>>902 >それは、いわば経由点とかサブ・ピースで、社会史、あるいは生活史をベースに据えた日本史を構想
社会史というより生活史でしょうね。それが興味がもてないとこなんです。
社会体制とか、生活じゃなくて、庶民の経済活動とかになると興味がわくんですが。
>国家史とか社会体制史を中心に日本史を考えてるんだろうな、と思えるんですが。
そうです、俺は新聞でいえば、社会、政治、経済しか読まないタイプです。
網野氏は地方のちょっとした事件を追うタイプですね。
というかむしろ、そういったものを積極的に追いかけるタイプでしょう。
歴史の表舞台に立てなかった人にスポットを当るのが好きなんだと思います。
どちらも日本史だとは思ってますが、なんでこんなものに労力をと思うわけですよ。
その力を他の方面に注げよなと。
909 :
世界@名無史さん:04/08/05 23:15
ヨーロッパの場合、都市は城郭に囲まれているのだが、城郭内の人口は多くても1万人ほど。
衛生状態はすこぶる悪い。農村も転々としないとすぐ不毛の大地となる。麦一粒植えても1粒
も取れないことなどざら。平均しても2、3倍しか取れていない。日本では米一粒から100粒
くらい取れているし、連作も可能。
>
新大陸からジャガイモが入り栄養状態が好転したが?
上の方で19Cのアイルランド飢饉を取り上げている人がいるが、このジャガイモの不作が
原因の一つ。
逆にいえば新大陸から入ったイモ類が人口増産と食糧事情に貢献していると思われ。
あなたのいうような悲惨な状況に欧州が置かれているなら、それこそ嫌韓厨や嫌シナ厨が
好むイザベラの紀行文で日本の農村が貧しく、体格も貧弱だとかかれているのか?
なんとも不思議な話である。
江戸時代、取立てが厳しくなったと言っても今まで10しか取れなくて3割税でとられていたのが、
40取れて5割取られるようなものだから実質的な所得は上がっている。
>
あがっているのなら餓死者が出なくなっていくはず。
実際は続出しているし、捨て子や間引きが日常的だった。
>>903 見方が俺とは根本的に違いますな。それを悪いとは思わんが。
歩みよりは不可能でしょう、だからこういう見方もあるという事だけを理解してくれればいいや。
同じ例えでいえば、
パズルのピースが一つでも足りなければ、完成とはいえない、
極力多くのパズルを集めるべきだって意見なのでしょ、
だけど、俺はね、少々足りなくても、全体の絵が分かればそれでいいタイプなわけ。
勿論個別事象に興味がないわけじゃないよ、例えばパズルの中心部分なら一個一個丁寧に調べるよ。
けど、角のピースを調べてもなあとなるわけよ。
911 :
世界@名無史さん:04/08/05 23:23
>>903 そうです。まさにそうです。網野史観の根本は日本文化は単一ではなく、遠く安藤氏や尚氏に至るまで
東西に文化の断裂が起こっており、京や鎌倉、江戸から見る日本の辺境とされる地域は実に豊穣な地域で
あり文化を育んできました。
近世の文化的統合がとくせん政権ひいては明治以降の天皇を中心とする近代史観および価値観により
統合されていく中でそれらの地域の人々もいやおうなく同化され、かつての採集狩猟民や神人らも
中世の栄光ー契約から次第に没落し同和問題へと変形していくなかで、この国のかたちというものを
江戸や日本の幻想にとらわれず遠く中世から見つめ一般に広く膾炙したのが網野さんの業績だと思います。
>>910 マグロがトロだけで泳いでいないようなもので、政治・経済・宗教その
他諸々の要素が絡み合って「日本の歴史」を作り上げて来た訳で、とりあ
えず興味があるものだけやって分かろうとしても無理な話です。
まあ、「歩みよりは不可能でしょう」という点だけはあなたに同意出来ま
すので、この辺にさせて頂きますが。
>>909 べつに毎年餓死者が出てるわけじゃないでしょ。
実際、飢餓による死亡率ってどのくらいだったんだろ。
現代人の交通事故死亡率と変わらなかったりして。
>911
勇み足過ぎる気もしましたが、及び腰の失敗よりはよほどいい。
やはり今考えても惜しい方でしたね。もっとも「今では」同じような
研究を手がける人も多くなったような気がしますが。
915 :
世界@名無史さん:04/08/05 23:26
>>910 それはあくまで江戸や鎌倉、京らを中心とした史観の投影であると考える。
近世から近代への移行期はそういう統合の時代であったが、だからといって
そこに暮らす人々の暮らしが「なかった事」になるわけはないし、「人々の営み」が
ないことになるわけでもないでしょう。
>>909 北関東および東北は、幕藩体制の犠牲者みたいなものだからな。
諸藩の場合は江戸滞在や参勤交代の莫大な費用の捻出が原因。
あと餓死者が出た理由は、寒冷化が一番の原因。
それまで温かかったので、米の北限があがり、東北でも米の栽培に切り替えていた最中に起こったわけだ。
それまでの生産体制にはそうそう簡単に戻せないし、
都市人口が増加し、当時一番換金がラクだったのが米なんだから、それは仕方ない。
917 :
世界@名無史さん:04/08/05 23:30
>>916 享保の飢饉のように西日本を中心に餓死者が続出した飢饉も数多い。
北関東から東北は飢饉で有名であるが、捨て子や間引きは全国的なものでしょう。
>>915 俺の場合は、なかった事にはならないけど、それが日本にどのような影響を与えたのかって繋がるんですよ。
視点が違うんだと思いますよ。
>>917 西日本でも蝗の大発生、水害などで飢饉になったことはあるんだけど。
一次的に減っているだけで、最終的には人口は回復しているんだよ。
江戸時代中期1750年頃で江戸時代の人口上昇はストップしてしまうわけだが、
少し視点を下げると、西日本では何割か上昇し、東日本と大都市部で減少しているのがわかる。
もっと下げると、中四国と九州南部の農村部では五割近くも増加しているんだよね。
中四国の都市部では横這いか微増って感じか。
東日本では、農村部が激減し、地方都市が増加、大都市は減少って感じね。
食べなくて都市にいくけど、結局仕事がなかったり、都市部で免疫がなくて疫病に感染して、
バタバタ倒れるという流れ。
>>908 >社会史というより生活史でしょうね。それが興味がもてないとこなんです。
>社会体制とか、生活じゃなくて、庶民の経済活動とかになると興味がわくんですが。
失礼かもしれませんが、
もし、現在の新聞の「社会面」から連想される内容と「社会史」とを短絡されているのでしたら、
網野氏の研究への評価については置いておくにしても、
「社会史」の理解としてはマズかろう、と思います。
例えば、以下を参照されるとよいように思います。
竹岡敬温、他編、有斐閣選書『社会史への途』有斐閣
阿部謹也『社会史とは何か』築摩書房
922 :
世界@名無史さん:04/08/06 00:03
ルソーは5人の子供を全員捨てた。
彼は1712年に生まれて1778年に死んでいる。この時代はヨーロッパでも
捨て子は当たり前だったのだ。日本に限った話じゃない。ちなみに結婚したのが1745年。
捨てられた子がどうなったかは知らないが、栄養失調などで全員死んだと思われる。
当時の孤児院では新生児の生存率は10から20%。そこを切り抜けても里親がみっかれば
いいがそうでなければ成長段階で死ぬ。
日本と比べると孤児院という施設があるだけましにみえるかもしれないが、どっちみち
大半は成人前に死ぬ。
923 :
世界@名無史さん:04/08/06 00:05
将軍徳川家斉の子供の40歳時の生存率
7/55
>>920 いや流石にそこまでは誤解してませんよ(苦笑
書き方が悪かったかな、新聞を例にあげたので混乱させてしまったみたいですね。
>>921 それもあるでしょうね。
これは歴史人口学だけからみた見方ですけど、
経済面などでもちょっと埋め難い差があるんですよ。
>>925 いえ、私も分かりやすいように、今での意味で話したのが不味かったです。
実際私も意味の掘り下げはあまりしていなかったので、参考文献はありがたく読ませていただきます。
927 :
世界@名無史さん:04/08/06 00:12
富裕で上流階級の天皇家にたとえば一七世紀の霊元天皇に三五人の子どもが生まれ、
一四人は一〇歳未満で死んでおり、東山天皇は一一人の子どものうち五人が一○歳未満で死んでいる。
一九世紀の孝明天皇は六人生まれて五人が死に、ただ一人生き残った明治天皇は一五人の子をもうけて、
一○人までが夭逝している。天皇家の乳幼児死亡率の高さの理由として、第一は近親結婚によって生命力が
弱ったと考えられる。第二に、間引きが頻繁に行われていたことである。
教育勅語に「なんじ臣民は父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し・・・」とあるが、このような天皇家の夫婦関係を
手本にしてよいものかと疑問を呈している。
928 :
世界@名無史さん:04/08/06 02:41
1300-1500年ヨーロッパではイタリアがもっとも栄えていたが(世界史的にはヨーロッパは
辺境も辺境だったが)、フランスの人口歴史学者レイナールなどの綿密な研究によると、
イタリアは、1340年の人口が930万人だったが、1500年には550万人になっていたという。
160年間に4割も減ったことになる。
あのルネッサンスの文化が花開いた頃にだ(ルネッサンスって単なるアラビア語文献を
必死に翻訳しまくっただけだが)。都市部の衛生状態が悪くて疫病が流行ってばたばた
死んでいった。
>>906 将軍家や大名家は毒殺などもある。
>>907 メッカに行くのは一生に一度、伊勢参りはもっと頻度が高い。
>>909 イザベラが来たのは明治11年。西洋は産業革命が終わったあと。日本はこれからというとき。
日本人は動物性タンパク質を食っていなかったから小柄だった。また土壌にミネラル
分も少ないので、同じ野菜・果物・牛乳を飲食してもカルシウムなどの摂取が少ない。
小柄というだけで貧相ではない。西欧人と比べても骨折率は遥かに低いのである。
今は日本人は食が洋食化しカルシウム摂取量は増え体型が大型化したが、洋式便所が
普及したおかげで日常の足腰の鍛錬がなくなり骨が脆くなっているのである。
西洋は小麦などの収穫量が古代ローマを越えるのは産業革命まで待たないといけない
ぐらい暗黒の時代だった。日本は古代ローマの収穫量はとっくに越えている。まぁ麦
でなく米というのもあるのだがな。
西洋では一応孤児院とかがあったようだが、類似の施設は
近現代の(1600〜1900年代)日本にあったのだろうか?
捨てられた子供は運良く奇特な方に拾われでもしない限りそれっきり?
日本は貧しい国だったよ。今が異常なだけ。近いうちに元のビンボに戻るよ。
中>朝>>>>>>倭くらいかな。
931 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:00
932 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:06
>>927 上流階級での乳幼児死亡率が高いのは、乳母がおっぱいにまで白粉(炭酸鉛)をつけるため。
それで乳幼児は鉛を摂取して死に至る。
934 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:26
とんでもないことしてたね!
美容対策のつもりだったのか?
935 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:39
>>907 メッカ巡礼、現在でも年間100万人。伊勢神宮参り江戸時代年間500万人。
イスラム教徒は日本人の10倍以上いるが。
日本の場合、他に日光東照宮参り、お遍路さんなどいろいろある。
936 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:52
>>930 元になど戻らない。
朝鮮半島は、中国の領土になる。
937 :
世界@名無史さん:04/08/06 09:56
>>930さんを
迎えに来ました!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄
,___□□□□_
/ ̄ ̄ ̄ // ̄ ̄^|
/ ∧ // ∧ ∧|
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|O|o-o|O゚|精神病院
|∈□∋ ̄|__|⌒|_
 ̄ ̄ヽ_ノ ̄ ヽ_ノ^
キキッ
(*´∀`*)ムフー
938 :
世界@名無史さん:04/08/06 10:01
「朝鮮には文化が無い、あるのは中国のお下がりだけで、
それを取り除いたら、・・・やせた土だけだ」
↑ 無断コピー禁止!
940 :
世界@名無史さん:04/08/06 11:06
>>936 中国の領土になるということは元に戻ることじゃないのか。
>937
すまんな。手間かけさせた。
>>929 鎌倉・室町時代なら・・・
1、悲田院に引き取られる(鎌倉・京都限定)
2、寺院に引き取られる
3、貴族などの邸宅に和歌を添えて預けられる(室町時代以降は守り刀もつく)
そのまま犬に喰われた例の方が多かったようですが。
943 :
世界@名無史さん:04/08/06 12:51
>>928 江戸時代の話に1300−1500年代のイタリアを持ち出すのなら比較対象は
鎌倉末〜南北朝〜室町の戦国期にいたるまでが比較対照だな。
戦乱にあけくれ、土一揆が横行し貴族にいたるまで自力救済を余儀なくされ
世は古の戦国のようなと嘆いた時代と比較しなければアンフェアでしょう。
そもそもイタリアが統一されるのはガリバルティの出現を待たねばならない。
ジェノバ、ミラノ、フィレンチェ、ピサといった都市国家群が豊かとの説だが、
その豊かというイメージはどこから導きだしたのですか?
南仏を併合したフランスやアラゴン王国やアラブ人の侵略に悩まされた国々を
欧州で一番豊かとし、時代がまるで異なる江戸と比較する理由は何でしょうか?
比較するなら戦乱にあけくれた鎌倉末から戦国期の日本でしょう。
また江戸期の日本と比較するなら欧州では食糧事情が好転しています。
高値の花であった香辛料が大航海時代を経て人々に普及し保存性が高まりました。
ジャガイモの伝来は南欧はおろか寒冷地のドイツやアイルランドに至るまで普及し
庶民らの家庭料理として国民食となっていきます。
944 :
世界@名無史さん:04/08/06 12:56
>>928 将軍家や大名家が毒殺もある。
ほうすると欧州の王家の誰某が10人のうち1人しか残らなかった例というのも
疫病や衛生概念の無知のみならず陰謀もありえるということですな。
その上で55/7の生存率と1/10の生存率とではなおかつ差があるとこういう事ですな。
メッカ巡礼について
東南アジアからアフリカ東岸まで居住するイスラム教徒がメッカに巡礼し
帰還していく社会や交通システムの整備、ひいては往来中の経済効果は
計り知れませんが?
また伊勢や日光への距離とメッカ巡礼によるする日数、距離、費用などを比較検討していただきたいものですが。
945 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:01
>>928 産業革命の到来はなぜ起こったのでしょう?西欧社会がルネサンス期や宗教戦争を
通して次第に社会が成熟したからに他なりませんが。
また小麦などの収穫量をあげておられますが、ジャガイモの伝来による食料事情の改善は
重要な要素でしょう。
カロリーの取得量を論じるならなぜ考察の対象からはずされるのでしょうか?
946 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:04
>>931 http://www.nexsite.net/html/column/urasi/urasi06.htm ヨーロッパ医学の影響
日本を最初に訪れたヨーロッパの医師はポルトガル人のルイス・デ・アルメイダです。
彼は宣教師として訪れたのですが日本に捨て子が多いのに驚き育児院を作り、
また医療活動も始めやがて貧民病院も建てます.その後、医療活動は布教活動に付き物のようになったようです。アルメイダは日本人助手に臨床講義をし、やがて日本人たちが医師としても活動し始めます。
初代道三は引退した後ヨーロッパの医学に興味を持ったからでしょうか、77才で洗礼を受けクリスチャンに
なっています。
その嚆矢となったのはポルドガルの宣教師のようですね。
>>931>>942 『日本史』中の別のエピソードでは、野良犬に食われそうになっていた捨て子を助けたある司祭が、
日本の信者たちから、二度とそういうことはしないようにと忠告を受けています。もしこれが世間に知れたら、
毎晩たくさんのこどもが司祭館の前に捨てられることになる。そうなると、キリスト教を敵視している仏僧たちに、
バテレンは赤児を集めて食っているのだ、とあらぬウワサを立てられますよ、というのが理由です。
947 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:07
>>935 お遍路さんですが、農家の人が年行き働けなくなったときに
巡礼に出て文字通りの死出の旅となった例も多いと聞きます。
必ずしも豊かさの結果として旅に出たのではないということです。
948 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:24
>>942 西洋にしてもすべての町や村に孤児院があったわけでは
ないですし、犬の餌になった子供もの方が多いでしょう。
アラブや中国など他の地域ではどうやって人口を抑制し
ていたのか気になります。恐らくは日本などと大同小異
でしょうが。
949 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:28
シナは流民 や塩賊
950 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:29
子供 は売られたり食われたり
951 :
世界@名無史さん:04/08/06 13:44
手足のないこじきの道具 にされたり
952 :
世界@名無史さん:04/08/06 17:07
>>943 安土桃山時代をなぜいれない。どこの国でも戦乱に明け暮れていたら豊かではない。
大航海時代で、植民地化し搾取するようになれば豊かになるはな。それでも反あたり
収穫量は古代に適わない欧州なのだが。応仁の乱で京都は腐敗し京都の復興には
秀吉を待たないといけないが、日本全国が疲弊していたわけではない。
>>944 ヨーロッパは貧しいから餓死して成人に達していないのに、何ゆえに江戸と同じと
考える。
東海道や中仙道はにぎわっていたし、街道沿いも開拓されていた。メッカへの道は
石油によって大幅に改善されたがそれでも酷いぞ。メッカ巡礼は確かに経済効果は
あったろうが、高が知れている。
現在旅客鉄道の4割から5割が日本で発生しているが(フランス全部でJR北海道並)、
人の往来の激しさも江戸時代とヨーロッパ全体でも日本の方が上。
アフリカの金持ちが金(gold)をばら撒きながら巡礼し金が暴落したことがあった。
一生に一度いけばよいと言われ、一度でもいけば高僧扱いされる(それほどまれ
であった)メッカ巡礼と日本人の5人に1一人(実際は重複があるから違うが)は年に
1度言っていたことになる伊勢参りを比べられてもな。
メッカには石があるだけだが、伊勢神宮は20年に一度は建て替えられている。
イスラム教徒は現在でも兄弟(イスラム教を信じる他人をこう呼ぶ)に会いに旅行し
宗教談話に花を咲かせる。それに参加したことがあるが、折角遠くまで来たのだから
観光地めぐりでもしようぜと思ったが、連中は見ず知らずの連中と宗教話をするのが
楽しそうだった。とても経済効果があるとは思えんぞ。青春18切符で日本国内を
巡礼しまくっている留学生もいたな。
953 :
世界@名無史さん:04/08/06 17:50
ヨーロッパの印刷は15世紀になって漸く始まる。そもそもパピルスという草に文字を
書いていた連中。唐とイスラムが戦争して、それでイスラムに紙が伝達(すでに日本に
紙の製造は伝わっている)。でイスラムではヨーロッパに紙が高く売れるということで
製造法はずっと秘密にしてきた。結果として紙が日常に使われのにヨーロッパでは
1000年以上中国に遅れている。
紙が簡単に入手できるかどうかは印刷物の量にも効いてくる。印刷物の量は知識の量、
伝播、識字率などにも大きく関わる。
キリスト教が日本に伝わった頃、宣教師の連中は本国の子供より早くアルファベットを
マスターしていくキリシタン大名の子弟に驚いている。
日本の印刷は8世紀に始まり、百万塔陀羅尼は世界最古。100万部刷られた。
所得が上がると水の使用と紙の使用が増えるが、ヨーロッパでは紙の製造法がわかった
あとでさえ、湿気の少ない土地柄製造量が少なく高価だった。
17世紀に日本の貴婦人がヨーロッパに行って、鼻紙を捨てていったら、連中は必死に
拾いまくっていた。一度しか使わず捨てるのかと。連中では貴族でさえ鼻紙などなかった。
高物価と言われる日本だが、今でもティッシュの値段だけはすごく安い。昔はヨーロッパとの
差はもっとあった。
>>953 細かい話は門外漢なんで分からないけど一つ言わせて欲しい。
貴方の書き方だとまるで日本において印刷は陀羅尼経から始まって延々1300年続いているように思えるけど
実際は陀羅尼経の後印刷は行われなくなって、数百年してからようやく復活したんじゃなかった?
>>953 くだらん。そんなに日本が先進的なら、なんでヨーロッパに留学などせにゃならんのだ。
ただの釣りか? やめとけ。もうむなしいだろ。
>> 伊勢神宮参り江戸時代年間500万人
そんなことあるのかなぁ〜。
このペースだと平均して1日に13600人もだよ。
難民じゃあるまいし、そんな大人数が一挙に、
それもごく一箇所に向かって移動するなんてあり得るのか?
ちょっとした数字の誇張だとしても、こうも簡単に大雑把
なことを書かれると、どんどん説得力が薄くなるなあ。
>>956 日本オタの出したデータは基本的に信頼しないほうがいい。
根拠とかないから。