西太后ってすごい残酷な人なんですよね?
気になってビデオ借りたりしたんですけど
そんなに残酷な場面がなかったんです。
どんな殺し方したとか詳しく知ってる方
教えてください^^
2。
4 :
世界@名無史さん:02/12/27 21:20
映画の中にライバルの側室の手足を切って
甕の中にいれて飼っていたシーンがあったよ。
あれって史実ですか?
5 :
世界@名無史さん:02/12/27 21:49
>4
それは則天武后。
廃された皇后と皇帝の愛人を鞭打ち100回、手足切断、酒樽漬け。
死亡は2日後。
西太后はやってないんじゃないか、たぶん。
東太后、北太后、南太后っていたの??????
7 :
世界@名無史さん:02/12/27 21:56
>>5それって本当にやったのかなぁ、則天武后。
後で実権を奪還した為政者たちの捏造も加えられてるんじゃないか?
8 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :02/12/27 22:13
>6
東太后は居た・・・って本当にこの板の住民ですか。
9 :
世界@名無史さん:02/12/27 22:14
>>6 東太后は咸豊帝の正妻。西太后に毒殺される。
性格はよく西太后の子供も東太后になついていた。
10 :
世界@名無史さん:02/12/27 22:41
西太后による東太后毒殺もはっきり記録に残っている史実ですか?
11 :
世界@名無史さん:02/12/27 22:45
息子の嫁が気にくわなくてひどくいじめてたから嫁さんは
同治帝が死んだ時、後を追って自殺してしまったそうだ。
それから光緒帝の側室珍妃も気にくわなかったら
義和団事件で北京から逃げるどさくさに紛れで
井戸に突きおとして殺してしまったんだよね。
>>8 そんな事を言ってるとどんどん人が減って行きますよ。
ここは2chなんですから本物の消防厨房が来る事もあるのです。
そんな人々に対して歴史に対する興味を植え付ける為には多少面倒でも、
>>9氏のような対応をお願いします。その方がスレも盛り上がりますし。
(どうしても言いたくなったら名無し&sageでお願いします)
13 :
世界@名無史さん:02/12/27 23:00
この前の「運命のダダダダーン」。
若返りの秘法が人乳生吸い。
>>12 こいつは民俗板の質問スレッドでも、似たような発言して顰蹙買ってたよ、以前。
>12
検索すれば分かるレベルでしたので。
>14
不勉強を恥じるのならともかく、指摘されて反発していては何時まで経っても向上
しません。
指摘されて反発しているようでは、同じことを何度も繰り返すことでしょう。
実際そうだし。恥じてください。
17 :
世界@名無史さん:02/12/27 23:17
とってもデジュヴ。
271 名前:山野野衾 ◆NDQJtGoM 投稿日:02/08/21 10:20
>270
歴史・民俗その他に興味がある人間は博物館に行くでしょう。そうなれば知る機会
があるのが当然。
それに知らない事を指摘されて反発するよりも知らなかった事を恥じる方がより発
展的ですよ。幸い258さんはそうでは無かったようなので、健闘を祈りたい。
272 名前:天之御名無主 投稿日:02/08/21 22:04
自分の常識が、他人にも常識だと思ってるのが痛いね。
恥じた方が良いよ。
>17
とりあえず関係無いスレなのでこの辺にしておきましょう。しかし粘着質な
お人だ。(わざわざ当時のレスを探して来られるとは・・・)
この辺にしておきましょう、というレスには見えないね。
>18
思いのほか嫌な人だったんだね。
恥じた方がいいよ。
21 :
世界@名無史さん:02/12/28 01:08
この人のお陰で、日清戦争に日本は勝った。
22 :
世界@名無史さん:02/12/28 03:22
170cmを超える大柄説と150cm代という小柄説がある。
どっちが正しいんだ?
あんな女でも咸豊帝の嫁に来たばかりの時は淑やかで寡黙だったらしいな
未亡人になってからハイパー西太后に変貌したとか
同治帝は西太后に虐待死させられたんだっけ?
25 :
世界@名無史さん:02/12/28 23:42
>5
100回 鞭打ちしたら もう死んでるよなあ
>山野野衾
おまえ暗いんだよ。
27 :
世界@名無史さん:02/12/29 06:57
西太后もよく鞭で宦官とかを折檻してたね。
ささいなことですぐ頭にきて体罰するんだって。
28 :
世界@名無史さん:02/12/29 07:10
29 :
ルイ−ズ・C:02/12/29 07:12
どっかに西太后の写真ありますか?
30 :
世界@名無史さん:02/12/29 08:31
31 :
ルイ−ズ・C:02/12/29 08:35
>>30 ありがとう。これで心置きなく
年が越せそうだ・・
『西太后汽車に乗る』っていう宮廷女官として西太后に使えた徳齢さんが書いた本を読んだんだけど
予想通りの展開で滑稽だった。前近代的な人間と近代のメカとの相性の悪さにワラタ
機関士の宦官服姿とか・・・
33 :
世界@名無史さん:03/01/06 02:03
洋式装備ながら
弁髪の北洋軍や
義和団以降の新軍に萌え。
34 :
世界@名無史さん:03/01/06 11:28
映画は第3作のあとはどうなっているのだろう?
まだ完結していなかったよね?
>>34 次は光緒帝だよね。
>>32の本によると西太后の前で土下座させられてたみたいだねw
かなり哀れな皇帝像になりそうw
皆さん、西太后様のおかげで今日の大日本帝国の栄光が存在するのです。
いわば帝國の影の功労者。
37 :
世界@名無史さん:03/01/06 13:09
西太后に使えた宦官李蓮英は、実は去勢をしておらず
男性機能が完璧だったので、西太后は彼を愛人として寵愛し、
情交を結び、二人の間には子供までいたという話は本当ですか?
38 :
世界@名無史さん:03/01/06 13:22
( ゚д゚)ポカーン
39 :
西太后大好き:03/01/08 20:54
アイアンクローで顔を引き裂くシーンが残酷だった。
(^^)
41 :
世界@名無史さん:03/01/12 21:40
「ドラゴン・レディ」
っていう、西洋人が書いた、西太后の再評価をした本が
出版されていたいて(1997? ベストセラーだったらしい)、
その本から、西太后の再構築が試みているみたいね。
当時〜今の西太后像は、清末期当時のニュー欲タイムズ紙
ほかの西太后憎しのジャーナリズムが捏造したものなんだとか....
この辺、いまのフセインに似通ってるなあーー
42 :
世界@名無史さん:03/01/12 22:19
西太后ってそんなに西洋では嫌われていたの?
43 :
世界@名無史さん:03/01/12 23:03
>>42 やっぱ、義和団の黒幕と思われていたのでは?
44 :
世界@名無史さん:03/01/12 23:16
amazon 西太号
tp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-2402813-5265146
ほい.....
なんか「ドラゴン・レディ」 ないっぽ。
にしても、Amazonで検索かけても18件のみとは。さすがに人気ない
人物なのかの。。
デヴィ婦人100人分みたいなものかと思ってるんだけど。
であっても憎しみの対象なのかな。(笑
46 :
世界@名無史さん:03/01/19 12:55
ああいう残酷系の女帝って、全女性の一割前後が持っている生理前後に極端に精神が
乱れる症候群が原因だって話だよ、特に酷い人が女帝とかになると残酷刑しまくり
とかになっちゃうんだってさ
もちろん月1回の精神の乱れた時にね>残酷刑執行
48 :
世界@名無史さん:03/01/22 21:27
あーそれあるかもしれない
それにしても恐いなって思う。
則天武后の手足切断とか、メチャクチャ恐ろしい話だよね。
西太后の話に戻すけど、女ってこわいなぁと実感。
美しさのために人の乳まで吸うとか、すごい執着心。
でも私はあんまりキレイな人だとか思わないけど。。。(バチあたりそ)
まぁ時代とか趣味とかの問題だろーけどさ。
ここまで極端なことをしてた人(西太后だけじゃないけど)って、ある意味
神秘的だよね。
って支離滅裂でごめんなさい。
50 :
世界@名無史さん:03/01/22 23:25
___________
| 帝 |
|___|
/ \ ________
/ ∧ ∧ \ /
| ・ ・ | < 帝ですが何か?
| )●( | \________
\ ー ノ
\____/
| |
51 :
世界@名無史さん:03/01/24 00:20
軍艦建造と公園整備、どちらが大事でしょうか?
土井もとい西太后『むろん公園です』
52 :
世界@名無史さん:03/01/24 21:45
公園って宗教的な意味があったんでしょ、風水がどうのとか
53 :
世界@名無史さん:03/01/24 23:06
西太后とはいえ、当時の清朝の最高実力者の李鴻章には面と向かっては逆らえなかった。
何しろ、彼の扱いを誤れば、清朝は崩壊していまう。
彼の私設海軍である北洋艦隊には一目置かざるをえなかったのだ。
結局、李鴻章の部下だったの袁世凱に滅ぼされてしまったが。
54 :
世界@名無史さん:03/01/24 23:13
>>52 いや…阿片戦争かアロー号事件で壊れた公園を復元しただけ
でも、かっこいいわ。女の人が国を治めるのって。
これでいいんだよね。
雌鳥鳴いて国滅ぶ。
57 :
世界@名無史さん:03/01/26 14:06
女帝ですばらしかった人ってどのくらいいるのかな?
58 :
世界@名無史さん:03/01/26 14:19
59 :
世界@名無史さん:03/01/30 16:01
この人が質素倹約及び可能な義理の汚職官僚粛正で、
殖産興業と軍隊建設の費用を捻出していたら、
日清戦争でもボロ負けせずに
少なくとも第一次世界大戦後まで
王朝が続いたのではなかろうか。
60 :
世界@名無史さん:03/01/30 16:25
>>59 そういう人物だったら、そもそも最高権力者に昇り得ないのではないか。
武則天と比較して、どっちがより偉大な女帝だったかよーく考えよう。
62 :
世界@名無史さん:03/02/14 08:36
age
63 :
世界@名無史さん:03/03/04 07:31
age
64 :
世界@名無史さん:03/03/04 08:46
美しさ維持のために
他人の母乳を直接ちくびから
吸っていたらしい
(^^)
>44
『ドラゴン・レディ』は、残念ながら出版社のサイマル出版会倒産のため
絶版です。西太后の実像とイメージの落差、悪女イメージ形成の背景など、
興味深い内容ですので、古本屋で探されてみてはいかがでしょうか。
ただ、邦訳では原注が省かれており、記述と史料との対比が困難なのが惜
しまれる点です
個人的には、西太后は清朝末期の様々な困難のスケープゴートとして、あま
りに多くの悪評を負わされていると感じています。
68 :
世界@名無史さん:03/03/23 07:38
age
69 :
世界@名無史さん:03/03/23 08:46
一国の王朝の滅亡や衰退の前触れとして,
多くの場面に私利私欲の女王と
意志薄弱で不能の王がセットで登場するのって
面白いなあ
末期症状の要素って感じ
エカテリーナ大帝やアンヌ・ドートリっシュ,則天武后の
10分の1の政治的能力でもあればね
この人たちってだんなが情けない代わりに,
自分がしっかりモノだったから国難を乗り切れたんでしょ?
70 :
世界@名無史さん:03/04/03 09:02
age
71 :
世界@名無史さん:03/04/03 12:01
しかしあの映画はかなり影響力強いと思われ
中国の歴史に興味が無い人でも西太后なら結構知ってるんじゃないだろうか
72 :
世界@名無史さん:03/04/04 15:59
>71
あの残虐シーンの過剰演出は時代考証から逸脱したものだね。
手足チョンパで壷漬け込みは唐代の則天武后の仕業。
西太后は実物以上に悪役扱いを受けている感があるな。
73 :
世界@名無史さん:03/04/04 16:20
そうそう、馬鹿でもないよね
改心して、軍事力強化にも手をつくした
気が付くのが遅かった
74 :
世界@名無史さん:03/04/04 16:22
西大后の役の女性は最近
死んだよ、新聞に載ってた
>>72 則天武后とちゃう。
それは呂后が戚夫人にやったことだ。
武則天はあんまよく知らないから分からないんだけど確かに前漢呂后も
人間ブタ作ってましたね。
自分の母親の残虐行為にショックを受けた恵帝は腑抜けになって早死
してしまったという。
>>75 則天武后は廃后王氏と蕭氏を鞭打ち・両手両足切断・酒樽漬けで処刑しています。
78 :
世界@名無史さん:03/04/16 23:46
age
(^^)
80 :
世界@名無史さん:03/04/19 23:29
age
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
82 :
世界@名無史さん:03/05/05 22:51
age
83 :
世界@名無史さん:03/05/08 15:35
浅田次郎の蒼弓の昴はどう?
84 :
世界@名無史さん:03/05/13 19:46
東太后がもちっと気の強い人だったら珍妃たんもあんなひどいめにあわなかったろうになー、と思う今日この頃。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
86 :
世界@名無史さん:03/05/28 00:08
age
87 :
世界@名無史さん:03/05/28 02:02
88 :
世界@名無史さん:03/05/28 02:06
夫(光緒帝)を母親(西太后)に幽閉された隆裕皇后って、どんな
気分でいたんだろう。
怖い母親の言いなりだったんだろうか。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
92 :
世界@名無史さん:03/05/31 12:16
age
>西太后は実物以上に悪役扱いを受けている感があるな。
まあ、亡国の実際上の最後の皇帝だったわけだから。
次の政権は自分達を正当化するために、
その前の政権を悪者に仕立て上げるからね。
政治的手腕はあったでしょう。惜しむらくは、所詮、後宮の女性で
当時の国際情勢を知らなかったこと。義和団事件でその辺りに気がついたみたい
だけど、ちょっと遅かった。
94 :
世界@名無史さん:03/06/12 09:38
age
95 :
世界@名無史さん:03/06/24 01:58
age
爪長すぎー
97 :
世界@名無史さん:03/06/29 13:26
>88
隆裕は皇太后となってから、ミニ西太后になりました。
98 :
世界@名無史さん:03/06/29 20:14
>>97 隆裕皇太后は清を滅亡に追いやった孫文から「女尭舜」と絶賛されてまつ。
99 :
世界@名無史さん:03/06/29 23:22
>>84 >珍妃たん
結構彼女も悪女らしいです。
西太后が怒ったのは、珍妃が外部に官位を売っていたから。
珍妃の宦官を全員惨殺し「犬猫扱いでいいから」と命乞いする珍妃を
井戸に投げ込んだ西太后は、何枚も上手の悪女だけれど。
100 :
世界@名無史さん:03/06/30 05:55
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
103 :
世界@名無史さん:03/08/09 18:34
旗人葉赫那拉恵微
いい名前だ
怖い。嫌い。鬼婆そのものだよ。
西太后が統治していた時代の中国に
生まれなくて本当に良かった。
105 :
世界@名無史さん:03/09/23 01:44
>>87 断定する前に正史くらい読メ。
『旧唐書』巻51「高宗廃后王氏」列伝。『新唐書』にもあるけど。
・・・ただ酒樽じゃなくて酒甕だけど名(w
西太后が「美」の面でライバル視してた女の人って
誰だかご存じの方いますか?
また、
美容のためにどうしても手に入れたい「品」があり
何人もの部下(宦官)を危険な海原へ送り、
死者がだいぶ出たという話を聞いたのですが、
その「品」をご存じの方いらっしゃいますでしょうか。
107 :
世界@名無史さん:03/10/16 03:06
108 :
世界@名無史さん:03/11/07 18:23
魔性の女
109 :
世界@名無史さん:03/11/15 02:04
110 :
世界@名無史さん:03/11/17 18:32
手に入れたい品は真珠だったらしい。
砕いて飲んだり、肌に塗ったり。
高級やねえ〜
博多座の西太后見た。
どうやらその「ドラゴン・レディ」が元ネタの一つらしい。
同治帝、死因はどうやら梅毒だったようだが・・・。
112 :
世界@名無史さん:04/01/03 14:00
浅田次郎の「珍妃の井戸」によれば、義和団崩壊、連合軍による北京略奪の
大混乱のさなか、珍妃を井戸に投げ込んで殺したのは西太后ではありません。
西欧の悪鬼のような軍隊のせいなのです。
…案外、本当のことかも? 浅田先生も、西太后が犯人ではつじつまが合わない
って思ったみたいだね。
皇帝が脱出したのに、愛人の珍妃が反対するのはおかしいし
皇帝が珍妃を庇わないのもおかしい
ところで珍妃の遺骸をひきあげたのは日本軍だそうです
あと、紫禁城の管理を担当したのは日米両軍協同でした
さらに「歴史読本によれば、米清の講和協議の通訳をしたのは日本人の
高名な漢籍の大学教授で、とうじ偶然、居合わせた方だったそうな。
…その方のびっくり証言を「歴史読本」で読んだのですが、トンデモ認定
されるのが怖くて書けませんw 「なにこれー?」って驚くこと請け合い。
くだんの教授の愛弟子にあたる金沢大学名誉教授の証言なんですけどねえ、さすがに…
113 :
世界@名無史さん:04/01/04 01:05
>>112 びっくり証言、すごく聞きたいです。
是非是非教えてください。
西太后については徳齢の著書を読んだことがありますが、
それに書かれている西太后は従来の暴君ではなく、
物分りの良いリーダーといったイメージをでした。
特に、どこかヨーロッパの貴婦人を迎える衣装について
西太后の指示に著者が反対意見を述べる箇所では
著者が3言った時点ですでに10理解しているような聡明さと、
それを認める寛容さをも感じました。
もし彼女がヨーロッパの王族に生まれ、王太子として
それなりの教育を受けて育ったなら、
良い意味で冷酷な名君になっていたかもしれませんね。
114 :
世界@名無史さん:04/01/04 17:10
「ドラゴン・レディ」によればそんなに悪い人ではないみたい。
女性が権力を握る事への男性社会の嫌悪が、この人を怪物に仕立て上げた
って感じだった。
「悪女」のイメージが則天武后や呂后の伝説とごっちゃになって伝えられてるし。
東洋史の先生が
「西太后は軍隊を作らずにそのお金を使ってきれいな庭園を造った。戦争に金
使うよりはその方がよかったんじゃない」
って言ってた。
115 :
世界@名無史さん:04/01/04 17:43
劉暁慶主演の映画だと
東太后の方が美人だった。
116 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/01/04 23:47
>>114 いや、でもそれは当時の国際状況考えたら亡国の源と言われても
仕方ないような気が。だから日清戦争に負けたのかも知れないし。
きれいな庭園なんてのは贅沢の象徴なんだし、
国民に恨まれても文句は言えない。
幸い批判の矛先が外国に行ったから(義和団事変)良かったようなものの。
117 :
世界@名無史さん:04/01/05 00:18
そうですね。せっかくすばらしい公園があったとしても、
国が無くなり国民が生命の危機にさらされれば
まったく意味がありませんよね。
市街地を守る為の防火緑地やお堀の役割を
果たす造りであればまた違ったのでしょうけど。
>>113 ありがとうでつ。じゃあ今日は時間がないので、明後日の夕方あたりに、
資料をひっぱりだして、日を改めて書き子しまつ(お仕事あるのでメンゴ)
ただ、ほんのちょっぴりサワリだけ書きますと、西太后、どーやら北京を
脱出してはいなかったらしい。紫禁城に隠れていたっていうんですね。
北京を逃げたのは皇帝だけだったのだそうでつ。
じっさい、連合国総司令官のドイツ人将軍は、「紫禁城の一角に、厳重に
警備された部屋がある。ただし誰がいるのかは厳重な緘口令が敷かれている
ため知る者はいない」と、当時の記録で書き残しているそうな。
だけど、表向きはあくまでも逃げた(紫禁城にはいない)ということにしなけ
ればならない事情があったのでつ。
どんな事情かって? 一言で言えば簡単ですが、まあ、ようするに「アメリカとの
戦後の講和交渉が、その件と深く関与している」とだけ、いまは言っておきまつ
そのため、中国おとくいの(?)歴史の捏造が行われ、西太后が逃げるさなかで
出会った危難の話とか、帰京するにあたってはじめて鉄道に乗ったけど、宮廷
流儀をもちこんで「宦官に運転させろ」と言い出して周囲を難儀させた、などと
いう、作家顔負けのまことしやかな捏造史料を、ご丁寧にたくさんの公文史料を
こしらえて強弁したのだ、と、くだんの大学教授は証言するのでつ
で、まあ、その真相は、明後日に書き子しまつ。お楽しみに
(かなりトンでもな話なので、手元にソースをきちんと並べて書き子しないと、
怖くて書けないのです)
私も
>>118さんのカキコを楽しみにしています。
中国に限らず、どこの国でも、新しい政権は自分達を正当化するために
前の政権を悪者に仕立て上げてしまうから、西太后なんかかなり
筆誅を加えられた面があるでしょうね。
>>118 ありがとうございます!
今から楽しみでワクワクしています。
私なりにあれからネットでしらべてみると、
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index15-4.html に、興味深い記述がありました。
西安からの帰郷時に汽車にのっているはずの西太后が、
「一度、 汽 車 と い う も の に 乗 っ て み た い 」
という理由で北京から奉天に汽車旅行したそうです。
しかも、大臣連中の反対理由が、
帝 王 が 汽 車 に 乗 っ た 例 が な い か ら 、
だそうですよ。
案外そのトンデモ話、事実かもしれません・・。
ちなみに、歴史読本の何号とかも教えて頂けますか?
私も一時期「別冊歴史読本ワールド」にはまっていた事がありまして、
もしかしたら同じ本が実家の書棚にあるかもしれません。
たしかにあの雑誌には大胆な仮説が載っており、
想像を膨らませて楽しんだ記憶があります。
お待たせしました、113さん、119さん。
迂闊に喋ると、米中衝突の新たな火種?なトンデモ話ですので、心してお読みくださいw
ちなみに113さん、ソースは「歴史読本」1992年11月号・第37巻21号です。172ページから
「義和団異聞」というタイトルでのインタビュー記事。話し手は金沢大学名誉教授の増井経夫先生。
ただし、この「事件」の主人公は、増井先生の恩師・服部宇之吉(旧帝大の東大教授で、義和団事件に
遭遇した体験談『北京篭城』が平凡社から出ている)先生で、聞き手は渡辺精一(インタビュー記事の当時、
共立女子大学講師)先生。以下に、記事の要約を掲載してみます。
文章が長いので、前編と後編にわかれます。ご了承下さい。
(インタビュー記事・前編)
渡辺:義和団事件は、経過や背景は細かいわりに、事後処理の問題がはっきりしませんね。
増井:隠すことがいっぱいあったんです。列強と清国の間で、裏取引もさかんでしたし。
渡辺:その中でも、最もショッキングな事件の事後処理に立ち会われた服部宇之吉先生の
エピソードを、増井先生は「線香の火」(1987年 研文出版)で書いたわけです。
増井:はい、これはべらべら喋ることではないんですが…義和団に乗じて列強に宣戦布告
したあげく八カ国連合軍に敗れた清国ですが、入城した列強の略奪・暴行は、目に余る
ものでした。そんなドサクサの中で、紫禁城に乱入したアメリカ兵が西太后の居室に
押しかけて、当時六十四歳だった彼女を陵辱してしまうんですよ。
この事態に驚いた清国は「いくら何でもひどい」と米国に抗議。米国も陳謝したわけです。
その緊急の交渉に立ち会ったのが服部先生だったんです。
渡辺:儒学の先生が間に立たれたのは、英語と中国語を仲介できたからなんですか?
増井:そうだと思います。先生は両方から「三十年は口外しないでくれ」と固く口止めされた
らしいんです。それで、東大の研究室で僕ら教え子にお話しになるとき『三十年過ぎたから
もういいだろう』とぷつっと言われたことを、いまだに鮮明に覚えています。
(後編に続く)
(インタビュー記事・後編)
渡辺:他にご存知のかたは?
増井:存命者では江上波夫(記事当時、オリエント博物館長)君だけですね
渡辺:じっさい当時の日本の新聞では、西太后と光緒帝の居場所はわからないまま、諸説紛々でしたね」
増井:公式の歴史としては逃げたということにしてくれ、ということです。ただ現地では
軍部をふくめ、知ってる方も多かったはずです
渡辺:先生ご自身は調査はしなかったのですか?
増井:当時を知る中国人に熱心に尋ねて周りましたが、みな口をつぐむんです。ただ、
西太后側近の方が、『太后は急に外国人嫌いになり、絶対に目通りを許さなくなった』
と、言っていました
渡辺:ともかく話し合いの結果、義和団に関する賠償金をアメリカが辞退することで
決着したんです。正確には受け取った上で、中国の文化事業に寄付したのですけど
増井:当時は美談とされていたけど、(一皮めくると…)はっはっは」
渡辺:東洋文庫『北京篭城』の、柴五郎中佐の記録も服部先生の日記も、解放された
ところで記録が切れていて、後日談は書かれていません。
増井:軍部の連中やなんかが、みんな切ってしまったんでしょうね。
渡辺:言わないで過ぎてしまったら、誰も知らない真実として歴史に残らない。妄説だけが
残ってしまう。
増井:そうですね。
…この知られざる「レイプ オブ ペキン」。もし現在のオフラインで日の目を見ることがあったら、
どんな議論が巻き起こることか? さしあたって日本だけが中国現代史について、槍玉にあがることは
なくなるかな?(あはは、これはちょっと分からないけど)
騒動好きな2ちゃんねらの皆様、この記事を米中両国の翻訳して張りつけるのは自粛ねがいまつ
(あ、でも私のこと黙っててくれるなら、後は野となれ山となれ^^)
ともあれ、詳しくは「歴史読本」と「線香の火」をご覧下さいませ・・
そういえば、紫禁城に乱入した西欧の兵士たちが皇帝の寝室に「猥画を描いた」
っていう公式記録、思えば意味深だったのかも…?
>112さん・・
長文カキコしていただいてありがとうございます。
ほんとにスゴイ・・。予想以上でした。
ただ、時代背景や当事国を考慮すると
可能性は全く0とは言えないんですよね。
現中国とアメリカってその分野では最強(ry
しかも、この話を御存知の方が複数いらっしゃる事
またその方の名前が公表されている事などから
無責任な発言ではないでしょうし。
素直に信じられる内容では有りませんが、
これが事実だとして私がもし西太后の立場だったら、
きっと同じ事をすると思います。
だからこそ、ホントかも知れないと思ったり。
今度実家へ行った時には歴史読本を探してみることにします。
それから線香の火、読んでみます。
125 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/01/10 01:11
アメリカ国務省の公文書館に記録残ってないのかな?
126 :
世界@名無史さん:04/02/13 02:12
例の映画西太后の主役、中国では知らない人もいない
大女優らしいが、
第一作当時、なんと33歳!二作目は38歳!
とても信じられません。10歳は若くみえますね。
ちなみに彼女と麗妃役と皇后役の人だけ、際立って美人ですよね。
後ろに映る女がこれがまたブスばかりで引き立て役になってます。
127 :
世界@名無史さん:04/02/13 16:54
>126
自分的には容姿格付け
皇后>>>イ貴妃(後の西太后)>>麗妃
時代遅れの一重瞼だったけど、
現代日本人にも許容できる伝統的美女って印象を受けた。
皇后は特に気品の面で他を圧倒しているような感じ。
西太后はちょっと猫顔っぽい。
中国語の本ですけど、
清朝末期の宮廷に仕えた宦官が
王朝滅亡後に記した追憶を読んだことがあります。
それによると、女主人たちの利害関係を反映し、
宮女たちって容姿に恵まれない人が多かったそうな。
好事家のためにも、後ほど書誌を調べてカキコするかも。
いくら若く見えたとはいえ、老年の声帯号を犯すアメ兵はすごいな
129 :
世界@名無史さん:04/02/14 00:31
>>129 おまいはわずか8つ前の過去ログも読めないのか?
131 :
世界@名無史さん:04/02/14 18:50
13日午前11時ごろ、さいたま市大宮区大成町3でトラックを運転
していた会社員男性(30)が、前を走るワンボックスカーにクラクショ
ンを鳴らしたところ、ワンボックスカーが停車。男性は降りてきた3人
組の男にナイフを突きつけられ、ワンボックスカーで連れ去られた。
男性は約7時間半後、東京都渋谷区代々木神園町ですきをみて逃
げだした。その際、ナイフで足を刺され重傷を負った。警視庁代々木
署は強盗と逮捕・監禁容疑などで3人組の行方を追っている。
調べでは、男性は車に押し込まれた際に現金約1000円の入った
財布を奪われた。男性はワンボックスカーがのろのろ運転していたた
め、クラクションを鳴らしたという。3人組は、いずれも30〜40歳で、
中国語のような言葉を話していたという。【鈴木泰広】(毎日新聞)
[2月14日13時47分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040214-00001048-mai-soci 2 :番組の途中ですが名無しです :04/02/14 15:18 ID:3/KAv8ZB
2じゃなかったら馬路死ぬ
>>121 この話は叔父から聞かされたことがありましたが、全くのヨタと思っていたので
驚きました。数年前に雑誌の「正論」の読者投稿欄に「西太后は北清事変の際に
アメリカ兵に強姦されたので、各国が清国に賠償請求したの中で独り米国だけが
放棄した。またビルマが滅亡した際に攻め込んだイギリスの将校が王女を拉致し
強姦した。ということを渡部昇一さんが書いているが本当だろうか?」といった
趣旨の質問があったそうです。
これに対し叔父は「厳重な侍衛に守られ深宮に住む太后がいかに非常の危難とは
言え、米兵に踏み込まれたばかりか身を汚されるなどということは有り得ない。
太后が皇帝と共に西安に蒙塵したことは隠れもない事実である。そもそも当時の
太后は60歳代の老婆で、いかに物好きの兵隊でも性交の対象とするはずがない。
また米国が賠償金を清華大学の建設基金としたのは、将来の対支那政策を視野に
入れた高度の判断に過ぎない。ビルマの王女は生後間もない幼児で性的対象には
これまたなりようがない。渡部さんは一体どんな根拠で怪しげな話を持出された
ものか」という趣旨の投書を送り同誌に掲載されたそうです。
あやめも叔父と同様に信ずるに足らない妄説で、渡部さんのいつもの
浅薄なヨタ論説と思ったいました。
しかし服部先生の直話に基づく増井さんの言説だとすれば無視できない
証言であると思います。服部卯之吉という人は狩野直喜先生と共に実際
事変の渦中に在った学者で、増井さんも岩波新書の「太平天国」の著者で
お二人とも無責任なデマを振りまくような性格ではありえず、頭から否定
できることはできません。但し当事国の隠蔽工作といった事情では果して
どこまで学界の承認を得られるか疑問は残ります。
134 :
世界@名無史さん:04/02/19 13:17
>>132数年前に雑誌の「正論」の読者投稿欄に
はじめまして、あやめさん。
いやー、世間は狭いですねー。このさい白状いたしますが、じつは私めも、
その「正論」の投稿は読んでいます。で、「あ、そーいえばこの話、自分も
どこかで読んだ覚えがある!」というので、大慌てでうろ覚えの記憶を頼りに
「歴史読本」のバックナンバーを漁り、記憶を新たにしたしだいなのですw
むかし読んだときには、中国史とか西太后にかんする興味そのものが浅かった
ので、なんとなく読み飛ばしただけだったんですね。でもその後、色々あって
清朝がマイブーム(ミーハーですけど)になったものでw
ラストエンペラーにでてくる、威厳はあるけど、ほとんど妖怪じみた怪人として描かれて
いる(西洋の視点からみた)西太后(役の女優)の怪演ぶりを観るにつけ、彼女
の尊厳を、いろんな意味で傷つけた西洋人たちのああいう映画を冥土で観たら、
西太后はどう思うことだろう・・・などと考えてしまいます。
あやめさんの叔父さまは、かなりの学識者とお見受けします。
この件についても、ご意見うかがえたらな、と思います。
はじめまして このスレ下がり過ぎで気が付かなくって亀レスで御免なさい。
「正論」の叔父の投書お読みになっていらっしゃったんですね、叔父に話したら
「あんあもの読んで記憶してた人がいたのか」と感激してました。
西太后については例の嫉妬からライバルの妃を甕に漬けちゃう映画は観てないそう
(あやめも同様、何か事実と違いすぎるし映像も奇怪で見る気おきませんでした)
ですが、昔(昭和四十年代?)に「清宮秘史」という映画が日本で公開されたのは
観たそうです。これは光緒帝と珍妃の純愛悲恋物で西太后が当然ながら仇役です。
すごくおっかない人物設定になっていて李蓮英を「ショーリーズア(小李子啊)」と
やたら呼びつけるのが印象に残ったそうです。当時この映画についての感想を
語った吉川幸次郎さんも「西太后に扮した女優が珍妃の殺害を命じた眼に、独裁的
政治人間の恐ろしさが遺憾なく表現されていた」と言っていたそうです。
叔父に増井さんが服部先生から伺った「西太后レイプ史実説」を話したところ
大変ショックだったようです。叔父の話
「ほんとに服部さんがそんなこと言ってるのかな、何だか疑問が残るな。大体
増井さんて人には若干おれは不信の念を抱いてるんだ。そのいきさつは曾って
彼が李卓吾の『焚書』を訳したものを出したことがあるんだが、その解説に
西園寺公が卓吾の著書を読んでいることを知って意外に思った、どうして公が
卓吾のことを知ったのか興味があると書いてあった。そこでおれが安藤徳器の
『西園寺公と湖南先生』という本に、西園寺さんが興津の別荘で内藤湖南先生と
暢談した折に、西園寺さんが何か面白い本はないかと尋ねたのに対し湖南さんは
卓吾の書いたものは獨見に貫かれていて痛快であると答え、『焚書』や『蔵書』を
後日差し上げたそうだ。湖南先生を士大夫的だと批判する人もいるが卓吾みたいな
叛骨の人物が大好きな性格であったことも理解すべきだ、といったことも書添えた。
これは実は増井さんに対する皮肉も入っている。」
叔父の話は続きます。
叔父の話の続き
「増井さんの『焚書』の中味についても所々おかしな部分がある。例えば
『觀國之光』という文句について『観国の光は』云々と読み下している。
この句は『周易』の『觀』の卦に出てくる句だ、正しくは『国の光を観る』と
読まなくちゃいけない。今だれもが普通に口にしてる『観光』の出典だし、
漢文でも読もうという人間にとっては極く初歩的な知識だ、増井さんほどの
人が知らんわけがない。つまるところ解説は御自身が書いたんだろうが、
訳文はお弟子さんに丸投げしたんじゃないかと想像される。『利山人』という
人物について卓吾が語ってる文章がある、これは例のマテオリッチだ。卓吾の
思想形成を語る上で注が必要な箇所だ。他にどうでもいいような注釈が沢山
ぶら下がってるのに利山人は素通りだ。その他にも気の付いたとこを二三
書いて、増井さん宛てに手紙を出した。すると返事が来た、一応は礼状だが
そっけない文言で注釈の件については『そんなことは承知してる』とも取れる
御挨拶だった。おれは彼の『太平天国』で啓発されたので尊敬してたんだが、
これで甚だ幻滅を感じたな」
>あやめさんの叔父さまは、かなりの学識者とお見受けします
たしかに叔父は凄い人です。学歴としては旧制中学3年中退しかありませんので
公務員としては出世しませんでした。しかし一向に苦にせず仕事は自身が納得できる
やり方を貫いたのですが、そのマニュアル的でないポリシーが上司からは評価されず、
不遇で定年を迎えたようです。また思想的には保守的(本人に言わせると旧弊)なのに
共産党系労組の支部委員長を何期も勤めていました。その辺の心情を質してみたところ
「本部の中執や書記局の連中がどんなイデオロギーを持っていようが、おれの活動とは
関係ない、職場の仲間がおれを信頼して推してくれた以上、裏切らないように精一杯
応えなくちゃならんのが当然の務めだ」と言っていました。
あやめ個人にとっても色んな意味で恩義があり、父以上に慕っています。
>>136 うーん。叔父さまを慕っておられるあやめ様には申し訳ないのですが、叔父君の増井
先生の人間に対する論評は、増井先生の証言の信憑性とは関係のないお話なので、感
想の出しようがないです…125さんのように、客観的資料の収集と分析をまず望み、
しかる後に否定論に傾かれるのであれば、大いに敬意をもって傾聴できるのですが。
それに、クレームの手紙にお礼状まで出してくださる増井先生に幻滅するっていうのは、
いささか酷な気もするのです…
というのも、私めもとある専門家に似たような指摘のお手紙を出したことがあるのですが、
礼状どころか感想の一行さえ返されず、かわりに著作のリストとその購入案内が送られてきて、
その厚顔というも事務的で商売気旺盛な態度に、ひたすら感心したことがあるしだい^^;。
にもかかわらず小生は、その専門家にいまだに敬意を払っています。彼に足りない部分は別の
専門家に頼ればよく、加えて、かれの意見の独特さは、いまだに聞くべきものがあると考えて
いるからです。それが「専門家の使い方」だと、小生は考えています^^
ところで叔父さまは正論読者でありながら、共産党系支部委員長だったのですか。なんだか
面白い話ですね。
わたしも官公庁系の出入り業者なのですが、職場単位では赤旗だの朝日系・毎日系を購読して
いても(これに読売と日経が拮抗する)、職場で記事が話題になり、内容が誉められているの
は(自宅で読んでいる)産経だったりする様子を見るのは、面白いです。
ただ、共産党関係となると苦労が絶えない、報われないことがさぞかし多かったのでは
なかろうかと、お察ししてしまいます。私の父も熱心な組合員でしたが、共産党は大嫌い
で、ミヤケンなんて、名前が話題にでようもんなら「ああ、あの人殺しか」でしたからw
下部の組合員をないがしろにし、組合活動をさんざん幹部たちの政治闘争のオモチャに
してきた罪深い共産党も、ようやく選挙で死に体になりました。叔父様の、さぞ無念
な涙を飲むことの多かっただろう時代も、過ぎ去るべき時期になったと信じています。
(それにしても職場組合員にとって、叔父様はまさに地獄に仏だったでしょうね。仕事場
で上司にしたいナンバーワンです^^)
叔父が共産党系組合にいたのは国家公務員であったからです。国家公務員の組合は
基本的に国公労連>国公共闘>共産党と系列化されています。国公の他の単組では
第2組合を作ったりしてるとこもありますが、叔父やあやめがいた役所にはそういう
動きは全く無かったので、叔父も「個人感情はともかく我々の権利を守ってくれる
組織は職場にはこれしかないんだから、そこに結集して頑張るのが当然だ」と常々
言っていました。
地方公務員の組織は社会党系が多いようですが、伝聞ではかなり露骨な政党支持
要請があり、選挙のときなど社会党系候補に対するカンパなんかもあるとのこと。
そこゆくと共産党系労組は建前は政党支持自由で、当然末端組合員にカンパ袋が
回ってきたりすることは皆無でした。
叔父は組織の論理に逆らわず本部地連の指示指令は全てこなしたそうです。唯一の
例外はベトナム戦争中に北爆に曝されている北の人民を救援するカンパが下りて
来たときで、どんな正義があるにせよ戦争当事者の一方を応援するカンパは返上
すると拒否し、地連機関から北の政権じゃなく人民に行く金だからと説得されても、
そんな保証は信用できないと突っぱねたそうです。
アメリカの公文書には記録残っていないのかな?>義和団の事後処理の件
142 :
世界@名無史さん:
age