1 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :
語りましょう。
熱く、燃えるほど。
2 :
世界@名無史さん:03/03/17 22:36
まあこのスレも某研に塗り潰される訳だが(苦笑
つーか戦史ネタ乱立いい加減ウザいんですけど。
どーせネタ続かねーんでしょ?
バリスタは召喚呪文の一つだからな
まあ隔離スレが一つできたと思えばいいんじゃない?
5 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/03/20 23:29
>>4 そうなの?
そんじゃ基本から。
カタパルト
いわゆる投石機。確認されているのはポリス成立後のギリシャ時代からである。
スプーンの形状をしたアームの柄の端を、垂直に二本の縄(麻・女性の髪の毛などから編まれている)で挟み込み両端をねじり、その後縄の両端をボディに固定する。
アームを手前に引き倒すことで縄をさらにねじり、その縄の復元力をもってアームを向こうに倒し、その勢いでスプーンにセットされた岩を投げつける。
この縄の復元力を使った投石機は、錘式の物に次いで威力があったという。
ボディに車輪がついているが、これは移動のためではなく、その応力を殺すための物であった。ヨーロッパにおける投石機は基本的に野戦で使われず、現地で必要に応じて建造する物だったので攻城戦が終わった後、すぐに解体されたようだ。
6 :
世界@名無史さん:03/03/20 23:36
>>5 補足
中国において歴史上初めて投石器が登場するのは2世紀の事で、官渡の戦いの折に曹操が造らせた「発石車」がそれである。
これ以前に、中国の文献に投石器が登場する事はない。
その後も時代を重ねる毎に改良が続けられ、元代の「襄陽砲」「回々砲」によって完成を見る。
以後の時代は、火砲の発達によって廃れて行く事になる。
紀元前8世紀には飛石などと呼ばれる投石機が実戦で使用されている
「左伝」や「漢書」にも投石機の存在は記述されている
春秋戦国期には様々な攻城兵器が考案され、その種類は多岐にわたり、
名称も混乱や混同が見られるが、投石機が春秋期に存在していたことは間違いない
古代中国の戦車や合成弓、鉄製武器等は古代メソポタミアを起源としている
アッシリアが完成させた攻城兵器体系だけが中国に伝播しなかったと考えるほうが
不自然だろう
古代中国において、個々の要塞は戦国期末期を境に小規模化し、
三国期に入って再び大規模化する傾向が認められる
この間に大規模攻城戦技術の重要性が低下したことにより、
投石機のような大型攻城兵器の需要も廃れている
これが、中国における投石機のデビュー戦が官渡だとする誤認の原因となったのだろう
ヨーロッパの中世初期にも同じような現象が認められており、
中世ヨーロッパが軍事技術の暗黒時代だったという誤った認識の一因となっている
9 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/03/24 00:41
>>8 正直、スマソカッタ。
悪かったよ、悪かった・・・。
では続き。
砲(パオ)
中国における投石機の総称。もしくは下に述べた機構の投石機を指す。
ヨーロッパにおける投石機が縄のねじれなどの復元力を使った物が主流だったのにたいして、こちらでは人力とテコを使っている。
下辺を伸ばした十字に組んだ棒を、横棒(つまり軸)を台座に掛け、縦棒の下辺(ようはアーム)の袋に弾を入れ、上辺に多数(45〜125)の麻紐をくくりつけ、その紐を兵士が一斉に下に引っ張ってアームを振り上げ、弾を放り投げる。
旋風砲
砲の亜種。台座が回転することで好きな角度に投石できるのが最大の特徴。
http://www.contest.edu.tw/87/endshow/1/66/defence-g01.html 上のサイトによると、アームが通常の砲と比べ、5/3にもなっている。その代わり弾の重さは1.5倍。
取り回しを考慮したものだろう。しかし射程が変わらないのがチョト疑問。
どうやら野戦で使われた物のようだ。(というより、野戦でなければ意味がないだろう)
宋の書物『武経総要』の他、『明史・熾天使書城』にも記述があり、それほど色物ではなかったようだ。
中国ではヨーロッパと違い、野戦でも積極的に大型兵器が用いられたようだ。
部隊の組織的戦闘力とは個々の戦闘員の戦闘力の総和ではなく、
状況に応じて適宜に戦闘力の集中を可能にするシステム及び集中された戦力を意味する
組織的戦闘力を喪失した戦闘員の集団は部隊ではなく単なる無秩序な群れであり烏合の衆に過ぎない
換言すれば、いかなる理由であれ部隊の組織的戦闘力が破壊されれば、
部隊は群集に、兵士は暴徒に、馬車はカボチャに、御者はネズミになり果てる
軍事技術のレベルにおいて、戦場において敵を撃破することの究極普遍の意義は
我の組織的戦闘力を発揮して敵の組織的戦闘力を破壊することであり、
戦術の狭義の意義は敵の組織的戦闘力の効率的な破壊の追求に他ならない
組織的戦闘力は、状況判断、方針策定、方針の具体化という部隊行動のサイクルが
無限にしかも部隊の各級において多層的同時並行的に反復されることによってはじめて機能する
このサイクルは多層化するに従い柔軟性を増し、結果として部隊の組織的戦闘力を向上させる
指揮官が隷下指揮官に一定の指揮権を分与するのはこのためだが、
分与される指揮権が量的にも質的にも度を超せば部隊行動の煩雑化を招いて
かえって戦力集中を難しくさせ、結果的に組織的戦闘力の阻害要因となる
いつの時代の軍隊も、部隊の編制にあたって柔軟性の追求と部隊行動の簡素化という
矛盾する要素をいかに両立させるべきかという正解のない難問への回答を迫られている
例えば古代ローマのレギオンは厳格な行動規定を定めて大隊以下の独立的な行動を
ほとんど許容せず、更に時系列的に下位のサイクルをも意図的に無視することによって、
シンプルで強力な戦力集中を成し遂げた
その一方でシンプルであるが故に柔軟性に欠け硬直した戦術教義はしばしば1個軍団が
文字通り全滅する大敗北の要因ともなった
兵士が互いに隊列を組むという行動は、極めて直截的であるが故に近代以前において
組織的戦闘力を効率的に発揮するための最もスタンダードなスタイルである
物理的に戦力を集中させるという単純明快な理由以前に、通信技術が発達していない時代において、
指揮官は指揮下の兵士を掌握するためには自らの眼球に頼らざるを得ず、
兵士を動かすためには自らの声帯に頼らざるを得ない
有史以来、この肉体的限界を突破するために狼煙や信号旗、楽器等を使った様々な挑戦がなされたが、
電信が登場するまでその試みが成功することはなかった
機関銃と電信が登場する第1次大戦以前において、隊列を組んだ重歩兵は戦術遂行の基盤として
戦場を支配し続けた
ミュケーナイや中国春秋期の戦車や西欧中世後期の装甲槍騎兵等は重歩兵の戦術的な地位と役割を
脅かしはしたが、完全に奪うには至らなかった
恐らく史上最初の兵科である軽歩兵は、重歩兵の有力なライバルとなる可能性を秘めていた
軽歩兵の名産地として知られる地域は大抵が山岳や森林などの錯雑地形で、
そのような重歩兵の戦力発揮を阻害する錯雑地形で軽歩兵はしばしば高い能力を証明した
隊列を組まない軽歩兵は重歩兵に比して戦闘展開のための時間と地積を必要とせず、
それ故に迅速な戦闘加入が可能であり、同時に地形による制約が重歩兵に比して極めて小さい
一方で、軽歩兵は戦闘正面における戦力の集中度と縦深性で重歩兵に致命的に劣っており、
しかも指揮統制が重歩兵に比して困難であることから兵士個人の軍事的能力に
大きく依存せざるを得ない
更に有能な軽歩兵を養成することは重歩兵ほど容易ではなかった
親が戦利品として持ち帰った首級に囲まれて幼少期を過ごしてきたガリア軽歩兵や
休日は一家の男手全員が村の軍事教練に出ることを日常としていたスイス槍兵、
母親が個人的な新兵教育係下士官だったクレタ投石兵のように、
戦場で通用する軽歩兵を安定的に供給するためには凄まじい困難がつきまとっていた
このため軽歩兵が重歩兵にとってかわることはほとんどなかった
軍隊の主力兵科が軽歩兵から重歩兵へ移行した事例は珍しくないが、その逆は皆無に近い
軽歩兵は戦場の外でこそその特性を最大限に活用できる特殊兵科であり、
戦場においては重歩兵のための支援兵科に甘んじなければならなかった
隊列が部隊の組織的戦闘力の根幹である以上、戦術指揮官の最大の関心は
いかに敵の隊列を崩すかに集中した
隊列を崩す最も現実的な手法は、白兵の衝撃力をもって敵の隊列の中に強引に踏み込み
列を維持できなくさせることだった
そうすれば敵は各個に孤立して組織的戦力を喪失し、あわよくば自壊に追い込むこともできた
カンネーのローマ軍、ザマのカルタゴ軍、ローゼベーゲのヘント軍、ダプリン・ムーアの
スコットランド軍、クレシーやポワチエのフランス軍などは、敵兵に直接殺傷されるよりも
隊列の自壊による圧死した兵のほうが多かった
弓や弩、銃等の火力(弓や弩は冷兵器であるため厳密には火力とは呼べないが、
めん℃くせーので便宜上火力という用語で総括)は打撃力に優れてはいたが衝撃力に欠け、
それ故に隊列を崩せるだけの能力に欠けていた
確かにイングランドの長弓は例外的な存在であり、圧倒的な火力集中に成功してはいたが
それでも敵の隊列を直接締め上げたのはイングランドの下馬騎兵と歩兵による隊列であり
長弓兵ではなかった
ベヴェルフーツヴェルドのフランドル市民軍、マキャヴェリの育て上げたフィレンツェ市民軍の如く、
無論、火力のみによって隊列が崩壊した事例が皆無だったわけではない
しかし、火力戦が恐竜的に発展した中世後期以降のヨーロッパにおいてさえ、
プロフェッショナルな封建軍や傭兵軍が火力のみによって隊列を崩した事例は皆無に近い
火力は強力な打撃力を備えてはいたが、衝撃力に欠けるという固有の性質故に
白兵にかわる戦術遂行の基盤とはなり得なかった
戦力集中の要諦は如何に火力を集中するかではなく如何に戦力を推進するかであり、
これは野戦においても攻城戦においてもかわらない
要塞であれ野戦陣地であれ、全ての築城構築物すなわち陣地に要求される最も基本的な任務は
敵の攻撃に対して地形を活用または加工してこれを阻止または撃退することであり、
その最も基本的な機能は敵の機動発揮の阻害と我の防御手段の提供にある
この点で言えば戦列を組めるほどに分厚い城壁も町の辻に積み上げられた障害物も全く同じであり、
要塞の如き永久築城と野戦陣地の如き応急築城の差はその陣地強度の違いに過ぎない
一般に主動の利を享受する攻撃はその戦力を望む場所と時間に集中することが可能であり、
反対に受動を強いられる防御は攻撃に対して戦力の集中度で圧倒的に劣る
このため、防者はその組織的戦闘力を保持し発揮するためには陣地に頼らざるを得ず
陣地防御のみならず機動防御や遅滞、後退においても事情はかわらなかった
攻城戦における城壁の存在は、要塞守備隊の最大の保護者であり同時に包囲軍の最大の障害となった
攻撃する兵士の前に城壁が文字通り壁となって立ちふさがり攻撃部隊の戦力推進を阻止してはじめて
防御部隊の組織的戦闘力を保持し発揮することが保証された
一方、攻撃側は城壁の地形障害を克服し突破口を開いてしまえば、そこに後続部隊を注ぎ込み、
守備隊の組織的な防御戦闘を瓦解させることができた
このため攻城戦における攻防両者の純粋に戦術的な関心は城壁は集中した
要塞の築城は常に城壁を基準に行われた
要塞設計担当官が最初に決定するのは城壁の細部位置と諸元であり、堀も塔も櫓も城壁のための
補助的付随的な施設に過ぎず、城壁の地形障害を最大限発揮できるように編成されていた
包囲軍は城壁に突破口を啓開するための手段を問わなかった
梯子を掛け、攻城槌で突き崩し、坑道を掘って基礎を破壊し、傾斜路を積み上げ、
高々度戦略偵察機を突き刺したりするのは全て城壁の地形障害を無力化するためである
18 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/10 00:01
バルタン閣下、ありがとうございます。
結局、大型兵器のイメージは攻城戦に固定されているみたいですね。
会戦で使われる兵器といえば、
スコルピウス(ローマが使った小型のバリスタ)
インドの象撃ち弩
近世の大砲
カラス(第二次ポエニ戦役の海戦で使われた渡し橋)
床弩(据え置きの弩)
これだけかな・・・。
シャリオットは微妙かな。
カラスみたいな奇天烈な兵器、もっとありませんかね?
もう少しひらがなを使ってかいてもらえると有り難いのですが>バルタン閣下
アフォなのでかんじよめないんですー。
20 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/10 01:51
>>18 スレ建て主として自分がまとめませう・・・。
>>11 軍隊の戦闘力=組織的戦闘力=必要なタイミングおよび場所への戦闘力の集中力≠一人一人の武力
∴戦術=敵の組織的戦闘力の破壊
>>12 部隊の行動のケテーイ方法について
組織と直接兵を指揮する将兵を縦に細かく分けると、的確に動けて(・∀・)イイ!
でもやり過ぎると、動きが鈍くなって(´・ω・`)イクナイ
こりはムズカシイ
ローマでは組織の組み立てでは前者、行動ケテーイでは後者。
シンプルで強いんだけどしばしば大敗北。
>>13 結局命令を伝えるのがムツカシクて、しかも大事だから隊列を組まなきゃいけない
>>14 重装歩兵について
一時大戦までは一番大事。シャリオットも騎馬武者もマダマダダネ
軽歩兵はイイんだけど養成がムズカシイ。
>>15 隊列崩せばあとは勝手に自滅してくれる。
んじゃ、隊列崩すんはどしたらいーの?
飛び道具じゃダメ5(´・ω・`)己しダメ
イングランド長弓兵だって最後は歩兵でシメ!
21 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/04/10 01:54
>>16 陣地ってのは、敵の足を止めるのと、こっちが攻撃を受けないことが大事。
Q.それならコンスタンティノープルの城壁も即席バリケードもおんなじものってこと?
A.そのとおり、両者の差はその程度だけです。
基本は防御側の方が有利なんだけど、攻撃側は好きな場所に戦力を集中させられるけど、防御側はまんべんなく兵を広げて置かなければいけないという罠。
>>17 攻城戦では、城壁が唯一絶対のキモ。
城壁越えなきゃ城は落ちない。城壁壊せばもう城は落ちる。
だから、攻城兵器ってのはみーんな城壁を壊すか無効化するためのもの。
これでいいですよね、バルタン閣下、YMIMさん。
あと、上の
>>18は
>>19の間違いでした。サイキンコンナミスバッカダ
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
アルキメデスの投石機ってのは車輪付の旋風砲なのかね。
25 :
世界@名無史さん:03/04/24 23:00
あのロクロで弾はじき飛ばすやつ?
26 :
世界@名無史さん:03/04/25 00:04
>>17 で、後は
只只一方的な虐殺
となるわけですね。
27 :
世界@名無史さん:03/04/25 23:27
バルタン氏に是非、
>中世ヨーロッパが軍事技術の暗黒時代だったという誤った認識
というのについて詳しく説明していただきたい。
少なくとも戦術については正に暗黒時代だったと思っていたもので。
理由は封建制度という社会体制ゆえに軍隊に一元的な統制や柔軟性が欠け、
高度な戦術を行使できなかったと思えるからなんですが。
今、バルタン氏の
>>11-17の文を読んで、
中世は歩兵が軽視されていたので強力な戦列も形成できなかったのでは?
という印象も受けた。
これについてはいかがなものなのでしょうか。
>>27 決戦戦略から消耗戦略への戦略姿勢の転換を「暗黒時代」とはとても思えないが
どのような社会制度でもそうだが、封建制も軍事的な長所と短所があり、
封建制が他の社会制度に比して軍事的に劣っているとは一概には結論できない
ヨーロッパにおいて封建制が軍事技術の退化を促す要因となったとはとても思えないし、
軍事技術の退化を示すような事例は存在しない
>>28 とりあえずレスありがとうございます。
できれば具体的に教えていただきたいのですが、
例えば封建制度の軍事的長所ってのはどんなことなんでしょうか?
封建制度では国王の貴族や騎士に対する影響力が低いので、
戦場においても、軍は国王乃至は総司令官の命令どうりには動かないと思うのですが。
ぶっちゃけ中世の戦争ってのは騎士が個人や小集団ごとに突撃を繰り返すだけで、
軍全体としての統制の取れた戦術は行使できなかった印象があるんですが、
それは間違ってるってことですよね?
>>30 ・・・・アホにものを教えてやるつもりは無いってことですか。
要するに中世ヨーロッパの軍隊は、
あなたの言う組織的戦闘力ってのが弱いように思えるってことで、
一応あなたが、ネタを振るといってはじめた話題にそっていたつもりなんで、
ちょっとは相手をしていただきたかったんですが・・・。
まあ、今はお忙しいんでしょう。
また暇になって気が向いたら付き合って下さい。
>>31 むう、スレ違いと思って簡潔明瞭に答えたつもりだったが不愉快な思いをさせてしまって申し訳ない
お詫びに自分の意見を長々と答える
まず、特に中世初期のヨーロッパでは現存する史料が前後の時代に比べて少なく、
しかも史料のほとんどは軍事に関心の低い聖職者の手によるものが多いため、
その点では暗黒時代と言えるが、軍事技術が退化劣化を意味してはいない
封建制は土地を媒介して軍事的な奉仕関係を結ぶ社会制度であり、
国王の軍事統帥権の影響力が低かったとする根拠は弱い
中世の軍隊は突撃ばかり行っていたわけではないし、更に言えば突撃も立派な戦術であることは
>>11-17に書いた通り
中世ヨーロッパの軍隊の中核をなしていたのは古代ローマや近世ヨーロッパと比べても
訓練装備に遜色ない兵士たちであり、従って統制の取れた戦術遂行が不可能だったとは考えにくい
訓練装備の未熟な農兵や民兵が存在しなかった訳ではないが、量的には少数派であり、
その任務も補助的なものでしかなかった
中世ヨーロッパの軍事技術は戦略の転換により変容したのであって劣化退化した訳ではない
>>32 早速のレスありがとうございます。
スレ違い、正にご指摘のとおりですね、すいませんでした。
でも、このスレタイに厳密に沿っていても話題が限定されるし、
少しくらいいいですよね?例の170さん、本来のネタが振られたら引っ込みますんで。
で、中世の騎士や貴族も日頃は国王に絶対服従でなくても、
戦場に出てきた以上その指示には従っていたということですね。
それから、歩兵については正に素人兵士であろうと思っていました。
農兵や民兵が少数派であったとすると、多数派はどのような人々だったんですか?
騎士に従う従士とかでしょうか?
あと、中世の軍について兵科ごとの部隊に分かれていないで、騎士と歩兵が一緒に突撃する
ようなイメージがあったんですが、(つまり、騎兵の機動力・衝撃力、歩兵の戦線維持能力等の
特性を充分に生かせていない)これは完全に誤りであるってことで良いですか?
やはり、中世も騎士は騎士だけで集まって騎馬隊を形成し、他も重歩兵隊、軽歩兵隊等を形づくって
いたのでしょうか。
重ね重ね厚かましく質問してしまって申し訳無いです。
本当に暇なときで結構なので教えていただければ幸いです。
あと、中世を軍事の暗黒時代と思ってしまうのには、
あまり有名な戦例がないという理由もあるように思います、
まあ、単に私が知らないだけなんでしょうが。
古代や近代の戦争を扱った書籍等なら書店などでも簡単に手に入るのに中世のそれは
中々見つからない。
またまた、厚かましいことで恐縮ですが、
中世の軍事についての何かよい本でもあれば紹介していただけないでしょうか?
ところで、
>>17の
>高々度戦略偵察機を突き刺したりする
ってのは、某漫画のネタですか?
あの、「諸君 私は戦争が大好きだ」の。
>バルタン閣下、27サソ
気にするなや、どうも過去ログ漁っても、攻城戦スレは伸びないのが鉄則らしい(藁
奇特な輩が出てくるまで思いっきりスレ違いしてくれ(涙
ウルバン萌え〜
>>33 >多数派はどのような人々だったんですか?
例えばフランク王国の軍隊は、主に国王の親衛隊と封臣軍で構成され、
臨時的に市民や農民からなる召集軍が編成されており、
封臣の従軍の有無は国王の陪臣に対する軍事統帥権に影響しなかった
召集軍はその構成階層で更に細分化されていたが、いずれも補助的な任務しか
与えられていない
これは訓練や装備が不十分だっただけでなく、収集した地域から遠く離れた場所に
長期間遠征させる訳にはいかなかったため、その軍事的価値は低かった
メロヴィング朝はこれら召集軍を戦力化しようと様々な施策を試みてはいるが、
成功していたとは言い難い
773年にランゴバルド攻略のために出陣したフランク軍の野戦軍は縦隊に配置された概ね3個梯団に編成され、
最後尾の梯団は段列を主力としている
また、これと別にスカラと呼ばれる戦略打撃を担う騎兵軍が存在している
フランクの装甲歩兵は主に楯壁と呼ばれる戦列を構成して戦うことを慣用としており、
中世においても兵科による任務区分が確立していたことは間違いない
>中世の軍事についての何かよい本でもあれば紹介していただけないでしょうか?
それはこっちが教えてもらいたいぐらいだ、マジで
取り敢えず「世界戦争史」(原書房)全巻は必読すべき
ただし相当昔に書かれた本なので現在では否定されてる部分もあるので注意
>>36 深夜にもかかわらずこんなすぐにレスしていただけていたとは、
感謝の極み。
とりあえず納得いたしました。
こちらがイメージしていた中世は、国王―貴族―騎士―領民という主従関係があり、
領民の忠誠の対象は国や国王ではなくあくまで直接の領主で、
同様に騎士も全員が国王に仕えている訳ではなく、
貴族に仕える騎士はあくまでその貴族の家臣であり、国王の命に直接従うことは無い。
そして、貴族は独立心が高く国王に服従しているわけではない、というものだったので、
その関係を戦場にも直接導入して、
騎士が自己の直接の家臣(歩兵)を率いて軍団の最小単位を形成し、その騎士が仕える貴族毎に
集まって部隊を形作り、その部隊が集まってひとつの軍になっていると考えていたわけです。
で、騎士は個人の名誉を重視して単独行動に走りがちで、貴族は国王の命に絶対服従ではないので、
結果として、各部隊が統一的な意思を持たず各個に突撃するだけと思っていました。
実際はそんなに単純なものではなかったわけですね。
他にもいろいろ、具体例等聞きたいんですが、さすがにおこがましいと思うんで、
自分でこつこつ調べてみます。
しかし、やはり少ないですか中世の戦争については。
「世界戦争史」(原書房)全巻ずいぶんボリュームがありそうですね。
近くの図書館にでもあれば良いが、なければ取り寄せか?高そうだな・・・。
>>35 例の170さんどうもすいませんです。
しかしまあ、そう言わずにご自身でネタを振られては如何でしょう?
居候の身としては出来るだけ力になれるよう努力しますんで。
もっとも、私程度では教えて君になってしまうのが関の山でしょうが・・・
38 :
世界@名無史さん:03/05/03 01:59
あの、投石機等の大型兵器ではないのですが
ヒッタイトが大暴れした時に鉄器と戦車が大活躍したと習ったのですが
鉄器と青銅では破壊力がそんなにも違うのでしょうか?青銅自体見たことがないので想像がつきません。。。
40 :
第20軍団兵:03/05/15 03:03
元首制期でも、ガリアでは軍団に供給するために青銅製の兜が生産されていたようですね。
防具を量産したいなら、青銅のほうが楽だったのかもしれません。(鉄製の兜のほうは、月産6個だったそうです)
もちろん、武具のほうは100%鉄製です。
42 :
世界@名無史さん:03/05/16 02:01
青銅の方が書こうしやすいんですね。極端なだけどアルミ缶とスチール缶のような感じかな??
鉄製兜は月産6個とは・・・。そうとう難しかったんですね。参考になりました。ありがとうございます
鉄は青銅に比べて安く入手しやすく加工しやすいのが特徴だと思ってました_| ̄|○
そういえば初期の大砲も青銅製で鉄製の大砲になるのは後になってからでしたね
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
45 :
世界@名無史さん:03/05/25 08:03
age
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
47 :
世界@名無史さん:03/06/02 23:10
age
48 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/02 23:27
さて、西洋に於いて初めて攻城兵器を導入したのはアッシリアでOK?
チャタル・ヒュユクのあの都市構造は、巨大兵器があったら無意味だろうし、攻城兵器の歴史はそれなりに
都市文明が発達してから、、、って今更語るようなことじゃない気がするが、
でも、アッシリアが初だとすると、結構その発明は難しいものがあったのかも。
49 :
世界@名無史さん:03/06/17 09:30
age
50 :
世界@名無史さん:03/06/27 09:35
age
はじめて会戦で投石器を使ったのはアレクサンドロス大王だった……みたいな話を
どっかで読んだ記憶があるんですが、どうなんでしょう。
52 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/06/27 22:46
>>51 ギリシアでも既に使われていたみたいなんですが、どちらの戦史にも、開戦で大型兵器については
あまり描かれていませんねぇ・・・。
ギリシアといえば、弩を発明したのも、彼らだったですよね。
53 :
世界@名無史さん:03/07/09 08:17
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
「飛び道具の弓」を将棋系のゲームに表現できたらと愚考しているものです。
さらに、弓、槍、騎馬を等価値な駒に表現できたらとも願っているのですが。
>>14-15 とても参考になりました。
やっぱり、とてもとても難しいようですね。
戦死の主な原因が飛礫や矢によるものと聞いてましたけど、
戦列が崩れることによる圧死のほうが多いんでしょうか。
57 :
世界@名無史さん:03/07/23 07:34
age
58 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/07/24 01:40
>>56 「援護射撃」の概念を取り入れてみたらどうでしょう。敵の弓兵駒の射界内で、敵の駒の前面に進んだ
駒は消されるとか。
あるいは軍人将棋のように駒に強弱があるルールなら、自分の弓兵の射界内で戦うと、強さがワンランク
アップするとか。
それにしても、中世ヨーロッパで、ギリシア・ローマ時代に使われたスコルピウスのような野戦用大型兵器
が廃れたのは何故なんでしょう。
たいていは「技術が後退したため」「そんな兵器を運用するには富・権力の集中が不十分」と説明されている
ようですが、中世ヨーロッパでは攻城戦が好まれ、攻城兵器もかなり発達していたそうですから、これでは
ちょっと納得できません。
>>58 機動力の高い騎兵や、速射性の高い弓兵には良い標的で、
運用コストのわりに戦術的優位性が低かったからではないでしょうか。
敵主力が歩兵の大集団なら役に立つでしょうが、
騎兵を中心とした軍制相手には余り効果的では無い気がします。
>59
確かバラ戦争でのバーネットの戦いで、騎兵が輜重隊を強襲したので、輜重隊の方は投石機で反撃を
試みたが、狙いがなかなか定まらなかった、という記述がありました。
なるほど、騎兵の普及に依るものという考えは頷けますな。ただ、バーネットでは霧が深かったそう
なので、この例ではそのせいかもしれませんが・・・。
弓に関しては、むしろ射程の伸長の方が重要かも知れないとか思ったり。
中国ではどうだったんでしょうかな。
61 :
世界@名無史さん:03/08/04 12:20
>>58 おそらく、攻城戦の兵器としては威力が不足していたからでは無いでしょうか?
築城技術の進歩もあり、バリスタ程度では限界が見えたのと同時に、
火薬も登場し始めたということでは?
>中世ヨーロッパでは攻城戦が好まれ、攻城兵器もかなり発達していたそうですから、これでは ちょっと納得できません。
攻城塔や衝車なんかが中心に使われたとか・・・。
攻城兵器つっても投石とバリスタだけじゃないし。
他のものが使われた可能性もあるのでは?
ここはそういったものも語っていいの?
>>61 いや、何故「野戦」で使われなくなったか、です。中国では野戦でも結構長く使われ続けたそうですが・・・。
>>62 1099のイェルサレム陥落の記述のように、確かにそうだったと思いますが、投石機も平行して使われ、
それのレベルも高かったと思います。
>ここはそういったものも語っていいの?
私が>1だからといって、許可したりする資格があるとは思いませんが、問題ないと思います。
64 :
世界@名無史さん:03/08/10 04:22
大砲の歴史は蒙古がアラブに伝え、アラブがヨーロッパに伝えたって事でOK?
投石器が使われなかったのは、狙えないからだと思う。
あとその破壊力のため城をぼろぼろにしなくてはならず
もしそのような城をとった後すぐに攻撃されたりしたら城の防御力は当然落ちます。
なので被害を最小限に食い止めたほうが良いですよね。
城の修復だって大変だし。
そこで狙った部分だけを破壊する破城槌
城に直接乗り込む攻城塔等が使われたのは不思議ではないのでは?
野戦つーか戦争全般ですが
戦争というのは早く終わらせるほど良いですよね?
長く続けると兵糧だって足りないし。
特にヨーロッパはアジアの米に比べて生産能力が悪いようなのでより早く決着をつけたいはず。
なので機動力の弱い大型兵器は連れて行けず。
(解体して運ぶ方法がありますが解体、組み立てに時間がかかり展開が遅いのでは?)
簡単に言えば火力の集中(ピンポイント射撃)と進軍速度に難があるから使われないってとこだと思いますが。
ヨーロッパとアジアの農産についてのソース(になるか?)
ttp://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/zadankai06.htm あとこれも理由か?
ttp://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/zadankai53.htm つーか憶測ありすぎ
>>65 「金属の筒に火薬と弾を詰め、火薬の爆発力で弾を飛ばす」という大砲・銃のルーツは、どうやら
ヨーロッパみたいです。明で大砲は『仏朗機炮』[フランキホウ…フランク(西欧)の炎]と呼ばれて
いました。
>>65 まず、「投石器=命中率マズー」という図式には、とても賛成できません。
構造上、その発射エネルギーも角度も一定なのですから、目標が動きさえしなければ極めて正確
に狙えたと思います。少なくとも、後の攻城戦で主力となった滑控式大砲より、遙かに正確で
あったことは疑いようがないでしょう。
それと、投石機って西欧ではそんなにマイナーだったのでしょうか。私のイメージでは、攻囲側は
投石機・攻城塔・衝車・鉤縄など、あらゆる攻城用兵器を駆使しているように思えるんですけど。
三段目についてですが、それならば、さらに時間のかかる攻城戦をもっと避けたような気もします。
>なので機動力の弱い大型兵器は連れて行けず。
この行を読んで思いついたのですが、もしかしたら街道が全然整備されてなかったから、かもしれません。
悪路で、組み立てられた状態の大型兵器を運ぶことはできず、そして遭遇戦であり、遭遇してから間を
おかずに戦闘開始になる野戦では、その場で組み立てたり木を切り出して作ったりする暇はない。
うん、なんかいいかも。
>>66 おお、軍板はチェックしてませんでした。しかしそっちでも200逝ってませんな。やはりマイナーネタ
なのね・・・。
69 :
世界@名無史さん:03/08/13 00:54
そういえばモンゴル軍もカフカス越えで泣く泣く投石器を
運ぶのを断念して置き去ったそうですな。
70 :
無料動画直リン:03/08/13 00:54
>>67 大砲の起源、イスラムだという本もあるんですが・・・
(「イスラム技術の歴史」)
1248年 ムワッヒド朝ナーシルによる北アフリカマフディーヤ攻城戦に使用
1248年 セビリアで使用されたとの記録
1260年 モンゴルのフラグハーンに対しマムルーク軍がガリラヤのジャールートで使用
1274年 アブ・ユスフによるマグリブのシジルマーサ攻城戦に使用
1303年 モンゴルのガーザーンに対しマムルーク軍がアッスッファールで使用
(図版によると対モンゴル戦に使用された砲はハンドグレネードのようです)
1324年 グレナダのスルタンがウェスカル包囲戦に使用
ナシル朝(1309−1340)に使用された攻城兵器に関する記述に大砲が現れる
1340−43年 スペインでの一連の攻城戦、野戦で大砲が使用され、1340年タリファの戦い
1342年アルヘシラス攻城戦でイスラム勢力により大砲が使用された。
(1346年 クレシーの戦いで西欧で始めて大砲が使用される)
1453年 オスマントルコのコンスタンチノープル攻囲戦で口径88センチ、弾丸重量27キロ
の大砲が使用され、ヴェネチア海軍の船を真っ二つにした。
などと書かれてます。
>71
>(「イスラム技術の歴史」)
OK、光の速さでGET。
>攻城兵器と鉄製の小さい弾(hasa)を発射する火薬兵器(khazna al-naft)を設置した。
こりゃほぼ確定ですね……。私の言説には、こんなにはっきりとした根拠はありません。
しかし矢を飛ばすタイプであるミルメートキャノンとは別系統っぽいですな。
ここから考えられる仮説は
1.イスラムとヨーロッパとで別個に発明される。が、その後ヨーロッパ独自の矢を飛ばすタイプは
打ち捨てられ、イスラムの形式である一般的な、球弾を飛ばすタイプの大砲に統一される。
2.1274以前にはイスラムでも当初は矢を飛ばすタイプが使われていた。それがヨーロッパに伝わり、
ミルメートキャノンになる。その後イスラムから球弾を飛ばすタイプが伝わり、それに統一される。
どっちでもあまり変わりませんね。
ミルメートキャノンが_bキャノンに見えた
バリスタはどーした?
76 :
世界@名無史さん:03/09/10 21:24
age
>>77 手元のマール社「武器」では、
カタパルト式投石機・・・・4.5〜22.6kg
錘式投石機・・・・・・・・・・136kg
となっています。
ミルメートキャノンについて調べたいのですが
アルファベットではどう表記しますか?
アホな質問ですいません。
>>79 [milemete cannon]でつ。
Walter de Milemete(Walter of Milemete)がエドワード3世に献上した
写本の中に記されていたそうです。
>>80 ありがとうございます。
早速ぐぐってみたら壷みたいな大砲で撃ってますね・・・
2chに書き込めたら投稿してやろうという…;
一応世界史板でマジネタなんだけどね。;
このスレ一応全部読んでみたけど、ここの住人は
「会戦事典」(新紀元社)は見てないのかな?
基本的には「武器と防具」(同社)の系列なんだろうけど、
装丁がちょっと違うから歴史物の方に陳列されてたりするかも。
・・・もっとも、自分も友人の所有物の巻末資料を見せてもらった
だけなんだけどね。
まあとりあえず、カタペルテス(カタパルト)とバリスタについての
記述を引用しておくよ。
カタペルテス ΚΑΤΑΠΕΛΤΗΣ
CATAPULTS[羅]
広義では「射出機」と訳される。太矢や石弾を何らかの方式で撃ち出す兵器。
主として攻城戦に用いられるが、フィリッポスII世は渡河退却する味方を
援護するために使用したという記録もある。
またアレクサンドロス大王は攻城戦にカタパルトを最初に用いたと言われる
(前332年のテュロス攻囲)。
ローマ軍が用いたカタパルトはひとつの腕木で石弾を投擲するもので、
『モナコン』または『オナゲル』(野生のロバ)と呼ばれた。これはスタッフ
スリング(棒投石器:スフェンドン)を機械化したものである。
特徴とメカニズムによってバリスタと区別されているが、単純にカタパルトは
曲線の弾道(間接兵器)、バリスタは直線の弾道(直接兵器)を持つ兵器と考える
のが妥当である。
矢弾を射出するカタペルテスの射程は目標が単体であれば90mで確実に命中
させることができ、目標が集団であれば180mまで有効射程を延ばすことが
できる。
最大射程は仰角45°にして弾道を放物線状にすれば約410mにも及ぶ。
石弾の重さにもよるが、およそ26kgの石弾なら135mの距離にある城壁を
破壊することができ、最大365mまで投擲することができた。
− − −
バリスタ BALLISTA[羅]
ギリシア語で「飛び道具で撃つ」という意味の"バッロ:ΒΑΛΛΩ"から
ラテン語に置き換えられて発生した用語。バリスタは直線弾道で投擲物を
投射する兵器である。
前397年、シュラクサイの僭主ディオニュシオスI世によってモテュエの
カルタゴ軍を攻撃する際に初めて使用されたとディオドロス・シケリオテスが
伝えている。
アレクサンドロス大王の父フィリッポスII世はたくさんのバリスタを保有し
野戦でも使用したという。
バリスタは矢を投擲するもののことで、石弾を発射するバリスタは
「トルシオン・カタプルトゥス(羅:TORSION CATAPULTS)/
リトボロス(ΛΙΘΟΒΟΛΟΣ)」と呼ばれる。
ローマ軍もまたバリスタを保有し軍団に固有のバリスタ部隊があり、それは
さながら砲兵隊のようでもあった。
今日、発掘調査によってさまざまな形式のバリスタが発見されている。
さらに連続投稿すまん、一言言わせておいてくれ。
┃城壁┃_・)ジー
┃城壁┃_・)<・・・あの時代に一番多用された攻城兵器?
┃城壁┃_-)<そんなの決まってんじゃん。
┃城壁┃o-)<…人間。(ボソ
┃城壁┃彡サッ
勉強になりました…頭ん中でいくつかの情報が混じってた模様
88 :
世界@名無史さん:03/10/07 07:30
age
89 :
世界@名無史さん:03/10/07 08:47
日本はなぜ攻城兵器が発達しなかったの?
そんなに壁がなかったんだろうか。
あとウルバンの巨砲の画像プリーズ
>89
一応『陸奥話記』によれば前九年の役では安倍一族の立て籠もる柵(砦)
に石が降り注いだというので投石器の類もあったようで、古辞書にも乗っ
ていますが。天守以前の山城や石垣の上にある城の場合、投石器で破壊す
る壁がないし、乗り込める攻城櫓もない。存在は知られていましたが。
91 :
世界@名無史さん:03/10/10 01:21
斜面や川が多いから現地へ運搬するだけでも一苦労なのでは?
92 :
世界@名無史さん:03/11/08 06:48
age
12月14日、NHKスペシャル 文明への道 で投石器出るぽ。
強力な軍事力で空前絶後の広大な版図を手中に収めたモンゴル。アレクサンドロス大王以来権力者達が追い求めてきた夢・ユーラシア統一帝国は、クビライのモンゴル帝国によっていかに完成されたのでしょうか。その世界観と統治システムを描きます。
【総合テレビ】 12月14日 日曜日 後9:00〜9:55
これに?
>>94 予告映像みたいなので出てたからたぶん出てくると思う。
96 :
世界@名無史さん:03/12/13 17:20
投石機は、石の他に,腐敗した動物の死骸,頭、油などをとばした。
バリスタでは盾越しに複数の兵を貫くのは無理だろうが
カタパルトでは盾等関係無く複数の兵を倒せるのかも知れないが
同じ重量のカタパルトとバリスタではどうなのかだろうし
軽量な物ではバリスタは盾を貫けるが
カタパルトは盾越しに敵を倒せないと言う可能性も
出得るのだろうか
まあバリスタも盾に当たらなければ複数の人間を貫く事は
可能なのかも知れないが
軽量なカタパルトでは城壁は崩せないだろうが
城の中に適当に火を付けた物等を打ち込んで
敵を威嚇する事等は可能かも知れぬが
軽量なバリスタも城内に適当に火を付けた物等を打ち込むだけで無く
城の銃眼等を狙撃する事は
可能だっただろうか
>同じ重量のカタパルトとバリスタではどうなのかだろうし
カタパルトの石は重量が重いしバリスタの矢に比べ
数が持てない可能性も有るだろうが
コストは石の方が安いだろうか
同じ重量のカタパルトとバリスタでは
矢張りバリスタの方が射程は上なのだろうか
命中精度が悪そう(推測)だらか、攻城兵器以外の使い道はないような気がしますが。
>>100 始めて攻城戦に投石機を使ったのはアレクサンドロス、って説をよく見かけるけど、
それを素直に受け取れば、投石機は初め野戦用の武器だったってことになる。
ただ、すでにアッシリアが攻城兵器として投石機を発明していたから、これは明らか
に間違い。
しかし旋風砲の機構は、どーも野戦用の兵器に見える。野戦用でなくても城門破壊
のためではなく、敵兵殺傷が主な役割だったことは確かだろう。
ま、どーせ野戦で使うならバリスタ系を使うだろうけど。
NHKスペシャル。
大型の固定式(車輪ついてない)投石器の飛距離約600mだそうだ。
かなり飛ぶんだね。
>102
つーか実験で使われた石弾小さ杉。
「敵兵を殺すため」ならあの大きさでいいんだろうけど、実際にはあれくらいの石弾を20〜30ほど
まとめて投げるし、城門や城壁を崩すときはもっと重いのを使ってたから、実際に運用されたときの
飛距離はもっと短かったはず。
ちなみに、20世紀初頭にラルフ・ペイン・ギャルウェイ卿が実験したときは136kgの弾で300ヤード
(274M)だったと。
バリスタに矢の変わりに石発射したらどうなるだろうか?
パチンコ?
>>104 どーなるもなにも普通にやってますがな。
破壊力やコストパフォーマンスでは普通の投石機に敵わないから、狙いの定めやすさを
生かして城壁越しに敵兵を狙ったり、大型艦に乗せて敵艦を撃ったりしたようだ。
106 :
世界@名無史さん:04/01/09 20:48
107 :
世界@名無史さん :04/01/11 19:42
2月号のラピタに「カタパルト」のキットが紹介されてたぞ。
トレバシェットとマンガネルだったな。
価格がボってたが。
人柱募集中。
それ作ったら、庭でピアノや車を飛ばせますか?
・・・そうだな、猫型ロボットに四次元アイテムを出してもらえばでき(ry
大きさは大したことはないらしい。基本的に「キット」だしな。
むしろ各パーツを設計図として、正確に拡大できれば・・・
・・・できるかもな。
こないだ読んだんだが、WW2末期の日本軍で、北海道の守備隊が古代ローマのを参考にカタパルトを作ってた実例がある。
自動車のスプリング流用で、たしか5kgの爆薬を40m飛ばせたとか。
考案者は大山柏予備役少佐。大山巌元帥の子息で史前学者の貴族院議員、戦後「戊辰役戦史」を書いた。
あと数ヶ月で予備役から離れるって所で、十五年ぶりに召集されたって・・・ひでぇ話だ。
5kgを40mて意味あるんだろうか。
WW2末期の、日本軍でつよ?
爆雷抱えて体当たりよりは遥かにマシと思われ。
113 :
世界@名無史さん:04/01/27 00:24
スケールがだいぶ落ちるが・・・竿付き大型スリング「ふりずんばい」などはどうだろう?
日本以外でも使われたのだろうか。
槍の柄にスリング付けて城壁の兵を狙うつーのが
ギリシャかどっかで使われてたはず
115 :
世界@名無史さん:04/01/29 06:47
投石機を野戦で使うとしたらどんな感じかね。ギリシャ・ローマのファランクスにぶち込んでやったらさぞ爽快(壮絶)な威力を発揮してくれそうだが。
城壁は無論だけど、塹壕や冊などの、いわいる陣にぶち込んだら相当に効果的な気がする。
投石でファランクスをなぎ倒し、油壺投げて丸焼き!
メチャクチャ強力そうだけど実際可能なのかねえ。
海外の愛好家にでも聞いてみないとわからんかな。
117 :
世界@名無史さん:04/01/30 23:08
投石機は海戦には使われなかったの? 利きそうだが。
>>113 アッシリア時代から使われてたはずだ。
もしかしたらアッシリアが使ったという”投石機”とは、城門や城壁を打ち破るカタパルトの
類ではなく、これのことだったのかしらん。
>>115 1471年バラ戦争はバーネットの戦いで、強襲を受けた輸送隊の投石機が反撃している。
結果は濃霧のためろくすっぽ当たらず('A`)
>>117 甲板にスペースがある帆船が、弓・弩と併用して運用してたそうだが、具体的な運用の事例
となると思いつかねぇ(´・ω・`)
119 :
世界@名無史さん:04/01/31 04:33
>>118 霧が出てたんじゃ戦例としては些か……。
まぁある程度分散し、機動する敵軍には殆ど効果がないだろう事は想像できるけどね。
投石機、野戦は野戦でも長篠の戦いみたくガチガチに陣地を固めた所にガツガツ石弾を打ち込んで、冊をずたずたにした所で突撃……みたいな運用をするのが効果的だったかも。
投石機の効果的な運用方はあくまでも陣地や城壁等で防御を固める敵を事前に叩き、味方の突撃を支援するというのだと思う。
とはいえ戦例知らないのでなんとも言えない。教えてエロイ人〜w
”他のより大型の攻城器具もまた動きの無い敵に対して野戦で使用された。それは
1304年のモン・サン・ペヴェールの戦いでフランス軍が不動のフランドル人歩兵に
しかけた例でもうかがえる。”
新紀元社 オスプレイ・メン・アット・アームズ・シリーズ
「中世フランスの軍隊 1000-1300 軍事大国の源流」
さぁーて詳しい資料が出てこねぇ(´・ω・`)
野戦で攻城兵器を使うってのは、なりゆきでそうなったのか、
使う側がわざわざ野戦用にもってったのか、
どっちの場合が多かったんだろ。
>>121 成りゆきっていうのもあるが、それだけじゃないんじゃない?
騎馬の突進を防ぐ為に冊やバリケードを作ったり、矢を避ける為に土嚢を積んだり板や竹で壁を作ったり、その他も色々……。
野戦といっても全く何もない原っぱでぶつかるようなケースは稀で、大抵何らかの陣地や塹壕を作ってるもんじゃね?
そいつを投石機やバリスタで粉砕しておいて、そこへ騎兵なり槍兵なりを突っ込ませる戦法はそこそこ使える気がするが。
陣地は広い意味での城と捕らえる事もできるし。
123 :
世界@名無史さん:04/02/02 00:30
日本では大砲は安土時代〜江戸時代の初期にちょこちょこっと使われただけで、結局普及する事無く平和な時代が到来してしまったよね。
それとほぼ同じ時期に盛んに作られた石垣の城だって、まともに使用されたのは大阪冬の陣だけっしょ?
西南戦争の熊本城みたいな戦例を見るに、石垣の城は非常に防御が堅いから、戦国時代がもう少し長引いてたら日本でも大砲が発達したりしたのかねぇ。
幕末までに日本で大砲が使用された例といえば
門司合戦→大友軍の依頼を受けたポルトガル船が毛利軍に砲撃
木津川沖海戦→大安宅船が三門の大砲を搭載
(ソースがよく分かりませんが。『信長公記』では「大鉄砲」。)
関ヶ原の合戦→小西行長軍が使用
大坂冬の陣→徳川軍が大坂城を砲撃
島原の乱→幕府の依頼を受けたオランダ船が原城を砲撃
ぐらいでしょうかね。近世には各大名家がそれなりに揃えていたようですが。
大友宋麟の国崩しも普及しなかったな。
>『信長公記』では「大鉄砲」
なんか抱大筒っぽ。
126 :
世界@名無史さん:04/02/02 01:13
日本で大砲があまり普及しなかったのは、普及する前に幕藩体制が出来上がってしまって戦闘技術が停滞したせいじゃね?
猛烈な勢いで普及した鉄砲だって、戦国時代が終わってしまえば幕末迄殆ど進歩しなかったわけだし。
もし南蛮諸国との接触があと五十年早かったら、大砲もそれなりに普及し活躍してたかも。
127 :
世界@名無史さん:04/02/04 12:43
アッシリアには大型の攻城兵器としての投石機や弩砲はないです。
攻城兵器としてあるのは破城槌のついた攻城車のようなもの。
投石の手段は投石紐などで行うだけです。
どっちやねん。
アッシリアはあるのかないのかー
どっちもソースとかださねえし、わかんねえ。
おそらくは漏れの間違い、アッシリアには投石機は無かったハズ。
アッシリアの絵画等でもあらかた投石機は手持ちになっていたので、どうやら
>>113のような
投石杖が”投石機”と表記されてたので混同してしまったんだと思ふ。
今手元に資料がないので詳しくは言えないが、投石機の類が発明されたのは紀元前4世紀
初頭あたりのシラクサで、僭主ディオニュシオスが新しい攻城兵器としてバリスタを発明させ
たという。追って同世紀中に一本腕のオナガー・カタパルト類が発明された模様。
もっともこの説にも異論がないわけではないようだが、それはまた今度。
投石機って、そうなると西方→東方ではなさそう?
シナで独自で作成されたってのもありえそ?
春秋戦国期からあったんじゃろ?
>>130 支那の投石機は人力でスプーンの反対側を下に引っ張って飛ばすという、発案も機構も
全く別の物のようです。東西のが似てるのは収斂進化というやつでしょう。
なお、この支那式投石機は7世紀頃にマジャール人らトルコ系遊牧民によってハンガリー
や中東にもたらされました。十字軍以前の中東の投石機はどうやらなべてこれだったようで。
一本腕の投石機カタパルト類についてだが、スマソ、BCとADをおもいっ糞間違えていた。
一本腕の「オナガー」が資料に出てくるのは、AD4世紀からです。無論発明はそれ以前だっただろうが。
日本で投石機つかってた記述はあるんですか?
実在していたのは確かみたいですが、
山野野衾さん、貴下にお聞きしたい事があります。
日本における「長弩」について探しているのですが、
何かご存知ないでしょうか。
私は「陣地据え置き型」としか情報がありませんで。
…詳しいソースについてはまた後ほど。
よろしければレスお願いします。
なお、レスについては当方不定期になると思います。
山野野衾さんがいらっしゃらないのか、それとも目に留まらないのか
わかりませんが、保守も兼ねてあげておきます。
それから
>>134のソースですが、新紀元社「武器と防具 日本編」です。
>>133 「青天の霹靂」って言葉があるだろう。あれは投石器の弾丸の事だそうだ。
応仁の乱あたりの市街戦で、人力で発射する中国式を使ってたらしい。おもりを使うトレプシェットは無かったみたいだ。
137 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/06 23:39
>>134 気付くのが遅れて申し訳ない。
『続日本紀』巻二十四の天平宝字六年四月二十二日条、というから淳仁天皇
の時代ですが「始めて大宰に弩師を置く。」とあります。
これ以上の情報はありませんが、おそらく設置式の大袈裟なものでしょう。
投石器については確か『陸奥話記』で柵(とりで)の攻撃に使われており、古代に
は大宰府や陸奥・出羽に置かれていた筈です。「おおゆみ」とか「いしはじき」
と呼ばれたもの。
138 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/06 23:46
『陸奥話記』にありましたよ。
自十六日卯時、攻戦。終日通夜積弩乱発、矢石如雨。城中固守、不被抜之。
官軍死者、数百人。
その前に「遠者発弩射之、近者投石打之」とありますが、これは防御側の
視点ですので先にご紹介したものは投石器によるものではないかと。
139 :
世界@名無史さん:04/03/07 17:28
誰か、大砲が導入された当初の野戦陣地の構築方法を知りませんか?
ローマ時代や日本なら分かるのですが、西洋でも柵を作ったのでしょうか?
(堀などは分かるのですが、いまいち良く分からないです)
140 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/12 23:34
「弩」のことですが、初見は先にご紹介した『続日本紀』の例で間違いないようです。
ただ有名な三善清行の『意見十二箇条』には陸奥・出羽に九州、それに北陸・山陰・南海
といった「縁辺の諸国」に置かれた「弩」の事が記されています。
ただこれは神功皇后の「奇巧妙思」が生み出したもので、「大唐」のものよりも勝れてい
ると書かれています。
>>136 「青天の霹靂」が投石器の砲弾ということはありません。霹靂というのは
「はたたがみ」などと訓して、要するにカミナリのことです。
「霹靂砲」というものはあります。金が宋の汴京を攻撃した際に守備側の
李綱が使用したことが「續資治通鑑長編拾補」の靖康元年二月の条に出て
います。その実態は厚紙のパイプの上端に硫黄と石灰を詰め下端に火薬を
装填したもので、着火すると飛んでいき敵陣に達する頃合で硫黄に燃え付き
有毒な石灰が飛散するという代物のようですが、詳細が今一解かりかねます。
その後も虞允文が金の海陵王を破った采石磯の役でも使われているようです。
「霹靂」というくらいですから大音響が伴うのでしょう。
144 :
世界@名無史さん:04/03/15 02:37
これは古代のカタパルトじゃなく火薬以前のヨーロッパで使われた
釣り合いてこ式投石器では? NHKの文明の道最終回だとモンゴルの回回砲も
このタイプの投石機という話だった
本邦における「弩」の起源だが、山野野衾氏の挙げたのより少し早い例があると思う。
例えば、日本書紀第二十九天武(下)の、十四年十一月の記述に
「丙午、詔四方國曰、大角小角、鼓吹幡旗、及弩抛之類、不應存私家、威収干群家」
(丙午に、四方の國に詔して曰はく、大角・小角・鼓・吹・幡旗、及び弩(おおゆみ)
抛(いしはじき)の類は、私の家に存くべからずことごとくに群家に収めよ)とあり、
岩波(旧)古典文学大系の頭注は、「弩」を機械仕掛けの大弓、「抛」は石を弾いて
敵を撃つ機械、とし、後の養老軍防令の規定には、一隊ごとに強壮の者二人を選んで
弩手とする規定があったこと、ここで私有が禁じられた兵器は地方豪族が所有していた
部隊装備の兵器であり個人装備用兵器の所有の禁止ではないことを指摘している。
即ちこの時点ではかなり普及していた兵器だったのだろう事が推測されるわけで、
朝廷としてはこれらの私有重兵器の収公により軍団制の実施を準備したのだろう、
というのが旧古典大系版の頭注者の見解のようだ。
実戦の使用例についても、これよりさらに以前、第二十八天武(上)の元年七月に
天武が近江方を討った際、大友皇子が瀬田橋の西に極めて大がかりな陣を形成し、
その攻撃は「列弩亂發、矢下如雨」だったと形容されている。ただこの辺は
岩波旧版の頭注が指摘する所によれば後漢書光武帝紀にある記述と同一だそうで、
その点ちょっと引っかかるものがあるわけだが(笑)。
なお、この兵器の日本への導入の起源、ということに関しては、これより遙か以前、
日本書紀第二十二推古の二十六年八月の記述に、高麗が貢ぎ物を持ってきて、
その際に彼らが、隋の煬帝が高麗を攻めたがかえって我が為に破られたことを述べ、
「故貢獻俘虜貞公普通二人、及鼓吹弩抛石之類十物、并土物駱駝一匹」
(故、俘虜貞公・普通、二人、及び鼓吹(つづみふえ)弩・抛石の類十物
(とくさ)あわせて土物(くにつもの)駱駝一匹を貢獻(たてまつ)る)
としているのがそれらしい。恐らくこの時期から徐々に国産化・実用化が進んで
いったのだろうと思われる。
トレビシュットというやつです。ねじり紐式カタパルトが直接射撃で弾を水平に
発射したのに対して、こちらは放物線で放り投げ頭上から落としました。
今で言う臼砲です。
逆にさ、弩の戦場の記録で一番最後のってどれかわかります?
日本で
>>146 公式な採用・配備では最古の例ということで。
>148
調べてみますが、『陸奥話記』の時代あたりではないかと。
前に野戦での投石器のことが出てますが、
攻城戦において、防御側が城内から攻城側に対してカタパルト(バリスタではなく)を使ったりしたことはあったのでしょうか?
城壁に当たってしまうでしょうか?
sageてしまいました
山野野衾さん、ご回答ありがとうございます。
冷静に読み返してみればこちらこそ急かすようなレス、申し訳ありません
でした。
…やはり長弩については詳細ははっきりしないようですね…。
弩(短弩)自体が辺境の守りのために使用されたものという事なら、
大げさであろう長弩が未詳なのも無理はないのかも知れませんね…。
また、日本の戦術に沿っていなかった可能性も捨てきれませんね。
今度、提示して頂いた資料を当たってみようかと思います。
ありがとうございました。
>>148 国友一貫斎(1778〜1840)が鋼鉄の弩を開発している。
>>山野野衾さん、例の170さん
レスありがとうございます。
「陸奥話紀」ですか。やっぱり平安時代あたりが限界
になってしまうのでしょうかね。
国友一貫斎が鋼鉄の弩ですか!?
しかし、また何でそんなものを・・鉄砲の時代はすでに当来しているのにねえ。
幕末だからか?
155 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/01 22:35
>148
我が国の「投石器」についていくらか判明致しましたので、急遽ご報告致します。
和名「以之波之岐」というのが10世紀に源順によりまとめられた辞書『倭名類聚
抄』に出ており、「建大木置石其上、発機以投敵也」と解説されています。
「弩」と表記してイシユミと読ませた例もあり、これらはかなり後の時代まで使用
されていたようです。
長門本『平家物語』、『源平盛衰記』から始まり、『吾妻鏡』に『増鏡』と来て一番後に来
るのが『渡邊幸庵対話』。これによると島原の乱で一揆勢が防戦に使用したらしい。
武田信玄も攻める側に立って悩まされたようですが、試しに『相州兵乱記』から引
いてみると次のようになります。時は永享10年(1438)9月10日。
「大森が兵、箱根の衆徒、石弓をかけ、一度にはつとはなす、数万の軍勢、是にまくり落さ
れ、遥の深き谷底へ、雪頽をつかせて落重なれば、敵に討れ死する者は少しといへども、己
が太刀長刀に貫れて死する兵、数をしらず。」
ただ『陸奥話記』以降の例はどれも攻め手に対して城側が用いたものです。
やはり日本の国土を考えると用意が面倒でありなおかつあまり効果が期待出来ませんから、
防御用兵器として使用するのが良かったのでしょう。
文章が途中でおかしくなってしまいましたが、武田信玄と『相州兵乱記』の記述
は直接関係ありません。
157 :
世界@名無史さん:04/04/18 11:18
良スレ発見につき、ageておきます。
保守。
ネタが出るかどうかは分からんが。
159 :
世界@名無史さん:04/05/22 23:57
新大陸で投石器が使われた最初で最後の戦闘は、スペイン人がアステカの首都を攻撃した時だったそうです。
しかも発射した石弾が真上に飛んで、そのまま落下して投石器自体を破壊してしまったというから
色々な意味で凄い話。
160 :
世界@名無史さん:04/05/23 00:00
アステカ首都、テノチティトランって湖の上の都市だったよな。
湖岸から撃ったとして届くのかな?
161 :
世界@名無史さん:04/05/23 00:51
大砲は船の上から撃ったらしい>テノチティトラン攻防戦
162 :
世界@名無史さん:04/05/23 20:27
ネタが出たなw
この間の話だが、NHK「その時歴史が動いた」モンゴル編・前編で
何か変な投石機と、床弩(弓2本連結)が出てたな。
攻城戦で、中国人技師に作らせてどうこうとかってとこだったが。
それにしてもあの投石機、アームがやたらしなってたうえに
2連装だったが……一体どんな資料を元にしたんだか。
もっとも、見た目どこぞの映画か何かっぽかったが。
スタッフロールでも確認してみるか。
やヴぇやべえ、パチンコつええ
>>162 実物(つーか最近テレビそのものを)見てないんだが、
もしかしてそれ、アームの先端部と、アームの先端に付けられた袋
との二連装で、アーム自体を後ろに引っ張ってそのしなりで石弾を
放つヤツ?
それダ・ビンチ先生考案の投石機です!(ちなみに実際に造られた
かは極めて怪しい)
マール社「武器」161Pにイラスト有り。
ああそれと・・・155の例ですが、『相州兵乱記』などの例は投石器とい
うよりは石落し(縄を切って板の上に積まれていた石を落とす)で
あったようです。投石器の可能性があるのは古代までのようで。
167 :
( `_ゝ´) ◆TCygujgOWY :04/05/24 01:42
>>159 それ初耳だな。
投石器は無いけど、確かボーラは南米にあったと思う。
というか、そんな機工技術がアステカにあったのが驚きだw
>>160-161 新造船に載せたのもあったが、いくつかは街の中に
持ち込んで破壊されてる。
168 :
世界@名無史さん:04/05/31 08:14
age
169 :
世界@名無史さん:04/06/12 08:19
>>167 アステカが使ったわけでなく
スペイン人が持ってきた投石器ですよね?
ボーラは実戦で頻繁に用いられたのかな。生け捕り用?
170 :
( `_ゝ´) ◆TCygujgOWY :04/06/12 10:09
>>169 ああ、そうみたいだ。でも確か先住民の記録の中には
確かそんな話があった気がしたが・・・・
ベルナール・ディアスの記録では無かったと思うがどうだろう?
思い出せん。
ボーラはペルーとかインカの方ね。主に狩猟用。
戦闘ではあまり使わなかったはず。
スリング投石機ならばインカでもアステカでも極めて重要な武器だったらしいよ。
例えばスペインの征服群がカハマルカで初めて戦闘を交えた時のインカ軍の編成は
前衛がスリング部隊、中衛が棍棒と斧を持った部隊、次に投げ槍部隊、後衛が短い槍
を持った部隊で構成されていた事をスペイン側のフランスコ・ヘレスが記録しているし
このインカのスリングの威力はと言えば、頭部に兜をかぶっている者にも脳しんとうを
おこさせる程で、フランシスコ・ピサロの弟J.ピサロなどは鋼鉄の兜をつけていた
にもかかわらず、サクサイワマン要塞の攻防を巡る激戦中に受けた石弾の傷がもとで
死亡しているという。
また竜舌蘭の繊維で作られたアステカのスリングも強力であり、「水」氏の言う通り
首都テノチティトランの攻略に参戦したベルナル・ディアス・デル・カスティーヨは、
接近したスペイン軍がアステカのスリング兵によってたちまち五名の兵と二頭の馬が
殺されてしまったことを記録している。もっとも中南米でのスリングの分布は比較的
偏りがあり、弓矢や投槍器の方が発達していた地域も多かったというが。
参:狩野千秋「アメリカ大陸の石弾」:in「弾談義」八幡一郎(編):六興出版:1982
(この本は投石兵器に関する古代史と考古学の両サイドからの学際的研究書で重要)
投石は偉大だ・・・
>>164 そうそう、そんな感じだった。
あんまりはっきり見たわけじゃないんで、断言はできないが・・・。
つうか、なんかアームが左右二対だったよーな・・・・・・?
しかし、モンゴル編後編じゃ、マルコ・ポーロが大カアン様に
トレバシェットを伝えたとか言ってたなw
参考は東方見聞録のフランス版だったかな。
・・・ホントかよ?w
>>173 >つうか、なんかアームが左右二対だったよーな・・・・・・?
二連装!? うーむ、数を飛ばしたけりゃ散弾使えばいいだけだし、ボディに応力が余分に
かかって壊れやすくなる以上の意味があるとは思えない、パンジャンドラムのような
トンデモ兵器だったのかも。
>しかし、モンゴル編後編じゃ、マルコ・ポーロが大カアン様に
>トレバシェットを伝えたとか言ってたなw
襄陽が落ちたのが至元十年、マルコ・ポーロ親子+叔父が大都に辿り着いたのが至元十二年。
ソースがありゃどんな電波飛ばしても許されると思ってるんかしら。
きっとマルコ・ポーロが、元に回回砲を伝えたアラー・ウッディーン&イスマイールと同じく
イル汗国から派遣されたんで、その記述を採用して同一視してみたかったんだろうが…。
鉄砲以前の 戦場での死因は 矢 石 槍 だったとか・・・
鎧着ても防げない 投石は強いね・・・。
それ、軍忠状にあるのがほとんど矢傷だったという話では。
刀剣(小刀含む)による傷はそのまま致命傷になったので記録されなかっ
た為ともいいますが、緒戦の「楯突戦」で敵陣が崩れたところで勝負が決
まっていたという見方でいいでしょうね。
投石のソースがいまいちよく分かりません。
病院通いも何とか一段落。という事で、録画しておいた「その時〜」を見直してみた。
番組中で使用してた映像は結局何かの映画か何かなのか??
HPも見てはみたが……ヨクワカラン。。。
まずは前編。(5月19日放送)
状況は金王朝がモンゴル軍と戦ってて、草原での戦いじゃ歯が立たないと判断、籠城したって所。
モンゴル軍が捕虜にした中国人技術者に、それまで自分達が持っていなかった兵器を作らせて
攻城戦をやらかしたとか何とか。
でそこで砲(投石機)、床弩、雲梯が見えたんだが、
・砲は何か紐で引っ張って発射するニ連装型とか
(一つのフレームの左右にアームが一本ずつ…)、
・あとはアームのしなりで飛ばしてるのとか
(↑石弾が飛ばないで真下に落ちたのがあったなw)、
・錘のない、先端がスリングみたいになってるトレバシェットもどきとか
(これは『武器と防具・中国編』とかにありそうだったな)、
・床弩は弓二本連結の車輪牽引式
・雲梯は兵士が複数人数で運ぶのと牽引式のがどっちも出てたり
とか、そんな感じだったな。
砲と雲梯についてはサマルカンド攻略の時にもいたけど。
そんでもって後編。(5月26日放送)
こっちは東方見聞録ネタだけど、参考にしたのはやっぱり
15世紀・フランス版だった。HPネタだが、もう一種類なんて紹介してたっけ?<東方〜
まあとりあえず…マルコは1275年カタイ(現中国)の大都に到着、その後
第五代カアン、クビライの側近として仕えたとかって言ってたな。
その頃丁度元vs南宋で、襄陽城を攻めて早や5年。
…↓は音読をメモってみた。
<松平キャスター音読>
「東方見聞録によれば、この時大都で指揮を執るクビライに
新兵器の開発を進言したのがマルコ・ポーロだったと言います。」
「その兵器とは、最新式の投石機でした。」(トレバシェット)
「錘が落ちる力を利用することで、従来のものをはるかに超える
飛距離を備えていました。」(→以前放送の復元実験映像へ)
「クビライは早速実験を行わせました。」
「その破壊力に驚き、この武器をすぐに襄陽包囲軍に送るよう命じます。」
<東方見聞録(フランス版の日本語訳)の音読>
「砲撃が始まると、岩石は大音響とともに地響きを立てて城砦に落下し、
全てを粉砕してしまった。」
「城内の住民は、この新しい、奇妙なものを目撃して、恐れおののき、
なす術を知らなかった。」
…どうも同一視どころか、マルコが↑みたいな事を見て、しかも書いたみたいな事になってるんだが。
伝えたのが誰かは複数の説がある、とはHPで言ってはいたけど(番組中で言えばいいのに)、
結局東方見聞録の情報を優先させちまったらしい。
確かに、こんなんじゃそのうち毒電波でも飛ばしそうだよな……w
遅レスですまんが、改めてこのスレを読み返してみて、チと
>>117、
>>118の
やりとりについて思い当たる所があった。
とまあこんな事書いておいて、参考にならんかったらスマソ。
自分はずいぶん以前に第二次大戦時の軍艦について調べてた時期があったんだが、
その時に分冊辞書(名前忘れた)の「軍艦」部分をコピーしてもらってた事がある。
でその中に[軍艦の歴史]について触れてるのがあったんだが、そこに
【紀元前一世紀ごろのローマのガレー船】(復元想像図。当然絵入り)
当時の浮彫りからの復元図。3段の櫂と横帆によって航行できた。
櫂は奴隷や罪人によって漕がれ、武装としては敵艦に衝突して穴を
あけるための衝角、乗り込むための可動橋、大投石機(カタパルト)、
火矢を撃ち出すカロバリスタなどを備えていた。
…なんてのがあった。
船自体は映画「トロイ」に出てきたよーなの、って言って正しいのか?
(トロイは雑誌情報以上は観てないんで) 船首にオカラス(目)も描いてあるし。
で甲板上には前方から順に可動橋(コルバスっての?)、橋を支える支柱、亀の甲陣を組んだ兵士達
(その横にマスト孔)、投石機(カタパルト)、域郭(城で言う銃眼部分みたいなので甲板から一段高くしてある)、
域郭の上にカロバリスタ("cheiroballista"の事か?)と操作人員その他が乗ってる。
船尾部分には船長用テントが張ってあって、その真下が船長酒倉だw
下の階層はやっぱり漕ぎ手の部屋と通路になってる。この場合は三段櫂船。
しかしこれじゃ、船が沈んだら当然兵器類も所謂『船と運命を共に〜』ってやつに
なるよな。ナンカグンバンクサイケドナ。。。
まあ、その前に壊されてる可能性もあるんだが……。
ついでに英語サイトだが、こんなのがあった。
ガストラフェテスをクロスボウの原型と考えられている…と言ってない珍しいサイトw
ttp://members.lycos.nl/onager/index.html ←トップ
ttp://members.lycos.nl/onager/history.html ←歴史…らしい
触れてる兵器類はガストラフェテス、オキシベレス、バリスタ、スコルピウス(スコーピオ(ン))、
オナゲル、ケ(チェ?)イロバリスタ。
オキシベレスは(古典)ギリシア語に直したら"なんとかボロス"になるんじゃねーかとか思ってるが、
まだ調べてない。(『太矢を投げるもの』って訳になるらしいんで)
それからAge of Empireシリーズのヘルプにも(AoMはマニュアルにも)色々書いてあったりする。
情報源の資料については触れてないんで、信憑性の程はあんまりだが……。
つうかどこからその情報引っ張って来たんだか教えろアンサンブルスタジオ、ってな感じだなw
……ところで『石弓・弩(いしゆみ)』を国語辞典でひいてみると……
西洋のクロスボウと同様の武器だとか、
>>166みたいな、でかい石を綱で固定して、綱を切って
石を落とすしかけだとか、パチンコに同じとかって書いてあるんだが。
綱を切って〜は平家物語_2の「城の内より石弓はづしかけたり」ってのを根拠にしてるみたいだけどね。
ひいてみた辞書は広辞苑、日本語大事典(講談社)、goo国語辞典(オンライン辞書)。
ちなみに『カタパルト』はひいても空母のやつしか出てこんかったw
ネタがたまったのをいい事に連投している、すまん。
↓の一文は個人的な脳内妄想って事で。
大型兵器(攻城兵器)の類の実物はなかなか出ないみたいだが、これってもしかして
兵器の脅威性も原因の一つなんじゃないか? 何せ当時最先端のモンな訳だし。
敵にそれがいた場合、考える事と言ったら大体は破壊して無力化を狙うか、
運が良ければ(?)奪取して味方に引き入れて砲撃し返すかだろう。
中には包囲軍が去った時に置き去りにしてった、なんてのもあるらしいが。
やっぱり使う側にもそれなりの労力を要求するモンだ、ってこったわな。
しかし、あとはやっぱり大部分が自然素材だからなんだろうな……w
とりあえず以上。
去年の年末に録画したらしい、これもNHKが放送した(製作はイギリスの会社らしいが)
番組でヘロンがどうこう言ってるのがあったんだが、その中にアラン・ウィルキンズ
とか言う考古学者氏が『古代ギリシャで作られた』、マール社「武器」で言うところの
"脚架付の弩"なサイズの怪しい連弩を復元してみたとか何とかってのがあった。
まあ、それについてはまた今度…と思ったが、やっぱり書いちまおうw
それはそれでまた長くなりそうだが、お付き合いヨロw
>>183で書いてる、去年の年末に録画したヘロンについてどうこう言ってるってやつだけど、
番組名は『ドキュメント地球時間』。HPいいの見つからなかったが。
「驚異の古代テクノロジー」(2回シリーズ) ってやつで、その2回目がヘロンだった。
これはNHKは放送だけで、製作自体はワイルドドリーム・フィルムズ(イギリス、2002年製作)
って事らしい。
んじゃ関係するとこのアナウンスとか。結構長いけど。
「」←はアナウンス、『』←はウィルキンズ氏の喋り(日本語翻訳だけど)。
「ヘロンは、アレクサンドリアで兵器製造に関する論文を読んでいたので、強力な兵器も
造る事ができました。」
「ヘロンは数々の発明品を生み出した、並外れた才能を、兵器の製造に傾けました。」
「既に自動ドアや噴水を造っていたヘロンは、兵器も自動制御できると考えていました。」
「ギリシャの数学者たちが築いた理論を参考にして、強力な兵器を設計したのです。」
「考古学者のアラン・ウィルキンズは、古代兵器を復元してみました。」
「これは古代ギリシャで造られた、矢の発射台です。」(→怪しいでかい連弩)
『この武器は複数の矢を同時に発射できる。つまり、マシンガンのような兵器です。』
『最初のマシンガンとして知られるヴィクトリア朝のものより、2000年以上も前にできていたんです。』
「この発射台は、世界で初めてチェーンを使った兵器です。」(想像の参考はぶっとい自転車のチェーン??)
「そのため、どんな力持ちの人間より遠くまで矢を放つ事ができます。しかも、連続して
矢を放つ事ができるのです。」
「ローマの軍隊は強力な兵器に興味がありました。膨大な国境を守るため、こうした武器を持つ事が
有利だったからです。」
「ローマ側から見れば、ヘロンは帝国の統一に役立つ人物と言えたでしょう。」
「ローマのトラヤヌスの円柱には、携帯用の発射装置が彫られています。」(「武器」にもあるな)
「この兵器はヘロンのいた頃、アレクサンドリアで生まれました。」
「考古学者のウィルキンズは、この模型を造りました。」
「この装置は実際の弓よりずっと威力を発揮します。まさに戦闘用ロボットです。」
「両手でハンドルを回すと、2個の金属製のフックがかみ合いながら弓をしぼっていきます。」
「腕が充分伸びきると、鋼鉄製の止め金が外れ、物凄い力で矢が発射されます。」
『ヘロンのいた当時のアレクサンドリアは、ローマの一部でした。だから、このような研究は
大きな援助を受けていたのです。』
『ローマ人は、ヘロンのようなエンジニア達の優れた能力を知っていたので、とても大事にしていました。』
「ヘロン達は兵器だけでなく、現在使われている機械の原型も発明しています。」
『アレクサンドリアのエンジニア達は、2000年後にようやく実現されるようなアイディアを、
既に思いついていたんです。』
『彼らは、自分達の技術の限界を理由に、自由な発想を捨てる事はしませんでした。』
…やっといて何だけど、やっぱ長げーな。結局3連投かよw
まあとにかく↑みたいな感じ。
怪しいでかい連弩ってのは……一回ガイド部分を前に押し出して弦を引っ掛けて?、手前に引いて
矢がガイドに落っこちて装填、でさらに引くと発射っていう代物。当然矢は数本を上部装填室に入れとく。
大きさは「武器」の"脚架付の弩"くらいだから、とりあえずでかい連弩としか言いようがないw
本当はどこかにjpgとかでも落っこっててくれりゃいいんだけどね。名前分かんないから検索のしようが。。。
ちなみに機構は撚りばねだった。
今はこんなもんかな。
またネタが出たら何か書くよ。
………つーか、いくら何でも連投しすぎた。
連投規制も怖かったが、とにかくスマソ……。
>確かに、こんなんじゃそのうち毒電波でも飛ばしそうだよな……w
日本史やってるから言わせて頂きますが、そんなものとうの昔に。
>……ところで『石弓・弩(いしゆみ)』を国語辞典でひいてみると……
『平家物語』以降、16・17世紀までの記録をめくってみましたが、石
落としと見るのが正解のようです。城外から石を放ったらしいのは『陸奥
話記』だけ。後は『続日本紀』や『三善清行意見封事』ぐらいです。
日本の戦国時代で使用された大砲って、どんな感じのものだったんでしょうか?
先日岐阜城に観光にいったところ、「大砲」という展示物があったんですが、
長さは6.70センチで鉄製、前装で形は西洋のスタンダードな青銅砲に似てました。
信長が外国のものを似せて作らせた、と注釈があったんですが、
江戸時代の裃を画鋲使ってとめて展示してあるような有様だったので
信じていいものかどうか…
190 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/18 16:15
木津川沖の海戦で使用されたのも実際には「大鉄砲」だったようですし、余り
信用出来ないのでは?宣教師の記述についてはソース不詳。『日本史』かな。
一応その記述には「豊後の国王(大友宗麟)の鋳造させた小型の砲以外に砲を見
た事は無かった」と書かれているので大砲らしいのですが・・・。
後は関ヶ原の合戦で小西行長が使用したものに、言わずと知れた大坂冬の陣
で徳川家康が使用させたもの。
また関ヶ原の合戦直前に出された長束正家の書状に、
「山を築いて大筒や石火矢をもって(伏見城を)砲撃する」
とあるそうですから、1600年時点には中央で使われる分はあった様です。
江戸時代になって書かれたものですが、『おあむ物語』や『大友興廃記』にも当
時の事として記述がありますね。大音響で驚かせるのが目的でした。
『興廃記』の方は、「南蛮船」の積んできた石火矢を島津に打ち込んだとある。
となると「先進地域」には秀吉が天下を統一する直前には伝わっていたか。
原城攻略戦ではオランダ船に砲撃を頼んでいましたが、江戸期のもので現存
するものも結構あるようですよ。以前大分で見たような。
>江戸時代の裃を画鋲使ってとめて展示してあるような有様だったので
どこの大学の実習で行くのやら。レプリカでももう一寸ねえ・・・。
>>180 > 「東方見聞録によれば、この時大都で指揮を執るクビライに
> 新兵器の開発を進言したのがマルコ・ポーロだったと言います。」
うそくせー、何かうそくせー。(AA略
今度東方見聞録読み返してみよう。
>>181 >で甲板上には前方から順に可動橋(コルバスっての?)、橋を支える支柱、亀の甲陣を組んだ兵士達
この時代、カラスは船体のバランスを悪くし、難破しやすくなるのでもう廃止されてたと記憶してたのだが、
うそくせー(ry
>>182 >ガストラフェテスをクロスボウの原型と考えられている…と言ってない珍しいサイトw
良心的だのう。構造も引き方も大分違うし、ガストラフェテスとクロスボウを結びつける証拠もないし。
>ケ(チェ?)イロバリスタ。
これはカロバリスタでいいんでないかい?
>>185 >『この武器は複数の矢を同時に発射できる。つまり、マシンガンのような兵器です。』
せめて連射と同時発射の区別ぐらい…。ヘロンのこれは連射式だったはず。
>『最初のマシンガンとして知られるヴィクトリア朝のものより、2000年以上も前にできていたんです。』
戦国時代の連弩や南北戦争時のガトリング砲はともかく、ヘロンは紀元1世紀の人と言われてますが…。
>「この発射台は、世界で初めてチェーンを使った兵器です。」(想像の参考はぶっとい自転車のチェーン??)
この時代のチェーンって、こんなのなんだけどな。
___________
/゚ ゚̄\゚ ゚ ゚ ゚ ゚ ゚/゚ ゚̄\
゚\__/ \__/゚
゚ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄ ゚̄
・横面図
[゚]=蝶番、[ _ ]=板(鎖の本体)、六角形=正多角形の角材(ギア)
このヘロンの連射式バリスタは、矢羽が装填時にガイドに引っかかるとかで実用に値したか、実際に作られたかどうかは怪しいそうだ。
確か「古代のエンジニアリング」に詳しく乗っていた記憶が。
http://www.chijinshokan.co.jp/Books/ISBN4-8052-0500-8.htm
おぉ、この勢いなら200超えられるかもなwww
ってそれはさておき、今は時間ないから↓だけ。
他へのレスとかはまた後で。
しかし
>>192の本はゲトーせにゃならんなぁw、サンクス!
>>188 「笠間城」「大黒石」で検索すると、ちょっとした情報が。。。
鎌倉時代、僧兵との戦闘で使用されたっていう伝承がある、
"石落とし"としての石弓の弾。結構でかい石だw
時間があれば見てきてもいいかも。。。
自分もつつじ祭りの帰りに見てきたよw
「古代のエンジニアリング」を読み返して訂正。
>>192図案説明
×[゚]=蝶番
○[゚]=ピン稼働部
>192最下段
×矢羽が装填時にガイドに引っかかるとかで
○落下により装填させる矢が、ちゃん弓床の溝に収まる保証がないので
確かあの時代にこんな精巧な蝶番は無かったわ…うる覚えイクナイ(´・ω・`;)
あとこれ。
> 「東方見聞録によれば、この時大都で指揮を執るクビライに
> 新兵器の開発を進言したのがマルコ・ポーロだったと言います。」 「東方見聞録」の
確かに東洋文庫確かめたらそういう記述はあった。
ただし、注釈でキッパリ あ り え な い と断言されてる。
弾を放物線で打ち出すトレビシュットのような平衡錘式の投石器は
落下地点の修正(長さ方向)を打ち上げ角度で修正すると思うのですが
どうやって調整するのですか?
レス(また大量)の前に
>>195 いや、あれはバラストの量=錘の重量を調節して弾の飛距離を調節してた……と思う。
バラストを増やして錘を重くすれば弾は遠くまで飛ぶし、反対に錘を軽くすれば
近い所に落ちる。そんな感じ。
とは言ってもソース提示しろって言われても今はムリw
トレバは弾を撃ち出す角度の調整をミスると前(斜め上)に飛ばなくなっちゃって、
結局遠くまで弾を飛ばせなくなるらしいから(この辺は「武器」参照)、
少なくとも距離調整って言ったらそんな感じかな、って個人的に思う…って事でヨロw
教えて詳しい事知ってる人〜w
(いやもちろん自分でも調べようと思ってるけどw)
>>188 >日本史やってるから言わせて頂きますが、そんなものとうの昔に。
ぬをw、と言う事は、『堂々日本史』で既に毒電波を発射してたって事かな?w
何年前の番組かは忘れたけど、前述の第二次大戦の軍艦について調べてた頃の番組かな。
あれやってた頃は番組は見てたけど、歴史は全然だったからなー。正誤なんて分かんなかったよ。
って今でも全然世界史&日本史に詳しくないから、指摘されんと分からんと思うけどw
>『平家物語』以降、16・17世紀までの記録をめくってみましたが、
>石落としと見るのが正解のようです。
あー、また辞書ネタで悪いんだけど、詳解古語辞典(明治書院)「いしゆみ」には、
戦いの時敵に石を投げつけるための武器で、中世では石を支えた木材にかけた綱を切って
石を落下させる装置だ、って書いてある。これも『平家物語』_2、堂衆合戦の「城の内より〜」ってのが根拠。
「中世では」っていう書き方がちょっと気になったんだけど…。
どっちにしろ、『陸奥話記』『続日本紀』『三善清行意見封事』『続日本紀』『意見十二箇条』、
ついでに『日本書紀』も見てみた方がいいのかな。
…いっぱいあるなぁwww
あと見てたらごめんだけど、
>>193もいちお参照ヨロ。
>>191 >カラスは船体のバランスを悪くし、難破しやすくなる
あれって航行してる時は立てとくのかな?
だとしたら船首に変な重量はかかるしトップヘビーになるし、それじゃ難破して当然w
参照した辞書自体、その当時で既に結構古いっぽかったから勘弁してやって。。。
とりあえず艦船に関わる事は、兵器だけじゃなくて船とか海戦の歴史とか、そっちの方面からも
アプローチしてみるといい結果が出るかもね。
>ガストラフェテスとクロスボウを結びつける証拠もないし。
「クロスボウ」は中世ってよく言われるけど、どうなんだろうね。。。
弓床に交差するように弓を取りつけたもの、ってんだったら、それこそあっちこっちにあるし…。
戦闘に使う兵器として取るか、狩猟の道具として取るかで変わるとかだったらやだなあw
結局、ガストラはあくまで初期のバリスタの原型ってとこなのかな??
冷静に考えてみると、そもそも「ΓΑΣΤΡΑΦΕΤΕΣ」は(古典)ギリシア語だし
「CROSSBOW」は英語だし、言語自体が色々入り乱れてて、それにダマされてるよーな気もするw
↓はガストラを西洋世界初のクロスボウだって言ってるけど、その事よりデータベースの一つとして。
(ネタが弩弓に行っちゃうけど)
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~serios/bow >これはカロバリスタでいいんでないかい?
あー、そうか、なるほど。スペルだけ見て悩んでたもんだからw
cheiroballistaの"cheiro"を何て読んだらいいのかな、とか。
ギリシア語とかもそうだけど、やっぱ言語も勉強せにゃならんかなー。
>>192 >せめて連射と同時発射の区別ぐらい…。
それはセリフをメモりながら思ったw
もちろん連射式の連弩だったよ。
>ヘロンは紀元1世紀の人と言われてますが…。
という事は、ウィルキンズ氏か番組製作会社がカン違いをしてるって事ですな?w
それとも単にヘロンの生まれた時代が確定されてないってだけかな。
…しかし、『撚りばね』っていう機構そのものを発明したのって結局誰なんだろう??
>この時代のチェーンって、こんなのなんだけどな。
構造知らない所へ持ってきて3倍録画で画像荒れ荒れで……自転車のチェーンとか書いちまったよ(汗
スマソ。。。
本当は画像とかうpできればいいんだけどね。今んとこ手段ないや。。。
>>192(続)
>落下により装填させる矢が、ちゃん弓床の溝に収まる保証がないので
…それはつまり、あんまり性能が良くないとw
つうかそれより、やっぱり技術的に難しいって事なのかねえ。
弾倉からガイドまでの間を垂直に落とすってのが問題なのかな。
…何か、矢羽がひっかかるのが問題ってのもあながち間違ってない気も何となくするw
もし万が一そうだとしたら、どっちかって言うと弾倉の底面に矢羽が引っかかってそうだw
>ただし、注釈でキッパリ あ り え な い と断言されてる。
うはは、やっぱりそうだったかw
ただでさえ東方〜が世に出た時代には人々に信用されなかったとからしいしな…ってこれは理由が違うかw
時間軸とか色んな辻褄が合わないから『マルコ・ポーロは何人いたんだヲイ?』とか言う疑問が出てくるんだなw
…ふと思ったんだが、自分はもしかして
>>35で書いてるような「奇特な輩」なんだろうか???
一応、情報&環境が無いなりに投石機・バリスタ+クロスボウ(弩含む)に的をしぼって調べてる身ではあるけど……。
…何となくw
ナニゲに200ゲトーしてたか?w
…二重投稿だったらスマソ。。。↓
>>192(続)
>落下により装填させる矢が、ちゃん弓床の溝に収まる保証がないので
…それはつまり、あんまり性能が良くないとw
つうかそれより、やっぱり技術的に難しいって事なのかねえ。
弾倉からガイドまでの間を垂直に落とすってのが問題なのかな。
…何か、矢羽がひっかかるのが問題ってのもあながち間違ってない気も何となくするw
もし万が一そうだとしたら、どっちかって言うと弾倉の底面に矢羽が引っかかってそうだw
>ただし、注釈でキッパリ あ り え な い と断言されてる。
うはは、やっぱりそうだったかw
ただでさえ東方〜が世に出た時代には人々に信用されなかったとからしいしな…ってこれは理由が違うかw
時間軸とか色んな辻褄が合わないから『マルコ・ポーロは何人いたんだヲイ?』とか言う疑問が出てくるんだなw
…ふと思ったんだが、自分はもしかして
>>35で書いてるような「奇特な輩」なんだろうか???
一応、情報&環境が無いなりに投石機・バリスタ+クロスボウ(弩含む)に的をしぼって調べてる身ではあるけど……。
…何となくw
ハウアΣ(゜Д゜;)
やっぱりやっちまった………逝ってきます……。
伝承はあまりあてに出来ませんが、あれぐらいの事は時代を通じて存在した
でしょうね。湯をかけるというのは効率が悪いですが。
それと『三善清行意見封事』=『意見十二箇条』です。
・・・今更ですが、『陸奥話記』の「矢石が乱れ飛んだ」という記述、別に弩を
投石器にしなくても成立しましたね。やはり弩=弓と見るべきか。
十世紀に源順によって書かれた『倭名類聚抄』という辞書でも弓の一種とい
う事になっていました。これが中世の辞書だと記述が錯綜しているのでや
やこしいのですが、時代順に見ればやはり弓か。
204 :
世界@名無史さん:04/08/22 03:39
ビデオで「タイムライン」見ました。
夜間にも投石器で火矢ならぬ「火石」を撃ち込んでたんですかね。
このスレ読むと「AOK」や「コサックス」プレイしたくなるなあ。
206 :
世界@名無史さん:04/09/08 22:42
>>204 石弾に油を掛けて燃やしたのを発射!
ってやつね。
最近は東洋方面を調べててヒーヒー言ってるよw
↓の他にもネタはない事はないけど、とりあえず。
>>203 確かに湯を使うんじゃ、燃料も資材ももったいないわなw
笠間の資料をあたるしかないかなー。
ところで日本書紀、欽明紀26年3月のとこにも後漢書による文があるね。
新羅vs任那で、新羅が「長戟(ながきほこ)、強弩(つよきゆみ)で任那を凌ぎせめ〜」って。
もしかしてこの時点で存在自体は知ってたのかも。
ついでにこの読みをしてるって事は、やっぱり弓っぽいし。
…まあ、この時点じゃ日本側は直接は関わってないみたいだけどねw
あと、倭名類聚抄にも「以之波之岐」の他にも「弩、於保由美」ってのがあるってのを
見たんだけど……どうなんだろ??
てなとこで、残りはまた後でw
スマソ、
>>207の新羅vs任那の記述がどうこうってやつ、引用は後漢書じゃなかった(;´Д`)
正しくは梁書、王僧弁伝にみえる承聖元年(552)2月の王僧弁と陳覇先の誓盟文の一部。
どうも天武元年7月のとこのと取り違えてたっぽ。。。
ちなみに出所は
>>145、
>>146と同じく岩波書店の古典文学大系#68、日本書紀。
>>203 >それと『三善清行意見封事』=『意見十二箇条』です。
あー、そうだったんだ、ありがとう。
やっぱ史料とかに疎いとだめだね。もうちょっと勉強しないと。。。
>やはり弩=弓と見るべきか。
古〜い辞書とか色々あたってみたけど、やっぱ混乱してるねえ。。。
ものによって弩は矢を発射するもんで石弓とは別だとか言ってるし、かと思うと別のやつじゃ
いしゆみを石弩って書いて"切って落とす事を放つ意として弓と言ったのか"とか憶測まで掲載してるし、
やればやるほどワケわかんなくなってくるw
それから「弩」の記述は近松浄瑠璃『国性爺合戦』にもあるみたいだね。
『矢狭間(やざま)に弩(いしゆみ)隙き間なく〜』って。これはこれで「砮」(ど、やのねいし)とかなってるのもあるらしいけど。
まあ、浄瑠璃だからネタにしかなんないだろうけどねw
話の内容に明だか唐だかが絡むらしいから、そこから弩の名前が出てきたのかな、とか思うけど。
「国性爺(国姓爺)」は鄭成功の事だって言うから、それで明とかって事らしいけど。
どっちにしても、江戸中期にも「弩」の名前くらいは知られてたって事なのかな?
それにしてもいわゆる「バリスタ」、西と東でコンセプト自体が違うのかな。
東(中国)がかなり素直に弩を大型化して、弓の数を増やしたりして強化したのに対して、
西(ギリシア他)じゃ最初はガストラを大きくしたんだろうけど、その後は機構そのものを変更しちゃってるし。。。
つっても西は根本的にクロスボウとガストラの関連性そのものから疑わなきゃなんないし
(つうかまさかトライデントみたいに民具出身でしたなんて言わないよな…<クロスボウ)、ついでに
ギリシアとローマの、特に技術面の伝播とかも見なきゃなんないんだろうけど……。
…東洋方面もかなり大変だけど、西洋も相当大変そうだなあ……w
で、最近ちょっと「しーでーえくすぷれす」(w) で古典ギリシア語をかじってみた。
何かネタないかと思ってたら「ΠΕΤΡΑ(ペトラ、岩)」、「ΛΙΘΟΣ(リトス、石)」ってのを発見w
…んじゃ『ペトロボロス』は"岩を投げるもの"で、『リトボロス』は"石を投げるもの"って事なのか?
とか思っちまったよw
それじゃ太矢は何て言うんだと思ったけど、さすがにこっちは情報なし。元々そういう本じゃないしねw
ついでに……とある本を買ったんだけど、その本の著者氏、トレバをして『平衡錘式』ならぬ
『ギッコンバッタン式』とのたまってたwwwww
思わず噴いたあげくに爆笑しちゃったよwwwww
『平衡錘』って言い方も確かに分かりにくいとも思うけど、『ギッコンバッタン』も結構
分かりにくいんじゃないのかなあw 言葉自体、今は滅多に聞かないし。
まー著者氏がいい御歳みたいだから、ある程度は仕方ないのかねえ………w
保守アゲ弾、撃テーイ!
良スレ保守
…俺様日記になっちまうんじゃねーかと正直心配だが……とりあえず。
『古代のエンジニアリング』ゲトーしました。それ読んだせいもあるけど…
最近、「カタパルト」=「投石機」とはちょっと思えなくなってきた。。。
何か、空母の艦載機発艦補助機の名前の謎も解けそうな気がするw
あくまで気がするって程度だけど…w
諺:「腕無しのふりずんばい」
<意味>自分の力量に過ぎたことをする例え。実力も無い者が虚勢だけを張ること。
>>213 面白そうだろうw
ただこの本 '95の発売だから、買うんだったらネットで注文するか取り寄せかじゃないと。
まずは図書館で探してみるって手もあるけどねw
それはそうと目次に書いてある事柄、特に自分が気になる所に関しての知識はあるよね?
全体を通して読むってんならそれはそれで。
自分も今のところ第五章しかろくすっぽ読んでないけどw、正直
全くの一見さんには内容的にちと厳しいと思うんで。
「ある程度」工学の素養がないとちょっと、って言ってるサイトもあるし。
ワッシャーだのキャプスタンだのクランクだのって言われて、分かるかもしくは
調べられるんなら問題なし…か?w
あとは文章(言いぐさ)が回りくどいかな、とか思うのは個人的な事、ってことでw
>>214 早速調べたよ、本当にそんなのあったんだねw
腕力もない者が石投げする事から転じて力量に過ぎた事をする、って意味はあったよ。
それ以上は書いてなかったけどw
おかげで知識…と言うか語彙が一つ増えたよ、ありがとうw
ついでだからふりずんばいについてもちょっと調べてみるかな。。。
何か日本版スタッフスリングって事らしいけどw
しかしこうして見ると名前も結構あったんだねw
とりあえずカタカナで書いちゃうけど、
ガストラフェテス、ポリュボロス、パリントノス、カルコトノス、アエロトノス、
ケイロバリスタ(『古代の〜』より)、バリスタ …とか。euthytonosはエウシュトノスでいいのかな。。。
オキシベレスってのは外国HPで見るけど、どうなんだろう?
まあとりあえず、この辺は「弩砲」って言われるやつ。
ギリシア語とラテン語が混じってるけどw
そんでもって
オナゲル(マンゴネル)、トレビュシェット
…辺りが「投石機」かな。
「カタパルト」については
>>212の通り。ただしこれはかなり個人的な事だけど。
結局「カタペルテス」ってのは石・矢を投射するものの総称だったり、
もしかしたら元々は弩砲の事だったりするのかな、とか
今のところ思ってみたりしてるw
>>203 弩についてだけど、『倭名類聚抄』、『和漢三戈図絵』は「おおゆみ」って読んでるけど、
『書言字考節用集』で「いしゆみ」って読んでるから抛石と混同されるようになった、って
『図説 日本武道辞典』に書いてあったよ。
本当かどうかはわかんないけど、ウラ取ってないからとりあえずこれだけw
しかし「弩砲」と「砲手」の根拠が同じ文献の同じ個所ってのは気に入らないなあw
「弩砲」は『大漢和辭典 #4』「弩」、
「砲手」は『大漢和辭典 #8』、『廣漢和辭典 中巻』「砲」
(どっちもかなり古い漢和辞典。でもどっちも大修館書店だってのがもっと気に入らないw)で見たんだけど、
両方とも根拠は『宋史、兵志』の「岢嵐軍別置床(牀)子弩砲手。」って部分だったw
これって「床子弩/砲手」なのかな、それとも「床子/弩砲・手」なのかな。
ただ「砲」が投石機だって事を考えると…後者の場合、石を撃ち出す床子弩ってあったのか、って話にも
なりかねないと思うんだけど。
っつうか『大漢和辭典』、何で違う単語の根拠が同じもんなんだってのw
まあまだこの2つしか比べてないから、どっちにしろ断定も何もできないけどねw
『日本書紀』巻22に、煬帝を撃退した高句麗から、「鼓吹・弩・抛石の類
十物」を献上されたとあり、投石器と弩は別々に配置されたことになって
いますね。
『倭名類聚抄』、よく読んでみると、二十巻本の巻十三に、
弩→和名「於保由美」→黄帝造也
ソウ→和名「以之波之岐」→建大木置石其上発機以投敵也
とありました。弩は弓、投石器も存在した、で問題なさそうです。
(ここまで書いて気付きましたが、207にありましたか)
219 :
世界@名無史さん:05/01/02 18:06:18
保守
>>219 ネタをふられては?出るものが無いのに上げ続けるのもどうかと。
221 :
sporran:05/01/09 23:19:28
別スレッドから
>>885 :世界@名無史さん :05/01/06 20:17:08
スペインに行ったときでっかいクロスボウがあった。弓の部分は鉄で全体の長さは1m以上もあった。トリガーはレバーみたいで指で引くていうよりも、手で握るて感じだった。
それでも手が届かないくらいのでかさだった。台尻も肩に当てると腕が伸びてしまうほどでかい。2mくらいの巨人じゃないと使えないと思った。おもしろいのはこれが左利き専用だったこと。
小さい鉄板に穴を開けた照準が本体の右側に二ついてたから左肩にあてて使うことになるから。矢も直径2cmくらいのミサイルみたいな形をして飛行機みたいな垂直尾翼が削りだしでついてた。
こんな矢をあのでかいクロスボウで打ち出されたら自動車だって貫通すると思ったよ。
これは特殊なうち方をします。確かに台尻は長く、トリガーも大きく右側に照準があるので左利き巨人の使ったものにおもいますが。
まず左肩にバズーカ砲を撃つように台尻をかつぎあげます(そのために台尻が長い)
次に引き金は人差し指や指四本で握るのではなく、右手の四本の指を上に沿えて親指で押し上げるんですね。だから左肩に台尻をのせるため右側に照準がつき右利き用なんです。
222 :
sporran:05/01/09 23:26:48
もうひとつ、今日聞いた話ですが、フルプレートを本当に弓で撃ちぬけたのか?
とやはりあちらでもカンカンガクガクの論議になり、(いずこも同じですここまでは・・)
じゃ、試してみようと言うことになったそうです。使った弓は100ポンド!!!矢尻はリアルチップといってました。
鎧はフルプレートのカーボンスチール(焼きの入ったスプリング鋼で薄いが非常に強い。当時から最高級品)中身入り!!
結果はことごとく跳ね返し、当たったときの衝撃はあるもののターミネーターのようだったと。
その間10分間踊りつづけていたとか。
すごい!
中身入ってことは人が装着した状態で実験したんですね。
それで、一つだけ質問していいですか?
距離はどのくらいだったのでしょうか?
>中身入り!!
中身・・・?それはさておき、和弓による攻撃なら、どうなるのでしょうね。
いっその事、世界中の兵器で攻撃してもらいたいものですが(笑)。
和弓も進化しているので、現行のものでは中世の再現にはなりませんし。
>中身入ってことは人が装着した
人形じゃ・・・?(((( ;゚Д゚))))
226 :
sporran:05/01/10 09:43:17
距離はそんなに遠くなかったようです。水平で撃ったようですから。俯角をつけて撃てばまた違ったかもしれません。
今度会ったときに聞いておきます。
227 :
sporran:05/01/10 09:48:59
>>現行のものでは中世の再現にはなりませんし
山野様、問題はいつもそこになります。スレ違いですが鎧武者を乗せて馬がどれほど走れるか
と言う実験をNHKなどでしていますが、うまは観光用か競技用のもの。
例えるならばコンピューター相手に仕事をしている人に、数十キロのリュックを背負わせ、1000mの山に登れ
というようなもので、どれほど信憑性があるかは難しいですね。
228 :
sporran:05/01/10 11:52:04
たぶん、防弾か防刃のベストなどは着ていたと思いますけど。
>鎧武者を乗せて馬がどれほど走れるか
明治26年(1893)の軍馬のデータですが。
日本の馬が体高143cmで、300mを時速18kmで移動したのに対し、
ドイツの馬は体高160cmで、500mを時速28kmで駆け抜けていま
した。この全力疾走も、何時までも続けられるものではない。
甲冑を身に纏えば余計動きにくくなるのが道理で、馬で移動する際にも、その
速力を活かせる機会はほとんど無かったと考えられていますね。
源義経の一の谷の合戦の例を考えるに、歩兵も同行して、強行軍で一日30
kmがせいぜいでしょう。そもそも、騎兵だけで移動していた訳では無かっ
たので、馬だけ測っても仕方が無い。
『雑兵物語』の口取が述べている通り、耐久力があって、一日にある程度の移
動速度を保証出来るものが良い。乗り手に言わせれば、これに大きな馬体と
荒い気性(雄雄しさ)が加わるのですが、気性は口取には余計なもの。
なお、中世の軍馬は130cm前後の体高が平均であった時代に、140cm
前後のものが使用されていました。これでも今の競走馬より小さいですが。
>>226 ありがとうございます。距離の確認よろしくお願いします。
水平となると鎧にとっては最も厳しい角度だってことですね。
なんか話がクロスボウとかに行ってるみたいだけど……とりあえず、
弩についてちょっと。
日本に伝わって廃れて、その後には九州南方(具体的地域は不明)で民具として
残存してたって言ってる事典があるんだけど、これって本当なのかな。。。
まだそれ以上は調べてないから何とも言えないんだけどw
それからアイヌも、熊用に中国で言う夜伏耕戈(弩を使った罠)…に似たものを
使ってたみたいだね。
似たものって言うか、仕掛け自体はほとんど同じみたいだけどね。。。
「クワリ」って名前で、何でも人間が引っかかっても飛んだ矢が足の後ろを
通り過ぎるように、ってロープに遊びを持たせてたって事だけど。
これも今のところこれ以上は情報がないから、とりあえずこれだけw
ところで……
山野氏>
ウィキペディア「弩」、覗いてみたら随分色々書いてあるんだけど、
あれってもしかして貴殿の仕業なのかな?w
…違ってたらスマソ。。。
あと「カタペルテス」って単語はいつ頃から出てきたのかな。。。
事実上
「カタ」=against
「ペルテ(ー)ス」=hurler=投げつけるもの
って事らしいけど。
初出の文献が分かれば、投石機の事なのかいわゆるバリスタの事なのかも
含めて何かわかるかなー。
まあ、がんばって調べてみるかw
>>232 初出は、IG2^2.120.37, 554.15, 12(5).647.36 (Ceos), あと文献では、
前四世紀のMnesimachos7.10, Timocles12.5, それからアリストテレスの
アテナイ人の国制42.3あたり。
日本語で読めるのは、最後のくらいですかね。
234 :
世界@名無史さん:05/01/18 18:59:39 0
カタペルテスを扱うものをさす用語ってあるんですか?
235 :
世界@名無史さん:05/01/18 20:00:11 0
>>226 イギリスのロイヤル・アーマラーで実験した当時の胸甲(15世紀のミラノ製)
を使った実験では貫通しています。弓はロングボウでした。
甲冑の場合、当時の金属の組成も関係あるのではないかと思います。
実験では、水平、45°、60°だったかで、水平と45°までは
貫通、60°は穂先が鎧に食い込んで欠けるという結果だったかと
思います。
>>231 いえ、手を加えた憶えは。ただ以前この板で示された内容をそのままパクっ
て記したものがあったそうです。
>>234 katapaltaphetes
artilleryman, IG 30, 2^2.665.27
ということらしいですよ。
238 :
234:05/01/19 22:42:52 0
>>233 おお、ありがとう!!
……っても、自分は日本の文献ですら勘違いするくらい史料に疎いからなあ、
書籍その他についてもうちょっと詳しくご教授頂けたら幸いなんだけど……。
でも初出が前4世紀あたりって事は……
いわゆる「投石機(オナゲル)」が紀元後3〜4世紀に最も使われたって事
みたいだから(「古代のエンジニアリング」)、やっぱり原義は
バリスタなのかな。。。
冷静に考えると、投石機を攻城塔に載っけて云々なんてのも実はバリスタ
だったりして?w
>>236 ありゃ、そうだったんだ、スマソ。。。
しかしまんまパクるなんてのもいたんだねw
>>239 IGは、Inscriptiones Graecaeの略。ギリシア語碑文の集成です。日本の
大学図書館で所蔵しているところはそれほど多くないと思います。
MnesimachosとTimoclesは断片のみが残っているBC4cの喜劇作家。探し方が
悪いのかもしれませんが、TLGでは該当箇所を見つけられませんでした。
アテナイ人の国政は確か岩波文庫に邦訳があったと思いますので、参照は
容易だと思います。
241 :
世界@名無史さん:05/01/26 08:33:56 0
>アテナイ人の国政は確か岩波文庫に邦訳があったと思いますので
間違いなくあります。わたしは現物持ってますから。
>>240殿
再びありがとう!
でも、アテナイ人の国政以外は事実上古典ギリシア語が読み書きできて、
しかも内容が理解できなきゃダメって事かあ。。。
最悪でも英語なんだろうしなあ…、こりゃどうなるかな……。
国政は岩波か、結構色んな書籍出してるんだね。
日本書紀とかなら参照したけど、もうちょっとお世話になるかなw
243 :
世界@名無史さん:05/02/03 17:11:57 0
モンゴルの回かい砲なんてまさしくこのスレ向きではと思ったりするわけで。
244 :
世界@名無史さん:05/02/03 17:45:31 O
そういえばギリシア火ってどんな構造だったんだろう
>>243 回回砲ね、あれ「ふいふいほう」って読むみたいだよ。
あとあれは西から伝来したトレバシェットって事みたいだね。
まさにこのスレ向きw
ディスカバリーチャネルでやってたウォーウルフ再現はなかなかえがった
>>237 よ〜く見てみて思ったんだけど、
katap"a"ltaphetes
ってあるけど、
katap"e"ltaphetes
じゃないって事なのかな??
元の語が元の語だからちょっと気になったんだけど…。
山野氏>
何の文献だったかな、喪失武具の中に
「弩一百具、手弩XX具(数忘れた)」ってのがあったと思ったけど、
この言い方だと「弩」が巨大なもんで「手弩」が手持ちのサイズとも
取れるんだけど、どうなんだろう?
…まあ、これ以上の記述はないと思うけど……w
それにしても日本の文献、弩師については結構あれこれあるんだけど、
弩そのものに関しての記述は少ないなー。
やっぱ西洋みたいにはいかないかw
↑の山野氏あてのやつ、確認してみたら数が逆だったよ(;´Д`)
って事で詳細。
まず出所は三代実録巻39、元慶5年4月25日条。
中身は
太政大臣抗表曰。(中略)出羽国元慶二年為夷虜所焼盗 (この後穀類がどのくらいだとか
鼓吹がどのくらいだとかって続いて) 大刀五十五柄。弓七十一張。
鑯(←字あってる?)鈎五十五柄。弩廿九具。手弩一百具。(後略)
ってなってる。
要するに元慶二年の戦で出羽国か政府軍かわかんないけど、そこが喪失した
糧食やら武具やらのリストが上がってるって事みたいだね。
で、ここで「弩」と「手弩」ってわざわざ表記が分けられてたから、んじゃ
この二つって区別されるようなものなのかな、とか思ったって事なんだけど。。。
これって何かの文見てそれのウラ取ったやつなんだけど、…何だったっけ??
後でそっちを調べないと…w
249 :
世界@名無史さん:05/03/08 00:20:00 O
今日というか昨日だけど
ディスカバリーチャンネル見た人いる?
アルキメデスの鉤爪やってたんだけど
250 :
世界@名無史さん:05/03/12 01:53:37 0
18世紀のオスマン艦は巨大射石砲搭載だったらしい。
ヤマトの波動砲みたいで萌える。
誰か知ってるかな・・・?
>248で言ったやつだけど、「伊治城で弩発見」ってやつだったよ。
もっとも、該当ページは今あるかどうかわかんないんだけど。。。
ググってみたけど見つからなかったし…。
ただ、やっぱりその時代に『辺境』とされた地域にはやっぱりあるんだねw