1 :
世界@名無史さん :
03/05/07 00:17 変な人権意識で人種がタブー化されているが、 古代史に出てくる鉄勒とか突厥ってどんな顔してたのか 気になる。 同じウラルアルタイ語族といってもコーカソイドだという説 もあるし、モンゴル系ならモンゴル系で、いまのトルコと の肉体的繋がりが謎。 だれか詳しい人教えて。
2 :
世界@名無史さん :03/05/07 00:28
w
3 :
水 ◆rDhngbng2E :03/05/07 00:32
この板ってさかなり
>>1 の書き込みで「教えて」っての多いよな。
といいつつ俺も気になるな。誰か(ry
4 :
世界@名無史さん :03/05/07 00:38
「トゥラン人種」・・・もう使われなくなってしまった区分なのかな。
5 :
世界@名無史さん :03/05/07 01:17
古代のトルコ人は、人種としてはモンゴロイドだったはずだよ。 トルコ人が中央アジアに進出して有力になると、 コーカソイド系の多くの民族の間のリングワフランカとしてトルコ語が普及し、 やがてそれらの民族はトルコ語を母語として育つようになった。 そういう集団を総称してトルコ人と呼ぶと、 古代から中世近代で、トルコ人の人種形質が変わったように感じてしまう。 でも実際は、中央アジアのトルコ化は、トルコ人が移動・植民したというより、 トルコ語が普及したという側面の方が大きいんだよ。
6 :
世界@名無史さん :03/05/07 01:39
モンゴロイドとコーカソイドとの遊牧民集団がトルコ人と 呼ばれたんじゃないのか?
7 :
世界@名無史さん :03/05/07 01:39
混合遊牧民集団ね。
8 :
世界@名無史さん :03/05/07 22:54
肉体じゃなくて文化≒言語が伝播したというのはわかりやすい。だけど、たしか山東省あたりの旧人骨がコーカソイドだったって記事が何年前かなかったっけ?肉体的にも白人種的な一団はあったのではないか?
9 :
世界@名無史さん :03/05/07 22:57
10 :
世界@名無史さん :03/05/07 23:24
「史記・匈奴列伝」にも「匈奴のなかには碧眼の民もいる」とのくだりがありますな
11 :
世界@名無史さん :03/05/08 00:00
旧人はわからん。でもこれ書くと妄想扱いされそうで怖いが、所謂「黄河文明」なるものの始まりも、青銅器文明が西域から伝わった可能性があると思う。それなら(多少薄まったとしても)人間も渉ってきてもおかしくないのではないか?1500年もあれば。
12 :
世界@名無史さん :03/05/08 09:10
「突厥」の首領の肖像画が中国に残っているが、明らかにモンゴル顔。 現在でもシベリアのヤクート人(チュルク系)はモンゴル顔だ。 古代トルコ系がモンゴル顔だったことはまず間違いない。 現在のトルコ人にはスラブやセム系の人種が混じったのだろう。
13 :
世界@名無史さん :03/05/08 09:58
>>8 転載コピペ
773 名前:つるめそ[sage] 投稿日:03/02/23 10:43
遺伝子についてはちょっと追加
縄文人や弥生人のDNA(出土人骨)から抽出と現代の各地の人とを比較した場合、似ている地域が、縄文人や弥生人の故郷とはならない
弥生系の故郷の一つとされる山東省について、最近、面白いデータが出ているようです(「ヒト、人、人間」東大出版会)
ミトコンドリアDNAの分析によると、現代の山東省人は日本人(アイヌ、沖縄を含む)、朝鮮半島人と同じ東アジアグループに入る
2000年前(漢代)の山東省人は、東アジアグループから外れてウイグル、キルギス、アルタイ、などを含む大きな枠の中に入る
2500年前(春秋時代)の山東省人は、アジア系グループからも外れて、ヨーロッパと現代トルコ人の中間的な位置に入る
もちろん墓地からの限られた人骨のデータなので、当時の山東省人のすべてを代表するとは言い切れません
しかし少なくとも弥生時代と並行するころ、山東省には現在とは遺伝的に異なる系統の人もいたということになります
中国における古人骨からのDNA抽出と分析は現在進行形なので、ここ数年で新たなデータと解釈がどっと出てくることでしょう
妄想かもしれんが、山東の大男という言葉の生物学的根拠が、案外この辺にあったりして。
15 :
世界@名無史さん :03/05/08 10:10
コーカソイドだよ 言語と人種を混同してはならない
トルコにもともと住んでいた人も気になる罠
17 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :03/05/08 13:23
言語と人種は別だが、古代にはコーカソイドとモンゴロイドの 雑種が多く、中央アジア移動で先住のイラン系住民と融合して ほぼ完全にコーカソイド化(テュルク語を受け入れたイラン系住民と言っても 過言ではないだろう)。さらにアナトリア(現在のトルコ共和国)に 移住してギリシャ系・クルド系・カフカス系・スラヴ系・アラブ系 などと混血を重ね、文句無しのコーカソイドへ。 また言語・文化がテュルク化したからトルコ人で あって、ほとんど「古代トルコ人」の血が入っていない者も大勢いる。
18 :
世界@名無史さん :03/05/08 13:36
まあどうでもいいことだが、遊牧文明スキタイ起源説と 黄河文明、西方(メソポタミア)起源説(土器の特徴とかからね) は、一部では、すでに定説です。 インダス文明もメソポタミア起源説もそれなりに有力です。 まあ、四大文明などと言うよりも整理されてわかりやすくなる とは思うのですが。
19 :
世界@名無史さん :03/05/08 18:05
モンゴル高原や楼蘭で見つかった墓はコーカソイドのものだった
20 :
世界@名無史さん :03/05/08 18:07
古代史に出てくる鉄勒とか突厥の正体は大韓民族。 大韓はコーカソイドだという説もあるし、モンゴル系ならモンゴル系で、 大韓とモンゴルは血がつながっている。事実上ユーラシアを制覇した。
21 :
世界@名無史さん :03/05/08 18:29
宗教のこともあるが、一般的にヨーロッパ人はトルコ人を「白人」とは みなさない。勿論日本人になったロイ・ジェームスのような確実に 白人的容貌のトルコ人もいるが、そのような人はヨーロッパ系トルコ人 と呼ばれる。
22 :
世界@名無史さん :03/05/08 19:13
最近の考え方では 北アジア・モンゴル高原あたりにいたころの 「トルコ人」もコーカソイド的形質を持っていたらしい。 史記なんかに出てくる北アジア人のなかにはモンゴロイド離れした形質の描写が出てきますしね。
23 :
世界@名無史さん :03/05/08 20:42
>>21 ロイ・ジェームスはロシア革命後日本に沢山流れ込んだ亡命タタール人で
国籍はトルコ共和国でもアナトリアのトルコ人とはまた別の民族だからねえ。
ヨーロッパ系トルコ人と呼ばれるのもそのせいじゃないの。
24 :
世界@名無史さん :03/05/08 21:02
なんかステップ地帯にいた遊牧騎馬民族のトルコ系と、シルクロード沿いにいた アーリア系とがごっちゃになっているような気がする
25 :
世界@名無史さん :03/05/08 21:07
プロレスのユセフ・トルコもタタール人だね。 戦前から日本に住み着いていた「トルコ人」はほぼ全員これ。
26 :
いじめないで :03/05/08 21:21
ヒスパニック(≒スペイン語話者)って、 アメリカ原住民の血を引いた褐色の人種でしょ。 ということは、大昔からイベリア半島には、 新大陸系のモンゴロイドも住んでいたということ?
ネタですか?
28 :
世界@名無史さん :03/05/08 21:52
>>23 >>25 トルコ代表のイルハンもそうだね。イルハンの父親は旧ソ連の出身でトルコへ移住、さらにドイツへ再移住した。
29 :
世界@名無史さん :03/05/08 22:03
30 :
世界@名無史さん :03/05/08 22:25
人種と民族をごっちゃにしてはいけまへん。
31 :
世界@名無史さん :03/05/09 00:44
>>26 その定義は間違っている。ヒスパニックがイベリア半島にもともといたのでは
なく、スペイン系が主に中南米に単身赴任してインディオと混血したのが
ヒスパニックと呼ばれる。勿論スペイン系の血はほとんど入ってないのから
混血したのまで含まれるけどね。
32 :
世界@名無史さん :03/05/09 01:24
グルジアと同じコーカサス語を話す コーカサス人種が匈奴
33 :
世界@名無史さん :03/05/09 01:32
↑言ったそばからほらもう(ry
34 :
世界@名無史さん :03/05/09 03:28
匈奴 人種は中央アジア型北欧人種 ね 言葉はプロトテュルク語 ね
35 :
世界@名無史さん :03/05/09 03:29
32はネタ でも元々トルコ人がコーカソイド的だったのでは事実と思う モンゴル顔がああなるとは思えない
36 :
世界@名無史さん :03/05/09 03:48
唐代のキルギスは青い目だったという話もあるしな 当時どういう言語を話していたかは謎 しかし突厥という国家が成立したときに もともと印欧語系の言語を話していた 民族を包括した(言語的にも同化)であろうから、 この時期のトルコ人=突厥人(民族)の中には コーカソイドの形質を持った人種が相当いたと 思っていいだろう。 「元々トルコ人」と言うときに「いつ」「どこに」 いた人々を指すのかをまず提示しないと、 混乱するだけだよ。
37 :
世界@名無史さん :03/05/09 04:00
遊牧民族「国家」が単一民族国家という考えは 捨てないと話が進まないよ。 匈奴が様々な民族を包括した遊牧帝国であることは定説。 支配層も下々にもいろいろな民族が入り乱れていたんでしょう。 言語的に均質化していたは思えないが、言語資料は 少ないのでこれは仮説。 残ってる語彙は少ないけど単于名の「頭曼」=Tumen 「冒頓」=Bhahadurなんて現在のトルコ・モンゴル語 で説明できる可能性が高いんで、支配層は「原トルコ系」 が優勢?と推測する説があるんだけど、まだ定説とまでは 行っていないんじゃないのかな。
>>37 いろいろな民族が入り乱れることはなかったのだよ。
参考文献:晋書四夷伝-北狄匈奴
39 :
世界@名無史さん :03/05/09 06:43
でもトルコ語を話すヤクート人はモロモンゴル顔だが
40 :
世界@名無史さん :03/05/09 14:09
41 :
世界@名無史さん :03/05/09 15:36
イスタンブールでトルコ人と話したとき、 彼らのパン・トルキズムの凄さを実感したよ。 アジアの草原に居た民族は全部トルコ人らしい。 匈奴もトルコ人で、その防衛のために作られたのだから 万里の長城はトルコ人が作ったも同然と言い放ったからね。
42 :
(σ・∀・)σ :03/05/09 15:37
43 :
世界@名無史さん :03/05/09 16:13
>>41 >万里の長城はトルコ人が作ったも同然と言い放ったからね。
始皇帝をして作らせたのか?なるほど。
44 :
世界@名無史さん :03/05/09 16:22
>>41 おもしろい。
その論法で行くと、原爆は日本の発明で、
ミサイルはイギリスの発明で、
月面着陸はソ連の成果なんだな。
>>41 てかイスタンブールのトルコ人は、某半島人に近いな。
改宗した、ギリシャ人が相当数いるんじゃないのか?
その発言を見る限り・・・
46 :
世界@名無史さん :03/05/09 17:02
昔モンゴル高原の一部はイラン系の月氏の支配下だったから 混血だろ
47 :
世界@名無史さん :03/05/09 17:47
モンゴルもトルコも同じ言語系統 人種も大差はない
トルコ語系言語なモンゴロイドな人っておるけど、逆にモンゴル系言語な コーカソイドな人っておるんかな?
49 :
世界@名無史さん :03/05/09 18:52
日本人のDNAにトルコ人の者が15%もいたそうだね。 日本で猿石などを作ったとされる、石工として渡来して来たアラブ人は案外と多かったのかも知れない。
51 :
世界@名無史さん :03/05/09 19:42
匈奴がいた割に中国北部とモンゴルって混血的な顔がいないよな。 匈奴はモンゴロイドが相当に多勢だったんでは?
52 :
世界@名無史さん :03/05/09 19:49
>51 中国北部とモンゴルの「現状」から 2000年前の匈奴に結論を持っていくのは 強引すぎるよ
>>50 そんな事より被告人ってマジか?
こんな所でカキコしている余裕あるのか?
そもそもホロコーストスレから逃亡したままだぞ。
>>45 たったひとりの証言を元にそこまで解釈するのは無茶があると思うが…。
まあ、トルコ人の中に大トルコ主義傾向はかなりあるんだろう。
ただね、ビザンツ以来のイスタンブールのギリシア正教徒は激減したから
メフメト2世以来の国策でアナトリアから
イスラム教徒を移住させたとされているし、
20世紀後半からは貧しい東部から職を求めてやってきた
元遊牧民やクルド系が増え続けてる。
トルコのトラキア地方じゃケマルをはじめ青い目の人は全く珍しくないが
イスタンブール人に限って言えばそんなにヨーロッパぽくはないはずなんだが。
55 :
世界@名無史さん :03/05/09 22:28
というより現代のギリシャ人が 古代ギリシャ文明を作った連中の子孫とは 思えないんだけど
57 :
世界@名無史さん :03/05/09 22:58
>>48 ボルガ・タタール。モスクワの300キロくらい東にも居る。
58 :
世界@名無史さん :03/05/09 23:08
>12 それは当てにならん。 写実画の技術が確立される以前の 絵画では、異人種を自分の人種と 同じ書き方をすることなどざらにある話だ
>>57 あのう…ヴォルガ・タタール語はテュルク系言語ですが…。
60 :
世界@名無史さん :03/05/09 23:19
>45 トルコの偉大さは世界から認められていて かつ、中央アジアには汎トルコ主義に共感する民族も多いが チョンが偉大だと主張してるのはチョンだけ。 歴史上トルコがユーラシア西部を制覇したという事実は 本当にあるが、朝鮮民族が沿海州を制覇した事実はない。 よってチョンとトルコを比べるのは失礼
61 :
世界@名無史さん :03/05/09 23:28
>>60 確かに、ブワイユ以後、トルコが中近東の支配者だからな。
62 :
世界@名無史さん :03/05/09 23:31
宇野正美氏の説によるとトルコ人は北アジアにいたころからコーカソイド
63 :
世界@名無史さん :03/05/09 23:59
匈奴に追われた月氏は文字があったんですか?
64 :
水 ◆rDhngbng2E :03/05/10 00:14
65 :
世界@名無史さん :03/05/10 00:18
なんせ遊牧民族だからな。コーカ、モンゴ共入り乱れ、北アジアを東奔西走だったんじゃないの。
モンゴロイドとモンゴル系民族の 区別がつかないヤシが多すぎる
>>66 ROMっている分には、そっちの方がデンパ、DQN入り乱れてておもろいけどねw
東ローマ帝国のヤシラは、トルコ人とは違うですな。 当時、トルコ人はいたんか? 東ローマ帝国のコーカソイドと西からのモンゴロイドと混血したとかはないんかいな? ナイカ。
> かつ、中央アジアには汎トルコ主義に共感する民族も多いが しかし「あいつら口ばっかで、すぐに『金がない』とか言って 中途半端で援助やめやがる。いいかげんだ」と評判悪かったり する。@ウズベキスタン
70 :
世界@名無史さん :03/05/10 23:44
日本だったらトルコ世界の盟主を狙える。
71 :
世界@名無史さん :03/05/10 23:45
マジャール人に ごく稀に出る蒙古斑は むしろアヴァールや他のプロト・テュルク人(フン族) との混血の結果であり、原マジャールは「朱髪、高身、長頭型) の中央アジア型北欧人種に帰属すべきと考えられている。 さて、漢代から唐代における古代中国の資料には 中央〜北方アジアにその時代コーカソイド的特徴をもった遊牧系民族の ことが記されている(匈奴、古代キルギス、突厥、烏孫など)。 最近の(特にロシアの手による)モンゴルから中央アジアの多数の クルガン(古代遊牧民族の墓)で発見された匈奴・突厥などの人骨 のDNA調査などから、これらの民族が北欧型コーカソイドに属していた 可能性が考古学・人種学の分野で補強されている。 さて、匈奴や突厥などはテュルク系に属していたと考えるのが一般的で あるがそれはあくまで古代文献調査をベースとする言語学のみに拠った 結果であり、人種についてはほとんど考慮されていなかった。 しかし先述した考古学・人種学分野での これらの民族の調査から、フン襲来以前からすでにヴォルガ地域に 散在していたフィン系(マジャールやモルドヴィン人、ジリアン人 チェレミス人などー総称してヴォルガフィン系という)にあてはめ られる「ウラル人種」ときわめて酷似していることもわかってきている のである。つまり古代中央・北方アジアにおける北欧型コーカソイドの 普遍性という史実と、「ウラル人種」とそれとの人種的類似という 点よりマジャールは元来白色人種、それも北欧型、またはそれに近い コーカソイドではなかったか、とされている。 以上、最近の私の知っている限りの学会の流れの概略を書いてみたが まだまだ、同じウラル語族に属するサ−メ人の人種帰属問題も解決されて いない現状としては、断定もできない(らしい。) ただお互い遥か遠く離れた2つの場所に同じ血を分けた民族がいるという 「ロマン」は日本人とハンガリー人の「親近感」という形での友好関係に結 びつきプラスに作用している部分もあるのではないだろうか。
72 :
世界@名無史さん :03/05/11 00:51
>>68 いつの時代を指して言ってるのかよくわからんが
イランからトルコ人が大挙して来る以前にも
ブルガル、クマン、キプチャクなどのトルコ系遊牧民が
黒海の北側からバルカンの東ローマ領に入り込み、
混血しキリスト教化したりしながら定着したことは事実。
一部はアナトリアまで入って
イランから来たイスラム教徒のトルコ人に混じったとも。
74 :
世界@名無史さん :03/05/11 08:25
まあ、映画「アラビアのロレンス」を見る限り、英国人もトルコ人も双方 「トルコ人」を白人とは認識してなかったようだが。
2
76 :
世界@名無史さん :03/05/11 14:51
突厥は白人ですか?
77 :
世界@名無史さん :03/05/11 15:13
ところでトルコ人と話して気持ちがいいことは 彼らが日本人に対してすごく好意的なことだね 第2ボスポラス橋も日本が作ったこと知ってるし
古代、中国の北方にいた騎馬民族の帝国って実はコーカソイドだったりして。(あくまで古代ね・・・・) きゃつらは紀元前から歴史上全般的に、ヨーロッパ、インド、イラン、アナトリアに大挙押しかけてくるけど、 逆に中国方面に移動した一派もいたんじゃないのかなぁ。 当時のユーラシア中央部の人口密度は地中海、アラビア、イラン、インド東南アジア、中国 など弧を描く三日月地帯より確実に少ないはず。 その点、さえぎるものもなく民族単位でスムーズに進出できる。
79 :
世界@名無史さん :03/05/11 18:44
トルコ系言語のヤクート人てモロヒラメ顔だよな あれが元祖だろ
白人崇拝者がいるな。 こいつは、始皇帝スレにも現れたやつなのか?
82 :
世界@名無史さん :03/05/11 22:04
突厥ってソグド人と関係深かったんだろ 混血では
83 :
世界@名無史さん :03/05/12 12:22
旧ソ連系の学者は否定していたそうな <匈奴=フン説 認めると、西征ルート途上にあった原スラブ族にアジアの血が混入していたことの 傍証になってしまい、「タタルのくびき」だけでも嫌なのに勘弁しろやゴルァ、となるらしい。 で、フン=スキタイ分派説を採用していたはず。 (資料手元になしスマソ)
名前が「奴隷」なのに今更だよなw > スラヴ民族
>84 そりゃ逆だ。中世前期に非キリスト教徒スラブ人が奴隷として大勢用い られたから、「奴隷」を「スラヴ→スレイヴ」と呼ぶようになった。 フン=匈奴説は最近旗色悪いよ。ロシア以外でも。
>>85 古代ギリシャ語とか、ラテン語でも、スラブ人の前に奴隷や召使のことをスレイブとかサーバンとか呼んでなかった。
発音はいまいち思い出せないけど、高校のとき使ってた、英語の語源表に載ってたよ。
ラテン語の奴隷はservus → 英語のserve、service、servantの原型 英語の奴隷はslave ← slavが語源 たぶん無関係。ギリシア語は、ぐぐるでは見つけられんかったスマソ。 スレ違いなのでsage
88 :
世界@名無史さん :03/05/14 03:46
ヨーロッパロシアの地域でも、北極圏のサモエドなんかは極東とおなじ顔つきを していて着ているもののセンスはラップランド人などと殆ど同じ。 モスクワの少し西には、羊飼いのボルガ・タタール。顔はロシア人と殆ど見分けの つかない紅毛碧眼の白人で、暮らしぶりはモンゴル人、言葉と神様はずっと南の 黒海のトルコ人と似てる。 言葉、暮らしぶり(文化)、血(人種)は、別々のものなんよ。
89 :
世界@名無史さん :03/05/14 20:42
>>88 そのとおり。
だけど、それをわかったうえで、世界史の登場人物達の、
人種−言葉−文化
を知りたいわけでつ。
ていうか、例えば小説書くにしろ映画作るにしろ、
これがハッキリしないとイメージできないでしょ?
別に「民族」の神話に拘っている訳じゃないよ。
>>88 ヴォルガ・タタールの生業はモンゴル人とは違い都市民と農民で
中世のヴォルガ・ブルガールの後身とも言われているんだが。
88のような勘違いを見ると
我々はタタールの名前のおかげで勘違いをされている、
ブルガールに名前を戻すべき、などと言う
ヴォルガ・タタール人の主張もなるほどと思わざるを得ないな。
ついでに言うと、居住地はモスクワの西じゃなくて東ね。
91 :
世界@名無史さん :03/05/15 01:02
ボルガタタールの人たちって帝政期には、かなり羽振りが良かったんだよね。
92 :
世界@名無史さん :03/05/15 03:39
ボルガ・タタールの人たちの近況については 関啓子『多民族を生きる 〜転換期ロシアの人間形成』 (新読書社、2002) という好著があります。
93 :
世界@名無史さん :03/05/15 03:40
スマソ、タイトルの一部が抜けた 『多民族社会を生きる 〜転換期ロシアの人間形成』 です。
94 :
世界@名無史さん :03/05/15 13:35
>90 トロイア戦争の映画でブラッド・ピットがアキレウスやるってさ。
95 :
世界@名無史さん :03/05/19 22:27
突厥建国がトルコ建国年
96 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :03/05/20 00:05
テュルク民族ないし「トルコ民族」と言っても、 現在のトルコ共和国(アナトリア&東トラキア) の人々の大半は99,9%コーカソイドのアナトリア人種。 中央アジアのトルコ系諸民族はコーカソイドとモンゴロイドの混血と 思われるトゥラン人種。 「古代トルコ人」も地域や部族でまちまちだったのかも。 言語と人種は別。
97 :
世界@名無史さん :03/05/20 00:25
トゥラン人種については「白/黄分化以前の原人種」という説までありますな。 最近はトゥラン人種というククリは聞かなくなったようですがどうしたのだろう?
98 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :03/05/20 00:51
>>97 そうですね、進出してきた「トルコ系」と先住の「イラン系」が
混血して形成されたのが中央アジア人であり、
それをトゥラン人種という。というのには最近は多くの疑問が
持たれていとか。
もしかしたら、「古代トルコ人」―の少なくとも、その
一部―ウゴル族の一部と同様にコーカソイド、モンゴロイド未分化の
人種だったのかもしれませんし、わけがわかりません。
99 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 :03/05/20 00:53
訂正:「古代トルコ人」―の少なくとも、その一部―は
100
101 :
世界@名無史さん :03/05/20 12:41
「人種」という本にコーカソイドと書いてあったぞ。
102 :
世界@名無史さん :03/05/20 18:35
ウラル人種はもともと白人的だったのは事実。
ジョーカー発見! 久々だなぁ〜。
104 :
世界@名無史さん :03/05/22 22:23
最下位まで沈下したのでサルベージage
105 :
世界@名無史さん :03/05/22 23:19
今「トゥラン」なんていう用語、トンデモ系以外に 使うヤシいるのか? 日本では戦時中政治的に悪用されたんで、戦後は 特にアレルギーが強いみたいよ。
悪用されてないよ
ヒッタイトはトルコ人?
ヒッタイト人はヒッタイト人だろうがよ。
あくまでトンでもなんだが 狄ってtrkの音訳とかって説を、昔何かの本で読んで 「おいおい、そりゃないだろー」と突っ込んだ
110 :
世界@名無史さん :03/05/24 11:57
>>1 人類学的タイプはトルコイド種族(コーカソイド)に属する。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
112 :
世界@名無史さん :03/06/01 21:36
>>112 ん? 現在のトルコ人に関係=トルコ共和国住民の先祖に関係ってこと?
それならビザンツなんてスラブ人とアナトリア人種の国ともいえたんだから、
現在のトルコ人に関係しまくりだぞ。
古代トルコ人 人種:?? 言語:?? 文字:?? 宗教:?? 生活様式:?? 現代トルコ人 人種:?? 言語:?? 文字:?? 宗教:?? 生活様式:?? ↑おしえて
116 :
世界@名無史さん :03/06/03 22:51
ヨリ目焼きイモ鮮人
117 :
世界@名無史さん :03/06/03 23:31
>>1 初期の古代トルコ人はバイカル湖の南あたりに居た立派な新モンゴロイド。
ブリアート人に近い、のっぺりした顔の新モンゴロイド。
その後、南西に移動し始めて、まずタリム盆地に入る。
タリム盆地では最初、コーカソイドでイラン系のアーリア人が住んでいた
のだが、彼らと混血してトルコ人のコーカソイド化が始まった。
タリム盆地はその後トルキスタン(イラン語でトルコ人の土地)と
呼ばれるようになった。
118 :
世界@名無史さん :03/06/04 21:47
やっぱりそう言っていいんですよね。 バイカル湖といえば「日本人」の故郷とも言われる。。。 それから西遷。タリム盆地で攪拌されたと。 現在のトルコ人もそう理解して日土は兄弟などと言いますが。
119 :
世界@名無史さん :03/06/04 21:58
2万年前にバイカル湖から樺太に移動した古モンゴロイドが縄文人。 残って、新モンゴロイドになったのがブリアート人や古代トルコ人。 形質から人種は違うが、gm遺伝子は一緒だったほず。
120 :
世界@名無史さん :03/06/04 22:47
トルコ人がバリバリのモンゴロイド顔だったら 兄弟だとか言われたら迷惑だよな 彫が深くて恰好よくなきゃいやだ
121 :
世界@名無史さん :03/06/05 22:33
形質>>>>>>遺伝子
白人が好きなんだねw 古代トルコ人が角田信明みたいな顔だったら嫌なのか? 君らの中では、墨突単于はベッカムなのか??
123 :
世界@名無史さん :03/06/07 05:18
/:::::::::::::::::::::::人:::::::::::::::::::::::::\ /:::::::::::::::::::::::::::/ ..ヽ:::::::::::::::::::::::::::ヽ /::::::::::::::::::::::::::::/ ヾ:::::::::::::::::::::::::::丶 /::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ::::::::::::::::::::::::::ヽ |::::::::::/::::::::::::ノ ヽ.::::::::::::ヽ:::::::| |:::::::/ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄|:::::::| |=ロ -====・ ・====- ロ=.| |:::::| .. |::::::| |::::::| ` |::::::| (||:::::| .(。。) |::::::|) .. |:::::| ∴∴ l l ..∴∴ |::::::| ___________ .. |:::::| ∴∴ _-- ̄`´ ̄--__ ∴∴ |::::::| / |:::::| ∴∴ -二二二二- ∴∴ |:::::::| < 朝鮮顔民主主義人民共和国 |:::::| |:::::::| \___________ |:::::::ヽ -_ _- ノ::::::::| |:::::::::丶 . ̄ ̄ /::::::::::::| |::::::::::| \_______/ |::::::::::::::::|
>>10 >「史記・匈奴列伝」にも「匈奴のなかには碧眼の民もいる」とのくだりがありますな
モンゴルには現在でも普通に目の薄緑・茶の人大勢いるよ。顔は典型的なモンゴロイドのっぺり一重顔でね。
モンゴルは緯度が高いからね。目に色がつくのは色素が薄いからで
目が青い→匈奴はコーカソイドという証明にはならない。
色素が薄くなるのは、高緯度かつ多雨気候の場所でモンゴロイドの拡散している場所で
そのような場所は稀だから、結果的にモンゴロイドで目の色が薄い人は稀になっているだけで
高緯度・多雨地帯に長く住んでいればどんな人種でも目は青くなる。
125 :
世界@名無史さん :03/06/07 07:00
>>124 イヌイットやチュコトやサモエドやエベンは目が黒いよ。
モンゴルの目の青いのははロシア人との混血がかなり居るからでは? 前の大統領の
嫁さんがロシア人だったぞ。
126 :
世界@名無史さん :03/06/07 07:01
ブリアートの人だと、日本人の顔で青目にした感じの人が結構居ると聞いた。
>>124 >高緯度・多雨地帯に長く住んでいればどんな人種でも目は青くなる。
モンゴルは多雨地帯じゃない。モンゴル人に金髪碧眼がいるのは、近代のロシア人との
混血によるものだろう。それから匈奴に、コーカソイド系の部族が一部含まれていたとしても
不思議じゃないと思うが。
128 :
世界@名無史さん :03/06/07 12:22
黒い朝鮮人はどこから来たの?
129 :
世界@名無史さん :03/06/07 12:33
スキタイが匈奴になった
匈奴の別部である羯族(五胡十六国の一つである後趙を建国)の容貌については 「晋書」載記の石氏の部分に少しだが書かれている 孫珍(羯族)という男が崔約(漢人の侍中)に相談する場面 孫珍「私は目を患っているが、これを治す方法はないか?」 崔約は孫珍を嫌っていたので戯れに、「目に小便を注げば直る」と言った 孫珍は「 注げるわけないだろう」と言った すると崔約は「あなたの目はガボガボだから、注げるよ」と言った 孫珍は崔約を恨んで石虎の太子であった石宣にこの一部始終を告げた 石宣は石虎の諸子のなかで「最胡状」(もっとも胡人風の容貌)で 「目深」(目が深く窪んでいた)だったのでこれを聞いて激怒 崔約父子を誅殺した また石虎の養子となっていた石閔(漢人)が後趙を滅ぼす際、 その中核部族たる羯族を多数虐殺したが、 羯族でない者も多く殺された。なぜかと言えば、誤って殺された者たちは 「高鼻多鬚」(鼻が高くひげが多い)であったためだという 以上のことから匈奴全体はともかく、羯族については彫が深く鼻が高く ひげが多い容貌をしていたと言えるのではないか
自分が各地を旅行して見た限り中国東北部でも目の緑の人はいる。
満州人は漢人と変わらん人も多いが、人によっては驚くほど色が白い人がいる。
日本人でも色素が薄い子供や色白の人は髪や眼の色が茶色い場合が多いだろう。
茶の次は緑。ただし百人にひとりのレベルだけど。
つまりオレが
>>124 でいいたいのは
目が青い→コーカソイドというのは必要十分条件じゃなくて十分条件だということです。
132 :
世界@名無史さん :03/06/07 17:41
ブリヤートの人はもろにモンゴル顔だけど腰高で足が長い
133 :
世界@名無史さん :03/06/07 17:50
遺伝子学をもう少しまじめに勉強しましょう(w
134 :
世界@名無史さん :03/06/07 18:11
チョンが人種工作のときに使うネタは、いつも必ず遺伝子ネタ。 なぜなら、 形 質 だ と 異 人 種 で あ る 事 が バ レ バ レ だ か ら
>>131 >自分が各地を旅行して見た限り中国東北部でも目の緑の人はいる。
何人くらいいました?(もちろんロシア人との混血を除いてですよ)
136 :
世界@名無史さん :03/06/08 23:44
日本人にも青眼の奴はいるぞ と、以前にも書き込みしたな・・・
138 :
世界@名無史さん :03/06/10 02:48
コーカソイド=白人なの? 南方系のコーカソイドは白人とは言わないんじゃない。
139 :
世界@名無史さん :03/06/10 07:01
>>138 日本でよくコーカソイド(白色人種)と書かれているのでまぎらわしい
のです。
日本で使われている「白人」という言葉にもっとも近いのはwhite
であり、whiteにコーカソイドでもアラブ人やインド人などは
含まれせん。コーカソイドとはコーカサス地方で発見された人骨の特徴
を持つ人々の集団を指す言葉で「白人」という意味でもありません。
ケセン語入門かいた、岩手県のお医者さんび山浦玄甫氏が、気仙地方の 自分の患者さんの中には、先祖代々からの日本人で、瞳が青い人、瞳の 一部が青い人が、100人に数人の割合でいる、といっていたよ。
141 :
世界@名無史さん :03/06/15 00:26
ウズベク人見るとコーカソイド
142 :
世界@名無史さん :03/06/17 22:06
そういえばアイヌもコーカソイド説あるね。 やはり「白人」的民族はかなり昔に既に アジアの東端まで達していたのか?
>>142 キ、キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
アイヌ人はコーカソイド!!
日本人はアイヌとの混血!
日本人にもコーカソイドの血が・・・!
(*´д`*)ハァハァ やっぱオナニーは気持ち良いね。
145 :
世界@名無史さん :03/06/21 00:49
山東省あたりの旧石器時代の人骨では コーカソイドのがみつかっているよ。 因みに北米大陸でもね。 それになんでコーカソイドの血が混じっている ことがオナニーになるの? 妙な思いこみしているあんたがカコワルイ(・A・)
>>145 電波 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
俺も
>>142 はオナニーだと思う。アイヌの写真を貼りまくってるコピペ厨と
なんだかよく似た思考パターンを感じる。
149 :
世界@名無史さん :03/06/23 01:55
あとよくコピペされる「ケネウィック洞窟人骨でアイヌ=新大陸先住民」説とかもね。
150 :
世界@名無史さん :03/06/23 02:46
>>145 原モンゴロイドはコーカソイドではない。頭骨は似てるけど。
151 :
世界@名無史さん :03/06/23 02:48
毎年、約1万組の日韓結婚。 それに伴なうヒラメ化した混血児。 日本の新生児約100万人のうち、 毎年、約1〜2万の新生児にチョンの血が流し込まれる。 綺麗な顔の日本人たちに、 毎年毎年、容赦の無い朝鮮人の血が流し込まれている。
152 :
世界@名無史さん :03/06/25 22:58
朝鮮人に異様なまでの対抗意識を燃やすアイヌオタ おれたちには白人さんの血が混じってるんだぞ! おまえらより高貴な血の産まれなんだぞ オラぁー!! チョンは死ね!!
153 :
世界@名無史さん :03/06/26 00:58
言語系統はトルコ系でも東シベリアのサハ(ヤクート)人になると だいぶ風貌も違いますね。 (見ていると面長系と丸顔系とがいるようで) 先住民が少数のトルコ系民族の北方拡散のさいに 文化的に同化したため、とも考えられています。
154 :
世界@名無史さん :03/06/29 15:43
>>5 >トルコ人が中央アジアに進出して有力になると、
>コーカソイド系の多くの民族の間のリングワフランカとしてトルコ語が普及し、
>やがてそれらの民族はトルコ語を母語として育つようになった。
ブルガールやペチュネグは、逆にコーカソイドに呑み込まれてしまったようだが。
155 :
世界@名無史さん :03/06/29 16:45
トルコ戦見てたけど もろアジア人の顔してた
そりゃ、モンゴル人はトルコ民族ですから。
157 :
世界@名無史さん :03/06/29 18:04
アイヌ人に異様なまでの対抗意識を燃やす在日オタ おれたちには支那人さんの血が混じってるんだぞ! おまえらより高貴な血の産まれなんだぞ オラぁー!! 土人は死ね!!
人種差別オタが出てくると途端に レベルが下がるな。2chらしいが。
みんな地球人なんだよ。それでえぇじゃないか。
160 :
世界@名無史さん :03/07/01 00:01
>>157 アイヌオタがまんまと釣られてるのに笑った
161 :
世界@名無史さん :03/07/01 02:18
俺もトルコ線みたけどぜんぜんアジア人と違うやろ。
日本人とはそれほど似てないよ?
163 :
世界@名無史さん :03/07/01 08:17
>>160 在日オタがまんまとオナニーしているのに笑った
なんだいつの間にか 駄スレになったな
166 :
世界@名無史さん :03/07/03 18:18
http://www.turkey.com/forums/forumdisplay.php3?forumid=7&daysprune= 上は英語圏在住のトルコ人のフォーラムだけど2ch見たいで彼らの本音が聞けて面白いよ。
上記を観察すると
大多数の人のトルコ人は自分たちをドイツ・スイス人などアルプス以北のヨーロッパ人と「同じ」とは思ってないようだ。
しかし、アラブ、ペルシャ、インド人など「茶色い人」とも自分たちは違うと思っているよう。
また、イラン人、ギリシャ人が心底嫌いらしいで、中国人・ロシア人もトルコ系圧迫という点からかなり嫌いなようだ。
ネットということもあるかもしれないけど全体的に大トルコ主義者(アルタイ主義者)+国粋主義者が非常に多い感じ。
イスラム原理主義者はトルコでは絶滅しているようだ。
白人なりたがり主義者はトルコ主義者ほどではないが結構いるかな。
大トルコ主義者にとって「トルコ」とはコーカソイド・モンゴロイトの枠を超えた「文化」「魂」であり
アナトリアからヤクートまで中華思想やイスラムと同じようにトルコワールドが世界の一大文化圏
を築いているらしい。
全体的にアラブ人やイスラム圏に対する親近感は希薄で、
むしろカザフスタン人、ヤクート人や東トルキスタン人
モンゴル人などトルコ系・アルタイ系に対する親近感のほうが強いようだな。
宗教よりも民族的な、いわゆるトルコ圏に親近感を持っている、ってことか。
>言語系統はトルコ系でも東シベリアのサハ(ヤクート)人になると >だいぶ風貌も違いますね。 >(見ていると面長系と丸顔系とがいるようで) スレとは関係なくてスマンが 自分の観察でいうと面長+一重+鼻長の顔(ひろゆき、イチロー、明治天皇、吉田松陰とか) って日本、朝鮮、とか東北アジア人にやたら多い気がする。 自分は中国人で面長+一重ってあんまりみたことないな。 中国人で一重の奴って大抵顔の幅が広くて丸顔だな。あと鼻が小さめ。 溥儀とか西太后とかの写真見ると満州人にもその傾向があるようだが。 モンゴル人とかどうなんだろ。 あんま見たことないのでよくわからんが印象だと四角+一重顔が多い気がするが。 とにかく中国人にはこのタイプは非常に少ないかな。 仕事柄中国人によく接していてつかんだ傾向なので結構確かだと思う。 中国人は一重で面長でも鼻が短か(小さい)ったり、 一重+面長+鼻長の三つを兼ね備えた顔は稀なんだな。
169 :
世界@名無史さん :03/07/03 21:33
>>166 そりゃそうだ。日本人が見ると「白人」のように見えても、映画「アラビアの
ロレンス」なんか見ると、イギリス人はアラブやトルコ人を明確に非白人視
しているのがわかる。
ドイツ人も在住のトルコ人を白人とは思っていない。
トルコ人は中国人は嫌いだが日本人は好きなやつ多いね。
何時だったか、援助したんだっけか。
171 :
世界@名無史さん :03/07/03 23:56
>>168 てか「中国人」ってくくりヤメレ。
「中国人」は文化概念。
人種ではない。
話が混線する。
>>169 アナトリアのトルコ人は混血の程度からみても
コーカソイドが主流と考えてよいと思う。
しかし「白人」というニュアンスにはクリスチャン
という文化属性が入っているのでアジアン視される
んじゃないの?
ヨーロピアン⇔アジアン という区分が
白人⇔非白人 に重ねられている。
そういう意味だとロシア人ですら欧州では
アジアンと見られているよ。
172 :
世界@名無史さん :03/07/04 03:08
>>171 中国人っていうか、シナ人というと普通どこの国でも漢民族のことで、中央
アジア系やチベット系は含まないのが通例。
「アラビアのロレンス」では有色で顔つきがヨーロッパ系とは違うトルコの
将兵が現れ、ロレンスの肌を「白い」といってつねるシーンがあるが、当時
西欧人、トルコ人双方が異人種視していたのは明らか。
174 :
世界@名無史さん :03/07/04 05:02
横レスだが
>>172 そのシナ人(漢民族)自体が人種概念ではなく文化概念、或いは政治的区分概念なのだ。
東南アジア系と殆ど変わらない顔立ちの漢民族だっているし
中央アジア系人種、チベット系人種なんつうのも存在せず、人種的境界線は無い。
(だからといって中央アジアやチベットと中国が同一と言う話ではないので一応補足)
中央アジア系やチベット系を含もうが含むまいが、中国人、シナ人、漢民族と言う用語を
人種的形質に適用するのは大いに問題あり。
で、スレ本題だけど○○人を異人種視する事と実際に人種的差異がある事は凡そ別問題。
現代のトルコ共和国国民とギリシア人との間には人種的相違は殆ど無い。
ギリシアとトルコの住民交換の際、人種も言語も全く考慮されず正教徒か
イスラム教徒かでギリシア人なのかトルコ人なのかが判別されたため。
蛇足だがバルカン地域では民族や国籍の判別の際に宗教が何にも増して重要視される
傾向が強い。言語も人種も凡そ垣根が無いセルビア人、クロアチア人、ムスリム人が
所属する宗教によって別の民族となっているのもそれによる。
175 :
無料動画直リン :03/07/04 05:15
176 :
世界@名無史さん :03/07/04 08:55
>>174 おおむね賛同だが172の西欧人とは英、独、仏などで、普通ギリシャ
は含まれない。現在のギリシャ人は東方的で古代ギリシャ人とは人種が
違うと西欧人は考える。
西欧人がギリシャ人かトルコ人か判別できなくても、植民地時代に
白人(特にゲルマン語圏)かトルコ人かは容易に判別できた。
177 :
世界@名無史さん :03/07/08 22:46
サッカーのトルコ代表の面々を見ていると 顔はコーカソイドだが体型は短足で貧弱なモンゴロイド体型なのが結構いる。 こういう体型は中東にはほとんどいない あと顔の横幅が長い選手が多い これもモンゴロイドの形質かな
178 :
世界@名無史さん :03/07/08 23:12
イルハンはドイツ生まれだが、彼の両親はトルコのタタール系移民が 多い場所で生まれた。タタール人はモンゴロイドの血が入っているから、 結果、イルハンは若干アジア的な風貌をしている。
180 :
世界@名無史さん :03/07/11 02:01
てことは・・・ バルカン半島の住民にもモンゴイドの血が混じっている人は いなくもないわけか・・な?
いやぁ、いないんじゃないかなぁ、モンゴイドは
>>178 トルコ人もイルハンが東洋的な顔立ちと認識しているようだ。
>
http://www.turkey.com/forums/showthread.php3?threadid=8294&pagenumber=2 の中段でより。
>Here is a picture of Turkey's best young soccer player Ilhan Mansiz
>(you would've seen him in the world cup this summer)
>he looks Mongoloid..there's a lot in Azerbaijan and Turkey that look Mongoloid
>これはトルコ最高の若手サッカープレイヤーのイルハンの写真だが(今年の夏のワールドカップで見ただろう)、
>こいつの顔はモンゴロイドのように見える。
>トルコとアゼルバイジャンにはモンゴルチックな顔の人は概して多い。
183 :
世界@名無史さん :03/07/11 17:50
ユーゴやクロアチアのサッカー選手にもモンゴロイド的な形質のある人いるね。 ルーマニアにはジプシー系も多いがモンゴロイド的な人もいる
所でモンゴロイドとコーカソイドはいつわかれたん? 場所は中央アジアらしいが
>>183 >ユーゴやクロアチアのサッカー選手にもモンゴロイド的な形質のある人いるね。
出来れば具体的な選手名を挙げて欲しいんだけど。セルビア人もクロアチア人も、
俺の知ってるスポーツ選手は少しもモンゴロイド的じゃないような。
186 :
世界@名無史さん :03/07/13 01:04
ケズマン、ビドゥカ(クロアチア系オージー) チェコにも多い(ロシツキー、ネドベド、etc)
187 :
世界@名無史さん :03/07/13 02:07
ケジュマンとネドベドは俺も疑問だったけど、 ロシツキとヴィドゥカは結構"ぽい"よ。 角ばった顎や目線なんかはそれらしくない? 西アジアとヨーロッパのハーフって感じではあるけど。
190 :
世界@名無史さん :03/07/14 22:44
>>188 写真による。
白人に見えるときと黄人に見える時の差が激しい
191 :
世界@名無史さん :03/07/15 02:06
>>142 .
>>145 .が言っている「コーカソイド」なら、コーカソイドではない。
>>150 .が言っているように、原始的なモンゴロイド。
ヨーロッパでも、コーカソイドとモンゴロイド双方の特徴を持った骨が出て、
モンゴロイドは、コーカソイドよりも先にヨーロッパに居たと騒然となったw
人類の初期、アフリカ、ガリア、キタイに向かった人類は、同じ特徴を持っていた。
それがネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドと、
それぞれ地域に適応しながら変化していったと言うのが現在の理論
192 :
世界@名無史さん :03/07/15 02:11
ちなみに、この説で行くと、人類の発祥はともかく、現在のホモサピエンスの故郷は コーカソイドの住んでいた辺りとなる。 理由は、コーカソイドの骨格が、原始的な人類に良く似ている事。 つまりは、変化していく必要が無かったというわけ。 コーカソイド=進化した人類と言いたがるけれど、一番原始的な特徴を備えているとも言える
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
194 :
世界@名無史さん :03/07/15 14:08
相変わらず画像が悪いのばっか使ってんな、マスゴミw
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
197 :
世界@名無史さん :03/07/20 00:05
トルコ 文明の十字路あげ
198 :
世界@名無史さん :03/07/20 00:11
, -,:' / ̄) i{'r‐-、 `ヽ、
. _...,,o‐y ,:'- '⌒ ⌒ヽ. `ヽ' ,
(o( ,' / / 、 `ヾ. ヾ,
,:'´//7,' ,' .,' ,:' ! } i !', ':, ':, ゙:,
,' / ,' {l. ! {/ ,イ / }| !|', !. ', ', ゙,
ハ〃 ! !| | | ∠/ ,:'-ノ} /リ l ,ム. ! } |!
ハヽ、ゝ!| l | ,:',;='ィ'、'´ ,'.ノ ノ.,;lノ=、l .,' ,' ,' ノ
{ l l ', |'ヲi(_ノ.} ´ i(ノ.}゙!ノ,:',:''´
', h. ', ',゙、 ':゙゙_.ノ. ':゙_ノ〃ン
':, { ',', ':,':, 丶 ,' l .}
ヾ ':,':, ':ヾ、._ 「´/ ,' | .,'
`ヾ-、`ヽ_ `´ _,.ィリ.ノ ,'
リ';',ヾ| ` ‐┬ ´ _ノノ,'/
ヾ,、-- 、 _ | ´ノ'
f ヾ、..___ ヽ、 ー‐''
/_......_ \
NHKで好評を博したアニメシリーズ「カードキャプターさくら」が復活!
TVシリーズ全話を再録、5.1chドルビーデジタル仕様にするというから驚きだ
劇場版をも凌ぐ臨場感でTVシリーズが甦る!!
DVD-BOX1巻クロウカード編は9月25日発売予定
【5.1ch】さくら再び!【レリーズ】
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/sakura/1058591334/
結論:古代トルコ人の多くの部族はコーカソイド。
200 :
世界@名無史さん :03/07/21 15:08
>199 疑似科学のネオナチの話は誰も聞かないよ
201 :
世界@名無史さん :03/07/21 15:16
○○コーカソイド説、って話になると 必ず「白人崇拝だ!」「欧米コンプレックスだ!」って奴が出てくるから うっとおしいな。お前が欧米コンプレックスだっちゅうの。 で、そういう奴が多いと、今度は逆にワルぶったナチ厨も出てくるし‥
>196 殺すぞきさま。
トルコ (1030 年以降) 「トルコ」という名前は、中東の 2 つのイスラム教徒群を指す。この 2 つとは、 最初に現れたセルジューク人と、その後のオスマン人である。セルジューク人は カスピ海付近のステップを発祥の地とする遊牧民で、10 世紀頃にイスラム教に 改宗した。約 7 万人のセルジューク人が、傭兵としてバグダードのカリフが 擁するイスラム軍の兵卒となった。セルジューク人の傭兵はイスラム教の スンナ派に改宗した。1055 年、セルジューク人はバグダードのカリフの背後で 実権を握るようになり、支配を拡大し始めた。彼らの指導者は、 「権力を持つ者」 (イスラム教国の君主) を意味するスルタンの称号を得た。 1100 年になる頃には、セルジュークトルコはアナトリアの大部分 (ビザンティンから奪った)、 パレスチナ、ペルシア湾の沿岸地帯、アラビア各地の聖都、そして遠く東のサマルカンドまでを支配していた。
1071 年、セルジュークトルコは、現在のトルコのマンジケルトでビザンティン軍に 対して驚くべき勝利を収め、アナトリアの大部分を占領するに至った。ほぼ同時期、 セルジュークはエジプトのイスラム教国ファーティマ朝からエルサレムを奪うことに成功した。 これら 2 つの出来事は、ビザンティン人、教皇、ヨーロッパのキリスト教諸国に衝撃を与え、 以後 200 年間にわたって続くことになる十字軍の発端となった。 セルジュークトルコは、最終的にはパレスチナの支配権を取り戻したものの、 十字軍との度重なる戦争によって疲弊し、各地の地方政権に分裂したあげく、 イラクのセルジューク朝は 1194 年に消滅した。イスラム教の異端宗派、 アサシン派の活動にも脅かされた西アジア一帯では、当時流行していた スーフィズム神秘主義の教えに従って、全イスラム教徒が内省の期間に入った。 心身ともに消耗したこの時期に、突然モンゴルの攻撃を受け、 1258 年にバグダードがモンゴルの手に落ち、アラブの宗主国アッバース朝も消滅してしまった。
アナトリア (小アジアの一部で、現在のトルコ) のイスラム教徒は 14 世紀初期にスルタンの オスマンT世のもとで統一され、その名を讃えてオスマン トルコの名が使われるようになった。 オスマン トルコは崩壊寸前のビザンティン帝国に対する聖戦を誓い、コンスタンティノープル方面への 遠征を開始して、バルカン諸国に入った。1389 年にセルビアを破り、1396 年にはブルガリア北辺の ニコポリスの戦いでバルカン諸国の「十字軍」とフランス・ドイツの連合軍を撃退した。 オスマン トルコの快進撃はティムールに率いられたモンゴル軍団によって一時的に阻止されたが (1402年)、ティムールは侵略の矛先を他へ転じ、オスマン トルコは復活した。 スルタン メフメトU世 (「征服王」) は、1453 年 5 月 29 日、ついにコンスタンティノープルを占拠した。 コンスタンティノープルの無敵の城壁は、70 丁の大砲による 8 週間の攻撃で砕かれ、 そこから侵入した 1 万 5,000 人のイュニチェリ (オスマン トルコ軍の精鋭部隊) が襲撃を行ってこれを陥落した。 オスマン トルコは、コンスタンティノープルの陥落の後ヨーロッパに侵攻し、 いわゆる「逆十字軍」を仕掛けたが、1456 年にハンガリー軍によってベオグラードで阻止された。 1529 年、オスマン トルコはウィーンを包囲して神聖ローマ帝国に圧力をかけたが撃退され、 1683 年にも再び撃退された。オスマン トルコ帝国は、16 世紀の最盛期には北はハンガリーの ブダペストから黒海北岸のオデッサにまで達し、ギリシア全体とバルカン諸国、黒海沿岸、 小アジア、レバント地方、アラビア、エジプト、そして北アフリカの大部分にまたがる大国となった。 オスマントルコ帝国は、20 世紀の第 1 次世界大戦まで世界の大国として存続した。
206 :
世界@名無史さん :03/07/22 02:48
なぜにセルジュク以前を無視する?
207 :
世界@名無史さん :03/07/22 06:04
トルコ人だろ?
208 :
世界@名無史さん :03/07/22 10:28
古代トルコ人はモンゴル人的容貌。 しかし支配層の一部は遊牧民の元祖スキタイの影響でコーカソイド的。 ウイグル人はアーリア系ソグド人との混血でコーカソイド的な容貌を得た。
209 :
世界@名無史さん :03/07/23 10:42
>>203 どこかで読んだことがあると思ったら・・・
マイクロソフトに著作権法違反で訴えられるぞ、
無断転用すると。
211 :
世界@名無史さん :03/07/26 10:15
突厥帝国が東西に分裂後、西突厥はどこに滅されたのだっけ。
212 :
世界@名無史さん :03/07/26 10:59
「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
213 :
世界@名無史さん :03/07/26 11:18
映画「アラビアのロレンス」には、本物のトルコ人は出てないそうだよ。 それにトルコ人への偏見が強い、との理由で、トルコで未だに上映されてないらしい。 昔、この映画をトルコで上映する計画だったが、その題が「英国の密偵ロレンス」。
ハリウッド映画のジャパニーズは大抵日本人ではないね。
216 :
世界@名無史さん :03/08/10 21:27
そもそも「トルコ人」って人種とか体型とか明確な血でくくれるのかなぁ。 中国人とかアメリカ人とか言ってるのとあんまり変わんないんじゃない? なんか馬に乗ってりゃトルコ人みたいに思ってるトルコ人 いるじゃん。 第一、アイスクリームまずいよな。
>>216 トルコといえば、カザフスタンやアフガンも入るぞ。
218 :
世界@名無史さん :03/08/10 21:54
>>217 彼らにしてみれば アゼルバイジャン、キルギス、トルクメニスタンも、
場合によっちゃ蒙古とか満州も入るんじゃないの?
それはそうとトルコ人起源の「エルゲネコン」伝説なんかは
俺はうっとりだけどね。モンゴル人にも同じ伝説あるし。
219 :
世界@名無史さん :03/08/11 03:58
> 場合によっちゃ蒙古とか満州も入るんじゃないの? 入らねえよ。何はなくともトルコ系言語を話すことが 同朋と認める最低条件。
220 :
世界@名無史さん :03/08/11 04:05
>>219 「彼らにしてみれば」だよ。
実際そう言ってはばからないトルコ人もいるの。
彼らにしてみりゃ日本人もトルコ人だよっていう輩もいるんだからな。
これうそじゃなくて現実に。
221 :
世界@名無史さん :03/08/11 05:38
>>220 まあそのとおりかもね。
実際、ギリシャ人は北の方の遊牧民をみんなまとめて「スキタイ」とか呼んでたみたいだし、
言語による区別は後世のものかも知れない。
人種なんて自己申告でしか問えないしね。 逐一、DNA鑑定などをする訳にいかないし
224 :
世界@名無史さん :03/08/11 13:31
以下の条件を満たさざるものは古代トルコ人にあらず ・トルコ系言語話者 ・遊牧騎馬生活
225 :
世界@名無史さん :03/08/11 18:10
>人種なんて自己申告でしか問えないしね。 だから民族と人種の違い知らないで、こういう 話しても混乱するだけだっつーのに。 「トルコ人」という概念は「民族」。
それもまた変な話だな
227 :
世界@名無史さん :03/08/11 19:35
キルギス人、カザフ人みたいな顔だったんだよ ノッペリ顔。 イスタンブールのトルコは原住民はコーカソイド。 支配者として騎馬民族トルコ人が来て支配。 ウズベク人、ウイグル人はソグド人らとの混血で彫りが深いタイプが多い その下にあるタジク人、アフガン・タジク族はアーリア系の子孫で彫りが深いタイプがほとんど。
228 :
世界@名無史さん :03/08/11 19:53
タジクはトルコ系民族ではない
230 :
世界@名無史さん :03/08/13 11:27
ウズベク人
トルコ人は韓国人と同じ自分マンセー
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
233 :
世界@名無史さん :03/08/16 19:09
>>225 そりゃそうだな。
むかしのローマ教皇の使節が、トルコ人とモンゴル人を区別する基準として
髪のさかやきの仕方についていろいろ詳しく記録してるんだな。
ということは裏を返せば、顔を見ただけじゃ、
トルコ人かモンゴル人かはよく分からんかったのでは?
ま、欧州人から見ればの話だが。
ちょっと関係ないけど日本人と中国人はあまり近くない気がする。 むしろその周辺国の民族のほうが日本人に近いと思うことが多い。
235 :
世界@名無史さん :03/08/19 16:49
トルコ石はトルコにあるの?
236 :
世界@名無史さん :03/08/19 16:52
人種的には主に古代トラキア人。 トラキア人といえばすぐに思い浮かぶのがローマの剣闘士スパルタクス。
238 :
世界@名無史さん :03/08/22 06:44
>>225 そういう考え方なら、アイルランド人はゲルマン族になるのか?
>>238 何でよ?
アイルランド人はケルト民族の一部。
人種的には北方人種が多い。
他にも北方系はゲルマン民族の一部やスラブ民族の一部にいる。
で問題ねーだろ?
>>239 いや、アイルランド人がケルト族に区分される根拠は
かつてのケルト族の末裔という理由のみでしょ。
言語は英語だし、アイデンティティーの拠所たるカトリックも
ケルト固有というわけではない。スコットランド人はプロテスタントで
同じくケルト族に区分されている。
「トルコ語を喋り、騎乗生活を送っていればトルコ族」
という分類法なら、英語を喋りキリスト教徒である
アイルランド人やスコットランド人はゲルマン族に区分されるんじゃいの、ってこと。
241 :
世界@名無史さん :03/08/22 11:24
あげ
>>240 民族意識なんてその集団がどう思っているのかというのが一番大きいんだけど。
>>242 今のトルコ人はそれでいいけど、昔のトルコ人はどうなのかな。
オスマンやセルジュクくらいまでは今の直系という感じだが、
ていれいとか突厥とかはどうなのかな?
話は違うけど秋葉でケバブを食べたいな。
245 :
世界@名無史さん :03/08/23 14:24
まったくの直感だけどさ、
たぶん民族とか語族とか血統といった発想を
遊牧民族に当てはめることに
どこかで無理があるのかもとも思うわけ。
そもそも広大な土地を区画に区切って
意味付けするのがお得意の農耕民族とちがって、
遊牧民はあっち行ったりこっち行ったりしてたわけでしょ?
その過程で混血したりで殺しあったりしたわけで、
カテゴリーや樹状図といった哲学が
通じないもっとこう、複雑多岐にわたる
リゾーム状な発想の世界史なのかもしれないとも。
もちろんそれに樹状図を当てはめるのが
近代的思考なのだけれど、やはりどこかで誤差が生じるのかも。
>>244 ケバブはたいした事なかったよ。
246 :
世界@名無史さん :03/08/23 17:12
>>all
上野でやってるトルコ三大文明展おもしろかったYO!
>>244 ケバブは日本のトルコ料理の店でうまいところいぱーいあるのに
なぜ秋葉?
247 :
◆TnaM28BBjA :03/08/23 17:27
248 :
◆kEw63Wokjw :03/08/23 17:29
ひところは、中央アジアからインドにかけてフワーリズム・トルコってのも 栄えたね。 チンギス汗に滅ぼされたのだが・・・・・。
>>246 なんとなく、混沌してるような期がするので。
>>240 アイルランドの法的な公用語はゲール語(ケルト語の一つ)と英語(イギリス支配時代からの公用語)の両方だよ。
通常英語が最もよく話されるが、ゲール語がメジャーな地域もあるし、しかもアイルランド系の人々(アイルランド・イギリス・アメリカなどに住む人々)の姓は全てゲール語起源のもの。
(名はゲール語起源のものとローマ・カトリック起源のものがある)
251 :
世界@名無史さん :03/09/18 21:22
>>250 それで、アイルランド人の外見的特徴って何?
ジョン・ウェインみたいに赤毛でずんぐりむっくり?
>>250 ゲール語がメジャーな地域、って言っても
「満州語を用いている村」くらい例外的なわけで。
天然記念物的な例外を除けばゲール語は死語でしょ。
>>251 アイリッシュが赤毛というのは俗説らしいっす
ゲール語、というとエンヤも地元ではゲール語で歌っていたっけか。 現地で高名な伯父さんからは、「あんなん歌じゃねぇ」と言われてるらしいが。
254 :
世界@名無史さん :03/09/22 11:55
コケイジャンだよ 匈奴の墓からコーカソイドの骨格が発見されてる
255 :
世界@名無史さん :03/09/22 14:57
↑西からの捕虜や訪問者じゃなく?
www.asahi.com/national/update/0922/028.html 自販機荒らし、トルコ人ら19人逮捕 12県警共同捜査 東北、関東、近畿地方などで続いた自販機荒らし事件で、群馬や愛知などの12県警の共同捜査班は22日、 全国の自動販売機から現金を盗んでいたとして、トルコ人16人と日本人3人のグループを、 同日までに窃盗の疑いなどで逮捕したと発表した。 共同捜査班によると、山形地裁で公判中の同グループの4被告が青森県弘前市内で自販機3台から5万2000円を盗んだ疑いの事件を始め、 同グループが北海道から四国にかけて1道22県で01年7月から今年7月にかけて約2170件、 総額約6500万円に上る自販機荒らしを供述しているという。いずれもバールやドリルを使う手口だった。 乗用車で移動したり、目星をつけた地域でアパートを借りたりしていたらしい。 事件後は本拠地にしていた名古屋市内に戻り、飲食店などで情報交換をしていたという。 盗んだ金は生活費やトルコの家族に送っていたという。 (09/22 21:45)
257 :
世界@名無史さん :03/09/24 22:11
マジャール人に ごく稀に出る蒙古斑は むしろアヴァールや他のプロト・テュルク人(フン族) との混血の結果であり、原マジャールは「朱髪、高身、長頭型) の中央アジア型北欧人種に帰属すべきと考えられている。 さて、漢代から唐代における古代中国の資料には 中央〜北方アジアにその時代コーカソイド的特徴をもった遊牧系民族の ことが記されている(匈奴、古代キルギス、突厥、烏孫など)。 最近の(特にロシアの手による)モンゴルから中央アジアの多数の クルガン(古代遊牧民族の墓)で発見された匈奴・突厥などの人骨 のDNA調査などから、これらの民族が北欧型コーカソイドに属していた 可能性が考古学・人種学の分野で補強されている。 さて、匈奴や突厥などはテュルク系に属していたと考えるのが一般的で あるがそれはあくまで古代文献調査をベースとする言語学のみに拠った 結果であり、人種についてはほとんど考慮されていなかった。 しかし先述した考古学・人種学分野での これらの民族の調査から、フン襲来以前からすでにヴォルガ地域に 散在していたフィン系(マジャールやモルドヴィン人、ジリアン人 チェレミス人などー総称してヴォルガフィン系という)にあてはめ られる「ウラル人種」ときわめて酷似していることもわかってきている のである。つまり古代中央・北方アジアにおける北欧型コーカソイドの 普遍性という史実と、「ウラル人種」とそれとの人種的類似という 点よりマジャールは元来白色人種、それも北欧型、またはそれに近い コーカソイドではなかったか、とされている。
258 :
世界@名無史さん :03/10/27 23:07
age
259 :
世界@名無史さん :03/10/28 18:38
土耳古の支配層はアジア系遊牧民だが、人種的にはトラキア人と同じもの。スパルタクスの乱のスパルタクスがトラキア人。
age
262 :
世界@名無史さん :03/11/24 20:11
263 :
世界@名無史さん :03/11/24 20:12
カフカに似てるかも
264 :
世界@名無史さん :03/11/25 09:05
トラキアって、ユーゴスラビアのあたりでそ
265 :
世界@名無史さん :03/11/26 00:37
>>257 >古代中央・北方アジアにおける北欧型コーカソイド...
北欧型コーカソイドというのは現代スカンジナビア居住の北方ゲルマン人のこと?
古代中央アジアなら、イラン系コーカソイドじゃあないのか。
>>264 むしろブルガリアからヨーロッパ側のトルコ領あたりです。
267 :
世界@名無史さん :03/11/29 00:03
>>267 このスレとは関係ないだろ。
トルコが起源って、現在のトルコ共和国領が、っていみでトルコ人かんけーねー。
269 :
ty270410 :03/11/29 00:17
>>245 フアーリズムはドーソンのモンゴル帝国史に
詳しく出ていた.興味深いですね!
270 :
世界@名無史さん :03/11/29 04:31
>>257 その説は無理がねーか?
元々ウラル人種は蒙古斑が1%ぐらいの確立で出ると、どこかで読んだぞ。
>>270 あほか(w
1%ならむちゃくちゃ少ないやんけ。
遊牧民なんだからその程度なら混血してるだろ、いくらなんでも。
272 :
世界@名無史さん :03/12/07 16:46
なんか勘違いされている。 モンゴルとは分裂した東突厥、トルコとは西突厥だからトルコとモンゴルはもともと匈奴という同じ民族だろう。
273 :
世界@名無史さん :03/12/07 16:51
>>276 その9000年前のトルコとはどこのこと?
アルタイ山脈か?
274 :
世界@名無史さん :03/12/07 16:52
フン族ならモンゴル系ですけどね
275 :
世界@名無史さん :03/12/07 16:53
モンゴルが東突厥? 何だその説は・・・
276 :
世界@名無史さん :03/12/07 16:54
「モンゴル」なんて出てくるのはせいぜい唐代だろ。
277 :
世界@名無史さん :03/12/07 17:05
>>275 後世モンゴルになった系統と同じってことです、スイマセン
278 :
世界@名無史さん :03/12/07 17:10
突厥語と中世モンゴル語ってかなり違う気がするがな。
279 :
世界@名無史さん :03/12/07 17:30
きっと人種系統のことを言ってるんでしょう。 言語か血統かは常に混乱の元。
281 :
世界@名無史さん :03/12/08 00:47
前から疑問だったんだけど、トルコ共和国の歴史教育って 「民族の歴史」か「国土の歴史」かどっちなのかな。 日本みたいにずっと同じ民族が同じ国土で歴史を作ってきた場合は分かりやすいけど 「トルコ民族の歴史」なら突厥や丁零まで遡らなくちゃならないし 「国土の歴史」なら自分らの祖先と全然関係ないヒッタイトやビザンティンの歴史になっちゃう
282 :
世界@名無史さん :03/12/08 01:19
国土だろうね。 ビザンツ帝国時代→セル塾時代→オスマン帝国時代→共和国の時代 ってふうに単元が進んで、見たときおおざっぱだなあ〜と思ったが 言われてみればアナトリア自体にはそれくらいしか変化ないんだよね。 まあ大学で専門的に教えるわけじゃなし こっちのほうが子供相手には変な汎民族意識とか助長しないで懸命かもな。
283 :
世界@名無史さん :03/12/08 01:25
>>282 その流れで授業を進めると、「東方からやってきて千年帝国を滅ぼした謎の遊牧民族」が
我々の祖先です、ってことになっちゃうね
いちおうトルコ民族の出自は教えてるよ。 が単元はあくまでも身の回りに知識が帰結できるアナトリアの歴史。
285 :
世界@名無史さん :03/12/08 01:40
286 :
世界@名無史さん :03/12/08 02:23
ポプラ社のトルコの教科書翻訳をもってるけど、国土ではなく、 西欧の一般的な世界史の教科書+匈奴からはじまるトルコ史のミックスになっている。 東洋やインドの扱いは小さいが、ギリシャやローマ帝国、ルネッサンスなどの扱いは 大きく、ケマルの思想を反映したものとなっている。
287 :
世界@名無史さん :03/12/08 02:24
(続き)ひっかかるといえば匈奴がトルコ帝国になっている点くらい。 以外とバランスがとれていて驚いた。
288 :
世界@名無史さん :03/12/08 09:57
あと現代のモンゴル人(黄色人種)とトルコ人(白色人種)を見る限りとても同人種だったとは思えない点かな。
まあ、遊牧民で人種どうこういうのはハナから問題外なわけで。
アナトリアのトルコ人先祖の半分以上はギリシア人だろ。
いや、アナトリア人だろ。
>>290 ちょっと待て。お前の言うギリシャ人っていったいなんなんだ?
293 :
世界@名無史さん :03/12/08 21:40
>>288 モンゴルのすぐ隣の新疆の人民は漢族以外はほぼ白色人種だぜ
古代のモンゴル高原には今のモンゴル人じゃなくてトルコ人がいたと考えておかしくない
294 :
世界@名無史さん :03/12/08 21:42
てか古代トルコ人はモンゴロイドだったんじゃないの?
295 :
世界@名無史さん :03/12/08 21:43
今でも、トルコ系モンゴロイドってるでしょ、カザフ人とか。
296 :
世界@名無史さん :03/12/08 21:51
古代トルコ系民族は黄色人種だよ。 人種分類をするならば今のトルコ人やフィン人、ハンガリー人も黄色人種。 しかしトルコ人はギリシャ・イラン・アラブ、フィン人はスラブ・ノルマン ハンガリー人はゲルマン人その他との混血が進んで見た目は白人になてしまた 黄色人種なのに見た目は白人!これ理想じゃん 日本人も混血が進んで白人になれればいいな
297 :
世界@名無史さん :03/12/08 21:54
現代トルコ人は、コーカソイドのが濃ゆいっしょ。
298 :
世界@名無史さん :03/12/08 22:02
>>296 ウラル・アルタイ語族の故地とフィン・ウゴル語族の故地は、それぞれ
はっきり分かっているのではないにせよ、かなり違うような気がするけど。
299 :
世界@名無史さん :03/12/08 22:04
296に同意 ユダヤもいまや主流は白人だよね 日本人も白人化すればいい
300 :
世界@名無史さん :03/12/08 22:15
301 :
世界@名無史さん :03/12/08 22:18
>>300 共通点があまり認められないから、最近は分けて表記することが多いらしいよ。
302 :
世界@名無史さん :03/12/09 00:16
ケマル・アタチュルクはなぜトルコ共和国初代首相にならなかったの?
303 :
世界@名無史さん :03/12/09 01:26
>>300 ウラル語族とアルタイ語族の系統関係も
アルタイ語族の中のツングース、モンゴル、チュルクの
3グループの系統関係もはなっから証明されてないから、
ウラル・アルタイ語族もアルタイ語族も語族としての実在は怪しい。
だから最近は同一系統と表記することは少ない。
>>302 初代大統領になったからでは?
なんだこのスレは? あいかわらず人種系統と言語系統を混同してる香具師があとを絶たないな
305 :
世界@名無史さん :03/12/09 20:11
>>304 そんなことないよ。
でもギニア人はフランス語喋ってるからって「ラテン語族」にはならないでしょう?
言語は民族を決定する最重要要素だし、民族は共通の祖先意識を持つのが普通だから、
「人種」が異なることはあり得ない。語族が係累なら遠い祖先は同じはず
体操のボギンスカヤって顔立ちは日本人なのに、 碧眼金髪で見るたびになんか不思議な気持ちになったものだけど、 まあ日本で茶髪のDQNが出現してからはどうと言うこともなくなってしまいました。
test
>>305 遊牧民のことをちったぁ調べてからモノを言おう
>>305 氏にはとりあえず、なぜブルガリアがスラヴ系に分類されるのか説明を求めてみよう。
語族が係累なら祖先は一緒なんてことはないよ。
遊牧国家集団が、あるひとつの民族だけで構成されているなんてことはあり得ない。 その時に強い権力を握った集団にその他、大勢がなびいて 初めてモンゴル、匈奴、突厥などの大集団があらわれるのだ。 だからモンゴル軍にはトルコ系、イラン系などが混じっているし その逆もありうるのだ。
【ゴールデンレス】 このレスを見た人はコピペでもいいので 10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。 そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
チト脱線してスマソだが、A日新聞の見出しに ヨーロッパ言語のルーツはトルコだった とかいう内容の文が踊ってたんで、腰を抜かしたことがあったぞ どえらい誤解を招く見出しを創るA日新聞は、東京スポー○化したのか あるいは「トルコ」が何を指しているのかまるで分かっていないぞ
>312 ひとつ知ってるのは ヨーグルトの語源、トルコ語のヤウールト
312だが、 A日新聞がボケまくってたのは、そのような中世以降の事例ではなく、 紀元前ン千年の古代スキタイ民族の居住地域を表現するのに、「古代トルコ」という語を使ったことにある 場所を表すなら、アナトリアとか、もっと相応しい言葉を使用すべきではないか
既出の
>>267 のことね
報道関係者の知的水準が低いのは、今に始まったことではないでしょ
316 :
世界@名無史さん :04/01/29 18:16
現在はもう「ツラン人種」という人種概念を使う人はいなくなったのでしょうか?
国家社会主義日本労働者党の人は使ってるよ。
318 :
世界@名無史さん :04/01/30 21:24
>ヨーロッパ言語のルーツはトルコだった これホントかな? 文面見た瞬間、深刻な西洋コンプレックスとその裏返しによる愛国心の高さが持ち味のトルコ人がいかにも考えそうなことだなと思った。 愛国的トルコ学者が唱えているプチ電波説を、おもしろいのと遠い国なので載せた事が問題になりにくい(責任取らなくて良い)から ロクに下調べもせずに載せてしまったという疑念。 米国や英国の新聞がおもしろいから+責任取らなくて良いからでロクに下調べもせず 現地の愛国的学者の珍説をそのまま採用してナチスネタとか旧日本軍犯罪ネタとかを定期的にやるような感じで。 リンク先が消えているけど、その説を西側の学者が唱えているのか、トルコの学者が唱えているかで、ずいぶん信憑性が違うと思う。
>318 西側の学者でもトルコ共和国の学者でもなく、単なる朝日記者のチョンボでしょ。
別に電波じゃないでしょ。 ヒッタイト語はまさしくアナトリアで話されていたんだし。
321 :
世界@名無史さん :04/02/02 22:58
だから昔アナトリアにいた人をトルコ人ということがDQNだと言うの。「トルコ人」てそのころどこにいたよ?
つかアナトリアという言葉を知らずに トルコという近代になってできた国の名前を使っちゃっただけって話でそ
321の脳内ではトルコ人が印欧語の源だという話だったと進化してるんだろ。
324 :
世界@名無史さん :04/02/03 21:07
>>309 少し意味がわからないので確認です。ブルガリア人はスラブ人ですが、
その成り立ちは、
7世紀頃、トルコ系ブルガール族が今のブルガリア付近に定着
8-9世紀 ブルガール族は現地土着のスラブ人の中に吸収同化
その後、オスマン帝国の支配下でトルコ人が進出し、また多数のジプシーが
居住したことで、混血が進んだが、概ねブルガリア人はスラブ人のまま。
ということですが、認識あってますか? ブルガリア人よりも今の
ギリシャ人の方が民族を問うのは難しいと思います。人種的には殆ど
ブルガリアを同じだと思います。言語がギリシャ語なだけで。
>>324 309ではないが、あなたは「人種」ってどういうつもりで使ってるの?
形質学的な分類?
「言語」を別に使ってるから「語族」の分類に使ってるわけじゃないよね?
>>324 微妙です。
>その後、オスマン帝国の支配下でトルコ人が進出し、また多数のジプシーが
>居住したことで、混血が進んだが、概ねブルガリア人はスラブ人のまま。
非常に混血が進めばブルガリア人はスラヴではなくなる、とお考えでしょうか。
スラヴつーのはあくまで言語系統であり、混血とは本質に無関係です。
ですから正確を期すなら、
「トルコ人が進出し、ジプシーが居住したものの、ブルガリア人はスラヴ系の言語を手放さなかった」
と言ったところでしょうか。
(逆に、もしオスマン支配下のブルガリアでトルコ語が強要され、受容されていたら、
ブルガリア語はアルタイ諸語の一員とみなされるようになったかも知れません。
オスマン朝の制度を見る限りあり得ない仮定ですが。)
語族や語派なんて結構恣意的で、当てにならないものです。
ある語族への帰属という主張が、政治的意図によるもの、ということもあります。
それに、規範的な言語(つまり「国語」)を作り上げる過程で、様々な意図や思惑が絡みます。
(古典ギリシア語を模倣しようとした現代ギリシア語であるとか、
デンマーク的要素を排除しようとしたノルウェーのランスモールがいい例ですね)
つまるところ、言語の系譜なんてかなり当てにならないものなのです。
トルコ共和国は1952年に建国1400年記念祭をひらいたそうですね。 俺、まだ生まれてなかったよ・・・_| ̄|○ 2052年には建国1500年記念祭を催すのでしょうか。 そんな先まで生きていられるかわからんよ・・・_| ̄|○ 現代トルコ人の認識としては、建国とは民族独立のことであり、 民族独立というのは西暦で言えば552年のことだ、ということですよね。
552年、突厥帝国の建国。初代・土門可汗の即位。
そうすると、
>>281 の問いに対する回答としては民族史重視ってことでいいのかな?
>>282 さんは国土史だろうと推量してるけど、
>>328 の情報からすれば、ヤパーリ民族史だと思えてくる・・・
トルコの教科書だと匈奴なんかもトルコとして教えられるから民族重視でしょ。
トルコはヨーロッパの韓国 猛烈な愛国心はヨーロッパへの強烈な劣等感の裏返し
333 :
世界@名無史さん :04/02/13 23:43
現代のトルコ人にとっては トルコ系来住以前のアナトリアは やはり「他人の国」という感覚なのかな。
でもヒッタイト博物館なんかは立派だしな。 日本の縄文人と弥生人みたいな感じで、あんまり気にしてないのかも。
>>332 韓国を引き合いに出す必要はないだろう。
百済文化を朝鮮文化とすりかえる捏造とはレベルが違いすぎる。
トルコ人はビザンチン文化にも敬意を払ってるし。
336 :
世界@名無史さん :04/02/19 23:12
>>335 百済文化は朝鮮半島で発展したものだし、
その文化の担い手の系統は現朝鮮人にも受け継がれてるんだから問題ないだろう。
あえて「全く別の文化!無関係!」という方が不自然だと思う
337 :
世界@名無史さん :04/02/19 23:33
いや、だから無関係と言っているのじゃなくて 「百済文化は100%ウリのものだ」 という倒錯した論理のことを言いたかったのでは?
338 :
世界@名無史さん :04/02/19 23:37
【ゴールドンレス】 このレスを見た人はコピペでもいいので 10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。 そうすれば14日後、怪鳥ゴールドンがっさます。 えらい事です
339 :
世界@名無史さん :04/02/20 10:52
現代トルコ人の祖先はほとんど古代アナトリア人でしょ。
トルコ人はトルコ人だろうがぁぁぁあ!
341 :
世界@名無史さん :04/02/20 22:18
そもそも小アジアにはどういった民族が住んでいたのかな?
ヒッタイトとビザンツ(ギリシャ系)の間が空白なんだよ。
>>339 どうかな。
トルコ系のブルガール人は多数派のスラブ系ブルガリア人を支配したが、
結局言語・宗教とも被支配民族たるスラブ人と同化していった。
同じアジア系遊牧民による征服王朝でもトルコとは異なる。
トルコ人が小アジアを支配した後、やはり多数派は常にトルコ人だったのだろう。
342 :
世界@名無史さん :04/02/20 22:38
Claude CahenやVryonis Speros Jr.の本は読んでないからこの辺の事はワカラン。
小アジアはヒッタイト人が多数派だった時代の後、 アッシリア人・キリキア人・ギリシア人・スキタイ人・ヒッタイト人 ・フリギア人・メディア人・リディア人が入り乱れる時代があり、 最終的にはリディア人が多数派になった。 ヒッタイトの時代とリディアの時代では人種的な特徴に入れ替わりがあった。 その後、ペルシア人→ギリシア人→トルコ人と新しい血が入ってくるが 文化的に同化されていった部分が多く、 人種的にはリディア時代からそう変わっていない。
344 :
世界@名無史さん :04/02/24 15:08
古代トルコ人がシベリアから移動し始めたのはいつごろ?
シベリア? そこまで辿れるのかな?
丁霊のことだろ
う〜ん、丁霊のことはよくわからん 部族形成時期は匈奴と同じくらいでいいの? その後、匈奴が強大化すると、匈奴の支配下に入ったんかな?
>>347 なんか教科書的だなw つっても反論するほど知識ないけどw
349 :
世界@名無史さん :04/03/27 23:51
ヤクートは比較的遅い時代に北進を始めたと聞いたが? あんな寒地までウシとウマを連れてったんだな・・・
350 :
世界@名無史さん :04/04/14 00:20
>>347 おおよそそれで合っていると思われ。
つか、丁零の起源がいつかが定かでないしね
>>349 諸説あって定かでないが、
早いと9世紀から、遅くても13世紀にはバイカル北方からレナ盆地に移住した様子。
ブリヤート以北にウマとウシを連れて行ったのはヤクート人が最初と考えられている。
ただ、移住の過程でエベンキなど先住民がかなりの数、ヤクートに合流+同化したものと
思われ。
352 :
世界@名無史さん :04/05/12 22:52
123
353 :
世界@名無史さん :04/05/19 11:09
クルド人ってたまに問題に出てくるけどどういう人たちなの?
354 :
世界@名無史さん :04/05/20 21:13
>353 アラブ4大民族のひとつだそうだ
355 :
世界@名無史さん :04/05/21 01:58
古代でなく現代トルコ系民族の容姿解説キボーン 本国トルコ、ウイグル、ウズベク、トルクメン、アゼルバイジャン、ヤクート でまるで違うみたいだし、言語は近いのに
356 :
世界@名無史さん :04/05/21 03:44
容姿といってもカザフ、キルギス、ヤクート ウズベク、トルクメン、ウイグル、アゼリー、本家トルコ の大まかに見て2系統では? 後者は混ざり方が西へ行く程コーカソイド色が濃くなるだけで。
クルド人はインドヨーロッパ語族で、アラブとはまったく別系統。 「アラブ4大民族」のひとつとか逝ってるバカは100%電波。
358 :
世界@名無史さん :04/05/22 02:04
359 :
世界@名無史さん :04/05/22 11:41
>>353 も自分で検索すれば分かることを・・・
>>354 はおそらく「西アジアの四大民族系統=アラブ系+トルコ系+イラン系+クルド人」
を聞きかじって勘違いした様子。
360 :
世界@名無史さん :04/05/22 20:57
タタールなどはモンゴル人より東にすんでたのに。 いまや完璧にロシア人。
チンギスハン時代のタタルと、ロシア圏のタタールは語源が別。 直接の関係はない。
362 :
世界@名無史さん :04/05/22 21:19
どうもこのスレの上のほうでアラブ人やイラン人を コーカソイド(白人)というのを否定してるバカが数人いるようです。 髪の色や目の色が薄いのは北方型コーカソイドだが アラブやイラン人、エジプト人、インド人、時にエチオピア人も 一応人種的にはヨーロッパ人と同じコーカソイド。
いや、な、狭義の白人とコーカソイドは意味が違うぞ。 そりゃあアラブ、イラン、トルコ・・・etcはコーカソイドだけどさ。 WASPなんかが指す白人はコーカソイドと同義ではないよ。
364 :
世界@名無史さん :04/05/24 23:11
いまは セム・ハム・ヤペテとかいわないのかなあ
365 :
世界@名無史さん :04/05/24 23:34
アフロ=アジア語族の下位区分に ・セム語派 ・ハム語派 ・クシ語派 ・チャド語派 ・ベルベル語派 がありますね。今は廃れましたが「ヤペテ語派」なる括り方もかつて存在しました。
366 :
世界@名無史さん :04/05/29 02:19
>>1 もいまどき「同じウラルアルタイ語族」はねえべよw
367 :
世界@名無史さん :04/05/29 03:54
>>362 はくじん 0 【白人】
(1)白色人種のうち、特に明色の皮膚をもつ人。
368 :
世界@名無史さん :04/05/29 12:23
バンデラスやスタローンは除外だべな
369 :
世界@名無史さん :04/05/29 13:44
刑事コロンボも除外されそう。
370 :
世界@名無史さん :04/05/29 13:46
南フランスでも除外続出
371 :
世界@名無史さん :04/06/02 03:10
でもトルコ人をアジア人というのは明らかに抵抗あるだろ? そもそもギリシア、ローマ、スラブのヨーロッパ人の血が 濃い上によー アジア人というと現代では通常東アジアのモンゴロイドだろ。 遺伝的には 欧米人、トルコ人、西アジア人(コーカソイド)>>>>>>>東アジア人(モンゴロイド) これを 欧米人(白人)>>>>>>>トルコ人、西アジア人、東アジア人(アジア人) という誤解を招く表現は明らかにおかしい。
> でもトルコ人をアジア人というのは明らかに抵抗あるだろ? 民族や人種として「アジア人」という概念は存在しないよ。 強いていえば、地域名「アジア」に便宜上区分されている 国家に属する国民、といった程度の意味しかない。 > アジア人というと現代では通常東アジアのモンゴロイドだろ。 それはあんたの単なる思いこみ。「アジア人」の定義について 述べた文献があったら教えてちょうだい。
「アジア」の語源は、ギリシャ人が小アジアを指して呼んだのが初出。 > でもトルコ人をアジア人というのは明らかに抵抗あるだろ? 抵抗も何も元来がそういう意味だ。
374 :
世界@名無史さん :04/06/02 04:21
現代では通常
375 :
世界@名無史さん :04/06/02 04:28
俺はどうも明治以降の日本人の人種劣等意識がコーカソイド モンゴロイドという線引きを曖昧にさせようという意図が あったようにおもえてならないね。 あれほど白人に劣等感を抱いていた明治日本人だから。 それにしてもアラブやトルコ人は東洋人と同じアジア人と 呼ばれる事について抵抗感ないんだろうか? 彼らは結構東洋人を差別的にみてるらしいし、東洋人と 同様にアジア人と呼ばれる事について違和感もっているのは確かだろ。
376 :
世界@名無史さん :04/06/05 03:33
まあアジア系の集まりといってイラン人やアラブ人が くるとは思えないね。 せいぜいベトナム、東南アジア人まで。 インド人さえこないだろう・
>まあアジア系の集まり 君の脳内にしか存在しないよ、そんな集まりは
378 :
世界@名無史さん :04/06/05 03:55
アメリカにアジア系の団体があるよ。
379 :
世界@名無史さん :04/06/05 09:40
だれかも書いていたが、 もともとアジアってペルシャあたりまでしか想定されてなかった。 その後どんどん拡大してったときに、 別の名称を考えればよいものを、 アメリカ大陸が発見されても一律「アジア」。 今はさすがにアメリカ大陸をアジアとは呼ばないが。
380 :
世界@名無史さん :04/06/05 15:09
オリエンタルな目といえば普通蒙古ヒダのある細い目 しかし古代のオリエンタルな人は蒙古ヒダなんて確実にない。 現代はアジアンといえば通常極東モンゴロイド 砂漠のあの地帯は中東というのが一般的で 今時あのあたりをアジアというと誤解を招く。
381 :
世界@名無史さん :04/06/05 15:12
まあヨーロッパも東辺はサモエド系やテュルク系、カルムイク人など 今でも黄色人種の世界が広がっているんだけどね。
382 :
世界@名無史さん :04/06/05 15:19
まあラップランドを除けば北極周囲やチベットやアンデスしかり、寒冷地はほとんどモンゴロイドが適応特化なんだが。
383 :
世界@名無史さん :04/06/05 17:00
トルコをアジアという地域というのは古代の名残だから しかたないとしてもそれを真に受けて現代のアジアという 概念と同一視するのは終わってると思う。 現代のアジアといえば通常は日本、中国、朝鮮。 そして人種的にもトルコ人は実質アジア人とはかけ離れた インドヨーロッパ系のコーカソイド系民族血を引いている。 唯一名残はモンゴロイド系の言語を引き継いでいて多少 アジア人が混じってるかもしれないという程度。
384 :
世界@名無史さん :04/06/05 17:06
セムハム系の言語をアジア系の言語というのを真に受けて モンゴロイド系の言語と同一視してしまう勘違いバカも 沢山いる。セムハムもイランも’西洋’という中国の概念で 表すほうがしっくりくるね。
385 :
世界@名無史さん :04/06/05 17:14
クルドとイランが分かれた理由は? 同じイラン系だからクルド居住地も イランにしちまえ。
386 :
世界@名無史さん :04/06/05 21:12
アフガニスタンもペルシャ系だから イランにしちまえ。
387 :
世界@名無史さん :04/06/05 21:29
タジキスタンもイラン系だから イランにしちまえ。
388 :
世界@名無史さん :04/06/05 21:31
パキスタンのパシュトゥーンもバルーチもイラン系だから イランにしちまえ。
389 :
世界@名無史さん :04/06/05 22:02
なんだかアケメネス朝の再来みたいな版図だなこりゃw
それをいうならシベリアからバルカン半島、エジプトまで 全部トルコ領になるなw
391 :
世界@名無史さん :04/06/08 21:32
392 :
世界@名無史さん :04/06/08 22:49
完璧に白人ですね。ペルシャ系です。
タリムにはテュルク系民族流入以前から月氏系(イラン系) 民族がたくさんいたんだよ。後にテュルク化した。 だから、西トルキスタンの連中より白人顔が多いよ。
394 :
世界@名無史さん :04/06/08 23:02
あの辺は大夏とかもそうだけど。 イギリス人のふるさとなんじゃないのか・
395 :
世界@名無史さん :04/06/09 00:07
391は少しショーン・コネリーぽい なかなか味のある渋い爺さんだな
396 :
世界@名無史さん :04/06/09 00:20
>>390 実際歴史の展開次第ではオスマン帝国がロシアのポジションに立って東方進出し
そうなった可能性もある。
途中までロシアは貢納国だし。
397 :
世界@名無史さん :04/06/09 00:25
ロスケよりはいいな
398 :
世界@名無史さん :04/06/09 01:10
白人って北に進出するにつれまの抜けた顔になったのかも。 顔としては中央アジアコーカソイドが一番味の ある顔してる・。 後豊かになりすぎて肥満遺伝子が増えたのかも。
399 :
世界@名無史さん :04/06/09 01:13
こういうのに比較すると黄色人種は、気持ちの悪い顔してる。
400 :
世界@名無史さん :04/06/09 01:51
俺の知ってる日本古代史の大先生敦煌行って 「フランス人のような顔をした人が大勢いた」と感激してた フランスには行ったことないはずだが
>>396 ペルシャすら突破できなかったから無理。
402 :
世界@名無史さん :04/08/13 22:58
それにしても北進したサハはすごい適応力だなあ。 モンゴルから逃れねばならなかった理由は戦乱だろうか?
403 :
世界@名無史さん :04/08/14 22:21
サハが北進したかどうかは、不明。 サハは言語がトルコ系だが、それが、血統がトルコ系の祖先に結びつくかとは別だよ。
404 :
世界@名無史さん :04/08/15 09:23
じゃあ、どうやってサハ(の先祖)はテュルク化したの? そのプロセスは? 現にテュルク系の言葉を使っているのだから、 しかもこの地域がテュルクの「故郷」ってわけでもないから、 何かが北進したんでしょ。 その何かってなに?
↑ こいつなんでいきなりファビョってんの
406 :
世界@名無史さん :04/08/15 22:19
>こいつなんでいきなりファビョってんの そうかなあ。どのへんがファビョってると思った?
>>404 部外者だが
>>403 は「不明」と言っているのに
疑問符を付けて問いつめるような文章が
火病のように見えなくも無い
408 :
世界@名無史さん :04/08/16 21:46
>>404 「何かが北進した」の何かは、つまり、言語。
便宜上、サハの言語の呼称を「ヤクート語」とするけれど、適時、適切な用語に読み替えてくれ。
ヤクート語と同じくチュルク語派ヤクート語群に分類される、西シベリア北極圏の言語に「ドルガン語」
というのがあるんだが、これが、300年そこそこと非常に歴史の浅い言語で、形成の過程まで分かっている。
北極圏のいろいろな系統の民族が、ロシアのシベリア進出に伴い交易のために出会うようになった。
このときに、比較的広い面積で通用し、南北交通の要衝となる河川の流域で支配的であったヤクート語が
族際語として用いられ、商業用語や新しい慣用句、用法を蓄積させながらクレオール化し、ヤクート語とは
似て非なる言語を形成し、地縁集団・混血を伴って、ドルガンという民族集団を形成した。
つまり、だ、サハが中継ぎ貿易のためにいろいろな民族の間で出商いをすることで、ヤクート語が広まり、
やがて、経済的な結びつきとカタコトのーヤクート語から、民族集団・言語集団を形成するに至った。
東トルキスタン、中央アジア、アナトリアの比較的均質な回教徒のトルコ語に対して、ヤクート語が
特異なのも、族際語から発展した一種のクレオールのようなものだからではないだろうか?
ヤクート語からも族際語化・クレオール化した言語が生じたんだから、そのヤクート語も、あまり血を
介さず族際語から北辺の広域言語に成長した可能性もあるだろう。
409 :
世界@名無史さん :04/08/16 23:19
ウホッ詳しい解説ありがdです。 巷の資料では、一般に言われるところの「北進」開始は9世紀から16世紀までと まちまちですが、数波にわたって断続的に行なわれたのでしょうか。 そもそも故地を離れて北へ拡がった背景は何だろう? 気候変動?人口増?戦乱?ウーン
トルコの行軍歌は最高よ ところで暴走族はパラリア パラリアが騎馬民族の楽器だと 知っていてやっているんだろうか だったら好きになれるかもしれない
馬で暴走 → 騎馬民族 バイクで暴走 → 暴走族 ちなみに中共の人民解放軍騎兵隊には、馬に乗ってるもバイクに乗ってるのも 自転車に乗ってるのもある。
413 :
世界@名無史さん :04/08/24 22:00
ヤクート馬ってしかしすごいよな。 あんな極寒のベルホヤンスクやオイミヤコンの辺りで生きてこられたなんて。 そういえば牛も飼ってたんだっけ。信じられない・・・ タフな品種なのか、温暖な土地があるのか、それとも特別な飼い方でもあるとか?
冬は小屋に住まわせてた
415 :
世界@名無史さん :04/08/26 10:46
>>408 東トルキスタン、中央アジア、アナトリアにチュルク語が広まったのも、
チュルク語を話す人間が実はそれほど多く移住しておらず、「中継ぎ貿易のためにいろいろな民族の間で出商いをすることで」、「一種のクレオールのようなもの」として広まった可能性が有るのですか?
両方の面があるでそ
417 :
世界@名無史さん :04/09/04 06:20
ヤクートの先祖はトゥーバ人、ハカス人?
418 :
世界@名無史さん :04/09/04 17:21
ウラル族はもともと白人
419 :
世界@名無史さん :04/09/04 22:54
ただサモエド系はまだなんともいえないかも。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/04 23:06
>>417 ヤクート=サハは鮮卑との関連性は無いの?
>>419 ウラル語族のうちに多分フィン=ウゴルが白人系で
サモイェード(ネネツ人など)がアジア系だと思うが。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/04 23:54
日本の渡来系で古代トルコ語を話すグループがいる 事項とかある?
422 :
世界@名無史さん :04/09/05 00:01
ヤクートと鮮卑だと時代的に隔たり過ぎてないかい?
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/05 00:07
>>422 >ヤクートと鮮卑だと時代的に隔たり過ぎてないかい?
確かにそうかも。でもアジア顔で、同じトルコ系と考えて
関連性があると思ったので…。
424 :
世界@名無史さん :04/09/05 00:16
アルタイ語族のモンゴル、チュルク、ツングースは同系であると確実なの?
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/05 00:26
>>424 同系とか語族いうよりも、“語派”というのが妥当かな。
多分、遙か古代にシベリアから内モンゴルにいたアジア系
の各種族がそれぞれ独自な形成制度で生活していた。
おそらく、ロシア南東部の黒海にいたイラン系のスキタイ族が
発見した遊牧制度が北アジア付近に伝来されて、様々な言語が
統一されて、一応“アルタイ語族”の呼称が生まれたのでは…。
426 :
世界@名無史さん :04/09/05 01:34
古代には、白人侵略以前の米大陸のように無数の言語があったはず。 現在まで中央ユーラシアに生き残ったのがモンゴル、チュルク、ツングースだけということ。 サモエド、ケット、ユカギルは周縁のごく一部に追いやられて消滅寸前。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/05 02:10
>>426 あと、古アジア諸族(旧シベリア)のギリヤーク・カムチャダール
・チュコトなどもね…。
428 :
世界@名無史さん :04/09/05 02:56
ある祖語から分岐して多くの言語が出来たのではなく、 人類は元々無数の矮小言語に分かれていた。それが少数の言語に統合されていった。 と見るのが正しい?
429 :
世界@名無史さん :04/09/05 02:59
分岐して新しい言語共同体が生まれる例は19世紀に ヤクートからドルガンが分岐したのが最後では? 今からは、交通・通信手段が発達しているのでもはや二度と分岐しないだろう。
430 :
世界@名無史さん :04/09/05 03:01
アジアは将来アラビア語ロシア語漢語トルコ語だけになるものと思われ
431 :
世界@名無史さん :04/09/05 06:50
インドはさ? 外来の言語に容易に同化する土地とも思えないわな・・・
432 :
世界@名無史さん :04/09/05 07:02
教育が普及すれば英語化するはず。
インドはもうかなり英語化されてんじゃないの? あとインドネシアと中国と日本とイランがあるから トルコ語を加えた5言語は大勢力のまま半永久的に残ると思うけど。
434 :
世界@名無史さん :04/09/05 07:16
ウリマルは断固死守するニダ!
>>415 中央アジアのチュルク語は政治を伴ったもの。
支配層、軍での伝達用語として広まった面はあるから、強制されたともいえる。
オアシス都市なんてものは商売をしなければやっていけない、砂漠を海に喩えると
都市は背後地の無い港町のようなものだ。
嘗てはポルトガル語が世界中の港で通じ、現在はどこ海港でも空港でも英語での
入港手続のとれないところは無い。経済力や軍事力の伴った言語が商いの場でよく
通じるからだ。
ジンギスカン以降、トルコ系の政治・軍事勢力が強くなり、もともと天山北路に
あったトルコ語圏がインド洋・地中海まで南下し延びてきた状況も、それと同じ
原理だろう。
>>429 ロマンス諸語やインドアラヤン諸語、スラブ諸語、古代のセム諸語のような、
語方言差が拡大し言語が独立していったようなものではなく、少数のヤクート語
一次話者との族際語から発展したピジン・クレオール型の成立過程。
トク・ピジンが英語から分かれて成立したと言うのなら、ドルガン語もヤクート語
から分岐しと言ってもいいだろう。
トク・ピジンは、成立時期がドルガン語とほぼ同じ、ニューギニア海浜地域、メラネシア
の言語。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/05 20:25
トルコ民族がバイカル湖を発祥地とし、アルタイ山脈付近までに 遊牧生活していたのは周知の通り。 春秋時代には晋の北にあった翟は狐氏が建てた古代トルコ国家であり、 また、戦国時代に燕と趙の間にあった中山国は北狄族の鮮虞氏が建国した やはり同じく古代トルコ国家であったらしい。
>>436 擢や狄がトルコ系?なにを根拠にそんなこと逝ってんだよ?
438 :
世界@名無史さん :04/09/05 22:08
バイカル以北とはヤクート以前から往来があったのでしょうか?
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/06 00:25
>>437 翟と狄はどちらも丁霊や鉄勒と同じくTurkという発音が類似するため。
440 :
世界@名無史さん :04/09/06 02:26
オアシスで商売してたのはイラン系 トルコ系は支配が生業(略奪とも言う) つまり商人からミカジメ料を取って食ってた これは中国史に見える北狄と一致してる
狄ってのはもともと中原にいたんだよ。 で、定住して農耕はじめたのが「夏」。 牧畜生活にとどまったのが「狄」。 匈奴のたぐいの、モンゴリアの遊牧諸民族を総称して 「北狄」というのは後世の用法であって、文字の本来の意味ではない。
442 :
世界@名無史さん :04/09/06 18:42
>>438 エヴェンキとかのツングース系が先に行ってたんじゃないか?
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/06 22:21
>>441 司馬遷の史記の『衛康叔世家』の部分から抜擢。
衛の暗君である懿公の姫赤は大の鶴が好きで、贅沢な生活に満ちた。
懿公の九年(前660年)に古代トルコ系とみられる翟が衛の堕落状態を
衝いて攻めた。衛の将軍らは衛王に愛想を尽かし「王は鶴に翟を撃退
させたらいかがでしょう」といって、国外に逃亡した。案の定、衛王
(懿公)は翟族に殺害され、彼等は衛王の肉を分解して煮て喰らったと
いう。
この事項をみると翟は仮にトルコ系でなくとも北方遊牧民国家には
間違いないと思うが。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/06 22:44
>>441 その“狄”というのは古代チベット人のことを指すのでは?
つまり“狄”は元来の遊牧生活を続け、黄河に南下した
“夏”が古代チベットから進化した漢民族の先祖で、新たに
農耕民族に転換したのでは?
理由はシナ・チベット語族という定説があるから。
>>444 狄は山東方面が主な居住地だよ。
古代チベット人なんて君の変な妄想おおやけの場で語らないでくれるかな。
俺が思うに狄は日本でいう「山窩」とか「またぎ」みたいなもんで
農耕文明からはじき出された「漢民族の不肖の弟」だった。
で、のちに北方のトルコ系異民族にもその呼称が使われるようになった。
そういうことだろう。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/06 23:16
>>445 東北の蝦夷のような団体のこと?
そういえば、楚漢期の斉の田儋も狄県出身と聞いたことがある。
>>443 べつにいいんでないの?漏れがいいたかったのは「狄をトルコ系と決めつけんな」
ってことだけで、遊牧民ではないなんてアホなことはいってないんだから。
>>444-445 444の話はあまり古く溯りすぎでチベット系という言葉が適切かどうか疑問。
チベット系と漢語系に分岐する以前の状態という仮説でそ?
445はほぼ同意だけど、はじきだされたってのはどうかな?
単純に分岐しただけだと思うけど。初期の狄からしてみれば
夏は定住農耕はじめた物好きな連中で、自分らが夏から
はじきだされたつもりはなかったろう。
あと狄の主要な居住地は山西の方じゃないか?
山東にいたのは狄というより「夷」ではないかと。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/07 00:15
>>447 古代中国はまだ、チベット・漢民族・ツングース・モンゴルや
そして、題スレのトルコという民族呼称がまだ形成されてない
古い時代で、民族という定義が問われてないと言いたいのでは?
>>440 日本では古来より商業が工業の一形態(物資の移動や保存を一種の加工とみなす)だが、
そうではない社会も広く存在していて、商業と略奪とを厳密に区分しない文化圏も多々
あるんだよ。自分の作っていないものを入手するのに対価を与えるか与えないかの差だからね。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/07 20:48
狄族といえば、北狄・白狄・赤狄・長狄などに 分かれていたけど、匈奴・東胡・山戎・犬戎・驪戎 の各遊牧民族はその流れなの?
451 :
世界@名無史さん :04/09/07 21:30
トルクメニスタン人てどんな容貌ですか
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/07 21:40
>>451 ウイグル族やウズベク族と同じく
モンゴロイドとコーカソイドを
混合した顔をしていると思う。
453 :
世界@名無史さん :04/09/07 21:42
秦のあった地域もそういう顔だそうだね?
454 :
世界@名無史さん :04/09/07 21:43
さらに前の時代に登場する鬼方・土方・人方などの 民族も狄の一派でしょうか? 中原で都市国家の間で遊牧していたのもいたようですが。
>>450 狄と戎はちがうでそ。
狄はモンゴル系の遊牧民か定住農耕化しなかった夏の別系統かな。
トルコ系説もこのスレの上の方にあって批判されてたけど捨てがたい気もする。
戎はチベット系の牧畜民かな。犬戎ってのは「犬丘という地名+戎」
驪戎ってのは「驪山という地名+戎」だけど、戎には犬に関する伝説があるみたいで
犬丘という地名にも由来があるかもしれない。犬伝説はチベット系の少数民族にみられるらしい。
山戎は後に鮮卑になったとの説もあるがこれはやや眉唾か。
西周時代の「無終」ってのが山戎になったという。
匈奴はトルコ語系、コーカソイド。
東胡は周代の「屠何」が東胡になり、さらに烏桓になった。胡は初期の用法ではコーカソイド
をさした文字なので、もしや東胡もコーカソイド?
>>453 六国の人が秦を罵倒する時に「秦戎」とはけして言わず「秦狄」といった。
このへんのこだわりにも何か根拠があったのかもしれませんね
>>454 鬼方は東北の種族かな?鬼門の鬼で。東胡の先祖かな?
ただし中国の歴史地図では現在の内蒙古にいたような感じだけど。
人方ってのは周代の「淮夷」でしょう。東夷といえば初期の頃は淮夷のことで
「夷」の字は「人」の意味との説もあり。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/07 23:58
>>455 サンクス。
烏丸(桓)と契丹は別?
個人的には、魏に滅ぼされた烏丸の遺民が、
遙か後に契丹になったと思うけど、誤りかな?
鬼方、土方は山西の北方にいたから、後の狄とは 関係ありそうだ。人方は山東あたりの沿岸部にいた 集団だから狄とは無関係、東夷系とみていい。
458 :
世界@名無史さん :04/09/08 02:31
苗族は中原に古代居た先住民族の生き残り?
なんか脈絡のないブツ切れの質問ばっかりだぞ。 それに答えが出ても発展性が全くないし。 いいかげんにしろ。
>>456 契丹と烏桓は別のようだよ。契丹は古くは「比麗」とかなんとかいって
広開土王碑文にもでてくる。だからかなり古い段階で烏桓とは別のものになってる。
烏桓は南匈奴とならんで魏の騎馬軍になったがそのまま中国人に吸収されて消滅?
しかし魏に服属しなかった烏桓は、北に逃げて鮮卑とか突厥とか柔然とかの
新興の騎馬帝国に吸収されて消滅?(どっちにしろ吸収されて消滅か…?)
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/08 21:44
>>460 サンクス。
トルコ民族がアルタイ語族の先祖説があると聞いたけど。
これはモンゴルもツングースも該当するそうで…。
彼等の共通点は弁髪とか…。
>>461 すまそ。いろいろ書いたんだけど間違って消しちゃった。
疲れたんでまた後日かきます
ちなみに460の「比麗」は「稗驪」のまちがい。
463 :
世界@名無史さん :04/09/09 21:02
トルコってセルジューク朝が初めて国号としたの?
464 :
世界@名無史さん :04/09/09 21:08
トルコアイス ワショイ!!! オスマントルコ \\ トルコアイス ワショイ!!! // 最期のスルタン + + \\ トルコアイス ワショイ!!!/+ ∬ ∬ ∬ ∬ ∬ ∬ + + 人 人 人 + (__) (__) (__) + (__) (__) (__) + . + ( __ ) ( __ ) ( __ ) + ( ´∀`∩ (´∀`∩) ( ´∀`) + (( (つ ノ (つ 丿 (つ つ )) + ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) ) (_)し' し(_) (_)_)
465 :
世界@名無史さん :04/09/09 22:42
466 :
460 :04/09/13 11:10:01
>>461 おまたせしました。
>トルコ民族がアルタイ語族の先祖説があると聞いたけど。
それは匈奴語が、トルコ語とモンゴル語に分岐する前のアルタイ祖語ではないか
という説と、匈奴がコーカソイド(トルコ人などの中央アジア人種)であるって話とを
どこかで混同したんでしょう。
>これはモンゴルもツングースも該当するそうで…。
それはモンゴル語・ツングース語・トルコ語をひとまとめにして
アルタイ語族とよぶって話と混同してできた話でしょう。
ちなみに最近の説では匈奴語を古い形のトルコ語の祖形とみる説が有力らしい。
アルタイ祖語とする説だと、言語学的にいってトルコ語とモンゴル語の分岐は
匈奴よりもはるかに古い時代でなければならないとか。
しかし一方、ヨーロッパのような定住社会をモデルにした言語学を
ユーラシアの遊牧民のような移動・交雑の激しい社会に当てはめていいのか
という疑問もあり、アルタイ祖語説が否定しきれてもいないと思う。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/13 21:26:57
>>466 >>461 です。ありがとうございます。参考になりますた。
別の疑問になるけど、チンギス・ハーンの時代に出る、キリスト教徒が多いケレイト族はモンゴル系で
西蒙古からアルタイ山脈付近にいたナイマン族はトルコ系で、同系統のウイグル族の影響を受かたとか…。
本当でしょうか?(ケレイトがモンゴルで、ナイマンがトルコが事実かどうかで…)
なお、ナイマン族の酋長のタヤン・ハーン(タイブハ単于?)は蒙古軍と戦い戦死し、庶子のグルチク(西遼の末帝?)は
生母がチンギス・ハーンの側室になった事を憎悪し、西遼(後遼=カラ・キタイ)に亡命し、皇帝の耶律直魯古(後主?)
の女婿となり、直魯古の娘である細君の影響で仏教徒になったのは本当でしょうか?
468 :
世界@名無史さん :04/09/13 22:16:26
ケレイト族はトルコ系部族ではなかったっけ?部族長のトグリル・ハンの 名前なんかトルコ系の名前だよね。セルジュークにもトグリル・ベクというのが いたし。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/13 22:25:20
>>468 トオリル・ハーンというのは、誤りかな?
他にはオンギラト・オングートなどもそう。
メルキト族はモンゴル系?トルコ系?
toghril > to'ril じゃないかな。 トグリル・トオリルがトルコ系の人名なのは多分間違いないけど、 遊牧社会は466氏のいうように移動・交雑が激しいので、 言語系統を異にしていたとしても 人名の借用くらいなら簡単におこりそうな気がするけど。
モンゴル人なんかは、チベット仏教徒になって すぐに名前がチベット化してるしw
472 :
世界@名無史さん :04/09/14 11:49:54
オスマントルコはサマルカンドなどのトルキスタンを祖先の地として奪還を図ったことあるの?
>>472 「オスマントルコ」というのは明確な間違いだし、そもそもスレ違い。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/14 21:47:55
疑問レスを失敬する。 1)トルコ系と見られる鮮卑族はSärbe=靱帯が語源とされる事。 2)漢族化した回(ホイ)族は、トルコ系オングート族の後裔の 可能性はあるか? 追伸)鮮卑族王朝の北魏の方針は何故かオスマン朝と類似点が 結構あるような気がするが…。
475 :
世界@名無史さん :04/09/15 18:21:57
オスマン帝国の政権担当者で
祖先の地トルキスタンを奪還しようなどと思ったのは
最末期のエンヴェルくらいじゃないの。
しかも第一次大戦に負けて政権を追われた後の話。
>>474 オングートってイスラム化してた?
岡田英弘説では、 アルタン・ハーンが支配したトゥメトはオングトの後身になるらしい。
>>474 鮮卑族の言葉というのがかなり残っていて、それを分析すると
ほとんどがモンゴル系の語彙で、若干ツングース系の語彙が混ざってる程度。
なので、鮮卑はモンゴル系の民族というのが昔から通説だったはず。
なぜか2chでは鮮卑をトルコ系とする説が流布していますが
私は2ch以外ではそういう説をみたこともきいたこともありません。
具体的な根拠を教えていただけますか?
479 :
世界@名無史さん :04/09/17 17:07:41
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AE%AE%E5%8D%91 >鮮卑は民族的にはトュルク系ともモンゴル系とツングース系との混血とも言われる。
なぜかチュルク系と言う説もある。
鮮卑とか匈奴とか突厥という「民族名」というのは、
政治的同盟、部族連合であって、
それは現在でいうところの多民族国家の「国名」に近いものだったと思う。
支配的な言語(部族連合が長続きすれば、やがて共通語になる)というのはあったろうが、
内部に複数の言語が話されていたはずだ(オセット人や東スラブ人も居た?高麗人や漢人も?)。
ジンキスカンの時の「モンゴル」というのは、
ジンギスカンの軍隊に編入された者ドモのことであって、
複数の言語が内部では話されていたはずだ。
「モンゴル」という政治的枠組みがジンギスカンの強烈な記憶と共に後世に残ったので、
やがて「モンゴル語」が共通の言語として定着したということであろう。
現在の中国の民族政策の元では独自民族として扱われないので、中国領内では「モンゴル」になってしまったオイラトは、
元朝崩壊後には独自の部族連合をつくったので、独自のトド文字を発明した。
中国領内でトド文字による書き言葉は未だ使用されているのであろうか?
今中国東北部にごく少数残る少数民族ダフールが鮮卑に近いのだろうか?
480 :
世界@名無史さん :04/09/17 17:13:00
モンゴル語とチュルク語は、古代でも質的な差異があったのか? 後世になって、モンゴルがチベット仏教、チュルクがイスラム教になったので、 言語の差異も広がったらしい。
>鮮卑とか匈奴とか突厥という「民族名」というのは、政治的同盟、部族連合であって、 >それは現在でいうところの多民族国家の「国名」に近いものだったと思う。 >支配的な言語(部族連合が長続きすれば、やがて共通語になる)というのはあったろうが、 >内部に複数の言語が話されていたはずだ(オセット人や東スラブ人も居た?高麗人や漢人も?)。 一般論はそのとおりでいいと思うけど。個別に妥当するかどうかは論証が必要でしょう。 鮮卑語からトルコ系の単語が抽出できてから言うべきでしょうね、鮮卑がトルコ系だなんてことは。 モンゴル語とツングース語の影響は明らかだけどトルコ語の痕跡はないんだから、 現状でトルコ系と断定するのは明白な誤りでしょう。 (上記のような一般論は根拠でもなんでもない)
482 :
世界@名無史さん :04/09/18 13:49:52
鮮卑の時代に、単に方言的差異以上のトルコ語とモンゴル語の違いはあったの?
あったよ
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/19 17:51:08
唐突な質問になるけど、 南ロシアのヴォルガ河にいたバチュマン率いる コマン族って民族的にはトルコ系となるらしいけど、 ひょっとして、西突厥の十姓部族の後裔かな。 ホラズム王朝の康里(カンクリ)族とは親戚なのかな? はっきりわかるのは、彼がヴォルガの中洲で元の憲宗モンケに斬られた ことがイル汗国の宰相のラシードの著作の“集史”に記されてるが…。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/19 19:58:32
中国の正真正銘のトルコ系王朝は5代の後唐・後晋・後漢(こうかん)と いわれている。(ウイグルから山西北部にいた突厥・沙陀部) でも、違った視点で見ると隋(普六茹部)と唐(大野部)は鮮卑系(トルコ系??) の王朝らしい。もし隋が短命で滅亡しなかったら、唐のように国際国家になれた 可能性はあったかも知れない。 普通、漢族国家の場合は日本人の阿倍仲麻呂やトルコ系の安禄山を要職などに就けないはず。 これはどうみても、隋・唐が中国におけるトルコ民族の統一王朝という見方もできるが、 ヤパーシ無理がある??
486 :
世界@名無史さん :04/09/19 20:06:34
アルタイ語族という括りを見直すまでに、モンゴル語、トルコ語、 ツングース語の語彙の差は大きいんだが。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/19 20:29:13
三国志時代の初期に檀石槐(136?〜184?年)という 鮮卑族の大単于(大人)がいたらしいケド。 彼は、鮮卑段部の酋長なのかいな?
>>485 隋唐=鮮卑はトルコ系じゃないからこそ、最初のトルコ系王朝は沙陀系の五代王朝になるんでそ
489 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 15:14:18
>>469 だけど。
もう一回訊きまふ。
チンギス・ハーンとは大因縁のある蒙古北方に
いたメルキト族はトルコ系なのかモンゴル系なのか?
因みに井上靖氏の“蒼き狼”ではコーカソイドの血が濃厚に
混じってるとか…。
> 因みに井上靖氏の“蒼き狼”ではコーカソイドの血が濃厚に > 混じってるとか…。 論拠に「小説」を使っても誰も答えてくれないよ 井上靖が何を元ネタにしたか、調べてから聞きなさい。
491 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 16:07:28
早速“メルキト”を検索して調べますた。これがコピペでふ。 意外と資料が少なく、これしかありませんでした。 >バヤン【伯顔】(?〜1340?) >モンゴル人。メルキト族。中書右丞相。 >【親族】弟=マジャルタイ。甥=トクト。エセン・テムル。 これを見ると、メルキトはモンゴル系らしいでふね。 また、元の太宗オゴタイの皇后のトゥラキナもメルキト族出身と ありまふ。でも一説にはトルコ系ナイマン族出身ともありまふ。
492 :
世界@名無史さん :04/09/20 16:16:50
>>489 メルキト(滅里吉、梅里急等)は、
「バイカル湖南のセレンゲ河下流の低地に住む半猟半牧の部族。」
「おそらく起源的には、南サモエード族の系統を引くものだろうが、
後にテュルク化され、更にモンゴル化されたものらしく」
と東洋文庫「モンゴル秘史1』村上正二訳注にありました。
493 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 16:24:00
>>492 ありがとございまふ。
>「おそらく起源的には、南サモエード族の系統を引くものだろうが、
>後にテュルク化され、更にモンゴル化されたものらしく」
これは自分の史学・地理好きの心理を刺激しますね〜。
サモエードとは、ウラル語族の中でもモンゴロイドの団体ですね。
現在でも北シベリアのツンドラ地方にネネツ族がいますね。
案外と日本人とも関連性があるかも知れませんね。
渡来系日本人(弥生人)はバイカル湖発祥説がNHKで放送されたようですから。
494 :
世界@名無史さん :04/09/20 16:26:08
モンゴル人というより、シベリア人だな
495 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 16:30:57
496 :
世界@名無史さん :04/09/20 16:42:35
497 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 16:52:16
さらに司馬遷の“史記列伝”の『匈奴伝』か抜擢。 「冒頓単于はオルドス砂漠にいた楼煩族と黄河上流にいた白羊族を 征服し、また南シベリアにいた渾庾・屈射(くつえき)などの種族 を傘下に収めた…」 とありまふ。この種族のうちにメルキト族の先祖がいたかも 知れませんね。当時は、トルコ民族もウラル系のサモイェード 族もモンゴル高原に種族ごとに分散してた可能性はありまふね。
498 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 17:51:08
今度は鮮卑族についてコピペしますた。 ○檀石槐 (136?〜184?) 投麁喉の子。父の軍隊を相続した。鮮卑段部の酋長ともいわれる。 50年頃に大人に推され、弾汗山麓の河畔(チャハールの張北付近) に拠って漠南鮮卑の統合に成功した。 丁零(トルコ系)の南下を退け、奥満洲の扶餘(ツングース系)を圧迫し、 烏孫(カザフ族?)を撃ち、156年からは頻繁に中国を侵寇した。 右北平〜遼東の二十余邑を左翼に、右北平〜上谷の十余邑を中翼に、 上谷〜敦煌の二十余邑を右翼とし、自らは中翼にあってそれぞれを 数名の大帥に統率させた。各邑は固有の小帥に支配されつつ大帥に統治され、 匈奴と同じく部族連合体の域を脱しなかった。黄巾党の乱の鎮圧後に急死した。 太子の和連(次男)が継いだが統率力に欠け、檀石槐の後裔は左翼を統べるにとどまり、 中翼・右翼と対立抗争した。後に和連は雍州・北地郡に攻めた時に現地人に射殺された。 軻比能 (??〜235年) 鮮卑中翼の大人。一説には檀石槐の兄の子とか。亡命中国人から文字・兵器製作などの文物を 学んで強盛となり、中翼を統合して時には右翼も支配し、左翼と抗争しつつ中国北辺にも侵寇した。 魏に付義王の称号を与えられたが背反常なく、幽州刺史・王雄の武将である韓龍の刺客に暗殺され、 鮮卑は再び分裂した。それは、拓跋部の北魏が建国するまで混乱した。 ▼ 鮮卑強盛の一因として、東漢中期以降の禁網の弛緩が挙げられ、 漢の蔡巤なども鉄などの物資の流出を強く警告していた。 鮮卑は亡命漢人の中から幕僚を得、私貿易・密貿易で良鉄を獲得し、 檀石槐の晩年には人口増加に応じて生産労力を獲得するために 異民族を襲撃していた。
499 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 17:59:22
結構間違いの部分が多いけど、ご容赦を。 コピペした部分を見ると鮮卑って結構活躍してると 思いますた。/w
500 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/20 17:59:57
501 :
世界@名無史さん :04/09/20 23:38:55
492ですが間違えが、最初の文は(梅里急)等です。 鮮卑拓跋部の故地は石刻文の確認によって興安嶺の東側満州の方だとか。 モンゴル時代にはオンギラト族オルクヌウト氏族の地で 現在はダブール族が住んでいますね。でもダブール族の祖は契丹説と 白韃靼(オングート等)説があり「モンゴル秘史2」東洋文庫・平凡社に 「いわゆる白韃靼は、容貌やや細く」と容貌が黒韃靼と違い、言語も トルコ系だったようですね。 現在拓跋部を祖としているのは、満州族系のシボ族で、慕容部を祖として いるのは青海省に住むモンゴル系のトゥー(土)族、しかし土族も 白韃靼が祖の説もあります。オイラートもトルコ化からモンゴル化した ようで、それ以前はわからんのでしょう。
502 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 00:06:11
>>501 お疲れさんです。
鮮卑拓跋部の遠縁筋が青海方面に進出し、チベット系の吐蕃(トパン)族
などを圧迫して、青藏(チベット)も含む広大な領域を支配した事項がある
そうです。それが吐谷渾であるそうです。政権は長期間に渉ったそうです。
吐蕃族のツェワンに滅亡されるまで、唐の脅威的存在であったようです。
> 吐蕃族のツェワンに滅亡されるまで、 ツェワンて誰だよw
504 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 00:29:08
>>503 ラマ教の法王ダライ・ラマの先祖筋じゃないかと…思ふ。
ダライ・ラマは世襲じゃないよ
506 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 00:46:08
>>505 若しくは、ダライ・ラマの開祖(ラマ教)が、
吐谷渾を滅ぼし、現在のチベットを形成したのでは?
> ダライ・ラマの開祖(ラマ教) 意味不明。 ゲルク派の開祖はツォンカパだが、生まれは14世紀。
ま、いじめるのはこれくらいにして、 吐谷渾は唐の支配下に入った後、吐蕃の攻撃で滅んだ。 当時の吐蕃王はソンツェン・ガンポ。ツェワンて、誰? 実際は慕容諾曷鉢が唐領に逃亡。その後唐の支援で 領土奪還を何度も試みたが失敗し、最終的にはあきらめて 霊州刺史に任命された(後裔はどうなったか知らない)。 一方、諾曷鉢の弟(マガ・トヨゴン・カガン)は吐蕃の配下に 入り代々重臣として活躍した。
509 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 01:10:21
>>508 吐蕃王のソンツェン・ガンポをツェワンと間違いマスタ。
▽
ただ、オイラト・モンゴル部が建国したジュンガル汗国のガルダン・
ハーンは若い頃、チベットのラマ僧だと聞いたことがある。
またガルダンの甥がツェワンアラプタンという名であった。
“ツェワン”とは明らかにモンゴル語ではなくチベット語であった
そうで…。時は清の時代で、既にモンゴルはラマ教が普及したらしい。
モンゴルとチベット仏教の関係は、13世紀にオゴタイ家の コデンがチベット侵攻後、チベット仏教に帰依したことに始まる。 さらにフビライがチベット僧を帝師としたことで一層広まった。 このころすでにモンゴル王家にコンチョクとかリンチェンペル (イリンジバル)とかのチベット名が現れてるよ。
元朝北帰後、チベットとの関係は一次途絶えたが、 16世紀後半にオルドス部セチェン・ホンタイジがチベット仏教に 帰依して関係が復活。1578年、トゥメト部アルタン・ハーンが ダライ・ラマ3世に帰依してから近代までズブズブの関係が続く。 この辺は北アジア史を語る上では基本事項だから、よく勉強して下さい。
512 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 01:27:11
>>510 >オゴタイ家のコデン
確か、コデンは太宗オゴタイの庶長子で、
定宗グユクの庶兄と聞いたが…。
また元王朝では、ウイグル族のラマ僧・桑哥(サンガ)が
パスパ文字の達筆者として、フビライに要任された
とも聞く。彼は後に権力の亡者となって、フビライの
不興を買って、斬られているが…。
513 :
世界@名無史さん :04/09/21 01:29:06
チベットは清朝の一藩だったが、大清国の皇帝はダライラマを敬服していたという なんとも複雑に関係だな。
>>513 そか? イタリア統一後の、ローマ法王を敬服するイタリア王みたいなもんやん。
515 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 21:46:32
>>512 でふが、誤りを訂正しまふ。
>確か、コデンは太宗オゴタイの庶長子で、
>定宗グユクの庶兄と聞いたが…。
コデンはオゴタイの四男のようでした。
つまり、グユクの異母弟でふ。
(グチュはすぐ上の兄)
どうやら、ハシダイ(カシータイ)が庶長子
のようですた。スミマソ!
みんな知ってるからいちいち訂正しなくていいよ
517 :
世界@名無史さん :04/09/21 22:47:14
>>1 ブリアート人と外見はほぼ変わらない。
新モンゴロイド。
518 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/21 22:48:46
地球上の最後の遊牧民国家のウズベキ系のコーカンド汗国の 元帥のヤクーブ・ベクの存在自体が、回族(漢化したトルコ系?) の馬仲英(漢回)らにとって我慢ならなかった。 何故なら、ヤクーブ・ベクは清に大敗して頼った馬ら回族に “弁髪を剃り、胡服を脱げ!”とまるで北魏の孝文帝のような 台詞をいったそうな。これがコーカンド汗国の命取りに…。 諸君はこの事項を知ってまふか?
519 :
東呉華亭の民兵さん :04/09/22 22:55:05
えーっと、勇気の要る発言になるけど。 実は“出雲神話”に出て来る出雲族は鉄鍛冶を 生業としていたから、遠祖は南シベリアから バイカル湖付近に分布していた狄族で彼等は 渡来したその後裔らしい。 つまり古代トルコ族ということに…。 異存がある人は、レスをどうぞ!
煤しか出ない低品質の燃料ですな
>>520 >煤しか出ない低品質の燃料ですな
ええっ!そうなんですか?
初めて、知りますた。
道理でモンゴル人に馬鹿にされる理由がわかったような…。
言語学板にこんなレスがあったのでコピペしますた。 >ブルゴル族がスラブ人を従えて立てた国⇒ブルガリア >鮮卑族がスラブ人を従えて建てた国⇒セルビア
トルコ系高車族の武将のコピペその@ 斛律光(こくりつ こう) 北斉の武将 勲貴のリーダー 字は明月 北魏 孝昌元年(525)生まれ 父は勲貴のリーダーで朔州勅勒部出身の斛律金。母の姓名は不明。 弟に羨(字・豊楽)。 息子は五人。上から武都(文宣帝の義寧公主を娶る)、須達、世雄、恒伽、鍾。 娘は少なくとも三人。長女が楽陵王百年の妃、次女が後主の皇后、穆提婆に求婚された庶出の娘。 北斉皇室の外戚でもある。
そのA 若いうちから騎射を得意とし、武芸で名を知られていた。父に従って西征したとき武功を挙げ、若干17歳にして都督に抜擢される。これ以降、彼は次々と功績を挙げていく。 552年 庫莫奚を討ったとき、先陣を切って敵を破る。 556年 北周の王敬儁らを破る。 558年 北周の絳川・白馬・翼城などの四戍(=国境守備の陣営)を取る。 559年 文侯鎭を取る。 563年 軹関の西に勳掌城を築く。 564年 平陽に侵入した北周軍を追い払う。 突厥を討つ。 北周軍に包囲された洛陽を救うべく五万騎を率いて芒山で戦い、三千余の首級を挙げる。
525 :
そんなこと言ったら北海道でセンズリしちゃう :04/09/23 13:53:08
そのB 枚挙に暇が無いとはこのことで、これら数多くの功績で彼は官は太尉に、爵は冠軍縣公にまでのぼりつめる。そして父・金の死後はその爵の咸陽王を嗣ぐ。 570年〜572年の国境線での北周との攻防戦では、北周軍に包囲された洛陽を救い、宜陽、安鄴、鹿盧交など国境付近の北周軍を次々に討って退かせたり、 洛陽〜汾水ラインの国境地帯に戍を築いて北周の来襲に備えるなど、さらに功績を挙げる。しかしこの戦いが、彼の命を縮めることになる。
そのC 572年、謀反を計画しているとでっち上げられ、涼風堂で殺される。享年58歳。 この誅殺は勲貴の力を削ぐ目的もあったため、末子の鍾を除く一族の男子は殺され、 当時後主の皇后だった彼の娘は庶人に落とされる。
そのD 北斉滅亡後、征服した北周によって彼の名誉は回復されました。 生き残った末子の鍾は北周にて崇國公を嗣ぎ、その後の隋では驃騎将軍となりました。 さらに唐になり、子孫が斛律光の墓碑を建てたといいます。 以上のコピペですた。
531 :
世界@名無史さん :04/09/24 19:43:28
鮮卑がトルコ系とかいう説の根拠は、ひよっとして ウイグルとか突厥とかの後裔とかという記録があるの?
>>531 先祖は満洲地方にいた山戎族らしいが。
>鮮卑がトルコ系とかいう説の根拠は、ひよっとして
>ウイグルとか突厥とかの後裔とかという記録があるの?
それは…まだ定説の段階ではないが、多分古代トルコ人と
見られる狄や翟の一派と見られ、スペルも“Turk”と適合
するという事が白鳥庫吉氏や陳舜臣氏が申されたそうで。
つまり、T音からすぐK音に続く特徴があるらしくこれは、
丁霊・高車・鉄勒とも共通点があるとされる。
結論的にいうとその“記録”は現在の時点ではまだ無い。
そして、突厥と回紇は鮮卑よりもずっと後世に台頭した
民族でふが。
>>532 の続きでふ。
鮮卑語は靱帯(バックル)=Särbeが語源といわれる
…というのは“それ”が古代トルコ語では“セルベ”
という単語自体が“ベルト”の意味を著したそうで…。
534 :
世界@名無史さん :04/09/24 23:54:25
漢字表記で「師比」でしたっけね。
>>534 .
>漢字表記で「師比」でしたっけね。
“ベルト”の漢訳が“師比”でしたか。
初めて知りました。
「霊威」を意味する[sabi]に当て字したのが鮮卑という説も。漏れはこっちの方が好き。
>>536 .へえ〜。いいですね。
ところで隋唐の話になるけど、どちらも北魏の時代には、
山西省北部から長城を経た内蒙古の広大な地域である
武川鎮に普六茹部と大野部という漢化した鮮卑の貴族と
として繁栄していたらしい。
彼等は北魏の孝文帝の漢化政策によって、中国風に改姓
されたらしいが。普六茹氏族が楊氏に大野氏族が李氏と
なったらしい。やがて精神的にも漢化したらしい。
その後、隋唐は自分の出身部族にコンプレックスを抱いていた
ように思えるが。この傾向が蒙古族の元王朝が台頭するまで、
続いたらしいが…。
>>537 というよりも…
楊氏=普六茹部は鮮卑化した漢人、李氏=拓拔部は漢化した鮮卑
ということになってるけど、どっちも鮮卑の部族名と漢風の姓を
もってるわけで。武川鎮ほかの六鎮あたりは中華世界と遊牧世界
の境界領域で、あのへんには漢人とも鮮卑ともつかぬ混血・混在
した連中がごちゃごちゃいたってだけじゃないの?
539 :
世界@名無史さん :04/09/25 16:16:03
>>537 混血してても父系主義だから
愛子様だって母は平民、父の母も平民、それでも皇統でしょ
>>538 .
確かにそういえる。後“漢族”という民族呼称も、
どこか曖昧な感じがするし、北はアルタイ語族
と混血を重ねていたし、南にもマライポリネシア
語族と混血しているし、南北の漢族でも定義が
随分違うらしい。例えば、北京語と上海語と広東語
は相互に漢語といっても、全然言語が通じないと
いわれている。広東語なんかは北ベトナム語とは、
親近関係にあるのではないかと…。
541 :
世界@名無史さん :04/09/26 01:16:12
鮮卑自身が書き残した史書は無い?
>>541 .
いろいろ調べましたが、無いみたいですね。
北魏や隋と唐の場合は漢族の歴史顧問官らが
記したみたいですが…。
元来、遊牧民は記録を残す習慣は無いようです。
古代の匈奴から近世の蒙古まで該当しますね。
>>539 あ、そおぉ?
そういう意味でなら普六茹氏は漢人だし、李氏は鮮卑だよ
モンゴルの集史とかは、遊牧民の書いた歴史といえるんじゃないの?
545 :
世界@名無史さん :04/09/26 03:48:29
二十四史の中で分量が多くて冗長で退屈なベスト3と言われる 宋史・遼史・金史を書いた元の脱脱って何人なんだろ
> 元の脱脱って何人なんだろ トクタはメルキトだよ。
>>544 .
多分それは、イル汗国の宰相のラシード・ウッディーンの
著作でしょう。彼は、フビライの従曾孫に当たるガザン・
ハーンに仕えた人です。多分、トルコ系の人でしょうが。
そして、そのガザン・ハーンはフビライの実弟のフラグ・
ハーンの曾孫に当たり、聡明な単于で、漢語・アラビア語・
イラン語に関して博学でした。ただ惜しくも33歳で他界
したようです。正妻は元の皇族のコカチン公主です。
> ラシード・ウッディーン > 多分、トルコ系の人でしょうが。 ラシード・ウッディーンはユダヤ系といわれている。 トルコ系というのは出典は何か?
>>548 .
いや…。そういうイメージがしたもので。
>モンゴルの集史とかは、
>遊牧民の書いた歴史といえるんじゃないの?
というレスは該当しないことになりますね。
独ソ戦を戦い抜いたモンゴル系の爺さんがインタビューにでてたけど目の色が薄かったね 茶色をさらに薄くした感じ
>>550 .
コーカソイドの血が混じってるのでは?
絶えずに移動している遊牧民ですからね。
その老夫は南ロシアのヴォルガ河付近に
いるカルムイク人ではないですか?
>>549 実際の編纂者が自分の趣味で書いたわけじゃなくて
モンゴルの国家事業として編纂したんだから遊牧民の歴史でいいんじゃないの?
法隆寺を作ったのは聖徳太子じゃなくて大工だ、っていうような話にきこえるが?
553 :
世界@名無史さん :04/09/26 18:05:18
θ゙゙ ∩ ( ;´Д`)彡 ヴイィィィィン!ヴイィィィィン! ゙θ⊂彡
554 :
世界@名無史さん :04/09/26 18:05:57
↑誤爆しますた(≧≦) ゴメンヨー
555 :
世界@名無史さん :04/09/26 18:09:33
中国西域から、あきらかな地中海系民族のミイラが出たり、 山東半島の戦国時代墓の被葬者がミトコンドリアDNAで完全な 地中海系だったり、漢代でも山東半島は、半分アジア、半分 地中海系とかいわれているので、2000年以上昔になると、 ユーラシア全体が、むちゃくちゃいろいろな民族移動があった らしく、どこの地域のひとがどんな顔していたのかは、考古学 的にしらべてわかっているものいがいはなんともいえないでしょう。 バクトリアには、ギリシア人がいたんだし、大月氏は、イラン系 でしょ。トルコ系は、ユーラシア全土にいるので、もともと人種 とは無関係にいろいろいたんだと思うけれど。
556 :
世界@名無史さん :04/09/26 18:30:44
秦の始皇帝の陵墓の下に、さらに巨大な遺跡が発掘されたという話がある 第一報から既に10年以上立ったと思うが、続報が全く何もない 噂では、明らかにペルシャ系民族の存在を示す埴輪や装飾品、ミイラがざくざく出てきてしまったらしく 中国4千年の歴史を誇る中国(漢人)としては、たかが紀元前200年前の秦の時代に 中国がペルシャ人の植民地で、始皇帝が異民族だったなんて絶対に発表できない話だな
557 :
世界@名無史さん :04/09/26 23:41:09
>>556 で、2000年以上前の中国人当人としてみれば、べつにそれが
当たり前だから、とくに歴史書にかくまでもなかったのだが、
っていうのが実際のところじゃあないかな。
アジア人としての中国人というアイデンティティはたぶん、元代
くらいにできたものじゃあないかって気がする。
中国人としてみれば、北京原人の時代から、中国人だったと思い
たいのだろうかぁ?
558 :
世界@名無史さん :04/09/26 23:45:29
ゴビ砂漠でさかんにおこなわれている恐竜発掘をみてると さらに過去にさかのぼりたいような目論見を感じるのだが… 人類中国起源論、とか。 個人的に「中国人としてのアイデンティティー=中華思想」の 直接の起源は宋代朱子学なんかだと思う。
559 :
世界@名無史さん :04/09/27 00:36:57
>>558 よくある古代中国の皇帝の絵なんて、全部モンゴロイドで描いてある
けど、あれって、当時のものじゃあないですよね。
560 :
世界@名無史さん :04/09/27 04:23:19
殷はシュメール文明だった 漢字の元となった文字はシュメール文字 本で読んだ内容ですが 春秋戦国時代とは中国を舞台とした西方異民族&土着民族を交えた攻防戦 ペルシャ系民族が勢力を拡大し中国を統治し、占領軍の将軍が秦の始皇帝を名乗る その後本国が衰亡(そのプロセスで進駐軍は撤収)し、秦は自然崩壊 漢が生まれると(隠された遺跡を除いて)進駐軍の痕跡を破壊し、先史文明を受け継ぐ つまり自らを文明の継承者とし、ペルシャ文明の枝葉であった秦とその先史王朝を 漢民族の歴史であると詐称する、その重要な作業としてペルシャ文明の中の伝説を 司馬遷が、場所を中国と漢民族に置き換え「史記」として偽書にまとめた つまり中国の歴史は最大2300年であり、近代国家としては60年 しかしいまだに基本的人権も言論の自由も選挙権も存在した奴隷国家
今どき、こんなところで鹿島fの亡霊を見るとは思わなかったw この人は全然証明をせずに「似てる似てる」でAとBを結びつけて どんどん泥沼にはまっていった文献系トンデモ古代史家(アマチュア)。 いくら2chとはいえ、こんなクズ説を得意げに書き込む 厨房根性・・・なんとかならんかね。
562 :
世界@名無史さん :04/09/27 06:57:14
>>561 五島勉が、新作の「何たらの予言」を書いて、それが出版される位だからなあ
> 司馬遷が、場所を中国と漢民族に置き換え「史記」として偽書にまとめた 『史記』が中国史上はじめての史書だとでも思ってるのかね?w 『史記』だけじゃなくて先秦史料のすべて(甲骨文・金文含む)を 説明できるのか? 証拠提示もせずに「すべて『史記』以降に偽造されたものだ」って いう陰謀史観に逃げるのかな?
いきなりレス。 鮮卑宇文部は鮮卑化した匈奴系、呼延部も多分鮮卑化した匈奴系? 高昌国の麹氏もおそらく漢族化した匈奴系…だと思いまふ…。
例によって何の根拠もなく思ってるだけなんだろ?
根拠はあるだろ。
>>565 「例によって」ってのは何なんだ「例によって」というのは。
どんな「例」なんだ?具体的に出せ。
568 :
世界@名無史さん :04/10/01 18:00:54
古代トルコ人は太古に中央アジアで栄えたスキタイの末裔で、中国以北の北アジアルートを通じて 東アジアから西ヨーロッパまでを交易の勢力範囲として栄えた遊牧騎馬民族の一つ またスキタイ派生王族は、後の中国王朝、朝鮮王朝などにも影響を与えた、要するに東アジア王朝を造った これは直接トルコ人がと言うわけではない 中国古代王朝にしろ朝鮮の王朝にしろ、支配層は異民族、兵士は外人部隊の傭兵、被支配民は土着農民 と言うのが一般的パターンで、同一民族農耕国家の中で権力を得たものを頂点に階級が出来たのではない
トルコ人はスキタイ系じゃないだろ? 好き鯛人はイラン語系だけど、そういえば王族好き鯛だけはアルタイ語だったという説もあったな。 かなり古い説でアレだけど。
570 :
世界@名無史さん :04/10/02 03:06:37
スキタイはシベリアや東アジアにも来た事あるのか?
571 :
世界@名無史さん :04/10/02 03:12:11
>>569 >>570 トルコはスキタイじゃあないのだが、っていうのも意味がないほど、
もともと、ヘロドトスの描くスキタイというのも、言語的な意味では
あるいは文化的な意味でも複合的なものだ。
アルタイ諸語も定義できないのであって、その意味では、トルコ系
なんていうのも、当時はいろいろあってだな、いろいろだ。
スキタイ文化はたしかに、朝鮮半島南部まで来ている。
文化は来ているが、人が来たかどうかまではわからない。
だいたい、民族移動とかいうと、民族全体が大挙して移動するよう
に思うが、そうではなく、まず、動く最初のリーダーがいて、
そのリーダーが移動するうちに、移動経路にそってそのリーダーに
従ういろいろな人々がくっついてきて、途中ではぐれるやつが
いて、ということだから、ついでにリーダーも交代するから、たと
えば、同じスキタイが、東にむかって移動すると、だんだんと言語
も変化し、最後に朝鮮半島にくるころには、ツングース系のことば
を話していたり、ってことはあるわけだ。でもたとえば、族長の
レガリアは、スキタイ系なんてことになったりする。
>>568 文化的に影響を受けただけで「後裔」なんていわないだろ。
少なくとも系譜として繋がる証拠が何かないと、永久に
単なる思いつき発言のまま。無視してよい。
573 :
世界@名無史さん :04/10/03 12:28:36
574 :
世界@名無史さん :04/10/03 14:57:14
>動く最初のリーダーがいて、そのリーダーが移動するうちに、移動経路にそってそのリーダーに >従ういろいろな人々がくっついてきて どんな香具師だったのだろうか?コナン・ザ・グレートみたいな香具師?
時間のスケールを2・3年と思っちゃいけませんよ。 何十年・何百年とかけて移動してるんですから。 そしたら集団の離合集散が激しそうに見えるのは当たり前。 一人のヒーロー的なリーダーを想像しちゃいけませんよ。 短期間の移住だとどうなるかは、近世に起きた オイラト・トルグート部の西方移動を見ればわかる。 元の集団そのままで移住を完了している。
576 :
世界@名無史さん :04/10/03 15:56:46
>>574 伝説でいいなら、日本の神武天皇とか。たった数百キロでスケール
小さいけど。
577 :
世界@名無史さん :04/10/03 22:41:08
アメリカ駐在の人から聞いた 日本人以外のアジア人は眼の色が黒 日本人は茶色と認識されてるそう 茶色の眼・・・猿に近いからなんだと
578 :
世界@名無史さん :04/10/03 22:43:03
鮮奴は複眼だから瞳なんてないよな?
579 :
世界@名無史さん :04/10/03 22:46:30
そういやビョークが、中国人風だよな。
580 :
世界@名無史さん :04/10/06 22:32:05
呂布
>>574 西周の武王が殷を倒しに旗揚げした旅を思い出す。
釣りをしていた太公望こと呂尚と出会って同行したくだりもね。
582 :
世界@名無史さん :04/10/26 09:16:11
>>575 >近世に起きたオイラト・トルグート部の西方移動を見ればわかる。
>元の集団そのままで移住を完了している。
え?途中に居たカザフ人はどうなったのですか?
殺戮・奴隷化されたはずですが?
トルグート部民に取り込まれなかったのですか?
583 :
世界@名無史さん :04/10/26 11:53:08
最初にアーリア系がいて、それが東から西へチュルク化が進んだ。逆に西から東へイスラム化が進んだ。
584 :
世界@名無史さん :04/10/26 12:36:49
カザフスタンふつーにあるから殺戮されてないじゃん
585 :
世界@名無史さん :04/10/26 12:37:51
586 :
世界@名無史さん :04/10/26 18:38:12
原始トルコ人のもといた場所はシベリア
587 :
世界@名無史さん :04/10/26 22:11:38
>584 今のカザフ、キルギス、ウズベク、ウイグルなどの民族名は1930年代にアルマアタで 行われたテュルク諸民族会議で決まったもので、古代の民族とは関係ないものが多いです。 当時のスターリン体制化のソ連で、チャガタイ=トルコ語を話す集団がまとまることを 危惧し、"民族自決"の名の下に行った民族の再分類です。 おかげでソ連崩壊時にキルギスタンやウズベキスタンで民族衝突事件が多発したのは日本 でも報道されています。
でもさー話題のカザフはチャガタイ・トルコ語じゃないっしょ?
590 :
世界@名無史さん :04/10/27 10:53:59
民族名について、カザフとキルギスは関係ない
591 :
世界@名無史さん :04/10/30 03:18:10
もしアタチュルクが居なかったらアナトリアのトルコ人は中央アジアに「送還」と称して追放されたかもしれないね
誰に送還されんだよw
593 :
世界@名無史さん :04/10/30 08:42:06
ギリシャとアルメニアによって
594 :
世界@名無史さん :04/10/30 09:53:23
色黒、長顔、のっぺら、低鼻、薄いハの字眉、細い寄り目、突き出した唇
595 :
世界@名無史さん :04/10/30 11:27:52
シベリアでマンモス狩りやってたやつが次第に南下して、中央アジアを中心にモンゴル、日本、トルコ、ヨーロッパへと広がっていったんじゃないかな。 顔つきや語順が似てる。
「モンゴル、日本」と「トルコ」と「ヨーロッパ」はどれも似てないが?
597 :
世界@名無史さん :04/10/30 22:28:25
>>595 ヨーロッパはシベリアでマンモス狩りしていた集団ではないでしょ。
SOV語順は世界の言語の四分の一が該当する罠・・・
599 :
世界@名無史さん :04/10/30 22:32:42
>595 >顔つきや語順が似てる。 テュルク諸語のことかと思い・・・
>>588 詳細キボンヌ。
民族工作に関する参考文献とか。
厨房カキコには優しいトルコスレの住人の皆さんに涙w
言語学ではウラル・アルタイ語族という仮説は現在否定されている。 ウラル諸語とアルタイ諸語という別々のグループは認めるが、 アルタイ諸語に関しては同系かどうかも怪しい。 蒙古諸語、チュルク諸語、ツングース諸語はそれぞれ 一つの語族を形成する事はほぼ確実だが、 三者が一つの語族を構成するかどうかは微妙。 よく似た単語はあるが、似ている物は似すぎているため借用の可能性が強く、 借用語と見られない単語はあまり似ていない。
チンギスのモンゴル統一の際、支配を嫌って他の土地へ移住して去った 部族・民族はいたのでしょうか?
605 :
世界@名無史さん :04/11/24 19:11:11
逃げても後で逃げた先の土地ごと征服されたろうな。 まあ逃げおおせたといえばヤクートくらいだろうか?
606 :
世界@名無史さん :04/11/26 13:52:20
>>604 エジプトのマムルークのかなりはモンゴルから逃げてきた連中では
607 :
世界@名無史さん :04/11/26 14:18:11
このスレ読んだがわからんまま・・・
608 :
世界@名無史さん :04/11/26 14:20:54
>>604 ナイマンとか?
>>606 あれはキプチャク・トルコ人。
でも捕虜になったモンゴル人でスルタンにまで出世した人もいる。
609 :
世界@名無史さん :04/11/27 07:15:30
610 :
世界@名無史さん :04/11/27 13:09:59
質問です 古代トルコ人はどんな信仰があったのでしょうか?
テングリ信仰
612 :
世界@名無史さん :04/11/27 14:42:58
シャーマニズムとか。
>>607 ほとんどは一人のキチガイの自作自演だからね。
自分で質問して自分で答えてるだけ。
議論の流れが全くない
615 :
世界@名無史さん :04/11/29 16:16:04
マイナーなスレはどこもこんな感じだよ。話題が出てきても話すネタがすぐに尽きてしまう。
>>609 すごいね。カラハンの古銭って高いんだろ?
印章だともっとすごいだろう。本物ならの話だけど。
獅子王って駱駝王との関係はどんなものだろう。何人も獅子王はいたから一概にはいえんが。
617 :
世界@名無史さん :04/12/26 11:28:53
以前、トルコ共和国の小学校歴史教科書を見たことがあったのですが、 土地としてのアナトリア地域の歴史よりも先に、冒頭で 「トルコ民族発祥の地」の話から歴史が始まっていたのには驚きました。 古代オリエント史が意外とサラリと述べられて済まされていたってことは 「この地で何が起きたか」より「我々は何者か」という観点で歴史を見るんですかね。
仮に古代トルコ人が言語・文化的だけじゃなく人種的にモンゴロイドだったとしても コーカソイドと混交したらその特徴はあっという間に消え去ったと思う。 モンゴロイドは肌と髪と瞳の色、それと蒙古班以外は劣性遺伝の塊だから。 一重瞼も張出した頬骨も、小柄で等身の低い体型も一・ニ世代の混血であっさりと 消えてしまう。
>>617 テレビでマダガスカルの小学校の歴史の授業をチラッと見たことがあります。
マラッカ海峡からインドを経由してインド洋を横断した先祖の歴史を
誇らしげに語っていました。アジアの血が流れていることを誇りにして、
アフリカとは違うぞと言いたいわけですね。
実際、国語のマラガシー語はマライ・ポリネシア語に属し、人種的にも
マレー系のパレモンゴリーデが入っていて、水田で稲作をしています。
いずこも大移動をやってのけた民族の歴史教育は雄大ですね(笑)
でもトルコの場合かなりのマイノリティーがいて、クルドだけでも相互に通じない
独立した言語がモザイク状に入り乱れているというのに、単一民族教育の
色彩が濃厚な国民国家を作ろうとしているのは強烈な話ですね。
多文化主義教育なんて、安定した先進国だけができるお遊びのようなものじゃないかと…
これは余談。
620 :
世界@名無史さん :04/12/28 15:59:42
>>618 トルコ人の中には日本人みたいな人もいる、イスタンブールの市長が日本の知り合いに
そっくりで驚いた、という話が大島直政著『トルコと言う国』に出てくる。
そういう人は上流階級で、先祖の血が濃いのかもしれない。
アナトリアまで来た後も、中央アジアとのパイプはしばらく切れなかったわけだし、
近現代になってから中央アジアからの移民も増えたから、ある程度のモンゴロイド的特徴も
残っているのではないかな。
ウイグル人などは見事に東西の中心で、モンゴロイド的だったりコーカソイド的だったり、
目鼻立ちはヨーロッパ風だけど顔の輪郭や骨格は日本人みたいだったり、人それぞれ。
トルコ人を辿れば一つの個性ある集団かもしれない しかし年月と共にその個性を保有した者達が他の者達と交配しそれが 繰り返される事によってトルコ人の祖先の持つ固有の個は薄らいでい く。 そして現在ある国々の民族は関係するこの内の幾つかを保有するに過 ぎない だから関係のありそうな民族から、その民族の変遷を辿れば固有の個 を発見できる
622 :
toyo :04/12/28 23:15:16
トルコから来てる人に聞いたんですけど、フン族の首領名前だった「アッテイ ラ」って、トルコ語で英雄って意味があるんだそうです。 東北地方で10世紀に坂の上田村麻呂に逆らって殺された夷の首領「アテルイ 」って、古代日本の東北で勢力を持っていたトルコ族の首領の名前なんじゃな いかなって思うんですけど、皆さん何かご感想ありません?
623 :
世界@名無史さん :04/12/29 00:33:34
>>622 そういう見方は面白いと思う。
日本人のほうが朝鮮人よりもトルコ族のDNAが、
濃厚と聞くしな…。
624 :
世界@名無史さん :04/12/29 00:37:15
トルコ人固有の系統ってないだろう。ユーラシア民族みたいなもんだ。 あらゆる要素が入っている。たぶん、トルコ語の系譜とかも、本来 まぜこぜ、ですんでしまうだろう。最初から、ユーラシア民族で、 系譜としてもユーラシア。白人系からアジア系まで幅広くカバーだろう。
625 :
世界@名無史さん :04/12/29 00:54:57
トルコ語ata「父」と関係あるだろうか?
「Attila」なんて名前、思いっきり母音調和してないんですが。
627 :
世界@名無史さん :04/12/29 01:58:59
Attila って綴りはどこのもんだい? トルコ語でどうつづる?
attilaのattはトルコ語で父、ilaはゴート語の卑小の接尾辞と解釈し得る。 これを強いて訳せば「お父ちゃん」という意味。ほかのフン人名もゲルマン由来 やスラブ由来など雑多、フンの混血性を象徴している。 と書いてある本があったけど…
>>622 アッティラが英雄の語源って話でなくて?
630 :
世界@名無史さん :05/01/06 23:28:32
漏れの知り合いのトルコ人はティンギズという名前で チンギス・ハン由来の名前とか言ってました。
631 :
世界@名無史さん :05/01/06 23:29:13
カザフスタンにテンギス油田ってあったなあ。
チンギス・ハンの由来はテュルク語で「海」を意味する「テンギズ」から来てるって説があったね。 >トルコ語のdeniz
633 :
世界@名無史さん :05/01/14 21:35:46
今場所中に角界入りしたハンガリー出身の安治川部屋の安東欧の本名ってアッティラじゃなかった?
634 :
世界@名無史さん :05/01/14 22:13:57
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15) 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2% このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。 又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると 考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c) で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも 高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。 私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に 高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に 南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面 に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・ 民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
635 :
世界@名無史さん :05/01/14 23:49:40
俺がイスタンブルで話した青年はエディルネ出身で金髪碧眼 しかしトルコ民族に対する誇りは大きく「万里の長城はトルコ人が作った」 彼の説によるとフン族(=匈奴は当然のことと考え)はトルコ人なんだと 中国の皇帝はフン族を恐れて万里の長城を作ったので=トルコ人が作った
>>622 固有名詞から一般名詞に語義が変わってしまうことは多々あるもので、
アッチラ王→英雄 に似た例では、カエサル(ジュリアス・シーザー)から
転じた、ドイツ語の大王・皇帝を意味するカイザーなどがある。
>>634 >弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に
>南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面
>に上陸・移住し、
これだと高句麗語と古代日本語の単語の近似性の理由が説明できますね。
感覚的には10世紀のバイキング活動期の移動・移住のような感じだったのかな。
むりだって。それじゃ説明できない。
639 :
世界@名無史さん :05/01/23 14:59:27 0
トルコ共和国はトルコ民族っぽくない
>639 あたりまえだ。もともとヒッタイトの土地で、ギリシャもそば、 ローマ時代もどんどん人が来ていて、最後にやってきたのが テュルクだ。全員モンゴロイド顔してたらそっちの方がおかしい。
ヒッタイトも外来人で、ハッティ人のいる国や自分たちの同系のルウィ人の国とかを征服して国を建てた訳だが・・・ リュキア人やリュウディア人はヒッタイト人の直接の後裔ではないが、ヒッタイト人やルウィ人と同じ系統の言語グループだった。 イルハン・ティムール朝系とジュチ・ウルス系の抗争でセルジューク朝以降もオグズ系テュルクの往来がひっきりなしだった東部と違い、 中・西部はあまりテュルクの移住はセルジューク系の他は大して多くない。 オスマン朝の影響とかで言語的にはテュルク語化しても、国民の7割以上は血統的にはテュルクとはあまり関係がないと思う。 それと共和国になってから国がトルコ語化政策を強力に推進してきたせいで、それ以前のイラン系やアルメニア系や東ローマ系の住人が母語を忘れたことも トルコの住人がトルコ語喋って自分はトルコだ!といってるわりに全然モンゴロイドっぽくない原因。 >アゼルバイジャンやイラン西部、東部のアゼリー人やトゥルクメン人にはモンゴロイドっぽい顔立ちの連中はけっこう多いらしいが。
642 :
世界@名無史さん :05/01/24 10:36:05 0
>>577 江戸末期に日本にやってきた白人(ハザール系ユダヤ人)は日本人は中国人や朝鮮人とは別種の全く
人種だと考えた
その一つが瞳が黒茶〜濃緑色であること(中国人は黒)、肌の色がやや褐色〜薄桃色(中国人は黄色)
また日本の建築物、祭事、伝統文化、農耕具に古代ユダヤの教典に記載される内容(ユダヤでは廃れた)
と酷似するものが多く見受けられ、またハッケヨイ、ワッショイなどイスラエル語で神を称える言葉が
日本人の伝統の中に残されていたことから、日本人を出エジプトの集団の子孫で、後に東方に消えた
イスラエル部族の末裔(王族の集団)ではないかと考えたようです
身を清めてから湯舟に身を浸かり、長湯をするのはユダヤと日本にしかない習慣だそうだ
>>619 マダガスカルでは、自国を含めたアフリカすべてを指して
「マダガスカル及びアフリカ諸国」というらしい。
>>642 日本人を単一民族だと思ってるからそういうアホな考えに至るんだろうな
ユダヤ十支族の末裔の一部、あるいはその伝承のみが日本に到達する可能性は充分あるが
それと日本人イコールユダヤの失われた部族というのは話が別。
泉州あたりにアラブ系住民の末裔が多いから中国人がアラブ人だというようなもんだ。
645 :
世界@名無史さん :05/01/24 16:22:45 0
中部ヨーロッパで古代の面白い遺跡が見つかってるよ 男性の骨は全部高伸長のゲルマン系 女性の骨は全部低身長のアルプス人種 つまり征服者が在地の男を殺して女を娶って定住した アレクサンダー大王の1万組集団結婚も 男は全部ギリシャ人で女は全部ペルシャ人だよな 第2代綏靖天皇も征服者神武と大和の女の間に生まれてる 征服者集団は大抵男ばかりだから混血は容易に起こるよ
遊牧民は一般に血統重視といっても、母系は征服民なことが多いんだよね。 時代が思いっきり下ってオスマンのころでも、バヤジット1世の母、 メフメト1世の母、ムラト2世の母などはみんなスラブ系のキリスト教徒。 なので、人種的にはアナトリア人種というよりも東ヨーロッパ人種とか ディナール人種に近い。 あと、支配層と庶民層とではまったく話が違ってきそうだし。
647 :
世界@名無史さん :05/01/24 19:03:04 0
>>645 現在、日本の都市部で頻繁に目撃される
白人男+日本人女の組み合わせもある意味これだな。
裕福な男に貧困層の女性が嫁ぐというのはよくあることだね。 韓国とか中国とかフィリピンとか。
人類学でいうハイパーガミー(上位婚)ってやつやね
650 :
世界@名無史さん :05/02/08 16:57:33 0
女はやっぱり財力あるオスに惹かれるのね・・・動物時代からの本能だろうけど。
651 :
世界@名無史さん :
05/02/08 19:35:13 0