格闘技の歴史総合スレ【弐段目】

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…では、もう少しそれっぽさに気を配って真面目に…。

【体術】
単に「体術」の名で呼ばれるこの流派は、戦前日本の「兵務局分室」、
通称「ヤマ機関」の機関員が修得していたスパイ技術の内の一項目です。

当時の戦場武術と言えば、戸山流や関東軍拳法といったものが知られております。
この「体術」もまた、中山流を始めとした各種忍術から、修得が容易で実践的な術を
厳選したものですが、エリートを集めたこの機関の性格上、どちらかと言えば
修得の容易さより実戦における使い勝手の良さを優先して組み立てられた感があります。

元となった中山流は津軽藩の忍び衆で、甲賀の流れを汲む流派ですが、活躍の舞台が
陸奥という風土から必然的に、雪原や氷上といった環境での戦や隠形術が重視されました。
現在、A県H前市のQ神社には、冬季における白〜灰まだらの忍び装束が残されており、
これが恐らくは中山流で使用されたものではないかと推測されます。
(ちなみに現在、この装束はH前城にて、馬具や具足類と一緒に展示されておりますが、
保存状態は良くなかった様で、ほつれや、落ちないガバガバのシミ汚れが目立ち、
また一部が切り取られており、雑巾か何かに使われた形跡があります。)

この事からも判る通り、南方戦線よりも、北満や樺太、対ソ連におけるスパイ活動で
発生する戦闘を想定しており、特に大柄な対ロシア人戦を考慮して組まれたもので、
足を取られやすい雪原での安定性を確保する事と、頭上よりの攻撃から距離を取って
回避を容易にする意味も含め、腰を落とした状態の独特な歩法で相手の蹴り技の回避に
集中し、脛や金的、相手も腰を落としたら顎を狙って繰り出す技が特徴的です。
「低ク、低ク、ヨリ低ク、地ベタヲ這ヰズル蛙ノヤウニ。
高ク、高ク、ヨリ高ク、地ベタヲ跳ネ飛ブ蛙ノヤウニ。」

つづく
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つづき

もっとも、既にこの時代にはサンボが国技として普及し始め、下方からの攻撃にも
幾分対処できる者も少なくなかった様で、戦後の機関員の手記にもそれを匂わせる
記述がちらほら散見されます。
「敵もさるもの賢ひもの、こちらが腰を落とすと見るや、膝を曲げつつ警戒する。
かういう体(てい)でもまるで勝てぬとは思わなひが、これでは少々具合が悪し。
(中略)そろそろ策を練らねばならんのぢゃないだらうか。」

こうしたレパートリーに関する文書の幾つかは、焼却処分の命令書が残っている事から
既に失われている様で、虫食い状態で判らなくなってしまった部分も多く、
機関員の証言から判明した部分も多いです。
(日帝文書の焼却による証拠隠滅はこの手の話の定石ニダ!)


…やっぱり、人物関連がどうも弱いなぁ…人の名前覚えるの苦手ですし(藁