>>925 リンたまでやったのが極真対中国拳法(蟷螂、酔拳等)で極真が圧倒。
極真対大気拳は確かSRSの中で紹介されたもので極真やや有利くらいだった
記憶がある。
928 :
世界@名無史さん:2006/03/25(土) 15:35:46 0
>>843 砲術自体は昔からあったんだけどねぇ。
体術と組み合わせたものとなると、やっぱりないのかな。
大東流みたいな近代流派は、対銃器の稽古なんかもやるって聞くけど、
あくまで「対銃器」で、自分から撃つのはやらないのかな?
たしか砲術の一種として頑型というものがあるみたいですね。
>>928 一番近いのはナイフ付き拳銃かなぁ…。
米海軍なんかが昔採用してたけどね。
短剣術+拳銃術ってことで。
932 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 20:54:38 0
ローマ皇帝の中に、60歳で兵隊の喧嘩大会に出場し、
相手の胸を打って一撃で仕留めた香具師がおったなあ。
いい香具師だったけど、最後はクーデターみたいな形
でやられたぉ。
933 :
世界@名無史さん:2006/03/29(水) 22:11:42 0
>>931 ナイフ術+射撃がアリならこんなのも。
「日本の剣術2」に面白い話が載っていたんだけど、
北辰一刀流の前宗家が戦争行った際、剣術で培った事が
機の操縦や射撃に役立ったとか何とか。
剣術の微妙な手の感覚で、機関銃の単発と連発を撃ちわけたとかで
上官を驚かせたとかなんとか、そんな内容だったような(うろ覚え)。
「北辰一刀流砲術」とか「北辰一刀流射撃術」とか開いて
剣術に併伝させれば良かったのにねぇ。開祖を坂本竜馬辺りに仮託したりして。
ただ、これは「射撃」の話であって、「対射撃」「対銃器」の話では
ないんだけどね・・・。
「射撃」「対射撃」がそろってればガンカタっぽくなるんだけど。
千葉周作は軽々と大砲(おおづづ)を扱っていたけど、その後で誰かが持とうとしたら、
凄く重かったという話はあったな。
坂本竜馬は、砲術を習いに江戸に来た、なんて話も聞いたなあ。
銃剣道は槍術が元になったとは上の方で書いてあったが、表面を滑らせないように
稽古するために、自在性に欠けるようなことを元自衛官の杖術使いから聞いたことある。
元帝国陸軍だかで銃剣道をやりこんでいたのがある杖の流派のところに道場破りに来て
宗家だか師範だかに負けたのだとか。
まあその人も宗家に聞いた話だというので、また聞きということになるんだが。
936 :
世界@名無史さん:2006/03/30(木) 12:31:52 0
>元帝国陸軍だかで銃剣道をやりこんでいたのがある杖の流派のところに道場破りに来て
>宗家だか師範だかに負けたのだとか。
日本語で書いてくれ
937 :
sporran:2006/04/03(月) 02:28:23 0
西洋剣術のことが触れられていたので追加、補足いたします。
西洋剣術といっても種類が多く、シールド&ソード、バックラー&ソード、シングルソード、ロングソード、アーマーファイティングロングソード、レピア、スモールソードなどあります。
西洋剣術がのものが日本と違うのは防御を良く考えられていることです。
特にシールドは日本に無い技術です。シールドにはそれを使いこなすテクニックがありますが、その一つにシールドは防御だけではなく攻撃の予備として使われます。
例えば殴りつけたり、盾で相手の武器を引っ掛けるなどがそうです。また、攻撃と防御が同時にできることも重要な要素です。
次に精神面があります。盾の間合いは近く相手に接近する必要があります。また盾は持つだけで相手からの攻撃の2〜3発はふせげるので安心感があります。
つまり、より積極的に相手を攻める気持ちになります。また盾は初心者が身を守る術としては両手武器よりも扱いやすい。
これは私がロングソード、あいてがビギナーの盾で対戦してもロングソードはなかなか勝てません。
それほど盾は有利です。ましてや裏刃のある剣は片刃の刀よりも盾裏への攻撃は勝るのです。
新兵を同じ期間練習させて刀VSシールド&ソードでは確実に後者が有利です。
938 :
sporran:2006/04/03(月) 02:34:17 0
バックラー&ソードは西洋の一番古い剣術書でかかれています。バックラーは盾ですが大きな盾とは使い方が違い、非常に面白いテクニックが出てきます。
バックラーのような小さな盾はより攻撃的に盾を使い、殴ったり押し付ける動作が多くなります。バックラーは右の手のうえにかぶせるような構えが基本で、両手剣のようにバックラーと剣を同時に動かします。
これは篭手を守ると同時に小さな盾ほど腕を伸ばし、盾影の安全を多く取ると言う盾の原則に従った合理的なものです。
バックラーは小さく盾で防御しても盾の裏になる死角がなくなるので、中国武術のようなバックアタックやクロスステップを多く用います。
939 :
sporran:2006/04/03(月) 02:40:52 0
ロングソードはドイツとイタリアの2系統に別れます。私が学んでいるのはドイツ剣術ですがこの基本は
八双の構えです。ここから相手の剣に打ち合わせた状態から、多くの技が出てきます。
相手の剣と刃を合わせることの無い日本剣術とはかなり違う動きです。特に裏刃の攻撃は日本剣術に無い軌跡を描いてきますから。
ドイツ剣術の理念は防御と攻撃は一緒というものです。相手の動きに合わせてこちらも動きますが、一動作でうまくいけば相手にダメージをあたえ、失敗しても自分の体はガードされて安全。
このような考えがあります。鍔を巧みに使って相手の剣を引っ掛けたり、柄頭でなぐるというのは普通にあります。
940 :
sporran:2006/04/03(月) 02:46:26 0
ロングソードでも甲冑を着たときはターゲットは非常に絞られてきます。ねらいは脇の下、股間、それに喉のした位しかありません。
このときに使われるのがハーフグリップと言う持ち方で片手は剣身の中ほどをもちます。したがって間合いは非常に近くなりますが、
鎧相手では従来のように斬ることは無意味ですから、足に引っ掛けて倒したり、剣を逆手で持ってつばで殴りつけたり(ハンマー)
と剣と言うよりも棒術にちかい動きとなります。当然、相手の剣身を持つことも可能です。
941 :
sporran:2006/04/03(月) 02:54:48 0
レピアはかなり長く長いもので1,2mほどあります。左手にはパリーングダガーを持つ二刀流が主体です。
左手の短剣は防御にも用いられますが接近しての攻撃にも使います。
この間合いが2つあるから厄介です。レピアは突きが主体である為、どうしても急速に接近しますがこのとき長剣の攻撃が失敗しても
、そのまま相手のわき腹にダガーを突き立てることが出来ます。
また、ダガーや長剣はスィプトヒルトという相手の剣を絡め取る十手のようなカギ状になっているので、これがまた厄介です。
ダガーが無い時はさややマントで防御をします。
私の経験ではレピアのほうが長い分刀よりも有利です。
スモールソードはフェンシングの剣と同じほどのバランスと重量です。非常に軽く華麗なテクニックができます。
942 :
sporran:2006/04/03(月) 02:57:35 0
剣の重さですが、ロングソードの重さは1,8kgほど。
片手剣でも1,5kg、レピアも1,5kgほどです。レピアは日本刀1kgよりもはるかに重く、それを片手でもつ腕力が必要です。
日本刀は軽くさらにそれを両手で持ちますから、世界的に見ても異常なほど軽い剣といえましょう。
剣道人が「日本刀が重い」というのは冗談にもなりません。
943 :
sporran:2006/04/03(月) 03:07:58 0
なお、騎士が一番使う武器はハルバートなどのポールアームでした。
構えはポールを3等分したところを親指を内側に向けて持つ「鉄棒握り」で刃部は後ろ、前は石突というさかさまの構えでした。
普通に考える逆の構えですが、前にした柄の部分で相手の攻撃を払い、そのまま腰のひねりをパワーに変えて叩きつけるこの構えは
威力が強く、勝つ防御にも優れ腕も疲れないという優れたものでした。
斧も良く使われましたが斧は攻撃が主体で使うには難しい武器でした。
騎士は武士以上に剣を使用したようです。これは装甲の薄い一般兵士には装甲に物を言わせて接近したとき
剣は使いやすい武器でした。また、15世紀にもなるとそれまでの盾は使用されませんでした。
これは装甲が強化されたため盾の必要が無くなり、片手の武器では装甲を破る威力が無くなったためです。、
945 :
sporran:2006/04/03(月) 23:29:00 0
946 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 23:38:20 0
947 :
sporran:2006/04/03(月) 23:57:41 0
イタリアの剣術指南はリカッソの部分を長く取るようにとあります。
鎧の場合だけでなく平服のときでもリカッソを持つ技は基本であります。
つまり西洋の剣は切れないというよりも切れる必要がなかったともいえます。
しかし、リカッソの部分をつかめるのは、相手も同じであり接近戦では相手から剣のブレードを
掴まれることもありました。真剣白刃取りはいとも簡単に出来る技でした。
剣道の人はこれを信じませんでしたが、むしろ剣道は体当たりから鍔競り合いに持っていくので
我々からしてみれば良いチャンスです。さすがに日本刀を握ろうとは思いませんが、柄や腕は普通につかめますから。
948 :
sporran:2006/04/04(火) 00:30:54 0
日本には柄や腕を掴まれた所から投げたり払ったりする技もあるよ。
950 :
sporran:2006/04/04(火) 00:53:06 0
それはこちらも同じです。違うのは寝技のようなグラウンドファイトはありませんでした。
戦場で倒れることは死を意味していたからです。関節技は鎧戦闘では必修でした。
キックはハイキックでも臍より上はありません。それも足の裏で踏み倒す感じです。
マーダ-ストライクは心臓の上を殴るものです。これ以外にも睾丸、耳、目など全てがターゲットであり、かなり血なまぐさいものでした。
ここではなるべく勝負論の方向に行ってほしくないなぁ。荒れるし。
このスレはマターリが基本。
952 :
黄龍:2006/04/04(火) 23:40:41 0
武板ではないからね
でも西洋剣術についてはわりと知っている人が少ないので貴重だと思う。
スレごと保存しとこうっと。
で、質問。
いわゆるバスタードソードというのはラテン式とゲルマン式の両方の特徴を
かね揃えているというからそういう名前がついたという説がありますが、
実際のところ、どうなんでしょう?
両方で使えるものなのでしょうか。
954 :
黄龍:2006/04/05(水) 14:58:57 0
sporranさんの豊富な知識と
実際に練習して得た経験ノウハウ、
そしてそこから生まれる推察には
頭が下がるよ。尊敬しています。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060405-00000124-mai-soci 青森県西目屋村の白神山地近くで4日夜、シンガポールから来日した中国系武道家一族ら13人のうち男性3人が雪道に迷い、5日未明に県警弘前署に保護された。一行はシンガポールで道場を経営していた武道家の遺族らで
「青森の山中で修行する空手の伝承者に会えとの遺言を受け、
伝承者を探しているうちに道に迷った」と説明しているという。
同署などによると、13人は5年前に病死した武道家の妻(50)と息子2人、近所の人10人。3月22日に来日し、4日朝から3人ずつ3班に分かれて伝承者を探していた。残る4人は寒さで体調を崩し、ホテルに残っていた。
武道家の長男を含む第1班は登山道に向かって歩き続けたが、午後7時ごろになって仲間の携帯電話に「雪で進めない。道に迷った」と連絡。仲間が地元観光協会の通訳とともに弘前署に届け出て、約6時間後に救出された。3人は畑にあった廃車に入って寒さをしのぎ、
けがはなかった。
事情を聴いたところ、亡くなった武道家はシンガポールで空手などを教えていた。しかし、2人の息子は武道に興味がなく、道場にあった「空手の秘伝書」も弟子の一人に盗まれてしまった。後継ぎ問題に苦慮した武道家は死の間際、「青森県の相馬村に極真空手の伝承者がいる。
彼に会い、秘伝書を譲り受けてほしい」と遺言したという。
相馬村(合併で現在は弘前市)は一行が道に迷った西目屋村から東に約5キロの場所にある。
極真空手県本部の池田治樹支部長は「旧相馬村に道場はない。空手家がいると聞いたこともない」と困惑しているが、13人のうち11人は当分の間青森に残り、武道家探しを続けたいという。地元観光協会も「全力で手助けしたい」と支援を申し出ている。【喜浦遊】
素敵すぎる話だw
956 :
sporran:2006/04/06(木) 00:27:19 0
バスターソードの語源にはいろいろありましてよくわかりません。
ただ、私が思うには953の説明は違うような気がします。
ドイツ剣術は突きが主体でした。一方イタリア式は相手の技を利用することに主眼が置かれました。
動きから考えるとイタリア式は突きよりも斬りや体術に持っていく物だと推測します。
突きは剣が長ければ剣先は重くなる為バランスを取る必要からポンメルは重くなるはずです。
だから剣のバランスを考えると両者に共通というのはどうかなと言う気がします。
黄龍さんお久しぶり。西洋剣術スレッドにも遊びにきてください。
>>955 これって先代が青森の空手家から皆伝したということかな?
それともお告げか何かがあって適当に青森って言ったのかな。
どちらにしても極真空手をシンガポールで教えているのなら青森に拘ることもないと思うけど。
なにか相馬村じゃないと駄目な理由があるのかな。
ロマンのある話だね。
ロマンというより間抜けな話に思えるが、近所の人10人まで一緒に
来る健気さは応援してやりたくなるな。
>>955 この記事を読むと、昔「秘境探検」という本に書いてあった、ペルーだかにいった人の話を思い出すです。
もう四十年位前だから外国人になれてなかったのか、日本人である著者を囲んで脅しかけてきた村人に対して
「俺は柔術をやっている」
とハッタリをかましたら恐れ入って逃げ出してしまったとか。
そしてあろうことかその日のうちに村長さんから「息子に教えてくれ」と頼まれて教えたという。
いや、その人は柔術どころか柔道もやったことなかったらしいんだけど。
情報の流通が今ほどではなかった時代では、武道の名前とかは伝わっていても
どういうものだったのかということはみんなわかんなかったみたいで、それで
その人のみようみまねの柔術でもなんとかなったらしい……
推測だけど、三、四十年くらい前に東南アジアに旅行にいった大学生とかが適当な
ことをいうて空手技っぽいのを教えたついでに日本語で「秘伝書」とか作って大金
せしめた……というようなことでもあったのではないかと。
ヒッピーの大半はインドいったけど、東南アジアにいった人も何人か知っているし。
そういう類の。マルクスは読んでなくてもマガジンは読んでいるようなのは多かった
みたいだから、空手バカ一代とかで空手といえば極真だけは知っていたとかで……。
あー、しかしこうかくとロマンがないなあ。
けど「秘伝書」とか書いてる時点で怪しすぎるよw
似たような話だが、ある人が昔ヨーロッパに行った。路上で若者が話しかけてきた。
「日本人なら柔道できるだろう。俺は黒帯なんだが一手指導してくれ」
経験が無く、困ったその人は、こいつの知らない物で誤魔化そうと
「す、相撲なら出来る。日本の古代武術だ」
その場で数番取り組んでやると、若者は「さすがは日本人」と感心して去って行ったそうだ。
フィリピンあたりだと新手の出稼ぎ手段かとも思うけど
シンガポールってのが微妙でいいよね。
>>956 sporranさんどうも。
そうですか。実際にやっておられる人の発言だと重みが違いますな。
とりあえず両者の特徴をかね合わせるというのは無理目ですか。
バスタードソードの名前の期限には諸説あるという話ですが、私はこの説しか知りません。
よければ他の説をご紹介いただけるでしょうか?
あとドイツ式剣術の歴史、通称などについてご教授していただけるとうれしいです。
962 :
sporran:2006/04/08(土) 19:10:08 0
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/ahund/manual.htm 中世の剣術教本です。
ドイツ剣術(ゲルマニック・スタイル)はヨハネス・リヒテンアウワーから始まりました。
彼は当時の習いもあり秘密主義者でその技は暗号風の長い詩によって残され出版(Merkverse)されました。
15世紀に彼の弟子であったジークモンド・リンゲックがこれに注釈をつけました。
私が参考としているGerman Mediebal Swordmanshipはこれを解釈し写真つきで構成した素晴らしい本です。
一方、イタリアではフィオレ・ディ・リベリがフェラーラのデ・エステ家の剣術指南として任命されレスリング、ダガー、ロングソード、ポールアームにいたる
多くのコンバットシステムが構成されました。彼はむしろ防御から相手の動きを利用することに興味を持っていました。
ドイツ・フランス系統の流れで出てくるのはハンス・タールホッハーやジャコモ・デ・グラシなどというマスターですが詳しく知らないないので。
16世紀のイギリスではジャージ・シルバーという大剣術家が出てきます。彼はブロードソードの達人でレピアが嫌いでした。
963 :
sporran:2006/04/08(土) 19:12:48 0
丸写しですがバスターソードの語源。
バスタード・ソードと言えば格好良いというイメージがありますが、bastardには(私生児・偽物・疑似・不純など)のあまり名誉のあるようには思えない意味があります。これは、ロング・ソード(長剣)よりは長く、
ツーハンデッド・ソード(両手剣)よりは短い剣身を持っており、またその刃の形状としても、切ることにも、突くことにも適するように工夫された刀剣であるからです。
つまり、どっちつかず・あいのこ、と言った意味が込められていると考えられるのです。
また、切るときは主に片手持ちで使用し(勿論、両手で切ることもできますが)、突くときは両手を使ったと思われます。そのために柄は比較的長く、ロング・ソードとツーハンデッド・ソードの中間的な長さになっています。
この特徴から、ハンド・アンド・ア・ハーフ・ソード(片手半剣)とも呼ばれています。
当時の騎士は、剣を腰に吊すことが常識と考えられており、腰に吊せる両手でも使える剣を工夫するためにかなり苦心したことが伺われます。それは、バスタードソードの長さにかなりの種類があることからも伺い知れるのです。
15世紀にスイスで生まれましたが、当時は、切ることに適した刀剣をゲルマン系、突くことに適した剣をラテン系としており、バスタード・ソードはその両方であるために、bastard(私生児)と名付けられたとする説もあります。
964 :
sporran:2006/04/08(土) 19:33:36 0
ドイツ剣術の考えは攻撃と防御が一緒が望ましいとします。
例えば、相手が剣で攻撃してきた時に、自分の剣は相手の剣を防御しつつ剣先は相手に届いているというのが理想です。
もし、相手に攻撃が与えられなくても、自分はしっかりとガードできる。このような考えです。
ドイツ剣術の基本構えは八双(ファムタアグ)です。詳しく一例をかきますと、
相手が袈裟懸けに切ってくるのに対して、こちらも剣で受け止めていきますが、
1、右手の親指をサムアップ。する。2、裏刃 今構えている時に背中に向かっている刃は手首をひねって押し出すようにしてアッパーカットを食らわすように
する。(右手首は90度立てている状態になり相手の剣をぶつかるまで剣が180度裏返ることになる)
この腕の動きでは左腕は肩よりも上がり剣先は水平よりも下を向いている。
(普通に剣を防御すると剣先は上を向く。したがって防御は出来ても剣先は相手の体からそれてしまう)
ドイツ剣術のこの動き(ツベルクハウ)は左腕を上げることで剣先を下(相手の体に向かせる)わけです。
この間、防御も出来る。うまくいけば相手の首あたりを切りつけられるし、失敗しても次の攻撃はその姿勢のまま
少し後ろに引いて胸を突いたり、水平に切り返したり、相手の剣の裏を通って顔にきりつけることが出来ます。
965 :
sporran:2006/04/08(土) 19:36:37 0
西洋剣術は連続攻撃が主体です。気を見て一太刀で終わらせる日本剣術とは違うのがこの点です。
構えは大体日本の剣術と同じように様々ありますが、攻撃は構えから構えの間、つまり攻撃が終わった時剣の位置は次の構えになっていることが大事とされます。
日本刀の場合、よく聞く話では刃を合わせることは少なく、つば競り合いはまず起こり得なかったといわれているようです。
鋭く軽量の日本刀を両手でガチ合うと折れる可能性もあるでしょう。
一方ドイツ剣術はバインドといって相手の剣とガチあったところから、様々なテクニックが繰り出されます。
966 :
sporran:2006/04/08(土) 20:24:52 0
うむう。
勉強になる。
で、sporran氏は国内で学んだの?
968 :
sporran:2006/04/08(土) 23:56:36 0
アメリカのスクールに一度行ってみたいですね。
去年の夏大会に行きましたが、午前中のWARで体力がなくなりました。
様々なスクールがあり、ドイツ剣術のスクールもあったようですが、公務もあり参加できませんでした。
そのドイツ剣術は文献を元に復古されたものなの?
それとも中世近世から伝えられてきたものなんですか?
前に家のケーブルテレビで見たナショナルジオグラフィックの剣術か、武器の歴史か、そんな番組では
西洋人が二人で剣術で戦ってる紹介があって、それはやっぱりsporran氏の言ってる剣術っぽくて
刃の根元あたりには刃がついてなくてそこを持って攻撃する技もあった。
でもそれは番組によると文献などを参考にして復古されたものだという説明だった。
フェンシングは別として、そういう剣術体系というものは、西欧では各国に色んな体系として
伝承されているものなんですか?
それとも復古されたものも多いのですか?
正しく師弟関係で伝承されたもの以外は紛い物という感覚は西洋にはないかもしれないですね。
本を読んで身につけても剣術は剣術だし、その辺のこだわりは無いのかもしれないですね。
だからナショナルジオグラフィックもそのへんは考慮してなくて放送してたのかもしれません。
テニスの本を読んでテニスを身につけたようなもので、それは紛い物じゃないし、上手ければ問題はない。
でも番組では文献史料から剣術を身につけている(師匠がいない)という感じだったので、
師と弟子の関係を重視するアジアならではの考えだと変だと思うけど、言葉で残して、理論として
まとめて、再現性のある形で後世に伝えれば問題は無いというのが西洋の考え方なんですか?
どのように西洋の剣術が伝承されてきたのかが知りたいです。
971 :
sporran:2006/04/09(日) 00:17:57 0
レピアではボルテという動きが良く出てきます。動きは中国拳法の裏拳ような感じですが
これは強力なカウンタ-技です。相手が大きく突いてくる時、剣を相手の線上においたまま、後ろ足を前に後ろ歩きするように動かし、体は完全に背中を見せます。
相手からすれば、自分の攻撃線上にいた目標が身幅分左側に開き(背中を見せているが)剣だけは残っているので、自分の突進力と体重で刺さってしまうというものです。
完全に剣と中心をはずしたこの動きは、剣道ではもちろん和式剣術でも少ないと思います。
今のフェンシングでも相手に背中を見せる行為は禁止されているので、使われるかどうか・・
レピアの師匠で大変おなかの出た人がおりました。彼は自分の鼻よりも腹の方がずいぶんと前に出っ張っているので
良い目標なのですが、今まで一度もこの腹にトゥシェすることが出来ませんでした。
彼のテクニックは一流で、自分の剣を払ってくるように相手を誘います。ところがこの剣を払うとなぜか首を切られます。
このテクニックは最初に相手の顔の前に剣を突くように見せ、すぐに首の横に移動させます。
相手は最初の剣の位置で、剣を払おうとするのですがそのときは首の横に剣が置かれているので、払ったつもりがその力で自分の首を切ってしまうという超絶技です。
これを普通の試合に使うので、なんとも凄い。
972 :
sporran:2006/04/09(日) 00:39:44 0
バックラー。
バックラーは小型の盾で相手に拳を突きつけるように構えます。
バックラーは日本ではあまりなじみが無いし、映画などでもあまり見られませんが、レピアの時代まで長く使われたポピュラーなものでした。
また最も古い剣術書13世紀に書かれた「I-13」はバックラーのテクニックがかかれています。
バックラーは防御よりも攻撃の補助として使われました。自分から相手の剣に当てていくのでテクニックが要求され、二刀流に近い感覚です。
盾の基本は「小さな盾ほど体から離し盾影を大きく取る」というものなのでバックラーは腕を伸ばして構えます。
そしてバックラーで右手の拳を防御しつつ剣で切りつけます。つまり片手剣を使うのですが、バックラーで拳を重ねているので、両手剣を持っているように両手は一緒に動かします。
こうすることで右手は篭手を狙われる心配がありませんし、必要に応じてバックラーで相手を殴ったり武器を叩いたりしました。
鉄のバックラーで殴るのはとても強力です。
FFXIIで動きのモーションキャプをしたとき、「バックラーで殴る」と言う動きをしました。
事前に示し合わせて力を抜いて殴ったのですが(相手の私もプレートアーマーを着ている)
相手はガイコクジンの6ftの大男にもかかわらず、私のパンチで失神寸前でした。
バックラーが好まれた理由の一つにクイックドローがあります。
喧嘩早い無頼漢などは左の腰に剣とともにバックラーを引っ掛けていたので剣を抜くと同時に、バックラーも構えることが出来ました。
またクイックドローの剣は板状の鞘に金属リングをはめたものでしたから、素早く抜くことが出来ました。
955 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 2006/04/06(木) 00:05:27 0
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060405-00000124-mai-soci 青森県西目屋村の白神山地近くで4日夜、シンガポールから来日した中国系武道家一族ら13人のうち
男性3人が雪道に迷い、5日未明に県警弘前署に保護された。一行はシンガポールで道場を経営していた
武道家の遺族らで 「青森の山中で修行する空手の伝承者に会えとの遺言を受け、
伝承者を探しているうちに道に迷った」と説明しているという。
同署などによると、13人は5年前に病死した武道家の妻(50)と息子2人、近所の人10人。3月22日に来日し、
4日朝から3人ずつ3班に分かれて伝承者を探していた。残る4人は寒さで体調を崩し、ホテルに残っていた。
武道家の長男を含む第1班は登山道に向かって歩き続けたが、午後7時ごろになって仲間の携帯電話に「雪で進めない。
道に迷った」と連絡。仲間が地元観光協会の通訳とともに弘前署に届け出て、約6時間後に救出された。3人は畑にあった
廃車に入って寒さをしのぎ、けがはなかった。
事情を聴いたところ、亡くなった武道家はシンガポールで空手などを教えていた。しかし、2人の息子は武道に興味がなく、
道場にあった「空手の秘伝書」も弟子の一人に盗まれてしまった。後継ぎ問題に苦慮した武道家は死の間際、
「青森県の相馬村に極真空手の伝承者がいる。 彼に会い、秘伝書を譲り受けてほしい」と遺言したという。
相馬村(合併で現在は弘前市)は一行が道に迷った西目屋村から東に約5キロの場所にある。
極真空手県本部の池田治樹支部長は「旧相馬村に道場はない。空手家がいると聞いたこともない」と困惑しているが、
13人のうち11人は当分の間青森に残り、武道家探しを続けたいという。地元観光協会も「全力で手助けしたい」と支援を申し出ている。
【喜浦遊】
素敵すぎる話だw
974 :
sporran:2006/04/09(日) 23:44:29 0
蟻太郎さま
伝承はありません。文献から復元されました。マンモスを復元するようなものです。
相伝されたものが連綿とうけつがれているのは環境が特殊だったからだといえるでしょ。
975 :
sporran:2006/04/09(日) 23:57:24 0
甲冑。私の甲冑はプレートアーマーで16世紀ミラノ式。いくつか強化パーツを加えたため
総重量は30kgあります。私の体重が56kgですから甲冑は体重の半分以上の重さになります。
しかし、慣れもありますが疲れません。今日も5時間以上着っぱなしでした。
困るのはトイレです。ステンレスで厚みは1mm。ヘルムは1,6mmあります。
実際のものはこれよりも薄かったようです。
高級品は焼きの入った鋼で重さは半分ほどですが強度は同じでした。
動きはぎこちなさは無く、肩などがたまに干渉するくらいです。
しかし大上段に構えることは出来ません。
完全に正座が出来、両手剣を持って飛び込み受身もできます。腹筋、腕立て伏せも20回ほどはいけます。
しかし、バーグリルではなくスリット式の眼穴はかなり視界が悪く、鼻から下は見えません。
相手が下段にかまえると剣先は見えませんし、ヘルムの中のパッドがずれるとアイポイントがずれさらに見えにくくなります。
976 :
sporran:
蟻太郎さま
あくまでも研究であって血統のようなものは途絶えているので重視する必要がないのだと思います。
また、門外不出の奥義のようなものもありません。仮にそのような文献を見つけたらここぞとばかりに公開するでしょう。
その解釈をめぐっての論議は当然起こるでしょうが、それはそれで楽しいものでしょうから。
しかし、精神性や気といったものまではありません。呼吸法のようなものも無いようです。
このことは日本に杖術を学びにきたブシに聞きましたが、彼が参考に出したものは歌でした。
戦場では戦いが始まるまで大声で歌を歌ったようですが、これが恐れを飛ばし腹式呼吸を自然とすることで
落ち着きがでるのではないか。というのが答えでした。なるほど。