月氏・ソグド人・エフタル統合スレ

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122119:03/09/30 15:09
>>121
え?そうなの?おかしいなぁ。
80年代か90年代に女性学者がなんか本だしてなかった?
あれがエフタルの起源についてのまったく新しい新説だと書評があったんだが。
漏れはすっかり騙されてたようだな…鬱だ氏のう
123世界@名無史さん:03/10/03 16:05
>>116,>>118
エフタルは「白フン」、アッティラのフンは「赤フン」と呼ばれたてたはず。
トルコ系だと、身分の上下を白/黒で表わすことがあるようだけど、赤というのはわからない。

匈奴やロシアみたいに五行説とか関係あんのかな。
アッティラが南で、その北にも別な遊牧民があったとか?エフタルが西で、鮮卑が東のフン族だとか?

それとも北米インディアンを赤色人種というような感じで西洋人からみたモンゴロイドの印象だろうか?
124世界@名無史さん:03/10/03 17:11
たぶん下着の色では?・・・(お約束)
125世界@名無史さん:03/10/03 22:33
ネタでつか?
126世界@名無史さん:03/10/04 02:19
>>123
革命派が赤で、尊王派が白。
源氏方が白で、平家方が赤。
127123:03/10/04 07:02
>>124,>>126
ネタはイラネ。たいていつまんないから。
128世界@名無史さん:03/10/07 20:27
> 123
赤フン(Karmir Xyon)は鉄勒でしょ?
129世界@名無史さん:03/11/05 23:44
ネタ切れなようなので、エフタル関係文献の紹介でも。
エフタルに関するまとまった本はないので、これらをマメに当たるしかないですな。

中央アジア史の流れの中で紹介されている箇所や中文・欧文は省略。

重松俊章 「ロ厭ロ達種族考(第一回)」 史学雑誌 第28編第1号 1917
重松俊章 「ロ厭ロ達種族考(第二回)」 史学雑誌 第28編第2号 1917
宮崎五十騎 「ロ厭ロ達種族の発展(上)」 青丘学叢 第4号 1931
宮崎五十騎 「ロ厭ロ達種族の発展(下)」 青丘学叢 第6号 1931
榎一雄 「エフタル民族の起源」 『和田博士還暦記念東洋史論叢』 1951
榎一雄 「エフタル民族に於けるイラン的要素」 史学雑誌 第61編第1号 1952
船木勝馬 「エフタルに関する中国史料について」 史淵 第61号 1954
松田壽男 「悦般国の方位」 松田壽男『古代天山の歴史地理学的研究』 早稲田大学出版部 1956
松田壽男 「ロ厭ロ達の北境と天山の状況」 松田壽男『古代天山の歴史地理学的研究』 早稲田大学出版部 1956
松田壽男 「アルタイ山とエフタル族」 史観 第57・58号合冊 1960
山田明爾 「ミヒラクラの破仏とその周辺(上)」 仏教史学 第11巻第1号 1963
山田明爾 「ミヒラクラの破仏とその周辺(下)」 仏教史学 第11巻第2号 1963
榎一雄 「エフタル民族の人種論について」 東方学 第29輯 1965
内藤みどり 「エフタル民族とその発展」 『東西文化交流史』(雄山閣出版) 1975
桑山正進 「トハーリスタンのエフタル、テュルクとその城邑」 『三笠宮殿下古稀記念オリエント学論集』 小学館 1985
130世界@名無史さん:03/11/08 04:54
悦般に関して教えてくれ。
131世界@名無史さん:03/11/08 16:53
悦般に関する史料は「北史(魏書)西域伝」。
北魏太武帝時代の437年〜448年、わずか12年間現れるだけ。

先祖は匈奴北単于に従う部落。91年に竇憲に討たれ北単于が
西遷した際、亀茲の北に留まった。その後の動向は5世紀まで
不明。

5世紀には天山北麓ジュンガリア西部を支配。
言語・風俗は高車と同じ。柔然の大壇と対立。
437年(太延3年)北魏に使者。北魏の董[王宛]と高明が悦般に使者。
448年(太平真君9年)北魏に使者を送り、柔然挟撃を提案。

これ以降、中国史書上では消息が途絶える。
132世界@名無史さん:03/11/08 16:54
アム川流域のロ厭ロ達(エフタル)が最初に中国史書に現れるのは456年。

松田壽男・説では「悦般が南下しロ厭ロ達となった」
榎一雄・説では「悦般はおそらく柔然に討たれ滅亡。ロ厭ロ達とは無関係」

この決着はついていないが、松田説は弟子筋の内藤みどりが受け継いでいる。

しかし榎説の「悦般がロ厭ロ達となったとしても、その間わずか8年であり、
中国史書に経緯が述べられていないのはおかしい」というのも説得力ある。

第一、松田壽男自身が「私の悦般・エフタル同視論などはどうでもよいが」
と、何とも腰砕けなのが笑える(w。
133世界@名無史さん:03/11/12 01:02
榎一雄はさらに「悦般(yueh-pan/iwat-puan)は
エフタルの名称からは頗るほど遠い」と松田説を
コテンパン。榎説にも穴はあるんだが、この批判は
かなり執拗だった。
134世界@名無史さん:03/11/12 02:32
>>132-133
内藤みどりだったかどうかは忘れたが、女性学者が
悦般=エフタル説の最新版を出してなかったかな?
最近の本のはずだけど、本のタイトルとかどなたかご存じない?
135世界@名無史さん:03/11/12 20:11
内藤みどり先生の著書なら
『西突厥史の研究』(早大出版部、1988)
になるが、エフタルについては詳しく
扱われていなかったと思う。

他にこの辺をやってる女性研究者って誰だろう?
知らない。誰か教えてくれ。欧米・中国の人のこと
だったらすまん。
136ty270410:03/11/12 21:59
>>129
エフタルの文献まとめて紹介され参考になります.
ぼちぼち読んでみます.

エフタルのコインがあると聞きましたが・・・
137世界@名無史さん:03/11/15 20:52
129の補足

内藤みどり 「エフタルの種族問題」 史観 第97冊 1977
内藤みどり 「書評 余太山著 ロ厭ロ達史研究」 東洋学報 第70巻 第3・4号合冊 1989

後者は書評ですが、最近の研究動向などにも触れており、
エフタル研究のまとめとしても優れた内容です。

ちなみに余太山・説ではエフタルは「鮮卑・乙弗部」起源。
ますます混迷を深めていますなあ(w。

これ以降の文献があれば教えて下さい。
138世界@名無史さん:03/11/18 23:41
>137

>>これ以降の文献があれば教えて下さい。

Aydin Sayili, "The Nationality of the Ephtalites."
Turk Tarih Kurumu Belleten, Cilt XLVI, Sa. 181, 1982, pp. 17-33.
随分、昔にR.N.Fryeと一緒に唱えたエフタル=テュルク説を再論している。
全体的にアラビア語史料に基づいて書かれている。
榎一雄氏の論文の英語版("On the Nationality of the Ephtalites")に
批判的に言及している感じ。
139求道心:03/11/30 18:18
こんなスレッドがあるなんてしらなんだぁ〜
中央アジア史は大学生の時、はまった。護雅夫の本がきっかけ。
確かそこではエフタルはイラン系と書かれてあったと記憶する。
色んな説があんねんな〜。

ここ10年近く中央アジア史にふれていないのでかなりあやふやになっているが、
確か月氏は冒頓単干に敗れた後、バクトリアへ移転したのが大月氏で元の居住地に
留まったのが小月氏やったと思う。
仏典はなにやったか忘れたが、小月氏の王がインドの小国に侵攻して勝利し、敗戦国へ3億金
を求めたが、敗戦国が用意できず、その金の代わりに仏陀の遺物を与えたところ、小月氏王は
大いに満足したとの話がある。となれば、小月氏は仏教徒やったのかな?

ソグド人って確か商売の民で、子供が生まれると、蜂蜜をなめさせ、手には膠を握らせる
と聞いた。口では絶えず甘言を弄して商売をうまくやり、手にした金は絶対離さないとの
願いをこめた親心やったと読んだことがあり、子供のうちから、遠く商売に行かせたようやね。
中国では詐欺的商売人として評判悪かったが、イスラム社会では、いい物を安く売る商売人と
して、評判がよかったよう。どうも中国の商人がソグド人との経済戦争に負けた為らしいわ。
140世界@名無史さん:03/11/30 18:44
>139
この小月氏はクシャンの傍系と考えられている
「キダーラ」で、月氏の西遷時に甘粛に残った
小月氏とは全く別です
141ok:03/11/30 18:49
◎7254最新情報◎
http://homepage3.nifty.com/hot-hot/7254.html
142求道心:03/11/30 19:16
>>140
貴霜の一部族、「奇多羅」やったん?ほんまありがとう。黄河の上流からインド
北部へ攻めるのは確かにきついわな。はじめこの仏典の話を読んで「へぇ〜」
と思ったが・・・
143世界@名無史さん:03/11/30 21:17
なんで関西弁なんだ?キモイよ
144世界@名無史さん:03/12/02 01:20
145てすと:03/12/18 23:11
tyšr't 'xw cwn'kk BRY m'ymrγc n'mδ'r 'xw xwt'wc BRY
sm'rknδc pys'k 'xw krz BRY nwcknδ'k nyz't 'xw nnykwc
BRY 'kš'nyk rty npxšty ZNH δ'ypwsty 'wxw'n ZKn pt'wr BRY
pr pt'wr δp'yrptw ''p'rs ty wxwšwβyrt prm'nwh 'PZY 'wp'ch
pts'ynty
146てすと2:クシャーン王名表:03/12/18 23:15
初代 ΚΟΖΟΥΛΟ ΚΑΔΟΦΙΞΟ クジュラ・カドフィセス
   ΟΟΗΜΟ ΤΑΚΤΟΟ     ヴェーマ・タクトォ
   ΟΟΗΜΟ ΚΑΔΟΦΙΞΟ   ヴェーマ・カドフィセス
   ΚΑΝΗÞΚΟ         カニシュカ
   ΟΟΗÞΚΟ          フヴィシュカ、
   ΒΑΖΟΔΗΟ          ヴァースデーヴァ
   ΚΑΝΗÞΚΟ         カニシュカ2世
   ΒΑΖΗÞΚΟ         ヴァスィシュカ、
   ΚΑΝΗÞΚΟ         カニシュカ3世、
   ΒΑΖΟΔΗΟ          ヴァースデーヴァ2世
147世界@名無史さん:03/12/18 23:18
おお、成功した!
これで2chでソグド語もバクトリア語も表示出来るぞ(w
148世界@名無史さん:04/01/28 15:32
ソグド文字の字母表があったのでうp。
でも
>ヨーロッパのアルファベットを元に作成された文字です。
とゆー説明は間違い。
本当はシリア文字成立前後の初期のエストランゲラー体やマニ教文字といった、
3〜4世紀頃の西方アラム文字系から派生したらしい。

ttp://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/C014.htm
149世界@名無史さん:04/03/08 11:32
発掘されたカニシュカ王碑文によると、

カニシュカは即位第一年に
自らの即位宣言(?)の勅令をまずギリシア語で発布し、それを自身の言葉と思われるアリヤ語に置き換えて
インドにおいてクシャトリアが支配する諸王国の全てに布告した、
と述べている。

さらに、その範囲を北インド東部のカウシャンビー、パータリープトラ、スリチャンパーと列挙し、
「全てのインドが(自らの)意図の内に置かれた」と高らかに宣言している。
150世界@名無史さん:04/03/10 03:49
南部の方は当時はインドの内じゃなかったのかな?
151世界@名無史さん:04/03/10 20:34
古代インドにおいて異民族の侵入経路は主に北だし地理的にも南は北と異なるから北ほど素早くは異民族が浸透しなかったのかも。
だから分裂傾向があったんじゃないかな。現在と古代のインドの認識の違いはそういうことだと思う。
高校レベルの素人の意見なんで詳しい人は流しちゃってください。
152世界@名無史さん:04/03/11 00:09
カニシカ王のいう「すべてのインド」の中には
今でいうインド南部は入ってなかったんだろ?
153世界@名無史さん:04/03/11 01:17
>>152
入っていない。
154世界@名無史さん:04/03/11 02:51
そこで>>150にループですよ
155世界@名無史さん:04/03/11 21:50
>152
「インド」って実際は何て表記されてたの?「Bharat」?
『大月氏』p.93にラバタク碑文模写があるけど
読めない・・・
156世界@名無史さん:04/03/14 03:29
>>155
ΟΤΗΙΑ ΑΡΟΥΓΟ ΙΥΝΔΟ ΑΒΟ Ι ΣΙΝΔΟ ΩΣΤΑΔΟ ΤΑΔΙ ÞΑΙ ΚΑΝΗÞΚΕ ΑΒΟ ÞΑΦΑΡΟ ΚΑΡΑΛΡΑΓΓΟ ΦΡΟΜΑΔΟ

「そしてインドの全て(ΑΡΟΥΓΟ ΙΥΝΔΟ)が彼の意図に置かれた。その時カニシュカ王は辺境太守シャファルに命じた…」
とラバータク碑文には書かれてるようですな。
ちなみにギリシア文字系の碑文なので、
単語ごとの区切りや点が一切無いのでとても読みづらい(汗
157世界@名無史さん:04/03/18 23:21
当時あそこで「インド」という言葉が
使われていたとは意外
158世界@名無史さん:04/04/04 16:32
` ´
(●)(●)
・・
д ヽ
159世界@名無史さん:04/04/14 01:24
「フーナ人」の名で登場する民族もエフタルのこと?
160世界@名無史さん:04/04/14 22:06
インド〜カシミールに入ったHunaと、トハリスターンを本拠地にしていたエフタルは
別勢力という説がある。同じ、という説もある。

少なくとも両者に何らかの関係があったという推測はおおむね了承されている。

どっちにしろ、エフタルは自前の記録を残していないし、他人による記録も断片的で
わかっていないことが多いよ。

「フーナ ≠ エフタル」説の代表としては、

山田明爾 「ミヒラクラの破仏とその周辺(上)(下)」 仏教史学 第11巻第1〜2号 1963

を読むといいよ。
161救法僧:04/05/08 00:04



はじめまして、グレコ・バクトリアの王、アッポロドトス2世について、教えていただけませんか?
162世界@名無史さん:04/05/08 15:03
法救(Dharmatrata)ぢゃないのか。だったら「カニシカ王にでも訊いてみて」
と突っ込むところだったのに…
163救法僧:04/05/08 16:08
カニシカ王より前に生まれた人だからカニシカさんもしらないでしょうね。
164よろずこ:04/05/08 21:01
蟹鹿の絵をノートに書いたら受けた。
高校生のころ。
165世界@名無史さん:04/05/08 22:30
ミリンダ王の問いage
166よろずこ:04/05/08 23:02
>>165
「ミリンダ」とは清涼飲料水と思っていた、高校生の私。

メナンドロスといえよ!!!!!!!!!!!!!
167救法僧:04/05/08 23:30
1992年にペシャワルに行きバクトリアやクシャンのコインを多数購入した中に王様の名前が解ったのが有名なメナンドロスと、あまり知らないアッポロドトスと言う王だったんですけど、コインを見てると想像をかきたてられます。
168世界@名無史さん:04/05/09 02:04
ミリンダ飲みてぇー
169世界@名無史さん:04/05/09 03:50
クシャーン朝については本当に最近になってバクトリア語の書簡やら碑文が見付かったお陰で(勿論アフガン内戦と米国の侵攻で)
やっと分かり始めたけど、
グレコ・バクトリアは硬貨とか間接的な情報以外ほとんど分かってないとか聞くけど・・・
170世界@名無史さん:04/05/09 13:01
>>161 >>167
http://www.shushu.co.jp/bnf/bn1983.html
コインコレクターの雑誌、月刊「収集」1983年4月号に
「インドのギリシャ人王(4)アポロドトス」馬場定美

という記事があるらしい。1世の話か2世の話かしらないけど。

前田耕作 『バクトリア王国の興亡』(第三文明社レグルス文庫、1992)

は読んだ?アポロドトスもちらほら出てくるよ。
171救法僧
ありがとうございます。馬場定美さんは知りませんでした、今度ゆっくり調べてみます、前田耕作「バクトリア王国の興亡」は、3年前に購入しました、自分の知る限りで一番詳しく掲載してました。