メディチ家の人々

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1世界@名無史さん
検索かけても出てこなかったので立ててみました。
マッタリ語れる場になったらと思います。
2ちゃん的にはボルジアとかの方が語りやすいのかな・・・
2世界@名無史さん:03/04/20 00:10
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027401844/l50
いちおう、こんなんがありますけどね。
まぁ、こっちはネタなので。
3世界@名無史さん:03/04/20 00:27
コシモはヒトラーばりのきわどいことやって権力握ってる。
でも何故かメディチのイメージはあくまで綺麗。
4札幌そふと ◆SESOFT.1Cc :03/04/20 00:51
雑学本だと毒殺、穂も、謹慎相関、、、みたいなのしか見ないです。
5山崎渉:03/04/20 04:31
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
6お知らせ:03/04/20 07:59
毎週火曜20:00〜20:54のテレビ朝日系では現在『運命のダダダダ〜〜ン』
という歴史・伝説番組を放送しております。この番組は、歴史上の人物やら、万物
についての歴史・逸話について毎週違ったテーマで紹介しております。
クイズ形式で楽しく学び、知識も増えるという番組です。
歴史・伝説の好きな方には、オススメのクイズ番組です。
次回は4月22日(火曜)20:00〜放送です。
どうぞ毎週ご覧ください!!
7世界@名無史さん:03/04/21 23:19
つい最近まで、どっかの王家だと思ってた..
8世界@名無史さん:03/04/22 00:29
カトリーヌ・ド・メディチ
9世界@名無史さん:03/04/22 10:14
>>7
メディチ後胤の家系図を引くとまあ王家に近いモノはある
10世界@名無史さん:03/04/22 10:35
>>7
トスカーナ大公国の君主になりました。
11世界@名無史さん:03/04/22 10:39
ルキノ・ヴィスコンティってメディチ家の血を引いていなかったっけ?
12世界@名無史さん:03/04/22 10:52
13世界@名無史さん:03/04/22 11:21
>>3
コジモの長男のフランチェスコって、錬金術に熱中してたんだよな・・・
あと、ビアンカ・カッペッロとのスキャンダルでも有名。
14世界@名無史さん:03/04/22 11:35
ttp://www.mega.it/min/gbicci.jpg
ジョヴァンニ・デ・ビッチ
ttp://www.wfu.edu/Library/referenc/art_history/images/cosimo.jpg
コジモ・イル・ヴェッキオ
ttp://utenti.lycos.it/Luminis/Pensiero/Lorenzo.gif
ロレンツォ・イル・マニフィコ
ttp://www.nd.edu/~dharley/WCiv/RenaissArt/Bronzino-CosimoI-armour.jpg
トスカーナ大公コジモ1世
ttp://www.dia.org/exhibitions/images/Bronzino.jpg
エレオノーラ・デ・トレド
ttp://www.mega.it/min/uffi/ox.jpg
フランチェスコ1世
ttp://www.uffizi.firenze.it/Dipinti/1500a00h.jpeg
ビアンカ・カペッロ
15世界@名無史さん:03/04/22 13:03
フランチェスコ一世とビアンカ・カペッロは同じ日に死亡。
果たして真相は?
メディチ家関係の本を読んでると、フランチェスコの弟フェルディナンド
一世を温厚な君子として描いた本と、兄夫婦の毒殺くらいやりかねない
陰険な人物として描いた本とがあるけど、どちらが正しいのだろう?
16世界@名無史さん:03/04/22 13:12
小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」という小説では、ビアンカ・カペッロが
カテリーナ・デ・メディチの娘(!)ということになってる。
ビアンカと天正遣欧使節の千々石ミゲルとが密通して生まれた子の末裔が
後世、神奈川にケルト・ルネサンス様式の大豪邸を建て、そこで連続殺人
が起こる……というお話。
17世界@名無史さん:03/04/22 14:59
>>15
森田義之氏は、二人の死はマラリアが原因という説を採ってるけどな。
18世界@名無史さん:03/04/22 16:43
メディチ姓を名乗る子孫は現存しているのか。
19世界@名無史さん:03/04/22 19:35
>>15
フランチェスコ自身、ビアンカの夫と、自分の妻のジョヴァンナ・ダウストリア
を殺したのではないかという嫌疑をかけられてるしなあ。
20世界@名無史さん:03/04/27 13:26
中世〜近代以前の西ヨーロッパ人ってどうも暗いよな。
キリスト教が戒律にやかましかった名残のせいか、
やることに特有の暗さや嫌味がある
21世界@名無史さん:03/04/27 13:50
http://www.comune.firenze.it/home/studiolo.jpg
フランチェスコ1世のストゥディオーロ(小書斎)

周囲に宇宙を構成する四大元素(土・火・水・空気)の寓意画がはめこまれている。
それにしてもこんな窓のない小部屋にこもるなんてな〜
22世界@名無史さん:03/04/27 14:29
まるで写真のような実写性、
完全精緻に描かれた遠近法、
やわらかい光を取り入れた描写、
これぞルネサンス芸術の至宝だ!

・・・うそ。ジョーダンだよジョーダン
23世界@名無史さん:03/04/27 15:00
>>21
ここでロウソクを灯して長時間いたら、酸欠にならなかったんだろうか?
24世界@名無史さん:03/04/28 16:47
http://www.aaregistry.com/african_american_history/1788/Alessandro_de_Medici_a_secret_no_more
アレッサンドロ・デ・メディチ

親戚のロレンザッチョに暗殺された。
教皇クレメンス7世の私生児だったともいわれる。
25世界@名無史さん:03/04/28 18:04
>>24
私生児だったとも、ってそのリンク先には
>The son of a Black-servant woman named Simonetta da Collavechio and the seventeen-year-old Cardinal Giulio de Medici who later became Pope Clement VII
って明記されてるけど?
26世界@名無史さん:03/05/01 02:05
コジモ1世の子供たちは、ろくな最期を遂げてないのが多いな。
身内の不運度では、ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフに匹敵するかも。
27世界@名無史さん:03/05/20 17:58
フランスでフォークを使うようにしたのはカテリーナ・メディチの子孫たち
28世界@名無史さん:03/05/20 18:06
パラッツォ・ヴェッキオの五百人広間には、レオナルドの「アンギアーリの戦い」
ミケランジェロの「カッシーナの戦い」が未完成のまま残されていたけど、
コジモ1世はヴァザーリに命じて別の壁画をその上に描かせた。
たとえ未完成でも残っていたらなあ・・・
29世界@名無史さん:03/05/22 22:17
age
30世界@名無史さん:03/05/22 22:38
みんな、マニエリスム美術ってどう?
ミケランジェロの末期、ブロンズィーノ、ポントルモ、パルミジャニーノ、
チェリーニなど。
31世界@名無史さん:03/05/23 21:27
http://www.itinerariitaliani.com/meravpratolino1f.htm
http://www.cultura.toscana.it/progetti/giardini/demidoff.htm
アッペンニーノ(アペニン山脈)
http://www.senat.fr/visite/fontaine/buontalenti.html
http://www.cultura.toscana.it/progetti/giardini/boboli2.htm
グロッタ(洞窟)

これもフランチェスコ1世がつくらせたもの。
遊園地みたい。
32  :03/05/27 08:33
25 名前: 世界@名無史さん [sage] 投稿日: 03/04/28 18:04
>>24
>私生児だったとも、ってそのリンク先には
>The son of a Black-servant woman named Simonetta da Collavechio and
>the seventeen-year-old Cardinal Giulio de Medici who later became Pope Clement VII
>って明記されてるけど?

後のクレメンテ7世が若い頃黒人の召使に産ませた息子です。
クレメンテ7世はかなり偏愛していたらしい。

当時の貴族はあちこちに愛人がいて私生児がたくさんいたようです。
33世界@名無史さん:03/05/27 12:58
>>21
フランチェスコの死後、弟のフェルディナンドは、
ストゥディオーロに兄が飾っていた絵をとりはずして、倉庫みたいな
ところに放り込んだらしい。
(20世紀になってそれらの絵が発見され、もとどおりに復元された)
枢機卿だった彼は錬金術を毛嫌いしていたので。
ついでにビアンカの遺体もどっかのゴミ捨て場に放置させた。
34山崎渉:03/05/28 14:59
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
(´,_ゝ`)プッ ◆lRbS6IC4TY
36 ◆RsX8u6Bz72 :03/06/28 18:45
 
37 ◆9mY8cUadF2 :03/07/06 17:47
テスト
38世界@名無史さん:03/07/09 19:03
何か書き込んでくれ
39世界@名無史さん:03/07/09 19:29
なんでトスカナ大公になったの?商人のままでよかったんじゃないの?
40世界@名無史さん:03/07/09 19:57
>>39
カール5世の肝いりじゃなかったっけ?
41世界@名無史さん:03/07/10 06:13
メディチ家に出入りしてた馬のオーナーが現ACペルージャのガウチ一家
って最近知ってひるんだ。
42山崎 渉:03/07/15 12:42

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
44世界@名無史さん:03/07/29 08:07
age
45世界@名無史さん:03/07/29 08:09
age
46世界@名無史さん:03/08/21 06:49
age
47世界@名無史さん:03/08/21 08:03
パッツィ家は暗殺失敗の報復で断絶したの?
ロレンツォの義兄か何かは助命されたんじゃないの?
48世界@名無史さん:03/09/25 05:21
age
49世界@名無史さん:03/09/27 22:13
>>47
フィレンツェの公式記録から抹消されただけ
逃げ出した子孫とかはいる
50世界@名無史さん:03/10/04 19:24
  >>41
グッチ家より古いわけか
51世界@名無史さん:03/10/05 09:36
トスカーナ方言は標準語?
52世界@名無史さん:03/10/05 20:08
地中海貿易おときでよく王侯に金貸しができたな
 どうして?
 王侯なら年貢+商人の献金で何とかなりそうなものだけど
53世界@名無史さん:03/10/05 20:11
>>52
いつの時代も、戦争には金がかかる。
54世界@名無史さん:03/10/05 20:12
 当時は外国資本の国債募集できなかたからか
55世界@名無史さん:03/10/06 21:03
メディチ家絶えてトスカーナはオーストリアに併合されたんだっけ?
56世界@名無史さん:03/10/06 21:17
最後に生き残ったメディチ家の女性が、財産はすべてフィレンツェ市に残す
といったので、あのルネサンスの美術がフィレンツェに残っているとか。
57世界@名無史さん:03/10/08 10:02
>>55
マリア・テレジアの夫のフランツ・シュテファンがトスカーナ大公に。
58世界@名無史さん:03/10/08 10:15
 要するに、この時代から19世紀前半のかけて大革命とナポレオン時代除き北イタリアはオーストリア軍の支配下にあったと
59世界@名無史さん:03/10/08 14:23
>>58
コジモ1世の時代からハプスブルク家との関係が深かったからね。
コジモの妃はカール5世の家臣の娘のエレオノーラ・デ・トレド。
フランチェスコ1世の妃は皇帝マクシミリアンの妹のジョヴァンナ・ダウストリア。
コジモ2世の妃は皇帝フェルディナンド2世の娘のマリア・マグダレーナ。
60世界@名無史さん:03/10/08 20:01
  今では、北イタリアの人って中欧の文化懐かしがってるようだな
  オーストリアは偉大だったと、歴史と化してわかる
61世界@名無史さん:03/10/09 09:55
  フィレンツェが栄えた時代があったこと自体不思議とも
  貿易港ではヴェネチアやジェノバに敵うはずもないのに
62アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/09 10:30
>>59
エレオノーラ・デ・トレドはコジモ1世に殺されたという噂がありますね。
おまけにコジモは娘と近親相姦だったとか。
全くの嘘ではないようで、何とか言う画家(本がみつかりません)が
現場を見たそうな。
63世界@名無史さん:03/10/09 10:35
1920年代のアメリカ人には、イタリア人は近親相姦という偏見があったな
ボルジア家やジギスムントで政敵や法王が噂を流したのが原因だが
64世界@名無史さん:03/10/09 18:39
http://www.textanalyse.dk/Statisk%20Bevaegelse.%20Bia.htm
コジモ1世の娘の肖像

カワイイ・・・
65ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/09 20:23
>>62のアマノウヅメさんへ
「娘のマリアやルクレティアと近親相姦をして、それをとがめた
息子のガルツィアを妻の目の前で刺殺し、その衝撃でエレオノーラ
が死んだと噂が立った」と言う内容ですが、疑問が大きい。
マリアの死後、5年後もたってとがめた息子ガルツィアを殺すとは思えない。
無難なところで、「ガルツィアが兄ジョヴァンニを刺し殺しそれに激怒し
ガルツィアをを刺殺」とするのが通常かと思いますが。
66世界@名無史さん:03/10/09 20:50
コジモ1世には、エレオノーラと結婚する前に「ラ・バイア」と呼ばれる
私生児がいた。
この女子の母親は不明。
67世界@名無史さん:03/10/14 14:41
豪華公のころすでに オスマントルコが直に欧州貴族と交易開始
経済は傾き始めていた
68ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/15 23:10
>>47
裏で操っていたのはシクストゥス4世。法王庁の経理をメディチ家から、パッティ家
に切り替えてもいました。
69世界@名無史さん:03/10/16 08:32
>>68
当時の枢機卿や法王は世俗貴族そのもの
修道士や町や村の神父が昇進したのではなかった

モーツァルトの頃のザルツブルク(現オーストリア領)の大司教も愛人とその私生児
のために城館を建てた。今は観光名所である
70世界@名無史さん:03/10/16 09:23
>>67
金融業続けられるだけの財力はどこから来たんだ?
フッガー家などスペインが植民地帝国になった途端没落しているのに
71世界@名無史さん:03/10/16 21:49
それにしても薬屋から金貸し、独裁者、諸侯まで行けたわけだ
72世界@名無史さん:03/10/17 06:29
>>39
フィレンツェの中継ぎ貿易は豪華公時代に傾き始めていたのだよ
安定が欲しかったのだろう
73世界@名無史さん:03/11/03 21:52
田舎出の薬商人の子孫が、大公殿下と2人のフランス王妃を出し、
神聖ローマ皇帝の一族の血縁になれた

と思えば面白いかも^_^;
74世界@名無史さん:03/11/03 22:10
コジモやロレンツォがどんな人間だったか

というほどには、政治史その他にはたいした意味の無い一族だな。

修羅場を潜り抜けるのに必要なことのみ価値がある。

手形とか会計のような
  現在でも用いられている制度を彼らが創出したわけじゃ無し。
75世界@名無史さん:03/11/05 08:34
>>30
ブロンズィーノは結構好きだな。
ビーナスとキューピットの寓意画の人でしょ?


グッチの最高経営者(CEO)が突然辞任
株価が下がっている
76世界@名無史さん:03/11/05 09:40
>>75
>ビーナスとキューピットの寓意画
あの絵はポルノすれすれですな。
77世界@名無史さん:03/11/05 10:46
貴族は色々注文したからな

ゴヤの『裸体のマハ』もそう
別に画家の創意で二通り描いたのではない
78世界@名無史さん:03/11/05 16:37
コジモ1世以降のトスカナ大公たちは人気ないのかなぁ。
文芸や科学(ガリレオなども)を保護し、芸術を愛好してすばらしいコレクションを作った。
政治的にはそんなに重要ではないが、それはイタリアがハプスブルグ支配下で
平和に落ちついていたからだ。あの時代はイタリアナショナリズムによって
実際以上に悪く言われている気がする。
79世界@名無史さん:03/11/05 16:41
平和を満喫しかつ貧乏人も楽だったのはローマ
巡礼者にたかったり、教会から施しもらったり。
80世界@名無史さん:03/11/05 16:59
カトリーヌ・メディシスからの血統は
フランス王朝交代でヴァロ朝からブルボン朝に流れて
スペインのフランコ総統まで続いています。
フランコ総統の子供たちは最近テレビで見ました。
オジサンでした
81世界@名無史さん:03/11/05 17:06
フランコは王族じゃないでしょ
82世界@名無史さん:03/11/05 18:00
浅倉氏の血統も女系なら、綱吉まで続いた。
83世界@名無史さん:03/11/05 18:06
今日のイタリアの芸術の中心はミラノ
84世界@名無史さん:03/11/09 10:16
フィレンツェ出の有名人
85世界@名無しさん:03/11/11 07:31
最近ではグッチ一族ぐらいでしょ。
86世界@名無史さん:03/12/14 05:14
メディチ家の繁栄は、フィレンツェの繁栄と同じように輝きそして消えていった。
しかし、その栄光と繁栄の跡を後世の人々は今も見ることが出来る。
87世界@名無史さん:03/12/14 10:27
観光と靴産業の街
88世界@名無史さん:04/01/27 14:48
今じゃ観光産業の地方。
でも、イタリアの食材現地調達が基本だから、農業は健在のままだな。
89あぼーん:あぼーん
あぼーん
90世界@名無史さん:04/02/09 10:12
薬屋始めた百姓の倅の子孫が大名になれた話。
日本でも当たり前?
91あぼーん:あぼーん
あぼーん
92世界@名無史さん:04/03/08 08:54
age
93世界@名無史さん:04/03/14 12:36
クレメンス7世とかレオ10世とか、教皇を身内からだしてるのはすごいね。
94世界@名無史さん:04/03/14 12:50
>>93
メディチ家出身の教皇は、その二人だけだったっけ。
そのほかにもバルベリーニ家とか、ローマの名門で教皇を出している
家系は多そうだな。
95世界@名無史さん:04/03/14 14:38
メディチ家出身の教皇はDQN
96世界@名無史さん:04/03/15 21:00
宗教家として優れた教皇なんて殆ど聞かないな。
97:04/04/01 12:17
メディコ(薬)の売却益を元手にフィレンツェで銀行を始めてのが13世紀末で
14世紀ごろにはぼろ儲けして貴族入りでしたよね確か
98世界@名無史さん:04/04/04 22:15
薬屋の名称がそのまま苗字に?(^ε^ )
まあ、英米でも、カーペンターとかって苗字あるからいいか。
99世界@名無史さん:04/04/05 18:20
過去ログ
ロレンツォ豪華王でいこう!!
http://mentai.2ch.net/whis/kako/994/994262817.html
100世界@名無史さん:04/04/05 18:43
19 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/07/07(土) 00:58

>>17
ロレンツォの晩年にメディチ銀行はほぼ破綻していましたが、
彼はそれを防ぐために、親族の財産や結婚共済基金や共和国
国防費(傭兵代の基金)から詐欺的な横領をしていました。

まぁ、何処かの国のように、無粋な豪華公民館や狸専用4車線道路
をつくるよりは絶対にいいですし
花の都フィレンツェを永遠たらしめたのだから、安い投資ではあり
ましたが・・・
101世界@名無史さん:04/04/10 03:16
メディチ家が薬屋出身って、もう決まってるの?
漏れは、という説もあるって感じで習ったが。
102:04/04/11 00:08
多数派は薬屋さんから
教会出入りの高利貸(銀行)になって
貴族議員から政治家or宗教家(欧州では一緒!?)みたいっちゃね。
もともと薬屋さんだから毒を盛るのも上手(ギャフン!!)みたいな。
103世界@名無史さん:04/04/11 00:20
薬屋だったって資料みたいのってあるの?
薬屋のギルドにはメディチの名前は登録されていないみたいだが。
紋章の赤玉が丸薬をあらわすってのはよく言われるみたいだけど。
104世界@名無史さん:04/04/11 07:29
トスカーナ名物子牛の・・
105世界@名無史さん:04/04/11 17:58
>>100
今の社会保険庁みたいだな
ほぼ破綻しているくせに
さらに2兆円流用だってさw
106世界@名無史さん:04/04/11 19:33
それでも政権交代の無い国、日本。

トスカーナ大公国はどうやって財政と経済やりくりしていたかシラネど。
107世界@名無史さん:04/04/11 23:44
メディチ家は炭焼き出身じゃないの?
108世界@名無史さん:04/05/08 01:17
メディチの起源はその家紋から薬屋だって言われてるけど
確かなことは不明のよう。
109世界@名無史さん:04/05/08 04:28
>>24
適当な訳
 
1510年のアレッサンドロ・デ・メディチの誕生日6月22日は有名である。
彼は16世紀の間のアフリカ系イタリア人支配者である。 
シモネッタ・デ・コラヴェッキオと名付けられた黒人女奴隷と17歳のジュ
リオ・デ・メディチ枢機卿、後の教皇クレメンス七世との子。若いアレッ
サンドロの父ジュリオ枢機卿はロレンツォ・イル・マニーフィコの甥であ
る。アレッサンドロ・デ・メディチは近代西洋世界国家の最初の首脳である。
 
1523年に枢機卿に選出されたジュリオ枢機卿はフィレンツェの支配権を放棄
することを強制されたが、彼の13歳の息子アレッサンドロを摂政に指名し、
ちょうど創られたペンナ公の称号はさらに甥のイッポーリトが得た。共に非
嫡出の子だったが、彼らは家族の年上の線と呼ばれるためになった最後であ
った。
 
110世界@名無史さん:04/05/08 04:29
(細かい間違いの多い訳の続き)

共和派は摂政統治下のフィレンツェで成長し、1527年の皇帝カール一世によ
るローマ略奪の時、フィレンツェ人は政体をさらに民主的にする事態の中急
進化し、二人のメディチとイッポーリトは逃亡した。平時には教皇派と皇帝
派間の最後二年間だった。カール帝はメディチのフィレンツェ復帰に同意した。
 
調印の後、11ヶ月のメディチは皇帝の指名した首脳として復帰。新たなるフ
ィレンツェの政体は世襲的な公国を宣言した。1534年の、彼の父、教皇クレ
メンスの死により、亡命者達はフィレンツェからメディチ公爵を追放する事
を試みた。が、皇帝は明白にみえる支援の下、メディチ家に皇帝の庶子の娘
マルグリット・ドーストリアを公爵の妻として与え、メディチを支持するこ
とを決断した。
 
遠戚の従兄弟ロレンザッチオ・デ・メディチの警備にも関わらず、彼は信頼
を勝ち得るために阿諛追従し、1537年、結婚数ヵ月後であったアレッサンド
ロ・デ・メディチを殺害した。メディチ家のアフリカ系の遺産はこれまで言
及されたとしても稀である。彼はフィレンツェ最初の公爵として国を掌握し
、幾人かの当代一流の芸術家達のパトロンであり、残存するミケランジェロ
による有名な陵墓に埋葬された二人のメディチ御曹司の一人である。
111世界@名無史さん:04/05/20 15:45
112世界@名無史さん:04/05/28 18:24
ボーナジュンタのつづり知りたい。
113世界@名無史さん:04/07/13 20:48
アフリカの血を引くのは、大デュマ以外にもいたんだ!
114世界@名無史さん:04/07/17 16:11
____
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 |:::/ <・) <・)
 レ(6:. .:/(´ヽ >
  \::::::((━━)  <メディチ家は本質的にマイラー
    \::::::::::::ノ  
115世界@名無史さん:04/08/20 00:50
116世界@名無史さん:04/09/07 21:41
私も学校を調べたのですが、「成功する留学」には一件しか載っていませんでした。
イタリアではフィェレンツェが共通語という認識があるらしく(本にはそうかいて
ありました)語学学校は圧倒的にフィレンツェが多いです。
117世界@名無史さん:04/09/12 19:09:20
【ローマ26日共同】最高気温35度を超える猛暑になったイタリアで26日、国民が一斉に冷房を使ったため電力不足となり、電力会社が1回1時間半、1日5回にわたり送電を停止、600万人が停電の被害を受け、大混乱した。
 ローマやミラノではエレベーターに閉じ込められる事故が頻発、信号も停止し1日中、交通渋滞が続いた。
 レストランやスーパーの冷蔵庫も止まって肉や生鮮食料品が腐り、ANSA通信によると、食料品の被害は7000万ユーロ(約96億円)に上る見通しという。
 イタリアでは25日にミラノで最高気温が36度、26日はローマで35度、シチリア島のカターニアは37度になるなど猛暑が続いている。(共同通信)
[6月27日7時7分更新]
118世界@名無史さん:04/10/12 22:36:53
ベルサーチはマイアミで殺されたね
119世界@名無史さん:04/11/19 20:38:11
120世界@名無史さん:04/11/19 21:22:33
踊れ、トスカーナ:⊆(○^▽^○)⊇
121世界@名無史さん:04/11/22 20:55:20
>>80
カトリーヌの血が、どーやってブルボン家に流れたんだ?
122世界@名無史さん:04/11/22 20:57:50
石岡はチョン
123世界@名無史さん:04/11/22 21:16:01
>>121
カトリーヌ・ド・メディシスの祖父もマリー・ド・メディシスの曽祖父も
ロレンツォ・いる・マニフィーコだった、というので勘弁してくれない?
細かいとこ見れば色々混じってるし。
124世界@名無史さん:04/11/22 21:31:13
フェリペ2世とカトリーヌの長女イサベルはスペインのフェリペ2世の2度目の妃。
1566-1633 イザベラ・クララ(夫:ハプスブルク家 アルブレヒト7世)
1567-1597 カタリーナ・ミカエラ(夫:サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ1世)
次女クロードはロートリンゲン公カール3世。
1604-1675 カール4世
1605-1660 ヘンリエッテ(夫:ルイ・ド・ギーズおよびジェローム・ド・グリマルディおよびクリストフ)
1609-1670 ニコラス・フランツ
1615-1672 マルグリート(夫:オルレアン公ガストン)
このへんで、何とかつながるんじゃない?
125世界@名無史さん:04/11/22 22:12:49
>>123
「カトリーヌの」と書くからややこしいんだよ。
メディチ家の、と書いてあればスルーしただろうけど。

つーか、遡ったらヨーロッパの王家みんな血族になってしまうしw
126レオ10:04/12/05 19:54:50
レオ10世ですけど、メジチ家の当主でしたが(兄が死んで)、
教皇までなりました。
聖職者で道を究めるなんて、
彼は息子に後を継がせたいという願望はなかったんでしょうか。

127世界@名無史さん:04/12/05 19:57:22
レオ10世の弟がヌムール公になりますが、
これは、どういう関係か知りたいです。

これはフランスの爵位ではないでしょうか。
彼は一応、フランスの領地をもらったんですか、それとも名目だけ?
それに、フランスの爵位もらうと、一応、フランス王の臣下になってしまわないかと。

もっとも、フランスの爵位でなければ関係ないけど。

128世界@名無史さん:04/12/05 19:59:24
アレキサンドロがもらった、フィレンツェ共和国公「位」というのは、新しく作ったものでしょうか。
それは、ある時点で、フィレンツェ公位に変わったんでしょうか。


129世界@名無史さん:04/12/05 20:01:37
質問します。
@ロレンツォ・イル・マニフィーコの嫁さんは、オルシーニ家出身ですか。
Aオルシーニ家は、何を根拠に名門なのですか。
130世界@名無史さん:05/01/03 16:29:20
おるしーにだから名門
131世界@名無史さん:05/01/08 00:15:33
カトリーヌにゴッドマザーの称号を与えたいのですが、どうでしょーか。
イザベル・アジャーニの「王妃マルゴ」に登場するカトリーヌを見てゾクゾクした。
あと藤本ひとみさんの本もね。
132世界@名無史さん:05/01/09 10:14:49
>>129
1.クラリッサ・オルシーニ
2.少なくとも2人、教皇を出している。あと先祖が熊。
133世界@名無史さん:05/02/03 15:25:41 0
じゃあ朝鮮人と同じニダ ホルホルホル
※祖先は隈であるとされてます(本当)
134世界@名無史さん:05/02/09 19:22:28 0
商人が先祖の貴族なら、現代のイギリス貴族は、古い家系でさえ、殆どがそうだけどな
135世界@名無史さん:05/02/15 11:48:37 0
フランスも、男爵は銀行家
136世界@名無史さん:05/03/05 15:29:54 0
熊の紋章だというのは知ってたけど、先祖が熊…?!
137世界@名無史さん:05/03/19 01:14:12 0
>>131
あの映画のカトリーヌは、ちょっと冷徹しすぎやしないかい?
まぁ原作がそう言う風に描かれているんだろうけど。

っていうか、フランス人て、もしかしてカトリーヌ嫌い?
138世界@名無史さん
イタリア人も嫌い?