劉邦について

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1世界@名無史さん
なんか教えてください
たすけてーどらえもーん
2世界@名無史さん:03/04/03 02:24
>>1
ちょめちょめ
3世界@名無史さん:03/04/03 02:30
劉邦はどらえもんがいないと何もできないのび太のような香具師
4項羽:03/04/03 02:36
劉邦のくせに生意気な
5匈奴の冒頓単宇:03/04/03 02:44
漢の高祖って言われているね。
漢王朝のルーツだよ。

出自はそんなに高貴でもないらしい。
むしろ項羽のほうが、貴種だったようだよ。

鴻門の会は、圧巻名場面です。
6世界@名無史さん:03/04/03 03:01
赤龍の子です
7季希:03/04/03 03:17
百敗将軍必死だな(w
8高祖:03/04/03 05:05
劉が姓、名が邦、字は季。
9世界@名無史さん:03/04/03 09:34
姓が劉、名が兄貴、字は末っ子。
10世界@名無史さん:03/04/04 00:34
>5
そんなに高貴も糞も、
中くらいの農家の末っ子だろ。
11世界@名無史さん:03/04/04 01:02
股間に72個黒子がある。
12世界@名無史さん:03/04/04 01:11
名が邦っていうのはどこに出てますか?
13世界@名無史さん:03/04/04 02:11
>>11

俺実際に腿のところに数十個の黒子がある。
14世界@名無史さん:03/04/04 02:31
>>12
名前が無かったから「邦」だと思ったが。
15世界@名無史さん:03/04/04 03:01
>>14
つまり、名が「邦」というのは文献上の根拠がないということですか?
16世界@名無史さん:03/04/04 03:49
ゴアさんを見るたびに項羽のことを思い出してしまう
17世界@名無史さん:03/04/04 04:02
>>15

>>9の通り。「邦」は「にいちゃん」の方言
18世界@名無史さん:03/04/04 04:04
>15
劉邦は「劉兄い」とか「劉の兄貴」ってぐらいの意味だと
司馬遼太郎が書いてなかったっけ?
>16
劉邦をどっかの小脳大統領に例えるのだけはやめとくれ
19世界@名無史さん:03/04/04 04:07
顔は異形で、
耳や手足が異様に長かったというのはどうなん?>劉邦
20世界@名無史さん:03/04/04 04:23
>>19
それは劉備では?
21世界@名無史さん:03/04/04 05:40
この板では、小説家の書いていることを
ソースにすると、バカにされることが
あるので注意。
22世界@名無史さん:03/04/04 09:17
一言で申せば…劉邦は「無能」
無能では有ったが、それを補って余りある「徳」を持っていたようです。
ところが、持ち前の「徳」が無くなってくると、「無能」が全面に現れて…

天下一統したはいいが、匈奴に遠征して失敗し自ら虜になり単于を「お兄様」と、
呼ぶ事になるし・・・
燕討伐で受けた矢傷が原因で死んじゃうし・・・

功臣粛清の後悔と、おかーちゃん一族の増長を眺めながら天に召されたようなので
安らかに逝った事でしょ。

項羽は太古の「殷・」に似ている。

23世界@名無史さん:03/04/04 11:23
>>17
いや、邦の原義はどうでもいいんだ。
今や邦は漢高皇帝の名として認知されているわけだけど、文献上それがどこまで遡れるか知りたいんだ。
確か、史・漢にはなかったはず。
24日本@名無史さん:03/04/04 16:31
司馬遼太郎は「史記に劉が姓、名が邦、字は季とある」
とかいてなかった?
25世界@名無史さん:03/04/04 17:40
>諱邦
東漢〜魏の荀スの記述が漢書の注に引かれている。
26世界@名無史さん:03/04/04 20:14
中国史上最高の皇帝だとあえて断言する
27世界@名無史さん:03/04/04 20:54
なんか司馬遼とか引用したら条件反射で馬鹿にするのもどうかと思うが
28世界@名無史さん:03/04/04 21:39
>>25
荀スですか。後漢末ですね。
史記にないのは分かってたけど、漢書の方は自信がなかった。
やっぱり漢書(本文)にもないってことッすね。
おそらく、荀スの漢紀に書かれていたんでしょう。

しかし、前漢の司馬遷も、後漢前半の斑固も書いてないのに、
突然、後漢末になって出現するっていうのは、限りなく怪しげですなぁ。

ほんとに劉“邦”なんて人物おったんかいな。
あんちゃんという意味にしても(←これ本当?)

わが輩は高皇帝である。名前はまだない。

じゃないの、ほんとは。
>前漢の司馬遷も、後漢前半の斑固も書いてないのに
書けません。

>後漢末になって出現するっていうのは
避諱されないほど皇室の権威が落ちたってことでしょう。
荀悦は曹操の臣だし。

漏れは逆に「邦」が漢高祖の諱でなく普通名詞「兄貴」なる説の出典(小説以外)
を知りたいですね。
司馬遷は『仲尼弟子列伝』で子徒の名「邦」を「國」に書き換えてます。
これが避諱でないのなら一体何なのでしょう?
避諱なら「邦」はいったい誰の諱でしょう??
30世界@名無史さん:03/04/04 22:23
もともと季(末っ子)とだけ呼ばれていて
即位に際して名を邦に改めたともいう。
31bloom:03/04/04 22:28
32世界@名無史さん:03/04/04 23:24
>功臣粛清の後悔

はしてないだろ。
33世界@名無史さん:03/04/04 23:30
兄弟の名前は伯、仲・交だったっけ?
34世界@名無史さん:03/04/05 01:21
>>29
>荀悦は曹操の臣だし。

これはウソでしょ。

>司馬遷は『仲尼弟子列伝』で子徒の名「邦」を「國」に書き換えてます。

おお。これは説得力があるなぁ。
少なくとも孝武帝のころまでには「邦」は高皇帝の名になっておったということか。
さて、これから先はどうやって遡るかな。

高皇帝存命中に名があったことを示すのは大変じゃぞい。
35世界@名無史さん:03/04/05 04:01
>>27
それもそうだろうけど、歴史の話で引用するのに「項羽と劉邦」はあまりにもひどすぎる。
あれに書いてあることを全て事実だと受け取ってしまう厨房がたくさんでてくるのは問題。

高祖の父親、大公も「名前も不明な賤しい人」みたいにいわれますが、実はあります。
上のレスにもあるように名は避けるの。
呂后とその父の呂公も名前が出てこないだけで、本当はある。

それに名・字が季だということがそんなに可笑しいのかなあ。
中国史みれば名前が伯だなんてのはけっこう散見するでしょう。
36世界@名無史さん:03/04/05 07:02
>名前が伯だなんてのはけっこう散見する

日本人に「一郎」「始」という名前が散見されるからと言って
「末子」とか「終」といった名前が珍しくないということには
ならんと思うが。
37世界@名無史さん:03/04/05 08:30
>高皇帝
普通は高祖と言わないか?
38世界@名無史さん:03/04/05 08:51
ホントは高皇帝なんだけど司馬遷が高祖本紀と書いたんで
高祖が定着したと宮崎市定大先生が書いてた憶えがある
39世界@名無史さん:03/04/05 09:39
一応、晋の士氏の末裔ってことになってるんだっけ?>劉邦
40世界@名無史さん:03/04/05 09:53
>39
徳川家康が清和源氏新田流と称するようなもの。
41名無し募集中。。。:03/04/05 10:15
漢の創始者である時点で偉大すぎるわけだが
42世界@名無史さん:03/04/05 10:53
>>35
>高祖の父親、大公も「名前も不明な賤しい人」みたいにいわれますが、実はあります。

どこに?

一応、『父曰太公母曰劉媼』って書いてあって、これが
『父は爺さん、母は劉ばあさん』っていうトホホな内容だから
「名前も不明な賤しい人」って言われてるんだよね。

名を避けてはじめから書いてなければ、おそらく何もいわれなかった。
43世界@名無史さん:03/04/05 10:55
呂后って身分がかなり上だったんでそ・・あの当時の劉邦にとって
亭長してたらしいけど、いろんな本とかで劉邦は将来大物になると呂后の父が
見抜いて嫁にくれてやったみたいな事、書かれてるけど実話なのか
実際かなりの賭けじゃないか・・そして股の間の72の黒子もまじであったの
か疑問・・
44世界@名無史さん:03/04/05 11:15
何で名を避けてるんだろう
45世界@名無史さん:03/04/05 11:23
>>44
不敬だから。
46世界@名無史さん:03/04/05 11:39
>>29
改めて史記を見てみたら、名だけじゃなくて姓もちがってるじゃないか。
避諱じゃなくて伝承の混乱があっただけじゃないか?

唐代の注釈書が『蓋避漢祖諱而改』と推測して、それがそのまま今に引き継がれてるだけみたい。
当てになりそうにないなぁ。
47世界@名無史さん:03/04/05 12:22
何年か前に前漢初期の木簡が大量に発掘されて、近年では史料の解明がすすんでいる
ようだが劉邦の「邦」というのは、どうやら正式な名ではなくあだ名に近い呼び名だった
みたいだよ。名は「憲」であったという説が有力になってきている。
48世界@名無史さん:03/04/05 12:52
>>36
四郎って名前は別に珍しくもないでしょうが。
>>42
>>高祖の父親、大公も「名前も不明な賤しい人」みたいにいわれますが、実はあります。

>どこに?
教えません。自分で調べてね。不勉強すぎですよ。
漢文読めるんだったら、中華書局からでてる安い本を漁ればでてくるでしょう。本文じゃなくて注釈ね。
49世界@名無史さん:03/04/05 12:57
>40
だから「一応・・・なってる」と書いてるだろと小一時間
50世界@名無史さん:03/04/05 13:10
>>40
どうして?
沛以来の功臣、簫何、曹参、果ては犬殺しの樊カイに至るまで、みんな諸侯の子孫ですが。

ここ、日本語の文献しか読んでなさそうな人多いね。
51世界@名無史さん:03/04/05 13:26
>>48
>教えません。自分で調べてね。不勉強すぎですよ。

わはは。
だって、史学生でもなんでもないもん。
不勉強というより、無勉強に近いんだよね。
最近ちょっと史記をかじりはじめて、興味を持ったからきいて見ただけ。

まあいいや。
注釈ってことは、今度もその註の史料価値が問題になりそう。
なかなか底は深い。
52世界@名無史さん:03/04/05 13:59
*訂正*
少典→黄帝→金天氏→玄器→高辛氏→帝堯唐陶氏→劉氏→劉累→御竜氏→略→唐社氏→略→士会→劉氏→豊公→太上皇→
漢高祖皇帝劉邦→孝文帝→孝景帝→長沙定王発→春陵節侯買→外→回→欽→
後漢光武皇帝劉秀→孝明帝→孝章帝→河間孝王開→解漢亭侯叔→略→孝霊帝→孝献帝

かなり適当
53世界@名無史さん:03/04/05 14:16
不勉強だから教えないというのはどうかと。
54世界@名無史さん:03/04/05 14:34
漢の時代に書かれた高祖本紀にも名前は書かれていない
つまり、庶民であったため名前は無かった
55世界@名無史さん:03/04/05 14:37
中央研究院漢籍電子文献見ようと思ったのに見れねーYO
56世界@名無史さん:03/04/05 14:50
少典→黄帝→金天氏→玄器→高辛氏→帝堯唐陶氏→劉氏→劉累→御竜氏→略→唐社氏→略→
士会→劉氏→豊公→太上皇→ 漢高祖皇帝劉邦→孝文帝→孝景帝→中山靖王勝→陸城亭侯貞→
沛侯昂→シ章侯祿→沂水侯恋→欽陽侯英→安国侯建→広陵侯哀→膠水侯憲→祖邑侯舒→
祁陽侯誼→原沢侯必→潁水侯達→豊霊侯不疑→済川侯恵→劉雄→劉弘→昭烈帝備→後主禅
57世界@名無史さん:03/04/05 15:04
>>54
馬鹿発見
58世界@名無史さん:03/04/05 15:06
世界史では、劉邦は始めての農民出身者の皇帝だと習うのが常識だよね。
劉邦の親父が庶民だったのはおそらく間違いないだろう。
59世界@名無史さん:03/04/05 15:08
>>57
詳しく
60世界@名無史さん:03/04/05 15:09
>>58
君のいう「農民」「庶民」ってなんですか?
61世界@名無史さん:03/04/05 15:14
劉邦って、賦役労働に従事する労働者たちを現場まで引率していって引き渡す
駅長(亭長)という超小役人やってたんだよな。地元のチンピラや顔役とか
そんなもんだったんじゃないの。
62世界@名無史さん:03/04/05 15:15
>>59
「馬鹿」っぽい書き込みをしているやつを「発見」しました
63世界@名無史さん:03/04/05 15:16
簡単に釣れるスレですね 藁
64世界@名無史さん:03/04/05 15:24
>>61
違う。小役人だった劉邦が労働者の引率を命じられた。
劉邦が亡命者になるきっかけになった。
65世界@名無史さん:03/04/05 15:31
劉邦は気のいいヤンキータイプ
66世界@名無史さん:03/04/05 15:52
劉邦はケンカが弱い三橋貴志
項羽は今井勝俊

うーんぴったり
67世界@名無史さん:03/04/05 16:12
高祖や大公の名前が史記に記述されていないから名前がないんだ!
なんていってるひとは、史記の呂后本紀から武帝本紀まで読んでみな。
みんな名前が書いてない。あるのは確実なのに。どうしてでしょう?
68世界@名無史さん:03/04/05 16:16
>>67
不敬だからなべて避諱された…では、ないよな…。
69世界@名無史さん:03/04/05 16:20
でも人を観る目はそこそこあったという評価でいいんだろうか?

漢を安らかにするのは周勃だろう…のような事を言って、実際にそうだった
わけだし。
左袒の故事も残ったし…。
70世界@名無史さん:03/04/05 16:23
周勃は葬儀屋だったんだよな。漢朝が儒教を国教としたことと、周勃には
関係があるそうだね。
71世界@名無史さん:03/04/05 16:32
>>67続き
史記の漢高祖から武帝にいたるまでの本紀では名前が避諱されている。
ついでに漢書も本紀では皆、避諱されている。
ついでにいっておくと史記も漢書も未だ漢王朝が続いていたときに
前者は司馬遷によって、後者は班固によって編纂されたもの。
一方、漢王朝が滅んでから編纂された後漢書では光武帝の名前は秀と記されている。
72世界@名無史さん:03/04/05 16:37
♪ジャジャジャジャン、ジャジャジャジャン、♪劉邦!
73世界@名無史さん:03/04/05 16:39
将の将たる器
74世界@名無史さん:03/04/05 16:58
沛公になるまでは劉季を使ってる高祖本紀とは同列にならんと思うのだが。
75世界@名無史さん:03/04/05 17:46
当時の被支配民の名前ってどうなってたの?
「どこの家の何番目」とか?
あだ名はなかったのかな。「出っ歯」とか「でか鼻」とか。
76世界@名無史さん:03/04/05 18:29
ハンカイやロワンには名前があったわけだが
77世界@名無史さん:03/04/05 20:27
項羽にはまともに勝った事はほとんど無いけど
黥布あたりは撃破しているんだし、(この時の負傷で死ぬんだが)
武将として全く無能ちゅうわけでも無いと思う。
78世界@名無史さん:03/04/05 20:40
>77
>黥布あたりは撃破しているんだし

それは皇帝として圧倒的な権力・軍事力・富を獲得してからのことだから
圧勝しなきゃマズいだろ。つーわけで死因になるような負傷をしてるようじゃイカンだろ。
79世界@名無史さん:03/04/06 12:20
劉邦が何故天下をとれたのか研究しるのが戦後日本で盛んだったて書いてあったけど
ムハンマドやジャンヌダルクみたく、やっぱし彼は電波だったのでしょうか・・
つまり思いこみの激しい人だったと・・天やら神に選ばれた人間意識というか
80世界@名無史さん:03/04/06 13:22
というか、本当におだてれば天まで昇る、イイから俺様について来い、のタイプだったんじゃないかと。
みんななんとなく従ってるうちに好きになってしまう。
全く関係ない人の目からみれば、なんであんな馬鹿に誰も彼もついていくんだ?ということになるんでは。
あとは、劉邦のブレーンが虚像としての劉邦像を徹底的に利用した、とか。
漢は諸侯と民衆を守る正義の軍隊、楚は暴虐非道の軍団だと。
81世界@名無史さん:03/04/06 14:17

秦崩壊後の混乱期にあって、陳勝、呉広、彭越、黥布など、
これらのチンピラレースでたまたま勝利を手にしただけだよ。
82世界@名無史さん:03/04/06 14:18

  ↓まあ米国の野望でも見なさい (家庭用ゲーム)
http://2003111.fc2web.com/beikoku.html

83世界@名無史さん:03/04/06 20:57
字が季だけど弟(楚元王)がいるんだよね
84世界@名無史さん:03/04/07 07:30
高祖の父の名前がわかっているなどとほざく>48へ。

>教えません。自分で調べてね。不勉強すぎですよ。
>漢文読めるんだったら、中華書局からでてる安い本を漁ればでてくるでしょう。本文じゃなくて注釈ね。

お前は注釈を誤読しているのに随分偉そうな態度だが、何様のつもりだ?
多分宋の裴イン『史記索隠』の「皇甫謐云う、(太公の)名は執嘉」辺りを信じ込んでいるんだろうけど、これは
歴史小説『西京雜記』に基づくもので多分に怪しいんだけど。ここらへんはむしろ常識だ。
まぁ、もう一つ王符も別の名の伝承を挙げて居るんだけど、怪しいことには変わりないよね。
裴インもその後の段落で、「姓・字皆正史に出るに非ず、蓋し取るべき無し」とこの伝承を否定している。
いい加減なことを書かないようにね。
85世界@名無史さん:03/04/07 09:34
同意。
中華書局の本を入手するのは地方在住では無理。
ネット販売があったとして現物を確認しないで買えるようなものではない。
東京23区内に住んでいても扱っている書店を知る人はどれほどいるか。
86世界@名無史さん:03/04/07 12:35
教えません。自分で調べてね。不勉強すぎですよ。
漢文読めるんだったら、中華書局からでてる安い本を漁ればでてくるでしょう。
本文じゃなくて注釈ね。
\______ _______________
          V
         ∧_∧
     +  ( ・∀・∩ ←>>48
         ○     ノ
    +    / /> >  +   アホカ?   ゲラゲラ  シンセイデムパデチ!
       (_) (_)    ∧_∧ ∧_∧          ナニヲホザクデチカ!
      | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  (^∀^ )(^皿^ )      ∧ ∧  ∧,,∧    ∧_∧ ∧∧
      |       .|  (    )(    )     (^Д^,,) ミo^,, ミ   (^o^*)(Д^ )ギャハハ!
                                           バッカミターイ!
87世界@名無史さん:03/04/07 20:52
>>84
『西京雜記』は子部小説家類に分類されるが、
歴史小説、とは言えまいよ。
88山崎渉:03/04/17 09:43
(^^)
89山崎渉:03/04/20 04:53
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
90世界@名無史さん:03/04/29 21:07
age
91世界@名無史さん:03/04/29 21:42
そういえば、劉邦って味方の軍をよく奪うよね?
あれってどういうこと?
92世界@名無史さん:03/04/29 21:51
どうもこうもないんじゃないか?
「将軍、このままではニッチもサッチもいきません、幸い韓信はたくさん兵隊もってますから・・・」
「ああ、そうか。お前、ちょっと寄越すよう言って来いや」
ってな流れか、もしくは自分が必要性を感じてそうしたか、
いずれにせよ、
徳があるとかなんとか言われてるが、別に近代的なモラリストだったわけではない。
93世界@名無史さん:03/04/29 22:52
おい、曹操スレで偉そうに語っていた史学生何人かいるだろう。
西洋史関連スレだと鬼の首をとったように自慢する奴は見受けられないが
東洋史関連は自意識肥大しきったヤシが仕切っているようだな。
見ていて実にムカツク。
94世界@名無史さん:03/04/29 23:00
うーん、ネット販売で時々中華書局本買ってるけどなあ。
「書虫」とかで。
漏れも地方人で神田神保町とかあんまでれないからさ。

ちなみに漏れは48じゃないし、最近の中華書局本は必ずしも安くない
と思ってますが。
95世界@名無史さん:03/04/30 09:34
劉邦=のび太
ショウカ=ドラえもん
項羽=ジャイアン
鯨布=スネオ
冒頓=出来杉
呂后=しずかたん
96世界@名無史さん:03/04/30 11:05
しずかたんは出来杉と不倫し、のび太の死語、我が子を殺して
専横を図るが、ドラえもんが左胆を皆に問うて、
しずか王朝が崩壊するのでづね。
そしてセワシへと・・・・。
97世界@名無史さん:03/04/30 11:07
しかし冒頓単于=出来杉じゃないだろ。
項羽=じゃ慰安も苦しい。
98世界@名無史さん:03/04/30 12:15
冒頓は出来杉のイメージだがな・・・
項羽はもろジャイアンっしょ!
感動屋だし。
99世界@名無史さん:03/04/30 12:38
強さでいえば、冒頓=じゃ異案魔魔、だと思うが。
100世界@名無史さん:03/04/30 12:48
冒頓は隙が無くそつが無い優等生って感じ
101世界@名無史さん:03/04/30 12:53
冒頓は頭切れるよね
項羽は単細胞の暴れん坊だから項羽のがジャイアンって感じはするね
項羽もジャイアンも身内には優しいし
102世界@名無史さん:03/04/30 13:42
自作自演ウザッ
103世界@名無史さん:03/05/01 18:18
>>80のイメージで
劉邦=植木等
韓信=谷啓
項羽=ハナはじめ
104世界@名無史さん:03/05/22 00:11
 
105世界@名無史さん:03/05/22 00:29
 
 手を合わせて見つめるだけで

 愛し合える 話ができる

 口づけするより甘く ささやき聞くより強く

 私の心をゆさぶるあなた
 
106山崎渉:03/05/22 00:51
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
107山崎渉:03/05/28 15:18
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
108世界@名無史さん:03/06/09 21:28
劉邦て字が読み書きできたの?
109アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/06/09 21:53
>>108
多分できなかったと思われ。「史記」によるとそうなります。

大体、将軍は自分の名前が書ければよかったそうです。
将兵の任免やら処分やらの書類に署名しなければならなかったから。
110とも:03/06/09 21:54
111世界@名無史さん:03/06/09 22:13
>>108
おそらくある程度はできたはず。
何故なら彼は「亭長」になっている。
これは大した役ではないように思うかもしれないが立派に公務員。
そして当時の官吏には文書行政を処理する能力とある程度の財産が必要。
劉邦は貴族の生まれではないので、部下が書類を全部書いてくれたとは思えない。
つまり劉邦には官吏になるだけの読み書き能力があった。
@呂公の宴会で蕭何が「進上千銭に満たぬ者は堂下に座るよう」と言ったのに対し、名刺に「賀銭万」と書いて差し出した。 (乃紿偽謁曰賀錢萬)

A沛令が城門を閉じて守ろうとした時、絹に書をしたためて城中に射込んだ。 (劉季乃書帛射城上)
113世界@名無史さん:03/06/15 12:43
               -=≡ ∧_∧
                -=≡  ( ´Д`)
           -=≡ /⌒⌒ヽ/⌒ヽ/\
    -=≡ ./⌒ヽ,  /     ̄   \\ ヽ/⌒ヽ, 
   -=≡  /   |_/__i.ノ ,へ _項羽 _/ \\/   | /ii     項王来!項王来!
   -=≡ ノ⌒二__ノ__ノ  ̄ ̄     \ヽ  |./ |i          ∧∧
  -=≡ ()二二)― ||二)        ()二 し二) ― ||二)   = / 劉\
  -=≡ し|  | \.||             .|   .|\ ||    = (; `ハ´)
   -=≡  i  .|  ii               i  |  .ii     ( ヽつTつ
    -=≡ ゙、_ ノ               .゙、 _ノ  ◎−>>┘◎
114世界@名無史さん:03/06/15 19:00

帝堯陶唐氏之後,受封於劉,其地今定州 唐縣也,裔孫劉氏

以能擾龍,事夏后孔甲, 為御龍氏,在商為豕韋氏,在周為唐

杜氏,亦 為杜柏,以成王滅唐而遷之於杜也,今永興長 安縣南

十里下杜城是也,至宣王滅其國,杜柏 之子隰叔奔晉,為士師

,故為士氏,孫士會適 秦,後歸晉,其處於秦者為劉氏,此祁姓

之劉 也,以國為氏,又成王封季之子於劉邑固以為 氏,杜預云,

緱氏西北有劉亭,按緱氏熙寧中 省入河南偃師,此姬姓之劉也,

以邑為氏,姬 姓之劉,世為周卿士,康公獻公其後也,祈姓 之劉

,即士會之後,周末家于魏,又徙豐,此 班固之說也,劉惴字執嘉

,生四子,柏、仲、 季、交,季節漢高祖也,名邦,漢自高祖至光

武,至獻帝,享國四百二十五年。又東郡、河 南、雕陰三族,俱出

匈奴之族。漢高祖以宗女 妻冒頓,其俗貴者皆從母姓,因改為劉氏

,又 漢賜項氏為劉氏,婁敬亦賜姓劉。

誰か訳してくれ
115あやめ:03/06/15 19:54
>>109 >>111
読み書きは一定程度できたはずです。
「史記」の「高祖本紀」に「壯なるに及び試みられて吏と爲り、泗水の亭長と
爲る」とあります。ちゃんと試験をパスしてます。亭長というのは宿場の
シェリフみたいな者ですから、高度の作文能力は要求されなかったとは
思いますが、まるで無筆文盲では勤まりません。
同じく「盧綰列傳」には盧綰が高祖と同里の住人で、同日生まれで仲の好い
幼馴染だったことを叙した次に「高祖・盧綰の壯なるに及び倶もに書を學ぶ」
とあって、本でお勉強してることは間違いありません。無学扱いしないでね。
116世界@名無史さん:03/06/15 19:56
UFO
117世界@名無史さん:03/06/15 19:58
秦の後継を勝手に名乗った卑怯者


           以上
118あやめ:03/06/15 20:32
>>114 意訳しときます
帝堯陶唐氏の後裔が劉という封地を授けられた。今の定州で唐には縣であった。
裔孫の劉氏を称した者で龍を擾(な)らすことのできる人物が夏后の孔甲に仕え、
御龍氏となった。(その子孫は)商では豕韋氏といい、周では唐杜氏とも杜柏とも
いった。(周の)成王が唐を滅ぼしてこれを杜に遷したからである。今の永興(長安)
縣の南十里の下杜城がそれである。宣王がその國を滅ぼしたので、杜柏の子の
隰叔は晉に逃げ士師となったので、士氏と称した。孫の士會が秦に移り、後に
晉に帰ったが、(一族の内)秦に留まった者は劉氏といった。これが祁姓の劉で
國をもって氏としたのである。
また成王が王季の子を劉邑に封じたので氏とした。(左傳の注釈者の)杜預が
「緱氏(地名)の西北に劉亭がある」としている。按ずるに緱氏は(宋の)熙寧の
時代に省かれて河南の偃師に併合された。これが姫姓の劉である。邑を氏と
したのだ。姫姓の劉は代々周の卿士であった。康公・獻公はその後裔である。
119世界@名無史さん:03/06/16 00:50
泰和劉氏先コ錄序:「惟劉姓出自祁, 其後生子有文在手, 曰劉累, 因以為名, 事夏孔甲為御龍氏, 子孫在商更為豕韋氏, 又更為唐杜氏, 至周,
又更為杜氏, 杜氏生士?, 為士師, 因官命氏, 又更為士氏, 至晉, 士會入秦, 雖復歸于晉, 而子孫留秦者, 遂稽劉累之名, 別姓劉氏, 此得姓之所之始」。
名賢氏族言行類稿:「周大夫食采于劉, 亦為劉氏, 康公, 獻公, 其後也, 士會之後, 周末, 家于魏, 又徙豐沛, 至豐公生煓, 字執嘉, 生漢高祖」。
通志氏族略:「祁姓之劉, 以國為氏, 地在今定卅唐縣, 姬姓之劉, 以邑為氏, 地在今何南偃師;東郡, 河南, 雕陰三族, 俱出匈奴之族, 漢高祖以公主妻冒頓, 其俗, 貴者皆從母族為劉氏」。
漢書:「高祖賜婁敬, 項伯纏為劉氏」。望出彭城, 沛國, 弘農, 河間, 中山, 梁郡, 頓丘南陽, 東平, 高堂, 高密, 竟陵, 長沙, 河南。是劉姓姓源既繁, 而漢以後更混有匈奴等姓在內也。
120世界@名無史さん:03/06/16 17:33
そりゃーなー
漢の高祖が文盲じゃおさまりつかんだろ。
司馬遷も提灯持たすだろ。

121世界@名無史さん:03/06/18 09:06
うるおぼえ。
高祖が皇帝になった後、とおりがかった土地の名前が「柏人」と聞いた高祖はこれは「ひとにせまる」という意味で不吉だとして道を急いだという故事がある。(漢書参照)
こういうのは文章にある程度精通してないとおもいつかないだろうと思うが如何?
122世界@名無史さん:03/06/18 09:47
柏も迫も博陌切だった気がする
123世界@名無史さん:03/06/18 11:57
>>121
君現場をみたのかよ(w
提灯記事にきまっとろうが。
124世界@名無史さん:03/06/18 18:58
>>123
はいはい、わかったからすみかに戻ってね
125世界@名無史さん:03/06/21 14:54
>>121
高祖はある程度の教養はあったのは間違いないわけだが、
「柏人」のエピソードは文盲でも成立するよな。耳で聞いた音の問題だし、
「迫」は特に教養を必要とするような難しい単語じゃあるまい。
126世界@名無史さん:03/06/21 18:05
高祖の腹違いの弟の交は学者肌で経書に通じ、人をあつめて講義したというエピソードがある。
土地の名士とのつきあいもそれなりあったみたいだし、
高祖の教養はともかく、高祖が育った環境はそれほど悪くないのでは?
中の上ぐらいとか?
しかし劉一家の兄弟はまじめだけがとりえなやつ、ヤクザなプー、学者肌と個性がバラバラだなw
127世界@名無史さん:03/06/21 18:59
ほぼ同意ではあるが、
>ヤクザなプー
は違うやん。劉邦定職あるから。

あと劉交。実は学者肌なエピソードは漢書で急に現れるんだったハズ。
子孫の劉向、劉キンが偽作したかもなあ、とか妄想。間違ってたらゴメンよ。
でも史記でも劉交の字は「游」なので、遊学か何か農業でない事をしていたッぽい。

劉家は複数人の男子を立派に成人させているし、
一人は金が必要な役人になっているし末っ子は遊学(?)していた。
それなりの財力はあった訳だ。
しかも劉邦は家に友人を招待してはメシを振舞っていたが、家を傾けることは無かった。
これで金も無いし学も無い、諱さえ無かったんじゃないか、なんてのは有り得んと思うが。
128世界@名無史さん:03/06/24 13:24
劉氏は王稜、曹参、ハンカイ、ショウカ、等とまがりなりにも諸侯の子孫と付き合っているから、それなりの家だったと推測できるだろう。
129世界@名無史さん:03/06/24 14:27
>>128
蕭何→泗水卒史(泗水郡役所の管理職)
※現地採用の事務員からの叩き上げ。
 劉邦の同世代と考えると、出世してる方では無い。

曹参→沛の獄掾(沛県の刑務所の職員)

樊噲→犬の屠殺人

王陵→ヤクザの親分

こいつらを諸侯にしたのは、劉邦ですが、何か?
130世界@名無史さん:03/06/24 14:38
>>134
中国の歴史書なんて話半分に聞いとくのが常識だが。
そもそも時の政権のお手盛りの記事なんぞ信用するなっつーの
131世界@名無史さん:03/06/24 14:42
>>129
姓譜によると蕭何は宋の分子の末裔つまり本姓は子。
  樊噲もどっかの諸侯の末裔
  その他もそう。手元に資料がないので詳しく書けないが。
  
132世界@名無史さん:03/06/24 14:42
>>129
DQNばっかりだな。
蕭何ぐらいだよな。ホワイトカラーは。
劉交の学者肌のエピソードが漢書に急に出現する不思議(w

大体な、
時の政権の書物なんて信用おけねえよ。
後代の曹操も曹参の子孫だなんて自称して書き記しているしな。
みーんなそうじゃん。

133世界@名無史さん:03/06/24 14:48
>>131
ほーうそんなの自称じゃん。
諸侯の末裔つーたってそんな貴人がそうそうころがってないっつうの。
それとも何か?
漢の平帝のように
今は庶民だが、もともとは罪を犯した皇族か何かが庶民におとされた
血筋なんですとか
いうのか。

そんなもんはさ、えらくなると皆自称するんだよ。
経歴も詐称するし、逸話も捏造しちゃう。
与太もいいかげんにしろって事だ。

134世界@名無史さん:03/06/24 14:58
>>133
>ほーうそんなの自称じゃん。

確固たる証拠があっていってんのか?


135世界@名無史さん:03/06/24 15:01
>>132=>>133によると、史書や姓譜に書いてあることは半分嘘で出自についてはみんな自称らしい。
非常に斬新な説だな。w
136129:03/06/24 15:03
>>131
日本人の中には、源氏や平氏や藤原氏の子孫がたくさんいるらしいな。
蕭何や樊噲もその程度のもんだ。
何世紀も経ってるんじゃ、希少価値なんか無い。
ただの平民と同じだ。

>>132
沛から付いて来た連中の中では、
泗水郡役所の職員だった周苛と周昌もホワイトカラー。
137世界@名無史さん:03/06/24 15:07
山口組の今の本部長とか、広島・共政会の三代目なんかは市役所勤めだったんだよね。
だから劉邦がヤクザまがいのガラの悪い公務員だったとしても何の不思議もない・・・・
・・・というのはアナクロニズムでつか?
138世界@名無史さん:03/06/24 15:09
>>129
良く読んでからレスしような。>>128は蕭何や樊噲(の血統)に稀少価値がある、ともいってないし、平民でないともいってない。
っていうか君は釣られた格好だなw
139世界@名無史さん:03/06/24 15:15
>>138
それで逃げたつもりになっているんだ?
あのなぁ。日本でも秀吉や家康が源や平の子孫だと自称しているが、
信じるやつはいねえ。
それと同類だ。
ハンカイが貴種の子孫?
ハンカイの自己申告にきまっとろうが?

140世界@名無史さん:03/06/24 15:18
おお、付け加えると、ハンカイは後に呂氏と縁を結んで
自己保身に勤めているわけだが、えらい貴種の子孫とやらが
たかだか肺(字でねえ)の鎮レベルの素封家と縁組して
いるわけだ。
さすがにDQNのあんちゃんでどこの馬の骨ともしらんのでは
都合悪いだろうが。
そういうのもあって自称してんだよ。

141世界@名無史さん:03/06/24 15:22
思いこみだけでモノをいうヤツは痛すぎる。学問は無理。当然話すのもムダ。

「違うといったら違う。おれが違うといったら違う。違うにきまってる」
142世界@名無史さん:03/06/24 15:22
>>140
>ハンカイは後に呂氏と縁を結んで

中国の史書を鵜呑みにしてはだめですよw
143世界@名無史さん:03/06/24 15:22
>>131
宋の流れというのもどうかね・・・・
滅亡した商の遺民を封じたのが宋の起源なわけだが、
深読みすると、周代の諸侯にこじつけるのが難しいから
商に起源を求めたのかもな。
なんせ、数百年も前の王朝の血筋など確かめようがない罠。
自称にしても、うまい所に目をつけているわな。
144世界@名無史さん:03/06/24 15:25
>>142
自称と実際の血縁関係とでは雲泥の差があるわけだが。
当時の木簡のやり取りだとか副葬品でわかるのだが。
鸚鵡返しにやり込めたと思うのが書生の徒の馬鹿な所だよ。
145世界@名無史さん:03/06/24 15:29
実際、なりあがり政権の姓譜なんぞ信用できたものではない。
146世界@名無史さん:03/06/24 15:34
>>136
そもそも何世紀も経過している時点で血統は何百分の一であるわけ
だし。
そもそも本統と分家とではまた格段に異なるし、庶子だと自称すれば
DNA鑑定の無い時代の事、方便がいくらでも聞く罠。
要は裏付ける権威と御用学者がいれば歴史の捏造は完成するしな。
147129:03/06/24 15:38
>>137
んなこたあない。
三代目山口組幹部のN・Kは、地方議員だったことがある。
何十年か前なら、議員や公務員と二束の草鞋を履いてたヤクザもわりといた。

>>138
いやあ、漢楚の時代がらみのことが書けるなら、いくらでも釣られるさ。
専門スレより、コーエー数値化スレの方が漢楚絡みの話題を活発にやってるってのは、寂しいからな。

>>140
いやあ、呂后のオヤジもたいがいDQNだぞ。
仇を避けて、家族ぐるみで沛まで逃げて来てるんだから、
きっとロクでもないことやってたんだろう。

>>142
史書しか資料が無いから、今のところ信じとこうや。
148129:03/06/24 15:48
>>143-146
こいつらの先祖が何者だろうが、
歴史に登場した時点じゃあ平民だったんだから、それでいいんでないかい?
149世界@名無史さん:03/06/24 15:52
>>147
>いやあ、呂后のオヤジもたいがいDQNだぞ。
>仇を避けて、家族ぐるみで沛まで逃げて来てるんだから、
>きっとロクでもないことやってたんだろう。

そんなこといったら貧乏書生で始皇帝暗殺に失敗して逃げ回っていた張良だって「たいがいDQN」
張良の実家は韓公室の分家で数代にわたって宰相をだした名門だった(ということになってる)わけだが、この有様。人生なにがあるかわからないね。
劉邦に出会ったらあら不思議。天下統一を手伝って諸侯になっちゃった。
この張良も成り上がりで出自詐称ということなのかな。

150129:03/06/24 16:20
>>149
>そんなこといったら貧乏書生で始皇帝暗殺に失敗して逃げ回っていた張良だって「たいがいDQN」
>張良の実家は韓公室の分家で数代にわたって宰相をだした名門だった(ということになってる)わけだが、
>この有様。人生なにがあるかわからないね。
まったくだ。貴族も国が無くなりゃ、ただの平民だからな。
哀れなもんだ。

>劉邦に出会ったらあら不思議。天下統一を手伝って諸侯になっちゃった。
>この張良も成り上がりで出自詐称ということなのかな。
張良の場合は、信じていいんでないかい?
張氏は3代続けて宰相になった名門で、
おじいちゃんの張開地は、昭侯・宣恵王・襄哀王の時代に仕えて、
親父の張平は、釐王・桓恵王の時代に仕えたって、はっきり書いてるからな。
いくら先祖詐称が流行ってても、近い時代の有名人の子供騙ってたら、誰か止めるぞ。
しかも、秦と戦ってる頃に横陽君韓成を王に立てて、韓の申徒(宰相)に収まってるんだから、自分も有名人になった。
韓の宰相が、赤の他人の分際で昔の韓の宰相だった奴の息子だって吹いてたら、韓の人間が黙っちゃいねえだろ。
151世界@名無史さん:03/06/24 17:15
おいおまえら、そもそも高祖の黒子が赤龍の印だなんて
あほなことを書にかいてあるから信じるというというのか?
ちがうわよなー瑞兆だとかそんなん全部嘘だろ。
ようはその程度でしかないんだよ古代の史書ってさ。
それだけじゃわからないから当時の記述を裏付ける傍証が
必要になってくるわけさ。
出自なんぞまさしく自己申告で何の裏づけもないから問題なんじゃないか。
152129:03/06/24 17:47
>>151
>おいおまえら、そもそも高祖の黒子が赤龍の印だなんて
>あほなことを書にかいてあるから信じるというというのか?
>ちがうわよなー瑞兆だとかそんなん全部嘘だろ。
そんなヨタは、さすがに信じない。
書いた奴も、読んでる奴も。
153世界@名無史さん:03/06/24 18:54
なんか荒れ気味だね。で一つ。
>>131
平帝は即位前れっきとした中山王だ。元庶民は宣帝のことだね。

張良が韓の宰相の家って以外の、蕭何なんかの先祖が諸侯の末なんてのは、
後世の偽作じゃん。
蕭何たちも漢人も一言も言ってないハズ。
言ってるのは「自称」蕭何の子孫達。
例えば南朝斉・梁の蘭陵蕭氏は漢の蕭何と、同じく漢の蕭望之の子孫だと称していた、確か。
それで、更に遡るとどっかの諸侯だとか吹いていただけだよ。
姓譜はそういった事情の産物のハズ。真実は闇の中。

その頃の人間で怪しげな系譜を誇っていたのは司馬遷くらいだよ。
自分の何代も前の先祖は歴史家だった、なんて言ってる。姓からして武人系なのに。
154世界@名無史さん:03/06/24 19:02
大体、貴人の子孫が犬の屠殺人などやるわけないだろ。
155永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 20:11
>>153
陳渉世家で「王侯将相,いずくんぞ種あらんや」と書いて、
漢の元勲達が卑賤の出身であることを執拗な情熱をもって書いているのに、
自分だけは西周王朝に代々仕えた史官の家系で、秦の名将司馬錯の子孫だと、
ちゃっかり先祖自慢している司馬遷の人間臭さが好きです。
156世界@名無史さん:03/06/24 20:21
>>155
何百年も前の先祖自慢はするし、直系じゃない殷王司馬ゴウのことまで持ち出すし、
人間くさいどころか先祖厨ですな。
自分たちだけが立派な血筋を保存していると言わんばかり。

司馬遷の恐ろしさは、
五百年ごとに聖人が誕生するとの説を信奉し、
五百年前の聖人は孔子だと考え、
なおかつ自分が史記を書いたことを孔子が春秋を書いた事になぞらえている点にあります。
 孔子=聖人
 孔子=司馬遷
∴司馬遷=聖人
と自称した・・・。
157世界@名無史さん:03/06/24 21:06
漢の元勲達が卑賤の出身であることを執拗な情熱をもって書いている

子孫の武帝に宮刑に処された恨みだろう。
158世界@名無史さん:03/06/24 21:09
というか、司馬遷は項羽に同情的で、劉邦はピンチの時に
馬車から自分の子を蹴落としてまで助かろうとしたエピソードとか
和睦しておいて項羽の軍を背後から襲ったことまで書いているな。
一応、チョウリョウの献策だと司馬遷は書いているが・・・。
作戦の卑劣さ加減から考えるとどう考えても劉邦自身の発案としか
おもえねえ。
159世界@名無史さん:03/06/24 21:20
確かに項羽は皇帝でもないのに「本紀」扱いだしな。
160永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 21:25
>>158
いやあ、陳平が汚さ過ぎるから目立ちませんが、
張良も意外と姑息な作戦立ててますよ。
寝返らせて味方に付けた秦軍にいきなり奇襲を仕掛けたり、
項伯の友情をさんざん利用したり、かなりエグイことしています。
劉邦は余裕が無い時はとことん卑劣ですが、
余裕のある時は格好を付けたがるところがあるので、
おそらく張良の発案だと思います。
161世界@名無史さん:03/06/24 21:26
>>159
つーかもともと史記では本紀が皇帝のみとはなってないし。
162世界@名無史さん:03/06/24 21:30
やはり項羽は潔癖すぎたな。
手段選ばない劉邦軍団が相手では不世出の猛将もつぶされるか。
直に長江を渡って再起を賭けていればなぁ・・・
163世界@名無史さん:03/06/24 21:30
>>161
呂后本紀の事?でもその代わり恵帝が入ってないし・・。
スマソ 教えて
164永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 21:31
>>159
呂后も本紀扱いですよ。
165世界@名無史さん:03/06/24 21:34
>>160
蕭何も誠実な人柄だと後世に知られているが、そこにだまされて
韓信ですら、彼の家に単身で出向いた所を捕縛されて
煮殺されたな。
劉邦一派って
武帝が普及に努めた儒教と祖先たちの所業はまるで正反対なのが
笑える。

166世界@名無史さん:03/06/24 21:35
呂后は史記の扱いに関わらずもともと準皇帝だよ。
皇太后の命令は「詔」だからね。
皇太后は皇帝の詔をくつがえしたりできる。
167世界@名無史さん:03/06/24 21:37
>>166
初めて知った。
それで後世の西太后や朱元ショウの馬太后の影響力が
絶大だったわけか。
168159=163:03/06/24 21:40
私の頭が固すぎたみたいですね。
勝手に範囲を決めてしまうのは、私の悪い癖です。スマソ
呂后の治世に関しては司馬遷って好評価ですね。本人に対してはボロクソですけど・・。

ただ、あえて項羽を「本紀」に取り上げたのが、可愛らしくて・・・

スレ違いなのでsageます。
169音量:03/06/24 21:51
>>167
まあ、節を持った司隷校尉も「詔」出せたりするのだが。

皇太后が時として絶大な権力を有するのは、ただ「皇帝の母」だから尊重するというのでなく、
皇帝が幼い時や政務を執れない状態の時に法定代理人となるべき存在だからです。

史記本紀が良く引き合いに出されるけど、漢書も呂后を本紀に入れてるよ。
170世界@名無史さん:03/06/24 21:52
アレアレ
159はもう論破されたの?
良く分からんぞ?
つまんねーな!もっと粘着汁!!
171永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 21:53
>>162
ブレーンが決定的に不足してましたからね。
宰相項佗・大臣陳嬰・呂青・范増などが、項羽政権の首脳でしたが、
范増以外はどうもそれほど有能な人々では無かったようです。
項佗は項羽の一族、陳嬰は大軍を手土産に投降してきたおかげで厚遇された人物、
呂青は懐王政権の有力な将軍呂臣の父であるというだけで、
懐王政権の宰相となって、そのまま項羽政権に横滑りした人物でした。
こんなメンツでは勝てません。

ところで、一つ疑問があります。
黥布の反乱の際に劉邦の諮問を受け、完全に黥布の戦略を看破したことによって、
千戸の侯となった楚の元令尹(宰相)薛公は、項羽の楚の令尹だったと思われますが、
(韓信の楚の宰相なら、楚制の令尹では無く、漢制の相国か丞相と呼ばれるはずです。また、懐王の楚の令尹は呂青です)
これほど優れた戦略家が項羽の帷幄に居て、令尹という最高の地位にあったのに、
項羽は戦略的に遅れを取ってばかりいたのでしょうか?
172世界@名無史さん:03/06/24 22:11
横レスだが、范増が項羽の下を去るときに儒子と評したわけだからな。
使いこなせなかったのでしょう。
劉邦も天下統一後に項王は范増1人すら使いこなせなかったと
評していますし・・・。

大体、あの韓信ですら項羽の幕僚の末席にいたのに
見出していない罠。
もっとも、見つけたのは劉邦ではなく張良で、劉邦も当初重用せずに
韓信が逃げ出す寸前だったのは有名ですね。
173音量:03/06/24 22:15
>>171
項羽のブレーンが不足かどうかはなんともわからんよ。
劉邦サイドにしたって、首脳・ブレーンと呼べるようなヤツは限られていたと思いますでな。
あと楚の令尹薛公は漢では蕭何みたいなモンだというわけで、項羽の帷幄には居なかったと考えられます。
留守を守っていたのでは?

どうでもいいが項羽って兵家(形勢学派)に分類される兵書を残している事になっているのナ。
174世界@名無史さん:03/06/24 22:22
留守を守ったにしては、ホウエツや鯨布にゲリラ戦やられて補給すら
ままならなんだ項王軍の惨状。
175世界@名無史さん:03/06/24 22:27
まあ韓信がいなきゃ劉邦はつぶれていた罠。
まあ蕭何がいなきゃ補給も滞る罠。
それ以前に呂氏(親父)にもあえていない罠。
まあハンカイがいなければ鴻門の会で死んでいる罠。
まあ陳平と曹参がいなければ鬼謀が発揮されず、呂氏の天下に
なっている罠。

176音量:03/06/24 22:31
>>174
項羽の地盤と劉邦の地盤、ゲリラ戦や補給路遮断のしやすいのはどっちでしょう?

・・・と、結局「故郷に錦」で楚を選んだ猿の失策か。
177范増:03/06/24 22:34
儒子が・・・・・
178永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 22:42
>>173
>項羽のブレーンが不足かどうかはなんともわからんよ。
>劉邦サイドにしたって、首脳・ブレーンと呼べるようなヤツは限られていたと思いますでな。
実のところ、そうです。
劉邦軍のブレーンと言える人物はいずれも有能ですが、人数的にはさほど多くありません。
ブレーンとしての功績で侯に封じられたのは、蕭何・張良・陳平・レキ食其の4人だけでした。
(ただし、レキ食其は統一前に死亡しているので、代わりに子のレキ疥が封じられています)
項羽のブレーンが不足していたものがあったとしたら、それは能力でしょう。

>あと楚の令尹薛公は漢では蕭何みたいなモンだというわけで、項羽の帷幄には居なかったと考えられます。
>留守を守っていたのでは?
留守を守っていたのは、どうやら項佗のようです。
というのも、灌嬰が彭城を攻略した時に、項佗が捕虜になったという記録があるからです。
令尹薛公はどこに行っていたのでしょうか?
項羽を見限って、既に楚を去っていたのでしょうか?
それとも、垓下まで項羽に従い、楚の滅亡と共に野に下ったのでしょうか?
史書は沈黙して何も語りませんが、興味深いところではあります。

なお、捕虜になったということや、降伏していた可能性は低いと思われます。
令尹ほどの大物を捕虜にすれば、本紀か、その戦いの指揮を執った将軍の伝記に記載があったでしょう。
また、高祖功臣侯者年表には、投降した楚の将軍や大臣が封侯された記録があります。
令尹を務めた薛公ほどの大物が投降すれば、黥布の反乱以前に封侯されていたはずですが、そのような形跡もありません。
本当に謎が多い人物です。
179永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/24 22:59
>>176
>項羽の地盤と劉邦の地盤、ゲリラ戦や補給路遮断のしやすいのはどっちでしょう?
漢楚の戦いの主戦場は河南でした。
この地域は、劉邦の地盤の関中のすぐ近くでしたが、
項羽の地盤の西楚からはかなり離れていました。
補給線が長い分だけ、項羽の地盤の方が補給線が遮断される可能性が大きかったでしょう。
鉅鹿では、秦軍の補給線を遮断して、名将王離率いる秦の大軍を撃破した項羽ですから、
補給線の大切さについては、それなりに認識していたはずです。
実際、補給線を脅かす彭越を排除すべく、何度も軍を送っています。
そのうち二回は、項羽自身が指揮を執っていました。
180世界@名無史さん:03/06/26 01:00
劉邦と項羽のDVD
なかなかいいです。
主題歌もはまります。

http://www.chinasoft.co.jp/koten/koten3.html#dvd

181世界@名無史さん:03/06/26 01:05
やっぱすごいね
少なくとも何もできないダメ人間名はずは無い
182世界@名無史さん:03/06/26 01:21
>>175
まあ諸葛亮がいなきゃ劉備はつぶれていた罠。
183世界@名無史さん:03/06/26 01:39
演義ではね。
184永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 02:51
>>181
劉邦は、有能ですよ。
無能扱いされるのは、あまりに項羽が強すぎたのと、
有能すぎる部下を持ってしまったってだけの理由です。
185世界@名無史さん:03/06/26 03:30
朱元璋と劉邦が文字どおり裸一漢から天下をとったヤシ。
ヌルハチやフビライや李世民らですら、ある程度のバックや門閥が
あったが、乞食坊主とDQNがここまで出世するのは稀有の事。
まあ都合よく元末と秦末の社会的混乱がなければ台頭できないタイプの
2人ではあるが・・・。
どう考えても科挙及第する玉には見えんしなぁ。
もっとも劉邦の頃には無かったが。
186永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 03:59
>>185
劉邦は横着な性格でしたから、
平和な時代なら亭長止まりでマターリ暮らしてたでしょうが、
朱元璋は勤勉ですから、辺境の軍隊に入って、
兵士から叩き上げて将軍ぐらいにはなれるんじゃないですか?
187世界@名無史さん:03/06/26 05:02
高祖の生年が二説あるけど、どっちを正しいとすべきなん?
188世界@名無史さん:03/06/26 10:13
朱元璋と劉邦じゃ、その出自の差は大きいんじゃないか?
なんせ朱元璋は貧民の出身でしかも幼くして両親と兄を失い、
食うために托鉢僧になって物乞い同然の生活をしてたんだから。
そんな男が中国全土を掌握して皇帝になるなんてな。
189世界@名無史さん:03/06/26 11:45
時代背景が違う。
劉邦の前例があったから、
朱元璋が皇帝になれた。
190世界@名無史さん:03/06/26 12:11
皇帝になってから功臣を粛清するところは似ているが、
朱元璋はやりすぎて燕王=永楽帝が建文帝の帝位を簒奪を
阻止できなかった。
元勲らが健在なら燕王の野望を阻止できたかも。

191世界@名無史さん:03/06/26 13:30
>>186
西楚陣営の人物で大司馬だった、曹咎と周殷についても言及してほしい。
前者の方がまだ史料に名と事績はみえるけど、後者についてはほとんど事績
らしい事績がわからない。
英布が叛いて漢の陣営にはいって後、江南の楚領を統轄していたようだけど、
能力や人物なんかについて、何か手がかりでもと思うのではあるけど…。
192世界@名無史さん:03/06/26 13:38
>>185
項羽も科挙は無理だわ
陳友諒や張士誠にも及第できそうな気配が無い
というか元末の数少ない進士であった劉基が朱元璋についたってのがなあ
世の中ペテンが回らないと駄目ってことか

項羽は猿呼ばわりされるほど馬鹿じゃないと思うけど
193世界@名無史さん:03/06/26 15:04
漢楚の元勲や将軍や文官で科挙がこの時代にあったとしたら
誰が及第するかな。
194世界@名無史さん:03/06/26 16:09
この時代、もし科挙があったら、
誰も彼も科挙のために詰め込み勉強をするんじゃないかな。
その結果、項羽は項羽という名前であっても歴史上の項羽ではなくなる。
195音量:03/06/26 22:15
>>191
文帝の時代(後6年)に「周殷」なる人物が謀反の罪で処刑されているよ。
もちろん楚の大司馬周殷と同一人物かどうかわからないけれど。
旧楚系で今まで差別されていたので反乱を企んだ、なんて妄想も膨らむよね。
196世界@名無史さん:03/06/26 22:23
遅レスだが薛公って本名じゃないよね。
白公とか葉公とかそれこそ沛公とか同じで、薛の令の意。
ひょっとして別の名で史書に出てきている可能性はある。
197永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/26 23:47
>>190
永楽帝は、建文帝に粛清されそうだったから、
先手を打って挙兵しただけです。
別に、帝位をうかがっていあとわけではありません。

>>191
周殷については、漢軍の陳平が
「項羽の部下で有能なのは、范増・鍾離眛・竜且・周殷だけです」と評されていました。
どのような実績があったかは不明ですが、敵方にも名前が伝わるだけの才幹と功績を有していたようです。
高祖功臣侯者年表に、周殷が封侯された記録はありませんので、
おそらくは天下が平定されてから、論功行賞が定まるまでの期間に死亡したのでしょう。

>>193
秦の文官だった相国蕭何、長沙王呉芮、丞相張蒼、
教養人だったと思われる丞相陳平、太子少傅張良、
儒者だった太常叔孫通、広野君レキ食其、護軍中尉随何、太中大夫陸賈は、
科挙に合格する可能性があったと思われます。

>>196
薛公が本名ではないでしょうが、薛の県令という意味で考えると、
元の楚の令尹薛公という記述は、官名が二つ並んで不自然です。
むしろ、呂公(呂后の親父)、侯公(漢の平国君)などのように、
「薛さん」といった呼称と考えた方が、自然なような気がします。
198世界@名無史さん:03/06/27 01:56
>>127
「游」は、上手である、達者である、という意味だそうな。
少なくとも現代語では。
2200年前の意味は知らないけど。
199世界@名無史さん:03/06/27 22:03
泰和劉氏先コ錄序:「惟劉姓出自祁, 其後生子有文在手, 曰劉累, 因以為名, 事夏孔甲為御龍氏, 子孫在商更為豕韋氏, 又更為唐杜氏, 至周,
又更為杜氏, 杜氏生士?, 為士師, 因官命氏, 又更為士氏, 至晉, 士會入秦, 雖復歸于晉, 而子孫留秦者, 遂稽劉累之名, 別姓劉氏, 此得姓之所之始」。
名賢氏族言行類稿:「周大夫食采于劉, 亦為劉氏, 康公, 獻公, 其後也, 士會之後, 周末, 家于魏, 又徙豐沛, 至豐公生惴, 字執嘉, 生漢高祖」。
通志氏族略:「祁姓之劉, 以國為氏, 地在今定卅唐縣, 姬姓之劉, 以邑為氏, 地在今何南偃師;東郡, 河南, 雕陰三族, 俱出匈奴之族, 漢高祖以公主妻冒頓, 其俗, 貴者皆從母族為劉氏」。
漢書:「高祖賜婁敬, 項伯纏為劉氏」。望出彭城, 沛國, 弘農, 河間, 中山, 梁郡, 頓丘南陽, 東平, 高堂, 高密, 竟陵, 長沙, 河南。是劉姓姓源既繁, 而漢以後更混有匈奴等姓在內也。


200世界@名無史さん:03/06/27 23:37
ややスレ違いになるんですが、「香乱記」の韓信評がすごいですね。
「最後まで自立ということのできなかった男で、歴史家の冷眼をもってすれば
大した男でないことがよく分かる」
というのは……。
齊攻めの箇所で田横の敗北(直接敗ったのは灌嬰ですが)を矮小化するための
伏線なのでしょうけど、宮城谷氏の「才能は人格に直結する」という信念が、
こうも露骨に現れるとは……。
人格攻撃に類する過激な文章を書かない方だと思っていたので、かなりショック
でした。氏に漢楚大戦を書くのは無理だったのでしょうか……?

割り込みレスすいません。
201世界@名無史さん:03/06/28 01:12
宮城谷さんは好きですが解釈が独特ですよね。(そこも魅力ですが。。。)
あの方は35歳から史記を独学で勉強する程のがんばり屋さんですから、余計に人格等にこだわるかと。
(好みは違うけど司馬遷のような感じ)
「香乱記」は司馬遼太郎を意識しすぎだと思います。
個性が全然違うのだから、誰も比べないのに・・・

         チン           マチクタビレタ〜
        ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          ヽ ___\(\・∀・) < フォト・エッセー集まだぁ〜?
       チン   \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 温州みかん   |
202世界@名無史さん:03/06/28 02:01
宮城谷の小説は主人公の聖人君子ぶりが気に障るんで読まないことにしてる。
203世界@名無史さん:03/06/28 08:30
主人公の時は君子でも脇役になると悪になる。そんな馬鹿な。
204世界@名無史さん:03/06/28 10:32
なによりも史記自身がそのように書いてある。
項羽本紀では劉邦を悪役気味に書き、
高祖本紀では項羽は悪役である。
205世界@名無史さん:03/06/28 12:10
>>195>>197両氏
>>191ですが、御丁寧にすまない。
自分の知ってる程度と両氏の差がほとんどないようなので、やはり
大物であってもそれだけ、ってな感じの人物なんだとあらためて納得。
以前、『漢書』でも調べたけど、やはり何もわからなかったし…。
ともかく、ありがとう。
206永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/28 14:06
>>200
>「香乱記」の韓信評がすごいですね。
宮城谷さんの韓信評は人格に対する評価で、才能に対する評価ではないと思います。
韓信は史記の淮陰侯列伝では、赫々たる武勲とは裏腹に、
これもかと言わんばかりのDQNぶりを晒しています。
人間としては小者というのは、史記と共通する評価だと思います。

>氏に漢楚大戦を書くのは無理だったのでしょうか……?
完全無欠の人格者を書きたがる宮城谷さんには、
我欲にまみれた汚い人間だらけの漢楚の戦いは書きづらいのかもしれませんね。
207世界@名無史さん:03/06/28 21:13
史料が少ない時代じゃないと完全無欠の人格者なんていないからなぁ・・・
208世界@名無史さん:03/06/29 01:50
つーか宮城谷さんは資料の少ない点を妄想でおきない杉
209世界@名無史さん:03/06/29 03:14
でも、その妄想がどんだけ面白いかが小説家の力量だと思うけどなぁ。
つーか何書きたいかってテーマがあっての小説だし。
史料の翻訳(台詞付き)みたいなのはイラネって感じ。
それが良いって人も多いけど、翻訳ぐれえなら自分でやりますわ。

楚漢にしたって、項羽や劉邦の生き様を書きたいからってのは、もういいや。
こないだも項羽ってタイトルで見かけたけど「〜を解き明かす」みたいな小説もパス。
そんなん書きたきゃ論文かけよ。
書き手に面白いテーマや物語があって、そこに材料としての歴史がどう料理されるか
っての方がいい。
210永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/06/29 04:03
>>209
困ったことに、漢楚の戦いを書いた本で、史記より面白い本が無いんですよね。
後世の小説家は、2000年以上かかっても、司馬遷を越えられないようです。
211世界@名無史さん:03/06/29 09:58
時代が戦国時代とかけ離れているけど、介子推なんか
時代小説というよりは妄想劇場なんだよな。
介子推を出汁にしてああいう風にしてしまうってなんかちがう
なあ思った。
212世界@名無史さん:03/06/29 11:46
宮城谷って好きな人も多いけど嫌いな人もかなり多いんだとこのスレを見て思った。
213世界@名無史さん:03/06/29 12:03
>>212
一般書籍板では信者が布教につとめているが、安置な意見もちらほら・・


http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1011705913/

214世界@名無史さん:03/06/29 14:34

↑は多分↓の間違い

【宮城谷昌光ってどうっすか?】
http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1022516398/
215世界@名無史さん:03/06/30 13:18
>「最後まで自立ということのできなかった男で、歴史家の冷眼をもってすれば
大した男でないことがよく分かる」

・・・歴史家って誰?宮城谷は自分のことを歴史家だと思っているのか?
216世界@名無史さん:03/06/30 13:47
塩野七生も同種の人種だが、小説家は学者でもなんでもない。
そもそも学者は史料の乏しさを妄想でおぎなったりしない。
217世界@名無史さん:03/07/02 20:10
218500:03/07/02 21:43
>愛国心の必要性
国と言う公共機関を統治するに当たって必要だし、最低限必要なものだ。
学力教育でも情操教育でも当たり前。自分を否定させて教育されたものが、どのような人間になるかは安易に想像がつく。

>2chでのコヴァとサヨクの定義とは?
コヴァなる用語は、小林を心酔する厨房が他の板でサヨクと一緒に迷惑をかけだした事から始まる。
サヨクなる用語は、一般的に共産・社会(今の・民主、社民の前身)党が発する「(帝国)日本最悪」をスローガンとした社会主義者に近い思想の人間を指す。


>コヴァとサヨクの危険性
小林も人間である。小林の言う事をなんでも正しいとするのはどうか?>コヴァ
言うまでもなく論理的思考能力のないあなたたちは能無しです。>サヨク
219世界@名無史さん:03/07/02 21:43
>>218
誤爆すまん。
220よろずこ:03/07/02 22:14
>>216
その妄想が面白いから、本を買って読む。
221世界@名無史さん:03/07/02 23:21
おれはあんまり面白いと思わん
222永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/03 08:26
>>221
なんだかんだ言って、史記が一番面白いですよ…。
223世界@名無史さん:03/07/03 10:05
おれはあんまり面白いと思わん

というか史記、小説的杉
224世界@名無史さん:03/07/03 10:09
歴史小説も面白いが歴史漫画もいい
225世界@名無史さん:03/07/03 10:50
赤龍王かよ!
226世界@名無史さん:03/07/03 12:14
亀レスなんだが
>>155
>司馬遷の恐ろしさは、
>五百年ごとに聖人が誕生するとの説を信奉し、
>五百年前の聖人は孔子だと考え、
>なおかつ自分が史記を書いたことを孔子が春秋を書いた事になぞらえている点にあります。
> 孔子=聖人
> 孔子=司馬遷
>∴司馬遷=聖人
>と自称した・・・。

は否定してただろ。
自序で明らかに自ら否定していることを悪しざまにとるのは少しイヤラシすぎないか?
227山崎 渉:03/07/15 12:49

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
228世界@名無史さん:03/07/17 23:28
姓纂:「宋微子之後, 支孫封於蕭, 蕭叔大心子孫有功, 因邑命氏焉, 代居豐沛, 至不疑為楚春申君客」;漢相國蕭何即其後, 望出蘭陵, 廣陵。
左傳:「殷民六族, 一為蕭氏」;姓氏考略:「又伯翳之後孟虧, 作土于蕭, 是為蕭孟虧」。
229世界@名無史さん:03/07/19 02:47
戚夫人についてちょっと語って
230世界@名無史さん:03/07/19 02:52
宿題なら別スレに逝け
231世界@名無史さん:03/07/19 08:31
戚夫人は呂皇后に肢体を引きちぎられ、目をくりぬかれ、髪を剃られて
便所に落とされ 人間豚と言われたのは史実なんですか?
さらにその事実を景帝が知って寝込んで病気になって死んだというのは
事実なんでしょうか
232世界@名無史さん:03/07/19 10:42
課題をこなせない四大理由

 1 文献を読まない

 2 文献を調べない
 
 3 人を利用することしか考えない

 4 単なるヴァカ
233世界@名無史さん:03/07/19 14:44
>>231
史記に書いてあることを嘘だと思うならそれはそれまで。
234世界@名無史さん:03/07/19 14:48
史記に書いてある記述かどうかを確認したんではないか?

漫画とかで仕入れた知識で
235世界@名無史さん:03/07/19 14:56
漫画^^
236世界@名無史さん:03/07/19 14:59
例えば横山史記なんかでな
237怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/07/19 15:03
髪も剃ったっけ?忘れた。
人豚にしたのは事実。少なくとも史記・漢書に書いているよ。
ちなみに便所に入れたのは、当時は便所の汚物を貯める所に豚を入れて汚物を食わせて豚を育てていたから。
(ジョジョ3部インドで出ていたね)
それをママンに見せられたのは恵帝。景帝じゃないので念のため。
238世界@名無史さん:03/07/19 15:10
SARSの原因になるので人畜雑居はやめましょう
239世界@名無史さん:03/07/19 15:59
お気に入り集 ☆
http://pleasant.free-city.net/
240世界@名無史さん:03/07/20 18:52
>>231
刺客列伝読んだ上でそれを信じられたら、
君は電波を感じ取る能力があるということなんだろう。
241世界@名無史さん:03/07/20 19:41
そういえば、史記の刺客列伝ってほんとに面白いよなぁ。
242世界@名無史さん:03/07/22 11:20
小説としては面白いといえるのかもな。
どこまで信憑性があるのか大いに疑問だが。

個人的には、できれば太史公書とは別の書に書いて欲しかったよ。
243世界@名無史さん:03/07/27 23:35
劉邦はいろんな意味で偉大だな。つまり神だ。
244世界@名無史さん:03/07/27 23:43
戚夫人って後ろ盾誰もいなかったの?
高祖だけが頼りって事だったのか・・・
そりゃ人テイにされるわな。
245_:03/07/27 23:44
246世界@名無史さん:03/08/04 01:32
>>243
その通り。天命を受けた偉大な神なのだ。
247世界@名無史さん:03/08/10 16:56
人豚ごときたいしたことではない。
民衆が幸せならそれでいいではないか。
248世界@名無史さん:03/08/10 22:19
斉悼恵王肥と魯元公主ってどっちが先に生まれたの?
249世界@名無史さん:03/08/10 22:28
漢民族なんて大嘘。
三国時代が終わってすぐに野蛮人が来襲して中国人は絶滅した。
今いるのは野蛮人の子孫であるシナ人だ。
中華思想の人々なんて出鱈目。
これからはシナ人と呼ぶことにしよう(強制)
250永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/10 22:41
>>248
劉肥が、後の恵帝劉盈より年長であるのは確かなのですが、
漢書高帝紀によると、魯元は劉盈の姉らしいので、
二人とも劉盈より年上です。

しかし、劉邦が愛人の曹氏との間に劉肥を作ったのが、
呂氏と結婚してからかどうかは不明ですので、
劉肥と魯元のどちらが年上なのかもまた、不明です。
251m:03/08/10 22:42
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http://endou.kir.jp/marimo/link.html
252世界@名無史さん:03/08/30 20:43
警視庁総務部
253世界@名無史さん:03/08/31 23:41
史記・漢書って皇帝の名を載せてないんだっけ?
254世界@名無史さん:03/08/31 23:57
文帝はたしかのってたと思う。
255世界@名無史さん:03/09/05 02:16
そりゃ、代王時代の記述とかあるからな・・・
諱って荀悦の漢紀とかが頼りなんだっけ?

荀悦は何によってその諱を知ったのかが知りたい・・・
256怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/05 07:25
>>255
実際に諱を使うと犯罪だったから、
律令に載っているとか県で教えてくれるとか、
何らかの形でみんな知ることが出来た筈。
257世界@名無史さん:03/09/05 09:20
後漢の時代には邦とか徹とか秀とか名前につけるヤツいない訳か・・・
258怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/05 19:35
>>257
漢の宣帝は、
「最近俺の諱を書いちゃって罪になるヤツが多いらしいねぇ〜。
諱を変えてあげるよ」
って詔を出している。
最初の諱は「病已」。もっと早く気づけよ。
259世界@名無史さん:03/09/05 23:52
荀子が孫卿子と呼ばれるのは宣帝の諱のせいか?
260怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/06 00:03
>>259
そうだよ。
「孫子」じゃないのは既に有名な孫子が別に居たからかな。
261あやめ:03/10/11 17:15
>>29
>司馬遷は『仲尼弟子列伝』で子徒の名「邦」を「國」に書き換えてます。
>これが避諱でないのなら一体何なのでしょう?
「中国の大盗賊」という本で高島俊男さんが「漢の高祖にはまともな名なんぞなかった」という
説を書いてたためか、「邦」という名は漢末に捏造されたもののように思ってる人がいます。
しかし尊敬する高島先生の仰ることですけどそれは当ってないと考えています。少なくとも彼は
盧綰と学書した時か試みられて吏となった時か泗水の亭長になった時か、どんなに後だとしても
漢王になった時か皇帝になった時には立派な名を名乗ってたに相違ありません。だって彼の臣の
中でも犬殺しの樊カイ(口偏に會)も葬式のチャルメラ吹きの周勃もアパレルセールスの潅嬰も
車引きの婁敬も、皆さん一応は素敵なお名前を持ってらっしゃるじゃありませんか。それなのに
劉家の四男坊だけが偉くなってからも天子@名無しさんてことはないでしょう。
ただその証拠として「仲尼弟子列傳」を持ち出すのは必ずしも適切ではないでしょう。なぜなら
「仲尼弟子列傳」には「邦巽」という人も出てくるのに避諱していません。また仲弓に答えた
孔子の語の中の「邦に在りては怨無し」をそのまま引用しています。なお子徒の氏名を「史記」は
「鄭國」としていますが「孔子家語」では「薛邦」となっています。
その外にも「史記」中には10箇所以上も「邦」が頻出しています。
262あやめ:03/10/11 17:19
序でに「漢書」の方もチェックしてみるとやはり「邦」が十数か所で使われています。光武帝の
諱の「秀」だって何箇所か見かけます。個人の著述の中ではさほどナーバスに気を遣ってるって
ほどには思えません。もちろん上奏文のようなものでは慎重に避諱していたでしょう。朝廷での
発言などオフィシャルシチュエーションでも言葉を択んでいたはずです。その外では制度上での
官職とか公的施設の名称などは当然に用字に神経を使ってたと思われます。
漢初から「邦」という字を敬避していた証拠はあるのです。「太平御覧」に引かれた「齊職儀」に
「魏の襄王は公孫衍を以て相邦と爲す」とあります。また秦でも国政の総理の官名を「相邦」と
称していたことは「文物参考資料」などの考古文献に張儀・魏冉・呂不韋などの名を銘した銅戟が
数件も著録されています。いずれも書籍史料では「相國」と記載されていた人物です。
秦漢の易代によって従来の「相邦」の称号が「相國」に変更になったものと見るのが妥当でしょう。
そしてその事情としては高祖のために避諱したと推定するべきでしょう。
なお「漢石經」の残碑に刻された「論語」の「微子」篇の文句が「何必去父母之邦」とあるべき
文句が「父母之國」となっているそうで、漢末には確実に用字を慎んでいたことが判ります。
263怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/10/11 17:29
「漢の高祖にはまともな名なんぞなかった」説
には、学説的にけっこう微妙な問題があるっぽいですね。

要するに、
高祖にまともな名はなかった=下層民=農民→農民による革命!
という、生産段階やら何やらと絡んだお話です。
高祖にまともな名はなかったなら、この時の反乱は「農民反乱」と言う説を補強できます。
一方、高祖にはしっかり教養や財産があり、当然ちゃんとした諱を持っていたとすると、
高祖らが加わり成功させた反乱はむしろ中間層、
あるいはその上の貴族的存在が主導した事を裏付けます。

どちらに位置付けるかで中国史のとらえ方そのものが大きく変わるわけです。


うろおぼえで書いてしまった。
あ、私は「漢の高祖にはまともな名なんぞなかった」なんてバカ言うな、って思ってますよ。
264怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/10/11 17:31
あ、漢書宣帝紀によれば皇帝の諱を上奏文で使っちゃうと罪だったそうですから、
避諱はしっかりやってたと思います。
ただ、史記、漢書は上奏文とは違いますから。
265あやめ:03/10/11 17:33
訂補
数件も著録されています。>数件も著録されていて、「相邦義」とか「相邦冉」とか
「相邦呂不韋」とか表示されていることから伺われます。
266あやめ:03/10/11 17:53
>>47
>名は「憲」であったという説が有力になってきている。
これ出典おしえてください
267世界@名無史さん:03/10/11 19:15
>>263
資本主義の犬的にはそういう風に捏造した方が大衆統治に都合が良いの
だろうな。
人民の革命において下層階級が従来の貴族層=楚を打倒しえた事実は
重大である。
我々は米帝の悪辣なベトナム侵略が人民の軍隊によるテト攻勢によって
世論が決定づけられたように採集勝利を目指して戦ななければならないのだ

268めぐみ:03/10/11 19:20
269世界@名無史さん:03/10/16 17:05
age
270世界@名無史さん:03/10/16 17:18
ヤクザでも皇帝になりおおせることを示した人。
271世界@名無史さん:03/10/16 17:25
ヤクザの皇帝は他に朱全忠、朱元璋
272あやめ:03/10/17 11:43
王國維の「觀堂集林」を読んでたら「匈奴相邦印跋」という一文を見かけました。
安徽の黄氏の家に蔵されている「匈奴相邦」と刻した玉印についての考証です。
この印は形制・文字ともに先秦の古璽に類している。六國の執政は等しく「相邦」と
称していて、秦の呂不韋は戈に魏の建信侯は剣に「相邦」の銘文が遺されている。
今この印を見ると匈奴でもそうだったことが判る。匈奴にも「相國」があったのは
「史記」の「大将軍票騎列傳」に見える。そして「匈奴列傳」には左右賢王以下の
二十四長も各々属官を置いているとして、その細目を挙げた中に「相封」という
官名があるが、当時「封」と「邦」の両字は形声ともに近く「相封」=「相邦」と
推定される。といったことを説いています。
273世界@名無史さん:03/10/18 16:41
>>261
高祖は三男坊では?
274世界@名無史さん:03/10/18 18:01
っていうか、あやめはんのように一次資料にあたってからモノいえよ。
このはげちょろぴん。
275世界@名無史さん:03/10/19 00:18
伯・仲・季の間に誰かいたのか?
史書には名が無いようだが。
ま、いたとしたら叔だろうけどな。
276劉邦:03/10/19 00:19
「ウー、昨日の後家さんは激しかったのう・・・。」
277世界@名無史さん:03/10/19 11:11
季の下に交がいるんだよな
278怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/10/19 11:18
漢書楚元王伝を見る限り、伯、仲(喜)、季(邦)、游(交)の4人兄弟。
で、交は母が違うらしい。後妻の子でしょうか。
279世界@名無史さん:03/10/19 23:35
そういえば史記でも劉邦の父である太公についての記載は何箇所かあるのに、
母の劉オンについての記載は殆どないですね。早死にしたんでしょうか。
280怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/10/19 23:41
劉邦母は高祖5年に「昭霊夫人」と追尊(漢書高帝紀)されており、
この時点ですでに死んでいますね。
281世界@名無史さん:03/10/20 00:13
祈姓 之劉,即士會之後,周末家于魏,又徙豐,此 班固之說也,劉惴字執嘉,生四子,柏、仲、 季、交,季節漢高祖也,名邦
282世界@名無史さん:03/10/20 00:45
>280
あんな息子がいたら
寿命も縮むよなぁ。
283世界@名無史さん:03/10/24 23:40
>>282
確かに。心労で早死にしたのかな。
284世界@名無史さん:03/10/27 22:23
人ていに萌え。
俺もやってみたい。
285世界@名無史さん:03/11/08 09:40
age
286世界@名無史さん:03/11/08 15:03
>>284
通報しますた。
287尾崎豆:03/11/08 17:05
劉邦の奥さんすげぇ残酷だょね。。。
それに引き換え項羽の奥さん(虞美人)ゎ健気ww
288世界@名無史さん:03/11/08 17:21
   ,,,,_,,,,
  ( "Ж")
   (@  @)
   (@_ @
289世界@名無史さん:03/11/08 19:13
>>287
いくら何でも「奥さん」は不正確。
呂后は皇后、
虞美人は寵姫。
290世界@名無史さん:03/12/14 00:32
あやめ がこなくなったw
291世界@名無史さん:04/01/16 16:33
n
292世界@名無史さん:04/01/16 23:02
>劉邦の奥さんすげぇ残酷

身近な人達には残酷だけど、呂后は善政を敷いてたよな。
戦乱は収まり生産は拡大し、庶民の生活は目に見えて改善された。
税は多少高かったが、それは為政者の贅沢に使われるのではなく、
灌漑施設の整備など生産拡大・飢民救済等々に使われて庶民に還元されてるのが目に見えて
分かってたので非難の声も無かったな。

「俺の妾になれ」との匈奴の単于の挑発にも「私はおばあさんですから・・・」と返し、
無駄に戦争をおこしたりしなかった。

呂后が男だったら名君として名を成したのでは?
293世界@名無史さん:04/01/17 00:27
無駄な戦争じゃなくて、勝てない戦争だからやらなかったんだろ。
294世界@名無史さん:04/01/19 13:00
勝てない戦争をやる馬鹿もいるからねえ。
しかもなんの意味のない。淀君とか。
295世界@名無史さん:04/01/19 13:04
勝てない戦争は回避して外交で誤魔化すのが政治というものだわな。
296世界@名無史さん:04/01/19 16:27
>>249
ワロタ
297世界@名無史さん:04/01/28 13:18
「中国文物信息網」2004年1月9日(抄)
http://www.ccrnews.com.cn/displaynews.asp?id=4922

前漢の御史大夫張湯の墓および印が西安で発見され、『漢書』張湯伝の記載する多くの事項が証明された。

中国文物報報道: 去年5月、西安市文物保護考古所が、
西部大学城の建設にあたって、西安市長安区郭杜鎮の西北政法学
院の南の区域での考古発掘を行った。このとき学院の体育校舎の
基礎溝を整理する途中で、1本の斜めの墓道をもつ土洞の墓を
発見した。墓の中からは前漢中期の星雲紋鏡と武帝五銖が出土
している。もっとも貴重なものとしてふたつの印が挙げられ、
ひとつの印文には「張湯、張君信印」とあり、もうひとつの印文
には「張湯、臣湯」とある。印面は1.8センチメートルで、漢
人いうところの「一平方寸の印」である。この印が出土したこと
で、墓の主人が張湯であることが明らかになった。
298世界@名無史さん:04/01/28 13:18
 張湯は、前漢の武帝のときの人で、『漢書』にその伝記がある。
『漢書』張湯伝の記載によると、張湯は書吏からはじまって、
長安吏、茂陵尉、侍御史となり、のちには御史大夫に昇進して
位は三公に列した。文献の記録によると、前漢の御史大夫の張湯
は、杜陵の人で、前漢の杜陵県の管轄が現在の長安区を含んでい
ることから、今回の張湯の墓は前漢での杜陵県の範囲内にあるこ
ととなり、御史大夫の張湯の墓はつまり今回発見の墓と一致する
との見解をえた。同時に今回の墓の中で棺の痕跡
は一棺の埋葬であり、『漢書』張湯伝の中での「遺骸を牛車に載
せ、棺があるだけ、椁なしですませた」との記録と一致する。
墓中の副葬品は日常生活中の小物が多く、漢代の墓によくある陶
器やその他の貴重な器物は見られなかった。『漢書』張湯伝にあ
る「湯が死ぬと、その遺産は五百金にすぎなかった。それは全て
俸禄や賜物であり、ほかに余裕はなかった」、「どうして手厚く
葬れよう」という記録と一致する。上述のことを分析総合して、
この張湯の墓が前漢の御史大夫の張湯の墓だと断定することがで
きる。

張湯の墓の発見によって、『漢書』の記録の正確性を一定程度検証
できた。張湯は濡れ衣を着せられて、漢武帝の元鼎二年に自殺した。
だからその墓葬時代もおよそ元鼎二年ごろだ。正確な墓の年代の確
定には、副葬器物の組み合わせによって相対年代による漢墓の時代
区分を特定していかねばならない。とくに関中地区の漢墓の正確な
指準が提供されたので、深く研究していくことになろう。
(后暁栄、孫福喜)
299怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/01/28 23:19
「張湯、張君信印」かあ・・・
皇帝は「皇帝信璽」という璽を持っていたらしいけど、それと同じ形式だね。
300世界@名無史さん:04/02/03 02:04
オラ!!天下のUnited States of America様が300ゲットだ!!ひれ伏せ、クズ共!!

         /\ /\  /USA\/../
          / /\  \(´∀` )./
        ())ノ__ ○二○二⌒/../
       / /||(二ニ) (___/../ 几l
   γ ⌒ /|?V||彡Vミ/⌒_ノ二二ノl0
   l| (◎).|l |((||((゚ )/⌒/||三三三・) ||  (´⌒(´
__ ゝ__ノ     ̄(___) ̄  ゝ__ノ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(´⌒(´⌒;;
>>1ギリス 貴様らの喋る言葉は方言だって事覚えとけ!!
>>2本 お前の金は俺の金。俺の金は俺の金。わかるか!?
>>3ニカ ちっこいのに紛らわしいんだよクソが!!
>>4リア 蛮族の癖してユダヤ人様に逆らうんじゃねーよハゲ!!
>>5 いくら金払っても常任理事国にはさせねえからな!!
>>6シア 金も無いのにサミットにノコノコ来るなよ恥知らずが!!
>>7 無駄に殖えすぎなんだよ!!こっち来んな!!
>>8キスタン イスラム国家ってマジDQN国家ばっかだな!!
イラ>>9 大量破壊兵器は俺が埋めといてやる。早く石油よこせ!!
北朝>>1000 お前の所に一々行くの面倒くせえんだよ!!問題起こすなこのブタ!!
301世界@名無史さん:04/02/03 02:13
48 :世界@名無史さん :03/04/05 12:52
>>42
>>高祖の父親、大公も「名前も不明な賤しい人」みたいにいわれますが、実はあります。

>どこに?
教えません。自分で調べてね。不勉強すぎですよ。
漢文読めるんだったら、中華書局からでてる安い本を漁ればでてくるでしょう。本文じゃなくて注釈ね。


なんだコイツは? 何が「教えません」だ。 精神年齢低すぎ
じゃあ、わざわざカキコするんじゃねーよ
302世界@名無史さん:04/02/03 03:32
明の太祖と比べると、どっちが条件が悪かったんでしょう?
303世界@名無史さん:04/02/05 23:05
>>301

今1からみて思ったんだが、釣りかはったり(主観)の塊かと思われ。
304世界@名無史さん:04/02/11 04:41
“楚河漢界”正遭滅頂之災
http://www.chinacov.com/news/displaynews.asp?id=2407
305世界@名無史さん:04/02/11 14:03
>>302
喪前はどう思う。
306世界@名無史さん:04/02/11 14:56
なんだかんだ言って劉邦は文盲ではなかったし。
なんだかんだ言って劉邦は下級公務員だったわけだし。
劉邦、蒋荷、曹真が知り合いだったのも部署が違うとはいえ
役所の同僚だったからだし。

劉邦は言われているほど無頼者ではなかったと思うが。
307世界@名無史さん:04/02/11 16:04
でも生まれながらの家臣を持たずに天下を取ったのは、
世界史レベルでみても数えるほどかと。
308世界@名無史さん:04/02/11 20:48
でも劉邦は自前でベンチャー企業始めて中小企業の沛を乗っ取ったって感じだけど
朱元璋はカクさんの中小企業で出世して後釜に座るまでになったって点で微妙に違うからと
反論してみたりするテスツ
309世界@名無史さん:04/02/13 10:34
>>306
蕭何・曹参くらいまともに書いてくれ。
310世界@名無史さん:04/02/13 13:17
>>309
喪前多分釣られてる
311世界@名無史さん:04/03/19 23:16
312世界@名無史さん:04/04/21 23:17
313世界@名無史さん:04/05/21 23:17
こんな良スレあったのか…
314350:04/05/21 23:55
>>351
盛り立てる努力はしましょうや。
探せば世界史板だけでも関連スレあるんですなぁ。

劉邦について
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1049304180/
名前に関連する話題で盛り上がったかと思われたが、最近過疎状態。

なんで劉邦>朱元璋なのか?★
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1079201600/
劉邦、朱元璋、光武帝についての話題が中心。最近は『水鏡』話で脱線の感あり。


んで、>>348の三戦板にあるスレは無双話で盛り上がり。
同じく三戦板に、項羽スレ(非無双系)もあるので参考程度に。

項羽は本当に極悪人か?
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1082514435/

学問・文系の特色を生かしながら、あくまで「項羽と劉邦」の両者についての
ネタを振っていけば、他のスレとの差別化を計れるんでない?
315314:04/05/21 23:58
あわわ…誤爆スマソ…
316荘周は蝶です。:04/06/10 04:47
話はずれますが、ここで皇帝になって、
故郷で盛大な宴をした時に作った歌を紹介しよう。(劉さんが歌を作るのは凄く珍しいことです。)
大風吹いたぞ 雲吹っ飛んだ
おれの威勢は天下に響き いまはこうして故郷にあるぞ
猛士よ猛士 いずこにいるか
長くこの国 守ってくれよ
確かこんな歌だった。今でもこの歌は劉さんの故郷で歌われてるらしい。
あと劉邦の名のことだが、姓は劉で間違いないらしいが、名がいまいちハッキリしていないらしい、
それで名無しの劉さんでは惨めなので、後世の人が邦という名を付けたらしい。
違ってたり、かぶってたらごめんなさい。
317世界@名無史さん:04/06/13 00:00
>>316
釣れる?
318 ◆pkFA3D428. :04/06/25 01:33
トリップテスト
319世界@名無史さん:04/08/04 12:02
age
320世界@名無史さん:04/08/23 12:13
>>316
お前は不敬罪だ、ちょっと三老のとこまで来てもらおうかな
321世界@名無史さん:04/09/09 12:14
なんで劉邦>朱元璋なのか?★のスレなくなっちゃったのか
322世界@名無史さん:04/09/09 12:28
>>30
なんで曹魏の将軍が劉邦と知り合いなのか
323世界@名無史さん:04/09/09 15:52
こうう があらわれた!

こうう はいきなりこうげきしてきた!
こうう は おおきくさけんだ!
りゆうほ は すくんでうごけない!

かんしん の こうげき!
こうう に 32のダメージ!
ほうえつ の こうげき!
こうう に 28のダメージ!
こうう は こんらんした!

りゆうほ は にげだした! ズダダダダッ
324世界@名無史さん:04/09/09 15:56
こうう があらわれた!
こうう はまだこちらにきづいてない!

りゆうほ は にげだした! ズダダダダ
325世界@名無史さん
こうう が
りゆうほ は にげだした! ズダダダダ
あらわれた!

だろ。