72 :
世界@名無史さん:03/01/29 02:39
中国という言葉に脊髄反射する習性か…
73 :
世界@名無史さん:03/01/29 02:42
74 :
世界@名無史さん:03/02/13 00:00
age
75 :
世界@名無史さん:03/03/02 09:04
age
76 :
世界@名無史さん:03/03/02 10:27
「四国中央市」ができる。「中国中央市」はどうかな。
※地理板からの出張でした。
77 :
世界@名無史さん:03/03/02 21:29
中国における、りそな銀行的役割のトマト銀行はどうか。
(^^)
80 :
世界@名無史さん:03/03/19 20:16
81 :
世界@名無史さん:03/04/01 00:14
age
82 :
世界@名無史さん:03/04/14 08:07
age
83 :
ブーツカット:03/04/15 01:37
世界大戦が起きたとしたら日本と中国はきっと手を組む
アメリカと日本は対立関係になる
もし日本とその同盟国がアメリカに敗北しそうになったら中国が
アメリカ本土に核爆弾を落とす
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
86 :
世界@名無史さん:03/04/22 08:29
age
中国に核使わせるのは基地外に刃物持たせるのと同じ。
日本が核武装して中米を牽制する方がマシ。
88 :
ブーツカット:03/04/23 02:16
何にしろ日本(ほぼ確定)とドイツ(推測)とスイス(推測)が
次の戦争に関わってくると思う。
アメリカとの戦いで日本側が負けたら中国が動くと思う。
核戦争になったら負けも勝ちもない。
特にアメリカとの戦争になったら。
中国の怪しい技術よりも
日本の技術があれば核なんか1ヶ月で作れるんだから、
日本が核武装して中国が台湾やチベットで変なマネしようとしたり、
日本に刃向かおうとした時の懲罰用として備えておくのがいい。
日中米の対立は決定的になるだろうから、無用な軍事費使うよりも
核があれば簡単に攻撃なんてできい。
90 :
muramura:03/04/23 11:33
中国地方にもう核はいらんけえ。わしらは反核じゃけぇの。(by 中岡元)
92 :
ブーツカット:03/04/24 01:09
93 :
世界@名無史さん:03/04/27 10:36
話は変わるけど、
ところで玄宗皇帝というように唐代は皇帝の名称に「宗」をつけるのに漢代は無かったよね…
いつから宗がついたのかどなたか解説してくだされ。
「宗」は廟号。死後,位牌を安置する場所の呼び名です。
といっても元々は太祖と太宗以外は特別な名は無かったのです。
でも漢以降「世宗」「中宗」「元宗」など皇帝毎に別の廟号が付けられるようになりました。
「文帝」「武帝」などは諡号です。死後に後継者から贈られる名前です。
史書などでも普通こちらを皇帝の呼び名としていました。
が,唐以降はこの諡号が何十文字にもなり,通称としては使用できない状態でした。
そのため廟号の方が呼び名になったのです。
明・清でまた「○○帝」という呼び方になるのは,「一世一元」のためです。
1つの元号と1人の皇帝が対応するので,元号をそのまま呼び名にする方がわかりやすいのです。
(日本は今も一世一元制ですなあ)
また,廃位・滅亡の場合は後継者に諡号を贈られたり廟を建てられたりしないので,どちらもありません。
三国志で霊帝が立てた皇帝は「少帝」ですが,これは廟号・諡号ともに無いので便宜的にそう呼ばれているのです。
これらの呼び名は全て皇帝死後のもので,生前は「皇帝」「上」としか呼ばれません。
唯一の存在なので,固有名詞で呼ばれる必要がないのです。
95 :
世界@名無史さん:03/04/27 11:19
解説どうも、昔から宗はあったのか…
それとようやく少帝の意味がわかりました。
一世一元は明清代からだったというわけですか。(日本は明治からか)
いろいろ勉強になりました。
上の方で日本にある中国の話をしているけど山陰山陽地方が中国と呼ばれたのは
いつ頃のなのだろうか。
確実に大陸の中国より早いことは確かだが。
97 :
世界@名無史さん:03/04/27 12:10
幻の王朝「夏后」代にはすでに「○宗」と廟号がつけられていたはず。
>>96 吉川弘文館「標準日本史地図」『八世紀の行政区分』によると
機内=大倭、山背、摂津、河内、和泉
近国=(東)参河、美濃まで、(北)若狭まで、(西)淡路、備前、美作、因幡まで
中国=(東)伊豆、甲斐、信濃、越中まで、(西)出雲、備後、讃岐、阿波まで
遠国=上以外
漏れた。
中国=隠岐まで、を追加
「某宗」という称号は殷代からありました。
殷の帝太甲が「太宗」帝太戊が「中宗」帝武丁が「高宗」と称されたことは
いずれも「史記」に見えています。これらが廟号の始まりでしょう。
周代には廟号によって君主を特定することはありませんでしたが、漢の
高帝が「太祖」の廟号を贈られて復活しました。
ただし殷代の研究においては各帝の祭祀に用いられる十干を付した名称
例えば「天乙」とか「河亶甲」といったものを「廟号」と呼んでいますので、
混同を避けるため「宗号」とでも言っといた方が適切かも。なお殷の場合
「某祖」と称された君主は存在しません。
おっとそうだたネー。
教えてくれてありがとう。
ところで天子七廟って「太祖」+昭×3+穆×3だっけ?
多くなったら太祖廟以外はぶち壊してたんだよね。
102 :
世界@名無史さん:03/04/27 18:01
やっぱり太祖が一番偉いのか…
103 :
世界@名無史さん:03/04/27 19:07
漢武帝→「漢世宗孝武皇帝」が正式名称
104 :
bloom:03/04/27 19:18
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
106 :
世界@名無史さん:03/05/22 10:50
質問です
1.契丹や金は、北方に本拠をおきつつ華北の農耕地帯の支配を行うに当たり、
北方民族の部族制を基礎にした制度と中国的完了制度との二重の支配体制
をとったのでしょうか。
2.元の時代は中国はモンゴル帝国のユーラシア規模の交易網に組み込まれ、
様々な民族が入り交わる社会が作られたのでしょうか。
3.女真の首長であったヌルハチは、明末の交易ブームの中で勢力を伸ばし、
八旗などの独自の制度を整備して、後の清朝の基礎を築いたのでしょうか。
分かるかたいたらお願いします。
すみません
完了×
官僚です。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
109 :
世界@名無史さん:03/06/20 10:20
今の中国、台湾であざなを持ってる人を知っていたら教えてください。
匈奴とか鮮卑って中国が他国を貶めるためにつけた呼び名じゃないの?
それを教科書でも採用するのってどうよ?
人から本名を呼ばれると
この上ない屈辱だったそうだが
本名に抵抗が無くなったのはいつからなんだろう?
112 :
世界@名無史さん:03/06/20 19:16
鮮卑拓跋部の末裔であることを自称する中国人っていないの?
俺の先祖達が中心となって唐を作ったんだ、とか言ってるような奴
やっぱ彼らは完全に漢化しちゃったのかな
113 :
世界@名無史さん:03/06/20 20:10
>>110 そう言われてみりゃ、その通り。日本も「倭」で東夷だし、小さな人間、
東の方の夷とは人間と認めていないともとれる。「南蛮」は南の方に住む
野蛮な奴、といった意味か。ま、中国は中華思想にドップリと浸かっている。
だから中国に多額のODA援助をしたところで、東の方の夷の国がわが中華
大国に貢物を献上した、くらいにしか思っていないかも。
114 :
世界@名無史さん:03/06/20 20:34
鮮卑は自業自得だろう
自ら漢化して自分達の言語、習俗を破壊したんだから
「鮮卑」って「朝鮮人みたいに卑しいやつ」という蔑称なのか?
中国の領土の遍歴がよくわからないのですが、どなたか地図で記載されている
HPをご存じの方がいましたら教えてください。
できれば日露戦争前あたりから、ロシア、満州などの関係がわかる方がよいのですか・・
>>112 鮮卑拓跋部の末裔・・・「元」姓はまだいるんじゃないの?
ここは質問スレか?
他の質問スレは答えてる常連は西洋史しか知らないから
中国関係の質問はここでよい。
歴史上中国人の日本語読み(ルビの振り方)の法則というのはないんでしょうか?
人や本によって違うルビが振られていたりしますよね。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄