■ 青患い ペスト ■

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
ベタな質問ですが・・・。
世界史的に見てペストってどうなんですか?
ペストで農民↓封建貴族↓王族↑。
んで絶対王政へって感じですか?
発祥地の中国ではどんな影響があったんでしょう。
医療技術が欧州よりは発達していたから影響はあんまなかったのかな?
教えて学者さん。
2世界@名無史さん:03/04/07 21:31
人口減により、農民(労働力)の価値↑封建貴族↓結果として王権↑かな。

黒死病による死者は3人に1人といわれ,ヨーロッパでは3500万人,
その他を加えると,全文明世界で6000万〜7000万人の死者を算したと
いわれる。こうした恐怖と混乱のなかで,〈鞭打ち苦行者〉や〈死の舞踏〉
のような集団異常現象が起こり,さらに異教徒のユダヤ人が毒物を散布
したというデマが流布し,ユダヤ人の大量虐殺が行われた。
こうして人口激減によりヨーロッパ荘園経済は衰微し,宗教と学問の
権威は失墜し,中世的な秩序が崩壊し,近代社会誕生をうながす要因
の一つとなった。
ヨーロッパの古い町の広場には,ペスト退散を記念する〈ペスト塔〉
が今でも残っている。
3世界@名無史さん:03/04/07 21:34
[疾病史]  人間の歴史に最も深いつめあとを残した病気はペストである。
旧約聖書(《サムエル記》上)にあるペリシテ人を襲った疫病とはペスト
ではないか,という説がある。しかし,明らかにペストと確認された
史上最初のペスト禍は,540年ころエジプトに原発し,60年ものあいだ
全ビザンティン帝国を混乱に陥れた〈ユスティニアヌスの疫病〉と呼ば
れる大流行である。プロコピウスの《戦史》にはその惨状が克明に記さ
れているが,コンスタンティノープルでは1日5000人あるいは1万人もの
死者が出たという。その後散発的な流行を経て,14世紀ヨーロッパに
黒死病(ブラック・デス BlackDeath)の大流行をもたらす。
 本来ネズミの病気であるペストの歴史は,ネズミの生態の歴史と密接
な関係がある。もともとインドからアジア南部にかけて生息していた
保菌ネズミ(クマネズミ)が,気候変動による食物連鎖の変動によって
移動を始め,しだいに北上し,さらに西進したと思われる。とくに13世
紀は東西交流の盛期で,十字軍が東方へ,蒙古が西方へと進み,こうし
た人と物の動きにつれ,東西を結ぶ交易路いわゆるシルクロードに乗っ
てペストの伝播が起こった。
 1347年コンスタンティノープルに侵入してきたペストは,地中海貿易
路をそのままたどり,48年にはイタリア,フランスに上陸,ついにヨー
ロッパ内陸に波及していった。
4世界@名無史さん:03/04/07 21:48
なるほどなるほど。
そうか農民(労働力)の上昇か。近代的な市民社会の形成?
ビザンツ帝国にもペスト禍があったのですね。
ユスティニアヌスの時代はアフリカの方まで帝国が拡張していましたよね。
アフリカの方でも流行したのかしら?
ペスト菌はウイルスではないからあのあたりでは流行らないのかな?
ネズミの生息地域の問題か。
5山崎渉:03/04/17 09:42
(^^)
6山崎渉
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)