内藤湖南を語る

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65世界@名無史さん:03/02/25 19:16
幼少の頃、秋田に住んでおり、何かの折に秋田出身の名士としての湖南の名を耳にした。稚き私は、「未来少年コナンは秋田出身だったのか!」と思ってしまった。
月日は流れ、大学では何かの手違いで東洋史を専攻してしまったが、内藤湖南と未来少年コナンは切り離せないでいる・・・
(実は宮崎駿は、宮崎市定の血縁ではないかと密かに疑っている)
66あやめ:03/02/26 12:36
湖南の出奔のテーマが中途半端のままですが一旦中断し、しばらく皆さんのレスに
沿った話題を取り上げることにします。
湖南全集の値段の問題が出てますので古書価のgoogle検索結果をリストアップ
基本的に全14巻揃ですが最後のは欠巻あるので要注意
URLの次に「昭」とあるのは昭和40年代後半の版、「平」は平成8-9年の版、?は不明
その次の数字が古書価本体額、\68kは6万8千円の意味
次に参考事項、「報」は月報「函」は外箱のこと、但しデータ無しのも多い
その他に保存状態のデータあるものは付記してあります
http://www.ifnet.or.jp/~gyokuei/zensyu/nihon-n.html昭\68k報付
http://www.oldbook.jp/cat-41.htm平\75k
http://www.d1.dion.ne.jp/~asbc/zenshuu-030-05.htm昭\140k
http://www.book-kanda.or.jp/asp/catalog2002.asp?Category=1099F01昭200
http://www.e-kosho.net/ver3rekisitouyousi01.htm昭\98k報函付
http://www003.upp.so-net.ne.jp/kikuo/sy_6/sy_60.html昭\50k汚
http://www.w-furuhon.net/aozora/mokuroku/niji.htm昭\90k函少傷,有蔵書印
http://www.kosho.ne.jp/~sugihara/03500000_4.html平\96\報付
http://member.nifty.ne.jp/bookstomaru/ja220.htm昭\78k
http://www.asahi-net.or.jp/~zi9t-krc/syoko/04_01.html昭\70k7-8巻極少シミ
http://www.coop.shizuoka.ac.jp/news/2001/mailnews_h/HamamatuCoopNews030.htm
?\113k
http://www.rsbooks.jp/isetan/is200212/0212igarashi.htm平\75k
http://fujibook.hp.infoseek.co.jp/akitakannrennsyoseki.htm昭\85k第5巻欠
売切とあったものは当然に除外しましたが、上記掲出のものも在庫の保証ありません
67あやめ:03/02/26 12:48
上から4番目のbook-kandaの値段の\k書落としましたが20万円です。
それにしても20万から5万まで随分ばらついてますね。
UPした時期もまちまちなんだろうと思いますけど。
くれぐれも注文するつもりの方は在庫の有無や保存状態など直接お店に
詳しく照会してみてくださいね。
68あやめ:03/02/26 12:56
なお上から7番目の虹書店へは一旦http://www.w-furuhon.net/へ入り
そこのリンクから行くほうが確実のようです
69山崎渉:03/03/13 13:33
(^^)
70あやめ:03/03/26 19:52
最低でも週1回とか言っといて丸1月サボっちゃいました。反省m(..)m

「内藤湖南全集」は筑摩書房から昭和44年4月〜51年7月に刊行されています。
しかし湖南の全集は本来であれば弘文堂から出されるべき筋合いのものでした。
弘文堂は湖南の生前に「日本文化史研究」(大正13年9月)「研幾小録」(昭和3年
4月)「讀史叢録」(4年8月)「増補日本文化史研究」(5年11月)を上梓しています。
また湖南の還暦を慶賀して支那学と東洋史それぞれ関係の学友と門人が編纂した
「内藤博士還暦記念支那學論叢」「内藤博士頌壽記念史學論叢」はいずれも弘文堂が
扱ったものでした。
もっとも湖南は弘文堂の対応について必ずしも満足していたわけでもなさそうで、
大正11年8月12日付の原田氏宛て書簡中に、弘文堂が見積書を寄越さず一寸
逃れの口実を構えているとの不満を述べています。「見積書」が何に関するものか
不明ですが或いは翌年に出された「日本文化史研究」の出版に係るものかとも想像
されます。また昭和5年には「東洋文化史研究」の出版準備が一定段階まで進捗を
見ていたのに、どのような事情からか弘文堂が湖南の心証を害するような挙動に
出て頓挫を来たしてしまったこともあったようです。
71世界@名無史さん:03/03/26 19:57
内藤湖南の「新支那論」は興味深いな。
72あやめ:03/03/27 15:31
戦前における文科系学術出版の雄は東京で岩波書店そして京都が弘文堂書房で、
それぞれ東西の帝国大学の学会を背景にして競い立っていました。
特に京都は東京への対抗意識が濃厚で謂わゆる京都学派というものが各学部に
成立しています。最も知られているのが西田幾太郎・田邊元に率いられた一群の
哲学者たち、瀧川幸辰・佐々木惣一郎などの法学者といったところでしょうか。
但し京都の諸先生が主として弘文堂から著書を出しているかというと必ずしも
然らずで、西田は岩波との結びつきが強いようです。逆に専ら岩波から主著を
出してる印象が強い河上肇の「貧乏物語」の初版が弘文堂から出ていたりします。
そうした中で京大支那学と弘文堂との親密さは目立っています。
弘文堂は京大東洋学の関連書籍を戦前戦後に亘り一手に手がけてきており、殊に
若手研究者を中心とする論文発表機関紙であった「支那學」の版元でした。これら
少壮支那学者による「支那學入門叢書」という企画ものも弘文堂から出されており、
狩野直喜・桑原隲藏などの諸大家を始めとする専門書も数多く発行しています。
そうした縁故から湖南の全集は没後間もなく弘文堂において提案された模様です。
しかし結局のところ「弘文堂の湖南全集」は遂に実現を見ませんでした。
73世界@名無史さん:03/03/27 18:14
あやめさん。内藤湖南が支那との関係において、学者としての良心を疑われたと
いう話(毎日新聞2001年5月13日東京朝刊に載った内藤湖南評による)は
どういうことだったのか語って下さい。湖南は日本人としての、独立自尊の視野に
立ったため、支那人差別だとか蔑視だとかいわれのない批判を受けたのでしょうか。
その批判の多くは支那人に阿り、湖南を不当に貶めようとするものだったのでは?
74世界@名無史さん:03/03/27 19:21
「新史那論」で日本による中国侵略を肯定した。
短いから全集読んでみろ。
75世界@名無史さん:03/03/27 19:52
内藤湖南はすごい。国民的ジャーナリストであり、学者だ。偉大な先人だ。
支那人の味方みたいな学者ばかりでウンザリしてたんだ。
76あやめ:03/03/27 20:49
うち毎日新聞は取ってないので判りません。どんなこと書いてあったのか
教えてください。
「新支那論」は以前から湖南の先見性の限界として、特に左翼史家から厳しく
批判されて来ました。
例えば増淵龍夫著「歴史家の同時代的考察について」(岩波書店刊)などでは
「日本の中国侵略とともに高まってくる中国の民衆の民族主義的抵抗のもつ
歴史的必然性を軽視することとなる」とか、J.A.フォーゲル著「内藤湖南
-ポリティックスとシノロジー」(平凡社刊)では「湖南は1910−20年代に
おける中国情勢の推移を深く検討すればするほど、結論として提示する
有効な改革案を次々と変更せざるを得なかった。改革案に現れた変化には
中国の現状に対する彼の戸惑いや絶望感が投影されていたのである」とかが
代表的な所見と言えましょう。
しかし彼は少なくとも自身の見識に基づく考察と提言を続けたものであって、
時流やイデオロギーに阿ることで学問上の良心を曲げたことは無かったと
見てよいでしょう。
77世界@名無史さん:03/03/28 10:56
「竜の星座」読みたいな
78あやめ:03/04/03 17:59
弘文堂が企画した湖南の全集が実現を見なかった事情はいろいろ考えられます。
戦前には個人全集といえば小説家それも文豪と言われるような、評価の定まった
一定の部数の確実に見込める場合に限られていました。また弘文堂もそれまでに
巻数の多い出版は叢書や講座といった形式のシリーズ物だけで、文学者を含めて
個人全集を手がけた経験がありませんでした。昭和初年だったかにマルクス全集
出版の計画があったそうですが、単独では困難ということで岩波とか改造社とか
数社の共同出版プロジェクトが組まれ、弘文堂も参加したのですが早々に脱退し
プロジェクトも空中分解してしまったという話です。社会主義関連の書籍という
問題もあったのでしょうが、膨大な巻数の企画ということで経験の乏しい商売は
避けた方が無難という思惑も働いたのでしょう。
しかし全集編纂においての困難な条件として湖南の著述に特有の事情も存在し、
相当な時間が要ることが予想されたのが企画が頓挫した最大の要因でしょう。
それは生前に一定の分量のある著述が成書していなかったため、湖南自身でも
大学での講義を整理する方法で纏める方針でいたので、聴講していた学生から
借りたノートをベースにして講義を再現するという、極めて手間の要る作業が
必要だったからです。
79島田新六 ◆89LYwifxfU :03/04/05 09:32
>「竜の星座」

一般人に忘れられていた、内藤湖南の事跡を改めて世に示した本ですね。
アッシャー家の崩壊を真似たエピローグが意味不明であること以外は、とても良い本かと。
80山崎渉:03/04/17 09:47
(^^)
81山崎渉:03/04/20 04:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
82世界@名無史さん:03/04/29 21:19
保守あげ
83世界@名無史さん:03/04/29 21:21
唐揚げイッテヨシ
84山崎渉:03/05/22 00:52
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
85山崎渉:03/05/28 15:17
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
86あやめ:03/06/11 20:05
うわー、2ヶ月以上もさぼってしまってた、慚愧に堪えないですゥ(A^^;;
これからはスレの維持に励まなくては……。

湖南の著述の公刊についてのドキュメントを続けます。
彼は明治三十二年に初めて清國に遊んだ折に天津で王修植に面晤しています。
王は光緒帝の信任を得て変法維新の中心人物として活躍中の名士です。王は
湖南に「聞くならく先生は萬朝報館の主筆たりと、平日の著作は必ず富まん、
悉く印行有らざるや否、能く示されんや否」と質され、「平生報紙に従事して、
著して成書少なし」と答えています。
実のところ彼は既に明治三十年の内に「近世文學史論」を一月に、「諸葛武侯」と
「涙珠唾珠」を六月に世に問うています。少ないと言えば少ないけれども内容は
人に示すに愧ずかしいものではありません。殊に「近世文學史論」などは非常な
好評を以って迎えられたものです。しかし北洋大學堂總辦である王に呈上する
自著としては、やはり漢文でものした学術か時務に関する文集を携えたかった
ことでしょう。湖南の郷先輩である那珂通世の明治二十年代に漢文で撰述した
「支那通史」が、清國で翻刻され彼の土の人士から高い評価を受けている情況を
知っていたからです。
87あやめ:03/06/11 20:12
訂正
誤   王は湖南に「聞くならく……」と質され
正   湖南は王に「聞くならく……」と質され      
88世界@名無史さん:03/06/11 23:15
あやめ復活おめ
89世界@名無史さん:03/06/23 05:19
age
90((≡ ̄♀ ̄≡)):03/06/23 06:18
|:3ミ バカボンのパパ
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
91世界@名無史さん:03/07/04 01:04
age
92山崎 渉:03/07/15 12:48

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
94世界@名無史さん:03/07/27 15:25
age
95世界@名無史さん:03/07/27 15:41
湖南 ザ・バーベリアン
名探偵 湖南
湖南 怒入る?
96世界@名無史さん:03/08/18 07:45
age
97世界@名無史さん:03/08/18 22:20
名探偵湖南が日本史の謎を探る…なんて誰か小説かマンガ書いてくれない
かなぁ?
98世界@名無史さん:03/08/19 21:25
湖南・ザ・バーバリアンも。
腕力で歴史のナゾを探る。
99世界@名無史さん:03/09/11 21:33
ニセ骨董箱書きの大家を語るスレはここですか?
100世界@名無史さん:03/09/11 21:33
ついでに100ゲト
101世界@名無史さん:03/09/11 21:45
アニメ界の巨星が描いた不朽の名作

未来少年湖南
102世界@名無史さん:03/09/14 15:16
>> 101
シャーロック・ホームズの作者

サー・アーサー・湖南・ドイル
103102:03/09/14 15:17

すみません ガイシュツでした。
>>95
104世界@名無史さん:03/09/15 12:01
宮崎市定御大の師匠だよね
105名無し:03/10/13 11:08
age
106世界@名無史さん:03/10/13 13:14
一般人にも読みやすい著作って何?
東洋文庫に入ってる清朝衰亡論?
107あやめ:03/10/14 17:36
ものすごくさぼってしまいました、慙愧に耐えません。何とか暇みて続けるようにしますm(__)m

一般人に読みやすいということになるとやっぱり「日本文化史研究」でしょうね。
これは一般市民を相手にした講演の速記が多く、テンポもよくユーモアもあり面白いこと請合い。
「現代日本を知るための歴史知識は應仁の乱以降で十分」と喝破した「應仁の乱について」が
入ってます。また「支那文化は日本文化という豆腐にとってのニガリである」という比喩で有名な
「日本文化とは何ぞや」、今上天皇も言及された桓武天皇の母方が百済王家の血筋であることを
指摘した「近畿地方における神社」などが収められています。この本はいろんな文庫のに入ってて
入手が容易です。
108あやめ:03/10/14 17:59
「日本文化史研究」と対になるものとしては「東洋文化史研究」があります。
こちらも講演速記など一般向けの内容ですが、「概括的唐宋時代観」のように
内藤史学のエッセンスを示した高度の成果が盛られています。「近代支那の
文化生活」は支那近代社会における精神世界の特色を説いたもので、「概括的
時代観」と併せ読むと面白いかも。学問芸術の漂わす一種のエロティシズムが
士大夫を誘惑することを述べたところなど、彼らと心性の波長がシンクロする
内藤博士ならではというところかしら。
109あやめ:03/10/14 18:18
「先哲の学問」も講演速記が主体です。
富永仲基や山片蟠桃など江戸時代の学者の学風の特長を顕彰したものですが、
附録として信西入道の一族―特に悉曇学の開祖の解脱上人について述べた
一篇も、博士の関心の一端を示した者としてあやめ的には興味を覚えました。
110世界@名無史さん:03/10/14 20:11
岩波の文庫の白い表紙のシリーズに『「なんたら」精読』とか言うのがあった様ななかったような。
あ、あれは内藤湖南じゃなくて、えーと。誰だっけ・・・
111世界@名無史さん:03/10/23 14:06
この人の説によると
対中戦争は侵略行為じゃなくなるわけだよな?
112世界@名無史さん:03/10/29 19:07
>>110
松本健一著
『竹内好「日本のアジア主義」精読』
ダロ
113あやめ:03/10/29 20:01
侵略行為までしてよいとは言ってない筈です。ただ東亜における勢力中心は
歴史的に移動してるので、その中心が日本であってもエエジャナイカと言ってる
だけです。
114世界@名無史さん
確かに「侵略行為」なんて言葉は近代以降の概念だけど・・・
あまりにクールすぎる