ナポレオンと日本との関係

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1
鎖国してたからほとんど接点がなさそうだけど、実際
双方どの程度認識してたのかねえ?江戸幕府の連中に
ナポレオン法典読ませたらどんな反応をするやら・・
2世界@名無史さん:03/01/09 23:58
オランダ経由で情報は得ていたみたいです。
ある種の英雄という認識は、あったような気が。
3世界@名無史さん:03/01/10 02:27
祖父の告別式が終わり、火葬場に行った。
焼却炉に棺が納められ、遺体が焼かれる。
遺族は待合室に案内されたが、俺は親戚連中と話をする気にもなれなくて火葬場の外に出た。

駐車場から建物を見ると、長い煙突から煙が上がっていた。
祖父は煙草が好きで家族から文字通り煙たがられていたが、
自分が煙になる気分はどうなんだろうと、ぼんやり煙突を眺めていた。

ふと駐車場の一番奥を見ると、葉桜の下でナポレオンが敬礼していた。
ナポレオンは煙突の煙をじっと見たまま、いつまでも敬礼していた。

なんか泣けた。


そんだけ。
そういえば橋本治が大昔、江戸でフランス革命を?なんて本だしてたね。
乱立する「世界史における日本の○○」なんて、どうでもいい議論するくらいなら
このへん、語ってほしいな。
5世界@名無史さん:03/01/10 03:53
破琴荘主人「奈翁皇帝情痴譚」(ポルノ)とか
子規が奈翁仮面をみるとか
泉鏡花「海神別荘」
ttp://homepage1.nifty.com/yumishan/kaijin/kaijindaiup3.html
とか。
「奈翁」で検索するとそこそこでてくるね
ttp://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/2_history/af_96.htm
6世界@名無史さん:03/01/10 08:19
というより、ナポレオンが日本のことをどれだけ知ってたんだろうか。
彼が読書家だったのは有名だし、歴史の本読んでたら日本に関する記述も
よく目にすると思うんだが。
7山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/10 08:24
ナポレオンは琉球という「武器の無い国」の存在を知って驚いたとか。日本
のことも一応知ってはいたでしょう。
日本では「開国」以前にナポレオンの事が両親や出身地、おおよその経歴も
含めて知られていました。漢詩の中で秀吉やチンギス・ハーンも凌ぐ大英雄
と呼ばれていたくらい。
8ライフスペース代表:03/01/10 08:24
ナポレオンがエジプト遠征中シャクティパットを受け
その後の偉大な人生を歩み始めたことは,あまり知られていない。
9山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/01/10 08:26
漢詩を詠んだのは頼山陽。題は「仏朗王歌」。
10世界@名無史さん:03/01/10 09:08
阿蘭陀風説書では存在を抹殺されてたそうで>ナポレオン
11世界@名無史さん:03/01/10 09:16
もし慶喜が亡命を決意していたら、ナポレオンは受け入れていたよね。
当時は友好国だったから。

確かそんな仮想戦記があったはず。
12世界@名無史さん:03/01/10 10:11
>11
甥の三世の方か?
13末裔:03/01/10 10:13
皆さん!遠藤周作の”おばかさん”よんだことありますか〜。
14世界@名無史さん:03/01/10 11:04
高田屋嘉平(漢字合ってるか不安)がロシアに拉致られた
ときにナポレンオンが大遠征を仕掛けてた
たぶん嘉平もロシア人からその話を聞いてたはず
同時期に日本がゴローニンを逮捕したので
ゴローニンからそれなりに情報を得られただろう
15世界@名無史さん:03/01/10 11:25
>>13
ボナパルトたしか最後は卑怯な日本人に殺されちゃったんじゃなかったっけ?
けっこう愛嬌のあるオバカサンだったと記憶
16総督:03/01/10 20:41
『江戸のナポレオン伝説』読みなさい。
どうも幕府がナポレオンの全貌を掴んだのは1813年。ライプツィヒで諸国民戦争が
あった年。ロシアの漂流民ゴローニンを尋問して得た情報を元にオランダ商館長を
問い詰めたら存在を認めたそうだ。
17総督:03/01/10 20:45
小関三英という人が熱心に調べていたみたいだね
この人が書いた『那波烈翁記初編』かなにかという本を読んで感化された幕末の志士が
結構いるみたい。
18世界@名無史さん:03/01/10 21:14
「かくしては、地下の奈翁を呼びいだし、フレイヘイトを称えさせざるべからず」
なんの文句か忘れたが、幕末から明治初期にかけては、ナポレオンは単なる
英雄じゃなくて、自由のために戦った革命派の英雄と認識されていたようだ。
19世界@名無史さん:03/01/10 21:25
おれの夢の中ではナポレオンは北京まで攻めてきてるが、
20総督:03/01/10 21:35
小関三英の著書から抜粋

<ナポレオン誕生>
名は那波烈翁、姓は勃那把児的は格爾西加島貴族割易列而勃那把児的(コルシカ島貴族カーレル・
ホナハルテ)か次子なり、母を刺悦的々易刺木里尼(ラーチャ・ラモリニ)と云ふ、紀元一千七百六
十九年を以て島中アヤシオと云地に生る

当て字に萌え〜
21総督:03/01/10 21:51
<ナポレオンとフレイヘイド>
「勃那把児的」已に此屯軍に在り、暇日緒友と連れ合ふて「レイアン」の
劇場に寓目す、此時「ウィルレム、テル」の狂言条を行ひければ「フレイ
ヘイド」「フレイヘイド」の声発する時「勃那把児的」覚えず「ヤー」「
ヤー」「フレイヘイド」「フレイヘイド」と呼はりけり、其時側に在る友
人「勃那把児的」覚えず衣を引き媛は強覇払郎西の畿内なるぞ、妄言し玉
ふなと私語ければ「勃那把児的」心に悟り黙止しけり
22山犬 ◆R200hJA.tQ :03/01/10 21:53
>>14
「日本俘虜実記」にはナポレオンに関する話題は出てこなかったと記憶して
いますが、ゴローニン自身もナポレオン戦争を経験していますし、彼から
ナポレオンに関する情報を得ていた可能性はありますね。

確かゴローニンはネルソン提督とも面識があったんじゃなかったかな?
あと西郷隆盛もナポレオンを尊敬していたのでしたね。

>>6
ガリバー旅行記には一応日本が出てきますが、ナポレオンは読んでたのかなぁ…。
23総督:03/01/10 22:09
>>1
「北海異談」売渡人処罰事件でもわかるように仮に日本でナポレオン法典の
訳本のようなものを出したら打首だったろうね・・・
24世界@名無史さん:03/01/10 23:17
フランス行ったときフォンテンブローでフランス人のガイドが
ナポレオンは戦争に負けたのでなく
気候に負けたんだとダビッドの絵画の前で語りました
冬に雪は降らなかったよと突っ込もうかと思ったがやめました
フランス人なのに…
まあ雪降らなかったから冬のヴォルガ河で水浴びしたわけだが
25山崎渉:03/01/11 12:46
(^^)
26世界@名無史さん:03/01/19 13:56
ナポレオン三世なら、徳川慶喜に軍服とか送ってた
ナポ三世は幕府軍のスポンサー(勝ってたら日本を保護国?)なので
日本史にとっても重要だけど・・・
27日本@名無史さん:03/01/19 16:49
西洋雑記にはフランスでは王が太陽のように崇められてるという紹介の
後に、近年ボナパルトの大礼ありと載ってた..それだけ。
28山犬 ◆R200hJA.tQ :03/01/19 17:17
>>26さん
他にも、ナポレオン3世は幕府にシャスポー銃を3000挺送っていますね。
当時最新式のこの銃を装備した幕府陸軍は、鳥羽伏見の戦いでボロ負け
するんですが…。
29世界@名無史さん:03/01/21 09:24
あるとき、舟で沖合いに行った猟師たちが海の向こうはどうなっているのだろうとどんどんこぎ進んだ。
ある日、マルセイユにて、ナポレオンが見慣れない小船を見てあれは何者か?と部下に聞いた。
部下はイーストマンと答えた。
ナポレオンはイトマンと呼ぶと思い込んだ。
その後、猟師たちの村は糸満と呼ばれるようになった。
30世界@名無史さん:03/01/21 10:32
>>28
幕府軍側は指揮がバラバラだった、これは後の奥羽列藩同盟でも言える
京都見回り役の小隊が御所方面に抜ける薩長同盟軍防衛の弱点を見つけたのに
攻撃して一気に御所を目指さなかった
31あやめ:03/02/27 19:01
>29
この話は海音寺潮五郎の「鷲の歌」という小説の冒頭に出てたように記憶します。
但しナポレオンとは無関係な記述になったました。
32山崎渉:03/03/13 13:31
(^^)
33世界@名無史さん:03/03/28 18:58
19世紀の初めにオランダ商館がイギリス船に砲撃されたのは、ナポレオンと
関係があるって聞いたんだけど、誰か教えて。
34世界@名無史さん:03/03/28 19:19
>>26
ナポレオン三世自身はカルボナリだったこともあり
社会主義にわりと共感を持っていたとともに
ウィルソン以前の民族自決主義者でもあった模様。

もっとも民族自決主義がアジアにも適応されるものと彼が考えてたかどうかは知らない。
また、彼の主義はメキシコに見られるように空回りどころか
余計なトラブルあるいは悲劇を生む結果にしかならなかったようだけど。

35世界@名無史さん:03/03/28 22:35
>>33
フェートン号事件のこと?あれはオランダがフランスの支配下に置かれたせいでバタヴィア
のオランダ東インド会社が孤立したので、それを好機と見たイギリスがバタヴィアを占領
したんだ。それで調子に乗ったイギリスが事情を知らない日本支店の人たちに、「お前
らの帰る国はもうないぞわが国に帰順して日本貿易の利潤を貢げ」と脅す目的で日本に来航
したんだな。
36世界@名無史さん:03/03/29 04:53
その当時、オランダの国旗がひるがえってたのは日本の出島だけ、
という話だが・・
>>35
37世界@名無史さん:03/03/29 05:23
ナポレオンは、シナを意識していた。
「眠らせておけ」と。
「眠れる獅子」の起源。
38世界@名無史さん:03/04/02 21:26
>>35さん
ありがとにゃん。学校の日本史の教科書でも見てみるにゃりんよ。
39世界@名無史さん:03/04/08 10:11
>>37ナポレオンは中国の兵法書「孫子」を高く評価していたから多分そのせいだろう。
仮に彼が日本と接触してたら孫氏の兵法の実践者・武田信玄をどう評しただろうか?
40山崎渉:03/04/17 09:51
(^^)
41山崎渉:03/04/20 04:50
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
42世界@名無史さん:03/05/03 23:10
ここの第二話にナポレオンと日本の関係があります。
http://life.2ch.net/yume/kako/1028/10286/1028691553.html
43世界@名無史さん:03/05/03 23:27
中公文庫:「世界の歴史・フランス革命とナポレオン」より

フランス革命のニュースがはじめて日本に伝わったのは、バスチーユ攻略後
五年目にあたる1794年(寛政六年)のことで、長崎へ毎年入港するオランダ
船の船長が徳川幕府に差し出した『風説書』というものによってである。

「ふらんす国臣下の者ども、徒党仕り、国王ならびに王子を殺し、国内乱妨に
および申(もうし)候」

4443:03/05/03 23:33
あわれはかくなり
誰をうらみん圧制の
自業自得というべけれ
(小室屈山)

と詠えるようになるまでには、パリでルイがギロチンにかけられてから、
およそ百年近くかかるのである。そして「自由、平等、友愛」と主権在民の
精神が日本の憲法に明記されるためには、さらに数十年、昭和二一年まで
待たなければならない。
 私達の祖先は、知能指数が最低だったのだろうか。そうではない。いかに優秀な
頭脳でも、時代の制約をまぬがれることはできない、というだけのことである。
時代の制約といったのではあいまいだろう。人間は、その住む社会の発展段階に制約
され、自分たちとあまりへだたりの大きい、よその社会の事は、わかりかねるのである。
鎖国をしていた封建時代の日本人がブルジョワ革命の意味を正しくとらえなかったことを、
とがめてはなるまい。
45世界@名無史さん:03/05/03 23:40
>42
最終回でオールキャラ総登場かYo!
46山崎渉:03/05/21 22:45
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
47山崎渉:03/05/28 15:36
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
48山崎 渉:03/07/15 12:58

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
50世界@名無史さん:03/08/01 07:51
age
51世界@名無史さん:03/08/01 12:06
河井継之助がナポレオンの研究をしてたとか見た覚えがあるけど、気のせいかな?
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
53世界@名無史さん:03/08/02 15:14
ナポレオンと池田大作
54世界@名無史さん:03/08/31 09:00
age
55世界@名無史さん:03/10/01 09:24
age
56世界@名無史さん:03/10/01 09:30
  ナポレオン法典なら、ボアソナードを介して、維新後の日本に入ってきたわけだが
  明治初期はフランスを模倣していて元勲や官員たちはどんな気分だったのかな
  割り切ってた人もいただろうが
57世界@名無史さん:03/10/01 09:30
NHKの時代劇「天下堂々」で、セントヘレナ島を脱出したナポレオンが
じつは江戸へ潜入していたという話があったな。あのときは笑った。

細川俊之がナポレオン役。
58世界@名無史さん:03/10/01 11:33
慶喜がナポレオンに憧れてたとか
59世界@名無史さん:03/10/23 07:53
age
60世界@名無史さん:03/10/31 12:56
「風雲児たち」にセントヘレナに幽閉されたナポレオンが琉球の記事を読んで、
軍隊が無いのに独立できる島があったなんていいなぁ、と羨ましがったという話があった。
生まれ故郷のコルシカ島が常に他国に支配されたたことを踏まえてのことだとおもうが、
この話は本当でしょうか?
61アマノウヅメ ◆2atuWPtiaQ :03/10/31 15:12
いい加減な話ですみません。
東洋を旅行した誰かが(名前思い出せません)セントヘレナを訪ねて、
ナポレオンに琉球の話をしたところ
「武器を持たない!戦争をしない!不可能だ!」といったという話が
その誰かの回想録にありました。
手元にソースないもので、それ以上は解りませんが・・・
620011:03/10/31 15:45
頼山陽の本に「那翁」として載っているョ!
63世界@名無史さん:03/10/31 15:59
>ナポレオンに琉球の話
岩波文庫の『朝鮮・琉球航海記』だっぺ
64世界@名無史さん:03/12/04 21:21
age
65世界@名無史さん:03/12/05 20:31
前号のスパジャン読んだらゼロでナポレオンは日本酒の技法にヒントを得て、
ビールを作らせた、というオチだった。ホント?
66世界@名無史さん:03/12/06 00:36
え、風雲児たちにそんなシーンあったっけ?
67世界@名無史さん:03/12/06 07:37
>ナポレオンが琉球の記事を読んで、
>軍隊が無いのに独立できる島があったなんていいなぁ

たぶん実情知ったら「なんだ、ただの属国じゃないか」
って言ったろうな。
国際政治の荒波切り抜けてきたナポレオンだけに、
「コルシカと同じじゃないか」とか。
軍隊が無いというより、
「持たせられて無い」っていうのが正確な気が・・・
68世界@名無史さん:03/12/08 01:49
>>65
ビールなんて紀元前からあるんじゃないのか?
69世界@名無史さん:03/12/08 05:32
>>66
幕末編でペリーが琉球に初上陸したときにそのエピソードが紹介されていた。
ペリーが「そんなはずがない」とナポレオンに突っ込んでいた。
70世界@名無史さん:03/12/08 20:30
ゴローニンなんかわずか数年滞在しただけなのに
「琉球は日本に服属し、貢納してても
自分達の王や法律を持ってるように見えるが、
実際は日本皇帝直属の家臣とも言ってもいい存在」
とまで見抜いてんだから。
貿易関係用に便宜的に独立してるように
薩摩が仕向けたのを分かったんだな。

ナポレオンは情報が少なかったんだろうな。
71世界@名無史さん:03/12/08 21:49
数年滞在すればね
72世界@名無史さん:03/12/09 00:20
>>69
ダンケ。

おいらが覚えてるのは、
小関三英が紹介されるシーンで、
オレは崋山と長英の間で埋もれただけのチョイ役じゃないそ!
みたいなこと言って、作者につっかかるシーンだな。
それで、
「ナポレオンを日本に最初に紹介した人」みたいな追加情報が入る。
73世界@名無史さん:03/12/09 05:26
>>68
日持ちのいいビールって意味。
まだ細菌発見される前だから。
74世界@名無史さん:04/01/20 08:34
age
75世界@名無史さん:04/02/23 08:12
age
76世界@名無史さん:04/02/29 23:38
西郷隆盛はナポレオンをいたく尊敬していたというが
77世界@名無史さん:04/03/01 00:04
ちょっと待て。このスレなんで立てられて一年以上たってるのにレスが80もないのか?
78世界@名無史さん:04/03/01 00:52
>>77
それだけ接点がないということだ
>>1の活躍に期待汁!!
79世界@名無史さん:04/03/01 00:52
だってそんなに関係ないもん
80世界@名無史さん:04/03/01 01:15
西南戦争でエルバ島を脱出したナポレオンが官軍の攻城指揮をしたから
熊本城がおちたって話も聞くけど・・・
81世界@名無史さん:04/03/01 08:50
出島のオランダ商館は、ナポレオンにオランダが滅ぼされてもオランダを偽り続けた。
82世界@名無史さん:04/03/28 21:29
age
83世界@名無史さん:04/05/08 17:46
age
84世界@名無史さん:04/05/21 19:19
日本にナポレオンを名乗るヤシがいる
85世界@名無史さん:04/06/28 23:32
age
86世界@名無史さん:04/06/29 11:09
>84
それは何かお心を病んでいるのでしょう
87世界@名無史さん:04/08/10 22:33
age
88世界@名無史さん:04/08/10 23:31
・・・お心を病んでいたのですか?>ナポレオン ◆vYVYAtFe0o
89世界@名無史さん:04/08/11 09:37
日本のみなさんこんにちはナポレオンです
私もヒトラーも冬将軍に負けました
日本はロシアを倒したってのが凄い!
90世界@名無史さん:04/08/11 10:32
そうだよな。奉天以北に釣り上げて、補給線を延長させて
冬将軍を待つって選択肢を、クロパトキンが(様々な政治的理由で)
とれなかったのが行幸だな。

もっとも戦場はロシア本土でなく他国の満州だから意味は違うが
91世界@名無史さん:04/08/11 23:21
>>90
まぁ、ヒキコモリじゃないロシア軍ならオーストリア軍込みでアウステルリッツで大敗してっけどねぇ。
92世界@名無史さん:04/08/18 10:15
クトーゾフは反対したんでしょ?
詳細は知らんけど、オーストリアの作戦。

もっともダイジェストの「健康と平和」でしか知らんけど。
オーストリアの偉い参謀さんが国王様といけいけどんどん作戦立案すると
クトーゾフは賢しらに居眠り演技で「おめえらの作戦は甘いぜ」って
サボタージュするの。

史実は知らんけど
93世界@名無史さん:04/08/22 13:54
拿宝鈴音(なぽれおん)

後漢末期の中国を揺るがし、群雄割拠の時代を招く切欠となった黄巾の乱。
この農民を主体とした大反乱に黄巾側の軍師として戦った「拿宝鈴音」なる男が居た。
拿宝鈴音は交州は海南島の生まれで幼い時、両親や兄弟と共に荊州(洛陽)へと移住した。
移住後の生活は非常に苦しく、毎日食うや食わずやといった貧乏暮らしを余儀無くされたが
貧しく苦しい状況下でも学問への思いは捨てず、晴耕雨読の日々を送った。
十年後、成人した拿宝鈴音は農民に無慈悲な負担を強いる政府に憤りを感じ
徐々に太平道へ傾倒、遂には周囲の反対を押し切って黄巾党へ参加してしまう。
黄巾党に入った拿宝鈴音は其処で自らの持つ天才的な軍事才能に目覚め
その力を黄巾党指導者の張角に見初められとある「方」の参謀役に任命された。
拿宝鈴音は反乱が本格化すると津波の如く押し寄せる政府軍を巧みな兵法で
翻弄し幾度となく数に勝る政府軍を撃退する勇猛果敢な戦果を上げる。
その余りの強さから彼と相対した将は彼を「珠崖の怪物」と渾名したと言われる。
その後張角を始めとする黄巾党の主要人物の死去によって乱が終焉を迎えると
拿宝鈴音も敵方に捕らえられ、故郷の海南島へ流刑にされ其処で一生を終えたという。

尚、彼の武勇伝は黄巾党の再起を恐れた各勢力によって隠滅された為
拿宝鈴音という軍師が存在した事実を知る現代人は非常に少ない。

だが18世紀フランスの英雄ナポレオン=ボナパルトの名前の由来が
偶然、拿宝鈴音の伝説を知った父親が彼に肖る意味合いで名づけた事実などから
伺える様に、口伝によって今でも彼の名はひっそりと人々の記憶に刻まれているのである。

民明書房刊『革命家の作り方』より抜粋
94世界@名無史さん:04/08/23 16:11
>>93
最初からこっちに投下しときゃ良かったのに(藁
95世界@名無史さん:04/09/14 08:46:17
age
96世界@名無史さん:04/10/19 08:09:18
age
97世界@名無史さん:04/10/19 14:17:11
スフィンクスの鼻がもげてるのはナポレオンの仕業ではありません。
98世界@名無史さん:04/11/21 22:17:30
age
99世界@名無史さん:04/12/08 22:24:37
age
100世界@名無史さん:04/12/10 00:15:48
age
101世界@名無史さん:05/01/04 09:28:26
age
102世界@名無史さん:05/02/03 16:23:45 0
ナポレオン三世になると遣欧使節団と会見したんだけどね。

将軍の弟である徳川よしたけなんてエレベーターや舞踊会みて
驚いているところはまるでおのぼりさんだ。
103世界@名無史さん
>>97
サトルとアリサの仕業です