インド国内のチベット系民族というのは、J&Kのラダッキ/バルティ、
HPのラーホーリ/スピティパ、シッキムのボドなどヒマラヤ沿いに
たくさんいる。
一般に「Bhotiya」と呼ばれているモンゴロイドの形質を持つ民族は、
最近の研究ではチベットから最近下ってきた民族ではなく、
もっと古くからヒマラヤ南面に住んでいる人々
(チベット・ビルマ語族ヒマラヤ諸語を話す人々)とみられている。
>>895 おお、いい頁だ、サンキュー。
ただ日本の方言が取り上げられていない、がっくし。
897 :
世界@名無史さん:2005/07/01(金) 22:40:40 0
>>894 もっと古くは平野部にも広く住んでいたんでしょうか。
898 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 08:08:27 0
インド史ってアレクサンドロス大王の名前(サンドロコッテス)が見つかって初めて
西暦に当てはめることが出来たって聞いたけどホント?
それまでは王朝ごとの歴史書がバラバラでまとめる事が出来なかったとか
899 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 08:16:35 0
アレクサンドロス大王の名前では無くして、
チャンドラグプタのギリシア語形表記。
900 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 08:21:01 0
アレクサンドロス大王以前の印度世界に於いて男色関係は
どの程度、盛んだったのでありましょうか?
仏典類を繙く限り、けっこうオーラル・セックス(フェラチオ)を
含めて、男性同士の性愛は盛行して居たように見受けられるが、
成立年代が判然として居ません。
『マヌの法典』の文言は「バラモン層」の理想を記したものでしかナイし。
識者の方々、御教示下されい。
901 :
世界@名無史さん:2005/07/02(土) 17:52:15 0
>>897 モエンジョダロ出土の人骨にはモンゴロイド形質を持つものが
あるらしいよ。ただ彼らがチベット・ビルマ系言語を話していたか
どうかは皆目分からん。
もし古い時代、平野部にチベット・ビルマ系民族が住んで
いたのなら、パキスタンに残るブラフーイー語(ドラヴィダ系言語)や
インド東部に残るムンダ諸語(オースロアジア系言語)
みたいに何らかの痕跡が残っているはずだが、そういう痕跡は
発見されていない。
マハーバーラタあたりに出てくるキラータはチベット・ビルマ系民族と
みてよさそうだが、当時すでに山岳民族とみなされていた。
移動経路から考えると平野部にいたとしてもヒマラヤ寄りに
多く住んでいたとみていいでしょう。
902 :
世界@名無史さん:2005/07/16(土) 01:36:56 0
15日の日経記事によると、英国におけるインド系の平均所得は白人を追い抜いたらしいな。
小売業の主導権を握ったらしい。
パキスタン系は全然あかんらしい。
米国でのインド系の活躍も目覚しいし。
>>902 だってインド移民って都会にしか住んでないんだから、
田舎に住んでる連中も一緒くたにした平均と比べても
意味ないよ
904 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 16:42:13 0
>>903 都会に住んでいる点だけならアフリカ系も同じでは。
都会は都会でもスラムという可能性があることを思えば、やはり収入のいい職についている層が多いのでは。
印僑とアフリカ系じゃ移民の歴史が全然違うしねえ
いろんな要素があるから単純化して語れる話じゃないよ
906 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 18:35:31 0
みすず書房のインド史3巻本を復刻して欲しい
アフリカ人や中国人じゃインド人にはかてんだろう。
908 :
世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:58:45 0
イギリス華人ってどうなんだろ?
>>907 >中国人じゃインド人にはかてんだろう
たしかマクマホンラインは中国側有利に引かれたんじゃなかった?
中共きらいだけど
あと、数学オリンピックの上位常連は中国陣だったような。
種明かせば、国威発揚のための国を挙げてのバックアップ、だがw
中国とインドが喧嘩してる場合じゃまいが
910 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 23:47:45 0
age
NHKブックスの「インダス文明」読んだけど面白いね。
インダス文明って意外に後のインド文明とつながってたんだなー
インドって凄く面白い地方なんだが
派手さがないんだよなぁ…
中国史より学ぶ価値有ると思うんだが
記録の量が中国と段違いだからなあ。
学ぼうと思ってもなかなか思うようには。
914 :
世界@名無史さん:2005/09/10(土) 12:07:36 0
>>898 インドは紀年法自体がおびただしい数の種類が乱立していたからね・・・
915 :
世界@名無史さん:2005/10/02(日) 23:18:29 0
916 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 03:09:31 0
始皇帝やアレクサンドロスはメジャーなのに、
アレクサンドロスと同時代のアショカ王は無名だよね。
征服領域に関してだけを見れば、始皇帝と同程度のような気がするんだが。
アショーカって「諸王の王(バシレイオス・バシレイオン)」を名乗ったんだっけ?
>>916 それは日本だけの事だよね?
欧米じゃ始皇帝はほとんどの人が知らないんだけど。
無名有名に関しては、出版されてる書物次第じゃないかと。
919 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 23:45:13 0
康煕帝やスレイマン大帝はメジャーなのに
アウラングゼーブは…とか言ってもしゃーないしな
920 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 11:46:58 0
その2人も一般人にとっては微妙だぞ
921 :
919:2005/10/20(木) 00:51:11 0
いや、そーだが清朝やオスマン朝よりもムガルは輪を掛けてマイナーだよね
インド史ってそんな感じって比喩だと思ってくれい
922 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 22:02:14 0
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ゝ、 / /''^⌒ /::::r'
/ 久,-' ,,,_ノ , '´`ヽ、 /::: i
r' r'" ( ノ /:::::::| ターンセーン
924 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 18:28:14 0
1192つくろうタラーイン
覚え易い
925 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 19:03:01 0
何かインド史って出来損ないの歴史みたいね。
膨大な人口と悠久の歴史があるにも関わらず、世界史の上で重要だったことは一度もない。
ムガル帝国がインドの大部分を統治したのって半世紀に満たない間だけだったしなぁ。
それも今のインドより狭い領域だし。
清やオスマンに比べると格が…
927 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 19:40:56 0
つかみどころがない。全体のイメージがとらえにくい。
ターバン巻いてカレー食ってるインド人しか思い浮かばないw
928 :
李星:2005/11/03(木) 19:59:22 0
まあ、‘‘ゼロ,,の概念を生み出したのはインド人だがな。
他にも色々と数学や医学や天文学の知識を次々と発明していたから意外と地味に活躍してるしな。
それに仏教の発祥地でもあるし、今でも米国ではコンピューターや医療の分野で活躍している人は多いね。
でもやっぱりインド史は全く違った人種や民族の王朝の興亡の繰り返しであって、
そもそもインド人は「歴史」に興味を持った事が全く無いと言われていて、「歴史」の概念そのものが無いらしい。
ちなみに、南米でも高度な数学の知識を持ったアステカ文明があったと言われ、
南米の先住民も‘‘ゼロ,,の概念を編み出していたと聞いた事がある。
929 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 22:48:28 0
政治史ということでは、インドはあまり世界史的な影響はないね。
日本よりはあるけれどw
しかしローマ交易史やアジア各地の古典文化とかを見てもわかるように、文化史的には結構、重要。
思想史に至っては、世界史上でもナンバーワンの影響力だよ。
仏教がアジアに及ぼした影響、ヒンドゥー教と東南アジアはもちろん、
欧州におけるネオ・プラトニズムやイスラーム神秘主義におけるインド思想の影響。
キリスト教と比較しても、その深い影響力は絶大。
930 :
世界@名無史さん:2005/11/03(木) 22:51:09 0
また現代物理学においても、量子論の形成にインパクトを与えたのはインド思想。
>>927 ターバン巻いているのは実はシーク教徒だったりな
932 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 12:00:16 0
基本的に外国人はアウトカーストだから、カーストによる穢れを気にする
ヒンドゥー教徒は外国ではメシも食えんわな。
933 :
世界@名無史さん:2005/11/08(火) 18:09:11 0
インダス文明からじゃないの?
934 :
世界@名無史さん:2005/11/23(水) 19:13:46 0
age
935 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 22:22:36 0
古代インドの数学者ブラフマーグプタは実在の人?
936 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 22:20:19 0
日本語で読める通史で一番いいのは
みすず書房のターパル・スピア共著の「インド史」全3巻なのかな
937 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 12:45:01 0
インドめ…… なかなかやるわい
こういう話聞くと「ある日突然地塊が傾いて大変動が起きたのか!
そうか!グラハム・ハンコックは正しかった」と思いこむ阿呆が
出てきそうだけど、こういう動きは数万〜数百万年かけてゆっくり
進むものだ、ということをちゃんと理解しておきたい。
940 :
世界@名無史さん:2006/01/01(日) 00:03:25 0
age
チャイナや支那は中国
ペルシアやパルシーはイラン
インドは、世界からインドと呼ばれて
クレームをつけたりしないんでしょうか
942 :
みぽ:2006/01/11(水) 11:11:48 0
唐突ですが、カルカッタ大学が生徒数莫大なため事務手続きが滞り10年ほどして届いたものをご存知なかたいらっしゃったら、
教えてください。宜しくお願いします☆
943 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 22:39:43 0
クシャナ朝の征服時に北インドを支配していた王朝って何?
944 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 23:22:00 0
クシャナ朝って北インドを支配していたのでは・・・
945 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 23:33:29 0
だからクシャナ朝はどこから北インドを奪ったのかと・・・
アーンドラ朝は、今ではサータヴァーハナ朝というんだな。
それに、大月氏とクシャン朝は、別物になったんだな。
世の中、変わるな。
947 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:58:23 0
いつk等?
949 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 12:40:08 0
学術文庫の「古代インド」はどうでした??
950 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 15:55:36 0
951 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:24:51 0
スンガ朝とかは続いてなかったのでしょうか?
952 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 23:26:26 0
シュンガ朝が大部分をサータヴァーハナ朝に征服されたあとに
カーンヴァ朝マガダ王国が辛うじて残るけど、
北インドの大部分は結局サカ族と群小政権の手に帰した……じゃなかったかな?
ゴール朝のインド侵入時も群小政権だったっすね
インドのロリータは目がくりってしていてかわいい。
さすがに手を出すのは憚られたが・・・(同行者に止められた、ていうかそれでよかったと思う)
955 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 22:44:54 0
うう
インドの女の人が良くしてる(?)鼻ピアスにはなんか意味があるの?
957 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 20:11:26 0
インドのサカ・パフラヴァ系王朝は主なものだけでも5つも
あって把握しにくい。日本の本ではあまり整理して解説された
ことないし。
クシャンがインド進出を始める(1世紀後半)前はどういう状況
だったかというと、
紀元前1世紀はじめにインド・グリークを蹴散らしてサカが
ガンダーラ〜パンジャーブを占領した(マウエス王〜アゼス王の
王朝)。この王朝は1世紀前半に分裂して自壊。その配下の
サトラップで、後に自立したマトゥラーのサカも1世紀前半
以降消息が知れない。
その隙を縫うようにパルティア傘下のサトラップだった
ゴンドフェルネスが20年頃西〜北西インドに領土を広げ
新たな王朝を建てた。この王朝だけは特にパルティア系
(パフラヴァ)と呼ばれるが、この辺の連中は純粋なサカ
なんだかパルティアなんだか混血なんだか実際は
区別できない。
この王国はほとんどゴンドフェルネスの一代王朝で、その死後
1世紀後半クシャンに蹴散らされて西〜北西インド領土を失う。
後継者はもといたアフガニスタン南部に引き上げた。
東インド(マガダ)は、マウリヤ朝(180BCE頃滅亡)、シュンガ朝
(187BCE頃〜72BCE頃)、カーンヴァ朝(72BCE頃〜25BCE頃)と
経るに従ってどんどん領土が小さくなっていき、カーンヴァ朝が
サータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)に滅ぼされると、東インドに
統一政権はなくなった。
サータヴァーハナ朝が北インドにどこまで深入りしていたかは
知らない。
クシャン朝ヴィーマ・カドフィセスが北西インドに進出したのは
こういう時期。クシャン朝領土は東はヴァラーナスィーあたりまでで
これ以上東インドへ深入りしていない。仏典には、カニシカ王
(小月氏王)がパータリプトラに攻め入ったという話があるが、
あんまり信用できない。
クシャン朝は西インド(現スィンド〜グジャラート/ラージャスターン)
は直轄領とせず、ここにはサカ族のサトラップを置いた
(クシャハラータと西クシャトラパ)。
クシャハラータ(1世紀中頃〜153)はラージャスターンを支配し、
サータヴァーハナ朝と戦争を繰り返すうちに弱体化して自滅。
最終的には153年に西クシャトラパに滅ぼされた。
西クシャトラパ(78〜390)はスィンド〜グジャラートを支配し、
後にクシャハラータを滅ぼしてマールワーのウジャインに都を
移した。単に「サカ王朝」といえばこの王朝を指すことが多い。
かの有名な「サカ紀年」はこの王朝の年号。
西クシャトラパはルドラダーマン王(120頃〜150頃)時代に
最盛期を迎え、クシャハラータを滅ぼした後はサータヴァーハナ朝領を
侵食して最大領土を達成する。
2世紀後半〜3世紀前半の西インドは、北から順にクシャン、サカ
(西クシャトラパ)、サータヴァーハナが並ぶ。東インドはポツポツ
群小王国の記録があるくらいで、320年にグプタ朝が出てくるまで
詳しい状況は不明。
なお「サータヴァーハナ朝」は昔「アーンドラ朝」と呼ばれることが
多かった。この名称の混乱は、プラーナ文献では王族名を取って
「アーンドラ」とだけ呼ばれているのに、碑文では「サータヴァーハナ」と
だけ呼ばれているから。
両者は同一王朝に間違いないが、この王家の発祥の地や本拠地は
アーンドラ・プラデシュ州ではなくマハーラーシュトラ州であるせいか、
最近は「サータヴァーハナ」と呼ぶ方がはやり。
964 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 21:07:36 0
インド・グリーク朝は紀元前後まで残ってインド・パルティアに
滅ぼされたんじゃないの?
えと、使徒トマスは何処へ行ったの?
966 :
世界@名無史さん:2006/02/07(火) 22:05:50 0
>>964 グレコ・バクトリア〜インド・グリークも一本じゃないからね。
末期(紀元前1世紀)には4系統くらいに分裂していた。
デメトリオス2世(180BCE頃〜165BCE頃)がガンダーラ
〜パンジャーブに進出したが、その隙にバクトリア本土の方は
エウクラティデス1世に奪われ、バクトリア〜ソグディアナは
この系統が支配。
エウクラティデス系が支配したバクトリア本土は140BCE頃、
大月氏に奪われ、この王家はバダフシャン〜カーブルあたりに
押し込まれた。最後ははっきりしないが、南下を続ける
大月氏に50BCE頃滅ぼされたよう。
ガンダーラ〜パンジャーブは、デメトリオス2世の武将だった
メナンドロスの系統が支配。一般にインド・グリークと呼ばれる
のはこの系統。メナンドロスの死(130BCE頃)後は分裂して、
大半は次々にサカの餌食になった(80〜50BCE頃)。
メナンドロスの嫡流は、東パンジャーブに弱小政権として
生きながらえる。かつては、70BCE頃にサカ(アゼス1世の頃)に
滅ぼされたとみられていたが、最近の説だと、唯一紀元前後まで
細々と続いて、最後の王ストラトン2世が10CE頃マトゥラーの
サカに滅ぼされた、というのが有力らしい。
この説はOsmund Bopearachchiの研究が出典らしく、ネット上でも
この説を採用しているサイトが多いが、この著作自体見ていないので
妥当かどうか知らん。
インド・グリークを滅ぼしたのは「サカ」か「インド・パルティア」か?
という問題は、
>>958 にもあるように両者を明確に区別するのは
難しい。
最初にガンダーラ〜パンジャーブに侵入したマウエス(モガ)の
出自に関する最も有力な説は、
スィースターン(サカスターナ)にいたサカ(当時すでにパルティアと
混在していたはず)の一部が、120BCE頃パルティアのミトリダテス
2世に敗れて東進。110BCE頃一旦スィンドに落ち着き、80BCE頃
マウエスに率いられてインダス川を北上、ガンダーラ〜パンジャーブの
インド・グリーク諸王家を蹴散らした、といわれる。
これとは別に、マウエスの系統は、『漢書西域伝烏孫国条』にある
「大月氏に敗れて南へ縣度(カラコルム)を越えた塞王」が、さらに
南下してガンダーラ〜パンジャーブに現れたものだ、という説もある。
実際、カラコルム街道でサカが残した碑文が数多く発見されている。
また、このスィースターン東遷派とカラコルム南下派が合流したもの、
という説もあり決着してない。
80BCE頃にガンダーラ〜パンジャーブのインド・グリークを蹴散らした
マウエスと、50BCE頃にガンダーラのインド・グリーク残党にとどめを
刺したアゼス1世の関係についてもよくわかっていない。
アゼス1世はマウエスの子孫だとも、これと関係なくスィースターンの
パフラヴァが新たに東進したもの、ともいわれている。
日本のインド史研究では、インド・グリークやサカ・パフラヴァあたりは
今は非常に手薄で、最近の知見についても邦文ではあまり報告されていない。
前田耕作 『バクトリア王国の興亡』 も、メナンドロス以降のインド・
グリーク後期については内容が古くなりつつある。
971 :
世界@名無史さん:2006/02/07(火) 23:16:48 0
そういうアナタはカロシュティ文字が読めるの?
972 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 22:33:11 0
カロシュティ難しいよねえ。
そろそろ次スレでは?
974 :
世界@名無史さん:2006/02/14(火) 22:50:14 0
そういえば、中国正史の記事を解読するのがあれだけ好きな
日本の学者さんも、前漢の使節とインド・グリークとサカが
入り乱れてガンダーラでチャンバラした様子を伝えているらしい
『漢書西域伝罽賓国条』にはあまり注目する人がいない。
やっぱりマイナーな分野なんだな。
975 :
世界@名無史さん:2006/02/26(日) 23:28:24 0
まいなーだ
976 :
世界@名無史さん:2006/03/11(土) 12:29:24 0
インドの古代遺跡は優れた排水路を持つとあったので、汚水はどこに向かったのか質問スレで聞こうと思ったが、単純に川だわな。
977 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 21:54:03 0
978 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 21:57:41 0
979 :
世界@名無史さん:2006/03/13(月) 12:04:19 0
インダス文明からじゃないの?
980 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 22:07:37 0
en.wikiはグレコ・バクトリアとかサカ・パフラヴァは異様に詳しい。
多分この辺をやってる(やってた)院生クラスが深く関わってると
思われる。グレコ・バクトリア/インド・グリークの項目での
主なネタ元がボパラッチの研究。
前田耕作 『バクトリア王国の興亡』は、Tarn説(1951)とNarain説
(1957)が主なネタ元で、両者を中途半端に折衷してるもんだから、
本文中に自己矛盾がたくさんあって、読んでて混乱する。
たぶん著者自身も混乱したまま書いているはず。
邦文では、ほかに G.ウッドコック 『古代インドとギリシア文化』
平楽寺書店 1972 というのがあって、非常にわかりやすく
まとめられている。それはTarn説ともNarain説とも違う説が多い。
ただし「妙にわかりやすい」というのは反面危険でもあって、
この本でも根拠のない断定?と思われる記述が多い。
アポロドトスという王については、一人だけという説と二人いるという
説があって決着していない。メナンドロスとほぼ同時代に置かれる
アポロドトス(1世)については、年代が錯綜しているどころか、存在自体
怪しいらしい。この辺の歴史は、史料は極めて少なく、ほとんど
コイン編年とコインの出土地から支配地を推測する、という作業で
構成されているから、定説が固まった、というにはほど遠い状態。
ミトラダテス1世の時代は西のセレウコス朝領を侵食し始めた頃で、
「ヒダスペス(普通はパンジャーブのジェラム川のことだが、これは別の
場所=たぶんメディア、だろう)〜インダス間」というのは「まだ本拠地が
東の方にあった」という程度の意味で、パルティアの領土がインダスまで
達していた、というわけではないだろう。
ミトラダテス1世の東方進出で確実な記録は、170BCE頃、
グレコ・バクトリアのデメトリオス2世が武将エウクラティデスの
クーデターで滅びた際に、エウクラティデスへの協力の代償として
マルギアナ(メルヴ周辺)の割譲を受けた(あるいは、エウクラティデス
と戦って奪取した、という説もある)というもので、北東方面。
東方沿岸部への進出をはっきりと伝える記録はない。
ミトラダテス1世の末期(140BCE頃)、パルティア領とグレコ・
バクトリア領の間に、大月氏に逐われて南下してきたサカが割り込んで
きて定着する(で、そこはサカスターナと呼ばれるようになる
>のちのスィースターン)。だから、仮にパルティアの支配がインダス
付近まで及んでいたとしても、さほど重要視されてはいなかったはずで、
常駐するサトラップなどがいたような形跡も知られていない。
984 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 23:40:22 0
>>976 産経に週1連載してるインド特集でガンジス川の汚れについて
ヒンドゥー至上主義者の説
「イギリス人が下水道を作ったから川が汚れる」
しかしこれ一理あるんだ
昔は汚水ってもっぱら地下浸透だったんだよ
インドでは、乾期に地上にたまっていた汚物が
雨期には全部地中に染み込んで行くから
井戸水は使い物にならなくなる。
986 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 10:39:30 0
頼むから年代とか王の家系の話は原典(最近の本じゃなく)
・論拠を挙げてくれ。
987 :
シヴァタ:2006/03/15(水) 23:17:24 0
岩波書店が出してる年表に、「800年、タミル辞典『ティヴァーガラム』成立」
とあります。どの王朝下で主に誰が編纂したのか知ってる人教えてくださーい
988 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 14:04:58 0
(ティヴァーガラム)それは作者ティヴァーガラル「目の作者」の名にちなんで名づけられ、
アムバル(sic.)の王侯シェーンタヌの保護の下に作られたものである。
ルヌー 『インド学大辞典』1550
990 :
世界@名無史さん:2006/03/16(木) 23:28:41 0
さあ埋めるか
992 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 20:59:07 0
このスレ読み返してみたら意外におもしろかったな
話題が散漫なのもインドらしくていい。
993 :
世界@名無史さん:
今更ながら上げ