ホッブズは何がしたかったんだ??

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1世界@名無史さん:02/10/10 15:04
王権神授説のリメイク?
2世界@名無史さん:02/10/10 20:15
2
3世界@名無史さん:02/10/10 21:00
誰も答えられないのかよ
4世界@名無史さん:02/10/10 21:46
ピューリタン革命の批判。

ホッブズの限界、というか欠点は、権利を委譲されて権力を握った人物が
どう振る舞うべきかについて余り述べていない(と思われる)こと。
一世紀後のフリードリヒ大王辺りは、この辺をかなり追及している。
5世界@名無史さん:02/10/10 21:53
『民主主義とは何なのか』(文春新書)を書いた長谷川三千子は、ロック
、ホッブズ、ルソーのうちでは一番ホッブズを高く評価してるよ。
「万人の万人に対する闘争状態」についてもっとも真摯に考えたのが
ホッブズだったんだって。自然法を自然権と言いかえることによって新たな
思考を展開したとかいろいろ分かって興味深い。まあ読んでみなさいな。
6世界@名無史さん:02/10/10 22:09
>>4-5

なるほど。なんで王権神授説の後に、またまた王の専制は当然であるという主張をした人が
教科書に載ってるかがわかる糸口ができたよ。
基本的人権を前提にした絶対王政擁護論というのはすごいなとは思ったけど。まさか、
それで世界史的な評価を受けてるはずないしなって感じだったから。
7世界@名無史さん:02/10/10 22:21
と思ったけど、この本は読んでも大丈夫なの?
一緒に紹介されている本がなんともはや。。。

http://www.esbooks.co.jp/myshop/0000004533/shelf_id=01
8世界@名無史さん:02/10/10 22:32
人権嫌いの保守勢力に利用されている向きは(確実に)あるよw
何事も依存するのは危険だが、ホッブズ重視という面で挙げました。
9世界@名無史さん:02/10/10 22:52
なかなか刺激が強そうな本なので現代社会が一通り終わってから
読んでみます。
10Krt:02/10/11 00:02
ホッブズが何をしたかったか、というのは難問だが、少なくとも「王権神授説のリメイク」
というのは違うと思う。王権神授説のイギリス版というのは、後にロックの「統治二論」
(良く読まれる「第二論文」ではなく「第一論文」のほう)によって叩かれたフィルマーの
「族長論」ようなものを言うのであって、ホッブズは毛頭このようなアナクロニズムを
信奉していたわけではなかった。ホッブズが主張したのは社会契約の擁護者たる「主権者」
一般の不可侵性であり、それゆえ彼にとってこの主権者自体は別に王でなくても良いし、
さらに言うならば個人でなく議会や委員会のような集合体でもかまわなかったのである

次に彼には一時的に「万人の万人に対する戦争」である自然状態を創り出す革命一般に対する
批判はあっても、清教徒革命という特定の革命に対する批判を行おうとしたわけではなかった。
むしろリヴァイアサンの後半部を読んでみればわかるように、この書の持つもう一つの顔は
クロムウェルのピュリタン政府自体も必死に戦っていたカトリック・グローバリズムに対する、
プロテスタント・ナショナリストの立場からの徹底的な闘争書としての物であり、だからこそ、
「リヴァイアサン」はクロムウェル派への和解の書として機能したのである。だからこの書を
ナショナリズム擁護の本として読むのは正しいが、その場合対立物は必然的にグローバリズム
的なイデオロギー(カトリック、コミンテルン、グローバル資本主義等の)となることに注意。
11世界@名無史さん:02/10/11 01:00
>>10
「リヴァイアサン」後半に関してはちょっと違うように思うなあ。

3部・4部の聖書批判は新教・旧教共に標的でしょう。
というか、聖書により依存する新教の抵抗権理論が標的では?

根っこにある懐疑主義
→聖書における信仰の内実を次々にはぎ取る
→基本的信仰箇条を「主権者への服従」に限定する
→「政治権力>教会」という世俗国家の論理(エラストゥス主義)の完成
というストーリーだと思うけど。
12世界@名無史さん:02/10/11 01:14
>>5
日本の江戸幕府は、ホッブズの思想を体現したものだと思う。君主権は
あくまで国民との間の契約によって成り立つものではあるが、島原の乱や
由比正雪事件など、百姓も大名も江戸の将軍に反抗することは許されない。
13世界@名無史さん:02/10/11 02:19

よんで「リヴァイアサン」読んでみようと思い立ちました。
14世界@名無史さん:02/10/11 10:49
>>12

幕府は基本的に大名(というか武士)の盟主であって、
武力によって権力の源を得る。
従って、他に将軍に勝てる者があればそちらにつくだけの話で、
(鎌倉、室町、徳川いずれも、結局は負けたから滅亡した)
社会契約論などさほど意味があるとは思えないが。
15世界@名無史さん:02/10/11 17:17
ホッブズ以前は、王権は「神」に由来するとした。
つまり王権は神の領域だった。

ホッブズは、王権は「人民」に由来するとした。
つまり王様だって平民の鉄砲一発で死ぬ、という意味で、神の前では
完全に平等。

ホッブズが近代政治学のスタートなのは、王権を神がかりなものではなく
ただ単に権力である、と、喝破したから。

だと思うが違ったら指摘してください。
16世界@名無史さん:02/10/11 17:59
>>15
イイ!
17世界@名無史さん:02/10/11 18:03
ホッブズの言うことはリアルな人間観があり、説得力があるよね。
どんなにひ弱な人間でも、武器を持ち、寝込みを襲えば強者を殺害することが
できる。臆病で卑怯な人間に対しても公平な見方で潜在能力を評価しているともいえる。
18毛沢東:02/10/11 18:26
政権は銃口から生まれる。
19世界@名無史さん:02/10/11 18:33
革命家らしい言葉だな。
20Krt:02/10/11 19:55
>>11 リヴァイアサンの結論というか、目標が信仰箇条の極小化と信仰の内面化による
>「政治権力>教会」という世俗国家の論理(エラストゥス主義)の完成
だというのは、私も異論はないのだが、第三部、第四部の主要攻撃目標が(カトリックより
むしろ)「聖書により依存する新教の抵抗権理論」だ、というのはちょっと違和感を感じる。
 というのは、リヴァイアサン後半部において圧倒的な迫力と分量とでなされるのはやはり、
カトリック批判で、これはまさにカトリックこそが、教会>政治権力というイデオロギーの
最大の体現者だからだろう。ホッブズのカルヴァン主義や国教会に対する批判は彼らもまた、
教会>政治権力を主張する局面があるからで、言い換えればカトリック批判の延長線上に
教権体制化したプロテスタント諸派に対する批判もなされているのだと思う。
 また、抵抗権の問題だが、人民の抵抗権ないし暴君放伐論自体は、別にプロテスタントの
専売特許というわけではないだろう(仏で当初ユグノーが唱えていた暴君に対する抵抗権を
アンリ四世の即位以後、ユグノー側が引っ込めたかわりにイエズス会が持ち出したように)。

 もしかすると11氏は、イギリス革命時における過激な諸セクツによる恣意的な聖書解釈
に対する批判、というリヴァイアサンの一側面を重視する立場なのかもしれないが、
これはとうていカトリック批判と同様の比重でなされているとは思えないのだがね。
21世界@名無史さん:02/10/11 21:52
男は狼〜♪

人間は狼〜♪(ホッブズ)
22世界@名無史さん:02/10/11 22:08
>>20
出版当時(1651年)の状況から考えて、
一番叩きやすかったのがカトリックだから、
カトリックを引き合いに出した可能性も考慮すべき。
ピューリタン批判したら殺されるって、多分。

権利を委譲するのが個人でなく機構でもいいという条件で考えるなら、
新旧どっちもやってることは大して変わらん。
23Krt:02/10/11 22:50
>>22
それは全くおかしいよ。1651年当時(というか1640年以来ずっと)ホッブズはフランスに
亡命していたわけで、リヴァイアサンの出版そのものはイギリスにおいてだったとはいえ、
カトリックの国にいながらカトリックを叩くのは、この場所においてピュリタンを叩く
よりもずっと危険だったことは容易に想像がつくと思うのだが。
 現に彼はこの出版のせいでフランスにおけるチャールズ二世の亡命宮廷から出入り禁止
を食ってしまったほどだ(それまでは二世の家庭教師をしたりして重用されていたのに)。
幸いこの書が英国で受け容れられたからクロムウェル政権との和解も成り、同年末の帰国が
かなったけれども、そうでなければ庇護者を失ったホッブズは異国の地において極めて
危険な立場に追い込まれていたはずである。
24世界@名無史さん:02/10/11 23:07
…ホッブスって予想以上にエキサイティングな人だったんですね。
「リヴァイアサン」読むのがより楽しみになってきました…
25世界@名無史さん:02/10/12 00:34
>>23
ちょっと質問。
何でイギリスでこの本が受け容れられたの?
当時の(ピューリタン革命の直後の)共和制下において、
絶対王政の擁護と受け取られかねない書物を、
当のイギリス人が受け容れたのは何故?

絶対的権力による個人の権利の制限が彼の本の主眼であるからには、
受け容れられない可能性も相当に高かったはず。
後のクロムウェルによる独裁と関係あるのかな。
26Krt:02/10/12 02:45
>>25 まずホッブズが主張したのは以下である。人間は法秩序のない自然状態においては
何をしても良い、という無制限の自然権を持つが、この世界の財は欲望に対し有限なため、
欲望に突き動かされ、しかも能力面で比較的平等に作られた人間は限られた財を巡って
「万人の万人に対する戦争」に陥りかねない。人々はその理性によって自然法を見出し、
それに従って自分たちの無制限な自然権を制限することで初めてこの悲惨な状態を逃れ
生存権(彼の場合、財産権の規定が弱いがほぼ基本的人権に近い)を確保しうるが、
この平和な状態を永続させるには強力な主権者の力による専制を必要とする。
 そしてこの主権者が居なくなれば再び生存権が危うくなる自然状態が出現するため
主権者に対する抵抗権は認められないが、逆に古い主権者が力を失い人民の生存権を
保護する事が出来なくなった場合、履行不能になった社会契約は無効となり、人々は
旧主権者への忠誠の義務を解かれ、新たな主権者を迎え得るし、またそうすべきである。
 従って王家が人民の生存権を保護する能力を失った現状においてはそれを提供する
新しい主権者への忠誠は当然であると。(cf.田中浩「ホッブズ研究序説」p.84)
 新政権が自分たちの統治の正統性を保証するリヴァイアサンを歓迎したのは当然だし、
革命の混乱を経た英国人には生存権確保のためにはむしろ無制限の自然権の制限が必要、
というリヴァイアサンの論理は説得力があったのではないだろうか?
2711:02/10/12 09:18
>20
3・4部における名指しの論敵は枢機卿ベラルミーノ(教皇権のイデオローグ)であるわけですが、
これをどこまで額面どおり受け取れるか、ということだと思います。

ホッブズの真摯さ・ナイーヴさも考慮しなければならないけど、
22氏の言うような「叩きやすかった」からという説もまた理があるように思います。
(仏のガリカニスムの環境と教皇庁の間には、やはり温度差がある。)
あと、付言すると、ベラルミーノ叩き、というのは当時の英・蘭などで、
長老派的な潮流を攻撃するときの隠れ蓑として使われることもあったそうです。

>言い換えればカトリック批判の延長線上に
>教権体制化したプロテスタント諸派に対する批判もなされているのだと思う。
結論としては、概ねそう思います。まあ、微妙な話になるけど。
2811:02/10/12 09:34
>>22
>ピューリタン批判したら殺されるって、多分

ホッブズと新教諸派の関係についてですが、
国教会・長老派に関してはアンチ。
独立派には若干のシンパシーを感じていたようです。
「リヴァイサン」最終章などで当時の独立派議会の体制にお追従めいたことを言っている。
(ただしこれは政教関係・教会統治の問題について。
 純神学的内容に関しては、ホッブズは真面目な信仰者からは総スカンを食らった。
 →魂は物質だ、とか、地獄はない、みたいな無神論的なことを言ったので。)

25氏の「亡命宮廷からの出入り禁止」問題にも触れると、
どうもクラレンドンを初めとする、国教会シンパの連中の気に召さなかったようで、
やむなく、というか割と新体制に期待して(≒脅えることなく)渡英したようです。
2911:02/10/12 09:45
>>25
理論的には26氏の言うとおりだと思います。
→ホッブズの擁護したのは絶対王制ではなく絶対権力

じっさいにも同時代人(=彼の王党派の旧友)の中には、これを彼の転向声明と読んだ者もいたようです。
(既述だが、ただ、「リヴァイアサン」の宗教論、特に純神学的なレベルでは、
無神論と取られ兼ねない論点を提示したため、総スカン。)

付け足すと、
「「リヴァイアサン」は1・2部(のさらに一部分)だけ読めばいいんだよ!」
という主張があって、それはまあ、間違っていない(笑)。乱暴かもしれないけど。
ただ、ホッブズの本気はわりと3・4部の宗教論にあって、
同時代の人間もそこらへんで盛り上がっていたわけですね。
・・現代人がいちいち気にする必要はないけど。
30世界@名無史さん:02/10/27 20:53
age
31世界@名無史さん:02/10/27 21:27
要するに社会をもっと大切にしろとか重視しろとか言いたかったんだろ。
32世界@名無史さん:02/10/28 03:25
おいしいビールをつくるには必要だよね>ホップズ
33世界@名無史さん:02/10/28 05:36
法学部の奴に自然法について質問したら、自然法を知らなかった。
34世界@名無史さん:02/10/28 07:45
>>33
政治思想史やってる人のほうが自然法は詳しいよ。法哲学、憲法ではけっこう
自然法出てくる。私法系だとちょろっとしか出てこないから民法ばっかし勉強
してる人はあんまり興味ないかもしれないね。
35名無しのルサンチマン:02/10/31 19:51
ホッブズの理論は「王権民授説」だと解釈しています。
絶対王政であろうと、民主主義であろうと、民衆をよりどころにした権力を確保するための理論だと思います。
権威による権力保持がホッブズ理論の要です。
ところでホッブズは、社会契約論で、各人が相互に契約をして代表者に権力を譲渡する、と述べていますが、
それについては問題点はたくさんあります。
@自然状態の中でどうやって代表者を決めるのか。
A国家の形態もできていないのにどうやって各人が集合し契約をするのか。
B果たしてその契約が遵守される保証はあるのか
36世界@名無史さん:02/11/05 21:37
読んだことがあるわけではないので論理の飛躍等あるかもしれません。
あまり信用しないで

>>35
>1.自然状態の中でどうやって代表者を決めるのか。
>2.国家の形態もできていないのにどうやって各人が集合し契約をするのか。

だから、国民は自然権を有しているわけですから、万能なんです。
国家を形成するために前段階の権力を形成して、その権力に授権してやればいい。

むしろ自然状態(国家がいまだ形成されていない段階)での権力関係を考えた場合、
”漏れは神に国家を作る権利を与えられた”という王権神授説よりも、
”人間は等しく自然権を与えられている(だから国家を作る権力も形成できる)”
ホッブズ説のほうがわかりやすい。

>3.果たしてその契約が遵守される保証はあるのか

契約が遵守されない場合とは、国家権力が機能していない場合ですから
逆に言うと機能しさえしていれば絶対王政であろうと国民にとっては問題ない。

スレッド整理があったようなのでageとく
37世界@名無史さん:02/11/07 12:19
>>1
ホッブ、ステップ、ジャンプ
38名無しのルサンチマン:02/11/07 12:46
>>35「各人が相互に契約をして代表者に権力を譲渡する」というのは、各人が代表者と契約するのではない。
各人が、「代表者に無断で」、お互いに自然権を代表者に譲渡する契約をし、代表者はその自然権を受け取るだけである。
ロックの場合、各人の相互契約の後、各人と代表者の契約を行う(信託)。
この二重契約によって代表者は国家を統治する権力を得る。
しかし、それと同時に代表者は国家を統治しなければならない「責任」が生ずる。
ところが、ホッブズの理論は、各人の相互契約はあっても、各人と代表者の契約は抜け落ちている。
代表者は国家の統治に「無責任」である。しかし、この無責任ゆえに強力な権力を保持した国家統治がなせるのである。

39名無しのルサンチマン:02/11/20 13:41
実際にホッブズの社会契約が行われなければならない、という考えは間違っている。
ホッブズの社会契約はフィクションであって、
国民は国家に属している限り、実際に契約をしなくても、社会契約をしたと見なされている。
我々は日本の法律を全部覚えているわけではない。
それにもかかわらず、法律を知っているものと見なされて違反したとき罰せられるのと同じである。
>>35の@,A,Bは実際には問題とならない。
40世界@名無史さん:02/12/05 00:00
age
41世界@名無史さん:02/12/18 09:05
age
42世界@名無史さん:02/12/19 00:07
ボブ・サップはワシントン大学で社会学を3年間で修め
4年目は薬学を学んだ
43世界@名無史さん:02/12/23 06:06
44世界@名無史さん:03/01/05 10:12
age
45山崎渉
(^^)