ビザンツは東ローマ帝国と呼ぶべきだ

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127つーか
>>125
御意。
西とか東とかをつけて呼んでいるのは後世の勝手な命名。
また、ローマ帝国(Imperium Romanium)というのは俗称であって、正式国名は
紀元前から15世紀に滅亡するまで Res Publica Romana のまま変っていない。
訳せば「ローマ共和国」あたりが妥当なところかな。
128世界@名無史さん:03/06/28 11:34
アクタ共和国なみに共和国という名がふさわしくない共和国だな。
129世界@名無史さん:03/06/28 23:49
>>127
元老院ならびにローマ市民、じゃなかったけ?
130世界@名無史さん:03/06/28 23:51
「ローマ帝国」って誰が言い出したんだろ
131世界@名無史さん:03/07/02 22:05
BSデヂタルの放送より

BS−iにおいて「東ローマ帝国・繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡」
7月7日 20:00〜21:54 もうひとつのローマはこうしてつくられた
7月14日            最強の皇帝が残した華麗なる芸術
7月21日            帝国の黄金期に潜む陰謀と策略
7月28日            十字軍に救いを求めた大国の誤算

このあと8月も続くと思われ。
132世界@名無史さん:03/07/06 16:40
>>129
Senatus Populisque RomanumかRes Publica Romanaか。
133世界@名無史さん:03/07/06 23:41
>>131

以前連続放送した番組の再放送だと思うが、冗長すぎて毎回途中で寝てしまった。
もう少しコンパクトに再編集した方がいいと思う。
134世界@名無史さん:03/07/07 16:39
Res Publica Romana・・・今様に訳せば「ローマ共和国」なんだろうが、
「共同体」のほうが実態にしっくりくるかも。
135n:03/07/07 16:39
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136山崎 渉:03/07/15 12:45

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貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
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(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
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「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
138世界@名無史さん:03/07/22 22:25
後藤明っていう教授もこんな事言ってたな
139世界@名無史さん:03/08/05 05:03
東ローマ帝国って今のどのへんの国なんでつか?
140_:03/08/05 05:03
141_:03/08/05 05:08
142世界@名無史さん:03/08/05 15:30
>>139
時代によって版図が広い時もあれば狭くなってる時も
あるが、主にヴァルカン半島の南部と、小アジア。
まあ、今の国名でいうとトルコやギリシャだな。
143(* ̄д ̄)y─┛〜〜:03/08/05 15:31
144世界@名無史さん:03/08/05 15:57
>>139
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145世界@名無史さん:03/08/05 16:22
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146世界@名無史さん:03/08/05 23:14
>>142
ヴァルカンちゃう、バルカンや。
147世界@名無史さん:03/10/09 18:33
「ユスティニアヌスの治世は古代ローマ帝国が燃え尽きる寸前に放った火花で
あり、7世紀以後の中型の国家こそがビザンティン帝国である」

という意見はどう?
148世界@名無史さん:03/10/09 18:36
ユスティニアヌスは「最後のローマ皇帝」とも呼ばれる。

しかしあれは無理に無理を重ねての精一杯の強がりだったわけで。
ユスティニアヌスのせいで衰えた国力を使い果たしてボロボロになった。
149世界@名無史さん:03/10/09 19:02
まぁだけど、中世までは
コンスタンチノープル(正教)とローマ(カトリック)が
欧州の二大中心地だったから
コンスタンチノープルを永らく制していたっつー事自体が
国力に関係なく、キリスト教世界の権威として認識された。


150世界@名無史さん:03/10/09 19:37
あれ、元老院って最後まで存続したんだっけ?
151世界@名無史さん:03/10/10 00:57
高校のテスト時「東ローマ帝国」と書いたら○になってた。
友達は皆「ビザンチン帝国」や「ビザンツ帝国」と書いてたし、
模範解答も「ビザンチン」だったけど。
何となく心の広い先生かも、と思ったよ。
152世界@名無史さん:03/10/10 01:54
>>151
採点者が当のビザンツ人だったらどっちも×だろうな。
「ローマ」と書かなければ○にならない。
153世界@名無史さん:03/10/10 02:43
やっぱり7世紀が重要な転換期ですかね。
共通語がラテン語からギリシア語になったことのほかに、
キリスト教が帝国のすみずみまで浸透して、建築・美術活動も、
キリスト教を主軸として行われるようになったし。
皇帝は競技場や公共浴場よりも、キリスト教聖堂を建てることに
力をいれ、また主教をはじめ聖職者が、各地の建築・美術活動の
リーダーとして重要な役割を果たすようになっていった。
154151:03/10/16 01:00
>152
採点者がローマ人なら、そりゃそうだな(藁
155世界@名無史さん:03/10/16 01:27
ローマ帝国って首都移転したり分割されたりくっついたりしているけど、そのとき元老院はどうなるのでしょうか?
分割統治のときには元老院の半分の議員がローマ市に出張してローマ市元老院を構成し、
皇帝が一人になったらローマ市元老院は店じまいしてコンスタンティノープルに戻ってくるのでしょうか。
156世界@名無史さん:03/10/18 04:37
一般人の意見だと
西ローマ=ドイツとかフランスとかあって強いんじゃね?
東ローマ=トルコっつっても正直トルコ風情じゃね?西ローマのほうがさきに滅びるってありえなくね?

だと思う。
157世界@名無史さん:03/10/18 09:32
ローマ時代にドイツもフランスもトルコも無かろうが。
158世界@名無史さん:03/10/18 10:02
ギリシアとトルコは大差 ないような
159世界@名無史さん:03/10/18 10:21
日頃、いがみあってる割には
言語と宗教の他はあまり大差ないもんな。
食べてるものも人の顔立ちなんかも。
160世界@名無史さん:03/10/18 10:28
>>159
日韓みたいだな。
161世界@名無史さん:03/11/01 18:25
>>1
つーか、それをいうなら、
ロムルス・アウグストゥルスがオドアケルに廃位されたときだって、
人々は、それがこんな歴史上の重要事件として記録されるなんて思って
いなかっただろうよ。
野心的な軍人による皇帝の殺害や簒奪なんて、それまでもしょっちゅう
起こっていたんだから。
遠からず新たな権力者が、西ローマ皇帝の座につくと人々は思っていた。
シャルルマーニュの戴冠が、西ローマ帝権の「復興」(レスタウラティオ)
ではなく、「革新」(レノウォティオ)という言葉で表現されたのも、その表れ。

162金角:03/11/16 02:14
>>156

小アジアにトルコ人が来たのって11世紀だから、それまでは小アジアを
トルコって呼ぶのはちとまずそう。

ローマ帝国東西を民族に比較するなら、
イタリア人とギリシア人とを、
ゲルマン人とスラブ人とを
対比させた方がいいんでないかな。
163世界@名無史さん:03/11/16 05:20
島国日本は北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と呼ぶべき
164金角:03/11/16 05:29
頼むから、会話文で「ビザンチン帝国」という言い回しを登場人物
にさせないでくれ > 塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」
165世界@名無史さん:03/11/16 05:44
>>164
「ローマ」と呼ばせるのもなー
166金角:03/11/16 05:48
>>165

地の文ならビザンチン帝国もありだけど、会話文では当時使われた
言い方を使うべきじゃない?
167世界@名無史さん:03/11/16 06:04
>>153
ローマは分裂前の早い時期、ポエニ戦役あたりから、すでにギリシャ語も公用語。
168世界@名無史さん:03/11/16 08:29
1の主張も間違ってるな
コンスタンチノープルの政権は東ローマ帝国なんて称したことはない
あくまでローマ帝国だ
「西ローマ」「東ローマ」という帝国があったのではなく
西にも東にも「ローマ」を称する帝国があり西は早くに滅びた
その後は唯一のローマ帝国がコンスタンチノープルにあったのだ
169世界@名無史さん:03/11/16 08:46
同じく168の主張も間違い
コンスタンチノープルの政権はローマ帝国なんて称したことはない
あくまでローマ共和国だ
BC5世紀から15世紀までずっと「ローマ共和国」
170世界@名無史さん:03/11/16 08:49
>>168
シャルルマーニュの西ローマ皇帝としての戴冠はどうなん?
171世界@名無史さん:03/11/16 18:49
>>162
そもそもアラブ人やトルコ人は小アジアをルーム(アラビア語なまりでローマ)と呼んでいたしね。
172世界@名無史さん:03/11/18 01:20
東ローマのアナスタシウス帝がローマ教皇宛の手紙の最後に書いた言葉

「猊下は朕に反対することもできるし、朕を侮辱することもできるが、
朕に命令することはできない」
173世界@名無史さん:04/01/14 02:22
age
174世界@名無史さん:04/01/15 17:03
エピロス専制公国って何?亡命政権だよね?
175世界@名無史さん:04/01/15 18:50
ニケーア帝国
トレビゾンド帝国
176世界@名無史さん:04/01/15 22:23
「ビザンツ帝国史(尚樹 啓太郎)」と「ビザンツ帝国史(ゲオルク オストロゴルスキー)」
って、買うとしたらどっちがいい?
177世界@名無史さん:04/01/15 22:27
オストロゴルスキーは英語で読んだほうがはるかに安い。
178世界@名無史さん:04/01/15 22:29
ビザンツ帝国は皇帝を中心とした神の国。
179世界@名無史さん:04/01/15 22:31
カエサロパピズム
180世界@名無史さん:04/01/15 23:36
トレビゾント帝国は、東ローマ帝国扱いされないのはなぜ?
181世界@名無史さん:04/01/19 14:29
>180
結局首都奪還はニケーアにもってかれたからじゃない?
滅亡したのもビザンツとは違う年だし(といっても数年後くらい)
182世界@名無史さん:04/01/25 00:07
マケドニア朝以降の帝国の落日が寂しいながらも実にかっこいい。
特に最後の皇帝コンスタンティノス11世の死に方なんか最高だね。
183世界@名無史さん:04/02/06 21:05
東/西はお互いにどう呼び合ってたの?
184世界@名無史さん:04/02/06 21:10
あんなチンケな国家をローマの名で呼ぶのは不遜である。
185世界@名無史さん:04/02/06 21:15
都市ローマを失ってもローマ帝国を名乗るなんてチャンチャラおかしい。
なんちゃってローマ帝国。
186世界@名無史さん:04/02/06 21:16
>184
それを言うなら神聖ローマ帝国は・・・とループしたいところだが
神聖ローマは結局崩壊までそれなりの領土を維持していたからなぁ。
最後の頃のビザンツ市国を帝国と呼ぶのはちょっと違和感あるな。
187世界@名無史さん:04/02/07 02:14
>>186
モレア公領があったから市国じゃないと思うが・・・
188世界@名無史さん:04/02/17 12:23
一貫してローマ共和国と呼ばれていたと聞いたが、
東西分裂後はどうやって区別つけてたんだ?
東ローマ共和国?
189世界@名無史さん:04/03/03 22:18
>>169
BC8C〜5Cの間はローマ王国なのか?
190  :04/03/11 16:41
>>1
君がピザンツを東ローマと呼称しようが日本だろうがアメリカだろうが北極だろうがバチカンだろうが、自由だが人に押し付けるな。
 
                 終了
191 :04/03/20 01:23
Tη βυζαντινή αυτοκρατορία
192世界@名無史さん:04/04/05 18:50
マヌエル2世みたいながんばり屋になりたい。
193世界@名無史さん:04/04/22 12:35
Βυζαντινή Αυτοκρατορία
194世界@名無史さん:04/04/22 21:45
今、ローマ帝国衰亡史のベリサリウスの最後の活躍のくだりを読んでいるんですが
読めば読むほど彼が可哀想になってくるのは僕だけでしょうか?
頑張っても頑張っても、これはデッカイ手柄になりそうだぞ・・・という所で
取り上げられてハイ、それまでよ。というパターンばっかりで。
よく反乱起こさなかったなぁ・・・と思います。
195世界@名無史さん:04/04/22 21:53
>>1
言葉狩りの臭いがプンプンとただよってくるインターネットですね。
196世界@名無史さん:04/04/23 02:01
197世界@名無史さん:04/06/02 00:15
ひょっとして中世ローマ帝国はギリシアでは自国の歴史のとして教えているのだろうか。
198 ◆FsvkjxguSE :04/06/26 18:22
てst
199世界@名無史さん:04/07/19 22:33
age
200世界@名無史さん:04/07/19 23:51
「ビザンツ」帝国って名称は7世紀以降の帝国に使うべきだと思う。
「ローマ」帝国って名称は地中海世界の統一国家とか覇者ってことを意味している。
7世紀にイスラームの拡大により地中海の覇者から地方の一有力国家へ成り下がったのだから中世的な「ビザンツ」という名称が適当だと思う。
まあどちらにせよローマ帝国の継承者であることには変わりないが・・・


200getですね
201199:04/07/20 20:38
昨日は本当に一番下まで下がっていたよ。やべえやべえ。
202世界@名無史さん:04/07/20 21:05
今、シチリア王国の書籍を読み漁っているんですが、ノルマン人が
シチリアを占拠して伯国を建てた際、シチリアに残留していた
ビザンツ系官僚を流用したと書いてありました。
203世界@名無史さん:04/07/20 21:09
連続性があるということですね。

アラビア人から奪還してからも、イスラム教徒が居住していたというし。
204世界@名無史さん:04/07/20 21:47
>>197
なんの躊躇いもなく「国史」を教えられる日本という國も幸せなのかな。
205世界@名無史さん:04/07/20 22:01
江戸時代の日本では、中国の歴史を教えていた
206世界@名無史さん:04/07/20 22:04
あんなチンケな国をローマの名で呼ぶのは不遜。
207世界@名無史さん:04/07/20 22:06
日本の象徴も、「天皇」
小さな島国にしては不遜
208世界@名無史さん:04/07/20 22:16
小さくないだろ。
209世界@名無史さん:04/07/20 23:40
ハギアソフィアから今ミナレットを取ったらつっかい棒をなくして
倒壊する。
210世界@名無史さん:04/07/25 18:31
>206
ジャパンではなくニッポン、フィンランドではなくスオミと、自国民が呼んで
いる呼称に従うなら堂々とローマと呼んでいいのでは?
211世界@名無史さん:04/07/25 20:45
7世紀に区切りを持って来たがる人間もいるようだが、
10世紀、オットーが西の教会の人事に口出ししだすまで、
コンスタンティノポリスはローマ教皇、ってか大司教の人選にも多大な影響力を持ち、
イタリア南部を支配してたわけだから、
ローマと呼ぶことになんの問題があるのだろうか。

まあ、この問題に関しては>>122の言う通りみーんなナベキンが悪いわけで。
ちゃんと責任とって修正汁!
212世界@名無史さん:04/07/26 02:07
>>210
むしろ堂々とビザンツと呼んでいい気がする
213世界@名無史さん:04/08/05 21:21
ビザンティン好きな人はオスマントルコ嫌いな人多いのだろうか?
私は一時的に強かったキリスト教の民族に滅ぼされるより占領後、
世界帝国となり、ヨーロッパを震撼させ続けたオスマン帝国は嫌い
ではない。
214世界@名無史さん:04/08/05 21:47
ビザンツでいいじゃん。
否定するなよ。
215世界@名無史さん:04/08/07 10:05
つか、首都はローマじゃなく、ビザンティウムなんだからビザンツ帝国でいいだろ。
イタリアとは別世界なのにローマ帝国を名乗り続けるなんて、ドイツ地方の一諸侯が神聖ローマ帝国を名乗っていたのと同じ滑稽さ。
216世界@名無史さん:04/08/07 10:23
神聖ローマ帝国は自称だが、ビザンツ帝国は近代の歴史学者による他称。
217世界@名無史さん:04/08/07 13:35
ローマの精神を捨てて、キリスト教を国教としたくせにローマを名乗るなよ。
218世界@名無史さん:04/08/07 14:00
ローマ帝国は東西分裂以前にキリスト教を国教化していますが何か?
219世界@名無史さん:04/08/07 17:22
>>215
> つか、首都はローマじゃなく、ビザンティウムなんだからビザンツ帝国でいいだろ。
> イタリアとは別世界なのにローマ帝国を名乗り続けるなんて、ドイツ地方の一諸侯が神聖ローマ帝国を名乗っていたのと同じ滑稽さ。

コンスタンティヌスが遷都する相当前からローマなんて首都じゃなくなってるよ・・・
220世界@名無史さん:04/08/07 18:41
イングランドもブルガリアも故地を離れているが、その名前を名乗っている。
民族的に一応継続しているが、
とにかく原則政府の公式名称、区別の意味で他の名前を併用 漢=蜀漢
それに首都の公式名称はビザンティウムだったの?
221世界@名無史さん:04/08/08 01:38
一度、コンスタンティノポリスになったんだよね。
行政言語がギリシア語になってから、ビザンティウムが復活したとかかな?
222世界@名無史さん:04/08/08 01:47
イスタンブルに変えられるまでは、
ずっとコンスタンティノポリス。

「〜ノープル」ってのは
日本をジャパンと呼ぶようなもの
223世界@名無史さん:04/08/08 02:50
ギリシア人にとっては今でもコンスタンティノポリス
224世界@名無史さん:04/08/08 13:05
韓国人が天皇を日王と呼ぶようなものか。
225カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/08 20:38
>>223
コンスタンティ「ヌ」ポリスらしい。何でかしらんけど。
以下、山川のバルカン史から、コンスタンティヌポリスの各国語による呼び名。

イスタンブル(トルコ)
ツァリグラード(ブルガリア、セルビア、クロアチア)
コンスタンティヌポリス(現代ギリシア)
コンスタンティノーブル(イギリス、フランス)
ビュザンティオン(古典ギリシア)
ビザンティウム(ラテン)

コンスタンティノー「ブ」ルってほんまかいな……
226世界@名無史さん:04/08/09 23:27
コンスタンティノス 主格
コンスタンティヌ  属格
コンスタンティノン 対格

だからじゃないの。
227カラジチ ◆mWYugocC.c :04/08/11 20:15
なるほど、ギリシア語の属格ですか。
でもそういう時って男性名詞だと-o-で繋ぐのが普通という気がするんですが……
それはラテン語の特徴?
228世界@名無史さん:04/08/13 01:46
つまりビザンチン帝国は、江戸帝国と呼んでいるみたいなもんなんだ
229世界@名無史さん:04/08/13 01:53
つまり大日本帝国を東京帝国と…
230世界@名無史さん:04/08/13 02:16
なるほど
231世界@名無史さん:04/08/13 11:57
米国はワシントン国か…
232世界@名無史さん:04/08/13 22:56
しかし過去ログにもあるけれど、『ギリシア人の皇帝』の称号を了承した段階で
ローマ帝国の後継者としての肝心要な部分を失った事は確かなんだよね。
自称するだけなら現在のギリシアも古代ギリシアーローマの流れを継承していると
主張しているわけで。
233世界@名無史さん:04/08/15 18:33
でもそれならギリシア帝国とかコンスタス帝国とか呼ぶべきじゃないの
234世界@名無史さん:04/08/15 18:34
ギリシャは他称か
235世界@名無史さん:04/08/15 18:57
ビザンツでいじゃねーか。
ローマ帝国だってローマという都市があってだろう。
そのローマがない以上、ビザンツで充分。
236世界@名無史さん:04/08/15 18:58
自称はヘラスだっけ?
237世界@名無史さん:04/08/15 19:05
>>232
> しかし過去ログにもあるけれど、『ギリシア人の皇帝』の称号を了承した段階で
> ローマ帝国の後継者としての肝心要な部分を失った事は確かなんだよね。
> 自称するだけなら現在のギリシアも古代ギリシアーローマの流れを継承していると
> 主張しているわけで。

>>96によると、15世紀初頭、
滅亡まで残り50年程度しかない頃だそうだが。
そりゃ「肝心要な部分」なんぞ失ってる罠。
238世界@名無史さん:04/08/15 20:44
>>1
東を落としてローマ帝国と呼ぶべきだと思う。
ローマ帝国は西欧の専有物ではない。
ドイツ・ローマと分けるならビザンツ・ローマと呼べばよい。
ヘラスは昨日もヘラスって呼んでたよ。
239世界@名無史さん:04/08/15 20:52
ドイツの神聖ローマ帝国ならば
ヘラスの神聖ローマ帝国と呼びたい
お互い、正統を自称したいけど
お互い、ローマじゃないし
240世界@名無史さん:04/08/15 20:52
ギリシャの文化的後継者はローマだけじゃない。
ヘレニズム諸地域は全部ギリシャの後継者だ。
ササン朝はペルシャでありギリシャだ!
イスラム世界もアラブでありギリシャでありローマだ!
エジプト→ギリシャ→ローマ→ヨーロッパみたいな単線史観を信じているヤツはここにはいないだろうが…
241世界@名無史さん:04/08/15 21:03
ヘーゲルが『歴史哲学講義』を発表する以前から、それが(西)ヨーロッパ人の間での定説です。
242世界@名無史さん:04/08/15 21:13
水戸の御老公が大日本史を編纂する以前から、

高天原→日向→大和→京都

が日本人のあいだで定説になっていたのと同じことか。
243世界@名無史さん:04/08/15 21:43
ヘーゲルが人類の最高発展段階としたはずのプロイセン(→ドイツ帝国)は第一次大戦で敢え無く崩壊してしまったから、
その代わりに、EUやらUSAが来るんだろうが。
244世界@名無史さん:04/08/16 23:18
神聖ローマ帝国と呼ぶなら、ローマ帝国ないし区別して東ローマ帝国と呼ぶべきでしょう。
ビザンツと呼ぶなら、ゲルマン帝国とか呼ぶべき
地中海地方のの帝権=ローマの概念だろうし。それからいけば、神聖ローマ(教皇)帝国より
後のオスマントルコがローマ帝国を名乗るほうが、正統性が高い。
245世界@名無史さん:04/08/17 01:27
カール5世期のハプスブルクが一番ローマにふさわしかった
246世界@名無史さん:04/08/17 02:51
>>244
ローマの後継者を自認してたかどうかの問題では?
勢力圏だけを見ればウマイヤ朝のイスラムもローマの後継者だが、
イスラム教徒がローマをどう見てたかについて分ってるのか。
って俺も知らないので誰か教えて著。
247世界@名無史さん:04/08/17 02:53
>>245
煽るだけなら寝ろ。本気ならそう信じるところの根拠を示せ。
248世界@名無史さん:04/08/17 03:00
モザイク画のタイルを剥がすと、そこにはローマ帝国の埋蔵金のありかが、、
249世界@名無史さん:04/08/17 14:00
スレイマン大帝かだれかがローマ皇帝の後継者を自認していたんだったような。
ウィーン包囲の精神的原因として挙げられていた。

>>244
名称にこだわるならオスマントルコなどと言うな。
250世界@名無史さん:04/08/17 19:20
ローマの定義は?
251世界@名無史さん:04/08/17 22:51
つーか、主権国家の概念で
見ようとすることそのもの
がおかしくね?

”SPQR”と呼ぶべきでは?
252世界@名無史さん:04/08/17 23:07
>>251
意味不明
253世界@名無史さん:04/08/18 00:27
トルコの正式名称が見当たらない。 すんません
メフメット2世は、確実にローマの後継者を意識していたと思う。
たしか称号にも取り入れていた。ルメール カエサリだっけ
一応オーソッドックスの正教も保護しているし多民族の皇帝だし、
イタリアを攻めようとして死んでおじゃんになった説もあるし
254世界@名無史さん:04/08/18 00:32
ローマ皇帝の定義
 元老院と軍隊と市民の歓喜によって擁立か?
255世界@名無史さん:04/08/18 00:47
南アルプス市や西東京市よりも、コンスタンティノポリスをローマと呼ぶほうがまとも
南アルプスを名のる我々ジャパン人には、文句をつける権利は無い
256世界@名無史さん:04/08/18 01:08
ローマが、いわゆる都市国家であったときは、
ローマという都市が目に見える存在として
あり、そこに住む人々がローマ市民であった。

しかし、ローマが拡大していった後はどうだろう。
ローマという都市は確かにまだ残っていたが、
概念としてのローマは都市の境を遥かに超えて
広がってしまった。

かといって、国家であったとは思えない。
ローマ市民権をもったローマ市民はいたが、
国民がいたわけではないし、国境も不明確だ。
また領域内部に住んでいた人間がすべてローマ
市民であったわけでもない。

つまるところ、いわゆる「ローマ」とは、
「S.P.Q.Rの覇権」そのものであって、それ
以外の何者でもなかったのではないか。
それ故に国名をでっちあげて呼ぶのではなく、
S.P.Q.Rと呼ぶべきだと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/SPQR
257世界@名無史さん:04/08/18 01:28
「ローマ」は
始めは都市の名称として、
やがて国家の名称と変わった。
258世界@名無史さん:04/08/18 01:32
ビザンチオンから来てるんでしょ。
東ローマっつーより、ギリシア帝国でもいいじゃん(藁
259258:04/08/18 01:34
つーか漏れが言う前に、大体同じこと考えてるな(藁
260世界@名無史さん:04/08/18 01:51
ローマとは世界の支配者のことだ
261世界@名無史さん:04/08/18 15:35
じゃぁ俺がローマ王だ。決定!
いや、エトルリア人でもいいかな。なんてね。てへっ!
262世界@名無史さん:04/08/18 23:52
東本願寺も西本願寺も「本願寺」っていってるのと同じだな
263世界@名無史さん:04/08/19 00:17
外国語を翻訳する以上は、自称にこだわるのは無理がある。
たしかにローマ帝国とは言っていないが、帝政以降は、帝国でよいと思う
問題は、東西分裂後、東ローマがいつのまにかビザンツと呼び名が変わること
分裂時にビザンツ帝国とラヴェンナ帝国にするならまだしも
西ローマ→滅亡→シャルルの復興→神聖ローマ
の正統性のため名前を変えるとしか思えない
継続性のある国が、他称で名前が変わる例は知らない。
ニケアによる復活後は、ビザンツでもいいと思うが

264世界@名無史さん:04/08/19 11:33
だったらラテン帝国とよぶのもやめろ
265世界@名無史さん:04/08/19 11:49
1さん、君の言いたい事は分かった。
あなたはこう言いたいのでしょう。
「ビザンツは東ローマ帝国だ」と。
よし、俺が言ってやる。
   
  ビザンツは東ローマ帝国だ
        
               
266世界@名無史さん:04/08/19 11:55
ベリサリウスの生涯って萌えるな
しかしあの沢山のひどい仕打ちはひどすぎる
267世界@名無史さん:04/08/19 19:44
1さん、君の言いたい事は分かった。
あなたはこう言いたいのでしょう。
「東ローマ帝国はビザンツだ」と。
よし、俺が言ってやる。
   
  東ローマはビザンツだ
268世界@名無史さん:04/08/21 00:29
でも間違いなくローマの東にありローマからの移住者が開拓したから北海道的には、東ローマ
ないしは、伊達市にならってユリウス国
269世界@名無史さん:04/08/21 00:32
>ローマからの移住者が開拓したから

それは違うでしょ
270世界@名無史さん:04/08/21 11:15
都市ローマを中心に発展した国=ローマ帝国
都市ビザンティオンを中心に発展した国=ビザンツ帝国


分りやすいですね。
271世界@名無史さん:04/08/21 23:38
大坂にローマ屋本家がありました。左前になりリストラを行い江戸に本店を移していきました。
リストラで大坂に残された雇い人が神戸で旗揚げし元祖ローマ屋をひらきました。
江戸のローマ屋は、トルコ商事との争いに負け倒産しました。商権の一部は、札幌のモスクワ商店が引き受けました。
元祖ローマ屋は、合併などでスーパー大英に引き継がれていきました。
商標の鷲のマークは、元祖ローマ屋のもので、倒産ローマ屋本家とは、関係ございませんと広告をだし
ローマ屋本家を美山津商店と勝手に名前を付けて、大坂のローマ屋本家は、元祖ローマ屋になりましたと宣伝しました。
272世界@名無史さん:04/08/22 00:14
>>257
当たり前だろ、都市国家の時代だろw
273世界@名無史さん:04/08/22 12:08
グレコローマン帝国にしよう。
神聖ローマは、フリースランド帝国としよう。
グレコローマン帝国=上半身特に建前にこだわった帝国
フリースタイル帝国=全身を使うが特に婚姻政策にて下半身にこだわった帝国
274世界@名無史さん:04/08/22 13:45
>>270
んじゃ、ウィーン帝国と、コンスタンティノープル帝国
275世界@名無史さん:04/08/23 23:47
何でローマが首都じゃないのにこだわるのか?中国の王朝名は、王のときの国名で首都じゃないし
日本ももともと大和からきているなら三輪三山の近所の地域地名、インカにしても本来少数の支配部族名が全体に広まったらしい。
ローマ人も帝国全体に居たんだからギリシア系のローマ人がいてもかまわないと思う。
ビザンツ主義者は、曲学阿世の徒らしいが、イギリス史観に頭の髄まで侵されているじゃないの
多分、ロシアもセントピーターズバーグとかビーター大帝とかカザリン大帝とか呼ぶんだろうな
276世界@名無史さん:04/08/24 00:35
欧米の歴史学者たちも、「なぜ、西ローマ帝国が滅亡した後の東ローマ
帝国を『ビザンツ』と呼ぶのか」については、さまざまな説明をしている。

最も多いのは、「中世のドイツにできた『神聖ローマ帝国』と混同しない
ためだ」というもの。

それにしても、シャルルマーニュ大帝やオットー大帝の戴冠も、
「西ローマ帝国の継承・復活」を多分に意識したものだっただけに、
シャルルマーニュの王国を「西ローマ帝国」と呼んでも良さそうな
ものだが。
277世界@名無史さん:04/08/24 01:58
>>276
>それにしても、シャルルマーニュ大帝やオットー大帝の戴冠も、
>「西ローマ帝国の継承・復活」を多分に意識したものだっただけに、
>シャルルマーニュの王国を「西ローマ帝国」と呼んでも良さそうな
>ものだが。

理念的には西ローマ帝国を受継いでいるんだろうけど、歴史学的に
区別するほうが便利なんだろうと思われ。
中国史でも同名の国号が出てくると、区別のために「後」とか「東」とか
つけて呼称しているわけだし。
同名の国家が登場すると、混乱する。
278世界@名無史さん:04/08/24 05:43
劉秀の立てたのを日本では「後漢(ごかん)」、中国では「東漢」、
劉知遠の立てたのを日本では「後漢(こうかん)」、中国では「後漢」。

中国の言い方のほうが理に適っていると思う。
279世界@名無史さん:04/08/24 19:27
>>276
議論の本筋とは関係ないけど「シャルルマーニュ大帝」はおかしいんじゃないかい。
もとはラテン語の「Carolus Magnus」が訛ったか何かしたもので、
「マーニュ」の部分が「大帝」を意味しているはずだよ。
280世界@名無史さん:04/08/24 23:37
ある意味、ヘラクレイオス以降のビザンツは蜀漢。

あぁ、やっぱ「漢」と呼ぶのがためらわれる
もし正式な禅譲があっても、この政権を
「漢」とは呼ばなかったろうな
281世界@名無史さん:04/08/25 01:26
Charlemagne
訛ったというかフランス語化だな。
282世界@名無史さん:04/08/25 02:59
どうしても大帝って呼びたければ素直にカール大帝でええんでない?
283世界@名無史さん:04/08/25 20:00
コンスタンティヌス11世は正直アフォだと思う。
284世界@名無史さん:04/08/26 02:09
15世紀まで正式名称はローマ共和国だったのか…
すげえなあ。
285世界@名無史さん:04/08/26 15:32
ローマ帝国衰亡史は、日本語訳しか知らんが、途中でビザンツになったら
原本の3巻までがローマ帝国衰亡史で4巻5巻がビザンツ帝国興隆史で5巻6巻をビザンツ帝国衰亡史になっちゃうの
岩波では、ギリシア帝国と東ローマを併用しながらも一応最後まで東ローマになっているが
286世界@名無史さん:04/08/26 16:53
>>274

ウィーンが神聖ローマ帝国の首都かというかと....
そもそも神聖ローマ帝国には首都がない。
ドイツ国王(一応こういうものがずっと存続した)としての戴冠式は
フランクフルトで行われたらしいし、
皇帝の戴冠式はローマで行われたらしいし
(時代によって一定していない)。
ローマこそが神聖ローマ帝国の領土とか言って、
イタリア侵攻した皇帝もいるらしいが。

まあ最後の方はウィーンが実質的な都だったけど。
287世界@名無史さん:04/08/26 22:30
どちらにしても、「ギリシャ・ローマでは古典文化が栄えたが、その後、
ローマ帝国の滅亡に伴って文化が衰退し、暗黒の中世に入った。その後、
近代に入ってルネサンスの天才たちにより、文化が復興された」という
偏見は、西欧偏重史観の最たるものだ。

もともとローマ帝国の時代にも文明の重心は東地中海沿岸地域にあり、ドイツ・
フランスは辺境であった。西ローマ帝国が滅亡した後も、東地中海の文明は
変わらずに存続・発展を続けた。その後、イスラム圏だったスペインやシチリア
などを通じて、西欧にも文化が流入してきた、というのが実情だ。

名著「魏晋南北朝」の著者・川勝博士でさえも、「なぜ、東洋では漢の滅亡後も
文化が存続したが、西洋ではローマの滅亡で文化が衰退したのか」について、
延々と数ページを費やして考察していた。東洋史の碩学でも、西洋史については
西欧偏重史観を刷り込まれているのに驚いた。
288世界@名無史さん:04/08/26 23:00
287に賛成。
というか、もっとどぎつい言い方をすると、
軍事力のみ突出したローマが高い文明を誇るヘレニズム文化圏を勢力下に入れた。
が、ギリシャから西方ローマに入った文明はどちらかというと皮相的な物に過ぎず
その後も文明の中心はあいかわらずローマ領内外に渡る東地中海世界であり続けた。

アラビア文明はシリア経由でそれを譲り受けたヘレニズム文明の嫡子であり、
それをスペイン、シチリア経由で受容することで西欧にもローマ文化に欠けていた
ヘレニズム/アラビア文明の特色である科学文明が入ってきた、かな。
289世界@名無史さん:04/08/26 23:59
西晋→東晋 北宋→南宋 正統王朝の流れが正統なら 元→北元 ないし明との南北朝になるはずがならない。
史観は、都合のいいようにつくられるだろうな。
 もし12世紀の最盛期のローマ領にうまれるなら、1、イスラム 2、東ローマ いやなのは、フランスとかドイツだな
文化程度から
290世界@名無史さん:04/08/27 20:23
なるほど。
結局はローマよりもビザンツのほうが相応しいということか。
291世界@名無史さん:04/08/27 23:34
290に同意
そう ビザンツ初代皇帝 アウグストゥスがふさわしい
 
292世界@名無史さん:04/08/27 23:58
289>もし12世紀の最盛期のローマ領にうまれるなら
もし12世紀に最盛期のローマの版図に生まれるなら の間違い
293世界@名無史さん:04/08/28 00:34
「征服されたギリシャ人は文化において猛きローマを征服した」

つまり、すでに東西分裂前「ローマ帝国は精神的にはギリシア人の帝国」だったわけだ。
とすれば、「中世」とは精神が支配する時代なワケだから、
「ローマ帝国=ギリシア人帝国」として、版図が東地中海に偏るのは自然な流れだった。
むしろ、そうなることで帝国の純粋性を増していったと考えて良いだろう。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』が1453年をもって「ローマ帝国の滅亡」としているのもうなづける。

よって、「ローマ」か「ロマニア」でいいんじゃないか?
294293:04/08/28 00:47
余談だが、エドワード・ギボンの経歴って大好きなんだよな。
自らカトリックに改宗して、オックスフォード大学を追放になったんだろ。
で、あの歴史に残る名著を書き上げたワケだ。

アシモフの『銀河帝国衰亡史』だって、ギボンの著書なくしてはありえなかった。
大学院推薦をもらえなかったおかげで、大学同期よりも経済的に豊かになったオレに・・・似てないか・・・。
295世界@名無史さん:04/08/28 07:08
>>293
官僚化した点では元、清朝下の漢民族と似ているな。
>>294
だから、カトリシズムの歴史観の影響大だと思うんだよなー。
296世界@名無史さん:04/08/28 15:49
>294

父親が国教徒で反対されるのは必至なのに、なぜギボンはカトリックに改宗したの?
297世界@名無史さん:04/08/28 15:59
父は父。子は子。
298世界@名無史さん:04/08/28 19:26
結局カトリックも棄教したギボンはなんちゃって信徒。
299世界@名無史さん:04/08/28 20:29
ミーハーなだけ
300世界@名無史さん:04/08/28 20:43
300get
301世界@名無史さん:04/08/29 18:49
なんだか南北正閏論みたいなスレだな。
ようするにビザンツは熊沢天皇ってことか。
302世界@名無史さん:04/08/29 22:57
>>301

むしろ、神聖ローマ帝国が熊沢天皇ということじゃないの。
自称ローマ皇帝なんだから。
303世界@名無史さん:04/08/30 20:24
ローマを支配した国がローマ帝国を名乗って何が悪い。
304世界@名無史さん:04/09/03 00:14
つまり東ゴートを任じた東ローマが正式にローマを支配したといいたいわけですな
305世界@名無史さん:04/09/04 13:54
ナポレオンの時代に「アウステルリッツの三帝会戦」というのがあった。
あの時は三人の皇帝が親征したわけだが、その内訳はフランス・オーストリア・
ロシア。

そのうち、オーストリア皇帝は神聖ローマ帝国につながり、「西ローマ帝国
の継承者」と言える。ロシア皇帝はビザンツ帝国の後継、つまり「東ローマ
帝国の継承者」をもって任じていた。

この、東西ローマ帝国の継承者たちと戦ったのが、新興勢力の僭称者・皇帝
ナポレオンだったということだ。
306世界@名無史さん:04/09/04 14:57
>305
だからどうしたのだ?
307世界@名無史さん:04/09/04 23:37
ナポレオンも西ローマ帝国の継承者になるのかな…

すると、西ローマ皇帝がナポレオン時代には二人いることになるのかな?
308世界@名無史さん:04/09/05 06:44
そのとおり
309世界@名無史さん:04/09/05 09:43
んなわけねーじゃんw
310世界@名無史さん:04/09/05 14:26
>>309
どう違うの?
311世界@名無史さん:04/09/05 14:59
ナポレオンの後継者は、ローマ王
312世界@名無史さん:04/09/05 16:28
ナポレオンの後継者はフランス共和国大統領。
313世界@名無史さん:04/09/05 19:51
フランス皇帝はナポレオンが創設。
314世界@名無史さん:04/09/05 20:44
東ローマ皇帝→ロシア皇帝→ソ連指導者→ロシア連邦大統領
現在の東ローマ皇帝はプーチン閣下。
315世界@名無史さん:04/09/05 21:11
>>306

つまり、19世紀の市民革命の時代でさえも、「ローマ皇帝」という、欧州全域
にまたがる天下国家の意識は脈々と続いていたということだ。
316世界@名無史さん:04/09/05 23:44
記者会見のぷー狆の後ろに双頭の鷲が
317世界@名無史さん:04/09/06 00:30
早く東ローマ帝国を再建しないと、トルコやエジプトを西に取られちゃうぞ!
318世界@名無史さん:04/09/06 05:03
1821年 ギリシア人独立蜂起。
1822年 ギリシア独立宣言。
1822年 コンスタンティノープルとシオで、オスマン=トルコによるギリシア人虐殺。
1825年 ウィーン体制(他国領土を脅かさない事)に同調していたロシア皇帝アレクサンドル1世急死。ニコライ1世即位ロシアによるトルコ侵略の可能性が強まる、
1827年 ロシアの南下を警戒するイギリスによるロンドン会議でトルコに休戦調停を求める。
1827年 ウィーン体制の立役者である神聖ローマ帝国宰相メッテルニヒの支援を期待したトルコこれを拒否。
    英仏露連合軍とのナヴァリノ海戦で敗北。ギリシアの独立が決定的になる。
1828年 ロシアトルコに宣戦。アドリアノープル占領。
1830年 ロンドン会議にてギリシアの独立が承認される。

ギリシア人はギリシアの復活を目論んでいたのでしょうか?
それとも、ビザンツ帝国の復活を望んでいたのでしょうか?

319世界@名無史さん:04/09/06 05:46
>>318
ちゃんぽんなんじゃないかな。

バルカン世界(著者失念、訳本だった)とか言う本にはギリシアの歴史ナショナリズムには三つの神話がある。
一つはアテネ時代を始めとする古代ギリシアの栄光、一つはアレクサンドロス大王の大帝国、一つは
ビザンティンの栄光なのだそうで。自国周辺の歴史の中から都合のいいのを組み合わせて
現在に投影したかったのではないですかね。
320世界@名無史さん:04/09/06 17:55
>>3
で吉田戦車の漫画思い出した。
ぁゃιすぎてワロタ
321世界@名無史さん:04/09/06 23:58
ギリシア料理とトルコ料理は似ているが、同じ料理は、トルコのほうがうまい。
辺境化した半島が独立した国家のためだろうか。
イスタンブルが首都ならもっとおいしいのか
ローマの料理水準と比べて今のギリシアは、東ローマと呼ぶのは困難だが、
イスタンブルは、対抗できる。多少汚いが
322世界@名無史さん:04/09/07 00:44
オリンピックもイスタンブールでやるべきだったな
323世界@名無史さん:04/09/08 19:20
ビザンツ帝国の遺跡とか教会とか、大学出る前に一度はいってみたいな。
324世界@名無史さん:04/09/08 19:26
このスレの醍醐味は1の最初の1行にすでに集約されている。
325世界@名無史さん:04/09/08 20:24
強烈なキリスト教国家だったくせに、ローマという名ににこだわる方がおかしい。
故にビザンツと呼ぶほうが正しい。
326世界@名無史さん:04/09/08 23:40
神聖ローマも同じ
327世界@名無史さん:04/09/08 23:46
カソリックのキリスト教国家がもとの宗主国が没落、滅亡したからなかったことにしたいだけ。
ローマ帝国がせっかくつずいているのに名前を変える必要があるのかな
西欧人がビザンツと呼びたいのは、なんとなくわかるが、つずいているほうに感動をおぼえる。
それよりビザンツが正しいと主張する人が多いのが不思議
328世界@名無史さん:04/09/09 00:17
>>326
゛神聖゛という言葉のほうが重要。
329世界@名無史さん:04/09/09 04:57
神聖でもなければ、ローマでもない、ましてや帝国ですらない国
330世界@名無史さん:04/09/09 06:27
>>327
恐らく、11cまでイタリアに領土を持っていたと言うことを知らないアホがほとんど。
あと、教会合同が実現した(ほとんど形式だけだが)とかも知らないのだろう。
331世界@名無史さん:04/09/09 06:33
>327「つずいている」??
332世界@名無史さん:04/09/09 07:31
333世界@名無史さん:04/09/09 19:14
>332

すばらしい!!思わず保存してしまいました。
迫力と臨場感があって何度見ても泣ける。。(TT)
334世界@名無史さん:04/09/19 03:31:22
外務省のHPのアルメニアの基礎データのところに…ヴィザンチンってあるんだけど(;;゚Д゚)
ちなみにグルジアのところにはビザンチンとある。
335世界@名無史さん:04/09/24 02:26:16
初歩的な質問なんですけど、イスタンブールは今は旧市街、新市街、
アジア側の3つの部分から構成されていますが、ビザンツ帝国時代の
コンスタンティノープルは旧市街と新市街のガラタ地区からしか構成
されていないように見えます。この時代のコンスタンティノープルの
現在の新市街とアジア側にあたる地域はどれほど開発されていたので
しょうか。もしくはまったく開発されず、手付かずの状態だったので
しょうか。
336世界@名無史さん:04/09/24 02:37:34
対岸のアジア側にも都市はあった。
コンスタンティノープルの一部とはみなされてなかっただけ。
まだコンスタンティノープルと呼ばれる前、伝説上の人物ビザスが
植民して彼の名からビザンティオンと呼ばれることになる都市が
造られた時でさえ、すでに対岸のアジア側に人が住んでいて、
対岸にこんなすばらしい地があるのに、あのアジア側の街に
住んでるやつらはバカか、と言っていたという話もある。
337世界@名無史さん:04/09/24 02:44:53
レスありがとうございました。
コンスタンティノープル攻防戦の絵とかを見てみると、アジア側には特に
何も描かれていなかったような気がしましたが、やはり都市は築かれて
いたんですね。
338世界@名無史さん:04/09/24 06:15:12
>>337
オスマントルコ時代に、拡張されたと。
339世界@名無史さん:04/09/25 02:43:17
対岸がカルケドン
340世界@名無史さん:04/10/23 12:59:25
東ローマをビザンツと蔑称することによって東ローマを歴史の主脈からきりはなし、
代わってメロヴィング国家→カロリング国家を歴史の中心に置こうとする西洋人の傲慢な意図のあらわれ。
いや、実際には「東ローマ」というのもおかしい。
「西ローマ」「東ローマ」なるふたつの国家が存在した事実はないのだから。
「ビザンツ」は純然たる「ローマ帝国」なのだ。
日本人が西洋史をやることの本当の意味は、西洋人によるこういう歴史の捏造をあばくことにあるはずだ。
ところが実際は、みんなホイホイ西洋諸国に留学し、いいなりになって帰ってくる。
嘆かわしいことだ。
341世界@名無史さん:04/10/23 13:11:56
だったらビザンツでいいじゃん。
342世界@名無史さん:04/10/23 14:02:26
341はまるで分かってないな。
ローマは西洋人のあこがれで、ローマは歴史の中心におかないとマズイ。
でもそれだと西欧中心の歴史が描けない。
だから歴史の中心におかないために別の名をつけて歴史から追い出したのさ。
343世界@名無史さん:04/10/23 14:05:24
342補足
西洋人が自国中心の歴史を描きたがるのは当然で、悪いことじゃない。
しかし、そういう歴史観が西欧中心の意図的な操作だということを、
東洋人であるわれわれは理解しうる立場にいる、ということだ。
344世界@名無史さん:04/10/23 16:20:59
でもローマ法王が神聖ローマ皇帝を認めちゃったじゃん。
345世界@名無史さん:04/10/23 17:48:28
「ビザンツでいいじゃん」ならば「神聖ローマ」は変ですね
やはり「ドイツ第一帝国」(←この方がカッコイイ)と呼びたい
346世界@名無史さん:04/10/23 23:27:02
>>340
>みんなホイホイ西洋諸国に留学し、いいなりになって帰ってくる。

井上浩一氏をはじめとした日本のビザンティン帝国研究者は
そうでもないぞ。
呼称こそビザンティン帝国を使用してるけど、ちゃんとローマ
帝国との連続性を重視し、西洋史観を批判してる。
渡辺金一氏なんか、「中世ローマ帝国」という本まで出してる。
347世界@名無史さん:04/10/24 02:20:17
>>346
東ローマ研究者は別だよ。彼らは、その重要性が分かってるから東ローマ研究をしてるわけで。
つまり彼らには歴史の本筋が分かっているワケ。
問題は「純然たる」「西洋史の本道たる」西洋史研究の方にある。日本の古代・中世西洋史の問題は、ここに尽きていると思うんだよね。
それと比べると、今はなき堀米庸三が偉かった。いわく、
「従来は西欧中世社会の形成を説くに急な余り、東ローマの実質的影響力を軽視ないし無視する傾向が強かった。そこからしてカール大帝の事業が不当に誇張され、またその西欧的色彩が強調されすぎた嫌いがある」
(岩波講座世界歴史7、中世1)。
1969年の時点にして、この感覚。カールへの通常評価を「不当」とまで言い切ってる。それよりも東ローマの存在が重要だと。
東洋の研究者はここから勇気を受け取るべきだ。
348アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/24 02:26:31
>>347
単純に語学とかのハードルの高さが、
「東方のギリシア語圏のキリスト教ローマ帝国」研究者が、
少ない理由じゃないかなぁ。
あ、就職ポストの少なさもあるかも。
349世界@名無史さん:04/10/24 02:30:52
重要ならやるべきだ。
350アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/24 02:36:27
理想論としては、仰るとおりですが、
つぶしの利かない分野を、自分でやるならともかく、
他人に「べき論」で言うことは、
私にはできません。

近現代の方が就職も奨学金も、
有利だと思いますので。

ただ、あくまで個人的見解なので、
お気を悪くされたようなら、
失礼しました。
351世界@名無史さん:04/10/24 05:30:07
>>156
厨房の時そう思ってた。

西ローマ=ローマ持ってるんだから強いんじゃね?速攻滅びるとかおかしくね?
東ローマ=コンスタンチノープルとか辺境じゃね?つーかトルコとかエジプトとかしょぼくね?

歴史好きでもない人以外ほぼそう思ってるんじゃね?
352世界@名無史さん:04/10/24 15:18:48
>>351
でも実は文明の中心はずっと地中海の東にあった罠(w
それに気づくと愕然とするんだよな。西が中心と思い込んでると。
353世界@名無史さん:04/10/24 15:22:56
専修大学の僕がビザンツ研究者になって留学するのは可能ですか
354カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/24 15:23:33
西中心、っていう見方はやっぱりマルクスの影響なんでしょうかね。
しかし実際問題としてビザンツ研究やろうとしたら語学大変そうだなあ。
大学で第二外国語として習えない言語を中心にするってのは、結構辛い。
まあ、古典ギリシア・ラテンって習う機会も手段も多めではありますけど。
355世界@名無史さん:04/10/24 16:03:29
俺は工房の頃、逆に西方を過小評価してた。
356世界@名無史さん:04/10/24 19:14:28
そうか東ローマ帝国ばかりでなくローマ帝国も実質はギリシア帝国だったのか
ローマ人は塩野の言うように優れていたわけではなく軍事的に脅威だけだったのか
357世界@名無史さん:04/10/25 04:47:18
>>340
「日本人の精神年齢は小学生並ある。そして勝者に諂う傾向がある。」
〜マッカーサー〜
前半はともかく後半は外れてもいないわけだなw
358世界@名無史さん:04/10/25 04:51:21
西欧中心なのは近々はやはり冷戦が原因だろ。
東ローマは結局はロシアやイスラム社会に寧ろ継承されていくからね。
特に正教との対抗意識からカトリシズムの歴史観から逃れられていない。
ギボンも塩野もこの辺りは大差ないよ。
359世界@名無史さん:04/10/25 05:50:38
東ローマへの評価で、変なのは、こういうものだ。
「中世にあっても貨幣経済が衰退せず、封建制の発達が不十分だった」
封建制の発達が不十分だった、とは主客転倒もはなはだしい。
東ローマの方が古代の貨幣経済を継承したれっきとした歴史の主脈であり、
西欧においてローカルに見られた封建制の方が歴史の周辺的形態なのだ。
360世界@名無史さん:04/10/25 05:59:19
十字軍で地中海東部に赴いた西洋の田舎侍は、その豊かさにド肝を抜かれた。
361世界@名無史さん:04/10/25 16:27:48
豊かだったのはコンスタンティヌポリスだけね。
あとはド田舎。
362世界@名無史さん:04/10/25 18:30:37
コンスタンティノポリスはローマよりカリスマを感じるぜ
363世界@名無史さん:04/10/25 19:36:58
ローマこそが教会の首座ですが、何か?
おとなしくローマの教義と典礼を受け入れなさい。
364カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/25 20:32:58
ツァーリグラードこそが世界総主教ですが何か?(笑
365世界@名無史さん:04/10/25 20:43:09
>ローマこそが教会の首座

ローマ帝国内での教会の首座ね。
366アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/27 06:22:30
アングリカン・チャーチでは、
イギリス国王がトップだったわけですが。




あれ?今でも、そうなのだろうか?
367世界@名無史さん:04/10/27 11:22:33
>>366
一応今もそのはず。

総主教てのもいるけど。
368アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/30 10:48:28
>>367
サンクス。
369カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/30 22:35:00
>>367
日本聖公会なんかもイギリス国王がトップなん?

それはそうと、そもそもの疑問なんだけど、
「ローマ皇帝」「ローマ帝国」って自称?
皇帝ってともすれば世界全体の支配者という意味を帯びることがあるから、限定詞つくのって変じゃない?
370世界@名無史さん:04/10/31 01:32:45
ローマ共和国が正式名称では
371世界@名無史さん:04/10/31 17:25:57
>日本聖公会なんかもイギリス国王がトップなん?

ちがう。
英王がボスなのは英国国教会だけ。
372世界@名無史さん:04/10/31 17:27:04
皇帝=imperator には別に世界の支配者という意味はないわな。
373世界@名無史さん:04/10/31 18:05:14
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9837/kokusei/hitobito1.html
 またヘラクレイオス(在位:610-641)以降の皇帝の称号には、帝国の公用語のギリシャ語化に伴って、
それまでのラテン語の「インぺラートル」に代わってギリシャ語の「バシレイオス(中世ギリシャ語では
”ヴァシレフス”)」が用いられるようになった。この言葉は元々はペルシャの帝王(「大王」「諸王の王」)を
指していたが、ヘラクレイオスがササン朝ペルシャを降してからはローマ皇帝を指す言葉と成ったのである。
さらに800年にフランク王カールが「ローマ皇帝」を名乗ってからは、「ローマ人の皇帝(バシレイオス・
ロマイオン)」と称するようになった(他に「単独の支配者」を意味するギリシャ語の「アウトクラトール」も
用いられた)。そして、カールやその後継者、そして「神聖ローマ皇帝」達に「バシレイオス(皇帝)」を名乗るのは
認めたが、認めたのはあくまでも単なる「皇帝」であって(つまり、コンスタンティノープル総主教から
「ブルガリア人の皇帝」に戴冠されたシメオンなどと同格)、「ローマ人の皇帝」という称号だけは絶対に
認めようとはしなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D
これは、7世紀の皇帝ヘラクレイオスが628年にササン朝ペルシャ帝国を降して首都コンスタンティノポリスへ凱旋した時に
「キリスト教徒のバシレイオス」と名乗ったことによる。この「バシレイオス=シャー」には、「諸王の王(ペルシャ語の
「シャーハンシャー」、ギリシア語の「バシレイオス・バシレイオーン」)」という意味を含んでおり、ローマ帝国の皇帝で
あると同時にペルシャの「諸王の王」である、という宣言であった。これによって東ローマ帝国の皇帝には、古代の
ローマ皇帝とは異なる「君主」としての意味が含まれるようになり、これは西欧の皇帝にも大きな影響を与えた。
またキリスト教化の進行によって、皇帝は「神の代理人」という位置付けがされ、宗教的にも大きな権威を持つ存在となった。


>>372
皇帝=バシレイオス=諸王の王=神の代理人
時代は変わったんだよ。
374カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/31 18:29:17
>>371
おお、ありがと。聖公会って国教会の下部組織みたいなもんかと思ってたけど、全然違うんやね。

>>372
本来的にはそうだけども。
カトリック世界では皇帝が俗界のトップ、教皇が聖界のトップとか言い出すでしょ。
そもそも「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という名称そのものが矛盾をはらんでいるわけで、
その点ビザンツはどうだったのかな、と。
375カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/31 18:41:25
>>373
この「バシレイオス」をどう捕らえていたのかって難しいな。
「神の代理人」といえば、全俗界の支配を任されたという意味にも取れる。
例えば西欧の皇帝は、特に教皇との対立の中で、自身の権力が神から直接発していると主張した。
実際にはシチリアやポーランド、ハンガリー、ジョン以降のイングランドのように、教皇の封土も存在したけど、
理念上は神によって地上の統治を委ねられた唯一の人物が皇帝ということになる。
ビザンツのバシレイオスもそうだったように見える。

しかし、
>そして、カールやその後継者、そして「神聖ローマ皇帝」達に「バシレイオス(皇帝)」を名乗るのは
>認めたが、認めたのはあくまでも単なる「皇帝」であって(つまり、コンスタンティノープル総主教から
>「ブルガリア人の皇帝」に戴冠されたシメオンなどと同格)、「ローマ人の皇帝」という称号だけは絶対に
>認めようとはしなかった。
これを読むと、各民族にバシレイオスがいて、シメオンはブルガリア人のバシレイオス、
カールやオットーはフランク人のバシレイオス、そしてビザンツ皇帝はローマ人のバシレイオスである、ということにも思える。
「神の代理人」という考え方は西欧の皇帝と同じだけど、この点では、むしろ西欧の王や部族大公に近い存在なんではないだろうか。
つまり、その民族を束ね統治する存在という意味に思える。
376世界@名無史さん:04/10/31 18:43:33
すみません。脇の質問なんですが。
どなたかお分かりの方、お願いしたいです。
>>390>ギリシャ語の「バシレイオス(中世ギリシャ語では”ヴァシレフス”)」が用いられるようになった。
>この言葉は元々はペルシャの帝王(「大王」「諸王の王」)を指していたが〜

古代ギリシアで、僭主が王制を退けた、なんてときは、「バシレウスを倒した」りしたのでしょうか?
つまり、バシレウスがペルシア語由来ということを知らなかったのですが。
ギリシア語化したのはいつ頃からなのでしょうか?といった疑問です。
377ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/10/31 19:10:48
>>365
ローマ帝国内というか、
五本山制度(ローマ、コンスタンディヌポリス、アンディオキア、エルサレム、アレクサンドリア)
の中では間違いなくローマが首座ですが。
五本山制度ってローマ帝国内だけの制度じゃないよね?

>バシレイオス
違う、違う。中世語「ヴァシレフス」の古典語は「バシレウス」。
バシレイオス(中世語ヴァシリオス)は人名ですよ。
ペルシアを降してからローマ皇帝を指す言葉となった、てのもちょとオカシイ。
これは単にイラクリオス時代に帝国の公用語がギリシア語になったから、
公文書などでもそう書かれるようになっただけでしょう。
アウグストゥスの時代からずっと、
ギリシア語ではローマ皇帝は「バシレウス」だったはずですよ。
バシレウス・ネローンとか。
それにバシレウスは別にペルシア語じゃないです(>>376)。
日本人が「キング」を「オー」、「エンペラー」を「コーテー」と呼ぶように、
ギリシア人は「シャー」を「バシレウス」とギリシア語で呼んでいただけ。
古代スパルタの王もバシレウスだったはずですし。
378ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/10/31 19:28:04
ビザンツ皇帝は普通、
「ヴァシレフス・ケ・アフトクラトル・トン・ロメオン」
すなわち「ローマ人の王にして専制君主」と名乗っていました。
勿論正式の名称となるともっと長かったのでしょうが、
教会のモザイク画や貨幣などにはこの形が多い。
>>375
で、神聖ローマ皇帝たちに認めたのは
「単なる『皇帝』」じゃなくて「フランク人の皇帝」だったはず。
東方教会が次々と分裂(?)していったように、
ビザンツではあまり「単一の」という観念に強い拘りがなかったんじゃないですかね。
ただ「ローマ人」だけは認めないと。
してみると、「西欧の王や部族大公に近い」というのもちと違うような。
「ローマ人の皇帝」は神の代理人だけれど(「13番目の使徒」なんて言い方もあった)、
「フランク人の皇帝」や「ブルガリア人の皇帝」は
「ローマ人の皇帝」が授けるものである、
という感じだったんじゃないでしょうか。
それと「各民族にバシレウスがいる」訳じゃなくて、
フランクにしろブルガリアにしろ、
既成事実を覆せなくなって仕方なくバシレウスを認めたものであって、
普通は「ローマ人の皇帝」以外のバシレウスは認めない、
というのがビザンツの立場だったはず。
379カラジチ ◆mWYugocC.c :04/10/31 20:50:46
>バシレイオス(中世語ヴァシリオス)は人名ですよ。
ほんとだ……

「ブルガリア人のバシレウス」「フランク人のバシレウス」というのは、現実との妥協の産物だった、ということでしょうか。
しかしここでいう「ローマ人」とはいったいなんなのか。
教科書的には「ビザンツ」と呼ばれるようになるあたりから、東ローマはローマ、イタリアの回復を目指さなくなっている。
(「神聖ローマ」が16世紀までローマを求め続けたのと対照的。)
ローマの領有を必要としない「ローマ人の皇帝」とは何?
ローマに住まず、ギリシア語を使用する彼らは、どうやって自己をローマ人と認識したのか。


これまた話をずらすことになるのかも知れないけど、古代から中世にかけての王や皇帝の称号って、
「〜人の皇帝」「〜人の王」なんですよね。地名じゃない。
じゃあお前、フランク王国内に住んでるローマ人はフランク人の王の支配には属さないのかよ、とか思うんですが。
380世界@名無史さん:04/10/31 21:01:43
ローマ人とは・・・皇帝に戴冠するとき歓声をあげる雇われた人たちのことである。
381世界@名無史さん:04/11/01 00:06:11
まぁ、だからよく「東ローマ」は「中国」に例えられるんですよね。
中国の古代国家は自分たちこそが世界の中心「中華」であって、周辺民族は夷狄としか見なかった。
ギリシャ人も古代から自分たちをヘラスと呼んで、周辺民族は野蛮人(バルバロイ)としか見なかった。
つまり「ローマ人=文明人」、皇帝の威光に服さない人々=バルバロイ(よくわからん言葉を話す未開人)という認識だったのでFA?
382=376:04/11/01 00:38:24
>>377
>それにバシレウスは別にペルシア語じゃないです

了解です。
>古代スパルタの王もバシレウスだったはずですし。

ええ、他のポリスにもバシレウス・アルコンてやくしょくあったし。
確かホメロスでは、アガメムノンもオデュッセウスもバシレウスだったと思うし。
バシレウスがペルシア語起源なら、偉いことでは!と焦ったのでした。

脇の話題、失礼しまスタ。
383世界@名無史さん:04/11/01 14:59:50
宗教もちがけりゃ、言語も違い、土地も違うビザンツをローマと呼ぶ方がおかしい。
384世界@名無史さん:04/11/01 15:41:56
>>377
一番弟子シモン=ペテロの建てたローマ教会こそが
総本山という主張そのものがローマ教会のもの。
イェルサレム教会も昔は「母なる教会」と呼ばれていたし、
むしろイェルサレム教会の方が本来の総本山と考えられていた。

>>382
アケメネス朝の支配者は、>>373で誰か引用しているが、
「シャーティヤー」だか「シャーハンシャー」と
か称しており、「王(シャー)の中の王(シャー)」という意味

アレクサンドロス大「王」も、「バシレウス」でしたね。
確かバシレウスという単語自体、ミケーネ時代から存在しており、
線文字Bの解読で重要だったと思う。
385世界@名無史さん:04/11/01 16:04:36
>>384が一応正しい。ローマ教会は帝国の首都にあったことが
大きなアドバンテージとなり、その内に権威付けを行って筆頭にまで
上り詰めたというのが真相。
386=382:04/11/01 16:16:19
>>384
>アレクサンドロス大「王」も、「バシレウス」でしたね。

あ、それなんですよ。実はそこが私の関心の中心なのでした。

アレクサンドロスが「バシレウス」を名乗ったことがあるとしたら、
それはペルシア帝位を継承したときのことでしょうか?
それ以前に「バシレウス」を自称したことがあるとしたら、典拠をご存知でしたらお教えいただけるとありがたいです。
本当に脇話題で申し訳なのですが……

え〜、アレクサンドロス3世は生前バシレウスを「自称」してはいないとする説があります。
正確に言うと、マケドニアはポリス側の同時代文書には「王国」と記されているのですが、
公式にはバシレウスの称号を採用していなかった、という碑文研究があるようです。
フィリッポス2世も自ら対外的にバシレウスと称することはしていなかった、当時のマケドニアはそういう社会体制になかった、という説です。

この説では、マケドニアに公式に王号(王制)が成立したのは、アレクサンドロスの息子4世が即位したときだ、とされています。
同時期にマケドニアと同盟していたモロッソイも王国体制に移行しているので、それなりに説得力があります。

では、アレクサンドロス「大王」という通称はどこから生じたか?
これについては、生前からの通称「メガース・アレクサンドロス」(大いなる者アレクサンドロス)が誤って、「大王」と訳されたとされています。
387384:04/11/01 19:02:36
>>386
自分は大学の教養レベルで史学を習った程度の理系の人間でして、
多分詳しい話は貴方の方が御存知でしょう。

アレクサンドロス大王のタイトルがbasileusだと書いたのは、
手元の総合的な歴史参考資料に、Macedoniaの支配者のタイトルが
basileusだと書いてあっただけで、史料を直に当たったわけではありません。

なお、>>384の線文字Bにおけるバシレウスの表記に関して正確なことを
書いていませんでした。
ホメロスの詩では、総大将のプリアモスとアガメムノーンに
対してはanaxが、その他の諸々の王に対してはbasileusが使われています。
一方実際にクノッソス、ピュロス、テーバイから出土した線文字Bのテキストでは、
qa-si-re-u(後のギリシャ語のbasileusに相当)と、
wa-na-ka(後のギリシャ語のanaxに相当)の二つが登場します。
線文字Bに登場するwanakaは、明らかにクノッソスとピュロスのそれぞれの「王」に
対して使われていますが、qasireuは、下位の指揮官程度の意味しか無かったようです。
ttp://projectsx.dartmouth.edu/history/bronze_age/lessons/les/25.html

この辺は、大学の西洋史学の講義で習ったのですが、
もう何年も前のことなので、微妙に記憶違いのことを書いてしまいました。

388アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/01 23:52:09
>>386
ご紹介された説を聞いて、
アレクサンドロス1世がオリュンピア祭に、
どのような肩書きで、
名を残しているのかが、気になりました。
ご承知でしたら、お教え下さいませ。

>>387
ご謙遜を。貴方の書き込みは、
西洋史学の講義からと言うより、
既にギリシャ史の可成り特化したレヴェルの内容だと思いますよ。
手持ちの辞書(OCD3)で確認しましたが、
大筋で同じようなことが書いてありました。
389ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/11/02 01:35:53
>>384-385
いや、正しいって、だってここで話してるのはビザンツ時代の話でしょう?
ビザンツ時代は間違いなくローマが首座ですよ。
公会議でそう定められてますから。
ローマ帝国内の教会はローマ、アンディオキア、アレクサンドリアの
3総主教座ではじまり、
381年のコンスタンディヌポリス公会議で
コ市主教が(主教のままで)ローマ総主教(つまり教皇)に次位であることが認められ、
451年の第4回カルケドン公会議でようやく、
コ市とエルサレムの総主教座が正式に認められるんですが。
でこの5つの総主教座が全キリスト教会を統べるというのが、
私の言ってる五本山制度な訳ですが。
ん、そうすると>>365の言うとおりローマ帝国内の制度ってことでいいのか?
いや、いやいやそれは違うはずだな。
いかn自分でも訳がわからなくなってきた。
とりあえず、
>イェルサレム教会の方が本来の総本山と考えられていた。
このソースをおながいします。
390384:04/11/02 13:49:29
>>389
微妙に不正確なことを書いてしまって申し訳ない。
自分が書いた内容は、コンスタンティノポリス教会すら無かった原始キリスト教時代の
こと。新約聖書には「母なる教会」なる単語は出てこないが、使徒行伝に
はっきりと最初の教会はイェルサレムにあり、そこで第1回使徒会議が開かれたことが
書かれている。ただ、「母なる教会」の初出を調べようとしたが分からなかった。
新約聖書の時代からイェルサレム教会のほかにアンティオケイア教会が
重要な教会として登場するが、どっちの教会が「母なる」と呼ばれるべきか、
あるいは独立組織なのか等々、これ自体が現在のキリスト教の宗派論争に
つながるらしく、迂闊に結論は出せない。

ローマ帝国公認となってからの歴史は>>389に書かれている通りの模様。
ニケーア公会議の頃は、ローマ>アレクサンドリア>アンティオケイア
(ここまでが総主教)>イェルサレムの順番が定められ、新しく都となった
コンスタンティノポリスは言及すらされなかった。後にコンスタンティノポリスは
第2位の地位に上がる。

ただ五大総本山は平等なのか、優劣があるのかについては、よく分からない神学上
(というよりも政治上)の議論があるらしい。東方正教会はローマの首座primariusは
認めても優越性superusは認めていなかった。また東西教会分裂後もローマの首座を
認めているかどうかは調べた限りでは分からなかった。
第9回(1123)以降の公会議では、東ローマの皇帝の替わりに神聖ローマの皇帝が
出席しており、それ以降の公会議の決定は東方正教会は全く無視していることになる。
今日の教皇庁の公式見解は、コンスタンティノポリス教会を第4位の教会と
位置づけており、少なくとも東方正教会の諸教会はこれを認めていない。
391384:04/11/02 13:58:40
余談だけど、「アンディオキア」、「コンスタンティヌポリス」
というのはどの言語・方言での発音?
自分は別にギリシャ・ラテン語に詳しいわけではないが。

あと>>390の追記。
4,5世紀のイェルサレム教会は、五大総本山の中では明らかに
組織として弱かったが、イエスが布教を行った場所として敬意を
払われ追加されたという話はある(ちゃんとした史料というわけではないが、
大概こういう説明が参考書には書いてある)。
アンティオケイアとイェルサレムのどっちが教会が偉かったか論争は兎も角として、
イェルサレムに敬意を払うのはキリスト教徒なら自然なことであり、
少なくとも十字軍の時代はイェルサレムの母なる教会を救え云々の
言及があったはず。
392=386:04/11/02 14:10:57
>>388
>アレクサンドロス1世がオリュンピア祭に、どのような肩書きで、名を残しているのか

申し訳ありませんが、私は知りません。
実は、>>386で紹介した説について、私も、どこまで間に受けていいのか、あれこれあたってみてる、というところですので。
興味深い説田とは思っているのですが、アレクサンドロス1世はどうだったか、といったところは、私も疑問に思っています。

古代マケドニアでは、アレクサンドロス1世〜3世の家系が、ヘラクレスの息子の家門(アルゲアダイ)ということで、歴代指導者(王?)は、この家門から選出されていました。
3世の祖父(アミュンタス2世)の前後、領土が事実上の分裂状態になっていた時期でも、土豪化した各地の貴族は、指導者の候補をアルゲアダイの内から担ぎ出す、ということをしていた、と聞きます。

先の説は、どうも、フィリッポス2世〜アレクサンドロス4世の時期までは、かなり信頼できそうなのですが、
果たしてマケドニアが分裂状態――戦国時代のようになった時代の前も、「王国体制にはなかった」と言えるものかどうか?
私も疑問を抱いています。

疑問を抱いてはいるのですが、個人的にはおもしろい説だと思うんですよね。
もし、本当なら、フィリッポス2世やアレクサンドロス3世の言動の背景因として、いろいろな言動を理解し易くなるような気はしています。

>>387
脇話題に丁寧なご説明のレス、ありがとうございました。
393世界@名無史さん:04/11/02 14:12:16
バビロニア以東の教会はローマ、コンスタンティヌポリスなんか知ったこっちゃなかったわけだが。
394世界@名無史さん:04/11/02 15:03:22
>>393 エチオピア協会など完全に欠落とか?
395ちょこっと新入り:04/11/03 01:33:11
東方教会では「テオトコス」という言葉をよく使いますし、コンスタンティ
ノープル市内の教会にも「テオトコス・×××教会」というのがいくつか
あったようですが、西方教会ではこの言葉を使いません。これは、教義の
上での相違なのでしょうか? それとも慣習の違い? (テオトコス批判を
したネストリウス派については、東西どちらの教会も否定していますよね)
396世界@名無史さん:04/11/03 04:34:10
教会の権威は結局は政治力で決まったんだよ。
つーか、國際情勢でね。

397世界@名無史さん:04/11/03 08:50:19
>>396
「国」を旧字体で書くかどうかも政治力で決まったんでしょうか。
398アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/03 13:00:49
>>392=386氏
本職の方?のようで。

当方、岩波新書の『古代オリンピック』に、
1世が参加していた記述があったけど、
どのように記述されているのかなぁ。
と思っただけですので、お気になさらずに。
399世界@名無史さん:04/11/06 09:36:29
>>396
そりゃそうだ。ビザンチンは政教一致だからな。
ビザンチンの盛衰と対応して変化しただろう。

王権の権威はやはりオリエントから。クレタ文明もオリエントの影響大。
小さな領土の権威を広大な領土を確保している国から得ようとするのは自然だな。
自称はともかく意識はしていただろ。
そのためにアレキサンダーもペルシャの王妃と婚姻したりしたわけだろ。
アテネ帝国はアケネメス朝の影響大。
400アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/06 21:15:50
>>399
アテネ「帝国」は、
(少なくとも、よりメジャーな第1次帝国は)
反ペルシアを旗印にしたデロス同盟を基盤にしているのだから、
影響があるのは確かだけど、
>小さな領土の権威を広大な領土を確保している国から得ようとするのは自然だな。
とは反対の意味での影響ではないでしょうか。
と、400get。
401世界@名無史さん:04/11/07 06:23:02
>>400
そういう君に、はいグリコ。

Persian influence on Greece
By: Janine Bakker
http://www.iranchamber.com/history/articles/persian_influence_on_greece3.php
The Athenians had every reason to build a temple worthy of the powerful goddess
that had assisted them. Therefore, the Parthenon was the best place to show
the world why the Athenians and Athena were the best rulers of the Greek world.
An ambitious project by an ambitious town.

In these years, people started to speak of an "Athenian empire", and perhaps the Athenians
were looking for inspiration to the other superpower of their age: Persia.

The central panel, where Darius and Xerxes or the basileus and basillina are visible,
is larger and more spacious. This composition forces, so to speak, the spectator to look to
the center of the relief.

402世界@名無史さん:04/11/07 06:43:02
アレキサンダーが支配した一地方政権と堕した末期のペルシャでさえ
全ギリシャを合わせたほどの財力があったと言われているべ。
オリンポスの祭典を堕落させたのもギリシャの財力による賞金からと言われている。
ギリシャの諸ポリスは戦争に勝っても経済と外交で内紛を起こし混乱したんだよ。

豊かな国に憧れるのは人間の自然な感情だよ。
アレキサンダーも恐らくその一人だよ。
クレタやミケーネでもやはり似た傾向はあったようだよ。
クレタ島はマケドニアとエジプトの真中ぐらいの島だよ。
エジプトやバビロニアの影響がない方が寧ろ不思議だよ。
所謂東地中海世界って椰子だな。
403ていせい:04/11/07 08:55:10
>>402
>ギリシャの財力

ペルシャの財力
404アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/08 00:25:46
>>401
お陰で300m走れますw
じゃなくて、そう言う見方もありますわね。

まぁ、アテナイ帝国に限らなければ、
ギリシア文明全体が、
先行文明のオリエント(ペルシア・エジプト他)文明の影響を強く受けている、
ぐらいは承知してます。
(確かモミリアーノも、そんなこと書いてた筈)

とりわけて、アテナイ帝国だけ、という見方に、
えっ、と思っただけです。
この記事も、そう言う文脈で書かれてますよね。

よく考えたら、スレ違いなのでサゲます。
405ちょこっと新入り:04/11/08 04:11:05
ビザンツでは、皇帝が総主教の任命権を持っていたが、必ずしも教会に対して
絶対的立場にあるわけではなく、いざとなると総主教が皇帝の行動を牽制した
り、ときには廃位にすら関与することがあった、という認識でいいのでしょうか?
406屁理屈だな:04/11/08 06:32:22
>>404

>>399をどう読むとアテネ帝国だけがオリエントの影響と曲解できるのか
説明願いたい。
407アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/08 10:45:18
>>406
まぁ、自分とは違う見解を「屁理屈」と言われれば、
その時点で終いなのですが。

>そのためにアレキサンダー「も」ペルシャの王妃と婚姻したりしたわけだろ。
>アテネ帝国「は」アケネメス朝の影響大。
何故、前文では「も」なのに、
アテネ帝国には「は」なのかな、と思った点。

話題の順序が、
「クレタ文明」→「アレキサンダー」→「アテネ帝国」
と時系列とは異なっている点に、
何か特別の意味があるだろうか、と思った点、

>王権の権威
で始まったパラグラフに王の居ない、
「アテネ帝国」が混在している違和感。

以上の3点です。
(2chanで「揚げ足取りするな」と言われそうですが、
 説明せよとのことでしたので、失礼しました。)
408無理があるね:04/11/10 07:01:25
やはり曲解だな。>>399の文章の
例示の各文にはオリエント、ペルシャ、アケネメス朝と言う語句が挿入されている。
各文の意味内容を無視してその関係性だけで文章を理解するのは本末転倒。
文章とは先ず各文の意味内容で理解するものだよ。

それに王制であろうがなかろうが王権の影響は受けるものだよ。
事実古代ローマがそうだろ。米国の大統領制もそうだと言われている。

また、>>407で政体の違いを意識しているのなら王制のクレタとマケドニアの後にアテネが
くるのは寧ろ自然なはずだろ。テニオハや語順に関しては、
時系列と政体に同時に拘泥することに整合性が感じられないけどね。
アテネだけ王国でないなら「は」は寧ろ自然。
また例示としてもアテネだけ最後に掲示するのも自然。
政体に拘るのならアテネが最後に来るのは違和感は寧ろないはずだろ。
時系列と政体への拘泥が同時に並存するとは思えないけどな。
時系列への批判だけにすべきだったと思うけどねw

文章の基本的理解と論理的解釈と言う点に問題ありでないかい?
上の文章の各文の関係性だけを云々してもアテネだけオリエントの影響と言う理解には至らない。
409アクィラ ◆0fUIPC892c :04/11/10 22:23:47
>>408
「は」の使い方には、かなり異論がありますが、
日本語のセンスの問題なので止めておきます。

>>396のレスとしては、
些か、ポイントのずれている>>399に、
何か、深い意味があるのかと思っての>>400でしたが、
それを批判と取られたのか、
むやみやたらに攻撃的な>>406>>408を見て、
正直、辟易としております。

当方、他者を蔑むことで、
どうにかこうにかキープできるような、
安っぽいプライドなど持ち合わせておりませんもので。

ま、誤解を生む文章を書く方と、
文章を誤解する方とで、
どちらの方が責任重大でしょうかネェ、とは思いますが、
これ以上釣られるのは厨でしょうから、止めておきましょう。
Aquila non captat muscas.
410随分五月蝿い鷹だなw:04/11/11 12:32:33
>>396のレスとしては」ではなく「>>396へのレスとしては」だろ。
自分の助詞の使い方には随分いい加減なんだな。
他人には厳しく自分には甘く、か。随分へんてこな鷹もいたもんだなw
396へのスレは398の上の二行のみ。
それ以下とは段落を変えてあります。
テニオハや文の前後関係には意味を読んで、改行には意味を読まないわけだ?
そりゃ独断的と言うものだね。
改行は普通は別論の展開時に使用する文章構成方法。

一応丁寧に諭したつもりだけど、屁理屈だの、曲解だの、本末転倒だのがそれほど気に
触ったのかな?それこそ安っぽいプライド高杉君だなw
自分の勘ぐりすぎと理解の未熟さを他人の責にすべきではないね。
少し素直じゃないぞ。君の疑問をどう関係付けてもアテネだけがオリエントの影響と言う
理解には帰結できないと思うぜ。できると言うのなら筋道たてて説明してごらん。
単なる君の疑問の羅列は理屈とは言わないよ。その疑問だけでは道理の通った筋道というものがない。
所詮は反論のための反論だな。

ペリクレスは32年間ほぼ独裁的と言ってもいい立場にいた。
デロス同盟当時のアテネが王制の影響を受けていてもおかしくはない。
なぜにアテネだけ特別視したがるかわからんね。
そもそも王制で無い国が王制の影響で独裁や君主制に移行するなんて珍しくもないんだがね。



411随分五月蝿い鷲だなw:04/11/11 13:19:13
鷹でなく鷲だったなw
412世界@名無史さん:04/12/04 13:15:52
age
413世界@名無史さん:04/12/04 22:24:46
中国に似たような国家が存在してたね。
かつて「宋」が満州族系の「金」に華北を占領されたが「南宋」として存続した・・・
これと状況は同じですね。
414世界@名無史さん:04/12/06 19:07:24
時代的には東晋と呼ぶべきだ

存続期間が桁違いだが
415世界@名無史さん:04/12/28 04:17:23
保守あげ
416世界@名無史さん:04/12/29 23:10:40
BS-i、東ローマ帝国再放送中
417世界@名無史さん:04/12/29 23:18:12
みたい、あぁみたいがBSが無い
どんな内容なんだろう
418世界@名無史さん:04/12/29 23:49:53
最初の放送は何年前なんだろう?
419世界@名無史さん:04/12/30 00:38:50
英語だとイースタン・ローマン・エンパイアだから
東のローマ帝国なんだよね
東ローマ帝国と西ローマ帝国があったんじゃなくて
東にもローマ帝国があり西にもローマ帝国があった
420世界@名無史さん:04/12/30 19:32:50
>418

確か今年の制作。
421418:04/12/30 19:36:16
>>420 去年DVDに取ったけどそのとき既に再放送だったよ。
422世界@名無史さん:04/12/30 20:08:23
>>414
それなら東晋→陳くらいが妥当じゃないですか。
こっちのほうも王朝交代してるわけですし。
まあそれでも期間が全然足りないですけどね。
423世界@名無史さん:04/12/30 20:55:41
>>417
131 :世界@名無史さん :03/07/02 22:05
BSデヂタルの放送より

BS−iにおいて「東ローマ帝国・繁栄と滅亡 皇帝たちの軌跡」
彼らはそれを
世界の終わりの日までつづく
地上最後の帝国であると
信じた
7月7日 20:00〜21:54 もうひとつのローマはこうしてつくられた
7月14日            最強の皇帝が残した華麗なる芸術
7月21日            帝国の黄金期に潜む陰謀と策略
7月28日            十字軍に救いを求めた大国の誤算
8月4日             滅びゆく全世界の支配者
各回、CMをカットして1:43:55の長さ。
案内役 TBSアナウンサー木村郁美
話   一橋大学大月康弘助教授
語り  あがた森魚、夏木マリ
424世界@名無史さん:04/12/30 22:15:03
>>423
417っす。
すげぇ・・・ビザンツなんて一回にまとめられて
「はい、おしまい」扱いかと思ってた
めちゃ長い。
サンクス。超サンクス。
425世界@名無史さん:05/01/01 01:18:24
ビザンツみたいに文化死滅国家なんか一回で十分だろ・・・
426世界@名無史さん:05/01/02 01:09:24
( ゚д゚)ポカーン
427世界@名無史さん:05/01/06 12:49:49
バシレイオス=シャー=王
バシレイオス・バシレイオン=シャーハンシャー=皇帝(諸王の王)
と思ってたんだが…。
ユスティニアヌスやヘラクレイオスが戦ったペルシアの歴史について。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1105356309/
【Parthia】中世ペルシア諸王朝史【Sasan】
429世界@名無史さん:05/01/12 18:55:41
ageとくか
430世界@名無史さん:05/01/12 21:55:27
>>419
帝国が存在した当時の正式な国号はギリシャ語で「ロ
ーマ帝国」を意味する「バシレイア・トーン・ロマイ
オン」だったのだが。東・西自体が後世便宜的に付け
られただけ。
431世界@名無史さん:05/01/12 21:59:09
イタリアを失陥しておいてなおローマを名乗る恥知らず国家だな。
432世界@名無史さん:05/01/12 22:10:35
>>451
コンスタンティノポリス=新しいローマっていう概念だから無問題。古代末期に
は既にローマ市の重要性は低下していた。西ローマ帝国さえ首都をラヴェンナに
置いていたくらいだ。


と、ロクに専門書を読んだことさえなさそうなDQNにマジレス。
433432:05/01/12 22:11:45
あ、アンカー間違えた。我ながら、だっせー!
434世界@名無史さん:05/01/13 00:42:14
備讃津帝国
備参珍帝国
東太秦帝国
435世界@名無史さん:05/01/13 05:08:27
太秦映画村帝国でw
436世界@名無史さん:05/01/13 08:41:25
>>435
ツマンネ
437世界@名無史さん:05/01/13 21:33:43
ミラノやシラクサって流石にローマ市よりは守りが堅かったんだろうな。
ラヴェンナと初期のコンスタンティノープルはどっちが守り堅かったんだろうか?
438世界@名無史さん:05/01/13 22:38:42
>>437
初期ってのは、もちろん「テオドシウス(2世)の大城壁が出来る前だよねぇ。
それでもやっぱコンスタンティノポリスじゃないかなぁ。最初から首都として城
壁を作った訳だし。
439世界@名無史さん:05/01/13 23:13:09
テオドリック大王が三年(だったっけ?)かけても完全には陥とせなかったラヴェンナも何気に凄い希ガス。
440世界@名無史さん:05/01/14 15:32:04
夏目漱石を主人公にした劇中に必ずといっていいほど登場する悪口、「このオタンチン=パレオロガスが!」
これが東ローマ最後の皇帝の名、コンスタンティヌス=パレオロガスをもじったものだと知っている香具師は
どのくらいいるだろうか・・・
441世界@名無史さん:05/01/14 17:06:53
知っている。
442世界@名無史さん:05/01/14 19:50:25
>>440
普通は、ギリシャ語読みに近い「コンスタンティノス(11世)パレオロゴス」だな。

「オタンチン」は英語形の「コンスタンティン」から取ったのだろうけど。夏目は英文学者だし。
443世界@名無史さん:05/01/15 01:32:11
ひょっとして、ひょっとして「オタンコナス」って関係ある?
444世界@名無史さん:05/01/15 08:27:15
ギリシア語なら
「コンスタンティノス11世・パライオロゴス」だろ
445世界@名無史さん:05/01/15 09:23:47
>>444
パライオロゴスは古典ギリシャ語読み、パレオロゴスは中世ギリシャ語読みですが何か?
まあ、本当は中世ギリシャ語なら「コンスタンディノス11世パレオロゴス」だが。
しかもコンスタンティノス11世自身は母方の姓を名乗ってたから「ドラガセス(
古典ギリシャ語)」あるいは「ドラガシス(中世ギリシャ語)」だけどね。
446カラジチ ◆mWYugocC.c :05/01/16 11:31:16
ギリシア語はいつ頃からかしらんけど、aiをエと読むようになったみたいやねえ。
現代ギリシア語で読んでもパレオロゴスですよ。
447世界@名無史さん:05/01/16 11:37:35
そんなことよりも、俺は12世だと思うんだけど。
448世界@名無史さん:05/01/16 19:16:24
>>447
ラスカリスを11世にしろ、と言いたい訳ね。
449世界@名無史さん:05/01/16 20:37:44
そういやあコンスタンチノス11世は2人いたんだっけね。
450世界@名無史さん:05/01/16 21:41:01
パレオロゴス朝は、すでにいわゆる「帝国」じゃあなくなってたからなあ。領土が(´・ω・`)
まあ数は少なめだが一応多くの民族を「ローマ人」としてなおも扱ってはいたんだけど。
ミニ帝国だな。
451世界@名無史さん:05/01/16 22:32:12
ビザンツの皇帝って小物が多すぎる。
452世界@名無史さん:05/01/16 22:46:08
ユスティニアヌス一世も小物かね
453世界@名無史さん:05/01/16 23:57:30
>>377
>>373の挙げた「ビザンティン帝国同好会」(直リン貼るなよ>>373)とウィキ
ペディアは、下記の尚樹啓太郎先生の『ビザンツ帝国史』のp330-p331を読んで
書いたものと思われ(尚樹先生は全て中世読みで書いてあるので語句を古典形に
しようとしてあるが)。

これまでのラテン語のインペラートル・カエサル・アウグストゥスに代わって、
ササン朝ペルシアとの戦いに勝ってコンスタンティノープルに凱旋した六二九年
に、イラクリオスと彼の子の名で発布した法律の中で初めて<キリストの信者ヴァ
シレフス>という言葉を使った。帝国が従来ヴァシレフスの名で呼んでいたのは、
ササン朝ペルシアの王であり、それは<大王>・<諸王の王>の意味を持ってい
たが、今やペルシアを臣従国とした皇帝は、アフトクラトルで、かつすべての王
の上に立つヴァシレフスであると意識したのである。(略)ヴァシレフスとは他
の全ての王の上に立つ皇帝を意味した。

>>450
「帝国」としては1204年で終わってたな。
その後はギリシャ人さえ統一できなかった。

>>452
>>451はロクに知らないだけ。
たぶんユスティニアヌス位しか知らないのだろう。
454世界@名無史さん:05/01/17 00:18:52
>>379
 専門書読めば、それなりに答えは書いてあるものだよ。
 
 『ビザンツ 幻想の世界帝国』(根津由喜夫 1999年講談社)p11より

 ここで言う「ローマ人」とは、イタリア中部ティベル河畔の都市ローマの
 市民を意味するものではない。紀元二一二年のカラカラ帝の勅令以来、ロー
 マ市民権は帝国内の全自由人に与えられていた。古代以来連綿として、人々
 の観念のなかでは「ローマ帝国」は、文明に値するすべての人類居住地域を
 支配下に収めた世界帝国を意味した。すなわち「ローマ人」とは民族の枠を
 越えた世界市民であり、「ローマ人の皇帝」は、文明世界全体を支配する普
 遍的な君主の座を示すものに他ならなかった。
455世界@名無史さん:05/01/17 00:38:36
ビザンチンの皇帝といえば、聖像破壊令を出した皇帝はコプロス(糞)と呼ばれて貶められたそうだね。
456世界@名無史さん:05/01/17 00:55:05
>>455
コンスタンティノス5世「コプロニモス」な。
聖像破壊令を最初に出したのは父親のレオーン3世だが。父子ともに
軍事能力が高くて軍隊からの信頼は厚かったのだが、後世聖像崇拝派
が正統になってしまったので不名誉なあだ名が付けられてしまった。
457世界@名無史さん:05/01/17 01:09:00
そのウンコ皇帝から聖像を守ろうとした聖人、アトス山に四十年間も篭って修行していたという高僧が、
四肢切断のうえ斬首されたとか。

怖い・・・
458世界@名無史さん:05/01/17 05:46:01
>>457
その程度のことを怖がっていては世界史は読めない。
聖像破壊をやめさせたエイレーネー(中世読みでイリニ。コンスタンティノス
5世の息子レオーン4世の皇后)なんぞ、実の息子コンスタンティノス6世の目を
潰して帝位を簒奪した(ローマ帝国初の女帝)のに、聖像を復活させたってだけ
で聖人だ。仮に聖像破壊側が正統派になっていたらコンスタンティノス5世は偶
像崇拝に堕したキリスト教を救った聖者、とかになっていただろう。


459世界@名無史さん:05/01/18 00:57:17 0
>>377にしろ>>379にしろ>>451にしろ、ロクに関連書籍も読まずに
てきとーなこと書く香具師大杉。

読んだ上でおかしい、納得いかない、っていうなら分かるんだけど。
460世界@名無史さん:05/01/20 21:37:21 O
ヌルポレイオス
461世界@名無史さん:05/01/21 00:58:37 0
ガッレリウス
462世界@名無史さん:05/01/23 17:58:21 O
age
463世界@名無史さん:05/01/23 18:01:47 0
ルーマニア
ふてぶてしい名前だ。
464世界@名無史さん:05/01/23 20:27:10 O
>>463
ビザンツと直接は関係ない。
465世界@名無史さん:05/01/28 20:50:35 O
白水社文庫クセジュより「皇帝ユスティニアヌス」発刊age
466世界@名無史さん:05/01/28 23:30:21 0
ユスティニアヌスのような散財しきったカス皇帝も一冊の本になれるとはな・・・
467世界@名無史さん:05/01/29 09:48:24 0
>>457,458
初期ビザンティンの皇帝って残酷な刑罰受けたの多いよね。ところでレオ6世っ
てなんで賢王って呼ばれてるの?
468世界@名無史さん:05/01/29 11:16:14 O
>>466
ユスティニアヌスは功罪ともにとても大きい。一面だけで評価しようとするお前
がカス。

>>467
実際に学問好きで、内政でも法整備を進めたから。軍事・外交は全然ダメだったが。
469世界@名無史さん:05/01/29 20:27:35 0
ユスティニアヌスがアヤ=ソフィアの建造計画を立てたとき、地権者の一人がどうしても立ち退かない。
そこでユスティニアヌスは彼を競馬場の皇帝観覧席に座らせ、競馬見物をさせた。
これでめでたく土地買収は完了したろいう。
470世界@名無史さん:05/01/29 20:33:17 0
塩婆はローマ人の物語をおえたら飯の種をなくさないために
トルコの侵入・滅亡までやるのかやらないのか其れが問題だ
471世界@名無史さん:05/01/29 20:38:27 0
過去の積み上げで印税生活中。
472世界@名無史さん:05/01/29 20:48:03 0
いいなローマ史やっている連中は通俗本ださないのか?
こんなスレでくすぶっていないで出版社に売り込みにいけよ
俺の方がおもしろいって。
473世界@名無史さん:05/01/29 20:49:54 O
ビザンツは専門書ばっかしだからな。
サイトもほとんど無いし。
474世界@名無史さん:05/01/29 20:50:39 0
ところで、あんたらやっぱりオスマントルコは嫌い?
475世界@名無史さん:05/01/29 20:51:23 0
べーつに〜ぃ
476世界@名無史さん:05/01/29 20:54:28 0
>>474
メフメト2世はキライ
477世界@名無史さん:05/01/29 20:54:34 O
オスマンは「偉大なる敵」
By 尚樹啓太郎
478世界@名無史さん:05/01/29 21:31:19 0
宗教弾圧したビザンツよりも、オスマンのほうがよい。
479世界@名無史さん:05/01/29 21:38:31 O
イスラム教とかユダヤ教は弾圧してないけどな。

キリスト教は内部の争いが激しい。特にビザンツはギリシャ語の聖書を読める人
口が多かったし。
480 :05/01/30 01:04:17 0
東ローマは「ローマ」ではない。
ローマ人のスピリットなど一つも受け継いでいないではないか。ロシアが
ローマ帝国の後継者を縁戚関係から名乗っていたのと同じこと。
481世界@名無史さん:05/01/30 01:12:04 0
っていうか後世のプロテスタントの出現までカトリックも正教も
聖書は教会の解釈のみ許されるという事で当時の教義の
争いといったところで教会内のコップの中の闘争にすぎぬと
思ってみたーり
482世界@名無史さん:05/01/30 01:21:40 0
>>480は塩野スレにいたDQN
どうせビザンツ史なんてロクに知らないくせに
素人のたわ言はせめて>>454を読んでからにしろ

>>481
どちらかというと政治的な争いや地域間対立の側面もあるからねぇ。
聖像破壊運動なんかの場合は東方的な一神教概念の強いアジア側と、
古代ギリシャ以来の偶像崇拝の伝統を残すギリシャ側の対立という
面が強かったし。聖像破壊を進めたのがシリア出身の王朝で、それ
を第2ニカイア公会議で中断させたのがアテネ出身のエイレーネー
だったことが如実に示している。




483 :05/01/30 01:23:50 0
>>482
まあまあ。反論できないからと言ってそう猛るな。
東ローマは別物なのだよ。むしろカラカラによって「ローマ」は滅亡したと
言っていい。
484世界@名無史さん:05/01/30 01:27:18 O
>>479
ローマ法大全にはユダヤ教徒に対して強圧的な条文があるとか
485世界@名無史さん:05/01/30 01:29:27 0
>>483
妄想乙。というか、ただの塩野の受け売り。
486 :05/01/30 01:31:46 0
>>485
じゃあ、東ローマが古代ローマの後継者であると、一つ証明してみせて
くれないかな? 妄想だの何だの吼えられても納得できないしな。
お手数だが、できるのならやってもらえないか。
487世界@名無史さん:05/01/30 01:40:46 0
>>486
逆に、カラカラでローマが終わったという根拠を示して欲しいね。
もちろん学術的な文献を踏まえてね。「物語」はダメだよ(藁
488世界@名無史さん:05/01/30 09:13:25 0
>>480=>>483=>>486はスピリットとかそういう抽象的な事を
出すだけで、専門家の文章を提示されると、それに対する反
論は全然出来ないのに何が「反論できないから」だよ。
 「日本国籍を持っている人は日本人」っていう定義に対し
て「今の日本人は大和魂を持ってないから違う」って言って
るようなもんだ。しかも「大和魂」は何か、は全然説明せず
にね。

 ちゃんと反論があるなら根津先生にしな。もちろんラテン語・
ギリシャ語の原資料を提示して「この時点でスピリットがなく
なったから違う!」って言うんだよ。そうじゃないと相手にさ
れないから。
489世界@名無史さん:05/01/30 10:38:05 0
>>488
まぁスピリットなんて言っている時点でアホだよww
気にしなさんなw
490世界@名無史さん:05/01/30 10:43:54 0
>>488
いやー、原史料からスピリットを読みとっても、恣意的になることに変わりはないんじゃないか?
491世界@名無史さん:05/01/30 12:38:24 0
スピリット程曖昧な言葉はないな。
タキトゥスなんかは、カエサルでローマは滅んだとか言いそうだw
492世界@名無史さん:05/01/30 13:11:01 0
「カエサル、アウグストゥスによって共和制が形骸化した以降は〜」
とかなんとか、「スピリット」なんてどうとでも言えるしな。
493世界@名無史さん:05/01/30 20:15:00 O
>>491-492
禿胴。

>>490
>>488もまともな回答なんて期待してないだろ。日本語の史料もロクに示せないんだから。
まあ、スピリットなんてアホなこと書く研究者なんて、いないだ
ろうけどな。
494世界@名無史さん:05/01/30 21:17:15 0
史料wwww
495世界@名無史さん:05/01/30 21:18:39 0
>>1
アホか。
史料をもっと読め!
どこがローマ的なんだよ。
496世界@名無史さん:05/01/30 22:18:56 0
>>494=>>495=>>486 www
また「ローマ的」とかいう抽象的な概念を出してきたよ。
497世界@名無史さん:05/01/30 22:48:24 0
>>495
「スピリット」がアホ扱いされたから今度は「ローマ的」か。
これも何とでも言える罠。
「エジプトを支配した時点で『ローマ的』ではない(w」とかね。


で、ローマの「スピリット」って何?
「ローマ的」っていうのは何?
498代わりに答えます:05/01/31 07:56:19 0
>>497
そう言う安物の酒なら知っているが、、、
犬の名前かなんかか?
英国製の飛行機の名前とも違うし、、
ああ、ボーリングのピンの並び方の一種だな。

ローマ的は多分ロマンチックでいいわけかな?
エジプトの夜に浮かぶ三日月とスフィンクスとかかなW
最近の都心の夜景もなかなかだよw
499世界@名無史さん:05/01/31 09:49:24 0
塩野厨はせめて、塩婆が参考文献としてあげてるもののうち、邦訳があるもの
くらいは一通り読んでほしいな。
500世界@名無史さん:05/01/31 20:53:32 0
???
501世界@名無史さん:05/02/01 00:06:19 0
「皇帝ユスティニアヌス」読み始めたんだけど、どうやら訳が共同翻訳
(訳者として名前が出ているのは、BS-iのスペシャルで解説やってた一
橋の大月センセ)だったせいか、同じ官職なのに表記が違う(例えば、
「首都長官」と「市総督」、「ローマ司教」と「ローマ教皇」)なのは
どうかと。誤字もあるし、編集者は何をやっているのかと小一時間…。

>>498
そういうベタなボケ、漏れは好きだな。

>>499
厨にそんなことを要求しても無理な訳で…。
というか、それが出来ないから厨な訳で…。
502501:05/02/01 00:10:07 0
あ、間違えた。
×同じ官職なのに表記が違う
○同じ官職なのにページによって表記が違う


503世界@名無史さん:05/02/01 11:41:22 0
BS−iのスペシャル再放送してくれんかな。
最近見れるようになったばかりなんで。
504世界@名無史さん:05/02/01 12:06:46 O
↑DVDが出てるよ。\31,500もするけど。
505503:05/02/01 15:06:16 0
\31500・・・OTL
506アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/02 06:19:11 0
>>501
未読なので間違っているかもしれませんが、
原書自体が複数の表記を用いている可能性もあるのではないでしょうか。

欧米語の場合、一つの対象を表現するのに、
同じ呼称で統一するのではなく、
色々な表現を駆使する方が「知的」とされる傾向があるようですから。
特に「ローマ司教」は、現在でも教皇の称号の一つですし。
507世界@名無史さん:05/02/02 08:51:12 0
>>506
ローマ教皇といえば、王政、共和政、帝政ローマから続く"Pontifex Maximus"(最高神祇官)の
称号も受け継いでるんですよね。
おお、ローマの「スピリット」は今なお生きていたナンチテ
508世界@名無史さん:05/02/02 11:13:23 0
>>501,506
「首都長官」と「市総督」はどちらもPraefectus Urbiの訳語です。
(他に「警視総監」「都警総督」「近衛都督」なども)

ローマの官職でありがちなことですが、同じ官名でも時代によって職掌が全く
違うので、訳者があえて別の言葉をあてていることもあります。
e.g. Proconsul→執政官代行、属州総督

これを書いてて、Consulの訳語が教科書(執政官)と資料集(頭領)で違ってて、
混乱したのを思い出しました。
509501:05/02/03 00:07:00 0
>>506
>>506氏の言われる通りで、首都の長官職については同じ言葉の訳違いです。
他のビザンツ学者、例えば井上浩一先生は一貫して「市総督」、尚樹啓太郎先生
は「首都長官」を使われています。
ちなみに「皇帝ユスティニアヌス」では、最初「都市長官(prafectus ufbi)」
になっているのですが(スペリング間違い?)、途中から「市総督」「首都長官」
と表記が揺れるんですよね。他のビザンツ関連書籍を読んでる人間は適宜読み替
えればよいのですが、いきなり読んだ人には分かりにくいのではないかと。

>ローマの官職でありがちなことですが、同じ官名でも時代によって職掌が全く違う
ビザンツみたいに千年もあると、全然違ったりしますよね。最初のうちは実体のあ
る官職だったのが、段々ただの爵位を示す称号になってたり。Proconsulも後に
ギリシャ語の「アンテュパトス」という、ただの称号になっているようですし。
逆に「外務・逓信長官」が、中期になると実質的な宰相の役目になってたり…。



510501:05/02/03 00:08:25 0
あ、すみません、また間違えますた。
>>508氏の言われる通り」です。
511アクィラ ◆0fUIPC892c :05/02/03 18:41:52 0
>>507
SPQRが、...と塩野ネタも、そのノリで挙げてみたくなりますw

>>508>>509=501氏
了解いたしました。
512近刊書:05/02/04 04:43:57 0
NTT出版「イスタンブール・三つの顔を持つ帝都」誰か読みました?

ビザンティウム時代からコンスタンティノープル時代、イスタンブール時代
と3000年分を一冊で扱っているんだけど、けっこう詳しい。
513世界@名無史さん:05/02/04 07:39:50 O
↑\3,150っていう値段がねぇ…。
514世界@名無史さん:05/02/07 21:56:21 O
>>512
買ったよ。これ、ビザンツの通史本としても、なかなか良いな。お薦め。
515世界@名無史さん:05/02/07 22:43:26 0
>>512
アマゾンで検索したけどでんぞ
正式署名きぼん
516世界@名無史さん:05/02/07 22:53:18 O
>>515
>>512の通り、「イスタンブール 三つの顔を持つ帝都」だよ。
517世界@名無史さん:05/02/08 00:55:14 0
516では検索引っかからないから、「イスタンブール 三つの顔をもつ帝都」で検索汁。
                                        〜〜
518世界@名無史さん:05/02/08 05:51:41 0
ちなみに出版元からの案内はこれ
ttp://www.nttpub.co.jp/vbook/list/detail/4066.html
519世界@名無史さん:05/02/09 23:45:22 0
最大領域は?
520世界@名無史さん:05/02/14 02:26:50 0
「三つの顔をもつ帝都」買いました。

ずっしりとした本なのでまだ読みかけだけど、いわゆる正史より、
各種の年代記から引用した逸話や脱線話が詰め込まれているところが
とても面白かった。
521世界@名無史さん:05/02/14 05:12:35 0
ヴァリャーギ親衛隊って結局どうなったんでしょうか?
ウラディミールからバシレイオスへ援軍としてやってきたのが端緒で、その後各地の蛮族・・・もとい傭兵組み込んでって滅亡まで存続したんですか?
522世界@名無史さん:05/02/14 09:55:07 0
ある戦闘で突撃したが待ち伏せ攻撃にあってほとんど全滅したらしい
523世界@名無史さん:05/02/14 12:46:07 0
>>474
ビザンツに止めを刺してくれたのが偉大なオスマン帝国で良かった。
それでこそ最期が伝説になったというか。
ヘタレ十字軍に占領されたのでなし崩し的にビザンツ滅亡なんてことになってたら目も当てられんかった。
524世界@名無史さん:05/02/15 15:58:14 0
そうかい?
むしろビザンツのあたりはキリスト教文化圏として現在も残っていてほしかったから、
俺は十字軍に滅ぼされていたほうが面白かったかも。
コンスタンチノープルやアンティオキア、スミルナあたりがイスラム化されてしまったのはがっかり。
525世界@名無史さん:05/02/16 01:31:12 0
欲を言えばシリアとエジプトもw
526世界@名無史さん:05/02/16 02:16:46 0
エジプトは古代多神教文明のままがよかった。
527世界@名無史さん:05/02/16 19:08:18 0
>524>525
同意。
バルカン半島も一部ムスリムになったせいで後世に紛争の種を残してるし。
ボスニアとかコソヴォとか。
528世界@名無史さん:05/02/16 19:11:10 0
>>527
カトリックvs東方正教会になって
もっとどうにもならなくなってるかも。
529世界@名無史さん:05/02/17 04:00:00 0
バルカン半島はどうやってもダメな気がする
530世界@名無史さん:05/02/17 11:43:33 0
>>525>>526
時系列がおかしい。既に7世紀にイスラム化している
>>527
おかしい。イスラムはそもそもビザンチンの落とし子だよww
十字軍にビザンチンが滅ぼされていたら欧州のイスラム化は
もっとひどかったろうな。実際バルカン半島のイスラム化はその結果。
北アフリカが8世紀にイスラム化されている時点で手遅れ。
>>524
無理。あんな大遠征がまともな統一国家一つできない当時の欧州では続く
はずもない。結果やはりイスラム化が早まっただけだろ。
ビザンチンの弱体化の1つは十字軍。その弱体化の結果が小アジアのイスラム化。
531世界@名無史さん:05/02/19 17:30:00 0
夢のないお方だ・・・過去の覆せない結果に対して勝手な妄想をぶつけて楽しんでいるだけなのに、まともな反論されても・・・

532世界@名無史さん:05/02/22 23:31:36 0
小アジアの完全なイスラム化は、近代のギリシア−トルコの住民交換が原因のような希ガス
533世界@名無史さん:05/02/23 22:36:41 0
アルメニア人もギリシャ人もいっぱいいたんだよね。
多民族国家オスマン・トルコ帝国から
民族国家トルコ共和国に変身して。
534世界@名無史さん:05/02/24 15:14:33 0
バルカンでイスラム化したのは、大雑把に言えばボスニアの半分とアルバニアとコソボだけ
535世界@名無史さん:05/02/24 16:49:20 0
テマ制度に興味があるけど何かいい本ない?
岩波書店の「ビザンツ帝国」以外で。
536世界@名無史さん:05/02/25 21:39:57 O
>>535
岩波のって井上浩一先生のだろ?洋書ならともかく、日本語であれ以上の内容な
んてないと思われ。井上浩一・尚樹啓太郎・渡辺金一位しか、ビザンツ史系には
ロクな書き手さえいないし。オストロゴルスキーの「ビザンツ帝国史」は、まだ
読んでないから分からないけど。
537世界@名無史さん:05/02/25 21:42:10 0
東海大学出版会のビザンツ帝国史っていうえらい分厚い本があったと思う
538世界@名無史さん:05/02/25 21:53:33 O
↑それは尚樹啓太郎センセの本。あれ\30,000近くするんだよね。
オストロゴルスキーの本も同じ位高い。
539世界@名無史さん:05/02/25 22:28:57 O
ビザンツ帝国の名前の由来は後世の学者が古代ローマと区別するため。ちなみに東ローマ帝国もまわりが言ってるだけで本人達はローマ帝国と自称していた
540世界@名無史さん:05/02/26 00:59:31 0
このスレでビザンツはローマとなのに、なんでオスマンはトルコ呼ばわりされてるんだ?

541世界@名無史さん:05/02/26 16:34:34 O

オスマンのことを知らないからだろう。
ビザンツもロクに知られてないしな。
542世界@名無史さん:05/02/26 18:05:54 0
>>539
サーサーン朝のころも東ローマは「フローム」と呼ばれていました。
イスラム時代以降も「ユーナーン(イオニア)」とも呼ばれていましたが、
やはり「ルーム」と言う呼称も一般的でした。

コンスタンティノープルも「クスタンティーナ」か「イスタンブール」と呼ばれていましたが、
イスラム時代以降に限って言えば「ビザンティン」に類する呼称は使われていません。
543世界@名無史さん:05/02/26 20:38:53 O
>>542
そういえば「ルーム・セルジューク」の「ルーム」は
「ローマ」って意味なんだよな。
544世界@名無史さん:05/03/09 22:49:41 0
>>538
商品名 : ビザンツ帝国史
補足情報 : 尚樹啓太郎【著】 東海大学出版会
11000円で出品 13000円で一撃
http://item.easyseek.net/item/35229459/
545世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 01:26:43 0
ビザンツ文明がイスラーム文明に与えた影響にはどんなものがある?
546世界@名無史さん:2005/04/12(火) 09:44:35 0
193 :世界@名無史さん :2005/04/09(土) 12:05:57 0
ローマ帝国がいつ終焉を迎えたかについて、
(1)オスマン帝国による1453年のコンスタンティノープル陥落
(2)313年のキリスト教公認
(3)西ローマ帝国の帝位に誰も就くものがいなくなった476年
(4)イスラム勢力におされて守勢に立つようになった7世紀

塩野女史いわく、(2)の説を取る人は政教分離主義者に多く、
(4)の説を取る人はこれとは反対の考えを持つ人々なのだとか。

195 :193=195 :2005/04/09(土) 17:17:32 0
(4)の説が有力視される理由は、第一に、内実はキリスト教帝国になって以後も
ローマ帝国を名乗り続けたこと。第二に、ローマ帝国はキリスト教という
新しい血を輸血したことで生き返ったと考えるのだから、生き返った「ローマ帝国」
が蛮族化された西方まで一時は再服しそうだった6世紀は、ローマ帝国の隆盛期
なのである。ところがこのわずか1世紀後には、東方のほうもイスラムによって
生き返ってしまった。宗教によって衰退一方だった国家が生き返るという見方をとる
人ならば、それがキリスト教であろうとイスラムであろうと、歴史の推移を
見つめる視点も同じになる。そしてここにいたって、キリスト教対イスラムの
対立の構図が誕生する。
547世界@名無史さん:2005/04/12(火) 10:05:14 0
1461年まで存続したトレビゾンド帝国が最後の東ローマ帝国。
548世界@名無史さん:2005/04/12(火) 20:12:39 O
>>546
学問系の板で、小説家の戯言を根拠に挙げるとは…
549世界@名無史さん:2005/04/13(水) 00:21:49 0
塩野七生の提唱する説は論拠のない大衆的な思い込みの域を出ない。
押し付けがましい少女趣味に付き合っていては学問板の名が廃る。
多少取り付きにくくてももう少しマシな本を読んだほうが良い。
550世界@名無史さん:2005/04/13(水) 20:54:16 O
>>549
禿胴。
ゴチャゴチャ抜かすのは、最低限井上浩一あたりを読んでからにして欲しいよな。
ロクに専門書も読まずに、塩野なんかを引き合いに出すとは、あまりにも低レベ
ルな…ここは本当に学問板か?
551世界@名無史さん:2005/04/29(金) 20:45:46 0
「シチリアの晩鐘」事件について語りませう。
地中海を股にかけたこの事件、ミカエル8世パライオロゴス、シャルル・ダンジュー、
アラゴン王ペドロ3世、ローマ教皇マルティヌス4世、ジェノヴァ提督ベネデット・
ザカリアと登場人物も多彩ですが…
552世界@名無史さん:2005/04/29(金) 20:53:13 0
ジョヴァンニ・ダ・プロチダはどこだ?
553世界@名無史さん:2005/04/29(金) 21:07:54 0
ルジェ・ダ・リュリアは何処へ行った?
554世界@名無史さん:2005/04/29(金) 21:29:03 0
ミカエル8世が東西教会の合同の話をローマ教皇に働きかけると、
アエトリア、エピルス、テッサリアの僭主のもとに大勢の修道士や
主教が逃亡し、彼らはここで宗教会議を開いてミカエルを背教者と
呼んだ。
トレビゾンドの君主は皇帝という称号を名乗り、姪に当たるブルガリア
女王マリアもエジプトのスルタンとの間で彼の破滅を画策した。
555世界@名無史さん:2005/04/29(金) 22:29:40 0
シャルル・ダンジューって判りやすい悪玉だよな。
ミカエル・パライオロゴスの姦雄ぶりがかすむ。
556世界@名無史さん:2005/04/29(金) 23:41:05 0
即位した後のミカエルは、レスボス・キオス・ロードスなどエーゲ海の島々を
ラテン人から奪回。
ミカエルの弟コンスタンティヌスはマルヴァシアとスパルタの制圧に向かい、
モレア半島の東側は再びビザンツ領となった。
557世界@名無史さん:2005/04/30(土) 16:47:26 0
ミカエル・パラエオログスがコンスタンティノープルを奪回すると帝国の
重心がヨーロッパに移り、東方の小アジアはトルコ民族に明け渡された結果
となり、オスマン朝の興隆の前にやがて帝国は滅亡する構図が出来上がった。
558世界@名無史さん:2005/05/01(日) 13:00:19 0
軍事力が弱くても策略と資金にものをいわせて危機を切り抜ける。
それが、ビザンツクオリティ。
559朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/01(日) 21:52:07 0
パレオロゴス朝はヘレネス(ギリシャ人の尊称)を自称したりと、
明らかにそれまでの東ローマ帝国と相違点があるよね。

ミカエル自身もトルコ諸族の抗争で軍事的頭角を現した人で異色。
戦わずして勝つ智謀は賞賛こそすれ、非難には当らないと思うよ。
560世界@名無史さん:2005/05/01(日) 22:29:26 0
「夷を以って夷を制する」政策が命取りになった。
561世界@名無史さん:2005/05/01(日) 22:35:13 0
>>560
テサロニケの熱心党を抑えるのにトルコ人の傭兵を用いたり、
ドゥシャンもコンスタンティノープル征服計画に対してオスマン朝に
援助を仰いだりしたことが仇になったな。
562世界@名無史さん:2005/05/01(日) 23:08:00 0
ttp://www.unf.edu/classes/byzantium/image/chora-anastasis.jpg
ttp://saints.oca.org/IconDirectory/LG/Pascha/anastasis.jpg
アナスタシス(冥府降下)

このフレスコ画など、それまでのビザンツ美術とは明らかに違っている。
563世界@名無史さん:2005/05/01(日) 23:51:14 0
パレオロゴス朝って
ギリシャ帝国と呼んでも差し支えないような…。
まあ当の現代ギリシャ人は嫌がるだろうけど。
564世界@名無史さん:2005/05/02(月) 17:39:44 0
ヘシュカスモス論争が起こったのもパライオロゴス朝の時代だったよね?
瞑想によって、タボール山でキリストが発した光のような、神の光をこの目で
見ようとする考え方のこと。
565世界@名無史さん:2005/05/04(水) 03:37:16 0

ローマ自体が、もともと、建国の由縁をトロイ戦争の遺民を始祖とし、ギリシャと同祖同族を
主張していたんだから。
566世界@名無史さん:2005/05/04(水) 22:14:05 0
ここで十字軍について語るのはOK?
アンナ・コムネナとか、第4回十字軍のコンスタティノープル征服とか。
567世界@名無史さん:2005/05/04(水) 23:35:07 0
>>566
バンバン語ってほしい。
特にラテン帝国の政体とか、
シュタウフェン朝両シチリアとのローマ亡命政権の関係とか知りたい
568世界@名無史さん:2005/05/05(木) 00:02:07 0
コンスタンティノープル征服後、フランス人とヴェネツィア人は帝国の分割と
統治に関して合意した。

(1)それぞれの民族から6人ずつ選ばれた計12人の選挙人が指名されること
(2)皇帝は彼らの間の多数決で決められ、万一票が同数であればくじ引きで
当選者を決定すること
(3)当選者はビザンツ皇帝のすべての称号や大権とともに、ブコレオンと
ブラケルナエの両宮殿とギリシア王領の4分の1の地域を割り当てられること
(4)残る3つの部分はヴェネツィアとフランスの直臣たちの間で平等に分割され、
ヴェネツィアの統領を例外として各封建領主は全員が皇帝への臣従の義務と
兵役の奉仕を承認し履行すること
(5)皇帝を出した側の民族は、相手側に総大主教の選択権を認めること

などである。


569世界@名無史さん:2005/05/05(木) 00:46:15 0
皇帝に選ばれたフランドル兼エノー伯ボードワンは、「イェルサレム
法令集」からフランス人植民地・占領地の法律・習慣を採用した。
ヴェネツィアは首都の8分の3の区域を統括し、その独立した法廷は
6人の判事、4人の法律顧問、2人の執事、2人の財務管理人、1人の治安官
で構成されていた。ラグーザ近郷からヘレスポントとボスフォラス両海峡
の海岸沿いでは封建制度を採用し、私的な封臣たちがその平定と保持を
引き受けた保有地に関しては彼らの臣従で満足した。サヌード家は
ナクソス公領(エーゲ海の大部分)を獲得し、ヴェネツィア共和国は
モンフェラート侯から1万マルクでクレタ島を購入した。
モンフェラート侯はテサロニケ王国を、ヴィラルドワンはアカイア侯国を
建国した。ブロワ伯とサン・ポル伯はニカエア公領とデモティカの
封土を与えられた。
570世界@名無史さん:2005/05/06(金) 20:12:48 0
マンジケルトの戦いの後、北西部アナトリアのニカエアを中心にルーム・セルジューク
朝が成立する。
ただし、この王朝はのちに第一回十字軍によりニカエアを追われて、その首都を
中部アナトリアのコニヤに移した。
571世界@名無史さん:2005/05/09(月) 12:53:05 0
我々は>>1が何故このようなスレッドを立てたのかという
疑問を解決するため、1の故郷であるダマスカス郊外の寒村に向かった。
「まだ我がユスティニアヌス帝の治世にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した兵士に失礼だと咎められた。

小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、
そして土着の小官吏達は身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
コンスタンティンノープル遷都だの、ローマ法大全だの、パンとサーカスだの
で浮かれていた我々はビサンティンの現状を噛み締めていた。

ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに
「うちのバカが申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。

我々はこの時初めて>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、この村の貧しさが全て悪かったのだ。
我々は母親から貰った干葡萄を手に、
打ちひしがれながらコンスタンチンノープルへと帰路についた

572世界@名無史さん:2005/05/09(月) 15:45:22 0
在日コリアンの来歴
http://mirror.jijisama.org/zainiti_raireki.htm
現在の在日韓国・朝鮮人の大部分は強制連行と無関係
民団も韓国青年会も自認
実地調査でも「在日1世強制連行少数説」は裏付けられています
徴用は強制連行ではない

「朝鮮人強制連行」という言葉を造語し世に広めたのは、
朴慶植著「朝鮮人強制連行の記録」という本であるといわれているが、
この中で強制連行があった証拠として、上記の鎌田沢一郎著「朝鮮新話」が引用されているが、
傍線を引いた朝鮮人が暴走して実行したという部分はなんと無視されているのだ

台湾人の"強制連行"が教科書に書かれることはない。
事実を書くと反日教科書の編集方針と合わなくなるからか?

しかし韓国人が日本に対してだけ怒りを向けるのも、論理的ではない。
太平洋戦争前に、ソ連のシベリア沿海州に30万人以上の韓国人が住んでいた。ところが、
スターリンがこれらの韓国人が日ソ戦争が起こった場合に日本に協力することを恐れて、
中央アジアへ強制移住させた。スターリンは妄想にとらわれた暴君だった。
カザフ科学アカデミー朝鮮民族センターの調査によると、移住する過程で12万人が死んだ。
だが、政府も、マスコミも、ロシアに対して抗議の声をあげることがまったくなく、友好的である。
573世界@名無史さん:2005/05/09(月) 22:07:45 0
西ローマは早々と滅んでしまったのだからローマ帝国は東ローマしかないんだからビザンツはローマ
だろう?1453にビザンツ滅んでからはロシアがローマを引き継いだ。神聖ローマ帝国というのは歴史家の
便宜的名称
574世界@名無史さん:2005/05/10(火) 00:07:15 0
>>573
このスレで何度も出てるように帝国の中心はイタリア以西じゃなくて
ギリシア、シリア、アジア、エジプトだったし、
オドアケルがゼノンに西ローマ皇帝位を返還してるんだから、
東ローマ帝国じゃなくてローマ帝国でいいと思うんだけどね。
ただ、ビザンツのことをローマと呼べって言う輩は大抵オスマンのことを
トルコって言ってるんだからどっちもどっちだと思うけど。
575世界@名無史さん:2005/05/11(水) 02:11:14 0
以前質問スレで質問したのですが、返答が得られなかったので
ここで改めて質問させていただきます。

ビザンツ帝国では、ユダヤ人はどのような扱いを受けていたのでしょうか。
迫害やゲットーなどはあったのでしょうか。時代によってユダヤ人に対する
扱いも違ったのでしょうか。
またトルコが攻めてきた際、小アジアのアルメニア正教徒やシリア正教徒のように
日頃の圧政に対する不満からトルコ軍を歓迎したりトルコ側に逃走するといった
動きもあったのでしょうか。詳しい方教えてください。
576世界@名無史さん:2005/05/11(水) 13:40:50 0
ユダヤ人なんてそもそもいなかっただろ。
ユダヤ教徒ならムスリムがローマ帝国領シリアを侵略する時歓迎したそうだから、
弾圧とまではいかんが抑圧はされてたんだろ。ビザンツ関連の書籍は少ないンで
それを片っ端から読めばええんでないか?
577世界@名無史さん:2005/05/11(水) 17:24:00 0
ビザンツ人について、「たったひとつの単語をめぐる神学論争に夢中になる」
などといわれているが、このへんは古代ローマ人とだいぶ性格が違うな。
古代のローマ人はどちらかというと「不言実行」の民だったから。
ビザンツ人はギリシア人の論争好きの性格を受け継いだのか?
578世界@名無史さん:2005/05/11(水) 21:03:53 0
>576
ビザンツ関連の本をそれなりに当たってみましたがユダヤ人に関する話は
載ってないものばかりです。ユダヤ人の歴史を書いたものの中に1冊だけ
少し書いているものがありました。
それによると、とりあえずコンスタンティノープルにはいたようです。
いつの時代の話かは詳しく読んでないのでよく分かりません。
法によってユダヤ人の生命や財産の安全は保障されていましたが、
動物の革に携わる仕事に従事していたため、一般のギリシャ人からは
多少の差別は受けていたようです。
こういったビザンツ帝国におけるユダヤ人の歴史について
もう少し詳しく知っている方はいませんか。
579カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/05/12(木) 01:58:35 0
サロニキにもいたみたい。
彼らはギリシア語を話していたけど、オスマン朝の支配下に入ってから押し寄せたアシュケナジー、
次いでセファルディの移住によって、同化吸収されてわからなくなったとか。
580世界@名無史さん:2005/05/12(木) 15:48:54 0
581世界@名無史さん:2005/05/12(木) 15:51:40 0
582世界@名無史さん:2005/05/12(木) 15:56:54 0
583世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:00:42 0
584世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:06:21 0
585世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:08:29 0
586世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:09:30 0
587世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:11:34 0
Josua Starr
Jews in the Byzantine Empire (Research and Source Works Ser, No 386)
Burt Franklin (March 1, 1970)
ISBN: 0833733745

Joshua Starr
The Jews in the Byzantine Empire, 641-1204 (Judaica series, 8)
B. Franklin (1970)
ASIN: B0006CUAYI
588世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:12:36 0
M. Avi-Yonah
Jews Under Roman and Byzantine Rule:
A Political History of Palestine
from the Bar Kokhba War to the Arab Conquest
Eisenbrauns (December, 1984)
ISBN: 965223530X

Andrew Sharf
Byzantine Jewry from Justinian to the Fourth Crusade
Oxford University Press (June 1, 1984)
ISBN: 019710021X
589世界@名無史さん:2005/05/12(木) 16:13:33 0
Steven Bowman
Jews of Byzantium 1204-1453 (Judaic Studies Series)
University of Alabama Press (Tx) (July 1, 1985)
ISBN: 0817301984

Steven Bowman
The Jews in Byzantium, 1261-1453
University Microfilms (1974)
ASIN: B0006W4ZZ8
590世界@名無史さん:2005/05/12(木) 20:50:19 0
>579-589

詳しいソースありがとうございます。
英文だけどがんばって読んでみます。
591世界@名無史さん:2005/05/15(日) 22:00:31 0
ヴァシレフス=東ローマ皇帝の称号の一つ
バシレイオス=現代ギリシャ語で「王」を意味する普通名詞
アウトクラトール=現代ギリシャ語で「皇帝」を意味する普通名詞
みたいだね。何かまぎらわしい。
上二つはともにペルシャの「シャー」のギリシャ語形であるわけだが。
592世界@名無史さん:2005/05/19(木) 22:56:08 0
>>591
それは多分間違い。古典ギリシャ語読み:バシレウス(慣用でバシレイ
オス)。中世ギリシャ語ではヴァシレフス。

ちょっと古いが杉村貞臣『ヘラクレイオス王朝時代の研究』(我ながら
なかなか良い専門書を借りてきたな)のP287-288によれば、

ローマ皇帝の称号は基本的に、元々はおなじみの
インペラートル・カエサル・アウグストゥス
で、これにコンスタンティヌス1世以降「フラヴィウス」が加わった。

ギリシャ語では、インペラートルに代えて「アウトクラトール」を、
そして「アウグストゥス」に代えて「セバストス」を使用していた
(「アウグストス」の場合もあり)。
610年のヘラクレイオス即位直後の勅令でも「アウトクラトール、
カイサル、フラヴィオス、アウグストス」を使用している。

ところが、ヘラクレイオスは629年になって突然「キリスト信者の
バシレウス」にした。ちなみに「バシレウス」は、

・古代ギリシャでは王(ラテン語のlexにあたる)。
・ソフォクレスによれば古代ローマで既に「インペラートル」の代
 りに使用していた。
・しかしオストロゴルスキーによれば、バシレウスは7世紀までアル
 メニアやエチオピアなど他国の君主を指したが、ヘラクレイオスが
 バシレウスを名乗ってからはローマ・ペルシャの二大国の支配者の
 みとなり、ヨーロッパ側の王は「レークス」を、アジア民族系の王
 には「カガノス」を使用するようになった。

 だってさ。長文でスマソ。
593592:2005/05/19(木) 23:07:13 0
ちなみに井上浩一『ビザンツ帝国』P350によれば、

レオーン6世(在位:886-9129の正式称号は「支配者、カイサル、フラヴィ
オス、レオーン敬虔なる、恵まれたる、高名なる、勝利したる、凱旋者 永
遠に尊厳なるアウグーストス、信心深きバシレウス」

井上先生が「支配者」と訳しているのが、たぶん「アウトクラトール」。
「永遠に尊厳なるアウグーストス」は、なんか「頭痛が痛い」みたいな表
現でちょっと気になるけど。

ウィキペディアギリシャ語版見てると、ビザンツの皇帝は「アウトクラトー
ル」だな。やっぱ「インペラートル」の意味なのか?アウトクラトールって。
594世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:25:03 0
>>592
王はrexだ。
lexは法だ。
595592-593:2005/05/19(木) 23:32:49 0
>>594
スマソ。原文読みながら書いたのに間違えた。rexが正解。

でも、わざわざageるほどのことでもないぞ。
596世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:39:33 0
αυτοκρατωρはimperatorよりdominusの方が語感が近いと思うが。
597592-593:2005/05/19(木) 23:49:10 0
>>596
それは杉村先生に言ってくれ。

1935年生れだから、たぶんまだご存命だ。

598592-593:2005/05/20(金) 00:07:30 0
余談だが、オストロゴルスキー『ビザンツ帝国史』(和田廣訳)P192の注釈では、
αυτοκρατωρ,καισαρ,αυγουτοζ(即ち、imperator,caesarおよび
augustus)

ってなってるから、αυτοκρατωρ=imperatorというのが国内の専門家の
共通認識らしい。
599世界@名無史さん:2005/05/20(金) 08:12:13 0
>>591
アテネにしてもアレクサンダー治下のマケドニアにしてもペルシャの君主の影響は強かった
みたいね。
600世界@名無史さん:2005/05/20(金) 10:41:34 0
十字軍を扱った映画「キングダム・オブ・ヘブン」だけど、
ビザンツ帝国の人間は一人も出てこないね。
だれか第4回十字軍とか、コンスタンティノープル陥落とかを映画化して
くれないかなあ〜
601世界@名無史さん:2005/05/20(金) 13:49:38 0
アラブ人で東ローマ皇帝になったのって誰?
602世界@名無史さん:2005/05/20(金) 18:24:06 0
フィリップス・アラブス
603世界@名無史さん:2005/05/20(金) 19:02:18 O
>>602
その頃は、東もなにもないだろ。
604世界@名無史さん:2005/05/20(金) 19:03:14 0
الوان الثالث
605世界@名無史さん:2005/05/20(金) 19:38:33 0
أليون الثالث
606世界@名無史さん:2005/05/20(金) 19:45:12 0
ملك الروم آليون الثالث
607世界@名無史さん:2005/05/21(土) 16:59:41 0
>>571
ワロタ。よく出来てる。

>>575
日本語の文献では根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』(講談社選書メチエ)
のP89-93くらいだな。あとは挙げてもらった英文でも。
608世界@名無史さん:2005/05/21(土) 20:08:49 0
ヴァシレフスとバシレイオスの綴りって違うらしいね。
609世界@名無史さん:2005/05/21(土) 20:26:52 0
Liddell&Scottの希英辞典では中世ギリシア語は読めんのか?
610世界@名無史さん:2005/05/23(月) 23:47:01 0
>>608
称号:バシレウス(中世ギリシャ語読み「ヴァシレフス」)
Βασιλευζ

人名:バシレイオス(中世ギリシャ語読み「ヴァシリオス」)
Βασιλειοζ
611世界@名無史さん:2005/05/24(火) 22:43:37 0
>>598
>>610
語末のシグマがゼータになってる
612世界@名無史さん:2005/05/25(水) 10:24:21 0
語末のシグマは
http://pielin.at.infoseek.co.jp/fonts/symbol_greek.html
ρの下のやつな、ゼータ、クシーと紛らわしいがσで代用してもええんでない?
613世界@名無史さん:2005/05/25(水) 11:41:19 0
まぁ、ピザンツってのもなんだが、東ローマ帝国・西ローマ帝国ってのもどーかと
ローマ帝国の東側・西側ってだけなのに
614世界@名無史さん:2005/05/26(木) 12:36:26 0
中国史だと西漢、東漢、西晋東晋とかいうけど
615世界@名無史さん:2005/05/26(木) 13:36:04 0
>>614
それは一応別の国家として扱ってるから分ける方がいいんでは
616世界@名無史さん:2005/05/26(木) 14:40:15 0
中国の漢に関して言えば、うちらは劉邦のは前漢(中国だと西漢)
劉秀のは後漢(東漢)劉備のは蜀漢といってるが、自称は全部漢なので
そこあたりいってるんじゃないか?
別の国家として扱うなら東ローマもそういう感じじゃない?
617世界@名無史さん:2005/05/26(木) 15:49:33 0
東ローマの場合は、1つの国家の半分を放棄したような状態だと思うが
ローマ帝国を二つや四つに分割統治したり、それぞれ争ってたりしてたけど
618世界@名無史さん:2005/05/26(木) 18:27:39 0
首都を移した時点で「東」ローマ帝国でいいんじゃネーノ?あくまで後世の呼び方なんだし。
619世界@名無史さん:2005/05/29(日) 22:59:41 0
属州(プロウィンキア)が姿を消して、テマ(軍管区)制度が確立した時点で、
東ローマ帝国とは別の国家になったのでは?
620世界@名無史さん:2005/05/29(日) 23:14:19 0
>>619
でも制度が変わった=別の国家になったってのは違和感あるなあ。

勃興期の都市国家ローマと後の拡大したローマは制度上も領域上も全く異なるにもかかわらず別の国家とはされない。
共和制だろうがスラやカエサルが独裁権力を握ろうが帝政になろうがやはり同一の国家とされる。
キリスト教が国教となって古来からの神々の重要性が低下しても同一とされ
首都がローマからコンスタンティノポリスへうつり分割統治なんて制度が用いられてもやはりローマ帝国とされる。
621世界@名無史さん:2005/05/30(月) 00:16:23 0
ビザンツでは、5世紀頃から次第にラテン語が使われなくなっていったけど、
これは軍人よりもコンスタンティノープルの高級官僚や役人が大きな力を
持つようになったことも影響している。
622世界@名無史さん:2005/05/30(月) 00:28:17 0
トレビゾンド帝国を忘れるな
623世界@名無史さん:2005/05/30(月) 00:39:58 0
できればエピロスとかも
624世界@名無史さん:2005/05/30(月) 01:28:05 0
皇帝が即位するときに「盾の上に乗る儀式」だけどさ、
あの誇り高いビザンツ人が、蛮族の習慣を導入することに
抵抗はなかったんだろうか?
625世界@名無史さん:2005/05/30(月) 11:35:37 0
>>620
共和制ローマと帝政ローマは別の国だろ。
共和制ローマを「ローマ帝国」とはよばんし。
626世界@名無史さん:2005/05/30(月) 12:35:26 0
>>625
>共和制ローマと帝政ローマは別の国だろ。
こっちはまぁわからんではないが

>共和制ローマを「ローマ帝国」とはよばんし。
世界史板でこんなのが出てくるとは。。。
627世界@名無史さん:2005/05/30(月) 14:38:08 0
東ローマ滅亡まで、「ローマ共和国」です
628世界@名無史さん:2005/05/30(月) 19:57:24 0
「ローマ元老院と市民」じゃねえの?
629世界@名無史さん:2005/05/30(月) 20:09:35 0
Res Publica RomanorumもImperium Romanumも正式名称じゃないはず。
630世界@名無史さん:2005/05/30(月) 20:35:15 0
懐しい曲ながれてるよ
リクエストもOKらしい

90年代の曲垂れ流し 13回想
http://ex10.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1117450601/

http://58.1.129.80:8000/
↑開いてListen押すと再生します
それかWMPなどでファイル 開く URLで
631世界@名無史さん:2005/05/30(月) 21:37:51 0
ディオクレティアヌスより前のインペラートルって(支那やペルシャ風の)皇帝つーよりは大統領みたいなもんだからなあ。
632世界@名無史さん:2005/05/30(月) 21:45:45 0
ビザンツ帝国ってのは本質を表してるので悪くないと思うが。
ローマから始まりローマに終わるのがローマ帝国なら、コンスタンティノポリスに始まり終わるのがビザンツ帝国。
ビザンツ帝国(中世ローマ帝国)の表記でいいだろ。
633世界@名無史さん:2005/05/31(火) 17:24:27 0
カルタゴを滅ぼした辺りから「ローマ帝国」かな?


ついでにモレア専制公国って正式な国号は「ローマ元老院と市民」でいいのかな?
(無論あくまでその一領邦に過ぎなかったわけだけど)
634世界@名無史さん:2005/06/02(木) 04:25:14 0
どうだろう。元々作ったのは西欧のバカだし
後を継いだのはギリシア人。
既にこの時期にそんな建前でのんびりやっていたとも思えない。
635世界@名無史さん:2005/06/14(火) 19:59:47 0
ラテン帝国滅亡後は、ビザンツの皇太子がモレアを支配していたの?
636カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/06/15(水) 11:45:05 0
1430年までビザンツ皇太子のモレア専制公国と十字軍系のアカイア公国がモレアの支配を争ってたようですが。
637世界@名無史さん:2005/06/16(木) 01:52:46 0
つうかカトリック君主が
よくギリシャでやっていけたもんだ。
638世界@名無史さん:2005/06/17(金) 21:04:25 0
>>636
>十字軍系のアカイア公国

アカイア公の地位はフランス系→カタルーニャ系の次に、フィレンツェ出身の
アッチャイオーリ家のものになった。
最終的にはオスマン朝のメフメット2世に滅ぼされる。
639世界@名無史さん:2005/06/17(金) 21:23:51 0
最後のモレア専制公デメトリオス(マヌエル2世の息子)は、メフメット
2世の後宮に娘を入れたあげく年金生活を送り、修道士になって死亡。
デメトリオスの弟トマスはコルフ島へ逃亡し、さらにイタリアへ渡った。
トマスの二人の息子アンドレアスとマヌエルは、自分たちの称号を
次々とフランス王・アラゴン王へ売り渡した。
640世界@名無史さん:2005/06/17(金) 23:48:03 0
東ローマ帝国は「ローマ帝国」と正しく呼ぶべし。
641世界@名無史さん:2005/06/17(金) 23:54:25 0
東ローマの後裔はロシア
西ローマの後裔はオーストリア
642世界@名無史さん:2005/06/18(土) 00:52:07 0
ギリシャ人にとって、アテネとコンスタンティノープルはどちらが大事だろうか?
643世界@名無史さん:2005/06/18(土) 02:07:43 0
今のギリシャ人にとってはコンスタンじゃないかな・・・正教徒でしょ?
644世界@名無史さん:2005/06/18(土) 02:22:16 0
「キリスト教化したギリシャ人によるローマ帝国」がビザンティン帝国だね。

ギリシャがトルコから独立する際に、コンスタンティノープルを組み込めなかったことをいまだに怨んでいるそうだな。
しかし、もしコンスタンティノープルがギリシャの首都として復活していたら、
アヤ=ソフィアでのミサが見れたんだろな。
645世界@名無史さん:2005/06/18(土) 02:36:16 0
今のギリシャ人は古代ギリシャ人とは全然違うんじゃねえの?
646カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/06/18(土) 08:52:18 0
>>638
フランス系→カタルーニャ系→アッチャイウォーリ家はアテネ公国です。
アカイア公国は1430年に当時モレア専制公だったコンスタンティノス11世が滅ぼしました。
647世界@名無史さん:2005/06/18(土) 14:19:54 0
>>645
どれくらい違えば全然違うんだ?
648世界@名無史さん:2005/06/18(土) 19:30:22 0
>>646
サンクス。名前が似てるから間違えちゃった。
649世界@名無史さん:2005/06/19(日) 00:39:04 0
>>644
アタテュルクががんばったからなぁ…
イズミルとかだってギリシャ人いっぱいいたんだろ?確か
650世界@名無史さん:2005/06/19(日) 20:30:55 0
ケマルの生まれ故郷ってテッサロニキだったんだね。
651世界@名無史さん
サロニカ出身だけに、先祖はシャブタイ・ツヴィとともに
ユダヤ教からイスラームへ改宗したデンメだったという噂アリ。