくして彼は教育と組織の改革を第一の仕事とし、静かにかつ着実にそれを進めていった。
かくして迎えた対デンマーク戦、対オーストリア戦、そして対フランス戦はかれの慧眼の正しさ、そして参謀本部という今までは目立たなかった組織の威力を全世界に見せつける結果となった。
彼と彼の手で教育された参謀達は全軍を精密機械のように運動させ、あっという間に強大な敵を粉砕していった。
その後も老齢ながら巨大な名声と栄光に包まれながら黙々と職務を続け、88歳でようやく退役。その2年後、眠るように静かに世を去った。
ちなみに大変な愛妻家としても知られているが、結婚したのは42歳の時、相手は義理の姪(妹の夫の前妻の娘)で当時16歳だった。
その最愛の妻は42歳で亡くなっており、その後20年以上男やもめを貫き通している。
57 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/06 23:56
呉起の知力について、考察します。
彼は兵法書「呉子」を著しましたが、実践面においても一流でした。
将帥としても、政治家としても、常に正しい判断力を示しました。
彼が楚の国家戦略を策定するようになると、瞬く間に楚は一大強国となりました。
魏に仕えていた頃に、主君武侯が西河に視察にやってきて、
「どうだ、この美しい山河。しかも、その景色が全て天然の要塞だ。
険しい山、広い川、これこそ我が国の宝だ」と語った時、
「お言葉ではございますが、国家の守りは地形がどうのという事ではなく、主君の人徳によります。
殷の紂が住んでいた城は、東西北を険しい山に囲まれ、南を広い川が流れていましたが、
その暴虐のため、周の武王に滅ぼされました。
今、あなたは船遊びなさってますが、徳を修めなければ、
この船の乗組員が、いつあなたを襲うかも知れません。」と諫言しています。
このように、彼は物事の本質を見抜く目を備えていました。
そして、彼を重用してくれた主君悼王が死亡し、反対派がクーデターを起こすと、
悼王の死体の上に覆いかぶさりました。
彼は反対派によって射殺されましたが、彼を殺した矢が王の死体にも刺さったため、
反対派は不敬罪に問われ、全員一族皆殺しになりました。
彼の知略は、おそろしいまでのキレがあったのです。
よって、知力は一級レベルの「84」とします。
58 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 00:13
呉起の政治力について、考察します。
彼は将帥と宰相の才を兼ねていましたが、
バランス感覚がまったく無く、何をするにも極端過ぎました。
曾子に儒学を学んだ時には、「大臣になるまで帰らない」と言って、
葬式に出なかったため、破門されました。
仕官のために家の財産を使い果たしたことをバカにされると、
バカにした人間30人を殺してしまいました。
魯では将軍になるために、妻を殺したことが不評を買って失脚し、
魏では宰相公叔の策謀によって、主君の信任を失ったために失脚し、
楚ではあまりに強引に改革を進めすぎたために、反対派に憎悪されました。
彼は豪腕でしたが、調整能力というものに完全に欠けていたのです。
そのため、主君の信任を得ている間で無いと、その能力を発揮できませんでした。
彼は組織の中で実力を発揮するタイプではなく、
君主に抜擢されて、軍や政府のトップに立って初めて、実力を発揮できるタイプでした。
よって、彼の政治力はゴミレベルの「12」とします。
能力値
【統率】100(参謀本部という組織を確立し、ラインとスタッフという現在も広く通用している組織論を産み出した功績は余りに偉大)
【武力】90(点数は付けにくいが、戦術家としても間違いなく天才的な人物。彼の出現は戦争というものを徹底的に変えてしまった)
【知力】95(大変な教養人であり、教育や文化というものへの理解も深く、かつ物事の本質を見抜く目も恐るべきもの。洞察と思索の人である)
【政治】70(政治に対する見識も高かったが軍人と政治の接近の危険性も熟知していて、必要以上には踏み込まなかった。宰相ビスマルクと対立したこともあったが、政治外交での意見はやはりビスマルクの方が視野が広かった)
【魅力】90(皇帝からは信頼され、同僚からは一目置かれ、部下からは畏敬された。生前から信奉者は多く、没後も理想的な軍人像として崇敬されている)
はい、何とでも言ってください。インフレです。甘過ぎです。ですが。
しかし、と私は言います。彼が現在に至るまで軍事のみならず全ての組織に与えている影響はそれほど巨大なのだ、と。
資料が多く残っている近代の人間であるにもかかわらず、彼を否定的に見る資料は探しても探しても出てきません。
逆に、彼の能力と人格の傑出振りを示すものならいくらでも出てきます。
冷静沈着で穏和。控えめで勤勉。目立ちすぎず引きすぎず、言うべきは言うがより正しい意見には黙って身を引く。
教育に力を注ぎ、部下には倫理と勤勉と広い視野を求め、自らそれ体現する。
兵を用いては連戦連勝、不可能を可能にし、世間の度肝を抜く鮮やかな大勝利を、後方の目立たぬ所で演出する。
全くもって完璧な軍人であり、偉大な統率者であり、希有な組織者としか言いようがありません。
宰相ビスマルクとは度々意見が食い違いましたが、モルトケはあくまで軍事的視点からモノを言っており、二人ともそれは理解していました。
ですから政治的な議論ではモルトケは常に宰相の判断に従いましたし、軍事面でビスマルクが参謀総長の方針に口を挟むことはありませんでした。
皇帝ヴィルヘルム、宰相ビスマルク、陸相ローン、そして参謀総長モルトケという組み合わせは世界史上屈指の政府首脳ではないでしょうか。
60 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 00:25
呉起の魅力について、考察します。
彼はとても複雑な性格の持ち主で、公務にあたっては冷静沈着で、
軍を率いると、兵士を手厚く待遇しましたが、
私生活では異常なまでに上昇意欲が強い上に、キレやすく、
しかも人に好かれようなどという気がまったく無い人物でした。
そのため、どこに行っても嫌われ、
魏の宰相李克には、「冷酷で貪欲で野心が強い」と酷評されています。
(もっとも、李克は大人物なので「戦上手で切れ者だから、用いるべきだ」とフォローも入れてますが)
これほど、人柄を嫌悪された人物も珍しいので、魅力は逆に凄いレベルの「5」とします。
62 :
世界@名無史さん:03/06/07 00:28
魅力5・・・
いくらなんでもそれはないんじゃない?
兵士には慕われてたみたいだし。
>>59 インフレではありますが、かの南方熊楠が「語学の天才でありながらそ
のドイツ語が完璧(外来語を混ぜたりしなかった)であった」と引き合
いに出したくらいの人物ですからね。
64 :
世界@名無史さん:03/06/07 00:33
>>58 (゜д゜)ハァ?
呉起の政治力が12っておかしくない?
政治手法は強引でも、政策は決して間違ってないぞ。
70〜80の間くらいはあっても良いぞ。
>彼は豪腕でしたが、調整能力というものに完全に欠けていたのです。
>そのため、主君の信任を得ている間で無いと、その能力を発揮できませんでした。
>彼は組織の中で実力を発揮するタイプではなく、
>君主に抜擢されて、軍や政府のトップに立って初めて、実力を発揮できるタイプでした。
これだったら商オウも楽毅、戦国時代の宰相はほとんどゴミばかりだそ。
妻殺しで不評などは魅力のマイナス要因じゃないのかな。
65 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 00:36
呉起の最終的な評価を発表します。
【統率】90
【武力】87
【知力】84
【政治】12
【魅力】 5
部下として用いれば、この上なく有能です。
将帥と宰相の才を兼ね、指導者としても傑出しています。
しかし、政治力が低いために、実績はあがっても、
反感を買ったり、別の問題を生み出してしまいます。
楚において、王族や貴族を公職から追放したのに、粛清せずに放置しておいたため、
強力な抵抗勢力を作ってしまったのがその一例です。
政治力の高いブレーンの補佐が必要です。
途方も無くアクの強い能力になってしまいました。
古代や中世では、絶対に枕の上で死ねない能力です。
66 :
世界@名無史さん:03/06/07 00:41
>>64 青の評定になに言っても無駄無駄。
どうせこのスレはみんな自己満足なんだから、
自分のゴキの能力値でも書いておけ。
67 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 00:51
>>62 たしかに彼は兵士には慕われていました。
しかし、それは強い軍隊を作るための手段として、兵士を手厚く待遇したからであり、
その人柄を愛されたからではありません。
よって、統率力として評価しました。
>>64 彼の政策は、すべて完全に正しいものでした。
しかし、その正しさを押し通しすぎたために、ひとたび後ろ盾を失うと、
その成果は水泡に帰してしまいました。
彼は組織を強くするタイプの指導者でしたが、調整するタイプの指導者では無かったのです。
そのため、せっかく組織を強くしても、強くし続けることは出来ませんでした。
よって、彼の内政能力は統率力で評価し、政治力を最低レベルにしました。
68 :
世界@名無史さん:03/06/07 00:59
>>65 うーむ。非常に偏った人物ですな。
それだけの知力が、政治方面に発揮されなかったのは何故だろう?
あとそもそも、それだけの改革を成し遂げた
政策立案・実行能力の扱いは?
69 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:02
>>64 当然、私の基準では商鞅も、統率力が高く、政治力が低くなります。
商鞅は秦を強大な組織にした天才的な組織者でしたが、
身を全うできなかった他に、外交・政略を駆使したわけでもなかったからです。
私は、呉起や商鞅は、政治家というより、組織者として評価しています。
ただ、商鞅の場合は呉起ほど極端な能力にはならないでしょうが。
>>67 調整するタイプの指導者じゃないからマイナスというのもちょっと・・・。
相手は既得権に縛られてる王族・貴族相手なんだから調整は無理でしょ。
調整してたら何百年立っても改革は無理ですよ。
組織を強くし続けることができなかったのは呉起本人の責任じゃなくて、
呉起の政策を継続する後継者がいなかったことでしょ。
後継者育てなかったのはマイナスだけど、大幅に下がる要因じゃないと思うけど。
成果が水泡に帰したのは、後の楚の宰相が馬鹿だったんでしょう。
統率、武力、知力に関しては同意なんだけど。
71 :
前々スレ927:03/06/07 01:08
呉起の評定お疲れ様です。 いつもながら興味深く拝見させて頂いてます。
呉起ほどの名将が畳の上で死ねなかったのには政治力と魅力の欠如ですか〜
それにしても、統率、武力、知力高いですね〜 私は武力は90あってもいいと思ってますが。
逆に、政治、魅力が、ゴミレベル 逆に凄いレベル とは、少し辛口の気がしますね・・
そういえば、前々スレで永遠の青さんに荀ケの評価を頼んだ者なんですが、彼の評定は完成なされましたか?
古い話なので忘れられてる気もしますが(笑)
72 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:11
>>68 >それだけの知力が、政治方面に発揮されなかったのは何故だろう?
どうも、この人は他人を利用する対象としかみなしておらず、
それが露骨に表れすぎていたような感があります。
兵士の膿を吸い出したエピソードでも、それは明らかです。
「兵士が恩義に感じて奮戦するだろう」と言う呉起の思惑は、
兵士の母親のような、市井の一市民にまで見抜かれていました。
>あとそもそも、それだけの改革を成し遂げた
>政策立案・実行能力の扱いは?
統率力です。彼の政策立案能力、実行能力は、
組織のトップに立って強大な権力を握って初めて発揮されるものであり、
一大臣や、一官僚としては発揮されないからです。
>>56 胸甲騎兵さん
そんなことないですよ。
英雄ばかりのなかに一息つける
ダメ系も楽しみです。
74 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:22
>>70 >調整するタイプの指導者じゃないからマイナスというのもちょっと・・・。
>相手は既得権に縛られてる王族・貴族相手なんだから調整は無理でしょ。
>調整してたら何百年立っても改革は無理ですよ。
既に書きましたが、調整できないのなら、粛清するという方法もありました。
しかし、呉起は完全に放置していました。
反対勢力の懐柔・排除は、改革を行う上では重要な要素です。
そして、改革を支持する勢力を育てることも大切です。
どっちも行わず、自分の正しいと思う道をひたすら突き進むだけであった呉起は、
優れた改革者でしたが、政治家としてはどうかと思われます。
>呉起の政策を継続する後継者がいなかったことでしょ。
>後継者育てなかったのはマイナスだけど、大幅に下がる要因じゃないと思うけど。
>成果が水泡に帰したのは、後の楚の宰相が馬鹿だったんでしょう。
後継者が居なかったことは、減点対象にはしていません。
私が問題にしているのは、呉起は自分の道を突っ走るだけで、
それ以外のことはまったく考えていなかったということです。
75 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:26
>>71 申し訳ありません。
袁紹の評伝を書いた時点で満足してしまい、
荀ケの分を書くのを、完全に忘れてしまっていました。
次に評伝を書く人物も既に決まっていますので、
荀ケの評伝はもうしばらくお待ちください。
76 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:41
>>33 牟田口廉也評、面白く読ませていただきました。
私が評点を付けるならば、もう少し違った評点になるのでしょうが、
こんな愚劣な人物の評価などやりたくないので、やめておきます。
ただ、「ジンギスカン作戦」という珍妙な作戦を考え付いて、
急襲作戦なのに、行軍速度をわざわざ遅らせる愚を犯し、
作戦が行き詰まると、神社にこもって水浴びしながら祈り続け、
インパールで苦戦していた二師団の師団長を「軟弱」と決め付け、
あまりにアホな命令を出したために、佐藤幸徳中将の抗命事件を引き起こすなど、
牟田口の愚劣ぶりは芸術的なレベルに達しています。
こんなアホの知力が凡人より高いレベルの50というのは、納得できません。
私なら、10台にします。
ちなみに、牟田口は日本刀を持った部下に「ぶっ殺してやる」と追い掛け回された、
帝國陸軍史唯一の将帥であることも追記しておきます。
>73
受けたので気をよくしてもう一つ。
日本史上一二を争うダメ宰相です。
-----------------------------------
近衛文麿1892-1945)
日本帝国の首相、公爵
東京都出身。五摂家筆頭近衛家の跡取息子で、父の死によりわずか5歳で近衛家当主、公爵となる。
学習院から一高を経て京大で学び、内務省に入省。早くも翌年には元老西園寺公望の随員としてパリ講和会議に出席、華やかなデビューを飾る。
その後29歳で貴族院議員、41歳で貴族院議長と累進し、西園寺元老からは切り札と期待され、その自由主義的な言動と貴公子としての毛並みの良さから国民にも大きな期待を寄せられた。
46歳で首相となり、いよいよ新時代を導くかとその期待は絶頂に達したが、勃発した日華事変を収拾できず、陸軍の暴走も止められず総辞職。
その後枢密院議長などをしていたが再び組閣の大命を受けて首相に就任。今度こそとの周囲、宮中の期待も空しく日独伊三国同盟の締結や仏印進駐などの陸軍主導の動きを止められず、独ソ開戦に伴う閣内のゴタゴタも収拾できず政権を放り出す。
外相を変えてもう一度組閣し、対米妥協を願う天皇や海軍の最後の期待を寄せられ、自分でも一時その気になるが結局陸軍に引きずられて閣内不一致を露呈してまた辞職。
開戦後はおとなしくしていたが敗色濃厚となると対米和平へ向け動き出すが、ここでも仲介をソ連に頼もうとするなど判断の甘さを露呈する。
終戦後A級戦犯指名され、出頭当日に自殺。替わりにあまり責任がない広田弘毅がA級指定され、死刑判決を受けた。
>>74 王族は宰相の権限で処刑できなかったんでしょう。
国王がバックに付いてるし、財産、領地没収で十分と思ったのか。
実際悼王が死ぬまで反対勢力は何もできなかったし。
魏では西河の太守として名声も治績を上げてるし、
武候に対しても「地形よりも君徳が国の宝」と国を治める道を説いてるし、
政治12はいくらなんでも低すぎだよ。
79 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 01:54
>>59 はい、とりあえず、突っ込んどきます。インフレです。
参謀本部制を確立した大モルトケの偉大な功績は否定しませんが、
統率を10、武力を30、知力を10、政治を10差し引いてみても、
大モルトケの偉大さを何ら損なうものでは無いと思います。
話は180度変わりますが、あなたには「帝國陸軍史上最悪の男」の評伝を書いていただいたので、
私は「帝國陸軍最後の良識」の評伝を書いてみようと思います。
それでお口直ししてください。
能力値
【統率】10(社会人の平均的能力にも及ばない。とにかく決断力と胆力がなさ過ぎる)
【武力】5(スポーツは得意だったらしい。それだけ)
【知力】50(教養はあり、頭そのものは悪くなかったらしい。しかし、もっと肝心なモノが欠けていたかと)
【政治】20(口で格好いい事を言うだけで実行力が根本的に欠落している。禍根しか残していない)
【魅力】60(イメージ先行で人気だけはあったのは孫と同じ)
駄目です。駄目すぎです。 総合点は牟田口以下です。
なぜなら、牟田口はまだ学校の成績と勤務評価は良かったという救いらしきものはありますが、近衛にはそれすら無いからです。
オーケストラの指揮者だった弟の方が何万倍もましです。断言しますが、日本が戦争に追い込まれた責任は東條ではなくこの男にあります。
日本史上随一の駄目宰相でしょう(ちなみに次点は彼の孫です。血は受け継がれたのか)。
自殺は唯一見せた根性なのかも知れませんが、あおりを喰った広田こそいい面の皮です。全く、死んでまで周囲に迷惑を掛けた人なんです。
臆病な馬鹿才子が名門に生まれたばっかりに・・・。
>76
まあ、当時は難関とされた陸士や陸大を出ているんですから、一般人よりは頭は良かったんでしょう。
お勉強ができるだけですけど。
>80
……政戦両面のいずれかで使えない知力など、
このスレでは無いに等しい扱いがしかるべきかと思う(苦笑
>81
その意見はありですね。
では、政戦のいずれにも発揮されない知力はカウントしないとのルールを適用する場合、牟田口・近衛両名の知力は1/10にしてください。
それで調整になるかと(苦笑
>82
うい。激しく納得しますた(w
84 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 02:12
>>78 >王族は宰相の権限で処刑できなかったんでしょう。
>国王がバックに付いてるし、財産、領地没収で十分と思ったのか。
陰謀を用いて、処刑することも出来るし、国外に追放することも出来ます。
実例を挙げれば、秦の范雎は君主権を確立するために、陰謀を用いて王族の穣侯魏冉を追放しています。
冷酷な呉起の性格を考えれば、そのような事は躊躇無く出来たはずです。
それにも関わらずやらなかったのは、そういう視点がもとから無かったということでしょう。
それは、政治家としては失格です。
>魏では西河の太守として名声も治績を上げてるし、
西河においては、西方総督といっても良いほどの権限を、呉起は持っていました。
よって、西河太守としての治績は統率力の範疇に入れました。
>武候に対しても「地形よりも君徳が国の宝」と国を治める道を説いてるし、
この進言に付いては、知力の範疇で評価しました。
呉起は国を治める道を知っており、それを実行に移す指導力を持っていましたが、
あまりに極端にそれを推進しすぎて、不協和音を招いては、
国にいられなくなるということを繰り返していたので、政治力を低く評価しました。
>>65 まぁいろいろ議論しおわった後でなんだけど、
テンプレの基準を無視しすぎるのもどうかと思われ。
特に政治力と魅力。
86 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 02:19
>>80 私は学業成績がいくら良くても、教養があっても、
それは知力評価の範疇外と考えています。
例えば、ギゾーは偉大な歴史家でしたが、政治家としては判断ミスを重ね、
愚劣そのものといってよい人物です。
いかに勉強が出来なくとも、文盲であろうとも、
政治や軍事に正しい判断力を示し、大局的な戦略を理解した人物に、
高い知力を与えるのが、私の基準です。
87 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 02:34
>>85 いやあ、正直政治力は高くしようか、低くしようか悩んだんですよ。
呉起ほどの政治家が、どうして功績を立ててもすぐに疎んじられ、
国を追われてしまうのか、不思議でならなかったのです。
いくら嫌われてても、一つの国に仕え続けられた人物はいくらでもいるし、
天寿を全うできた人物もいくらでもいます。
しかし、呉起は国を追われ、最後は非命に倒れました。
彼に何が足りなかったのかを、史記の呉起伝を何度も読みながら考え、
「政治力を極端に低くし、統率力を高くする」という結論を導き出したのです。
実のところ、呉起は宰相として改革を行いましたが、
外交などを駆使した形跡も無いし、特に政治的な謀略を使ったエピソードもありません。
それどころか、政治的な謀略には、いつも簡単に引っかかってる有様です。
そういうわけで、政治力を極端に低くしました。
88 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 02:37
>>85 書き忘れてました。
魅力に付いては、ここまで減点材料しか存在しない人物も珍しいので、
とくにテンプレの基準から外れているとは思いません。
ダメ政治家も面白いです。
有難う御座いました。
ジンギスカン作戦・・・ネットで読みましたが脊髄反射で
思いついたような作戦ですね。
あと、もうそろそろカコイイ人と思われているなら申し訳御座いませんが
ムッチーの上司、寺内寿一元帥と永遠の青さんがかかれている
馬鹿上司ぶち切れの佐藤中将もリクエストさせてください。
魅力5って人民虐殺しまくって暴君みたい。
李克は「貪欲好色、野心が強い」っていってるけど
貪欲以外は魅力の減点材料にはならないと思うけど。
士卒、住民には慕われてるんだから5じゃなくて50はあるでしょ。
>>87 テンプレの基準を見るに
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
永遠の青氏がいう、粛清するべき人間を粛清せず、讒言によりすぐに
失脚してしまう。これは政治力へのマイナスというより知力なのでは?
彼はそこまで頭が回らなかったのでしょう。問題への正しい理解、先身の明に
欠けてたと思います。自分が行う行動により周りがどういう評価を下すか?
について無頓着というか、甘くみていたと。
政治力の点ですが、前スレから見るにろくに政治を行っていない
戦場の将軍ですらも40〜50台。義経ですら18ありますw。
貴族から特権を奪い、楚を強国にした第一人者に12はあんまりだと思うのです。
己の描いた方策を実現する能力は存分にあったと思います。寵愛を受けた君主が死に
失脚した政治家は彼以外にもいくらでもいます。
彼は妻を殺し、親の葬式にもいかず、侮辱されて村の人間を殺し、
同僚からの受けは最悪レベル。確かに魅力は低そうです。青氏は、+になりそうな
兵士を苦楽を共にし兵士から慕われたをいうポイントを統率で判断したから
それもやむなしかもしれません。ただ楚において苛烈な政治改革で恨みを買った
というのは魅力の減点にはならないとは思います。強力な改革者というのは
いつの時代にも憎まれるものです。また憎まれない改革者など改革者ではない。
長々と駄文すまそ。釈迦に説法ですが。
>91
横からツッコミ失礼。
漏れは兵站は政治の範疇に入ると考えているので、
無難に補給計画を組める将軍なら
政治が40〜50くらいあって当然だと思っている。
義経みたく政治オンチは例外だが(w
93 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 03:42
>>89 寺内寿一は、日本のためになることを何一つしていないのに、
元帥まで上り詰めたという珍妙な人物です。
南方での日本軍の圧政の最高責任者でしたが、
A級戦犯にならなかったのは、こいつのアホのせいで、
連合軍が随分助かったことが評価されたからだとしか思えません。
とりあえず、自決して犬死にさせた将兵に詫びるか、
処刑されて欲しかった人物ナンバーワンです。
誰か、ヒマな人がいたら、書いてみてください。
>>90 私は、かつてポル・ポトに魅力80を付けたことがあります。
この人は、虐殺しまくった最悪の暴君ですが、
本人の人柄は最高で、人望もあるという、珍しい人物でした。
呉起ほど人間的に嫌われる要素が揃ってる奴というのもかなり珍しいので、
前スレのアーネスト・キング元帥が魅力10であったことを考慮して、5としました。
キングは最悪の男でしたが、呉起のように知り合いに悪口を言われてブチ切れて、30人も自分の手で殺したり、
出世したさに妻を殺して、世間に批判されたりするようなことは無かったからです。
94 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 03:58
>>91 >自分が行う行動により周りがどういう評価を下すか?
>について無頓着というか、甘くみていたと。
それを私は政治力で判断していましたが、知力で判断すべきなのでしょうか…。
呉起の戦略眼には確かなものがあったので、知力を高くしたのですが。
義経の政治力が18だった事も考慮して、12としました。
なぜなら、義経は一回失敗しただけですが、呉起は何回も失敗してるからです。
>貴族から特権を奪い、楚を強国にした第一人者に12はあんまりだと思うのです。
それは、統率力で表現したつもりです。
>己の描いた方策を実現する能力は存分にあったと思います。寵愛を受けた君主が死に
>失脚した政治家は彼以外にもいくらでもいます。
実際そうなのですが、何回も失脚してると、
さすがに政治家としてどうかと思います。
己の描いた方策を実現する能力は、知力で評価して見ました。
>ただ楚において苛烈な政治改革で恨みを買った
>というのは魅力の減点にはならないとは思います。強力な改革者というのは
>いつの時代にも憎まれるものです。また憎まれない改革者など改革者ではない。
魅力の項で書いた通り、楚の改革で恨みを買ったことは減点材料にはしていません。
全然関係ない話だが、ある精神異常の奥さんがいて旦那さんが死んだ
その葬式で参列した男に一目ぼれしたそうだ。3日後彼女は子供を殺した。
なんで殺したの?
その男にまた会いたかったから。
呉起の妻殺しも非常に単純な動機で面白い。
感情が欠落した異能者っぽいな。
96 :
エコノミストK:03/06/07 04:22
4大文明の発祥地であり、数億の人口を有する地域でありながら、未だ途上国
の域を出ないインド。その要因の多くは一人の独善的人物の存在によります。
現代にも影響を残す、世界史上屈指の支配者を次ぎに評価します。
97 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 04:24
>>95 ぶっちゃけた話、呉起という男は完璧な異常者です。
普通、他人を利用することしか考えず、
躊躇無く人を殺せる奴は、乱世ではうまく世渡りできるものなのですが、
それがあまりに露骨過ぎて世渡り出来なかった呉起は、とても面白い人物です。
98 :
エコノミストK:03/06/07 04:25
【アウラングゼーブ】
【統率】70
「ムービングシティ」の異名をとる大軍を長年に渡り行軍させ続けた力量は
水準以上。身分の低い有能な人材も積極的に登用し、信賞必罰も徹底してい
た。しかし、その思考は柔軟性に欠け、軍・政府の内部崩壊状態に結局は対
処しきれず、最終的には帝国そのものを崩壊に追い込んだことから減点した。
【武力】75
水準以上の能力を持つと思われるダーラー、シュジャーら兄弟との後継者争
いを軍略で制す。帝位についてからもビジャープル、ゴルコンダを滅ぼし、
帝国版図を最大にする。部下の軍事的才能を見抜く力や、実戦時の謀略や戦
術眼にも優れていた。
【知力】25
強固な意志並びに優秀な頭脳の持ち主だが、問題把握能力に著しく欠ける。
思想的にも偏りがあり、そのすばやい決断力と実行力の方向性は大半におい
て誤っており、強大な帝国は急速に衰えた。
99 :
エコノミストK:03/06/07 04:26
【政治】10
狂信的スンニ派で、異教徒の撲滅をその国家目的にまで昇華させた。したが
って、その政策は一貫して非寛容で、統治するという発想すらない貧しいも
のばかりである。アクバル帝の定めた国家発展の布石を水泡と化すような施
策、具体的にはヒンドゥーへの人頭税及びヒンドゥー寺院の破壊などを行い
、作らなくても良い敵(ラージプート族等)を作った。外交もよる解決も模
索せず、国家的な利害をも考えずに、思想が異なることだけを理由に徹底的
な攻撃を加えた。多年に渡る行軍で、国家財政は破綻。拡張した版図も統制
が行き届かず、晩年の治世では大半の地域で税収も確保できなくなるほどの
無政府状態を呈すにいたったが、ついに省みることはなかった。
【魅力】2
狭量で偏った思想の持ち主。その性質も狂信ゆえの残虐さに満ちており、魅
力は著しく乏しいと判断する。
100 :
エコノミストK:03/06/07 04:36
国家が閉塞状況に陥ったとき、人は、急激な改革を欲し、英雄の登場を期待
します。しかし、アウラングゼーブの存在とその後のインドは、我々に帝政
の危険を教えてくれます。
シヴァージーもキボンヌ
>>32 山内中将は「情も無く察しもなく、牟田口には軍司令官たる資格がない。
師団としては悪い上官を持ったと諦めるしかない」とも言ってますね。
部下にそこまで言われるのも、歴史上稀有の司令官といえるでしょう。
英軍ギファード大将はインパールでの勝利の報を受け、防衛の任にあった
第十四軍司令官スリム中将にこう祝電を送っています。
「素晴らしい勝利を祝福する。優れた戦いには、優れた計画と優れた司令官がなくてはならない。」
牟田口のような人物を司令官にもって戦った日本兵こそ、同情に値します。
>>36 前にフィリップ2世の評価をさせていただきましたが、
僕のイメージ的にフィリップは、根暗ウィリアム一世という感じです。
>>37 これには同意します。迂回作戦によって金軍主力を仮に叩けたとしても、
岳飛の兵力ではその後戦線を維持できず、中原から金を追い出す事などとてもできな
かったでしょう。それほど金と南宋の軍事力の差は歴然としてました。
完顔宗弼が負けても負けても軍を立て直す事ができたのは、抗金名将の率いる兵力が
とても少なかったからだと考えます。そのため彼らは今でいうゲリラ戦を展開していて、
勝利の実態は、金軍を混乱させて撤退させる程度で、戦力に深刻な打撃を与えること
ができなかったのだと思います。
その為岳飛は進攻軍を江南や長江で迎え撃つだけでは意味が無く、直接敵の本隊に
打撃を与える必要があると考えたのでしょう。この時完顔宗弼は「岳飛を抹殺しない
限り一切の和平交渉には応じない」とまで、大きなリスクを承知で南宋和平派に圧力を
かけているので、実際岳家軍の動向にはかなり圧力を感じていたのだと思います。
成功していれば、敵の攻勢を止める程度の効果は望めたのではないでしょうか。
>>38 確かに項羽の強さは中華の歴史の中でも群を抜いています。岳飛よりも功績は明らかに上
でしょう。司馬遷がいうように、その強さゆえ他人の力に頼らず、天下を支配することの
本質を見誤ってしまったのだと思います。ただ、彼の武力は偉大ですが、楚軍を掌握して反秦
連合の中核だったこと、また楚王としてある程度の兵馬の大権を握る事ができていなかったら、
秦を打倒して、五年に渡り劉邦に勝ち続けることは難しかっただろうと思います。その点で
岳家軍はただの一軍閥にすぎず、項羽と比べ率いることのできる兵も限られていました。
それでも他の抗金名将のように何度か大軍を撃破した程度ならともかく、
淮安、南京、鎮江、常州、建康、襄漢、河南等々戦うたび至る所で大軍を打ち破り、
敵の誇る無敵の精鋭騎馬隊もあっさり壊滅させ、記述に頼れば岳飛だけで、倒した敵の総数
は100万や200万じゃ足りません。名将の記述にインフレ気味の感がある中華史の中でも、
岳飛は屈指の戦功を誇っていると思います。もちろん記述を全て信じることはできませんが、
中国で名将というと項羽や韓信より岳飛のほうが評価が高いこと、とても限られた条件で
戦果を上げた事、それを考えて項羽に次ぐ用兵家としての高い評価を与えました。
けれども今考えれば、霍去病や衛青など武帝時代の名将が80代なのに、岳飛に96はさすがに
与えすぎだったかもしれません。議論の延長でハンニバルの数値を意識した結果ですが、
少し考えれば高すぎだとクレームが付くのは解るはずなのに、のぼせれば前後の見境もなく
なるのかと聊か反省しております。下方修正すべきなのは認めますので、青天さんどうか
溜飲をお下げください。
>104
岳飛の高評価はレジスタンス的英雄像が民衆に大受けしたというだけ。
魅力に大幅加点するならともかく、他の能力値にはあまり関係無い部分だと思う。
>>105 かの国のナショナリズムはかなりコアですものね。
「尽忠報国」の刺青までしている愛国者なら英雄の条件にピッタリ。
評価した時に断りを入れたように、かなり作られた名将像であることは理解しています。
僕としては熱狂的愛国者というのは、あまり好きではありませんが。
107 :
世界@名無史さん:03/06/07 06:53
韓信、項羽とハンニバルを比べるとどうなのか?
思うに、新戦術は武力の高低にはそこまで影響を
与えてはなるまい。何故なら、新戦術を有していた
としても、戦争に弱ければ評価はできないからだ。
亀レスで申し訳ありませんが、蘭太郎様レスサンクスコです。
>>52 永遠の青様。呉起を取り上げて頂いて有難うございます。
しかし… 厳しい評価ですねえ。呉起好き(春秋戦国好き)の自分としては
評価が甘くなってしまうんですが、統率以外がちょっと低い(本当は全然低い)
かな、と思ってしまう。だめですね、これじゃ。(笑)
私信なのでsage
↑ 名前かいてないし。駄目だ自分。鬱だ氏(ry
新戦術によって勝利し続けた場合はどう評価する?
>104
項羽も「少数を以て多数を破る」を幾度も実行した怪物であり、
麾下の規模の多寡は考慮するに値しない。
常に練度の高い岳家軍を率いていた岳飛と、
配下の練度が一定でなかった項羽と比較すれば、
むしろ岳飛の方が有利であったと言えてしまう。
岳飛を評価するなら、高い練度を維持し続けた統率力の方を優先すべきかと。
>110
そのまま無敗で生涯を終えれば100候補に挙げる。
国の大小は関係ない?
軍の規模も関係ない?
兵の練度も関係ない?
部隊編成も関係ない?
指揮能力は統率力?
戦略能力は政治力?
武力っていったい…
>113
戦略は知力だろ、とツッコミを入れてみるテスト。
>113
規模の大小は場合によるだろ。
敵の兵力差の絶対数が同じなら、率いた兵はより少数の方が評価が高くなる。
兵力差の割合が同じなら、率いた兵はより多数(以下同文
>115 の2行目を訂正
>敵との兵力差の絶対数が同じなら〜
117 :
世界@名無史さん:03/06/07 08:57
粘着はやめましょう
武力に新戦術を考えるほうが間違っている。
違うパロに入れたほうがしっくりくる。
119 :
世界@名無史さん:03/06/07 09:34
アウラングゼーブが無能なら、拡張政策で秦の滅亡を早めた
始皇帝とかどういう評価?
新戦術の考案は知力の範疇だと思う。
実践、運用の手腕は統率や武力に含められるとしても。
逆にいうなら革新的な戦術を考案してないからといって
武力を減点するのは間違ってる、と思うが。
>113
軍の大小、軍の規模、兵の練度は
敵対勢力との相対的な比較でいいんではないか。
あんまり絶対的な規模が小さいと影響するとは思うけど。
村同士の抗争とか。
それ以外では私見だけど。
部隊編成は統率。
指揮能力は武力(コーエーオリジナル基準だと統率)
戦略は知力と統率。
戦術が武力と統率。
あと、呉起の項目見てて思った、というか
信長シリーズの石田三成と徳川家康の政治力見てもいつも思うことだけど
政治闘争に勝ち残る能力と、政策の立案、実行能力を
政治力一つで表すのが間違いの元、かも知れない。
だから増やせばいい、とも簡単に言えないけれど。
>119
2代目がアレの傀儡でなければ即滅亡は無かったので同じではないだろ。
123 :
世界@名無史さん:03/06/07 09:59
>>122 ムガールはアウラングゼーブ死後も支配地域が少なくなり続いたが、
秦はまたたくまに滅びた。趙高の専横が滅亡を早めたのは事実だが、
始皇帝治世下で滅亡の種はまかれていたと判断する。
コーエーでは
統率 部隊指揮能力 諸葛亮や司馬慰が高い
武力 一騎打ちの能力 張飛や呂布が高い
事実上一騎打ちの能力なんてこのスレじゃ誰も問題にしてないし
コーエーの武力の項目は死んでるんだよな
125 :
世界@名無史さん:03/06/07 10:24
武力は戦場で勝利する戦闘力、統率は自分に必要な組織を維持する力、知力は自分に必要なモノを見抜き判断を誤らない力、政治は国を富ませる治世の力、魅力は必要な人材や民を利害を越えてひきつける力でいいよ。複雑に考えすぎ
127 :
世界@名無史さん:03/06/07 10:36
俺
統率1 一人も統率などしたこともない
武力1 喧嘩もしないししたとしても負ける
知力1 中卒
政治1 政治などしたことがない
魅力1 彼女も友達もいない
最高だぜ!!!
手持ちのデータが天翔記(統率値がない)のものしかなくて恐縮なんだが・・・
ヒマだから書き出してみた
【政才190オーバー】
秀吉 信長 元就 家康 信玄 氏康 政宗
【戦才190オーバー】
謙信 慶次 幸村 惟新 道雪 孫一 信玄 信長 宗茂
【智才190オーバー】
元就 道三 昌幸 久秀 幸隆 信長 半兵衛 直家 才蔵 如水 佐助
※能力値MAX200のゲームであることを踏まえてご覧になられたし
※コーエーゲーを知らない人で目を疑った人もいるだろうけど、
智才のところの才蔵と佐助は、まんま霧隠才蔵と猿飛佐助のこと
なんていうか…傾向は見えてくるんだけど・…
イメージ修正が非常に大きいということを考えに入れたとしても、
このスレ的にはコーエーの能力評価基準は激しく間違ってますなw
中国の正史って、項羽や劉邦とかもかなり粉飾して書かれてるんだろうか?
132 :
世界@名無史さん:03/06/07 12:06
>>130 真実とは違う部分はそりゃあるだろうが、タイムマシンが発明されない限り 以下略
133 :
世界@名無史さん:03/06/07 12:09
>>129 蒼き狼と白き牝鹿4では
マルコポーロの知力が95で、ロビンフッドの武力が91です
100点満点で。
世界史基準の他に三国志なら三国志だけで相対評価をしたいのだが。
三戦板じゃ荒れるから。よろしいか?
対象を三国志に限定するなら、三戦板のほうが盛り上がるでしょう。
該当する過去スレも既出ですし>134
136 :
日本@名無史さん:03/06/07 13:02
時代、国で能力の生かし方も
かわるので、そこらも明記の上
一人だけでは面白くないので
1回のスレで数人書くというのは?
岳飛の生涯戦績120戦無敗ってすごいよな
ギネス?
モルドヴァ公シュテファン・チェル・マーレはどう?
負けた戦もあるけど彼の勝率も化けもんみたいなところがあるよ。
しかもメフメト2世率いるオスマントルコなんかを相手にしてるし。
>>129 「世界史的」視点で鑑みると、90〜100レベルのそれは、只単に後世に名を残した
というだけでは語れない、後世にそれが反芻され再利用されて生命力を維持し続
けるものでないといけないという方々が多いようです。私もそれに賛成しますが。
「コーエー」の場合はまた違っています。そもそもそういう視点を持ったパラメータ
作りをしているわけではありません。「呂布が張飛より弱いなんて可笑しいじゃな
いか」などという、後世のイメージに則って作られているのです。ですから粉飾的
な要素が大きく介入してくる。問題はそれが史実とは異なっていても、イメージの
ほうが優先されることです。
でも博覧強記の方々ばかりのこの板では、そんなレベルでは到底納得しないようで。
ここで扱われるのはあくまでコーエー的風味の人物評・・・ということで。
老婆心ですが。
勝率はあくまで参考要因に過ぎないと思いますよ。
強敵がいて勝ったり負けたりした武人と、同時代にろくな敵がいなくて常に勝ちつづけた武人とでは、また評価も変わってきますし。
無敗といえばフランスのダヴー元帥も生涯無敗の記録を持っていますね。
>>130 正史が勅命で編纂されるようになってからではまた事情が違うと思うけど。
>139
ハンガリーのフニヤディ・ヤーノシュやその息子マーチャーシュも捨てがたい人材です。
上潮のオスマン軍相手に奮戦して東欧を守った功績は大きいです。ただの武辺でもありませんし。
145 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 18:02
東欧の将帥なら、「盲目のジシュカ」こと、ヤン・ジシュカがピカイチでしょう。
どんなに不利な戦いであろうとも、彼が指揮を取っていれば必ず勝ったという凄まじい男で、
兵力比も戦略的不利も完全に無視できる歴史上でも数少ない将帥でした。
全カトリック世界の軍勢相手に、わずかな手兵で挑み、
跳ね返すだけでなく、逆に神聖ローマ帝国に攻め込み、フス派の信仰の自由を認めさせました。
純粋に戦術的勝利だけを積み重ねて、チェコを守り抜いた英雄です。
ヤン元帥・・・・・゚・(ノД`)・゚・
147 :
世界@名無史さん:03/06/07 18:49
競馬で最強馬論争になるときによくいわれるあいつが強かったのは同時代はレベルが低かったからだ
という人間がいる。シンボリルドルフですらいわれることがある。
まあ、仕方が無いことなんだろう。
競馬ファンはそういう意見慣れてるから聞き流すけど。
サクラバクシンオーとメジロマックイーン比べてどっちが強い
みたいな議論も、ここでよく聞くな。
トウショウボーイがテンポイントに全勝してたら、同じ事言われるだろね
>>139 十字軍の白の騎士フニャディ・ヤーノシュとマーチャーシュ・コルヴィヌスもいいですよね。
ちなみにシュテファンとそのいとこのヴラド・ツェペシュはフニャディの弟子だったりします。
まあアレだ。
ボクシングで喩えると、生涯無敗で引退した東洋王者と、
何度か負けてはいるが3階級くらい制覇した世界王者を並べて、
「負けが無いから東洋王者の方が上」という論法が通じるかどうか。
>>145 しかしコーエーの「蒼き(略 4」では
ヤン・ジシュカの戦闘力は87で、弁慶と同じくらい(w
156 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:01
プリンセスミネルバ
157 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:07
, -――-、――- 、
/ ヽ、
/ , ・ ニ二二二二ニヽ ヽ、
| レ´ ` ヽ
| | // / l | | || | | ヽヽ 、 |
.| | lルT_工|/VW .工_T i | N/
| | | ||´| .jl` | .jl゙|/|/レ' / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | (.| || 。二 , 二。 | | | | < …うぐぅ
(\| | ,| |ト " ^^^/ ̄ ヽ、| | /) \_____
(\.| | /| | | `, ┬―| ||/ |/ /)
\/,XXヽ lヾ|ΤTT「王王王| .| / /
ヽ L土土土| /
158 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 20:11
>>100 アウランゼーブの評価お疲れ様でした。
彼は、軍略と大軍に任せて突っ走るだけの男で、
私が評価を付けたとしても、同じような評価になったでしょう。
彼の時代にムガル帝国の版図は最大になりましたが、
それは単に歴代皇帝によって蓄積された国力を戦争を全てつぎ込んだからであり、
彼の征服戦争は平和ではなく、戦争と混乱を引き起こし、
帝国そのものを崩壊させてしまいました。
これほど壮絶に何代も続いていた大帝国を一人で食い潰した男も、
世界史では稀だと思います。
159 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:12
一ついえることは光栄(コーエー
がつけた数字のほうがゲーム的におもろいだろうし、一般ユーザー
は納得するだろうよ。諸葛孔明の知力100なり、義経の武力95なり
160 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:26
ただこのスレはゲームに採用するわけでも
誰かに納得してもらうためにあるわけでもない罠。
162 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:28
072
163 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 20:32
>>103 金の基幹部隊は女真騎兵でしたが、
女真は、もともと「万に満ちれば、敵するべからず」と言われていました。
この言葉は、女真の勇猛さを現していましたが、同時に数の少なさも現しています。
金が大軍を動員できるようになったのは、遼と華北を併合したからですが、
これらの領域から集めた兵は、士気・練度の面で信用できない兵でした。
漢民族のみで構成され、愛国心に燃えた「抗金名将」の兵の方が、
少数とはいえ、質的には完全に優位に立っていました。
劉リは順昌で1万を、韓世忠は黄天蕩で6万を、呉兄弟は和尚原で3万を斬っています。
順昌は篭城戦だったので、若干少なめですが、
黄天蕩では、金軍の総帥完顔宗弼は本陣まで切り込まれ、
韓世忠を買収して逃げようとするところまで追い込まれました。
和尚原では、呉兄弟は本陣まで切り込み、完顔宗弼が負傷するほどでした。
戦死者の大半は遼人と漢人の兵と思われますが、
金軍本隊も大打撃を受けていることから、
この過程で少なくない精鋭の女真騎兵が失われたと思われます。
>>150 漏れは時代や状況が違いすぎて
比較対照として持ち出すことに意味があるのか
わからない例として言いたいんであって、
その直接対決を何度もしてて比較するのに重要な意味がある例は不適だぞ。
どっちにも同じ条件で対決っていうのは現実にありえないんだから。
半分スレ違いsage
165 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:39
数値つけてそのときそれなりに楽しければいいじゃん
深く考えるなよ。皆さん。
166 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 20:51
>>103 混乱させて進軍を止めるどころか、岳飛以外の「抗金名将」達も、
金軍主力に深刻な打撃を与えていました。
それでも、大軍を短期間で組織して見せた完顔宗弼は恐るべき人物ですが、
戦うたびに質の低い遼人と漢人の兵が占める割合は大きくなっていったものと推定されます。
岳飛の北伐はそのような背景があって、敢行されました。
岳飛が一人勝ち続けたわけでなく、他の将軍達も奮戦して、
金軍の基幹部隊を削っていったから、北伐の機がやってきたと考えたと思われます。
完顔宗弼が河南を失った時点で、和平工作を画策したのは、
基幹部隊の多くが既に失われている状態で、
精鋭の南宋軍と戦うことを避けようとしたのでしょう。
しかし、和平工作が失敗したら、徹底的な物量作戦で防衛したでしょう。
物量作戦というのは、侵攻戦より、防衛戦においてより威力を発揮します。
なぜなら、敵に比べて兵站線が短いため、より回復力を生かすことが出来るからです。
華北で戦った場合、緒戦では敗戦しても、長期的には、金軍の方が有利でした。
167 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:52
サイタマァァァァァァァァ!!! ∩ ∧ ∧∩サイタマァァァァァァァァ!!!
∩∧ ∧∩\(;;。∀゚)
( ゚∀。;;)/.| /
ーニ二..,...,':,∴,;.・;.’ ,∵;.・;.’,';.;.’ ∵ ,;.・;,':,∴,三二ニー
| 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
168 :
世界@名無史さん:03/06/07 20:57
169 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 21:02
>>103 あなたが引き合いに出す項羽は、兵站が失われた状態で、
疲弊した部隊を率いて、圧倒的な物量を誇る秦軍を殲滅しました。
また、彭城奪回戦では、天下の大半が劉邦に付いていたにも関わらず、
小部隊で劉邦軍を殲滅し、再び天下の諸侯を自分になびかせました。
ここで引っ繰り返された戦略的優位を取り戻すまで、劉邦は数年の月日を要しています。
岳飛は南宋初期の時代では最強の将帥ですが、
北伐では河南から金軍を駆逐したものの、金軍を殲滅するには至っていません。
そして、金軍から戦略的優位を奪取するにも至っていませんでした。
そのため、項羽と岳飛を比較するのには、ためらわれるものがあるのです。
170 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 21:19
>>108 お喜びいただきありがとうございます。
評伝の序文をお読みいただければ、私が呉起によせる熱い思いと、
高い評価が理解いただけると思います。
あの時代がお好きな方には、少々低い評価かもしれませんが、
ここが世界史板であることを考慮しました。
世界史基準であれだけの能力があれば、
自分の生きている時代では無敵でいられます。
呉起というのは、商鞅と並ぶ戦国最大の改革者、もといクラッシャーです。
これほど破滅的な勢いで改革を推進できる人物でなければ、
既成の制度を粉砕できなかったでしょう。
なまじ、政治的な配慮が出来る人物では、何も変えられないぐらい、
戦国七雄の体制は、安定していました。
呉起・商鞅のどちらかがいなければ、
中国はそのままヨーロッパ化していたかもしれません。
調子に乗ってもう一人。
日本がこうなるかもしれなかった、というもう一つの可能性を生きたともいえる悲運の名君です。
----------------------------
ティプ・スルターン(1750-1799)
南インド、マイソール王国の国王
マイソール王国の事実上の支配者、ハイダル・アリーの嫡子として生まれる。
当時のマイソールは領主ウォデヤ家の下独立国と化しており、マラータ諸侯やハイダラバードのニザーム政権と並んで南インドの雄だった。
そしてベンガル周辺にはイギリスの勢力が確立されていて、周囲を浸食しつつインド制覇を目論んでいた。
その中で頭角を現したハイダル・アリーは、マイソールの実権を握ると積極的な近代化をもってイギリスに対抗しようとしていた。
その嫡子としてティプは若い頃から戦場に立ち、父の片腕として活躍。プッラルールの戦いでは父と共にイギリス軍を包囲殲滅し、司令官以下多数を捕縛するなど一時は優位な戦いを見せた。
そんな中ハイダルは突然病没。ティプは32歳でマイソールの支配者となる。
ウォデヤ家を廃絶して自ら王となった彼は戦争を継続、イギリスと互角に渡り合った。しかしマラータ諸侯がイギリスと不可侵協定を結び(多額の賄賂がつかわれた)、その圧力を一手に受けるようになった後は徐々に押され、4年後休戦協定を結ぶ。
この戦いでティプの威名は高まり、マイソールの虎と渾名されるようになった。
172 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 21:31
>>119 アウランゼーブは、内乱の打ち続く崩壊した帝国を残して死にましたが、
始皇帝は、安定した帝国を残して死にました。
この二人の優劣は明らかです。
>>121 石田三成は、優れた官僚として統一政権を支えましたが、政略には疎い人物でした。
徳川家康は、晩年に限っては、統一政権の独裁者にふさわしい高い政策能力と、
高度な政略能力を持っていました。
この二人の政治力を比べる場合、どうすれば良いのでしょうか?
私は、統率力でも、政治力でも、政策を行うことが出来るようにし、
「政策能力は高いが、外交・政略には疎い人物」の場合は統率力で、
「政策・外交・政略に通暁した政治家」の場合は政治力で、
それぞれ評価することにしています。
呉起の政治力の評価で議論が起きた背景には、
こういう私の「自分ルール」があります。
戦いがやむと、ティプは王国と軍の近代化を推し進め、またイギリスに対抗するためアフガニスタン、オスマン帝国、そして遠くフランスのナポレオンにまで使者を送り、共闘を持ちかけた。
中でもナポレオンはかなりの興味を示したらしいが、折からの対露関係悪化で積極的支援にまでは至らなかった。
休戦から6年後、イギリスはまたもやマラータ、そしてニザームまでも目先の利で釣って味方に付け、マイソールに宣戦。包囲されたティプは2年に渡って善戦するがついに領土の半分を割譲させられて和議を強いられる。
国土の半分を失った彼はそれでも諦めず、近代化を続けると共に他のインド諸邦に対英同盟を呼びかけるが、イギリスの巧みな利益供与・分断外交とイギリスよりマイソールを警戒する他の支配者達の猜疑心に阻まれ効果は上がらなかった。
そして更に7年後、イギリス軍は圧倒的大軍でマイソールの王都シュリーランガパトナムを攻撃。
ティプは自ら剣と銃を執って奮戦し、壮絶な最後を遂げる。
このマイソール王国の滅亡はもはやインドにはイギリスに抵抗する勢力が無くなった事を意味し、この後インドはなすすべもなく蹂躙されていった。
胸甲騎兵 =永遠の青
175 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:42
176 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 21:42
>>123 始皇帝による統一は、今で言えばヨーロッパ全土を武力統一したようなもので、
反乱の種などいくらでも転がっていました。
中国の歴史を考えれば、大規模な反乱が起きて当たり前だったのに、
始皇帝の存命中には、大きな武力反乱が起きなかったのは、
始皇帝の力量によるものでしょう。
統一政権というのは、建国の時点では存在自体が反乱の種です。
長続きした統一政権というのは、だいたい二代目が名君だったか、
優れた宰相が独裁権を振るい、徐々に国家を安定させていったからでした。
秦や隋が二代目で滅びたのは、優れた後継者がいなかったからです。
秦の滅亡は、始皇帝の評価を下げる材料にはなりません。
ムガル帝国が縮小しても続いていったのは、
もともと何代も続いた帝国だったからです。
アウランゼーブの歴史的意義は、始皇帝ではなく、
唐の分裂状態を作り出すきっかけになった玄宗と比較すべきです。
>>141 いやいや、私めが>129を書き出すことで何を言いたかったかというと、
迷信、偏見、妄想――言い方は何でもいいのですが、
そういった伝説を参照してコーエーがどのパラメータに反映させるか…
そこが、このスレ的に如何に間違っているかを表現してみたかったのです。
才蔵や佐助の智才をちょっと強調してみたのもそれが目的。
ちなみに、風魔小太郎や服部半蔵のような忍者――であったとされる武将――
は大体が戦才&智才180オーバーで、政才が10とか20とかそのレベルに抑えられているんですね。
このスレでアーヴィン・ヨークやヴァシリー・ザイツェフみたいな
「ポーン」が評価の対象に上るなんてことがあるはずないわけで。
「高性能のポーン」まで登場させなければならないコーエーの評価基準は
その時点でそもそもダメ、ということにならざるを得ないわけなんでしょうね。
178 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:45
能力値
【統率】80(短期間でマイソールの近代化をある程度成功させ、イギリスと渡り合った手腕は見事)
【武力】80(イギリス相手に互角以上に戦った戦術能力はかなり高い。当時のインドで近代戦というものを理解していた希有な人物)
【知力】85(当時としては例外的に広い視野と実行力を備えていた。思考も柔軟で、教養も高かった)
【政治】75(自身はムスリムだったがヒンドゥーの礼拝も行うなど人心掌握にも気を使い、統治も行き届いていた。他のインド諸邦と手を結べなかったのは彼の責任というより目先の利益しか頭にない相手が愚劣だったと言える)
【魅力】80(部下や臣民には慕われ、戦争末期も混乱は起こしていない。現在でもインドでは英雄である)
インドきっての英傑かも知れません。父の教育も良かったのでしょうが、この時代のインドにおいてほとんど唯一、インド全体の命運を世界的な視野で考えた人物でした。
彼の不幸は、同時代の他の有力者のほとんどが怠惰で視野の狭い愚者ばかりだったことです。
一人や二人の英傑がいたところで、腐った国を覚醒させ新時代を築く事は容易ではないのです。
日本が明治維新を成就させ、インドがティプを見殺し同然にしてしまったことを考えると、幕末日本にはまだ人物が多かったのだと感謝したくなります。
ティプの志は一世紀以上を経て、ようやく日の目を見ることになります。
>>177 コーエーの評価基準は妥当だぞ。
そもそも史実に忠実である必要はないのだから
181 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:48
後漢は明帝、唐は李世民、明は永楽帝(実質2代目)の存在が国家を安定させた。
前漢の場合は誰がそれに当たるのだろう?
183 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:49
徳川家康は1代でかなりの部分安定させたな
184 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 21:50
>>142 私は、かつてダヴーの評価を行ったことがあります。
この時、私は彼の武力を「89」と評価しました。
なぜなら、彼は常勝不敗で、どんなに不利な戦いでも勝ち続けましたが、
戦略的不利を覆すほどの巨大な勝利をあげられなかったからです。
>>130 竹書紀年の発見と考古学的研究によって、
史記の記述がかなり正確なものであることが証明されつつあります。
そして、史記の中にあった資料の少なさによると思われる矛盾も、
竹書紀年の研究によって修正されつつあります。
>>174 よく分かりましたね。驚きました。
185 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:55
国家創業にとってどの程度反対勢力を潰しておくかというのは重要。
劉邦・呂后は恐怖の粛清もその後を考えると功を奏したと言えるし、
劉秀が公孫述らを徹底的に潰したのも統一自体は長引いたが
長期的には成功だろう。
逆に、秀吉は事情があったにせよ、懐柔しすぎたことによって統一自体は
早めたが滅亡の遠因を作ってしまったとも言えるのではないか?
とはいえ、長期政権の確立は創業者のみの力では不可能に近いとも
思えてならない。
186 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:58
世界史板だと粛清マンセーになるが
教科書だといくない!!論調だな。真実を教えたほうが
賢くなると思うのだが。
墨子
【統率】70
【武力】70
【知力】90
【政治】70
【魅力】90
【特殊能力】墨守(防戦時のみ統率・武力・配下の士気&練度+25)
188 :
世界@名無史さん:03/06/07 21:59
>>185 秀吉に種があれば、もしかして長期政権を確立してかもしれない。
189 :
世界@名無史さん:03/06/07 22:02
>>185 まぁ曾孫とかならともかく、自分を継ぐ息子ぐらいちゃんと
教育せなあかんやろ。
190 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 22:03
>>178 秦は地方政権としては長い歴史を持っていましたが、
統一政権としては、一代しか続いていません。
それを言うなら、インド帝国としてのムガル帝国も、
バーブルが初代ではなく、ティムールが初代になってしまいます。
ムガル帝国の母体は、分裂したティムール帝国のサマルカンド政権だったからです。
>>182 呂后は悪女として名高い人物ですが、政治家としては偉大な人物でした。
司馬遷は皇帝に即位していない彼女のために本紀を立て、
その治世に最大級の賞賛を送っています。
>>183 徳川幕府が長続きした要因には、
二代将軍秀忠の有能さもあげられるでしょう。
彼が「武家諸法度」で諸大名を統制し、
「禁中並公家諸法度」で朝廷の幕政への介入を抑え、
外様大名の粛清を行ったおかげで、徳川幕府は完全に安定したのです。
>184
アウエルシュタットの戦いは戦略的不利(と言うより失敗)を覆した勝利だと思いますが。
あそこでダヴーが圧倒的劣勢を覆してのあの勝利を挙げられなかったら、ドイツ戦役そのものが破綻していた危険性がありました。
プロイセンの主力部隊がベルリンで持久し、ロシア軍の来援を待つというのが最悪のシナリオでしたから。
ナポレオンも自分の失敗(彼はしばらくの間イエナで自分が撃破した相手がプロイセンの主力だと勘違いしていた)とダヴーの勝利の価値を理解していて、それがあの激賞に繋がったのだと思います。
192 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 22:11
>>179 お疲れ様でした。
彼のような英傑がインドにいたとは知りませんでした。
インドがあまりに大きすぎたことと、他の諸侯国に人材が少なかったことが、
彼の戦いを不幸な結末に終わらせたのでしょう。
日本の明治維新は、本当に奇跡的な要因がいくつも重なって起きた、
歴史上の奇跡であったと思います。
>>172 すると石田三成は統率が高くて政治が低い評価になるの?
なんか違和感が……。
いや、そういう評価基準をちゃんと示してくれたなら
それはそれでいいんですが。
違和感なんて生易しいもんじゃないが
195 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 22:23
>>185 前漢の粛清は、妥当なものであったでしょう。
巨大な諸侯国がいくつも存在していれば、帝国そのものの存亡に関わるからです。
後漢の場合は、地方政権を下手に懐柔しなかったことが、長期政権に繋がったのでしょう。
また、粛清すべき人物は用いないか、あるいは大司馬呉漢が勝手に殺してくれたので、
統一後に家臣団の粛清を行う必要もありませんでした。
(劉秀の場合、呉漢という汚れ役がいたので、自ら手を汚さずに済んだという事情があります)
秀吉の政権があっけなく崩壊したのは、
後継者も、有能で独裁権を持った宰相もいなかったことによるものと思われます。
宇喜多秀家以外の五大老は、本来なら粛清するか、中央から遠ざけておくべき人物でした。
また、五奉行は、あくまで閣僚であり、宰相に比すべき権限を持った人物はいませんでした。
そのため、秀吉死後に五大老として中央の枢機に預かり、
大諸侯でもあった徳川家康と前田利家の権威が増大していったのです。
湖南省湘潭県の出身。共産党主席
統率95 高いよーなんてったって中国統一したし、権力維持したからねー
武力88 かなりの軍才を持っているよー彼は。国民党に勝てたんは彼のおかげ(ハート
知力88 前近代的な知識を披露するなどのアイタタタタな面もありますが基本的に高い
政治08 文革と大躍進、弁護のしようがないほど政治オンチ
魅力60 威風堂々とした容姿と全国民に熱狂を持って受けいられたが
直接彼と関わった人間の評価はさほど高くない。人民49側近11ってところ
功罪多い人ですなー。彼によって死に追いやられた人間は何千万だから
世界史でもトップクラスでしょ。中国を統一したのもすごいが
大躍進と文革のすごさもすごい!!!。
198 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 22:45
>>187 墨子に関する歴史的資料が少ないため、評価のしようがありませんが、
もし評価するならば、武力が高い人物とします。
学者としては成功しましたが、政治家としての実績は無く、
遊説者としての成功も少ないからです。
特異な思想を持った将帥として、評価することになるでしょう。
>>191 アウエルシュタットでの勝利をどう評価するか、私はかなり悩みました。
ただ、一つの時代に3人の軍事的天才は多すぎるのではないかと思い、
ダヴーの武力を89としました。
>>193 そういう評価になります。
石田三成は政略には疎かったのですが、数十万の大軍の兵站運営や、
全国の検地といった大事業を指揮し、見事に成し遂げています。
また、領地内では善政を敷き、有能な人材を多く抜擢し、
関が原では、5万5千の大軍に対し、6千の兵で半日も持ちこたえ、
小早川秀秋の裏切りで全軍が混乱状態に陥っても、
最後まで組織的な抵抗を続けるという、凄まじい精鋭部隊を育成しました。
関が原では、大谷隊の奮戦ばかりが強調されますが、
もっとも奮戦したのは、実は石田隊でした。
これらの事実から、石田三成は統率力が高く、政治力は平凡なタイプと判断しました。
199 :
世界@名無史さん:03/06/07 22:47
卑弥呼
統率80
武力25
知力80
政治80
魅力90
>テンプレの基準
(´-`).。oO(本当は2スレ目で、3スレ目が建つ前に980まで埋まっちゃったから、あわてて適当に作っただけなんだよな・・・)
202 :
世界@名無史さん:03/06/07 22:51
政治力を内治の力とするか権力闘争で勝ち抜く政略の力とするかで随分意味合いが
変わってくるような。後者に関してはそれは判断を誤らない力であり、知力だと思う。
でも謀略は政治らしいんだよねぇ…
>>198 関が原で石田隊を指揮してたのは島左近、舞兵庫、蒲生郷舎だな。
三成は宇喜多秀家や島津義弘の作戦無視したり
部隊ほっぽりだして佐和山に戻ったり、指揮官としては失格だな。
小田原攻めで軍率いたけど、全然成果上げられなかったし。
これらから統率は良いとこ50台だな。
>>198 石田三成に関しては武力もそこそこの評価を与えてるようですね。
統率・武力が高くて政治が低い三成かあ……。
斬新ですね。
206 :
世界@名無史さん:03/06/07 22:57
テンプレの政治はなんでも突っ込みすぎな漢字
いっそ、官僚的な事務処理能力は政治にすら含めないというのはどうだろう?
政略というか、国の進むべき方向を見定める能力を政治として扱うとか。
>>206 魅力以外は境界線がきわめて曖昧なだけかと
戦闘はまだしも分かりやすいが、これも【戦術】とか【作戦指揮】とかにすべきだよな
>>207 本来は、というかk−エー評価ではそれは統率なんだよな。
単純な武力(一騎打ちとか腕力の強さ)を取り上げる必要が無いから
微妙に評価基準が変わって。
も一度テンプレ作り直すとかしたほうがいいのかも。
210 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 23:12
>>204 いや、ここでの統率は、軍を率いる能力ではありませんので。
島左近、舞兵庫、蒲生郷舎は三成が集めた人材で、
戦歴・名声では三成より格上といっていい人物ですが、
これらの人々を厚遇して、強力な精鋭を編成したので、統率力は高めとしました。
また、忍城の水攻めは、三成の判断ではなく、秀吉の命令によるものでした。
秀吉の命令書と、それに反対する三成の書簡が現在まで残っています。
忍城が水攻めに向かない城であることを知らなかった大本営の作戦ミスです。
また、忍城で三成とともに戦った武将の多くが、関が原で西軍についていますが、
普通、あんな愚劣な戦いを独断でやった指揮官と、
もう一度、一緒に戦おうなどという武将はいません。
211 :
世界@名無史さん:03/06/07 23:14
ドラクエ数値化きぼんぬ
しょくぎょう
LV
ちから
すばやさ
たいりょく
かしこさ
うんのよさ
さいだいHP
さいだいMP
EX
212 :
世界@名無史さん:03/06/07 23:16
石田光成は政策的には有能だが政治的駆け引きには不得手だったという
感が。それを政治力としてどう評価するかは政治力という概念の定義次第
か。思うのだが、石田光成の妻に持統天皇のような強烈な策謀家がいたら
関が原もまた変わった結果になったのではなかろうか?
213 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 23:35
「最後の武人」
今村均(1886〜1968)
昭和期の日本帝國陸軍は、政治介入して日本の政治をめちゃくちゃにし、
現代に至るまで日本を「マッカーサーのくびき」で苦しめる戦争を引き起こし、
愚劣な戦争指導で多くの将兵を犬死させました。
官僚体質と無責任の塊として後世に語り継がれていますが、
その中でも、後世に語り継ぐべき将帥は何人かいます。
今回は、日本帝國陸軍最後の名将の一人であり、
飛び石作戦で南方諸軍が孤立し、飢餓に斃れていく中で、
唯一終戦まで軍を保全するという奇跡を成し遂げた今村均の伝記を書きたいと思います。
>数十万の大軍の兵站運営
>領地内では善政を敷き、有能な人材を多く抜擢し
これって政治力じゃないのかな。
>全国の検地といった大事業を指揮し、見事に成し遂げています。
これは三成の統率力というよりも、秀吉の威光があったから成功したんじゃないのかな。
小田原では忍城以外にも上州館林城でも拙い攻めやってます。
関が原で三成の指示に従おうとした大名は大谷義継ぐらいだと思うけど。
秀頼を押さえて、毛利輝元を総大将に持ってこれたから味方になる大名増えたんでしょう。
でも味方の大名をまとめられられなかったから統率はマイナスですね。
215 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 23:48
今村均の統率について考察します。
ジャワを占領すると、大本営の反対を押し切って穏健な統治を敷き、
政治犯として収監されていた民族主義者たちをことごとく釈放し、
ジャワの資源を日本に送るように指示されても、
「住民の生活を苦しめる」と拒絶しました。
その結果、
「原住民は日本人に親しみをよせ、オランダ人は敵対を断念し、華僑に至っては日本人に迎合している」
「治安状況、産業の復旧、軍需物資の調達において、ジャワがずばぬけて良い」
と評されるほどの成果をあげました。
第八方面軍司令官としてラバウルに駐屯すると、
巨大な地下要塞を建設して、自給自足体制を築き上げ、
連合軍の大攻勢によって完全に孤立したにもかかわらず、終戦まで規律を保ち続けました。
よって、今村均の統率は、当時でも一級レベルの「80」とします。
216 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/07 23:53
今村均の武力について考察します。
彼は中国大陸を転戦して、国府軍相手に勝利を重ね、
ジャワ攻略戦では、4万の兵で10万の連合軍を降伏に追い込みました。
よって、今村均の武力は、有能レベルの「78」とします。
217 :
世界@名無史さん:03/06/07 23:55
>>201 テンプレはテンプレ。作った人間の思惑など知ったことじゃない
218 :
水先案内人:03/06/07 23:58
219 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:00
>>211 俺
LV2
力13
素早さ12
最大HP30
MP0
おれでいいなら
220 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:01
せめてファイナルファンタジーにしとけよ
221 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:02
>>211 スレたてたら?案外ドラクエ数値化も流行るかもな。
僕の考えでは、自演はいいかげんよしとほうがいいとは思うんですよね
でも自演なしでは過疎板では盛り上がらないし。難しいところですよね
ここらへんのバランス感覚はやはり政治に入る範疇のものなんでしょうか
223 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:03
>>221 いんやここでやる。数値スレを増殖させてしまっては本来まともな
板の使い方をしている人に迷惑なのだ。
224 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 00:04
今村均の知力について考察します。
彼はジャワ攻略にあたっては、現地人の協力を得たり、
偽情報を流して敵軍を混乱させることによって、
戦略的に有利な状況を作り出した上で、戦いに臨みました。
要衝ラバウルに着任すると、いずれ制海権と制空権を握った連合軍によって、
本国からの補給を断たれるであろうことを予測し、
自給自足体制の確立と大要塞の建設によって、持久戦を展開する方針を立てました。
やがて、連合軍の攻撃が始まりましたが、いくら空爆を加えても、
日本軍はまったく損害を受けなかったので、マッカーサーはラバウル奪回をあきらめました。
今村均の戦略眼は、当時でも一級であったと思われるので、「83」とします。
しかしドラクエでは個人的な部分しか評価できんなあ。
227 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:09
平行してやればいいのだ。どうせ072スレだし
いいじゃないか
255点満点なのか?
229 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:14
230 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 00:15
今村均の政治力について考察します。
彼は軍政で卓越した力量を見せただけでなく、
魑魅魍魎渦巻く陸軍内の権力闘争を生き残り、
終戦後は徹底的に部下の戦犯裁判に介入して、多くの部下の無罪を勝ち取り、
有罪判決を免れられなかった部下の一部が、
「最悪の収容所」と恐れられたマヌス島に送られると、
自分もそこで服役することを申し出、
却下されるとGHQに根回しして、マヌス行きを果たすなど、
政治的な駆け引きにも長じていました。
よって、彼の政治力は有能レベルの「70」とします。
能力値は評者によってかなり位置づけ違うよな。
「ど」の字氏の「知力」には教養入ってるし「政治」には政策・グランドデザイン策定能力
が入ってる。永遠の青氏の「知力」には教養は入っておらず、グランドデザインなどは
「知力」の範疇で立場を維持できるか等の「世渡り能力」、政治的駆け引き等が
「政治」の主要能力のようだ。
まあその旨書いておいてもらえればいいんじゃないかな。
多様性があって面白い。大体90以上の評価、インフレの判断などは
統一できようもないしね。他の人に比べて永遠の青氏の評価は
明らかに点が辛いしw
235 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:29
>>211 今大量に評価したいと思うので、お待ちを。
少し世界史風に改竄する必要があるとは思いますが
なまえ:毛沢東
しょくぎょう:国家主席独裁者
LV:87
ちから:255
すばやさ:128
たいりょく:248
かしこさ:200
うんのよさ:198
さいだいHP:456
さいだいMP:505
EXP:推定四千万人
じゅもん
文化大革命・大躍進政策・紅衛兵召喚・少女風呂・林彪墜落死・劉少奇失脚
そうび
毛沢東語録
237 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 00:44
今村均の魅力について考察します。
終戦後に、収容所の中で学歴の無い部下に、勉強を教えたり、
自らの裁判を度外視して、部下の無罪を勝ち取るために奔走するなど、
彼は帝國陸軍の将帥の中では、珍しく部下を愛する将帥でした。
また、ジャワの占領軍司令官だった時には、ジャワ人を大切にし、
旧支配者だったオランダ人にも自由を与えるなど、
占領地住民にも温情をもって接したため、
終戦後にオランダ軍の裁判を受けるためにジャワに拘留されると、
ジャワ人は刑務所の前で今村均が作った歌を合唱し、歓迎の意思を示しました。
また、インドネシア独立派は彼の救出作戦を立てましたが、
彼は「自分のために独立派の人々を危険に晒したくない」と謝絶しました。
部下の一部がマヌス島の収容所に送られて虐待されていることを知ると、
彼らと共にマヌス島で服役することを望み、
マッカーサーに「真の武人」と讃えられました。
今村均がマヌス島にやってくると、その人柄を尊敬したオーストラリア兵は、
日本兵を虐待することを止め、人間として扱うようになりました。
長い拘留生活の後、日本に帰った彼は回想録を出版して、その印税を部下の遺族に送金し、
部下の墓参りのために日本中を行脚しながら、その後の人生を送りました。
彼は優れた人格者であり、憎悪に燃える敵兵すら感化しました。
よって、魅力は超人レベルの「91」とします。
238 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:47
239 :
世界@名無史さん:03/06/08 00:53
>>207 それじゃ周恩来が高く評価できなくなるため駄目。
いっそのことテンプレなしで。各人各々勝手につければよし
政治とはね、被支配者にどれだけ恩恵を与えれるかなんですよ。
権謀術数だけうまく、保身がうまい人間が政治力が高いなどとは
一般の意味でいう政治力とは。かけはなれてしまいます。行政能力が高いのも
政治力だし、グラントデザインを描き国家の長期的な戦略を考える人間も
政治力は高いといえる。
241 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 00:58
今村均の最終的な評価を発表します。
【統率】80
【武力】78
【知力】83
【政治】70
【魅力】91
一流の戦略眼と高い指導力を兼ね備え、
実戦指揮官としても有能な、万能型の軍人です。
陸軍大将・方面軍司令官の重職にありましたが、
その地位ですら、役不足であったと言えるぐらい、有能な人物です。
彼がもっと大きな権限と地位を有していたら、と思わずにはいられません。
政治的な駆け引きにも通じていましたが、
わざわざ、部下と苦しみを共にするために根回しを行うなど、
自分の保身より、他人のためにそれを発揮した稀有な人物でした。
なお、彼は「戦陣訓」の原文を書いた人物でもあります。
完成版に「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文が載っていた事に憤慨し、
終生それを悔いていたそうです。
>241
ご苦労様です。
昭和陸軍きっての名将ですね。
あと評価できそうなのは岡村寧次大将、栗林忠道中将、阿南惟幾大将あたりでしょうか。
243 :
世界@名無史さん:03/06/08 01:10
ドラクエ数値見にくい。やっぱコーエー数値の方が分かりやすい。
俺は見やすいし面白い
245 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 01:18
>>214 >これって政治力じゃないのかな。
私は政策実行能力は、統率力か政治力の両方で表現できると言う、
「自分ルール」を適用していると、上の方で書きました。
統率力は組織運営の能力であり、政策実行能力にも流用できると考えたからです。
統率力で政策を実行する人物は、組織を効率的に運営することで政策を実行し、
政治力で政策を実行する人物は、根回しや交渉によって、政策を実行していくものと考えます。
>これは三成の統率力というよりも、秀吉の威光があったから成功したんじゃないのかな。
秀吉の威光があっても、検地のような大事業は、有能な人物で無いと務まりません。
>関が原で三成の指示に従おうとした大名は大谷義継ぐらいだと思うけど。
>秀頼を押さえて、毛利輝元を総大将に持ってこれたから味方になる大名増えたんでしょう。
>でも味方の大名をまとめられられなかったから統率はマイナスですね。
関が原において、彼は関が原にいる西軍の総大将、
つまり毛利輝元の代理と言う立場でした。
西軍諸将はもともと彼と同格か、それ以上の地位の人物であり、
部下では無くて、同盟軍でした。
統率力は部下を動かすのに必要なものであり、
同盟相手を動かすのに必要なのは交渉能力、すなわち政治力です。
彼は自分の部下は良く動かしましたが、西軍諸将のとりまとめには失敗したので、
統率力を高く、政治力を低くしたのです。
>小田原では忍城以外にも上州館林城でも拙い攻めやってます。
関東戦役では精彩を欠いたので、精鋭部隊の育成に努めるようになったのでしょう。
戦場での指揮能力は統率力ではなく、武力です。
ちなみに、柴田勝家との戦いでは、指揮官として武勲をあげています。
マレーの虎、山下奉文は、もう終わったの?
つまり、青の長文は自分ルール適用だから、議論しても無駄って事か。
>統率力は組織運営の能力であり、政策実行能力にも流用できると考えたからです。
>統率力で政策を実行する人物は、組織を効率的に運営することで政策を実行し、
>政治力で政策を実行する人物は、根回しや交渉によって、政策を実行していくものと考えます。
これだけ読んだら、回線間違って繋がってるとしか思えないもんな。
コテハン様の決定した偉大なる基準にケチつける勇敢なる馬鹿野郎どもに最大限の敬意を表します
政治と知力の境界線、統率と武力の境界線についての議論は永遠に決着がつかないだろうな
249 :
世界@名無史さん:03/06/08 01:40
議論してよりよい基準を作ろうとしてないからね
パラは政治と統率と魅力だけでいいよ
251 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 01:45
>>242 大陸戦線の宮崎繁三郎中将も、昭和の名将です。
かのインパール作戦では、少将・兵団長として、
佐藤幸徳中将とともに将兵を生還させ、対ソビエト戦でも、
崩壊する日本軍の中で、ただ一人勝ち続けました。
実のところ、昭和陸軍の名将は皆前線司令官ばかりで、
大本営や総司令官クラスには、ロクな人物がいませんね。
それが、敗因の一つでしょうね。
>248
>政治と知力の境界線、統率と武力の境界線
漏れは、
【政治】は実行力【知力】は構想力、【統率】は用意【武力】は行動
という風に分けて考えていました。
よーやく(;´Д`)ハァハァな彼の評伝がまとまりました。長!な文になりましたが、勘弁して下さい。
ミトリダテス6世エウパロール[Mithridates VI Eupator]
BC132〜BC63、在位BC120〜BC63
小アジア、ポントス王国の第十六代王。
父王ミトリダテス5世が暗殺され、BC120に母と共同で王位につく。が、相続争いのため母に
王位を追われる。七年間の逃亡の末、遂にクーデターを起こし、兄弟を殺し親ローマ派の
母を王位から引きずり下ろし、単独で王位についた。
彼は積極的な拡張政策を採り、ユグルタ戦役などのローマの争乱の隙をついて、周辺の諸国を
併呑し、その領土を拡張していった。
落ち目になってきたマリウスの挑発にも乗らず、ローマとの戦いを回避し続けていたが、彼は
ローマとの争いは避けられぬものと理解しており、それに備えアルメニア王とのパイプを築く
などして、いずれ来たる戦いに備えていた。
そしてBC90、とうとうその時がやってきた。「同盟者戦役」及び再び盛り返したマリウス老将軍
とスッラの確執を、ローマ衰退の兆候と見た彼は、ローマの同盟国であり、以前よりの対立者で
あったビテュニア王の死につけ込み、これを併呑する。そして、それに対し直ちに軍事介入を
してきたローマの軍団を打ち破る。
第一次ミトリダテス戦争の始まりである。
彼は小アジア属州のローマ軍団を退けると、直ちにそこに進入・征服し、さらにその勢いを駆って
ギリシアにまで侵入する。属州税の苛斂誅求や依怙贔屓でローマが恨まれていたのを利用し、
負債の帳消し、税の五年間の免除を交付すると共に、現地のローマ人実に8万を虐殺する。
こうした動きに応じるがごとく、ローマでは「同盟者戦役」後のマリウス=スッラ間の凄惨な
政争が始まる。信義に欠けたギリシア人は、これをローマの衰亡の徴と見、常々ローマに恨みを
持っていた小アジア属州民と共に、彼を解放者として歓迎し、その支配を進んで受ける。
これに対し、6個軍団を率いてローマを制圧し、内戦をいったん収めたスッラは、BC87にギリシア
に上陸し、ギリシア諸都市をあっさり屈服させ、ミトリダテス側の大軍を軽々と二度打ち破る。
この敗北を受け、彼はキンナの裏切りにより、再発した内戦に苦慮しているスッラと早急に講話
を結ぶ。このとき彼は様々な手段で煙に巻き、有利な条件を引き出そうとしたが、スッラには
全く通用せず、この戦役で獲得した領土を手放し、2000タラントという多額の賠償金を支払う
などの条件を飲んでBC86に和議を結ぶ。
その後、名誉欲に駆られたスッラの副官ムレナが第二次ミトリダテス戦争を仕掛けてきたが、
これを退け、彼はイスパニアのセルトリウスと結びつつ、再戦に向けて力を蓄える。
BC74、ローマの諸将がポスト・スッラを狙って自分との戦いによる軍功を欲しているところに、
ビテュニア王が捨て鉢になって、ローマに王国をそっくり寄贈する。
ここに彼はローマに宣戦をし、第三次ミトリダテス戦争を開始する。
初めのうちはローマ式の訓練を施した大量の兵によりローマを打ち破るが、ルクルスに、兵站を
絶たれ、数十万のミトリダテス軍は兵糧が尽き、壊滅する。
単身逃亡した彼は、アルメニア王を頼る。そのアルメニア王の軍をも破っていったルクルスが、
将兵の士気の低下により足踏みしているうちに、彼はポントスを回復し、その後この戦役はBC66
にポンペイウスがこの戦役の総司令に任命されるまで、膠着状態に陥る。
ポンペイウスは彼を直ちに打ち破り、アルメニア王も屈服させる。
彼はクリミア半島に落ち延び、三度の敗北にもくじけず、またも再起を図る。
しかし、とうとう息子に反乱を起こされ、やむなく自害する。享年73歳である。こうして、足かけ
約三十年に渡ったミトリダテス戦役は終結する。
なお彼は、毒物に非常に通じていて、彼の著書は毒物学の古代世界最高のテキストであり、その名
mithridatesは英語のmithridate(解毒剤)の語源にもなった。なお、血清や、予防薬の概念を
発案したのも彼である。彼は毒殺を恐れ、毒を常時少量摂取することによって毒への耐性を
着けていたが、そのため今際の時に毒をあおっても死ねず、奴隷達に自分を刺殺させた。
彼の評価は、ローマの強大さ・偉大さを理解できなかった、ただのアナクロニストと見るか、
それともローマの支配と独善を退けようとして惜しくも破れた悲劇の英雄と見るかで180°
変わってくる。
その奸智と不断の意志は驚嘆すべきものがある。ただ、彼が生き、好機と見たローマの内乱期
は、ローマ全時代通して最高レベルの人材と将兵が揃っていた時代でもあった。
最初から彼の野望は、挫かれることが運命づけられていたものだが、どのような苦境に陥ろう
とも最後まで諦めなかった彼に敬意を表したい。
【統率】68 敗北後、自陣営の立て直しの素早さは驚嘆すべきものであるが、第三次戦役で、部下
の怠慢のために全軍を壊滅させたことで大きくマイナス。
【武力】70 自分で直接軍を率いたりはしなかったようだが、クーデターを成功させられる程度は
あったようだ。また、個人的にも武術に優れていた。
【知力】79 機を見るに敏であり、さらにその不屈の意志はポイント高し。第三次戦役前に、第一次
での失敗に学び、兵士にローマ式の訓練を施すなど、失敗の原因を正しく認識すること
ができた。ただ、重ね重ね致命的な失敗を犯したこと自体は庇えない。
【政治】89 いくらポントスが豊かとはいえ、どこからあんな大量の兵とそれのための軍資金を
集めたのか、小一時間ほど問いつめたい。アルメニア王やセルトリウスばかりか、海賊
をも抱き込んだりするなど、その政治的な機動力は見事。
【魅力】83 演説の天才。人をあっさり熱病のような雰囲気に流してしまうその技は見事。ただ、
戦役が長引くにつれ、次第に人心を失ってしまった。
特殊能力
健啖 寿命に+30%、罹病率に-50%。また、60才まで寿命が来る可能性はない。
毒無効 暗殺イベントが自動的に不発に終わる。
257 :
世界@名無史さん:03/06/08 01:51
www.mimitama.com/upload/source/maririn
あー、この時代のローマは内乱でややこしいので略伝もやたら長くなってしまったのはどーか勘弁して下さい。
つーことで、今度は中央集権国家を目指して失敗した後醍醐天皇キボンヌ。
次は、三人のうちただ一人評価されていないあの人にしようか。でも、資料が少なくて・・・。
259 :
世界@名無史さん:03/06/08 01:56
age
>>253 ああ、いまちょうどミトリダテス6世のところ読んでたのでありがたいです。
誰もいなくなった時間帯を見計らって
(生意気にも)評価基準案を書き込もうと思ったが、
このスレはいつもよく回ってるなー
評伝書いて、テンプレに近い形での評価を書く。
これでいいと思うんだよね、何故出来ないんだろうね。
>253
大ローマに喧嘩を売った今一人、パルミラのゼノヴィア女王をやろうかと思ったこともあるんですが、いかんせん資料が少ないですし・・・。
ぼく的石田三成
【統率】58
【武力】34
【知力】81
【政治】29
【魅力】42
上に誰もいなかった人物と、上に誰かがいた人物を
いっしょくたにして評価するのも混乱の原因だと思います
《指導者・宰相》
【統率】→【組織】 優秀かつ自らの思い通りになる行政組織ないし政治的連合体を構築する能力
【武力】→【軍事】 精強な軍事組織を保有・育成し、政治目的に合致するよう任務を与える能力
【政治】→【統治】 内政・外交の大方針を正しく策定し、政策を構想する能力
【知力】→【謀略】 国内外の敵を罠にはめて失脚させたり、罠にはまらず逃れる能力
【魅力】→【魅力】 他者の尊敬を得、人材を引き付け、それらの働きを引き出す人物力
《中間管理職(武官)》
【統率】→【調整】 周囲の人材・組織を目的に応じて操作する能力
【武力】→【戦術】 軍事的目的に合致するよう、与えられた手駒を適確に指揮する能力
【知力】→【知略】 内外の敵――特に敵将――が仕掛けた罠を見破り、回避する能力
【魅力】→【魅力】 他者の尊敬を集める能力&部下の働きを引き出す能力
《中間管理職(文官)》
【統率】→【調整】 周囲の人材・組織を目的に応じて操作する能力
【政治】→【政策】 上司から与えられた大方針に従い、法令・施策を立案する能力
【知力】→【謀計】 内外の敵――特に政敵――が仕掛けた罠を見破り、回避する能力
【魅力】→【魅力】 他者の尊敬を集める能力&部下の働きを引き出す能力
266 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:14
ぼくドラえもん
統率30
武力100
知力20
政治60
魅力100
ドラえもんはすでに世界史に残るネコ型ロボットだろう
スレ違いかもしれないが、彼の偉大な業績を称えてあえて
書かせてもらいました。個人的には武力100は譲れないところです
267 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:15
魅力は現代の評価は関係ないんじゃん。
じゃ趙高や呂后なども低く設定しなくていいじゃない。
268 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:19
池田大作(死ぬな!)
【統率】95
【武力】95
【知力】45
【政治】80
【魅力】20
269 :
無料動画直リン:03/06/08 02:20
>>268 私もやらせてもらいました。武力の評価は避けるとして
統率はもっともだと思います。政治力もです
魅力は50ではあるんでは?学会員の彼への尊敬は本物です。
創始者ではないですが、事実上あれだけの組織を作った手腕は
賞賛されるべきだとは思います
テンプレを作ってそれにできるだけ忠実に評価をしてもらうか
もしくはテンプレなど作らずに各人自由につけるのもいいのではないでしょうか?
少なくとも1スレ消費するかの勢いで長文書いて説明しなければ理解不能な
「俺ルール」な評価は止めて欲しい。
というか、テンプレに沿ってでいいだろうに…
273 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:30
なりへそ・・・
学会員にとっての魅力とアンチ創価学会のマイナスポイントを
かんがえて低めに魅力を決めただす、漏れの場合は。
漏れは弱小の講組織を最強の宗教団体まで育て、正宗・共産との
鬼バトルを指揮した手腕を武力としますた。
>>270
>>265はちょっと視点が近現代に寄りすぎてるような気もする
政治指導者=軍事指導者であった時代は長いというのに
275 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:37
>>273 なるほどそこを武力としましたかw
確かに鬼バトルですねぇー
276 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:39
>>274 それは指導者で評価すればいいのでは?
265氏は叩き台のつもりでだされたようだから
改良案をだしていけばよろしいかと
277 :
世界@名無史さん:03/06/08 02:42
私もつくってみました。
コテハン諸氏に比べ拙いところありますがたたき台にしていただければ幸いです。
エルネスト・ゲバラ(1928〜1967)
革命家・キューバ革命の元勲
【統率】40:
キューバ革命時はほぼカストロが統率していたと考えられます、
但し幹部の一員として軍規を厳しく公平に適用したことは知られています。
しかしコンゴ・ボリビアでは外国人の悲しさ、両国革命勢力との対立、孤立化のうえ
ボリビア人ゲリラの脱走、密告によって最後を迎えることとなりましたので凡人レベルの40としました。
【武力】80:
反抗拠点シエラ・マエストラ山到達時20人から最終的に2万人の軍隊を擁するバティスタ政権
を打倒したゲリラ部隊の中心として多くの武勲を上げています、ヒット・エンド・ランを初めとする
彼の山岳ゲリラ戦術論は後に多くのゲリラのスタンダードとなりました。政府軍とゲリラのモラル
に差があるにしても1000倍をはねのけて勝利するというのは1級レベルの80点にふさわしいでしょう。
減点はボリビアの対ゲリラ攻撃に対応できなかったことと、本人の重度の喘息によりしばしば作戦に
支障をきたしたことです。
【知力】70:
アメリカとの関係断絶後いち早く農業輸出国から工業国への転換を指摘、社会主義における
さまざまな理論闘争を展開するなどインテリ振りを発揮、但し、ゲリラ活動による革命に固執し、
コンゴ・ボリビアでの革命闘争の成功の可否を十分に検討しないまま行動したのはこの部分のマイナスでしょう。
【政治】18:
彼の革命の目的は中南米各国の搾取の構造の撤廃であり、具体的な構造の撤廃後の政策
は構想外だったようです。中央銀行総裁時貨幣廃止を計画し失敗、工業相時は技術者が
育っていないのに先に工場を建設し、そちらに人員を割きすぎ、当面の収入源であるさとうきび
の収穫量が激減しました。また、渉外としてもアメリカと関係断絶の為ソビエトとの関係強化を
開始する最中、会議でソビエトの発展途上国に対する姿勢を批判してしまいカストロ達を大変
困らせます。無為無策より悪いとしてこの点となりました。
彼は妥協を知らないロマン派社会主義者でした、もし彼がカストロのような指導者がいない
国家で革命を成功させていたら第2のポル=ポトになっていたかもしれません。
【魅力】85:
無私の人として有名です。戦闘時に一番危ない役目に真っ先に志願するので他の兵士から
尊敬をうけていました。ボリビアに行く際も多くの古参の元ゲリラが共産党の要職を投げ打ち
同行を志願しました。また、海外でのカリスマっぷりを示す言葉として以下の台詞を載せておきます。
『あのころ世界で一番かっこいいのがゲバラだった』-ジョン・レノン-
但し、彼はあくまで彼の行動を理解できる人間にとって魅力的であり、
よくわかんねーけどこの人に着いていけば大丈夫だ、
といったカリスマではありませんので90点はつけませんでした、そのような高得点は当のゲバラ
からこの評価を得ているこの男にふさわしいでしょう。
『フィデルが野球をやろうというと、皆が実は自分も野球がやりたかったのだと思い、
バットをもって駆け付ける、指導者とはそういうものだ。』
※特殊ユニットです、政権を奪取した数年後にあなたの政権を自動的に離れます。
どうもカストロと比較すると辛くなってしまいます。彼は2m近い体躯と随一の射撃技術をもち、
青年時代から500近い暗殺をくぐりぬけたうえ、弁舌巧み(ただ長い)。国家主席としてアメリカ
と百数十キロの距離にありながら40年間CIAの謀略・侵攻をはねのけているうえ本人の偶像化
を否定、子供の誰一人も政治家にしていないという高いモラルを兼ね備えた(北も日本の政治家も見習え!)、
まさに英雄ですから。
_, ._
( ´_ゝ`)ヤメナサイ
283 :
世界@名無史さん:03/06/08 07:00
>>241 今村均が有能なにのはわかりますが、さすがに高すぎませんか・・?
あなたが昔数値化した、曹操や織田信長などを圧倒する評価っていうのはちょっと・・・
285 :
世界@名無史さん:03/06/08 10:29
_, ._
( ´_ゝ`)naniittemomuda
286 :
世界@名無史さん:03/06/08 10:51
=========
@ @
k
ー ー
288 :
日本@名無史さん:03/06/08 11:12
286
なんでだろ〜
なんでだろ〜
なんでだ、なんでだろ〜
「今村均は有能か」
今村さんが戦争止められなかったのなんでだろ〜
今村さんが戦争かてなかったのなんでだろ〜「ねんねだろ〜」
今村さんが、いってた、「生きて虜囚の辱めを受けず」無能な一言だ〜
なんでだろ〜
なんでだろ〜
なんでだ、今村ねんねだろ〜お〜
いや今村はそこまで有能じゃないだろ。
ただ単にちょっと腹減ってたから指摘しただけだ
有能なに→有能な
スマソ 逝ってきます
青氏の自分ルール、一般人の考えとのギャップが大き過ぎて、評定読んでもサパーリ。
例え自分ルールでも、人に見せるならば有る程度はあわせる必要があると思う
訂正。
>>253 ×ミトリダテス6世エウパロール[Mithridates VI Eupator]
○ミトリダテス6世エウパトール[Mithridates VI Eupator]
>>255、8行目
×しかし、とうとう息子に反乱を起こされ、やむなく自害する。享年73歳である。こうして、足かけ
○しかし、とうとう息子に反乱を起こされ、やむなく自害する。享年67歳である。こうして、足かけ
>>256 ×【武力】70 自分で直接軍を率いたりはしなかったようだが、クーデターを成功させられる程度は
× あったようだ。また、個人的にも武術に優れていた。
○【武力】70 始めごろは自分で直接軍を率いたりはしなかったが、第一次の失敗に学び、後に
○ 改めたようだ。少なくとも、クーデターを成功させられる程度はあったと思われる。また、
○ 個人的にも武術に優れていた。
ちゃんと推敲しろよ、俺。
>>279-281 ええなぁ、ゲバラ。漏れ、近現代はサパーリだけど、この人はどんな人間なのか、ちょっと気になっていた。
こういう変わり者の英雄って、いいですよね。
言い訳ですけど、私はある程度考えたら後はイメージで丸めてます。
5刻みでしかつけないのもそれが理由と言えば理由。
【統率】組織を運営し、維持する能力。対人・組織内折衝能力も含む。組織構築力は政治にもリンクさせる。
【武力】戦術指揮能力。個人的武勇も含むが、時代が下がるにつれ比重は落ちる。
【知力】知性、教養、先見性、頭脳そのものの性能など。他の能力では表現しにくい物が含まれがち(^^;
【政治】政策立案能力、統治能力。行政能力など。
【魅力】人格的魅力。
イメージとしては、
知力・政治が高い=官吏タイプ
統率・知力が高い=指揮者タイプ
統率・魅力が高い=君主タイプ
って感じですかね。
295 :
世界@名無史さん:03/06/08 13:23
スカトロの評価もきぼんぬ〜
296 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 14:26
>>256 興味深い人物をとりあげていただき、ありがとうございました。
ピュロスやハンニバルのように、武力でローマの覇権に挑戦していた人物のことは知っていましたが、
謀略と政治力でローマの覇権に挑んだ人物がいたとは、知りませんでした。
スッラやポンペイウスのような怪物が同時代にいなければ、
ローマの東方領土は、彼の手に落ちていたかもしれないですね。
>>268 彼はまだ生存しています。
何をやらかすか、まだ分からない人物の評価は、定めにくいと思います。
なぜなら、反乱が起きて駆逐されるかもしれないし、
逆にさらに影響力を増大させる可能性も大きいからです。
>>281 ゲバラの評価、お疲れ様でした。
だいたい、私の評価も似たようなものです。
彼は優れた革命家でしたが、彼がカストロの地位にいたら、
おっしゃるようにその頑なな原理主義で、ポルポト化していた可能性もあります。
ただ、魅力は90を与えても良いのではないかと思います。
もし、一代の英雄カストロが死亡したら、彼の評伝を書いていただきたいと思います。
297 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 14:48
>>284 曹操や信長を低く評価した覚えはありませんが。
曹操は一流の将帥にして、天才的な戦略家であり、
信長もまた、戦略と謀略を駆使して、一代で日本の半分を制した男です。
ただ、彼らの統率を平均よりやや上の50台に設定したのは、外様だけでなく、
自ら抜擢した人物にまで、致命的な反乱を何度も起こされているからです。
二人とも、反乱を起こされていなければ、もっと大きな業績をあげられたはずです。
彼らは、組織を大きくする能力には長じていましたが、
大きくなった組織を維持する能力には欠けていたのです。
298 :
世界@名無史さん:03/06/08 14:55
上の方や前のスレでドイツ史関係数人評したけど、一応
【統率】部下・臣下など、自分より下の者を従わせる能力。組織の運営や維持も含む。
君主の場合は身を律する能力も含む(それが臣下に与える影響を考慮)
【武力】戦略・戦術など、戦争指揮全般。戦略入れないと女性君主・近代以降の
政治家の評価が困難になるため。個人的武勇伝もあれば加味。
【知力】問題解決能力、教養(特に自分の主張を訴えるための表現力)。
死後の歴史の展開によっては後継者問題への対応を評価に加えることも。
【政治】政策立案・遂行能力と対人折衝・外交・謀略能力。
【魅力】人間的魅力(死後の評価も含む)。
という風にしている。
手紙やら何やら、死後に出てきた史料で魅力も評価が変わるからね。
299 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 15:13
>>288 今村均は、日中戦争開戦時には陸軍大佐・参謀本部作戦課長、
太平洋戦争開戦時には、陸軍中将・第23軍司令官であり、
開戦決定に影響力を行使できる地位にはありませんでした。
彼が大将の階級で、参謀総長・陸軍大臣・総軍司令官クラスの地位を経験していたか、
陸軍内部の派閥の有力者であれば、もう少し歴史は違ったものになったかもしれませんが。
ただし、当時の日本国内には天皇側近・高級官僚・陸海軍などの諸勢力があり、
どの勢力の中にも複雑怪奇な派閥が存在しており、
首相でもこれらのすべてを無視して動くことは出来ませんでしたが。
有能で一貫して戦争回避に動き続けた広田弘毅でさえ、
戦争を回避することは出来ませんでした。
>>163>>166 韓世忠は岳飛に壊走させられて撤退する完顔宗弼の船団を、黄天蕩で罠に嵌め打撃を与えました。
劉リは井戸に毒を入れ、金軍の攻勢を順昌で食い止めました。
呉兄弟は和尚原で金軍を火攻めにし、混乱させ壊走させています。
それぞれゲリラ戦ですが、けれども彼らの率いる兵はそれぞれ一万足らず、それらの作戦で、
記述にあるような大きな損害を金に与えたとは、僕には信じがたいんですね。
そして彼らの活躍は完顔宗弼が宋の主力を岳家軍と定め、主力は岳飛に何度もぶつけている
という戦略面での利点があったからだと考えます。
そして仰るような金軍主力と大決戦を行って大打撃を与えた戦いとは、1140年金軍の大規模
南征軍とぶつかった戦いが最も大きいでしょう。
岳飛は緒戦で連勝し続け失地の大半を奪還、それを受けて金軍は岳家軍さえ撃破できれば宋は崩れる
と踏んで、金の誇る新鋭騎兵を加えた約10万の主力を岳家軍にぶつけ、壊滅させられています。
すかさず完顔宗弼は今度は20万の兵をかき集め再度岳飛にぶつけ壊走、最後に10万を繰り出しますが
これも壊滅させられました。おそらくその余勢を駆り、岳飛は中原に攻め込もうと決心したのでしょう。
でもそれまでにも金軍は10〜20万単位の南征を何度も行っていて、本当に記述にあるような大打撃
をその都度与えていたのだとしたら、そう何度も何度も南征を行えるほどの余力は金といえども
ないと思うんですね。恐らく深刻といえるほどの打撃は与えられておらず、岳飛は再度立て直して
攻め込まれる前に、自ら中原に兵を進め、そこで金軍に決定的な打撃を与える腹だったのだと思います。
当時の兵法では、守勢に回ると士気の低い兵の方が脆く(故郷が近いため壊走しやすい、敗残兵が
離散して集め直し難いなど)また南宋に呼応する反乱を誘発するなど、中原で迎え撃って敗北すると
立て直すのには時間がかかるという完顔宗弼の戦略的判断があったのかもしれません。
岳飛も最初から金の主力とぶつかるつもりではなく、河南、河北を制圧して北から圧力をかけ
金主力に出血を誘う作戦ですので、中原を占領することはできなくても、再起を阻むという戦略目標
を達成するにはかなり適切な判断だったのだと思います。
>>169 項羽も僅か3万の兵で50万以上の劉邦軍を撃退するなど、度々超人的な采配を見せています。
しかし岳飛も敵とくらべて兵の質で常に優勢な状況にあったという訳ではありません。
岳家軍の起こりとは、杜充配下の一部隊長にすぎなかった岳飛が、杜充軍が敵に壊滅させら
れ壊走する中、たった一部隊で戦線を支え続け、四散した杜充軍敗残兵を集めて士気、質、
武器の圧倒的に劣る部隊を指揮し、その状況で連戦連勝、圧倒的勝勢な金軍を撃退したというこれ
また超人的な経緯が元です。その時の敗残兵が歴戦を勝ち抜き、強兵となっていったんですね。
確かに戦術的勝利を戦略的優位の逆転まで結びつける事は、項羽のように見事にできている
わけではありません。でも僕は寧ろ戦略的な優位に結びつけるというのは、戦略、つまり知力の
範疇だと思っています。
不敗どうこうという話がありましたが、上杉謙信も生涯不敗の人です。彼は信玄に戦術的
には連勝、でも信玄の戦略のうまさから戦略的な優位には結び付けられていません。
これは武力に劣るというより、知力で大きく遅れをとっていた結果だと考えます。
ただ、項羽の強さは確かに異常です。彼が一番であることは、僕も認める所です。
あまり一人の人物を引っ張りすぎると、また前スレのように収集が付かない議論になりかね
ませんので、僕としては岳飛に関する主張は、これで全てとさせていただきます。
岳飛祭りには参加してなかったので何とも言えませんが・・・。
少なくとも私的な評価では孟供(字が違うのは分かってますが出ないんです)の下ですね。
シャルル・ダルタニャン(1615?〜1673)
本名はシャルル・ドゥ・バツ・カステルモール。ダルタニャンは母方の姓。
1633年には銃士隊に所属していたことが当時の閲兵書に記載されている。
フロンドの乱の時には銃士隊は解散しており、マザラン枢機卿の腹心として、
伝令や亡命先の確保等に奔走。
その後、ルイ14世によって銃士隊が再興されると、銃士隊長代理となる。
フーケ事件では財務長官ニコラ・フーケの逮捕・護送・監視に活躍。
「王には忠義あり、かつ護送する囚人には人道あり」と称えられた。
1667年、銃士隊1番隊長に昇進。反乱の鎮圧や要人護送任務を着実にこなす。
国境の都市リールの都市総督に抜擢されたものの、リールの城塞総督である
ヴォーバン(後の元帥)麾下の技師団と指揮系統の違いから反目。
最終的にはヴォーバン本人との直接会談を経て和解に漕ぎ着ける。
その後、再び銃士隊長に復職し、オランダ戦争に従軍。
同盟関係から派遣されていたイギリスのモンマス公爵の補佐と護衛を務める。
1673年6月25日、マーストリヒトの戦場で戦死。
ルイ14世はダルタニャンの戦死について、王妃宛の手紙でこう触れている。
「マダム、朕はダルタニャンを失ってしまいました。朕が最も大きな信頼を寄せて
いた男です。何事につけても朕に良く仕えてくれた男です」
304 :
世界@名無史さん:03/06/08 15:46
シャルル・ダルタニャン
統率(76) 銃士隊300名を率い、堅実な実務遂行能力を持っています。
武力(70) オランダ戦争では同僚の無謀な作戦を看破する等、指揮官として
は水準に達していた思われます。
知力(68) 機転もきき、上司にとっては信頼のおける人物でした。
政治(50) ガスコンの性癖なのか、相手の出方次第では意固地になります。
そういった意味で、政治的な調整能力には多少欠けていたようです。
魅力(78) 希代の好漢として、その死は皆に惜しまれました。
>303
「三銃士」のダルタニャンのモデルになった人ですね。
佐藤賢一を読むまで、てっきりデュマが創作した人物だとばかり思っていました。
今でも子孫がちゃんといるそうです。
>>297 それでも50代はどうかと。
特に曹操は反乱によって政権に致命的は打撃を受けたわけではないし。
曹操の統率は同時代の中国では誰よりも優れているとしていいんじゃないんすかね。
優れた政策をいくつも実施してることで青さん的には統率も上がりそうなもんですが。
その2人。
307 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 16:02
>>291 正直な話、タレーラン・ペリゴールのような超人的な交渉・政略能力を持った男と、
呉起のような交渉・政略は度外視するが、抜群の政策能力を持った男と、
アルベルト・シュペーアのような最高の実務能力を持ったテクノクラートを、
全員同じ基準で「政治力が高い」とするのは、無理があるような気がするのです。
彼らは皆、政治家として知られていますが、
彼ら全員に高い政治力を付けるのは、何か違うような気がするのです。
確か織田信長は
【統率】58【武力】70【知力】95【政治】80【魅力】57
曹操は
【統率】53【武力】84【知力】90【政治】49【魅力】64?
これくらいの評価でしたね?
低くは無いと思いますが、あなたの今村均の評価は彼ら2人を圧倒する能力じゃないですか?
あと裏切られた点だけで50代というのなら、カエサルなんかも統率50代とかになる訳ですか?
309 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 16:35
>>300 >韓世忠は岳飛に壊走させられて撤退する完顔宗弼の船団を、黄天蕩で罠に嵌め打撃を与えました。
どこにそんな資料があるのでしょうか?
宋史においては、完顔宗弼は船に乗って逃げ出した南宋首脳の捕捉を断念し、
首都圏を略奪してから、主力を温存したまま、黄天蕩で韓世忠と対陣しています。
>劉リは井戸に毒を入れ、金軍の攻勢を順昌で食い止めました。
食い止めるどころか、開封まで押し戻しています。
ただの篭城戦でこれだけの戦果をあげられることは、滅多に有りません。
>呉兄弟は和尚原で金軍を火攻めにし、混乱させ壊走させています。
壊走させただけでなく、殲滅しています。
10万の兵と戦って、3万の兵を屠ったのは、戦史の常識上では、殲滅といいます。
>それぞれゲリラ戦ですが、けれども彼らの率いる兵はそれぞれ一万足らず、それらの作戦で、
>記述にあるような大きな損害を金に与えたとは、僕には信じがたいんですね。
ならば、岳飛を宋随一の名将と記述し、その戦果を書いている「宋史岳飛伝」の記述も怪しくなりますね。
宋史の「抗金名将」に戦果に対する記述が怪しいとなれば。
>そして彼らの活躍は完顔宗弼が宋の主力を岳家軍と定め、主力は岳飛に何度もぶつけている
>という戦略面での利点があったからだと考えます。
劉リも韓世忠も呉兄弟も、完顔宗弼率いる金の主力と戦って勝ってますが、何か?
金軍最高司令官完顔宗弼率いる10万の大軍が金の主力でなければ、
誰が金の主力を率いていたのでしょうか?
>>309 もう最後にするって言ってるんだから
もっと穏便に書け。
熱くなり過ぎ。
世界史基準で三国志の人物を評価していくと悲惨なことになりそうだ
ゲームとしては成り立たなくなりそう
誰か有名どころの人物をまてめてやって頂けませんか?
自分の知識じゃとんでもないことになりそうなんで
312 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 17:04
>>300 >でもそれまでにも金軍は10〜20万単位の南征を何度も行っていて、本当に記述にあるような大打撃
>をその都度与えていたのだとしたら、そう何度も何度も南征を行えるほどの余力は金といえども
>ないと思うんですね。
重ねて、申し上げます。
「宋史岳飛伝」だけを信用して、「宋史劉リ伝」「宋史韓世忠」「宋史呉カイ伝」「宋史呉燐伝」を信用しないというのは、
ダブルスタンダードではありませんか?
>でも僕は寧ろ戦略的な優位に結びつけるというのは、戦略、つまり知力の
>範疇だと思っています。
項羽が基本的に戦略というものを理解していなかったことは、史書で明らかです。
また、項羽の軍師とされる范増が戦略に疎かったらしいことも、
十八王分封やその後の内乱状態で明らかです。
楚軍は、純粋な戦術的成果の蓄積だけで、戦略的優位を確保していた集団です。
もうあまり話すつもりはなかったのですが、僕の主張の事実関係について少し。
黄天蕩で韓世忠が金軍と対峙したのは、敗北して後退する金軍を追撃する
過程で、次の布陣先が黄天蕩にあると読んで罠にはめた、それを示したものです。
>10万の兵と戦って、3万の兵を屠ったのは、戦史の常識上では、殲滅といいます。
軍は半数の損害を受けると壊滅とされ、文字通りことごとく兵を失う事が殲滅です。
>ならば、岳飛を宋随一の名将と記述し、その戦果を書いている「宋史岳飛伝」の記述も怪しくなりますね。
僕は怪しいと思います。記述が確かならば、金軍は何十万も兵を失っていることになり、
それでも不死鳥のごとく立て直せるというのは、実際には、勝ったとしてもそこまで大きな
大きな打撃は与えられていなかったというのが本当のとこだと考えます。
>劉リも韓世忠も呉兄弟も、完顔宗弼率いる金の主力と戦って勝ってますが、何か?
主力と戦っていないなどと言ってはいません。主力は大部分岳飛が引き受けていた、
と言っているのですね。
>項羽が基本的に戦略というものを理解していなかったことは、史書で明らかです。
故意かどうかは兎も角として、勝利が戦略的の優位に結びついたというのは
戦略の範疇にあるのではないですか。
戦術指揮能力、武力とは、あくまで戦場でどれだけ戦果をあげ、どれだけ敵を倒した
かという純粋に戦術的な部分に拠るのではないか、と言ったんですね。
315 :
ギボンの偽者:03/06/08 17:34
コンスタンティウス2世 ローマ皇帝 在位 337−361
統率 71 (何度も反乱を起こされているが一応鎮圧に成功している。最後のものは別ですが)
武力 48 (個人的武力はあったようだが実戦の経験はほとんどなし)
知力 75 (陰謀を巡らすことが多いが敵対する人物を後継者にしたことを評価)
政治 45 (彼の時代は反乱が多発、宗教政策も紛糾)
魅力 12 (性格が極めて暗く、陰険、反乱の原因が全て彼個人に人をひきつけるナニかがかけていた)
かなり甘い評価ですね。次回はアレクサンドル=セウェルス帝でもやってみますか?
>>310 普段冷静な青天さんがここまで熱く語ってくれるというのも、とても過分なことです。
僕としては真摯に付き合ってくださることに、ただただ感謝あるのみです。
317 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 17:52
>>306 >特に曹操は反乱によって政権に致命的は打撃を受けたわけではないし。
腹心の陳宮と親友張バクに裏切られ、本拠地エン州を取られていますね。
そのせいで、呂布という本来なら存在し得ない強力な敵対勢力を作り出してしましました。
呂布との戦いで、曹操の天下統一戦争は何年も遅れました。
袁紹が南下してきた時、曹操領内は大混乱し、
根拠地予州でも豪族や民衆の反乱が頻発し、厚遇した昌稀にまで裏切られています。
官渡の戦いで曹操が兵力的に劣勢を強いられたのは、
反乱を抑えるために兵力を分散せざるを得なかったからだと思われます。
曹操が中国北部を平定してからも、民衆や豪族の反乱に悩まされ、
首都ギョウの近くで田銀の反乱が起きています。
この反乱は、7個軍団を動員して鎮圧したというほどの大きなものでした。
そして、219年には、魏王府の若手官僚魏諷によるクーデター計画が露見しています。
この計画はかなり大規模なもので、魏の重臣の子弟の多くが参加しました。
(参加者の中で最も有名なのは、後に呉との戦いで活躍し、司馬一族の専制に対して反乱した文欽です。
彼も、魏諷も、曹操と同郷の沛の人です)
これらの人々は、曹操政権におけるエリート層で、魏の拡大によって利益を受けたはずの人々でした。
そして、この反乱に連座して、曹操政権最高首脳の一人であった鐘ヨウが失脚しています。
反対派どころか、長く支配している地域の民衆や、
本来なら自分の支持層である人々にまで反乱を起こされている人物の統率を高く設定するのには、無理があります。
>313
それは誤りです。
普通、戦力のうち20%を喪失した時点でその部隊は壊滅と判定されます。
50%も喪失すれば、その部隊は消滅したのと同じです。
例の、10万のうち3万が殺害(戦力喪失ではない事に留意)された場合は、これは壊滅状態を越えています。
殲滅という言葉は状態判定には使われないのですが、これはもう殲滅されたと言って良いでしょう。
319 :
世界@名無史さん:03/06/08 17:55
呉起というこの人は裏切られるという行為を非常に低く設定する
傾向がある。まぁ俺は呉起で見限ったんでいいや。
>>316 いかんってそういうのを馴れ合いというのだよ
議論の相手に賛辞を送るのはとりあえず心の中だけにしといたほうが
いいですよ
321 :
世界@名無史さん:03/06/08 18:02
ローマのガリエヌス帝などは如何でしょうか?
人によってかなり評価はわかれそうですが・・・。
曹操も信長も能力主義で、
さらに頭の固い人たちから見れば
不逞な思想の持ち主だったから、
そのせいで反乱も増えたんではないかな。
むしろそういう人間たちを集めて軍閥を編成して
乱世を治めたということが統率の高さだとおもうんですが。
誰かが書いてたけどカエサルも裏切りで終わったけれど
超高能力なわけだし。
裏切った連中の性質や事情も考えるべきではないかと。
>>322 コーエーゲームの主役ともいえるこの二人の数値をおまえさんでつけろ
>>318 よろしければ壊滅20%の根拠を提示していただけますか。
壊滅の定義とは場合によりまちまちですが、戦闘継続力として
判断した場合、総兵力の半数を失い継戦能力失った場合、一般に壊滅とされる
というのは、僕も存じているのですが。
次に実際に殲滅戦が行われた例として、アレクサンドロスの都市攻略、
ローマ軍のカルタゴ包囲戦などが引き合いに出される事が多いです。
この場合兵だけでなく、後に対抗戦力となりうる都市市民まで悉く
殲滅していますので、10万のうち3万が損失を受けた程度で殲滅というのは
いささか不適切ではないでしょうか。
>>318 >10万のうち3万が殺害(戦力喪失ではない事に留意)
和尚原での戦果は、金軍の戦死二万、行方不明者一万で合わせて3万ではないですか。
326 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 18:32
>>306 >優れた政策をいくつも実施してることで青さん的には統率も上がりそうなもんですが。
>その2人。
曹操の代表的な政策としてあげられるのは、屯田制と求賢令ですが、
屯田制は初期の時点では、うまく機能していなかったと思われます。
官渡の戦いにおいて、曹操軍は十倍とも言われる袁紹軍と対峙しましたが、
先に食糧が尽きたのは、曹操軍の方でした。
曹操の支配する中原は戦乱で荒廃していましたが、
袁紹も公孫讃や黒山賊との苛烈な戦いの末に河北を平定しており、河北も荒廃していました。
袁紹軍の南征反対派は、「公孫讃との戦いで河北は疲弊している」ことを、反対の根拠にあげています。
同じ条件で、より高い生産力を維持していたのですから、
袁紹の農業政策の方が上手く機能していたと思われます。
また、史書では「河北の民衆は袁紹の治世を晋の時代になっても懐かしんでいた」と言われていたことから、
明らかに民政面では袁紹の方が優れた政策を敷いていました。
曹操が食糧に困らずに大軍を動員できるようになったのは、屯田制施行から8年後のことです。
しかし、これは屯田制の成果というよりは、官渡の勝利によって、
中原に曹操の軍事的脅威となる勢力が無くなったために、
自然と農業生産力が回復したからと思われます。
また、求賢令は施行されただけで、実際には機能していません。
求賢令以降も、魏では儒教的道徳に則った人事が行われていました。
魏で「品行に劣っていても才能ある人材」が起用されていたのは荀ケが官僚の人事権を握っていた間だけです。
曹操が求賢令で人事について言及したのは、
人事を通じて強大な権力を握る荀ケに対する強力な牽制であったと思われます。
(何しろ、曹一族以外で、曹操政権の最高首脳だった人物は
ほとんどが、荀ケの連れて来た人間でした)
327 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 18:48
>>306 >優れた政策をいくつも実施してることで青さん的には統率も上がりそうなもんですが。
>その2人。
戦国時代において「政策の実験場」であったのは、今川氏と後北条氏の領内でした。
この二つの大名家から、徐々に周辺諸国に新政策が浸透していくというのが、
戦国時代における政治改革の常でした。
関所の撤廃は、1526年に定められた今川氏の分国法
「今川仮名目録」の条文に記載があります。
楽市楽座は、1566年に今川氏真が行っています。
(ただ、楽市楽座を最初に行ったのは、1549年の近江の六角定頼です)
信長は、当時では常識となりつつあった政策を施行したに過ぎません。
>>327 立案というか発想は知力で
運用、実施は統率じゃなかったの?
>>327 まぁ何を言おうと曹操・信長の評価が今村に大きく差をつけられてるのは
傍目から見てもあなたの贔屓の引き倒しに見える。
今村なんて現代人の何割が知ってるかな・・・。
331 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:03
>>330 何を言おうとというのはいかん。
知名度は能力と関係ないし。学者も含めた一般人の総合的な評価が曹、信>今村
になるかもしれないが、そもそもイメージ的なものだしな。
332 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 19:07
>>308 >低くは無いと思いますが、あなたの今村均の評価は彼ら2人を圧倒する能力じゃないですか?
こんな仮定は完全に無意味ですが、今村均と同レベルの能力の群雄が後漢時代に存在した場合、
戦争の強さと戦略眼で、曹操がその群雄を圧倒します。
ただ、領内の統治はその群雄の領内の方が安定するでしょう。
同じく無意味な仮定ですが、今村均と同レベルの能力の大名が戦国時代に存在した場合、
戦略と政治的駆け引きの上手さで、信長がその大名を圧倒します。
ただ、領内の統治はその大名の領内の方が安定するでしょう。
>あと裏切られた点だけで50代というのなら、カエサルなんかも統率50代とかになる訳ですか?
カエサル暗殺計画を立てたのは、カシウスを中心とする共和派であり、カエサル派ではありません。
ブルートゥスはカエサルにかわいがられた人物でしたが、同時に共和派でもあり、
カエサルの改革においては、抵抗勢力の側に位置していました。
抵抗勢力が改革派の中心人物を排除しようとするのは当然であり、
統率力を減点する材料にはなりません。
呉起は楚の守旧派によって殺害されましたが、そのことは統率の減点材料では有りません。
333 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:10
333getttu!!!
334 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:13
とりあえず羅列する前に評価基準をしっかり決めたほうが
335 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:26
池田大作先生はすごいですよ。魅力は90つけても過言ではないと思います
336 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:27
糞蘭太郎はどこいった(糞
【統率】あらゆる分野における統率力
【武力】戦術能力/戦略実行力
【知力】構想力(戦略/政略)/活用可能な教養
【政治】兵站/政略実行力
【魅力】人間的魅力/風評
漏れはこんな感じで点数付けてたが。
338 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/08 19:30
>>322 >曹操も信長も能力主義で、
曹操はそれほど能力主義ではありません。
彼が重用したのは、自分の一族と、既に社会的勢力を有していた名士です。
曹操の治世において、このような背景無しに功績だけで頭角をあらわした人物の地位が、
曹一族や名士の地位に匹敵することは有りませんでした。
曹操が能力主義なら、曹操政権の首脳に名声も無く、
一族でも無い人物が多数存在しなければおかしいはずです。
なお、信長は能力主義を採用していたと思われますので、その限りでは有りません。
>さらに頭の固い人たちから見れば
>不逞な思想の持ち主だったから、
>そのせいで反乱も増えたんではないかな。
頭の固い人たち、すなわち抵抗勢力が反乱を起こすのは当然のことです。
私も、上で漢朝の臣や、非受益者層による反乱はカウントしていません。
本来ならば自分に付くべき人物や、抵抗勢力の影響下の外にある民衆が反乱した場合がカウント対象です。
曹操や信長の統率を低くカウントするのは、
曹操の場合は、腹心や受益者層や民衆に、信長の場合は腹心や信頼した人物に、
何度も反乱を起こされているからです。
>むしろそういう人間たちを集めて軍閥を編成して
>乱世を治めたということが統率の高さだとおもうんですが。
身内に足を引っ張られながら、戦争に勝ち続けて、
勢力を大きくしていったというのが、私の二人に対するイメージです。
戦争に勝てば、勢力が大きくなるのは当然です。
その勢力をうまくまとめていくのが統率ですが、
まとめきれていなかったと、私は判断したのです。
339 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:35
>>335 禿同それどころか98つけてもいいと思う!!
学会員に限れば
>官渡の戦いにおいて、曹操軍は十倍とも言われる袁紹軍と対峙しましたが、
先に食糧が尽きたのは、曹操軍の方でした。
歴史書などに書かれていることで一番あてにならないのが軍隊の兵力で、
勝った軍は少なく、負けた軍は多く書かれる事が多いだろ。
だから実際、10倍の差もなかったんじゃない?
>戦争の強さと戦略眼で、曹操がその群雄を圧倒します。
>戦略と政治的駆け引きの上手さで、信長がその大名を圧倒します。
と言ってるけれど、青氏の評価では武力と知力も結構拮抗してると思うが・・
総合力では圧倒されるとは思えないぞ。
あと曹操の評価は上手いと思う。 ちょっと知力が高く、統率が低いと思うが・・
だけど、曹操に比べ信長は高すぎると思うなぁ。
341 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:37
>>331 関係あるんじゃないか?
知名度低いヤツが高い評価をされたところで一般人は納得いかないだろうし
本来、高い能力があってこそ実績と知名度が付いてくるものとも言える。
少なくとも
>>332のもし後漢・戦国時代に今村がいたら・・・なんて
意味フーすぎて、言葉を失いかけた。
そもそも後世に生きた人間の方が教育もとりまく環境も良いだろうし、
少し頭の切れる現代人が過去に行けばまずまずの結果は残すだろう。
つまりはその人がその当時の世界においてどれほどの実績を残したか、
を評価しなければ後世の方が遥かに優遇されてしまう訳で
それをさらに現代の観点から、まして現代日本人の観点から見ている
>>338のような意見は疑問に感じる。
343 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:38
過去ログ見れないんだからその信長と曹操の数値ぐらい書いてくれよ
配慮が足りない奴らだな。
岳飛論争はもう終わった?
なりゆきを楽しんでたんだが
>343
偉そうな口をきく前にこのスレの過去ログくらい見てこい。
思慮の足らない奴だな。
>>345 はぁ?過去ログ見ればそんなことはわかるだろ。
教えて君はまじでこないでほしいよ
348 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:49
>>346 統率を50台つけたことしかわかりませんが?
>>347 まだ続きそうな雰囲気だったから言っただけだろ
351 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:51
>>350 続きそうな雰囲気察しているんだったらわざわざいうなよ
青!!おまい官僚か?なんにもやらなかった奴のほうがなにかやった奴より高いな
特に呉起。
355 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:55
>>351 今度から偉そうに言う前に50レス前のレスぐらいみまちょうねw
>324
よく言われる、いわゆるランチェスターモデルによる判定です。
戦力の二割前後を喪失した場合、部隊は深刻な機能不全を起こします(組織的に、です)。
また、同数の兵力を持つ者同士が交戦し片方が二割を失った時点で勝敗はほぼ確定します。
これらから、通常の場合戦力の二割を喪失した段階でその部隊は戦術的価値を失う、即ち壊滅と判定されます。
同規模の部隊として再編成することも極めて困難になりますし。
殲滅という語はかなり曖昧でイメージ的な語です。皆殺しというよりは部隊が多数の戦死者を出し組織を喪失することを指すと考えた方が妥当かと思います。
例として挙げられたカンネは特殊な例ですし、アレクサンドロスのは殲滅と言うよりはジェノサイド、皆殺し、虐殺です。
まあ、どうしても殲滅という語を受け入れられないなら曖昧な語なので別に構いませんが、壊滅状態との判定には一応の基準がありますので。
>325
屠った、と書いてあったものですから。
ですが10万の軍勢のうち2万が戦死し1万が行方不明というのは、これはもう立派な壊滅状態ですよ。
戦死2万というのも大変ですが、不明1万というのが何よりもこの軍が組織の体をなしていなくなっていたことを示しています。
当分の間、この軍は使い物にならなくなったでしょうね。せいぜい基幹要員と兵士を抽出して小規模に編成し直す程度でしょう。
次スレからハンニバル解禁、今村と岳飛禁止で
変換で岳飛がちゃんと出たのに驚いた…
358 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:57
俺は変換してもでないよ
359 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:58
織田信長の話なら過去スレ見れないので大久保利通の
数値を聞かせてもらいたいのですが、評価されてますよね?
このスレ見ると
360 :
世界@名無史さん:03/06/08 19:59
>>356 ほんとに胸甲騎兵氏と青氏は同一人物なのか???
マジかよおい
362 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:01
>>361 本人がいっているんだから間違いないんじゃないの?
>360
おまい素直だな。何か好きになれそうだ。
>361-362
つか、認めた発言はネタだろ。
364 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:02
>>342 諸葛孔明の知名度は尋常じゃないが虚名も入ってるからね
もちろん孔明は優れた政治家なのだが
まあ、部下の裏切りにあった場合統率を減点すべきなのは正しいと思う。
でも一国の宰相以上の地位にある人が、たとえ抵抗勢力といえど
国内の人間に足元をすくわれるようなことがあれば、
それはクーデターなり反乱なりと呼ばれるものだと思う。
今村-曹操論争ですが・・・。
まず立場が違いますし、時代も違いますし。ただ、今村が曹操の立場に立たされても曹操ほどうまくやったか怪しいですが、逆の場合は案外うまくやったかも知れないとは思います。
「青」氏の曹操への評価はちと辛すぎのような気はしますね(^^;
中国史上でも傑出した君主だと思いますよ。同格や格上も多くいますけど。
後周の世宗柴栄と同格かやや落ち、といったところでしょうか。
>>363 おれはなんかもう好きになった。
LOVE343
>>363 青氏のレスの名前が胸甲騎兵になってるじゃんかよ
ほんとのところはどっちなんだいったい?
369 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:06
曹操マンセー
青氏の認めた発言の直後の胸甲騎兵氏のレスみて
ネタだな、と判断したんだが。
>>368はどの発言のことを言ってるの?
皆さん、論評有難う御座います。
正直、今永遠の青さん達が展開されている中国武将に比べると分析とかは
スカスカです。手に入るゲバラ本なんてほとんど金将軍マンセーレベルだし。
統率力もダルタニャン同様、革命軍の司令官として目的を達成するレベル
だったのに凡人扱いはひどかったかなと...
372 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:11
スカトロたんはまだ存命中なので評価は控えておきます。ただ今後下がる要因
はあっても挙がる要因がなさそうで長生きしてるのに可哀想です。
ちなみに前スレで各項目で100つけるなら誰だ、というのがありましたが
もし項目に『運』があったら彼は100候補です。
分かりやすいのでも
・最初の反抗が失敗に終わり、パトロールにつかまったとき、パトロール隊の隊長が
兵営に連行しろと言う上司の命令に背き民間の司直に委ねています。兵営に連行された他の
反乱参加者はすべて拷問により虐殺されています。
・ゲバラと一緒にメキシコからキューバに上陸する際、上陸地はすでに政府に判明しており
激烈な待ち伏せをうけ、82人の参加者が反乱拠点にたどり着くまで20人足らずになっていました。
もちろん彼はその1人です。
・政権掌握後、CIAのキューバ人工作員はカストロの行き付けのレストランでサルモネラ菌入りの
アイスを冷凍庫に冷やしており、実際カストロはアイスを注文したのですがそれを出すことは
出来ませんでした。アイスの器が凍ってしまい冷凍庫から外せなかったのです。
・・・まるで島耕作でつ、守護霊は百太郎でしょう。そんな彼が天寿をまっとうしている、ということが
今のキューバの正当性をなにより証明しているのかもしれません。
ああ・・久々に脳みそを使った・・住処の漫☆画太郎スレに戻ろう
なんか漏れがのろのろ書いてるうちに流れが変わっている…
>374
いえいえ。フィデル&エルネストのコンビは稀に見る絶妙の取り合わせだと思ってますし。
いいですよね、ゲバラ。流れの革命家って感じで。
カストロも、今でも夢に見たりするんでしょうね。友と戦場を欠けた日々のことを。
376 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:16
曹操の評価か。まぁコーエー基準じゃないのは確かだからいいんだけど。
なにより世界史全員の相対評価らしいからな
それでも俺はもうちょっと高いかな。信長よりは評価できる。
377 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:18
ゲバラは喘息持ちだから俺的には魅力78
378 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:20
周恩来が文革と大躍進を防げなかったことはマイナスか?
おれはインキン・水虫持ちだから魅力0
381 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:21
>>365 カエサルに関しては、部下(第九・第十軍団)の反乱への対処が絶妙。
いずれも結局は一人も殺さずに、自分の思惑通りに進めている。
こういう場合は、減点というよりむしろ加点材料だ。
標準に比べて遙かにいい結果だったわけだから。
謀反を起こされたという一点だけでなく、経緯全体を捉えるべきと思う。
ちなみに「どの字」氏の評価では、暗殺に関連して
統率で数点、政治で一点減点されている。
今村に関しては、中央がヘボすぎたために当時としての相対的評価が
上がっているという面はあると思う。
ただ、占領されたインドネシアでの評価は割と高いようで、
インドネシアに親日派が割と多いのもそのせい。
(フィリピン辺りと比べればそれは明らか)
少なくとも、占領すべきインドネシアの独立派の情勢を知っていた時点で
一定の評価は与えていい。
382 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:22
>>378 君主(毛沢東
の政策を宰相(周恩来
が止めることは不可能。後は被害を最小限に抑えることぐらいしかできない。
383 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:23
384 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:26
>>382 2月逆流のときに長老は文革に反対しているし、周が劉、ケグループに
積極的に支援していたら、毛を名誉主席に祭り上げることもできたかもしれない。
よく周がいなければもっと悲惨になったという論調はあるが、文革自体
経済的にも道徳的にも人類史上に見る最大の惨事なので、それに加担した
周は駄目。
386 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:28
387 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:30
今のキューバ見ているとゲバラがやってきたことは
無意味なんだよね
388 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:32
>>383 同等レベルは与えていいと思う。
マイナーな名将なんて幾らでもいるし、
知名度と能力が比例するわけでもあるまい。
フト思ったんですけどマスクデータとして
「野望」と「義理」を加えてはいかがでしょうか。
390 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:33
>>387 無意味というのは、毒にも薬にもならないという意味なら
間違いである。
391 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:35
>>384 今の中国の経済成長を見ろよ(粉飾の疑いもあるが
周恩来が行政を掌握して、文革の混乱期もそれなりに機能させてたことは大きいだろ。
392 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:36
俺はコーエーのゲームで面白いパロメーターは
健康だな
393 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:37
いつか油断した瞬間にリンク踏んじゃそうで嫌だなぁ
395 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:41
396 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:42
業者必死だなw
397 :
世界@名無史さん:03/06/08 20:44
別に全員の数値を比べながら評価をつけているわけじゃないだろうし
ある程度基準が変わってくるのはしょうがないと思うが。
評価をつけている人もムキになって反論しすぎ。
完璧な数字なんてありえないんだからさ。
コテ同士の議論はそれ自体を楽しんでる感じだから
別にいいと思うが。
傍で見てても面白い事実を次々挙げるし。
400 :
世界@名無史さん:03/06/08 21:08
あんまり長長やると迷惑なの
>>356 さっき軍版で聞いてみたが
「壊滅」は壊れ崩れること まだ復興の余地がある
「殲滅」は根こそぎ潰すこと 救いようがない
>陸戦でよく兵員の三割を失うと戦闘能力を喪失するといわれるが、これは支援部隊や後方の人員を含んでいて、実際の前線の兵の損失は半分を超えていたりする。
という風にも付け加えてもくれたが
やはり軍版的には兵の損害とか確たる定義はないらしい
>402
おっしゃる通りです。
壊滅状態では戦闘続行は不可ですが後退し給養すれば戦力として復帰できる可能性があります。
殲滅ではそれすら困難です。
先の例は完全な壊滅状態であり、殲滅一歩手前かも知れません。
兵力の二割が戦死、一割が行方不明というのはそれほど深刻な状態です。
まあ、定義というより判定基準ですね。
二割超の損害は許容できる範囲でなく、戦闘続行はまず不可能となる、と。
これが壊滅状態で、これ以上の戦闘は一方的なそれこそ殲滅戦になります。
>実際の前線の兵の損失は半分を超えていたりする。
よく言う「戦死者の多くは被追撃中に出る」というのはここです。
壊滅状態となった部隊はもはや有効に機能できず、撤退するにも追撃を受ければ大被害が出ますし、戦い続ければなお一方的に被害を受けます。
その分岐点がだいたい二割ないし三割の喪失である、と。
呉起の能力に突っ込んでた
>>64です。
古い話蒸し返すようですが取りあえず突っ込み。
>>94の
>呉起は何回も失敗してるからです。
失敗とは何?
仕える国変えたのは、失脚というよりも自分を評価しないから自分で辞めたんでしょ。
>>97 >それがあまりに露骨過ぎて世渡り出来なかった呉起は、とても面白い人物です。
魯:下級官吏→魏:将軍&太守→楚:宰相
と国を変えるごとに地位は上がってますよ。
>>93 >呉起ほど人間的に嫌われる要素が揃ってる奴というのもかなり珍しいので
民衆や兵士には嫌われてませんね。むしろ好かれてます。
一国の宰相として国を繁栄させて、政策の作成、立案、執行能力があるのに
どんなブレーンが必要なんだろ。
>404
呉起の様なタイプなら保身のアドバイザーは必要だと思われ。
もう一個突っ込み(^▽^)
>>43 >一度趙王と対立して、北辺の総督の地位を追われていること、
趙王に李牧の方針が理解できなかったのが原因だね。
後に王に自分の方針認めさせて、実際に正しいと証明したけど。
>秦の謀略によって命を落としていること
謀略に引っかかったのは李牧じゃなくて趙王だよ。
趙王がしっかりしてれば殺されはしなかったはず。
>部下の兵士にすら臆病者呼ばわりされたこと、
匈奴破った後も臆病者呼ばわりされてたのかな?
>>403 軍版的には実際の前線の兵の損失が半分を超えたら戦闘能力を喪失するってことじゃないか?
ま、スレ違いだからどっちでもいいが
408 :
世界@名無史さん:03/06/08 22:48
>>405 公孫オウも、白起も盲点も、五指所も、李牧も、韓非も、利子も、必要だな
保身のアドバイザーだったら、権力者はみんな必要なんじゃ・・・。
どういう質問の仕方をしてきたのやら……。
もう一度、聞き直しなさい>402
411 :
ギボンの偽者:03/06/08 23:01
>321様
こんなんで宜しいでしょうか?
ガリエヌス ローマ皇帝 在位 253ー268年
有能であるという説と多芸だが無能であるという説もある
在位期間が短い軍人皇帝時代には異例の長期間の在位を誇るが国内は30人僭帝の
混乱期に沈む
統率 75(かなり甘いがその後のイリリクム武人帝を育てた功績はあると思います)
武力 35(彼自身の評価としてはこんなものでしょうか?)
政治 40(ガリア・パルミラの独立を阻止しえない状況ですからこんなものでしょうか)
知力 60(崩壊していた帝国の軍事システムを再建しようとしていたので)
魅力 50(最終的には殺害され後任のクラウディウス2世からボロクソに言われてますのでそれほどの魅力はないでしょう)
ギボンの評価はあまりアテになりません。何故か反キリストの立場の皇帝には甘いですし。
誰かもっと後半の皇帝を評価してみませんか?マヌエル2世コムネノスなども評価がわかれると思います
>>410 158 :名無し三等兵 :03/06/08 20:57 ID:???
他板でそういう議論があったんですが
軍板的な「壊滅」と「殲滅」の定義を教えてくださいませんか?
159 :名無し三等兵 :03/06/08 21:10 ID:???
>>158 「壊滅」は壊れ崩れること まだ復興の余地がある
「殲滅」は根こそぎ潰すこと 救いようがない
160 :158 :03/06/08 21:17 ID:???
>>159 レスサンクスです
でも戦力の何割がやられるとか、具体的な定義はないのですか?
163 :名無し三等兵 :03/06/08 21:33 ID:???
>>160 無い。あくまでも概念だ。部隊が組織的反撃が出来なくなった状態を壊滅というわけで、
兵員の死んだ数で表すわけではない。
余談だが、陸戦でよく兵員の三割を失うと戦闘能力を喪失するといわれるが、これは支援部隊や後方の人員を含んでいて、実際の前線の兵の損失は半分を超えていたりする。
コテハンは自分の評価と論拠に自信満々なのはいいのだが、いざ突っ込まれると
他人に説明できる文章を書けずにだらだらと長文を重ねるだけなのが痛い。
史書の解釈の問題なんかは他人に指摘するそれと同じ事を自分もしてるに、
皮肉たっぷりに他人の解釈の揚げ足を取るんだもんなあ…
>>411 偽ボンさん乙。
ついでにといっては何だけど、背教者ユリアヌスとか興味あるんですがどうでしょう?
415 :
ギボンの偽者:03/06/08 23:27
>414様
ユリアヌス帝ですか。「背教者ユリアヌス」の影響を受けそうな気がしますね(笑)
個人的としては
ゼノン=タラッコエディッサ
コンスタンディノス7世ポルピュロゲントス
ロマノス4世アルギュロス
マヌエル2世パレオロゴス
等に挑戦してみたい気がしますね。
>408-409
それは否定するつもりもないが、>405 はあくまでも
「一国の宰相として国を繁栄させて、政策の作成、立案、執行能力がある」
呉起に足りない物を補う人材について回答しただけであって、
他の権力者には不要だとは一言も言っていないぞ。
コテハンって曖昧なことを断定的に語るから信用できねーよな
>>412 ランチェスターモデルで20%ってのはなんだったの?
だれかそれも軍事板行って聞いてみたら?
とりあえず能力値を細かく定義しないと今後こじれそうだね
テンプレを叩き台にして考えませんか?
元になるコーエーSLG自体が戦闘1番・政略2番なゲームなんだから、
政治家の【軍事】が有名無実化してもあまり問題ではないと思う。
【統率】 組織構成及び維持力
【武力】 戦場における軍事能力全般
【知力】 戦場外における軍事能力及び計略達成能力
【政治】 政治力全般
【魅力】 人間的魅力や風評
細かく規定せず、こんな感じで良いんでないかい?
【軍事力】だった。
>>356 壊滅と殲滅の定義については軍事板の方が代わりに答えてくださっている
ようですので、僕としてはそれ以上付け加える事はないのですが。
ただ、少し事実関係に関して。
>よく言われる、いわゆるランチェスターモデルによる判定です。
正直、これについては仰る事がよく解りません。
僕もランチェスターの法則は存じてますが、ランチェスターの法則とは航空戦の
結果から考え出された、純粋に戦闘の力学を数式的に算出する方程式のことで、
壊滅の定義などを判定するものではなかったと理解していますが。
逆にこの方程式を元にすれば、戦力の喪失は部隊の純粋な戦闘効率低下を説明できず、
僕の資料では「戦闘では通常どちらかの戦力が半数も消耗すれば継戦能力が喪失
(壊滅)し、戦闘継続は不可能になるため、この法則を最後(一方の戦力が0になる)
まで適用する事は出来ない」というように、
むしろこの方程式を修正する要素として、壊滅という状態が引用されています。
不勉強で申し訳ありませんが、ランチェスターのどの基本法則を元に算出すれば
戦力二割喪失で壊滅状態という判定が為されるのか、示していただけますか。
>例として挙げられたカンネは特殊な例ですし
僕の提示した「戦史上殲滅戦の例として引き合いに出されるカルタゴ包囲戦」とは、
カンネーの戦いのことではなく、カルタゴ首都をローマ軍が包囲殲滅した戦いの
ことです。この戦いでローマ軍は、カルタゴ兵及び市民を根こそぎ殺すか奴隷に
売るなど、カルタゴが二度と立ち直ることのできない状態にしています。
>アレクサンドロスのは殲滅と言うよりはジェノサイド、皆殺し、虐殺です。
どの様な辞書でも構いません。引いていただければ、殲滅とは文字通り
「ジェノサイド、皆殺し、虐殺」であるということは理解して頂けると思います。
>不明1万というのが何よりもこの軍が組織の体をなしていなくなっていたことを
>示しています
通常敗走する軍からは落伍兵や逃亡兵が出るため、行方不明者が多いのは普通のことです。
あ、
>>426の蘭太郎は騙りです。僕じゃありません。
でも、このアドレスは一体なんでしょうか。何処にもいけないけど・・・
つか、殲滅の定義だ何だと言葉遊びしてる暇があるなら、
そのエネルギーを他方面に回す方が建設的だと思うのだが……
429 :
世界@名無史さん:03/06/09 06:22
金正日
統率80
武力34
知力40
政治30
魅力40
このくらいか
コテハン否定の流れがあるが、このスレから彼らをとったら
一体何が残るのか。
いや、否定するも何も。
我々が求める事はただ一つではないか。
数値化を! 一心不乱の数値化を!!
気にスンナコテハンなんていなくてもいてもどうでもいい。
煽りじゃなくて名前欄なんてどうでもいい。
つまりはコテハンだろうとコテハンじゃなかろうとどうでもいいわけで。
>428
禿同。
つーかコテハンがコテハン叩いてどうするよ。それよりきりきり数値化に励んでくれ。
そっちの方が見てて楽しいし為になる。
蘭太郎、お前だよ。前スレから他人の評に文句付けてばかりだ。
ハンニバル騒動も岳飛騒動も原因は両方ともお前じゃん。そこんとこよく考えれ。
435 :
世界@名無史さん:03/06/09 09:33
青も他人の評に文句つけているし呉起騒動を起こしているがそれは無視か?
それとも青本人か?
コーエーゲームのパターンだと、
「忠臣」「愛国者」は能力値+5〜10
「奸臣」「売国奴」は能力値−5〜20
という暗黙の了解のような能力値査定がある。
・・・ような気がする。(←弱気)
ちゃうよ。
青にも問題があるのは分かってる。評価は俺流だし偉そうだし人の話は聞かないし。
でもこのスレがまだ閑散としてた頃から地道にやってた古参だしな。
それに、基本的に青は自分を批判した奴にはしつこく絡むが、他人の評そのものをしつこく叩きはしない。
蘭太郎は自分ではあまり評を書かない割に他人叩きばっかしてるように見えるが。
岳飛だってハンニバルへのあてつけみたいだし。
あまり他人の批判をしないのはどの字と騎兵だが、あいつらは人間が出来てるって言うより自分が書いてれば幸せなんだろ。
漏れとしては岳飛もハンニバルもそこそこおもろかったけどな。
まあ数値化に励めってのは同意だな。論争もいいけどそのぶん数値化もしてくれればな。
なんか荒れてますが、まったりと一人書いて見ました。
この人も、好きなんですよね。
-------------------------
魏徴(580-643)
字玄成、唐の政治家
曲城の人。若くして性剛直にして博覧強記、文武両道の逸材として知られた。
隋末の動乱期に群雄の一角、李密の挙兵に参画。その謀臣として活躍したが、李密が唐に降伏するに及び帰順。
その才覚を買われ、太子李建成の教育係兼謀臣となる。
李建成とその弟李成民(後の太宗)とも後継者争いが激しくなると成民の暗殺を献策。しかし逆に建成が謀殺されてしまう。
成民は自分の暗殺を図った魏徴を詰問したが、魏徴は昂然と「私の献策を容れていたなら,今日の憂き目にはあわなかった」と答え、感服した成民は赦して自らの側近とした。
成民の即位後はその政治的見識と剛直な人柄から来る遠慮呵責の無い諫言で支え、皇帝にぐうの音も言わせぬ事しばしばだった。
太宗が誤り無くその治世の大半を過ごしたのは、口やかましいが的確な魏徴の直言あってこそである。
魏徴が没すると、太宗は「銅を鏡にすれば身だしなみを正す事ができる。歴史を鏡にすれば世の動きを見る事ができる。人を鏡にすれば自分の長所や欠点を知ることが出来る。魏徴が死んで、私は鏡を失ってしまった」と嘆いたという。
また、名文家・詩家としても知られ、「隋書」は彼の作であり、唐詩選の冒頭を飾るその詩「述懐」はあまりに有名。
蘭太郎はテンプレにすり合わせようとしてるだけマシ。
絡まれると確かに厨になるけどな。
青はスルーするしかないもんな、何言っても電波が帰って来るだけだし。
能力値
【統率】75(性格が剛直すぎて融通が利かない面はあるが間違い無く有能)
【武力】65(李密時代は一軍を指揮し功績を挙げたこともあるが、基本的に智の人)
【知力】90(切れ者。諫臣で通したのも、彼の主君がそれを容れる器があるからと見抜いていたから。教養も非常に高く、視野も広く、弁舌にも長じる)
【政治】80(直接的な行政能力は同僚の房玄齢に譲るが、見識そのものはあった。謀臣としての能力は郡を抜いている)
【魅力】80(口うるさいが妙に周囲に好かれたらしい。失脚したり殺されたりして当然の危機を二度も切り抜けたのは人格的魅力にもよる)
貞観の頑固親父です。
彼のようなやかましい男を重用し敬意をもって遇した太宗も偉いのですが、その器を見越してうるさい事を言い続けた魏徴も大した物です。
「自分の主君がいにしえの聖天子に及ばない事を恥じている」と評され、太宗には「自分は忠臣ではなく良臣でありたいし、そうあらせて欲しい」と述べるような人なので、その彼の厳しい突っ込みに耐えられる度量があるなら是非側近に欲しい人材でしょう。
創業と守成のどちらが難しいかとの御前討論会で「帝王が天下を失うのはきまって安逸をむさぼるからだ」と堂々と述べたこともありますし。
「述懐」など、頑固親父たる彼の風貌を彷彿とさせる作品だと思います。
まあコテハン同士はお互い議論楽しんでるように見えるけどな。
でなきゃ早めに切り上げるだろうし。
実は前スレのピョートル3世とリチャード&義経も漏れが書いたのだが、
やはりメジャーどころよりキワモノの方が面白いな。
問題は、数値化出来るキワモノの手持ちが少ないという事だが(苦笑
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ヴラド3世(ヴラド・ツェペシュ) 1431〜1476(在位1448・1456〜62・1476)
ご存じワラキアの串刺し公。
ドラクル(ドラゴン騎士団員)であったヴラド2世を父に持ち、ドラキュラ(ドラクルの息子)の異名を持つ。
幼少の人質時代はオスマン皇帝ムラト2世の元で、最初に2ヶ月でワラキア公位を追われた後は
父と兄を攻め滅ぼしたハンガリーのフニャディ・ヤノーシュの元でそれぞれ英才教育を受け、
再び公位に返り咲くや国内改革に乗り出して富国強兵に励む。
当初はオスマン帝国へ貢納金を納めていたが、要求額を引き上げられたの機に手を切る。
ドナウ渡河の際に沿岸の守備隊を虐殺し、その後メフメト2世率いる十数万の正規軍に対しても、
僅か1万の手勢で徹底的な焦土戦術・ゲリラ戦・そして
「何かがおかしい。我々の常識がここでは通用しない。私はどんな人間も恐ろしくないが悪魔は別だ」
と実際に見たメフメト2世に言わさしめたという、かの有名なトルコ兵2万の串刺し等、
ありとあらゆる手段を駆使して対抗した。
一時は本陣にまで迫る勢いを見せ、ついには撃退してしまう。
しかし、井戸に毒を投げ込む等徹底した焦土戦術の後遺症で国土は荒廃し、
そこをトルコの手先となっていた弟ラドゥに付け込まれてワラキアは乗っ取られる。
同盟国ハンガリーに救援を求めたが、逆にヤノーシュの息子マチャーシュ1世に逮捕されてしまった。
名目はオスマン帝国への背信行為で幽閉され、逮捕の正当化の為に残虐行為を誹謗するビラまでばら撒かれる。
が、その実マチャーシュの妹マリアと結婚したり自由行動を許されたりと、実際は客臣扱いだったらしい。
その12年後、モルドヴァに侵攻したトルコ軍に対抗する旗頭として再び担ぎ上げられる。
援軍に赴いてトルコ軍を撤退させた後、三度ワラキア公に即位。
しかしその僅か1ヶ月後、国情不安定な中で横死。
トルコ軍を撃退した後に一人で居たところを襲撃されたとも、評議会の前後に側近に殺されたとも、
地元貴族に裏切られたとも言われ、明確な経緯は不明。
【統率】72 君主の権限を強化し、常設軍と精強な親衛隊を組織した
【武力】89 十数倍の兵力差を擁するメフメト2世の本隊をも撃退してのける
【知力】77 オスマン帝国の侵攻に対し、徹底した焦土戦術と心理攻撃を展開した
【政治】73 経済的侵略を行っていたサシ人を排除し、
長年の戦乱で荒廃していた国内の経済回復に一定の成果を収めた
【魅力】04 吸血鬼のモデルになった程の冷酷非道ぶりも去る事ながら、
ハンガリー王マチャーシュが自己正当化の為に誹謗文を流布した為、
当時も現代も恐ろしく悪評が高い
【特殊能力】串刺し(敵兵の士気−50/一度以上の勝利が前提条件)
列挙しようと思ったが更に数レスを要しそうなので、冷酷非道な行いの具体例は割愛する。
特定分野では魅力100かもしれない……
446 :
世界@名無史さん:03/06/09 12:46
ハンイリッヒ2世キボンヌ
キボンヌすれば誰かが数値を書いてくれると思うのがあたりまえか?
そりゃたやすい。統率はこうで武力はこうだからこの数値だと書くのは
だがその真偽はどうなる?しょせんキボンヌ厨であるおまえに裏づけをとる
知識などあろうはずがない。ただ盲目的に俺の数値を信じることしかできない。
448 :
世界@名無史さん:03/06/09 14:56
アインシュタインキボンヌ
449 :
世界@名無史さん:03/06/09 15:46
キボンヌすれば誰かが数値を書いてくれると思うのがあたりまえか?
そりゃたやすい。統率はこうで武力はこうだからこの数値だと書くのは
だがその真偽はどうなる?しょせんキボンヌ厨であるおまえに裏づけをとる
知識などあろうはずがない。ただ盲目的に俺の数値を信じることしかできない。
>>439-441 『我を非となす者は我が師なり』は、この人の為の言葉だったかとも思わせますな。
成民じゃなくて世民だというのは、要らぬツッコミw
東方正教会からカトリックに改宗したので東方正教会側から非難され、
逮捕の正当性を捏造するためマーチャーシュ王から非難され、
自国産業の保護育成のためにザクセン系ドイツ人(サシ人)の入植者達と対立し、
貴族達を抑えて君主権を確立しようとしたので彼らからも避難され、、、
とこうして見るとヴラドは対立者の流した悪評ばっかが言われてちと損してるね。
>447 >449
その通りですが、なにか?
誰でも分かりきってることをいちいち言うのは何のため?
僕しか気付いてナーイ!
なんてうすら寝ぼけた閃きを公表したかったのかな?
その程度の知能で人の上に立ったと思うのは
恥ずかしいを通り越してギャグですよ
こんな事だけで1レス潰すわけにはいかないんで
無い知識を振り絞りアインシュタインを
【統率】10(数学的な援助は受けたが、彼の研究は主に彼個人で行われた)
【武力】3 (暴力沙汰を起こすタイプではない)
【知力】98(純粋に科学だけに視点を向け評価。物理学以外の科学の話は聞かないので−1。量子の時代に順応できなかったので−3。しかし彼の功績は余りに偉大であるので+2)
【政治】22(ユダヤ人であったため、社会のことも思考したのだろうが何かしたとは聞かない。核兵器開発に協力するのは問題ないが、後に後悔するとこになるので大きくマイナス)
【魅力】71(芸術家との交流や、哲学・科学サークルに参加していた。彼の物理的な才能によるものとはいえ、各国で大々的にもてなされたのは事実)
>>452 家ではかみさんぶん殴ってたそうだから、
【武力】はもっと評価していいですね。
454 :
世界@名無史さん:03/06/09 18:03
455 :
世界@名無史さん:03/06/09 20:11
利根川の存在知っていたら、気づくから利根川コピペだけじゃわからんと思う。
世界史板にもカイジスレがあるからいってみたらいいw
456 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:04
呉起の再評価に挑戦してよろしいか?
それとも、コテハンの評価に対抗することを書いたらまずいか?
青が電波っつー意見があるが俺は筋とおってると思うけどなあ。
このスレ全体で数値を一本化する必要はないでしょ。
テンプレに擦り合わせてないといえば「ど」もそうだし。
というか「ど」がかなり数値化した後で
テンプレ決まったよな。しかも検討中っつー但し書きつきだし。
459 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:19
>456
私、前にヴァレンシュタインの再評価やったぞ。
「ど」の字氏の後に。
まあ、彼の評価ではヴァレンシュタインの重要な事績が
抜けてたせいもあるんだが。
やってみたい奴は再挑戦するべし。
460 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:23
コテハンも名無しも意識しするな
考えるんじゃない。感じるんだ
名前欄なんて見なきゃいいだけの話しだろ?
考えるんじゃない・・・、感じるんだ・・・。
なんの台詞だろう?
スターウォーズ、ちがうな。
うーん。
あー!マトリックス!
462 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:31
>>456 了解。
最近テンプレが無視されてる傾向があるから、気になっていた。
特に過去スレでテンプレに忠実だった青の暴走ぶりが激しい。
最近の青基準なら、過去に青が付けた評価は全部書き直さないといけなくなる。
【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
に加えて、過去の「ど」の字の
「国家的業績は80台、歴史的業績は90台」を基準にする。
463 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:36
うるせーカバ
464 :
世界@名無史さん:03/06/09 23:39
胸甲騎兵 =青+前スレのなんとか対蘭太郎+アンチ青
派閥+名無し自演の壮絶な戦い。主導権を握るのはどっちか?
負けたほうは粛清される
しかし本当に、胸甲騎兵=青なんだろうか?
胸甲騎兵も否定していない。
そしそれが事実だとすれば、コテハンを使いながら
自作自演を起こしている青さんは、そうとうな2chねらーだな。
そしって、
「もし」ね。
呉起(???〜BC381)
【統率】92(集団を統率する天才。歴史上初めて法家政治を導入して成功させた功績は不滅)
【武力】88(不敗の名将。ただし、名将と戦っていない点を考慮)
【知力】75(魏の文侯に軍備の大切さを説き、武侯に治国の道を説く。戦国の遊説者・諌臣として及第点。死に際も見事)
【政治】90(魏では「百官を統率し、人民を和合し、財政を豊かにした点ではあんたの方が上」と宰相田文に言わせ、楚の政治を任されると法家政治を自ら立案・推進した)
【魅力】50(最低の人間という評判が天下に鳴り響いていたが、兵士と民衆には慕われる。評価が複雑すぎるので、中間点)
呉起の兵法というのは、基本的に組織論で、
兵士や民衆のモチベーションを高め、富国強兵を行う政治論でもあった。
その点、戦略を重視した孫子の兵法とは、毛色が異なっていた。
呉起は奇略縦横の策士ではなく、国を富ませ、地道に精鋭を鍛え上げる政治家なのである。
また、異常に強い出世欲がしばしば判断力を誤らせたため、知力を減点した。
なお、大人物が小人に陥れられるのは歴史の常であるので、減点対象としなかった。
ブルース・リーだっっ!!!!>461
のんびりと読み、書き込む前に更新しない悪い癖がでました。
失礼、山野氏。
司馬遷は「孫子・呉起列伝」の最後で、
「呉起は徳の大事さを説いていたが、楚の国で彼がやったことは残酷で人情にかけたことだった。そのために身を滅ぼした。
『よくこれを行う者が必ずしもよく言えるわけではない。よく言うものが必ずしもよく行えるわけではない』という言葉があるけれども、彼らもまたそうだったのは悲しいことだ」
と締めくくっている。
しかし、「鉄と血によってこそ問題は解決されるのであります」とビスマルクが喝破したように、
冷徹な独裁政治こそが乱世を終わらせる政治であった。
呉起に「ど」の字フォーマットの歴史的業績を表す90台の数字を二つも与えたのは、
有徳の君主・宰相による人治を良しとする中華世界において、初めて法治を敷いた先駆者に対する敬意である。
なお、評価はすべて「孫子・呉起列伝」の記述を参考としたことを付記しておく。
>>467 それは少しインフレだと思うな。 やはり、反対派に殺されたのは政治のマイナス点だと思う。
それに彼の時代はほとんど彼一人が抜群の戦術家だったと思うから、武力もそこまで高く出来ない。
彼が項羽の時代辺りに生まれていたら、無敗は無理だっただろう。
俺が評価したら、
統率90 武力83 知力76 政治72 魅力32
こんな感じかな?
474 :
世界@名無史さん:03/06/10 00:59
・・・・・・。
世界史板にブルース・リーの台詞が分かるやつが
二人もいるとは思わなかった(藁)
シャカ
南アフリカ、ズールー国王 1794?〜1828 在位1816〜1828
ングニ系の小国ズールー国の首長の婚外児として生まれる。
22歳の頃大国ムテトワ王ディンギスワヨの軍に入り、そこで優秀な軍人として頭角を現し、
軍司令官となる。
1816シャカの父センザンガコナが没すると、ディンギスワヨはシャカを全面的にバック
アップし、彼を王位に就かせる。
当時のアフリカでは、戦争において主に長めの槍を使っていたが、シャカは自国の将兵に、
投擲と肉薄接近戦に適した短槍と盾による戦闘を指導した。
ングニの社会にはすでに、徴兵制による常備軍および中央集権化の傾向が見て取れたが、
シャカはそれを完成させた。思春期の若者には、部族ごとのイニシエーション(成人の儀)の
代わりに、徴兵により年齢別の隊に組み込み、各地に散在する兵舎での生活および軍事教練・
公共事業への従事をを要求した。これにより軍事力が一点に集められ、中央集権が徹底された。
1817もしくは1818ムテトワ王国のライバル ンドワンドウェ王国がディンギスワヨを殺害すると、
シャカはすぐさまムテトワを併呑すると共に、ンドワンドウェをムシャツセ川で破り、ズールー
王国の版図は、北はポンゴラ川、南はツゲラ川対岸までの一帯まで広がった。
また、彼以前には敗北した敵が服属することはあっても、丸ごと併合されたりすることはまず
無かったが、シャカはアフリカ外の多くの地域でのように下した敵を己の臣下とし、その土地
を自国に取り込んだ。
さらに白人との交易によって銃砲をも手に入れた。
ングニの伝統的な祭儀により士気を鼓舞し、ズールー方言を共通語とすることでナショナリズム
を育もうとした。シャカの改革はバラバラだった北部ングニ社会を統合し、そこに”民族”
の概念が見えてくるようになったところから、それはまさしく革命であった。
しかし、他の、寡人数による急激な社会革命の例にならって、彼の治世もまた恐怖政治に堕した。
不忠義者や臆病者は彼の側に付いていた死刑執行人により処刑され、周辺国に対し毎年のよう
に略奪を働き、また、1827母の喪に服したとき、ヒステリーに憑かれ、無辜の数百人を殺した。
1828九月二十四日シャカは北方へ軍隊を派遣している間、とうとう家族の策謀により、召使い
と二人の兄弟の手で暗殺される。
彼の死後、対抗者を排除した暗殺の実行者ディンガネが、シャカの王位と政策を引き継いだ。
彼の残した諸制度は他の地域でもしばしば模倣されたり、彼の残したズールー王国は1879に
イギリスに破れるまで白人の一元支配に抗して戦うなど、今日に於いて当地の人間の英雄です。
しかし、私は彼の評伝を書いて、胸くそが悪くなるほど彼のことが嫌いになりました。
なぜなら、彼の業績に、なんの目的も信念も感じられず、ただ適当にやれることをやりたい
ようにやったとしか思えなかったからです。そればかりか、彼の好き勝手、身勝手、無責任な
所行により、様々な悲劇が起こりました。
彼の引き起こした征服戦争による、”ムフェカネ”と呼ばれる争乱は大量の難民と、飢えによる
人肉食の横行(この下りは反吐が出そうです)などを引き起こし、ケープ植民地及び東部への
難民流入、それに伴う混乱によりイギリスの東域進出など、現代南アフリカの社会問題の遠因
を作り上げた張本人です。
好き勝手やって国内をボロボロにしたという事では、以前私が評を付けたリチャード一世と
重なりますが、絶対に彼とシャカを一緒にしたくありません。
リチャードには聖地解放という、確固たる目標がありました。「戦がしたかっただけ」という話
もありますが、彼には建前をキチンと(成功はしなかったが)実践しました。確かに彼は国内に
無為に負担をかけましたが、身内を虐殺したりはしませんでした。
比ぶるにシャカは一体何がやりたかったのでしょう( ゚д゚),゚。ペッ
【統率】77 一代でズールーを大国家にしたのは偉大だが、暗殺されるようではあまりに高い
点は付けられない
【武力】85 優秀。包囲戦術など、独創的な戦闘方法を発案・導入
【知力】70 その先見性、独自性は見事だが、治世後半には結局権力に酔ってしまった
【政治】80 軍制などの、さまざまな改革を実行。己を暗殺した人間もその施策を引き継ぐ
【魅力】17 彼は「背が高く、色が黒く、鼻の大きな、どもりの醜男」であったという。性格も
至極悪し。当時のングニの社会の複雑さを考えれば、王位への就任及び統治には
人間的魅力はそれほど必要ではなかったと思われる。恐怖政治でさらに減点
478 :
世界@名無史さん:03/06/10 01:03
俺は呉起は魅力高いと見たよ
統率90 武力87 知力65 政治86 魅力 62
こんなもんかな。妻殺しが短絡的すぎて知力はマイナス
>>473 李斯は趙高に陥れられ、商鞅は亡命に失敗して反逆罪で処刑された。
しかし、彼らがあげた政治的業績は不滅であり、政治力を減点する対象にはならない。
なお、呉起は寡兵をもって大軍を打ち破り、
勝ちすぎたために国を追われたことがあるぐらいであったが、
同時代には名将は存在しなかった。
そのことを考慮して、武力は国家的88としたのである。
武力88なら、漢楚の時代では不敗では無いだろう。
訂正する。
そのことを考慮して、「ど」の字フォーマットの歴史的業績を表す80台。
その時代では無敵であったので、88としたのである。
>>469-470 いや、こないだマトリックスやってたからさ。
ごめんよ。ブルース・リーね。
同時代に名将がいなかったってのは減点材料になるのかなあ?
どうも馴染めないよ。
呉起は寡兵で大軍を打ち破ったこともあり、しかも不敗。これは充分に90台の
武力でおかしくないと思うのだが。
異なる時代の人間連れてきて、どうか?なんて仮定は無意味に過ぎやしないか?
同時代で離れた地域とかならまだわかるけど。
>>482 とりあえず、呉起の点数つけてみなさい
話しはそれからだ
484 :
世界@名無史さん:03/06/10 01:33
俺もシンボリルドルフ仮説を支持するものだ
おー
シャカズールー、映画であったね。
しかしどっから資料を。
>485
こんなマイナーな人物へのレスありがとう(w
お察しの通り、資料が全然無くて苦労した。世界史の事典とかを手当たり次第漁ったほかは、ほとんど
レナード・トンプソン著「南アフリカの歴史」(明石書店)からの引用。
この本、やたらと分厚くて、ページの大半は漏れが興味の沸かない近現代史だけど、名著と思った。
おすすめ本スレで出してくるかな・・・。
>482
ほぼ同時期というとエパミノンダスだな。
「ど」の字氏によれば彼は武力91になるが、
呉起が軍事的業績でエパミノンダスに匹敵するか、
という基準で判断すれば良いのか?
ならば80台で十分だと思うが。
上のほうで魏徴が出てるので、同時代の人物を。
李靖 薬師(571-649)
京兆・三原の人。はじめ隋に仕え、後の唐の太宗(李世民)に仕える。
江南を平定し、唐の天下統一に貢献。
太宗即位後に刑部尚書、兵部尚書を歴任。
突厥・吐谷渾を滅ぼし西北辺の安泰に寄与する。
【統率】97(江南、突厥、吐谷渾との戦いで一度も負け戦をせず常勝の名をほしいままにした)
【武力】90(漢代の匈奴に匹敵する突厥を滅ぼし、吐谷渾を服属させ、唐王朝三百年の基礎を築く)
【知力】83(数々の戦での作戦、抜群の功績を立てながら最後まで身を全うした)
【政治】71(特に目立った功績はないが失敗も無い)
【魅力】86(人柄・容姿も良く、当時の一流の人物からの評価も高い)
ちょっと能力高いかもしれませんが、個人的に中国の歴史上1番の名将だと思ってるのでこんな数値です。
>482
では、当代きっての英傑メフメト2世を寡兵で撃退したヴラドが89止まりな
>444に抗議しないのは片手落ちだな(w
>489
ま、ヴラドの場合は正面から当たった緒戦では負けているから。
その後はホームで焦土戦術を駆使した上に、
「1q×3qの平野に2万人ものトルコ兵の串刺し死体を晒す」
なんて事までやらかして戦意を根こそぎ奪ったのも大きかったし(苦笑
(蛇足だが、串刺しにした時はまだ生きていた人間も多かったとか)
ただし、ゲリラ戦においては天才的とも言える才能を持っていたらしく、
恐ろしい程に絶妙なタイミングの夜討ち朝駆けで
効果的に敵を弱らせていったので、90にやや足りないレベルと判定した。
もし敵地においても目覚ましい戦果があれば、90を付けていたと思う。
492 :
世界@名無史さん:03/06/10 07:17
ヨーロッパ>中国になっている
>>373 でかなり恥ずかしい間違いがあったので訂正します。
×サルモネラ菌
○ボツリヌス菌
でつ。
サルモネラ菌ではお腹を壊すだけですね。
494 :
世界@名無史さん:03/06/10 07:41
フィリップ2世キボンヌ
495 :
世界@名無史さん:03/06/10 07:47
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | <うるせー馬鹿!!
\| \_/ / \_____
\____/
496 :
もろもろ :03/06/10 07:55
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500getto
501 :
無料動画直リン:03/06/10 10:20
502 :
世界@名無史さん:03/06/10 11:22
思うにどの時代にも人間のレベルはそんなに変わらないものだ
違いが判る程変わっていたら逆に恐い。
思うにナリタブライアンの時代にブライアンがいなかったら、
シンボリルドルフの時代にルドルフがいなかったら、
他の時代のような上位伯仲の名勝負が繰り広げられていただろう。
やはりその時代で無敵というのは、それだけ凄いことではないか?
505 :
世界@名無史さん:03/06/10 17:22
でも、日本だけで無敵だがレコードは一切塗りかえなかった馬と、勝ち負けが半々でもレコードを何個も塗りかえた馬とでは後者の方が評価が高くなるんでない?
人間にしたって、他の時代の人物とも、比べられる要素はあるんだし。(陸上なんて分かりやすい)
506 :
世界@名無史さん:03/06/10 17:28
ようは新戦術がレコードだといいたいのだろうが
それは人によって知力にすべしだという人もいる。
武力90台で敗戦もある人物な。
ここらへんはもう基準作りの問題。話術が巧みなほうが勝ち。
声が大きいほうともいうが。戦った領土の範囲だけでいうなら
モンゴル帝国の人材が一番だが。
中国じゃ項羽だって新戦術なんて発明してないんでしょ?
それに韓信の背水の陣なんて新戦術といえるかどうか。
それが新戦術なら、瓶割り柴田だって新戦術になってしまう。
競馬ネタでいうなら、
>>505氏
は国内でほぼ無敵だったシンボリルドルフ
もし皐月、ダービーのうち一個でもビゼンニシキにとられていたら
菊花賞は名勝負になっただろう。つまりシンボリルドルフはその強さゆえに
ライバルがいなかったが、それが彼の評価を下げることにはならない
(ルドルフは無敗ではないのでライバルの定義は一応できるのだが
旧4歳時においての話し
>>505氏
は土がついている欧州三冠馬のほうが、無敗の日本三冠馬より
評価が高くなると解釈したのだが
これはどちらとももっともでは?ようは欧州三冠馬になりうるには
新戦術なのかそれとも、寡兵で大軍を何度も破ることなのか
それとも、戦いの規模によるものなのか。それがー1番ー大事ー
語るまでもない。
新戦術とはあくまで技術。戦場での強さとは実践と応用。
とても一緒にできるものではない。
>>509 むしろ
新戦術は、実践と応用の中で生み出されると思うのだが…
>>510 例をあげてみな。簡単に反証してあげる。
512 :
世界@名無史さん:03/06/10 19:31
>>509は、何か勘違いしてないか?
新しい戦術を考えるだけなら、凡人にもできる。
それを成功させ、定着させた事が評価されているというのに。
その新戦術が後世でも有用と認められれば、いち早く成功させた人間の軍が、当時圧倒的に強い事だって簡単に連想できるだろ?
>>511が何か言ってるみたいだけど、お前は新戦術を実践した者たちが何も考えずに大博打張ってるだけだと思ってるだろ?
違うぞ?過去の戦例や実際の経験を元にしてる。
ハンニバルだって、アレクサンドロスの戦史を熱心に学んでたんだから。
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html 583 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/05 15:33 ID:A9o87Nml
フジテレビの10時からの番組は、この一つ前の
『どうなってるの』の時からして最悪。私の個人情報を使って、
丸一本「恐怖のサイテー女」とかいった特集を組みやがった。
素人投稿を騙っては、そのもの自体は必ずしも私とは
言いかねるようなものに、同じ名前、同じイニシャルを当てはめたり、
盗聴・盗撮をしているから分かるのであろう様子のほのめかしを
所どころに散りばめては、出演者総出で「サイテー、サイテー」を
連呼していた。
あざとさ極まったことをしながらも、司会者のY・Tと掛け合って、
私の個人情報をボロクソにこけ落としながら大笑いしていた
局アナのN・K(かな?)のけたたましい声が今でも耳から離れない。
仕事だから仕方がないのかも知れないけれど、
ここに出ている者はサイテー最悪の盗聴者。
でもここでの書き込みが筒抜けだからか、
最近は一頃の悪意に満ちたほのめかしが少なくなっている。
しかも明日の項目は「心の〜」だって。
この枠での私への盗聴ほのめかしは、とりあえずのところ
「許せない、とんだ賠償請求」みたいな感じの特集が最後となっている。
賠償を意識せざるを得ないほどに、本当はヤバい盗聴・盗撮と、
そこから得られる個人情報の悪用ですものね。
>>512 その通り。新戦術で効果をあげた人物とは、新戦術を発明したことではなく
理論の実践と応用に優れた人物だったことが解る。
ハンニバルしかりエドワード三世のロングボウしかりフリードリヒ大王の重砲戦術しかりだ。
有効な戦術一つに頼り最初は効果をあげても、敵に対応されて敗北した人物も戦史には数多い。
そのことも踏まえず、戦術そのものを強さの指標だと主張する人間は、戦いの本質を理解せぬ愚か者だ。
ところで
>>511は何が言いたいんだろう?
旧戦術の実践と応用の中から、新戦術が誕生することがあるのは
誰もが認めるところと思うのだが
戦術云々は実線で成果をあげた人物が武力の評価ってことでしょう
新戦術云々の議論なんて的はずれじゃん
>>516 現代戦術確立に最大の功績を残したバジル・ヘンリー・リデルハートは言う。
戦争の結果は長い間かかって育ててきた実なのであり
戦闘場裡の一瞬の天来の妙想などと見なすことは
空想癖もいいところと言わねばならない
即ち戦術とは過去の積み重ねであり、効果的戦術とは実践応用の分野なのである。
新戦術が往々にして敗者が避け得た軍事的怠惰の然らしめたものであるように
天腑の戦闘技術により効果をあげる人物は新戦術など必要としない。
事前開発と戦場での指揮統率は異なるもの。糞味噌に一緒に語るのは愚かしいことだ。
518 :
世界@名無史さん:03/06/10 20:37
まあ、画期的かつ普遍的に有効な新戦術であれば、その戦術を発明した者の
戦争における優位(と勝利)はそれなりに続くわけだから、そっちの方面で
評価を上げることは可能と思う。
対応された後のことは、基本的に通常の戦争における敗北と同様に
評価すればいい。
基本的に結果次第、ただしある二人が戦場で直接対決したとして、
一方が新戦術を発明してもう一人が何ら発明しなかった場合には、
新戦術を発明した方を、相対的にせよ上の数値にしておくべきだと思う。
>>518 前半同意。新戦術どうこうよりも結果で評価すべきと思う
でも結果が甲乙つけがたい場合は、やっぱり同程度の能力でいいんじゃない?
後世に新戦術を残した業績があれば、知力の方で判断すべきと思う
520 :
世界@名無史さん:03/06/10 20:58
項羽なんてもし無敗で生涯終えたなら100ついただろうからな→武力
項羽の戦術って何なの?
>>521 まさに実践と応用。
項羽はやたら熱心に兵法を勉強していたから。
項羽の戦術?
生き埋め。皆殺し。突撃。
項羽は学問学ばせても剣術学ばせてもさっぱりで、祖父に叱られたら、
「字は自分の名前さえ書ければ十分。剣術にしても一人の敵を相手にするだけ。
それより万人を相手にするものを学びたい」と言ったらしい。
そこで兵法を学ばせたら、これには項羽も本気で取り組んだ。
韓信の背水の陣も昔からある兵法の応用だな。
「軍隊は死地に陥れてこそ生きる道がある滅びてしまう境遇に置かれてこそ存ずる道がある」
と兵法書に書いてあるからやったと本人も語ってる。
526 :
世界@名無史さん:03/06/10 21:49
名前しか書けない香具師が兵法書を学ぶ不思議ハッケソ
527 :
世界@名無史さん:03/06/10 21:51
文字ぐれぇは読めたんだろ?
そもそも,新戦術が武力だって最初に言い出したのは誰?
はーい。
ならば話は早い。
>>529氏に「新戦術は武力説」の根拠を、
明白確実に、進歩的に、なんなら自由主義的なあやをつけて、論証してもらおうか
「新戦術を考案したから武力アップ」よりも
「特に新しい戦術を考案してないから武力ダウン」が問題な気が。
項羽の戦闘って突撃しか浮かばない無学な俺に詳しい解説お願いします。
そうそう。新戦術を評価するのはいい。
でもそれが無くても実戦で結果の出せた人物を、
新戦術がないからといって減点するのは不適当だ。
新戦術で100の兵を率いて10000の兵を退けた
旧来の戦術で100の兵を率いて10000の兵を退けた
もちろん他は同じ条件と仮定するなら
武力はやはり同じ評価にすべきだろう。
そして新戦術を実践した奴は知力を+。しっくりくる
536 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:15
>>534 例えばハンニバルの場合、知力に対する加算はどれくらいを考えてる?
斜線陣+騎兵による包囲戦術+予備兵で、+10くらい?
>>536 今まで武力に加算してたぶんを、知力に回せばいいんじゃない?
538 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:26
>>537 その場合、ハンニバルは統率90台、武力90前後、知力は武力の分を回して90近く・・・みたいな感じか?
武力と知力の両方が高いから勝ちまくった・・・って感じで。
539 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:27
誰か尾崎行雄をお願いします。
ハンニバルは実績だけでも武力90を下回る事はないんじゃないか?
つーことは知力だって90近くまでは行かないだろ
542 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:33
ハンニバルの政治はどうすんの? 魅力は高くしていいと思うけど、
結局ローマ解体にはいたらなかったし・・・
「ローマ解体をこころみ、失敗してくれる人物が自分より先にいなかったのがハンニバルの不運?」
ハンニバルは次スレまで待つということで勘弁してください
>>532 項羽の代表的な戦いを二つ紹介しよう。
鉅鹿の戦いでは、副将の英布と蒲将軍に黄河を渡って秦軍と戦わせ、小手調べをした後、全軍を率いて渡河。
食糧を放棄し、船を叩き壊して背水の陣を敷き、秦の補給路を強襲し、救援に駆けつけた章邯を撃破。
返す刀で、補給を断たれて浮き足立つ鉅鹿城包囲軍司令官王離を破った。
彭城の戦いでは、西側(漢軍にとっては、退路にあたる方角)から夜襲をしかけ、漢軍を混乱させた。
壊走する漢軍を泗水で捕捉して10余万人を殺した後、
さらに追撃して睢水のほとりまで追い詰め、恐慌に陥った漢軍は先を争って睢水に飛び込んだ。
その数、約10余万。睢水の流れは死体に埋め尽くされて、止まってしまった。
>>542 ハンニバルに関しては前スレで散々議論し尽くされてる
お陰でこのスレじゃ禁ハンニバルらしい
>>544 項羽は合戦だけじゃなく、漢軍に兵糧攻めも仕掛けてるよな。
でも兵糧攻めは知力なのか武力なのか、どっちで評価すべきなんだろ?
兵糧に泣いた男項羽。
549 :
世界@名無史さん:03/06/10 23:43
とりあえず、前スレでのハンニバル平均点
【統率】96
【武力】95
【知力】83
【政治】64
【魅力】86
ハンニバルってそんなに知力高いか?戦略じゃ失敗だらけだろ?
一応けじめぐらいつけようぜ。
ハンニバル論争のことだけど
>550
それだけだと、
「一司令官に過ぎないハンニバルは戦略をどうこうする権限が無かった」
と反論が出て、
「一司令官、しかも手痛い敗戦があるのだから知力はおろか、武力も・・・」
と始まるわけですよ。
>>546 少数精鋭によって強襲をしかけて敵軍の士気を崩壊させ、
徹底的な追撃で敵軍の兵力を破壊するのが項羽の基本戦術である。
鉅鹿では背水の陣を敷いた後に補給路を襲撃して章邯をおびき出し、
彭城では退路側から夜襲をしかけて不意を突くなど、
項羽の戦場における判断力は芸術的である。
>552
なるほど。でもかなり高評価だな。カルタゴ守りきれなかったのに
>>550 他の人の評価を平均しただけだし・・・・。
反論があるなら、しっかりした理由と、自分のハンニバル評価を出したらどう?
ただ、それをやるとまた・・・・・・
項羽がすべて演出してたのかな?どうしても疑問に感じるんだよな…
坑とかもそうだけど、漢の諸侯もそもそもは項羽に属していた事もあっただろうから
いい事も悪いことも全部、項羽に押し付けてしまっているような気がする。
いい事の方だって、最終的には劉邦が勝利を収めるのだから、構わないだろうし。
項羽とハンニバルってこのスレの2大スターだよねw
5項目でコーエーゲームやってる奴が一番すきなのは武力だからだよ
んじゃそろそろ割り込むか。
>>530 >「新戦術は武力説」の根拠を、
そもそも私は、【武力】の数値の基準を、純粋な戦術指揮能力にのみに依ったりすると、
【知力】に含まれる能力が多すぎになるので、【武力】を戦術指揮能力のみに依ること、
それ自体に反対、というスタンスです。
そもそも【知力】は
>問題への正しい理解・判断能力
であり、独創性・独自性というのは、【知力】の中に特に含まれていないように思われます。
そして、あらゆる分野の対人におけるテクニックは、世に出たその瞬間から、陳腐化を始めて
いるものだと思います。
つまり、ある分野で多大な功績を挙げた人物は、多かれ少なかれ、新しい(過去に世に出た
ものを含めた、”新しい”と認識される)テクニックを必ず何か編み出していると、私は考え
ます。
つまり、その分野で超人的に優れている人間が、何も新しいことを後世に残していないのは
ちょっとおかしい、という事です。
>>559 その基準だと項羽の武力はかなり低くなるな。
でもそれでいいのか?
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
純粋に解釈すれば、新戦術の導入によって+になるとは考えにくい
という人が反対論者だと思う。俺もその一人だが。
戦闘における成果が一緒なら、旧来の戦術で事足りたということだからですね。
562 :
世界@名無史さん:03/06/11 00:23
>>559 一つだけいわせてもらえれば、
孫子などの兵法書などを対人におけるテクニックと定義すれば、
これは普遍的な考えになるとは思いますがどうでしょう?
現代にすら通用しますし。
564 :
世界@名無史さん:03/06/11 00:31
>>562 こう言うのもなんですが、孫子の兵法は
その時代でも当たり前のことを書き記しているものです
加えて言えば、彼の主張は基本的に「強者の論理」といえるでしょう
何が大変かって、その「自分が強くあること」と
実際にその理論を現実に応用することでは…
566 :
世界@名無史さん:03/06/11 00:40
つまり新しい理論云々より現場での応用、成果ってことだろ
567 :
世界@名無史さん:03/06/11 00:42
>>565 現代でも通用する普遍的な論理ではないということを
おっしゃりたいわけですか?
>>565 ペンタゴンの作戦研究室の書架には孫子の研究書が揃ってるらしいんだけどね
>>556 項羽に従っていた諸侯の中で漢建国まで生き残り、
何代も王国として存続したのは衡山王呉芮だけである。
秦を滅ぼすために関中入りを目指していた劉邦に将軍梅ミを援軍として派遣し、
漢建国後は逃亡中の黥布を欺いて殺害するなど功績が大きく、
一族が何人も列侯に封じられるほどの権勢を誇ったのに、
彼が項羽最大の悪業の一つとされる義帝殺害の実行犯であることは、史記の中で明記されている。
そんな呉芮ですら悪業を隠せなかったのだから、
まして、漢建国後に粛清された燕王臧荼・淮南王黥布、
後継者がすぐに取り潰された趙王張耳も悪業を項羽に押し付けられる立場では無かっただろう。
ちょっと誤解を招くような表現でしたので、
>>559に付け加えさせて頂きます。
あれだけ読むと、まるで私が独創を過大評価して、それのみで評価するようにも取れたかも
知れませんが、別に、実践する力を抜きにして考えた気はありません。
あくまで、後世に伝えられるような独創は、能力値を決める基本の”実践力”にプラスアルファ
される、程度です。
独創性だけの人間はどうするかって? 実践できないような独創など、独創と私は認めません。
せいぜいお情けで数点加えてやる程度です。
>>559 別に、そんなことはないと思いますが。
確かに、項羽は目の覚めるような活躍をしたけれど、ハッキリと新しいことを後世に残した
わけではないので、遺憾ながらムチャクチャ高くはならない、という程度です。
なにか後世に伝えられるような独創的な事を生み出したり、発掘したならば1〜5程度加算され、
それを実践することで、必然的にその分野における多大な業績を挙げるので、その能力値が
当然ながら跳ね上がる、という事です。
>>561 んじゃ、【知力】っていう能力に、”新戦術”という、過去の積み重ねの結果であり、
職能的なモノの結晶であるものを入れるのはどうか、って思います。
>>562-
>>563 >過去に世に出た ものを含めた、”新しい”と認識される
です。これには、過去の技術の再発掘や、皆が知っていながら実践(理解の方がいいかな)
できていなかった事も含まれるはずです。
私の主張から、論点がずれてしまいそうになっていますので、改めて私の主張を。
新戦術という独創性を【武力】に含めないのはともかく、なら、【知力】に含めてしまうのは
どうでしょうか。
私の持論の軸は、これです。
>>570 【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。
新しい技術の確立は「先見の明」
過去の技術の再発掘は「正しい理解」
むしろあなたの主張は知力に峻別されてしかるべきものでしょう。
新戦術、新運用、新編成は武力に重点的に加算しつつ、
知力と魅力にも若干反映するとよい様な気がします。
ひらたく言えば三沢がマスクを脱いだ瞬間ですが。
573 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:22
1新戦術を武力に含める→新戦術を編み出せなかった武将は相対的に武力は落ちる
2新戦術を知力に含める→知力の範囲が大きくなりすぎる。
3新戦術を特殊能力として定義する。1,2のどちらとも採用しないとき必然的にそうなる
武力に加算することには反対する。
武力にはしっくりこないからだが。
後の理由は既出なのであえていわない
なんかえらい事になってますね。
話の腰を折るようですが、そこまで突っ込むとパラメータが全然足りないんですよ。
スレは「コーエー風」なので今のところこうですが、もうちょっと突き詰めたいならそろそろその縛りから抜けるのも手かと思います。
コーエー風にこだわるのでしたら今のままですけど、その場合評価の妥当性もコーエー風ってことあまり目くじら立てても仕方ないでしょう。
ざっと書き出してみますけど、詳しくやるならこれくらいはいるのでは。
<戦術系>
個人戦闘力、戦術指揮力(規模大、中、小)、攻撃適性、防御適性、意志力、発想力
<戦略系>
構想力、立案力、指導力
<政治系>
構造力、立案力、指導力、折衝力、外交力
<個人系>
教養、魅力
ちなみにこれを我らが牟田口廉也氏に当てはめると(100点満点は面倒なのでS-E評価)
<戦術系>
個人戦闘力D、戦術指揮力(規模大D、中C、小C)、攻撃適性C、防御適性D、意志力B、発想力E
<戦略系>
構想力E、立案力C、指導力E
<政治系>
構造力E、立案力C、指導力E、折衝力C、外交力D
<個人系>
教養C、魅力E
新戦術を編み出してさらに実践にも優れた人物って、
戦場でもじゅうぶん成果あげてるから実績だけでも武力は十分だと思うけどね
何度も言われてるが、新戦術編み出してないと武力が落ちるってのはおかしいだろ
超人の例としてナポレオンなんかに当てはめると
<戦術系>
個人戦闘力C、戦術指揮力(規模大S、中A、小A)、攻撃適性S、防御適性A、意志力S、発想力S
<戦略系>
構想力A、立案力A、指導力S
<政治系>
構造力B、立案力A、指導力A、折衝力B、外交力C
<個人系>
教養A、魅力S
なんて感じですかね。
もちろん個人的な思いつきなので、スルーして頂いてもいいんですが。
579 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:37
>>578 いい案かもしれないが、とっつきにくくなる。
>>575 結論からいうが、評価項目が多岐に渡りすぎて理解し難い
個人個人で細かいパラ付けるってのは、自由にしてもいいと思うがね
戦術に限らず経済でも政治でも新しい手法を編み出した人達はいますけど。
そういう人達の能力値はどうやって判定するの?
何故に新戦術の話ばかり?
582 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:41
>>581 過去ログ読んでもらえればわかると思うけど
武力90台以上は新戦術をあみださなければいけないという立場と
それは関係ない。新戦術をあみださなくても90以上つけれるという立場と
がいろいろ議論しあってる
>>581 【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
政治には統治行政に関したあらゆる要素が含まれるから、
新しい経済や政治の手法の確立は政治に分類しても問題ないだろう。
>579,580
全くその通りで、とっつきやすくて理解しやすいようにすると今のやり方になるし、そうなると大雑把になるのは仕方がないんです。
ある程度以上はノリと雰囲気でやるしか無いでしょう。
私自身、精密な評価なんて最初から無理だと思ってますし。
>>胸甲騎兵氏
そこまでやっちゃうと、事績の少ない人物が評価しにくくなるような・・・。
あと、議論に参加する敷居が高くなりそうです。
やりたい人もしくは評価のしづらい人物に使うといいかもしれません。
(あくまで個人的な意見ですので、気分を害されたらすみません)
586 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:47
>>584 つーかそもそも武力の評価に新戦術だなんだと矯激な考えに凝り固まってる
香具師がいるから、こんなに話がややこしくなんだよ
>>571 しかし、過去の積み重ねであり、職能的なモノの精髄である”独創”を、単純に【知力】に
加えられるべきモノ、としてしまっていいのでしょうか。
私は、世間に認められる”独創”というモノは、その分野に於いて非常に通じた人間が、その
分野への知識・経験・哲学・誠実さなどが結びついて、やっと生まれるものだと考えています。
「先見の明」とは、全く次元を異にするものではないでしょうか。
過去の技術の再発掘も、ただ辞書を引くかのようにとりあえず持ってくるものではなく、左で
挙げたようなモノが結びついて、「そういえば過去にはこういう・・・、これは使えるな」と
いう風に、個人に積み重ねられた能力・技術によって適当かと判断されて、その時代に応じて
アレンジされながら実践されるモノでしょう。あるいは新たに思いついたモノが既出だったとか。
そもそも、ただ過去にあったテクニックを、そのまま現在に持ってくるなど不可能です。なぜ
なら時代ごとの常識や風潮、社会制度や科学技術など、その周囲を取り巻く状況は全く異なる
からです。
なので、ただ過去のテクニックを現在に持ち込んでも、「アホの懐古主義」にしかならず、
とても新技術や過去の再発見には成り得ません。
>>573 そもそも、未来に残した業績ではなく、個人の能力のみを測るのがこのスレの趣旨なワケです
から、ほんとうは3.が一番適当なのかも知れません。
でもそれじゃチョト寂しい・・・。
>>577 一応確認しておくけど、漏れはあくまで新戦術はプラスアルファ、だからね。
新戦術無しで100にふさわしい人物がいるかは、保証できないけど。
新戦術についてだけど、特技で表せないかな?
ハンニバルだと武力を少し抑えて
<斜線陣>
歩兵系に対する防御力上昇(包囲された場合無効)
<主力の温存>
兵数の減少とともに、部隊の錬度が上がる
<伏兵>
戦闘開始直後、一定確率で伏兵を配置できる
みたいな感じで
590 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:57
各人の定義が多少のずれがあるのはいいが、大幅にずれると
こいつが95だからあいつが97なのはおかしいんじゃないか?
この議論は意味がなくなるな。相対評価で同じ定義
でつけているからこそ意味があるわけで。
同一人物がつけたんなら同じ定義によるものだからおかしいと指摘できるんだが。
それでもいいとは思うんだけどね。
新戦術についてだけど、特技で表せないかな?
ハンニバルだと武力を少し抑えて
<斜線陣>
歩兵系に対する防御力上昇(包囲された場合無効)
<主力の温存>
兵数の減少とともに、部隊の錬度が上がる
<伏兵>
戦闘開始直後、一定確率で伏兵を配置できる
みたいな感じで
592 :
世界@名無史さん:03/06/11 01:58
二重に書き込んじまった・・・スマン
594 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:00
>581
新戦術は評価を「武力」に入れるか「知力」に入れるかに
分かれてる。
政治はどこまで行っても「政治」の数値だから。
しかし、新戦術に関しては、分かりやすく言うと
例えばグスタフ・アドルフとヴァレンシュタインはどっちが上か?
という話になるわけだが。
グスタフ・アドルフの場合、発明というより「完成」させたことになるが、
それでも他の諸将より先にやったことによって勝ちを収め、
戦史に置いても大きな業績として認められている。
一方、ヴァレンシュタインは新戦術は採用していないが、
旧教軍最大の名将で、デンマーク軍も倒した。
が、勝ったからといって歴史の流れが変わったわけでもない。
更にこの二人の場合、直接対決も判定が難しい。
戦術的にはスウェーデン軍が勝ったが、グスタフは戦死しているから。
っていうか同時代で新戦術つかった相手に新戦術なくても互角に勝負繰り広げた人物を
評価するとき、編み出してないほうの武力が劣るわけ?
それって明らかに変だろ?
596 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:02
>>595 項羽は、低い統率、低い知力にもかかわらず
あれだけの戦歴を誇ったから武力は高いと位置づけられたからね。
597 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:04
>595
グスタフ・アドルフ参戦前まで新教側がかなり不利だった、という
前提があるからね。
劣勢を跳ね返したのが新戦術に寄るところが大きい、となれば
評価も上がって当然かと。
提案。兵科適正つけたら一発で解決すんじゃないか?
騎兵を使った新戦術考案したら騎馬Sとかな。
【騎馬】(戦車も)
【歩兵】
【弓兵】(鉄砲&大砲も)
【水軍】
【航空】(近代戦に限り)
とりあえずこんなんでどうよ?
599 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:11
>>598 城砦の攻防の上手さも入れたら完璧
【城砦】って
これなら近代戦の要塞攻防にも適用できるし
601 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:17
SからDまで
602 :
無料動画直リン:03/06/11 02:21
603 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:23
>600
それが無いとヴォーバンみたいな特殊例に対応出来ないものな。
横に並べたら評伝も長くならんよな
とりあえずハンニバルだと(適当ですまんが)
【歩兵】A【騎馬】S【弓兵】C【水軍】D【城砦】D
「ヌミディア騎兵とカルタゴ重騎兵を利用した包囲戦術を確立した。
しかしローマ攻略には・・・・」
なんて感じで
>>598 せっかくの提案だが、兵科適正はあまりにゲーム的すぎて
好きになれないなぁ
個人的な意見としては有効な新戦術を編み出した人間は
武力に(ボーナス的に)+すべきだろう。でも編み出してない常勝将軍に100
を与えても何ら問題はないと思う。
>>595 有効な新戦術を編み出した人間の勝率はどうしても高くなるしね。
またハンニバルですまんが
ハンニバル=創始者=95程
スキピオ=真似=90程
となるのはやむを得ないと思う。
607 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:36
みんなそれぞれ妥協案と改善案を持って話しているんだからさ。
もっとラフに
【野戦】【城砦】【海戦】
なんてのも簡単でいいかもな
場合により【ゲリラ】とか付け加えれば細かい評価もできるし
>>606 スキピオとハンニバルじゃ戦歴の多さが違うからそれでもいいが、
勝率でも戦歴でもほぼ互角、戦っても互角だと、やっぱり同程度にすべきだろ?
俺はは現状維持がいいな・・・分かりやすいし・・・
611 :
世界@名無史さん:03/06/11 02:46
妥協予定なしのようですな
モレは実戦の数が少ない、または戦った事の無い人物は、
実績じゃ評価しがたいから新戦術の有無を大幅に加点してもいいが、
長い実戦を経た人物を評価するときには、効果が実績に反映されてるだろうから、
戦歴が多いほど加点する量を減らすべきだと思う。
つまり武力が最高レベルに達する人物同士を比較する時は、
新戦術の有無はほとんど度外視してもいいと思う。
それは評価するなら知力の方でやってほしい。
じゃ、おやすみ。
新戦術云々と言うとマウリッツ・フォン・ナッサウなんかはどうなるんでしょう?
能力値はともかく、特殊能力は今でも付けたり付けなかったりなんだから、
兵科も付けたい香具師だけ付けたら良いんでないかい。
任意の方が評価の幅や間口が広くなってお得だと思う。
議論厨のコテハン諸氏も、こういう時に出てきて語ってくれないとな
参加してくれてると思うけど、こういう議論のときは名無しでいいと思うよ。
青さん、朱元璋を評価してくれないかな。
新戦術云々の議論見ていて思うんですが、パラメータを増やさないのであればこれはもう個人的能力と社会的能力とでも言うべきものが混在しているのが問題なのでは、と思います。
知力と魅力に対する統率、武力、政治ですね。
いっそ、知力というパラメータは廃止してはどうでしょう。あるいは他のパラメータとの関わりが薄い教養などといったものに変更するとか。
廃止するならむしろ統率だろ
ハンニバルは武力91
統率は明らかに政治に入る範疇の能力と武力に入る範疇の能力を吸収している。
もともとコーエーゲームの統率=戦場指揮能力である。
武力=一騎打ちの強さである。つまりコーエーゲームではこのスレの統率という
基準はないのだ。ちなみにこのスレの武力=コーエーゲームの統率である。
と言うか
統率=人を統べ率いる能力…なんて、それだけでは政治、戦争に直結しない場合が多い
指導力、指揮力があってこそ統率力が生かされると思うんだよ
三國志で最初に統率が登場したのは、確か4だったな
関羽が曹操を押さえて100だったのを覚えているよ。趙雲も96だったし
コーエーが何故、用兵や指揮にせず
統率という魅力や政治と重なるものにしたのか分かる気がする
(指揮、用兵では関羽、趙雲を上位には出来ないだろうから…)
コーエーはそんなこと考えてないと思う。
趙雲の政治力高すぎ。
624 :
世界@名無史さん:03/06/11 12:14
>>623 演義なら武力と知力高いのはわかるけど、政治力が高くなる
逸話とかあったか?奥向きのこと任されたとかそんなんぐらいしか
そもそも演義にまともな政治の描写があったかなぁ…
謀略、舌戦、諫言、推戴くらいしか思いつかんかった
虚名も大事にせなかればいけませんぞ!!!
陳舜臣の諸葛孔明の小説で法正がいってた。
その通りだと思う。
まぁ光栄数値は、横山三国志見て閑、張、趙は武力90台確定だろうし
装填航路?の読者も大事にしなかんしなー
漫画の読者>>>正史の読者だからな
100倍くらい人口違うかも。
統率能力というのは政治・武力の補完的パラメータだと思っています。
雰囲気を出すには知力を残すより統率を残したほうがいいと考えました。
例えば項羽ですが、彼は武力は上限に近いでしょうが統率能力はあまり高そうではない。
ですが頭が悪いわけではないんです。教養はあるし、なかなか切れるところも見せています。
そういう事例を表現しやすいか、と。
あるいは以前評伝を書いたカール12世なんかは逆で、天性の統率能力はありますがあまり賢いとは言えそうにないです。
では魅力はどうなんだ、と言うと、魅力とはあくまで人格としてのもので、集団を統率する技術とはまた別なんじゃないでしょうか。
項羽は同時代人にとっても十分魅力的な人物でしたがそれでもそれが統率にあまり反映されていない。
カール12世はカリスマ的なところもありましたが、ロシア遠征で脱落者をほとんど出さなかった腕はそれとはまた別物のようですし。
630 :
世界@名無史さん:03/06/11 13:51
コーエー的に「知力」ってのはどういう位置づけだろう、そもそも。
孔明が知力100なところからして立案能力とかもありそうだが。
あと、コーエーで他の各数値が100の人物って誰だ?
その辺で感覚の見当つけたい。
631 :
世界@名無史さん:03/06/11 13:56
632 :
世界@名無史さん:03/06/11 14:13
>>630 武力100 呂布
知力100 孔明
魅力99 劉備
政治 シリーズごとに変わる
孔明が知力100なのは演義の、エピソードをふまえてだと思う
>>570 >確かに、項羽は目の覚めるような活躍をしたけれど、ハッキリと新しいことを後世に残した
>わけではないので、遺憾ながらムチャクチャ高くはならない、という程度です。
>>588 >一応確認しておくけど、漏れはあくまで新戦術はプラスアルファ、だからね。
高くするには新戦術が必須と>570からは読み取れるんだけど
それは>588の分とは矛盾してないかい?
結局新戦術がないから減点という評価のようだが。
項羽がどうこうでなくね。
某資料より
【政治】
(中略)
もっと古く(『全国版』のこと)は「知能」とかなりダイレクトなネーミングだった。
ひと口にいうと武将の''頭の良さ''を表す数値なのだが、
政治の表舞台に立たなかった人間が賢くなかったとは必ずしも言えないし、
同様に一流の文化人が必ずしも良い政治家だったとも言えない。
そこで『風雲録』のころから''文科系武将データ''の二極分化が始まった。
「教養」や「智謀」などの新データはこういった経緯で誕生したのである。
【智謀】
(中略)
政治力同様に武将の賢さを表現する武将データなのだが
政治力が内政・外交に影響するのに対して
智謀は外交・調略および戦場における技能各種の効果に関係がある。
カッコよく言えば'御政道の裏街道を渡るための通行手形''ってトコかな?
魯粛
三国志時代の呉の名外交家。
富裕な家に生まれ、若いときは家業そっちのけで、有能な人物と交わり、人に施すことを好んだみたいです。
若者を集めて武術と兵法の訓練に没頭したので、魯粛を気違いと呼ぶ人もいました。
演義ではお人よしの道化役だが、実際は全く逆で剛毅かつ豪快な性格でした。
劉備、諸葛亮、関羽なども彼に頭を上げることはできなかったみたいです。
後漢末の名軍師のほとんどが「漢朝」というものに固執し、
自分の君主が漢室に代わって皇帝になろうとすると諌める側に回ったのに対し、
二○○年というかくも早い時期から、
漢室復興の不可と打倒曹操の困難さを述べ、
江東を基盤とし、機を見て荊州・益州をあわせ中国南部を領有した上で孫権自身が皇帝に即位すれば、
天下を統一することは可能であるという「天下二分の計」を献言しました。
このように、長期的な戦略を立てる能力に卓越し、周瑜や孫権ですら理解できないほどでした。
彼に余命があったならば、新たな三国鼎立時代が繰り広げられたに違いません。
【統率】71(彼の国家戦略は呉を強固なものにした。)
【武力】74(戦術能力は普通だけど、万人単位の指揮能力が得意だったみたいです。)
【知力】93(群を抜いた戦略眼で、常に有効な外交戦略を献策した。 長期的な戦略眼は世界的に見てもトップクラスだと思います。)
【政治】63(彼の外交はどっちかというと国家戦略。 政治の能力は未知数なところもある。)
【魅力】56(剛毅な性格ながら、張昭などの文官達から嫌悪されていた。 またしばしば人が考え付かないもくろみを行い、土地の不老達に気違いと言われていたとか。)
魯粛キターーーーーーーーー!!!!
やっぱ三国呉で一番知力高いのは魯粛だよな。
でもちと武力が高すぎな気がする、
戦闘の実績はほとんど無い筈だし。
そうですね〜 書いた本人もそう思いましたw
テンプレに指揮能力とあったので、高くしてしまいました。
74=優秀レベル とは無理がありすぎましたね・・
武力63とします。
歴史上の軍人をコーエー風数値化の流れでいくなら
少しパラメータの見直しが必要かもしれないし、
あくまでも人物のくくりで進めるなら軍人の評価の基準は
なかなか定まらないと思います。
まあ定まらないのが面白いと思うんですけど。
「コーエー」風に縛るのでしょうか?
このスレも熟成してきていますし、
スレとしての独自性があってもいいんではないでしょうか?
などと思ってみました
>>633 やっぱ突っ込まれたか(w
始めに”新戦術”は【武力】に入ると言い出したのは確かに私でした。
でも、それを言ったのは2スレ目の【武力】100論争でのことでしたので、ずっとそれを引きずって、
改めて読み直すと、こんな支離滅裂で無意味な主張になっていました。つーか誰もそんなこと
覚えてねぇ、言ってねぇし。
>ムチャクチャ高く
ってのは、要するに”100”の婉曲表現でしたのです。
要するに、改めて訂正とまとめをさせて頂くと、
何よりも実践する力、成果を上げる力が一番大事だけど、”新戦術”は左で挙げた能力などの、
戦闘センスの発露なのだから、そこで評価するべきだ。
となります。
"高くならない"云々は完全な蛇足でした。すみません・・・。
>>598 正直、局地戦術能力ごときを、そんなに細分化なんかしたくないYO。
>>598 古代の将軍は資料が少ないので、能力を細分化すると評価が難しい。
私が数値化した呉起も不敗だったというだけで具体的な戦術の記載がほとんどない。
この場合、どんな兵科を指揮し、どんな戦術を駆使したのか、不明な将軍はどう評価すれば良いのだろうか?
>>635 孫一族による天下統一を真剣に考えていた最後の男だが、
史書によると孫権の評価は呂蒙より低かったらしい。
>>632 三国志Zとかだと
孔明は知力より政治と武力が高くなってるはず
643 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/06/11 23:01
魯粛について
>635
政治が低いのでは?
>636、>637
関羽の進撃を阻めて、南荊州3郡奪回に
最も功績を上げてるのはこの人でしょう。
でもまあ 63 なら妥当だとは思います。
>641
能力というより政策や考え方の近似によるものだと思います。
>>635 蓮さわぎのせいで○が並んでるのNGワードにしてたんだ。
最初気付かなかったよ。
いいね、魯粛。
645 :
世界@名無史さん:03/06/11 23:59
>>642 Zは戦闘戦闘79(+1 知力100(+8 政治98 魅力85
PS2209年のシナリオ
646 :
世界@名無史さん:03/06/12 00:00
647 :
世界@名無史さん:03/06/12 00:01
魯粛って具体的になんかした?
周朗と呂蒙と陸孫はそれぞれ見せ場があるのだが
>>647 これ見よがしのわざとらしい見せ場が欲しいなら、単刀赴会になるだろうな。
荊州問題で(お互いにだが)刃物を持った関羽と交渉して、堂々と論破している。
649 :
世界@名無史さん:03/06/12 17:02
耶律楚材
契丹人でありモンゴル帝国の中書令。オゴタイ=ハンの治世下でモンゴル帝国の基礎を固めた。
父や兄は金の高級官僚であり楚材も金に仕えていた。モンゴル軍が燕京を落としたときに
チンギス=ハンに見出され、「ウルツサハリ」というあだ名を与えられ使えた。
彼の行った税制改革に「丙申歳の税制」があり、きわめて軽い税制であった。
彼は税を軽くあるべきだという思想があったと見るべきだろう。
軍事作戦にはほとんど関わらなかったようで、そちらのほうの功績はない。
オゴタイ=ハン逝去後失脚したが、殺されはしなかった。享年55歳。
統率55
武力 評価なし
知力 72
政治 88
魅力 78
兄と違い、モンゴル帝国に仕えたことから先見の相はあったと見るべきだろう。
異民族であるモンゴル人に仕え、政治力を行使した優秀な人物である。
旧怨などにこだわる人物ではないとオゴタイに評価されてることから、
人格者であったと思われる。
651 :
世界@名無史さん:03/06/12 21:03
>>649 耶律楚材の上司右丞相チンハイは失脚後に逃亡し、
一度返り咲いたが最後は殺されている。
同僚ヤラワチも失脚と同時に亡命している。
耶律楚材が殺されず亡命する必要が無かったのは、
上の二人より評価が低かったからと思われ。
孫策
江東の小覇王。呉立国最大の功労者。
あっという間に江東を平定する勢いには曹操ですら
密かに驚いていたという。
結局孫策は26歳という若さで刺客に襲われて死ぬことなるが
もう少し生きていたら曹操を倒したのではないかという話もあり
実際に許都襲撃を企ていた可能性もある。
20歳で兵を起こして6年たらずで一大勢力を築いた孫策が長生きして
いたら、曹操もそう簡単には中原を支配できなかっただろう。
張昭、張紘、呂蒙など呉を支える人物を多く発掘したのも
この孫策の大きな功績だった。
【統率】78(目だった反乱等は起こされていない)
【武力】83(ほとんど無敗)
【知力】70(周朗なんかの補佐もあるが、自身の戦略眼も優れていた)
【政治】58(低くはないだろうが、武将のイメージが強いのでこの辺)
【魅力】77(遠術に「孫策のような息子がいたらなぁ」といわれたそうな)
653 :
世界@名無史さん:03/06/12 21:16
天武天皇(大海人皇子)
生没年 ?〜686(天武15)
父は舒明天皇。母は斉明・皇極天皇。中大兄皇子(天智天皇)の同母弟。
大化の改新を指導した兄に従う形で歴史に登場するが、兄の即位後は不和が表面化する。
(愛人の額田王をめぐる争いという説もあり)
東宮大皇弟として有力な皇位継承者と目されていたが、兄は嫡子大友皇子を太政大臣に任命。
病に伏した兄により後事を託されるが、病と称して固持し、出家を懇願。剃髪して吉野に入る。
兄の死後、近江朝廷による監視の報を受け、身の危険を悟る。
部下を各地に派遣して挙兵、自らも東国へ逃れる。(壬申の乱)
近江朝廷の軍を各地で破り、大友皇子は敗走後、自縊。
即位後は天皇を中心とした集権国家体制の確立に努め、律令官人制や公地公民制の整備を推進する一方、
仏教の振興や国史編纂にも意を注ぐなど、その業績は多方面にわたった。
統率95 吉野脱出時は従う者わずか数十名であったが、その求心力によって強固な集権国家体制を確立。
武力70 挙兵と同時に各地の要所を掌握。軍事の重要性を説き、文武官に武器の用法と乗馬の練習を課す
知力85 決起に至るまでの計画性の高さ。即位後の多方面に渡る業績。
政治80 律令を改め、法式改定を命じ、写経・国史編纂事業、僧綱制度を整え、八色の姓制定、冠位四十八階を制定。
魅力80 生まれつき勝れた容姿、長じて雄々しく武徳を備えた。甥の大友皇子を死に至らしめた点はやや減点か。
壬申の乱に勝利し、かつてない絶大な権力によって律令国家の建設を進めた偉大な専制君主。
甥と帝位を争い、死に至らしめたのは従来ならばマイナスイメージとなりそうなものだが、
自らすすんでの出家や、自分こそが被害者で決起がやむをえないものであったとする印象を作り上げたのは見事。
>>651 鎮海が上司?失脚後殺されるかどうかは評価と関係ないと思う。
また能力が高いから殺されるのではなく、自分達にとって殺したほうがいいかどうか?
ラフマーンやトゥラキナにとって殺す必要があるかどうか?
ヤワラチのほうが当時権勢を誇ったのは事実だけどね。
655 :
世界@名無史さん:03/06/12 21:31
永遠の青氏や、蘭太郎氏最近の混乱のせいか見ないな。
復活キボンヌ。
656 :
世界@名無史さん:03/06/12 21:40
657 :
世界@名無史さん:03/06/12 21:43
>>656 ちょっと、事実誤認があるけどなかなか的確だね。
特に戦術については詳しく説明されてると思う。
ハンニバルが敗れなかったらどうなったかは?ちょと蛇足くさいけどw
青さんの数値付けは辛くておいおいと思うのもあったが
紹介文章と議論内容は一番ためになった。知識がすごい
―――――――――――――‐┬┘
|
____.____ |
>>656-657 | | ∧_∧ | | 宣伝uzeeeeeeeeeeeeeeeeeee!! ∧_∧
| |. (#´Д`)| | _ (; ・∀・)
| |⌒ て) 人 _ ―――‐ ⊂ つ
| |( ___三ワ < > ――― ―― ―二 三ノ ノ ノ
| | ) ) | ∨  ̄ ̄ ̄ ―――‐ (_ノ、_ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ |
タッチの差で踏みました。俺はたぶん謀略ではめられたでしょう。
世が世なら。
662 :
世界@名無史さん:03/06/12 22:01
>>656 宣伝?ちゃんとハンニバル書いてあるじゃん。最近宣伝ばっか貼られていたから
みな疑心暗鬼になっておるな
663 :
世界@名無史さん:03/06/12 22:33
659
いいよぉ そのアングル
次もその調子で行ってみようか!
664 :
エコノミストK:03/06/12 23:47
以前にアウラングゼーブを数値化したものですが、このスレは展開が早いですね。
おそまきながら、レスに返答いたします。
まず、始皇帝とアウラングゼーブの比較ですが、いくつかの共通項は認められると
思います。まず、自己の思想に反するものに対して非寛容であるという点。次ぎに
歴代の国力を利用して領土拡大をし、その死後、国家は破滅した点。最後に自己神聖
化の傾向があった点です。しかし、決定的に違う点もあります。それは政治家として
の力量と、構想力の有無です。国家が破滅したという結果は同じですが、アウラング
ゼーブは単に異教徒の弾圧に執念を燃やした結果であるのに対し、始皇帝は理想国家
の建設を企図した結果によります。郡県制の施行、度量衡、文字の統一、標準貨幣の
鋳造などどれをとっても、その後の国家の例となったものばかり。その功績は世界史
上、不滅です。ただ、それは時代をあまりに先取りし過ぎたものだった故に破綻した
のだと考えます。
665 :
エコノミストK:03/06/12 23:54
次にリクエストのあった人物を数値化します。インド国内では知名度抜群
の英雄です。
シヴァージー=ボンスラ
【統率】75
誰も為し得なかったマラーター族による統一国家を建設。彼の存命中はその
団結力も微動だにしなかった。しかし、ムガルに対抗する勢力を作り上げた
とまではいえず、結局は「一方の雄」程度の存在に留まる。ゲリラ隊長として
は極めて優秀だが、大規模な会戦における指揮能力も未知数な面が多い。
【武力】65
戦術・作戦立案面において優秀であり、個人的な武力も卓越している。また
目的の為には手段を選ばないため、実行する意志も強い。だが、その戦功は
熟知した地理条件下での戦闘がほとんど。本格的な会戦の司令官というより
はゲリラ戦の隊長と思われ、戦略的視点に卓越した、或いは革新的な戦術を
編み出した用兵家とは言いがたい。またムガルの主力級の将軍に対しては軍
勢の差もあるが、決定的な場面で敗北を喫している。
【知力】45
国家団結の手段としてビジャープルと戦い、その後、ムガルとの対決のため
に一転してビジャープルと同盟するなど、問題把握能力とその解決能力に優
れる。ただ、教養は低く、目的の為には卑怯な戦法もとっている。
【政治】50
国家建設は多分に本人自身の魅力と軍事的成功の果実であり、その政治的力
量によるものではない。早逝のため、国家基盤を確立するには至らず。後継
者問題も未処理であった。外交感覚、交渉能力は並み以上と思われる。
【魅力】85
相当の曲者揃いと思われるマラーター族のカリスマとして君臨。人心収攬術
に長け、寛容で親分肌の人柄は多くの部下から慕われた。狭量なアウラング
ゼーブすら「彼がムスリムであるならば、良き友になれたものを」と言わし
めたほど。
666 :
世界@名無史さん:03/06/13 00:14
シヴァージーいいですね。エコノミストK氏のこれからの得点付けにも期待
>>434 ご、ごめんなさい。
言い訳するつもりはありませんが、僕も前々スレでは評伝を書くたび物言いが入り、
いつも議論してたんですね。それが無いとスレが面白くないと言う人も居て。
でも前スレで最初書き込んだ時はあまり反応がなく、僕もただ評価を見せたり
見るだけより、自分の考えを述べて色々話すことができれば、細かいところまで
お互いの人物評価の理解が深まるかと思って・・・
でも、仰るとおり前スレでは聊か盛り上がり過ぎでした。それに、他人に反対意見を
述べられると気分を害される方も、やっぱりいるかもしれません。
これからは人の評価に私見を述べる事は控えて、もっぱら受身に回ることにします。
議論ばかりで自分の評伝も疎かになっていましたし、今後は宿題の消化に勤めます。
自分の間違いは悟っていますので、
みなさん、今回だけは、どうかご寛容をお願いします。
ということで、まずマッカーサーから。
ダグラス・アーサー・マッカーサー(1880〜1964)
アメリカ陸軍元帥・GHQ最高司令官、米極東軍最高司令官
【統率】88
徹底的に日本国内の情報を統制し、見事に国民の精神面まで武装解除を成功させる。
彼のGHQ統治は歴史上最も効果を上げた占領政策として、戦後処理の見本となった。
また幕僚にはイエスマンしか置かず、自分の失敗の責任も、部下に平気で擦り付けるなど
米軍内でも際立ったワンマン司令官。もちろん功績は全て彼のもの。
【武力】65
WW1では「レインボー師団」を率いてかなりの活躍だったが、WW2に入ると嘗ての名指揮
ぶりはすっかり成りを潜め、緒戦のフィリピン防衛では油断と失敗の連続。
後半の侵攻作戦でも、戦術は全てぴったり従来の型どおり。見るべきものは、ない。
【知力】67
日米開戦前のフィリピン防衛計画は的確で、優れた先見性を見せているが、開戦直後
から壊れ始め、対日進攻には日本基地を全て潰していくと主張(カエル跳び作戦は軍部の
指導)するなど、国家戦略は優れていても、軍事戦略家としては優秀とはいえない。
おまけに朝鮮戦争に突入する頃にはかなり耄碌していたようで、米上層部の意向を無視し
ておかしな行動を取り続けた結果、解任されてしまう。
【政治】89
対人折衝には天賦の才がある。彼が雄弁に演説すると、それだけで主張が通ってしまう。
出世も早く、陸軍大学もでていないのに元帥まで上り詰め、さらに軍官僚としての
事務能力は神懸り的。おまけに権勢欲も凄まじく、私財の備蓄も怠らない。
極めつけはその統治政策。極東軍事裁判や日本国憲法などの日本統治政策は、戦後60年を
経た今でも、まだ賞味期限は切れず、強力に日本を縛り続ける。
【魅力】60
マスコミを利用して自分を売り込み、アメリカ国民に絶大な人気を誇っていたが、
演出の効果は、むしろ彼の高度な政治性が生かされた分野と言えるだろう。
上層部には受けがいい反面、部下や兵にはお世辞にも心酔されていたとは言えない。
【マッカーサーの経歴】
1880年1月26日アーカンソー州の米軍基地で、当時陸軍大尉だった父の元に生まれる。
子供の頃から頭脳明晰で、1903年陸軍士官学校を主席で卒業。在学中4年間の平均が
98.14点。士官学校始まって以来の好成績だった。
その後は陸軍大学には進まず現場で功績を積み、少佐で迎えたWW1で、全ての州の
出身者を兵に集めた、「全国民が欧州に向かう」『レインボー師団』の創設を
ウィルソン大統領に提案。即認められマッカーサーは大佐に昇進、創設される師団の
参謀長に就任した。
WW1を終始勇敢に戦い、少将に昇進して師団長となったところで戦争終結。この戦争で
彼が得た勲章は、特別功労賞2個、議会勲功賞1個、銀星賞7個という、これまた米陸
軍史上始まって以来の叙勲記録だった。
1919年陸軍士官学校長に抜擢され、そこでも教科に政治・経済を加えたり集団スポーツ
を重視、一般大学から講師を呼ぶなど、革新的な改革を次々実行していく。成果は
認められ、1930年中将に昇進して陸軍参謀総長に就任、またしても卓越した事務能力
を如何なく発揮して、アメリカの官僚の中でも最優秀といわれるほどになり、任期を
一年延長されるという異例の措置を受ける。
1935年米陸軍を退役して、かねて親睦のあったフィリピンに渡り、フィリピン軍の
総司令官に就任する。今でいう「天下り先」ということだろう。ここで蓄財に励み
つつ、1941年の対日開戦を迎えることとなる。
太平洋戦争では序盤こそ航空戦力の大部分を失ったり、バターン防御作戦の準備に
遅れるなど手痛い失敗もあったが、それでも結果的に勝利のうちに終える事ができ、
元帥に昇進した。終戦後も日本進駐軍司令官として辣腕を振るい、ここで元帥の評価は、
軍事的にも政治的にも他に非肩すべきものが無いほどの高まりを見せる。
しかし1950年に勃発した朝鮮戦争では、国境線を越えて反撃で中共の参戦を招くとい
う大きな判断ミスや、逆効果の降伏勧告、中国東北部爆撃要請など、米上層部の考え
も無視して暴走し続けた挙句に解任されてしまい、元帥の経歴に唯一の陰りを落とす
結果となってしまった。この戦争がなければ、今でもマッカーサー元帥は現代史最良の
名将としての不動の評価を受けていたかもしれない。
余談、
マッカーサーの「アイシャル・リターン」という名文句で有名なフィリピン脱出では、
元帥は召還命令を受けての脱出であったため敵前逃亡ということはできないが、
それでも残された兵の間では、元帥の腰抜けぶりをあざけり笑う造歌が流行るほど
評判が悪かった。
これは北アフリカ戦線でロンメルがイタリア帰還命令を受けて帰還した直後、
ドイツアフリカ軍団がモントゴメリー軍に包囲され壊滅したのと、状況はとても似て
いるといえる。ロンメルも敵前逃亡と言われても仕方ないかもしれない。
でも、ドイツ兵にはロンメル元帥をあざける気持ちはまるで無く、
「自分たちが負けたのは戦わなかったから。元帥がいたら勝っていた」と、
ドイツ兵捕虜が自分たち身の上に気を落とす事はなく、流行の軍歌を歌いながら歩いた
と伝わるのとは、まるで対照的な態度の差。
マスコミを利用した売り込みなど、人気取りの手法は似たような点の多い二人だが、
ロンメル自身「指揮官の良否は、指揮官が不在の時の兵の態度で判断できる」と言っ
ていたとされるように、人気の裏にある人徳の有無が判断されるのも、
やっぱりそこじゃないだろうか。
そういやまだロンメルの評価は出ていなかったな。
かなり難しいとは思うが、挑戦者を待つ。
ロンメルは難しそうだね。
戦術能力は高くても一方面を任せられるほど戦略やロジスティクスの能力があったか、となると…
673 :
世界@名無史さん:03/06/13 05:49
>>672 ロンメルには補給の概念が無いのが痛い。
香具師の軍団は、湯水のように物資を消費するので有名だった。
制海権も制空権も無い状況で、あれはまずいだろ。
あと、アフリカ戦線では防衛を命じられてたのに、
勝手に攻勢に出て兵力を消耗してしまい、ドイツ軍の戦略を狂わせている。
また、参謀団の進言に耳を貸さないことでも有名で、
ドイツ国防軍の参謀が良く引用するクラウゼヴィッツの戦争論も嫌いだという徹底ぶり。
ルントシュテット元帥が「ロンメルは優秀な師団長だ。それ以上の人物ではない」と言っている通り、
前線指揮官としては優秀だったが、ただそれだけの男だったようだ。
やはりドイツならマンシュタインやグデーリアンに萌えるべきか。
675 :
世界@名無史さん:03/06/13 08:24
キボンヌしたものだ
∧_∧ 从从
( ゚∀゚ ) ビシッ / ̄ ̄
_/ ⌒ヽ (⌒) <
>>664乙
⊂二 / へ ノ ~.レ-r┐ \__
_ _レ /〈 ̄ `-Lλ_レ
/ __ノ  ̄`ー‐---‐′
ヽ < | |
\ \ | ⌒―⌒)
ノ )  ̄ ̄ ヽ (
(_/ ⊂ノ
コテハンはもっときりきり働きなさい。
キボンヌされたものも早く書きなさい
____________ 諸君らの歴史上の人物を数値化するという約束・・・
ヾミ || || || || || || || ,l,,l,,l 川〃彡|
V~~''-山┴''''""~ ヾニニ彡| 守りますとも・・・蘭太郎・・・
/ 二ー―''二 ヾニニ┤
<'-.,  ̄ ̄ _,,,..-‐、 〉ニニ| こと数値化に限り・・・虚偽は一切言わぬ・・・
/"''-ニ,‐l l`__ニ-‐'''""` /ニ二|
| ===、! `=====、 l =lべ=| 守る・・・! 守るが・・・
. | `ー゚‐'/ `ー‐゚―' l.=lへ|~|
|`ー‐/ `ー―― H<,〉|=| 今回、まだその時と場所の指定まではしていない・・・
| / 、 l|__ノー|
. | /`ー ~ ′ \ .|ヾ.ニ|ヽ そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい・・・
|l 下王l王l王l王lヲ| | ヾ_,| \
. | ≡ | `l \__ つまり・・・私がその気になれば・・・
!、 _,,..-'′ /l | ~'''
‐''" ̄| `iー-..,,,_,,,,,....-‐'''" / | | 諸君らのキボンヌしている人物の数値化は・・・
-―| |\ / | |
| | \ / | | 1年後、2年後に、日本史板で・・・
ということも可能だろう・・・ということ・・・!
お、蘭太郎氏復活。
マッカーサーいいね、やっときたかという感じだ。
個人的にはマッカーサーほどの統治者なら、政治90代はあってももいいと思うのだが。
でも大統領になったわけでもなし、まあその辺が妥当かもしれないな。
ロンメルも好きなら、数値化に挑戦してみてはいかがか?
前々スレだかで高い評価をしていると言っておられたようだし
キボンヌするばかりも悪い
マッカーサーを戦後日本の思想を形成した代表人物だとしたら、
戦前の思想形成に多大な影響を与えた人物を数値化してみるか。
まずは敬愛する心の師匠を
「思想界のA級戦犯」
蓑田胸喜(1894〜1946)
明治27年1月26日生まれ。少年時代は二宮金次郎もかくやというほどの猛
勉強ぶりで、非常に秀才であった。中学高校と優秀な成績を治め東大法学部に入
学。そこでの頽廃した雰囲気に耐えられず文学部宗教学科に転入、大正9年に卒
業し、慶応大学で論理学、心理学等の教鞭をとることとなる。すでにこの頃から
自身の激しい国家主義思想の萌芽は見られており、時代の潮流であったマルクス
主義に対抗した論文を数多く手がけている。大正14年原理日本社を設立。月刊
雑誌『原理日本』の発行を基幹とした矯激な思想に基く言論活動を開始。大学で
の講義も、授業内容は本筋そっちのけでマルキシズム批判や日本主義を唱えるば
かりであったらしい。
「蓑田胸喜」、この名は軍の抬頭以来学界の泰斗たちの間で如何に恐れられた
事だろう。悪辣極まる手段により滝川幸辰始め多くの有識者を闇に葬り、やがて
憲法についてのそれまでの常識、美濃部達吉の「天皇機関説」までをも陥れるに
至る。精力的にその後も学問や言論への弾圧を続け、終戦後一億総転向ともいえ
る価値観の変遷を受けて、まもなく失意のうちに自殺した。
【統率】45 進歩的学者をやっつける右翼理論家のチャンピオン。学会の性格を一変するだけの力をもっていた。大学内に『精神科学研究所』なるものを設けて、時代の激流に迷へる羊たちを手先に使った。
【武力】15 反対者に対する闘いとなると、異常に近い情熱をおび、たんに言論文章の上でこれに攻撃するのみでなく、検事局や憲兵の力を借りても相手を克服しなければやまぬという気概を示した。
【知力】60 学界の気に喰はぬ有名な自由主義者の著書やプリントの一章・一句を補へて『赤だッ』と勝手なレッテルを貼りつけ、右翼のごろつきどもを嗾かして軍へ売りつけ、学界の泰斗を次から次へと屠り去った。
【政治】37 彼にとって天皇を唯一絶対の価値としない政治体制・思想は、如何なる例外も無く排斥すべき敵であった。ただし学問的蘊蓄は少しもなく、学説を叩くのも、学的論争はそっちのけで、凡ゆる悪罵を以て執拗極まるデマ宣伝、人身攻撃をつづけた。
【魅力】6 蛇蝎の如く嫌われた。
681 :
世界@名無史さん:03/06/13 10:14
ジャンヌダルクキボンヌ
蘭太郎さん
ハルゼーも採点してくれないかな
後、スプールアンスも
漏れは、ハルゼーとスプールアンスを従えたニミッツが、海軍史上最高の人物と思う
683 :
世界@名無史さん:03/06/13 10:23
蘭太郎さん
俺は、朱元昌とフビライ採点お願い
後、できれば源頼朝も
684 :
人生ぼろぼろにされた人が沢山います:03/06/13 10:26
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その8●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html 285 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/02/14 06:45 ID:Arvc0s8k
>>266 盗聴を反映した物造りをしなければ今度は自分が盗聴の危機に晒される人がいるという。
民意を騙った合意の捏造、殆ど恐怖体制とでもいうべきやり方をしている。では一体何の為にそこまでするのかを思う。
盗聴はあくまでも行為として”黒”ではあるがそれを正当化するための
何らかの大義名分としての”白”を盗聴者は共有している。
しかし実際はその合間で肥大化したグレーゾーンが余りにも大きくなりすぎて
話の本来とはおおよそかけ離れたことになってしまっている。
盗聴・盗撮情報を元にした物造りには被盗聴者への恫喝とともに
それらのものを造りつづけている者へも盗聴肯定気運の高揚を図り、
また決してこれらのことを表沙汰にはできないといった共犯意識を
共有させるといった盗聴者側への意識操作の役割も担っているのです。
トリッキーでメディア操作まがいの方法をして被盗聴者への恫喝・嫌がらせを
多くの公共の器というべき媒体を悪用して繰り返している盗聴者なのだが
盗聴行為をひたすら肥大化させ続け不特定多数に開放してしまうことで
盗聴者個々の責任を拡散しあくまでもこの盗聴が多数決に基づき
民意に沿った盗聴・盗撮行為であることにしようとしているのです。
もちろんその民意は何処までも「合意の捏造」にしか過ぎないことは言うまでもありません
もし被盗聴者に何らかの不備がある、あるいはあったことが原因で
盗聴・盗撮がなされているのだとしてもても、直接とがめだてを
することは無く、従って被盗聴者には何も言うことはできず、
説明の場もない。もし被盗聴者が一方的に盗聴者に納得のゆく行ないが
なされなかったからしている監視だというのなら、上記のことからしても、おおよそ常識的な理解を超えている。
685 :
世界@名無史さん:03/06/13 10:28
蘭太郎氏より永遠の青氏の復活キボンヌ
>>667 別に反対意見があれば、
いつでも反論すればいいと思うけどね
掲示板とは元々そういう所、それが嫌なら書き込みにこなきゃいいだけの話だし
>>685 もう派閥争いみたいなこと言うの、止めにしようや
数値化してくれるなら誰でもいい。
違うだろ、と思えばその都度反論すればいいだけの話。
689 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:12
派閥争いって世界史っぽいね。
690 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:14
691 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:18
>>689 だがあんまり派閥争いに夢中になると国(スレ
が、がたがたになるぞ。
なにもそんなにギスギスしなくても、
みんな仲良くすればいいと思うんですけどね。
>>690 朝鮮史の用語など覚えても意味ないじゃん?
694 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:21
695 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:22
>>693 学問・文系/世界史板のスレで、これは異なことを承る。
>>691 張良だね。「家臣権を争うは亡国の兆し」ってか
697 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:36
日本人は議論が下手なのか?議論=喧嘩ではないがな。
まぁこんなくだらん意見で1レス使うのもなんだから、
源義経
統率52 それなりの評価はあるが、凡人なみでしょう
武力92 すごいっしょ。戦闘能力は日本史で一番かもしれない
知力72 謀略を使ってたみたいだ。平家についていた水軍を源氏に寝返らせタ手腕を買う。
政治2 致命的な政治センスのなさ。頼朝が平家なんかより、こいつのほうが恐ろしいと
いったのもうなずける
魅力88 現代の一般の人気はナンバーワンか?
ちなみに参考はこの間のNHKのそのとき歴史が動いた。
それと漫画などの知識。逆説の日本史とかもちょっと参考にしたかな。
前スレの人がどういう点数配分つけたのか忘れたから、大幅に違っていたら
そっちのほうが正しいだろう。
698 :
世界@名無史さん:03/06/13 11:41
>>695 朝鮮総合スレッドの住人じゃん?俺って。
もう無意味っぽい。攻撃のための知識は必要なんだがね
>697
前スレの漏れ達と比較すると、そちらの知力が高目という以外は概ね同傾向。
政治を徹底的に低く付けた思い切りの良さに敬意を表しよう(w
兵科の話題の際に触れられたので、少ない資料で無謀にも挑戦してみた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ヴォーバン 1633〜1707
築城技師。フランス陸軍省総監。
近代的築城術(第3方式)並びに要塞攻囲システムの構築者にして確立者。
「ヴォーバンが攻囲した町は必ず落ち、ヴォーバンが要塞を築いた町は絶対に落ちない」
と称えられる程の驚異的な手腕を発揮した。
自ら手掛けた33の要塞は、それ以降の要塞設計の基本となる。
(五稜郭も第3方式による設計)
代表的著書は「要塞の攻撃と防御について」「王室の10分の1税」。
【統率】 66
【武力】 61
【知力】 93
【政治】 75
【魅力】 68
【特殊能力】要塞攻囲(拠点攻略時に限り統率&武力+30)
要塞構築(拠点構築&強化作業時に限り政治+20)
補足になるが、今回は議論で出た「画期的な戦術の確立」を
特殊能力に変換するという方式にしてみた。
>703
……確かに、晩節さえ汚さなければどえらい数値になってしまうな。
>703は>702へのレスということで。
つか、能力によってはトリプルスコアになるかも。
>668
復活おめでとうございます。
ですが、これは異論を出させて頂きます。
>【統率】88
軍内部では徹底的に嫌われていた人です。
ニミッツからは「あんな傲慢な人間にならないために」とデスクのうえに写真を飾られ、アイゼンハウアーからは死ぬまで毛嫌いされ、マーシャルからは頭痛の種扱いされ、キングからは札付きの愚か者と蔑まれたそうです。
作戦面では自己主張に拘るばかりで海軍と衝突しっぱなし、しかも妥協のための努力などほとんどしていません。
せいぜい75がいいところではないでしょうか。
>【政治】89
政治的見識に欠けることは戦前のフィリピン統治や戦後の解任騒ぎでも明らかです。
彼は政治的野心はありましたがそれを果たすだけの政治能力は無かったと見るべきです。
アイゼンハウアーより下であるのは間違いないので、89は高すぎでしょう。これも70台がいいところです。
じゃあロンメル、やってみましょうか。
エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(1891-1944)
ドイツ第三帝国の陸軍元帥
ドイツ、ハイデンハイム生まれ。父親は中学校の校長、母は市長の娘という中産階級の出身。
兄は陸軍の偵察パイロットで、弟はオペラ歌手になったらしい。
第二帝国時代の士官学校卒業後歩兵科の将校となり、第一次大戦では主に対イタリア・対フランス戦で活躍。3回重傷を負ったり、2日で8000のイタリア兵を捕虜にしたりと目を引く働きを重ね、 プール・ル・メリット勲章を授賞されている。
戦争が終わったときは大尉だったが共和国陸軍に残ることに成功し(小規模化された軍に残るのはかなり難しいことだった)、歩兵学校や陸軍大学の教官など教育畑のポストを歴任。
1939年、少将のときに総統ヒトラーの親衛隊長(SSとは無関係)に就任したことでヒトラーの個人的な知遇と信頼を得る。
第二次大戦が始まるとヒトラーに前線行きを懇望、精鋭である第7歩兵師団を任される。
それまで歩兵畑を歩いてきたロンメルは戦車戦術には疎かったが天性の飲み込みの早さとセンスでその要諦を会得、対フランス戦ではその機動力を存分に発揮して長躯敵陣を蹂躙し、「幽霊師団」と恐れられた。
参謀本部系将校を嫌うヒトラーの信任はこの活躍でいよいよ篤くなり、同年に中将、翌年早々に大将に昇進。北イタリアでイタリア軍が危機に陥ると新設のアフリカ軍団を任される。
軍団といっても基幹兵力は軽歩兵師団程度、補給もままならず、敵はアレクサンダーやオーキンレックといった強者が率いる優勢なイギリス軍、しかも味方は頼りにならないイタリア軍という劣悪な状況だった。
しかしロンメルは戦車戦力の特質を生かした神出鬼没の機動戦でイギリス軍を圧倒、トリポリを陥落させ49歳の最年少で元帥号を与えられる。
その後本腰を入れてきたイギリス軍に新司令官モントゴメリーが着任すると補給の弱さと相変わらずの兵力劣勢か祟って次第に劣勢に追い込まれ、1943年B軍集団司令官に転出してアフリカを離れる。
その後彼のB群集団は西部方面の防衛を担当したが、上陸地点の予測と防御方針で陸軍の長老ルントシュテット元帥と対立する。
結果としてロンメルの予測が正しかったのだが、戦闘開始からほどなく前線視察中に戦闘機の機銃掃射を浴びて重傷を負い、肝心の時に指揮が執れなかった。
このころのゴタゴタでヒトラーの支配体制に嫌気がさしたらしく、またドイツの破局も避け得ないと確信するようになったらしい。しかし彼が本当にヒトラー暗殺計画に荷担していたかどうか、真相は未だ謎に包まれている。
が、とにかくヒトラー暗殺未遂事件が起きるとロンメルも荷担の嫌疑を掛けられ、ゲシュタポから裁判か名誉ある自決かを迫られると自ら青酸をあおって自決。
その死の真相は国民には知らされず、戦傷死と発表され国葬が行われた。
能力値
【統率】80(特に足りない戦力のやりくりや逆境でのスタッフ統率に見るべきものがあった。その軽快な指揮振りは伝説と化している)
【武力】85(装甲戦力を用いた機動戦の手際は見事。防御戦をさせても粘り強く、敵からも賞賛された)
【知力】75(教育畑が長かったせいかその命令は簡潔明瞭、人を使い育てるのがうまかった。戦局を見抜く眼も確か。補給軽視との批判もあるが、あの状況では仕方がない面もある)
【政治】50(政治向きのことをしたことはないが、その経歴から軍の上層部の中では浮いた存在だったらしい)
【魅力】80(演出がうまかったこともあるが兵士達にも国民にも抜群の人気があり、敵からも好敵手としてしばしば賞賛されている)
高いとの意見もあるでしょうが、まあ妥当な線だと思います。ドイツ軍の将帥としてはマンシュタインに次ぎ、グデリアンやモーデルと並ぶ人物です。
参謀本部系ではない故にヒトラーから重用され、同時に参謀本部系の軍人からは胡散臭い目で見られていたのは確かです。国民にも人気があった為、この人は極端に賞賛されるか徹底的に貶されるかの両極端な評価が多いようです。
しかし人格的にもなかなか魅力的だったそうです。マンシュタインはロンメルと一度だけ個人的に会っていますが、このときの印象を「会わないうちは胡散臭く思っていたが会ってみるとなかなか聡明で、気に入った。好きになれそうな男だ」と副官に語っています。
アフリカ時代、本国から届く沢山のファンレター一つ一つに返事を出していた(手書きではなく口述筆記でしたが)り、宣伝映画に積極的に協力したりとなかなか目先の利く人物でもありました。
ヒトラーのことは個人的には尊敬していたようですが、ナチ党そのものとは一定の距離を置いていたようです。
>>705 ちょっぴりご無沙汰でした。
>軍内部では徹底的に嫌われていた人です。
僕も前々スレで山本五十六評をさせていただいた時、陸軍や同僚などへの
対人折衝に難があったということで、統率を低くしていましたが、
その後少し議論して、やはり統率とは自分の指導できる組織の内部だけの
問題にするべきだという結論に達したことがあります。
ですのでご指摘のキングは他組織、マーシャルは同僚ですので、統率の評価の対象外と
させて頂いてます。さらに太平洋戦争中の重大な局面で海軍の立案した作戦と対立した
時にも、マッカーサーの主張するフィリピン経由のプランの方が採用されてますので、
対人折衝の減点要素にもできないと判断します。
次にアイゼンハワーですが、確かにマッカーサーは嫌われています。
でも嫌われた、というのは統率のマイナス要素となりうるでしょうか。
アイゼンハワーが部下であった5年間、何度転任届を出してもマッカーサーは握りつぶし、
フィリピンのパレード問題ではを押し付けられ、どんなに努力しても細かい欠点を
指摘して功績にはしてもらえず、ちゃっかり五年間、思う存分こき使われています。
アイゼンハワーが任期終了後再任を固く断って帰国したのも無理もありませんが、
むしろ嫌われた、というのは統率ではなく魅力の範疇にあるのではないでしょうか。
統率者としては、アイゼンハワーを副官として最大限利用したと考えます。
>政治的見識に欠けることは戦前のフィリピン統治や戦後の解任騒ぎでも明らかです。
フィリピン統治の問題とは具体的にどういった点でしょうか。
マッカーサーはフィリピンでも職務に励み、例えばフィリピン軍を米軍に編入したり
自分も極東米軍司令官となるなど、防衛計画はかなり適切だったと理解しています。
あと解任問題ですが、朝鮮戦争では終始戦略的にミスの多い行動ばかりしていて、
麒麟も老いれば駄馬にも劣る、解任も止むを得ない判断でした。
この頃にはマッカーサーは自分の名声を過信していて、何をやっても許されると
誤解していたのだと思います。むしろ朝鮮戦争での失態は耄碌した結果の、知力の
減点要素とさせていただいてます。それまでは軍部や政府に自分の主張を通すことに
かけては非常に優れた手腕を見せてますので、この件で大幅減点しては彼の才能
を表せなくなってしまうと判断させていただきました。
>709、710
そうですか。そういう事ならこれ以上は反論しません。
私の反論とあなたの再反論が出た段階で、後は読者に任せます。
712 :
世界@名無史さん:03/06/13 20:35
>>705 >戦前のフィリピン統治や戦後の解任騒ぎでも明らかです。
フィリピン総督だった親父と勘違いしているものと思われ
>712
アーサー・マッカーサーとは混同してないですよ。
フィリピン軍の扱いや防御計画が良く言えば楽観的、悪く言えばいい加減なものだったことを言っています。
ウェーンライトがいなかったらもっと悲惨なことになっていたでしょう。
714 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/13 20:52
時間が無いので、少しだけ。
マッカーサー評については、蘭太郎氏の意見を支持します。
近代戦史上最高の政将たるにふさわしい能力であると思います。
戦時中、アイゼンハワーはドイツ野戦軍の殲滅と、ベルリン入城の二つの選択肢のうち、
ドイツ野戦軍の殲滅を優先し、ソ連軍のベルリン入城を許し、
ドイツの東西分割を招くという致命的なミスを犯しています。
また、戦後の占領行政も惨憺たるものでした。
アイゼンハワーがマッカーサーに勝っているのは、多国籍軍の指揮官としての才能だけです。
政治家・戦略家としては一貫してソビエトに翻弄され続けました。
日本を世界一の親米国家とし、今なお日本をそのくびきの下に置くマッカーサーと比べると、その力量の差は明らかです。
715 :
マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるの?:03/06/13 20:54
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その9●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html 378 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/04/02 15:00 ID:TBJ6ZR3f
>>367 >田口ランディが「アンテナ」と「モザイク」で無断引用。
複数のネタもとからのコピー&ペーストで出来ているという意味では、
盗聴ネタを使ってもっと酷いことをしている同業者がたくさんいますよね。
盗聴者間で広まっている被盗聴者についての様々な個人情報やそこから
派生している風説から得たインスピレーションを、敢えて既存の作品の
イメージの型枠にはめ込んでしまうことで、中身が盗聴ネタであることを
ぼやかし偽装した制作が数多く行なわれている。
その意味では、この小説家の件の作品は盗聴ネタを使用した制作者と
パクリの手法が瓜二つなのですが、盗聴情報を無断使用した制作は
当人にしか知り得ない在宅中の行為、発言、更には悪辣な追い込みを
けしかけながら引き出している個人情報からのサイテー最悪な
盗用なので、一般にそういったものであると認知させることは難しい。
そのことを確信犯的に抜け道として、盗聴ネタを利用した制作は
肥大化の一途を辿ってきている。
自らの利得と引き換えに被盗聴者の時間と生命そのものの無断使用を
平然と続けているマスメディアこそが、もはや盗聴・盗撮をして
監視でもされるようにならなければ危険なくらいの現状なのです。
>714
例示されている件は二つともアイゼンハウアーやマッカーサーが自ら企画立案したことではないので、当時のワシントンの問題だと思いますよ。
マッカーサーの日本統治がうまくいったのはマッカーサーの手腕と言うより本国で立案された政策が的確だったということでしょうし、アイゼンハウアーの件もベルリン占領を最優先と断言できなかった米英首脳部のミスです。
現場指揮官のアイゼンハウアーにそこまで配慮しろというのは言い過ぎかと。万一ベルリンを優先すれば、ソビエトとの交戦という危険すらあったのですし。
>例示されている件は二つともアイゼンハウアーやマッカーサーが自ら企画立案したことではないので、
アメリカ大統領の政策だって大統領自ら企画立案したもんじゃないだろ。
もっともどの企画を採用するかは別だがね。
>717
そういうことです。与えられる側と自ら選択できる側ではだいぶ話が違ってきますから。
719 :
世界@名無史さん:03/06/13 21:37
そうです。
所詮は吏です。
720 :
世界@名無史さん:03/06/13 21:54
ただ、マッカーサーは日本の統治を上手くいかせるために
アメリカ本国を恫喝してもいるんだよね。
天皇問題で、本国では「東京裁判にかけるべきだ」という意見が
強かったんだが「そんなことをやれば百万の軍があっても足りない」
と言って。他にも随分、当時の日本人受けするような発言をしている。
(この辺は五百旗部真「戦後日本外交史」参照)
アイゼンハワーにそこまでの気概というか政治感覚があったかは疑問。
これ以上反論はされないということでしたが、マッカーサーのGHQ統治に関しては
少し意見を述べさせて頂くことにします。
>>716 >マッカーサーの日本統治がうまくいったのはマッカーサーの手腕と言うより本国で
>立案された政策が的確だったということでしょうし
アメリカがGHQに指示した対日方針とは、あくまで基本的な方針であって、
統治政策、武装解除、戦犯の処理など具体的な統治の内容はGHQは日本に対する
絶大な権限が与えられていて、新憲法制定など「マッカーサー・ノート」に見ら
れるように、マッカーサー個人の考えが大きく影響しています。
天皇制をどうするかといった議論にもマッカーサーはかなりコミットしていますし、
GHQ統治の結果を彼の功績には還元できない、という主張は聊か言いすぎでは
ないでしょうか。
722 :
世界@名無史さん:03/06/13 22:24
>>706 単なる書き間違いだと思うけど、
第7歩兵師団ではなく、第7戦車師団ね。
>723
あ。しまった。
まあ、後段で戦車戦術云々と書いているので、単なる書き違いだとはおわかり頂けるかと。
725 :
世界@名無史さん:03/06/13 23:04
過去ログ見たけど
三国志と楚漢時代の人間ばかり押す奴がいるな
中国の長い歴史でこの二つの時代にだけ傑物がでたとはとても思えん
特に前半の
劉邦 魅力100
項羽 武力100
諸葛亮 知力100 政治100
これを冗談じゃなく言うのがスゴイな・・・
諸葛亮よりスゴイ政治家いないのか?
これは日本人の知識の偏りが生んだ結果ってこと?
きっと上のような評価する人に
完顔陳和尚、孟きょう、張居正って言っても
誰それ?ってなっちゃうんだろうな(寂しいな。他の時代も楽しいのに・・)
愚痴ばかりだが
上の二つ以外の時代や超メジャーじゃない人物が出ると
楽しさと同時に嬉しさも湧き上がるな
727 :
世界@名無史さん:03/06/13 23:53
>>726 日本人っていうのはそんなもんよ?ミーハーなんだよ。三国志と項羽と劉邦は漫画ででたし
本土の歴史さえよくわかってないからね。(俺北海道 ちょっと有名どころ過ぎると何も知らない
人を見る目が全然ないんだよ。名将なんてものはどの時代にもいるのにね。
ジャムカとかチンギスハンとかの時代も全然分かってないしさレベルの低さに
なきそうになってるよ。おまいら、モンゴル帝国ぐらい知っときなさいと
いいたいわ、まじで。三国志なんてたいしたことないんだよ。世界史レベルで見たら
728 :
日本@名無史さん:03/06/13 23:54
727
おまぇーのほうがたいしたことないんだよ。
729 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/13 23:56
>>726 私もそう思います。
4000年の歴史で英雄・名将・賢臣は数知れないのに、
三国時代と楚漢の人物ばかりが評価が高いのは、かねてより苦々しく思っています。
私が過去スレで漢の三傑・曹操に下した評価は、それを踏まえた上のものです。
長い中国の歴史で、天下を鎮めた英傑や、一地方に割拠した人物は数限りなくいるのに、
三国時代や楚漢の人物ばかりが高く評価されるのは、解せません。
曹操なども、歴史上ではワンオブゼムに過ぎません。
世界史基準でも三国時代の人物をマンセーしろという強い圧力には、
かなりウンザリしています。
730 :
世界@名無史さん:03/06/13 23:57
ハンニバルもワンオブゼムだよw
曹操については今村より評価が低かったから
待ったがついたと思われ
世界史知名度(日本人
三国志(断トツ>>楚漢>モンゴル帝国>その他。
三国志の知名度ってすごいよな。やっぱり横山光輝大先生の影響力は
すごいと思われ。それだけじゃないんだけど。
734 :
日本@名無史さん:03/06/14 00:05
ゲームだぜ、しかも絶対に発売しない!
ばかじゃねぇーの
735 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/14 00:07
>>731 過去スレを読んで見たところ、どうも5月頃までに書いていた評伝と、
6月に入ってからの評伝では、最近では完全に基準が変わってしまったみたいです。
5月以前の評伝では好評をいただいておりましたので、
もう一度そちらの基準に戻して見ようかと思います。
曹操はともかく、スターリン・ヒトラーの二大英雄と渡り合って国を保ったリスト・リチより、
今村均の方が明らかに能力が高いというのは、確かにどうかしていました。
呉起については、
>>456氏に出していただいた数値を支持します。
今村均については、再評価の用意があります。
737 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:11
>>726 このスレで愚痴をいってもしょうがない。主観でつけるべきのものだからね。
コテハンを含め、やはり自分の好きな人物、思い入れのある時代の人間には
甘く評価される傾向にある。そのギャップを議論で埋めていくのがこのスレの
一つの楽しみであります。ためしに楚漢時代と三国志の人物を数値化されてみては?
私は反論があれば自分も数値化するのが一番建設的だと思っています
上のほうのレスにあるように、三国志は日本でも屈指の人気があり
コーエーの看板歴史ゲームという事情がありますね、信長の野望と並んで。
コーエースレらしいといえばらしいです。
738 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:26
そうだ、忘れてた。彼がいた。
-----------------------------
孟(実際の字は王偏です)(?-1246)
南宋の将軍
襄陽の人。祖父は岳飛配下で鳴らした猛将で、その頃からの私兵2万を受け継いだ軍人貴族の家系に生まれている。
前半生はぱっとしなかったようだが、彼が一躍歴史の表舞台に現れるのは1234年、南宋とモンゴルが同盟して金を滅ぼした時のことである。
江陵府副制置使の任にあった彼は三峰山の戦い以後金に残された最後の切り札だった南宋国境戦区の金軍を次々と撃破、更に手勢を率いて金の領内に侵入し、モンゴル軍に補給を与えるなどの活躍を見せた。
その後の南宋の無謀な背信行為(端平入洛)においてはまず襄陽を奪回、その後モンゴル軍に補給を絶たれ崩壊した友軍を救うべくモンゴル軍を足止めし、全軍壊滅だけは回避させた。
南宋の背信にモンゴルは南伐で応じ、四川及び京湖方面から侵攻が開始されると南宋軍はなすすべを知らず四川の防衛は破綻、京湖でも内戦は起きるわ主力軍は脱走してモンゴルに寝返るわと大混乱に陥る。
ここで再び起用された孟はテムルタイ率いるモンゴル軍を破って戦線を安定させ、その後も巧みな防御戦を続けて敵に出血を強いた。
この功績で京湖方面の方面軍司令官(京西湖北路安撫制置使)に昇進すると、孟はまさに八面六臂の活躍で当時世界最強のモンゴル軍を遮り続ける。
四川に敵が侵入すると援軍を送って支え、敵の侵攻を察知すると先手を打って侵攻意図を挫き、事実上南宋の防衛を一手に引き受け、こなして見せたのである。
事実彼が指揮を執るようになって以後、戦線は安定し南宋は優勢を取り戻し、モンゴルは英主オゴタイをして南伐を諦めざるをえないほどにまで状況は改善されている。
そして1246年に没するまで、彼はモンゴルにとっては巨大な障害、南宋にとっては国の護りでありつづけた。
漏れみたいなそんなに人物に詳しくない者からすると、
マイナーな武将を取り上げてくれる時には丁寧な解説つきで
評価つけてくれるとありがたいです。
741 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:37
南宋は末期にも名将はたくさんいる
能力値
【統率】90(破綻しかけた防衛線を引き直し、それを機能させてモンゴル軍を阻んだ腕は素晴らしい)
【武力】85(あのモンゴル軍相手に勝ち続けただけで凄いが、彼の真価は勝てる状況でしか戦わないこと、その状況に敵を引き込む事にあった)
【知力】85(教養も高く、視野も広く、打つ手は的確でその戦略眼は一指揮官に留まるものではなかった)
【政治】80(難民対策として屯田を実施したり、戦乱で荒れ果てた京湖・四川の復興を図り生産力を回復させるなど、政治手腕にも優れていた)
【魅力】80(人望もあり、特にその晩年は国家の守護神として上は皇帝から下は民衆まで広く崇敬された)
私見ですが、彼こそは中国四千年の歴史の中でも屈指の名将です。五指に入ると言っても良いでしょう。
モンゴル軍の圧倒的な破壊力の前に崩壊しつつあった国家の防衛システムを再建し、 なお40年の延命を見たのはひとえに彼の功績です。
その手法はあくまで合理的かつ無理のないもので、南宋の国情に適合したものでした。
彼は戦術家としても傑出した人でしたが、その本領は国家レベルで防衛戦略を立案し得る高度な戦略家としてのものだったのです。
743 :
世界@名無史さん:03/06/14 00:51
南宋には孟王共以外人がおらぬ。
呂文煥。
結局はモンゴルに屈したけど。
個人的な中国(清以前)の名将5人
韓信、李靖、李世民、孟[王共]、朱棣
>>726 過去ログでもそういう流れになってるところはほぼ無いと思うが。
誰かが三国志の人物を高く評価してもすぐ修正されてるし。
岳飛、韓世忠、呉カイ、呉リン、李顕忠、劉リ、虞允文
>743
文天祥、張世傑、劉師勇などは南宋の最後を飾った名将と言っていいでしょう。
孟と同時代であれば余王介、王堅などが良将と言えます。
750 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:15
日本人基準だと曹操・劉備の評価が朱元ショウ、趙キョウイン、李世民、劉秀といった
歴代の統一王朝の創業者よりも上になりがちな風があるし、カク去病や呉漢や李靖や
孟キョウの評価が関羽に劣るものになってしまう。最も、その三国時代の諸葛亮本人
が「呉漢らが陳平らに劣るとするのは誤っている。」として、漢楚以外の評価を
軽んじるのを戒めていたりするのだが。
751 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:17
むしろ三国志意識しすぎなんちゃうかなぁー。
三国志とか自称世界史通は嫌うよな。そういうメジャーどころは
メジャーな芸人否定するのと似ている
つーか三国志の人物なんて誰も高く評価されてねーじゃんw
諸葛亮だって政治88知力80武力65くらいで落ち着いただろ
漏れも
>>745を真似て…
漢以後、清以前、名将五傑
馬援、李靖、孟[王共]、伯顔、徐達
(元の武将が入ってるが、モンゴルは入れなかった)
754 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:20
>>750 日本人基準いうけど本場中国人だって演義が正史だと思ってるやつのほうが
多いぞ
>>748 陳臣舜の小説の文句思い出したからいってみただけっす
親切にありがたう
756 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:23
韓信、馬援、李靖、孟「王共」、朱棣
757 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:24
あえて
韓信 曹操 林彪 陸遜 孫武
鄭和なんかはどう評価すべきかな?
統率高め?
コロンブスは出ても彼は出ない、おかしい
オレは個人的に朱元璋が好き
二面性がたまらん
オレの場合科学者なら評論できそうなんだが
あまり話題になんないのよね
759 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:26
宦官いらん
趙高、王莽、朱イ、安禄山の評価キボンヌ
夏侯惇なんかはどの時代でもそれなりにつかえない?
全能力60〜70くらいで
鄭和で、はっきりしてるのは
生殖力0
だな
764 :
蘭太郎代理:03/06/14 01:32
____________ 諸君らの歴史上の人物を数値化するという要望・・・
ヾミ || || || || || || || ,l,,l,,l 川〃彡|
V~~''-山┴''''""~ ヾニニ彡| 守りませんともこの・・・蘭太郎・・・
/ 二ー―''二 ヾニニ┤
<'-.,  ̄ ̄ _,,,..-‐、 〉ニニ| こと数値化に限り・・・虚偽ばっかりです・・・
/"''-ニ,‐l l`__ニ-‐'''""` /ニ二|
| ===、! `=====、 l =lべ=| 守らない・・・! 守らないが・・・
. | `ー゚‐'/ `ー‐゚―' l.=lへ|~|
|`ー‐/ `ー―― H<,〉|=| 今回、まだその時と場所の指定まではしていない・・・
| / 、 l|__ノー|
. | /`ー ~ ′ \ .|ヾ.ニ|ヽ そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい・・・
|l 下王l王l王l王lヲ| | ヾ_,| \
. | ≡ | `l \__ つまり・・・私がその気になれば・・・
!、 _,,..-'′ /l | ~'''
‐''" ̄| `iー-..,,,_,,,,,....-‐'''" / | | 諸君らのキボンヌしている人物の数値化は・・・
-―| |\ / | |
| | \ / | | 私の気まぐれでいつでも数値化する・・・
ことも可能だろう・・・ということ・・・!
みんな中国史の時はよー喋るね
766 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:34
>>760 はいそうです。一説によれば周恩来に処刑されて死体を飛行機にのせて
あぼーんされたという林彪副主席です。軍事関連の功績はかなりあります
>>765 ハンニバル祭りもすごかった。ようはやはりメジャーどころが
盛り上がる。ハンニバルやカエサルなら中国史ばりにみんな知ってる。
インド史とかは盛り上がらないけど
768 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:40
キリストは生きている間はそんなにすごくないだろ。
裏切られているし迫害も受けている、魅力100はちゃんやないかな
テンプレの定義によると
>>768 納得
キリストや釈迦は、教祖様より
教祖様を神格化した弟子が凄いと思う
>>768 キリストの記述は聖書の福音書に頼るしかないけど、
記述を全て鵜呑みにすれば100も十分ありえますね。
もちろんどれだけ信用できるのかという問題はありますが。
趙匡義の数値化希望。
個人的には、李靖よりも李勣の方を推したいな
772 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/14 01:52
現在、ネタはあるのですが、時間が無くて数値化できません。
中世ヨーロッパ史上最大の名将の一人で、
軍歌を歌っただけで圧倒的な敵の大軍を潰走させるという冗談みたいな勝ち方をしたぐらい、恐れられていました。
しかし、勝てば勝つほどに理想から遠ざかり、最後は本意ではない戦いの中で命を落としました。
楽しみにお待ちください。
774 :
世界@名無史さん:03/06/14 01:59
残念ながらごうだたけしは日本人だから違うんじゃないかな。
相手の空中戦艦を一人で叩き落した武の人ではあるのだけどね。
あいつら神出鬼没だろ
二人で一人、ヤン=ソビエスキとマリシェンカことマリア・カジェミェラのコンビはどうでしょう?
777 :
世界@名無史さん:03/06/14 02:14
不思議なのだがキボンヌ厨は自分で何故数値化しない?
キボンヌするということは多少なりともその人物のことは知っているだろ
叩き台にならなければ。とにかく数値化数値化また数値化だ
ジャンヌダルクは微妙だね。
彼女がオルレアン解放の戦線に加わる前に
イギリス側の知将ソールズベリ伯トマスオブモンタギュが大砲のまぐれ当りで戦死してるし。
デュ・ゲクラン(1320-1380)
百年戦争前期のフランスの名将。
【統率】87(国内の叛乱鎮圧やイギリスに占領されていた領地の殆どを奪還する)
【武力】83(何度か捕虜になり常勝将軍ではなかったが、徹底したゲリラ戦法でイギリス軍を苦しめた)
【知力】89(騎士道精神とは異なる戦術で、劣勢だったフランス軍を互角の形成に持ち込んだ)
【政治】55(政治に携わってないが、王立常備軍の編成に貢献)
【魅力】88(容姿は悪いが義侠心に富んで、敵味方に慕われていた)
ブルターニュの下級貴族出身。
シャルル5世(賢明王)に重用され、カスティラ王国の内紛でエンリケの王位就任に貢献。
1370年に王と同等の立場である王軍長に就任し、大規模な会戦を避けゲリラ戦で敵軍を翻弄する。
1375年までに国内のイギリスの拠点の殆どを陥落させる。
1380年に攻城戦のさなかに病死。
ゲクランの死を知って、敵の城将が降伏に応じるところが泣けます(⊃д`)
この人とシャルル5世が長生きしてれば百年戦争はもっと早く終わってたのかも。
http://www.toride.com/~canossa/pic/unknown/unknow34.jpg
王と王妃以外は王子達も葬られる事のないフランス王家の墓所に葬られたんだよね。
フランスに愛された男、ベルトラン・デュ・ゲクラン。かっこえー。
たまには気楽な人を。
------------------------
ジョアシャン・ミュラ・ジョルディ(1767-1815)
フランスの陸軍元帥、ナポリ王
フランス、ロート出身。旅篭の末っ子として生まれる。
幼い頃から騎手として優れた才能を見せたが信心深い両親によって聖職者への道を歩かされる。聖歌隊に入れられたり(その美貌と美声による)、神学校に入れられたりしたがものにならなかった。
20歳の時女性を賭けた決闘で人を殺し、神学校を脱走。路頭に迷いかけたがたまたま付近を通りかかった騎兵連隊に飛び入り参加が認められ(その美貌と長身と馬術による)、2年で軍曹に昇進する。
その後一時帰郷して雑貨屋をしたりしていたが、革命が始まると地域の代表としてパリへ赴き、その後軍隊に復帰。
革命初期の将校は兵士の投票で決められていたが、その美貌と堂々とした体格、剣術と馬術の腕と明るい性格で人気のあったミュラはすぐに将校となり、様々な事件に巻き込まれながら昇進していく。
1795年、ナポレオンと運命的な出会いを果たす。暴徒に奪われかけていた大砲を奪回する決死隊を募るボナパルトの声に真っ先に応じ、鮮やかな活躍で任務を全うしたのである。
これでナポレオンは一躍優れた若手指揮官として認められ、ミュラも出世の糸口を掴んだ。その後ボナパルトの配下となったミュラはすぐに優秀な騎兵指揮官として目立つ存在となり、エジプト遠征ではマムルーク騎兵相手に決定的な大活躍を見せる。
ついに将軍に昇進した彼はブリュメール18日のクーデターでも活躍、ボナパルトの妹カロリーヌと結婚。
この美しく聡明で傑出した策謀家だった妻を得た事でミュラの栄達は保証されたようなもので、1804年には元帥に昇進。
しかしこのころから軍人としてのミュラの限界も露呈し始めた。ウルムでの2度のミスは彼に大軍を扱う技量が無い事を示したものだった。
しかしアウステルリッツ会戦では決定的な騎兵突撃で勝利を決定づける活躍を見せた。戦術家としては優れているのである。
そしてついにナポリの王位を与えられた彼だったが、これが間違いの元で、皇帝の家臣ではなく同盟者になったと思いあがったミュラは以後度々ナポレオンと衝突するようになる。
ロシア遠征では寒さでひどく苦労した(馬が死んでしまうので騎兵はまともに働けない)、戦術的には活躍。しかし撤退時、総指揮をナポレオンに委託されながら勝手に放り出してナポリに帰ってしまう。
その後彼は自分の王国を守るためフランスと対仏同盟軍に二股を掛けるがそんな話が通じる訳も無く、ナポレオンの退位で王の地位は危うくなる。
ミュラはミュラなりに外交を行なうがうまくいかず、絶望しかけたところでナポレオンがエルバを脱出する。
ナポレオンはミュラのナポリ王国を利用できる味方と考えていたらしいが、これを好機と勘違いしたミュラは勝手にオーストリアと戦端を開き、挙句大敗してしまう。
ワーテルローの後、指名手配されたミュラは僅か250名の手勢を率いてナポリ奪還の兵を挙げ、当然のように失敗。
逮捕され、予定されていた死刑宣告を受けて銃殺された。
自慢の美貌を損なう事だけは嫌だったらしいこの稀代の伊達男は、「頭を狙うな、心臓をまっすぐ撃て!」と銃殺隊に向け叫んだと言うが、頭にも3発が命中してしまったという。
能力値
【統率】35(大軍を指揮するのは不得手で、組織者としても失格としか言えない)
【武力】85(騎兵を扱わせれば天下無双。個人的武勇も傑出しており、超人的な騎手にしてサーベルの名手だった)
【知力】20(当時としては教養はあった方だが、とにかく軽率で自分勝手で思慮が足りない人物)
【政治】10(絶望的なまでの政治的無能)
【魅力】80(美貌と勇気と快活さで敵味方問わず人気がある「戦場の華」だった)
華麗で鮮烈な勇者であり、人間離れした勇敢さと弾丸さえ避けて通る強運を兼ね備え、陣頭にあって最も光り輝く戦場の華。
しかし移り気で軽率で短気で頑固で、戦場以外ではものの役に立たない男。ミュラはそういう人でした。
天性の美貌と優雅さを持ち、それが自分でわかっているナルシストでもありました。戦場では自分がデザインした特注の軍服をまとい、いついかなる場面でも女性への配慮を忘れず、その賛嘆の視線を何より喜ぶ女たらしでもありました。
そんな彼がかくも悲惨な最後を遂げたのは全く自業自得ですが、考えてみればそんな地位につけられた事こそ彼の不幸であり、半分はナポレオンのせいなのかもしれません。
栄達しなくても、一騎兵指揮官として勇敢で華麗な伝説的勇者という名を残した方が幸せだったのではないでしょうか。
「彼は戦場のパラディンで、私の知る限り世界最高の騎兵指揮官だった。
あれほど勇敢な男がどうしてこうも信用の置けない男になりえるのか理解できない。 彼は敵と対峙したときはおそらく世界でもっとも勇敢な男だろうが、 もし会議の席にでも置くものなら、彼は判断力も意志もない腑抜けに成り下がってしまう」(ナポレオン)
「可哀相なミュラ、何という哀れな最後か!汝の白い羽飾りは、ヘンリー4世がそうだったように、戦場における味方の目印だったというのに!」 (バイロン)
785 :
世界@名無史さん:03/06/14 12:00
能力からいくとミュラ=ロンメル、ダヴー=マンシュタイン、かな?
>786
ミュラ=ロンメルと言うのは当たらないと思います。
むしろ、何故か元帥になってしまった下級指揮官みたいなものでしょう。スコルツェニーとかヴィットマンが元帥にされてしまった、みたいな。
788 :
世界@名無史さん:03/06/14 13:27
789 :
世界@名無史さん:03/06/14 14:27
経歴って関係ないだろ?能力と
790 :
世界@名無史さん:03/06/14 17:58
>>787 んむ。むしろ、ロンメル=ネイと思われ。
791 :
ギボンの偽者:03/06/14 19:58
少し前に鄭和(宦官)の話がありましたので変わった所をひとつ
ナルセス(?−573年)
東ローマ帝国の将軍 イタリア公
本来はユスティニアヌス帝の宦官。ベリサリウス将軍更迭の後を受け東ゴート王国から
イタリアを奪回する戦いの指揮を執る。東ゴート族からは「天敵」とされ、ローマの奪
回を達成し、ユスティニアヌスの再征服事業に大きく貢献する。イタリア再征服後イタ
リア公に任じられる。ユスティニアヌスの死後更迭されナポリで死去。
統率 85 この頃の東ローマ軍は重装騎兵を主力として非常に強力でしたが、対東
ゴート・フランク族に対し勝利を重ねており優秀な将軍であったといえ
るでしょう
武力 45 個人としては極めて低いでしょうが将軍であるからにはこれぐらい必要
ではないでしょうか?
知力 60 彼の戦略は奇抜なものは無く。ただじっくりとローマ・ラヴェンナを目
ざすのみだったのですがオマケ的にこれぐらいつけてみました。
政治 70 もともと彼は財務官でありユスティニアヌスの重税策に一枚噛んでいま
すので金を集めることにかけても優れたものがあると思います。ただし
この頃のローマ市の困窮さをみるに大局的には???ですが。
魅力 55 宦官であり。後継者にあっさりと更迭されてしまうので個人的魅力には
乏しい人物といえるでしょう。
この時代は皇帝やメジャーな人物以外は非常に難しいですね。ユスティニアヌス帝やベ
リサリウス将軍はもっと簡単に数値化できると思うのですが・・・
この前リクエストのありましたユリアヌスは次回挑戦させていただきます
トロツキーをやって欲しいです
この人軍隊を率いたこともあるし
本も結構書いてる、
結構万能型だと思うのですが
一時間かけて書き上げた評伝がスペースキー一発で丸ごと消えやがった・・・。
もうやる気なくなったYO!
>793
イ`。
795 :
世界@名無史さん:03/06/16 00:17
麹義ってどれくらいかな?
統率と武力はかなり高くてもいいと思うんだけど。
>>795 統率70台 武力70台後半 あとは40より下
こんくらいか?
三戦板住人が必死
798 :
世界@名無史さん:03/06/16 14:36
800 :
世界@名無史さん:03/06/16 15:14
麹義って青天行路で
「まだ少しは骨の有るやつが、い・・・・たかっ!?」
とかって、登場して数コマで趙雲に瞬殺されたやつか
727縦読み
804 :
世界@名無史さん:03/06/18 07:53
一日ごとのあげ
>>802 あいつは演義の麹義だな。 正史の麹義は袁紹に殺されてる。
806 :
世界@名無史さん:03/06/19 20:04
ちょっと盛り上がりに欠けるみたいだから、
枠を決めて各項目90代ベスト20みたいなのしない?
807 :
世界@名無史さん:03/06/19 20:20
世界史には当てはまらないかもしれませんが、
司馬遼太郎の峠を読んで河井継之助のことを知ったので
是非やってください。
日本の教科書って中国マンセーな表記ばっかじゃないの?
匈奴とか鮮卑って中国人がつけた卑しい名前だろ?
成り立ちは、な
でも今では漢語として日本語の一部になっているの
それ以外で彼らを表現する言葉もないの
811 :
世界@名無史さん:03/06/21 00:38
アメリカ大陸発見ってまだ書いてんのかな?
812 :
世界@名無史さん:03/06/21 22:15
age
最近静かですね。
河井継之助はなかなか面白そうです。でもまた騙りや代理の方が現れて、
シニカルに批判されても面白くありませんので、数値化すると明言はしませんが。
ちょうど幕末には、いつかやってみたいと思っていた人物もいるので、
この機会にやってみることにします。
吉田松陰(1830〜1859)
松下村塾塾長、兵学師範
【統率】73
松下村塾でのたった二年の教育で、門下生からは実に多くの維新を支えた志士、
優秀な政治家を輩出している。
ただ、人を統率するようなタイプではなく、門下生だけでなく誰に対しても
あくまで対等に、立場の区別なく、自分も含めお互いを教化しあえる接し方を
心がけている。
【武力】59
実はこっちの方が専門。幼い頃から山鹿流兵学を叩き込まれた、生粋の戦術理論家。
実戦部隊を指揮した経験は無いが、外国艦隊と交戦した際に備えて『水陸戦略』を
発表し、旧来の戦術に凝り固まった海防論を繰り返す軍学者を「時代遅れ」だと痛烈
に批判。その上で凄すぎてとても口に出せないような、革新的戦術を述べている。
【知力】82
知識を求めて日本中を巡り歩き、当時としては非常に優れた見識を持っている。
国難を打開する先見性、即決即断の実行力も当代随一。身分にとらわれぬ人材発掘
『草莽崛起』を説き、彼の思想、手懸けた教え子はその後の明治維新の大きな
原動力となる。全教育者の鑑サリバン先生をも凌ぐ、歴史上最も優秀な教育者。
しかし、過激すぎる。
【政治】50
具体的な政策論にも優れた手腕を発揮。『将及私言』『狂夫の言』『対策一道』
『続愚論』等々、数多くの上書を手懸け、先進的で的確な藩政改革、国政改革を
訴え続ける。しかし政治的妥協というものとは一切無縁の人で、彼自身、後世なんと
評されるか自覚していたように、“理想を実現する手段には大いに問題があった”。
【魅力】86
接した相手をことごとく心服させる、それこそ超人的な魅力を備えている。
高杉、久坂といった門下生は元より、投獄された際も周りの人達に学問を教え、
凶悪な囚人どころか獄の番人にまで尊敬され慕われるほど。
宮部鼎蔵や佐久間象山といった傑出した同志も数多く、人を教化する才能は、
他人に対して強い影響を与える人柄あってこそ、ということだろう。
【松蔭の経歴】
1880年8月4日萩藩士、杉百合之助の次男として生まれる。幼名虎之助。
幼くして叔父の吉田大助の養子となり、代々藩の兵学師範を務めていた吉田家の
跡取として僅か6歳から徹底的に兵学を叩き込まれる。将来藩校の明倫館教授と
なるべく、幼くして教育者となることを運命付けられた人生だったのだろう。
9歳で明倫館教授見習となり、11歳で藩主毛利敬親に兵学の講義を披露。
人並み外れた才能を認められる。末恐ろしい少年の存在はたちまち城下に知れ渡り、
僅か19で教授となる。
情報伝達経路の未発達な当時、萩に篭っていては視野が狭くなると考えた松蔭は、
高名な人士や書籍を求めて20歳で長崎や江戸に遊学し、佐久間象山を始め多くの
学者と交流し、大いに見識を広める。その際も調子に乗って、古い名前が高名な
だけの実の伴わない学問や学者を非難するなど、若い癖に権威に影響されず、
柔軟で物事の本質を見抜ける優れた眼識をみせている。
1952年、遊学中に九州で意気投合した宮部鼎蔵らと東北旅行の計画を立てるが、
藩に無断で旅立ったため、士籍剥奪、禄を失うという厳しい処分を受けている。
その時、出発を約束した日時が迫ってもなかなか藩の許可が下りず、松蔭は藩の
規則より約束を守ることを優先し、士籍剥奪をも覚悟で友誼を尽くしたという
のだから、如何に彼が信義を重んじる人物だったかという証明だろう。
(この旅に仇打ちのため一緒にでかける友人の身の上話に涙して、松蔭が助太刀
を申し出たという経緯も彼の義理堅さを表しているが、藩の許可が下りなかった
理由も、仇打ちに巻き込んで、松蔭という有為の人士を危険に晒したくないと
いう判断があったからかもしれない)
国に戻った彼を待っていたのは厳しい処分だったが、松蔭の優秀性を鑑み、
しばらくの遊学を許されるという藩の温情もあり、また江戸に旅立つことになる。
ペリー来航の半年前、24歳のことだった。この時から『松蔭』という号を用い始め、
名前も寅次郎と改名している。
この時浦賀で黒船に接したことは、さすがに彼にとって強い刺激だったらしく、
ペリーが帰国した後外国の文明に接してみたいと考え、象山にもけしかけられ
即実行。長崎のロシア艦乗船を試みるも入れ違いでこれを果たせず、
1954年再度来航したペリーの黒船に果敢に挑み、あえなく拒絶されてしまう。
この時密航に失敗した原因は、松蔭によると、乗り付けた小船の櫓杭が無く、
変りに衣服で櫂を固定し、黒船に乗り込んだ時には裸同然の恥ずかしい格好だった
からだそうである。悪い事に失敗は重なるもので、船に刀を残してしまった結果、
密航計画は露見してしまい、萩の野山獄に投獄されてしまう。
松蔭は「春秋左氏伝に出てくる戦争の敗因に、そえ馬が木に引っかかり進撃が遅
れた為だという故事がある。どんな大事も些細な原因で失敗することもあるのだ」
とか、他にも色々面白いことを言って誤魔化しているが、
つまらない失敗をもっともらしく正当化してしまうところにも、
何か人に愛されるコツが垣間見えているのかもしれない。
野山獄では囚人達に学問を教え、女囚とのストイックなラブロマンスをはじめ、
尊皇攘夷を唱える高名な右翼和尚との文通による論争など、様々な逸話を残している。
1857年、出獄を許され、叔父の主宰する松下村塾の塾長となる。
ここでの二年の教育で、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋、伊藤博文、井上馨等々
輩出した偉人は実に多く、驚くべき教育効果を発揮している。
翌年幕府が朝廷に無断で日米修好通商条約を結ぶと怒り狂い、高杉ら門弟が止める
のも聞かず、逆に叱りつけて強引に老中暗殺計画を立案。いきなりばれてまたお縄
となり、折からの安政の大獄で江戸に送られてしまう。
白州では、証拠不十分や松蔭の優秀さが考慮されて、ろくな尋問も無く、あっさり
無罪放免が下りそうな雰囲気。松蔭はよほど何か喋りたくて仕方なかったのか、
突然「我に死罪二つあり」と、ぺらぺらと反攻計画を得意げに語りだし、それが致命
的な証拠となってしまう。正直にも程があるが、それが松蔭という人物なのだろう。
1859年10月27日、斬首となる。
最後に、獄中で高杉に当てた手紙の一節を引用して経歴を終えることとします。
「今この獄中にあって、死の一字につき発見したことがあるので、いつかの君の質問に
答えておく。死は恐れるものではなく、憎むべきものでもない。生きて大業を為す
見込みがあれば、いつまでも生きたらよい。死して不屈の見込みがあるのなら、
いつどこで死んでもよい。ようするに死を度外視して、なすべきをなすが大事だ。」
享年若干29歳、死後も彼の思想は受け継がれ、維新を支える原動力となった。
追記、
松蔭の思想を語り尽くすのは難しいが、少なくともただの矯激な攘夷論者ではない。
「彼の長技をもって彼の技を防ぐ。これ古より以夷攻夷の上策なり」と、常に西洋の
文明を取り入れることの大切さを唱え、日米修好通商条約に激怒した件も、外交上一方的
に譲歩すれば、国威が軽んじられるという危機感があったからに違いないだろう。
私事どうでもいいことですが、以前松蔭について書かれた本を古書店で購入した際、
筆者のサイン(持ち主の名前付き)が書いてあるのを発見し、なんだか得した気分に
なった反面、何故このようなものが売られているのかと、
複雑な心境になったことがあります。
>>蘭太郎さん
久しぶりの評価ですね。
お疲れ様です。
吉田松蔭、ちょっと高い気もしますが結構納得の数値ですね。
幕末だと有名どころは結構評価されてますが、
木戸孝允なんかはどうでしょう。
久坂とか当時の評判は高くても、世界史的に
何を残したわけでもない人物との比較とか見てみたいです。
語りとかやっぱりいたんですね。
最近の停滞っぷりはさびしいので
他のコテハンさんたちも気を取り直して
もう一度盛り上げてくれるとうれしいのですが。
>>819 久坂の評価は難しいですね。
学問は松下村塾一、行動力も指導力も傑出した有能な人物ですが、なにしろ
具体的な行動が、歴史的には英国公使館焼き討ちと禁門の変で御所に突っ込んだ
テロリズム以外には、藩論を纏めることに尽力したくらいですから。
僕はその人が何をしたか、というような表象的な功績より、
どんな人なのか、という人物の本質的な部分に重きを置きたいと思ってますが、
それでも久坂を評価するには、ちょっと事跡が少なすぎる気がします。
やっぱり24で死んだというのは、余りに早すぎますね。幕末の動乱の中では、
松蔭や久坂のように若くして命を散らした有為の人が多いのですが、
彼らが生きていれば、後の日本に多大な貢献をしたと信じれるだけに惜しまれます。
もちろん命を捨てる事で残した意義も、大きいものがあるのですが。
木戸と久坂の比較では、
やはり木戸の評価の方がずいぶん高くなるのは仕方ないでしょう。
木戸は時折感情を表に出してしまう欠点はありますが、それでも長州藩をして
倒幕に導いた功績は薩摩の西郷に次ぐものがありますし、
得意技の政治的な裏工作を始め、先見性や戦略眼もかなり優秀です。
そして革命家としてだけでなく、藩籍奉還、廃藩置県といった歴史的な偉業にも
大きく貢献するなど、新政府の政治家としてもかなりの功績を残してますから。
見たらすぐ解ると思いますが、西暦に入力ミスがありましたので訂正します。
>>815 2行目の1880→1830 16行目の1952→1852
>>816 9行目の1954→1854
よく読み返しもせず書き込んでしまう性分で申し訳ありません。以後気をつけます。
騙りが嫌ならキャップを使えばいいと思うんですが……
それはともかく、
ネタ振り用ちと考えてみた、日本幕末における各分野のトップと世界史的評点。
【統率】西郷吉之助-84
(85オーバー見当たらず。以下80近辺に大久保・勝、70後半に河井・板垣・近藤勇程度?)
【武力】大村益次郎-89
(90が適切かどうかは微妙だが、いずれにせよ当時における最強の将帥)
【知力】勝海舟-86
(他、島津斉彬・江藤新平あたりが候補か。アーネスト・サトウを持って
きたい気もする)
【政治】大久保利通-93
(徳川家康と並び、日本史におけるトップ)
【魅力】西郷吉之助-96
(日本史における唯一の魅力95オーバー。彼の魅力こそが鹿児島県vs日本
中央政府の2度の戦いを可能にした、ということで)
つっこみ・別時代(戦国期など)バージョンとかあったらキボンヌ。
823 :
世界@名無史さん:03/06/22 19:47
いいな
>>822 幕末各分野トップ、ツボが似てるのか、ほとんど同意見です。
西郷隆盛は、実は既に数値化してあるのですが、
【魅力】は88で、【統率】は79ですね。
西郷は人気を大久保に利用されるほど信頼を一身に集めた人物で、
上は明治天皇から下は民衆にまで好かれ、私学生なんかにはそれこそ教祖様並に
崇め奉られているので、僕としても魅力は幕末一とかなり評価しています。
ただ、幕末には優秀な人物が一杯いて、あまり高評価にすると
バランス上幕末の一時代で能力90代〜80代の人物がゴロゴロいる、
という事態にもなりかねません。この偉大な革命を成功させたのは、
一部の傑出したリーダーに引っ張られてではなく、多くの草莽の志士が
それぞれ自分の役割を果たした結果だという意味付けで、一人の評価を
最高レベルまでは付け難いと判断しました。
それに、西南戦争で同調者がほとんど出なかったというのも寂しいですしね。
後、【統率】も薩摩や討幕派の癖のある連中を見事に纏め上げ、政治家としても
大久保や木戸が外国旅行に行ってる間の新政府を統治、様々な改革を実行して
ほとんど大きな問題が出ない、とても優秀な手腕を発揮しています。
でも西郷の統率は、組織をビシッと纏め上げるというより、人望で人を引き付ける
という特性に拠るものが大きいと考えます。ですので魅力との分割評価で、
ほんのちょっぴり数値を下げました。
ビシッと一糸乱れず纏め上げるタイプの統治者なら、あれだけ尊敬を集めている
私学生達の暴走に、「しもたっ!」なんて言うわけがない気がします。
ただ西郷は【知力】も80で、その他の能力も全て70を超える、
総合面では随分高く買っている人物です
>>822 値付けが適当すぎて
ネタ振りどころか結論になってしまいそうな予感ー。
各分野トップ、ほとんど異論はありませんが、
個人的な見解では【統率】分野、井伊直弼にググッと肩入れしたいですね。
この独裁大老のやりたい放題は伊達じゃないです。一橋派を一方的に排斥して、
朝廷を蔑ろに日米修好通商条約を結び、権力を一身に集め、尊攘派を徹底的に弾圧。
安政の大獄以降、それまでの尊攘運動の高まりがピタッと止まる凄さです。
この男が桜田門外で殺されなければ、恐らくその後の倒幕運動など、出る幕も
なかったでしょう。その「桜田門外の変」が減点要素だという意見もありましょうが、
あれはどっちかというと、イレギュラーの極右人士が活躍したという感じで、
井伊の統率を大幅減点してしまうのは勿体無い気がします。
彼の【統率】だけは、少なくとも80後半はあげたい。
吉田松蔭を低く評価するわけじゃないですけど、彼を歴史上最も優秀な教育者と言ってしまうと
広瀬淡窓や緒方洪庵はいったいどういう扱いにすれば良いのでしょうか?
他の分野は、斉彬公をもうちょっと高めに買いたい以外は、同意見です。
【武力】の大村益次郎、幕末の武力トップは彼に間違いないでしょう。
長州征伐での防衛戦や、彰義隊討伐に見せた戦術的才能は当代屈指のものです。
大村は参謀としての軍事戦略も優れ、兵部大輪として陸軍や海軍を近代化させるなど、
組織の統率者としても稀有の手腕を発揮してます。【知力】や【統率】にも分割
して評価するという意味で、武力80後半はかなり妥当だと思いますね。
大村に遅れて続く【武力】高得点者は、次点に河井継之助、高杉晋作。その他では、
個人的には土方歳三なんて、結構いい気がします。戦略家として優秀な小栗は、
実戦部隊での戦歴が僅かなのと、フランス士官の入れ知恵あってこその作戦なので、
知力ならともかく、残念ながら武力は枠の外でしょうか。
後、知力トップ候補に江藤というのは、彼は国家戦略は確かに優秀です。
でもその優秀さは遷都や制度改革、具体的政策での功績ですので、
むしろ、高い政治力として評価したいですね。
戦略家としては、制韓党蜂起の顛末などを見る限り、如何なものでしょうか。
829 :
日本@名無史さん:03/06/22 23:12
鉄腕アトム
力1000000馬力
830 :
世界@名無史さん:03/06/22 23:39
>>828 武力高得点者は、官軍なら大村益次郎・板垣退助、幕府側なら長岡藩の
河合継之助・会津藩の佐川官兵衛・桑名藩の立見尚文あたりが妥当な
ところではないかと思います。
高杉晋作は野戦軍指揮官というよりも、軍政向きという感じがします。
831 :
世界@名無史さん:03/06/22 23:51
このスレはアンチ三国志が結構多いような気がする、
三戦板と一線を画そうとする態度はいいな
コーエー的にはお家断絶となっ項劉記、ランペ、チンギスを応援しているようでイイ!
>>826 「歴史上最も優秀」というフレーズは、
確かに普遍的な位置付けというより、個人的な感覚という色が濃いですね。
広瀬淡窓や緒方洪庵はとても優秀な教育者です。教え子から維新を支えた
有能な人物も多くでています。そういう切り口では、松蔭と比べてもけし
て劣るとは言えないでしょう。他にも幕末では高島秋帆や佐久間象山など、
教え子は随分優秀です。ただ、みんな長生きなんですね。長い間多くの門弟
を教え続け、名を上げ、全国から優秀な人材が集まってくる。
河合塾のような、有名私塾の有能な講師という感じです。
(余談ですが、広瀬の『咸宜園』など、実際凄まじい競争の偏差値教育です)
個人の教化+優秀な人材が集まったという意味で、教師としての優秀さもさる
ことながら、恵まれた環境にいたという側面もあるわけです。
でも松蔭は、杉家という名前はあるものの、若干20代の若造。地方のしがない
一私塾の塾長です。萩では明倫館の方が遥かに有名です。明倫館教育に反感を
抱いた人物は集まってくるものの、入塾者の学力には大きな開きがあり、
おまけに松蔭は優秀とは言われていても、国事犯扱い。入塾を許さない家庭も
多かったのです。そこまで恵まれた環境にあったとは言えないでしょう。
高杉も久坂も、最初は松蔭を慕って入門したわけではなく、実際に接して初めて
心服し、感化されていったわけですね。
松下村塾は熟成名簿がありませんが、塾にちゃんと度々通っていたとされる人物は、
僅か三十数人にすぎません。非常に少ない。さらにその半数は、身分の低い人達で、
生徒周辺の環境という面でも、恵まれてはいません。
そして、松蔭が教えることができたのは、一年余りという非常に短い期間です。
にも拘らず、教え子からどれだけ優秀な志士や政治家が出たかというのは、
改めて列挙する必要もないでしょう。教育者として信じられないほどの成功です。
「歴史上最も優秀」というのはあくまで主観でも、実際にこれは、歴史上例を
見ない偉業といっても、あながち過言とは言えないのではありませんか。
こっから先は教育と言う物を個人がどう考えるかによるから議論しても意味が無い気はするね。
>832
松蔭は今風の教育を授けたという人物ではないような気がする。
上手く言葉に出来ないのだが、生き様とか人生の指針みたいなものを見せたというか。
風雲の時代に現れた誠意ある煽りって感じ。
835 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/23 01:59
>>822 私の基準なら、統率は大久保利通。
武力は大村益次郎。次点で河合継之助。
知力は大久保利通。
政治は岩倉具視。時点で木戸孝允・大久保利通
魅力は西郷隆盛でしょうか。
はっきり言って、大久保利通が優秀すぎですね。
ただ、大久保利通以外で宰相の器があった小松帯刀と広沢真臣が早死にしてしまったので、
大久保利通の独裁も止むを得なかったと思います。
理想家過ぎる江藤新平がトップに立つのは危険ですし
精神的な持続力の無い木戸孝允がトップに立つのも危険だったでしょう。
日本版タレーランとも言うべき岩倉具視は、そもそもトップに立つ人物ではありません。
随分と俗な選択になってしまいましたが、
この時代で彼ら以上に力量のある人物を見付けるのは難しいです。
バランスの悪い人材がかなり多い時代なもので。
836 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/23 02:22
>>828 フランス軍事顧問団で、五稜郭まで戦ったブリュネ大尉は、
帰国後に普仏戦争に参加した後、第三共和政下で中将まで栄達してますね。
日露戦争時も、誰もがロシアが勝つと思っていたのに、一人だけ「日本が勝つ」と主張してました。
よろしかったら、この方の数値化をお願いします。
私は、ブリュネと同時代を生きたジョルジュ・ブーランジェ将軍を、いつか数値化したいと思っていますので。
>>830 立見尚文は、むしろ明治時代の将帥ではないでしょうか?
彼は幕末では小部隊の指揮官に過ぎず、一軍を率いるようになったのは、
明治時代になってからです。
>>831 三国志は大好きですが、語りだすと熱が入りすぎて電波が入るので、自粛しています。
それに、三国時代の人物より魅力的で、知られていない人物は大勢居ます。
>>833 ここは、教育論のスレではありませんからね。
歴史には、狭い地域の中で傑出した軍人や政治家が集中して出現する現象が、
ごくたまに起きますが、松下村塾もその一例なのでしょう。
837 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/23 04:51
ええと、例によって資料がなかなか集まらないのですが、
一応次回予告だけはしておきます。
ベルセルク風に言うと、グリフィス並みに強いです。
>>830 高杉晋作は実戦指揮官としてもかなり優秀だと思いますね。
僅かの兵で赤間が関を速攻で制圧して挙兵、快進撃を重ねて藩の反対勢力を徹底的
に潰したり、四境戦争では九州方面を担当して、手勢一千で陸に海にと二万の制長軍
を破り続け、本拠の小倉城を陥落させるという戦果は、石見・芸州口を担当した
大村益次郎に劣るものではありません。文字通り八面六臂の大活躍です。
この戦いを目撃した早川養敬は高杉を、「俊英奇抜。兵を率いること軽快にして
源九郎義経の風あり」とまで絶賛してます。
勿論、薩摩を始め有力な藩が兵を送るのを見合わせ、幕軍の士気は低く、他の方面で
も負けてますが、それを差し引いても高杉の用兵もかなり評価できると思います。
でも軍政家として優秀というのにも賛成しますね。軍艦を独断で購入したり、高杉の
強さも奇兵隊始め、諸隊の編成・育成に才能を発揮した結果でしょう。でもそれも
アレクサンドロス、フリードリヒ大王、グーデリアンのように、自分で強化した部隊を
指揮して戦果をあげるというのも、かなりの部分武力の範疇ではないでしょうか。
また外交面でも功績ありますね。もっとも、四国艦隊との和議に活躍したというのは、
アーネスト・サトウの手記を見れば、かなり高杉と伊藤の粉飾が入ってるようですが。
それと青さんも述べておられますが、立見尚文を幕末の武力トップ候補に挙げるなら、
無敵のゲリラ部隊『烏組』を率いて30余戦に悉く勝利し、新政府軍に恐れられた
細谷十太郎なんかもかなり上位に食い込んできますね。やはり、小部隊で局地的に
大戦果を上げた人物を一時代の代表とするのは、少し方向が違う気がします。
後、板垣は兎も角として、佐川官兵衛なんか僕もかなり好きです。正に鬼です。
生まれた時代が違えば、さぞかし名の有る武将になったことでしょう。
でも古い装備の部隊で最新装備の敵に善戦した、というのは確かに凄いですが、
やっぱり新式武装の新政府軍には敵わず、軍制が目覚しく転換していた時代の
代表とするには、ちょっと時代遅れの猛将、やっぱり、少し方向が違う気がします。
>>836 新政府の政治家としても功績を上げた人物が上位を占めるというのは、
やっぱり歴史的な改革の成功を評価されてるんですね。
ただ、大久保の統率は西郷に勝るでしょうか。大久保は維新の最中自分では志士
達を抑えるのが難しいと判断した時や、新政府に対する不満が高まって困った時、
西郷を呼んで助けてもらってます。
でも、やっぱり難しい所かもしれません。僕もちょっと前に西郷の指導力は魅力に
拠るものが強い、と言ったばかりですし、西郷の人望を利用して組織を纏めたとい
うのも、それは仰る通り、確かに上手く統率したと言えるかもしれません。
>>836 ブリュネは本国の意向に逆らってまで旧幕府軍に協力し、外国人でありながら
蝦夷共和国にとってかなりの功労者、僕もかなり興味深い人物ですね。
普仏戦争での働きなど、まだよく知ってはいませんが、できればその辺の
ところも調べて、勉強してみたいと思います。
確かにここは教育論のスレではありませんね。ご指摘の通りですので、
教育者としての松蔭の説明は、
>>832をもって終わりにすることにします。
>>835 グリフィス並って凄そうです。楽しみにしているので、頑張ってください。
842 :
世界@名無史さん:03/06/23 11:02
全然「世界史的人物」じゃないのでやるかどうか迷ってたんですが、
上の方でちらっと名前が出てきたので、行きます。
土方歳三 1835-1869
【統率】78 (烏合の衆である新撰組をよく統率した。伊東派の離脱などで減点)
【武力】81 (剣客として一流。京都では新撰組の剣による戦法を指導したが、
函館時代には洋式軍隊も指揮し、戦果を挙げている。柔軟性を評価)
【知力】74 (必要に応じて新しいものを採用するだけの知性はあった。
教養もそこそこで俳句を詠み、函館時代には商家からの取り立てを「後世に
悪名を残す」という理由で止めさせている)
【政治】37 (本質的には一介の軍人に過ぎない)
【魅力】65 (本来統率によって組織をまとめる人物だが、晩年、人格的
魅力も出てきたので加点)
ちとインフレぎみかとも思ったんですが、こんなもので。
武力に関して言うとすれば、長州・薩摩には藩独自で洋式軍隊の基礎が
あったのに対し、新撰組は大砲も一個でほとんど剣客のみという組織
(もともと治安維持組織だし)で、そこから一年後の函館で洋式軍隊を
指揮して戦果を挙げるというのは凄いと。
ちなみに近藤勇は統率と魅力がほぼ逆転(魅力に関しては西郷が90超える
んなら81くらい)、武力と知性がそれぞれ75と69くらいかと。
伝記は来年の大河ドラマで(藁)。
>>842 >伝記は来年の大河ドラマで(藁)。
ははは(乾いた笑い)
844 :
世界@名無史さん:03/06/23 14:43
ベルセルクオタかよ!!一気に厨房スレになってしまった
グリフィス元少将ってまだ生きてるんだが
……と寒いボケをかましてみるテスト。
846 :
世界@名無史さん:03/06/23 19:18
俺の愛車はグリフィスなのだが
……と寒いボケをかましてみるテスト。
俺の彼女はメラニー・グリフィスなのだが
……と悲しい嘘をかましてみるテスト。
予想外に反応があってうれしいです……
【統率】
井伊直弼、なるほど盲点でした。85くらいが適切でしょうか。
徳川体制の維持以外に、何の理念も理想も目標もない人物ですが、統率は見事です。
西郷については、下野以前が83くらい、下野以降が60くらい(統率の放棄)で、
トータルで見れば79ということでどんなでしょう。
井伊の死後、幕府側にも倒幕側にも85以上の統率能力の持ち主を欠いたことが、
明治維新を他の革命と比べてなんとなく「しまり」を欠いた印象にさせる一因な
ような気がします。
統率:土方>近藤、魅力:近藤>土方には同意します。70後半の欄を読み代え
て下さい。
【武力】
に関しては、皆さんの意見にほぼ同意します。
【知力】
島津斉彬は難しい人物だと思います。「幕末最大の英雄、西郷も大久保もその影
にすぎない」という見方も、「単なるDQN」という見方も可能そうです。自分の中
では現状、「失敗する前に死ねた煬帝」というイメージです。
江藤新平については、
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
というテンプレートから、知力のほうで能力を、政治のほうで欠点を評価
するべきだ、と判断しました。
【政治】
で岩倉具視を大久保の上に置くのはやや違和感を覚えます。
というより、永遠の青氏のこの評価一覧だと
「【政治】など名前が共通するだけの、永遠の青氏独自の別の基準」
の評価のような印象を受けます。
(いや、コテハン・名無し含めて永遠の青氏の評価が一番すきなんですが)
>>849 過去スレやログ読めば分かるけど、青は全部「自分ルール」でやってるから。
青の基準では仲良しクラブのリーダーだと政治の評価高いからね。
>>849 青氏の場合実務能力は統率で
政治闘争でのしぶとさは政治力っぽいから
彼評価で岩倉が政治高くなるのは納得もするかな。
まあ、それでも発案・実行と大久保を越えてはいないと思うが。
どの字氏の伊藤評も政治は高かったっけな。
自分は日本人で一番出すなら大久保だと思うが。
次点で家康と伊藤だろうか。
【知力】と【政治】をどこで切り分けるか、というのはまだ自分のなかで
よく理解できてない部分が多いので、蘭太郎氏や永遠の青氏の評価に変わる
可能性がありますが、現状としてはそんな風に考えてます、ということで。
【魅力】
日本史において、「魅力」という能力に一番適合するのは西郷であると思うん
ですよね。それをバランス云々で減らすのはもったいないかと。
正直、昭和天皇と同じ(永遠の青氏評価)、直接接した人にしか影響を及ぼ
さなかった松蔭から+2のみ、というのはどうも納得がいきません。
魅力:90(後世の評価+5)あたりではどうでしょう。
あと、
> 幕末の一時代で能力90代〜80代の人物がゴロゴロいる、
ということですが、それを言ったら日清・日露戦争時代は物凄いことに
なってるんですが……
何日かおいて、日清・日露戦争時代の同評価を出してみたいと思います。
>>851 大久保と家康、どちらを上に置くかは微妙なので、私は「同値」と逃げを
打ってみました。大久保は「やりのこし」を多大に残していったので評点を
下げ、それで家康と同じ値に落ち着く、というイメージです。
854 :
世界@名無史さん:03/06/23 22:28
幕末から明治末期にかけて、極東の未開国が欧米列強に食い込むほどの
成長をみせたのだから、能力値80代を輩出するくらいはむしろ当たり前と思います。
ところで個人的には明治時代最強の武力を持つ男は日露戦争で第一軍を率いた
黒木大将だとおもう。この人は明治の陸軍の将帥で唯一武力90を超える人なのでは
ないかと思っていますが。
>>841 いやいや油断してはなりませんぞ。青氏のグリフィス評価がそれほど高くないとも
考えられますので(w
>>844 過剰反応しすぎ。
>>822 斉彬公は失敗する前に死ねた煬帝ですか。かなり手厳しいですね。
経歴から性格その他、余り似ているとは言えない二人ですが、
恐らく井伊の強権政治に対抗して、斉彬自身が兵を率いて上洛する計画を
立てた件を仰っているのでしょうか。
確かに、一見長州藩の禁門の変と同じ愚を犯しているように見えますね。
もしそうでしたら、少し斉彬についても説明してみたいと思います。
僕の江藤に対する評価は、
江戸遷都を果たし、三権分立、警察制度、民法制定など改革を行った功績は
【知力】の「先見の明」と【政治】の「方策を実現する能力」+「内政」。
諸改革で大久保の政敵として対抗できたのも政治力として評価します。
次に、佐賀で暴発して自滅した敗因は、
【知力】の「正しい理解・判断能力」+「戦略眼」のマイナス要素と考えています。
大久保も「江藤醜態笑止なり」と喜んでいるように、これは減点ですね。
>>852 僕が西郷の【魅力】に90つけなかったのは、彼の人望は斉彬によって多分に
作られた要素があるんですね。斉彬が身分の低い一藩士に過ぎない西郷の才能を鋭く
見抜いて、異例の抜擢をして教育し、育て上げたの事は説明の必要はないでしょう。
斉彬は西郷が将来働きやすいように「薩摩家の貴重な宝はただ一人、西郷吉之助
という人物だ」と事あるごとに吹聴し、藤田東湖始め多くの有能な人士に紹介し、
また西郷を遣わして人脈を作り、名を上げさせることに心を砕いています。
斉彬の尽力で「薩摩に西郷あり」という噂が広まり、後に西郷は人脈や名声を生か
して活躍できる下地になったんですね。
西郷の人望には、それゆえ多少ファンタジーの要素が入り込んでいます。
もちろん、僕も作られた魅力も【魅力】の内だと思ってますが、斉彬の人望、
力添えという恩師の優秀さあってこそ出来た「西郷」と言う意味で、
少し、その辺考慮しました。
後、作られたカリスマという意味では明治天皇なんか凄いでしょうね。
明治初期に突出した統率力のある政治家がいないにも拘らず、欧米人が
「欧米なら100年血を流した」と言うほどの、フランス革命に勝るとも
劣らない改革を次々実行して揺るがなかったのは、天皇制というカリスマ
を国民の上に持ってきたからこそだと思いますね。
僕は明治天皇というのは、かなり高く評価してもいいと思ってます。
魅力は判断基準に拠りますが、仮に90以上を与えたとしても、
そこまで不自然とは思いませんね。
やっぱりここで煬帝を出したのはまずかったですかね(冷汗)。
いや、自分自身の煬帝の評価はかなり高いんですよ。漢武帝に近いくらい。
ただし、
「極めて高い能力を持ちながら、それが周囲の人物に不幸しか及ぼさなかった人物」
であると。
あの時点で死んだために不幸も小さくてすみましたが、生き延びていたと
したら……自他において、破滅型の次々と状況を生み出すことになったので
はないか、という、あくまで私個人におけるイメージ論です。
(ひとつひとつのエピソードではなしに)
それはそうとして、
> 少し斉彬についても説明してみたいと思います。
についてはぜひともよろしくお願いいたします。
江藤に関する評価基準については、了承いたしました。
>>854 同感です。高評価の人物が沢山いてもいいと思いますね。ゴロゴロいては、
困りますが。僕もいままで具体的に数値を示した人物、幕末や明治はみんな
80代という高得点が付いています。
ただカエサル、ナポレオンのように、突出した牽引者がいたわけではないのでと、
その辺の考慮ですね。
>>855 政治は、落第点かもしれません。
>>858 楊帝は漢武帝並の評価をしているというのは、ちょっとビックリしました。
僕が前スレで漢武帝の評価をしたとき、「隋の煬帝とやってることは同じ」
と書いたのをご存知でしたでしょうか。ただ煬帝はある時期から、統率者とし
ての責任を果たすのを止めてしまいましたよね。彼の悪名は前半の功績と失敗
ではなく、後半の淫蕩と怠惰、暴虐に纏わり付いたものでしょう。
それにしても、煬帝や漢武帝、魏武もそうですが、中国の指導者で優れた詩才を
発揮した人物というのは、自己顕示欲の強そうなワンマンタイプが多いですね。
ひょっとしたらゴーストが・・・と、思わず疑ってしまいます。
毛沢東もそうですが、こっちは、どうなんでしょうか。
斉彬はあそこで死んでしまったからこその高評価という気がしないでもないですね。
斉彬がどこまで状況に適応できたかと言うのはちょっと予測しがたいです。
佐幕派の彼では改革は出来ても革命にまでは踏みこめなかったのではという気もしますし。
西郷は彼を先導してくれる人物がいなくなってしまうと
自分自身で目標を作り出す事が出来ないような気がします。
偉大な実行者ではあっても偉大な政治家たりえなかったのではないかと。
そうかもしれませんね。軍団のカリスマであったり、あるいは交渉の大舞台にたったり・・・
下から取り立てられ上から認められてことの彼でした。スーパーバイザーがなければ
確かに彼は困ったでしょう。明治天皇を敬愛しつづけたのもそこのところを知っていた
からかもしれません。
862 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 02:12
>>849 岩倉具視は、政策能力に長じていただけでなく、
さらに大久保死後の政界を、その高い調整能力でまとめあげ、
自由民権論を抑えて、近代天皇制を確立させた人物なので、彼の政治力を最高としました。
リーダーシップで改革を推進する大久保利通に対し、
調整能力で政界をリードした岩倉具視を対比させてみたのです。
>>850 前にも書きましたが、強烈なリーダーシップで改革を行った人物と、
高い政策能力を持つテクノクラートと、
外交・政略を駆使して国家を良い方向に導いた策士を、
みんな政治力という数値だけで評価していいのかどうか、
良く分からないので、例のルールを暫定的に導入したのです。
私は、もともと「ど」の字さんのフォーマットを参考に数値化を行っておりました。
英雄・君主のデータを付けるのには、「ど」の字さんのフォーマットは有効なのですが、
そうでない人物の評価を付けるのには、かなり苦労するのです。
どなたかが、典型的な改革者と、典型的なテクノクラートと、
典型的な策士のデータを示していただければ、参考に出来るのですが。
いろいろ工夫してきましたが、私の能力では、無理なようです。
>>862 強烈なリーダーシップで改革…政治+統率&魅力
高い政策能力を持つテクノクラート…政治
外交・政略を駆使…政治+知力
みたいにすればええやん。
変な数値つけるよりはすっきりするぞ。
864 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 02:38
>>851 単刀直入に言えば、強力なリーダーシップで組織を強化するのが、統率力。
高い調整能力と、交渉能力で組織を運営するのが、政治力です。
しかし、過去に書いた評伝の中では、政策能力を統率と政治のどちらにするのか、
その時の気分で変わってしまっています。
また、謀略の能力を知力で評価することもあれば、
政治力で付けることもあるなど、かなり自分で考えて見ても、
かなり基準がおかしいです。
満足が出来る評価が出来たと思ったのは、
実はマクレランと、朱由検と、裕仁と、蕭何ぐらいです。
後の人物に付いては、自分でもかなり不満が残っています。
866 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 03:33
>>862 前半は、そのように考えていました。
ただ、評伝を書いていくうちに、国内の改革には成功したのに、外交では完全に失敗した梁の武帝蕭衍や、
この上なく官僚として有能だったおかげで、財政を立て直したのに、かえって国を破綻させた漢の御史大夫桑弘羊や、
外交と政略にかけてはあの張儀を軽く手玉に取るほどの力量を持ちながら、
脊髄反射のような戦略しか立てなかった戦国時代の秦の宰相公孫衍のような人物をどう評価すればいいのでしょうか?
867 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 03:35
>>862 失礼しました。書き直します。
前半は、そのように考えていました。
ただ、評伝を書いていくうちに、国内の改革には成功したのに、外交では完全に失敗した梁の武帝蕭衍や、
この上なく官僚として有能だったおかげで、財政を立て直したのに、かえって国を破綻させた漢の御史大夫桑弘羊や、
外交と政略にかけてはあの張儀を軽く手玉に取るほどの力量を持ちながら、
脊髄反射のような戦略しか立てなかった戦国時代の秦の宰相公孫衍のような人物をどう評価すればいいのか、
分からなくなってしまって、混乱したのです。
868 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 03:37
869 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 04:40
>>854 たぶん、日清日露時代の日本は、高い能力を持った人材が多いでしょうね。
能力のバランスの悪い人材が、西南戦争までにほとんどいなくなってしまっているので、
60台から、70台の能力を持った人材が第一線に立っていたと思います。
そして、80台の人材も何人かいたことでしょう。
あの時代は、数少ない天才が築いたのではなく、数多くの有能な人々が力をあわせて築いたのです。
日露戦争の将帥なら、猛将黒木為驍ゥ、智将奥保鞏のどちらかをあげたいですね。
戊辰戦争からの古強者野津道貫も捨てがたいのですが。
>>855 いえいえ、グリフィスはあの世界では、一番戦争が強かったと思いますよ。
つまり、次回扱う人物も、そういう人物です。
グリフィスほどのカリスマも野心もありませんが。
100点満点の英雄より上記のいびつな3人の
評価、見たいっす!!
871 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 04:54
>>857 いくら上に引き立てられ、下から持ち上げられても、
人間的な魅力が無ければ、長い間人気を獲得することは出来ませんよ。
ですから、西郷隆盛の魅力は島津斉彬の引き立てがあったとしても、減点されるものではありません。
この世の中には、上に引き立てられ、下から持ち上げられたのに、
一時的な名声しか得られなかった人物がいくらでもいるのです。
明治天皇睦仁の魅力は90あっても良いと思います。
極東の後進国を、わずか37年で欧米列強に並ぶ地位に押し上げた
大改革の求心力となった人物なのですから。
872 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 05:19
>>858 隋の煬帝楊広の政策が基本的にはすべて正しかったのは、後の唐の政策が証明しています。
しかし、それを時間を掛けずに、いっぺんにやってしまったのが、楊広の失敗の原因でした。
少なくとも漢の武帝劉徹は、国家的大事業をいくつも同時にやるようなマネはしていません。
劉徹の敵にはロクな指導者がいなくて、楊広の敵には、乙支文徳という化け物じみた男がいたことを考えても、
この二人は同列の人物ではないと思います。
>>859 >僕もいままで具体的に数値を示した人物、幕末や明治はみんな
>80代という高得点が付いています。
>ただカエサル、ナポレオンのように、突出した牽引者がいたわけではないのでと、
>その辺の考慮ですね。
私もそう思います。
明治維新は、大勢の70台から80台の能力を持った人材の
成し遂げた仕事の蓄積によるものだと思います。
>彼の悪名は前半の功績と失敗ではなく、
>後半の淫蕩と怠惰、暴虐に纏わり付いたものでしょう。
統一国家の二代目は、どんな政策を打ち出しても必ず抵抗に遭う運命にあります。
第二革命ともいうべき大試練を乗り越えるか、第二革命が起きないように周到な手を打たなければ、
本当の大平を導くことは出来ないのです。
楊広が暴君とされるのは、第二革命を引き起こしてしまったことではなく、
第二革命から逃げ出して、戦乱を引き起こしたからです。
>>867 たった四つの数値で、十人十色の人間を表現するというのは難しいですものね。
僕も前々スレで、竹下登のような調整能力に優れ、政策・外交でてんでダメな
政治家を、対人折衝・政策・外交と一括りに政治力と言えるのか、と疑問を
呈したことがあるのを思い出します。
他にも、WW1でのルーデンドルフのように、軍事戦略にはとても優れた先見性と
戦略眼を発揮していても、その上の国家戦略となるとてんでサッパリな人物を、
おなじ戦略だからと糞味噌に【知力】として評価してしまっては、人物評の意義が
ワヤになってしまわないかと、悩んでいます。
874 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 06:18
>>860 >斉彬はあそこで死んでしまったからこその高評価という気がしないでもないですね。
島津斉彬がもう少し長生きしたら、かえって危ない状況になっていたかもしれません。
外国の脅威に晒されつつある状況で、国内に有能かつ宰相と対立している大諸侯が存在するというのは、
国家にとって、とても危険なことだったからです。
また、島津斉彬が兵を率いて実際に上洛したら、幕府軍との間で内戦が起きていた可能性もあります。
長州藩が京都に攻め込んだのに、取り潰しを免れたのは、
藩の反幕府行動の中心にいたのが、過激派の藩士だからでした。
ですから、討伐軍が来たら、戦犯を切り捨て、恭順姿勢を示せば生き延びられたのです。、
しかし、藩主が自ら反幕府行動を取っていたら、どうなるでしょうか?
総力を尽くして戦うか、藩主が腹を切らなければならなくなります。
幕府は既に洋式の兵器を製造する設備を所有していましたし、
自前で洋式の装備を整えていた諸侯もいました。
近代化が進んでいた薩摩でも、幕府の討伐軍相手には勝ち目が無かったでしょう。
討伐軍と戦うにせよ、降伏するにせよ、島津斉彬の政治生命は終わっていたと思われます。
もし、島津斉彬の行動に賛同する諸侯がいたら、もっと恐ろしい展開になることも考えられます。
1858年の時点では、幕府の基盤は未だ強固でしたから、
幕府軍と、島津斉彬を支持する諸侯の内乱が勃発することもありえます。
戊辰戦争が早期に終結したのは、1867年の時点で国内経済の悪化から、
各地で一揆や打ち壊しが起きているのが、常態となっており、
幕藩体制そのものが崩壊しつつあったからです。
まだ、経済に余力がある1858年に内乱が勃発していたら、
戊辰戦争ほど早く終結することは無かったでしょう。
結果論ですが、島津斉彬はあそこで死ぬべき人間でした。
死ななければ、無残に死ぬか、ムガル帝国に決定的な打撃を与え、
列強にインドに付け入る隙を与えてしまったシヴァージーのような存在になっていたことでしょう。
>>858 斉彬公の上洛と長州の禁門の変について、説明を所望されているようですので、
あまり長くは話しませんが、少し私見を述べさせていただきます。
井伊の朝廷無視、一橋派排斥に対抗して斉彬公が上洛の計画を立てた時期ですが、
この時まだ弾圧政策は始まったばかりで、井伊はまだ反対勢力を黙らせること
ができておらず、勅許問題で朝廷は蔑ろにされ全国の尊王派は憤って奮い立ち、
面子を潰された天皇は抗議の為に退位するとまで口にしていた時期です。
おまけに、さすがに斉彬。朝廷への根回しはかねてから行っていて、
近衛忠熙を橋渡しに朝廷内での裏工作にはかなりのものがあったようです。
ここで上洛すれば尊王派は挙って島津に協力し、朝廷からの勅命も下ること
も十分ありえたと思います。そうすれば、一橋派の諸藩を始め協力者もでて、
幕府に対抗することも可能だったのではないでしょうか。
少なくとも倒幕運動に於いて終始妥当な判断をしていた西郷もそう判断してい
ました。斉彬の計画を聞いた西郷は、京都に赴き情勢をつぶさに観察して、
京の空気が爆発寸前まで高まっているのを見て、今なら可能だから、
すぐ上洛するようにと斉彬に伝えています。
西郷とて豪胆なだけのバカではありません。その後事態が急変して、
1858年7月に斉彬が急死。9月には老中の間部に所司代の酒井が京に入って
尊王派に対する徹底的な弾圧が始まり、西郷にまで追捕の手が伸びて、近衛忠熙が
失脚。親幕派の九条尚忠が朝廷内で力を持つのですが、この時西郷は、
薩摩で自分たちだけで決起するか迷っている大久保たち同志に、すでに情勢が変っ
てもう立ち上がっても意味がない。とうぶんは我慢の時だと、伝えています。
つまり斉彬公が上洛計画を立てた時期は、情勢的に成功の見込みはあったんですね。
『八月十八日の政変』『池田屋事件』で朝廷や京都での影響力を完全に失い、
ヤケクソになって突っ込んで失敗した長州とはまるで状況が違うわけです。
井伊の独裁は暗殺によって終息しましたが、もし誰も立ち上がらず、独裁体制が確立
して、李氏朝鮮のように既存の体制のままで急場を凌ぐ形になっていれば、
いくら開国しようと何れは、国を閉ざしていた朝鮮と同じ運命だったと思います。
僕は松蔭の老中暗殺計画も、失敗することも覚悟した上での抗議行動だったと考えてますが、
誰もが強力弾圧政策に唯々として従うような国なら、そのまま崩壊でしょう。
あの時期に、誰かが立ち上がる必要はあったと思います。その意味で、
斉彬公の判断は一概に暴挙とは言えないのではないでしょうか。
877 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 07:05
>>870 蕭衍は田中芳樹さんが「長江落日賦」と「奔流」で取り上げていますので、
いずれ誰かが数値化するでしょうから、やる予定はありません。
桑弘羊と公孫衍は、とても面白い人物なのですが、評価が難しすぎます。
桑弘羊は、武帝の征服戦争の資金を捻り出すために、次々と新政策を打ち出します。
彼の考え付いた塩や鉄の専売は、後世まで財政難の特効薬として用いられました。
また、国家が直接商売を行う均輸や、物価操作を行う平準などと言った先進的な政策も行いました。
彼の政策は成功を収めましたが、高い塩や鉄を買わされる民衆の生活は困窮し、
国家による市場介入によって、経済界は大打撃を受けました。
彼は優れたテクノクラートとして扱うべきなのでしょうか
それとも、近視眼的政策で国家に打撃を与えた小物の官僚として扱うべきなのでしょうか?
公孫衍は、力量だけを見るならば、戦国最高の縦横家です。
好き勝手に天下の形勢を動かし、あの張儀も死ぬまで公孫衍に外交戦で勝てませんでした。
しかし、彼のしかける外交戦と言うのは、仲の悪い張儀の邪魔と、自分の出世のためで、
脊髄反射で7国をくっつけたり、離したりしてました。
歴史的意義で言えば、いてもいなくてもいい人物です。
シャカ・ズールーの評伝をお書きになった例の170さんが、
公孫衍の伝記を読めば、さぞやお怒りになることでしょう。
戦略的思考などかけらも無いのに、戦略的状況を動かす天才だったこの男に、
どんな能力を与えればいいのでしょうか?
>>860 斉彬は殖産興業を起して多くの事業に着手し、日本初の洋式軍艦や反射炉、溶鉱炉を
建設して軍制を洋式に改めて訓練し、軍事に於いてもその先見性と政策の適切さは、
薩英戦争での成果で立証済みです。
政治的な裏工作にもマメに行い、水戸斉昭を始めとした反薩摩派の猛反対を撥ね付け、
天章院の幕府輿入れを実行するなど、工作面でも優秀。有能な人材の能力を生かす
人物評定の優秀さも、周知のものです。当時として、かなり傑出した人物であること
は間違いないでしょう。
そして勅命を得て力ずくでも幕府を改革しようとした斉彬を、一括りに佐幕派という
カテゴリーに分類できるでしょうか。確かに斉彬は幕府を強化することで西洋に対抗
しようとしていますが、そのころは倒幕なんて叫んでいるのは、一部の右翼愛国者
くらいで、長州藩ですら公武合体論を退け幕府中心主義から離れたのは1862年になっ
てからのことです。
ですので、そのことで斉彬の適応力を疑う材料にはできないと考えます。
ただ斉彬が生きていたら、すんなり幕府が折れるにしても、幕府が強化されるだけで
その後の維新が起こらなかったおそれが、十分にあります。しかしそれは、
時代の流れに逆らった愚行というわけではなく、優秀だったゆえに、その時点での
最善を行い、時代の流れを止めてしまったという、指導者として稀有の能力がある
ゆえの歴史の悪戯なのだと、判断します。
879 :
世界@名無史さん:03/06/24 07:11
881 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 07:53
>>878 私は、島津斉彬の上洛が成功したところで、
幕府軍の討伐に遭って敗北するか、
血みどろの内戦に突入するかしか、思い浮かびません。
彼が廟堂に立って、大老として幕政の指導にあたっているところは、
どうしても想像できないのです。
>>860>>861 西郷は自分で目標を設定できず、偉大な政治家ではありえなかったということですが、
確かに斉彬が死んだとき殉死を考え、久光以降の薩摩の変遷ぶりを目の当たりにして
月照和尚を保護できなかった時に、絶望して和尚と一緒に自殺未遂をしたことと、
新政府時代に政治に関わることを止めて下野した件を、合わせて逃避と言う風に判断
すれば、そうも言えると思います。
でも僕は半分それは正しくても、半分は違うと考えてます。
西郷は豪胆でいて神経質、とてもつかみ辛い人物ですが、ただ最初の自殺未遂以降、
彼は少し変ったと思うんですね。妥協を止めて、捨てた命と理想に突っ走るように
なったんだと考えてます。
その後命を度外視していたのは、第一次長州征伐で、捨て身で敵地に乗り込み交渉を
成功させた例と、同じ手段で朝鮮に使者として赴こうとした件に伺えると思います。
理想を実現するためには命度外視で妥協をしない、一番西郷の特質を見出して理解して
いた斉彬公は、松平慶永に西郷のことを『独立の気象に富んでいる者』と語っています。
漢文的に「自分の考えがあって人の意向に流されず、それゆえ時として逸脱してしまう
かもしれない人物」という意味らしいですが、少なくとも身近な西郷の理解者の評では、
逆に西郷は自分の理念のしっかりある男と判断しているわけです。
半分賛成というのは、理想に突っ走って妥協のできない、西郷はあくまで最後まで革命家。
体制を維持するような政治家の性質ではないと思っているからです。
明治政府の初期というのは、少し上層部の腐敗が目に付くんですね。井上馨の銅山横領や
山県有朋の公金横領を始め、派閥闘争、役人の搾取、権力者の奢侈。大久保の
「酔うては枕す美人の膝、覚めて握るは天下の権」というような調子に乗った行為を
目の当たりにして、これらは郡方書役時代や奄美大島潜伏時代、役人の市民に対する横暴に
激怒し、全力で戦った正義感で潔癖症の西郷には耐えられなかったでしょう。
西郷は板垣に「自分の言う事は今は通用しない。世の中が嫌になったから百姓にでもなりたい」
とこぼし、「嫌世的にならずに、悪い所があれば頑張って直してください」と言われ、
泣きながら同意したというエピソードが伝わっています。
彼が下野したのは目的を失ったからではなく、政治家的な妥協ができず、
新政府に失望したからではないでしょうか。
西郷が地元で私学校を創って軍人を育成していたのは、最初からクーデター目的だった
という説がありますが、そこまで計画的かどうかは兎も角、もし政府がいよいよ悪く
なれば、いつかまた創り直すための布石として、位は考えていたような気がします。
彼曰く、「天下挙って褒めるも足りるとせず、天下挙って謗るも足らずとせざるは、
自ら信じるの強きがゆえなり。」まさに西郷とは、そういう人物だったと考えます。
たぶん彼の信じる理想の体制というのは、彼の中にしか存在しないんだと思います。
どんな体制ができても腐敗はする、どんな腐敗にも耐えられない西郷には、
強い信念があるゆえに、おそらく死ぬまで革命家であり続けるか、
もしくは世捨て人になるしかなかったという気がします。
884 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 08:43
>>883 要するに、ゲバラ体質と言うことですか?
>>874>>881 ほんとに幕府は迎撃という手段にでたでしょうか。
西郷が、斉彬の頃とは情勢が余りに違う事、計画の不備、率いる藩主が月とスッポン
であることなどを理由に、上京すれば、予期せぬ事態が起こるとして猛反対した
久光の挙兵上京ですら、すんなり成功しています。寺田屋で朝廷の信頼を得て、
勅許を得ることができた久光ですが、やはり勅許というのは源平時代と違い
かなり威力があったのでしょう。
ただ、その時は井伊直弼がいなかったですね。井伊なら全面対決でも選びかねませんが、
それでも彼の判断だけで大衝突を起すような権力が、当時あったでしょうか。
ただ言えるのは、井伊が桜田門外で殺されるなど、当時実行犯も含めて
一人も知る者はおらず、その後維新が起こって大改革、富国強兵が実現するなど、
それこそ誰にも想像すらできなかったでしょう。
少なくとも井伊の政策のままでは、日本にとってかなり具合が悪いです。
誰かがなんらかの手段で止める必要があった。僕としては当時一番現実的だと
思われる対抗策が、斉彬公の上洛だったんだと思いますね。
>>884 ああ、そうそう。言いえて妙ですね。まさにゲバラ体質ということです。
ゲバラはカストロに不満は無かったでしょうけど、
西郷も斉彬公の統率した明治維新だったら、
満足して外国に旅立ったのでしょうか(笑)。
斉彬は有能である事は否定しませんがどうも金持ちのお坊ちゃんの道楽と言う感じが多分にします。
莫大な借財を整理し返済のめどを立てた調所と対立した際には幕閣に手を回して彼を失脚させたり。
幕末薩摩藩の行動力の裏づけを作り出した人物を葬りさっといて結局はその路線を踏襲してますし。
何方か王翦の評価お願いします〜
しばらくいなかったのでおとなしくしているつもりでしたが。
西郷はただ単に明治政府内に居場所を失っただけだと思います。
彼は根本的に武人であって政治家ではありません。政府を安定させる段階には無用な人物です。
大久保らとしては邪魔でしかないし、西郷もそういう雰囲気を察して故郷に引っ込んだのでしょう。
ただ西郷は隠遁すればそれでいいとでも思っていたのでしょうが、彼をかつごうとする不穏分子がそれを許さず、大久保らも半ばそれを期待していた。
暴発させ、それを粉砕することが何よりの示威になるのですから。
西郷は大久保らに嵌められ、その死までも十分に利用され尽くしたのだと思います。
ただし西郷はある程度大久保らの策謀に感づいてはいたようです。
一時、西郷と東京の和睦を図るため勝が派遣されるのでは、という噂が立ったことがありました。
聞きつけた桐野利秋が西郷に教えたところ、西郷は「何の、勝麟が来るものか」と言い取り合わなかったそうです。
おそらくこの時点で西郷は、自分が自分を取り巻く不穏分子と共に生き残る事はあり得ず、それは明治政府にとって害悪以外の何者でもないと理解していたのでしょうし、同じように勝も考えていて故に彼が説得に来ることなど無いと知っていたのでしょう。
西郷が英雄であるのは、自分には戦っての死しかあり得ないことを恐らく理解していて、それを自分の最後の責務として淡々と果たした事にあるでしょう。
ちょっと詩的すぎるかも知れませんが、「もうここいらでよか」という言葉はそのあたりの消息を示しているのではないでしょうか。
>>888 粛清を行い、その結果体制を強化することに成功した場合には、それはマイ
ナス点ではなく統率におけるプラス材料にする、というのはこのスレッドに
おける数少ない同意事項のうちの一つかと思います。
粛清の対象の才幹や、政策の方向性は関係ありません。
これをもって評価を低くする材料にするのは難しいのではないでしょうか。
>>875 ありがとうございます。
なるほど、ひとつの事象を取り上げても解釈の幅があるのは興味深いです。
お礼がわりに、斉彬公評価を。
島津斉彬「幕末最大の英雄、西郷も大久保もその影にすぎない」バージョン
【統率】76(薩摩藩を見事に纏め切った手腕。お由羅派の暗躍を防げなかった
点でややマイナス。なお、彼の死因はお由羅とは一切関係がない)
【武力】63(実際に兵馬を率いる機会はなかったが、気宇壮大な戦略構想や後
の薩摩藩の武装の基礎を築きあげた点を、知力と分割してここで評価)
【知力】93(人材を見抜き、育て上げる力、時勢を見極め、進路を定める知能。
いずれも超人レベル。彼の頭脳と事跡が明治維新成功の原動力となり、殖産
興業は明治の富国の礎となる。明治日本の父とも言うべき人物)
【政治】82(知力の生み出した構想を、現実のものにする力量を評価。宮廷に
おける表裏の工作などにも第一級の手腕を発揮)
【魅力】94(一世を風靡した名望の持ち主。温厚な人柄は死後の後々まで慕わ
れた。西郷の名声も彼のそれを引き継いだ結果発生したもの)
更に島津斉彬「単なるDQN」バージョン
【統率】27(逸材である調所を使いこなせない体たらく。「統率されたがってる」
集団である薩摩藩を率いたわりに、父親の妾にすぎないお由羅派に暗躍を許し、
家臣団を割って修復できないのは致命的。それで死ぬようでは話にならない)
【武力】33(戦略構想は大東亜戦争レベル)
【知力】54(発想は悪くないが、危険な道楽によって藩経済を傾ける馬鹿殿)
【政治】59(土佐の嗣子問題すら自分で解決できず伊達宗城に泣きつく体たらく。
宮廷工作が成功したように見えるのは、他の人物が更に低得点だったから)
【魅力】81(魅力のみが突出した、典型的な名望倒れ)
------------
ちなみに、私の評価は「幕末最大の英雄」バージョンの値から、それぞれ10を
値になります。(それでもかなりの高得点ですが)
……まちがい。
------------
ちなみに、私の評価は「幕末最大の英雄」バージョンの値から、それぞれ10を
引いた値になります。(それでもかなりの高得点ですが)
-----------
【統率】66【武力】53【知力】83【政治】72【魅力】84
という感じです。
>島津斉彬
また勝なのですが、明治になってから勝が諸藩の若者達と会食か何かをしたときの事です。
幕末の諸侯で結局誰が一番偉かったのか、という話になり、島津斉彬を始め山内容堂、鍋島閑曳、松平春嶽らといった名前が出ても勝は首を縦に振らなかったそうです。
では誰なのか、と問われると、勝は筑前出身の者に「君の所の殿様が一番偉かったよ」と言ったのだ、とか。
悲劇の蘭癖大名、黒田長溥のことです。
902 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/25 00:48
>>886 >ほんとに幕府は迎撃という手段にでたでしょうか。
幕藩体制が通常通り機能していれば、討伐は確実に行われたはずです。
幕府が俗に旗本八万騎と称される大軍を擁し、
譜代大名や親藩を、首都圏や交通の要衝に配置したのは、
外様大名の反乱に備えるためでした。
特に、近江に譜代最大の大藩彦根藩を置いたのは、
京都に睨みを利かせ、西国大名が上洛して、
天子を擁するのを防ぐためだったと言われています。
井伊直弼の執政していた時期は、幕藩体制がまだまともに機能していました。
もし、島津斉彬が兵を率いて上洛を図ったら、
井伊直弼は幕府への謀反と見て、力づくでも妨害に出たでしょう。
というより、彼以外の執政者でもそうしたはずです。
家康は、そのような日に備えて、入念に防衛システムを築き上げたのですから。
島津久光の上洛が成功した1862年は、全国で一揆や打ちこわしが発生し、
都市部では凄惨なテロリズムの嵐が吹き荒れ、朝廷や諸侯の激しい突き上げに合い、
幕府はそれらへの対応で手一杯でした。
この年の1月には、老中首座安藤信正が水戸浪士に襲撃され、
重傷を負うという事件が発生しています。
桜田門外での井伊直弼暗殺は、幕府の威信を大きく落としましたが、
安藤信正襲撃は、それにさらに追い討ちをかけました。
彼が幕府の威信を回復させるために推進していた公武合体路線は頓挫し、
政界から引退することになります。
有能な安藤信正がいなくなったことにより、
幕府の政策運営はさらに困難なものとなっていました。
当時の幕府首脳は久光の上洛を阻止するどころか、
自壊しつつある幕藩体制を支えるので手一杯だったのです。
そのため、久光のクーデターは成功したのです。
903 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/25 01:51
>>886 >少なくとも井伊の政策のままでは、日本にとってかなり具合が悪いです。
>誰かがなんらかの手段で止める必要があった。僕としては当時一番現実的だと
>思われる対抗策が、斉彬公の上洛だったんだと思いますね。
井伊直弼は、もともと外国の動向に強い関心を払っており、
ペリー来港の際には、合衆国に領土的野心が無い事を見抜き、開港を主張しました。
彼は政権を握ると、次々と列強と条約を結びました。
そして、大量の武器を輸入し、諸侯の軍備増強も推奨しました。
幕末最強軍と謳われ、後に官軍の主力となる佐賀藩の軍備増強の後ろ盾となったのも、彼です。
幕末四賢侯にして、風見鶏として名高い鍋島閑叟も、
井伊直弼には心酔しており、盟友として活躍していました。
不平等条約でもいいから、外国と国交を開いて、
対抗出来るだけの力を付けていくと言うのが、彼の基本政策でした。
そして、そのために独裁権を確立しようとしました。
彼の政策は、幕藩体制下の宰相としては、最善のものでした。
島津斉彬の上洛は、井伊直弼率いる南紀派に対して、
巻き返しを図ろうとする一橋派の政治闘争に過ぎず、
政局の混乱を招きかねないものでした。
そして、この時期に政局が混乱することは、
列強の脅威に晒される幕府にとって致命的でした。
私は、井伊直弼の政策は止める必要も無かったし、
島津斉彬の上洛は、中央政界への進出を企む野心的かつ近視眼的行動であったと思います。
薩長をはじめとする志士達の暴走のおかげで幕府は外国に大幅に譲歩しまくったからね。
905 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/25 02:17
>>886 ただし、井伊直弼の施政が長期化していれば、
日本はいずれは清と同じ運命をたどる事になったでしょう。
そして、井伊直弼の歴史的位置付けは、曽国藩や李鴻章と同じものになったと思われます。
幕藩体制は、外敵の脅威が無い限りにおいては、統治に適した体制でしたが、
列強と対抗するだけの国家を築き上げるには、権力と武力が分散しすぎていたからです。
>>888 >莫大な借財を整理し返済のめどを立てた調所と対立した際には幕閣に手を回して彼を失脚させたり。
>幕末薩摩藩の行動力の裏づけを作り出した人物を葬りさっといて結局はその路線を踏襲してますし。
独裁者を志す者にとっては、自分以外の実力者というのは、邪魔な存在です。
その人物に功績があって、能力もあるなら、いっそう目障りです。
調所広郷の粛清は、島津斉彬にとっては必要な仕事だったと思います。
>>900 私の島津斉彬評は、「有能で野心的だが、視野の狭い大諸侯」です。
外国の脅威に晒されている封建国家においては、とても危険な人物です。
井伊直弼、島津斉彬…ときたら
水戸斉昭も数値化をして欲しいと思っているのは、漏れだけだろうか?
水戸斉昭は井伊直弼や島津斉彬に比べると激しく低い能力値になってしまうね。
藤田東湖、戸田忠敞らがいないと迷走するだけみたいな。
じゃあ、容堂や久光はどうでしょう。
容堂はともかく久光はただの懐古主義者でしょう。
西郷が下野し反乱にまで追い詰められた背景には久光の存在もあるのではないかと。
能力が低いのはわかってますよ。
アクの強さでは烈公と比較できる人物だから
それをどう数値にするのかが面白そうだと思ったんですが。
911 :
世界@名無史さん:03/06/25 13:42
烈公は影響力は多大なのだが
魅力として考えると、支持派、不支持派で相反しちゃうんだよなぁ
912 :
世界@名無史さん:03/06/25 14:58
ベルセルクオタあげ
誤爆
915 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/25 18:42
今晩中には、新しい評伝が書きあがりそうです。
おそらく、裕仁の伝記を軽く凌ぐ長文になると思いますが、
楽しみにお待ちください。
なんという自信だ。この自信はどこからくるのか
屁のつっぱりはいらんですよ
おお!!言葉の意味はわからんがなんだかえらい地震だ!!
つまりキンニクマンということでFA
俺はまじで楽しみだぞ。
俺はこのごろ痔だったりする
=≡= ∧_∧ 両手を膝に・・・・
/ (・∀・ )
〆 ┌ ∪ ∪ | .∈≡∋
|| γ ⌒ヽヽコノ ||
|| .| |:::|∪〓 .||
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
=≡= ∧_∧ I'm ready.......
/ \ (・∀・ )/
〆 ⊂ つ∈≡∋
|| γ ⌒ヽヽコノ ||
|| .| |:::|∪〓 .||
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < 蒼の新しい評伝マダ━━━━━ ?! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
923 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:11
「誰がための強さ」
アンドレアス・プロコプ(???〜1434)フス派全軍司令官・孤児団指導者
戦争の勝敗と言うのは、戦略と物量によって決まります。
これは古今東西不変の原理ですが、長い世界の歴史においては、当然数少ない例外と言うのも存在します。
15世紀初頭、中欧の小国チェコに、一人の偉大な思想家が現れます。
その名は、ヤン・フス。カトリック教会の横暴を批判し、
全てのキリスト教信者の神の前における平等を唱えるジョン・ウィクリフの思想を信奉する彼は、
集会を開いて教会批判の演説を行い、ウィクリフの著書をチェコ語に訳して出版し、
またたく間にチェコの人々の心を掴みました。
そして、学会で議論されるに留まっていたウィクリフ思想を、
自由と平等を希求する一大改革運動へと発展させていきました。
この動きを危険視した教会は、1415年7月、フスを「異端」として処刑しました。
憤激したフスの支持者達は、自らを「フス派」と称して活動を続け、
1419年7月に、チェコの首都プラハの市政を掌握します。
924 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:13
混乱の中で、チェコ王ヴァーツラフ4世は憤死。
時のチェコの王位継承権者にして神聖ローマ帝国皇帝ジギスムントは、
教皇マルティヌス5世を動かして、異端撲滅十字軍を結成。
参加した王国・領邦は実に30以上。遠くイギリス、スペイン、南ロシアの諸侯も参加していました。
チェコは北欧以外の全カトリック世界を敵に回してしまったのです。
1420年7月、十字軍全軍8万はプラハ郊外に集結し、総攻撃を開始します。
プラハに立てこもるのは、プラハのフス派貴族と市民の混成軍数千。
そして、南部のフス派の拠点であるターボルから援軍に来ていた2000の農民兵でした。
誰もが十字軍の勝利を信じて疑いませんでした。
しかし、そこで奇跡が起きました。
ターボルの農民兵が城壁を出て野戦を挑み、十字軍の先鋒を撃破したのです。
十字軍が混乱したのを見たプラハ軍も攻勢に討って出ました。
十字軍は雪崩を打って敗走し、軍旗や十字軍の勅書までフス派の手に落ちたのです。
この奇跡を演出したのは、ターボル軍の司令官ヤン・ジシュカ・トロツノフ。
傭兵隊長やチェコ軍の指揮官を経て、病気と高齢のために引退していましたが、
軍事の専門家を欠くターボル軍の司令官として、引っ張り出された老軍人でした。
彼は、荷車を立ててバリケードとしてロングボウの攻撃を防ぎ、
その隙間から射撃実行班と銃身掃除班と発射準備班に分かれた鉄砲隊が間断なく射撃を続けるという新戦術で、
騎士突撃を跳ね返し、さらに当時の欧州世界で最強とされていたロングボウ戦術も打ち破ったのです。
さらに、彼はこの戦いにおいて、大砲も巧みに運用して見せました。
後世で「ジシコフの戦い」と呼ばれるこの戦いは、補助兵器でしかなかった鉄砲が、
世界史上初めて主力武器として用いられた戦いでした。
セリム1世のチャルディラーンに先立つこと94年、織田信長の長篠に先立つこと155年。
しかも、この2者は敵軍に倍する大軍を擁していました。
それに比べて、ジシュカは十倍近い大軍を打ち破ったのです。
925 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:14
その後、ジシュカは、1421年のヴィシェフラッドの戦いで第二次異端討伐十字軍を壊滅させ、
フス派内部の急進派と穏健派の対立に足を引っ張られ(ジシュカは急進派に属していました)、
さらに腐敗しつつあったターボルの他の指導者に見切りを付けて、自らオレーブ派を結成するなど、
政治的には苦境にありましたが、皇帝軍やチェコ国内のカトリック諸侯に勝ち続け、そして穏健派との内戦にも勝利し、
急進派と穏健派の抗争に終止符を打ち、「フス派全軍司令官」の称号を帯びました。
1424年に病死すると、ジシュカの死を悲しんだオレーブ派は、自らを「孤児団」と称するようになります。
ジシュカの死で動揺する急進派を取りまとめたことにより、「孤児団」の指導者に推され、
新たに「フス派全軍司令官」の称号を帯びることになったのが、本編の主人公アンドレアス・プロコプです。
926 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:15
アンドレアス・プロコプの統率力について、考察します。
彼は、急進派の動揺を収めて、孤児団の指導者に推されました。
その後、第四次異端討伐十字軍を壊滅させた後に、後世に「スパニレー・イーズディ(偉大なる行軍)」と称される大遠征を企図します。
そして、フス派の全軍を率いて、ドイツ・ハンガリー・オーストリアに侵攻しました。
カトリック軍は大軍を集めてこれに対抗しましたが、ことごとく打ち破られます。
一時、カトリック軍のコルディッツが反攻に出て、フス派軍の別働隊を破りますが、これも焼け石の前に水でした。
しかし、あまりに勝ちすぎたために、かえって遠征軍の統率に乱れが生じてきました。
強さを恃むあまり、プロコプの命令を無視して勝手な作戦行動を行う軍が出たり、
戦利品を着服して私財を蓄え、民衆に対して封建領主のように振る舞い、
フス派の理念である清貧と平等を無視する者まで現れてきていました。
もはや、強くなりすぎたフス派軍は、プロコプの手に負えなくなってきていたのです。
「全キリスト教世界を教会の圧制から解放する」という理想を抱いていた彼が、華々しい軍事的成功にも関わらず
カトリック側との和平を模索したのは、勝てば勝つほどフス派の人々が、
ヤン・フスの掲げた理念からかけ離れていく事に絶望したからでした。
彼は1432年のバーゼル公会議で、教会側との和平交渉に入りましたが、
その間に「全キリスト教世界のフス派化」の夢に取り付かれた急進派の一部が、勝手に軍事行動を開始し、
チェコからバルト海までの一大打通作戦を成し遂げると言う、洒落にならないことをやらかしています。
しかし、プロコプはこれを放置せざるを得ませんでした。
そして、自らの主導による和平を断念し、急進派に引きずられるように軍事行動にのめり込んでいきます。
927 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:15
1434年5月、和平を望む穏健派は、ついに急進派の切り捨てを決断します。
チェコ国内のカトリック諸侯と連合した穏健派軍3万は、プロコプ軍を急襲します。
プロコプはリパニでこれを迎撃しました。
しかし、「孤児団」のチャペック将軍が突如として裏切り、挟み撃ちにあったプロコプは戦死したのです。
チャペックは「偉大なる行軍」で膨大な富を手に入れ、フスやジシュカの掲げた理想を忘れてしまいました。
そして、寝返れば貴族に列すると言う穏健派の誘いに乗ったのでした。
プロコプは、ヤン・ジシュカの後継者の名に恥じない優れた軍事指導者でした。
フス派軍の全軍を「孤児団」式に再編成し、彼が指揮を取らない戦場でも勝利できる軍隊を作り上げました。
そして、「偉大なる遠征」では彼の本軍も、別働隊も連戦連勝を重ねました。
彼の命令を無視して、暴走した軍ですら、勝ち続けました。
一国の軍の総帥として、これだけ強大な軍隊を築き上げたのですから、
彼の統率力は「ど」の字フォーマットの国家的業績に値する80台はあります。
しかし、「偉大なる行軍」の後半期になると、あまりに勝ちすぎたために部下を統御できなくなりました。
そして、平和を望んでいたのに、軍の暴発を抑えきれずに、
統率を放棄した挙句に不本意な戦争に引きずり込まれ、最後は長年の戦友に裏切られて果てました。
この時期を見ると、ろくでなしレベルの20台と言っても過言ではありません。
プロコプの統率力は、前半は一級レベルの「81」、後半はろくでなしレベルの「23」とします。
そして、足して2で割って、歴史的人物としては可も無く不可も無いレベルの「52」とします。
928 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:16
アンドレアス・プロコプの武力について、考察します。
1426年6月、第四次異端撲滅十字軍を、ウースチーで打ち破り、
「ドイツ人の死体が、麦束のように地平線の彼方まで散乱した」と言われるほどの大勝利を収めました。
「偉大なる行軍」においては、プロコプ軍と対峙したカトリック軍は、
兵力の多寡に関わらず、無残に敗北する以外の選択肢を与えられませんでした。
プロコプ軍の進軍ルートにいる諸侯や都市は、蹂躙されて灰塵と化すか、抵抗を断念して逃げ出すか、
多額の貢物を差し出してきて和議を乞う以外の選択肢を与えられませんでした。
1430年2月には、神聖ローマ皇帝ジギスムントのドイツにおける本拠地であったニュルンベルク市、
七大選帝侯であり、大貴族中の大貴族であるブランデンブルク辺境伯、ファルツ伯などが、
多額の金を差し出して、和議を結びました。
1431年2月、異端であるフス派軍がヨーロッパを縦横無尽に荒らしまわっていることに憤激した、
教皇マルティヌス5世は、第五次異端撲滅十字軍を起こすことを決意し、
カトリック諸国に「異端撲滅のための十分の一税」を課し、
さらには教皇庁からも多額の資金を拠出し、免罪符をヨーロッパ中にばら撒いて軍資金を用意しました。
マルティヌス5世は準備中に病死しましたが、後継者のエウゲニウス4世が十字軍の編成を引き継ぎ、
異端撲滅十字軍としては、史上最大の13万の大軍が集まりました。
929 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:17
1431年8月に十字軍がチェコ侵攻を開始したとの報を受けたプロコプは、
各地に分散していた別働隊と合流する時間が無かったため、
手元にあった2万の兵を率いて、迎撃に向かいます。
戦場のドマジュリツェに到着した時点で、十字軍は既に有利な地形に布陣していましたが、
プロコプは迷うことなく、いつものようにフス派の賛美歌「汝、神の戦士たれ」を全軍に合唱させ、前進を命じました。
すると、恐怖心に駆られた十字軍の兵士が逃げ出し、それに指揮官が続き、
最後には軍司令官や従軍していたカトリックの聖職者まで逃げ出しました。
プロコプ率いるフス派軍の強さは、カトリック教徒にほとんど迷信的な恐怖を与えていました。
その恐怖が、いつもフス派軍が士気を鼓舞するために歌っている賛美歌で喚起されたのです。
帝国軍旗、王国軍旗などが戦場に投げ捨てられ、教皇特使として従軍していたチェザリーニ枢機卿までが、
枢機卿服を脱ぎ捨て、十字軍勅書を投げ捨てて、逃げ出す始末でした。
全軍がすぐに逃げ出したおかげで、戦死者が200人で済んだと言うのは、不幸中の幸いだったでしょう。
ちなみに、この戦史上有数の情けない敗北は、教皇をノイローゼに陥らせ、
「フス派軍がローマまで攻めてくるのではないか」という被害妄想を植えつけました。
教皇と神聖ローマ皇帝の威信は地に落ち、異端撲滅十字軍を行うことは二度と出来なくなりました。
もはや、教皇も皇帝も、フス派との和議のテーブルに着かざるを得なくなりました。
930 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:18
1434年5月、フス派穏健派とチェコ国内のカトリック諸侯の連合軍3万は、
出兵していたプロコプ軍の背後から急襲を仕掛けました。
不意を突かれたプロコプは、十分な準備の出来ないままに、
急いでかき集めた2万の兵を率いて、リパニで連合軍と対陣しました。
連合軍の主力を占める穏健派軍は、これまで戦った騎士・弓兵・歩兵からなるカトリック軍とは違い、
プロコプがヤン・ジシュカから受け継いだ鉄砲・大砲の運用と、改造された荷車による車砦防壁のミックス戦術を用いる軍隊でした。
そして、「偉大なる行軍」に従軍して、連戦連勝を収めた有能な指揮官と、歴戦の兵士を擁していました。
フス派軍の中核部隊である「孤児団」とターボル軍がプロコプに付いていましたが、
兵力的には劣勢であり、準備不足もあって、完全にプロコプが不利な状況から戦いが始まります。
しかし、プロコプは連合軍の攻勢を跳ね返し、攻勢に出ました。
プロコプ軍の勝利は目前と思われた時、突如として長年の戦友チャペック将軍が裏切ります。
四方八方から銃撃や砲撃を浴び、プロコプは壮絶な戦死を遂げました。
7年間に渡って、小国の軍を率いて全カトリック世界を敵に回して戦い、
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝さえも、その武威に屈指させた一代の英雄の最初にして最後の敗北でした。
なお、連合軍は戦場から離脱出来なかったプロコプ軍の兵士を皆殺しにしています。
同じフス派の間でさえ、プロコプ軍の強さは、恐れられていたのです。
すさまじくスノッブな奴だよな。
知識は認めるが、鼻について仕方がない。蘭太郎も似たようなもんだし。
つーか、自前でサイト立てろや。ここでやる意味無いだろ。
932 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:34
この時代の名将には、直接プロコプと戦ったわけではありませんが、
1415年にアザンクールの戦いでフランス軍を壊滅させ、
百年戦争におけるイギリスの優位を再び確立したヘンリー5世、
1429年にオルレアン包囲を解いて、不利な状況にあったフランス軍を優勢に導いたジャンヌ・ダルク、
1436年にイギリスからパリを奪回し、1449年にノルマンディーを奪回し、
百年戦争を終結に導いた真の英雄フランス軍大元帥アルツール・ド・リッシュモン、
1410年にタンネンベルクでドイツ騎士団を壊滅させたポーランド=リトアニア連合王国国王ヴラディスラフ2世、
1443年にアルバニアをオスマン・トルコから独立させ、1468年に亡くなるまで、
年中行事のように攻め寄せてくるオスマントルコの大軍を撃破し続けたアルバニア王国国王ギエルギ=カストリオティ、
オスマン・トルコの北上を食い止め、
正義王マーチャーシュの父としても知られるハンガリー王国摂政フニャディ=ヤーノシュ、
もはや説明の必要も無いであろうワラキア公ヴラド3世、
分裂したモンゴルを再統一し、1449年に土木堡の戦いで明の大軍を破って、
皇帝英宗を捕虜にしたオイラートのエセン・ハーン、
エセン・ハーンから北京を守り抜いて、明帝国の滅亡を防いだ明の兵部尚書于謙、
1453年に奇策をもって、難攻不落の要塞コンスタンチノープルを陥落させた
オスマン・トルコのスルタンメフメト2世などがいます。
しかし、小国の軍を率いて、無限の回復力と戦略的優位を有する相手の攻勢を防ぎ続けただけでなく、
逆に攻勢に打って出て、敵国の首都に匹敵する大都市を降伏させ、
キリスト教異端とされた信仰を史上初めてカトリック教会に認めさせるという快挙を成し遂げたプロコプの武勲は、
これらの将星と比べても遜色ないどころか、遥かに凌ぐと思われます。
純粋な戦術的技量では、世界の戦史上屈指の将帥と言っても過言ではありません。
異論がある方がおられるかもしれませんが、
プロコプの武力は「ど」の字フォーマットの歴史的業績に匹敵する「97」とします。
933 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:35
アンドレアス・プロコプの知力について、考察します。
プロコプはチェコ国内の体制を固めると、「偉大なる行軍」を企図します。
その目的は、神聖ローマ皇帝とカトリックの聖俗諸侯に打撃を与え、
異端撲滅十字軍の企図を挫き、教皇を交渉のテーブルに引きずり出すためでした。
また、7年間も周囲のカトリック諸国・領邦から経済制裁を受けていたため、
経済が崩壊しつつあり、内政が極度の混乱状態に陥っていました。
この閉塞状況を遠征によって打開するという目的もありました。
彼はフスの理想をキリスト教世界全体に広げ、世界の姿を変革することを目指すフス派急進派でしたが、
軍事力でそれを成し遂げることが不可能であることも知っていたのです。
遠征軍は、別働隊が途中で暴走したり、
ポーランド=リトアニア王国とドイツ騎士団の戦争に巻き込まれるなど、
紆余曲折を経ましたが、カトリック勢力に恐怖を植え付け、
最終的に教皇を交渉のテーブルに引きずり出すことが出来ました。
ただ、チェコの国力の限界を越えて戦い続けたため、
内政の混乱は収まるどころか、深まっていきました。
戦略目的の半分は達成されましたが、残りの半分は達成されなかったのです。
それでも、カトリック世界との和解が成立すれば、これも達成されるはずでした。
934 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:36
しかし、あまりに勝ちすぎたために急進派が暴走し、
プロコプの統制を受け付けなくなるという予測を越えた事態が発生してしまいます。
また、理想を守るための戦争だったのに、勝ちすぎて多くの物を手に入れすぎたために、
心がすさんでしまい、フスの理想を忘れて私利私欲にふける人々も現れました。
戦争に勝利して、戦略目的も達成されつつあったのに、
勝ちすぎたせいで間違った方向に進んでしまうと言う不本意な結果に終わってしまったのです。
皮肉なことに、あまりに強過ぎた事が、彼の戦略を狂わせてしまいました。
急進派に引きずられていくうちに、自分自身が心から望んでいた和平の障害となってしまい、不幸な最期を遂げました。
問題への正しい理解・判断能力、戦略眼を高いレベルで備え、現実的な思考の出来る人物でしたが、
行き過ぎた強さがもたらす弊害を予測する先見の明に欠け、それを克服する意志力にも欠けていたので、
プロコプの知力はまあまあ有能なレベルの「64」とします。
935 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:36
アンドレアス・プロコプの政治力について考察します。
プロコプは、ヤン・ジシュカの死で動揺していた急進派をまとめ上げ、指導者の地位に就きました。
しかし、教会との和平交渉では、暴走する急進派の軍事行動を放置しながら交渉を進めたために、
和平の意思を疑われ、交渉相手を穏健派のヤン・ロキツアナに変えられると言う致命的失敗を犯しています。
また、相次ぐ戦争で国内が疲弊したのに、軍資金を捻出するために重税を課しました。
そのため、民衆の反乱や逃散が相次ぎ、多くの町や村が廃墟と化しました。
フス派の支配地域では、基本的に聖職者や有力な市民が合議制で統治に当たっていたのですが、
これらの人々が腐敗してしまったために、民衆の怒りは頂点に達していました。
プロコプは肩書きこそ「フス派全軍司令官」でしたが、実際には政治面でも最高権力者でした。
それなのに、このような状況を招いてしまったのですから、内政・外交能力の欠如は明らかです。
政治的実績はヤン・ジシュカの死後に急進派をまとめただけで、対外交渉では初歩レベルのミスを犯し、
内政においては何の手も打たず、政治的調整においては、穏健派との協調路線を取っていましたが、
最終的には不本意な形で切り捨てられてしまったので、プロコプの政治力はろくでなしレベルの「25」とします。
936 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:37
アンドレアス・プロコプの魅力について考察します。
彼は「聖書にのっとった清廉な生活」「神のもとでの万人の平等」といったフスの理想をキリスト教世界全体に広げ、
世界の姿を変革することを目指すフス派急進派の指導者であったにも関わらず、決して狂信者ではなく、
チェコ国内でのフス派の信仰をローマ教皇に認めてもらえるなら、それで構わないと考える穏健派についても、
理解を示すだけの器の大きさを有していました。
そのため、急進派に対して激しい反発を抱いていた穏健派に安心感を与え、協調していくことが出来ました。
また、政治センスに致命的に欠けていたのに、ヤン・ジシュカ死後の急進派の動揺を抑え、
指導者に推されたのは、おそらくは人格的魅力によるものと思われます。
彼は戦場では悪魔のように恐れられていましたが、個人としてはかなり魅力的な人物であったようです。
よって、プロコプの魅力は優秀レベルの「70」とします。
937 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:37
アンドレアス・プロコプの最終的な評価を発表します。
【統率】52 ※当初は81、「偉大なる行軍」の後半以降は23とします。
【武力】97
【知力】64
【政治】25
【魅力】70
とても優秀な軍人です。
到底聖職者出身とは思えません。
たぶん、世界史上最強の聖職者です。
生涯の前半なら、全軍の総帥も任せられます。
手堅い判断が出来るので、独自で行動させても問題ありません。
武力がとてつもなく高いので、どんな戦場に送り込んでも絶対勝ちます。
軍事指導者に留まっていたら、本当に幸福でいられた人でした。
政治に手を出さざるを得ない立場にいたこと。
そして、あまりに戦争に強過ぎたことが、この人の悲劇でした。
人智を越えた強さは、人を幸福にしないのではないか。
プロコプの生涯を追っていくと、そう思わずにはいられません。
お疲れ様。
すごい分量ですな。ヤンジシュカかと思いきやブロコブですか。
ご苦労様。すごく面白かったです。
青の評伝を眺めてると、単に基督教徒間の争いだったからじゃないのかと、穿ってみたくなるな。
941 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 04:47
>>938 いやあ、軍事史的な意義はヤン・ジシュカ・トロツノフの方が大きいんですが、
実際にあげた軍事的功績では、アンドレアス・プロコプの方が遥かにでかいんですよ。
ジシュカの場合は歴史に登場した時点でかなりの年寄りですので、当然と言えば当然なんですが。
プロコプは、現実的な思考が出来る人なのに、意志力が伴わなくて、
暴走する連中を止められず、あげくの果てに引きずられていってます。
また、理想主義者で、他の連中が腐敗してるのを嘆いているのですが、
だからと言って、それを自分でどうにかしようとはしないのです。
戦場では物量も戦略的不利も、軽々と粉砕してしまい、
カトリック世界の二大巨頭のローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝を同時に敵に回して、
しかも、勝ち続けて軍事力で争うことを完全に断念させるほどの英雄なのに、
性格が妙に中途半端なところと、勝ちすぎて自分の首を絞めてしまうところが面白くて、
評伝を書きました。
>>939 お楽しみいただけて、幸いです。
執筆に一週間かけた甲斐がありました。
やっぱり、こういうどこか抜けてる人の方が、書いてて楽しいですね。
942 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 05:14
>>940 異教徒は、キリスト教を信じてないだけの連中ですが、
異端は、「ローマ教会は間違ってる。俺達が本当のキリスト教徒だ」と主張してる連中です。
ローマ教会にとっては、異教徒を放置するより、
異端を放置して、彼ら流の「本当のキリスト教」を広められる方がずっとヤバイのです。
30年戦争がとことんこじれたのも、そういう事情です。
蛇足ながら、ローマ教会が「ヤン・フスの処刑と、その後のフス派への弾圧は間違いだった」と公式に認めたのは、
1999年12月17日の事です。
944 :
世界@名無史さん:03/06/26 14:57
うるせーベルオタ
945 :
前々スレ927:03/06/26 17:05
この文章量、さすが永遠の青さん。
すごく面白く読ませていただきました!
私はこの辺の時代には疎いので、これほどの名将がいるとは知らず驚愕しました。
あと、941を読む限り武力は
アンドレアス・プロコプ>ヤン・ジシュカ
となるのでしょうか?
>942
いや、だから同じ基督教徒であるが故の畏怖が、実際以上にフス派の
軍事行動を強大にしたのではないかと思えてくるなという話でね。
又フス派の軍隊の神がかり的強さは、指揮官の賜物ではなくて信仰心が第一って
感じもするし。数値的には異論ないんだけど、青の評伝は胡散くさいんだよw
947 :
世界@名無史さん:03/06/26 18:26
948 :
世界@名無史さん:03/06/26 18:31
このスレは進行が早いから950の人が次スレをたててください
お疲れ様です。楽しみにしていたかいあって、とてもためになる評伝でした。
ヨーロッパでグリフィスに似たのといえば、グスタフアドルフをぶち殺した
無敵の傭兵隊長で、最後は謀略で果てたヴァレンシュタインかな、
とか想像してましたが、なるほどプロコプでしたか。ドイツ人を文字通り
稲穂のように薙ぎ倒した彼なら、まさに最強と呼ぶに相応しいですね。
>>898>>899 幕末で評価の分かれる人物といえば、徳川慶喜なんていい感じです。
このポークマニアを普通に評価すれば、典型的「策士策に溺れる」タイプの
見事に痛い人ですが、
でも最初から全ての行動が、幕府に幕を引き新体制に移行させる確信犯的計画だっ
たという視点で眺めれば、参預会議を空中分解させ、大政奉還し、倒薩表を
掲げて上京、大阪城脱出、徹底抗戦派を退け、江戸城無血開城。
すんなり幕府が倒れる為には、どれ一つ欠かすことのできない重要な行為です。
それを幕府側の人間を騙しつつやり遂げるという手並み、もしそうだとしたら、
知力100候補に挙げたいです。
↑次スレよろ
____________ 諸君らの歴史上の人物をコーエー風数値化するスレの次スレを立てろという約束・・・
ヾミ || || || || || || || ,l,,l,,l 川〃彡|
V~~''-山┴''''""~ ヾニニ彡| 守りますとも・・・蘭太郎・・・
/ 二ー―''二 ヾニニ┤
<'-.,  ̄ ̄ _,,,..-‐、 〉ニニ| ことスレ建てに限り・・・虚偽は一切言わぬ・・・
/"''-ニ,‐l l`__ニ-‐'''""` /ニ二|
| ===、! `=====、 l =lべ=| 守る・・・! 守るが・・・
. | `ー゚‐'/ `ー‐゚―' l.=lへ|~|
|`ー‐/ `ー―― H<,〉|=| 今回、まだその時と場所の指定まではしていない・・・
| / 、 l|__ノー|
. | /`ー ~ ′ \ .|ヾ.ニ|ヽ そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい・・・
|l 下王l王l王l王lヲ| | ヾ_,| \
. | ≡ | `l \__ つまり・・・私がその気になれば・・・
!、 _,,..-'′ /l | ~'''
‐''" ̄| `iー-..,,,_,,,,,....-‐'''" / | | 次スレを建てる時期は・・・
-―| |\ / | |
| | \ / | | 1年後、2年後!!忘れられているころに建てる
ということも可能だろう・・・ということ・・・!
>>902 僕は幕府側が完全勝利で幕を下ろすには、勅許が下りる前の段階で斉彬一行を
撃退するしかなかったと思います。
薩摩と戦うにしても、勅命を得た薩摩を討ったとあれば朝廷対幕府という構図、
幕府にとっては最悪のカードです。勅許を得ずに条約を結んだだけで嘗てない
ほどの高まりを見せた幕府非難の風潮は、武力で勅許を退けたことで爆発し、
それこそ幕府が朝敵になる可能性も出てくるでしょう。
井伊がいかにその可能性を恐れ、そういった性質の勅許が下らないよう躍起に
なったかというのは、水戸藩降勅問題を受けての執拗な朝廷工作と、梅田雲浜捕縛
に伺えると思います。
斉彬に下された勅許が倒幕を招くような性質のものならともかく、幕府にとっては
井伊の失脚と一橋慶喜が将軍後見職に就く程度のものです。(その程度が日本の
進路を決定付けるには重要なものですが)それを撥ね付ける為だけに、朝廷との
全面衝突も覚悟して迎撃するとは考え難いと考えます。
それでも井伊が徹底抗戦を選べば、朝廷内でも反対が根強く形の上では許可が
あったにも関わらず、幕府の私闘と見なされ、出兵を見合わせる藩が続出した
第二次長州征伐以上に傍観する藩も増え、そして薩摩以外にも武力で対抗しよう
とした福井藩などを始め、井伊の強権政治に反発している藩も多く、斉彬に協力
する所もかなりあると思います。
幕府を揺るがす一揆や打壊しが続出した原因が、長州征伐による物価高騰に端を
発しているように、武力衝突が起これば時代の流れは必然的に幕府崩壊に向かっ
て加速することになるのではないでしょうか。
そして降勅を未然に防止される可能性ですが、時間的制約と雄藩の地勢的条件から、
京都に上がるまでに薩摩を撃退できるほどの兵力を展開するのは難しいと思います。
斉彬はその為に各地に配下の者を派遣して情報を収集させ、念入りに計画を立てて
いたようです。それでも上洛してから、久光のように勅許が得られるまでもたつけば
そこで迎撃される可能性も高くなりますが、事前の朝廷工作と『戊午の密勅』事件
での朝廷の動きを見る限り、すんなり勅命が下る可能性も高いと考えます。
もちろん、ただの一藩が兵を率いて上洛し、幕府に対抗しようという嘗てない大作戦、
どんな念入りに立てた計画でも失敗する可能性はあると思います。
斉彬自身それは解っていたようで、「薩摩が滅ぶことも覚悟の上だ」と語っていた
ように、一世一代の大博打という心境だったのでしょう。
>>903 僕も井伊があの時点で日米修好通商条約を結んだのは正しい判断だったと思います。
情勢的に朝廷の勅許を待っている余裕は、日本にはありませんでしたから。
ただ、その後の対応に問題があると思います。朝意に反して条約を結んだ事で、
朝廷始め公家や諸藩、志士達の反発は幕府の想像を超えて深刻だったわけですが、
そこで徳川一族の大名や一橋慶喜達が求めたような、幕府の立場を説明して前非を
謝罪するという方法をとるか、もしくは反対者を徹底的に弾圧するか、
井伊が後者を選んだのは日本にとって大きなマイナスだったと考えます。
幕府はそれまでに国難を打開する為、自由な意見を全国の有識者に求める、柔軟な
施策をとっていて、様々な建白書が幕府に寄せられていたのですが、「安政の大獄」
によってその建白書が元で投獄されるという、志士の側からすれば見事に騙された
ような形になったわけです。
それまでの幕府のように、出身や身分の限られた一部の人間だけで統治するような
やりかたでは、諸外国に対抗できる強固な体制には、到底成り得ないでしょう。
井伊の選んだ武断政治では自由な意見主張が統制され、その後の国創りに於いて
建設的な方向にはならないはずです。そういう点で封建制度の固持に綿々としてい
る井伊の政策は、国内の体制を整備する上では有害だったと思います。
956 :
世界@名無史さん:03/06/26 20:51
ヴァレンシュタインは二人も評価出てるから、
書く方ではマイナー好みっぽい青はやるまいと思ったが・・・。
宗教が絡むと人は何でも出来るし、やるからな。
これは厳密には宗教に限った話ではないかも知れんが、
実際、宗教は集団的狂信状態に陥りやすい要素を多分に持っている。
ベネディクト・アンダーソンは「ナショナリズムは宗教の親戚だ」と
書いたが、ヒトラーでなければ集団的狂信状態を作り出せなかった
ナショナリズムは、やはりそういう系譜からすれば傍系だろうな。
957 :
世界@名無史さん:03/06/26 20:56
なんとか上洛はできただろうね
禁門の変や鳥羽・伏見の戦いでも、幕府は薩長を京都に着くまでに防止できなかったし
>>951 あ、950踏んじゃった・・・
ごめんなさい、2ちゃん始めたの今年に入ってからで、
まだスレ立てたことないんです。
ごめんなさい、まだ僕の能力では無理っぽいです。
誰か変りに、お願いします。
ハハハ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ イキデキネーヨ
∧_∧ /
>>957激ワラタ ハライテ- ゲラゲラ
. ( ´∀`) < ∧_∧ 〃´⌒ヽ モウカンベン
. ( つ ⊂ ) \_______ (´∀` ,,)、 ( _ ;) シテクダサイ
.) ) ) ○ ∧_∧ ,, へ,, へ⊂), _( V V )_ ∧_∧ ○,
(__)_) ⊂ ´⌒つ´∀`)つ (_(__)_丿 し ̄ ̄し ⊂(´∀`⊂ ⌒ヽつ
タッテ ラレネーヨ ワラウシカネエダロ!! ドウニデモシテクレ!!
ワハハハ
テンプレ変えなくていいんですか?
いろいろ議論ありましたが決着はつかなかったようで
>>958 ちゃんとトリップ付きましたね。
前に騙りが嫌ならキャップ付けたらいいとか言われたので、少し調べてみました。
不発すると恥ずかしいので、なかなか実行に移せませんでしたが。
ちなみにこのスレに現れた影武者は、
>>426と
>>677と
>>952の三本です。
965 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:02
>>945 武力で言えば、わずかにプロコプの方が高くなるかもしれません。
ただ、総合力では明らかにジシュカの方が上です。
>>946 >いや、だから同じ基督教徒であるが故の畏怖が、実際以上にフス派の
>軍事行動を強大にしたのではないかと思えてくるなという話でね。
当時のカトリックにとって、同じキリスト教徒はカトリックとギリシア正教だけです。
同じキリスト教徒と思われてないから、十字軍を起こされるのです。
>又フス派の軍隊の神がかり的強さは、指揮官の賜物ではなくて信仰心が第一って
>感じもするし。
過去に宗教を背景にして、国家を形成した勢力の発展過程には、
いつも優れた政治家や軍事指導者がいました。
いかに信仰心があろうと、優れた指導を受けなければ、
強い国家や軍隊を作ることは出来ないのです。
スレ建てしてみる。
訂正
>>443-444 ヴラド3世 by前971
>>814-818 吉田松陰 by蘭太郎
今スレではアウゼングラーブ、ヴォーバン、ミュラ、ブロコブ
などの評伝が個人的には特に面白かったです。
>965
カトリックの立場なんか別にどうでもいいんだけど。
当時の諸侯軍の一般兵なんかは彼等の側に神がいるのかと畏怖したのではないか?
というか、そういう心理が働いた結果ではないかと言ってるんだけど、そんなに変?
それでも信仰からくる強い裏づけがある兵隊を指揮するのは楽だろうと思うけど?
もっとも結果を出すには、貴方の仰るとおり優れた指導者は不可欠ですけどね。
971 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:19
>>950 名前倒れの典型ですね。
>>953 島津斉彬が勅許を得ても、
井伊直弼は「島津斉彬が朝廷を脅迫して、無理矢理勅令を出させた。奴こそ朝敵だ」と、
主張することができます。
勅許の有無が問題ではなく、諸侯が天皇の勅令を盾にして、
国政に介入しようとしたことの方が遥かに大きな問題なのです。
これを座視していれば、幕府の権威に関わります。
執政者がよほどの軟弱な人物で無い限り、討伐は行われるでしょう。
島津斉彬が討伐軍の前に敗北しても、反井伊勢力の諸侯と共に内戦を展開しても、
日本にとっては悲惨な結果を招いたと思います。
一橋派に政権を握らせるためだけに、日本の国家体制が崩壊しかねない賭けに打って出た島津斉彬は、
とてつもなく危険な人物だと思います。
972 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:43
>>955 >そこで徳川一族の大名や一橋慶喜達が求めたような、幕府の立場を説明して前非を
>謝罪するという方法をとるか、もしくは反対者を徹底的に弾圧するか、
>井伊が後者を選んだのは日本にとって大きなマイナスだったと考えます。
民主国家なら前者を選ぶべきでしょうが、封建体制なら前者を選んだ方が弊害は大きかったでしょう。
勅許問題で世論に譲歩したら、朝廷の世俗的権威が、幕府の世俗的権威を上回りかねないからです。
つまり、皇帝・国王の権威が、ローマ教皇の権威に脅かされ、
政治に大きな弊害をもたらした中世ヨーロッパと同じ状況になってしまうわけです。
幕藩体制という領邦国家体制自体が、そもそも外圧に弱いのに、
さらに朝廷が実質的な権威を持ってしまったら、もっと危険なことになるからです。
>幕府はそれまでに国難を打開する為、自由な意見を全国の有識者に求める、柔軟な
>施策をとっていて、様々な建白書が幕府に寄せられていたのですが、
このことが、かえって幕末の混乱を招いたような気がします。
平時ならともかく、緊急時は自由より統制を優先するべきだったと思います。
>それまでの幕府のように、出身や身分の限られた一部の人間だけで統治するような
>やりかたでは、諸外国に対抗できる強固な体制には、到底成り得ないでしょう。
私もそう思います。
ですから、私は井伊直弼を、政治体制そのものの変革には手を付けず、
近代化のみを推し進めた曽国藩や李鴻章と同類の政治家だと思っているのです。
>井伊の選んだ武断政治では自由な意見主張が統制され、その後の国創りに於いて
>建設的な方向にはならないはずです。そういう点で封建制度の固持に綿々としてい
>る井伊の政策は、国内の体制を整備する上では有害だったと思います。
彼の立場は、あくまで封建国家の宰相でした。
そして、その立場で最善を尽くした人物でした。
国家体制そのものの変革には、革命か戦争が必要だったでしょう。
しかし、それは彼の仕事ではありません。
973 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 00:59
>>970 >当時の諸侯軍の一般兵なんかは彼等の側に神がいるのかと畏怖したのではないか?
>というか、そういう心理が働いた結果ではないかと言ってるんだけど、そんなに変?
私もそう思います。
物量の差も、戦略的不利も、常識もことごとく無視して、勝ちまくる軍隊が存在すれば、
神か悪魔か、何か超自然的なものが付いているのではないかと思う方が、
自然な反応であるような気がします。
実際、「偉大なる行軍」の洗礼を受けた地域の住人の中には、
フス派に転向した者も存在していました。
>それでも信仰からくる強い裏づけがある兵隊を指揮するのは楽だろうと思うけど?
場合によると思います。
信仰が強力な結束力を生み出す場合もあれば、
信仰のためにコントロールを失って暴走する場合もあるからです。
974 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/27 01:07
>>962 >>963 >>968 評伝をまとめていただき、お疲れ様です。
>今スレではアウゼングラーブ、ヴォーバン、ミュラ、ブロコブ
>などの評伝が個人的には特に面白かったです。
典型的な英雄・名将・名宰相などより、一風変わった人物の方が面白いですからね。
>>945 15世紀の東欧・中欧は、優れた人物がたくさん出ているんですよ。
あまり知られていない時代や地域にも、立派な人物はいるんです。
それを書きたくて、このスレにいるのです。
>>971 計画の成功率、これ以上は技術論に踏み込み、煩雑になるので止めておきますね。
ただ斉彬の思想について、あと少しだけ述べさせていただきます。
斉彬は幕府に、西洋に対抗するだけの国防力の強化を進言し続け、軍艦を献上し、
またペリー来航以降の幕府の狼狽振りを目の当たりにして、各個たる体制の
元で強力な外交力を持つ事が諸外国と渡り合うためには必要だと考えるなど、
先進的に日本の行く末を考える事の出来た人物です。
けして自分の権勢欲の為だけに日本を混乱に導こうとしたわけではなく、
慶喜を将軍にするというのも、開明的な彼の元で様々な改革を行い、外国に対抗で
きるよう国を強化したいと考えていたからに他ならないと思います。
井伊の武断政治に対抗しようとしたのも、斉彬が計画を藩士に打ち明ける際に
「このような方法は望むところではないが」と付け加えているように、
外国文明にとても理解のあった彼こその、旧態然とした幕府のままでは何れ亡国に
なり、もう尋常な手段では幕府を改革できないという、ゆくゆくの思案の果ての
ことだったと思います。
現実に斉彬の死後、圧倒的な弾圧政策の前に、諸藩、薩摩はもとより長州でさえも、
恐れおののいて波風を立てないよう「安政の大獄」に協力姿勢を取るなど、
独裁は井伊の元に確立されそうになっていました。そうなっていれば革命も戦争も、
到底起こりえなかったでしょう。国家制度の改革が日本が生き残る為の必要条件で
あるのなら、井伊政治に具体的計画をもって唯一対抗しようとし、それにより薩摩
をしてその後の維新を方向づけた有力諸侯として、これを斉彬の評価を下げる材料
にはしたくないと考えています。
>>972 僕も井伊を統率トップ候補にあげてますので、彼の指導力には並外れた凄さがあると
思っています。徳川体制を維持するという手腕に於いては、国難の時期にあって
彼以上の適任者はちょっと見つからないでしょう。
「井伊大老ではなく義言大老」と言われるように、井伊政策とはつまるところ
長野主膳ですが、この有能な謀略家を腹心として活躍させたのも統率者として優れて
いた証明で、幕府の指導者としてはとても有能な人物だと思います。
けれどもこの時期に封建体制を守るために尽力したというのは、国家的な視点では
迷惑なことで、暗殺された事が結果的にプラスだったのでしょう。
やはり幕府の人間であっても、幕府に幕を下ろすことに貢献して国家全体を優先した
勝海舟や徳川慶喜などのほうが歴史に果たした功績は大きいのではないでしょうか。
ドストエフスキーが『罪と罰』で述べているように、時代の先駆者というのは、
社会にとっては危険な側面があるのだと思います。フランス革命、アメリカ独立戦争、
南北戦争しかり、理想的に成功した明治維新ですら、幕府側指導者の賢明な選択が
なければ、江戸城無血開城までは常に泥沼の内戦に陥る危険を孕んでいました。
失敗した場合のリスクに臆さず、断固として時代をリードした英雄の存在が、
歴史的な変革には必要条件なのだと思います。
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