=====満州国を語るスレ@世界史板=====

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276世界@名無史さん:04/01/15 23:37
>>275
いや、併合じゃなくて、満州国という独立国のままにして
溥儀も満州国の元首として、日本と同じように実行支配する
ということ。
277世界@名無史さん:04/01/15 23:42
帝政存続は無理でも
モンゴルみたいな衛星国家にするのはアリかも。
278世界@名無史さん:04/01/15 23:42
しかし、満州は清朝時代に漢族が入植することを禁止され、17世紀にロシアと
ネルチンスクで国境を制定する際も両国人の無居住地帯とすることで合意した地域
だ。清朝が当時漢族の入植を奨励していれば、沿海州がロシア人の割譲されることも
なく、日ロ戦争も起こらず、日本が北境防衛のために満州に進出したり朝鮮を植民地
にしてロシア南下を阻止する必要もなかった。

日本の北東アジア進出は対ロシア南下防止という側面が大変強かったんですよ。
279世界@名無史さん:04/01/15 23:45
この場を借りて、石川亜沙美の魅力について語り合おう!!

身長178センチ、股下88センチ 
280世界@名無史さん:04/01/18 06:24
>>278
日本の朝鮮半島進出は不満武士対策だろ。征韓論が原因だろ。
だからこの頃から今話題の年金の起源たる軍人恩給も始まる。
シベリア鉄道もできていない19世紀当時にロシアの脅威は誇張しすぎだよ。
だいたい維新後に台湾出兵の方が半島進出より先だった説明もつかない。
ロシアの沿海州併合は1860年の北京条約だろ。
防衛の為にしては日露戦争まで半世紀弱も掛かるってのも少しばかり変じゃああーりませんか?
1875年に朝鮮よりサハリンを軽視したと言う説明も難しいね。
江華島事件と千島樺太交換はともに1875年。台湾出兵1874年。沖縄併合1871年。
対ロシア防衛上なら北を重視するはずだが、どう考えても維新初期の軍事や外交は南に向いているよ。
結局対バルチック艦隊にしても、第二次大戦にしても南向きなんだよな、その後のわが海軍も。
で、結局北方四島をスタ−リンにパクられる。
どう考えると対ロシア北方防衛なんだろうか?
日本にしてもロシアにしてもより南に先に行きたかっただけで、防衛じゃねーだろ。
言わば植民地争奪戦。日露戦、シベリア出兵、ノモンハン、どれもロシアとの戦争は意外や意外
淡白で比較的短期間で終わっている。妥協と外交と短期戦のみ。日露戦争なんか1年半程度だろ。
だが、日本の南進は半島、満州、中国そして沖縄、台湾、と
南進の意欲見え見えで戦闘が泥沼になっても継続していた。執着心を示しているでねーかい?
ロシアとは対立するよりも植民地獲得をシェア−していたと解釈できるよ。

やっぱ、みんな南が好きなのさ。
281世界@名無史さん:04/01/20 20:31
Open the door !
282[☆]|`▲´b) 偉大な人民の父:04/01/20 20:40
南下妖怪?
283世界@名無史さん:04/01/21 08:32
>>280

>>やっぱ、みんな南が好きなのさ。

この一言が言いたいため無理な理屈をコネるのか?


と、マジレすしてみる
284世界@名無史さん:04/01/21 09:07
>>280

>>日本の朝鮮半島進出は不満武士対策だろ。征韓論が原因だろ。

その通り!と言いたいが、それもあるが、安全保障上の問題も相当ある。日本は明治に改元直後真っ先に実質鎖国状態
にあった朝鮮国に使節を送って国交を迫っている。少なくとも「まず征韓論ありき」ではないのは史実だ。
実際にはそれ以前から日本に黒船来航とほぼ同時期に欧米各国から開港交易を迫られている。当時の朝鮮は外交権を
中華帝国にゆだねていたからてんでヘタレな対応しか出来ない(ってゆうか対応法を知らない)。
それだけなら幕末の日本も同程度だがその後の動きが日本とは大違いだった。いわゆる「あの国の法則」ってやつかも(w

>>シベリア鉄道もできていない19世紀当時にロシアの脅威は誇張しすぎだよ。

建設は進んでいたわけだが....。まあ露の南下政策はすでに100年以上に渡っているし、清が国土(それも日本海側)を
明け渡しつつあるとゆう情報は既にキャッチしていたわけで、当時世界第2位の海軍大国が海を隔てた向こう側に基地
を構えたとゆう事実が、当時開国したばかりの幕末〜明治にかけての弱小国家日本にとってどうゆう脅威だったか想像出来
ると思うが。十分以上にガクガクブルブル(AA略)

>>だいたい維新後に台湾出兵の方が半島進出より先だった説明もつかない。

台湾出兵は、遭難した漁民保護が目的で、大陸進出とは、直接関係はないと思うが。





285世界@名無史さん:04/01/21 09:23
>>ロシアの沿海州併合は1860年の北京条約だろ。
>>防衛の為にしては日露戦争まで半世紀弱も掛かるってのも少しばかり変じゃああーりませんか?
>>1875年に朝鮮よりサハリンを軽視したと言う説明も難しいね。

世界第二位のの海軍国家、正真正銘の列強だぞロシアは。ちょんまげ結ってたのがいきなりロシアに戦争しかけられるか、
よく考えれ。
それにその間で起きた大津事件とかを無視するな。日本は露と戦争出来るような国じゃなかったってのがわからんのか?
日本が対等な立場で列強と外交交渉出来るようになったのは、日露戦争に勝ったあたりから。
鹿鳴館じゃないが、それまではまともに相手すらされていない
現在の外交交渉と同じ物差しで考えてもだめよ。

>対ロシア防衛上なら北を重視するはずだが、どう考えても維新初期の軍事や外交は南に向いているよ。
>結局対バルチック艦隊にしても、第二次大戦にしても南向きなんだよな、その後のわが海軍も。
>で、結局北方四島をスタ−リンにパクられる。
>どう考えると対ロシア北方防衛なんだろうか?

千島樺太返還といい、十分北も向いていたと思うが。確かに歴史本の記述のバランスは南側重視だとは漏れも思う。
バルチック艦隊は南側から来たのだから南向きと言われても困るぞ(w
北方四島については、確かにパクられたとゆう表現には同意だ。その後の対応も無様なものがあるな。
冷戦時代に入り核の恐怖で及び腰外交になっていた部分もあるだろうけど。


286世界@名無史さん:04/01/21 09:36
>日本にしてもロシアにしてもより南に先に行きたかっただけで、防衛じゃねーだろ。
>言わば植民地争奪戦。日露戦、シベリア出兵、ノモンハン、どれもロシアとの戦争は意外や意外
>淡白で比較的短期間で終わっている。妥協と外交と短期戦のみ。日露戦争なんか1年半程度だろ。
>だが、日本の南進は半島、満州、中国そして沖縄、台湾、と
>南進の意欲見え見えで戦闘が泥沼になっても継続していた。執着心を示しているでねーかい?
>ロシアとは対立するよりも植民地獲得をシェア−していたと解釈できるよ。

ロシアとシェアーすることに注力していれば歴史は確かに変わっていたかもしれない。
しかしロシアは極東の弱小国に遠慮する必要はない。ヨーロッパ内ですら、一等国と
それ以外では確実に格差があったわけでヨーロッパ内で併合離散が繰り返されていたし。
だから、現在の目線で国対国の外交関係は対等とゆう前提で考えると理解できないことだらけ
だろう。
それとそれ以前に、アフリカ、アジアの列強割譲はほぼ完了していて、まとまって土地があるのは
満州、シナ位。シナは既に列強に蝕まれつつあった。満州は「眠れる獅子」清のホームグラウンド
だとゆう情勢も考える必要はある。
日露戦争が短期ってゆうけど、第一第二次大戦が長期なだけで、戦争ってのはあれくらいが普通
いわゆる、国家存亡を賭けた総力戦ってのはすでにやりにくい状況だった。この辺は軍板の方が
詳しい連中が多いと思うけど。
287世界@名無史さん:04/01/21 09:39
288世界@名無史さん:04/01/21 09:42
>それにその間で起きた大津事件とかを無視するな。
三国干渉にすごすごと引き下がったのも。
289世界@名無史さん:04/01/21 09:42
日本の大陸政策でシベリア出兵こそがその本質を表す出来事だと思うが、
あまり取り上げられないね。
290世界@名無史さん:04/01/21 10:19
「その本質」とは?
291世界@名無史さん:04/01/21 20:09
どうせ、侵略体質だの軍国主義だの言い出すんだろうよ。
292世界@名無史さん:04/01/22 18:25
サヨの論調って、ヒキーやメンヘラの、生まれてきてごめんなさい的つぶやきに似ているよな。
293世界@名無史さん:04/02/01 20:25
現在の東北にロシア人は居ないの?
294世界@名無史さん:04/02/01 20:42
ま、俺たちに直接関係してこなければ、海外派兵も大いにけっこう。
295世界@名無史さん:04/03/07 10:14
age
296世界@名無史さん:04/03/18 16:45
>>250
以前は、「在日朝鮮人は強制連行されてきた」とデマが信じられていたけど、
それが嘘とバレ出すと、「土地を奪われてやむなく日本へ」と言われ出した。
だけど、それも嘘で、単に日本の善政で人口が激増し、食えなくなった半島南部の
農民が日本に流入してきたりしたものだった。
それと同じことだね。
297世界@名無史さん:04/03/18 16:58
>>296

半島は寒い。暖かい日本に来たかったのだろう。
298[○]国粋主義は正義なり:04/03/18 17:26
頭山満の政治的軌跡には、はじめも終りもよくはみえない。それは政治的に頭山満の軌跡ではなくて、
他の人たちの実績として記録実証の歴史にのこされている事に頭山のそれが重なっているからである。
299世界@名無史さん:04/03/18 17:46
>>296
毛沢東時代の中国も人口が激増しているけど、
善政のおかげとは思われない。
また朝鮮の場合、むしろ戸籍制度が整ったため、
見かけの人口が増えたというのが正しい。
300世界@名無史さん:04/03/18 18:00
善悪の問題は別にして、日本が進出していた所、韓国、台湾と
現在発展している。日本のつくった教育システムとかインフラ
整備が役立っている。中国東北地方も戦後一時期かなり好景気
だったのに、中国政府のまずい干渉で衰えましたね。
301世界@名無史さん:04/03/18 18:14
>>250>>296
>ただ朝鮮人の「村々」は南満にあったのです。日本人の開拓村は北満
>にありました。日本人が朝鮮人から土地をとりあげたという事実はありません。

鮮満拓殖公社の話と日本人移民との話がごっちゃになっている。
関東庁の文書を読むと、日本側が把握していた南満にかぎって在満朝鮮人調査が
行われていたのであって、北満にも朝鮮人は多く入り込んでいた。
黒竜江沿岸で米作を始めたのも朝鮮人。
そういう土地を満州開拓公社が接収して、「無人の既墾地」として移民に宣伝して
いたのは有名な話だが。

>開拓村といっても中国人を駆逐したわけではありません。混在して生
>活しているところが多かったのです。
この件については、何よりも同時代人の報告によって当時から実情を知られている。
土地を接収された中国人が行くあてもないので、元の自分の土地の周囲に小屋住まい
をしており、しかも広大な面積の耕作が手に余る日本人移民が、そういう元の土地主
の中国人を日雇いで雇って農業経営を営んでいたことは有名な話。

言いたいことが先に立つのはいいんだが、嘘はいかんね嘘は。
302世界@名無史さん:04/03/18 18:25
>>301
その「中国人」も「漢族」でいいのかな?
303世界@名無史さん:04/03/19 07:40
>>301
摂取されたんではなくて、元々不法に居座っていただけ....。
しかも退去したときにそれなりの金銭も受け取っている。
合法的に金だして土地を購入した日本人のみがなぜ悪者になるの?
そりゃ戦争には負けたけどさ。
304世界@名無史さん:04/03/20 07:51
>303
土地には先取権っつーもんがありますから。
不法か合法か以前に、権利関係がえーかげんである以上
「いまそこで営まれている生活の権利」のほうが、実効性を無くした紙の上の権利関係より上、っつーのが
土地の権利関係を語るときに何より大事な原則、なワケでして。

まぁ、それ以前に戦争に負けたことが何より大きな条件なんだがね。
負けたら何も言えない、歴史を記述する権利は勝者のみ……
このオールオアナッシングの法則に反したことを期待しても、無駄だよ。
305303:04/03/21 12:09
>>304

その通りだわな。だけど日本人の引揚者はそのことで文句たれた香具師は殆どいないだろ。
漏れの祖母も大陸引き上げ者(満州じゃないが)なんだけど、サヨががった偉い人が
テレビで、大陸に出て行った人たち全てが、シナ、満州、朝鮮といったところで
現地の土地や物を奪って自分のものにしたような言い方をすると、ずっと文句
言っていたよ。幸い家族(漏れの叔父や叔母)はつれて帰れたけど、財産(といっても
社員として行っていたのでたいしたもんはなかったが)は全て放棄してきている。
現地人とも良好な関係が築けたのに、全て失った上に泥棒呼ばわりされて、さぞ悔しい
だろうなと子供の頃から思っていたよ。
306世界@名無史さん:04/03/21 12:21
>>304
今の駅前周辺土地が朝鮮人のものでほとんど締められているのを
どう思いますか?
307石原莞爾サイコ-!!(・∀・):04/03/21 14:51
「東亜連盟」は正義!
石原莞爾はアジア解放のために、まずソ連軍の南下を抑える砦を北満に築
きたかった。しかもその時期は、ソ連の第一次産業五ヵ年計画が完成する
前でなければならなかった。
国民党も共産党も中国にとっては迷惑千万!
「連戦」連敗は天の声!
台湾総統選挙は、民主進歩党の陳水扁氏が再選され、かの国民党は支那事
変の当時を彷彿とさせる「連戦」連敗の記録を更新したのである。(w
308世界@名無史さん:04/03/21 16:23
>>306 半島に帰る際に土地を持ち帰ることは不可能ですが何か。
309世界@名無史さん:04/04/08 23:34
満州事変なんだけど、もうちょっとうまくやれば自救行為として正当化できたんじゃ?

まず、中国側の排日侮日行動を諸外国に訴え、9ヶ国条約の締結国+中国の会議を
要請する。会議で中国の革命外交の非を訴えれば、中国に多くの利権を持つイギリス
は日本に同情するだろう。アメリカも中国の行為はワシントン体制を揺るがすものとして
日本に賛成するだろう。会議で中国に排日行動を改めるよう勧告を出し、中国がそれに
従わない場合は、日本は最後通牒を突きつけて軍事行動に出ればいい。

鉄道爆破なんて稚拙な自作自演をしたことと、中国の排日活動の宣伝不足のせいで、
日本は随分と損をしてるよ。
310世界@名無史さん:04/04/09 00:35
>309
別に、満州事変そのものに対しては列強はかなり融和的な対応を見せてるよ。
「リットン報告書」では、日本側の主張した「満州国」の成立正当性は否認されてる
(そりゃあそうだ、満州の独立運動なんて無かったんだから…)けど、
その後の連盟の勧告では満州における特殊権益の行き先に関しては
中国と日本の二国間協議に全て委ねるべきだ、という結論になっている。

結局、陸軍のメンツという内政問題を解決できない日本(石原の読み通りだが…)が、
連盟の融和的対応をこっちから手ぇ払ってしまったのが、満州事変の結末。
そして日中戦争ではだーれも日本を支持してくれなくなり、自爆戦争に至る…と。
311世界@名無史さん:04/04/09 07:27
例によって小異に拘り大同につけない馬鹿が
表れたわけやね。
日本の歴史はずーとこんな感じ。
312世界@名無史さん:04/04/09 12:24
日中戦争だってそれ単体だけ取り出してみれば、日本の侵略とは
言い難い。実際、英米も第二次上海事変は蒋介石がしかけたもの
だって分かってる。
その前の満州事変、華北分離工作や、ドキュソ近衛の「国民政府相手にせず」、汪兆銘政権
樹立で、日本は田中上奏文の通り中国を征服しようとしてるってイメージになっちゃったんだよな・・・
中国ロビーの宣伝がうまかったのもあるが。
313匪賊《サラヤ・アル・ムジャヘディン》:04/04/09 12:54
《サラヤ・アル・ムジャヘディン》に捕われた諸君を救助するためにも、増援派遣は必要だ。
これは第二の通州事件である。どうか諸君!生きて虜囚の辱めを受けず…日本人として潔く散ってくれ!
君達だって靖国神社に合祀して欲しいだろう?

といいたいが…無理ぽ
まあ、血に飢えた戦士たちのイケニエとなって食われるのも悪くないだろ。さらば!

314世界@名無史さん:04/04/09 21:11
日本の満州権益

1:旅順、大連を含む関東州租借権(1997年まで)

2:長春以南の南満州鉄道(満鉄)経営権(付属地及び並行線並びに利益を害する支線敷設禁止を含む。2002年まで)

3:安奉鉄道経営権(2007年まで)

4:満蒙五鉄道の合併敷設権および関連二鉄道の受託経営権。

5:鉱山採掘および森林伐採権。

6:土地商租権、自由往来居住権および商工営業権。

7:鉄道守備兵駐屯権(鉄道1kmにつき15名。総計1万6665名以内)


そもそも満鉄平行線って条約違反じゃないか!
なんで、誰も言わないんだろ・・・
秦郁彦に至っては平行線は儲かってなかったから問題ない
とか言い出すし・・・
315世界@名無史さん:04/04/14 19:24
満州国の政治犯ってどういう扱いを受けていたのですか?
匪賊認定されると拷問の末、死刑ですか?
316世界@名無史さん:04/05/17 04:20
317世界@名無史さん:04/06/10 19:02
満州国の元号「大同」と「康徳」制定の由来について詳しい方おられますか?
318世界@名無史さん:04/06/25 18:38
愛新覺羅 溥儀
「私の日常生活は、食うことと寝ることを除けば、次の言葉で概括できた。すなわち、なぐりどなる、占う、薬を飲む、おそれる」
319秦と半藤は:04/06/25 20:52
左翼を追い詰めず自説に丸め込みたいヤシだな。ナーンかバナナの叩き売りっぽいね。
東京裁判と戦後民主主義の代弁者って感じ。
320世界@名無史さん:04/06/26 12:39
>85>86

満州って日本の領土だったの?
321世界@名無史さん:04/07/20 01:46
三笠宮がハルビンでシナゴーグに足繁く通ってラビと親交があったというのは本当ですかいな?
322世界@名無史さん:04/08/03 22:42
オリエント史専攻だったから?
323今度は満洲《支那大陸は暗黒》:04/08/04 00:36
わが国のチャイナスクールは血ベット、ウイグルでの暴徒鎮圧は、国家建設過程での措置。
「台湾は中国の一部である」という主張を尊重するといっています。
今年は8.15の靖国神社が熱くなりそうで我々も予想以上に萌え萌えだ!
今からでも遅くない、夏休みの計画を変えて15日には、靖国神社に行こう!

\(○m○)/[萬●歳]
君達が頼りだ!頼むゾ。
324世界@名無史さん:04/08/28 00:16
だが、1939年8月のモロトフ=リッペントロップ協定成立をみて、国民党親独派の朱家華は
喜び、ドイツに独中ソ経済同盟の樹立を提案している。さらに1940年7月、フランス戦が
一段落すると、ドイツに「満州国承認」「日本の上海・平津地区以外からの撤兵」「華北経済
権益の確認」を条件に再度、日本との和平仲介を依頼した。

この時、陸軍は参謀本部次長沢田茂を中心として「桐工作」に取り組んでいた。外務省から
参謀本部に、この仲介依頼の連絡があったか否かについて、沢田はその回想録に記録して
いない。ちなみに、朱家華の条件は沢田の桐工作における条件と同じである。更に、
「ハルノート」は満州を除く撤兵を要求しているので、朱家華の条件より厳しい。役所の
セクショナリズムが日本を追いつめていったのだ。
http://ww1.m78.com/topix-2/hapro%20treaty.html
325\(^■^ ラ 余も滿洲に行きたかったゾ!
\(@▲@-b 【卍】

キタ━━━ヽ( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚≡゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )ノ━━━ !!!!!!!!!!!