紀元・暦法を集めるスレ

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934930:2006/04/18(火) 18:34:53 0
>>931 たしかに西暦は味気ない。
935世界@名無史さん:2006/04/18(火) 18:49:44 0
>>925
[イ宗]の字は文字化けするからなるべく[イ宗]でよろ。
ちなみに御天節じゃなくて開天節かと。
大[イ宗]教は新興宗教でもあり民族宗教でもある。
日本でいえば復古神道をかかげた新興宗教教団みたいな感じ。
今は必死に隠されてるが戦前は親日勢力だった。
936世界@名無史さん:2006/04/19(水) 00:32:46 0
>>932
皇學館大学か国士舘あたりはどうだろう。
937世界@名無史さん:2006/04/19(水) 00:47:51 0
昭和100年問題によって深刻な影響出るのかな、西暦2025年に
ところで病院の電子カルテとか役所の住基ネットって内部では生年月日を何であらわしているんだろ
昭和であらわしていたら明治・大正生まれは負数になるし
やっぱり西暦だろうな?それとも皇紀か?明治何年じゃないだろうな…
938世界@名無史さん:2006/04/19(水) 19:33:50 0
大宗教はいつから誰によって創始されたんですか?
教義や祭神とかは?
939世界@名無史さん:2006/04/19(水) 19:38:09 0
年金関係のアンケで、元号は1明治.2大正.3昭和.4平成で記入してくれって
指示が印刷されてたと記憶す。
だから西暦じゃなくても数値化はOKのはず。
940世界@名無史さん:2006/04/19(水) 19:41:18 0
おれの兄貴の経営してるデータメンテ会社では、平成が始まった時点で、
西暦に切り替えた。そういうとこおおいんじゃないかな。 
941世界@名無史さん:2006/04/19(水) 22:25:30 0
>>938
大[イ宗]教は1909年に羅浮ニいう人が創始したが、教理的には
ヘ化神・桓雄、治化神・桓儉、造化神・桓因という三位一体の神が天下って
倍達という国を開いて神政を開始したとされる、紀元前2465년(開天元年)から始まったことになっている。

桓雄・桓儉・桓因の三位一体を檀君として崇拝し、
その教理としては、人は生まれながらに性·命·精の三真を持つが、それが肉体の中の心·氣·身の三妄と葛藤して、
三真・三妄の間に感·息·觸の三途が生じるので、そのために生死苦楽の変遷が起こる。
しかし止·調·禁の三法を修行するならば、三妄を変じて三真を回復し、神と合一しうると説く。

 三という数字に妙にこだわりがあるほか、キリスト教・仏教・道教・民間信仰などが
いろいろ混ざってるっぽい感じ。

詳細は省くが、現在の教団史では満州に拠点を置いて抗日独立運動に挺身した歴史が強調されており、
>>935が指摘するような親日行為は、ニセ者の仕業ということになっているw
もともと大[イ宗]教の祭日だった10月3日の開天節(御天節)が大韓民国の祝日になっているなど、
(ただし国の祝日は陽暦だが大[イ宗]教では陰暦)、何気に独立後の韓国に影響を与えている。
942世界@名無史さん:2006/04/20(木) 11:21:09 0
ありがとう、とても参考になったよ
943世界@名無史さん:2006/04/20(木) 17:26:34 0
安田生命は神武紀元の導入で2000年問題に対処したそうです
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/sitenlog/news990326.html#jinmu
944世界@名無史さん:2006/04/20(木) 17:28:09 0
それでよいのだ
945世界@名無史さん:2006/04/20(木) 17:51:43 0
すごい。そういう会社の人は「何気に」などという人はいないだろうね。
946世界@名無史さん:2006/04/20(木) 18:18:25 0
社長訓示
このたび我が社は2000年問題の根本的解決策として、神武天皇即位紀元の
導入を電算処理上の年次数値基準として採用することと決定いたしました。
神武紀元は戦後に成人された大多数の社員諸君にとっては、いささかなじみの
薄いものであることは否定できません。世間の一部には時代錯誤であるとか
右傾化だはないかとかいう批判が寄せられることも予想されます。
しかし今回の措置は全く業務遂行上の便宜という観点からのものであり、電算
システム内部の限られた処理に過ぎません。日常的事務処理において文書の
日付記載などに使用する予定はありません。社員の皆さんは従来どおりの手順で
仕事をしてくださればよく、特に天皇制を意識される必要はないのであります。
947世界@名無史さん:2006/04/20(木) 18:20:49 0
これはあくまでネタだから本気にしないように
948世界@名無史さん:2006/04/24(月) 13:22:06 0
age
949世界@名無史さん:2006/04/26(水) 00:32:37 0
>>912
インドの國暦ってどういうの?
他にインドではどういう暦法や紀元があるんですか?
950世界@名無史さん:2006/04/27(木) 23:49:02 0
そう言えばネパールにもネワール紀元というのがあったような。

というところで950レスに達したな。
951世界@名無史さん:2006/04/28(金) 20:03:07 0
>>950
よろしく
952世界@名無史さん:2006/04/29(土) 18:29:31 0
太陰太陽暦は本来計算があわない太陽年と月齢のつじつまをどうにかあわせる
工夫をした暦であり、ユダヤ暦ではこれを複雑な閏デフォルトだけでこなすのに対し、
中国式太陰太陽暦では節季という簡易太陽暦を基準に閏設定をする。

インド暦の特徴は太陽暦も節季と違ってちゃんと暦の体裁を持っていて、
二つの暦を合成して日付けを作るようなシステムになっていること。
太陽暦、太陰暦、年初設定、日付けの呼び方などに様々な流儀が存在し、
インド政府が対照表を作っている主要暦は12くらいだったと思うが、
地域、宗教などコミュニティごとに組み合わせはまちまちで、総数は無数にあるらしい。

最終的な日付けの呼び方は陰暦のものをつかう流儀が一般的だが、これも大きくわけて
2種類あって、ひとつは月が満ちていく時期を「白分」欠けていく時期を「黒分」と
称して半月ずつ数えなおす流儀。
もうひとつは計算上の月齢日で呼ぶ方式。これはチベット暦が有名で、24時間周期を
無視した月齢日で呼ぶので日付けが飛んだり2日連続で同じ日だったりする。
32日があるのは後者の1種だったと思うがよく憶えていない。

で、国暦というのは上記のうち、インド暦の太陽暦部分をグレゴリウス暦と明確に
関係づけようとしたもので、グレゴリウス暦3月22日が年初のカイトラ1日になる。
閏年には3月21日になるが、カイトラが1日増えるので次のバイサカ1日は毎年必ず
4月21日になる。以後の日付けも自動対照。
国暦が西暦と機械的に計算できれば最終的な陰暦による日付けも自動的に西暦基準で
計算できるというのが目的だった。

でも当然どの伝統的陽暦とも計算根拠がちがうので、伝統暦と日付けがずれると
納得してもらえないそうな。



953世界@名無史さん:2006/04/29(土) 20:08:21 0
インドの年号は次のようなものが一般的

シャカ紀元 西暦-77
元年はシャカ族(お釈迦様の出身部族)の王がネパール方面を平定した年といわれるが
よくわかっていない。
バラモンの占星術と結びついたため一時インド全体から東南アジア方面まで広く普及した。
現在はインドでは南部を中心に普及。
国暦は歴史的経緯を重視してこの紀元を採用したものの様だ。

ビクラム紀元 西暦+57
元年はビクラマーディトヤ王がシャカ族を征服した年とされるが、ビクラマーディトヤ王じたい
実在が疑問視されているとか。
現在北インドでメジャーな紀元はこちら。ネパールの公用暦も採用している。
ただしインドのビクラム暦とネパールのビクラム暦は年初とする月がひとつきずれている。

シャカ紀元もビクラム紀元も古くからずっと使われている一方、紀元の根拠じたいは
よくわからなくなっているのがインド的。

あとベンガル紀元 西暦-593
本来は「インド農業年」といいアクバル大帝がへジュラ暦では農業指導が出来ないので
インド暦を改良して作った農業暦の年号。
制定したのがヒジュラ暦963年だったので963農業年として、以後太陽年で計算。
よって数字じたいには意味がない。

ネワール紀元はネパール紀元とも言うがネワール族のローカルな紀元年号。
現ネパール政府は無視している。
その他スリランカや仏教徒は仏暦も使う。回教徒はもちろんヒジュラ暦も使う。
ジャイナ教徒やシク教徒は良く判らないので知ってる人教えてくらさい。
954世界@名無史さん:2006/04/30(日) 00:38:50 0
>>952
日付が飛んだり同じ日が続いたりするのは
月齢で数えるからじゃなくて黄経の度数で数えるからじゃなかったっけ?
955世界@名無史さん:2006/04/30(日) 11:50:20 0
>>270-271
を読め
956世界@名無史さん:2006/05/02(火) 12:36:25 0
読んだのか?
読んだ者は感想レポートを原稿用紙1枚にまとめて、金曜日午前中までに提出せよ。
957952:2006/05/04(木) 11:37:40 0
952で「計算上の月齢日」と書いたのが270にある「tithi」ですね。
太陰暦としては「32日」はどう考えてもおかしいので、
太陽暦の日付けの示しかたに「32日」があって、
その根拠が黄径度数なのかもしれませんね。
958世界@名無史さん:2006/05/04(木) 14:54:48 0
欠月についても説明してほしかったよ。>あやめさん
959世界@名無史さん:2006/05/04(木) 15:52:30 0
>>958
インド暦法の「欠月」は非常に単純明快な概念だよ。
インド暦法は多岐にわたるがシステムの基本部分は
極めて単純明快かつ合理的なものが共有されている。
まず、太陽黄経を12等分して「太陽月(要するに12星座)」をつくり、
当該太陽月に入った朔からの太陰月を同じ名称の太陰月にするというもの。
1つの太陽月の中に朔が2つ入れば閏月が出来、全く入らななれば欠月となる。
もし定気法(実測太陽黄経)を採用するのなら、太陽月1ヶ月の中に
朔が入らないことがどうしても存在するので
24節季を設けて「中間点」を基準に処理をするため
「欠月」を作れない中国式太陽太陰暦法よりも、
インド式太陽太陰暦法のシステムのほうが各段に優れている。
ハッキリ言えば、西方の暦法思想に基づく定気法を採用した段階で
中国式太陽太陰暦法は論理破綻したと言ってもいい。
960世界@名無史さん:2006/05/05(金) 13:08:34 0
でも「欠月」とか「余日」とかって何か異様じゃね?
961世界@名無史さん:2006/05/06(土) 00:06:55 0
つまるところ定気法を日常の暦に反映することの是非ということかもしれんね。
太陽黄径の実測がどうといってみても、別に季節がそれで具体的に変わるわけでなし、
毎年誤差が積み重なって季節とあわなくなるような暦は困るとはいっても、
要は「厳密には当分じゃないんだ」なんていうのは占星術師の都合であって
ましてやそれで日常の月名や日付けが飛んだり重なったりされちゃたまったもんじゃない。

でも、ある意味ローマ式太陽暦の簡明さと天文からの自立度合いは、やっぱ非凡なレベルに
あることが実感されるなあ。
962世界@名無史さん:2006/05/06(土) 12:36:54 0
でも月の日数の滅茶苦茶さとか、元日の時点の決め方の無意味さとかは褒められない。
963世界@名無史さん:2006/05/06(土) 19:21:41 0
いや、たしかに配列は滅茶苦茶だが、それががっちり固定されて動かないでしょ?
そしてなにより、元日が無意味だからこそ、変な調整意欲が働かないのでは?
964世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:49:52 0
近日点はほぼ元日の前後だそうだ。
965世界@名無史さん:2006/05/17(水) 19:04:23 0
本年の近日点通過は1月5日0時
966世界@名無史さん:2006/05/22(月) 13:33:37 0
もうすぐ次ぎスレが立つのでテンプレをとりあえず作っておこう

暦の変換、ユリウス通日、干支etc
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/

国際世界暦協会(英語のサイト)
http://www.worldcalendar.org/

北斗中正百年暦(中正暦)、世界暦、十進暦と十進時法
http://onpumoe.hp.infoseek.co.jp/

こよみのページ
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm

科学暦普及協会
http://sci-cal.org/promotion/

【太陽暦】暦について語るスレッド【太陰暦】(天文・気象板)
http://science4.2ch.net/test/read.cgi/sky/1039275406/
967世界@名無史さん:2006/05/22(月) 13:34:53 0
各暦法の紀元リスト

アウグストゥス紀元=BC27
ギリシア古矮克西城(?)5年ごとのイベント(?)開催紀元=BC31
スペイン建国紀元=BC38
ユリウス暦紀元=BC45
セレウコス朝紀元=BC311
アレキサンダー崩御紀元=BC323
ローマ共和制紀元=BC509
日本紀元=BC660
古バビロン王拿暴拿徹爾(?)即位紀元=BC747
ローマ建国紀元=BC753
オリンピック紀元=BC776
ギリシア首君鰓克労伯(クノッソス王?)即位紀元=BC1582
アブラハム(元年)紀元=BC2015
インド建国紀元=BC3101
喇賓Rabbins(?)建国紀元=BC3761
迂師利迂斯(?)の時に俗に通用せる紀元=BC4004
天地開闢紀元1(本篤会(?)修士某の推算)=BC4963
天地開闢紀元2(AD680年のコンスタンチノープル公会議での推算)=BC5508
968966:2006/05/22(月) 14:19:16 0
地球暦
http://www.geocities.jp/atsucnn/koyomi/

↑こんなのも見つけました、テンプレに追加。
969世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:40:34 0
>>967
これはあやめさんが詳細な解説をしているので参照のこと、このままでは不適切。
970世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:49:42 0
大体からして逆順だし
971世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:59:53 0
コンスタンチノープル式天地開闢紀元については>>842
ベネディクト(本篤)会式天地開闢紀元については>>848
アッシャー(迂師利迂斯)式天地開闢紀元については>>849
ユダヤ式(喇賓)天地開闢紀元についても>>849
インド紀元(建国紀元ではない)については>>851
を読んでくれ。
972世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:59:56 0
>>969
それなら自分でまとめなさい。
973世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:05:44 0
837 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/01(日) 21:17:10 0
・・・・・
>>156の名無しさんはこの情報のソースを明示していません。そこで>>157のレスでは
「よくこれだけ集めたね」とナイーブに賛嘆するレスも付けられていたりします。
しかし記載内容を検すると何箇所にも疑問符が付けられ、洋文から転訳されたらしい
漢字表記がそのままになっています。原拠が漢籍であることが窺われます。
実はこの一覧表は清の光緒三十年に刊行された張璜の著作から転写されたもので、
156氏は一部を推定して表示したのですが、他は十分には判明しなかったようです。
974世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:07:41 0
838 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/01(日) 21:22:47 0
原拠である張璜が編纂した書物は「歐亞紀元合表」で1世紀以上前に、上海の
慈母堂というところから出版されています。
620ページの大著の冒頭部分に「天下大事紀元表」というものが掲記されていて、
24個の紀元がリストアップされています。不思議なことに156氏は新>古へと
時系列を逆順に記載していますが、原著では古>新の順に排列されています。
では以下に原著の記載を転記することとします。
なお原著では対応する支那の年次を付記していますが、ここでは省略します。

天地開闢按君士但丁城公會議(在680年)謂據猶太古史推算在_______5508
・・・・・・・・按本篤會修士某君推算在________________4963
迂師利迂斯時俗通行歴紀元在_________________________4004
喇賓(Rabbins)國人開國紀元在________________________3761
印度國紀元在___________________________________________3101
猶太古祖亜巴郎元年在__________________________________2015
希臘首君鰓克勞伯元年在________________________________1582
希臘古亜林毘城毎四年一次戯會元年在_______________________776
975世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:09:32 0
839 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/01(日) 21:31:50 0
(続き)

羅瑪建都元年在_________________________________________753
古巴彼鸞王拿暴拿撒爾元年在_________________________747
日本紀元在________________________________________________660                           
羅瑪總統攝政監國元年在_____________________________509                           
希臘古馬者道尼王大亜立山駕崩之年在______________323                           
古西里亜王鰓鸞古斯元年在_________________________311                           
羅瑪總皇儒略歴紀元元年在___________________________45                           
西班牙開國元年在________________________________________38                           
希臘古矮克西城毎五年一次戯會元年在_______________31                           
羅瑪總皇奥吾斯多元年在______________________________27

ここまでが西紀前のものです。
976世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:11:16 0
840 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/01(日) 21:34:35 0
(続き)

羅瑪總皇第阿克來西虐待教民在__________________284                           
俄部古亜爾黙尼開國元年在________________________559                            
回教始祖穆罕黙コ出亡立教紀元在______________622
波斯王野斯奪熱爾元年在___________________________632  
美國民主合衆開國元年在_________________________1774   
法國民主開國紀元在_______________________________1792

以上です。
977世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:13:35 0
842 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/01(日) 21:37:49 0
では先ず劈頭の開闢紀元ですが156氏が指摘しているとおりです。
この西紀680-1年の第3回コンスタンチノープル公会議は、単性説の残滓
単意説を否定したことで知られています。天地創造を西紀前5508年として
算出した根拠は、うちにある書物では判明しませんでした。ユダヤ文献の
記載からとありますが、タルムードは前3761年としているので違います。
「創造紀元」"minyan liyesirer"または「世界紀元」"minyan haolam"という
ユダヤ教の紀には3種の起算点があり、1:アダム創造直前、2:アダム創造、
3:アダム満1歳のそれぞれ1年づつずれる年次を取っています。そして
キリスト紀元に対応させると1:3761/60、2:3760/59、3:3759/58となります。
2年に跨っているのはユダヤ暦では9-10月に相当するティシュリ月1日を
1年の元日としているからです。実用上のユダヤ式創造紀元は前3761年と
考えておいてよいでしょう。
聖書学的には七十人訳ギリシャ語写本では天地創造は前(以下では前を
省略します)5270年、コンスタンチノープル版では上記のように5508年とし、
ヘブライ語の正典では3994年、但し4111年とする異本もあり、サマリタン版
正典は4305年、同じく異本は4424年としています。
この外に歴代の年代学者の説が色々とありますが省略しときます。
978世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:16:17 0
848 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/02(月) 18:05:41 0
「歐亞紀元合表」の「天下大事紀元表」(以下「紀元表」と略称)の諸紀元から
昨日は冒頭の開闢紀元―コンスタンチノープル式創造紀元を解説しました。
これに続く3個の紀元もやはり創造紀元の一種です。
156氏は2番目に挙げられた「本篤會修士某君推算」の「本篤」が判らなかった
もののようです。本篤會は"Benedictine Order"ベネディクト会のことです。
現任の教皇ベネディクト16世は支那の各メディアなどでは「本篤十六世」と
表記されています。Benedictionは祝福とか感謝の意味らしいです。
ベネディクト会は周知のように西紀6世紀初頭から続く修道会で、その修士の
誰かが西紀前4963年を創造紀元と推算したものらしいのですが、この修士の
名など詳細は調べきれませんでした。また推算の根拠も不明です。
979世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:18:19 0
849 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/02(月) 18:08:34 0
「紀元表」は次に「迂師利迂斯時俗通行歴紀元」を挙げていますが、156氏は
「迂師利迂斯」が何のことか判らなかったようです。これは"Ussherius"です。
即ち17世紀にアイルランドの大司教であったアッシャー”James Ussher”が
1650年に著した「旧・新約年代記」で前4004年を世界創造の年次と算出し、
ジャイムス一世欽定訳聖書に採用されたものです。アッシャーはヒブル版の
聖書に依拠して本文に現われる事件の年数を順次合算して、アダム誕生から
イエス降臨まで4004年と算定したもののようです。つまりアッシャーの当時に
「俗に通用せる紀元」ではなくアッシャーによって一般に通用することになった
紀元なのです。なお原漢文に「時俗通行歴紀元」とある「歴」は「暦」の代用の
字で、著者が清朝の人民なので乾隆帝の名の「弘暦」を避諱したものです。

次の「喇賓(Rabbins)國人開國紀元」も156氏は判らなかったもののようですが、
”Rabbin”がRabbi(ユダヤ教法学者)の複数形と気が付けば解明が容易です。
昨日も書いたようにタルムードで前3761年とされている、創造紀元の一種に
過ぎません。「ラビンス国の開国紀元」なんていう代物ではないのです。
江戸時代の黄表紙に吉原を「アリンス國」としたものはありますが(笑)
980世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:21:45 0
851 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/05(木) 20:27:03 0
・・・・・・・・・・・
さて「紀元表」には次に「印度國紀元」を挙げています。単にインドの紀元と
説明しているだけなのに、何の根拠あってか156氏はインドの「建国紀元」と
記述しています。古代インド人は凡そ時間空間の構成について、現実的な
認識を伝えていないように思われます。示されているのは常に観念的体系に
過ぎません。ある特定の時点で国家が創建されたとする伝承は存在しません。
インド人の歴史意識では建国紀元なんて有り得ないんです。
では西紀前3101年は何の紀元でしょう。これはカリユガ"KaliYuga"の元年です。
ヒンドゥー的観念では4期の大劫が循環的に継起するものとされています。
そして各大劫がそれぞれ20中劫に分かれています。
こうしたアイディアは佛教にも入ってきています。その時系列の概略を述べると
KritaYuga172万8000年(4800年)/TretaYuga129万6000年(3600年)/
DvaparaYuga86万4000年(2400年)/KaliYuga43万2000年(1200年) 
現在はカリユガ期に入っていて前3101年から開始されたというわけなんです。
この年次をどのように特定したのかは調べきれませんでした。いずれにせよ
実際に何らかの事件が発生したという性質のものではなく、回帰的暦法の
数術により設定されたものです。


852 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/05(木) 20:32:03 0
各ユガの年数は人間にとっての時間であって、括弧内は神にとっての時間です。
981世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:42:50 0
853 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/05(木) 20:32:58 0
カリユガは世界の終末時期で「末法の世」とか「濁悪の世」とか呼ばれています。
佛教では成劫>住劫>壊劫>空劫の順で時間が進行し循環すると説き、
やはり現在は「壊劫」に属しているとされています。初劫の「成劫」では先ず
「器世間」即ち無機的物質が発生し次いで「衆生世間」生命が出現する、
「住劫」はこうした存在が安定し繁栄する時期ですが、「壊劫」からが衰退期で
世界は崩壊し消滅して行き、そして完全な虚無が支配するのが「空劫」です。
こういう思想は「阿毘曇論」や「倶舎論」や「智度論」などいろんなお経の中に
出ています。日本の中世には民衆にも知られるようになり「水鏡」の序にも
詳しく書かれています。
このように「世の中だんだん悪くなる」思想は誰もが懐くものですが、古代
ギリシャではヘシオドスが黄金時代>白銀時代>青銅時代>英雄時代
>黒鉄時代という時代区分があって、やはり下降歴史観で語られてます。
もっとも半神である英雄が支配する時代のみは、ヘシオドスにとっての
現代から上昇期として回顧されています。この4時代変遷観はローマの
オウィディウスにも反映しています。


854 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/05(木) 20:37:57 0
訂正
ヘシオドスにとっての現代から > ヘシオドスにとっての現代である黒鉄時代から
982世界@名無史さん:2006/05/22(月) 16:48:18 0
あやめさんの解説はここまでですが、他のも引き続きカキコ予定だったのかもしれません。
このスレにはいろいろ紀元が出てきますので、時間のある人ぜひ纏めて頂きたいです。
983世界@名無史さん
なぜ>>837-854と簡単に書かぬのか