1 :
世界@名無史さん:
たとえば聖書の時代のオリエント世界には、銭貨というものがなかったそうな。
んで一説によると、羊(あの生きてるヤツな)が貨幣の代わりに使われてたっていうけど、
ホントかよっ
例えば労働者が仕事フケて、帰りにビールでも一杯飲んでくか、みたいなことになったと
する。で、勘定の際に、
「さて帰るか。亭主、代金は?」
「へえ。羊一頭でやんす」
メエ〜
「ほれ。釣りはいらねえよ」
みたいなやり取りがあったわけか?すると買い物する時には常に羊を引っ張っていかなきゃ
ならんのか?いくらなんでも面倒くさ過ぎるだろ
あと麦で支払ったという説もあるけど、古代の人間は財布の中に麦を入れてたってことか?
焼き鳥一本、麦何グラムみたいな感じか?すると屋台のカウンターには常に天秤が常備されて
たのか?麦持ってない奴は両替屋みたいなとこで、他の品物と「換麦」するわけか?その際に
手数料は取られるのか?
あまりに奇々怪々だ。誰か「こういう感じ」という正しいイメージを教えてくれ〜!
2getしても嬉しくない板だよな、ここって。
3 :
世界@名無史さん:02/10/03 12:48
聖書より古いハムラビ法典では、銀を通貨にしていましたな。
コインではなく、銀の重さを価値とした。
>>1 そういう時代に「居酒屋」があったというイメージからまず捨てなさい(笑)
XX屋というところまでは職業分化などはまだしていないのです。
買い物という概念もちょっと違う。
ある村から物々交換のための羊をつれていく。
「それ、そこの小麦XXkgと交換できねぇか?あとそこの酒Xl」
「小麦はいいが酒はだめだな。XXXはどうだい?」
で、持ち帰ったものは村(or家族)でわけられる。
物々交換経済というのはこういう感じです。
細かい「買い物」なんかしない。必要なときにまとめていろいろもっていって、
交換していろいろ持ち帰る。
こういう生活は現代でもしている人たちはいます。
文化人類学の本を読むと物々交換でやっている人たちの暮らしというのがよく
わかるので
>>1はそういう本を読みなさい。
海辺で宝貝を拾ったら超リッチになれますか?
>>6 内陸まで持って行けばね。
命がけだよ。野蛮人や野獣、文明化した地域なら盗賊とか、
道路も整備されていないから、道なき道をエクスプローラー
していかにゃ。
挙句の果てに辿り着いたら、偉い人にお召し上げにされたり。
基本は自給自足でしょ
人口の大半は他人に売れるような物を持ってない・・・
朝起きたら、畑耕して、たくわてる穀物消費して、寝て終わりかと
例えば、縄文時代にも相当広範囲で物流があった(石器・その素材と
なる石とか)のが分っているけど、
これは交換で流通していたのか、それとも贈与だったのか
(交換と贈与・互酬がはっきり区別つくのか?ってのもあるけど)
10 :
世界@名無史さん:02/10/03 18:22
>>8 逆に言うと、人口の大半に属さない人々も少なからずいたわけだ
>>1で言うなら、聖書時代以前の古代世界にも都市は存在した
都市があるということは、当然そこに常住する都市生活者もいるということになる
職人だの商人だのは自分で耕さないんだから、自給自足なんて出来ないよな
つまり国家から配給でもされない限り、自分の食料は自分で買わなくてはならない
そういう自給自足しようのない都市生活者の群れが数万からいれば、必然的に
流通経済が成り立つし、成り立ってなきゃみんな食っていけないだろ
で、
>>4みたいなまとめ買いが都市内部で行われてたとは考えにくいわけだ
日々の細かい買い物の連続で、毎日生活してたと考えるほうがずっと自然だろう
毎日パンを店で買って、それを食べるという生活様式は古代にもあったはずだ。と俺は思う
まあ、ほんとに麦で支払ったかどうかは分からないが
11 :
世界@名無史さん:02/10/03 18:47
>>11 十分に貨幣経済が発達する以前では金や銀、宝石の類と交換するほかには麦や
乾物のような持ち運びのしやすい現物での交換もまたよく見られた光景のようです。
>>1 貨幣経済以前の文化にその後現われる酒場のようなイメージを持ち込むからちぐはぐ
になるのです。
酒なんてのは昔は自給自足するものでした。各家庭、ないしは村などの単位で共有する
酒つくりの場所があったりしたのです。
12 :
世界@名無史さん:02/10/03 18:49
通貨に準じるように使われたものとしては塩もありましたね。
13 :
世界@名無史さん:02/10/04 04:54
>>10 古ゲルマンの社会では、手工業者はその成立の段階から大農に隷属してたらしいです。
ただ、それは村の場合であって、古代メソポタミアの都市ではどうだったんだろう?
14 :
世界@名無史さん:02/10/04 07:01
>>4>>11 古代メソポタミアに居酒屋と呼べるものがあったのは有名な話だと思うが。
農民や職人は、夜な夜な居酒屋で一杯引っ掛けてから帰るみたいな事も日常的にあったようで、それを戒める警句なども残っている。
ハムラビ法典にも酒屋の主人に対する法律があって、「もし、酒屋の主人が水で薄めたビールを客に出せば、彼は溺死しなければならない」と言う条文があった。
また、日常の経済活動には定められた重量の金や銀が使用されており、物の値段も結構細かく決められていたようだ。
奴隷の値段や、自由民が奴隷を傷つけた際の賠償額なども「〜の場合には銀何デベンを支払う」等と細かく決められていたようだ。
また、金銀のレート交換や、様々な産物を等価の金銀に換金する、今で言う銀行の機能を果たす商人がいた事もわかっている。
また、職人・工人への報償等も主に金・銀が用いられ、食品等の現物で支払われるのは稀だったようだ。
我々が想像する以上に、メソポタミアの人々は経済に対する観念が発達していたようだ。
15 :
世界@名無史さん:02/10/04 07:24
>>14 それが本当ならあともう一歩で貨幣経済ですね。
いちいち金銀を計量するのは面倒だから金銀を決まった形にして定型化すれば便利だろうというのはすぐに思いつきそうなもんですが。
>>14に書かれてるような状態が何千年も続いたというのもちょっと不自然に思います。
16 :
世界@名無史さん:02/10/04 07:42
>>15 >>14氏の蛇足ながら、
現在、イスラエルで使われている通貨は「シェケル」と言いますが、
これは3,4千年前からメソポタミアから地中海東岸地域一帯で使用された
重量を表す単位が基になっています。
この重量単位は主に銀を測るのに用いられた物でして、
おおよそ商交易や租税、賃金、裁判などの賠償などに使われていたそうです。
貨幣は国家が管理してはじめて機能する物ですから、
大国の興亡目まぐるしいこの世界にあっては、銀そのものを目方で量って
使用した方がはるかに確実で現実的だったと思われます。
17 :
世界@名無史さん:02/10/04 09:04
>16
すでに貨幣や紙幣が使われてた江戸時代の日本でだって、銀は目方で計っていたしね。
ところでヨーロッパ。ローマ時代は貨幣経済だったのに中世に自給自足経済に逆戻りしてしまったのは、
やっぱり民衆の農奴化がすすんだから?
18 :
世界@名無史さん:02/10/04 09:05
メソポタミアの重量法では、
1タレント=60ミナ
1ミナ=60シェケル
1シェケル=129グレイン
として、1グレインは0.0468gに相当したとか。
>>1のいってる羊が通貨のかわりってのは賠償について「羊XX匹を払え」とか
書いてあったのの誤解からだろうか?
たしかに金の変わりであるが。
20 :
世界@名無史さん:02/10/04 10:19
清朝のころの中国では、海外からメキシコ銀貨が大量に流入していた
だが中国人はそのコインをわざわざ砕いて、地金にしてから使っていたそうだ
19世紀ですらまだそんなことやってたくらいだから、貨幣経済ってのはほんとに
ごく最近になって機能し始めたのかも知れない
コインというものは大体グレコローマン期以降に増えるわけだが、案外先進的な
ローマ人といえども、日常的には秤量貨幣が主流だったんじゃないかと、ふと思った
21 :
世界@名無史さん:02/10/04 10:25
>>20 あんた、もしメキシコ銀貨を大量に入手したらそれを使って買い物するかい?
んなわけないでしょ?
日本の造幣局が発行した硬貨しか使わないはずだ。
外国の銀貨があってもそれは銀地金にして使うほかなかろう。
ねえ、俺
>>1に結構ワラたんだけど
この板ってこういうこと言っちゃいけないの?w
24 :
世界@名無史さん:02/10/04 11:47
>>14 細かく価格等が決められていたとしても、それらは全部帳簿上で実際はほとんど
付け払いってケースは無かったの?日本の場合、ちょっとした問屋や小売商も
顧客によっては現金が動くのは盆暮の年2回だけってパターンが多かったと思う
んですけど。だからこそ、それらの金融機能が注目されるわけで・・・都市部
でも庶民が現金を手にするのは限られた日だけだったてのが俺のイメージ。
25 :
世界@名無史さん:02/10/04 12:10
>>21 それは国家の成熟度合いによる。 19世紀東南アジアで外国貨幣が
そのまま決済に広く用いられた。 日本の貿易銀といわれる一円銀貨
も東南アジアの古銭商で今でもよくみる。 あとインド洋周辺での
マリアテレジア貨幣の流通は有名。 中国でも洋銀・二柱銀といわれて
ある程度流通していた。 徐々に馬蹄銀に置き換わったが。
自分の政府より、外国の政府が信用できるといった地域・時代は
結構ある。室町期の日本やマジャパイト朝なんてのは中国の銭が
主要な流通貨幣だった。
26 :
世界@名無史さん:02/10/04 12:12
↑
洋銀というのは主にメキシコ銀のことを指していました。
27 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/04 12:32
中国では金貨がなかったようで、何を読んでも銀貨しか出てこないんですが
なぜ金貨がなかったのかどなたかご存知ありませんか?
それとも金貨はあったけれど天正大判みたいな扱いをされてたとか。
交換経済の成立って意外とはやかったんじゃないかと言ってみるテスト。
日本史でも網野さんあたりが自給自足経済なんて幻想じゃゴルァって言ってたしな。
29 :
世界@名無史さん:02/10/04 13:50
>>27 私も詳しくないのですが、元朝のフビライが銀本位制の基盤を確立したと聞きます。
銀比率の問題なのでしょうか?
全然自信ないので、疑問の型で挙げますが。
つまり、金より銀の方が稀少な地域・時代に銀本位制が東アジア〜内陸アジア圏に
確立された??
30 :
世界@名無史さん:02/10/04 14:50
>>10 >都市があるということは、当然そこに常住する都市生活者もいるということになる
>職人だの商人だのは自分で耕さないんだから、自給自足なんて出来ないよな
>つまり国家から配給でもされない限り、自分の食料は自分で買わなくてはならない
>そういう自給自足しようのない都市生活者の群れが数万からいれば、必然的に
>流通経済が成り立つし、成り立ってなきゃみんな食っていけないだろ
経済人類学的に言うと、人類社会の経済は普遍的に、市場交換/贈与・交換/集合・再分配の
3手法が混在しているとされます。
が、近代西欧型社会システムは、市場交換システムが肥大化し、信用市場、労働市場、株式市場
というシステムを展開。これによって、贈与・交換と集合・再分配のルートは、非公式、または私的な
領域に極小化されたと言われます。
ここまでは、歴史学の方からは、畑違いの分野での仮説とみなしてよいかもしれません。
しかし、古代メソポタミアと同時期に成立していた古代エジプトの経済は、集合・再分配型経済が基軸に
なったシステム、という見方は有望です。
例のピラミッド公共事業説なんかもその線で理解するとふに落ちる。
古代メソポタミア史はいろいろ学説が変わって来ているそうですから、この辺の理解が現状でどうなって
いるかは、不詳です。(ですので言及を避けます)
31 :
世界@名無史さん:02/10/04 15:28
はじめ人間ギャートルズに出てきた
原始人(設定では原人)が使っていた
あの、巨大な石のお金は実在なの?
32 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/04 16:14
>>31 石貨が昔使われていたというのはホラだそうです。
貨幣以前の泥棒の話なら「今昔物語」にたくさん出てきますが、主として
追いはぎです。ミグルミはいで置いていけ、というやつ。
大規模な盗賊になると屋敷荒らしをします。地方官になって空家同然になってる
屋敷を狙って、家具やら道具やら一切合財持って行きます。
主人一家が帰ってみると、家の中はからっぽ。
33 :
世界@名無史さん:02/10/04 17:52
>>27 楚には金貨がありました。エンオウ(金)といった。(漢字がでないので
失礼)板チョコみたいな形。 後世では金も銀も秤量貨幣。主に銀が遣わ
れたので銀錠や丁銀や馬蹄銀ですが、金錠や丁金も少しですが存在しました。
古銭のオークションで偶にみますが とても高いです。
34 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:01
フビライの紙幣って今の国債に近いんでないのかな?
銀行・証券・保険のような金融機関もないし。
ちなみに1717年にイギリスのアイザック・ニュートンが金本位制を導入。
万有引力を発見したあいつ。
35 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:02
36 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:04
>↓本家がモノクロ!
ではなかった・・・・・表示がおそいっ!
37 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:10
>>31 フィクションの石貨自体の直接モデルはおそらくミクロネシアの、パラオ島周辺に
みられる石貨の風習だと思います。
この風習は第1次〜第2次大戦戦間期間頃から専門家(人類学者・民族学者)に注目
されるようになり、第二次大戦後、一般にも知られるようになりました。
推測ですが、アメリカのアニメーション『原始家族フリントストーン(邦題)』に石貨
が見られるので、「ギャートルズ」もその辺からアイディアを借用したのではないで
しょうか。あるいは向こうの一コママンガが「ギャートルズ」のソースかもしれません。
このパラオの石貨と呼ばれるのものは、私達が考えるような貨幣ではありません。
が、共同体内での個人の信用を現すものです。
まず、男性が成人を迎えるときに、離れた島に石貨を作りにいきます。
大きければ大きいほどよく、彼らのセンスで美しければ美しいほど価値がある、と認められる。
そしてこの石貨は持ち帰って、設置されると実物は移動しません。
家の前なら前に置きっぱなし、飾りっぱなし。
その代わり、何かの取引があると所有権だけ移動します。
AがBに牛5頭を譲り受ける代わりに石貨Aの所有権がBに移動する。
Aの家の前にはB所有の石貨がドーンと飾ってある(笑)。
で、Aはいつか所有権を取り戻すために、がんばる、と、そういうものです(でした−−今はどうだか知りません)。
こういう特殊なものとは違いますが、石器時代には、地方により、琥珀や石英が
あるいは火打ち石(フリント鉱石)が、広範に交換された形跡がみられます。
(いずれも巨大ではありません:笑)
こういう使用価値が認められる物は厳密には貨幣と呼ばれないのですが。
(そうすると、古代の租庸調の布や、中世の米の年貢は貨幣ではないの?とか、めんどくさい話にもなるのですが、ともあれ)
石器時代の琥珀や石英の流通の方が、まだ、ミクロネシアの石貨より、現代人が思う貨幣に似た動きで流通したと思います。
38 :
世界@名無史さん:02/10/04 18:12
39 :
>>37の部分訂正:02/10/04 18:34
×>使用価値が認められる物は厳密には通貨と呼ばれないのですが。
×>古代の租庸調の布や、中世の米の年貢は貨幣ではないの?とか、めんどくさい話にもなるのですが、
訂正>使用価値が認められる物は厳密には通貨と呼ばれないのですが。
訂正>古代の租庸調の布や、中世の米の年貢は通貨ではないの?とか、めんどくさい話にもなるのですが、
ポイントは、定常的な交換が先行成立してはじめて通貨、貨幣と言う物が社会的な意味を持つようになる、という点です。
通貨と貨幣の成立は共起的だと思われます。
ガイシュツですが、貴金属貨幣には、貴金属計量の交換が先行している。(ほとんどすべての場合に、と言ってよいと思います)
1>>たとえば聖書の時代のオリエント世界には、銭貨というものがなかったそうな。
聖書の時代と言っても長い。
アケメネス朝ペルシアが、バビロニアを滅ぼして、古代イスラエル人が帰還し、第二神殿を建てた。
これも旧約時代の一部。
最古の貨幣を開発したのはフェニキア人と言われると思う。
これがギリシア人、ローマ人と取り入れられ、と言う話はよく聞くが、
アケメス朝もフェニキア人から貨幣を取り入れていた事ももっと知られるとよいと思う。
ダレイオス大王(1世)の名にあやかり、ダレイオス金貨と呼ばれるこの貨幣は、一貫して高い純位を持つことで、古代オリエント世界で国際通貨としての信用を獲得した。
個人的には、中世のビザンツ金貨のような物か、とイメージしている。
インドからもダレイオス金貨の古銭は、発掘されるそうだ。
スレ話題とややズレているのでサゲ。
41 :
世界@名無史さん:02/10/04 20:31
>>34 一般に〜、イギリスにおける金本位制の確立は〜
1844年のピール条例によるものと〜理解されております縷々屡〜
42 :
世界@名無史さん:02/10/04 20:52
>>30 古代エジプトって、食い物とか配給制だったの?共産主義国家みたいなもんか?
>>42 ※スレ話題とずれているのでサゲますね。
集合-再分配、というのは、配給とは違うんです。
うーん、共産主義国家とも違うと思いますが。こっちは、ちと自信ないです。
古代エジプトのピラミッド公共事業説は、
ナイル河が氾濫し、農耕ができない時期に、労働力を建築事業に使い、労働対価として、それまで集積していた穀物を渡した、という説です。
農耕ができる時期は、各自個別に農耕に従事していた人口も多かった。
ここが共産主義国家と違うと思います。
(中には神殿領に隷属していた人口もいたかもしれません?←ちと自信なし)
ただ、確か、天地は、神の子であるファラオの物と言ってた気がします(?)。
そうすると、日本古代の公地公民制みたいなもんで、共産主義体制に型は似てる??
理念は違いますが−−やっぱりよくわかりません。(ゴメン)
エジプトの公共事業説は、民族学・人類学で言われる集合-再分配経済の典型例より複雑な社会システム、
という話は書いておきます。
典型例は、普段の1次労働で蓄積した、食糧を祭宴のときに全員で食べちゃって、後の期間は、またみんなで働く。
今フェルナン・ブローデルの『歴史入門』の第一章を読み終わったんだけど、
14世紀〜18世紀のヨーロッパは技術の進展によって「工業製品」の価値が飛躍的に上昇し、
そのために都市部の成長が農村のそれを上回り、交換経済のネットワークが自給自足経済を吸収していった…
みたいなことが書いてある(誤読だったらスマソ)。
>>24 手元の資料にはそこまでの記述は無いですな。申し訳無い。
ただ、都市間の交易においては、対価になる金銀を持ち歩く危険から今で言う手形のようなものが使われていたらしいので、ツケの概念もあったかもしれませんな。
時代が下って、新バビロニアの頃になると、複数の都市間に同一の換金商人が店を構える、いわばチェーン展開のはしりもあったそうで、本当に貨幣経済まで後一歩と言う所だったのでしょうな。
また、エジプトの場合はナイロメーターの水量からその年の税額が決定され、余剰分の作物は農民の取り分になっていたようで、それらの作物を必要な生活物資と交換していたようです。
税は全て政府が管理し、役人・軍人への褒賞や建造物の造営で駆り出された農民への褒賞に当てられ、また周辺地域との交易の対価に当てられる等していたようです。
例外は、神殿に寄進された農地からの収益で、これらは各神殿の担当書記が管理し、様々な必要物資の代価に当てられていたようです。
エジプトにおける商人の仕事は主にこれらの品物の仲介で、メソポタミアの商人のような活発な経済活動は見られなかったようです。
トリッガーらの説によると、この違いは領域国家と都市国家のそれぞれの特性に起因しているようですな。
46 :
世界@名無史さん:02/10/07 13:49
で?古代メソポタミアの農民や労働者の財布の中には、なにが入ってたんだ?
銀はあり得ないぞ。銀なんて当時の庶民が容易に手に入ったはずはない
47 :
世界@名無史さん:02/10/07 14:10
>46
では労働者はなんで給料をもらっていたとおっしゃいますか?
「容易に手に入ったはずはない」という思いこみを書き込むだけでなく。
48 :
世界@名無史さん:02/10/07 15:01
日常生活での支払いは帳簿(粘土板)につけといて、
あとでモノ(使用価値がある物品)で支払ってもらったんじゃないかなぁ。
「マスター、ビール一杯くれや」
「おう鍛冶屋、そのかわりあとで肉切り包丁1本持ってきてくれよ。
最近切れ味が落ちてよぉ」
「新品丸々一本は高ぇなあ。今使ってるのを研いでやるから、それでどうだい?」
「しょうがねぇな、それで手を打ってやるよ」
みたいな感じで。
腕輪などの装飾品を貨幣代わりに使用していた記録もあるみたいだけど。
49 :
世界@名無史さん:02/10/07 15:10
銅での支払いもあったようだが。
単位が1シェケル約6グラムからなので不都合は無いと思う。
初の「鋳造貨幣」はリディア王国だというけど、
初の「銀行券」はカルタゴ人が用いた
革製のリボンでいいんでしょうか?
51 :
世界@名無史さん:02/10/07 16:18
古代日本の、黒曜石の流通経路なんかはかなり研究されてると聞くけど、
ああいうものって具体的にどうやって流通に載ってたのか、なんてところも
何か分かっていることってあるんでしょうか?
産出地を支配していた部族は採掘を生業として専門に行い栄えたのか、
あるいは自給自足の片手間でやるくらいの相対産出量に過ぎなかったのか、
また、一旦そこから離れた産品は少しずつ隣のムラから隣のムラへと
取引を経て運ばれていったのか、それとも、流通を担う交易部族が存在したのか。
52 :
世界@名無史さん:02/10/07 17:25
>>50 Punch-mark coin 打刻貨幣の起源はリディアでいいけど、
鋳造貨幣の起源は中国(戦国時代)
銀行券は定義による。
53 :
世界@名無史さん:02/10/07 17:32
ついでに言っておくと 西洋(ギリシア・ローマ)文化圏では
打刻(金や銀に模様を打ち込む)、東洋(中国)文化圏では
鋳造。 西洋で鋳造が採用されたのは 大量の貨幣が必要と
なった近代以降。 扶南は?とか細かいことは聞くなよ、説明が
めんどいから。
54 :
世界@名無史さん:02/10/07 19:48
>>51 >古代日本の、黒曜石の流通経路なんかはかなり研究されてると聞くけど、
>ああいうものって具体的にどうやって流通に載ってたのか、なんてところも
>何か分かっていることってあるんでしょうか?
古代日本の、と言うか石器時代〜縄文時代の、と限定したいと思いますが。
そこは、今研究中のはずです。
個人的意見ですが、ほとんどわかってない状態と言ってよいと思います。
そこを解明するには、流通網の拠点になる地域での生活を推定復元しなくては
いけないですから、そこんとこが調査されてる段階ですよね。
ただ、日本はほとんどの土壌が弱酸性なので、一言で推定復元と言っても、なかなか困難だと思います。
特に>流通を担う交易部族が存在したのか、とかは、いたともいないとも、なかなか断定できないのではないかな?
発掘現場の状況や、加工拠点の状況の推定研究なら一般向け概説書でも目にすることはあります。
専門研究者の人達は頑張ってると思います。
>51
黒曜石だけを通貨として特別視するのは危険だと思いまつ。
たとえば同じように通貨代わりに使用されていたであろうモノでも、
干しアワビとか布なんてのはほとんど残らないですよね。
黒曜石はそうしたモノのなかでも、たまたま他に比べて後代まで残りやすかった
から研究がしやすい、というだけのことではないでしょうか?
そんなこと承知だい、というのならスマソ。
56 :
世界@名無史さん:02/10/08 10:28
>>48 どの程度の規模の店かは知らないが、最低でも一日50人は来るであろう客に、
いちいちそういう交渉するのは面倒じゃないか?
それに客が包丁を持ってない場合はどうなる?飲めないのか?
57 :
世界@名無史さん:02/10/08 10:38
>>56 相手が鍛冶屋だから包丁要求したんだろが。誰も魚屋に包丁呉れとは言わんよ。もっとよく読め
58 :
世界@名無史さん:02/10/08 10:57
>56
そういう時代にまったく知らない相手が客として入ってくる可能性はほとんどないからね。
主な客の顔は全員覚えてるだろうし、だから後払いでも一向にかまわないはず。
まあ、いちいちそういう交渉するの面倒だから、人類は貨幣を発明したんだろうけどね(w
59 :
世界@名無史さん:02/10/08 15:07
えーと、まとめると、貨幣経済初期には
日常生活では悪貨(銅貨や使用価値のある物品)を用い、
他都市との交易などでは良貨(金銀など)を用いていた、
という理解でよろしいでつか?
60 :
世界@名無史さん:02/10/08 15:10
61 :
世界@名無史さん:02/10/08 17:14
>>59 うーん、いいのだろうか??
大まかなイメージとしては、構わないのかもしれない。
>貨幣経済初期には
というより
「貨幣使用がある社会に浸透し定着するまでの過渡期には」、
とでも言った方が少し正確になるとは思う。
さらに言うなら、
「貨幣使用がある社会に浸透し定着するまでの過渡期には、
日常生活では、主に使用価値のある物品が用いられ、
貨幣はもっぱら市場交換で用いられた」
とでも言えば、あまり文句は出ないと思う。
古代メソポタミアの麦酒屋さんが、定常営業してたなら、すでに局所的市場交換の定常化にあたると思うんだよね。
(市場交換というのは定常化する前に定期的開催だったり不定期開催だったりする時期があるのは、
これは人類の歴史に普遍的に観測される)
これが、貴族や有力者の私邸で開かれる公的酒宴なら、贈与だったり、贈与・互酬の一形態だったりする。(ローマ貴族の酒宴とかね)
これが、神殿主催の祝祭で酒が振る舞われるなら、集中-再分配経済の一断面にあたるかな(?)。
62 :
世界@名無史さん:02/10/08 17:36
メソポタミアに貨幣使用は無かったと言ってみるテスト
>>62 あぁ、そうか。
貨幣使用はなくて、小粒の貴金属使ってたって話しだっけ。
しまった。しまった。
64 :
世界@名無史さん:02/10/08 18:20
しかしやっぱり
>>1の疑問が残るような気がするでつ。
「 決 済 は ど う し て た の ? 」
高額貨幣かその代替品(金貨とか金塊とか)はまだしも、
少額の取引に使われたものが何なのかが気になるなぁ。
ほんの小さな金の粒だとしても、100円玉のようにはいかんだろう。
銅とか、廉価な貴金属(?)も流通していたんだろうか?
銅は流通してまふ。
でも小額の取引だとツケじゃないの?
当時のひとは常に円筒印章を持ち歩いてたらしいので
ビール三杯にみますた、ハンコをポンとか。
67 :
世界@名無史さん:02/10/09 10:04
ハンコをポンと言っても現代の薄い紙ならともかく
客が来るたびにハンコ押した粘土板を積み上げてたらかさばって仕方ない
68 :
世界@名無史さん:02/10/09 10:26
つーか、粘土板って乾いて硬くなるから・・・
メソポタミアの書記が記録を取るときってのは、粘土が乾くまでに書かなきゃ
ならないから、相当忙しかったんじゃないかと思ってたり。
取引毎に1枚粘土板使うのはいやん。
文字を持たない人々の記憶力を見くびってないか?そりゃもう、すごいもんだぞ。
いちいち帳簿つけないでも、近所の連中との取引ぐらい全部記憶してるさ。
特に商売人ともなればね。
70 :
世界@名無史さん:02/10/09 10:57
>>69 記憶してたってそれでは証拠がない
あとで清算を要求したときに「あんたとこでビール飲んだ覚えはないぞ」と言われたらおしまい。
>70
そんなことしたら村八分だよ。
今よりもずっとずっと狭くて血縁関係も濃ゆいしゃかいでそんなことしたら
文字通り生きていけないよ。
社会人じゃないでしょ、君?
>>70 そういう客がいたら、出入り禁止にするだけだろ。
近所の常連客ばかりの店なら、
ツケ(信用取引)で十分やっていけると思うが。
書いてるうちに71が同じこと言ってた(w
>>70みたいなのは極端としても「こんなに飲んだはずがない」とか、
酔っぱらいなんか良く言いそうな感じはあるけど?
量の問題で争いはあったんじゃないか。
>74
でも、そういう争いは貨幣の本質とは関係ないんでない?
>>75 そうかな? 居酒屋に「いつもニコニコ現金払い」って貼ってるとこがあるのは、
貨幣の本質はともかく機能の一面を良く表してると思うな。
77 :
世界@名無史さん:02/10/09 13:23
>>68 石膏と間違えてないか?
はるーか昔高校の時、歴史クラブで粘土板を実験した。
砂が混じった粘土は使えない。
さわって指紋がつかないくらいの堅さが書きやすい。
字を間違っても、粘土を詰め直し、濡らした指で表面を撫でれば修復できる。
筆記具は竹を削ってとがらせたもの。
粘土板はマウスパッド程度の大きさの板に1cm程の深さの縁をつけた木製の箱に練った粘土をのばしたもの。
画数の多い漢字、曲線の多いひらがなは書きにくい。
カタカナ、ローマ字はまあまあ書ける。ただし筆記体は無理。
一番書きやすいのが楔形文字。当然といえば当然。
保存する必要がないときは、水を少々加えて粘土を練り直す。
保存するには、
まず箱の縁を叩いて隙間を入れ、はずす。陰干しにする。真夏だったので24時間。
日なたで乾燥させたものは曲がったり割れたりした。
地面に並べ、枯れ草や薪を積んで焼く。土器と同じ。
濡れたまま焼いたのは粉々。
78 :
世界@名無史さん:02/10/09 13:35
しかしまあ不便そうだなあ
紙のありがたみを感じる
79 :
世界@名無史さん:02/10/09 13:46
>>77 うーむ、おもしろい。非常に有意義な実験だ
>>77 ほうほう、俺が思ってたよりも使いやすいのね。
乾燥地だとどうかな?って気もするけど、塗れた布を掛けとくとかすればいいか。
まだ書き込める状態の粘土板をどうやって保存するかの実験もやった。
瓶(かめ)に水を含んだ雑巾を何枚か入れてその上にすのこを置き、
粘土板を重ねて入れてビニールの風呂敷でふさいだ。
それで一週間後でも充分に書き込めた。
82 :
世界@名無史さん:02/10/09 14:01
カヘー経済っていうとなんか可笑しく聞こえる
カヘーハニホヘーニハー
一口に貨幣の歴史と言っても
まず「おらが村」でしか通用しない貨幣(的なもの)
次に「となり村」でも通用する貨幣
と、2段階に発展したんだろうな
見知らぬよそ者に、最初に貨幣での支払いを納得させた奴はすごいな
>>83 「おらが村」でしか通用させないのなら、貨幣はいらないんじゃ?
むしろ、広域の流通が前提になってるかと。
85 :
世界@名無史さん:02/10/09 14:20
全員が顔見知りになれる程度の規模の社会なら貨幣は不要。
社会の規模がそれを越えて見知らぬ人が多数という状況になると貨幣が必要になる。
おらが村の内部だけで生活してる状況なら貨幣は不要だろう。
>>83 それは市〔イチ〕の発展と、市場交換の展開、て
人類学(民族学)的におもしろい話題と関る。
貨幣ってのは全面的(All Purpose)な交換手段なんだけど。
2つの共同体(≒部族)が参加する市では、全面的交換手段は登場しない、と言われてる。
単純化すると、海産物を購入するには芋を、
野菜類を購入するには、塩を、交換手段にする、
みたいな状態になる。
実際は、異文化人には理解困難な象徴体系で、単目的のフェティッシュが複数併存する。
例えば、魚を得る交換手段にはきつつきの脚を干した物を、
貝を得る交換手段にはきつつきの頭を干した物を、
海草を得る交換手段にはきつつきの翼を干した物を。
漁民の方は、きつつきの干物を作ることはタブーで禁止されてる。
山の人間の方でも無制限に作れるわけでない(やはりタブーで規制される)。
後、きつつきの頭、翼、脚の干物を10セット持ってくと、山の神様の御守りをもらえるとか、なんか複雑な交換システムもある。
んで、3つ以上の共同体が定常的に参加する市が続くと、
塩なら塩が、全面的交換手段として登場する余地が生じる、と言われている。
比較すると小粒の金属を利用した交換体系なんて、
遥かに進んだ社会システムだよね(w)。
87 :
世界@名無史さん:02/10/09 17:01
つーか
>>1の想像する古代社会っていうのが面白い(w
88 :
世界@名無史さん:02/10/09 18:24
>>87 同意。
結局、「買い物する」って感覚自体、貨幣経済がある程度浸透してないと
育まれないんだろうな。市場以外に固定的なshopができなきゃshoppingは
できないもんな。
>>71 そのへんのイメージがよく分からないんだけどさ
古バビロニアの都市国家ってのは、そんな日本の農村みたいな
ヨコのつながりが強い社会構造を持っていたものなのか?
だいたい、「都市」という呼称自体、それが単なる共同体ではなく
不特定多数の住人の流入を前提としているイメージがあるけど
>>89 その頃の都市国家って、たんに村を城壁で囲んだ感じじゃない?
>90
ローマ時代や中世後期以降の、ちゃんと貨幣経済が発達した時代以外は、
都市といってもかなり閉鎖的だったんじゃないかなぁ。
城壁で囲まれた中には数千〜数万人程度の人が住んでいただろうけど、基本的には
人間関係濃そうだし。
都市外の世界とは、どうしても自給自足できない物品に限って城外に設けた市を
通じて交易してたのが唯一のつながりとか、そんなイメージ。
ところで『銃・病原菌・鉄』読んでたら、物々交換と貨幣経済の間に
「再分配経済」という形態があったと書いてあるんだけど、この話まだ出てないよね。
93 :
世界@名無史さん:02/10/10 20:49
古代メソポタミアには「農村」は無かった。
人々は防壁のある都市に集住することで外敵から身を守っていたからだ。
そして農民は毎日都市の中から城門を通って外の耕地に「通勤」していた。
もちろん自動車も電車も無いから「通勤」できる範囲は徒歩圏内。
したがって外の耕地に通勤できる範囲の広さで都市の人口は制限されたけだ。
あまりに人口が多すぎるととても徒歩では「通勤」できないくらい遠くまで耕地が広がってしまう。
94 :
世界@名無史さん:02/10/10 21:00
シュメールの都市生活者は農民、漁民、工人など
各々の商品を市場で売りさばいて暮らしていたらしい。
同じ市場で交易商人が他都市から輸入した生活必需品などを並べていたとか。
95 :
世界@名無史さん:02/10/25 09:10
age
96 :
世界@名無史さん:02/10/25 12:19
世界最古の職業は娼婦と傭兵っていうけど、娼婦のお代って
どうしてたのかね?
娼婦「一発どう?」
傭兵「お代は漏れの熱いスペr(以下自主規制」
で、どうしてたの?
97 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/25 12:30
院政時代の貴族は絹織物で払ってたようなので、麻布1枚とかオリーブ油1瓶とか
値打ちに応じてモノで払っていたのでは?
98 :
世界@名無史さん:02/10/25 12:31
売春だけならサルでもできる
99 :
世界@名無史さん:02/10/30 12:17
さてと、ageるか。
ageんじゃねーよ。
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100 :
世界@名無史さん:02/10/30 13:14
今でもエクアドルとか、南米の貧しい人の中には貨幣を使用する事すら
出来ず、物々交換で生計を立てている人がいるよ。
交換する物品があるのであれば、それは
「貧しい」とかそういう問題とは違うと思うが。
極貧だって貨幣経済に参加はできるだろうよ。
102 :
世界@名無史さん:02/10/31 05:27
>>100 山奥の人は日常での取扱品目が少ないので、それでも構わんのだよ。いつも、同じもの同士を交換しているみたいな。
103 :
世界@名無史さん:02/10/31 06:41
印度の農村みたいなシステムもあちこちにあったかもしれない。
印度の農村には鍛冶屋が一人居て、
村内で使う農具などは全て彼が作り手入れする。
村民は彼から農具を買うわけではない。
彼の生活に必要な食料を村が提供し、村が彼を養っているのだ。
そしてそのかわり彼は村で必要な鉄製品を村に供給するわけだ。
>103
104が103に何を言おうとしたのかが気になる。
106 :
世界@名無史さん:02/11/16 00:55
>>103 日本中世の村落もそういう社会システムだったようだ。
中世日本と言っても、地域によって分化度が違うから、特に関東の村落。
戦国時代まで、村落の内部には貨幣経済は浸透しなかったと聞く。
後北条氏は、年貢を物納から銭納に変えようとして、強固な抵抗にあったらしい。
同時期の西国では、農村内への貨幣経済の浸透も相対的に進んでいたらしい。
貨幣経済の浸透は、それ以前の共同態の共同性を破壊する、とか言われるね。
>103-106
いわゆる再分配経済?
108 :
世界@名無史さん:02/11/25 21:29
>>107 んーと、再分配とは呼びづらいと思います。
どちらかと言うと、自給性の高い地域コミュニティーの内での互酬優勢の経済体制かなぁ(?)。
例えば、貨幣経済以前の社会で専業化した鍛冶職が工房を定位置に設けられて王宮なり神殿なりに管理され一縁の複数コミュニティーからの受注をまかなうようだと、これは集合-再分配経済になると思います。
物々交換って呼んでもいいと思うんだけど。
>>103のようなケースの場合、鍛冶職はたいていは、半農半工だと思うんですよね。
鍛冶の専門職がコミュニティー内に帰属せずに、周期的に廻ってくるってタイプだと、(貨幣以前の段階だと)典型的に物物交換と呼べると思います。
109 :
世界@名無史さん:02/12/06 17:34
>>96の質問に誰も答えてないんだが。
売春婦を
>>103のようなシステムで共同体に囲っていたとは信じ難い
>>103の方式だと、たとえばある村落に娼婦が一人いて、村の男たちの性欲は
すべて彼女が処理する
その代わり村人たちは彼女に生活必需品を提供する、とゆうことになる
閉鎖的な村社会でそんなことが有り得ただろうか?普通なら娼婦は居たたまれなく
なって村から逃げ出してしまうだろう
やはり娼婦は都市で不特定多数の男たちの相手をしていたと見るべきだ
だとすると、恒常的に面倒を見てくれる共同体に属してない以上、やはり
「売り買い」によってカネを手に入れて、それで生活していたとしか思えない
「共同体の内部での物々交換」説にはやはり限界がある。やはり古代にも
千円とか一万円に相当する少額貨幣が存在していたはずだ。
じゃあ、それは何?ということなんだが・・・・・・謎だな
娼婦が最古の職業とされるのは、婚姻関係のないセックスの見返りに
なんらかの報酬を求める、というのは極めて原始的な社会でも成立するからだろ。
価値のあるものなら、食糧でも布でも何でもよい。
ただ、古代バビロニアの伝説にある神殿の巫女たちのような、
社会的に組織化された売春のためには都市が必要となる、というのは同意。
111 :
世界@名無史さん:02/12/06 17:52
>>109 >売春婦を
>>103のようなシステムで共同体に囲っていたとは信じ難い
>>108に挙げたようなシステムならあり得ますよ。
>専門職がコミュニティー内に帰属せずに、周期的に廻ってくるってタイプ
てゆーか、日本史中世の「歩き巫女」なんて、まんま、そのもの。
>>109 >じゃあ、それは何と言うことなんだが……謎だな
以前にも述べてるが、定量の金属が代価として流通してた。
113 :
世界@名無史さん:02/12/06 18:03
>「共同体の内部での物々交換」説にはやはり限界がある。
>やはり古代にも千円とか一万円に相当する少額貨幣が存在していたはずだ。
「はずだ」と言われても、かつて世界各地に存在していたプリミティブ・ソサイエティについての知見とも、歴史記録とも食い違います。
また人類が最古層では、バンド集団を組んで狩猟採取の共同作業をしていただろう、との推定論と、共同態内部には古くは通貨は流通しない、との説明は整合性がよいです。
>娼婦は都市で不特定多数の男たちの相手をしていたと見るべき
との説が、根拠なら、歩き巫女のようなタイプの存在があります。
また、地域によっては、儀礼的な乱交があったかもしれません。そうした風習が成立していれば売春に対するニーズも限りなく低減するでしょう。
「共同態内部に鍛冶職のような専門化した娼婦がいたとは考えづらい」はわかるのですが。
だからと言って、「最古の娼婦は都市定住型だ」と断定するのは飛躍があるでしょう。
さらに言うなら、歩き巫女型娼婦とは違い、社会-文化システムとして成立するかどうかは不明ですが。
例えば、若くして寡婦となった女性に縁故者がない場合、半専門職的売春であるかのようにふるまい、特定複数の未婚男性に扶養されるといった事態もそう珍しいことでもないでしょう。
源氏物語にも周遊する娼婦の記述は出てくるが、
ああいうものは日本以外の地域にも広く見られたの?
115 :
世界@名無史さん:02/12/24 18:18
単なる伝承、または偏見(もしくは偏見に基づく伝承)かもしれないけど、
ヨーロッパのロマ(ジプシー)は、かつては売色と関るイメージがあったみたいだね。
ロマの内には周遊する芸人であるグループが確実にいた。(他は馬の売買、冶金業などが主要生業)
周遊する芸人と周遊する売色者には相関関係がありそうな気はする(予想にすぎないが)。
116 :
世界@名無史さん:02/12/25 14:10
このスレ読んでると、まるで古代世界の人間は一人残らずなにかの共同体に属していた
という風に読めるな。一人ぼっちじゃ絶対に生きていけない、みたいな。
例外だって大勢いそうなもんだが。群れからはぐれた一匹狼やライオンみたいなのがさ。
それになにせ人間だ、昆虫みたいに群生心理ばかりが先行するとは思えない。
あらゆる個人が共同体に還元されるというのは行き過ぎだろう。ほんとに個人生活者と
いうのは、古代では成立してなかったか?
成立しまちぇん
118 :
世界@名無史さん:02/12/25 14:29
>>116 ヒトという種は基本的には、群性なんですよ。
昆虫とは生態も行動様式も異なりますが、
石器時代以前から、バンド集団というグループで、大勢としては、狩猟や採取生活を送っていたことがわかっています。
マクロにみれば、一匹狼的人物と言うのは、例外とみなせます。
で、スレの主題である、貨幣の発生なんですけど、
有力説として、これは共同態と共同態の交流(トランザクション)から生じたのだろう、という考え方があります。
このスレで共同態の話題が多いのは、そうした影響だと思いますよ。
119 :
世界@名無史さん:03/01/06 02:10
>>116 共同体に属さない人間が古来からどういった扱いを受けてきたか考えて見れ。
大勢いない例外だからこそ「異質」なものとして見られてた訳だろうに。
それは共同体に属さない個人の存在を肯定しているのでは
121 :
世界@名無史さん:03/01/06 03:16
>>120 社会の一部として認知されるほど「大勢」は居なかったろうって事ね。
完全に否定なんか出切る訳無いし。
あくまで「例外」って事だわな。
(^^)
123 :
世界@名無史さん:03/01/22 16:44
保全あげ
124 :
世界@名無史さん:
律令時代の「運脚」とかすごいよね。
ぜんぜん実感わかない。
つーか貨幣を流通させた方がどう考えてもいいだろ、とか思う。