歴史的背景のある食べ物について

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42与太話
 1904年に起こった日露戦争で、旅順要塞に籠ったロシア軍は、実に7ヶ月以上にも渡って日本軍を苦しめたが、長引く籠城戦で生野菜が不足した要塞内で壊血病が蔓延。兵士の大半が動けなくなり、やむなく日本軍に降伏することとなった。
 ところが装備接収のため要塞内に入った日本の参謀は、倉庫一杯に詰まった大豆を見て唖然としたという。何故か?
43世界@名無史さん:03/02/09 04:11
答え:
大豆からもやしを作って将兵に食べさせてやればいいのに、それをしていなかったから。
つまり当時のロシア兵がひとりでも大豆もやしを知っていれば旅順攻防戦はさらに長引いていたかもしれない・・・というお話。

ソースを探してるんだが、「食べ物さんありがとう」という農学者の書いた雑学本しか出てこない。やはりネタか・・・・・・。
44世界@名無史さん:03/02/10 12:09
>>43
『日露戦争下の日本―ロシア軍人捕虜の妻の日記』(ソフィア・フォン・タイル著
新人物往来社)によると、旅順陥落の結果日本に送られてきたロシア軍の捕虜は
やたらに元気で、著者の夫ら先発組の捕虜たちを唖然とさせているから、
その「壊血病」云々はかなり怪しい。
乃木将軍が武士の情けで将校に帯剣を許したので、剣を佩いたまま収容所内を
意気揚揚と闊歩し、先発収容組と「名誉」において差を付けようとしたので
問題となり、ついに収容所長の判断で剣は没収されました。
つーか、ロシア人て単純というかおめでたいというか・・・。