ローマ帝国対漢王朝

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60山崎渉:03/04/17 09:39
(^^)
61山崎渉:03/04/20 04:56
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
62世界@名無史さん:03/04/22 01:18
>>58
その項羽に劉邦は勝っている。


といってみる。
63世界@名無史さん:03/04/22 01:46
>62
1on1らしいですよ。
64世界@名無史さん:03/04/23 03:39
武将としての指揮能力の話しでなく
個人的武勇の話しであればもちろん項羽>>>劉邦だな。
65世界@名無史さん:03/04/23 18:05
>>64
武将としての指揮能力も項羽>>劉邦だと思うぞ。
国の主としては劉邦>項羽だが。
66世界@名無史さん:03/05/09 10:25
age
67世界@名無史さん:03/05/21 22:35
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68山崎渉:03/05/21 22:36
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
69山崎渉:03/05/28 15:40
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
70世界@名無史さん:03/05/30 20:57
Age of Empire
71世界@名無史さん:03/05/30 21:10
残虐対決
カリギュラ VS 呂皇后
72世界@名無史さん:03/05/30 21:31
カエサルが過大評価されすぎ。韓信にもボコボコにされるレベルだよ。
73世界@名無史さん:03/05/30 22:23
遠征半ばで全滅する。
74世界@名無史さん:03/06/01 00:36
精鋭を劉邦に取られたばっかりの韓信くらいなら・・・?
75世界@名無史さん:03/06/03 16:39
 野外遭遇戦では、話にもならんでしょ。 
 ローマは、戦術にせよ装備にせよ技術として確立していたしな。
 項某や韓某の個人プレーでは勝てませんよ。

 火器が出現するまでは、ローマに勝る軍事技術を開発した国家
民族は存在しないでしょうな。
 13世紀に荒れ狂ったスイス方陣でも、かなり見劣りする。

 だいたい、漢は武帝時代以前は北方遊牧民の属国だしな。
 対外的には軍事強国とは、言えないでしょうね。

 強いて上げるなら、衛青の時代の軍事力だろうけど 
将軍が死んだら技術自体が消滅してしまうからな。
   
76世界@名無史さん:03/06/03 16:42
最強はスパルタ軍さっ
77世界@名無史さん:03/06/03 17:28
>>項某や韓某の個人プレー
が何の事を指しているのか激しく気になる。
78世界@名無史さん:03/06/03 18:58
武帝末期でも漢の歩兵は匈奴相手でさえ対等に戦ってますね、漢の記録ですが。
衛・霍死後ずっと経ってからです。
武帝後、漢は匈奴に対し優勢で、西域を荒らしまくりでやんした。
79世界@名無史さん:03/06/03 19:17
軍臣単于が死んだ後、匈奴では遊牧民族お決まりの跡目争いが起こり、
漢はその混乱に乗じて匈奴を破った。
武帝が即位したばかりの時点では、李広が捕虜になったり、かなり苦戦している。
又、衛青、霍去病の戦果は粉飾の面があり、この不公正な論功行賞に憤った李広が自決し、
それが一般将兵に同情されたと言うのは漢が記録している勝利は割り引いて見る必要がある。
80世界@名無史さん:03/06/07 15:25
というより、匈奴自体がローマを凌ぐ強力な戦闘国家だった感がある。
81世界@名無史さん:03/06/09 09:04
>>40
3ヶ月もほっとかないで誰か突っ込めよ

×戦略>作戦>戦術 → ○作戦>戦略>戦術

規模の順番違うぞ
突っ込みsage
82世界@名無史さん:03/06/09 09:16
あんたのほうが違う。

三ヶ月も経ってからわざわざ間違った突っ込みして恥をかくとは。
83世界@名無史さん:03/06/10 21:45
>衛青、霍去病の戦果は粉飾の面があり、この不公正な論功行賞に憤った李広が自決し、
>それが一般将兵に同情されたと言うのは漢が記録している勝利は割り引いて見る必要がある

そんなこと『史記』には書いてないけど??
漢の損害についてもかなり書いてあるわけで、結構、正確じゃない??
だいたい、『史記』には漢の「勝利」なんて書いてない。
衛青が単于を包囲したときですら、痛みわけみたいな感じで、
とても栄光を称えるって雰囲気じゃないしね。

ローマの敵がゲルマンやペルシャじゃなくて、匈奴だったら、どうだろ。
よほどローマは戦術変えないと、太刀打ちできなかっただろうね。
いくら軍道つくっても、騎馬軍団には追いつけない。

84_:03/06/10 21:46
85世界@名無史さん:03/06/10 23:10
 ガリアとかカルタゴとかは騎兵であって騎馬じゃないんだよね・・・
騎兵と騎馬どっちが強いかって言われると一長一短だな。
86世界@名無史さん:03/06/22 09:51
age
87世界@名無史さん:03/07/03 09:41
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88世界@名無史さん:03/07/03 10:45
>>83
ローマはパルティアとも戦っているから、
一概に騎馬民族に振り回されるとは思えない。
トライヤヌス時代にはパルティアを圧倒してるし。
89世界@名無史さん:03/07/03 12:31
90世界@名無史さん:03/07/03 12:43
こういう妄想スレは厨具合がほどよくでていていいよね
91世界@名無史さん:03/07/03 13:02
ローマ厨に理屈が通じんのは経験済みだから、何も言わん事にしとく。
92世界@名無史さん:03/07/03 19:39
ローマが黒海北岸まで遠征するか、スキタイがローマへ侵攻するか、
といった状況が無かったので何とも言えないが、
パルティアはスキタイ・マッサゲタイに度々侵入されて、大きな被害を受けている。
遊牧勢力としてパルティアを代表格として捉えることは出来ない。
93山崎 渉:03/07/15 12:49

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
95世界@名無史さん:03/07/29 01:16
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96世界@名無史さん:03/08/16 15:24
後漢だが曹操は強い。
97世界@名無史さん:03/08/18 20:44
>>96
カエサルには及ばんな。
98世界@名無史さん:03/09/19 09:42
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99世界@名無史さん:03/10/11 20:22
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100世界@名無史さん:03/10/11 21:21
どういう基準で比べてるんだと言いつつ100げとー
101世界@名無史さん:03/11/12 23:02
塩婆の大法螺を真に受けてローマ最強だと思い込んでる奴うざー。
102世界@名無史さん:03/11/13 02:39
カエサル時代からトラヤヌス時代頃には
実際に世界最強の国だったと思うが。

漢とは最盛期が微妙にずれてるから
ローマ最盛期には漢はすでに衰退途上だったはず。
103世界@名無史さん:03/11/13 03:14
間を取ってモンゴル最強って事でいいですか?
これには異論ないですよね?
104世界@名無史さん:03/11/13 21:46
ローマなんて侵略と反乱の荒らしじゃねーか。
奴隷の上になりたっていた史上最低の国家。
105世界@名無史さん:03/11/13 22:51
>奴隷の上になりたっていた史上最低の国家。

・・・そりは中国四千年の歴史も同様(w
106世界@名無史さん:03/11/14 00:24
ローマの奴隷って、そんなに扱い悪くないぞ。

奴隷が一番悲惨なのは・・・合衆国
107世界@名無史さん:03/11/14 00:39
ローマだと鉱山奴隷は悲惨だったが
職業によっては一般市民よりずっとよい暮らしのできる奴隷も居た。

やっぱり奴隷=悲惨というイメージはアメリカの黒人奴隷から来てるんだろうな。
108世界@名無史さん:03/11/14 00:50
敗北したスパルタクス奴隷軍の捕虜1万人は、
見せしめのために全員十字架刑に処せられた。
109劉邦の捏造でした!
始皇帝の「阿房宮」は炎上せず、発掘調査で判明




 【北京=佐伯聡士】6日付の中国各紙によると、秦の始皇帝が造営した
大宮殿「阿房宮」(中国陝西省西安市郊外)は、定説と異なって、楚の武将、
項羽に焼き払われてはいないことが、中国社会科学院考古研究所と西安市
文物保護考古研究所が共同で実施した発掘調査で明らかになった。

 約1年間にわたって、20万平方メートル以上を調べたが、大量の灰や
焼けた土など火災があった痕跡は発見されなかったという。阿房宮は
紀元前212年、始皇帝が渭河の南に建造を開始した大宮殿。秦代末期に
項羽が侵入し、3か月炎上したといわれ、これまで度々歴史小説の題材
になってきたが、項羽によって焼失した事実はなかったことになる。

http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20031206i513.htm