◆◆渤海国について語ろう◆◆

このエントリーをはてなブックマークに追加
326世界@名無史さん
ロシアの沿海州の高校歴史教科書は沿海州初の国家として渤海にかなりの
ページを割いている。沿海州南部にはいくつもの城砦址がある。
クラスキノ城砦址は面積13.6ヘクタール。土塁と濠に囲まれている。
粟末靺鞨の一部と高句麗人の一部が中核となって周囲の靺鞨を統合して成立
したことや階級性の社会制度、農業中心で牧畜も行ったことや手工業も発達
したこと、中国に大規模な留学を行ったことや日本と交流があったこと、
シャーマニズムや仏教が普及していたことなどに触れている。

滅亡の章では20年ほど遼と争った末に滅亡(926)、傀儡国家東丹を置いたが即反乱、
その後も揉め続けたので約2/3の渤海住民は遼に強制移住、1/5は朝鮮に逃亡。
残りの沿海州を含む北方、東方の住民(13%ほどということになるか)は
相対的な独立を保ち、遼に不定期に朝貢したとある。

女真・金についてもかなり詳しく触れている。黒水靺鞨が10世紀から女真と
呼ばれるようになり11世紀後半に完顔部によって統合、遼を滅ぼし(1125)
北中国全域をを支配して多くが移り住み、住民の構成は中国人87%、女真人10%
、その他3%。沿海州は金の辺境でウスリースクなどに金時代の城砦址がある。
渤海から多くの文化を引き継いだことに触れている。

1234、モンゴルにより金は滅亡するがその少し前に蒲鮮万奴により東夏[
(東真、大真,1215-1233)が満州東部、朝鮮北部、沿海州中南部に建てられる。
短期間の国ながら沿海州を中心地域の一つとしていたことからそれなりに
取り上げている。やはり城砦址がいくつもあるとのこと。