158 :
世界@名無史さん:03/03/11 03:11
>157
清朝が李朝の軍隊を動員したことはなかったのでは?
デマでしょ。
それに龍骨大って誰?どの史料に出てくる人?
『清史稿』では見つけられなかったけど。
160 :
世界@名無史さん:03/03/11 13:38
問題はこれだよな。
「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝(シナの異称)、朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
恒屋盛服がどの書物からこの部分を見つけたかだな...
まあ明を清から救う為に日本が軍を出す計画と言うのも確か有っただろうが
朝鮮が清に攻められた段階で援軍を出す計画は無かったのだろうか
(まあしかし明や朝鮮から正式の援軍要請の様な物は
有ったのだろうか)
>「巨商」は,16世紀末の日本・朝鮮半島・台湾,および中国大陸の激しく移り
>変わる商売の世界を舞台にしたタイトル。
まあ何れは地球全体をカバーする事に成るのかも知れぬが
矢張り海軍力が無いと亜細亜は欧州に勝てないだろうか
>活躍はそれ以前にあった。第二次の南京攻略戦で、
>南京ののどもとまで攻め寄せて、もはや南京陥落は目前となった
>時点で一気に攻めず、余裕を見せて無駄に滞陣した。
まあ日本が援軍を出していれば
これは攻めていた可能性も高いのだろうか
成功は日本刀を持っていたと言う意見も有るだろうが
映画ではこれは中国向けなので無い訳だろうか(苦笑
(まあ矢張り成功以外の将軍や親衛隊等も日本刀を持っていたのだろうか)
165 :
世界@名無史さん:03/03/12 17:45
>>161 南明からなら都督の某が正式に援軍要請してたぜ。
166 :
bloom:03/03/12 18:04
167 :
世界@名無史さん:03/03/13 01:09
ずーっと気になっているんだけれど、
女将軍伝の良玉の息子夫婦、祥麟・鳳儀って実在?
あまりにも名前が嘘臭い・・・
(^^)
保守しておくか…
170 :
世界@名無史さん:03/03/31 20:02
田川松は清軍に殺されたの?
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
南明保守
ここの研究者は本職?
だったら清朝スレをどうにかしてやってくれ。
175 :
偉大なる戚継光:03/05/14 21:15
あげておく
176 :
世界@名無史さん:03/05/15 07:18
>167
芸名でしょ。
>>167 >祥麟・鳳儀って実在?あまりにも名前が嘘臭い・・・
どういうとこが嘘臭いのかしら?有りがちな名前だと思うけど。
この夫婦はどちらも実在します。特に馬祥麟は「明史」の「土司傳」にも見えてます。
馬祥麟は石柱宣撫使の馬千乘と秦良玉の間に儲けられた子です。生年は明らかでは
ありませんが、父の千乘が獄死した時点では「石柱廰志」や「馬氏家譜」などに拠れば
「襁褓に在り」ということで、「馬氏家譜」は千乘の没年を萬暦四十一年としていて、
萬暦三十年代の末に出生と推定する外ないでしょう。千乘と良玉の結婚は衛聚賢の
著した「明史秦良玉傳補注」には萬暦二十三年とあり、また同書は夫婦の生年につき
千乘が隆慶六年で良玉が萬暦二年としています。すると祥麟は両親とも三十歳代に
入って授かった子ということになります。諸書に見える良玉の子は祥麟のみなので、
何かの事情でなかなか子供が出来なかった(または育たなかった)のか知れません。
しかし真相は「石柱廰志」や「馬氏家譜」の記述が誇張に過ぎるものと解すべきであり、
史料に拠れば晩くとも萬暦三十年代初頭に祥麟は出生しているものと思われます。
「明神宗實録」の萬暦四十七年十一月の条に兵部左侍郎の楊應聘の覆奏を載せており、
土司の兵を調発したことを述べた中に「石柱宣撫使の兵四千は、應襲(宣撫使継承有
資格者)馬祥麟が秦邦屏と同(とも)に親しく領す」とあって、領兵の能力を身に付け
戦闘を指揮できるのは、よほど若くても十歳台後半と考えるのが妥当でしょうから、
仮に十五歳だったとしても萬暦三十二年に生まれ、父を失ったのが満九歳前後かと
推定すべきでしょう。「實録」の萬暦四十八年四月の条には秦良玉に三品を馬祥麟に
指揮使が加えられたことが記されています。
天啓元年三月ヌルハチ軍の南進を迎撃するため良玉に率いられた石柱の兵は遼東に
赴きました。そして渾河の会戦で良玉の兄の秦邦屏と弟の民屏は力戦しましたが、
敗衂して邦屏は壮烈な陣亡を遂げました。救援のため良玉は祥麟と兼程して馳付け
及ばなかったので楡関を守りました。「石柱廰志」によると祥麟は進撃中に矢が目に
中ったのも物ともせず、引き抜いて更に前往したそうです。「馬氏家譜」には彼をば
軍中の諸人は「趙子龍」とか「小馬超」と呼んだと伝えています。これに対して明廷は
良玉に二品夫人の誥命を与え、祥麟には都指揮使を授けたと「石柱廰志」は記されて
います。 続きは明日
馬祥麟は天啓元年八月に巡安御史の張銓の女と結婚します。即ち張鳳儀その人です。
明代には張銓が二人います。一人は洪武帝の統一事業に功績があって都督僉事まで
陞った定遠出身で「明史」に専傳が立てられています。そして「明史」では「忠義傳」に
事跡が載せられているのが鳳儀の父なる人です。彼は沁水縣(山西省東南)の出身で
萬暦の進士です。萬暦の末年に遼東は女直の興起により多事となりましたが、彼は
軍國の安危に関して建言するところ多く、当時において先見を称されたと本傳には
語られています。熹宗が即位すると遼東に出按することとなり、「蜀龜鑑」によると
祥麟の年少にして忠勇なる人物を壮として鳳儀を妻あわすことを約します。やがて
渾河の血戦で明師が潰滅するとヌルハチ軍は遼陽城を攻囲し、銓は經略の袁應泰と
分守して拒戦を続けましたが、應泰は事の済らざるを知って自経して死しました。
銓は敵に捕らえられ屈せず一旦は釈放されたのですが、公署に帰ると衣冠を正した
上で帝闕と父母の方を遥拝した後に遂にこれまた自経して最期を遂げました。
張銓の妻の霍氏についても語るべきことがあります。銓の父の張五典は海内の乱を
予想して郷里の竇莊を堅固な堡塞として修築していました。崇禎四年に流賊が遂に
この沁水の家郷に迫ったときには五典も歿していて、霍氏だけが婚家を守っており
皆が避難を勧めましたが、彼女は「賊を避けて出づれば家は保たれず、出でて賊に
遇へば身は更に保たれず、等しく死せんのみならば、盍(な)んぞ家に死せざらんや」
とこれを謝絶し、僮僕を率いて堅守したので賊は環攻すること四晝夜で去り、この
砦は「夫人城」と呼ばれたそうです。
張銓の子の道濬は父の忠績によって錦衣指揮僉事に任じられていましたが、宦官と
交際があったり納賄の醜聞のため一時は雁門関に戍配されていました。霍氏が独り
郷里を守っていたのも息子が辺地に流されていたためでしょう。流賊の跳梁が更に
激しさを増し、山西巡撫の檄を受けた道濬は家丁を率いて禦賊に奔走する身となり、
崇禎五年に賊が沁水を犯し守備が戦死した際には、道濬は部下を遣わして馳援した
ところ賊は退去しました。その後にも流賊の連合軍が襲ってきた際も内部に反間を
設けて混乱を誘い、奇襲によって賊帥を捕らえるなど功績を挙げたのですが、結局
昔の不評判が祟って行賞に預かれませんでした。そして沁水も賊の陥れるところと
なってしまいました。 次回には張鳳儀本人について書きます
182 :
世界@名無史さん:03/05/20 09:32
特に張献忠ってのはよくわからんなあ。
体制側も反体制側も、明末にはろくな人材がいないよ。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
185 :
世界@名無史さん:03/05/29 14:58
最近買った「世界の歴史5 東アジアと中世ヨーロッパ」という本に清までの
中国史も収められているのですが、そこに「満州族(原文ママ)が中国を征服
する過程で、およそ2500万人もの人名が失われたと考えられています。」
とかかれていました。多分古い歴史書の数字をそのまま鵜呑みにして書かれた
のだろうと思いますが、いったい何を根拠としてそれを言ったのだろう・・。
186 :
世界@名無史さん:03/05/29 18:32
>>185 中国の史書には嘘や誇張が多いから、鵜呑みにしないほうがいい
明末の記録だと、例によって人食いはもちろん、石まで食ったとかあったような。
中国戦乱期の人口激減はいつもの事だし。
明末の荒廃の分まで考慮すれば、その位でもおかしくは無いかも?
>>185 根拠はないね。ただ、1628年には大飢饉が起きているんで、死者もかなり出たはず。
あと、張献忠によるものと、その後の清との戦いによるものとで、四川の死者が
とんでもない数になったであろうといわれている。
李自成が好き
黄巣もすき
中国の史書に出てくる数字はちょっとね・・・・
191 :
世界@名無史さん:03/05/31 10:20
>>188 張献忠の乱により四川省はほとんど無人の地になったというな。
現在の四川省の人の大部分は、清初に他省から入植した人の
子孫ということだ。
192 :
動画直リン:03/05/31 10:20
史書の数値は大抵十分の一に直して・・・。
>>190 まぁその張献忠の話もデマの可能性があるわけで。
うむ。七殺碑にしても有名な「殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ」はあとで
清によって書き加えられたというしね。んで、張献忠ではなく清によって大粛正
くらったのではないかという話もある。
んで、今の四川人の多くは系図を遡っても清初で途切れてしまうというのは
確からしいから (他の省ではそこまで極端なことはない模様) 、四川の人口が
急減したとはいえそう。
196 :
世界@名無史さん:03/06/02 19:20
明史には、ヌルハチ伝やホンタイジ伝はないんですか?
清史はまだ出ないみたいだし、出ても簡体字だろうから読めないなあ。
あっ、台湾で海賊版が出るか。
楊応竜いいよね。
198 :
世界@名無史さん:03/07/06 18:28
age
200 :
世界@名無史さん:03/07/06 18:52
>196
『清史稿』がでてるでしょ
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
204 :
世界@名無史さん:03/08/07 11:44
age
205 :
世界@名無史さん:03/08/07 12:34
206 :
世界@名無史さん:03/09/26 20:56
age
207 :
世界@名無史さん: