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「ど」の字:
今年最後の書き込みをさせていただきます。
韓国を経済国家として立てた軍政家です。>141書式。
【朴正煕】 Pak Jung-heui A.D.1917〜1979
【統率】66(独裁者としては低い値。また、同僚の利己的行動を掣肘し切れなかった点や暗殺されたことも忘れるべきではない)
【武力】79(韓国陸軍情報局第一課長や韓国第5師団長を歴任した)
【知力】92(官僚的事務処理能力は最高。教養も低くは無い。現実把握力と解法模索力は高いレベルで、漢江の奇跡を演出した)
【政治】48(政治力学利用力と人心収攬力は低く、独裁に走らざるを得なかった。仕方ない、彼は軍人なのだから)
【魅力】39(融通の利かない固い人間として、同時代の韓国人には好かれなかった。近年再評価されつつあるが、反発も根強い)
慶尚北道亀尾出身の韓国の軍人・政治家。
大邱師範学校を出て小学校教師となるが、その優秀さを抜擢されて満州・新京軍官学校に入学。首席卒業。
「高木正雄」少尉として日本の陸軍士官学校に派遣留学し、1944年に日本陸軍士官学校を卒業(卒業成績3番)。関東軍に編入。
終戦時は、満州軍歩兵第八団の団長副官・満州国陸軍中尉であった。
韓国警備士官学校(2期)を出て、韓国陸軍情報局第一課長・第五師団長を歴任(この頃朝鮮戦争を経験)。
1961(昭和36)年5月16日に、第2軍副司令官としてクーデタを指導。イン大統領辞任後は、大統領権限を代行。
1963(昭和38)年に民主共和党総裁となり、12月17日〜1979(昭和54)年10月26日まで大統領として韓国の指導者だった。
1965(昭和40)年に日韓条約を締結し、日本と韓国の間の賠償問題に決着を付ける。
1979(昭和54)年10月26日に10・26事件が発生、ソウルのKCIA幹部食堂で金戴圭KCIA(韓国中央情報部)部長により射殺される。
人となりは清廉で知られる。同僚や上司が「福祉活動」と称して森林乱伐で儲けるのに決して加担しなかった(止めもしなかったが)。
箪笥を買う金も手元になく、ダンボール箱に衣類などを詰めていた逸話は有名。
事実上、韓国の指導者として反日から離れようとした最初で(今のところ)最後の人。