もしビザンチン帝国が滅びずに存続し続けていたら

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1テオドシウス4世
もし、パラエオログス王朝時代のビザンチン帝国が、もっと勢力を
盛り返してトルコ人もラテン人勢力も完全に叩き潰していたら、現代
まで存続したかも・・・
 そしたら、どうなっていただろう。
2世界@名無史さん:02/10/06 18:20
・・・・「ええかげんにせぇ!」と突っ込んでしまうでせう。
3世界@名無史さん:02/10/06 18:20
たぶん3getしただろう。
4テオドシウス4世:02/10/06 18:24
そしたらイスタンブルは今もコンスタンティノポリスって呼ばれて
いただろう。いや、コンスタンティノープルじゃなくて、イスタンブルは
「ネア・ローメー」と呼ばれていたかも。
それから国号もビザンチン帝国ではなく「ローマ帝国」そして
ビザンツ皇帝ではなく「ローマ人の皇帝」って称していたかも・・・
あな、おそろしや
 
5【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 18:24
>>1
良いスレを立ててくれましたね。
私がコンスタンティノポリス名物の「革命」で、
皇帝シモ二ス1世に即位いたします。
6世界@名無史さん:02/10/06 18:25
ローマ教皇や日本の天皇(古代はオオキミ)が現在も存続してるから
東ローマ皇帝が現在にまで存続していたとしてもおかしくないぞ。
7【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 18:26
ビザンティオン(コンスタンティノポリス)よ、永遠なれ!
8テオドシウス4世:02/10/06 18:28
そしたら、アウグストゥスの昔から現在にまで連綿と続く、
2000年以上の歴史を誇るすごい国になっていただろう。
日本天皇もローマ教皇も比じゃない。
9【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 18:29
トルコ人とラテン人(ヴェネツィア人・ジェノバ人)を駆逐しよう!
10テオドシウス4世:02/10/06 18:33
ー>5ごめんなさい、わたくしは第171代ローマ皇帝テオドシウス4世
です。ちなみに、メフメット2世を攻め滅ぼしトルコ人をアナトリア
から一掃なさった(?)、
かのコンスタンティヌス11世ドラガセス陛下(在位1448−1472)は
アウグストゥス様から数えて126代ローマ皇帝です^^(爆)

ゴメンネ、仮想世界です^^
11ティトー:02/10/06 18:36
ああ、そしたらユーゴの内戦騒動もなかったわけだ。
スラブはローマ帝国連邦の自治共和国になっていたかも
そのほうがよかったよー。だって連邦主席の東ローマ皇帝が平和を
保証してくれるし
12【^▽^】病人ジョーカー:02/10/06 18:37
>>10
私のレスは仮想世界どころか妄想世界です^^
13シモニス2世:02/10/06 18:41
仮想世界2002年10月6日の新聞の一面記事
・・・「テオドシウス4世、プレトリア将校の反乱で退位幽閉!
 新カエサルにはオプシキオン軍管区司令官シモニス・アンドロニクス
が即位。」
14世界@名無史さん:02/10/06 18:41
>>8
でも王朝は何度も交代してる。
2000年以上同じ王朝が続いたわけではない。
15シモニス2世:02/10/06 18:42
妄想大歓迎
16世界@名無史さん:02/10/06 19:05
ロシアにツァーリはいなかった
17世界@名無史さん:02/10/06 19:09
もし東ローマが残っていたらローマ教皇など比べ物
ならない権威とか今は見れない儀式がいっぱいテレビ
でみれたかも。
古式にのっとった皇帝即位式とかも
18世界@名無史さん:02/10/06 19:09
ヨーロッパの歴史は大いに変わっただろね
19世界@名無史さん:02/10/06 19:12
そしたら19世紀には、ヨーロッパ列強の一員として
中近東なんかを植民地支配したかも。
うわ、ユスティニアヌス以来の地中海帝国の再現だ
20世界@名無史さん:02/10/06 19:13
≫19
そしたら第一次大戦なんかでは連合国、同盟国どっちについただろうか
21世界@名無史さん:02/10/06 19:15
>14
それでもローマ帝国が2000年以上つづくこと自体スゴイ
22バシリウス:02/10/06 19:18
>19
地中海帝国には届かなくてもビザンチンは概ね東地中海帝国
ではあり続けた。7世紀後半〜1180年まで。
23世界@名無史さん:02/10/06 19:21
18世紀以降はロシア王国(帝国じゃなくて)ないしソ連と熾烈に戦争
していたかも。<存続したビザンチン帝国
24世界@名無史さん:02/10/06 19:23
>1
そしたらローマ軍団とかコンスル、元老院とかいう
ものが現在にまで存続していたってことなるよね。
うわっ、コワ!!
25世界@名無史さん:02/10/06 19:26
>議会制は導入していただろうね。それと
たとえローマ皇帝は存続していたとしても
ドミナートゥスは廃止されて普通選挙とか
民主主義制度の国にはなっていたろう。
26from d:02/10/06 19:31
今のギリシア+トルコ+キプロスとする帝国。
27世界@名無史さん:02/10/06 20:24
機械仕掛けの玉座とか見れたのかなあ。

受難のキリストを真似て顔に色を塗る皇帝とか。
28世界@名無史さん:02/10/07 00:32
>>19
それ以前に近代化の中心となって世界の大半がビザンツ領に・・・あわわ。
29世界@名無史さん:02/10/07 01:05
ギリシア〜バルカン、トルコ〜ロシアにあたる領域が、まとまりのある正教圏
として、政治的にも繋がりの強い文明圏が残されたろうね。
30世界@名無史さん:02/10/07 01:29
ギリシアが本質的には異文面圏である西欧に寄生することもなかったろうなあ。

ビザンツ時代を黙殺あるいは過小評価されながら、古代ギリシアの必要性だけで
西欧に飼われている今のギリシアの哀れな姿もなかったことだろう。
31世界@名無史さん:02/10/07 01:53
ビザンツ皇帝って、ロシアのツァーリみたいな感じだからね。

ビザンツ帝国のそのものが存続しても、近代に入って共産主義革命で
倒されるような気もするな(笑
32世界@名無史さん:02/10/07 01:54
失われた帝国だから哀れをさそうが、存続してたらそうとう厄介な国だったようね。
33世界@名無史さん:02/10/07 02:10
神聖ローマ帝国が西ローマ帝国の後継者なら、ロシア帝国は東ローマ帝国の
後継者を名乗っていた。2頭鷲の紋章を引き継いでるし。
第三帝国のソ連侵攻は、東ローマを倒したボルシェビキに対する聖戦だと
ナチスのプロパガンダは宣伝していた。
ヨーロッパは、今もローマ帝国を引きずってるよな。アメリカもそうだが。
34世界@名無史さん:02/10/07 02:22
ビザンツ=教皇領
ロシア=神聖ローマ帝国
みたいな感じで推移していくのだろうか。
35世界@名無史さん:02/10/07 02:26
>>34

それは、ビザンツ皇帝が権威だけの存在になり、実際の武力はロシア人に頼る
ようになる、というシナリオ?
36世界@名無史さん:02/10/07 02:42
>>34
スラブ民族がバルカン半島に南下してきて、ビザンチンはローマ教皇と
同じ様な事を画策した。そしてスラブ民族のギリシャ正教改宗に成功。
ここまでは、西ローマが辿った歴史と同じ。いや、それ以上。
が、歴史は皮肉にもイスラム教徒のトルコ民族を勝たせてしまった。。。
37世界@名無史さん:02/10/07 03:20
>>36

そうだね。
トルコ系騎馬民族ブルガール族もギリシア正教化することで最終的に属国化
まで繋げてしまった。

マヌエル1世には、オスマン・トルコをギリシア正教化してしまうことすら
目論んでいたらしい。もしも成功していたら・・・。無理か(w
38世界@名無史さん:02/10/07 03:31
トルコと同じように列強の草刈り場になった上、第一次世界大戦で
革命が起きてアボーンじゃないかな。つまり何もかわらん。
39世界@名無史さん:02/10/07 04:20
>>38

草刈場にされた清、ムガール帝国、オスマン・トルコのうち、トルコは領土のほとんど
を失ったが、清、ムガール帝国についてはそれとほぼ同程度の版図を持つ国家が同じ地
に存在している(主体は同じとは言えないが)

ビザンツ帝国が草刈場になる、というのは非常にイメージしやすいが(笑)、その後、
トルコ的になったか、清、ムガール帝国的になったかは分からないのでは?
40世界@名無史さん:02/10/07 05:53
彼女が、俺の部屋に来た時、本棚に置いている「黄金のビザンチン帝国」を見て叫んだ。

「ビックリした!『黄金のオチンチン帝国』って見えた!」
41世界@名無史さん:02/10/07 06:40
>>40
そんな女とつきあってたのか
42世界@名無史さん:02/10/07 06:57
>>41

それ以降、基本的に「ビザンツ帝国」と言うことにした。
「ビザンチン帝国」でなくて。
43世界@名無史さん:02/10/07 09:21
オタンチン・バレオロガスage
44世界@名無史さん:02/10/07 11:44
毎年西ヨーロッパからコンスタンティノポリスに莫大な数の観光客が来てただろう。
45コンスタンティノス17世:02/10/07 12:56
>44
古代ローマ以来の戦車競争や宮廷儀式のアトラクション
目当てにってか。
そしたら、案外、ビザンツ皇帝は観光客誘致のキャンペーン
に躍起になって金儲けしたかも。旅行会社に依頼して帝国推奨の
パンフまで作らせたりして、客集め
46世界@名無史さん:02/10/07 12:59
ロシアや清朝、他のヨーロッパ諸国同様、20世紀頭に
市民革命が起きて、ビザンツ帝国は倒れてビザンツ共和国か。
皇帝は国外亡命。
47テオドシウス4世:02/10/07 13:08
うわ、知らないうちにいっぱいカキコが入ってる^^ワーイ
おいらも頑張らなくっちゃ!
テオドシウス4世ポルヒュロゲネトス
48テオドシウス4世:02/10/07 13:17
>28
そしたら日本人も「天皇陛下万歳」じゃなくて
「ローマ皇帝○○様、あなたは勝利者!」とか「ローマ皇帝万歳」
って唱えていたかも^^
49テオドシウス4世:02/10/07 13:21
>37>マヌエル1世には、オスマン・トルコをギリシア正教化してしまうことすら
目論んでいたらしい。

改宗は無理だったけど、マヌエル帝は一応ルムセルジュークのスルタンを臣従させていますよね。
もし、マヌエル帝の政策がすべて成功していたら・・・と考えるとちょっとワクワクします。
50【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 14:16
ビザンティン・ギリシャ人(スラヴ系も含む)と
正教化したトルコ人の連合・融合帝国も良いね。

さらに1920年代の革命で「ローマ帝国」から
ビザンティン共和国ないしグリーク&ターキー連合共和国。
51【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 14:20
ハンガリー(マジャル)の正教化も成功させるべし。
52【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 14:34
第一次世界大戦でドイツ側に付き敗戦。
その後、革命が起き帝政崩壊+大帝国崩壊(正教徒になっていても
トルコ語を保持していたアナトリア中部・東部の
トルコ系住民が独立。アルバニア人やブルガリア人や
クルド人や西アルメニア人も)。
1920年代末から30年代初頭に大ギリシャ帝国の
建設を主張する極右・民族主義勢力が台頭し、大統領府と
内閣と議会を制圧(勝利)。ナチス・ドイツと組んで、
敗戦・・・これじゃ哀しいかな。
53世界@名無史さん:02/10/07 14:47
一次大戦で革命解体したら
現イスタンブール周辺のルメリアだけ、
トルコのヨーロッパ側だけでビザンチンが残ったかんじかな。
54世界@名無史さん:02/10/07 14:48
ルメリアにギリシア、も。マケドニアはどうかな。
55世界@名無史さん:02/10/07 15:15
一番の可能性としては、バグダッド・カリフと同様の状態を想像する。

オスマン帝国にローマ皇帝の命脈だけが保証され、宮殿だけが帝国の領土。
その中に軍隊も元老院もギリシア正教の教会も押し込められる。
皇帝の位は、スルタンが推薦し、元老院が承認し、近衛兵の前で宣誓をする。
しかし、皇帝としての仕事はスルタンの取り巻きのひとりとなるだけ。
元老院議員はスルタンが指名し、皇帝が任命する。
軍隊はイェニチェリ隊が兼務する。
ギリシア正教の大司教は、異教徒のスルタンが選ぶのはいくらなんでも、なので信者が選ぶ。
56【^▽^】病人ジョーカー:02/10/07 15:17
現ギリシャ領土+コンスタンティノポリスを含む東トラキアが
ビザンティン共和国領。キプロスとマケドニアと西アナトリアの
一部もかな?
大半のアナトリア(小アジア)はトルコ共和国領とクルド領。
5755:02/10/07 15:17
それとも、オスマン朝ローマ帝国か。
58世界@名無史さん:02/10/07 16:18
武家時代の天皇&バグダッドのカリフ&ビザンツのローマ皇帝
この3者、似てる。
実権はなくしたが権威と形だけは
中世以降(カリフだけは10世紀以降)も続いたという点で。
でも、ビザンツ皇帝は一文無しの天皇やカリフとちがって、古代ローマ
には及ばないけど、それなりの軍事力と領土は持っていたけど・・・
59ニケフォロス・フォーカス:02/10/07 16:25
まあ、ビザンツ(ローマ帝国)は古代には全地中海世界
の支配者だったけど、中世以後は世界支配者から一国家
に実質的に転落したけど、名目上は、全キリスト世界を支配する
ローマ皇帝でありつづけたわけだから、日本天皇(=日本の名目上最高権力者)や
カリフ(=名目上全イスラム世界の支配者)と十分、共通点ある。
60コンスタンティノス7世:02/10/07 16:33
>58,59
おお、そう考えると、中世のヨーロッパ世界(地中海世界)は
鎌倉以後の日本やブワイフ朝登場以後のイスラム世界と極めて
性質がよく似ているじゃん。
3者とも古代には権威も実力もバリバリ支配者だけど、中世には
権威はあっても実力はかつてとは比べ物ならないくらい
落ちぶれている。
うわっ、すごいマッチしてる!
61世界@名無史さん:02/10/07 16:52
トレビゾンド帝国がイスラム化し、オスマン・トルコ帝国の一藩鎮として存続する。
やがてオスマン帝国の衰退とともに自立してギリシア正教の分派トレビゾンド正教を国教とする。
黒海沿岸を次第に征服し、第三のローマをモスクワと争う・・・・・・・なーんてね。
62コンスタンティノス7世:02/10/07 17:35
>55
もし、最後のローマ皇帝コンスタンティノス11世が徹底抗戦
を避けて、メフメット2世の降伏勧告に応じていたら、55のいう
シナリオに近い状態も有り得たかも。
メフメットはコンスタンティノスに、降伏すればモレアに領土を
安堵したうえに王位の存続も認めると勧告したから。
63世界@名無史さん:02/10/07 17:42
だがコンスタンティノスの最後もカコイイから
それはそれで良い。
64世界@名無史さん:02/10/07 17:44
ローマ帝国が滅びずに現在まで存続するための条件として、
@マヌエル1世死後も破滅せずコムネノス朝のもとで順調に国力拡大したならずっと存続したかも。
A、@がたとえダメでもパライオロゴス朝のもとで、もっと勢力回復すればトルコに征服されることなく存続した。

うーん、どうだろう。
65世界@名無史さん:02/10/07 17:50
>63
コンスタンティノス11世みたいな人が1453年ではなく
1025年のバシレイオス2世の跡を継いでいたらどうなっていただろう。
そう思うと惜しまれてならない。くそぉ、ゾエのバカ女め〜。
66世界@名無史さん:02/10/07 18:01
>>64
でも成長期のオスマン帝国の力は圧倒的だったからなあ・・・・
67世界@名無史さん:02/10/07 18:06
>>66
だね。ティムール帝国くらいの国力が無いと一気に呑み込まれると思うね。
1200年以降のビザンツじゃちょっとやそっと勢力を拡大しても
藩属国としてかろうじて存続を許されるのがやっとでは。
6867:02/10/07 18:08
ティムール時代のティムール帝国ね。
69世界@名無史さん:02/10/07 18:09
ローマでは何度も王朝が交代してるんだから
もし、トルコに対してキリスト教の布教が成功してたら
パライオロゴス朝がオスマン朝に交代したというだけのことで終わっただろう。
70世界@名無史さん:02/10/07 18:11
ローマでは何度も王朝が交代してるんだから
もし、トルコに対してキリスト教の布教が成功してたら
パライオロゴス朝がオスマン朝に交代したというだけのことで終わっただろう。

その場合、オスマン朝の君主がスルタン-カリフではなく、ローマ皇帝になるわけだ。

これが一番現実的なローマ存続シナリオだろう。
71世界@名無史さん:02/10/07 18:17
>>770
でもその場合ロシアのツァーリや神聖ローマ帝国皇帝やカール大帝の西ローマ帝国
みたいに限りなく胡散臭くなるぞ。
もはや正統なローマとは言えなくなるようになってしまうと思うんだが。
72世界@名無史さん:02/10/07 18:21
>>71
確かにその通りだがそんなこと言い出したら元々ギリシア人だってローマ市民ではなかったんだから大差ないよ。
ロシア人やゲルマン人やトルコ人よりもギリシア人の方がほんの1000年ばかり先輩だったというだけのことでしょ。
73世界@名無史さん:02/10/07 18:49
>66〜70
だとするとパライオロゴスよりずっと前にもっと
何とかなるべきだったわけだ。
1025年のバシレイオス以降もストップせず勢力拡大
しつづけて1071年のマンツィケルトの戦いにも勝利して
トルコ人をメソポタミアで食い止めてしまうべきだった。
74世界@名無史さん:02/10/07 23:42
このスレの条件になるとWWI・WWIどころかへたすると30年戦争すら発生しなかった気がするのだが・・・I
75世界@名無史さん:02/10/08 00:04
イスタンブールの片隅でバカチン市国を名乗り
観光収入で生き延びる・・・・・・・
76オスマン・ベイ:02/10/08 04:18
ビサンツがイスラム化するシナリオは考えられないだろうか?
77世界@名無史さん:02/10/08 14:13
イコノクラスムの原因とその推移について知りたいんだけど
なにか日本語訳された文献はないですかねぇ?
百科事典やら、ネットでぐぐってみてもよく分らん。
教えて君でスマソ!
78世界@名無史さん:02/10/08 17:32
結局のところ、ビザンツ帝国がもし現在も存在していたら
誰が一番良い思いをして、誰が一番損するのか考えてみよう。
79世界@名無史さん:02/10/08 17:47
ビザンツ帝国安泰→大量の学者、イタリアに亡命せず→ルネサンス不発!→宗教改革不発!
→プロテスタント消失?!→とりあえず凄い事なりそう。
80世界@名無史さん:02/10/08 18:49
ギリシャ人やトルコ人はどうなっていただろうか
81世界@名無史さん:02/10/08 23:10
>67
もう少しビザンチン帝国に国力があったら、ティムールに玉砕されたオスマン・トルコ
を打ち破ることが出来たかも。そしたら1453年以降の存続も夢じゃなかった。
82世界@名無史さん:02/10/08 23:13
誰か、ビザンチンがパラエオログス朝以降に再び勢力を盛り返して地中海
の大国に成長して、さらに古代の栄光を取り戻すってシナリオ考えてシミュレーションしてみて
83テオドシウス4世:02/10/08 23:17
バシリウス2世以後も、もっと有能な皇帝が出て衰退せずに
そのまま順調に国力増大していたら、イタリア半島の中北部
にまで領土拡大したかも。中近東ではファーチマ朝を破って
シリアからさらに南下したかも。
84世界@名無史さん:02/10/08 23:19
>79
今ある意味でのプロテスタントがなくなったとしても、別の誰かが宗教改革に類することをするだけだと思うが。
85世界@名無史さん:02/10/08 23:22
バシレイオス2世の頃の東ローマ帝国は、
ヨーロッパ世界&中近東では最強だったんだろうか?
86世界@名無史さん:02/10/09 00:43
>>79
オーソドックスの中からプロテスタントが現れていたかもな。
で、オーソドックスのお膝元ビザンツが新大陸発見→植民地化
87世界@名無史さん:02/10/09 00:51
>>86

ビザンツ帝国の位置は、地中海貿易、インド洋経由あるいは中央アジア経由の
灯台交易のそれぞれの大要所。

たとえ正教からプロテスタントが生まれ、正教本体が新しい布教の地を探した
いと思ったとしても、新大陸に行ったとは思えんな。

経済的モチベーションが足りないよ。

88世界@名無史さん:02/10/09 00:56
活版印刷は教会による言論統制を弱め、後の近代科学(コペルニクス・ガリレオ等)
を惹起したと考えられる。
ビザンツが滅亡しなければ、活版印刷のヨーロッパでの発明はあり得たか?
89世界@名無史さん:02/10/09 00:59
>>85
>バシレイオス2世の頃の東ローマ帝国は、
>ヨーロッパ世界&中近東では最強だったんだろうか?

あの頃のイスラム圏は混乱してたし、まだトルコ人たちも登場する前。
最強とは言えなくとも、ビザンツ側はイスラム側を恐れていなかったん
じゃないか。

バシレイオス2世の2代前のニケフォロス2世はカリフあてに、「朕は
全東方世界、全西方世界をするだろう」っていう宣言文を送っているく
らいだからね。

西欧の方はどうだろう?
少なくともニケフォロス2世の頃は、オットー1世のことは全く恐れて
いないのは、リュートプラントへの対応で分かる。
90世界@名無史さん:02/10/09 01:04
>>88

活版印刷の発明とビザンツ滅亡って関係あったの?
91世界@名無史さん:02/10/09 01:08
ビザンツ帝国がパラエオログス王朝時代の最初の3代の皇帝時代程度の
国力を保って存続していたとしたら・・・

ビザンツに産業革命はありえたか?
ビザンツに市民革命はありえたか?

これは面白いテーマだな。
92世界@名無史さん:02/10/09 01:13
ビザンツ滅亡→ルネッサンス→識字率とコンテンツの激増→活版印刷を活用できる下地
かな?>90
93世界@名無史さん:02/10/09 01:19
>87
そうだねー。
それに、どの国が新大陸を発見しようと、発見以降世界経済の中心が地中海から西欧北部に移動していくのは不可避。
ヴェネツィアやジェノヴァでさえその流れを押しとどめることはできなかったんだから、
ビザンツにどれほどの国力があろうとその流れを押しとどめることは無理なんじゃないかな。

94世界@名無史さん:02/10/09 01:24
>>92
>ビザンツ滅亡→ルネッサンス→識字率とコンテンツの激増→活版印刷を活用できる下地
>かな?

自説?
それとも提唱者が別にいる。

個人的には、コンテンツ増加による「活版印刷を活用できる下地」は活版印刷発明の説明には
不十分な気がする。コンテンツが増加した時代はなにもルネサンスだけじゃないだろうから
95世界@名無史さん:02/10/09 01:27
92
素人の自説です。ごめん>94
96世界@名無史さん:02/10/09 01:32
>92
ビザンツが滅亡しなかったらしないで、ビザンツの文化の中で培われた知識がルネサンス相応の
コンテンツを生み出すはずでは。

>94氏にも聞きたいんだけど、蓄積された知識の総量がある臨界点を突破したのがたまたまその時代だった、というアナール学派的な解釈はどう?
97世界@名無史さん:02/10/09 01:32
>>95

いや、くさしたつもりはないんだ。
面白い発想だと思うし。

ただ、自説か、他に提唱者のいる説かを明記しておいてもらえると助かるというだけ。
自説であることを明記すれば、ガンガン自説を主張してよいと思うよ。
98世界@名無史さん:02/10/09 01:36
可動活字は線文字Aの時代の古代ギリシャでも発明されたと聞く。
それが後世に残らなかったのは識字率の低さゆえであったろうと
考えられてるらしい。需要の無いところにオーパーツのように
供給が出現しても、すぐに忘れ去られると言うわけど。
99世界@名無史さん:02/10/09 01:39
>>96
>蓄積された知識の総量がある臨界点を突破したのがたまたまその時代だった、というアナール学派的な解釈はどう?

個人的には非常に説得力を感じる。
西欧には12世紀ルネサンスがあったわけだけど、いわゆる「ルネサンス」に達するのに時間がかかったのは、蓄積が足
りなかったのだと考えれば納得がいくから。
100世界@名無史さん:02/10/09 01:39
88=92=95=98 です。
私をキリスト教に勧誘する友人がいるので気になってるんです。
なぜ西欧文明が経済力・軍事力・文化的影響力ともに最強になったのか。
なぜ西欧文明はキリスト教に洗脳されたのか。
101世界@名無史さん:02/10/09 01:39
>98
グーテンベルグが歴史に名を残したのは、たまたま
彼による活版印刷の(史上幾度目かの)「再発明」が
宗教改革という政治的事件とほぼ同時に起きたからに過ぎない、と。

まあそれを言ったら宗教改革すら「たまたま」に過ぎないわけだけど。
102100先生の亡霊:02/10/09 01:44
100です。別スレでの名を流用します。

>101
印刷技術が手に入る状況下でなかったら宗教改革とコペルニクス革命は
成功しなかったと思ってます。グーテンベルグ前に宗教改革側(や、地動論者)
が大きい勢力を持つことは不可能だと思うのです。
103世界@名無史さん:02/10/09 01:46
>>100
>なぜ西欧文明が経済力・軍事力・文化的影響力ともに最強になったのか

近代の諸革命を経ることなく、経済力・軍事力に最強となることなどなかった
キリスト教圏もあったことを考えると、なにかヒントが得られそうだね。
104世界@名無史さん:02/10/09 01:48
>>102

ちょっとスレ趣旨からずれそうな気配(w
105 :02/10/09 01:58
>>100

>なぜ西欧文明が経済力・軍事力・文化的影響力ともに最強になったのか。
>なぜ西欧文明はキリスト教に洗脳されたのか。

西欧が世界で最強の文化圏になった時代と、西欧がキリスト教を受け入れた
時代は1000年以上ずれがあるから、その問いかけはちょっと違うかもよ。

西欧の近代における躍進はキリスト教の克服に追う部分が大なわけだしね。
106世界@名無史さん:02/10/09 02:00
スレ趣旨からはずれてすみませn>1

西欧文明が最強に成ったのはなぜか。
それは新大陸を征服し得る位置に、多数の国に分かれて競争し合って存在していたからだと
私は思う。
107世界@名無史さん:02/10/09 02:02
93=96=101でつ。

>102
宗教改革側が大きい勢力を持った、ということではないと思います。
新大陸からの富を得て大きな勢力を持ったアムステルダム商人が、
ヴェネツィア・ジェノヴァら旧勢力(カトリック含む)と対抗していくために、
新興勢力同士新教と手を組んだ、というのが正しい見方なのではないかと。

おそらく何度もあったであろうカトリック改革運動のうち、ルターやカルヴァンだけが
成功を収めたのも、これが理由…つまり
「経済のうねりと偶然タイミングが合ったから」ということにすぎないのでわ?
108アナールマンセー:02/10/09 02:04
ちなみに>107はブローデルの受け売りに過ぎないわけですが(笑
109100先生の亡霊:02/10/09 02:12
106書いたの私です。
>107
なぜオランダが新大陸の富で儲ける事が出来たのでしょうか?
スペイン本土の商人が儲けるのなら話がわかります。
新大陸で一旗挙げた人や、大西洋を横断する貿易商が儲けるのもわかります。
でもどうしてアムステルダムで儲ける事ができたのでしょうか?
110アナールマンセー:02/10/09 02:33
>109
1)新大陸発見当時、オランダはスペイン領だった
2)オランダにはハンザ同盟により、スペイン本土よりも優秀な商人が集まっていた
3)地中海の商人たちは地中海貿易を独占して莫大な利益を上げていたために、
新大陸との交易には比較的熱心ではなかった
4)アムステルダムは天然の良港であり、また大西洋の向こうからやってくる
物品をヨーロッパ全土に回送するにあたって絶好の位置にあった

こうした理由からアムステルダムは新大陸-西欧間の貿易センターとしての地位を確立することに成功したわけで。
一旦そうなれば、資本というのは自然と集積していくものじゃないでしょーか?
111100先生の亡霊:02/10/09 02:39
ありがとうございmす。
アナール派とは、どのような学派なのですか?
112 :02/10/09 02:47
モルッカ諸島そのものをオランダに押さえられてしまう前は、
インド洋→中東上陸→地中海ルートの香辛料貿易はまだまだ盛んだった。

それを考えると、ビザンツが新大陸にいったことはなかったと思うな。
オスマン・トルコがそうだったように。
113世界@名無史さん:02/10/09 08:36
>112
そうですね。それゆえ、地中海の交易都市は15〜16世紀あたりを頂点に、世界経済の中心の座を
オランダやイギリスに譲ることになってしまったんでしょう。
114世界@名無史さん:02/10/09 10:03
>112
たとえ、ビザンツが滅びずに存続したとしても、単にオスマン・トルコ
の代役を演じただけだろう、ってことですな。
115世界@名無史さん:02/10/09 10:36
>>111 アナール派とは、どのような学派なのですか?


     *    


116世界@名無史さん:02/10/09 10:46
>115
ベタネタ・下ネタ禁止。
117おしえて:02/10/09 12:05
結局のところ、ビザンチン帝国って強い国だったのか、弱い国だったのかどっちだ?
よくわからん。
118世界@名無史さん:02/10/09 12:46
戦わないように持ち込めれば強い国
119世界@名無史さん:02/10/09 12:51
「ビザンチン帝国」はヨーロッパ人の言い方だから
ビザンチン帝国がもっと強盛で存続していたら
我々が「ビザンチン帝国」なんて言うこともなかったはず。
120世界@名無史さん:02/10/09 14:20
>119
もし、存続してたら何て呼んでいたんだろうか。
121世界@名無史さん:02/10/09 14:29
>120
もちろん「ローマ帝国」
122世界@名無史さん:02/10/09 14:34
マヌエル二世がヨーロッパに行ったときにヨーロッパ人から「ギリシア皇帝」と呼ばれても特に抗議しなかった。
すでにローマと呼べる存在ではないことを自覚してたんだろう。

数年前に李登輝がシンガポールで「台湾総統」と呼ばれたのに抗議しなかったという事件があったけど、
マヌエル二世の故事を思い出したよ。

123世界@名無史さん:02/10/09 14:38
まあ中華民国総統より台湾総統の方がイメージははるかに良いわけだが
124皆はどう思いますか:02/10/09 15:02
質問
1.西暦600年時点では、東ローマ帝国はヨーロッパ最強の
国でしたか。

2.西暦800年時点、つまりカール大帝時代のフランク王国
と東ローマ帝国はどちらが強いですか。
3.西暦1000年時点の神聖ローマ帝国と東ローマ帝国は
どっちが強いですか。
4.西暦1150年時点では、神聖ローマ帝国と東ローマ帝国は
どっちが強いですか。

5.西欧では5世紀頃に終わった古代的な世界は、東ローマでは
ずっと長い間続いたということですか。


125世界@名無史さん:02/10/09 15:21
>>124
1.その通り
2.フランク王国>>>>東ローマ帝国
3.東ローマ王国>>>>>>>>>>>>フランク王国
4.神聖ローマ帝国>>>>>東ローマ帝国
5.知らん
126世界@名無史さん:02/10/09 15:39
5.そういうこともなくて、首都がコンスタンティノーポリに移った時点で
すでに文化的変質は始まってしまっておりますです。
残ってるのは名前だけですな。

だから近年(といっても結構前からだけど)は、
「東ローマ帝国」より実態に即した「ビザンツ帝国」という呼称を
使うのが正しい、という主張がされてます。
同じような理由で、「オスマントルコ」も「オスマン帝国」。
127世界@名無史さん:02/10/09 15:40
これって本当か?

↓ ↓ ↓
http://www.dream-express-web.com/space-trust.htm
128世界@名無史さん:02/10/09 15:42
>127氏ね
129世界@名無史さん:02/10/09 16:39
>>>124
1 ビザンツ。というか対抗馬がいない。
2 積極的外征策を取るフランクとブルガール人に悩むビザンツで同点
3 おそらくビザンツが最強勢力だった最後の時期
4 貴族が勝手にやりだしたりトルコ人に悩むビザンツよりも神聖ローマ帝国。
  というかシュタウフェン家
5 「古代的」というのがラテン文化を指すのなら間違いだが、
  オリエント的文化を指すならあながち間違いでもないと思う。
130129:02/10/09 16:46
訂正
オリエント的文化

イスラム以前の古代オリエント文化
131世界@名無史さん:02/10/09 17:33
>125
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と東ローマ皇帝マヌエル1世
がもし全面戦争していたら、1204年よりも50年早く東ローマ
は西欧に征服されていたということですな。

>129
西暦1000年頃までずっとビザンツがヨーロッパの最強勢力だった?

132世界@名無史さん:02/10/09 17:36
カトリックとは別の文明世界を築いたビザンツは
西欧と同じヨーロッパと言ってよいものか微妙じゃない?
地理的にはもちろんヨーロッパなのだが…。
133世界@名無しさん:02/10/09 17:36
世界最強の精鋭軍がアメリカのネイビー・シールズとデルタ・フォースでなくカタフラクト軍団とワリアギ親衛隊になってた。
134世界@名無史さん:02/10/09 18:21
>132
じゃあ、ビザンツ>西欧諸国?
135世界@名無史さん:02/10/09 18:26
>133
古代ローマの歩兵軍団は地中海を征服し、
ビザンツのカタフラクトは1000年の命脈を維持させた?

古代ローマは太く短く、中世ビザンツは細いが長く、ってことで
どちらもバイタリティは超ド級だった?
だから、ローマ帝国は古代でも中世でも偉かったってこと?
136世界@名無史さん:02/10/09 18:33
ビザンツ・専制君主制になって身分の固定化に伴って
社会の活力も低下したはずだが、
なのになんであんなに何度も死の淵から這い上がってこれたのだろうか。
ひたすらローマであるという意地でか?
137世界@名無史さん:02/10/09 18:39
>136
それにはカタフラクトとギリシア火も一役かってる
138世界@名無史さん:02/10/09 21:32
>>136
要は周りの文明レベルが後退していったのに、ローマはローマの文明水準を
維持していたからではないか?
WW2にタイムスリップした海自のイージス艦が、当時のアメリカ艦隊相手に一
隻で勝利してしまうようなもん。(我ながら悪いたとえだ……)
共和国以来の千年以上の戦術の蓄積と装備の充実、そして外交の妙カナ?
139世界@名無史さん:02/10/10 00:11
>111
大雑把な解説で間違ってるかもしれませんが…アナール派総帥のブローデルは
歴史的事象を時間に応じて「短期持続」「中期持続」「長期持続」の3段階に区分し、
「長期持続」=人間の物質生活に根ざした「構造」と
「中期持続」=経済的な景気循環が主に歴史を動かしてきた、と主張しています。

ちなみに、この見方からすると、国の滅亡のような歴史的事件=「短期持続」はたいていの場合
深部にある「長期持続」が偶然そのような形であらわれただけ、ということになるので、
あまり必然性がないことになります。
140 :02/10/10 01:40
>>136
>ビザンツ・専制君主制になって身分の固定化に伴って
>社会の活力も低下したはずだが、

それは間違い。
ビザンツ帝国内は職業に関しては自由だよ。
どんな身分に生まれても王妃なるチャンスはったし、官僚になるチャンスも、将軍
になるチャンスもあった。

身分は全く固定されていなかったんだよ
141 :02/10/10 01:43
>>132
>カトリックとは別の文明世界を築いたビザンツは
>西欧と同じヨーロッパと言ってよいものか微妙じゃない?
>地理的にはもちろんヨーロッパなのだが…。

ビザンツはバルカン半島からロシアにかけての広大な正教圏の中心だった
と見ることが出来るよ。西ヨーロッパ・カトリック圏とは別の文明圏だと
言った方が正確だと思われる。

サミュエル・ハンチントン(彼がドキュソかどうかという議論はとりあえず
おいておいて)も、正教圏を西欧とは別の文明圏としている。
142世界@名無史さん:02/10/10 01:49
ビザンツ帝国が受け継いだローマの伝統とは、
・共和制ローマ時代の伝統でもないし、
・元首制時代のローマ帝国の伝統でもない

ビザンツ帝国が受け継いだローマの伝統とは、
ディオクレティアヌス、コンスタンティヌス、テオドシウスを経て、共和制ローマとも
元首制ローマ帝国とも全く別の国家となった4世紀の末期ローマ帝国の国制であり、文
化であるのだ。

もっとも、それすら建前で、実際にはどんどん変質していっているが・・・
143世界@名無史さん:02/10/10 02:00
ローマから引き継いだ伝統?
都市国家ってことだろ。なんせ領土がコンスタンティノポリス1市だけなんだから。
144世界@名無史さん:02/10/10 02:02
>>143

それは最後の100年間のことよ。
11世紀までのビザンツ帝国は間違いなく領土型国家。
国家財政の大半は農業課税。
145世界@名無史さん:02/10/10 02:04
ビザンツ帝国って、主体はギリシア人で、国制はディオクレティアヌス帝以降の
オリエント的な専制、文化はオリエント起源の宗教キリスト教・・・

ギリシア人のヘレニズム諸王朝への先祖がえりのようにも思えてしまう。
146世界@名無史さん:02/10/10 02:16
>>138
>共和国以来の千年以上の戦術の蓄積と装備の充実

カタフラクトに、「共和国以来の千年以上の戦術の蓄積と装備の充実」の影響
って見られるのか?
147世界@名無史さん:02/10/10 02:55
>146
千年以上の怠慢と停滞…
148世界@名無史さん:02/10/10 07:49
>>147
>千年以上の怠慢と停滞…

それの評価自体がギボンの言いなりで、怠慢だし、停滞しているかもよ。

1000年間の間、政治的にはさまざまな国制が試されたし、女性の権利を拡大する法整備も
ローマ帝国時代をはるかに凌駕する規模で成し遂げられた。

軍制にみられるテマ制、カタフラクトもビザンツ帝国になってからの発明だ。

後期には、初期のジオットたのイタリアルネサンス絵画のレベルを超えた写実性
を持つフレスコ画、モザイク画が描かれた。

ビザンツ帝国は「ローマ帝国」という建前にはしがみ付いたけど、中身はずっと停
滞していたわけではないよ。
149日本@名無史さん:02/10/10 09:04
デビ夫人がビザンチン皇室慈善舞踏会で儲けるのが難しくなるね。
150世界@名無史さん:02/10/10 09:29
>>148
台湾は「中華民国」という建前は堅持しつつも大きく進歩した。
蒋介石時代の圧政と、国民党が野党になってしまう今とでは隔世の感がある。

どうもコンスタンティノープルのローマと台湾の中華民国が二重写しに見えてしまいます。


台湾では外蒙古、バルハシ湖、アムール河口まで版図に入れた広大で妄想的な「中華民國地圖」を使ってる。
もしかして、コンスタンティノープルでもブリタニア、ゲルマニア、イベリア、エジプトまで入った妄想的なローマ帝国地図を使ってたのだろうか?
151136:02/10/10 09:46
>>137、138
なるほど。わかりやすい説明だ。
>>140
そうなのか。コンスタンティヌス1世の改革からずっとそのままだと思ってた。
専制君主制というイメージもあいまってね。
いつ職業選択の自由が回復されたんだろうか。
コンスタンティヌスの改革は徹底してなくて自然に回復されたとか?
152世界@名無史さん:02/10/10 09:47
っていうか、ローマでは力さえあれば誰でも皇帝にすらなれますな。
異民族の皇帝も珍しくない。
153世界@名無史さん:02/10/10 09:51
ビザンツ帝国の初代皇帝ってディオクレティアヌス?それともコンスタンティヌス?
>>150
おそらくビザンツの事だから使っていただろう(w
154世界@名無史さん:02/10/10 09:57
>>153
初代皇帝はアウグストゥスですよ。
コンスタンティノープルのローマを「ビザンツ」と呼んでローマと別扱いするのは西欧人の勝手な区分でしかありません。

強いて言えばコンスタンティノープルを建都したコンスタンティヌスでしょうね。
155世界@名無史さん:02/10/10 10:00
ローマ→ビザンツと
ビザンツ→キエフ公国とでは
連続性が全然違うよね
156世界@名無史さん:02/10/10 10:02
>>154
でもそれを言うなら当時の建前じゃアウグストゥスはあくまで市民の第一人者だし
政治体制もディオクレティアヌス以前までは共和制だったんじゃ?
157世界@名無史さん:02/10/10 10:13
これって本当か?

↓ ↓ ↓
http://www.dream-express-web.com/space-trust.htm
158世界@名無史さん:02/10/10 10:16
>>157はクソ広告
159138:02/10/10 13:09
>>146
もしかして「AOK」でしかビザンツのことを知らないのでは?
「東ローマ」時代には、単調な攻撃とシンプルな装備しかないゲルマン人
をまさに「戦術」と「装備」で撃退してきている。
544年のタギネーの会戦なんかはその典型だけど、あれはまさに「千年
以上の戦術」の成果でしょう。
まして「ローマ化」されていなかった頃のスラブやブルガール人相手では……
「ビザンツ帝国」化した後も、戦術論を著した皇帝もいるし、卓絶した戦術
は健在だった。カタクラフトなんかも産みだしているし、停滞しているとは
思えないな。
160世界@名無史さん:02/10/10 16:14
ビザンツが滅びなかったら、ルネサンスに少なからず影響あり。
現代まで存続しえたとしたら、英・仏などとはまた別に「共和制の伝統」
とかいう面を強調して、民主主義の元祖的な顔をしていたかも。
あ、もちろん古代の伝統の確認、という理屈で帝制から立憲君主制への転
換が上手にできたらの話。
161テオドシウス4世:02/10/10 16:30
カタフラクトは古代ローマの軍制をベースに、ササン朝の重曹騎馬弓軍と
フン族など大移動時代に姿を現した騎馬民族の特長をうまく取り入れて
開発された新軍団。質的には古代ローマ軍団をさらに強化・昇華させた軍団
だったらしい。6世紀のユスティニアヌス帝の時代には既にカタフラクト軍団が存在していた。
まさに、初期のビザンチンは敵から柔軟に戦術を学んだわけですな。
ちなみにビザンチン軍はイスラムや他の国に比べて正規軍団員の絶対数が実は少なく(7世紀以降ずっと)、
このカタフラクトやギリシア火を使って自国軍の十倍ほどの大軍を何度も何度も
打ち破っていたらしいです。数で不利な分、戦術でブルガリアやイスラムを破ってきたわけですな。
やっぱり千年生き延びるには、それなりの努力・工夫をしたわけですな。

162世界@名無史さん:02/10/10 16:31
>160
興味深い
163教えて教えて:02/10/10 16:39
>152に関連して
ゲルマン人や蛮族出身の古代ローマ皇帝とか東ローマ皇帝って
居るんでしょうか?居たら教えてください。
(もちろん、フランク=西ローマ皇帝カール1世とか神聖ローマ皇帝などはNGですよ)
164世界@名無史さん:02/10/10 16:39
コンスタンティノープルに対する地上からの攻撃は例の城壁を頼みに専守防衛で防ぎきる。
攻撃は海軍頼み。

海からの攻撃は金角湾封鎖で対処。
165世界@名無史さん:02/10/10 17:04
>海からの攻撃は金角湾封鎖で対処。

したつもりが(略
166138:02/10/10 19:12
>>163
数が多すぎて……だいたいこれはラテン人以外という意味かしらん?
そうなると、ビザンツ皇帝の殆どが異民族なんですが。

まあもっとも格好良い(?)エピソードは、やはりマケドニア朝のバシレイオス
1世かしら。
マケドニア人とかいっているけど、実は今何かと話題のアルメニア人だし。
そもそも、このヒトは鬼のような力が皇帝の目に留まってビザンツ人になり、
皇帝の「お馬番」から皇帝に上り詰めるという秀吉も真っ青な「成り上がり」。
このヒトの起こしたマケドニア朝がしかし、ビザンツの最盛期を興すのだから
ローマは新しい血によって強くなる伝統が生きてますな。
167世界@名無史さん:02/10/10 20:08
>>160
というよりも、歴史に類を見ないほどの超官僚的国家が出現していたのでは?
そもそもソ連のあの官僚主義は、正教とともにあのビザンチンが元祖だとも
言われているくらいだし・・・。
168163:02/10/10 20:59
ゲルマン人出身の古代ローマ皇帝・東ローマ皇帝って居ますか?
居たら教えてください
169世界@名無史さん:02/10/11 01:07
>>168

ゲルマン人の高官や将軍はいました。
アラブ人の皇帝もいました。

でも、ゲルマン人の皇帝はいなかったはずです。
170世界@名無史さん:02/10/11 01:26
>>151
>コンスタンティヌス1世の改革からずっとそのままだと思ってた。
>専制君主制というイメージもあいまってね。

ビザンツ帝国内の職業の自由の現状について。

12世紀のビザンツ人、テオドロス・プロドロモスの詩にこんなのがある。

 息子よ、私の言葉に耳を傾けなさい
 お前がよりよい道を探して生きられるように
 というのもこの世の人生には多くの道が分かれており、
 そのうちから、お前は一つを選ぶのだから
 何を選ぶかについて、よくお聞き

職業選択にそれなりの自由があったことが伺える。
171世界@名無史さん:02/10/11 01:29
プロドロモスの詩の他の一節をみると、

 この浮浪者は、汚れたズック地のマントを持っており、
 冬でも夏でもそれをまとっていた
 ところが今やご覧、彼はピカピカに光り輝き、
 首は太く、体にぴったりの絹の下着をつけている
 彼は学んでいた頃には自分の紙をとかすこともなかったが、
 今ではきれいに髪をすき、豊かに髪を整えている
 (中略)
 老いた父のこの言葉には従いなさい
 学問を学べ。
 そうすればお前も手にするだろう

貧しいものでも、学問によって高級官僚になる道が開かれたことが伺える
172世界@名無史さん:02/10/11 01:35
12世紀のイギリス人ウォルター・マップは、「宮廷閑話集」の中で、

身分の高い女性に恋をしたコンスタンチノープルの靴屋の青年が、全
財産をなげうって軍隊に入り、将軍にまでなりあがった物語を紹介し
ている。

職業が固定していた西欧人からすると、ビザンツのそうした職業選択の
ある程度の自由さが珍しかったために生まれた物語だと言われている。
173世界@名無史さん:02/10/11 01:37
>>165
>>海からの攻撃は金角湾封鎖で対処。
>したつもりが(略

金角湾封鎖って、メフメト2世には破られたけど、それまで1000年間はずっと
有効な戦術だったらしいよ。
174世界@名無史さん:02/10/11 01:44
マケドニア朝末期、帝国直属の重装騎兵が衰退した時、
「軍人にならずに、弁護士や官僚になるものが増えた」
と嘆いた年代記作家がいたはず。

軍人になるか、官僚になるか、弁護士になるか、を選べたということ。
175世界@名無史さん:02/10/11 02:00
職業まで固定された身分制社会なんて意外に少ない。
印度のカースト制は職業固定だけどそんな身分制はむしろ例外。
別にビザンツが特別なのではなくカースト制的な身分制度の方が例外だ。

古代のエジプトにも「書記になれ、書記になれば何事も有利で良い暮らしができるぞ」と奨める歌があった。
176世界@名無史さん:02/10/11 02:00
この時代に弁護士がいたっつーのは凄いな。。。

第四回十字軍が陰謀で占領しなければ、現代まで存続したかもね。
メフメト二世は、孤立した瀕死の要塞都市を落としただけだろ。
177世界@名無史さん:02/10/11 02:08
>>176
メフメト2世が滅ぼしたのは「一つの文明」だよ。
衰退していたとはいえ、あそこに至るまでのバライオロゴス朝の人々
の苦闘をそんな言葉で片づけて欲しくないな……

とはいえ、確かにあの帝国が存続する為には第4回十字軍は起きては
ならないイベントではある。
エンリケ・ダンドロが存在しない世界にしないと駄目か。
178世界@名無史さん:02/10/11 02:16
やはり存続の鍵は手を差しのばし(利用し)てくれそうな
イタリア諸都市と教皇か。

さらに、オスマン朝は完全にティムールによって滅亡し、かつそのほかの
東の国々が何らかの理由でコンスタンティノープルに手を出せない状況が
必要かしら。

そして、その幸運な状況を活かす有能な皇帝が必要なんだけど、やはり
ヘラクレイオス級の才能が要るな〜。
179世界@名無史さん:02/10/11 02:18
>>178
>やはり存続の鍵は手を差しのばし(利用し)てくれそうな
>イタリア諸都市と教皇か。

その勢力に反ビザンツ心情をいだかせたマルエル1世の国際戦略ってのは
あやはり失敗だったんだろうね。
180世界@名無史さん:02/10/11 02:20
>>178
たとえオスマンがティムールに滅ぼされても
力だけでコンスタンティノープルを守れるほどの国力は無かっただろうから
やはり巧みな外交、政略でやっていくしかないだろうね。
そうなると皇帝は優秀な人物でなければならない。
暗君が出たらおしまい。
181世界@名無史さん:02/10/11 02:32
>>177
15世紀以降の脅威は、オスマン・トルコだけ。同じバルカン半島のドゥブログニク
は、貢納で生き延びた。コンスタンチノープルも、1000年に渡って蓄えた膨大な量の
富をラテン帝国に持ち去られなければ、オスマン帝国に対する貢納と都市防衛の傭兵
で生き延びられたと思う。
コンスタンチノープル陥落前、ビザンチン帝国からの援軍の要請を西欧諸国が断った
理由が、ギリシャ正教を捨てなかったからと歴史書には書いてある。が、これは当時の
人間が考えた建前で、援軍に対して出せる報酬がビザンチン帝国に殆ど残ってなかった
と考える方が自然。
>>178
だから、ビザンチンと滅ぼしたのはそのイタリア諸都市とローマ教皇。
182世界@名無史さん:02/10/11 02:41
>>181
>援軍に対して出せる報酬がビザンチン帝国に殆ど残ってなかった
>と考える方が自然。

説得力ある。
ドゥブログニクとの対比が鮮やか。

ついでに言えば、アレクシオス1世がベネチアに与えた特権により、コンスタンチノ
ープルを押さえているだけではそれ以前のような税収がなくなったことも遠因になっ
ているだろうね。

とはいえ、アレクシオス1世の2代の後のマヌエル1世の頃までは、傭兵でイタリア
征服を狙えるだけの富があったのだが。
183世界@名無史さん:02/10/11 02:47
>>181

ラテン帝国前後で、ビザンツ帝国内の富のストックがなくなったというよりは、
富のフローがなくなった、という説明はうまく出来ないかな?
もしもビザンツ帝国の富がストックでしかないなら、結局それを食いつぶすの
は時間の問題となってしまう。ラテン帝国に関係なく。

富のフローの減少は、ヴェネチアへの特権認可で説明できそうだけど、ヴェネ
チアへの取引特権を与えて以降も、ビザンツ帝国にはそうとう資金はあった様子。

富のフローを減少させた原因は何か?
184世界@名無史さん:02/10/11 02:55
アナトリア領の喪失による農業後背地の喪失?(当てずっぽう)
185世界@名無史さん:02/10/11 07:48
>>159

ダキネーの戦い以外の実例についてもお願いします。
特に8世紀以降のビザンツ帝国の軍事戦略、戦術にローマの伝統が生かされていた
のかどうか知りたいです。
186世界@名無史さん:02/10/11 07:55
>>184
>アナトリア領の喪失による農業後背地の喪失?(当てずっぽう)

それ当たっていると思う。
アナトリアはロマノス4世の頃からトルコ人に侵食されていたけど、
アレクシオス1世〜マヌエル1世の頃は、トルコ人を一時撃退したり、回復した
地を再喪失したりを繰り返していた。

しかし、マヌエル1世がミュリオケフォロンの戦いでトルコに完敗してからは、
ほぼ決定的にアナトリアを失った。

マヌエル1世前後の決定的な相違点はアナトリアの完全喪失。
187世界@名無史さん:02/10/11 08:00
ミュリオケフォロンの戦い以前は、
・農耕期はビザンツ人が農耕を行い
・休耕期はビザンツ人は城に閉じこもり、トルコ人たちが農地で放牧した
という話もあるね。

アナトリアがトルコ勢力下に入りつつあったけれど、農業収入はあった、と(笑
188世界@名無史さん:02/10/11 08:02
ビザンツ帝国というと東西貿易による富の蓄積というイメージが強いけど、
財政収入で見ると、取引税は全体の1割程度で残りは農業収入。

農業後背地の喪失は財政の破綻を意味したはずだね。
189世界@名無史さん:02/10/11 08:09
考えてみるとローマって、都市国家として建国し、都市国家として滅亡したわけだな。
そうなるとローマは本来が都市国家であって、
大帝国だった時代の方がむしろ「ローマらしくない」時代だったと言える。
190世界@名無史さん:02/10/11 10:33
>>168,169
ゲルマン人出身のローマ皇帝について
1人だけ居るよ。
確か東ローマ皇帝ティベリウス3世(698-705)はゴート人じゃなかったですか?
皇帝になる前の本名はアプシマール。名前もゲルマンっぽい。
191世界@名無史さん:02/10/11 13:36
バシレイオス1世以下マケドニア朝はアルメニア人の王朝だったそうだ
192世界@名無史さん:02/10/11 15:14
>191
古代アルメニア王家の子孫という説あり。
なんでもアルサケス家といって、パルチア王家
の傍流だったそうな。
193驚いたこと:02/10/11 18:55
話それるけど、別スレで驚いたことがあります
教えて下さい。
じつはフランク王国のピピン一家は純然たるゲルマン出身
かというと怪しい、実はローマ貴族のなれの果てとか何とか
いう説もあると別スレで聞いたのですが、
ホントなんですか、ただのデマなんですか?
詳しい人教えて下さい
194世界@名無史さん:02/10/11 18:58
>>193
まじ?それは驚いた、というよりロマンある話だ。
195世界@名無史さん:02/10/11 21:55
>>191
この場合、ギリシア正教とアルメニア正教の関係は?
196世界@名無史さん:02/10/11 23:20
領土がコンスタンティノープルのみで、冷戦期まで生き残っていたら、
超要塞都市が出来上がっていたんだろうなと妄想。
197世界@名無史さん:02/10/12 00:24
>>193
それは東北地方の豪農が
「ウチの先祖は平氏の落人の云々」つーのと一緒ではないか?
なんのことはないうちの母方の一族のことなんだけどね。
ちょっと箔を付けたいという。
198世界@名無史さん:02/10/12 14:04
ビザンツ帝国は多民族国家。
皇帝が、民族的に何人であるかは問題はなかったはず。

条件などせいぜい政治的に「ローマ人」であり、宗教的に正教徒であること
くらいだろう。
199世界@名無史さん:02/10/12 14:07
>>193
>じつはフランク王国のピピン一家は純然たるゲルマン出身
>かというと怪しい、実はローマ貴族のなれの果てとか何とか

ローマ化したガリア人貴族とゲルマン人の混血だったことは十分あると思う。
200ローマの平和:02/10/12 14:10
     |  |
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                 /!! リノノ)))|
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                    /    \
                  /  ∧_∧  \    完成!防衛結界!
                /   < `∀´>    \  ローマの平和は私たちが守るであります!
    | ̄ ̄|       /     (  ★  )      \        ____
    |_/ニニL    /       | | |        \    ./ ....*.. `ヽ
   /(//リ ))  /         (__フ_フ         \  | /ノソWWヾ.|
   ノ人’ヮ’ノフ○────────────────── ○ヽ|/リ ´ー`リ/
  ノ/⊂|[: l|つ│                            \⊂|[: l|つ
  /(( く/_|_|ゝ ○                             ○く/_|_|ゝ
     し!J                                   し!J
201世界@名無史さん:02/10/12 14:15
ギリシアの火の再現研究とかなされていないのかな?
202世界@名無史さん:02/10/12 14:15
見ちゃいや〜ん。 きつぅぅ

http://www.dream-express-web.com/space-trust.htm
203【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守@司牡丹:02/10/12 14:18
イスラーム帝国軍・セルジューク軍に「ギリシャの火」を
浴びせよう!
204世界@名無史さん:02/10/12 14:20
でもさ、同時代のビザンツ人たちは、決して「ギリシアの火」とは呼ばなかった
ろうな(w

205【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守@司牡丹:02/10/12 14:21
山越えで金角湾進入を図るオスマン艦隊に
榎本艦隊と官軍のアームストロング砲が炸裂!
メフメト2世、板垣率いる土佐郷士隊に斬殺される!
206世界@名無史さん:02/10/12 19:04
>203
神の火とかローマ火ってよんだのかな?
207世界@名無史さん:02/10/12 21:27
>>205
なぜかオスマン軍にガトリング銃が。土佐郷士隊蜂の巣に。
208世界@名無史さん:02/10/13 01:26
ハイレディンの仕える相手がビザンツ皇帝になる
209世界@名無史さん:02/10/13 16:52
ビザンツはブルガリア皇帝シメオンに降伏したんですか?
210世界@名無史さん:02/10/14 00:45
>>209

ある意味で降伏した。
シメオンの『ブルガリア』皇帝即位を認めたから。
でも、ローマ皇帝としては認めなかった。
それがビザンツ側の最大限の意地だった。
211世界@名無史さん:02/10/14 00:47
>>206
>神の火とかローマ火ってよんだのかな?

「燃える水」「液体の炎」と呼ばれたらしいよ。
212世界@名無史さん:02/10/14 01:01
ギリシアの火は、1453年のコンスタンチノープル陥落時の海戦でも使われた
んだよね?

製法を記した文書は結局失われてしまったのかな?
トルコ側はギリシアの火の製法を手に入れられなかったのか?
213世界@名無史さん:02/10/14 01:22
>>210

シメオンもテオドシウスの城壁は破れなかったらしいね。

でもビザンツ側はびびりまくって、屈辱的な和平交渉を行った。
内容は、シメオンが皇帝コンスタンティノス7世の娘と婚約し、なおか
つブルガリア皇帝としてコンスタンチノープル総主教から戴冠を受ける
というもの。

いくらなんでもこれはひどい。
214世界@名無史さん:02/10/14 02:13
ローマ教皇を中心にした誇り高き中世西欧史観からすれば十字軍なんだろうが
東ローマから見れば野蛮な国から集団で雇われたタダの傭兵だよね。
西欧の視点で見た偏った歴史か知らないが、東ローマが存続していれば、歴史
を見る視点も違ったものになったんだろうね。
その後のルネッサンス賛美を見ても、ビザンチン帝国が滅亡して最も利益を
得たのはイタリアを初めとする西欧諸国だし、彼らが十字軍などを通して滅亡
に追いやり、ヨーロッパ史から抹殺したんだろうね。
215世界@名無史さん:02/10/14 02:19
>>214
>ビザンチン帝国が滅亡して最も利益を得たのはイタリアを初めとする西欧諸国だし

そうかなあ。
ヴェネチアもジェノヴァもビザンツ帝国に認めてもらっていたコンスタンチノープル
での利権を失ったよ。

西欧諸国がビザンツ帝国の滅亡によって得た利益って何?

亡命学者がたくさんきたこと?
地中海貿易の拠点をトルコに押さえられ、結果として新航路発見へのモチベーションが
生まれたこと?
216世界@名無史さん:02/10/14 02:31
>>215
コンスタンチノープルでの利権は、12世紀に既に失ってるよ。それで
ラテン帝国建国の陰謀が生まれる訳だが。
西欧諸国が東ローマ滅亡によって得る利益は、ローマ帝国後継者の称号、
学者や職人などの資産、地中海の覇権(トルコとの独占的な貿易)など。
地中海貿易の拠点をトルコに押さえられた事と、ビザンチン滅亡とは直接
的は関係ない。逆に、コンスタンチノープルがトルコと貿易する事の方が
ベネチアなどにとっては不利益。
217世界@名無史さん:02/10/14 02:40
>>216
>コンスタンチノープルでの利権は、12世紀に既に失ってるよ。

失礼した。ついでにひとつ質問なのだが、

>彼らが十字軍などを通して滅亡に追いやり、ヨーロッパ史から抹殺したんだろうね

↑は第四回十字軍以外にどれを指している?

というのも、
>西欧諸国が東ローマ滅亡によって得る利益は、ローマ帝国後継者の称号、
>学者や職人などの資産、地中海の覇権(トルコとの独占的な貿易)

↑は、全てが第四回十字軍時の時の動機とは思えないから。
それに、ローマの称号や学者・職人の件は、結果論であって目的段階から
織り込まれていたのかどうか・・・歴史家の跡付けではないか?
218世界@名無史さん:02/10/14 02:48
>>215

どうもね、215の書き込みは、
・後世の西欧知識人、歴史家の意図的なビザンツ帝国の過小評価
・第四回十字軍当時のヴェネチアの思惑
をごっちゃまぜにしている気がして、どこか腑に落ちないのだ。

ついでにいうと、第四回十字軍の頃とは国際環境が異なっていたであろう、
1453年の頃にも、「彼らが(中略)ヨーロッパ史から抹殺したんだろうね」
が当て嵌まるとして記述しているのかどうかも、気になるところ。

219眠い・・・:02/10/14 02:58
>>217
十字軍という名称こそ、後付けじゃないの? もちろん、東ローマに雇われて
傭兵に行きますなんて郷里の人民には言えないから、聖地奪回のための十字軍
に参加しますっていう大義名分を適当に考えたんだろ。で、西欧が優勢になった
から、十字軍という言い訳の名称が歴史に刻まれることになった。
十字軍をしてる内は、東ローマに次ぐ二流ローマ市民という認識は脱せなかった
と考えるのは至極自然なことだと思うが。

ローマの称号は、今以上にその時代の支配者は気にしてたんじゃないの。
フランクやらカールやら、20世紀にもヒトラーっつーDQNもいたし。
今でも、ヨーロッパにはローマの亡霊が生きてるよ。ヨーロッパの知識人
と話してみな。ヨーロッパがヨーロッパである所以はローマ・ギリシア文明
だけなんだから。

コンスタンチノープルの工芸品は最高の輸出品だから(今で言えば日本の
家電製品みたいなもんだな)、その技術を得ることは死活問題だったん
じゃないの。
220俺も眠いが1:02/10/14 03:07
>>217

>東ローマに雇われて傭兵に行きますなんて郷里の人民には言えないから、
>聖地奪回のための十字軍に参加しますっていう大義名分を適当に考えた
>んだろ。

おいおい、十字軍(とあえてここでは呼ぼう)側とビザンツ側の認識の違いが
大きかったのは、アレクシオス1世の娘の年代記にもあるだろう。

あなたは俺より詳しそうだから十字軍がビザンツ皇帝へ忠誠を誓うかどうかが
問題になったことも知っているだろう。

つまり「傭兵に行きますなんて郷里の人民には言えないから」なんて意識は十
字軍側にはないよ。ウルバヌスによって、ビザンツ帝国の傭兵打診⇒十字軍に
よる自主的聖地奪回へと趣旨が変えられてしまい、十字軍側はウルバヌスの言
い方の方を盲信してしまった。
ゆえに、ビザンツ皇帝と忠誠問題で軋轢が生じたし、小アジアのトルコを叩き
たいというビザンツ皇帝の要請も十字軍は断っている。
221俺も眠いが2:02/10/14 03:14
>>220
>>217 は >>219の間違いw

>>219
>ローマの称号は、今以上にその時代の支配者は気にしてたんじゃないの

随分適当な言い方をするなあw
ビザンツが滅びたことでローマの称号が西欧に来た、とする発想を、後世の西欧歴史家が
していることには全く異論はないよ。
だから、「ヨーロッパの知識人と話してみな。ヨーロッパがヨーロッパである所以はロー
マ・ギリシア文明だけなんだから」といわれても、何を今更、という印象。

ビザンツ滅亡による西欧の利益=ローマ称号、というのが後付けでないというなら、
第4回十字軍以降、西欧側の支配者で、ビザンツの(一次的)滅亡をよいことに、「うち
こそ正統なローマ」的な宣言をした者がいても良さそうだが。

(実際はいたのかな? 不勉強だから分からない・・・)
222世界@名無史さん:02/10/14 03:17
中世のヨーロッパ人はローマから見れば自分らが蛮族だということは自覚してたはずだよ。
だからこそカールを「西ローマ皇帝」にしたりハプスブルクを「神聖ローマ皇帝」にしたり必死で背伸びしたんじゃないか。
もし、ヨーロッパ人がローマと対等だと思ってたなら「ローマ皇帝」に憧れたりしないって。

223俺も眠いが3:02/10/14 03:21
>>219
>コンスタンチノープルの工芸品は最高の輸出品だから(今で言えば日本の
>家電製品みたいなもんだな)、その技術を得ることは死活問題だったん
>じゃないの。

これも適当な言い方だなあw

結果論として、ビザンツの職人を大量に雇ったヴェネチアが利益を得たことは事実だけど、
その職人達の獲得がヴェネチアの思惑としてはじめから折込済だったのかどうかは、結局
分からないのですね。

>>214
>その後のルネッサンス賛美を見ても、ビザンチン帝国が滅亡して最も利益を
>得たのはイタリアを初めとする西欧諸国だし、彼らが十字軍などを通して滅亡
>に追いやり、ヨーロッパ史から抹殺したんだろうね。

を読むと、ビザンツ滅亡による利益を得たものが犯人的な指摘だけど、これを裏付けるには、
あなたの言った、ローマ称号、学者・職人が、第四回十字軍時代から西欧人の目的であった
ということを示さねばならないのではないか?
224世界@名無史さん:02/10/14 03:25
>>222
>中世のヨーロッパ人はローマから見れば自分らが蛮族だということは自覚してたはずだよ。

自分たちがローマ(ビザンツ)から見たら蛮族だ、という認識をしてた場合も、「これは自
主的な聖地奪回遠征だ」という思い込みが、「我々はビザンツ皇帝の傭兵に過ぎないのだ」
という慎ましやかな発想になるとはいえないのでは?

それ以前に、
ビザンツは、西欧人たちが傭兵という自覚が無く、独自の目的をもった軍事集団としてやっ
てきたことに戸惑いを覚えていた、というが定説でない?
225世界@名無史さん:02/10/14 03:28
ビザンツ帝国を歴史上から消し去ることになった西欧の思惑は、
1.第四回十字軍当時の西欧諸国の思惑
2.1453年当時の西欧諸国の思惑

ビザンツ帝国を歴史『書』の済に追いやることになった西欧の思惑は、
3.後世の西欧知識人の西欧中心史観形成のための思惑

1、2、3を一緒くたにするのはまずくないか?
226眠い2・・・:02/10/14 03:36
>>223
眠いので適当。皆さん、皆さんが自分が書いてる内容を読み返してくれぃ。
ウルバヌスの件にしても、十字軍が自主的だったとしても、これは西欧
諸国が東ローマを越えようともがいていた過程に過ぎんですよ。まぁ、
歴史を書くものが正しいことはしょうがないのだが。
漏れはタダ、ビザンチンが生き残っていれば、我々が当然のように受け
入れている歴史観が違ったものに見えるかもねぇ。って言ってるだけぽ。
反論してくれることは嬉しいが、歴史書とかを疑って読んでみたら面白い
発見があるじゃない? という提案をさせていただき、オヤスミ。
227世界@名無史さん:02/10/14 03:44
>>226

なんか、ちょっとずれちゃったね。
俺の言いたいことは225に要約してあるよ。

>漏れはタダ、ビザンチンが生き残っていれば、我々が当然のように受け
>入れている歴史観が違ったものに見えるかもねぇ。って言ってるだけぽ。

これだけなら、まったく異論なく賛成。
俺もこのスレの初期から現代のギリシアの位置付けに絡めてそれを書いている。

ただし、
>ウルバヌスの件にしても、十字軍が自主的だったとしても、これは西欧
>諸国が東ローマを越えようともがいていた過程に過ぎんですよ。

こういう後世の大局的な整理された見方=当時の人々にとっての考え方、
と見てないかな? どうもそこが引っかかるんだよなあ。

後世の大局的な正統な史観=当時の人々の考え方、と考えているなら、それの方が危険
だと思う・・・
228世界@名無史さん:02/10/14 03:53
>>226

226氏の大枠の流れには俺は賛成なのよ。
でも、225に書いたようなことを、きちんと整理してほしかった。
ちょっと荒っぽすぎ、という反論ですた。チャンチャン。
229世界@名無史さん:02/10/14 04:25
コンスタンチノープルって外敵相手には2回しか陥落しなかったけど、
ビザンツ帝国内の皇位争いでは何度も落されているよね。

たとえばユスティニアヌス2世とか。
やはり、身内には落しやすいのか。
230:02/10/14 14:55
ビザンチン帝国が滅びてなかったら、正教圏でギリシア〜ロシアの地域がもっと
まとまりがあったろうね。

そして主導権をめぐって、コンスタンチノープルとモスクワの間で政争や戦争が
起こったろうなあ・・・

勝つのはモスクワのような気がするw
231世界@名無史さん:02/10/14 14:59
ところで橋口倫介教授亡くなったんだってね…。
232世界@名無史さん:02/10/16 12:31
age
233世界@名無史さん:02/10/16 13:00
>>160
ちょっと遅レスだが、もし存続したビザンティン帝国で
立憲君主制が確立されるとしたら、やはり市民勢力の中心は
応援団になるんだろか?

皇帝・大土地所有貴族・応援団の間での権力抗争は
凄まじい事になりそうだが。


それと全然関係無いが、仮に1453年の滅亡を回避しえたとしても
その後の民族主義の隆盛・民族国家の概念の時代に
ビザンティン帝国は分裂せずに体裁を保ったままいられるだろうか?
234世界@名無史さん:02/10/16 13:36
マヌエル1世以後没落が決定的にって意見が多いですね。

ギポンのローマ史では完全な悪人扱いのアンドロニコス1世や
(特にイサキオス2世以外の)アンゲロス朝の皇帝達の
評価できる点とかは無いですかね?

ラスカリス朝(ニケア帝国)の皇帝達はだいぶ名誉を回復した上、
上のギポンのローマ史ではヨハネス3世が「ビザンツ1の名君」
という事になってますが・・・
235世界@名無史さん:02/10/16 16:00
マヌエル1世までは世界に冠たる大帝国?
236世界@名無史さん:02/10/16 21:17
>>235
イスラム諸王朝や中国(唐->宋)があるからなぁ。地中海交易の一部とバルカン・
小アジアを支配していたにすぎないんで、世界に冠たるとはいえないでしょ。
237世界@名無史さん:02/10/16 23:08
>>236
マケドニア朝時代ですら「世界に冠たる大帝国」とはとても言えないと思う。
しかし、コンスタンティノープルが世界に冠たる繁栄した都市だったことは確かだろう。
コンスタンティノープルは長安やバグダードとも充分に肩を並べられる都市だった。
238世界@名無史さん:02/10/17 00:32
思うに、農業国家のクセになぜコンスタンチノープルだけが?
という疑問があるんですが。
農業国家だという話はよく聞くんだけど、本当に農業を大事にしてたのかと。
本当は重商主義だったんちゃーうんかと。
お前ら農業中心って言いたいだけちゃーうんかと。
わたしは問いたい。問い詰めたい。
239238:02/10/17 00:43
思うにお前らアナールが大事なだけちゃーうんかと。
当時のヤシらが本当にそんなこと考えていたのかと。
考えていたなら何で手放すのかと。
当時のヤシは本当はコンスタンチノープルだけ守ってればええやん?
と思っとったんちゃーうんかと。
問いたい。問い詰めたい。
240:02/10/17 01:53
>>238

国家財政の内、取引税が占める割合は1割弱。
ゆえにビザンチン帝国は以外に農業国だった、と言われるが、貨幣経済が衰退した
中世西欧に比べたら、国家財政の1割を占めた取引税というのは驚異的だったので
はないかな?
241:02/10/17 02:00
当時のレベルでは驚異的な重商主義国家。
しかし、国家財政全体でみたら農業国家。そんな感じでは?

今の日本だって、GDPに占める国際貿易の割合は2割くらいでしょ?(たしか)
加工貿易立国(古いか?)日本がだよ。
242世界@名無史さん:02/10/17 03:47
んまぁ、比較対象が農業生産なんじゃそりゃのベネチアだったりするからねぇ。
243世界@名無史さん:02/10/17 10:46
ローマとコンスタンティノープルってライバル意識あったんですかねえ。
ほら、アテネとスパルタや、ニューヨークとロスや、東京と大阪みたいな。
244世界@名無史さん:02/10/17 11:52
>243
アレクサンドリアはライバル視していたんじゃないかな。
アレクサンドリアの大灯台が壊れたのは、ビザンツ皇帝の陰謀説が
あるくらいだから。
245世界@名無史さん:02/10/17 12:08
>>243
コンスタンティノポリスに遷都したのは「第二のローマ」というあだ名にもあるように
ローマが斜陽だから、という理由もあったし、
コンスタンティノポリスが発展して大都市になってくる頃にはローマは衰退の極みにあった。
際めつけにユスティニアヌスの再征服でローマは長年の戦乱に巻き込まれて、
ビザンツに回復された頃にはわずか人口500人の集落に成り果てていた。
だからライバル関係にはなりえなかったんじゃなかろうか。
時代的には並立じゃなくてバトンタッチみたいな感じで入れ替わってるわけだから。

強いて言うなら衰退途上のローマ市民が、日の出の勢いで発展していくコンスタンティノポリスに
嫉妬と羨望を感じた、ということはあるかも知れんな。

ただ、ローマ教会とコンスタンティノポリス教会は犬猿の仲でした。
これはライバル関係といえるだろう。
246245:02/10/17 12:12
それとコンスタンティノポリス市民にも
コンスタンティノポリスはかつての全盛期の頃の帝都ローマより上だ、
凌駕してみせるという
意気込みとプライドはあったかもしれない。
247世界@名無史さん:02/10/17 12:35
>>245-246
そもそもテオドシウス1世が息子達に領土を2分割したって事ですが、
「兄」のアルカディウスに「帝都」コンスタンティノープルを中心とした
東の帝国を、「弟」のホノリウスに「元帝都」ローマを中心とした西の帝国を
与えたって時点で既に東の優位性は決まっていたのでは?とも思います。

ホノリウスの子ヴァレンティアヌス3世が暗殺されてからは
東ローマのテオドシウス2世やゼノンに派遣された有力者達が決めた人間が
西ローマの皇帝になってる(そして大抵が暗殺されている)わけですし。

そもそもの2分割自体が「東ローマ=第1、西ローマ=第2」
の意味合いが強かったのではと考えられるのでは・・・?
248世界@名無史さん:02/10/17 12:49
コンスタンティヌスはコンスタンティノープルに遷都した後も
一応二都制としてローマ市民に配慮はしている。
それと遷都した当時ではそれほど大きな転機、という意識もなかったそうな。
コンスタンティヌスは自らの記念碑という感じでコンスタンティノープルを建設した。
後々コンスタンティノープルが全盛期のローマにも劣らぬ巨大都市となったから、
時代が進むにつれてコンスタンティヌスの新都の建設・遷都が時代を変える大事件だという風に思われてきたけど。
249世界@名無史さん:02/10/17 13:33
ビザンツ帝国という名が後世からの命名であり、当時はローマ帝国
と呼ばれたいたが、コンスタンティノポリスという呼び方は当時でも使われていた
のだろうか。それとも、やっぱり別の呼び名があったのだろうか?
250世界@名無史さん:02/10/17 13:53
age
251世界@名無史さん:02/10/17 14:42
トルコにゃ悪いがイスタンブールよりコンスタンティノポリスの方がカコイイ!
252_:02/10/17 15:08
原さん拉致した中華料理屋は?
http://kinki.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=osaka&KEY=1032254815
253世界@名無史さん:02/10/17 19:06
254世界@名無史さん:02/10/17 19:27
ビサンツ帝国が滅んでいなかったら、大航海時代が数十年、百年以上遅れたかも。
そうなっていたら、アメリカ大陸のマヤ、アステカ、インカ、ネイティブアメリカンの
文明もいくつか現在に残ったのではなかろうか。
255世界@名無史さん:02/10/17 20:03
>>254
そりゃないだろうなあ。
ビザンツ滅亡以前からエンリケ王子の下、ポルトガルは1445年にはベルデ岬に
到達している。スペインにしたところで国内レコンキスタが終われば大西洋に
出ただろうし、ビザンツがあろうとなかろうと、大航海時代の流れは遅くなる
ことはなさそうだ。
256世界@名無史さん:02/10/17 20:51
>254
イスラム勢力が中東をがっちり押さえてしまっている以上、
香辛料を安く手に入れようと思ったら大航海時代始めるしかないからねぇ。
257世界@名無史さん:02/10/18 03:57
>>247
つかそもそもローマ帝国の頃からエジプト・シリア・ギリシアと言う
先進地帯を抱える東部の方が経済力も強く、人口稠密でした。

当然の事ながら帝国の重心は時間が立てば立つほど東に移動して行く
事になり、その意味で帝国の中心がコンスタンティノポリスに移されたのは
時代の流れから言って当然の帰結であったでしょう

結局西ローマ帝国が崩壊して行く中、東ローマ帝国が生き残れたのは
この経済力の差が大きな要素だったわけですし。

ってなわけで、東ローマの優位は誰にそこが与えられたから、
と言うわけでなく、経済的に最初から東の優位が確定していました。
258世界@名無史さん:02/10/18 20:02
逆にもし東ローマ帝国がなかったら、今の我々もなかったような
きがする。
259世界@名無史さん:02/10/19 01:07
age
260:02/10/19 01:46
>>249
>コンスタンティノポリスという呼び方は当時でも使われていた
>のだろうか。

正式にはコンスタンチノプリス。
でも、帝国内では、エス・テン・ポリン(「あの街へ」の意)という呼び方が
定着していたとか。

ちなみに、イスタンブールの語源です。
261:02/10/19 01:49
>>260

うわ、たちの悪いミスしてる。

>正式にはコンスタンチノプリス。

これじゃ、「コンスタンチノポリス」が間違いみたいじゃないか。

「コンスタンチノ『プ』リス」・・・恥ずかし過ぎるw
262世界@名無史さん:02/10/19 12:43
庄野真代が「飛んでコンスタンティノポリス」という曲を出すが
サビが歌いづらいのでヒットしない。
263世界@名無史さん:02/10/19 15:51
rf
264:02/10/19 18:09
「飛んでエステンポリン」なら、なんとかサビもOK
265世界@名無史さん:02/10/19 19:32
>168、>169、>190

ゲルマン人の皇帝といえば僭帝なので次点扱いのマグネンティウス(コンスタンティ
ウス2世との内戦で敗北)の名が挙がることが多いですよね。

で、最近ふと気が付いたのですが、最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルス
はスキラエ人(ってゲルマン系でしたよね?ちょっと、自信ないです)のオレステス
の子供なんだから、例え母親がイタリア人でも蛮族の皇帝だと思うのですが、どうな
んでしょうか?
イサウリア人のゼノンの皇帝即位で蛮族の帝位継承に対する反発は弱まってたんでし
ょうかねえ?
266世界@名無史さん:02/10/20 00:54
>>243
ニカエアとトレヴィゾントとかならあるかも(w
267:02/10/20 03:15
初期の公会議(どれだったかは失念)で、コンスタンチノープルの権威がローマに次ぐものである
という決定がなされたはず。

キリスト教の根拠地としては、コンスタンチノープルは割と新顔。
アンチオキア、アレクサンドリアはもちろん、ローマよりも新しかった。
そういう意味では、コンスタンチノープル側は、他の都市に対して対抗意識を持った時代もあった
のかもしれないね。
268世界@名無史さん:02/10/21 17:26
;
269哲也:02/10/21 19:13
東ローマ帝国(最もローマ帝国時代から)皇帝の血は繋がっているんじゃないの?
クーデターかなんかおきて変わっているの?イスラエルやユダ王国みたいに?
270世界@名無史さん:02/10/21 19:23
いやいやクーデターなんて日常茶飯事だから
ローマ帝国から皇統なんて実質無いに等しいから
271世界@名無史さん:02/10/21 20:59
しかしユスティニアヌスってかっこいいよな
もちろん顔がかっこいいとか言う意味じゃないがっていうかじいさんだが
・・・・いやかっこいいおじさまだ!!!!マンセーだ
272世界@名無史さん:02/10/21 21:37
そうかあ?俺はへたれとしか思えないが。
ヘラクレイオスは超かっこいい!
273:02/10/22 00:19
>>269

東ローマ帝国も簒奪されまくりだよ。
だから、
・イラクリオス朝
・シリア朝
・マケドニア朝
・コムニノス朝
なんていう区分があるわけで。
274:02/10/22 00:30
五賢帝よりさらに前のヴェスパシアヌス帝の時代から、ローマ帝国には血統を絶対視
する考え方はなかった。

ビザンチン帝国の帝位簒奪は、まさにローマ帝国の後継者たる証w
275世界@名無史さん:02/10/22 00:31
メンヘル板&各板で暴れた姫嬢の悪行を補完しておこう

【警報】姫嬢には気を付けましょう。(名無しで煽る可能性あり。)
・姫いきなり切れて床の個人情報をさらしたうえに
名無しで暴言を吐く。
・床、本気で傷つき泣きながら兄を去る
・自治に対して問題発生したので、自治関連が話題となる
・実質上、自治に関わったコテはエロ、霧、悪意などの大物コテ。
・しかし、急に悪意が去った事で騒ぎになる。
・問題は姫ではないかとの推測レスが続出→次の日そのスレ全体削除、問題となった自分のレス削除
・これはさすがにおかしいと大騒ぎになり、本家メンヘルにまでスレがたつ。
・エロなどの大物コテはアク禁、最後に残ったヘルヨッチーに対する叩きレス、叩きスレがたつ
・ヘルヨッチーをかばうために、悪意が参上するが、ヘルヨッチーと共に追放される
・姫、珈琲その他の一味と結託して暴言吐き散らかしながら住人へ粛正と追放を開始。
あまりのことに住民が9割兄を去る。
ここに姫チャンネル(雑談1)、珈琲チャンネル(雑談2)が実質設置される。

http://www.bbs2.jp/hime/ 姫板、たぬきと共同運営(2chで晒されて慌てて閉鎖)
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/intro/1029138639/ 珈琲スレ
http://www.bbs2.jp/menheru2/ 珈琲が仕切るさぼーるメンヘル板
http://www.bbs2.jp/menheru/ 姫が追放されたさぼーるメンヘル板
http://jbbs.shitaraba.com/sports/3587/ 姫が追放されたさぼーる避難板
276世界@名無史さん:02/10/22 18:52
やっぱり
ビザンチン帝国よりビザンツ帝国だろ
277世界@名無史さん:02/10/22 19:06
ビザンツ帝国よりも、ポリュテイア=ローメオイだ
278世界@名無史さん:02/10/23 02:21
婿養子も数に入れたとしても各王朝(帝朝?)の人数って
テオドシウス朝 9代(383〜518)
ユスティニアヌス朝 5代(518〜602)(フォーカス帝除く)
ヘラクレイオス朝 6代(610〜695、705〜711)
シリア朝 5代(717〜802)
ランカーペ朝(でいいのかな?ニケフォロス1世の家系)3代(802〜813)
アモリア朝 3代(820〜867)
マケドニア朝 16代(867〜1056)(ロマヌス3世以降7人を数えるべきかは疑問)
ドゥーカス朝 4代(1059〜1078)
コムネノス朝 5代(1081〜1185)(アンドロニコス1世含む)
アンゲロス朝 3代(1185〜1204)(アレクシオス5世除く)
ラスカリス朝(ニケーア帝国)4代(1204〜1261)
パラエオロゴス朝 10代(ヨハネス6世カンタクゼノス除く)(1261〜1453)

と1000年以上続いた帝国なだけにある意味当然かもしれないけど、
あまり長く続いた家系は存在してないね。
(一見何代も続いたようにみえるマケドニア朝も、
途中で直接血の繋がらない人間が帝位についたりしたし、
バシレイオス2世以後は実質混乱期と考えるし、
最後のパラエオロゴス朝も開祖ミカエル8世以後はゴタゴタが続いていたし)

ビザンツに限った話ではないだろうけど、直接親から子への嫡子相続が
ちゃんと機能するのって、上手くいって5代が限度なのかな?
(それ以上続いている場合は、大抵相続争いがあるとか、一度滅びかけて
何とか立ち直ったって事がほとんど)
279世界@名無史さん:02/10/23 13:09
この家系の消耗率の高さがある意味、東ローマ千年の原動力
280世界@名無史さん:02/10/23 13:14
>>279
家系の消耗率とは?
281世界@名無史さん:02/10/23 13:28
王朝が何度も変わる下克上は社会を混乱という一面もあるが
一方で社会の活性化とローマ支配階層の新陳代謝を促す一面もあるのでは、ということ。
そのおかげ(むろんそれだけではないけど)で東ローマ国家は千年も持ちこたえたとも思える。
王朝血統が固定されきって、身分もガッチリ固定されていると確かに安定はするけど
社会の新陳代謝が起きず国家も活性化されないかも。
東ローマ名物の陰謀簒奪合戦はアンゲロス王朝やパラエオログス王朝のときは
マイナスに働いたが、それ以外のとくにマケドニア朝のころなんかは国家の
進展にプラス作用したと思うけど、如何なものか?
もし、東ローマが王朝=国家という体制の国だったら千年も続かなかった・・・?
282世界@名無史さん:02/10/23 23:56
>278
テオドシウス朝は普通は西はヴァレンティニアヌス3世(425〜455)東はマル
キアヌス(450〜457、でも直接の血縁はないんでテオドシウス朝とは違うとい
う扱いが多い)まででしょう。
後、大まけにまけて、ヴァレンティアヌス3世の娘を妻にしていた西皇帝のオリュブ
リウス(472)の名を挙げるのが限界でしょう。

レオ1世、レオ2世、ゼノン、アナスタシウス1世の東ローマの王朝(457〜51
8)はトラキア朝という呼び方をするのが、一般的ではないかと思います。
283世界@名無史さん:02/10/24 00:00
>>282
あ、そうなんですか。
てっきりマルキアヌス帝とレオン1世は(婚姻政策とかで)
最終的に同族になってたと思ってたんで。
284世界@名無史さん:02/10/24 17:10
マルキアヌスとレオン1世は血縁も姻戚関係もなかったと思いますが。
マルキアヌスの娘婿のアンテミウスがレオンによって西ローマに派遣
され、西皇帝になっています。マルキアヌスの近い親族なのに彼が
死んだ時に東皇帝に推挙されなかったのは、マルキアヌス自身が
テオドシウスの血を引いていない(プルケリアの名目的な夫)ので、
皇帝の血縁というだけではやっぱり重みがなかったのでしょう。

テオドシウス朝は(帝国自体は分裂し、混乱してましたが)血縁による
帝位継承という点だけとれば比較的安定していたと思います。テオド
シウスの血を引いてさえいれば馬鹿でも皇帝になれた。ローマにとって
悲劇だったのは、テオドシウスの男の子孫はよりによって馬鹿、間抜け、
低脳揃いだったこと。。。
285世界@名無史さん:02/10/25 18:36
age
286世界@名無史さん:02/10/25 18:40
東ローマ帝国って言っちゃいけないの?そっちの何か見慣れているもので・・・
287世界@名無史さん:02/10/25 19:15
どうせならローマ帝国と言いたい。
288世界@名無史さん:02/10/25 19:37
マルキアヌスは弱腰な先代と違ってゲルマン人やフン族に強硬な姿勢をとったんですよね。
ということはマルキアヌスの頃から東ローマは蛮族に反撃に転じはじめる?
289世界@名無史さん:02/10/25 19:37
きっとソ連のかわりにビザンチンが冷戦の仇だったでしょう
290SSBN:02/10/25 19:58
三十年戦争の時に対カトリックということでプロテスタントと同盟して、オーストリアに攻め込んだりして?
……トルコの欧州進出が止んでたらクロワッサンは無いのか。
欧州征服用の力をアジア方面に向けて、正史より早く、マムルークとか征服してたカナ?
291f:02/10/25 21:21
トルコ行進曲はできなかった。
292世界@名無史さん:02/10/26 14:46
受験の頭から石と塵がなくなっているでしょう。
293世界@名無史さん:02/10/26 16:24
残念だけど今のバチカン市国と同じようなものになってた








っていうかあのとき兵士の一人が城門を閉め忘れたせいでコンスタンティノープル
羽陥落したんだろ・・・・それがなかったら今もビザンチン帝国が・・・・・・
294:02/10/26 18:14
>>286
>東ローマ帝国って言っちゃいけないの?

オドアケルが西ローマ帝国を滅ぼした時、西ローマ皇位を東ローマ帝国ゼノンに献上している。
だから、オドアケルの皇位献上を認めるなら、その時はから東ローマ帝国皇帝は西ローマ皇帝も兼ねる
ことになった、と言える。

ユスティニアヌス帝の西ローマ領征服の法的根拠は、ここにあったはず。
295:02/10/26 18:25
>>290
>三十年戦争の時に対カトリックということでプロテスタントと同盟して、オーストリアに攻め込んだりして?

ありうるよね。
ルターは自分の活動が徐々にカトリック教会全体を敵にましてしまう展開になって、同じカトリックと長年対立
していたギリシア正教に接近したと言うからね。

実際には、当時のギリシア正教はトルコ支配下にあり、政治的な同盟は組めなかったけれど・・・。
ビザンチン帝国が政治勢力として残っていたら・・・
296世界@名無史さん:02/10/27 11:46
age
297世界@名無史さん:02/10/28 00:58
>>295
問題はスレイマン大帝のように賢明な司令官が東ローマにいたかどうかだな。
下手するとウィーン包囲を強行して滅亡の可能性もあるぞ。
298:02/10/28 01:07
>>297

その時のビザンチン皇帝のキャラクターによると思う。
アレクシオス1世だったら、新教諸侯に金だけ援助して「勝手に暴れて」(w

マヌエル1世だったら、最初は裏で操るつもりが気がついたら矢面に立ってい
てしかも敗戦、なんてことにもなりそう。

バシレイオス2世やニケフォロス2世なら、ウィーンを陥落出来るかもしれない。
299世界@名無史さん:02/10/28 01:26
>>298
ユスティニアヌスみたいな後先考えずに外征に全力を投入するような皇帝だったらどうなると思います?
300:02/10/28 01:30
>>298

マヌエル1世のミュリオケファロンの敗戦なみの、国力を傾ける敗戦をしそうですよね(w
301YP:02/10/28 03:21
どうでもいいのですけど、
いわゆる自称トルコ系の民族が正教会に属す人口って、いか程なん
でしょうかね。
ほぼ、チュルク=ムスリムなんだろうけど。
302世界@名無史さん:02/10/28 18:00
中世の東ローマ軍は、古代のローマ軍みたいな格好してたんですか?
やはり古代以来のクレストのあるカブトかぶっていたんですかね?
西欧の騎士文化を尻目に、戦車軍団とかホリプタイとかしてたんですかね。
303世界@名無史さん:02/10/28 18:24
>>302
さすがにそれはない。
同じ日本の武人だからといって、ハニワみたいな格好を
した兵士が、戦国時代にいたわけじゃないでしょ。
時代にもよるけど、全盛期のビザンティン軍の主力は
重装騎兵。
304世界@名無史さん:02/10/28 18:56
>>301
ローザンヌ条約のときにトルコ=ギリシア住民交換協定が結ばれて
トルコ語しか話せないギリシア正教徒は
ギリシア人としてギリシアに強制移住させられたとか。
さすがに70年も経ったから世代交代も終わって
母語はギリシア語化しているでしょうな。
だから現在ではギリシア正教徒かつ民族はテュルク系なんていう
アイデンティティを持つ者はまずいないと思われる。

もっともロシアのタタール人にはロシア正教徒もけっこういるだろうし
モルダヴィアにはガガウズ人(テュルク語を話す正教徒)っていう少数民族がいるけど。
305302:02/10/28 19:33
>303

ビザンツの軍隊は、西欧の中世騎士ともかなり違った姿、装備してたのかな?
古代ローマ軍なんかは映画とかでよく見るからイメージわくけど、ビザンツは
イメージわかない。
ビザンツ軍てどんなかっこうしてたのかな、教えて?
306:02/10/29 00:19
>>305

横レス失礼。
そんなあなたにお奨めなのが、
ミシェル・カプラン;黄金のビザンティン帝国-文明の十字路の1100年-、創元社、1993年

ビザンチン側の年代記から抜粋した挿絵が満載で、兵士の装備も見られます。
どの挿絵もほぼ全身鎧で覆われていますが、西欧式の甲冑とは雰囲気が随分違いますよ。
307読んだ人より:02/10/29 12:15
ビザンツ兵士の装備、古代からだいぶ変わってるけど、
やっぱ古代ローマの名残があるね。

あと、戦車競争とか皇帝即位式とか凱旋式のときには、わざと古代ローマと同じ装束や甲冑
をつけていたと聞いた事あるけど、ホントかな。
308世界@名無史さん:02/10/29 19:05
まあ、軍備についてはいくらローマの伝統を重んじるビザンツといえども
古代のままというわけにはいかんだろうな。

技術や戦術の進歩を拒否してたら戦力が落ちて負けてしまう。
309:02/10/29 23:43
ミシェル・カプラン;黄金のビザンティン帝国-文明の十字路の1100年-、創元社、1993年から

p10のアラブ人とビザンチン軍の城壁ぎわでの戦闘を描いたスキュリツェス年代記の挿絵を見る
と、ビザンチン軍は、ローマ帝国時代のあのおなじみのミニスカ(?)みたいなのをひらひら
させてる。

こうした部分はあまり変化がなかったのかな。
310:02/10/29 23:49
p48のビザンチン騎兵とアラブ騎兵の騎兵戦を描いたスキュリツェス年代記の挿絵を見る
と、ビザンチン騎兵、アラブ騎兵ともにウロコのような鎧を着ている。

これは古代ローマまで遡るものなのかな。
西欧甲冑とはだいぶ雰囲気が違う。
311SSBN:02/10/30 00:02
あとはメンアットアームズからも出てましたな、ビザンツ。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4775300253/qid=1035903607/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-8766501-0622651
>>310
鱗みたいってチェーンメイルとか言う奴で西欧でも似たようなの付けてませんでしたか?
プレートアーマーは百年戦争前後から
312世界@名無史さん:02/10/30 00:19
>311
>鱗みたい
スケイルメイルじゃない?…野暮な突っ込みスマソ
313世界@名無史さん:02/10/30 03:11
その画像見る限り、ヨーロッパのチェーンメイルとほとんど違わないように見えるが?

>>310の言う西洋甲冑ってどんなものだ?
西洋もこういう感じのチェーンメイルが典型的な武装だったと思うんだが。
314:02/10/30 07:49
>>311
>>312
>>313

俺がいったウロコみたいなのって、そのチェーンメイル(?)という奴みたい。
甲冑&西欧史のことは詳しくないから、1098年の十字軍のアンチオキア攻略を描いた「アンチオキ
アの陥落」(ヴァンサン・ドゥ・ボーヴェ『歴史鏡』)に描かれている西欧人の甲冑(プレートア
ーマー?)とだいぶ雰囲気が違うなあ、と思ってしまった。

(十字軍のちょっと前の在位976-1025のバシレイオス2世の肖像画もウロコの甲冑を着ているから、
『同時代でも違うものを着ている』と思ってしまった)

でも、今見たら、「アンチオキアの陥落」は描かれた時代は15世紀だった。
本当には、西欧もビザンチンも同時代には同じような甲冑を身に着けていたのかな。
315:02/10/30 08:04
ちなみに、
14世紀にがかれたキプロスの聖ニコラオス・ティス・ステギス教会の壁画「聖テオドロス
と聖ゲオルギオス」、同じく14世紀に描かれたイスタンブールのコーラ修道院(カリエ・
ジャーミー)に描かれる戦士も、ウロコみたいな甲冑を着けている。

時代が下っても、ビザンチン側は、プレートアーマーに移行しなかったということなのかな
316ビザンツ軍は東方的?:02/10/30 12:12
ウロコみたいな鎧は黄金のビザンツの本でよくわかる。
ところでもう一つ気付いたのは
ところで、ビザンツ軍の装備って、なんかササン朝ペルシアやパルチア
の重曹騎兵にかなり似ている気がするが、そう思うのはおいらだけか?
317世界@名無史さん:02/10/30 12:58
>>308
古代ローマから中世ビザンツはともかく
西ローマ帝国の時代から中世西欧って、軍事は進歩したのか?
文化的にも後退したのだから、むしろ、軍事も後退したのでは?
318世界@名無史さん:02/10/30 13:05
>>311
ありがと。早速購入しますた
319世界@名無史さん:02/10/30 22:47
ビザンツ帝国って古代の生き残り
といえるのだろうか。
320世界@名無史さん:02/10/30 22:52
ビザンツ帝国は形式的には古代の生き残りだけど、内容は中世封建社会に
変質したものと見るべきではないかな?
321SSBN:02/10/30 23:04
>>316
ビザンツのカタフラクトはササン朝でも似たような用語が有る。というかペルシアから取り入れたのでは。
類似点についてはササン朝やイスラムが主敵ですから優れたところを取り入れたのでしょうかね
>>317
前から思っていたんですが、そんなに中世欧州は古代より退化してたんですかな?
322世界@名無史さん:02/10/31 02:53
>>317
バリスタを禁止して密集槍騎兵突撃を最強とするルールを作ってしまったから、
軍事技術は騎兵の重装化に偏って発展した。これを進歩と呼ぶか退歩と呼ぶかは
好み次第。
323世界@名無史さん:02/10/31 10:49
戦術や軍システムなどは明らかに退化したと言っていいんじゃないかな。
装備はようわからん。
324世界@名無史さん:02/10/31 12:50
西欧は文化の未開地域に後退したが、ビザンツは高いローマ文化をずっと
中世にまで維持しつづけたのだろうか?
だとすると、ビザンツのみは文明の後退や暗黒の中世という事態を免れたのか?
325:02/11/02 02:07
>>324
>西欧は文化の未開地域に後退したが、ビザンツは高いローマ文化をずっと
>中世にまで維持しつづけたのだろうか?

9世紀のビザンチン帝国の知識人コメタスがこんな詩を残しています。

 私、コメタスは、ホメロスの書が朽ち果て、
 区切りも打たれていないのを見て、
 区切りを入れて巧みにそれを切り分けた
 腐ったものを不要と洗い流し、
 書き込みをして、有用なものを新しくした
                      (井上浩一訳)

ビザンチン帝国は、7、8世紀にイスラム勢力の大攻勢を受け、「パンとサ
ーカス」のパンが廃止し、テマ制で国民総屯田兵化することで生き延びました。

この間に、ローマ時代に持てはやされたギリシア語の古典研究は一時相当に
衰えたようです。

しかし、上記の詩にあるように、国力が回復した9世紀からは、再度ギリシア
語古典研究が再開され、滅亡の時まで受け継がれたようです。
326:02/11/02 02:31
9世紀のコンスタンチノープル総主教フォティオスは、若き日に、7、8世紀の
間に散逸したギリシア古典写本を収集し、古典の復活を目指した、と言われている。

彼は386冊の写本を読み、『文庫』という便覧にまとめたという。
今日、『文庫』における抜粋しか残っていないギリシア古典も多いそうなので、
彼の業績は現代の古代ギリシア研究にも役立っているといえる。

9世紀の『文庫』以降、こうした古典写本便覧は作られなくなるが、これは古典
研究が再度衰えたためではなく、10世紀のコンスタンティノス7世以降、古典
収集が国家事業になり、個人による便覧制作の必要がなくなったからだそうだ。

古典の"継承"という意味では、ビザンチン帝国は、7、8世紀以外には暗黒の中
世を経験することがなかった、と言えそうですね。
327:02/11/02 03:01
もしビザンチン帝国が滅びずに存続し続けていたら・・・

http://www.byzantium1200.org/hagia.html
ハギア・ソフィアは、こんな姿で、

http://www.byzantium1200.org/hipodrom.html
ヒッポドロームは、こんな姿で、

http://www.byzantium1200.org/greatpalace.html
大宮殿は、こんな姿で、

現代に受け継がれていたのだろうか。
328世界@名無史さん:02/11/02 12:09
>327
おぉスゲー
329:02/11/02 17:24

http://www.byzantium1200.org/apostles.html
ヴェネチアのサン・マルコ聖堂のモデルになったと言われ、今は跡形も無く
消え去った聖使徒教会もこんな姿で見られたのかな。

http://www.byzantium1200.org/senate2.html
こちらも今のイスタンブールには跡形すら残されていない元老院。
たしか、いま、おの場所にはトルコ風呂があるんだよなあ。

http://www.byzantium1200.org/boucoleo.html
マルマラ海に面した宮殿。
再現CGはヴェネチアのドゥカーレ宮殿によく似ているけど、サン・マルコ同
様、宮殿もヴェネチアはビザンチンに倣ったのか。

こんなのが今のイスタンブールに残っていたらなあ・・・
330世界@名無史さん:02/11/02 22:47
>327,329
ここ面白い!
この間旅行した時、フェティエジャミイ(旧テオトコス・パマカリストス?教会)とか
ゼイレックジャミイ(旧パントクラト−ル教会?)とか一生懸命探したの思い出した。

壊されずに転用されたものはその分マシなんでしょうかね…。
331世界@名無史さん:02/11/03 23:54
t
332象使いの少年:02/11/04 00:39
ニュースの時間です。
今日午後、ローマ皇帝コンスタンティノス15世陛下が親善訪問の為、成田空港に到着されました。(タラップを降る皇帝のが画像に変わる)
皇帝は天皇陛下と迎賓館で会見された後、宮中で催された晩餐会に出席されました。(皇帝を歓迎する人々の映像と、天皇皇后両陛下と並ぶ皇帝夫妻)
明日は小泉首相との会談が予定されています。
333:02/11/04 01:17
>>330
>この間旅行した時、フェティエジャミイ(旧テオトコス・パマカリストス?教会)とか
>ゼイレックジャミイ(旧パントクラト−ル教会?)とか一生懸命探したの思い出した。

おお素晴らしい!
私もイスタンブールに行った時、いろいろビザンチン帝国の跡を探そうと歩き回りましたよ。
私はブルーモスクを出てマルマラ海の方に向かったところにある小さなバザールのさらに奥
辺りの石垣を見て、「これって、ビザンチン時代のマルマラ海側の城壁だったのかなあ」な
どと思い感慨にふけりました。
334YP:02/11/04 01:34
やはりミナレットがあった方が見栄えが格段に良い。・・と思う。
335:02/11/04 01:40
>>334
>やはりミナレットがあった方が見栄えが格段に良い。・・と思う。

その通り・・・。
「あの塔が邪魔なんだ」とギリシア人たちは言うけれど、
あの4本のミナレットが、アヤソフィアに奇跡的な美を与えていると思う。

ミナレットが付いた姿を見てしまうと、ビザンチン時代のアヤソフィアは画竜点睛を欠いている
ように見えてしまう・・・
336 :02/11/04 04:00
セルジューク・トルコのキリスト教改宗に成功し、トルコ人を"ローマ人"として
引き込むことが出来たなら、ビザンチン帝国は新しい活力を手に入れることが出
来たろうね。

それこそ、対アラブ、ペルシア、ヨーロッパ、どこに対しても最強の正教帝国が
登場することになる。

もちろん、皇帝は、"ローマ人"であるトルコ人がなるのだろうが・・・
337  :02/11/04 04:07
スラブ人(含むロシア人)やブルガリア人を正教に改宗させることに成功したビザンチン
帝国が、なぜセルジューク・トルコの改宗には、ほいとんど成功しなかったのか。

それは、スラブ人(含むロシア人)やブルガリア人が正典を持つ一神教を知る前の民族で
あったのに対し、セルジューク・トルコのトルコ人たちが、既にイスラム教という正典を
持つ一神教に出会っていたからだろう。

正典を持つ一神教ゆえのインパクトを知るイスラム化したトルコ人に、正教はインパクト
を与えることが出来なかったのだろう。
338世界@名無史さん:02/11/04 13:43
l
339( ´∀`):02/11/04 15:37
少なくとも第一次世界大戦は、起きなかったかも。
オーストリアの動きを止め、範スラブ主義はなかったかも。
340世界@名無史さん:02/11/04 15:38
tes
341世界@名無史さん:02/11/04 18:13
何、大戦が起きなかったら新たな大戦が起きるだけさ。
342 :02/11/05 03:21
逆にさ、どう対処していれば、滅亡を免れることが出来たか考えてみてもよくない?
343Amazonのビザンチン軍の本買った者:02/11/05 10:59
>327-330
うわーっ、すっげぇー。こんなの初めて見た。このスレ勉強になるわホント。
この模型見ていて、やはり古代ローマ建築の匂いを感じた、特に元老院とピッポドローム。
ありがと。

344テオドシウス4世:02/11/05 11:12
>342
やろうやろう^^
じゃ、まずおいらから。
思い付きですいません。すぐ出てくるのは・・・
1.バシリウス2世の跡を有能な皇帝が継いでいたらよかった。
2・ニケーア帝国は1250年代にはバルカンと小アジアで一応最強になった時点で
コンスタンティノープルよりも小アジア統一をまず目指していたら状況は
変わったかも(つまりその時点でオスマン朝の芽を摘む事できた)。
どちらにせよ、モンゴルやティムールのことを考えると1300年頃に再び大帝国になっている必要があった。
345世界@名無史さん:02/11/05 12:23
>>342
イスラム教に改宗する。
346世界@名無史さん:02/11/05 12:29
>345
それはあるイミ新鮮かもなあ。コンスタンティヌス帝がキリスト教に
改宗したように、強力な宗教を取り入れるというのは。一度前例が
あるんだから、“高度の政治的判断”的な皇帝の決断一つで、やって
やれないことはないかも?
347カメレオンI世 ◆qBS27nfd8c :02/11/05 14:13
>>345
改宗しないまでも、宗教を取り入れることは、確かに必要かも。
ノルマン朝シチリア王国では、ローマ教皇に破門されることなど意に介さず、
イスラム教徒軍をうまく統御して、ローマ・カトリック信者も、ギリシア正教
の人々も、イスラム教徒も、平和に豊かに暮らしていたという。
現実には有り得ないような話だが、本当の話だ。
348世界@名無史さん:02/11/05 18:11
>347
へえ、面白い。
しかし、時代を経てトップの意志がそのまま続くとはなかなか思い難い・・・。
トップがどれかの宗教に属していればなおさら。
結局爆弾を抱えて走っている気がするなぁ。
349世界@名無史さん:02/11/05 18:47
イスラムに改宗していたら、トルコによる滅亡はなくなるだろうが、
19世紀後半に西欧諸国によって滅ぼされそうだな・・・
少なくとも、ロシアの目の敵にはなっていそうだ。
350世界@名無史さん:02/11/05 19:50
>349
ビザンツがイスラムに

ロシアもイスラムに

西欧に学者流入が起きないのでルネサンス起こらない

イスラム世界制覇(゚д゚)ウマー

とか連想してしまた。
351:02/11/06 01:14
>>343
>この模型見ていて、やはり古代ローマ建築の匂いを感じた、特に元老院とピッポドローム。

何をソースに再現したかは分からないけど(w、あの元老院の建築って、ローマのパンテオン
そっくり。
352象使いの少年:02/11/06 01:27
おちついてー!
イスラムに改宗したら、もはやローマ帝国でないどころか、ビザンツ帝国でさえない、別の国が一つ出来ることになる。
それは滅亡と変わらないんじゃない?
353:02/11/06 01:44
俺は、マヌエル1世が、対ノルマン、対ヴェネチアの戦争なんてせずに、金と時間を小アジアを
じわじわトルコから奪回する目的に使っていれば・・・と思う。

小アジアこそ、ビザンチン帝国の生命線。
354:02/11/06 02:00
ビザンチン帝国を支えたのは、キリストの地上の代理人として世界を支配する帝国なのだ、
という建前。

あのムハンマドすら敬意を払ったその建前を捨ててしまっては、実は、他のイスラム諸国と
同様、かえって短命になってしまったかもしれない。
355世界@名無史さん:02/11/07 01:35
>>353
やはりマヌエル1世が衰退の転機となった皇帝(時代)なんでしょうか?
356:02/11/07 02:07
>>355

私の意見は、大部分、

 根津由喜夫;ビザンツ 幻影の世界帝国、講談社、1999年

の受け売りです(w

でも、実質的にビザンチン帝国が大国の座から転がり落ちるた原因が、第四回十字軍
であったことを考えると、ヴェネチアと反目する直接の原因を作ってしまったマヌエ
ル1世の時代は重要だと思います。
357世界@名無史さん:02/11/08 19:52
誰やねん城門を閉め忘れたのは
358318:02/11/08 20:03
>311
さっそくビザンチン軍の本を読みますた。
10世紀以後のビザンツ軍ってイラストではあまり古代ローマっぽくないね。
(ヒラヒラスカートみたいな裾とプテルゲスは古代ローマ以来なんだろけど)
特にクリュバロトロスなんか西欧の騎士をイメージしてしまった。
もしかして西欧の騎士の全身重装備ってビザンツが元祖なの?て思ってしまった。

AMAZONの本にはないけど6〜8世紀のビザンツ軍のイラストも見てみたい
まだ古代ローマ的な姿かも。
359世界@名無史さん:02/11/08 23:28
[[
360世界@名無史さん:02/11/08 23:41
]]
361世界@名無史さん:02/11/09 00:06
[]
362世界@名無史さん:02/11/09 02:50
というか、イスラムに改宗したところで要衝ビザンチウムを明渡さない限り
オスマン朝は攻撃を止めないと思うが。存続を認められるのであれば
どっか転封された土地でオスマン朝の属藩として生き延びるしかないが
それではビザンツでも帝国でもない罠‥。
363世界@名無史さん:02/11/10 15:05
age
364世界@名無史さん:02/11/10 18:17
たいしたネタじゃないのでsageさせてくらさい。

遅レスですが>332
「コンスタンティノス15世陛下」の皇后陛下は、
どこから御輿入れあそばした方なんだろう、とか考えてたら
ちょっと夢中になっちゃいましたよ。

ハンガリーもセルビアも苦しいし。
大穴でコンスタンティノープルのもと踊り子か、
アテネ大学哲学部教授の娘、とかなんでしょうか。
365象使いの少年:02/11/10 20:11
旧満州帝国皇弟妃愛新覚羅浩(嵯峨浩)さんのご令嬢がお輿入れされました。
正教では異教徒との結婚は許容されないため、改宗されてからの興し入れ
でした。
ご結婚のもようは広く報道され、以来、日本でも正教式での結婚が好まれる
ようになりました。
正教会の信徒人口も増えたようです。
366世界@名無史さん:02/11/11 00:03
素早いご教示忝い。
東の果てから御輿入れとは…。
ロシアを挟撃とかそういう思惑はないですよね。

そして当日のハギアソフィアでの盛儀が眼に浮かぶようです。
367世界@名無史さん:02/11/11 22:54
p
368象使いの少年:02/11/11 23:48
日本のある放送局のレポーターは、当日の模様を「私たちは今、天上に居るのか、地上にあるのか解りません」と伝えた言葉はその年の流行語になりました。
20世紀には、ビザンツ、いなローマ帝国もまた、立憲君主制の民主国家です。
この結婚は両国民の慶事でしたが、君主の縁戚によって「挟撃」というのは、日本にとってもローマにとってもいまやナンセンスです。
369世界@名無史さん:02/11/13 15:00
>318さん
亀レスですが、メンアットアームスのシリーズにその物ズバリの「ビザンチン帝国の軍装」
があります。あと「十字軍の軍装」の中にも数点のイラストがあったような・・・。
日本語訳が出ているので大きな書店で容易に入手は可能ですし、イラストや資料が豊富です。
これで見る限りでは前線部隊に関してはかなりオリエント的な服装ですね。
逆にセレモニーの時は思いっきりローマ的だったりして。
370世界@名無史さん:02/11/13 17:46
でも肖像画だけみると妙にホモ臭くみえるメフメット二世は何であんなにコンスタンティノープルに固執したんだろう?
371世界@名無史さん:02/11/13 17:48
井上浩一先生元気かな〜。
372世界@名無史さん:02/11/13 17:52
>>370
ホモ臭いのではなくホモなのだが・・・・・。
373世界@名無史さん:02/11/13 17:55
>>372
ホモじゃなくてバイでは?

>>370
確かにあの時のオスマン朝の勢いだったら弱小都市国家の一つや二つくらいほっぽっといても良さげな気もするけどね。
それともホモ特有の執着心?
374世界@名無史さん:02/11/13 18:05
>>373
そうですた。両刀使いなのでバイです。

>>370
弱小都市国家とはいえ、背後にはヴェネツィア等のキリスト教海洋勢力が
あるわけで、地中海の覇権を狙うという点からも、征服せざるをえなかったと。
375世界@名無史さん :02/11/13 18:55
ヨーロッパは永遠に大いなる田舎のまま。
ローマ帝国がキリスト教を受け入れた後も続いたように、
ペルシアがイスラム化以後もペルシア文化が存続させたように、
宗教とローマ帝国は心中する事はなかったろう。
逆に言えばキリスト教に取付かれた為に帝国も滅んだ。
376世界@名無史さん:02/11/13 19:00
祭政一致は堅固なようにみえて実はもろいんじゃないか?
特定の宗教に裏付けされた王権は国の文化と心中するのかも。
もしビザンツ皇帝が神聖ローマ皇帝のように俗世界の者で在り続ければ、
逆にローマ皇帝も長く続いたのじゃなかろうか。
スルタンカリフ制だってビザンツ帝国を見習ったものだし、
逆に言えばオスマントルコ帝国のその後が、
ビザンツ帝国が存続したシナリオになるんじゃなかろうか?
イスラーム教の存在で目立たなかったけれど、
カトリックと正教の対立は相当根深いものがあったらしいし。
377世界@名無史さん:02/11/13 20:46
日本も創価学会&公明党の祭政一致で滅亡するんじゃないかな。
378:02/11/13 22:08
コンスタンチノープル総主教もビザンチン皇帝と対立したこともあったらしいけれど、
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の関係と比べると、ほとんど皇帝に従属した存在だった。

権力の行使者にあまりに近い宗教は民衆の心を捉えられない。
結局、ビザンチン帝国では、総主教よりも、アトス山や各地の山奥の修道院に篭った
修道士たちが聖人視されるようになっていく。

民衆の精神的な支柱としての存在感で言えば、コンスタンチノープル総主教は、西ヨ
ーロッパのローマ教皇にはるかに及ばない存在だった。
379世界@名無史さん:02/11/13 22:24
世界史板ってホントにビザンチンヲタ多いんだな・・・
380世界@名無史さん:02/11/14 20:28
>378
皇帝を破門した総主教もいるのかな?
381:02/11/14 20:35
>>380
>皇帝を破門した総主教もいるのかな?

いや、それはなかったと思う。

コンスタンチノープル総主教の宗教的な裁定が皇帝にとって都合がよくなかった時に
ローマ教皇に自分に都合のいい裁定を依頼する、ってことが800年以前にはあった模様。
382世界@名無史さん:02/11/14 21:07
テオドシウス1世は破門されかかったのでは?
383:02/11/14 21:09
>>382
>テオドシウス1世は破門されかかったのでは?

それは知りませんでした。
コンスタンチノープル総主教から、ですか?
384世界@名無史さん:02/11/15 17:41
g
385世界@名無史さん:02/11/15 21:34
質問です。
ビザンツ帝国専攻の有名な教授の方を(できれば大学名も)
教えてほしいのですが・・・。
386世界@名無史さん:02/11/15 23:46
大阪市大の井上浩一(字は違うかも知れないスマソ)かな。
大学のホームページでネット講義もやってるよ。
387世界@名無史さん:02/11/16 00:39
>>383
ちくま文庫版「ローマ帝国衰亡史」第4巻356〜363ページに書かれた事件。

テサロニカで市民の暴動が起こり、皇帝テオドシウス1世はその市民を競技場に
集めて無差別殺戮を行った。
ミラノ大司教アンブロシウスは破門を匂わせて皇帝が教会へ入るのを阻んだ。
8ヶ月の悔悛苦行でようやく許された。
388世界@名無史さん:02/11/16 00:54
>>387
と、あまりにも簡単に書いてしまいましたが、経過はもっと複雑です。
389世界の先進地が中東に・・・:02/11/16 11:42
もしオスマントルコの登場がなかったら、西欧の近代化は今ほど加速されな
かったでしょう。
異教徒トルコの脅威が、西欧の国家、社会、軍事の近代化を加速させる原動
力ですから。進歩すれども遅れは必至。
もし、十字軍も無いならイタリア諸都市の隆盛すら無かったかも。。。

また、存続した東ローマ帝国が、モンゴルもチムールを跳ね返し、シリア・
エジプトまで回復できれば、15世紀には明の鄭和艦隊が訪れ、インド洋、
紅海を中心とした“大航海時代”が起こる。
共通の敵チムール(=イスラム教徒)封じ込めの意味もあり、かつての
ローマと漢のように仲良く海上貿易することでしょう。
資本の集積の中心地は中東となり、産業革命は中東で起こり、石油の開発
で文明の中心地に! → 新大陸発見は遅れ、西欧は田舎のまま。

これぞビザンチン最強のシナリオ。立憲君主制になるにせよ、人類社会の
盟主でありつづけたことでしょう。。。
390385:02/11/16 19:11
>386 ありがとう、のぞいてみる。
391世界@名無史さん:02/11/16 19:55
そうかなあ?
12〜13世紀の時点で農業技術は西欧がビザンティンより発達していたし
海運力・海軍力もビザンティンはイタリア諸都市の後塵を拝していたと思うのだが
しかも十字軍の経験から西欧は異文化世界との外交を学んでモンゴルやティムール帝国と
接触を持っていたし
西欧もこの時代になると過小評価できんと思うのだが・・・
特に南イタリアのノルマン王国やフリードリヒ2世は西欧でも抜きん出ていたと思うけど
392世界@名無史さん:02/11/18 02:00
まぁ、西欧が外部へ力を吐き出すキッカケとなった「十字軍」。
近代化せざるをえない状況へ追い込んだ「オスマン朝」。
どちらもトルコ族の東進が原因ですな。

そもそも何でかれらは西を目指したんだっけ? ウイグルにでも追われたか?
393世界@名無史さん:02/11/18 02:06
>>392
トルコ人が中央アジアまで入ってきたのは
突厥がウイグルに追われウイグルがキルギスに追われたのと関係あるが、
その先からは先進文明を求めてイスラム世界の中心に向かって移動していった。
394突厥:02/11/18 02:10
>>393
>その先からは先進文明を求めてイスラム世界の中心に向かって移動していった。

ところが、トルコ人はイスラム化してしまったため、同じイスラム教徒を略奪の対象にする
ことが出来ず、獲物を西へ西へ求めた。

たどり着いた先は、ビザンチン帝国のお膝元、アナトリアだった・・・
395世界@名無史さん:02/11/18 02:20
大学の時、社会学でイマニュエル・ウォーラスティンの
世界システム論を勉強した。
先進国が没落していくのは世の常だと痛感した。

イスラムの脅威から立ち直るのに必至だった10世紀までの
ビザンチンならともかく、ハングリー精神をなくした国家は没落
するというイイ教訓。今の日本もまたしかり・・・
396世界@名無史さん:02/11/18 21:17
1025年で死んだバシレイオス2世があと十年長生きしていたらイタリアとエジプト
を征服し、地中海帝国が再現されたという話を聞いた事ありますがホントですか?
397:02/11/19 01:50
>>396

多少、版図は広がったかもしれないけれど、バシレイオス2世の時代には、すでに独立
自営農の没落は止められない流れとなっていたから、その広げた版図の維持は出来なか
ったんじゃないかな。

あれ以上外征を続けたら、独立自営農の没落のスピードはもっと速まったろうから、ビ
ザンチン帝国が1453年までもたなかった可能性も出てくるのでは?
398世界@名無史さん:02/11/19 16:06
それに政治改革というか税制改革せんと重税に反発して
第2次ブルガリア帝国建国したアセン兄弟のような反乱者が続出すると思うなあ
あとバシレイオス2世はこれ以上無理な領地拡大をしてユスティニアヌスの二の舞に
ならなかったからこそ賢君といえるのでは?
世界帝国よりは地域大国をめざすほうが当時のビザンティンにはふさわしいのでは?
399名無し:02/11/19 16:29
 現実の国家としてのビザンティン帝国は1453年に滅亡
しましたが、精神面でのビザンティン帝国は、ビザンティン皇女ゾエを
王妃にしたモスクワ大公国を経て、帝政ロシア・ロマノフ王朝に継承され
たと思います。ゆえに、ビザンティン帝国の世界帝国としての夢は帝政ロシア
が達成したと思います。
400世界@名無史さん:02/11/19 16:40
あふぇ
401401:02/11/19 16:52
悲惨朕帝国
402世界@名無史さん:02/11/19 23:28
ビサンツ帝国では?
403世界@名無史さん:02/11/19 23:50
為政者の能力や、大衆の精神面も大きいけれど、
それ以上に「人口密度の低下」がビザンツの没落を決定づけたのでは。
特に十字軍の頃から広がったペストは深刻。。。
さらに一粒あたりの麦の収量も下がったと文献で読んだことがある。
農業面で開墾&技術が進歩した西欧と、パワーバランスが逆転した。

かつての森に覆われた先進地、中東でさえ、伐採&気候変化で
砂漠の“未開”地になってしまった。パワーシフトは歴史の必然。
404世界@名無史さん:02/11/20 13:01
要するにパラエオログス王朝以後は人口も経済も乏しいうえ、人材もなかったから
必然的に消滅したわけですな。
優秀なギリシア人やブルガリア人、スラブ人など旧ローマ市民達は皆、ビザンチン帝国という
中小企業に参画するよりも、オスマン・トルコという大企業でイェニチェリとして就職する
道を選んだと考えればいいのですかね?
倒産しかけの中小の国に仕えるよりは大きな将来性のある国に勤めたいというのは人間のサガでしょうし。
405名無し:02/11/20 13:10
 ビザンティン帝国は、世俗帝国の面はオスマントルコ帝国に、
宗教帝国の面は帝政ロシアに継承されたと思います。
406世界@名無史さん:02/11/20 17:07
i
407世界@名無史さん:02/11/20 20:20
ところでブルガリアなんかはボゴミール派のような異端はかなり弾圧しましたが
ビザンティンは異端に対してはどんな対応したのですかね?
408世界@名無史さん:02/11/21 00:59
op
409世界@名無史さん:02/11/21 17:01
l
410世界@名無史さん:02/11/21 20:26
>>407
結構弾圧していたらしい。
イスラムに対し、エジプトとかが簡単に陥落したのも、そこの単性派がイスラムについたのが原因の一つといわれている。
411世界@名無史さん:02/11/21 21:44
異教徒よりも異端のほうが厳しく弾圧されるのが世の習い
412世界@名無史さん:02/11/21 21:55
>404
「中小企業」とは上手い表現。
結局、世界帝国「東ローマ帝国」は、地域国家「ビザンチン帝国」になって
しまった時点で衰退を運命づけられた。
それまでは中国のように「文明の中心」であり続け、異民族であろうと、
彼らを受け入れ、飲み込み、そのバイタリティーが国家の原動力だった。
ユスティニアヌス帝はアドリア海の出身だし、ヘラクリウス帝はアフリカ
出身。でも、彼らは帝都の文明に感銘し、自らその文明に貢献しようと
働いた。同じように、14世紀、セルビアのステファン=ドゥシャンが
ビザンツ皇帝になっていればトルコに負けなかっただろう。

日本も、有能な外国人は受け入れ、日本人の若者と職を競わせるくらいの
事をしないと、衰退の一途になるんだろうなぁ。。。。
413象使いの少年:02/11/21 23:00
面白い意見だね。
でも、そうなったとき、どうやって「日本」や「日本人」のアイデンティティを定義づけるの?
ビザンティンの人々は自らを「ローマ人」「キリストの帝国の臣民」と思い込むことで頑張り抜いたわけだけど、それでもトルコ人に負けた。
「神の代理人」だとか「地上に於ける神の王国の似姿」だとか「アウグストゥスとコンスタンティノスに連なる唯一の正当な人類の支配者」だとかそんくらいえげつなくて汎民族的なイデオロギーがないと多民族国家はまとまらないよ。きっと。
414世界@名無史さん:02/11/21 23:09
結局、近代ナショナリズムの台頭によって多民族国家であるオスマン帝国や
ハプスブルク帝国などの帝国が解体の憂き目にあったわけだしね。
415世界@名無史さん:02/11/21 23:57
アメリカの原動力は”俺らが正義”なのか?
いつかあそこも崩壊するのだろうか
416象使いの少年:02/11/22 00:18
アメリカ合衆国とローマ帝国の類似

僕の考えだとアメリカとローマってよく似てるんだよね。
大統領と執政官とか、市民権さえあれば、みんな平等とか国号とかその他色々ね。
まあアメリカ人が真似しただけかもだけど。
偉大なローマが滅びたように、偉大なアメリカもいつかは衰えるよ。
417世界@名無史さん:02/11/22 00:46
アメリカか。
今だけを見ると滅びそうな気がしないのは何故?
(綻びは探せばあるが)
ローマ帝国に住んでいた人達もまさか滅びるとは思わなかったんだろうな〜
418世界@名無史さん:02/11/22 16:37
ビザンツの起源は韓国です
419世界@名無史さん:02/11/22 16:40
板違いですが
城砦
の読み方を教えてください
420世界@名無史さん:02/11/22 19:30
じょう‐さい【城塞・城砦】ジヤウ‥
城と塞とりで。しろ。とりで。

[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
421世界@名無史さん:02/11/22 20:25
うーむ。バシレイオス2世没後もマニアケス将軍のような卓越した将帥がいたんだが・・・
結局、反乱に失敗して皇帝になれなかった。もし、マニアケスが皇帝に即位したらもう少し最盛期は延びたかも・・・
まあ軍事的に天才であっても政治的に天才である保証はないんだが・・・
422世界@名無史さん:02/11/22 21:43
アメリカが他国に干渉しすぎて孤立すると滅びのカウントダウンだね。
アメリカvsその他の連合国家。
結果アメリカは敗北する。
アメリカは連合軍に分割される事となる。
日本は西北部を所領する。
西南部はドイツが所領。
残りの東半分は全て統一朝鮮の領土となるであろう。
423世界@名無史さん:02/11/22 21:46
その時には、世界各地に核ミサイルが乱れ飛び、
人類の存亡を賭けた戦いになるだろうね。。。
424世界@名無史さん:02/11/22 22:40
戦争によらずにどんどん沈んでいくパターンでしょ。
425世界@名無史さん:02/11/23 00:27
有色人種の比率が50%を越えれば、かなりやばい。
社会の公共概念とか正義の概念は、白人社会のそれがベースだし、
言語が不統一になればさすがに。

それでも、自動翻訳機くらいは発明しそうですが。
426世界@名無史さん:02/11/23 00:28
もともと日本は渡来人の力をうまく利用して国を活性化したじゃないか。
だから、移民を入れて活力を取り戻すという考えは基本的におかしくはない。

低出産率から考えても、日本人にこの人口を維持する活力は無いとも言える。
427世界@名無史さん:02/11/23 00:50
>>426
マルサス読んだことある?
428世界@名無史さん:02/11/23 01:51
>>426
人多い、仕事あぶれる、子供生まなくなる、人口減る、働き手いなくなる
また人増える以下繰り返し
429世界@名無史さん:02/11/23 02:45
人材不足で国が滅亡したっていうのは極端なハナシになってしまうかと。
バシレイオス二世時代に領土が拡大できたのは、別にバシレイオスが天才的な
軍略家だったというわけでもないし。
マンツィケルトで大敗した時の皇帝ロマノス四世は高名な将軍だったハズ。
ビザンツ中興の祖として一部でメジャーなアレクシオス一世だって、戦争
では結構負けていたようだし。

ただ国としての求心力が失われたために衰亡したっていうのは賛成。
ビザンツ末期には自分たちを「ローマ人」ではなく「ギリシア人」だと考える
ナショナリズムも芽生えつつあったというハナシもあるようだし。

あ、神聖ローマ帝国は求心力まったくなかったけど1000年近く保ったっけ(汗
430世界@名無史さん:02/11/23 11:21
>>429
神聖ローマ帝国の場合はむしろ逆に
全く求心力の無い名目的存在でしかなかったからこそ
長続きしたんだと思う。

日本の皇室と同じ。
431世界@名無史さん:02/11/23 12:10
>428
いいじゃん!
移民流入→人多い→仕事競争→DQNあぶれる→DQN子供生まない
→DQN人口減る→働き手不足→新たな移民流入→※くりかえし

だから、国家が生き残るには「ハングリー精神」が必要なんだって。
まぁ行き過ぎるとナチス独逸になっちまうが。
今のままじゃ中国に飲み込まれるのも時間の問題。。。
432武装共産党 ◆WE7QmhAn86 :02/11/23 12:12

偉大なる毛主席万歳万歳万々歳!!!

毛沢東ド チェック
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/2791/maotsetung.htm


433世界@名無史さん:02/11/23 18:35
;p
434世界@名無史さん:02/11/23 19:47
このスレはビザンティンがもし存続していたならばというわけだけど
もし本当に存続していたらその領域はどのあたりかな?
折れはギリシア・ブルガリア・セルビア・ボスニア・モンテネグロ・マケドニアといった正教徒地域とアルバニア・小アジア・トラキア・キプロス・アルメニアぐらいじゃないかと思うのだが
ちょっと妄想が入っているけど
435世界@名無史さん:02/11/23 21:09
コンスタンティノープル陥落までは
確実に残っていただろう古代の文献が悔やまれる。
即ち、
リディウスのローマ史2/3
内乱記の欠損部
キケロ全集の完全版
タキテゥス年代記
アグリッピーナ・ドミティアヌス・ハドリアヌスの回想録
ダキア戦記・・・
etcetc
たわけか〜!と叱り付けたい。
436世界@名無史さん:02/11/23 22:50
>>434
トレビゾンドやアンチオキアあたりにしがみついて・・・という妄想を。
437世界@名無史さん:02/11/24 00:08
移動を繰り返してシベリアの奥地あたりに面積だけはトラヤヌス帝時代以上にでかいビザンツができていれば面白いだろうな。
でも場所が場所だけに貧乏で帝国とは名ばかり。
石油採掘技術などが発達して資源取れるようになるまでは・・・
438世界@名無史さん:02/11/24 00:54
光栄ゲームの「ジンギスカン蒼き狼と白き牝鹿」をやってると
シベリアやアフリカにビザンツ帝国が大移動することもままあり。。。
439世界@名無史さん:02/11/24 23:28
r
440世界@名無史さん:02/11/25 11:11
ビザンチン帝国が大企業だったのは1185年までということ?
それ以降は中小企業でギリシア民族の地方国家
441世界@名無史さん:02/11/25 21:04
p
442世界@名無史さん:02/11/25 22:11
>440
 1071年のマンジケルト敗戦、あるいはそれ以前から没落の兆しが
あると諸説あるでしょう。少なくともロマヌス帝が率いた30万の軍団
は堂々たる多民族軍だったようなので。。。

 確実なのは1204年、第四回十字軍によるコンスタンティノープル
陥落。首都が陥落したに限らず、帝国は解体、セルビア・ブルガリアな
ど属国が自立。さらに精神面では、「偉大な帝国」の権威が失墜。結果、
西欧社会は東方へのコンプレックスから解放された。
 ギリシャ各地は西欧人の植民地となり、セルビア・ブルガリアの民族
国家が台頭し、海ではベネチア・ジェノバの海運国家が覇権を競う。
 これらに対抗するためにビザンツは、宿敵のトルコやラテン人さえも
傭兵に雇い、自らの身を滅ぼしていった。
443世界@名無史さん:02/11/26 01:20
>442
マンジケルトの敗戦はあまり帝国に被害を及ぼさなかったという
ハナシもあります。バシレイオス二世の頃から外国人部隊は登場
していましたし、仇敵のハズのトルコ人も、後のアレクシオス・
コムネノス帝の下で活躍したりもしてます。

正直、11世紀後半のトルコ人のアナトリア侵入によって、帝国が
どれだけの被害を被ったのかよく分からなかったり。
アナトリア地域って、あんまり農作物の生産力もなさそうに思え
るんだけど・・・課税台帳や土地台帳が現存してればなあ(T_T)
444世界@名無史さん:02/11/26 09:58
>>442
ふむ・・・30万の軍を動員する力があるとなると、やはりなかなかの国力だったんですなあ。
445世界@名無史さん:02/11/26 12:00
>リディウスのローマ史2/3
>内乱記の欠損部
>キケロ全集の完全版
>タキテゥス年代記
>アグリッピーナ・ドミティアヌス
>・ハドリアヌスの回想録
>ダキア戦記・・・
(ToT)
446世界@名無史さん:02/11/26 14:52
ところでビザンチン皇帝の中で一番アホは誰だと思いますか?
たいていの場合は最後の君主がアホ大賞に輝く場合が多いですが
ビザンチンはそうではなさそう、コンスタンティヌス11世は大変立派な皇帝ですし。
447:02/11/26 14:53
http://www.emzshop.com/stirring/
資料請求してみてくれ!
2ちゃんの力を見せてやれ!



448446:02/11/26 15:13
アホ皇帝をみんなでピックアップして彼らの問題点を議論する事が
どうしたらビザンチン帝国が滅びなくてすんだかの糸口を掴む一つの方法
となるのだ。まずはアホな東ローマ皇帝ワースト10を選出しよう。
さあ、みんなやってくれ。
449世界@名無史さん:02/11/26 15:38
アホだと皇帝にはなれないか、なってもすぐ帝位が簒奪されるという罠
450世界@名無史さん:02/11/26 18:37
ゾエ女帝。バシレイオス帝の功績を食いつぶしたバカ女帝
451世界@名無史さん:02/11/26 18:40
ビザンチンチン帝国?
452世界@名無史さん:02/11/26 18:44
>>1

ビザンチンのこどもー こどもー こどもー

  ビザンチンのこどもー ビーザーンちんこー

って歌が流行ったと思う
453世界@名無史さん:02/11/26 19:01
マヌエル
4541:02/11/26 19:30
強制国家が高度に展開したことでしょうよw
455世界@名無史さん:02/11/26 19:36

ビザンチンのこどもー こどもー こどもー

  ビザンチンのこどもー  ビーザーンちんこ!

456世界@名無史さん:02/11/26 19:36

ビザンチンのこどもー こどもー こどもー

  ビザンチンのこどもー  ビーザーンちんこ!!
457世界@名無史さん:02/11/26 19:37

ビザンチンのこどもー こどもー こどもー

  ビザンチンのこどもー  ビーザーンちんこ!!!


458世界@名無史さん:02/11/27 16:29
0-
459世界@名無史さん:02/11/27 20:02
>>412
ヘラクレイオスはアルメニア出身だったような。
460世界@名無史さん:02/11/27 20:08
カルタゴだろ?
461世界@名無史さん:02/11/27 23:01
散々悪く言われているのは
ヘラクレイオス帝に敗れたフォーカス帝と
マケドニア朝を終わらせたアンドロニコス1世
(どっちも恐怖政治を行った皇帝)だけど、
実際はどうなんだろう?
後世の皇帝達に悪伝を捏造された可能性もあるのかな?
462世界@名無史さん:02/11/28 01:24
無能ではないが、
国の将来より自己の栄達を優先させたカンタクゼノス帝許せん!!
463世界@名無史さん:02/11/28 11:32
イサキオス2世に先帝アンドロニコスほどの指導力があったなら・・・
464世界@名無史さん:02/11/28 11:33
アンゲロス朝の皇帝は全員アホだと思います
465世界@名無史さん:02/11/28 11:36
アルカディウスとテオドシウス2世はアホだったけど、当時の東ローマ帝国
自体は、蛮族の侵入に翻弄されながらも地中海世界最強の国だったような。
466世界@名無史さん:02/11/28 18:35

ビザンチンのこどもー こどもー こどもー

  ビザンチンのこどもー  ビーザーンちんこ!!!!

467帝国は不滅なり!:02/11/29 23:02
 イギリスのパレオロゴス家は1988年1月9日付けの朝日新聞の記事で紹介さ
れていますが、その記事によるとトーマースの子孫が1558年にワイト島に渡り
同島の行政長官の娘ジョーン・ドーンツイと結婚、今日まで「皇帝」の地位
を継承してきたそうで、同年1月2日に「皇帝」ペトロス1世パラエロゴス氏
が50歳で死去しましたが、「ペトロス1世」陛下は死去の前に甥の息子を
”次期皇帝”に指名したそうです。

 ということは現在はその方が「ビザンツ皇帝」を名乗っておられるんでしょ
うね(^^;
468帝国は不滅なり!:02/11/29 23:05
469世界@名無史さん:02/11/30 01:41
u
470ナポ:02/11/30 02:10
イサアキオス2世は世が世なら普通の皇帝で済んでたと思われ。
一応皇帝としてのやる気もあったみたいだし。
問題はアレクシオス3世でしょう、
こいつは弁護の余地なしだと思いますが、どうよ。
ところで、イサとアレはどっちが兄でどっちが弟なんだっけ。
471象使いの少年:02/11/30 17:32
>>467
ビザンツ皇帝はなのらんでしょ。
彼等の主観の中では、飽くまで「ローマ人の皇帝」だろうから。
あるいはもっというなら「ローマの第一市民、尊厳者」なのかもだけど。
472象使いの少年:02/11/30 17:39
>>467
面白い情報ありがとね。
パライオロゴス家の末裔の話は聞いたことあるけどそこまではしらんかったよ。
473世界@名無史さん:02/11/30 20:21
@
474世界@名無史さん:02/12/01 15:58
p@;o0o-plp0-@[
475 :02/12/01 16:52
こないだハイビジョンで「秘められた聖地アトス」て正教の修道院
を特集した番組をやってたが、ギリシャ国旗よりビザンツ帝国旗
を高々と挙げてあったのに激しく萌えた。

ちなみに今度地上波でもやるらしい。
ttp://www.geocities.jp/fnagaya2002/TV.htm
476世界@名無史さん:02/12/01 22:57
>>475
ああ、あれは良かったですね。
映像も美しかったし、かつてのビザンツの姿をかいま見ることが出来たような。
477世界@名無史さん:02/12/02 20:56
@
478世界@名無史さん:02/12/05 00:47
p
479:02/12/05 01:42
>>475

見たい!
480世界@名無史さん:02/12/05 19:08
[
481世界@名無史さん:02/12/05 23:56
w
482世界@名無史さん:02/12/06 00:55
ビザンチン帝国が現代まで存続していたら......。
その国家は「ビザンチン」と呼ばれるのを拒んだんじゃないの。
「我々の帝国はビザンチン帝国ではなく、あくまでもローマ帝国です」
そうギリシア語で答えただろう。
483世界@名無史さん:02/12/06 02:12
>>437
それってロシアじゃないの。

ビザンチンが滅びなかったらロシアってどうなってたんだろ。ガイシュツ?
484世界@名無史さん:02/12/06 17:12
:
485世界@名無史さん:02/12/07 00:20
ローマ帝国という国はない!「元老院並びにローマ市民」だ!と「ローマの第一市民」と名乗るビザンツ帝国皇帝陛下はおっしゃるのでは?
無論、ギリシア語で。
486世界@名無史さん:02/12/07 13:59
>>485
無粋な突っ込み
「ローマの第一市民」=「ローマ皇帝」の意訳だから、皇帝という表記で間違いない
かと。

あと
「ローマ元老殷並びにローマ市民」=「ローマ帝国」の意訳だから(以下略)
487世界@名無史さん:02/12/07 14:00
>>486

誤:元老殷
正:元老院

なんでこういう誤変換するかなあ(汗
488世界@名無史さん:02/12/07 15:56
k
489世界@名無史さん:02/12/08 00:42
ぶすいな返し。
英語のEmpire(多くの国々に覇権を及ぼす国)は国語の帝国(皇帝のしろしめす国)とは違う概念なんだよね。>だから、Roman Empireは正しい。でもSPQRをローマ帝国と訳すのは厳しい。

それでも訳語にあてるには、国語の「帝国」なり「皇帝」なりの意味を拡張しないといけないんじゃないの?
さもなきゃただの誤訳だよ。
# ビザンツの政体を共和制だと言うつもりではないよ。念の為
490世界@名無史さん:02/12/08 11:32
>>475の番組今日age
491日本@名無史さん:02/12/08 12:27
ギリシア+イタリア+ロシアほどのインパクトを持つ国になっていたろう。
つまりギリシアの薄情さ、イタリアの粘着さ、ロシアの乱暴さ、
これら三つを併せ持った、周辺諸国から決して好かれる事の無い国。
滅びたからこそ同情されるんだよね。
492世界@名無史さん:02/12/08 13:58
存在感あるとか言ってる香具師も多いが、世界からの見られ方は
ここは李氏朝鮮やエチオピアやイスラエルや日本の天皇制程度の扱いだったかも
しれんと言って見る。
アッバース朝がバグダード周辺のみに封じ込められたこととも並行するが、
ビザンチンに対する領土縮小の流れは否定しないのだから、15世紀当時には既に
小さな領域国家になっていた。
権威は残っても指導権は発揮できないと思うよ。
493世界@名無史さん:02/12/08 14:48
>>492
ただ、主権国家としては最小の面積を誇る(笑)、かの「バチカン市国」は、確かに
権力はほとんど無いに等しいけど、権威だけで存在感ありまくりだからなあ。
少なくとも、正教を信仰する人が多い地域では、一定以上の存在感を示すと思う。

>>491
ギリシャの横暴(若しくは夢見がち)、イタリアの日和見なら分かるが、薄情、粘着
ってのが何を指しているのかがわからん。
494世界@名無史さん:02/12/08 15:02
j
495世界@名無史さん:02/12/08 15:30
>>493
「神聖ローマ」帝国なる国もありましたが、どうでしたか?
496世界@名無史さん:02/12/08 15:34
結局、バチカンと同じような存在になると
497世界@名無史さん:02/12/08 15:38
もし、オスマンとの間に協定のようなものができて、
属国として生き残ることができていたならば、
トルコ革命まで存在しえた、ということになるよね。
革命でも中立を宣言していれば、ビザンツは君主国として、
現代まで生き残ったかもしれない。
トルコの中に浮かぶ国として。
もしそうなっていたら、バチカンよりは影響力のある国なっていたんじゃないか?
498世界@名無史さん:02/12/08 16:22
>>495
「神聖ローマ帝国」の皇帝の権威は、オーストリア皇帝のハプスブルグ家が保持していたと考える
のが自然ではありませんか?
WW1の結果により消滅しましたが、それがなければ立憲王政として生き残れた「かも」しれません。
(しかし、やはり民族自決を叫ばれて、分裂・解体かなあ)

それと、神聖ローマの皇帝は世俗権力の代表者(名目上は)であり、東ローマの皇帝は聖俗双方の
代表者です。そう考えると、もしトルコの隆盛により世俗権力を失ったとしても、正教の聖権のみを
保持し続けることができたとしたら、バチカンのようになれるチャンスはあったかもしれないですね。

>>497
でも、やっぱり仮定が多くなってしまいますね。仕方ないんですけど。
499世界@名無史さん:02/12/08 19:33
>>497
実際パライオゴネス朝はオスマンの属国になっていた時期もあったが。
いずれにしろ宗教が違う以上、オスマンにとって潜在的な敵対勢力と見なされるので、
属国としても500年生き延びるのは困難だろう。
500世界@名無史さん:02/12/08 19:42
ウルトラCのイスラム国教化で生き残り。なーにキリスト教とて、旧帝国末期に
乗り換えたんだから、イスラム教に乗り換え直しても不都合はあるまい。
501世界@名無史さん:02/12/08 20:21
>>475の番組日変更
03年1月11日
ttp://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/
502世界@名無史さん:02/12/08 23:23
1よ。それだったら、大国だっただろうな。
503世界@名無史さん:02/12/08 23:30
というよりよく言われることだが、第一次大戦までが近代。以後が現代。
第一次大戦以前の世界は古代と共存していたのだよ。
庶民の日常生活に文明の利器が入ってきたのはようやくその頃だし。
504生き残るシナリオ:02/12/09 16:13
生き残るとすれば、ビザンチン帝国は、ブコレオン地区のみを版図とするバチカンみたいな政治権力のない国家になっていた。
ビザンチン皇帝は、かつてのような帝国支配者ではなく、ギリシア正教の教皇
として現在にまで残ったというシナリオが一番現実的じゃないかな?
505世界@名無史さん:02/12/09 18:59
>504
同意。
ただ、もう少し広くコンスタンティノープル全域くらいは領域があったんじゃないかな。

しかし、そうなっていた場合、冷戦期にどうなっているか妄想するのが楽しいな。
米ソに利用されまくって、権威が相当低下しそうだが。
506世界@名無史さん:02/12/10 01:45
>>505
いや、だからこんな架空の歴史の話ししてるときに米ソも冷戦もないだろうが。
507世界@名無史さん:02/12/10 12:46
ところで東ローマ帝国が、古代ローマ帝国から中世ビザンチン帝国になったのはいつですか?
いつまでが古代ローマ時代なんだろ。
508世界@名無史さん:02/12/10 12:57
>>507
610年即位のヘラクレイオスの改革まで
509世界@名無史さん:02/12/10 15:43
>>507
コンスタンティノープル陥落までずっとローマはローマですよ
510世界@名無史さん:02/12/10 23:58
[
511世界@名無史さん:02/12/11 02:29
ユスティニアヌスの世界再征服までとどこかで読んだ気がする
512:02/12/11 03:52
いつから東ローマ帝国が、古代ローマから変質してビザンツ帝国と呼ぶ
べき状態になっていったか、という議論では、おおまかにいって以下の
4つの考え方があるようで。

・ディオクレティアヌスから
・コンスタンティヌスから
・ユスティニアヌスから
・ヘラクレイオスから
513:02/12/11 04:06
都市の規模が小さくなったり、食器が貧弱になったり、公衆浴場が放棄されたり、
という現象が遺構から分かるのは、ヘラクレイオス以降の時代かららしいね。

やはり、エジプト、シリアを失った影響は大きかったんだろうね。
514世界@名無史さん:02/12/11 17:18
コンスタンティヌスは「初代ビザンツ皇帝」
ユスティニアヌスは「最後のローマ皇帝」
と呼ばれる。

もちろん本人にそんなことを言っても認めないだろうけど。
>>156
超遅レスだが現在も「共和国」と謳っておきながらじつはドミナートゥスという国が存在するしな
516世界@名無史さん:02/12/13 16:44
良スレage
517世界@名無史さん:02/12/13 18:11

518世界@名無史さん:02/12/13 21:10
今、トルコはEU加盟のために西欧化に必死だけど・・・。
もしオスマントルコのスルタンがもう少し賢ければ、ビザンチン帝国は欧州征服
の足掛りとして、利用価値が非常にあったよね。ギリシャ正教にはイスラム協の
影響が強いが、オスマントルコがコンスタンチノープルの保護者として、ギリシャ
正教を古代イスラム一派として認めお互いが歩み寄れば、今頃、トルコは超大国
だべ。世界の石油産出の殆ど全てを占有してる。
519世界@名無史さん:02/12/13 22:44
>>518
メフメト2世はキリスト教云々は別にしても、東ローマ帝国の後継者を自認していたのは間違いないよ。
だから、旧東ローマ帝国の領域を侵略する大義名分として「東ローマ帝国の復権」ってのもあった。
その「東ローマ帝国の後継者」であることの証明がコンスタンチノープルへの遷都だから、彼にはコン
スタンチノープルの占拠という以外の選択肢はなかったと思う。

ちなみに、正教は「オーソドックスチャーチ」と自称するキリスト教の本来の姿だと主張してるから、
イスラムの一派とか言われれば、逆に猛烈に反発したと思う。イスラム側も、イコンや聖像をを拝む
キリスト教の一派をイスラムの一部に取り込むのはとうてい無理でしょう。

ちなみに、トルコが強国の地位から滑り落ちたのは、西欧各国の産業革命や、その後の民族自決運動
が原因であって、イスラム教やギリシャ正教が直接的な原因ではありません(民族の単位が宗教の違い
であることも多いので、原因ではないとは言えませんが)。よって、現在のトルコが超大国ではないのは、
オスマン朝初期の指導者の行動のせいではありません。もし、WW1で敗戦国の立場に立たなかったとし
ても、結局オスマン朝の分裂・解体は避けられなかったでしょう。(その点、隣国であったオーストリア・
ハンガリー帝国も同様ですね)
520世界@名無史さん:02/12/14 17:39
521世界@名無史さん:02/12/14 20:28
:
522世界@名無史さん:02/12/15 12:57
:@
523世界@名無史さん:02/12/15 17:24
>>518
イスラムの影響??って何??例えば?
ユダヤ教の影響なら元ネタだから沢山あるけど。

ギリシャではあちこちの教会にあの黄色いビザンチン旗が掲げられてますた
何でも主教のいる教会にはあの旗があるそうな。
524世界@名無史さん:02/12/15 20:08
][
525世界@名無史さん:02/12/16 17:52
>>523
うむ。現在のギリシャ文化がトルコ文化から非常に強い影響を受けているって
いうのなら話はわかるんだけどねぇ…。
526世界@名無史さん:02/12/17 02:13
>>519
頭、固いね。
正教が「オーソドックス」と呼ばれるのは、カソリックとの対比からであって。。。
カソリックは、ゲルマンの土着宗教と妥協してる。ギリシャ正教にも可能だった
のでは? 例えば、モハメッドをカソリックにおけるパウロの様な位置づけにす
ることは十分、可能だよ。二回目の聖像破壊運動は間違いなくイスラム教の影響
だし。
もしオスマントルコがヨーロッパ大陸の大部分を支配していれば、ヨーロッパの
片隅で起こった産業革命がどれ程の悪影響を及ぼしたんだろうね。イギリスが
オスマントルコの破壊活動を展開する前に石油は見つかってるだろ。
527テロラス:02/12/17 02:59
>523
ギリシャにはトルコの影響は、文化面に関しては残っていません。
トルコには、ギリシャの影響が強く残っています。
トルコは文化の優先権は興味がなく、今になってアイデンティティの欠如
に悩んでいるような機がします。
イスラムはトルコ固有のものではない。
モンゴル高原のトルコはもはや存在しない。
いったいトルコは何なんだ。
528世界@名無史さん:02/12/17 03:06
>>526
突っ込みどころ満載だが、とりあえず一つだけ。

産業革命がなければ、石油があってもなくても関係ない。
産業革命と、それに伴う資本主義・帝国主義が無ければ、石炭・石油と言った資源が
大国化の主原因になることは考えにくい。

なので、518→526の理論は破綻している。


面白いアイデアだけどね〜。
529世界@名無史さん:02/12/17 06:18
>>527
ギリシャ料理にシシカバブそっくりのものが…
530世界@名無史さん:02/12/17 10:23
文化的影響が全くないとまでは言い切れないとおもうよ。
渋谷で赤い自動車でドネルケバブってトルコ料理を売ってるの知ってる?
肉と野菜を薄いパン生地で巻いた簡単な料理なんだけど。
あれとそっくりな料理を別な自動車では別のなまえのギリシア料理としてうってるんだよ。
あれを見たときは「ああやっぱり近い国だな」っておもったよ。

パウロとモハメッドを同一視してどうこうって言ってるひとは、、、ちょっと話が飛び過ぎてて着いてけてない。そういう漫画かゲームがあるの?モトネタを教えて。
531世界@名無史さん:02/12/17 12:43
>>530
ギリシャにおけるトルコの影響ってのは、もうかなり根深いところまで行っちゃってて、
あれ、これ、と例を出すのが難しいくらい。
(日本における中国文化の影響度みたいなものだけど、実際に支配されてた分だけ
より根が深いかもしれない)

トルコに対するビザンチン(ギリシャ)文化の影響ってのもそれはかなり大きな部分を
占めていて、建築様式やら、芸術やら、宝石やらもう枚挙にいとまがない。

文化って言うのは、そうやって相互に影響を受け合って発展していくものだから、どちらかが
一方的に与え続けたなんて考えられない。

そういう言い方(文化を一方的に与えた与えないと言う言い方)をする人は、この2ちゃんねる
でもさすがに煽りといわざるを得ないと思うよ。
よって>>527は個人的に煽り判定(笑)

宗教については、>>526はもうちょっと勉強した方が良いね。キリスト教とイスラム教、本質的
には極めて似通っているものの、一点では絶対に相容れられない(融合することはない)部分
があるってことを。
それに宗教ってのは、為政者が一方的に何かを行っても、そう簡単には思い通りに動いてくれ
ないものだってことも、歴史を学んでいれば当然に思いをいたすべきことだし。
532世界@名無史さん:02/12/17 20:40
o
533世界@名無史さん:02/12/17 21:10
帝都攻防戦において一番長くコンスタンティノープルを包囲していた相手って誰でしたっけ?
陥落時は確か2ヵ月半包囲されていたと思ったんですが・・・。
534526:02/12/17 22:25
>> 528
済まん。酔ってた勢いで適当に書いた。
パウロじゃなくて、ペテロね。石油の話はどうでもいいや。欧州文明に
もっと食い込んでいれば、他の欧州諸国との情報交換も密接になって、
石油の重要性にもっと早く気づいたのではと思っただけ。トルコが繁栄
しようがしまいが、俺らには関係ないが。
535526:02/12/17 23:10
>>531
キリスト教とイスラム教が絶対に相容れない一点って何でしょう?
ギリシャも含めてバルカン半島に一時期住んでいただけに、非常に興味
がある。トルコにも何度か行ったよ。宗教や文化の違いというのは、分
かり安くするためのコジツケだと思うけどな。暴言だと言われるだろう
けど、人間の営みというのはもっといい加減で臨機応変なもんだよ。
536世界@名無史さん:02/12/18 07:00
キリスト教:イエス・キリストは神である。
イスラム教:イエス・キリストはモーゼに始まる預言者の歴代の一人であるが、神が使わした最後の真実を伝える預言者は人間のムハンマドである。
537世界@名無史さん:02/12/18 07:27
キリスト教:
イエス・キリストは神にして
聖書に記されていたこの世の終わりに現れる救世主その人である。

イスラム教:
イエスもムハンマドもあくまで人間の預言者であり神の子などではない。
ムハンマドは人間につかわされた最良にして最後の預言者であるが救世主ではない。
538世界@名無史さん:02/12/18 18:27
j
539世界@名無史さん:02/12/18 23:03
>>533
ウマイヤ朝は673-678(但し断続的)と
717-718にコンスタンティノープルを包囲している。
カタロニアも2年間ほど包囲したように思う。
540テロラス:02/12/18 23:09
>531
バカメ
私はギリシャ人です。
541テロラス:02/12/18 23:12
トルコのどの町にいってもギリシャの遺跡だらけ
最近までギリシャ人がすんでいたのだよ
第1次大戦後、民族紛争があったのは知っているでしょう。
542世界@名無史さん:02/12/19 03:36
そりゃ、ギリシャ人ならが自身のトルコの影響なんぞ認めたくもない罠。
朝鮮人が日本の影響を認めたくないのといっしょだ。
543世界@名無史さん:02/12/19 12:22
(ネタにマジレスカコワルイと思いつつ)
自国の文化に、他国の文化の影響が全くないと考えるのは、相当のDQNだと思うが。

日本の文化に韓国(朝鮮半島)の影響が全くないと言い切ったり、中国の文化に西方からの
文化流入はたいした影響を与えなかったと言ってしまうのと、同じくらいDQNだね。

認めたくないって人は、偏狭で頑迷で、かつ現状認識能力の欠けた人間だと思わざるを得ないよ。

・・・まあ、んなことは百も承知だろうけど。

どんどんスレ違いになってる(汗)よってsage
544世界@名無史さん:02/12/19 15:24
oi
545世界@名無史さん:02/12/19 16:13
お前ら、どうして弱いビザンツ帝国しか想像しないんだ。
ビザンティンはやられ役じゃないぞヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
546そろりす:02/12/19 16:20
>542
自分で現地にいって確かめてごらん
547世界@名無史さん:02/12/19 16:47
はいはい、キチガイさん。ギリシャ行ってきたんですね。よかったですね〜。
548世界@名無史さん:02/12/19 18:32
>>527 >>540 >>540
こんな馬鹿は今の「ギリシャ人」にスラブ人の血が
大量に入っていて古代ギリシャ人とは別物になっている
ことも認めたくないんだろうな。
549世界@名無史さん:02/12/20 00:54
>>536
キリスト教でも、キリストを神としてではなく単なる預言者として扱ってる宗派
もあるべ。カソリックの教会はキリスト自身の影は薄くて、聖母マリア像の方が
断然多いな(教義の方は知らんが)。所詮、それぞれの解釈によっていくらでも
脚色できる。
トルコのモスクでイスラム教についての説明を受けたが、失礼ながら(以下省略
バルカン半島を含めた東欧でギリシャ正教の教会にも連れて行かれたが、スラブ
の影響が強すぎて、ビザンチン時代とは別物だろうなと感じた。
メフメト二世がビザンチン帝国を滅ぼしちゃったもんだから、長い間にわたって
トルコを含めた中近東諸国は西欧諸国から野蛮人扱いを受けたよね。所詮、その
程度の感覚だったんだろうが。
トルコ風呂がソープランドにならずに済んだものだ。
551世界@名無史さん:02/12/20 01:23
コンスタンチノープル=イスタンブールの「世界総大主教座」は、
1453年以前も以後も一貫して活動を継続し、
現在にいたっているんですけど、何か?
552世界@名無史さん:02/12/20 01:28
そういえば、そうだったね。
553世界@名無史さん:02/12/20 23:27
[:
554世界@名無史さん:02/12/21 00:23
>>549
アリウス派とかネストリウス派のこと?
あれは異端だから、ムハンマドが現れたからって
認めるわけにはいかないでしょう。
しかも、異端認定されたのはローマ帝国が東西共にあった時代だし、
当時の皇帝自身が関与してるからね。
555世界@名無史さん:02/12/21 00:42
>>545
強いビザンツはビザンツじゃない
556世界@名無史さん:02/12/21 02:47
j
557世界@名無史さん:02/12/21 02:50
>>555
ヘラクレイオス1世とかバシレイオス2世の時代のビザンツはビザンツじゃないのか?
ところでキリ番げっとおめでとう。
558世界@名無史さん:02/12/21 02:51
>>554
三位一体説については、カトリック、正教、共に譲れないでしょうね。
それを巡って、長い間論争した結論で、オスマン朝が勃興した当時には
すでに教義の根本となっていたでしょうから。

>>549
ちなみに、ビザンチン帝国が存在した当時から、周辺のスラブ各国では当然のように
スラブ民族固有のものになってましたよ。
それと、西欧の価値観を絶対視するのはやめた方が良いと思います。西欧諸国から
野蛮人扱いを受けようが、実際のところ当時の西欧人も大差ない程度に野蛮人だった
から。その後、産業革命、市民革命、2度の大戦等を経て今日の一応文明国らしい西欧
諸国があるわけで、当時の行為を現在の(西欧的)価値観で判断するのは間違いの基です。

例えば、18世紀当時の中国(清朝)のことを西欧人は野蛮人扱いしていたこともありましたが、
中国は中国で、独自の高い文明を持つ文明国でした。西欧人の価値観に立てば、清朝は、
国際ルールも知らない野蛮国だと思ったでしょうが、清朝から見れば、西欧各国は清朝のルール
も知らない無法者と思ったでしょう。立場と見方が違えば、正反対の結論が出ることも少なくない
のです。

>>555
そんな悲しいことを言わないで(涙)
559世界@名無史さん:02/12/21 15:44
弱いくせにしぶといからこそいいのだよビザンツは
560世界@名無史さん:02/12/21 19:32
[
561世界@名無史さん:02/12/22 13:15
[]
562世界@名無史さん:02/12/23 00:01
ビザンツは強いほうがいい。
1の書き込み通りならすごかっただろうな。
563世界@名無史さん:02/12/24 14:48
age
564世界@名無史さん:02/12/24 17:10
野蛮人といえば、ビザンツ人の西欧人に対する認識に関して。

ビザンティン帝国の皇女アンナ・コムネナの記録には
第一回十字軍について、
「アドリア海からジブラルタルに至るまでの全ての蛮族が一堂に集結した。」
と記していたりもします。
565世界@名無史さん:02/12/24 19:36
>564
事実蛮族と呼ばれるにふさわしい連中ばかりだったわけだが
566世界@名無史さん:02/12/24 23:38
12世紀まで西欧は未開地だった。西欧がビザンチンを越えるのは12世紀。
567世界@名無史さん:02/12/25 09:40
>>566
超えたのは武力だけね。
文化や生活水準や文明レベルでは最後まで及ばなかった。
568世界@名無史さん:02/12/25 09:51
ttp://www.geocities.com/littlsaint/eu.html
の下の方に
byzantine hymn
http://www.geocities.com/littlsaint/ek_nyktos_orthrizei-allelouia.mp3
が紹介されていますが、この歌についてなにか御存知でしょうか。
569568:02/12/25 09:56
直接飛べないみたいなので、
ttp://www.geocities.com/littlsaint/eu.html
から逝ってくださいスマソ
570bloom:02/12/25 09:58
571世界@名無史さん:02/12/25 12:26
そのビザンツでさえ古代ローマ時代に比べれば文化も生活水準もだいぶ低下していたわけだが
西欧が古代ローマを越えたのって産業革命以後ですか?
572世界@名無史さん:02/12/25 12:54
>567
では、12世紀までは武力ですら、西欧はビザンチンより低かった?
マヌエル1世が死ぬまでは、曲がりなりにもビザンツはヨーロッパ最強の
座に君臨していた?
573世界@名無史さん:02/12/25 14:59
農耕・航海術は西欧の方が上
574世界@名無史さん:02/12/25 18:03
>>568
ギリシア語?
語尾が〜osじゃなくて〜usというのがいくつかあるけど。
575世界@名無史さん:02/12/25 23:31
;
576象使いの少年:02/12/26 02:17
>>549
下は、ニケヤ・コンスタンティノープル信経。
全世界のクリスト教徒が、ミサの度に唱えるお経なんだけど、
このお経を踏み外したら、そのひとは普通の意味のクリスト
教徒とはいえない。
世の中、解釈次第でどうにかなるものばかりじゃないよ。

われは信ず、唯一の神、父 全能の(父)造りぬしを、天と地、
見ゆるもの、見えざるもの すべての(造りぬしを)。
われは信ず、唯一の主、イエズス・キリストを、神のおんひとり子。
よろず世の先に、主は父より生まれ  神よりの神、光よりの光、
まことの神よりの まことの神、生まれ 造られずして、一体なり 父と。
主によりて すべては造られたり。
主は われら人類のため、また われらの救いのために、天よりくだり 、
聖霊によりて 処女マリアより、おんからだを受け 人となりたまえり。
ポンシオ・ピラトのとき、われらのために十字架に付けられ、苦しみを受け、
ほうむられたまえり。
(しかして)三日目によみがえり 聖書にありしごとく、天にのぼりて 、
父の右に 座したまえり。
栄光のうちに、再び来たり生ける人と死せる人とを、さばきたもう 
主の国は 終わることなし。
(われは信ず)生命の与えぬしなる主なる聖霊を、聖霊は、父と子
とよりいで父と子と共に拝みあがめられ、また預言者によりて語り
たまえり。
(われは)一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、罪のゆるしのためなる唯一の
洗礼を認める。
死者のよみがえりと来世の生命とを待ち望む
アーメン。
577象使いの少年:02/12/26 03:21
引用もとの訳が酷すぎるので再掲。

http://www.ne.jp/asahi/hosanna/angel/Credo/credo.htm
われは信ず、唯一の神、
全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるものすべての造り主を。
われは信ず、唯一の主、神の御ひとり子イエズス・キリストを。
主はよろず世のさきに、父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神。
造られずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて造られたり。
主はわれら人類のため、また、われらの救いのために天よりくだり、
聖霊によりて、おとめマリアより御体を受け、人となりたまえり。
ポンシオ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、
苦しみを受け、葬られたまえり。
聖書にありしごとく、三日目によみがえり、
天に昇りて、父の右に座したもう。
主は栄光のうちにふたたび来たり、生ける人と死せる人とを裁きたもう、
主の国は 終わることなし。
われは信ず、主なる聖霊、生命の与え主を、聖霊は父と子よりいで、
父と子とともに拝みあがめられ、また預言者によりて語りたまえり。
われは一・聖・公・使徒継承の教会を信じ、
罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、
死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む。アーメン
578世界@名無史さん:02/12/26 04:06
死ね
579世界@名無史さん:02/12/26 07:36
ビザンツやオスマン・トルコの支配下ではそれなりに平和共栄していた各少数民族が、なぜ今になってバルカンで争ったのでしょうか?
580プロテスタント:02/12/26 07:50
>>576 >>577
乙! だがこれはローマカトリック側の解釈による「ニケア信経」です。
(サイトもカトリックだった)
正教のは実は一か所違うのです。
そしてこの一か所こそが正教とローマの合同を阻んできた原因の一つです。
私は正教徒ではないので、正確な文言はここに出せないが、
>>聖霊は父と子よりいで
ここが
「聖霊は父よりいで(出で)」のはず。(子からはでていない)
神学上は大問題です。(なぜかを説明するのは大変))
一応ビザンチンスレなので。正教Version探してみるけど。
581580 プロテスタント:02/12/26 08:11
正教版のニケア信経ざっと探したが見つからんかった。
代わりにこんなのを見つけた。

正教とカトリックの違い
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/frOrth-Catho.htm
聖神の発出について
【問】カトリックが聖神(せいしん=聖霊)が「父」からだけでなく「子」からも出る
(発出する)と主張していますが、正しいのでしょうか。
【答】いいえ、正しくありません。聖書には聖神が「父」からのみ発出するという
証言があります
582世界@名無史さん:02/12/26 11:08
地中海に不凍港をもてない(宗教的に露土戦争を起こせない)ロマノフ朝が
残された不凍港であるウラジオストックを重視するに至り、
英艦隊による妨害を受けないバルチック艦隊相当分が日本海海戦で連合艦隊を破り、
勃興途中の日本はそのまま三等国に転落。1次大戦は不参加同然(日英同盟が維持されるかも疑問)
大陸経営の資本を国内に吸い上げざるを得なくなり、アジアにおける2次大戦の可能性が大幅減少。
あとはヒトラーとスターリンの出方次第だが、日本はアジアの中小農業国になったと推察。

…まてよ、スラブ系が東ローマで止まるからサラエボ事件起こらねえじゃねえか。
583世界@名無史さん:02/12/26 14:25
>>582
もし、東ローマ帝国がオスマン朝に置き換わる形で残存していた場合、ロシアが史実どおり
巨大国家になれたかどうかは大いに疑問。
それ以前に、ルネサンス>産業革命>市民革命の流れによって、資本主義が発達できたか
どうかも難しい。(すなわち、その後のヨーロッパ勢力の伸張に伴う植民地(帝国)主義が、史実
通りになったかどうかも分からない)
もし、史実通り英国にて産業革命が起きたとして、それが同じキリスト教圏である東ローマにも
波及したか、それとも史実のオスマン朝のごとくそれに乗り遅れるか、そのあたりも考察した方
が良さそうですな。

個人的には、現在のロシアはウクライナやベラルーシなどの諸王国が分立する、中欧の様な
状況になったのではないかと想像します。(この場合、巨大な農生産力を持つウクライナが
西欧におけるフランスのような地位に置かれたのではないかな?)

また、オスマン朝不在によるその後のイスラム勢力の動向も気になるところです。
(中近東におけるビザンチン帝国の影響力って、どうなってしまうんだろう?)
584世界@名無史さん:02/12/27 00:09
[
585:02/12/27 01:03
>>580

お、フォクリエ問題!
586:02/12/27 01:08
>>583
>また、オスマン朝不在によるその後のイスラム勢力の動向も気になるところです。

11世紀以降、アラブ人たちの持つ求心力はかなり落ちてしまっていたし、軍事力でも
ビザンチン帝国に遅れをとるようになっていた。

強力な新興勢力トルコ人が中東に現れなかったら、あのあたりの歴史はまったく異なる
ものになってたろうね。
587世界@名無しさん:02/12/27 01:09
イスラムでも世の終わりに現れる救世主(審判者?)は「メリアムの息子イーサー」
らしいよ。池内恵『現代アラブの社会思想---終末論とイスラーム主義』に出てた。
でも岩波文庫のコーランをめくってもそんなことは書いてないみたいだが、いったい
本当はどうなんだ。。。
588:02/12/27 01:12
俺の友達のイエメン人も「その日に来るのはイーサだ」って言ってたなあ。
589:02/12/27 01:16
「イーサ(イエス)を愛する気持ちは、ムスリムの方がクリスチャンよりも強い」
とも言ってた。

そうそう、コーランでは、十字架上で死んだのはイーサじゃないんだよね。

完全スレ違い。失礼しますた。
590世界@名無史さん:02/12/27 13:13
>強力な新興勢力トルコ人が中東に現れなかったら

モンゴル騎馬軍団がエジプトまで占領します
591象使いの少年:02/12/27 19:17
>>580
フィリオクエ(Filioque=子よりもまた)問題だね。
確かにカトリック版のCredoを書き込んだのはデリカシーがなかったかも知れない。
まあ、こんなたったの一単語をニカイア信経につけたすだけで、全地上のクリスト教徒が
二つに分かれて争わなければならないということですな。
クリスト教の教義が解釈次第でどうにでもなるなどといわれたときに、そんなことはないと
例示するにはかえっていい例だったかも知れないね。
などとひらきなおってみる。

>>585
ちかごろの若い者はラテン語も知らんのでこまる。
592世界@名無史さん:02/12/28 00:41
l;].
593世界@名無史さん:02/12/28 00:43
オスマン朝が東ローマ帝国にかわるだけで
世界史の大枠の流れは大差ないのでは?
594世界@名無史さん:02/12/28 04:11
>>593
まず、中近東におけるイスラム勢力の動向(ビザンツの支配下に収まるか、それとも
サファビー朝以下イラン系王朝の影響下にはいるか、あるいは独自の勢力を築くこと
ができるか)

第2に中東欧の情勢。オーストリア・ハプスブルグ家が史実通りに東欧の支配権を
確立できるとは思えない(宗教が同じであるビザンチンに属すると考える方が自然)
その場合、ドイツにおけるハプスブルグ家の影響が激減し、西欧の情勢も大きく変動
することが予想される。ひいては、宗教改革、30年戦争の様相も一変し、その後の
ヨーロッパ史は相当大きく変わるだろうと予測できる。

第3に、ロシアの影響力の減少が予想される。史実で称した「第三のローマ」を名乗れ
ないのは当然として、周辺の各民族に対するビザンチンの影響は大きいだろうから、簡
単に勢力の拡大はできないだろう。逆にウクライナなどの生産力が大きい地域の方が
勢力を拡大する可能性がある。
その状況下では、ロシアの東方拡大を支えるべき生産力に不足を来すと思われるので、
ロシアの大国化も、非常に難しいと言わざるを得ない。

よって、ビザンチン帝国がオスマン朝に置き換わる形で発展した場合には、世界史は
大きく変化すると、個人的には考えます。

とはいえ、妄想は言ってる部分もありますな。まあ、そもそもかなり無茶なifなので、
不備な点についてはフォロー若しくは論破してください(笑)
595世界@名無史さん:02/12/28 18:53
>565
>事実蛮族と呼ばれるにふさわしい連中ばかりだったわけだが

十字軍時代のラテン人=大移動時代の蛮族ゲルマン人の子孫と考えていいですか?
それとも旧西ローマ帝国のローマ人&ガロ・ローマ人の子孫と思ったらいいのですか?
596世界@名無史さん:02/12/29 21:10
:
597世界@名無史さん:02/12/29 21:15
598世界@名無史さん:02/12/31 00:22
ビザンチンなんてしょぼいんだよ
599:02/12/31 00:33
>>591
>>585
>ちかごろの若い者はラテン語も知らんのでこまる。

スンマソン
600:02/12/31 01:01
>>598

「アラブが見た十字軍」読んだけど、やはりイスラム諸侯に対するビザンツ帝国の権威と言
うか存在感はマヌエル1世時代まではたいしたものだったんだな、と思うよ。

ヌール・アッディーンはビザンツとの軋轢を招かないようにするために、「アンティオキア
は本来ルーム人の街である」と言って、部下のアンティオキア攻め提案を蹴っているし、実
際マヌエルはイスラム諸侯が手を焼いたアンティオキアのルノー・ド・シャティヨンを服従
させて、ラテン人諸侯からもイスラム諸侯からも恐れられるようになっている。

これは、「アラブっが見た十字軍」の筆者マアルーフの個人的見解だと思うけど、ヌール・
アッディーンが死したとき、サラディンの上昇を食い止められるのは“ルーム皇帝マヌエル
しかいない”という存在にもなっている。
601:02/12/31 01:06
ま、その直後にマヌエルは、クルジュ・アルスラン二世に大敗して帝国自体を弱体化
させてしまうわけだが・・・
602世界@名無史さん:02/12/31 08:24
>ちかごろの若い者はラテン語も知らんのでこまる

ラテン語が古典語となってからはどれほどの人がラテン語を知ってるのよ?
603世界@名無史さん:02/12/31 10:47
>>602
ケンブリッジでは長いことラテン語が必修科目でしたが何か?
ってことで、>>591 はラテン語が必修じゃなくなってからの学生に対して
「ちかごろの若い者はラテン語も知らんのでこまる」っといった年寄の
パロディでもあると思うが。
604世界@名無史さん:02/12/31 14:08
冬厨の薫りがするな
605世界@名無史さん:02/12/31 15:41
ウワァァァァァン、しゃれを解説されるとつまらないモナー!
606世界@名無史さん:02/12/31 17:41
でも、このスレはビザンツだからラテン語じゃなくてギリシャ語のほうが1万倍重要だ罠。
607象使いの少年:02/12/31 18:43
話がどんどん逸れていくな。
僕のせい?
608世界@名無史さん:02/12/31 19:49
ビザンチンは失敗しすぎ。
609世界@名無史さん:02/12/31 20:01
>>603
金持ちしか、勉強しないから。
ボンビーは、ラテン語などという、金儲けとは程遠い学問を勉強する暇なんぞない。
610象使いの少年:03/01/01 18:05
見つけた。
オーソドックス版のニカイア・コンスタンティノープル信経
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/symbol/nikekon.html

我信ず一の神父・全能者・天と地・見ゆると見えざる萬物を造りし主を。  
又信ず一の主イイススハリストス・神の独生の子・萬世の前に父より生
まれ・光よりの光・真の神よりの真の神・生まれし者にて造られしに非
ず、父と一体にして萬物彼に造られ我ら人々の為め又我らの救ひの為に
天より降り、聖神及び童貞女マリアより身を取り人と為り我らの為にポ
ンティイピラトの時十字架に釘うたれ苦を受け葬られ第三日に聖書に應
ふて復活し天に升り父の右に坐し光栄を顕はして生ける者と死せし者を
審判する為に還た来り其国終りなからんを。  
又信ず聖神・主・生を施す者、父より出て父及び子と共に拝まれ讃めら
れ預言者を以て嘗て言いしを。  
又信ず一の聖なる公なる使徒の教会を。  
我認む一の洗礼以て罪の赦しを得るを。 
我望む死者の復活並に来世の生命を。 
アミン。 
611世界@名無史さん:03/01/02 00:09
[]
612世界@名無史さん:03/01/02 14:31

613世界@名無史さん:03/01/02 16:59
>>591
教会間の対立ってのは、信条云々よりももっと下世話な理由ばっかりだけどね。
今の、コンスタンチノープル総主教とモスクワ総主教みたいにさ。
大体、坊主どもにまともな信仰なんてないんだからさ。
614世界@名無史さん:03/01/02 22:14
@
615象使いの少年:03/01/03 01:06
>>613
坊主どもにまともな信仰があるかどうかはともかく
ニカイア信経自体がきわめて政治的な(文書すれば「下世話な」)
文書であることに気づかないの?
616象使いの少年:03/01/03 01:07
最近、typoが多い。
誤 文書すれば
正 換言すれば
617世界@名無史さん:03/01/03 14:52
@
618世界@名無史さん:03/01/04 00:39

619世界@名無史さん:03/01/04 11:07
ビザンチンじゃない。(東)ローマと呼べ。偉大なるアウグストゥスから連綿と続く正当な後継者だぞ。
それにしてもコンスタンティノープル占領しているトルコむかつく。我らが偉大なローマ人の町であるぞ。
620世界@名無史さん:03/01/04 18:54
でもギリシア人よりトルコ人のほうが好き
621世界@名無史さん:03/01/04 23:41
ギリシア人はDQM
622世界@名無史さん:03/01/04 23:50
喧嘩はキプロスでやってくれ
623世界@名無史さん:03/01/05 00:10
いや、キプロスでもやめてくれ。
624世界@名無史さん:03/01/05 15:26
キプロスてなんかあるの。
625世界@名無史さん:03/01/05 16:08
>>624
最近もキプロスのEU加盟とトルコの加盟拒否に関連して
キプロス和平交渉がニュースになってたけどしらないの?
キプロスはギリシア系主導のキプロス政府に対し
トルコが支援するトルコ系住民の北キプロス政府が独立を宣言して
分断国家になってるんだよ。
626世界@名無史さん:03/01/05 23:21
キプロスてビザンツ帝国に支配されてたの
627bloom:03/01/05 23:22
628世界@名無史さん:03/01/05 23:29
>>622
ワラタ
629世界@名無史さん:03/01/05 23:59
このスレなにげに長寿だな
630世界@名無史さん:03/01/06 00:03
>>501の番組、また延期なったみたい・・・。
いい加減にしてくれよNHK〜。
631世界@名無史さん:03/01/06 13:28
延期かよ。
632世界@名無史さん:03/01/06 14:55
ポルトス、アトス、アラミス・・・・(すれちがい?、、いたちがい!)
633世界@名無史さん:03/01/07 16:24
>629
そうそう、ビザンチン帝国のようにジワジワとね、しぶとく細く長く続くね、このスレは。
テオドシウス4世もさぞ満足げに長いアゴひげをしごいていることだろう。
634世界@名無史さん:03/01/07 17:02
ビザンチン皇室があるじゃない。

635世界@名無史さん:03/01/07 17:40
>>626
もともとは。だからギリシア系の住民が多い。
第三回十字軍でやってきたイングランドのリチャード1世が
キプロスをビザンツから奪った。
636世界@名無史さん:03/01/07 18:41
そもそも、東地中海沿岸に東ローマ帝国の支配を受けたことが無い地域なんて
あるのか?
>>626には根本的な知識が欠けているような気がしてならない。
637世界@名無史さん:03/01/07 22:48
東ローマ帝国と神聖どっちが強い
638世界@名無史さん:03/01/08 20:18
>637
1071年までは東ローマが強かったが、12世紀以後は神聖ローマが逆転したのでは?
639世界@名無史さん:03/01/09 00:09
嗚呼、卍ケルトで勝ってれば、ビザンチンどうなってたろう。
北キプロスのデンクタシュ大統領は、国民(トルコ系住民)を貧窮に
陥らせ、更にはトルコ共和国(本土)の足をひっぱる存在。
クソ爺は消えろ。
てめぇだけデブってんじゃねぇよ!>デンクタシュ
642世界@名無史さん:03/01/09 13:38
神聖ローマ帝国ごときに遅れをとる我が大ローマ・・・落ちぶれたものよ。
神聖ローマ帝国つったって所詮東フランク王国じゃないか。
643世界@名無史さん:03/01/09 17:17

644 ◆Rcc1nOc9Bg :03/01/09 18:06
てすと
645世界@名無史さん:03/01/09 19:15
ドンタコス?
646世界@名無史さん:03/01/09 22:01
647世界@名無史さん:03/01/10 12:50
>1071年までは東ローマが強かったが、12世紀以後は神聖ローマが逆転

いや待て、アレクシウス、ヨハンネス、マヌエル帝のコムネヌス朝はかなり強かったぞ。
ビザンツ征服を企む西欧諸国をくじいたし。
マヌエル1世が死ぬ1180年まではビザンツは全キリスト教世界の覇者だったと思われ。
648世界@名無史さん:03/01/10 18:30
>>647
そうか?アレクシオス1世はともかくロベール・ギスカールやルッジェーロ2世に苦しめられていると思うが
マヌエル1世の軍はイタリア遠征で惨敗してるし、コムネノス朝はヴェネツィアやジェノヴァの海軍やトルコ人傭兵の援助がなければなんも出来んと思うが
649世界@名無史さん:03/01/10 21:26
じゃあ12世紀のキリスト教世界の覇者だった国はどこだ?
650世界@名無史さん:03/01/11 03:44
>>649
そもそも、12世紀のキリスト教世界自体大したもんじゃない罠
651世界@名無史さん:03/01/11 12:36

652山崎渉:03/01/11 12:47
(^^)
653ヨーロッパ世界つおーい国コンテストその1:03/01/11 17:29
5世紀末〜640年頃まで
1位、東ローマ帝国
2位、アヴァール汗国
3位、フランク王国

7世紀後半〜750頃
1位、東ローマ帝国
2位、ブルガール汗国
3位、フランク王国

750〜780頃
1位、東ローマ帝国
2位、フランク王国
3位、ブルガール汗国

780〜840
1位、フランク王国
2位、ブルガール汗国
3位、東ローマ帝国

9世紀後半
1位、東ローマ帝国
2位、ブルガール汗国
3位、該当なし


知識不足のうえに俺の独断&偏見だからどんどん異論唱えてくれい!待ってるぞ!
654ヨーロッパ世界つおーい国コンテストその2:03/01/11 17:30
10世紀前半
1位、東ローマ帝国とブルガリア帝国
3位、東フランク王国

10世紀後半〜1071年
1位、東ローマ帝国
2位、神聖ローマ帝国
3位、イングランド

1071〜1118
1位、神聖ローマ帝国
2位、東ローマ帝国
3位、フランス王国

1118〜1180
1位、東ローマ帝国とシチリア王国と神聖ローマ帝国
4位、フランス

1180〜1204
1位、神聖ローマ帝国&シチリア王国
2位、フランス
3位、東ローマ帝国

13世紀以後・・・これ以後は東ローマの没落&神聖ローマも分裂状態でどこが混沌、順位つかない。
1位、神聖ローマ帝国(?)
2位、???
知識不足のうえに俺の独断&偏見だからどんどん異論唱えてくれい!待ってるぞ!
655世界@名無史さん:03/01/11 17:44
>>653-654
忘れがちだがイベリアウマイヤ朝も入れれ
656コンスタンティノス11世:03/01/11 17:52
諸君!冷静に!キリストの帝国は一つだ!
657世界@名無史さん:03/01/11 20:32
>655
うん、そだね。
後ウマイヤ朝も入れて作り直してくりゃれ。
658世界@名無史さん:03/01/12 13:50
ブルガール汗国
てけっこう強いんだ
659世界@名無史さん:03/01/12 14:22
現在まで続いていたら
それはそれでいいけど

王朝は一体どれだけ交替してたんだろう?
660世界@名無史さん:03/01/12 14:34
近世近代になってからは統治システムが安定したためか
世界のどこでも王朝の交替は少なくなった。
支那でも宋以後は頻繁な王朝交替は無くなってる。

もし現代までローマが続いてたら
パライオロゴス朝が今まで存続してたんじゃないかと思う。
661世界@名無史さん:03/01/13 12:47

662世界@名無史さん:03/01/13 20:57
ager
663世界@名無史さん:03/01/14 17:21
パライオロゴスの次ぐらいだと思う
664世界@名無史さん:03/01/14 19:02
>>653-654
そもそも、西ヨーロッパ世界がいわゆる古代帝国や近代国家とは異なり、明確な
国家としての位置づけができないと言う罠。
封建社会で、領主毎にそれぞれ権力が分散している状態。だから、イベリアの
イスラム諸王朝や東ローマ帝国等とは同じベースで比較することはほとんど不可能。

西ヨーロッパで国家意識が高まるのは、中世末期のイングランドやフランスで中央集権化
が進んでからじゃないかな。
665世界@名無史さん:03/01/14 21:59
カール大帝のフランク王国とかオットー大帝の申請ローマは?
666世界@名無史さん:03/01/14 23:41
>665
あんなものは僭称。連続性がないから全く認められない。当時の人々も全く権威を
認めていなかった。地上最後のローマ皇帝は1453年黄金の鷲の旗とともに永遠に
消え去った。
667世界@名無史さん:03/01/15 00:10
ビザンツ帝国の国旗てどこで見れるの。
写真でもいいから見せてください
668世界@名無史さん:03/01/15 00:42
>>666
認めなかったら1000年もつづかねえよ
669世界@名無史さん:03/01/15 15:50
>>668
カール大帝の西ローマ帝国は1代限りでしたが?
オットー1世の神聖ローマも、当時はローマ皇帝の権威なるものが
あったかどうか分かりませんし,後の神聖ローマとは別物だと思い
ますが。

よって,神聖ローマ帝国が千年続いたなんて言うのは幻です。

東ローマ帝国は王朝の交代があっても、連続性が認められますが。
670世界@名無史さん:03/01/15 17:11
age
671ベラルーシ:03/01/15 17:35
        おにぎりワッショイ!!
       \\  おにぎりワッショイ!! //
   +   + \\ おにぎりワッショイ!!/+
                              +
.      +   /■\  /■\  /■\  +
         ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´ー`)
    +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
          ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
          (_)し' し(_)  (_)_)
http://www.asahi-net.or.jp/~zi2s-nr/photo/b0055.jpg
672世界@名無史さん:03/01/15 20:50
>653-654
なんといっても東ローマはどの時代でも上位に食い込んでいる。
領土的に古代ローマに及ばなくても、5世紀〜12世紀まで大国の地位を維持しつづけた
バイタリティはさすが古代ローマ帝国の後継者にふさわしい。
673世界@名無史さん:03/01/15 21:08
>>672
でも、5〜12世紀のヨーロッパ世界なんて所詮はクソなレベル
674世界@名無史さん:03/01/15 21:11
>>672
中世のヨーロッパで仮にも国としての体をなしたまともな国であれば
5位以内なんか入れて当然。
逆に言えば、中世のヨーロッパで5位にも入れないようでは
まともな国と呼べる存在ではない。
675世界@名無史さん:03/01/16 03:30
中世ヨーロッパでまともな国って、ビザンティン帝国と
ヴェネツィア共和国ぐらいでは?
(なにをもって「まともな国」と定義するかにもよるけど。)
676世界@名無史さん:03/01/16 12:43
両シチリア王国も入れれ
677世界@名無史さん:03/01/16 12:50
>>674
同意・・・しょぼい中で上位になっても・・・
むしろ当然のように全期間に渡って首位を維持して欲しかった。
678世界@名無史さん:03/01/16 19:11
諸君、少なくとも12世紀までは、中世の西欧人は東ローマ帝国を恐れていた?
679世界@名無史さん:03/01/16 20:46
>>675
あと、イベリア半島のイスラム系国家がまとも。
680世界@名無史さん:03/01/17 15:01
>>678
「恐れていた」というより「畏れていた」でしょうね。
「キリスト教世界の盟主」であったことは間違いないかと。

当時のヨーロッパにおいて、コンスタンチノープルに匹敵する繁栄を誇った都市は、
イベリア・イスラム王朝の中心都市、コルドバくらいでしょうから。
681世界@名無史さん:03/01/18 18:00

682YOSHIKI:03/01/18 18:38
ワグネリアンのオレことYOSHIKI様はノイシュヴァンシュタイン
に行ってきたぜ。
それに毎年バイロイトにも行ってるぜ。
おまえら,永遠の命を手にした■慎太郎クローン■が
次期総理に向けて始動したぜ!
石原は「自分に代わって■慎太郎クローン■が首相になって
大日本帝国を再建する。」といっているらしいが、本当かよ?
詳しくはこのHPに書いてあるぜ。
そして巨大地震を起す■謎の巨大コンドーム=神■の
謎を知りたければ、このHPを見ろよ!
http://www12.brinkster.com/uhikaru/a&w.htm

バイロイトや音楽や永遠の命の質問などおれのスレにいろいろ書けよ。
そして愛知万博の極秘情報も知りたければおれのスレに来いよな。
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musicnews/1038739531/l50

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★/////
683世界@名無史さん:03/01/19 14:22
b
684世界@名無史さん:03/01/19 14:46
12世紀までは西欧人はビザンチンの権威を畏れ、服従していたが、
コムネヌス朝以降は、西欧諸国はビザンチンのクビキを断ち切って、自分達だけで
やっていこうとし始めた。
っていうことだろうな。コムネヌス朝は西欧人離反の動きを押え込むべく色々対抗し続けたが、
その西欧諸国の反ビザンチン政策が実現するのは、アンゲロス朝のころ。
685世界@名無史さん:03/01/19 14:49
>675、679
では中世ヨーロッパ世界で文明地であったのは、東ローマが支配した
バルカン半島と南イタリアとイスラムが支配したイベリア半島のみ。

686世界@名無史さん:03/01/19 14:50
もしマヌエル2世がイタリア征服に成功してたら。
687世界@名無史さん:03/01/19 14:50
間違えた1世か。
688世界@名無史さん:03/01/19 18:27
おい、古代ローマービザンチン帝国って、
古代日本朝廷ー武家時代の朝廷
に似てないか。
どちらも古代には強力な権力者として支配をしたが、中世には形と権威だけの存在になった。
あと、イスラムのカリフも。
689 :03/01/19 18:34
イスラムの勃興さえなければ地中海(ローマ)の歴史は中国と同じように展開してたかもしれない。
国力を蓄積したマケドニア朝のビザンツが再び統一したということもありえる。
中国が五胡十六国時代(華北の五胡はゲルマン民族のローマ旧領の諸王国に対応しますね)や
南北朝時代を経て再統一されたように。
690世界@名無史さん:03/01/19 23:16
漢は南北に分裂しローマは東西に分裂した

その分裂の仕方の違いが支那と地中海世界の
運命の分かれ道だったのではないかという気がする。
691世界@名無史さん:03/01/20 16:09
>>688
イスラムのカリフと、日本の朝廷はそれなりに似てるけど、ビザンチンとは似てないような。
中世に入っても権力と権威を両方とも持っていたしね。

>>689-690
その視点は新鮮ですね。確かに分裂後の状況は酷似しているし。
ただ、中国の六朝が漢の文化をほぼ継承・発展させ、生活・文化レベルの低下などは
あまり感じさせないのに対し、東ローマは一時期かなり疲弊しましたよね。そのあたりも
その後の歴史に影響を与えたような気もします。
後、もしカール大帝の西ローマ帝国が、ローマ以来の社会統治システムに目覚めることで
統一的かつ継続的な国家体制を築いていれば、その後、中国における隋・唐の役割を果た
せたかもしれないですね。
692世界@名無史さん:03/01/20 19:15
ローマで隋に相当するものはユスティニアヌスによる再統一でしょう。

隋が滅びたあとはすぐに唐が継承したけど
ユスティニアヌスの大帝国は継承されず一瞬の統一で終わってしまった。
693世界@名無史さん:03/01/20 19:57
>692
待て!中国の再統一は漢民族主体ではなく蛮族側しゅたいじゃないのか。
隋も唐も古代漢民族ではなく、蛮族がかなり混じっていたはず。
中国と同じにするなら、ゲルマンが地中海統一しなければ
694世界@名無史さん:03/01/20 20:12
ローマ化したカルロス・マーニュス(カール大帝)の西ローマ帝国が
地中海に西半分を統一して東ローマも併合したら中国と同じ。
695世界@名無史さん:03/01/20 22:15
それにしても、イスラムのアラブ人は勃興と同時に先行するローマ帝国や
ササン朝の文化や制度を継承して建国当初から高度な文明国家を築いたのに対し、
、ゲルマン人は、ローマ文明を破壊しただけで、野蛮で未開な暗黒の中世しか作らなかった。
その違いは一体どこにあるのだろうか。
アラブ人もゲルマン人も中世の始まりとともに勃興してきた民族なのだが。
696世界@名無史さん:03/01/20 22:19
ゲルマン人は蛮族だったがアラブ人はイスラム以前から文明人だった。

大きな国も無い部族社会だったから影は薄いけど決して未開人では無かった。
商業民族なんだから未開では成り立たない。

697世界@名無史さん:03/01/20 23:37
カールの帝国ははりぼてなので隋の代わりにはならない罠
698世界@名無史さん:03/01/21 01:10
>>695
さらにその偉大なローマ文明を破壊した野蛮人が、
今世界の覇権を握っているというのがこれまた不思議。
ゲルマン人は大器晩成?
699世界@名無史さん:03/01/21 11:15
西欧の蛮族が文明人となったのは、十字軍の侵略でアラブの文明を知り、
その文物を輸入して起きた「ルネッサンス」以降。
700世界@名無史さん:03/01/21 12:07
ゲルマン人はローマからはキリスト教を学んだだけで文明は学ばなかった。

キリスト教を学んだからこそ文明を学ばなかったとも言える。
当時のキリスト教では世俗的な繁栄は堕落、悪いことと見なされてたから。
701世界@名無史さん:03/01/21 17:44
おおざっぱにいうと、
中世西欧世界=大移動時代のゲルマン人およびその子孫の世界
中世ビザンチン世界=ゲルマン民族大移動を逃れたきた古代ローマ人の子孫
ですかね?
702世界@名無史さん:03/01/21 17:54
征服前のアラブ人もゲルマン人と大同小異だよ
イラン人なんかいまだにアラブ人に優越感持ってるじゃん
実際、ササン朝の政治体制をかなり模倣しているし
ゲルマン人は部族ごとに発達度合いが違うからね
ゴート族なんか早い時期からかなりローマ文化にそまっていてたと思うけど
703世界@名無史さん:03/01/21 18:10
蛮族のゲルマン人の中でも一番野蛮だった部族が
現代では世界で最も威張っててやりたい放題だ
704世界@名無史さん:03/01/21 18:20
そうか?折れは日本人だと思うが
そろそろアイヌや琉球王国の存在を認め、
彼らが正統な縄文人の直系子孫であること認めたら?
そして彼らに対して行った蛮行を謝罪したら?
少しは土地をアイヌに返したら?
彼らは日本に編入されたいとこれっぽっちも思っていなかったのだから
カナダは日本の面積に相当する土地をイヌイットに返還しているぜ
これ以上はスレ違いになるので書かんが
705世界@名無史さん:03/01/21 18:52
>>704
それに比べて朝鮮民族は偉いね。半万年の歴史の中で、
そういった事は一度も無いし。
706世界@名無史さん:03/01/21 18:53
>>704
誤爆でつか?
707世界@名無史さん:03/01/21 18:57
んだ
708SSBN:03/01/21 20:20
>>704
アイヌに土地を返還するって大いに結構な話なのだが、どうそれ維持するのか教えてくれないか?

前に見かけた沖縄は独立しよう!ってのも似た疑問を持ったナァ。
709世界@名無史さん:03/01/21 23:19
ビザンツ帝国、金氏朝鮮を滅ぼし、平壌に再建国しました
710ロシア人一同:03/01/21 23:31
>>708
われわれにお任せあれ。
711世界@名無史さん:03/01/22 10:38
>692
>ユスティニアヌスの大帝国は継承されず一瞬の統一で終わってしまった。

強いて言えば、ユスティニアヌスの大帝国を継承したのは、その後の
ローマ帝国ではなくて、イスラム帝国ということになる。
つまり、ユステイニアヌス王朝のローマ帝国が隋ならば、唐に該当するのはイスラム帝国だ。
712177:03/01/22 11:37
>>711
支配システムの継続性とか、類似性は見られるのでしょうか?
713世界@名無史さん:03/01/22 16:45
ササン朝とイスラム帝国との間には統治システムの継続性が認められますけどね。
東ローマとイスラムとの間には,ちょっとそのような関係は認められないかと。

まあ,>>711さんも「強いて」とおっしゃってますので,ちょっと隋・唐の関係との関連性
を考えるには無理がありますね。

しかし,華北に侵入した異民族はやがて漢化したのに対して,西ローマに侵入した
ゲルマン民族がローマ化しなかったのは,やはりキリスト教の影響が大きかったん
ですかね。
714世界@名無史さん:03/01/22 19:18
角付いたカブトかぶった髭面の連中が、クレストの飾りのついたカブトのローマ兵を
なぎ倒して、都市や水道を破壊しまくった。
715177:03/01/22 20:49
>>713
人口比は、どうだったんでしょうね?
716世界@名無史さん:03/01/23 16:56
i
717世界@名無史さん:03/01/23 23:29
このスレifじゃなくなって総合スレになったな
718世界@名無史さん:03/01/24 17:15
age
719テオドシウス4世:03/01/24 20:18
このスレも1000に達したら終わってしまうのか。
出来るなら最低でも1453まで続けたいのだが。
720世界@名無史さん:03/01/25 16:54

721世界@名無史さん:03/01/26 03:55

(・ー・)オワッタナ・・・

722世界@名無史さん:03/01/26 03:58

                                /\
                    ,ヘ、          .|  \
          /\ __    /  |          .|    ヽ /\
         / / ̄\  \  /    |          |     ヽ´   \
       / /    \  \    |          |    /ヽ    \
      / /       \/ .|    | カサカサ    .|   /  ヽ  ___\__
     /  /        /\ .|   |   _    |   /   ヽ/     \  ヽ
    /  /        |   ヽ|   | /._.. ヽ  .|  /   /        \  ヽ
    /  |         |   | |   /.._.. ヽ... ヽ .|  /  /  |         \ ヽ
   /   |         |   | \ /... ...ヽ |.. )| /  ./    |          \|
  /    |         |   |  ヽ● ● 丿ノ |/  /     |           |\
 /    /         ノ   \  /V""V"\ヽ、//        |          |  |
./  _/              \/  )/ /||\_/         ゝ          |  |
|                       Λ( Λ〃/                       <  |
|                       ( "" /                          |
                        """"


   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (;´Д`)< カサーリに食われるモナ
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)

723世界@名無史さん:03/01/26 04:10
     ∧_∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ( ´∀`)/<先生!http://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html
 _ / /   /   \___________
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
 ||\        \
 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
ココ重いけど久しぶりにGood
724世界@名無史さん:03/01/26 14:01

725これって、:03/01/26 14:40

本当なんでしょうか。

http://home9.highway.ne.jp/cym10262/fenomina.html
726世界@名無史さん:03/01/26 17:04
(・ー・)オワッタナ・・・



727世界@名無史さん:03/01/26 23:08

728世界@名無史さん:03/01/27 00:56
ギリシャの火age
729世界@名無史さん:03/01/27 16:16
ついに滅びましたか。
もちっとドラマチックな最後を期待しましたが。
730世界@名無史さん:03/01/27 16:19
…つか、まだ覗いてますけど。
勝手に終わらせないでくださいませ。

…とはいえ、ネタはないんだけどねえ。
731世界@名無史さん:03/01/27 17:20

732世界@名無史さん:03/01/27 21:31
ローマ人の皇帝、万歳!
733世界@名無史さん:03/01/27 21:54
まだだ、まだ終わらんよ。
ビザンティン文化の華が開くのもこれからではないか。
1453の運命のその数字まで。
734世界@名無史さん:03/01/28 01:33
ギリシャの火って何よ?
735世界@名無史さん:03/01/28 15:50

736世界@名無史さん:03/01/28 19:50
今日はギリシャの日。
737世界@名無史さん:03/01/28 21:54

738世界@名無史さん:03/01/28 21:59
737年か〜ちょうど暗黒時代だな
739世界@名無史さん:03/01/28 21:59
738年だった
740世界@名無史さん:03/01/28 22:36
奈良時代です。
741世界@名無史さん:03/01/29 12:38

742コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:06
>738
皆の者!
朕が父レオ帝の後を継いで即位したからは、暗黒時代も終わりだぞよ!!!
父帝がウマイヤ朝の総攻撃を撃退したばかりか小アジア西部をも奪回した。
父は西の大国イスラムを破ったがこの朕はブルガリアやバルカンに移住したスラブ
どもをさんざん攻撃してやる。
 皆の者、古代ローマは終わりだが中世ローマ帝国という新しい時代が始まったのだ。
さあ、わがイサウルス王朝について大いに語ろうではないか!
743コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:08
わがイサウルス王朝(特に父レオ3世とこの朕)が居なければローマ帝国は存続しなかった
と思うのだがどうだ?
744コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:12
父や朕は前王朝の頃からのローマ帝国滅亡の危機を最終的に克服した
と思うのだが。
いわばイサウルス王朝はローマ帝国史における救国の功労者と概ね考えても
良いと個人的には思うが、どうか?
また、逆に(個人的には見当たらないが)、わがイサウルス王朝がローマ帝国
にとってマイナスなことをしたことがあったら言ってくれ

745コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:16
後世のマケドニア王朝は中世ローマ帝国の最盛期だが、同時にさらに後の衰退の
原因も作った。
わがイサウルス王朝はマケドニア王朝繁栄の基盤を築いたとは思うが、衰退や滅亡には関係ない
746コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:22
イサウルス王朝は、中世ローマ帝国の衰退や滅亡に何の責任もない唯一の王朝だと思うが
どうか?
その他の王朝は何らかの形でローマ帝国の失敗の種を多かれ少なかれ持っている。
ユスティニアヌス、ヘラクリウス王朝言うまでもなく、コムニヌス朝もテオドシウス朝も
みんなそうだ。特にユスティニアヌス王朝2代目の大馬鹿皇帝が最も罪深い!
747コンスタンティヌス5世:03/01/29 19:28
朕や父は、ユステイニアヌス1世をはじめ先代の何人ものバカ皇帝たちが撒いた
失敗の種をすべて清算したのだ!
 なのになぜユスティニアヌスのようなバカが大帝で、ローマ帝国新生の功労者
の朕がウンコ皇帝なのだ!納得がいかん!成仏できずに今でもコンスタンティノープル
、じゃなくてイスタンブールをさまよっておるのじゃ。
 それにしてもシシケバブは美味いのう、わしが生きた時代にはこんなもんなかった。
 
748世界@名無史さん:03/01/29 20:09
俺も糞野郎は大好きだが、衰退や滅亡に何の責任も無いかといったらそれは違うと思うぞ。
特に偶像破壊問題は後々まで遺恨を残している。
聖職者の力を奪う為っつっても、宗教論争を巻き起こす要因を作るのはイデオロギー国家としては痛いわな。
749ハールーン・アル・ラシード:03/01/30 02:04
国家滅亡の種を巻く香具師は何処の王家にもいるんだね
750世界@名無史さん:03/01/30 02:11
ユスティニアヌスが無理に無理を重ねて
国力を疲弊し尽くして一瞬だけ旧領を回復したからこそ
その後千年の間ローマが存続できた。

一瞬の統一とはいえ、もしそれがなかったら
「ローマ」という建前を維持することは困難だったに違いない。

だからユスティニアヌスは民衆にとっては暴君だったかもしれないが
ローマにとってはその後の千年を保証した名君だ。

以上、「生き残った帝国」からの受け売り。
751世界@名無史さん:03/01/30 13:52

752世界@名無史さん:03/01/30 23:35

753世界@名無史さん:03/02/01 17:13

/;
754世界@名無史さん:03/02/02 00:02
ビザンチン帝国が滅びずにすむ方法を色々考えた。

結論。
「オスマン朝ローマ帝国」の建国しかないのでは?

オスマン朝がチムールの力で潰れなければ、遠からず滅びるだろうから
いっそ、キリスト教徒と文化の保護と引き替えに
皇帝冠とコンスタンティノープル呉れてやれば「ローマ」は滅びずにすんだだろう。

新参者のトルコとしては、「ローマ」と「正教の守護者」の金看板は魅力だろうし。
案外、ギリシャ文化とトルコ文化が融合するネオヘレニズムが生まれたかも知れない。
755世界@名無史さん:03/02/02 00:08
>>754
トルコ人がイスラムに改宗する前なら可能だと思うが
トルコ人がイスラムに改宗したのは何時だ?

イスラムに改宗後ではいまさらキリスト教に再改宗なんて無理だろう。
756世界@名無史さん:03/02/02 00:08
トルコに文化は、ありません。
トルコ人を(東スラブ族をそうしたように)正教化すれば、
生き残れたかも。(東)ローマ帝国オスマン朝とか。
757世界@名無史さん:03/02/02 01:04
namerun
758らよならり:03/02/02 01:29
にくられこまにりこ
759世界@名無史さん:03/02/02 01:29
>>756
何度もループだが

文化のない民族は存在しない。
文明のない民族は存在するが。

なぜなら、民族とは言語・宗教・「文化」・哲学等を共有する多数の人間の集合体の
ことだから。

人種、民族、語族、部族、氏族などを混用する例が多すぎる。
また、文明と文化の区別も付かないようなレスも多すぎ。
760世界@名無史さん:03/02/02 03:23
>>754
ユスティニアヌス大帝のように、一時期でもローマを占拠する事が必須
と思われるが、果たしてオスマン・トルコにはそれが可能だったろうか?
761世界@名無史さん:03/02/02 03:26
>>760
なぜ?
ローマにはローマ市を支配したことのない王朝なんぞたくさんあるはずだが?

マケドニア朝もパライオロゴス朝もローマ市を支配したことなど無いはずだぞ
762世界@名無史さん:03/02/02 03:33
>>761
マケドニア朝もパライオロゴス朝も、ビザンチン帝国の版図の外の
勢力が侵略して、帝位を奪った訳ではあるまい?
763世界@名無史さん:03/02/02 03:38
必要であるならローマ市を占領するくらいできるだろ

堅固な城壁とギリシア火に守られたコンスタンティノープルと
当時廃墟でしかなかったローマとどっちが攻略しやすいかは明らかだ。
764世界@名無史さん:03/02/02 03:45
>>763
兵站を無視するなよ。
コンスタンティノープルは、ぐるりとオスマン・トルコの版図に囲まれた
状態で、50年存続した後で滅亡。
ローマには、この「50年」は必要ないとしても、「ローマの周囲をぐるり
とオスマン・トルコの版図に組み入れる」事は、果たして可能か?
史実では、ウイーンで侵略を食い止められている。
765糞親子マンセー!!:03/02/02 08:55
レオと糞野郎は正しい。聖書には偶像を作って拝んではならないと書いてある。
糞親子が命懸けで頑張ったからこそ、ヨーロッパキリスト教文明はアラブに征服
されずに生き残れた。東方正教会は平面のイコンを作ったが、さすがに良心の痛みが
(そんなものがあればの話だが)疼いたのか、立体的な偶像彫刻は作らなかった。
ルネサンスなど古代の邪神、異教異端の復活以外の何物でもない。永遠に無価値な
偶像は砕け散るがいい!
766世界@名無史さん:03/02/02 12:46
uy
767世界@名無史さん:03/02/02 13:21
イコンや彫刻もそれ自体を崇拝の対象としなければかまわない,
と言う説明は,すごく分かりやすいと思うが。
少なくとも三位一体なんかよりかは。
768世界@名無史さん:03/02/02 13:34

ローマ占領のみなら,ガイセリックみたいに海から行ってあぼーんだな。
第一次ウイーン包囲は異常な寒波のため,
第一次ウイーン包囲は,ポーランド軍のため撃退されたけどね。
まあ,トルコがキリスト教国で正教系のスラブ族と同盟すれば
イングランドを除いて楽勝でしょう。
769世界@名無史さん:03/02/02 15:34
コンスタンティノポリスは大阪城にも匹敵する天下の堅城である!
コンスタンティノポリスはローマ市にも匹敵する永遠の都である!
コンスタンティノポリスマンセー!
770世界@名無史さん:03/02/02 17:59
世界で最も長く都だった都市はコンスタンティノープルなのだろうか?

コンスタンティヌス帝の建都から第一次大戦でオスマン帝国が解体するまで都だった。
771xxx:03/02/02 18:00
∵.☆:* ・∵.゜.☆.・∴.,★ :*・∵.:☆.。.:*・:* ・∵.+:*・∵.゜ ">*・.:.。.:*・:*・

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772世界@名無史さん:03/02/02 18:55
>>770
数え方にもよる。

普通はローマじゃない?
ローマ建国から、教皇庁国家を経て統一イタリア王国、現在に至る、と。
773世界@名無史さん:03/02/03 17:07

,
774コンスタンティヌス5世:03/02/03 19:35
勇敢なる兵士達よ!
ブルガリアに出兵するのだ。わがローマ軍団の強さを蛮族どもに
思い知らせるのだ!
いざ、出陣。ローマ帝国万歳!
775コンスタンティヌス5世:03/02/03 19:43
朕は滅亡の危機をしのいだ父帝を継いで
全力で中世ローマ帝国の基盤を築いたつもりだ。
できることは全部やったぞ!ヘラクリウス帝の死後以来の暗黒時代
の混乱に終止符をうったのは朕だ。
朕にも大帝の贈名をくれ。
コンスタンティヌス5世大帝と呼んでもらえる価値はあるとおもうけどな。
少なくともウンコ皇帝は名誉毀損だ。イスタンブールの裁判所に行ってやる。
776コンスタンティヌス5世:03/02/03 19:45
追伸
言い忘れたが
775ゲットじゃな。朕が崩御した年だ。
777世界@名無史さん:03/02/04 15:45
age
778世界@名無史さん:03/02/05 02:09
トルコのローマ征服だが、オトラント上陸戦を考えるとやれたと思う。
ブリンディシからローマに進軍。
もっといえば今でも出来そうな気がw
779世界@名無史さん:03/02/07 20:46
;
780世界@名無史さん:03/02/07 23:15

781世界@名無史さん:03/02/07 23:47
>>775
息子の嫁の選び方が・・・
おかげで西ローマ帝国が復活する口実を作ってしまったし・・・
782世界@名無史さん:03/02/08 05:10
>>775
ローマ皇帝のくせに、コンスタンティノポリスではなくイスタンブールと呼んでる時点で
ウンコ皇帝ケテーイ(w

ってのは冗談だが、さすがに大帝と呼ばれる様な実績は挙げてないと思うぞ。
783 :03/02/08 14:28
「秘められた聖地〜」放映日age
784.:03/02/08 15:16
テオドラって美人なの?
785ミカエル3世:03/02/08 18:56
私がイスラム勢力への攻勢と軍事的優位の先端をきったのだ!
786コンスタンティヌス7世:03/02/08 19:01
>785
ちがうよ!
アンタはただの道楽モノだ、祖父が影で支えていたからそれなりの業績あっただけ。
アンタ自身はいかがわしい取り巻き引き連れて街を練り歩いていただけじゃないか!
そんなアンタに愛想つかして、祖父が仕方なくアンタをやったんだ!
帝国の安定とイスラムへの軍事的優位を築いたのは祖父バシレイオス1世だね。
バシレイオス1世こそローマ帝国繁栄の英主。
787ニケフォロス2世:03/02/08 19:07
>786
なんだよ!
そんなことを云うが、君自身は何をやったのだ。たんなる無能な3代目チャンでブコレオン宮殿
の奥でヌクヌク過ごして、歴史書の編纂とやらにうつつぬかしてただけじゃないか!
その間、俺達将軍連中は前線でどんな思いで戦ってたと思うんだ!
 君自身が一度でも戦陣にたったことがあるとでもいうのか!
君は、君が悪く言ってるミカエル3世よりもずっと劣るよ!カレはまがりなりにも
アルメニアに出陣してるしね!何も知らないおぼっちゃんがえらそうにいうんじゃないよ!
 
788シメオン:03/02/08 19:12
こんにちわ。
私はカエサル=シメオン、ブルガリア王ボリスの子だ。
みんなは私のことをブルガリア王だと思っているだろうが、
じつは私こそがローマ皇帝なんだよ。
ブルガール人だけど、正当なアウグストゥスとコンスタンティヌス大帝の
後継者さ。
789カール1世:03/02/08 19:16
なんだよ!
俺だってローマ皇帝なんだからな。
ちゃんとカロルス=マグヌスっていう古代ローマっぽい名前ももってるんだぞ。
実は俺はコンスタンティノープルに引越ししてもよかったんだぞ。
未亡人エイレーネー皇后と結婚するつもりだったし、婿入りしてもおかしくないだろ。
シメオン、お前はそこまで考えてたのかよ。
790テオフィルス:03/02/08 19:19
>788,789
部外者はひっこめ!
お前ら所詮にせものなんだよ!蛮族出身でローマ皇帝なれるわけねーだろー
>789
フランク王がコンスタンティノープルに簡単に住めるとでも思うのか、バ〜カ。
ローマ皇帝はローマ人でなければなれない。
791テイベリウス3世:03/02/08 19:21
>790
あの・・・影が薄いけどおいら、蛮族出身でもローマ皇帝なったんだけど・・・
本名アプシマールっていうゴート人なんだけど・・・それでもローマ皇帝になれたよ。
792ゼノン:03/02/08 19:22
漏れも漏れも
ゲルマンじゃないけど、イサウリアの蛮族出身です。
793コンスタンティヌス大帝:03/02/08 19:25
>785〜792
あ〜、情けなや・・・ローマ帝国が衰退していった理由が分かる気が・・・
794アウグストゥス:03/02/08 19:27
こんな不肖な子孫達ですが、誰かレスしてやってくださいな^^;
795世界@名無史さん:03/02/08 21:03
>793
あんたもイリュリア人じゃないの?
796世界@名無史さん:03/02/08 22:14
アトスおわた
797世界@名無史さん:03/02/08 23:24
アトス見た、元トラック運転手が印象的だった。
798ベニト:03/02/08 23:50
だからよお、俺がローマを復興してやっただろ。
799テオドシウス4世:03/02/09 19:19
まあ、そうケンカしなさんな。ローマ皇帝たちよ。
わが姉妹スレから、ローマ帝国の偉大なる始祖アウグストゥスをお招きしよう。
神君アウグストゥス様に御採決あおごうではないか。

それでは、神君アウグストゥス様をお迎えに参るのでちとばかり留守にいたすぞよ。
800エイレーネー:03/02/09 19:24
800ゲットよ!

私こそがローマ女帝ナンバー1だ!ハハハ・・・
801西ローマ皇帝カール1世:03/02/09 19:27
あああああっぁああぁあ!!!!
よ〜くも、800ゲットやってくれたな!!!!!エイレーネーめ!
800年の正式なローマ皇帝はこのカロルス・マグヌスじゃ!!
アンタは正式なローマ皇帝じゃあない!!!
802エイレーネー:03/02/09 19:30
>801
何をたわごとを!
わらわが800ゲットしたからは、アンタの皇帝戴冠は無効!無効!大無効!!
こんなチンケなケコーン申込書やぶいてやるわ!ビリビリ・・・
わらわとケコーンしてローマ皇帝なろうなど600年以上早いわ!蛮族の酋長が
803コンスタンティヌス6世:03/02/09 19:32
>カール&エイレーネー
オマイラ引っ込め!
正式なローマ皇帝はオイラだ!!
母上、よくも実の息子の目をくりぬいてくれたな!!
804ニケフォロス1世:03/02/09 19:33
クケクケックケ・・・
争え、争え。
その間にこのわしがローマ皇帝位をくすねてやるわ
805アルカディウス:03/02/09 19:35
>804
いや、この俺が、生き返ってもう一度ローマ皇帝即位してやる。
前世で何もできんかった分、無能皇帝の汚名挽回といくか。
806ヴァレンス:03/02/09 19:38
>805
いや、このわしがやってやる。
アドリアノープルでの失敗を、今度はブルガリア人相手に取り返してやる。
ニケフォロス1世ひっこめ!
オマエは811年にわしの二の舞をするだけじゃからの
807バシレイオス2世:03/02/09 19:41
>804、806
死人しかも腰抜け野郎はひっこんどれ!
このわしが200年早く生まれておったら、ブルガリアもクルムの時代で滅亡じゃわ。
ついでにカール1世の皇帝即位も阻止したうえにイタリア征服してフランク人どもに一泡ふかせたものを
808トラヤヌス:03/02/09 19:43
お前ら、なに、次元の狭い話してるんじゃ!
ローマ皇帝を名乗るのなら全世界を支配して見せろよ
809世界@名無史さん:03/02/09 19:46
いつからここはなりきりスレに…
810ヘラクリウス:03/02/09 19:51
>808
ウザい!
お前は単に運がよかっただけ、恵まれた時代に生まれただけ!
個人の能力や努力だけではどうにもならんこともあるんじゃ!
お前みたいな恵まれたやつには、中世ローマ皇帝たちの屈折した心情や
苦悩がわかるまい!!!
811コンスタンティヌス8世:03/02/09 19:56
>810
えー、やぁ〜フラーフゥジー
元はいえばアンタが悪いのによぉ〜。
アンタが世界帝国ローマを地方国家に転落させた張本人、ふら〜、しにぃ〜ハジぃ
なんでローマ世界帝国を守り抜かなかったね?
アンタのせいで後に続くわした皇帝達ィ、惨めな思いするさね。
812コンスタンティヌス11世:03/02/09 19:57
>810
それをいうならエジプト・シリアを争えるだけ恵まれているとはおもわんか?
朕の苦労をみよ。野蛮西欧人どもからはギリシア皇帝扱いされた上、異教徒ども
に都を奪われた挙句ローマ最後の皇帝として永遠に歴史に名が刻まれることに
813クラウディウス:03/02/09 20:01
タァ〜ケ〜!
なんでローマ皇帝が沖縄方言使いよるが!
ローマ皇帝ならラテン語使うっちゃ。
814テイベリウス1世:03/02/09 20:02
そういうお前はどこの方言つかってるんや。
ちゃんとやらんとあかんやないかい!
815コンスタンス2世:03/02/09 20:10
方言争いはちょっと横に置いといて、
>811
なんで、オマエみたいなアホ丸出し皇帝に祖父が悪く言われないといけないのか!
そこまで言うのならおまえがあのウマイヤ朝の怒涛のような大攻撃を阻止してみろよ!!
まあ、祖父や俺じゃなくオマエがあのときの皇帝だったら、間違いなくローマ帝国は
ササン朝と同じ運命をたどったぞ!
祖父やこの俺&わしの息子の血のにじむような苦闘があったからこそ、お前ら中世ローマ皇帝が存在するものと思われ!!
816マヌエル2世:03/02/09 20:13
>815
あぁ〜あ、あなた方の時にローマ帝国などさっさと滅びてしまったほうが良かったのだ!!
そうすれば、私のあの屈辱的な人生などなかった(泣)
先君たちよ!おうらみもうしあげますぞ!
817ネロ:03/02/09 20:13
>816
おい、袋叩きにされたいか。
818ディオクレティアヌス:03/02/09 20:17
ってか、俺に言わせれば、コンスタンティヌスはまだしもテオドシウス以降の
ローマ皇帝は全員即刻死刑だ!八つ裂きだ!
邪教に身を染めローマ帝国を没落させた責任は重大と思われ。
819テオドシウス4世:03/02/09 20:18
おぉ〜い、やめろよ、みんな。
やめてくれよ〜
820アウレリアヌス:03/02/09 20:20
>819
実在しない架空の皇帝が何が、「やめてくれよ〜、みんな」だ!
オマエなんかに言われる筋合いないわい!
わしだって歴代皇帝たち言いたいことが山ほどあるぞ!ローマ皇帝たちのケンカに参戦してやる!
821世界@名無史さん:03/02/09 20:39
つーか、イスラムに汚されて終焉するのだけはやめて欲しかったね。
ハギア・ソフィアを黙って改造されるのも止めて欲しかったね。
822世界@名無史さん:03/02/10 16:45

823ユスティニアヌスT世:03/02/10 18:57
>818
あんたはニコメディアでキャベツの栽培をしておれ!
時代の趨勢はキリスト教だったのじゃよ!

コンスタンティヌス大帝が、キリスト教を公認
テオドシウス大帝がキリスト教国教化
したので帝国の寿命が数百年のびたのじゃよ。

ちなみに私も大帝。あんたは?プ。


824ロムルス:03/02/10 22:04
余の後継者は権力キティのDQNしかおらぬのか?
825ベニト:03/02/12 02:52
>824

安心しろ。俺のような不世出の英雄もいる。
826既出でしょうが:03/02/12 23:09
宗教原理主義で死者が増えている事は間違いないと思われ。
827世界@名無史さん:03/02/14 21:20
檄ワロタ。そらぁ滅びるわな。
828世界@名無史さん:03/02/15 17:18

829:03/02/15 17:19
830世界@名無史さん:03/02/16 12:28

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832世界@名無史さん:03/02/16 23:08
宇宙戦艦ヤマトの目的地と、主題歌が違っていたな…。
833世界@名無史さん:03/02/17 23:48

834世界@名無史さん:03/02/18 02:06
ビザンツが存続しうるということは、
地中海貿易の重要度が未だに高いということでもあり、
とすると世の中は地中海貿易→シルクロード→中国という交易ルートからなる
経済圏の枠組みの中に当てはまることとなる。

とすると、現在の大国アメリカの存在は許されず、
あるいは存在したとしてもいかに地中海に入り込むかが争点となるわけだ。

日本も上記のルートの端っこに位置しているということで、
ビザンツと国交を結ぶことは十分に考えうるが、
そうするとイスラム圏といざこざが起こるわけで。

いや、ビザンツがイスラムをおさえたのだったら、
石油をもビザンツが握るというわけだから、
在コンスタンティノープル大使は日本で最も重要なポストになりうるな…。

なんて妄想を考えるのも楽しいね。
835世界@名無史さん:03/02/18 02:15
ビザンツが在れば、
大航海時代は起こらず(起こったら衰退しちまう)、
産業革命はロンドンでは起こらず(コンスタンティノープルで起こる)、
通商は陸路が中心でシルクロードが今でも最重要の通商路であり、
アメリカは在らず、ロシアも在らず、EUも在らず(属州にすぎない)、
中国が西洋列強に搾取されて内紛状態に陥ることもなく、
ユーラシアにはローマ帝国(ビザンツ)と中華帝国が聳え立ち、
おそらくアフリカもビザンツの属州で、東南アジアは中華秩序にとりこまれたまま、
石油を産出する地域(中東)を巡って、ローマと中国の熾烈な争いが続くだろう。
で、日本は平和で牧歌的な島国のまんま21世紀を迎えた、かもしれない…。
836世界@名無史さん:03/02/18 02:17
これだけビザンツのありなしが世界史に影響を与えるのに、
現在の歴史教科書(世界史)でのビザンツの扱いは少なすぎると
思いません?
837コンスタンティヌス5世:03/02/18 19:33
だ〜か〜ら〜、俺を大帝と呼べっつ〜の!
838バシレイオス2世:03/02/18 19:35
なんで俺がたいていじゃねぇーんだ?
839アレクシオスT世:03/02/18 19:48
あんたは後継者問題でみそをつけたから。
840ユスティニアヌスT世:03/02/20 08:50
戦争屋は大帝にはなれねーんだよ。帝王は座して報告を待てば良い。
841マウリキウス:03/02/20 18:57
コラッ!ユスティニアヌス!
おまえがくだらん妄想とその戦争のために多大な戦費を重い税でまかなったために
各地で反乱が起きてかなわんわ!まったく!
なにが大帝だ!
842ユスティヌスU世:03/02/20 19:13
叔父上のつけをその後の5、6代、約数十年かけて払ったわけだよな。
地方国家になった端緒は叔父上だったわけだ。
843世界@名無史さん:03/02/20 20:00
>あんたは後継者問題でみそをつけたから。
随分古い言い方だねえ〜。
みそをつけた
一体あなたはおいくつなの?
844アレクシオスT世:03/02/20 20:10
>>843
今年で955歳ですが何か?
845世界@名無史さん:03/02/20 20:16
ナムー
846ハールーン・アル・ラシード:03/02/20 23:07
そういえば俺も大帝と呼ばれない罠。
フランクの歴史家は器量が小さいね。
847塙団右衛門:03/02/20 23:49
ごっついのう。
848世界@名無史さん:03/02/21 00:10
インカ帝国最後の皇帝の名前は?
849世界@名無史さん:03/02/21 01:10
これからは実力、専門の時代
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/joke/1045664103/

1 :名無し専門学校 :03/02/19 23:15 ID:mN/JW8UC
これからは実力、専門の時代
大学なんて役に立たない。

そもそも、早慶って専門学校と何が違うの?

やっぱりこれからの時代は、
無駄に大学に行って、結局何にも意味がないくらいなら、
専門学校で技術を身につけたほうが
即戦力として就職とかも良いんじゃない?
850ミカエル3世:03/02/21 19:26
850ゲット
851アナスタシウス1世:03/02/21 19:28
んでもって、朕は851ゲット
852ヴァレリアヌス:03/02/21 19:29
そしたら吾輩は852ゲット
853マクシミヌス:03/02/21 20:04
ならば、おいらは853ゲット
854コンモドゥス:03/02/21 20:05
わーい、漏れも仲間に入れて〜
854番ゲーット!!
855マルクス・アウレリウス:03/02/21 20:06
こらぁ、息子よ!
こんなバカ皇帝たちと一緒に遊ぶんじゃない!!
856ヴァレリアヌス:03/02/21 20:07
>855
何だと〜、何がバカ皇帝どもだぁ〜!?
アンタが息子の教育に失敗したからローマの平和が終わったんじゃないか
857フィリップス・アラブス:03/02/21 20:08
そうだそうだ!
アンタのせいで俺達、軍人皇帝はどれだけしんどい思いをしたことか
858ユリアヌス:03/02/21 20:14
なんだよ!ちょっと待てよお前ら
ローマ帝国が混乱したのは当事者のアンタら軍人皇帝に責任があるんじゃないか!!!
哲人皇帝マルクス・アウレリウスは辺境で帝国を守る為に血のにじむような努力をしたんだよ!!!
彼を悪く言うなよ。

言うけどね、ローマ帝国没落に一番責任があるのは、アンタら野蛮な軍人皇帝とコンスタンティヌス以下の邪教を崇拝した4世紀以後の
皇帝たちだね!!
邪教の毒牙をローマから抜き去ろうと努力したのは僕だけじゃないか!!!
なんだい!みんな堕落してるよ。
859アンドロニコス1世:03/02/21 20:16
>855
事実バカじゃん、アンタの息子。ケタケタケタ・・・
860遠山左衛門之尉:03/02/21 21:54
欧州の人々はごっついのう。
861ティベリウス:03/02/21 21:56
まー、ユリアヌスがペルシアに負けなければもちっとふんばれたかもしれんわけだが
私ならあのような負ける戦はしない
862世界@名無史さん:03/02/21 23:09

863世界@名無史さん:03/02/21 23:17
歴史にもし、なんてないよ・・・
864世界@名無史さん:03/02/22 02:20
でも歴史研究に「もし」はあります。
865ネロ:03/02/22 02:30
みんな厨だねぇ…諍いはやめてマターリと芸術的に暮らそうよ。
866世界@名無史さん:03/02/22 03:24
…そろそろなりきり勘弁してくれ。
と、思ってるのは私だけではあるまい。

なりきるならなりきるで、きちんと考察もしてくれよ。
867世界@名無史さん:03/02/22 03:41
オスマン皇帝にはアジアとヨ−ロッパとアフリカの統合者としての
アレキサンダーって意識があったみたいだけど
ビザンツ皇帝にアレキサンダーの再来意識ってあったの?
868世界@名無史さん:03/02/22 05:59
無いと思う
869世界@名無史さん:03/02/22 19:12
>866
ならばネタ振りしてして、
このスレはもう出尽くしてネタ切れなのでは?
もはや、なりきりでしか数字を稼げNスレになっちまったぞ。
870世界@名無史さん:03/02/22 19:14
というより、このスレは、120人以上のローマ皇帝の霊にとりつかれているぞ
871馬天ノロ:03/02/22 19:24
わらわは聞得大君の使者じゃ。
今から、このスレを霊視してつかわすぞよ〜

サ〜、クエ〜ナ〜♪
ヤ〜、クエ〜ナ〜♪
ス〜イ〜、オ〜ワル〜、テダ〜コ〜ヤ〜
ス〜イ〜テ〜ンガナ〜シ♪
・・・
うぬ!”ぬぬぬぬ・・・!!!
こ、これは恐ろしい!!
このスレには初代アウグストゥスから末代コンスタンティヌス12世までぃぬ
怨霊がとりついておるぞよ!
強すぎて、どんなお清めをしても、もはやお払いすることは不可能じゃ!!
皆の者!歴代ローマ皇帝はいたくお怒りだぞよ!!
歴代ローマ皇帝が、「朕にも言わせろ」と叫んでおろぞ!
ローマ皇帝の祟りじゃああああ・・・
872三好清海入道:03/02/22 19:28
まっこと、ローマん皇帝はごっついですたい。
873世界@名無史さん:03/02/25 21:20
機能、ギリシャの盛況見たらm、ビザンツの旗があった。
なぜm
874アウグストゥス(怒):03/02/26 19:06
皆の者!朕の後継者たる歴代ローマ皇帝ども、よ〜く聞け。

朕はこのスレの主、テオドシウス4世の懇請に応じて、糞皇帝どもの争いを収拾しに来たぞ!

歴代ローマ皇帝のアホども!
ケンカとか責任のなすりあいばっかしとらんで、
各人ともローマ皇帝として自分のどこが問題だったか反省&考察してみぃ〜!!
この神君アウグストゥスがここで見届けてくれるわ。


875マヌエル1世:03/02/26 19:22
神君アウグストゥス様、
わたくしからやらさせていただきます。

私はローマ帝国を立て直した祖父や父の後をついで、さらにローマ帝国の
軍事的優位と覇権確立に尽力し、実現させたと思います。
しかし、ローマ帝国の覇権を確立させる一方、国力を限界まで使い果たし疲弊させた点は
良くなかった。1204年の責任は私にもあるでしょう。
 これを回避するには、相次ぐ遠征を少しは抑えて国力を蓄積しもっと内政に力を入れるべきだった。
あと、ベネチア人への迫害もすべきでなかった、むしろ彼らを再び帝国内に取り込み完全にローマ帝国の一員にしてしまっていれば
鬼に金棒。
そうしていれば、1204年の出来事はなかっただろうし、私の2,3代後の皇帝の頃には、私が望んだイタリア征服も実現したかもしれないし、
小アジアを完全に奪回できたかも。
アウグストゥス様、生きているうちにそのこと気づくべきでした、無念・・・
私は功を焦りすぎた。
 ユスティニアヌス1世の真似ではなく、アナスタシウス1世を見習うべきだった。
私の治世こそがローマ帝国が没落するか、繁栄していくかの岐路だったのだ!
876アウグストゥス:03/02/26 19:27
>875
マヌエル1世よ、朕より千年以上も後の遠い後継者よ。
汝は有能な皇帝だったろうが、自己の名誉欲と我の強さが災いしたようじゃな。
ユスティニアヌスは成功したが汝は失敗した。
大帝と呼ばれるには汝はどうしたらよかったと思うか、述べてみよ。
877マヌエル1世:03/02/26 19:33
アウグストゥス様、

もし私がイタリア征服に成功しておれば、後世から私はマヌエル大帝と
よばれたでしょう。
しかし、それとて国力を極限にまで使い果たしてのこと。たとえイタリアを征服できたとしても
私の死後は、急速な衰退、イタリア喪失、帝国の滅亡は免れなかったはず。
 私は大帝になりたかったが、なるべきではなかったと思います。
878ゾエ:03/02/26 19:41
ああ・・始祖アウグストゥス様、お慕い申し上げます。ああ、○れてきちゃった・・・。
879ティベリウス:03/02/26 19:41
>877
確かにのう、生きておるうちに汝はこのことを気づくべきじゃった。
セルビア征服とハンガリー服属でやめるべきじゃったのう。
内政を省みない無理な戦は禁物じゃ。
ユスティニアヌス1世もよく聞いておけ。

わしも市民達からはバッシングされたが、思い切った金融政策をとって
帝国の経済危機を乗り切った。
 もし、わしの治世で先帝のトイトブルクの挽回とばかりにゲルマニア完全征服に
躍起になっておったら、その後のローマ帝国の安定はなかった。
880カリグラ:03/02/26 19:44
>878
今、曽祖父さまは真面目な議論中なんだよ!
ゾエよ、オマエの相手は俺がしてやるぜ!!
妹ドルシラともども思いっきり可愛がってやるからな、ガハハハ・・・
さあ、来な!
881アウグストゥス:03/02/26 19:50
>879
しかし、我が義理の息子よ。
長期的に見ればゲルマン人を放置しておいたのはまずかった。
後のゲルマン民族大移動を考えると
彼らもローマ帝国の文化に感化・同化させねばならなかったのじゃ。
朕には、西ローマ帝国のあの悲惨な最期と蛮族によるギリシア・ローマ文明の破壊を
天から見ていてわが身を切り裂かれる重いじゃったぞ。
ローマ帝国がボロボロになっていく姿は見るに耐えなかった。
882ユスティニアヌス1世:03/02/26 19:58
>テイベリウス
私もゲルマニアを征服しなかったのは間違いだと思う。神君アウグストゥスの仰せの通り
ゲルマンを征服しなかったから、蛮族の進入とローマの没落を招いた。
先代たちが完全にゲルマニアを叩いていれば、あんなことにもならなかったし、私が無理な大遠征
をする必要もなかったのです。
 私は、たとえ国力を極限に使い果たそうとも、後がどうなろうとも、ローマ帝国が地中海を統一していない
状況は耐えられなかった!あなた方先代達に申し訳なかった!
 たとえ国力を傾けてもローマの栄光を回復する必要があったのだ。
 それを無謀、バカというならいくらでも言ってくれればいい。
もっと言えば、先代達がゲルマン人の大侵入が起きないよう完全征服していてくれれば・・・
883ユスティニアヌスT世:03/02/26 20:00
神君アウグストゥス様、並びにその後継ぎのティベリウス陛下、
続いて私が懺悔させていただきます。

私はかねてより、ローマ帝国が喪失した、イタリア、アフリカ、イスパニア等の
西方領土を回復し、地中海を再びローマの内海にする事を夢見ていました。
理想は、実現されたと感じました・・・。
しかし、ローマ帝国の復興をなす一方で、国力を限界まで使い果たし
疲弊させた点はマヌエルT世と同様であったと思います。
世紀をまたいでいるのでわかりにくいのですが、ローマの穀倉エジプト、
古代より文明の進んでいたシリア、オリエントを失ったのは、私の死後
わずか数十年後だったのです。

しかし、私にはマヌエルT世殿のいわれる長期持久が正しいのかわかりません。
イタリアをアフリカを失ったローマ帝国がローマ帝国といえるでしょうか?
長期的には属州の離反傾向も目立ってきており、動くのは、私の代しかない!
との思いもありました。

どうか良いアドバイスを下され。

                     大帝

884ゾエ:03/02/26 20:02
あああ・・いやあ、許して。
885ティベリウス:03/02/26 20:07
>881,882
ゲルマニアを完全にローマ帝国の一員として取り込んでしまうこと・・・確かに重要だ。
それはローマ帝国としてやっておかなければならなかったことだとわしも思う。

 しかし、まだローマ帝政がやっと軌道に乗りかけたわしの治世においてやるべきことではなかったはず!
意外と思うかもしれないが、2代「ローマ皇帝たる我が治世では広大な帝国領土の内政に重点をおくべきだったのだ。
まだ、共和制末期の内乱時代の余韻もあったしな。わしの治世は戦争と内政の比率は3:7程度が適度であると思ったし、事実そう実行して
わしは神君がきづいたローマ帝政を軌道にのせることに尽力した。

886アウグストゥス:03/02/26 20:10
>885
さすがはティベリウス、先をきちんと見越しておるわ。
社交性や対人能力にはやや問題あっただろうが、公正で誠実な我が後継者じゃ。
では、テイベリウスよ、
ゲルマニア征服はいつ行われるべきと思っておったのじゃ?
887アウグストゥス:03/02/26 20:15
>886
はい神君さま。
私の死後50年頃ぐらいからじわじわと着実に行われるべきでした。
確かにブリタニアなどの征服はすすんだようですが、ゲルマニアにもジワジワと
進出し、蛮族だと一概に毛嫌いしたり疎外せずゲルマン人を我が文明に感化し一員に同化すべきでした。
888883のユスティニアヌスT世:03/02/26 20:17
>882
おまえは余の影武者か?
889テイベリウス:03/02/26 20:19
887はティベリウスです。
間違えました。
890カリグラ:03/02/26 20:20
>888
でも主張していることは同じような内容だから別にいいじゃん。
どっちでも
891883のユスティニアヌスT世:03/02/26 20:24
やはり余のドッペルゲンガ―であったか・・・。
カリグラ殿とは、あのカリグラ陛下の事でありますか?

ネロやドミティアヌスやコンモドゥスと並び称・・・、い、いや失礼。
892アウグストゥス:03/02/26 20:27
>889
なるほど。しかしあながち間違いではないぞ。
汝もローマ皇帝であるからはティベリウス・アウグストゥスではないか(笑)
事実、生前はテイベリウスでなく、「カエサル・アウグストゥス」と呼びかけられることが
多かったではないか(笑)
 もっと自信をもちたまえ、皇帝らしく。
君は能力はあるが、ちょっと謙虚過ぎるというかオドオドしすぎだ(笑)
893トラヤヌス:03/02/26 20:30
>アウグストゥス様、テイベリウス様
わたしがメソポタミアなんぞに気をとられず、北方制圧に本腰を入れていたならば・・・
きっとその後の歴史は変わったはず。
私がゲルマニアを制圧すべきだった・・・
894ゾエ:03/02/26 20:30
ああ・・私は今アウ様の真下にいる。○じる・・○じちゃう。
895テオドシウス1世:03/02/26 20:32
>894
えー!やぁ〜、死にぃ〜恥ィ!ふらーふぅ〜じぃ〜!!
896ユスティニアヌスT世:03/02/26 20:32
>893
ゲルマニアを争える貴君は幸福ですな。私の時代にはまず、
ガリアを征服せねばならなかった・・・。
897トラヤヌス:03/02/26 20:34
帝国の絶頂期である私の代にゲルマニアを完圧すべきだった。
許してくれ〜、後々の皇帝たちよ
898テオドリック&クローヴィス:03/02/26 20:36
>897
そんなことしたら私らの出番ありませんがな!
899ユスティニアヌスT世:03/02/26 20:36
いや、許せといわれても。

貴君が世の立場であったらどうするね。
900一般の高校生:03/02/26 20:43
ええ!
アルカディウスから後って、ビザンツ帝国じゃねーの?
なんでローマ帝国東西分裂すんだよ。まじで。
901アウグストゥス:03/02/26 20:59
マヌエルとユスティニアヌスの考察はよくわかった。
少なくともマヌエルは自身が認めておる通り、無謀はやめて国力充実に努めたほうがよかったようじゃの。

さてさて、次はどの皇帝が登場するかの?
902ディオクレティアヌス:03/02/26 21:06
うす!

キリスト教大迫害、帝政の創始者ディオクレティアヌスだ!よろしくな。
俺、ローマを維持するために必死だったんだよね。軍人皇帝ってたくさんいたじゃん。
一個一個討伐して大変だったぜ。

本拠をニコメディアに移したり、帝国を四分統治するなどリストラに必死。
俺については誉めてもらってもいいんじゃないの?どうよ?

903世界@名無史さん:03/02/26 22:29
>>900
ビザンツは東ローマ帝国と呼ぶべきだ
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1041658055/
904ネロ:03/02/26 23:27
>>874>>879-880
私がこんなになったのも、元はと言えばアンタ達がいけないんだっ!
アンタ達がプライベートでDQNな事やってたから、私がローマに火を付けたなんてとんでもない事噂されるんだ!
おかげでキリスト教徒には罪を擦り付けなくちゃならんわ叛乱は起きるわで良いとこなしじゃないか!
市民に愛される文人皇帝を目指した私の努力を返せっ!
905カリグラ&ドミティアヌス:03/02/27 18:28
>904
いいんじゃあねえの〜?
いいじゃん、いいじゃん、アンタが望もうと望むまいと、アンタは俺達と同じ穴のムジナ。

ネロ&カリグラ&ドミティアヌス

3人揃って、不良皇帝DQNトリオさ・・・・

>市民に愛される文人皇帝を目指した私の努力を返せっ!

あきらめなさ〜い、ゴタクならべとらんで、古代ローマ皇帝3悪トリオどうし
仲良くしようや・・・


906ティベリウス:03/02/27 18:43
>ネロ
キリスト教徒を敵に廻して誇張された暴君ぶりには不運もあるが、
ネロよ、暴君呼ばわりされるのは、お前にも責任があるのじゃぞ。
お前は、東方戦線でパルチアにまずまずの対応したし政治を最低限省みてはいたかもしれん
が、おまえ自身の放蕩ルーズな生活ぶりが災いして暴君呼ばわりされたのじゃ。
あと、いくら悪い事をしたからとて、実の母親と結婚相手を殺すのは人の道に外れておる!
おまえのそういうところが災いした。反省せよ。
 ちなみに、私は生前に市民や皇族たちから、どんなに卑劣な誹謗中傷されようと、どんなに腹が立とうと
耐え抜いたぞ。人の道は絶対にはずさなかったし、ローマ皇帝たるのも品行方正・謹直たるべしとの態度を終生貫いた!
だから、私の死後に、スエトニウスが私のことをどんなにひどく書いても人々は信じなかった(事実、デマだが)。
 皇帝たるもの、人の噂や伝聞でフラフラと取り乱したり信念を捨てたりしてはならぬ!!
投げ出すでない!努力と忍耐がすべてだ!不正をしてはならぬ!誰がなんと言おうと何事にも誠実に当たればどんな誹謗中傷も消え去るのだ!
ネロよ、お前に欠けていたのは、そういうことだ。
907アウグストゥス:03/02/27 18:50
すまん、ちょっと席を外していた。
ティベリウスは相変わらず生真面目よのう、もっとも、それゆえ朕の後継者に指名したのじゃが・・・
>902
おお、そこにおるのはディオクレティアヌスではないか。
朕から汝に一つ尋ねよう・・・
汝が902で述べておるとおり、汝が軍人皇帝時代の混乱を収拾した手腕は見事であり、その功績は
非常に大きい。後世から大帝と称されてもおかしくはないが、なぜ大帝とされなかったか、何が欠けていたか
汝の考えを聞かせてみよ。
 また、他のローマ皇帝の面々で意見がある者の発言も許そう。
では、議論を始めよ。
908ネロ:03/02/27 18:55
>907
我がユリウス・クラウディウス皇帝家の始祖さま、
そんなことは明白ではないでしょうか。ディオクレティアヌスは
キリスト教徒を私以上に残酷に迫害したから大帝にされなかったんですよ。
ディオクレティアヌスの引退後、数十年でローマ帝国は多神教からキリスト教になったのだし。
 私だって、キリスト教徒迫害の件がなかったら、平均よりすこし上のまずまずの
皇帝っていう評価でしたよ。
909デイオクレティアヌス:03/02/27 19:03
>908
いや、確かにそれが大帝とされなかった大きな一因だと思うが、わし個人としては
それだけではないと思う。
 わしはローマ帝国を立て直したとはいえ、帝国を分割統治することによって収拾したまでのこと。
わし単独で大ローマ全土を治めたわけではないのでな。
いくら再建者でも帝国を分割したものに後世の人々は大帝とは呼ぶまい。
しかも、わしの引退後は再び軍人皇帝時代のような争いが再発したし。
わしは別に偉大な皇帝とか呼ばれたいとは思っておらんかったよ。
わし自身も内乱のローマ帝国では暮らしにくいしアウレリアヌスのように暗殺されるのもゴメンだった。
とにかく、何でもいいからみんなが暮らしやすい帝国にできさえすればよかった。
910ユスティニアヌス2世:03/02/27 19:09
>ディオクレテイアヌス
そうか〜?聖人君主ぶってない〜?漏れにはカッコつけてるだけとしか
思えんけどなぁ・・・
人間そんなもんじゃねぇよ、所詮、私利私欲の存在なのさ。
漏れにはアンタのいうことがにわかには信じがたい。
 じゃあ、聞くけど、本当にローマ帝国のことを考えてるんだったら、
なんで突然、引退して投げ出したのか?
911マクシミアヌス:03/02/27 19:15

>なんで突然、引退して投げ出したのか?

そうだ、そうだ!答えてくれよ、ディオ。
俺が一番その返事が聞きたいね、突然の引退に一番納得していないのは
俺だからな。納得できず、悩んで、死後も成仏できずに1700年近くもそのことばかり
気にして自縛霊になってしまったんだからな。
 俺が思うに、所詮、自分がやったことがボロがでる直前にサッサと引退して知らん顔してたんじゃないのか?
問題は後の者に押し付けて・・・・何が混乱する帝国のためだ。
勝ち逃げ野郎だよ。所詮わが身がかわいかったんだろう!?。
912ディオクレティアヌス:03/02/27 19:18
>911
マクシミアヌスよ、お前も俺と一緒に統治した身だからわかるだろ?
所詮、一人の人間が出来ることなんて微々たるもの。
大きな帝国、時代の流れの前には、たとえローマ皇帝といえども出来る事は限られる
913マクシミアヌス:03/02/27 19:20
>デイオクレティアヌス

(`_´メ) めっ!
914アウグストゥス:03/02/27 19:47
うむ。
デイオクレティアヌスの帝国再建についてのみなの意見はわかった。
どうやら、ディオクレティアヌスが大帝になれなかった理由として
よくあげられる、キリスト教徒弾圧の件じゃが、実はそれは表向きの理由のようじゃな。
大帝となれなかった真の理由は、実は突然引退したことや引退後に再び混乱したことであるようじゃな、
 なぜ、キリスト教弾圧が表向きの理由に過ぎぬかって?
それはな、トラヤヌスなどは別にキリスト教徒ではないが大帝と呼ばれておるし、
自分で言うのもなんじゃが、朕もキリストなど知らぬが、大帝より上の神君といわれておる。
だから、宗教など所詮表向きの理由ということじゃ。
 >ディオクレティアヌス
確かにその功績は非常に大きいが、残念ながら最後の詰めがちと足りぬかったようじゃのう。

 では、朕はこれからオリンポスの神々と今後の人類の行方について会議があるから、しばし
席を外すぞよ。
 朕が居なくとも積極的かつ実のある議論を望む。
915マルクス・アウレリウス:03/02/27 19:52
正直、すまんかった。
916テオフィルス:03/02/27 19:52
ローマ皇帝のお歴々、
今のところの議論では、ローマ帝国が繁栄を維持しつづけるには、
1)古代のローマの平和の時期にゲルマン人を完全にローマ帝国国民として取り込むべきだった。
2)12世紀のマヌエル1世がもっと内政充実して足元を磐石にすることに専念すべきだった。

の2点が導かれたということでよろしいな。さらに議論、考察を続けて論点を見出そうではないか。
917ヨアニス1世:03/02/27 20:48
俺は他にすべきことはあったか?
俺自身、不味い事はやらなかったと思ってはいるが……
あえて失敗を挙げるとすれば宦官どもに対して油断し過ぎた事ぐらいか
918蜀漢 昭烈帝:03/02/27 21:14
おお!
暇に任せて西方漫遊の旅に出てきたが、ここは稀に見る良スレになって
きておるのう。
西の皇帝たちの人物評論であるな。

919寝ろ:03/02/28 23:05
パトラッシュ・・・ぼくはもう眠いよ・・・。
920ベニト:03/03/01 00:08
20世紀のローマ皇帝、ベニトだ。よろしく頼むよ。
で、俺の問題点だけどよ、やっぱゲルマニアと組むんじゃなかった。
あいつら2千年以上たっても蛮族だわ。
俺自身はエジプト奪還に大軍派遣したり、ギリシアでビザンツの末裔僭称しているDQN殲滅に向かったり帝国復興に尽力してるのに
あいつらブリタニアやらルーシーやら僻地ばっかり攻め込みやがった。
あと、アウグストゥスの旦那のころに比べてノビレスのレベルが下がりすぎてるの見落としてたな。
1943年、俺は負けたんじゃねえ。内部に裏切られたんだ。
921ラッキーアイテム:03/03/02 15:11
922アレクシオスU世:03/03/02 22:23
マヌエルパパ!僕もうちょっと長生きしたかったYO!
923ティベリウス:03/03/02 23:39
アウグストゥス様が神々の会合からまだ戻られぬが、余の独断で皆々には
あつまってもろうた。
今のところ、916の2点があがったところだが、余の思うに、あとひとつの出来事についても
ローマ帝国にとってはじゅうようでないか、と思ったので歴代ローマ皇帝諸氏に考えてもらいたい。
 それは、マンジケルトの敗戦とロマヌス4世のことだ。
マンジケルトの敗戦を防ぐ手立てはあったか?どうすべきであったか?
議論をはじめよ!
924ハドリアヌス:03/03/02 23:48
なるほど、この件については私も賛成、神君アウグストゥス様がお戻りになるまでに
結論をだしておけばお喜びになるに違いない。
 確かにその後のコムネヌス朝で盛り返したとは言え、マンジケルトの件は、最強のローマ軍の信用を
失墜させた出来事であったし、その打撃は大きかったはず。
ロマヌスがこの闘いに勝つべきであったのはわかるが、ロマヌス4世がこの戦に勝つにはどうすれば良かったのじゃろう?
ただ、1071年時点ではバシシウス2世が率いていた精強なローマ軍よりすこぶる質の低い軍隊であったことから、
この敗戦の責任はロマヌス一人の責任とするのは、間違いであろうとは思う、問題はすでにロマヌスが即位する
以前にあったはずだ。
 問題はロマヌス4世の資質よりもむしろ、なぜ半世紀前にはあれほど強かったローマ軍の質が落ちたかを考察すべきとは思う。
925ニケフォルス2世:03/03/02 23:51
そうか。
では、われらが作り上げた強大なローマ騎兵軍団(カタフラクトス)が、なぜ11世紀後半「には
解体してしまったかを考え、11世紀後半におけるローマ軍団の衰退を防ぐにはどうすべきであったかを
考える必要がある
926アルカディウス:03/03/02 23:54
それは、バシリウス2世を継いだ皇帝達がバカ揃いだったからじゃないのか?
現に1025年〜1081年まではロマヌス4世以外にろくな皇帝はいないし。
特にコンスタンティヌス8世&ゾエ女帝はバカの極み、絵に描いたバカ親子だよ。
927レオ3世:03/03/03 00:03
>926
それはそうかもしれないが、問題はもっと根底にあるはず。
11世紀以降のローマ帝国の複雑な社会状況こそが原因であって、だれが皇帝だからどう
変わったという問題ではないね。11世紀以降のローマ帝国の不調はもっと構造的なものである。
ノミスマ金貨の質低下、不況、それによる一般市民の困窮と正規軍の調達不足と複雑なものだ。
つまりこの時期、残念ながらローマ帝国はどんづまり状態に来ていた。
 ちょっとやそっと何したからって容易に解決できる問題ではなかったはず。
貴族達の自立傾向も目立ってきたし、それを見かけ上はなんとか解決したのは1081年のアレクシウス1世
だが、彼とてその問題を根本から克服できたわけではない。
 11世紀後半の件はきわめて難しい問題ですぞ。
928ティベリウス:03/03/03 00:07
>927
う〜ぬ、そうよのう・・・
恐らく余が生前ローマ市で行ったような金融政策程度では解決できなかったろうな。
11世紀後半の不調を招かぬようにするには、どうやらもっと前の時代すなわち10世紀頃の
段階で持続的に手を打っておく必要があったということじゃな。

つまり、中世ローマ帝国の衰微の原因は実は中世ローマ帝国の最盛期にあったという難しい問題だ。
929セプティミウス・セヴェルス:03/03/03 00:10
>928
なるほど。我が古代ローマ帝国においても、軍人皇帝時代の混乱&衰微の原因は
実は古代ローマ最盛期の五賢帝時代にあったというのと似ておりますな。
それなら確かに難しいですわい。
930コンモドゥス:03/03/03 00:14
>929
私がマルクス・アウレリウスの後を継いだから古代の黄金時代が終わり古代ローマは
滅亡へと向かったように言われ、私がすべて悪いように言われるが、実はもっと他に
原因があったということだな。
 たとえ、父マルクス・アウレリウスを継いだのが私でなく他の誰かであっても、小さな差こそあれ、
どの道、古代ローマ帝国の支配権は動揺するは必定であった。
931コンスタンティヌス8世&ゾエ:03/03/03 00:17
>930
われわれの時代にも、まさにコンモドゥス様の時と同じことが起きたということです!
現に、ロマヌス4世は有能な皇帝ではあったけれど、帝国の衰退を防ぐことは出来なかった!!
932n:03/03/03 00:17
★ピンクエンジェル★
http://www.pink-angel.jp/betu/linkvp/linkvp.html
933コンスタンティヌス7世:03/03/03 00:29
古代&中世のローマ皇帝諸氏!
わたしが思いますに、古代における3世紀後半の混乱・危機は、ディオクレテイアヌス陛下並びに
コンスタンティヌス1世、テオドシウス1世の尽力で完全ではないにせよ辛うじて克服された、それゆえ、
ローマ帝国は地中海世界帝国から東地中海の地域大国程度に転落したものの数百年生き長らえた。
仮にも大国として数百年存続するというのはすごいこと。
もし、上記の3大帝が政策を誤っていたなら、我が大ローマは5世紀頃に完全に滅亡したのでは、と思う。
 私が思うのは、古代においてもこれを立て直す機会があったわけだから、中世ローマの11世紀の不調も、克服すべき機会があったはずと
私は考察するのです。そしてその時期とは、コムネヌス朝の時代ではないかと、もっと言えば、ある程度、建て直しの目処がついた3代マヌエル帝の頃ではないかと。
マヌエル帝の治世こそ中世ローマの建て直しの要の時期だったと思います。
 
934テオフィルス:03/03/03 00:31
>933
ほうほう、それではそなたは朕が挙げた916の2点のうち、後の点が中世ローマ帝国にとっては
極めて重要ポイントだといいたいのじゃな。
935コンスタンティヌス7世:03/03/03 00:40
>はい、テオフィルス陛下。
この時期を置いて他にはありません。
確かにマヌエル帝は有能で強大な皇帝ではありましたが、長い目で見れば彼がやるべきことは
そんな大々的な外征ではなかったのです、先出の繰り返しになりますが・・・
 彼はやはり小アジアの完全奪回と内政、すなわち産業&軍隊&行政機構の改革に地道に努めるべきだったのです。
マヌエル1世には気の毒だが、彼はユスティニアヌス1世の真似はすべきでなかった。マヌエルはローマの栄光を追うべきではなかった。
祖父や父の財産を使い果たすのではなく、さらに充実させ磐石とすべきであったのです。
彼の治世には、まだローマの栄光を追うには時期尚早だったのです。
936ムスタファ・ケマル:03/03/03 01:07
番外となろうが、ビザンツの後継者であるトルコの改革者として私もコメントを。
確かにあの戦い、我々トルコ人がアナトリアの主になるきっかけを与えてくれた歴史の分かれ目。
私の戦いで言うと第一次大戦後のサカリヤ川の戦いのようなものだ。
私が勝ったのはただ私個人の才能だけではなかった。
それを支える軍を持てたことと国民が持てる環境を支持したことだ。
それともう一つ、私はトルコが必要とする領土を決め、それ以上を求めなかった。
エンヴィルなどはその点でユスティニアヌス1世やカラ・ムスタファと同じ過ちを犯してしまったのだ。
937マヌエル1世:03/03/03 22:30
>936
なるほど。生前にはローマ帝国がキリスト教世界の覇者である事を見せ付けること
しか頭になかったが、今にして思えば、もっと堅実路線をとるべきであったと悔い
られてならぬわ!
朕の治世は中世ローマ帝国の最大の正念場の時期であったのに、朕は何故そのこと
に気付かなかったのか。
(イタリア征服を)ユスティニアヌスは成功したがマヌエルは失敗したと人々は
言い、朕の頃とユスティニアヌスの頃は状況が非常に類似していると思っている者
は多いが、よくよく見てみれば、朕の時代とユスティニアヌスの頃のローマ帝国は
似て非なるものだった…。ユスティニアヌスの頃のローマ帝国は地中海統一が破れ
たとはいえまだまだ世界帝国並みの大領土国家で、同帝の無理な外征によって
その後の帝国が打撃を受けたとはいえ、当時のローマ帝国にはまだまだ、その負荷
を受け止めるだけの余裕は帝国には有った、それゆえ、苦悩しながらも
ユスティヌス2世やティベリウス2世はササン朝とも対抗しつつ(ランゴバルド族
の北イタリア侵入はあったが)何とか大領土を維持し、マウリキウス帝はササン朝
に反撃し、西ゴート王国を再び攻めて領土を奪い、フン族に代わって大遊牧国家を
築いたアヴァール人を打ち破った。
しかし、朕の頃のローマ帝国はどうか、いくら父ヨアニス2世の頃には強国の地位
に返り咲いたとはいえ、小アジアを完全に奪回できたわけではなかった。そんな不
安定な状態で無理な外征を繰り返せば国力が完全に枯渇して当然だ。
ユスティニアヌスの帝国は遠征が成功しアフリカ&イタリアを得たから、
(そこからの収奪で)わずかなりとも国力を温存し完全に枯渇したわけでは
なかったから、その後も苦しみながらも世界帝国でありつづけたが、朕の帝国は
イタリア遠征に失敗し収奪の対象とすべき獲得領土もあまりなかったから帝国が
枯渇し、朕の死後わずか20年ほどで崩壊したわけだ。
大遠征は成功すればまだしも、失敗すればいかに悲惨かという良い実例だと思う。
938アレクシウス1世:03/03/03 22:31
>マヌエル1世
うぬぬ…!そこまで判っていながら、なぜそんなことをしたのじゃ!?
939マヌエル1世:03/03/03 22:32
祖父様、ローマ皇帝として生前にはそのようなこと判るものでは有りません。
生前は私はローマ皇帝として、周辺諸国にローマ帝国の力を示すのに必死で
したし、ハゲタカのように押し寄せる西欧諸国やトルコ人からローマ帝国を
守らねば、ローマ帝国を偉大たらしめねば、という使命感で一杯でしたし。
死後の顛末を知ってから、初めて自分の政策は適切ではなかった、後世の
皇帝達に負担をかけたと気付いたのです。
940マルクス・アウレリウス:03/03/03 22:33
う〜ぬ…難しい問題じゃのう。
己の資質を征服戦争に費やして周辺諸国を従えて自分自身は偉大な征服王
となるか、のちのちの影響を考えて自身はひたすら自重し堅実路線を守るか…
その判断は難しい。
アナスタシウスは自重し、ユスティニアヌスは帝王の栄光を求めた、
亦、アレクシウスは再建に尽力し、マヌエルは帝王の栄光を求めた…
そして、私はローマ帝国に人生を捧げ、私の息子は自分の快楽を求めた…・
941ユリアヌス:03/03/03 22:34
>940
我が師よ、答になってませ〜ん!

942ティベリウス :03/03/03 22:35
ここまで聞いていたが、何となく見えて来たぞ、
つまりじゃ、少なくとも(後世に疲弊を残したかもしれんが)
ユスティニアヌスは機が熟した時に行動し成果を得たが、
マヌエルは残念ながらまだ機が熟していないのに行動した向きがあるし
当然のごとく成果は得られなかった。そういうことじゃな。

943アレクシウス2世:03/03/03 22:36
>マヌエル1世
父上がやった遠征事業の殆どを私の代にやらせて欲しかった。
それより父上には叔父アンドロニクスをきちんと始末しておいて欲しかった。
944ティベリウス:03/03/03 22:37
マヌエル1世についての意見はかなり出尽くしたと思うが、ところで、
最初のマンジケルトにおけるロマヌス4世の敗戦については
何もコメント考察がでてないようじゃが、よいのか?
945ロマヌス4世:03/03/03 22:38
では当事者であるワシ自身からコメント。
わしが率いた軍は30万の大軍とは言え、中身は殆ど蛮族の寄せ集め軍団。
いつのまにローマ軍団の中身はこんな状態になったのか、少なくとも
50年前はこんなではなかったはず。
こんな寄せ集め軍団を指揮しなければならなかった我が身が…
どうやったら、私の時代にもニケフォルスやバシリウスのような
精強な軍団が受け継がれただろうか。
946ヴァレリアヌス:03/03/03 22:39
>945
そなたも混乱の時代に戦い俘虜となった身なれば、我と境遇は同じよのう。
古代ローマの皇帝ヴァレリアヌスは軍人皇帝の混乱期にササン朝に破れて捕虜になり、
中世ローマの皇帝ロマヌス4世はマケドニア朝末の混乱期にセルジューク朝に破れて捕虜となった。
歴史は繰り返すというが、全くそうよのう。
ロマヌスよ、そなたがまともなローマ軍団を率いるためには、
バシリウス2世がなんとかするべきだった
947バシリウス2世:03/03/03 22:41
>946
言われずとも、やったぞ!やったぞ!多いにやったぞ!
ローマ軍団を支える独立自営農民の没落を防ぐため、軍の主力になった
彼らを保護するためアレレギオン制度を執行したぞ!貴族の離反、
地方分権がローマ帝国にとって良くないとわしは見抜いていたからこそ、
彼らを反封建立法で抑圧した!
わしが存命中にはアレレギオン制度も貴族抑圧も出来たが、わしが死んだ
とたん、反地方分権政策は貴族どもの抵抗で頓挫してしまったのだ!無念!
ロマヌス4世よ、わしは汝にわしが率いた精強な軍団をのこしてやりたかった
しわしの莫大な富も残してやりたかったが、わしの死後の皇帝達、特に
我が姪ゾエが政策を誤ったから汝に何も与えてやれなかった。
げに、憎むべきは台頭して来た貴族どもとわしの後を継いだ無能な皇帝どもだ!
948コンスタンティヌス7世:03/03/03 22:42
いや〜、マンジケルトの敗戦はきっと避けては通れないみちだったのさ。
これを回避するには、わが孫バシリウス2世の言う通り、
貴族の台頭&独立自営農民の没落を食い止めなければならなかったからね、
かなり難しい。
949ヨアニス1世:03/03/03 22:43
>948
賛成、俺もそう思う。
>ロマヌス4世
俺自身なんとかしてやりたかったが、それは無理ってもんだ。
まさか、あの世から甦って一緒に戦ってやることもできないしな。
950デイオクレティアヌス:03/03/03 22:44
あるいは、11世紀末にアレクシウス1世がやった貴族の連携プロノイアを、
もっと早い時期に11世紀の半ばまでに誰かがやっていれば良かった。
そしたらマンジケルトで勝利も有り得た。
しかし、これをやるには既成観念に囚われない冷静沈着かつ柔軟な賢い皇帝
じゃないとできないから、かなりの器量の持ち主でなければ…
951ヴェスパシアヌス :03/03/03 22:44
>950
少なくとも、1025〜1081年の間には、そこまでの器量の人材居ないね。
952テオフィルス:03/03/03 22:45
どっちにせよ、中世ローマ帝国の運命を左右するのは、
コムネヌス朝時代の過ごし方如何にかかっていたというのは大筋一致だね。
953ティトゥス :03/03/03 22:46
おっと、古代ローマ時代においてはゲルマン人をローマ帝国の完全支配下
にするかどうかがその後の大きな運命の分かれ道ってことでいいかな。
でも、コンモドゥスも少し言ってたが、軍人皇帝時代の混乱はどうしようも
避けて通れなかったってことだよね。
954マルキヤヌス:03/03/03 22:47
>953
>古代ローマ時代にゲルマン人をローマ帝国の完全支配下にすべきだった

そうそう、4、5世紀の俺達ローマ皇帝が民族大移動の憂き目を見ないためには、それが不可欠だったわけ。
言いかえれば、蛮族の侵入でローマ世界帝国が一地域国家に転落しないため
には、古代ローマの最盛期のうちにゲルマン・アラブを完全征服し取り込む
べきだった。
次は、ローマ帝国が13世紀以降、弱小国家になって1453年で滅びてしまわ
ないようにするには、
コムネヌス王朝の時代、特にマヌエル1世の頃にもっと適切な政策をとる
べきだった。

おお、この二つが実行されていたら、1453年以降もローマの地中海帝国は存続!?16世紀に地中海一帯を支配したのはオスマントルコではなく我がローマ帝国ってか!?
955レオ1世 :03/03/03 22:48
>954
どっちか一つが実行されていただけでも、その後の歴史はだいぶ違ったのでは?
956ティベリウス:03/03/03 22:49
おお、皆の衆、ローマ皇帝諸氏よ!
出るところまで出尽くしたようじゃのう。多くの考察でで導いた結論にも
さらに確信がもてた。
アウグストゥス様もまもなく神々の会合から戻られようぞ。
本日はこのあたりで休もうではないか、明日の議論に備えて、
今晩は公共浴場で疲れを癒すがよい。
明日は、古代ローマ時代と中世ローマ時代の対比考察してみたいと
考えておる。946のヴァレリアヌスの発言のように、今までの議論で相似点
も断片的に見つかってきておるでな。
では、ローマ皇帝諸氏よ、明日も活発な議論を望むぞよ。
957アルカディウス:03/03/04 22:49
し、しまった。議論に参加し損ねてしまった・・・。
958グラティアヌス:03/03/05 20:35
ん、なんだ?
アルカディウスのやつ、前の議論に姿見せないと思っていたら、議論が終わった後に
来ていたのか・・・
959コンスタンティウス2世:03/03/05 21:06
・・そうみたいだね。
あいつ生前早死にして何も出来んかったから、名誉挽回と意気込んでいた矢先に
寝坊して議論に遅刻してちゃダメじゃん。
960グラティアヌス:03/03/05 21:07
そうだね。
ってか、アルカディウスの生まれ変わりがロマヌス2世君だって知ってた?
961コンスタンティウス2世:03/03/05 21:10
ありゃりゃ、そうなの?
それじゃ、生まれ変わったけど、結局また若死か、ダメじゃん。
で、今日の議論は?
962フィリップス・アラブス:03/03/05 21:16
あ〜、いたいた、コンスタンティウス、グラティアヌス、やっぱりここに来てたのか。
あのさ〜、ティベリウス様がアレクサンドロス大王にアウグストゥス様のところまで案内してくれって
今朝言われたから、外出していないんだよ。
それで、今日の議論はナシ。
 ゴメン、メールしたつもりだったけど、送信されてなかったみたいだ
963グラティアヌス:03/03/05 21:18
なんだ、早く言ってくれよ、
帰ろう
964アルカディウス:03/03/06 20:37
あのなあ、おまえらなあ。また俺に断りもなく帰るなよ、おい。
俺は本当に今、パソコンをつけたところなんだぜ。
965アルカディウス:03/03/07 21:05
おおおお!
今日も誰もいねえよお!

親父ぃどこだあ!
966世界@名無史さん:03/03/08 02:12

967世界@名無史さん:03/03/10 23:34
age
968アルカディウス:03/03/12 21:57
ちくしょう・・・。皆いなくなっちまった・・・・。
969山崎渉:03/03/13 12:51
(^^)
970カラカラ:03/03/14 19:11
あ〜、温泉旅行楽しかった
971アントニウス・ピウス:03/03/14 21:18
>970
うぬ、そうよのう。久しぶりのいい湯じゃった。
ローマ風呂は最高!

972ガルス:03/03/14 21:19
うっほほ〜い。ティベリウス陛下、10日間ローマ風呂巡りの旅行に我々
ローマ皇帝総勢120人以上を御連れくださりありがとうございました。
973レオ6世:03/03/14 21:20
我ら中世ローマ帝国の時代になっても、伝統の古代ローマ風呂は受け継がれておりますぞ


974テイベリウス:03/03/14 21:20
そうかそうか、みんな満足してくれたか。
朕もみんなのために温泉ツアーを企画した甲斐があったというものじゃ。
さて、ローマ皇帝全員揃ってリフレッシュしたところで、
いよいよ議論の再開じゃ!気を引き締めよ。
ローマ皇帝諸氏よ、温泉ツアーの前に朕が言ったことを覚えておるかな?
そう、古代ローマ時代と中世ローマ時代の対比&類似点を見出し、いかにすれば
ローマ帝国が滅びずにすんだか、を考察する一助とするのだ。
いわば古代ローマvs中世ローマの対比列伝!名づけて「プルタルコス・ディスカッショ
ン」
プルタルコス・ディスカッションを始めるにあたり、席替えをする。
古代ローマ皇帝と中世ローマ皇帝は分かれてすわるのじゃ。
ローマ皇帝達よ、議論をはじめよ!
975ヴァレリアヌス:03/03/14 21:21
それではこの議論のきっかけを作った私から発言させていただく。
御存知、私は宿敵ササン朝の捕虜となった身だが、中世ローマ皇帝のロマヌス4世
はかねてより我が身と同様の境遇と思っていた。さらに考察すると私もロマヌスも
最盛期を過ぎた頃に即位した皇帝であるという共通点を見出しただけでなく、
私&ロマヌスの時代=混乱期、それらに先立つ時代が双方とも最盛期
であることに気付きました。まさに歴史は繰り返すと思いました。

976ニケフォルス1世:03/03/14 21:22
>975
それを言うなら、この私とヴァレンス殿も然りですな。お互いモエシアで蛮族
の蜂起を鎮めに行って戦死してしまった。
977ヴァレンス:03/03/14 21:23
>976
確かにこの俺と君とはお互い境遇というか死に様は似ていたが、ヴァレリアヌス&ロマヌ
ス4世コンビ
にように前後の時代背景的な類似性はないね。俺の頃は、まさに古代の大帝国時代の黄昏
時だったが、
君の時代は、別に何らかの黄昏時であったとは思えない、いやむしろ新時代に向けての順
調な発展期だった(君個人は殺されたけど)。

978デキウス:03/03/14 21:24
>977
う〜んとさ、ニケフォルス1世の頃ってちょうどフランクのカロリング朝が西ローマ皇帝
を自称した頃じゃん。
カロルス・マグヌスが登場するまでは、コンスタンティノープル皇帝が唯一のローマ皇帝
じゃん。
ということはこう考えられないかな・・・ニケフォルスのころはコンスタンティノープル
皇帝によるローマ皇帝位独占時代の終焉、黄昏ってな。

979ゼノン:03/03/14 21:24
>978
いや、ちょっとそれは弱いし説得力ないのでは?
カロルス・マグヌスが皇帝になったからって、単に理念的な言い争いしただけだろ。
中世ローマ帝国の状況がそれで大きく変わったわけではないし。
デキウスは無いもの無理にでも共通点を見つけようとしていると思う。
980ティベリウス:03/03/14 21:38
どうやら、古代ローマ皇帝ヴァレリアヌスと中世ローマ皇帝ロマヌス4世、それにその
2人を取巻く時代背景の比較を基軸にしながら、我がローマ帝国の古代と中世における共
通性を考察するのが適切なようだな。
そこで朕みずから、この2人及びその時代の対比表を作ってみた。みよ。

ヴァレリアヌス(古代)vsロマヌス4世(中世)

(出自)二人とも軍人上がりで、最後は西の宿敵の捕虜
(生きた時代)軍人皇帝時代とマケドニア末期の混乱期
(その他重要な共通点)
 ・二人とも、最盛期が終わった50年くらいあとに活躍
 ・二人の失脚後、10年か20年後に帝国建て直しの英主が輩出
(違う点)
 ヴァレリアヌスは古代で、ロマヌスは中世

こう考えれば二人が生きたのは古代、中世と800年以上の大きな時間の隔たり
があるものの、似たような時代背景の下で、似たような境遇に生まれついたと言えなくもない。
どうじゃな。
981ユリアヌス:03/03/14 21:42
>980
ということは、ティベリウス様、
古代から中世にまたがる、わが大ローマ帝国の長い歴史は、数百年のスパンで
同じような歴史を辿っているということですか?
982ティベリウス:03/03/14 21:45
おお、よくぞ気づいたのう。
さすがは教養高い哲学者皇帝じゃ。
朕もそうではないかと考えて、そなたの尊敬する師マルクス・アウレリウス
に詳細な比較調査を命じておいたのだ。
マルクス・アウレリウスよ、調査結果を皆の前に広げてみよ。
983アルカディウス:03/03/14 21:59
我が大ローマは本当に長い歴史があるのだな。
丁度、私の時代が折り返し点であるな。
984マルクス・アウレリウス:03/03/14 22:12
>982
は、それではご覧あれ。

古代ローマ帝国vs中世ローマ帝国、時代別対比一覧

古代のユリウス・クラウディウス王朝時代は、中世のイサウルス王朝に相当
→ともにローマ史に安定かつ長期な新しい時代をもたらした。
 ユリウス・クラウディウス初代のアウグストゥス陛下は、内乱の1世紀を完全に終わらせ行き詰まった共和制ローマを
一新して帝政ローマを開拓しました、以後、改変を加えながらもユスティニアヌスの6世紀まで実に600年近くも古代帝政
は続きました。一方、イサウルス初代のレオ3世は、これまた最終的に破綻した古代ローマ体制を払拭し、ヘラクリウス王朝を通じての混乱と危機を
克服して、彼以後700年以上続く中世ローマ体制(いわゆるビザンチン時代)を最終的に確立し軌道に乗せたと考えられます。

古代の5賢帝時代は、中世のマケドニア王朝に該当。
→これは、5賢帝時代=古代帝政の最盛期、マケドニア王朝=中世帝政の最盛期、でご理解いただけるかと。
ついでに、古代のフラヴィウス王朝時代は中世のアモリア王朝に相当(安定から最盛期へのつなぎ)といったところでしょう。
私個人的には、アモリア朝の名君テオフィルスと古代のヴェスパシアヌスやテゥトゥスをダブらせて見てしまうのは気のせいでしょうか。

最後に、古代帝政に改変を加え帝国を立て直したディオクレティアヌスは、ビザンチン専制君主制に改変を加え同じく帝国を立て直したアレクシウス1世
といったところでしょう。

 こうやって見ると、古代ローマの辿った歴史と中世ローマ帝国の辿った歴史はなんと相似しているのかと
思うくらいです。
 このマルクス・アウレリウス、こう断言したく思います。
「古代ローマ帝国の歴史を知ることは中世ローマ帝国の歴史を知ることである。
また、中世ローマ帝国の歴史を知ることは古代ローマ帝国の歴史を知ることである。」と!
985アルカディウス:03/03/14 22:21
東ローマ最初のテオドシウス朝とユリウス=クラウディウス朝の関係はどうなのですか?
それとも、ヘラクレイオスまでは、ローマ帝国?
986ユリアヌス:03/03/14 22:23
>984
わが師よ!誠に恐れ入ります。このユリアヌス目からウロコが落ちたような
気がいたします。

 師よ!それでは、わがローマ帝国が混乱と危機に喘いだヘラクリウス王朝時代
(まさに古代ローマが破綻した時期)は、古代でいえば、長く続いたローマ共和制が破綻した
内乱の1世紀の時代に該当するということですね!
 おお、時代に翻弄された悲劇の英守ヘラクリウス&コンスタンス2世よ!
汝ら二人は、まさに中世におけるグラックス兄弟そのものではないか!先達が築いた偉大な体制を
命を賭して守ろうとして散った悲劇の英雄たちよ!
987ヴァレリアヌス&ロマヌス4世:03/03/14 22:26
おおおおぉ〜!!!
まさに俺たち、最盛期と再建期のはざまで同じ境遇を辿った似た物同士、いや、それ以上だ!!
俺がお前で、お前が俺!?
俺たち、マジ付き合おうか??
いや、合体ロボになろうか。
988クラウディウス:03/03/14 22:29
>986
ほうほう、なるほどねぇ・・・
ホントだ、長〜〜いローマ帝国の歴史は800年の時間差を置いてくりかえしてるよ〜。
ウソじゃないよ、ホントだって。計算してみな。
989世界@名無史さん:03/03/14 22:31
一人でやっとれ。他人が全く見えてない。歴史オタうざい。
990ユスティニアヌス1世:03/03/14 22:33
ひょえ〜〜、たまげた。
ってことは俺に似たようなやつも共和制ローマの、しかもグラックス兄弟より100年
ばかしか前に居るってこと?
そいじゃあ、俺のそっくりさんは、大スキピオかな?
991スタウラキウス:03/03/14 22:38
違うと思う。
ってかあなたは古代ローマ皇帝か中性ローマ皇帝かわからない。

あと皇帝としては存在感のない俺が大事なことをひとつ!
800年スパン説が本当なら、コンスタンティヌス大帝がマヌエル1世に該当
するが、共通点がないぞ。
992コンスタンティヌス1世:03/03/14 22:41
>991
そう!そこなんだな。
そこだけが古代ローマ時代と中世ローマ時代で相違しているところかも。
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994マヌエル1世:03/03/14 22:43
いや、俺が改革に成功していれば、ローマも更に歴史が伸びたんだよ!
コンスタンティヌスは成功してビザンツを作り、俺は失敗して、
ビザンツに続くものを残せなかった。
995レオ1世:03/03/14 22:47
>992
ということは・・・古代帝政末期のコンスタンティヌス大帝やテオドシウス大帝は
は適切な手をうったから、その後もなんとか強国としてローマ帝国は存続したが、
12世紀のマヌエル1世は帝国を立て直すどころか、遠征に帝国の力をすべてつぎ込んでしまった
から、その後が悲惨・・・?
 それで、前出のようにマヌエル1世が内政にもっと目をむけていればっていうことだな。
996世界@名無史さん:03/03/14 22:49
一人芝居止めろよ。書き込みしてるほかの奴に失礼だろ。
自分の言いたい事を名前変えて書いてるだけじゃねえか?
997世界@名無史さん:03/03/14 22:50
はい終了
998ティベリウス:03/03/14 22:50
うむ!
なんとなく結論みたいなのが見えてきたようじゃの。
ここらで一つまとめられるようじゃの。まもなくアウグストゥスさまも
おもどりになられるようじゃし。
999世界@名無史さん:03/03/14 22:51
ハイ終了、さよなら独り善がり。
1000アウグストゥス:03/03/14 22:53
よくやった!
みんなご苦労じゃ
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