七年戦争、特にフレンチ&インディアン戦争について

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113世界@名無史さん:03/02/17 18:41
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114世界@名無史さん:03/02/21 14:52
確かにケベック市民が「ふれんちといんであん」なんて言わないよなあ。
「しちねんせんそう」もなんか違うし。
115世界@名無史さん:03/02/23 20:03
ラスト・オブ・モヒカンage
116世界@名無史さん:03/03/04 12:39
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117世界@名無史さん:03/03/06 04:12
高橋さんて、もしかして佐藤亜紀たんのHPに出入りしてなかった?
118高橋:03/03/13 06:54
違いますよ。佐藤亜紀って誰ですか?
119世界@名無史さん:03/03/13 07:06
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120KKK:03/03/13 07:55
フリーダム・ネイティブアメリカン戦争について語れ!
121ルイ−ズ・C:03/03/13 09:43
フランス人の方がAmerindiansと仲が良かったんだよ。
理由は17世紀のアメリカ大陸植民地の時代まで溯る。
フランス人が初めてアメリカ大陸にやってきたのは1541年だけど
実際植民地を作ったのは1608年Samuel de Champlainが St.Lawrence
RiverのふもとQuebecに作ったのが最初。何で半世紀も新大陸進出が待たれたのかと
言うとそれはフランスが内乱に明け暮れてたから。
1594年のthe Edict of Nantesでユグノーとの血みどろ戦争が解決するまで
待たなければならなかった。んで内乱が終わってchamplainの一行がNew Franceを
作ってもフランス政府のサポートは微々たるモノだった。王家の手厚いサポートが
あったスペインとは違いフランスはこの新しい土地で生きて行く為にはAmerindiansに
依存するしか方法はなかった。それでもってChamplain一行が頼ったのが
Montagnais Indians(Angloquian部族)。フランスはMontagnaisと共存して行く為
彼らの習慣を習った。もちろん言葉も覚えたしintermarriageも行った。
一方、Montagnaisもカトリックに改宗したり、フランスの習慣を覚えたりで
フランス人とindianの間に深い繋がりが出来て行く。
一方Montagnaisも宿敵の部族(Iroquois)との戦いを有利に進める為に
ヨーロッパの進んだ武器等を盛んに取り入れた。そーこーしてるうちにChamplain一行は
この部族と新しいトレードのネットワークを築いた。それがfur Trade(ビーバーの
毛皮で貿易)。Champlainはフランス政府のサポートをあてにしてちゃいかんちゅう事で
新大陸で生きる為にQuebecから東の方へ進んで行く。そしてHuronsとも交流を持つように
なる。

長くなりそうです。French AND Indian Warにたどりつくまで時間がかかるけど
いいでつか?
122ルイーズ・C:03/03/13 09:55
上に詳しくFrench and Indian Warの事を書いて下さってる方が
いるので書く必要ないか。

植民地独立までのアメ史勉強して真っ先に思ったな感想は
宗教改宗は白人の得意技
プロテスタントは情け容赦ない
結局は白人のエゴ
って事かな・・書くと長くなるんで。ワシントンも可愛い顔して
けっこうえげつない事やってるし。
123世界@名無史さん:03/03/13 10:54
>>122
>宗教改宗は白人の得意技
プロテスタントは情け容赦ない
結局は白人のエゴ

てゆうか、中世にはヨーロッパで、白人の異教徒に対しても同じこと
やってる。
ザクセン人、リトアニア人など、キリスト教化が遅れた人々のことだけど。

124世界@名無史さん:03/03/13 23:21
KING PHILIP'S WARなんてのがあるね。北米植民地
1675年から翌76年にかけて14ヶ月にわたりインディアン連合と入植者との生存を
かけた戦い

なんでも1637年に英国大尉(ま、全員英人入植者だが)のジョン・メイソンなる御仁が
ピークオド族の村を男たちの留守中に襲撃。女子供皆殺ししたのが争いの単緒。
大尉は、まったくの宗教的信念から、非キリスト教徒を虐殺したらしいが、いずれにせよ
1670年代には、北米入植者5万人、平均在留20年をこえると人口圧力でインディアンとの
抗争は不可避だったとか。
125世界@名無史さん:03/03/13 23:22
ちなみにKING PHILIPいうのはインディアン連合中心のWampanoag族の
リーダーMetacometに、ピューリタンたちがつけた綽名.
キング・フィリップことメタコメットは新大陸にもちこまれた旧世界の
コレラに新生児がばたばた死に人口が減少してく現実に耐えきれず、ニ
ューイングランドのプリマス入植地に1675年6月襲撃開始。

プリマス入植地は近隣のプロヴィデンス入植地と約1000名の民兵(ミリシア)
を結成して対抗する一方、10月にはコネチカットからの応援も得て、冬季に
本格的な反攻を開始。
圧倒的な火力でインディアン村を焼き払い、彼等の越冬補給線を断つ。
126世界@名無史さん:03/03/13 23:22
翌76年になると、マテコメ側で連合してたモホーク族の離脱もあり分裂。
マテコメ自身、仲間の内報にあい8月には山んなか追い詰められ、心臓えぐられ
死亡。妻子は西インドに奴隷として売られたとか。

ちなみに捕捉・殺害にあたったのは植民者に協力したキリスト教改宗現地部族だけど
それをコントロールしたのはベンジャミン・チャーチ大尉に率いられた
Rangersとよばれる斥候兵の集団。

語源は入植者の野営地の安全を確保Rangedするため周辺を偵察する集団
Rangersいうこと。

18世紀フレンチ・インディアン戦争のRobert Rogersに先駆けること80年も前の
現代のレンジャー部隊のご先祖です
127世界@名無史さん:03/03/13 23:24
>121
この戦争の後、プロテスタントに改宗しない部族はやっぱケベック方面に
合流して、のちのFrench and indian warの因縁をつくっていくわけですな
128世界@名無史さん:03/03/13 23:34
7年戦争いうと、例のシレジア領属問題をめぐる欧州の紛争と
新大陸の戦争のほかに、インドでも1760年にBattle of Wandiwashとか
カリブ海ではスペイン領キューバやドミニカ群島に英海軍が上陸強襲を
かけてこれを占領してるね。

ナポレオンに先駆ける、かなり世界規模の広域戦争だったみたいだね
129高橋:03/03/14 18:58
>>122
私は知っていることは全部書き尽くしたので、
ルイーズ・Cさん、どうぞ遠慮なく続けて下さい。
130世界@名無史さん:03/03/14 19:01
>>128
おそらく当時の人達の感覚だと世界大戦のイメージだったと思うよ。
131世界@名無史さん:03/03/15 15:44
フレンチ・インディアン戦争をフランス人からは何と呼ぶか、というのは
意外に難しい疑問であるようですね。心あたりの知り合い数人に聞いてみましたが、
誰も答えられませんでした。

さて、ふつうフレンチ・インディアン戦争といえば、1763年のパリ条約で終結したように考えられています。
しかし、必ずしもそうとは言えません。パリ条約で負けを認めたのはフレンチだけ。その同盟者であるインディアンの皆さんは、
まだイギリスに降参してなかったからです。

デトロイトの近く、後のヨーロッパ系の人たちによる線引きではカナダに属する土地に住んでいたオタワ人のポンティアックさん(1763年当時推定40歳)は、
そういうわけで、フランス人が戦争を降りた後も、オタワ人、ポタワトミ人、ワイアンドット(ヒューロン)人などのインディアン戦士を集め、
先頭に立ってイギリス軍と戦いつづけました。
彼は、レニレナペ(デラウェア)人、アニシナベ(オジブワ、チペワ)人、ショーニー人などにも声をかけ、対英インディアン統一戦線を組織したのでした。
しかし、次第に矢玉も尽き、1766年にポンティアックさんはじめ40人のインディアン連合軍指導者たちはイギリスに降参してしまいました。

この戦いは一般に「ポンティアックの乱」と呼ばれています。
132世界@名無史さん:03/03/28 12:52
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133総督:03/03/29 01:05
このスレで何度も上がっている『アメリカ独立戦争 上・下』おもろいね。
スラスラ読めたよ。ケベックの戦いは読んでてエキサイトした。
パリ条約への経緯なんかもよく分かった。ジョージ2世が死なずに、大ピットが
権力を握り続けていたらアメリカのその後もだいぶ変わったろうね・・・
134総督:03/03/29 01:11
七年戦争の戦域って
欧州、北米、カリブ海、インド、フィリピン、北アフリカ(セネガル)
他にある?
135世界@名無史さん:03/03/29 01:15
>『アメリカ独立戦争 上・下』

これなかなか売ってない。
注文するか……。
136世界@名無史さん:03/03/29 04:35
つかこの手の本屋は発売から一月したらもう店頭には置いてないと思ったほうがいい。
後から知った場合は本屋を10軒探して回るより一軒目で注文したほうがいい。
137世界@名無史さん:03/04/13 19:23
age
138山崎渉:03/04/17 09:29
(^^)
139世界@名無史さん:03/04/19 17:22
age
140山崎渉:03/04/20 04:33
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
141高橋:03/05/05 07:41
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142世界@名無史さん:03/05/05 15:10
フレンチ・インディアン戦争における英国軍のインディアン殺戮の手口のひとつ。
http://www.eiken.city.yokohama.jp/infection_inf/smallpox1.htm
143世界@名無史さん:03/05/06 17:21
軍事板より失礼します。

対インディアン戦争の各国(イギリス・フランス・アメリカは独立以後)戦史(通史)の書籍をご存知の方いませんか?
後、それぞれの装備・編制・戦力などがわかる書籍があれば教えていただきたく思います。
144世界@名無史さん:03/05/10 22:21
>143
“North American Indian Wars”(Richard H. Dillon著, Arms and Armour Press, London刊,1983年)があります。
写真や挿画が多く、読みやすい本です。絶版ですが、amazon.comで古本入手可。価$10.00〜$20.00.
なお、amazon.comには、Richard L. Dillon という人が書いた同名の本(1993刊)も記載されていました。

書籍ではありませんが、ケビン・コスナーが制作・ホストを務める
“500 Nations”というビデオシリーズ(8本組)も、通史を知るには好適。
英米の対インディアン戦争史に偏りがちな上掲書よりも視野が広く、
スペインやフランスの対インディアン戦争に関してもよく触れられています。

あと、通史ではありませんが、Osprey社のMen-at-Arms Series には
平原インディアン(No.163)、森林インディアン(No.228)、南西部インディアン(No.288)等があり、
Campaign Seriesには”Little Big Horn 1876”(No.39)があります。
最後の本では、1876年の北方平原戦役における米軍とスー・シャイアン部族連合軍の
装備・編制・戦力がわかります。
145山崎渉:03/05/21 22:33
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
146山崎 渉:03/05/25 08:21
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
147山崎渉:03/05/28 15:08
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
148世界@名無史さん:03/06/02 22:46
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149世界@名無史さん:03/06/02 22:54
バイト見つけた。1000円くれるってさ。
http://f15.aaacafe.ne.jp/~storm/
150世界@名無史さん:03/06/15 11:41
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151世界@名無史さん:03/07/08 18:50
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152山崎 渉:03/07/15 12:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
154世界@名無史さん:03/07/22 12:54
age
155世界@名無史さん:03/07/22 13:03
>>131

>>142もちょっと触れているが、このポンティアックの乱の後、
イギリス軍が天然痘患者の使用品がインディアン部族の手に
渡るよう細工していた。細菌兵器のはしりだね。

イギリス軍の経費として、買い付け費用が計上されているそうな。
156世界@名無史さん:03/07/23 23:43
131です

155さん、補足ありがとうございます。

なお、インディアンへの細菌作戦は、「ポンティアックの乱」(1763−
66)の前に既に発案されていたようです。1752年、ジェフリー・
アムハースト将軍が部下に宛てた手紙の中に、天然痘の利用を勧める
くだりがあるとのこと。
また、「ポンティアックの乱」の最中にも、ピット砦(現ピッツバーグ)
を攻撃中のレニレナペ(デラウェア)族に対し、砦の病院の天然痘病棟
から集めた毛布が「プレゼント」されたそうです。

まあ、いずれにしても、この作戦、そう何度も使えたとは思えません。
インディアンは、こんな手に何度もひっかかるようなおバカさんとは
思えないからです。
「イギリス人から毛布を貰うと、トンデモない目に遭うぜ」
なんて噂は、口コミによって燎原の火のように広がるでしょうし。

インディアンが激減した一番の原因が、天然痘やコレラなど外来の
伝染病であることは確かですが、それはヨーロッパ系の人たちが
意識的に伝したというよりも、多くは交易等平和裏の接触の際に
伝され、インディアン同士の接触により広まったものと考えられます。
ぬるぽ
157世界@名無史さん:03/07/23 23:43
>153
殺すぞきさま。
158世界@名無史さん:03/07/27 23:44
当時のヨーロッパ人は最凶の毒細菌ばらまき集団だったんだね
159世界@名無史さん:03/07/30 22:19
>>158

手元にある本によると、
「ヨーロッパ人が持ち込んだものはドブネズミ、ゴキブリ、黒バエ、
天然痘、水疱瘡、ヨーロッパ原産の草の種、馬」。

大きな伝染病だけとりあげても、
1616-1619 メイン州海岸沿いのアルゴンキン族、ペストで90%が死亡
1630-1650 五大湖近辺のヒューロン、イロコイ、モホークを含む部族、天然痘の流行により50%ほど死亡
1759 チェロキー族とカトウバ族、天然痘の流行により半減
だしね。
ここで注目すべきは1759年の流行で、人痘接種による予防はアメリカでもこの頃すでに
行われていた(後の牛痘よりはハイリスクだが……)。予防する術を伝える気があれば、
被害を縮小することは可能だったわけだ。

ちなみにニューイングランドにおけるインディアン人口は
1600年頃:105,000
1750年:数百
だそうです。
160世界@名無史さん:03/08/31 22:28
age
161世界@名無史さん:03/10/18 20:02
ウェストが「ウルフ将軍の死」を描いている。
絵画史上、同時代の出来事を歴史画に持ってきた「現代の歴史画」。
「キリスト哀悼」の典型的な図式。ウルフの死が一個人の死を超えた
ものに高揚されている。
162世界@名無史さん
s